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「おばさん」っぽい者同士(?)の対談は、"聞き手"である養老氏がリード。

逆立ち 日本 論.jpg 『逆立ち日本論 (新潮選書)』 ['07年] 私家版・ユダヤ文化論.jpg 内田 樹 『私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)』 ['06年]

 内田氏と、内田氏の『私家版・ユダヤ文化論』('06年/文春新書)の帯の推薦文を書いていた養老氏が、雑誌「考える人」で対談したもので、両者の本格対談は初めてらしいですが(養老氏、対談本多いなあ)、人気者2人の対談ということで、内容が濃かろうと薄かろうと、予め一定の売上げは見込まれたのでは。
 これを「選書」に入れるということは、「選書」の独立採算を図ろうとしているのであって、「選書」だからと言って内容が濃いわけではなかろう―という穿った気持ちで本書を手にしましたが、まあ、当たらずも遠からずといった感じでしょうか、個人的感想としては。

 本書の内容に触れようとするならば、元本である『私家版・ユダヤ文化論』にも触れなければならなくなるので、敢えてここでは割愛しますが、本書だけ読んでも、もやっとした理解度に止まるのではないかと...。

 「この対談では、内田さんに大いに語ってもらいたかった。だから私は聞き手のつもりでいた」と養老氏は前書きしていますが、前段部分は確かに、『私家版・ユダヤ文化論』についての内田氏による補足説明のような感じも。
 これが、元本よりも丁寧だったりするので(補足説明だから当然か?)、そう考えると元本の結論部分はやはり新書ということで紙数不足だったのかとも思ったりし、逆に、元本を読まずに本書に触れる人に対しては、やや説明不足のような気がしました。

 但し、内田氏によれば、内田氏自身の話したことはほぼ活字化されているのに対し、養老氏の喋ったことは半分ぐらい削られているとのことで、実際に対談をリードしているのは養老氏という感じ。
 中盤の時事批評的な話は、養老氏は『バカの壁』の2年前から社会時評を雑誌連載していることもあり、時事ネタへの"独特の突っ込み"はお手のものですが、ちょっと飽きたかなあ、このパターン。

 ただ、最後の方になって、養老氏が自ら言うところの「"高級"漫才」と呼べるかどうかは別として、何となく味わいが出てきたかなという感じで、相変わらず読んで何が残ると言い切れるようなものではないけれども、ヒマな時にブラッとこの人の対談とか読んで、頭をほぐすのもいいかな、と思わせるものがありました。

 内田氏が対談の冒頭、本書の企画は、編集担当が内田氏と養老氏が「おばさん」っぽいところが共通していると感じたことから始まったことを明かしています。
 その「おばさんの思考」とは、頭で考えたことではなくて、どちらかというと非常に身体感覚的で論理がふらふら揺れ、極端に言えば、どんな結論にいこうと論理の次元が変わろうと気にしないのが「おばさん」であり、話のユニットが、連想とか関連語で(垂直方向ではなく)水平方向に繋がっていくのが特徴であると。
 内田氏の発言の中では、この「おばさん思考」が自らの思考方法に、及び養老氏のそれについても当て嵌まるとして分析していたのが、最もしっくりくる指摘でした。

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全体の構成にはやや違和感を覚えたが、随所で考えさせられる点も。

私家版・ユダヤ文化論.jpg私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)』 ['06年] ユダヤ人.jpg J‐P.サルトル 『ユダヤ人 (岩波新書)

 2007(平成19)年度・第6回「小林秀雄賞」受賞作。

 ユダヤ人問題の研究を永年続けてきた著者が、「なぜ、ユダヤ人は迫害されるのか」ということを論じたもので、第1章では「ユダヤ人」の定義をしていますが、「ユダヤ人はユダヤ教徒のことではない」としている時点で、「あっ、これ哲学系か」という感じでサルトル『ユダヤ人』('56年/岩波新書)を思い出し、案の定、「ユダヤ人は反ユダヤ主義者が"創造"した」というサルトルの考えが紹介されていました(そっか、この人、"元・仏文学者"だった。今は、思想家? 評論家?)。

 但し、「ユダヤ人とは『ユダヤ人』という呼称で呼ばれる人間のことである」という命題は、サルトルの言うほどに「単純な真理」ではないとし、レヴィナスの「神が『私の民』だと思っている人間」であるという"選び"の視点を示しています。
 レヴィナスは読んでいないので、個人的には、(お手軽過ぎかも知れないが)いい"レヴィナス入門"になりました(冒頭で著者が、自らの「学問上の師はユダヤ人」としているのはそういうことだったのか)。

 世界の人口の0.2%しかいないユダヤ人に何故、思想・哲学分野などで傑出した天才が多いのか、ノーベル賞科学系分野の受賞者数において高い率を占めるのか、といった興味深いテーマについても、サルトルとの対比で、レヴィナスの思惟を解答に持ってきていて、但し、こうしたサルトル vs.レヴィナスという形で結論めいたことが語られているのは終章においてであり、第2章から第3章にかけては、ユダヤ人陰謀史観が、「ペニー・ガム法」(自販機に硬貨を入れたらガムが出てくるのを見て「銅がガムに変化した」と短絡的に解釈してしまう考え方)に基づく歴史解釈であることを説明しています(ある種、情報リテラシーの問題がテーマであるとも言えるかも)。

 具体的には、第2章では、『シオン賢者の議定書』という反ユダヤ主義文書が19世紀末から20世紀にかけての日本人の反ユダヤ主義者に与えた影響や、エドゥアール・ドリュモンというフランス人の書いた『ユダヤ的フランス』というかなり迷妄的な本、並びに、その本に影響を受けたモレス侯爵という19世紀の奇人の政治思想や活動が紹介されていて、さながら、奇書・奇行を巡る文献学のような様相も呈しており、ある意味、この「トンデモ本」研究の部分が、最も"私家版"的であるととる読者もいるかも(自分も、半分はそうした印象を持った。実際には、「あくまでも私見に基づいて論じる」という意味だが)。

 全体の構成にはやや違和感を覚えましたが、随所にサルトル的な知性を感じ、その分既知感はあったものの、人間の嵌まり易い思考の陥弄を示しているようで、面白く読めました。
 一方で、レヴィナスの言葉を引いての著者の、ユダヤ人は自らが「神から選ばれた民」であるがゆえに、幾多の不幸をあえて引き受ける責務を負うとの考えを集団的に有している、という言説には、旧約聖書に馴染みの薄い自分には、ちょっと及びもつかない部分があったことは確か。

 本書は、学生への講義録がベースになっているそうで、「ユダヤ人が世界を支配している」というようなことを言う人間がいるが、そういう奇想天外な発想がどうして生成したかを論じるつもりが、「ユダヤ人が世界を支配しているとはこの講義を聞くまでは知りませんでした」というレポートを書いた学生が散見され、慌てて翌年に、文芸誌に「文化論」として整理し直して発表したものであるとのこと、そんな学生がいるのかなあ、神戸女学院には。

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盲従でも全否定でもなく、自らの「考えるヒント」にすべき本。

街場の現代思想.jpg 『街場の現代思想』 ['04年/NTT出版] 街場の現代思想2.jpg 『街場の現代思想 (文春文庫 (う19-3))』 ['08年]

 哲学的エッセイであり、社会批評にもなっていて、著者の本の中では最も平易な部類に属する本です。

 「自分の持っている知識」の俯瞰的な位置づけを知ることが大事であることを説き、それを、既読の本がどこに配置され「これから読む本」はどこにあるかを知っているという「図書館の利用のノウハウ」に喩え、「教養」とは「自分が何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」のことであるという、冒頭の「教養論」はわかりやすいものでした。

 第1章は、「家庭」で自然に獲得された「文化(教養)」と学校などで学習により獲得されたそれとの質的な違いを説き、「文化資本」の偏在により階層化する社会(東大生の親も高学歴であるような社会)では、「教養」を意識した段階でその者はプチブルならぬ"プチ文化資本家"となり、"(文化)貴族"にはなりえないという「文化資本論」を展開しています(読んでガックリした人もいるかも)。

負け犬の遠吠え.jpg 第2章は、酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』('03年/講談社)の視点に対する共感で溢れ、第3章は、主に20代・30代の若い人の仕事(転職・社内改革)や結婚の悩みに対する人生相談の回答者の立場で書かれていますが、読み進むにつれて通俗的になってきて、まあその辺りが「街場」なのでしょうけれど...。

 自分のブログや地域誌に発表した文章の再編で、やっつけ仕事の感じもありますが、それでも所々に著者ならでの思考方法(乃至レトリック)が見られます。
 物言いが断定的でオーバー・ゼネラリゼイション(過度の一般化)がかなりあるので、これらを鵜呑みにせず、と言って全否定もせず、自らの「考えるヒント」にすべきなのでしょう。 

 【2008年文庫化[中公文庫]】

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