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「艶歌」「涙の河をふり返れ」は藤圭子"前"、「艶歌と援歌と怨歌」「怨歌の誕生」は藤圭子"後"。

涙の河をふり返れ2.png五木寛之作品集6.jpg 涙の河をふり返れ (文春文庫1976).jpg 怨歌の誕生 双葉文庫.jpg2怨歌の誕生 双葉文庫.png
涙の河をふり返れ―五木寛之作品集 (1970年)』『涙の河をふり返れ (1973年) (五木寛之作品集〈6〉)』『涙の河をふり返れ (文春文庫 100-8)』『怨歌の誕生 (双葉文庫)』['13年]

 大学講師の「私」は、同じ大学で学究の道に進みながらも研究費流用事件で大学を追われて歌手のマネージャーに転じた「黒木」が、才能のある女性演歌歌手を世に出すためにどうすればよいか相談してきたため、マスメディアからの一方的な押し付けではなく、大衆の側からアプローチさせればどうかとアドバイスする。黒木は私の助言に従って、新興宗教団体に絡めてその演歌歌手「水沢忍」を売り出し一時は成功するが、やがて彼女の人気に陰りが見え始める。更に助言を求める黒木に、私は、彼女が売れたことが大衆の反発を招いたとし、大衆は彼女にある種の「不幸」の影を求めているとアバイスをすると、やがて実際に水沢忍を不幸が襲い、彼女の人気は前にも増して高騰するが、その「不幸」は黒木の仕組んだものだった。黒木のことを親よりも信じていた水沢忍はそれを知り衝撃を受けるが、黒木は、彼女への最後のプレゼントとして、人を信じられないという「不幸」をその心に刻印したのだと言って去る―(「涙の河をふり返れ」)。

藤圭子.jpg 私(五木寛之)は、自宅で原稿が一枚も書けない日の深夜、原稿になりそうな考えが浮かばないので、音楽を聞こうとそこらにある流行歌のレコードを探し、ごく軽い気持ちで、最近人気が出てきた17歳の女性歌手の最初のLPをかける。藤圭子の歌はそれまでに何度か聞いたことがあったが、特別な印象があったわけではなかった。しかし、「かけたレコードは、これまでに聞いたどんな流行歌にも似ていず、その歌い手の声は私の耳でなくて体の奥のほうにまで、深くつき刺さってくるような感じを与えたのだった。私は思わず坐りなおして、そのレコードを二度、三度と聞き返した」。私は居眠りしていた細君を叩きおこし、二人でくり返しそのLPを聞く。そして私は久しぶりで熱っぽい内側からの衝動につき動かされて鉛筆を走らせたのだった―(「怨歌の誕生」)。
藤 圭子(本名:宇多田純子、1951- 2013.8.22/享年62)

 「涙の河をふり返れ」は1967(昭和42)年11月発表で、1970(昭45)年3月刊行の短編集『涙の河をふり返れ』(文芸春秋)に収められました(この短編集はその他に「われはうたへど」「人情ブラウン管」「望郷七月歌」「深く暗い海」を所収)。

 作者は「涙の河をふり返れ」発表の前年の1966年に、新新宿の女.jpg夢は夜ひらく 藤圭子.jpg人演歌歌手の売り出しに奔走する音楽プロデューサーらを描いた「艶歌」という中編も書いており、「不幸」を"仕掛けた"ことでその新人は爆発的に売れるというプロットは「涙の河をふり返れ」とよく似ています。これが藤圭子をモデルにしたものとされて後に話題になりますが、藤圭子が「新宿の女」でデビューしたのは3年後の1969(昭和44)年9月であり(翌1970年には「圭子の夢は夜ひらく」が爆発的にヒットする)、まだデビューしていない藤圭子を、デビューの3年前にモデルには出来ないわけで、作者もあり得ないと否定しています。

四月の海賊たち.jpg 一方、「怨歌の誕生」は1970(昭和45)年8月発表で、1971(昭46)年7月刊行の短編集『四月の海賊たち』(文芸春秋)に収められました(この短編集はその他に「悪い夏悪い旅」「ヘアピン・サーカス」「Qの世界」「バルカンの星の下に」「四月の海賊たち」を所収)。

四月の海賊たち―五木寛之作品集 (1971年)

 こちらは、発表時のタイトルが「実録・怨歌の誕生」であったことからも窺えるように、小説ではなく実録の読み物の形をとっていますが、藤圭子の育ての親である作詞家・石坂まさを氏を「沢ノ井氏」として登場させるなど、藤圭子の関係者がぞろぞろ出てきます(石坂まさを氏の本名は「澤之井龍二」、初期のペンネームは「沢ノ井千江児」。28歳で藤圭子をプロデュースしミリオンセラーとなる直前に「石坂まさを」に改名した)。作詞家・石坂まさをと藤圭子.jpgテレビ番組の打ち合わせの席に現れた、藤圭子の歌の歌詞から石坂まさを.jpgプランニングまでを一手に仕切っているという沢ノ井氏の"独演"に、その場に居合わせた「私」たちが戸惑う場面があります。沢ノ井氏は、「できるだけ暗く暗く持って行こうとしているんですがね。ちょっと目を離すとすぐ明るくなっちゃう」と言って周囲を煙に巻き、その場を去っていきます。

石坂まさを(本名:澤ノ井龍二、1941- 2013.3.9/享年71)

石坂まさを(左)と藤圭子(中央)SANSPO.COM(サンスポ)[撮影日:1970.11.9]

 この「怨歌の誕生」の中には書かれていませんが、後日譚として知られているのは、その「沢ノ井氏」こと石坂まさを氏が、自分が藤圭子を売り出す際にやったことは「五木さんに責任がある」と作者に言ったというもので、彼は「涙の河をふり返れ」の一節を諳んじていたそうです。つまり、「涙の河をふり返れ」は藤圭子をモデルにしたものではなく(こちらも藤圭子デビューの2年前に書かれており、時間的順序からしてそれは不可能)、藤圭子の売り出しに際して「涙の河をふり返れ」というフィクションが参照された―「現実」が「虚構」を模倣した―というのが興味深いと思います。

ゴキブリの歌 (講談社文庫).jpg 「怨歌の誕生」の中に出てくる「私」が以前に書いた小文とは、毎日新聞連載のエッセイ「ゴキブリの歌」で作者が1970年夏に書いた「艶歌と援歌と怨歌」であり、「怨歌の誕生」で「原稿が一枚も書けない」で行き詰った状況とは、この連載エッセイの原稿締切りで作者が煮詰まっていたことを指しています。従って、「怨歌の誕生」には、「艶歌と援歌と怨歌」という小文を書いた際の周辺状況を"メタ・エッセイ"として再構築している面もあるとも言えるのではないかと思います(『ゴキブリの歌』は作者の第1エッセイ『風に吹かれて』に続くものとして1971年刊行)。

ゴキブリの歌 (講談社文庫)

 個人的にはエッセイ集の中の一文に過ぎない「艶歌と援歌と怨歌」が意外と印象に残っているのですが、「怨歌の誕生」では、その小文を書いたその時の自分や世間の状況を再検証している面があるのが興味深い一方で、エッセイと言うより"読み物"として再構築されているようにも感じられました。社会批評的な要素も含んでいますが、"メタ・エッセイ"ではなく、自らのエッセイをベースにした"メタ小説"とみる見方も成り立つように思います。或いは、「艶歌と援歌と怨歌」の方がそもそも、エッセイのスタイルをとった"メタ小説"であり、その"創作"の部分を「怨歌の誕生」で解き明かしていると言った方がより正確なのかもしれません。

藤圭子 記事.jpg もう一度おさらいするならば、「艶歌」「涙の河をふり返れ」は藤圭子登場"前"であり(したがって作者にとって「藤圭子」は意識されていない)、「艶歌と援歌と怨歌」「怨歌の誕生」は藤圭子登場"後"或いは"リアルタイム"である(実際に藤圭子のことが書かれている)ことになるわけです。

 2013年8月の藤圭子の転落死(新宿警察署により自殺と断定されている)による急逝を受け、双葉文庫より『怨歌の誕生』(2013年12月刊)が刊行されました。この中に「艶歌」「涙の河をふり返れ」「われはうたえど」「怨歌の誕生」が所収されているほか、「藤圭子モデル説を訂正」という作者が1976年に日刊ゲンダイ連載エッセイ「流されゆく日々」に書いた小文や、更には「あとがきにかえて」の中で当時の経緯が解説されていて、整理がつきやすくなっています。

2013年8月22日「東京新聞」夕刊

 その中で著者は、「怨歌」という言葉が一人歩きしてしまったが、自分は藤圭子へのオマージュを書いたのではなく、「この歌い手がこういった歌をうたえるのは、たった今この数カ月ではないか、という不吉な予感があった」と当時書いた文章を引いて、不吉な予言を込めたことを示唆していますが、その予言は、「藤圭子のその後の人生はどうだったか」という長い目で見れば(或いは違った角度から見れば)当たったと言えなくもないように思いました。

村上朝日堂 藤圭子.jpg村上朝日堂1.jpg村上春樹 09.jpg 余談ですが、村上春樹氏の最初のエッセイ集『村上朝日堂』('84年/若林出版企画) に、かつて村上春樹氏が働いていた新宿のレコード店に藤圭子が来たことが一度あって、すごくすまなそう感じで「あの、売れてます?」とニコッと笑って彼に訊ねたという話があったのを思い出しました。

安西水丸:画

「涙の河をふり返れ」...【1976年文庫化[文春文庫]】

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個人的に懐かしい街。様変わりしていく一方で、自分が知らなかった歴史の跡も。

五木寛之の新金沢小景1.jpg 『五木寛之の新金沢小景』(2005/09 北國新聞社)

五木寛之の新金沢小景2.jpg テレビ金沢で毎週土曜日の夕方に放送されている、五木寛之が金沢市内や近郊を廻りながら、金沢の風景や物語を辿っていくというスタイルのミニ番組「新金沢小景」を本にしたもので、写真が多くて紙も上質、内容的にも丁寧にまとまっているという感じ。

 個人的には、小学生の初めと、小学生の終りから高校の初めまで金沢に住んでいたので、金沢には愛着があり、また、五木氏が金沢に住んでいた頃と時期的に重なるので、その点でも興味をひかれるものがありました。

兼六園 霞が池.jpg 金沢では、現在の金沢市民芸術村(旧大和紡績金沢工場)付近や犀川べり犀川神社付近に住みましたが、自分が通った、元々は金沢の伝統的な長い土塀で囲まれていたという小学校も、尾山神社のすぐ近くあった中学校も今は無く、それぞれ市民体育館とホテルになってしまいました。

 学校の課外授業の写生大会はいつも兼六園で(当時は入園無料で、兼六園が通学路だった生徒もいた)、遠足は卯辰山が定番、五木氏の住んでいた小立野付近も通ったりはしましたが、小説『朱鷺の墓』に出てくるような廓があることは知りませんでした(学校で教えないからね)。

兼六園・霞ヶ池

 そもそも自分は、金沢市と石川県の地歴を学校で教わる小学校の3、4年生の時には金沢にいなかったのですが、「加賀百万石まつり」の前夜祭には提灯行列に5、6年生の生徒が駆り出され(これは今でも変わっていないみたい)、「二つの流れ遠長く 麗澤清んで涌くところ 甍の波 の日に沿いて 自ずからなる大都会」という金沢市歌を歌いながら金沢城付近を練り歩き、歴史を体感した(?)記憶があります。

 本書は金沢という街をいろいろな角度から百景ほど紹介していますが、タイトルを「百景」としなかったのは、番組の方がまだ続いているからでしょうか。

尾山神社.jpg 番組同様、五木氏の全面監修ということですが、五木氏は百景の冒頭にちょこっとエッセンス的なコメントを寄せているだけで、あとは番組スタッフが頑張った作った本だという印象の方を強く受けます(こうしたローカル番組は各地にあるけれども、こうしてきっちり本になるものは意外と少ないかも)。

尾山神社

 但し、五木氏の金沢にまつわる作品なども紹介されていて、それは本文中にも出てくるし、また多くの文豪が関わりを持った街であるだけに文学的な話題も多く含まれていますが、尾山神社のところで小説『美しい星』の冒頭でこの南蛮風神社を華麗に描写した三島由紀夫の話が出てくるかと思ったら、兼六園・霞ヶ池のところで、その話も含め出ていました(母方が金沢の儒学者の家系だったのだなあ。知らなかった)。

 三島由紀夫は『美しい星』の中でこの池を絶賛、自分は写生会でこの池を写生して「金賞」を貰ったなあ(学校内表彰だから大したことないけど。しかも、マネ、モネ、スーラ が好みの美術教師の趣向に合わせるという、「傾向と対策」の成果であったところがちょっといやらしいが)。

 タイトルに「新」とあるように、五木氏が住んでいた頃とは随分様変わりしているはず。本書に紹介されている古くからあるお店などの中にも、本書刊行後に廃業したところもあるようで、一方で、自分が知らなかった金沢の歴史が今も深く刻まれている場所もまだまだ多くあり(それが地理的には、自分が幼い頃によく見知っていた場所だったりする)、また旅行で行ってみたいと思わせる本でした。

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「ボランティアは石もて追われよ」。自分はまだそこまでの境地に達していないなあ。

人間の覚悟.jpg 『人間の覚悟 (新潮新書)』['08年]

 生きているということは、自分に関する事柄について1つ1つ不可能性を認識していくことではないかと思われ、そうした意味では、ある程度の年齢を経れば、一定の諦念のようなものは否応なく身についてしまうのではないでしょうか。

 但し、本書にあるように、「諦める」覚悟を持たなければならないとまで言われると、自分はまだまだそこまで達していないなあという気がします。

 著者は、「諦める」は「明らかに究める」に通じるとしていることから、「諦める」覚悟を持つということは「明らかに究める」覚悟を持つということにもなり、やはり、そうした努力は継続しなければならないのかなあ。

 但し、著者が言う「善意は伝わらないと覚悟する」「人生は不合理だと覚悟する」「国家や法律は守ってくれないと覚悟する」「統計などの数字よりも自分の実感を信じる」などといったことは、既に実感として身についてしまっている人の方が多いかも。

 もともと著者のエッセイには、それこそ初期の「風に吹かれて」の頃からある種ペシミズムのようなものが漂っていたように思いますが、「資本主義は終焉の時期が来ている」はともかく、「躁から鬱の時代(下降していく時代)に入った」とか言われると、自身の加齢とともに、終末論的な色合いが強くなってきているような気がしなくもありません。

 著者は昔、文化講演会などで話をさせられるのは苦手だと言っていましたが、本書などは、時事批評的な要素もあれば、お坊さんの法話的な雰囲気もあり、今ではこうした語り口がすっかり身についてしまった感じもします。

 全体を通しての自分自身の読後感は、分かったような、分からなかったような、と言う感じであり、まだ自分は「覚悟」に至るにはかなり遠いところにいるのかも知れません。

 但し、部分部分においては示唆に富む箇所もあり、とりわけ個人的には、「ボランティアは石もて追われよ」と書かれている箇所に共感しました(この部分についても、自らを振り返ってみれば、自分はまだそうした境地に達していないのだが)。

 文中に朝鮮からの引き揚げ時のエピソードがちらりちらりと出てくるのが著者の最近のエッセイの特徴ですが、その中に、モーパッサンの『脂肪の塊』を想起させるものがあったのが印象に残りました(占領した側に女性を人身御供として遣わせるところ。戦争のごとに歴史は繰り返されるなあ)。

《読書MEMO》
●「ボランティアは石もて追われよ」
 一九九五年に阪神淡路大震災が起きたとき、ボランティアとしてたくさんの人が被災地に向かいました。
 若い人たちの中には、骨を埋める覚悟で行くという人もいるほど熱気があったのに、地震から二、三年も経つと、その人たちが私にこぼすようになったのです。「はじめは涙を流して喜んでいた人たちが、そのうち慣れて小間使いのように自分たちをこき使う」、「やってくれるのが当然という態度で、ありがとうの一言もない」など。
 しかし私はこう思うのです。「それは君たちがまちがっている。そもそもボランティアというのは、最後は『石もて追われる』存在であるべきなのだから」。(中略)ほんとうに自らの身を投じて仕事をすれば、ついには追われるのが自然です。
 最後にみんなから大きな感謝とともに送り出される、などと考えてはならない。「もう帰っていいよ」と言われたら、「はいそうですか」と帰ってくればいい。いい体験をさせてもらいました、ありがとう、と心の中でつぶやきつつです。そう覚悟してこそボランティアなのだと思います。(中略)それでもしだれかが、「ありがとう」と言ってくれて、もし相手に思いがつうじたなら、狂喜乱舞すればいいのです。

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「さらばモスクワ愚連隊」など懐かしい'60年代作品を所収。

五木寛之ブックマガジン〈夏号〉00_.jpg  五木寛之『さらばモスクワ愚連隊』講談社版.jpg さらばモスクワ愚連隊 (講談社文庫) 3.jpgさらばモスクワ愚連隊 (講談社文庫) 0_.jpg  さらばモスクワ愚連隊.jpg
五木寛之ブックマガジン〈夏号〉』〔'05年〕『さらばモスクワ愚連隊 (1967年)』『さらばモスクワ愚連隊 (講談社文庫)』『さらばモスクワ愚連隊 (新潮文庫)』『さらばモスクワ愚連隊 【五木寛之ノベリスク】』 

 '60年代の作品を特集で掲載していて、久しぶりに読み返しましたが、いやぁ、懐かしい。と言っても、過去にそれらを読んだ時点でもリアルタイムではなかったのですが...。

 モスクワでの体験に基づくという「さらばモスクワ愚連隊」('66年4月初出)が、やはり一番いいと思いました。作者自身のカルチャーショックのようなものが、作品の中にまだ余熱として残っている感じがし、その熱っぽさとそれを支えるテンポの良さを感じます。1966(昭和41)年・第6回「小説現代新人賞」受賞作で、直木賞候補にもなりましたが、選考委員会では、作者の初めて候補に上がった作品だったので次作を待とうということだったようです(結局、次回に「蒼ざめた馬を見よ」で受賞しているが、「さらばモスクワ愚連隊」の方が出来が良かったのでは。評価★★★★☆)。 

ソフィアの秋.jpg 「ソフィアの秋」('68年9月初出)は、美術史を学ぶ学生が、古イコン(聖像画)を求めて友人とブルガリアに旅する話で、これも、作者がソフィア、プラハへと旅行し、帰国後まもなく発表した作品。主人公は首都ソフィア近郊の村でイコンを手に入れるが、バルカン山脈を越える際に吹雪に遭い、暖をとるために手に入れたイコンを燃やしてしまうという筋書きですが(雑誌発表時のタイトルは「聖者昇天」 )、イコンについての薀蓄が語られる一方で、結構コミカルな話だったということに気づきました(この"軽さ"も、ある意味、作者の特徴か。評価★★★★)。

ソフィアの秋―五木寛之海外小説集 (1969年)

           
海を見ていたジョニー 単行本.jpg 「海を見ていたジョニー」('67年2月初出)は、黒人少年兵でジャズピアニストでもあるジョニーが、ベトナム戦争で精神を病み、もはや自分にジャズを演奏する資格はないと悩み、最後は海辺で自殺するという短編小説で(評価★★★★)、本誌同録の「GIブルース」('66年9月初出、『さらばモスクワ愚連隊』収録)なども同じようにリアルタイムでのベトナム戦争を感じることができる反戦小説であると言えます(単行本及び文庫本『海を見ていたジョニー』の同録作品は、「素敵な脅迫者の肖像」「盗作狩り」「CM稼業」などだった)。

海を見ていたジョニー (1967年)

 「CM稼業」などと同じく"業界もの"に属する「第三演出室」('68年)には、まるで平成不況の世相を反映したかのような「リストラ部屋」が出てきます。

 今読み返すと、紋切り型の登場人物やご都合主義的なストーリー展開も多い気がしますが、最初からエンターテインメントとして書いいて、その姿勢は今も変わらないと後書きに作者自身が書いています。

 「青春の門〈筑豊編〉」('69年)なども連載第1弾として載せています。鈴木いずみ(作家・'86年縊死)が「内灘夫人」に寄せて書いたものや、色川武大(=阿佐田哲也)が五木寛之氏の雀風について書いたものなどもあり、時の流れを感じます。書き下ろしエッセイもあり、盛りだくさんでワンコイン(500円)はお買い得でした。

五木寛之作品集 (5) ソフィアの秋 (1973年).jpgさらばモスクワ愚連隊』...【1967年単行本[講談社]/1971年五木寛之小説全集〈第1巻〉[講談社]/1975年文庫化[講談社文庫]/1979年再文庫化[角川文庫]/1982年再文庫化[新潮文庫]】


ソフィアの秋』...【1969年単行本[講談社(『ソフィアの秋―五木寛之海外小説集』)]/1972年文庫化[講談社文庫]/1973年五木寛之作品集〈第5巻〉[文藝春秋]/1980年再文庫化[新潮文庫]】
五木寛之作品集 (5) ソフィアの秋 (1973年)


海を見ていたジョニー』...【1967年単行本[講談社]/1973年五木寛之作品集〈第2巻〉[文藝春秋]/1974年文庫化[講談社文庫]/1981年再文庫化[新潮文庫]】

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「大河の一滴」3部作の中で、最も「自分に近いところ」で書かれている。

運命の足音.jpg 『運命の足音』 (2002/08 幻冬舎)

 著者は、軽妙な雑感集のようなものから文明論・人生論的なものまでいくつかのタイプのエッセイを書き分けているようですが、'94年に『蓮如』(岩波新書)を発表して以来、さらに宗教的な思索を深め、'90年代の終わり頃からそれを平易に表現することに努めているように思えます。

 本書は、『大河の一滴』('98年/幻冬舎)、『人生の目的』('99年/幻冬舎)に続く人生論的エッセイで(著者は本書刊行年の'02年に第50回「菊池寛」賞を受賞)、この3部作の間にも『他力』('98年/講談社)などを発表していますが、これらの作品の中では、本書が最も著者にとって「自分に近いところ」で書かれている気がしました。

 と言うのは、著者が戦後57年間"封印"してきた、朝鮮半島からの引き揚げ時に母親が亡くなったときの話が、本書で初めて書かれているからです。
 ソ連兵が自宅に押し入り、12歳の五木少年の目の前で家族を蹂躙する様は、あまりに悲惨で、読んでいて胸が痛くなります。

 この3部作では『大河の一滴』が先ずどっと売れましたが、何となく説法臭い気がしてしばらく手をつけませんでした。
 本書には前2作に比べ、著者の"無常感"と言うか"諦念"を思わせる雰囲気さえあり、またこの作家が、この時点で尚も強烈な原体験のトラウマと苦闘しているという印象を抱きました。
 そのことは、ソ連兵に自宅を接収された後、母親が亡くなるまでの1ヶ月間のことについては簡単な描写しかなく、「こんな暗い話は、二度と書きたくないと思う」と言っていることにも表れているのでは思います。

 【2003年文庫化[幻冬舎文庫]】

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70歳になったら奥さんに死なせてもらうと言っていた五木さん。

対論.jpg 『対論 野坂昭如 X 五木寛之』['71年] 対論 野坂昭如 X 五木寛之.jpg 『対論 (講談社文庫)』['73年]

  野坂昭如氏と五木寛之氏の対談集ですが、'71(昭和46)年にソフトカバー単行本で刊行されたもので、リアルタイムではないですが単行本で読みました(今は文庫でも書店ではなかなか見かけない)。

 対談時は2人とも40歳前後でしょうか。野坂氏の方が五木氏よりも2歳年上ですが、それぞれ昭和42年とその前年に直木賞を受賞していて、同世代的意識が感じられます。
 互いの語り口によそよそしさが全くなく、世界や文学について語ってたと思ったら、すっと極めて個人的な話に入っていったりします。

 「青春」とか「友情」とかいうテーマで熱く語り合っているところに、'60年代の余熱を感じます。
 今で言えば、村上龍氏と村上春樹氏の対談みたいなものかという気もしますが、"両村上"の対談はこの10年後に実現し『ウォーク・ドント・ラン』('81年/講談社)という本になっています(意外と、この〈野坂X五木〉対談と間があいていないという感じ)。

五木 寛之.jpg 五木寛之氏の奥さんが女医さんで、五木氏は、自分が70歳になったら奥さんに注射してもらって死ぬのだと言っています。
 当時自ら言うところの「顔文一致」で売っていた彼の美意識による発言なのかとも思わせなくもないですが、むしろこの作家は根源的にどこかそうしたものを持っていて、それが後の宗教的傾斜に繋がっていったのでしょう。
 『親鸞』あたりからか。親鸞と「出会って」、「生きていていいんだよ」と言われたような気がしたといったことを、どこかのテレビ番組で言っていたなあ(おそらくEテレ)。

 【1973年文庫化[講談社文庫]】

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新装版は読みやすい。再読して感じた全編を貫くニヒリズム。

風に吹かれて 五木寛之.jpg 『風に吹かれて (1973年)』 読売新聞社 風に吹かれて.jpg 『風に吹かれて』 KKベストセラーズ['02年/単行本新装版]

風に吹かれて・五木寛之.jpg 1932(昭和7)年生まれの著者が、'66年に『さらばモスクワ愚連隊』、『蒼ざめた馬を見よ』を発表した後の処女エッセイ集(『蒼ざめた馬を見よ』は'67年1月に直木賞を受賞)。'67年1月から「週刊読売」に連載され、1年間の連載の後'68年に単行本化、その後、新潮文庫、講談社文庫、角川文庫などにおいて何度も文庫化され、総計400万部以上売れました。

 今読み返してみても、著者のエッセイストとしての筆力を窺わせるとともに、同時期に書いていた青春小説とは異なる味わいをも感じます。

<わが漂流のうた>五木寛之珠玉エッセイをよむ(1973(昭和48)年/中央公論社)

 このエッセイ集の中に、「五木さんの考え方は、ちょっと退廃的だと思います」と、女子学生の一人に言われて、「そうかもしれない。あまりにも自信に満ちた空しい演説が多すぎる時代のような気がしないでもない」(「自分だけの独り言」)とありますが、読み直して感じたのはむしろ、このエッセイを書いていた当時の年齢(35歳)にしては、老成とまでは言いませんが、達観したニヒリズムのようなものが全編を貫いているという印象でした。

 しかし、「遊べば遊ぶほどむなしく、集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ、という気がする」と言いつつも、「そんな時代に、孤独から抜け出る道は、こういった共同の行為にしかあるまい」(「二十五メートルの砂漠」)と、何か他者との連帯に充実を見出そうとしていることを感じさせる部分もあります。

 「人間は、ある距離をおいて眺めている時がいちばん面白いようだ」としながらも(これは、現代若者気質にも通じるところだが)、「適当に離れて接する友人ほど長く続いている」(「光ったスカートの娘」)と書いています(因みにこの章で五木寛之がそのひたむきさを懐述している"光ったスカート"の女子高生というのは、デビュー当時の中尾ミエだった)。 

小立野.jpg 金沢という街をに対する愛着も随所に見られますが、「私はやはり基地を失ったジェット機でありたいと思う。港を持たぬヨット、故郷を失った根なし草でありたいと感じる」という言葉が最終回にあり、金沢を離れることを予感させています。

金沢・小立野付近

 '02年5月にKKベストセラーズから刊行された新装版で再読しましたが、装丁も綺麗でたいへん読みやすいものでした。また、巻末の立松和平氏との対談内容も、立松氏がこのエッセイを好きなことを知らなかったこともあり、これもたいへん興味深いものでした(作家というのは一般的には、存命している現代作家のエッセイに対して影響を受けたとかはあまり言わない傾向にあるのではないか)。

風に吹かれて2.jpg【1968年単行本・1973年愛蔵版[読売新聞社]/1972年文庫化[新潮文庫・講談社文庫]/1977年再文庫化[集英社文庫]/1984年再文庫化・1994年改訂[角川文庫]/2002年単行本新装版[KKベストセラーズ]】

風に吹かれて (角川文庫―五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ)』 ['94年]

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