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社会派作品であり、心を揺さぶる作品、且つ、カフカ的不条理の世界「壁あつき部屋」。

壁あつき部屋 dvd.jpg 壁あつき部屋2.jpg   私は貝になりたいDVD.jpg 私は貝になりたい 1959 vhs 1.jpg
あの頃映画松竹DVDコレクション 壁あつき部屋」['16年]「私は貝になりたい <東宝DVD名作セレクション>」['20年]/VHS

「「壁あつき部屋」 .jpg 戦後4年が過ぎたが、巣鴨拘置所には多くのBC級戦犯が服役している。その一人・山下(浜田寅彦)は、戦時中南方で上官・浜田(小沢栄太郎)の命令で一人の原地人を殺したのだが、その浜田の偽証で罪を被せられ、重労働終身刑の判決を受けている。また横田(三島耕)は戦時中、米俘虜収容所の通訳だっただけで巣鴨に入れられた。横田が戦時中、唯一人間らしい少女だと思つた隠亡燒(北竜二)の娘・ヨシ子(岸惠子)は、今では渋谷の歓楽街に働いている。朝鮮人の許(伊藤雄之助)も、戦犯の刻印を押された犠牲者の一人だった。山下はある日脱獄を企てて失敗、その直後に母の死を知る。葬儀のため時限付で出所を許された山下は、浜田へのかつての恨みと、浜田が山下の母と妹(林トシ子)を今まで迫害し続けていたことへの怒り壁あつき部屋 0.jpgから、浜田家に向かうも、恐怖に慄く浜田を見て殺意が失せる。たった一人の妹は、「これからどうする?」という山下の問いに、「生きて行くわ」とポツリ答える。再び拘置所に戻り、横田らに迎えられる山下、そこには厚い壁だけが待っていた―。

 巣鴨拘置所に服役中のBC級戦犯の手記「壁あつき部屋」の映画化で、新鋭プロ第一回作品。脚色には芥川賞受賞作家の安部公房が当り、小林正樹が監督しています。作品自体は1953年10月に完成しましたが、GHQの検閲を恐れた松竹の上層部によって、一部カットされそうになったのを小林監督が拒否したため、公開が3年遅れ1956年10月となりました。

壁あつき部屋1.jpg 小説家の安部公房の脚本ということもあるためか、人間心理を深く追求しながらも、余分な説明は削ぎ落とし、多くのエピソードを組み込んでいます。同じ部屋(雑居房)の受刑者6人の話という構成ですが、信欣三が演じる男がやはり手を下したくなかった処刑で人を殺めてしまった苦悩から狂い死ぬ(自殺)という凄絶な場面が早々にあり、あとは5人になります。

壁あつき部屋3.jpg その5人の中心となる浜田寅彦演じる山下は、戦地で疑心暗鬼に駆られた上官に現地人の殺害を命じられたわけですが、その現地人は部隊が食料も無くジャングルを彷徨い歩いていたところを助けてくれた言わば命の恩人であり、山下自身は上官に抗議するも、それでも殺害命令に従わなければ反逆罪として銃殺すると言われて、失意の中で恩人の命を奪ったものでした。

壁あつき部屋m5.jpg それが戦犯として裁かれる際に、上官の方は偽証により罪を全て山下になすりつけ、山下には瞬く間に死刑判決が下って、現地で執行ぎりぎりのところで刑を減免されて巣鴨刑務所に送致されたわけです。そこではまた人間扱いされず不当な処遇のもと強制労働させられる「BC級戦犯」が多く収容されていて、中には精神を病む者もいる状況。この山下の自身が置かれた理不尽な状況は、カフカ的不条理の世界にも通じ、その辺りが安部公房なのかなとも思いました。

 戦争の現地である南方での裁判において、アメリカ人らが報復にも近い形で日本人を裁き処刑していく場面があり(処刑も残酷だが、それを日本人捕虜に見せるのも残酷!)、銃殺後に現地に遺体をぞんざいに埋葬するため、現地人の反感を買うという、こうした自分本位の「正義」を振りかざして現地人の反感さえ買うアメリカ人の横暴が描かれているところが、松竹の上層部がGHQの検閲を恐れた由縁ではないかと思われます。
    
壁あつき部屋 岸恵子.jpg壁あつき部屋 ポスター.jpg この映画は社会派作品であることは確かですが、今の時代でも人の心を揺さぶるような戦争というものの根本に迫った作品でもあります(且つ、壁あつき部屋17.jpgカフカ的不条理の世界にも通じるということか)。一時的に出所を許された山下は、世の中がすっかり平和ムードに変化しているのに驚かされますが、一方で、横田が戦時中、唯一人間らしく優しい少女だと感じたヨシ子は、戦後は米兵に体を売る女となっていて、心もすれっからしになっており、そこにも戦争の悲劇が縮図として組み込まれています。岸惠子が、戦時中の可憐な少女と、戦後の淪落した女性の両方を演じ分けています。

私は貝になりたい2.jpg私は貝になりたい 1958.jpg もともとこの雑居房の6人は普通の市井の善良な市民であり、それがいわれなき罪を負わされて重い刑に服しているわけです。無実の人間が戦犯とされてしまう話としては、「壁あつき部屋」と同じように、戦争中に上官の命令で捕虜を刺殺した理髪店主が、戦後C級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描いた「私は貝になりたい」('59年/東宝)があります。もともと1958年10月にテレビ放映された作品が、芸術賞受賞をきっかけに翌年4月に映画化されたもので、監督はTV版の脚本を書いた橋本忍です(橋本忍にとっての初監督作品)。
私は貝になりたい <1958年TVドラマ作品> [DVD]
私は貝になりたい」 508.jpg私は貝になりたい」tbs.jpg<1958年TV版> ラジオ東京テレビ(KRT/現TBS)(第13回芸術祭文部大臣賞受賞)〈出演〉フランキー堺/清水房江/桜むつ子/平山清/高田敏江/佐分利信(特別出演)/大森義夫/原保美/南原伸二(特別出演)/清村耕次/熊倉一雄/小松方正/内藤武敏/恩田清二郎/浅野進治郎/増田順二/坂本武/十朱久雄/垂水悟郎/河野秋武/田中明夫/ジョージ・A・ファーネス(特別出演)/佐野浅夫/梶哲也/織本順吉
「私は貝になりたい」<1959年映画作品>
私は貝になりたい 1959 vhs.jpg こちらは、主人公の理髪店主・豊松(フランキー堺)が戦後やっとの思いで家族のもとに戻り、理髪店で再び腕を揮い、やがて二人目の子供を授かったことを知私は貝になりたい 1959 01.jpgり平和な生活が戻ってきたかに思えた―その時、突然やってきたⅯP(ミリタリーポリス)に従軍中の事件の戦犯として逮捕されてしまうというもので、しかも最後は死刑になるという結末であるため、相当にヘビーです。

私は貝になりたい 1959 2.jpg いかにも橋本忍っぽい脚本に思えなくもないですが、こちらもBC級戦犯・加藤哲太郎の巣鴨獄中手記「狂える戦犯死刑囚」が一部モチーフとなっていて、そこには「私は貝になりたいと思います」という囚人の切実な叫びが綴られています(加藤哲太郎自身は、絞首刑→終身刑→有期刑と減刑されている)。

私は貝になりたい 所1.jpg私は貝になりたい 所2.jpg 「壁あつき部屋」は、北千住・シネマブルースタジオでの「戦争の傷跡特集」で観ました。「私は貝になりたい」と観比べてみるのもよいかと思います。「私は貝になりたい」はその後、1994年に所ジョージ主演でテレビドラマ・リメイク版が放送されたほか、2008年に福澤克雄監督、中居正広主演で再映画化されています。
「私は貝になりたい」<1994年TVドラマ化作品>所ジョージ/田中美佐子
私は貝になりたい 所0111.jpg私は貝になりたい vhs.jpg<1994年TV(所ジョージ)版> TBS(第43回日本民間放送連盟賞ドラマ番組部門優秀受賞)〈出演〉所ジョージ/田中美佐子/長沼達矢/瀬戸朝香/津川雅彦/春田純一/桜金造/柳葉敏郎/渡瀬恒彦/矢崎滋/石倉三郎/杉本哲太/森本レオ/三木のり平/室田日出男/すまけい/小宮健吾/小坂一也/段田安則/竹田高利/寺田農/尾藤イサオ/ラサール石井


シネマ ブルースタジオ 戦争の傷跡 特集.jpg壁あつき部屋 (1956).jpg「壁あつき部屋」●制作年:1956年●監督:小林正樹●脚本:安部公房●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●原作:「壁あつき部屋―巣鴨BC級戦犯の人生記」●時間:110分●出演:浜田寅彦/三島耕/下元勉/信欣三/三井弘次/伊藤雄之助/内田良平/林トシ子/北竜二/岸惠子/小沢栄太郎/望月優子/小林幹/永井智雄/大木実/横山運平/戸川美子●公開:1956/10●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-10-12)(評価:★★★★)

「壁あつき部屋」巣鴨プリズン(現在は池袋サンシャインシティ)       
壁あつき部屋 巣鴨プリズン.jpg
     
「私は貝になりたい」フランキー新珠.jpg私は貝になりたい 1959 tokoya.jpg「私は貝になりたい」●制作年:1959年●監督・脚本:橋本忍●製作:藤本真澄/三輪礼二●撮影:中井朝一●音楽:木佐藤勝●原作:(物語、構成)橋本「私は貝になりたい」95.jpg忍/(題名、遺書)加藤哲太郎●時間:113分●出演:フランキー堺/新珠三千代/菅野彰雄/水野久美/笠智衆/中丸忠雄/藤田進/笈川武夫/南原伸二/藤原釜足/稲葉義男/小池朝雄/佐田豊/平田昭彦/藤木悠/清水一郎/加東大介/織田政雄/多々良純/桜井巨郎/加藤和夫/坪野鎌之/榊田敬二/沢村いき雄/堺左千夫/ジョージ・A・ファーネス●公開:1959/04●配給:東宝●最初に観た場所:高田馬場・ACTミニシアター(84-12-09)(評価:★★★★)


143865267608226030179_PDVD_006_20150804104437.jpg143867866083089746178_PDVD_008_20150804175741.jpg1「私は貝になりたい」笠智衆.jpg143868414555329634178_PDVD_010_20150804192906.jpg加東大介(豊松に赤紙を届ける町役場職員・竹内)/フランキー堺(清水豊松)
藤田進(豊松の元上官(軍司令官)矢野中将)/笠智衆(教誨師の小宮)


平田昭彦(陸軍参謀)... 平田昭彦は陸軍士官学校出身
「私は貝になりたい」平田.jpg

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初期作風に回帰した遺作。もっと長生きしていれば、ノーベル文学賞?

カンガルー・ノート.jpgカンガルー・ノート』['91年/新潮社] カンガルー・ノート 新潮文庫.jpgカンガルー・ノート (新潮文庫)

 ある日突然、脛に「かいわれ大根」が生えてきた男は、病院でベッドに括りつけられ、生命維持装置を付けられたまま、賽の河原を巡る黄泉の国への旅へ―。

安部公房.jpg 1991(平成2)年末に刊行された安部公房(1924‐1993)の最後の長編で、この人、最後まで前衛を貫いたなあと思わせる作品。むしろ、人体と植物の共生なんて、初期作品「デンドロカカリヤ」あたりに遡って、SFチックな前衛ぶりが甦っている感じもします。

脱走と追跡のサンバ2.jpg  個人的には、このシュールで突拍子も無い展開の連続は、筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』('71年/早川書房)の遁走劇に似ているなあと思ったりしました(この2人の作品には他にも似ているように思えるものがあるが、安部公房の出自はSFであるとも言えるから、大いにあり得ることか)。

 但し、この作品が、作者が大病での入院生活を送った後、多分に死というものを意識しながら書いたものであろうことを思うと、他の安部公房作品よりも個人的な体験が色濃く滲んでいるものと言え、ドナルド・キーンは、彼の作品の中で「最も私小説的」だと言っています。

 それは、作品テーマの1つである死の無意義性が、表現において「死を嘲る」という形で現れていることからも見てとれ、結果として、1年余り後の'93年1月に亡くなっていることを思うと、少し痛々しい気もします。

村上春樹 09.jpg 〈カンガルー〉というモチーフは、村上春樹にも『カンガルー日和』('83年/平凡社)という短篇集があり、日本のノーベル文学賞候補者2人が、この動物名を作品タイトルに用いているのが何となく面白いです(25歳年下の村上氏の方が先に使っている)。

 そのノーベル文学賞が11歳年下の大江健三郎にもたらされたのは、安部公房が亡くなった翌年で、大江氏は、安部公房がもっと長生きしていれば、ノーベル文学賞を受賞したであろうと言っていますが、もともと安部公房は国内よりも海外で早くに評価された作家であることからしても、その通りだと思います。

 【1995年文庫化[新潮文庫]】

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オタク(引きこもり)に繋がる先駆的モチーフであるとともに、「愛」を巡る実験小説。

箱男2 安部公房.jpg箱男 安部公房.jpg  箱男 安部公房.jpg箱男 安部.jpg 1dpラマ箱男.jpg
箱男』['73年/新潮社] 『箱男 (新潮文庫)』 [旧版/新版] 「文學ト云フ事 第10回『箱男』」('94年/フジテレビ)緒川たまき
安部 公房 『箱男』8.jpg 1973(昭和48)年に刊行された本作品の単行本は、200ページ足らずのものですが、「箱入り」装填。内容は、頭からすっぽりとダンボール箱を被って世間から自分を遮断し「箱男」となった男の視点で綴られる奇妙な物語です。男が箱を作ろうと思ったのは、別の「箱男」を見たのがきっかけということでそれ以上の説明は無く、むしろ、だんだんと「箱男」化していく様や箱の作り方などが丹念に書かれているのが何だか変なムードです。

箱男 ハードカバー_.jpg その「箱男」が、自分に関心を寄せる(結果として自分が関心を寄せることになる)葉子という女性が看護婦を務める病院で医者をしている「贋箱男」と出くわした辺りから、物語の主体(語り手)が時折入れ替わり、実はこの医者は贋医者で、本当の医者は葉子の夫で、これも今は「箱男」として自分の病院に入院している―ということで、ややこしい。

箱男』['87年/新潮社ハードカバー]

 彼らが交互に語り手となり、誰が本当の「箱男」なのかという問いかけがありますが、「贋箱男」も含めれば実はみ〜んな「箱男」なのであり、一見ストーリー破綻しているように思えるけれども、冒頭で箱作りに勤しんでいたのは「贋箱男」だったわけで、プロット的には予め計算され尽くしたものと言えるかと思います(つまり、出だしから、物語の主体は何度か入れ替わっていたということになる)。

 作者はこの作品について、「箱の中の男には実態というものがありません。ただ箱の内側から世界を覗き見るだけです。外の人々は彼のことをただの箱だと考えて、人間だとは思っていません。だからこそ、この作品では見られることと見ることの関係が重要なモチーフとなるのです」(「ユリイカ」1998.4再掲)と語っています。
 オタク(または"引きこもり")の行動特性に繋がるような先駆的なモチーフであるとともに(ある意味「世に出るのが早すぎた作品とも言える)、箱男、贋箱男、葉子(ハコとも読める)の3者間の「愛」を巡る実験小説であるとも言えます。

 それはまた、箱男と贋箱男との間での「書く者」と「書かれる者」との支配権闘争ともとれるもので、争っているうちに(読んでいくうちに)最後は誰が本当の「箱男」(書く者)なのか、登場人物も読者もおぼつかなくなってくる―。

 発表当時に評価が割れたせいか、この作品は「砂の女」のように映画化はされていませんが、かつて、フジテレビの深夜枠であった「文學ト云フ事」という文芸作品の映画予告篇だけを作る番組で映像化されていて(1994年6月28日放映)、そこでは最後、元祖「箱男」が贋医者に看護婦・葉子(緒川たまき)を好きにしていいと言われて箱を抜け出し、その間に医者は箱にその身を隠し「箱男」となる―というストーリーになっていました。

 また、作中に作者自身が撮影した「箱男」目線の写真が何枚か挿入されていますが、作者はこれを「挿入詩」のようなものと捉えているらしく(前出「ユリイカ」)、文庫新装版のカバーデザインにその中の1枚が使われています。

 【1982年文庫化[新潮文庫]】

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コミカルな味のあるシュールな世界。結構わかりやすく「人間疎外」を描いている。

壁―.jpg壁 安部公房 月曜書房.jpg 安部公房『壁』(新潮文庫).jpg  壁.jpg
安部公房.jpg 安部 公房 (1924-1993/享年68)
壁 (1951年)』[月曜書房] 『壁 (新潮文庫)』 /旧カバー版

S・カルマ氏の犯罪2.jpg 1951(昭和26)年に刊行された『壁』は、「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」「赤い繭」の3部の中篇から成り、「赤い繭」は更に「赤い繭」「魔法のチョーク」など4つの短篇から成るという構成。この中ではやはり、主人公の「ぼく」がある朝目を覚ましたら、自分の名前を喪失していた―という出だしの「S・カルマ氏の犯罪」のインパクトが大きかったです。

二重人格 ドストエフスキー 岩波文庫.jpg 「ぼく」は、自分の名刺を探してみるが見つからず、名前も思い出せない。そこで、勤め先の事務所に行くと、自分の「名刺」が自分の代わりに自分の机で仕事している―。重厚な作品という印象があったのですが、読み返してみると意外とコミカルな味のあるシュールな世界で、且つ、結構わかりやすく「現代人の疎外」を描いているように思えました(「役所に行ったら自分そっくりで姓名まで自分と同じ人間が仕事していた」というドストエフスキーの「二重人格」と似ているが、「名刺」が自分の代わりに仕事しているなんてかなりストレートな暗喩ではないか)。
 
 「S・カルマ」という名であるらしい「ぼく」は、病院の待合室で読んだ写真雑誌の中の景色を自分の胸に"吸いとって"しまい、動物園でラクダに奇妙な愛着を抱いて、これも吸い込もうとして私設警察に捕われて、支離滅裂な裁判にかけられる―。カフカの「変身」と「判決」をくっつけたような流れでもありますが、安部公房の方がユーモラスで、むしろカフカよりぶっ飛んでいる感じもします(後の筒井康隆などに近い感じ)。

 彼は何によって裁かれようとしているのか(物語の途中から「ぼく」ではなく「彼」になっている)、彼にとって常に目の前にはだかり、自らを同化せしめんとする「壁」とは何なのか(『バカの壁』という本があったが...)、様々な解釈があるでしょうが、人間の現存在の危うさを突きつけられたような不安感を醸す一方で、ワケワカランままであってもとり敢えず楽しく読めるのが、この作品の魅力です。

 「S・カルマ氏の犯罪」は'51(昭和26)年第25回芥川賞受賞作で、この時の選考委員は宇野浩二、川端康成、岸田國士、坂口安吾、佐藤春夫、瀧井孝作、丹羽文雄、舟橋聖一の8氏。選考委員の中では川端康成が推挙したそうですが、当時としては極めて斬新な候補作だったろうになあ(但し、川端康成などは彼自身が大正期の幻想文学の流れを汲んでいる面もあったし、さほど意外でもないことかも)。

外套 岩波文庫 2.jpg ゴーゴリの「」などの影響も見られるかと思いますが、逆に選考委員の宇野浩二がそれを挙げて模倣と決めつけ、「壁」を酷評したことは有名です。「壁」を積極的に推したのは川端康成以外では瀧井孝作だけで、岸田國士、佐藤春夫、丹羽文雄、舟橋聖一は消極的支持派。結構ぎりぎりの線での受賞であったとともに、川端康成の発言力の大きさが窺えます(後に『砂の女』を書き、国際的評価を確立することになる安部公房に賞を与え損ねる過ちを犯さずに、芥川賞の権威を保てたという意味では川端康成の功績大か)。

 「魔法のチョーク」も単体では好きな作品です。

S・カルマ氏の犯罪1.jpg 【1954年文庫化[角川文庫(『壁―S.カルマ氏の犯罪・赤い繭』)]/1969年文庫化[新潮文庫]】

 

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太宰治の「親友交歓」を思い出した。心理小説か? SFか? 最後はやはり「安部公房」。

安部公房 人間そっくり 新潮文庫.jpg日本SFシリーズ 人間そっくり.jpg人間そっくり人間そっくり.png  人間そっくり.jpg 
人間そっくり (1967年)』早川書房 『人間そっくり』新潮文庫
新潮文庫(新装版)

人間そっくり (ハヤカワ文庫JA).jpg 「こんにちは火星人」というラジオ番組の脚本を書いていたある作家のもとに、彼のファンだという男が訪れ、自分は火星人であると名乗る。この男は自分が地球に来た経緯を作家に語るが、時として押し売りセールスマンのようにも振舞い、また時として狂人のような素振りも見せて作家を恐怖に陥れる。果たして彼は人間なのか火星人なのか、健常者なのか狂人なのか―。

人間そっくり (ハヤカワ文庫JA)』['74年/ハヤカワ文庫JA]

 前半から中盤にかけての両者の会話はテンポのいい心理小説として楽しめ、主人公が突然の変な来訪者に振り回されるという点で、太宰治の「親友交歓」を思い出しましたが、この作品も、軽妙な中にも作者の小説家としての筆力を感じました。

日本SFシリーズ .jpg しかしながらし、もともとは'67年に早川書房の"日本SFシリーズ"として(新書サイズだった)、小松左京の「復活の日」や星新一の「夢魔の標的」、筒井康隆の「48億の妄想」と並んで刊行されもので、本書も話の流れとしてはSF風の結末です。

 ただし、最後に人間存在の不確かさというものをしっかり浮き彫りにしていて、そこはやはり「安部公房」という感じでしょうか。

映画「マトリックス」 電話.jpg それにしても、電話ボックス(電話器)が"転送ステーション"だなんて、キアヌ・リーブス主演の映画「マトリックス」('99年/米)の先を行っていたような気がしました。

 因みに、この『人間そっくり』は1959(昭和34)年に当時の中日テレビで原作者自身の脚本のもと単発ドラマ化されていて、作家を金子信雄、火星人を名乗る男を田中邦衛が演じたとのこと。どんな感じのドラマだったのでしょうか。

 【1974年文庫化[ハヤカワ文庫]/1976年再文庫化[新潮文庫]】

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読みやすい文章で、ミステリアスな味わいも。前年の豪雪地帯の取材がモチーフになっているのでは。

砂の女 1962.jpg
 07安部 公房 『砂の女』.jpg 砂の女 新潮文庫.jpg   砂の女es.jpg
砂の女』['62年/新潮社]  『砂の女』 新潮文庫 〔旧版/新版〕 勅使河原宏 監督「砂の女」('64年/東宝)
5砂の女 (日本語) 単行本.jpg 1962(昭和37)年・第14回「読売文学賞」受賞作。

 安部公房(1924‐1993)の作品の多くは、現代社会に生きる人間の孤独とそこからくる焦燥感をテーマにしており、社会への適応原理を見失った(或いはそうした状況に突然置かれた)人間が安定状態を回復しようとしてますます孤独の深みに嵌まっていくというものが多いような気がします。

 そのため安部公房の小説は、不条理の作家カフカの作品に模せられることが多く、代表作と呼ばれる作品には抽象的で難解なものが少なくないし、また「デンドロカカリア」の主人公の名が〈コモン君〉であったように、無国籍性というのも1つの特徴ではないかと思います。

 そうした中で、砂丘地帯の村落共同体に迷い込み、「砂の穴」からの脱出を図る主人公を描いたこの作品は、現代人の孤独と焦燥感という他の安部作品と共通するテーマを扱いながらも、主人公が置かれた「不条理な状況」というのが日本的な「村社会」の性格を強く反映したものであったり、或いは日常生活的なリアリティを排しながらも、その「村社会」に生きる女性の言動や性の描写に風土的なリアリティがあったりし、また他の代表作に比べて読みやすい文章で、更にはミステリアスな味わいもあり、不思議と親和感のようなものを感じます。

 満州の半砂漠的風土で幼年期を過ごした作者にとって、砂漠というのは割合イメージ的にリアルなものだったのではないかと推察できますが、「砂の穴」の上の世界と下の世界の断絶や、主人公が向き合うところとなる「砂の壁」のイメージは、この書き下ろし作品が発表された前年(昭和36年1月)に作者は新潟の豪雪を取材しており、その豪雪状況下での人々の暮らしがモチーフとして織り込まれたのではないかと個人的には思っています。

山口果林  .jpg また、この作品は、あまり言われてはいませんが、結婚の比喩であるとする見方もあるようです(小谷野敦説)。安部公房は、桐朋学園短大で教えていたとき、同大学の学生だった山口果林と知り合い、彼女を女優デビューさせる一方(「山口果林」という芸名の名付け親だった)、愛人としています(山口果林が後に上梓した著書『安部公房とわたし』('13年/講談社)では、安部公房との23年間にわたる愛人関係を明らかにし、1993年に安部公房が亡くなったの時に山口果林のところで亡くなったのではないか当時週刊誌に報道されたのを、「事実」だったと認めている)

山口果林/安部公房

 ラストでの主人公の心境の変化は、彼がこの「砂の穴」を脱出して「都会の砂漠」へ戻ることの必然性を見出せなくなっていることを示しており、これを成長と見ることも妥協と見ることもできる(妥協と言うべきか開き直りと言うべきか)という点でも問題を孕んだ意欲作だったと思います。

砂の女sunanoonna5.jpg砂の女s.jpg映画「砂の女」('64年/東宝)

監督:勅使河原宏
製作:市川喜一・大野 忠
脚本:安部公房
原作:安部公房
撮影:瀬川 浩
音楽:武満 徹
美術:平川透徹・山崎正雄
出演:岡田英次・岸田今日子・伊藤弘子 三井弘次・矢野宣・関口銀三・市原清彦・田村保・西田裕行

「砂の女」_7937.JPG

【1981年文庫化[新潮文庫]】

             

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