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学生時代の産物にして高い完成度。失恋体験の反映も感じられる「羅生門」「鼻」。

羅生門・鼻 新潮文庫.jpg  羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)2.jpg 羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)3.jpg 羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)_.jpg 羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫).jpg
羅生門・鼻 (新潮文庫)』(2005)(カバー・南伸坊)/『改編 羅生門・鼻・苧粥 (角川文庫)』(1989)/『羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)』(2007)/角川文庫文豪ストレイドッグスコラボカバー/『羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)』(2002)

羅生門 大正6年.jpg羅生門 阿蘭陀書房.jpg 新潮文庫版『羅生門・鼻』('68年初版/'05年改版)は、1915年(大正4年)11月に雑誌『帝国文学』に発表された「羅生門」、翌大正5年に雑誌『新思潮』に発表された「鼻」をはじめ、「芋粥」「運」「袈裟と成遠」「邪宗門」「好色」「俊寛」の8編を収録。何れも「王朝物」と言われる、平安時代に材料を得た歴史小説です。因みに、1917年(大正6年)5月に阿蘭陀書房より刊行された短編集『羅生門』が芥川龍之介にとっての処女短編集で(表題の「羅生門」をはじめ「鼻」「芋粥」など14編の短編を所収)、日本橋のレストラン「鴻の巣」で出版祈念会「羅生門の会」が催され、谷崎潤一郎、有島武郎、和辻哲郎等も出席しています。

[オーディオブックCD] 芥川龍之介 羅生門.jpg 「羅生門」(大正4年)... 出典は『今昔物語』。失職して行き場の無い身分の低い若者が、羅生門も楼上で、生活のために死人の髪の毛を抜いて鬘としようとしている老婆と遭遇し、格闘の上、精神的にも肉体的にも勝利して、京の町へと消えていく―。老婆の容姿とその考え方の醜さは、世間一般の考え方の醜さの代表格ともとれるでしょうか。しかし、主人公である若者自身が老婆の着衣を剥ぐという行為をすることを選んだことで、彼自身も〈盗人〉になってしまったわけで、但し、作者はこれを主人公の敗北として描いているのではなく、むしろ、倫理的束縛から脱却し、一皮剥けたが如く描いている点がミソでしょうか(因みに、黒澤明監督の「羅生門」('50年/東宝)は、芥川の短編小説「藪の中」(1922年)を原作としているが、本作から舞台背景、着物をはぎ取るエピソード(映画では赤ん坊から)を取り入れている)。
[オーディオブックCD] 芥川龍之介 羅生門「ドラマ版・朗読版収録」(CD1枚)

『羅生門・鼻』 .JPG 「鼻」(大正5年)... 夏目漱石に絶賛された作品で、芥川作品の中でも最も多く国語の教科書で取り上げられている作品の一つではないでしょうか。これも出典は『今昔物語』ですが、シンプルでユーモラスな話を通して、現代に通じる普遍的なテーマをさらっと描いている点が優れているように思います。禅智内供の最後の開き直りはある意味痛快です。「羅生門」とこの作品を書く直前に、芥川は青山女学院卒の女性・吉田弥生との失恋を経験しており、失恋によって知らされた自分の弱さの克服という点で、特に「羅生門」とこの作品にその影響が見られるとされているようです。また、この「鼻」と次の「芋粥」は、それぞれニコライ・ゴーゴリ(1809-1852)の中編「鼻」「外套」の影響を受けているともされてるようです(テーマ面よりモチーフ面でということか)。

8角川文庫『羅生門・鼻・芋粥』.jpg 「芋粥」(大正5年)... これも出典は『今昔物語』。背が低く、鼻が赤く、口ひげが薄く、風采があがらず、皆から馬鹿にされている五位の夢は、滅多に食べることのできない芋粥を飽きるほど食べてみたいというもの。ある時、その願いを耳にした藤原利仁が、「お望みなら、利仁がお飽かせ申そう」と言ってくる―。理想や欲望は達せられないからこそ価値があり、達せられれば幻滅するのみということでしょうか。但し、角川文庫解説の三好行雄は、主人公が幻滅の悲哀を味わったのは確かだが、真に絶望したのは、自分の生きがいが巨大な窯で煮られ、狐にさえ馳走される現実に対してであるとしています(何だか"格差社会"的テーマになるなあ)。五位の境遇や性格は確かにゴーゴリの「外套」の下級官吏アカーキイ・アカーキエウィッチと似ていると思いましたが、格差を見せつけられた五位と、死後に幽霊になって復讐を果たしたアカーキイ・アカーキエウィッチとどちらが不幸なのでしょう。

 「運」(大正6年)... これもまた出典は『今昔物語』。清水寺参道で、青侍が陶器師の翁に、観音様には本当にご利益があるのかと尋ねと、翁が話し出したのは、西の市で商売をしているある女の話で、女がまだ娘だった頃に、お籠もりをしていると、「ここから帰る路で、そなたに云いよる男がある。その男の云う事を聞くがよい」というお告げがあり、寺を出ると一人の男に攫われ、夜が明けて、夫婦になってくれという男の望みを受け入れるが―。同じエピソードでも、翁と青侍とでは受け止め方が異なり、それは人生の価値観がまったく異なるということを意味しています。作者は自分の見解を明かしていない?

袈裟と盛遠 日本オペラ協会.jpg袈裟と盛遠 日本オペラ協会ド.jpg 「袈裟と盛遠」(大正7年)... 盛遠は、渡左衛門尉の妻・袈裟に横恋慕し、やがて邪魔な渡を殺してしまおうと思い、袈裟に殺害計画を打ち明ける―。その段になって夫の前に身を投げ出した袈裟は、貞女なのか、はたまた...。原典(『源平盛衰記』など)でも袈裟は盛遠(モデルは遠藤盛遠、後の僧・文覚(1119-1203))と既に契ってしまっているそうですが、この作品は袈裟の貞女としてのイメージをひっくり返すだけでなく、愛する男に殺害されることが最初からの彼女の望みだったというスゴイ解釈になっています(稲垣浩・マキノ正博共同監督作に「袈裟と盛遠」('39年/日活)というのがあるが、原典(「源平盛衰記」乃至「平家物語」)に沿った作りか。オペラにもなっていて、こちらは「芥川龍之介原作」ではなく、はっきり「平家物語より」となっている)。

 「邪宗門」(大正7年)... 摩利の教(キリスト教)の布教を目論む摩利信乃法師は、これを取り押さえようと四方から襲いかかる検非違使を法力で打ち倒し、大和尚と称されていた横川の僧都でも歯が立たず、沙門がますます威勢を奮う中、堀川の若殿様が庭へと降り立った―。繰り広げられる法力対決は殆ど魔界ファンタジーの世界で、こんなに面白くていいのかなという感じ。文庫で80ページほどの中編。「東京日日新聞」(現「毎日新聞」)の連載小説でありながら未完で終わっているということは、書いている作者自身、収拾がつかなくなった?

 「好色」(大正10年)... 色男としてその名を轟かせている平中(へいちゅう)は、美女・侍従に思いを寄せるが、侍従の態度はつれない。侍従への想いを断ち切るために彼は、侍従の糞尿を捨てに行く女童から箱を引ったくるが―。恋する男の愚かさが滲み出た作品ですが、作者の中に女性崇拝的な素質がなければ、このような作品は書かないのではないかなあ。

 この他に新潮文庫版は「俊寛」を所収。一方の角川文庫版『羅生門・鼻・芋粥』('89年初版/'07年改版)は、「老年」「ひょっとこ」「仙人」「羅生門」「鼻」「孤独地獄」「父」「野呂松人形」「芋粥」「手巾」「煙草と悪魔」「煙管」「MENSURA ZOILI」「運」「尾形了斎覚え書」「日光小品」「大川の水」「葬儀記」の18編を所収。殆どが大正3年から大正5年の間に書かれた作品で、最後の3編は随想、最後は夏目漱石の葬儀の記録です。これらの中で新潮文庫版と重なるものを除けば、「手巾」「煙草と悪魔」が面白いでしょうか。「煙管」は「鼻」と似たようなところがあると思いました。岩波文庫版『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』('02年改版)は、タイトル通り4編を所収。「偸盗」は作者が失敗作だと自己評価した作品で、「羅生門」の続編とも言われていますが、「鼻」「芋粥」と並んで面白いのではないでしょうか。

 「羅生門」と「鼻」は芥川の学生時代の産物。それでいて高い完成度を感じますが、今回読み直してみて、「羅生門」と「鼻」に作者の失恋体験の反映を感じました(関口安義・都留文科大学名誉教授による評伝『芥川龍之介』(03年/岩波新書)を参照した)。「羅生門」に出て来る老婆は、作者の失恋の原因となった(つまり吉田弥生との交際に反対した)養母の化身ともとれますが、やはり、もっと広く見て、現にある社会悪や社会的理不尽の象徴と見るべきでしょう。主人公がその老婆から衣服を剥いだことは、主人公自身が悪に染まったと言うよりは(確かにそうも取れるが)むしろ倫理的束縛から脱却して現実世界に強く一歩を踏み出したともとれ、作者自身の創作への決意が反映されているように思いました。

【1949年文庫化[岩波文庫(『羅生門・鼻・芋粥』)]/1949年再文庫化[新潮文庫(『羅生門』)]/1950年再文庫化[角川文庫(『羅生門・偸盗・地獄変―他四篇』)]/1960年再文庫化・2002年改版[岩波文庫(『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『羅生門・鼻・侏儒の言葉』)]/1968年再文庫化・1989年改版・2007年改版[角川文庫(『羅生門・鼻・芋粥』)]/1968年再文庫化・2005年改版[新潮文庫(『羅生門・鼻』)]/1971年再文庫化[講談社文庫(『羅生門/偸盗/地獄変/往生絵巻』)]/1979年再文庫化[ポプラ社文庫(『鼻・羅生門』)]/1986年再文庫化[ちくま文庫(『芥川龍之介全集〈1〉』)]/1997年再文庫化[文春文庫(『羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇 (文春文庫―現代日本文学館)』)]】

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オチもさることながら、一筋縄で片づけられない話になっているところが旨さ。

芥川龍之介全集〈4〉.jpg  文豪怪談傑作選 芥川龍之介集.jpg 文豪が書いた怖い名作短編集.jpg  見た人の怪談集 2016.jpg
芥川龍之介全集〈4〉 (ちくま文庫)』('87年)『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆 (ちくま文庫)』('10年)『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年) 『見た人の怪談集 (河出文庫)』('16年)
[Kindle版] 「妙な話
妙な話jpg.jpg ある冬の夜、私は旧友の村上から、銀座のある珈琲店で、村上の妹である千枝子が夫の欧州出征中に神経衰弱のようになって語ったという"妙な話"を聞く。その話とは、見ず知らずの赤帽が、中央停車場で2度にわたり千枝子に夫のことで語りかけ、赤帽が夫の消息を訊ねてきたのに対し、千枝子が「最近手紙が来ない」と言うと、赤帽が夫の様子を見てこようと言ったというのだ。しかもその後再び出会ったとき、赤帽は本当に欧州の夫の消息を伝え、しかも、夫が帰還してみると、それが事実だったというのだ。更には、夫が語るには、その赤帽が、戦役でマルセイユに派遣されていた彼の前にまで現れたというものであった―。
    
芥川龍之介.bmp 芥川龍之介(1892-1927)が1921(大正10)年1月雑誌「現代」に発表し(執筆は大正9年12月)、『夜来の花』('21年/新潮社)に収められた文庫本で1「夜来の花」 芥川龍之介著.jpg0ページほどの短編です(ちくま文庫『芥川龍之介全集〈4〉』('87年)、ちくま文庫『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆』('10年)に所収、アンソロジーでは、創元推理文庫『日本怪奇小説傑作集1』('05年)、彩図社『文豪たちが書いた 怖い名作短編』('13年)、新潮文庫『日本文学100年の名作第1巻1914-1923 夢見る部屋』('14年)、河出文庫『見た人の怪談集』('16年)などに所収)。

『夜来の花』(1921年/新潮社)

 途中までは夫想いの貞淑な妻の不思議なエピソードと思わせておいて、最後に思わぬ事実が―。語り手が物語の構成に一枚噛んでいたというのが、芥川龍之介らしい技巧のように思いました。まあ、こんなことがあれば、気味悪くて不倫する気にならないだろなあ。

 この「赤帽」は何者であったのか(または「何」であったのか)については、色々と議論があるようで、人ではない「物の怪」や「幽霊」、或いは「神」と言った霊的存在の類いとする説もあれば、赤帽に出会ったことで千枝子が不倫する一歩手前で踏みとどまったことから、彼女の潜在意識の中にある罪悪感が(当時、妻の不倫は「姦通罪」、つまり犯罪だった)彼女に見せた幻影であったという説もあるようです。

芥川龍之介全集 4.jpg 前者のスピリチュアルな解釈よりも、後者の潜在意識説の方がリアリティはありそうですが、となると、千枝子と赤帽の遣り取りは千枝子の潜在意識で背説明できるとしても、夫の自身がマルセイユで、欧州にはいないはずの赤帽を見たという事実はどう説明するか。「霊」を持ち出さなければ「テレパシー」か何かで説明せざるを得ず、"心霊"とまでは行かなくとも"超心理学"的な世界に踏み込むことになる...。

 語り手が作品のフレームであると共に絵の一部にもなっていることに加え、このように一筋縄で片づけられない話になっているところが、この作品の旨さだと思います。

芥川龍之介全集〈4〉 (ちくま文庫)』('87年)
所収作品
杜子春/捨児/影/お律と子等と/秋山図/山鴨/奇怪な再会/アグニの神/妙な話/奇遇/往生絵巻/母/好色/薮の中/俊寛/将軍/神神の微笑/トロッコ/報恩記

『夜来の花』...【1949年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
●『日本怪奇小説傑作集1』('05年/創元推理文庫)
小泉八雲...「茶碗の中」/泉鏡花...「海異記」/夏目漱石...「蛇」―『永日小品』より/森鴎外...「蛇」/村山槐多...「悪魔の舌」/谷崎潤一郎...「人面疽」/大泉黒石...「黄夫人の手」/芥川龍之介...「妙な話」/内田百閒...「盡頭子」/田中貢太郎...「蟇の血」/室生犀星...「後の日の童子」/岡本綺堂...「木曾の旅人」/江戸川乱歩...「鏡地獄」/大佛次郎...「銀簪」/川端康成...「慰霊歌」/夢野久作...「難船小僧」/佐藤春夫...「化物屋敷」
   
●『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年/彩図社)
夢野久作...「卵」/夏目漱石...「夢十夜」/江戸川乱歩...「押絵と旅する男」/小泉八雲/田部隆次訳...「屍に乗る男」「破約」/小川未明...「赤いろうそくと人魚」「過ぎた春の記憶」/久生十蘭...「昆虫図」「骨仏」/芥川龍之介...「妙な話/志賀直哉...「剃刀」/岡本綺堂...「蟹」/火野葦平...「紅皿」/内田百閒...「件」「冥途」
    
●『日本文学100年の名作第1巻1914-1923 夢見る部屋』('14年/新潮文庫)
荒畑寒村...「父親」/森鴎外...「寒山拾得」/佐藤春夫...「指紋」/谷崎潤一郎...「小さな王国」/宮地嘉六...「ある職工の手記」/芥川龍之介...「妙な話/内田百閒...「件」/長谷川如是閑...「象やの粂さん」/宇野浩二...「夢見る部屋」/稲垣足穂...「黄漠奇聞」/江戸川乱歩...「二銭銅貨」
   
●『見た人の怪談集』('16年/河出文庫)
岡本綺堂...「停車場の少女」/小泉八雲...「日本海に沿うて」/泉鏡花...「海異記」/森鴎外...「蛇」/田中貢太郎...「竃の中の顔」/芥川龍之介...「妙な話/永井荷風...「井戸の水」/平山蘆江...「大島怪談」/正宗白鳥...「幽霊」/佐藤春夫...「化物屋敷」/橘外男...「蒲団」/大佛次郎...「怪談」/豊島与志雄...「沼のほとり」/池田彌三郎...「異説田中河内介」/角田喜久雄...「沼垂の女」

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大胆に翻案し、原作以上のもの(現代的なもの)を生み出す黒澤スタイルの典型作。

羅生門 チラシ.bmp「羅生門」デジタル復元・完全版(2008年).jpg羅生門ポスター.jpg 羅生門dvd.jpg 藪の中 講談社文庫.jpg
映画「羅生門」ポスター/「羅生門 [DVD]」/『藪の中 (講談社文庫)』['09年]
羅生門 デジタル完全版 [DVD]」['10年]
映画「羅生門」チラシ(左) 

羅生門1.bmp 平安末期、侍(森雅之)が妻(京マチ子)を伴っての旅の途中で、多襄丸という盗賊(三船敏郎)とすれ違うが、妻に惹かれた盗賊は、藪の中に財宝があると言って侍を誘い込み、不意に組みついて侍を木に縄で縛りつけ、その目の前で女を手込めにする。『羅生門』.jpg 翌朝、侍は死骸となって木樵り(志村喬) に発見されるが、女は行方不明に。後に、一体何が起こり何があったのかを3人の当事者達は語るが、それぞれの言い分に食い違いがあり、真実は杳として知れない―。

羅生門2.bmp 1951年ヴェネツィア国際映画祭「金獅子賞」並びに米国「アカデミー外国語映画賞」受賞作で、共に日本映画初の受賞でした。原作は芥川龍之介の1915(大正4)年発表の同名小説「羅生門」というよりも、1922(大正11)年1月に雑誌「新潮」に発表の短編「藪の中」が実質的な原作であり、「羅生門」は、橋本忍と黒澤明が脚色したこの映画では、冒頭の背景など題材として一部が使われているだけです。

京マチ子 羅生門.jpg 原作は、事件関係者の証言のみで成り立っていて、木樵、旅法師、放免(警官)、媼(女の母)の順に証言しますが、この部分が事件の説明になっている一方で、彼らは状況証拠ばかりを述べて事件の核心には触れません。続いて当事者3人の証言が続き、多襄丸こと盗人が、侍を殺すつもりは無かったが、女に2人が決闘するように言われ、武士の縄を解いて斬り結んだ末に武士を刺し、その間に女は逃げたと証言、一方の女は、清水寺での懺悔において、無念の夫の自害を自分が幇助し、自分も死のうとしたが死に切れなかったと言います。 そして最後に、侍の霊が巫女の口を借りて、妻が盗人を唆して自分を殺させたと―。

「羅生門」.jpg羅生門3.bmp 芥川龍之介の原作は、タイトルの通り誰の言うことが真実なのかわからないまま終わってるわけですが、武士が語っていることが(霊となって語っているだけに)何となく侍の言い分が真実味があるように思いました(作者である芥川龍之介は犯人が誰かを示唆したのではなく、それが不可知であることを意図したというのが「通説」のようだが)。

羅生門4.bmp京マチ子.jpg 映画では、原作と同様、盗人、女、侍の証言が再現映像と共に続きますが、女の証言が原作とやや異なり、侍の証言はもっと異なり、しかも最後に、杣売(そまふ)、つまり木樵(志村喬)が、実は自分は始終を見ていたと言って証言しますが、この杣売の証言は原作にはありません。

 その杣売(木樵)の証言がまた、それまでの3人の証言と異なるという大胆な設定で、杣売(木樵)の語ったのが真実だとすれば、京マチ子が演じた女が最も強くなっている(怖い存在になっている?)という印象であり、黒澤明はこの作品に、現代的であるとともに相当キツイ「解」を与えたことになるかと思います(その重いムードを救うような、原作には無いラストが用意されてはいるが)。

京マチ子(1959年)[共同通信]

 個人的には、そのことによって原作を超えた映画作品となっていると思われ、黒澤明が名監督とされる1つの証しとなる作品ではないかと。因みに、同様に全くの個人的な印象として、「羅生門」以外に原作を超えていると思われる映画化作品を幾つか列挙すると―(黒澤明とヒッチコックはまだまだ他にもありそうだが、とりあえず1監督1作品として)。

・監督:溝口健二「雨月物語」('53年/大映)> 原作:上田秋成『雨月物語』
・監督:ビリー・ワイルダー「情婦」('57年/米)> 原作:アガサ・クリスティ『検察側の証人』
・監督:アルフレッド・ヒッチコック 「サイコ」('60年/米)> 原作:ロバート・ブロック『気ちがい(サイコ)』
・監督:ロベール・ブレッソン「少女ムシェット」('67年/仏)> 原作:ジョルジュ・ベルナノス『少女ムーシェット』
・監督:スタンリー・キューブリック 「時計じかけのオレンジ」('71年/英・米)> 原作:アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』
・監督:スティーヴン・スピルバーグ「ジョーズ」('75年/米)> 原作:ピーター・ベンチリー『ジョーズ』

 といったところでしょうか。やはり、名監督と言われる人ばかりになります。
 
 この「羅生門」は、ストーリーの巧みさもさることながら、それはいつも観終わった後で思うことであって、観ている間は、森の樹々の葉を貫くように射す眩い陽光に代表されるような、白黒のコントラストの強い映像が陶酔的というか、眩暈を催させるような効果があり(宮川一夫のカメラがいい)、あまり思考力の方は働かないというのが実際のところですが、高田馬場のACTミニシアターでは、そうした自分のような人(感覚・情緒的映画観賞者?)のためを思ってか、上映後にスタッフが、ドナルド・リチーによる論理的な読み解きを解説してくれました(アットホームなミニシアターだったなあ、ここ。毎回、五円玉とミルキー飴をくれたし)。

『藪の中』講談社文庫.jpg 芥川の「藪の中」と「羅生門」は、岩波文庫、新潮文庫、角川文庫、ちくま文庫などで、それぞれ別々の本(短編集)に収められていますが("やのまん"の『芥川龍之介 羅生門―デカい活字の千円文学!』 ('09年)という単行本に両方が収められていた)、'09年に講談社文庫で両方が1冊入ったもの(タイトルは『藪の中』)が出ました。講談社が製作に加わっている中野裕之監督、小栗旬主演の映画「TAJOMARU(多襄丸)」('09年/ワーナー・ブラザース映画)の公開に合わせてでしょうか。「藪の中」を原作とするこの映画(要するに「羅生門」のリメイク)の評価は散々なものだったらしいですが、「藪の中」という作品が映画「羅生門」の実質的な原作として注目されることはいいことではないかと思います。
藪の中 (講談社文庫)』['09年]

Rashômon(1950) 「羅生門」(1950) 日本映画初のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞受賞。
Rashômon(1950).jpg
 
羅生門 森雅之.jpg 羅生門 京マチ子.jpg 
森 雅之(侍・金沢武弘)           京マチ子(金沢武弘の妻・真砂)

「羅生門」ポスター.jpg

羅生門 志村喬.jpg羅生門 加東大介.jpg「羅生門」●制作年:1950年●監督:黒澤明●製作:箕浦甚吾●脚本:黒澤明/橋本忍●撮影:宮川一夫●音楽:早坂文雄●原作:芥川龍之介「藪の中」●時間:88分●出演:三船敏郎/森雅之/京マチ子/志村喬/千秋実/上田吉ニ郎/加東大介/本間文子●公開:1950/08●配給:大羅生門-00.jpg映●最初に観た場所:高田馬ACTミニ・シアター.jpgACTミニ・シアター2.jpg早稲田通りビル.jpg場ACTミニシアター(84-12-09)(評価:★★★★☆)●併映:「デルス・ウザーラ」(黒澤明)
高田馬場(西早稲田)ACTミニシアター 1970年代開館。2000(平成12)年3月26日活動休止・閉館。
ACTミニシアター map.jpg

ACTミニシアターのチラシ.gifACTミニシアターのチラシ http://d.hatena.ne.jp/oyama_noboruko/20070519/p1 大山昇子氏「女おいどん日記」より

前川つかさ『大東京ビンボー生活マニュアル』(ACTミニ・シアターと思われる劇場が描かれている。「幕末太陽傳」「めし」「人情紙風船」「隣の八重ちゃん」のオールナイト上映。各映画の1シーンが作中に描かれている)
ACTミニシアター 漫画.jpg
       
ACTミニシアター 漫画2.jpg

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寓意は定型的だが、芥川の本領が発揮されている作品。大正モダンの香りが漂う絵。

魔術 (日本の童話名作選シリーズ)200_.jpg 影燈籠_.jpg 芥川龍之介w.jpg 芥川 龍之介
魔術(日本の童話名作選シリーズ)』(偕成社)『影燈籠 (1977年)(芥川龍之介文学館 名著複刻)』(日本近代文学館)

宮本 順子(絵) 『魔術―日本の童話名作選シリーズ』.jpg 2005(平成17)年3月の偕成社刊。原作は1920(大正9)年1月に芥川龍之介(1892-1927)が雑芥川 龍之介 「魔術」.jpg誌「赤い鳥」に発表、『影燈籠』('20年/春陽堂)に収められた、芥川の所謂「年少文学」というべき作品の1つで、同じ系譜に「蜘蛛の糸」や「杜子春」などがありますが、本書の絵を画いている挿画家の宮本順子氏は、この偕成社の「日本の童話名作選」シリーズでは他に同じく芥川作品である「トロッコ」の絵も手掛けています。

中等新国語1.jpg 因みにこの偕成社のシリーズ、表紙カバーの折り返しにある既刊案内では、シリーズ名の頭に「大人の絵本」と付されていて、カッコして小さく「小学中級以上のお子様にも」とあります。この「魔術」という魔術2.jpg作品は、昭和40年代頃には、光村図書出版の『中等新国語』、つまり中学の「国語」の教科書(中学1年生用)に使用されていました。

 インド人に魔術を教えてもらう青年を通して、人間の欲深さと弱さを描いた作品で、童話のミッションである定型的な寓意を含んでいるものですが、宮本順子氏は、「この『魔術』という話は、誰しもが潜在意識の中に持ちうるデジャブ、すなわち、既視感そのもののように思えます。遠いどこかの私が、主人公といつの間にか重なってゆくのです」と述べています。

 改めて読んでみて、そのあたりの夢と現(うつつ)の継ぎ目などに、短篇小説の名手と言われた芥川の本領がよく発揮されている作品だなあと思いました。主人公の私にせがまれ条件付きで魔法を教えてあげることにしたインド人ミスラ君のセリフが、「お婆サン。お婆サン。今夜ハお客様ガお泊リニナルカラ...」と、突然その一文だけカタカナ表記になるところです。

文学シネマ 芥川 魔術.jpg 先に原作を読んでいると、絵本になった時に、どれだけ絵が良くても自分の作品イメージとの食い違いが大きくて気に入らないことがありますが、この宮本順子氏の絵は比較的しっくりきました。

 若い主人公が葉巻を嗜んでいたり、銀座の倶楽部(クラブ)で骨牌(カルタ)をしたりする様などに大正モダンの香りが漂い(絵自体も日本画素材と洋画手法の和洋折衷)、物語が終わった後に、降りしきる雨に打たれる竹林の向こうに西洋館の見える絵などがあるのも、結末の余韻を含んで効果的だと思われました。

TBS 2010年2月16日放映 「BUNGO-日本文学シネマ」 芥川龍之介「魔術」(主演:塚本高史)

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ユーモアに救われている「河童」。痛々しさがしんどい「歯車」。

1『河童・或阿呆の一生』.jpg『河童・或阿呆の一生』 (新潮文庫) 芥川 龍之介.jpg河童・或阿呆の一生_.jpg Kappa by Akutagawa.jpg
河童・或阿呆の一生』新潮文庫 "Kappa" by Akutagawa

 1925(大正14)年発表の「大道寺信輔の半生」をはじめ、芥川龍之介(1892-1927)の晩年作品を収めた新潮文庫版は、ほかに、「玄鶴山房」、「蜃気楼」、「河童」、「或阿呆の一生」、「歯車」を所収していますが、この4篇は、芥川が亡くなった1927(昭和2)年に発表されたものです。

河童・或阿呆の一生2.jpg この中で最も一般に親しまれているのは、彼の命日を"河童忌"と呼ぶぐらいだから、「河童」でしょう。
 河童の国に行った男の話ですが、その話が精神病者の口を通して語られるという枠組みは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を想起させます。
 穂高山を登山中の男がひょんなことから河童の国に迷い込むという前半のシュールな感じがいい。そして次第に、擬人化された河童の社会を通しての、作者自身が置かれた社会に対する風刺が主となります。そこには、資本主義の足音、国家権力による統制強化の予兆が感じられ、人口統制によって仕事に溢れた河童は食用に屠殺されてしまうなどといった設定は、近未来SFのようでもあります。

新潮文庫 〔初版〕

 「大道寺信輔の半生」を読むと、青年期までの自己の精神史とも言えるこの自伝的作品の中で、西洋世紀末の文芸の感化とは別に、プロレタリア運動の影響も感じられ、それがその2年後に発表した「河童」における資本家や国家権力者の戯画化などにも現れているようです。
 しかし「河童」では、芸術家も同じように揶揄されていて、結局この世のものはみんな(自分も含め)唾棄すべきものばかりという厭世感もあり、そう、これも芥川が自殺した年の作品であることには違いないなあと.。

 それでもまだ、ほのぼのとしたユーモアと、作者の視線が外界に向けられていることに救われている「河童」に比べ、「或阿呆の一生」は、「大道寺」と同じく自伝的ですが、詩的であったり寓意的であったりもする51の断章は、自身の〈漠然とした不安〉を対象化するための切羽詰まった努力ともとれ、「歯車」に至っては、ただもう死ぬことのみを希求する自身の意識の流れを"自己精神病理学"的に綴っている感じもします。

 両作品とも「河童」より研ぎ澄まされていて芸術性も高い、ということになるのかも知れませんが、この「痛々しさ」(特に「歯車」)に寄り沿うのはかなりシンドイ。但し、誰かがビジネスパーソンは「歯車」のような「後ろ向きの作品」は読んではならないとか書いていましたが、それはどうかと思います。

 【1950年文庫化・2003年改版[岩波文庫(『河童 他二篇』)]/1966年再文庫化[旺文社文庫]/1968年再文庫化・1989年改版[新潮文庫]/1969年再文庫化[角川文庫(『或阿呆の一生・侏儒の言葉』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『河童、歯車、或阿保の一生』)]/1992年再文庫化[集英社文庫(『河童』)]】

1927年 河童 芥川龍之介.jpg《読書MEMO》
●「大道寺信輔の半生」...1925(大正14)年発表
●「河童」...1927(昭和2)年発表★★★★☆「どうかKappaと発音して下さい」
●「或阿保の一生」...1927(昭和2)年発表★★★★☆「人生は一行のボオドレエルにも若かない」
●「歯車」...1927(昭和2)年発表★★★★「僕は芸術的良心を始め、どう云う良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである」

新潮文庫(2009)

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「わたしは良心を持っていない。持っているのは神経ばかりである」と。

侏儒の言葉.gif       侏儒の言葉.jpg          侏儒の言葉・西方の人.jpg
侏儒の言葉 (岩波文庫 緑 70-4)』旧版/『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)』改定版/新潮文庫

 1923(大正12)年に創刊された「文藝春秋」の創刊号から連載された芥川龍之介(1892-1927)の箴言集で、新潮文庫版では、3年間続いた連載の打ち切り後に死後発表された部分が〈遺稿〉として区切られています。

侏儒の言葉.bmp 「侏儒の言葉」は、以前読んだときには、芥川の思想が凝結されているような気がして、文学というのは贅肉をそぎ落としていくと最後は思想になっちゃうのかなと思ったりしたのですが、後世の文芸評論家のこの作品に対する評価は今ひとつのようで、「西方の人」と併録されている新潮文庫版の解説では、「西方の人」を買っているわりには「侏儒の言葉」に対しては、「断片的に捕らえられた"人生"とか"神"とかは、結局は言葉の問題に過ぎなくなっており、そこに芥川の晩年の問題が露呈されている」としています(岩波文庫の解説の中村真一郎は、そのことを踏まえながらも高い評価をしている)。

『侏儒の言葉』 (1927(昭和2)年/文藝春秋社)

 「『侏儒の言葉』は必ずしもわたしの思想を伝えるものではない。ただわたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである」と〈序〉にもあり、今思えば、断想集に近いものと言ってよかったのかも知れません。
                                  
 「道徳は常に古着である」
 「忍従はロマンティックな卑屈である」
 「人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である」
 「我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である」
侏儒の言葉.jpg 「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」
 等々、逆説的な社会風刺と遊戯的なレトリックが入り混じった感じですが(有名な「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うには莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である」などもそう)、もっと自分の感性をダイレクトに書いているようなのもあり、
 「モオパスサンは氷に似ている。もっともときには氷砂糖にも似ている」
 なんて言われてもちょっとねえという感じも。

 「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである」
 彼が最も信じていたのは自分の「神経」であり、最後にはこの言葉に帰結するのかもと思いましたが、普通の人間でも時としてこういう気分になることがあるかも。

侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)

 【1932年文庫化・1950年改版・1968年改版・2003年改版[岩波文庫(『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な』)]/1968年再文庫化[新潮文庫(『侏儒の言葉・西方の人』)]/1969年再文庫化[角川文庫(『或阿呆の一生・侏儒の言葉』)]/1981年再文庫化[旺文社文庫(『羅生門、鼻、侏儒の言葉 他』)]】

《読書MEMO》
●「侏儒の言葉」...1923(大正12)年〜1927(昭和2)年発表

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「年少文学」と言われる作品群だが、「杜子春」などのラストは秀逸。「蜜柑」も印象に残った。

i蜘蛛の糸・杜子春.jpg蜘蛛の糸・杜子春.jpg    蜘蛛の糸・杜子春2.jpg
蜘蛛の糸・杜子春』 新潮文庫〔旧版〕 新潮文庫〔新版〕(カバー・南伸坊)

 1918(大正7)年に発表された芥川龍之介(1892-1927)のはじめての児童文学作品「蜘蛛の糸」をはじめ、「魔術」「杜子春」「トロッコ」など、所謂 「年少文学」と言われている作品10篇が、発表順に収められています。

蜘蛛の糸  アイ文庫オーディオブック.jpg 「蜘蛛の糸」はあまりに有名なストーリーで、小松左京のショートショート(「蜘蛛の糸」―『鏡の中の世界』('78年/角川文庫)所収)やアクションアドベンチャーゲーム「ゼルダの伝説スカイウォードソード」(2011)にパロディもあるぐらい、一方「杜子春」は、読み直してみて改めてラストの仙人の粋な計らいが良く、少年の好奇心と恐怖体験を描いた「トロッコ」も、白い犬があることをきっかけに"黒い犬"になってしまうことにより経験する不条理を描いた「白」も、テーマは別だけれども同じようにラストがいいです。 何かこう「うまい」だけではなく、ほんわりさせられたり、結構深いものがあったりで、短篇小説はやはりラストが決め手になることが多いなあと。
[オーディオブックCD] 芥川龍之介 著 「蜘蛛の糸」「鼻」「蜜柑」(CD1枚)

魔術 パンローリング.jpg 教科書で読んだ記憶はありますが〈国語〉ではなく〈道徳〉の教科書でだったような気もする魔術などのように、道徳的・倫理的とも言える寓意が込められているものが結構あり、童話の要諦を押えているという感じですが、話のネタ元の豊富さとその加工においても随一でしょう。
[オーディオブックCD] 芥川龍之介 01「魔術」 (<CD>)
 芥川は当初作家ではなく文学者になるつもりだったらしく、西洋文学を完全に自分のものとして消化した最初の作家と言われていますが、それでいて中国や日本の古典からも多くを引いていて、未だどこから持ってきのか、ネタ元がよくわからないものもあるそうです。                  

蜜柑.jpg たった数ページの掌編「蜜柑」は、こうした寓話的作品群のなかで少し異色で、すごく印象に残りました(ラストが決め手という点では、他の作品に通じるものがあるが)。
 偶然、汽車に同乗した薄汚い少女が、汽車がトンネルに差し掛かっているのに必死で窓を開けようとするので、主人公はイラつくが、しかし最後は、その理由がわかり―。
 芥川の実体験らしいですが、プロレタリア文学の影響もあるのでしょうか。ヒューマン・タッチですが、最後に持つ者と持たざる者の立場が逆転しているようにもとれました。

アイ文庫オーディオブック「蜜柑」

 芥川の短篇のいくつかは、現在"オーディオブック"として刊行されているので、通勤途中にiPodなどで聴くのもオツかも。

魔術.jpg 【1968年再文庫化[新潮文庫]/1990年再文庫化[岩波文庫(『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇』)]/1997年再文庫化[中公文庫(『羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇』)]/2005年再文庫化[ポプラポケット文庫(『蜘蛛の糸』)]/2011年再文庫化[280円文庫(ハルキ文庫)(『蜘蛛の糸』)]】

《読書MEMO》
●「蜘蛛の糸」...1918(大正7)年発表
●「犬と笛」「蜜柑」...1919(大正8)年発表
●「魔術」「杜子春」...1920(大正9)年発表
●「トロッコ」「仙人」...1922(大正11)年発表
●「白」...1923(大正12)年発表

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