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地球の裏側が舞台だけに、一人でいることの孤独感がひしひしと伝わってくる。

ブエノスアイレス 1997 .jpgブエノスアイレス 00.jpgブエノスアイレス_d15.jpg
 ウィン(レスリー・チャン)とファイ(トニー・レオン)
ブエノスアイレス [DVD]

ブエノスアイレス_d5.jpg 香港から地球の裏側に当たるアルゼンチンをブエノスアイレス_d11.jpg旅するウィン(レスリー・チャン)とファイ(トニー・レオン)のゲイのカップルは、それが「やり直す」ための旅行にもかかわらず、イグアスの滝へ行く途中で道に迷って荒野のハイウェイで喧嘩別れしてしまう。一人になったファイは旅費不足を補うためブエノスアイレスのタンゴバーでドアマンとしてブエノスアイレス_d12.jpg働くが、そこへ白ブエノスアイレス 02.jpg人男性とともにウィンが客として現れる。以降ウィンは何度もファイに復縁を迫りその度ファイは突き放すが、嫉妬した男性愛人にケガを負わされたウィンがアパートに転がり込んで来たため、やむなく介護する。ウィンブエノスアイレス 09.jpgとの生活にファイは安らかな幸せを感じるが、ケガの癒えたウィンはファイの留守に出歩くようになり、ファイは独占欲からウィンのパスポートを隠す。一方、ファイは転職した中華料理店の同僚で台湾からの旅行者のチャン(チャン・チェン)と親しくなり、そんなファイのもとからウィンは去っていく。旅行資金が貯まったチャンは南米最南端の岬へ旅立ち、チャンの出発後、ファイは稼ぎのいい食肉工場に転職、旅費が貯まりイグアスの滝へと旅立つ。香港への帰途、ファイは台北のチャンの実家が営む屋台を訪れる―。

ブエノスアイレス 11.jpg ウォン・カーウァイ(王家衛)監督の1997年の香港映画で、同年の第50回カンヌ国際映画祭監督賞受賞作品。主演のトニー・レオンは、1998年・第17回香港電影金像奨で最優秀主演男優賞を受賞しています。中華圏の監督による同性愛をモチーフとした映画は、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の「さらば、わが愛/覇王別姫」('93年/香港)やアン・リー監督の「ウェディング・バンケット」(93年/台湾・米)が既にありましたが、「さらば、わが愛/覇王別姫」は1920年代の中国の京劇団が舞台で、「ウェディング・バンケット」はアメリカが舞台、一方、この「ブエノスアイレス」はタイトル通りアルゼンチンが舞台で、最後の方に台湾が出てきます(香港は出てこなかった)。

 ゲイ・ムービーですが、男同士の恋人感情の揺れやぶつかり合いが丁寧かつ生々しく描かれていて、恋愛映画としてもよく出来ているように思いました。監督の狙いも、異性間の恋愛感情と何ら変わることがない普遍性を示すことにあったのではないでしょうか。ただ、やはりゲイ・ムービーということもあって、公開時は男性には敬遠され、そのかわり女性客が押しかけたようです(「シネマライズ」で約10万人を動員し、これは同館の歴代上映作品の観客動員数の第5位にあたる)。

ブエノスアイレス_d17.jpg 撮影は難航したようで、トニー・レオン(梁朝偉)は「同性愛者役はできない」と一旦出演を辞退したものの、「亡父の恋人をアルゼンチンに探しに行く息子の物語」に書き改めた新企画を示されて了承、ところが現地に着いてみるとストーリーは大きく変更されていました(監督に騙された?)。男同士でのラブシーンにはかなり抵抗があり、撮影後に呆然としてしていたそうです。

ブエノスアイレス_de.jpg また、相方役のレスリー・チャン(張國榮)は、映画俳優と人気歌手の掛け持ちで、撮影当時コンサートツアーの予定があり、遅延を重ねた撮影の途中でやむを得ず香港へ帰国してしまい、収拾のつかなくなったストーリーを完結させるために、兵役直前で休業に入る予定だった台湾出身のチャン・チェン(張震)と、香港出身の歌手シャーリー・クワン(關淑怡)が招集されましたが、チャン・チェンが中華料理店でのファイの後輩にあたるチャンの役でかなり重要な役どころで出ているのに対し、シャーリー・クワンの出演シーンは本編ブエノスアイレス_d16.jpgでは1カットも使われていません。チャン・チェンはカンフー俳優でもあり、兵役からの復帰後、アン・リー監督の「グリーン・デスティニー」('00年/中国・香港・台湾レスリー・チャン3.gif・米)などに出演し、近年ではウォン・カーウァイ監督、トニー・レオン主演の武術映画「グランド・マスター」('13年/香港・中国)にも出演しています。レスリー・チャンは「さらば、わが愛/覇王別姫」で既に同性愛者を演じていましたが、2003年に香港の高級ホテル「マンダリン・オリエンタル」から投身自殺を図り、46年の生涯を終えています。

ブエノスアイレス sessi .jpg 元から撮影現場で脚本決めをしたりするところがあるウォン・カーウァイ監督なので、レスリー・チャンが現地に留まっていればストーリー的には違った展開になっていたと思われます。この作品のメイキング映画「ブエノスアイレス 摂氏零度」('99年/香港)によれば、シャーリー・クワンはファイの妻役で登場し、チャンとも絡みがある一方、ウィンとウィンのケガを診察した女医とファイとの間で三角関係になるようなシナリオが用意されていたようです。

ブエノスアイレス 摂氏零度 [DVD]

 結局、ファイはウィンと別れた後、チャンへとその想いを転じましたが、それはあくまでプラトニック・ラブということなのでしょうか(因みにプラトン自身は同性愛者で且つ実践派だった)。この終わり方に美学を感じる人もいれば、ウィンがフラれた形で可哀そうと思う人もいるかもしれません。でも、ファイは常に仕事をしていたのに、ウィンは仕事もしないで、ヒモみたいな暮らしぶりだったからなあ。ヒモだってウチを守るくらいのことはするだろうけれど、勝手に出歩いてファイの気を揉ませていたし、その癖、ファイへの猜疑心や嫉妬心は強かった...。

ブエノスアイレス_d24.jpg こうしたことも含め、全編を貫いているのは、人間は孤独であり、その辛さに耐えられるかという問いかけではないでしょうかか。舞台が地球の裏側だけに、そのことが一層ひしひしと感じられます。そうした中で、一人では生きることが出来ないのがウィンブエノスアイレス ges.jpgで、次第に破滅に向かって行くタイプかも(ラストの方では、男性の愛人を仮想ファイに見立てていた)。一方で意外と逞しいのが中華料理店の後輩のチャンで、先輩の代わりに南米最南端の岬へ行って悩みを捨ててきてあげるからとファイにテープレコーダーブエノスアイレスes.jpgを渡しますが、ファイはテープレコーダーを握りしめるも言葉はなく、涙を流すしかありませんでした。それまで何となく距離を置いてこの映画を観ていたつもりが、このシーンではこちらもブエノスアイレス_d27.jpg泣けました。ファイが仕事に打ち込んできたのは、ウィンとの別離の痛みを忘れるためというのもあったのではないでしょうか(でも忘れられないでいる)。というわけで、チャンは約束通りしっかり南米最南端のエクレルール灯台まで行き('97年1月)、そのファイが"自らの悩みを吹き込んだ"カセットを聴くも、そこにはファイの言葉は無く、泣き声のようなものしか聴こえませんでした。

ブエノスアイレス_d25.jpg 一方のファイも最後には、貯めた金で中古車を買って旅の目的地だったイグアスの滝へ行っており、そこでウィンの不在を再認識しながらも彼との過去を封印したような感じで、更に帰国時には台北に寄って('97年2月。テレビでは鄧小平死去のニュースが伝えられている。この辺りは物語が撮影とリアルタイムになっているようだ)、チャンの実家が営む屋台を訪れ、チャンの写真を一枚盗むことで、「もし会おうと思えば、どこでだって会うことができる」と確信します。こうした行為は何れも自らの過去を整理するための(同時に未来へ向けての再生のための)儀式のように思えました。

花様年華75.jpg そう言えば、「花様年華」('00年/香港)のラストも、トニー・レオン演じる主人公がわざわざアンコールワット(こちらもイグアス同様に観光名所)まで行って、ある人妻女性との過去を封印したように見えました。マギー・チャン演じる当の相手女性はいちいちそんなことをしません。ひとり親として頑張って息子を育てていくのみ。よく女性は失恋旅行をすると言われますが、「ブエノスアイレス」と「花様年華」の2作を観ると、この種の儀式的行為をするのはむしろ男ではないかと思ってしまいます。ファイが、香港で父親の会社の金を盗み勘当されたと思われる、その父親に手紙を書くシーンがありました。人は一人では生きられない、では現実の孤独とどう向き合うか、ということと併せ、自らの過去とどう向き合うかというのも、この作品のテーマかもしれません。

「ブエノスアイレス」●原題:春光乍洩/HAPPY TOGETHER●制作年:1997年●制作国:香港●監督・製作・脚本:ウォン・カーウァイ(王家衛)●撮影:クリストファー・ドイル(杜可風)●音楽:ダニー・チョンほか●時間:96分●出演:レスリー・チャン(張國榮)/トニー・レオン(梁朝偉)/チャン・チェン(張震)/グレゴリー・デイトン/スー・ピンラン(蕭炳林)●日本公開:1997/09●配給:プレノンアッシュ●最初に観た場所:渋谷・Bunkamura ル・シネマ(18-02-17)(評価:★★★★☆)

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第1話もシズル感があったが、第2話のファンタジー乃至寓話的な作りにハマった。

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恋する惑星 [DVD]」トニー・レオン(梁朝偉)/フェイ・ウォン(王菲)

恋する惑星04.jpg 重慶マンションの無国籍地帯の雑踏で、刑事223号・モウ(金城武)は金髪サングラスの女性(ブリジット・リン)とすれ違う。その金髪女性恋する惑星 01.jpgはドラッグ・ディーラーで、密入国インド人に麻薬を運ばせる仕事をしていた。空港へ向かった女はそこにインド人の姿が無く、裏切られたことを知る。命を狙われた女は、偶然入ったバーでモウと出会い、ホテルへ。恋人にふられていたモウは次に出会った女性に恋をすると決めていたのだが、女は疲れ果てホテルに着くや爆睡してしまう。翌朝はモウの誕生日で、ポケベルに既に姿を消した女からのバースディコールがあった。女は裏切ったインド人を射殺し、金髪とサングラスを脱ぎ捨て去っていく。モウはファーストフード店で新入りの娘フェイ(フェイ・ウォン)とす恋する惑星 es.jpgれ違う。その店の常連客の警官663号(店主は633と呼ぶが、認識番号は663)(トニー・レオン)はCA(スチュワーデス)の恋人(チャウ・カーリン)と別れたばかりだった。元彼女のCAは店の主人に663号への手紙を封筒で託すが、主人はこっそり開封して手紙を読んでしまう。フェイも手紙を読むと、封筒には部屋鍵が入っていた。店に来た663号が封筒を受け取らないため、フェイは、その鍵恋する惑星ages.jpgで663号の部屋に密かに入り込み、毎日少しずつ模様替えをしていく。663号はある日そのフェイと部屋の入口で鉢合わせする。次にファーストフード店で会った時にデートに誘う633号だったが、彼女は待ち合わせ場所に来なかった。店の主人が渡しに来たフェイからの手紙を663号は一旦屑籠に捨てるが、拾って読み返すと手書きの航空券で日付は1年後の今日だった。1年後、フェイはCAとなってかつての店の前に現れる。シャッターを押し上げると、中にいたのは、改装開店を控えたその店の新たな店主になっていた663号だった―。

恋する惑星  08.jpg ウォン・カーウァイ(王家衛)監督の1994年の香港映画で、第14回香港電影金像奨で最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀主演男優賞(トニー・レオン)を受賞、日本でもミニシアターでの上映から始まってヒットした作品です。原題は「重慶森林」で、香港の九龍、尖沙咀にある「世界最大の雑居ビル」とも言われる重慶大厦(重慶マンション)を舞台に、すれ違う男女の物語をスタイリッシュ且つポップに描いた青春恋愛映画となっています。

 元々は3話のオムニバスを想定していたのが、第1話の金城武主演の刑事223号・モウの話と、第2話のトニー・レオン主演の警官663号の話の2話構成になっていて、第1話が約40分であるのに対し、第2話は約60分あり、当初想定していた第3話は、同監督の「天使の涙」('95年/香港)として独立した作品になったとのことです。

恋する惑星338.jpg 最初、金城武演じる刑事223号・モウが金髪サングラスの女性(ブリジット・リン)とすれ違った際に、「その時彼女との距離は0.5ミリ。57時間後、僕は彼女に恋をした」というセリフが流れ、次に、ファーストフード店の娘フェイ(フェイ・ウォン)とすれ違う場面を介して警官663号(トニー・レオン)の話に移る際に、今度は「その時彼女との距離は0.1ミリ。6時間後、彼女は別の男に恋をした」と流れます。なかなかお洒落だなあと。おそらく、想定されていた第3話も刑事または警官の話で、そこにに切り替わる時も、そうした手法が用意されていたのでしょう。

恋する惑星 kim.jpg 第1話と第2話でどちらが好きか人によって好みは分かれると思います。第1話で、広東語、北京語、英語、日本語を巧みに使い分けていた台湾出身の金城武(日本人の父と台湾人の母との間に生まれ、沖縄県出身の祖父を持つ)は、香港に仕事で訪れた際、ホテルのロビーで偶然居合わせたウォン・カーウァイ監督に見初められ、この映画への出演が決まったとのことですが、映画が日本でもヒットしたため、日本でも人気が出ました。外国映画に出て外国語を話しているわけですが(独白は北京語か。台湾の若者は福建語より北京語を好んで使うようだ)日本人っぽくて、その辺りの"等身大"的感覚がいいのかも。このエピソードは、許可無しのゲリラ的手法で尖沙咀の街中を撮っていて、香港の都会の裏側に潜入したようなシズル感があって良かったです(第1話のカメラ担当は自身が映画監督でもあるアンドリュー・ラウ(劉偉強))。第1話は、男女がすれ違ってもうおそらく会うことはないだろうという(会ったら会ったで殺し屋と刑事なのだからかなりまずいことになるのだが)けっして明るい話ではないですが、最後に、金髪女からバースディコールがあったのが、主人公の救いになっているように思いました。

恋する惑星 tony.jpg ただ、個人的には、トニー・レオン(梁朝偉)(こちらもまだ当時日本ではそれほど有名ではなく、この作品によって知名度と人気が出た)が主演の第2話の方が、40分の予定が60分に延びた分(?)ストーリー的には作恋する惑星 09.jpgり込まれていたように思います。中国出身の香港の歌手フェイ・ウォン(王菲)演じるファーストフード店の娘も良くて、やっていることは押しかけ女房風で、今の基準で言えばストーカー行為なのですが、むしろ一途さが健気で可愛らしく思われる不思議な魅力があります。彼女はこの作品の演技でストックホルム国際映画祭・最優秀主演女優賞を受賞しています。個人的にはフランス映画の「アメリ」('01年)が似た雰囲気だと思いました。第2話のカメラ担当は「ブエノスアイレス」('97年/香港)、「花様年華」('00年/香港)のクリストファー・ドイルです(オーストラリア人だが、杜可風という中国名を持つ)。

恋する惑星 ages.jpg トニー・レオン演じる663号が、自分の部屋が少しずつ様変わりしているのを、恋人と別れたショックによる幻覚のせいだと恋する惑星74.jpg勝手に思い込んで(?)変に納得してしまったりしているなど、男の鈍感さがユーモラスに描かれていました(元々石鹸や濡れタオルに感情移入して話しかける癖がある変わった男なのだが)。ラストで、フェイが663号の元恋人の職業であったCAになっていて、663号がかつてフェイが働いていた店の店主になっているといった作りなど、ある種ファンタジー乃至寓話的な作りになっているように思いましたが、個人的にはそこに嵌りました(「恋する惑星」という邦題も悪くない)。フェイの好みの曲ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」など、音楽の使われ方が映画にしっくりマッチしたものになっていて、フェイ・ウォン自身が歌うエンディング曲「夢中人」も良かったです。
 
王菲「夢中人」/Mamas&Papas「California Dreaming」

Koi suru Wakusei (1994)  ブリジット・リン          チャウ・カーリン/トニー・レオン  
Koi suru Wakusei (1994).jpg恋する惑星ブリジット・リン.jpg恋する惑星チャウ・カーリン.jpg「恋する惑星」●原題:重慶森林/CHUNGKING EXPRESS●制作年:1994年●制作国:香港●監督・脚本:ウォン・カーウァイ(王家衛)●製作:ジェフ・ラウ(劉鎭偉)●撮影:(第1話)アンドリュー・ラウ(劉偉強)/(第2話)クリストファー・ドイル/●音楽:フランキー・チェン(陳動奇)/ロエル・A・ガルシア/マイケル・ガラッソ●時間:110分●出演:トニー・レオン(梁朝偉)/フェイ・ウォン(王菲)/金城武/ブリジット・リン(林青霞)/チャウ・カーリン(周嘉玲)●日本公開:1995/07●配給:アスミック・エース(評価:★★★★)

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「お迎え」のイメージは意外と日本的か。一方で、「説明してよ~」という所も多々あったが...。

ブンミおじさんの森@._V1_.jpgブンミおじさんの森@._V2_.jpgブンミおじさんの森 dvd.jpg アピチャッポン・ウィーラセタクン.jpg
ブンミおじさんの森 スペシャル・エディション [DVD]」アピチャッポン・ウィーラセタクン

 腎臓の病により死を間近にしたブンミ(タナパット・サイサイマー)は、後先長くないことを悟り、タイ東北部の自らの農園に、亡き妻の妹・ジェン(ジェーンジラー・ポンパット)と都会で暮らす甥のトン(サックダー・ケァウブアディー)をブンミおじさんの森01.jpg呼び寄せる。ある日の3人での夕食の席に突然、19年前に亡くなったブンミの妻・フエイ(ナッタカーン・アパイウォン)の幽霊が現れる。彼女はブンミの病気が心配でやってきたという。彼らはブンミおじさんの森02.jpg最初こそ驚くものの、懐かしさから語り合う。暫くすると、今度は長年行方不明になっていたブンミの息子・ブンソンが姿を変えて現れる。息子は、森で猿の精霊に出会い、猿の精霊たちの仲間になっていた。愛する者たちを取り戻したブンミは、いよいよ最期の時が来たと悟り、皆で森の中に入っていく。彼は、洞窟の闇の中で、自分の前世を思い出す―。

ブンミおじさんの森00.jpg アピチャッポン・ウィーラセタクン(アピチャートポン・ウィーラセータクンの表記も。Apichatpong Weerasethakul、1970- )の2010年監督作で、2010年・第63回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞しました(2011年・第35回香港国際アピチャッポン・ウィーラセタク.jpg映画祭「アジア・フィルム・アワード(第5回)」最優秀作品賞も受賞)。原題は「前世を思い出せるブンミおじさん(Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives)」で、監督が着想を得たのも、タイの僧侶による著書「前世を思い出せる男」という本です。カンヌの審査員長のティム・バートンは「我々は映画にサプライズを求めている。この映画はそのサプライズを多くの人々にもたらした」と語っています。タイ映画史上初めてとなるパルム・ドール受賞でしたが、この監督は2002年に「ブリスフリー・ユアーズ」が第55回カンヌ国際映画祭のある視点部門のグランプリを受賞し、2004年に「トロピカル・マラディ」が第57回カンヌ国際映画祭の審査員を受賞しているので、受賞はフロックとは言えないでしょう。日本では受賞を逃した北野武監督の「アウトレイジ」ばかりに話題が集中しましたが、フランスをはじめとする欧米の映画界ではアピチャートポン監督の受賞は至極当然であり、むしろ遅きに失した感があるといった評価だったようです。

ブンミおじさんの森ges.jpg ファンタジー映画と言うか、他の作品に無い独特の雰囲気を醸しており、例えば―ある王女の手が若い兵士に触れ、王女が顔を水面に映すと、たちまち美しく若返って、王女と兵士は抱き合いうが、滝の近くの水中に大ナマズがいて、王女はナマズと共に泳ぎ(ナマズと交接したように見える)、やがてナマズに変身し、二匹のナマズは戯れるように泳ぐ―という不思議な挿話があります。この王女はブンミの前世の姿なのでしょうか。一方、ブンミの来世を表していると思われる場面では、、独裁者の支配する世界になっていて、そこにまたしても猿の精霊が現われ(出て来るたびに着ぐるみっぽくなってくる)、これはブンミが猿の妖精になっているということなのでしょうか。

ブンミおじさんの森V3_.jpg ブンミが亡くなった後行われた葬式も、不思議な雰囲気でしたが、タイの地元の人が見れば、自分たちの土地の風俗を描いたに過ぎないのかもしれません。ただ、その後も不思議な話は続き、ラストで、僧になったトンが寺を抜け出してジェンとその娘の泊まるホテルにやってきますが、2人が食事に出掛ける際に、依然として娘と一緒にテレビを見続けているもう一組のジェンとトンがいて、2人はちょっと驚きますが、そのまま外出してしまいます。映画は、この"幽体分離"の場面(状況)のままで終わります。

ブンミおじさんの森s.jpg 全体として、輪廻転生というのがモチーフになっていて、それがまた、死を迎えようといるブンミの達観した態度にも繋がっていうように思いました(このブンミを演じている人、"演技"をしてる感じが全然しない)。亡くなる時に死者が「お迎え」に来て、そのことにより人は安らかに逝くことができるというのは、日本だけの話ではなかったのだなあと。こうしたモチーフが日本人には思ったよりしっくりくる一方で、「説明してよ~」という感じの所も多々あったりしましたが(村上春樹の小説みたい)、説明的になってしまうと削がれる要素というのも多いのかもしれません。

ブンミおじさんの森es.jpg ウィーラセタクン監督のインタビューなどを見ると、「理屈は捨てて、イメージや音が自分の中に流れ込むのを、自然体で受け入れてください」とのことで、やはり自ら解題したりしてはいないようです(これも村上春樹みたいで賢明かも)。技巧的には、監督が幼い頃から観てきたタイの映画のいろんな要素を盛り込んだとのことで、ファンタジー映画、怪奇映画、アドベンチャー映画などの思い出をブンミの体験や前世の記憶を描くときの参考にしたのが、この映画であるとのことです(「スター・ウォーズ」のチューバッカ風の猿の精霊は、意図的にキッチュなものにしたらしい)。

ブンミおじさんの森V1_.jpg 監督はこの映画について、「先入観を持たずに、まるで外国を旅しているかのような気持ちで観てほしいですね。車窓から景色を眺めるように、鑑賞ではなく映画を"体験"していただきたいと思っています」とも述べていて、そう言えば、劇場に、おそらくタイ語も分からなければ日本語字幕も読めないであろう(チケットを買うのに苦労していた)西洋人男性3人組が観に来ていて、多分彼らは(少なくともその内1人は)この映画の鑑賞方法を事前に理解していたのだろうなあと思いました。
     
Loong Boonmee raleuk chat (2010)
Loong Boonmee raleuk chat (2010).jpg
ブンミおじさんの森V0_.jpg「ブンミおじさんの森」●原題:UNCLE BOONMEE WHO CAN RECALL HIS PAST LIVES●制作年:2010年●制作国:タイ・イギリス・フランス・ドイツ・スペイン●監督・脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン(アピチャッポン・ウィーラセータクン)●製作:アピチャッポン・ウィーラセタクン/サイモン・フィールド/キース・グリフィス/シャルル・ド・モー●撮影:サヨムプー・ムックディプローム●音楽:清水宏一●時間:114分●出演:タナパット・サイサイマー/ジェーンジラー・ポンパット/サックダー・ケァウブアディー/ナッタカーン・アパイウォン●日本公開:2011/03●配給:ムヴィオラ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-02-12)(評価:★★★★)

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子どもたちの活き活きとした演技。"感動作"と言うより"考えさせられる映画"。

パリ20区、僕たちのクラス 2008.jpg パリ20区、僕たちのクラス 00.jpg ローラン・カンテ.jpg
フランソワ・ベゴドー原作・脚本・主演   ローラン・カンテ監督
パリ20区、僕たちのクラス [DVD]

 パリ20区にある中学校の教室。始業のベルが鳴っても、24人の生徒たちはなかなか席に着こうとせず、授業では、教師の言い間違いは嬉々として指摘する。そんな生徒たちに囲まれた国語教師のフランソワ(フランソワ・ベゴドー)は、4年目になるパリ20区、僕たちのクラスs.jpg新学年を迎えた。移民も多いこのクラスの生徒たちは、出身国、生い立ち、将来の夢もみんな異なる。フランソワは語尾変化もを書けない生徒たちに正しく美しいフランス語を教えようとするが、スラングにパリ20区、僕たちのクラス 03.jpg慣れた生徒たちは接続法半過去など文語で金持ちの言葉だと反発する。しかし、フランソワは国語を、生きるための言葉を学ぶこと、他人とのコミュニケーションを学び、社会で生き抜く手段を身につけることだと考えている。そこで「アンネの日記」を読ませた後に、生徒たちに自己紹介文を書かせる。最初は高圧的だったフランソワも、彼らとの何気ない対話の一つ一つが授業であり、真剣勝負ということが分かり、24人の生徒に真正面から対峙し、悩んだり葛藤する―。

パリ20区、僕たちのクラス32.jpgローラン・カンテ .jpg 2008年のローラン・カンテ監督作で、2008年・第61回カンヌ国際映画祭で、純粋なフランスの映画としては「悪魔の陽の下に」('87年/仏)以来21年ぶりとなるパルム・ドール受賞作となりました。審査委員長のショーン・ペンは「作品は完璧に一体化されている。演技、脚本、挑発、寛大さすべてが魔法だ」と評しています。原作は、フランソワ・ベゴドーが実体験に基づいて2006年に発表した小説『教室へ』(早川書房)であり、そのフランソワ・ベゴドー自身が脚本及び主演を務めています(フランソワ・ベゴドーの本職はあくまで作家であり、映画出演はこの作品のみ)。

 24人の生徒は、ローラン・カンテ監督が現役の生徒を対象にオーディション選考を行って選んだ、全員が演技経験の無い本物の中学生で、それでいて、彼らの活き活きとして演技には驚かされますが、監督は生徒たちと週1回、7ヶ月にわたるワークショップを行って信頼関係を築いて撮影に臨んだそうです(ドキュメンタリーではなく、皆が演技しているということになる)。個人的には、学年はやや下になあの子をさがして09.jpgりますが、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の「あの子を探して」('99年/中国)を想起しました。小学校で1年から4年まで28人の生徒たちを中学生相当の女の子が代用教員として教える話で、こちらも生徒たちは全員演技経験は無しでしたが(主人子の代用教員役の女の子も)、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しています。張芸謀監督の演出力はスゴイと思いましたが、ローラン・カンテ監督も負けていないし、生徒たちと本気で遣り合っているようなフランソワ・ベゴドーの演技も効いていると思います。
「あの子を探して」('99年/中国)

 この映画を観ていてもう1つ想起したのが、2005年・第58回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールある子供01.jpgを受賞したジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の「ある子供」('05年/ベルギー・仏)で、社会の下層にいる若者をドキュメンタリータッチで描いた作品ですが、社会の下層にいる若者が描かれていることに加えて、ドキュメンタリータッチであること、必ずしも予定調和では終わっていないことなどこの作品と通じるところがあり、こういう作品が国際的な映画祭に出品されるところがフランスらしいのかもしれません(日本の場合、社会の底辺を描いた映画は減っているし、それを海外の映画祭に出品するということは殆ど無いのではないか)。
「ある子供」('05年/ベルギー・仏)

パリ20区、僕たちのクラス .jpg 勿論、この作品は、日本における中学校等の"学級崩壊"問題と対比させて観ることも可能で、そこから色々な示唆も得られるかもしれません。しかし、一方で、フランス特有の移民社会の問題とそこから派生する生活や教育の格差の問題を分かりやすく反映させたものでもあります(しかしながらその解決は大変難しい)。一説には、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した背後には、「排除」の問題がフランスで重要な問題になっていたという事情があったと言われています。映画の中でスレイマンという少年が行きがかりから先生に暴言を吐いたことにより、退学処分になるという結果を招きますが、彼が退学になることで学校側は規律を保つことになり、退学になった彼は新たな転校先で受け入れられる―或いはフランソワ先生が危惧するように彼の父親(映画には姿を見せない)によってアフリカの故国に送り還される―ということでいいのだろうか、という問題提起がなされているように思いました。ラストもいわばアンチクライマックスで、"感動作"と言うより"考えさせられる映画"です。

Paris 20-ku, Boku tachi no Class (2008).jpg こうした多国籍社会特有の問題は2008年当時に限らず、移民問題がヨーロッパ圏の大きな問題となっている今日、引き続いてフランスに存する(或いはヨーロッパの各国にもある)のだと思います。その後、フランスでは、ジュリー・ベルトゥチェリ監督が、同じく中学校を舞台に、多文化学級に通う20の国籍、24人の生徒たちの出会いと友情を描いたドキュメンタリー「バベルの学校」('13年/仏)を撮っていて、こちらも機会があれば観てみたいと思います。

Paris 20-ku, Boku tachi no Class (2008)

「パリ20区、僕たちのクラス」●原題:ENTRE LES MURS●制作年:2008年●制作国:フランス●監督:ローラン・カンテ●製作:キャロル・スコッタ/カロリーヌ・ベンジョー/バルバラ・レテリエ/シモン・アルナル●脚本:ローラン・カンテ/フランソワ・ベゴドー/ロバン・カンピヨ●撮影:バリー・マーコウィッツ●音楽:ピエール・ミロン●原作:フランソワ・ベゴドー「教室へ」●時間:128分●出演:フランソワ・ベゴドー●日本公開:2010/06●配給:東京テアトル(評価:★★★★)

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ブレッソンっぽい。ドメンタリーの手法を上手く生かし、最後まで貫き通すことで成功している。

ある子供 2005 dvd.jpg ある子供01.jpg ダルデンヌ兄弟 58回カンヌ国際映画祭パルム・ドール.jpg
ある子供 [DVD]」デボラ・フランソワ/ジェレミー・レニエ  ダルデンヌ兄弟 in 第58回カンヌ国際映画祭(2005)(プレゼンター:モーガン・フリーマン/ヒラリー・スワンク)
ある子供00.jpg 20歳のブリュノ(ジェレミー・レニエ)と18歳のソニア(デボラ・フランソワ)のカップルは、生活保護給付金と、ブリュノある子供02.jpgが14歳の少年スティーヴ(ジェレミー・スガール)らと盗みを働きながら得た金で食いつなぐ、その日暮らしの生活を送っていた。二人に赤ん坊が出来たとき、ソニアはブリュノに真面目に働くようにと紹介ある子供04.jpgされた仕事を教えるも、相変わらずブリュノに定職に就く気はなく、職業斡旋所に並ぶ列から離れた彼は、赤ん坊と二人っきりになった隙に、闇取引業者に赤ん坊を養子として売ってしまい、それを聞いたソニアは卒倒し病院に運ばれる。ブリュノは闇取引業者から赤ん坊を取り返したものの、意識を戻したソニアは警察に事の次第を話していた。怒りの収まらないソニアに家を追い出されたブリュノは、再び手下の少年スティーヴを使って、スクーターによるひったくり強盗を働くが、私服刑事に追われることに―。

ダルデンヌ兄弟Dardenne-brothers.jpg 2005年公開のジャン=ピエール&ダルリュック・ダルデンヌの兄弟の監督によるベルギー・フランス映画で、第58回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞作。ダルデンヌ兄弟は1999年に「ロゼッタ」('99年/ベルギー・仏)で第52回カンヌ国際映画祭パルム・ドーを受賞しており、この作品で、パルム・ドールを2度受賞した5組目の監督となりました(日本人では今村昌平監督が2度受賞している)。

Dardenne-brothers

ラルジャン.jpg 元々ドキュメンタリー映画出身の兄弟監督ですが、この作品はそのドメンタリーの手法を上手く生かしているよう思いました。音楽は一切なく、1つのシーンにおける時間の流れも出来るだけ切らないようにして撮っているのが感じられました。すでに言われているように、ロベール・ブレッソンの映画を強く受けていることが窺え、ブリュノの犯行の犯行の手口を克明に追う様などは「スリ」('59年/仏)を、ブリュノが転落して行く様や、ラストでソニアがブリュノに面会に来る場面などは、「ラルジャン」('83年/仏・スイス)を想起させられました。

ある子供03.jpg 子どもがが生まれたことによって、母性に目覚め、いち早く今までの生活から抜け出そうと考えるようになったソニアと、何とその子どもを他人に売ってしまい、一時的に大金を得て喜んでいるブリュノ―という2人が対比的に描かれていて、「その子供」とは、2人の間に生まれた赤ん坊("子ども")を指すというよりも、むしろ、貧困と無知ゆえに、常人ならば備えているはずの倫理道徳観を持たないブリュノ("子供")を指していることが窺えます。どうしてソニアがもっと早くにブリュノに見切りをつけないのかなと思ってしまいますが、"子ども"が生まれるまではソニア自身も"子供"であったということなのでしょう。

ある子供06.jpg 最後にブリュノは、共に私服刑事に追われ、冷たい川に逃れたために低体温症となった末警察に捕まったスティーヴを救うために、自分が首謀者だと警察に自首するという初めてまともな行動をし、更に、刑務所を訪れて再びブリュノの気持ちに寄り添うソニアと共に涙を流します。それが、この作品の救いとなっていますが、この2人が本当にこれから一緒にやっていけるのか、また一緒にやっていくことがソニアにとっていいことなのか、それは誰にも分からない―といった終わり方になっているところが、ヨーロッパ映画らしいと言うか、この監督らしいと言えます(少なくともハリウッド映画的ではない)。

L'enfant (2005).jpg もしこれが、ソニアの愛情によってブリュノが《心底改悛し、将来立直ることが誰の目にも明らかに分かる》終わり方だったら、これまでずっと緊迫したドメンタリー・タッチできたものが、最後の部分だけとって付けたように"お話"になってしまうため、そうならないようにしたのではないかと思います。

Deborah_François_César_2016.jpg 但し、観る人によっては、ストレートに感動作ととる人、一歩引いて"お涙頂戴"ではないかとる人もいれば、ラストがはっきりしない(二人がこの先どうなるか分からない)のを不満に思う人もいるかもしれません。この加減が難しいところですが、個人的には、先に述べた通り、ドメンタリー・タッチを最後まで貫き通しているように思われ、そのことによって成功している作品だと思います。

L'enfant (2005) デボラ・フランソワ Deborah_François__2016(ベルギー出身)

ある子供 ges.jpg「ある子供」●原題:L'ENFANT●制作年:2005年●制作国:ベルギー・フランス●監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ●製作:ジャン=ピエール&リュック・ダルデン/デニス・フレイド●撮影:アラン・マルコァンツ●時間:95分●出演:ジェレミー・レニエ/デボラ・フランソワ/ジェレミー・スガール/ファブリツィオ・ロンジョーネ/オリヴィエ・グルメ/ステファーヌ・ビソ/ミレーユ・バイ●日本公開:2005/12●配給:ビターズ・エンド(評価:★★★★)

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カズオ・イシグロの小説世界を映像化。抑えたトーンの、叶わなかった恋の物語

日の名残り.jpg 日の名残り (映画) .jpg  日の名残り (中公文庫) _.jpg 日の名残り (ハヤカワepi文庫).jpg
日の名残り [DVD]」アンソニー・ホプキンス/エマ・トンプソン 『日の名残り (中公文庫)』『日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り  tile.jpg 1958年。オックスフォードのダーリントン・ホールは、前の持ち主のダーリントン卿(ジェームズ・フォックス)が亡くなり、アメリカ人の富豪ルイス(クリストファー・リーヴ)の手に渡っていた。かつては政府要人や外交使節で賑わった屋敷は使用人も殆ど去り、老執事スティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)の手に余った。そんな折、以前屋敷で働いていたベン夫人(エマ・トンプソン)から手紙をもらったスティーヴンスは彼女の元を訪ねることにする。離婚日の名残り 01.jpgをほのめかす手紙に、有能なスタッフを迎えることができるかもと期待し、それ以上にある思いを募らせる彼は、過去を回想する。1920年代、スティーヴンスは勝気なミス・ケントン(後のベン夫人)をホールの女中頭として、彼の父親でベテランのウィリ日の名残り 父.jpgアム(ピーター・ヴォーン)を執事として雇う。スティーヴンスは彼女に父には学ぶべき点が多いと言うが、老齢のウィリアムはミスを重ねる。ダーリントン卿は、第二次大戦後日の名残り tairitu .jpgのドイツ復興の援助に注力し、非公式の国際会議をホールで行う準備をする。会議で卿がドイツ支持のスピーチを続けている中、病に倒れたウィリアムは死ぬ。'36年、卿は反ユダヤ主義に傾き、ユダヤ人の女中2名を解雇する。当惑しながらも主人への忠誠心から従うスティーヴンスに対し、ケントンは卿に激しく抗議した。2年後、ユダヤ人を解雇したことを後悔した卿は、彼女たちを捜すようスティーヴンスに頼み、彼は喜び勇んでこのことをケントンに告げる。彼女は彼が心を傷めていたことを初めて日の名残り es.jpg知り、彼に親しみを感じる。ケントンはスティーヴンスへの思いを密かに募らせるが、彼は気づく素振りさえ見せず、あくまで執事として接していた。そんな折、屋敷で働くベン(ティム・ピゴット・スミス)からプロポーズされた彼女は心を乱す。最後の期待をかけ、スティーヴンスに結婚を決めたことを明かすが、彼は儀礼的に祝福を述べるだけだった。それから20年ぶりに再会した2人。孫が生まれるため仕事は手伝えないと言うベン夫人の手を固く握りしめたスティーヴンスは、彼女を見送ると、再びホールへ戻る―。

日の名残り 10.jpg 「眺めのいい部屋」('86年/英)、「モーリス」('87年/米)、「ハワーズ・エンド」('92年/英・日)のジェームズ・アイヴォリー監督による1993年のイギリス映画で、原作はブッカー賞を受賞したカズオ・イシグロの同名の小説『日の名残り(The Remains of the Day)』ですが、'91年に「羊たちの沈黙」('91年/米)でアカデミー賞 主演男優賞を受賞したアンソニー・ホプキンスと、'92年に「ハワーズ・エンド」でアカデミー賞主演女優賞を受賞したエマ・トンプソン(アン・リー監督の「いつか晴れた日に」('95年/米・英)での演技も良かった)という当時"旬な"俳優の組み合わせで、カズオ・イシグロの小説世界を映像化することで世に知らしめ、2017年の彼のノーベル文学賞受賞にも寄与したのではないかと思います(アカデミー賞では、主演男優賞、主演女優賞、美術賞、衣装デザイン賞、監督賞、作曲賞、作品賞、脚本賞の8部門にノミネートされた)。

日の名残り kaigi.jpgストーリー的にはほぼ原作通りに作られていますが、ダーリントンホールで秘密の国際会合が開かれたのが、原作の1923年ではなく1935年になっていて、第一次大戦後のドイツの経済的混乱を解決するのがダーリントン卿の狙いでしたが、1935年といえばもう日の名残り リーブ.jpg ドイツはナチス政権になっていて、この時点でも対独宥和論を唱えるダーリントン卿にはやや違和感を覚えます(その結果としてか、1958年の"今"スティーヴンスが旅する中で、田舎の人でもダーリントン卿=ナチのシンパという印象を抱いてたりする描き方になっているが、原作では彼の名は田舎では殆ど知られていない)。そして、この会議で宥和論に傾く会議の流れに一人異議を唱える内容のスピーチをするアメリカの下院議員スミス氏(原作ではルイース氏)が、映画ではクリストファー・リーヴ演じる、現在のダーリントン・ホールの所有者、つまりスティーヴンスの今の主人と同一人物あるということになっています(原作ではファラディ氏という別人物)。

日の名残り 05.jpg 小説が全編、主人公の執事スティーヴンスの語りで展開していくのに対し、映画では彼の内面の声はなく、アンソニー・ホプキンスがすべてそれを演技で表しています。そのためか、エマ・トンプソン演じるミス・ケントンと視線が絡み合ったりする場面が多く、スティーヴンスが延々と「品格」とは何かを語っている原作に比べると、映画は、二人の間での感情のぶつかり合いがより前面に出たものになっています。

日の名残り 09.jpg そして終盤、映画では、今はベン夫人となっているミス・ケントンにが、(当初はその気があったかもしれないが)事情が変わって再びダーリントン・ホールに戻ってスティーヴンスと仕事をすることはできないとなったとき、スティーヴンスは呆然とし、彼女と共に新たな人生の夕暮れを迎えるという望みが絶たれたことによって、取り返しのつかない、過ぎ去りし人生の悔いを実感します。原作では、帰路、海辺(ポーツマスか)で出会った見知らぬ老人から「夕日が一日で一番いい時間だ」と聞かされ、スティーヴンスは涙を流しますが、映画ではミス・ケントンがスティーヴンスにこの言葉を言って、人々が夕方を楽しみに待つとして、あなたは何を楽しみに待つのかと聞き、スティーヴンスは「お屋敷に戻り、人手不足の解消策を感がることかな」と答えます。ラストで屋敷の中に迷い込んだ鳥をスティーヴンスが追い立て、鳥が窓から外に逃れた時、それを屋敷の窓の内側から見上げる(屋敷から出ることのない)スティーヴンス―という対比的構図も、鳥の闖入自体が映画のオリジナルです。

日の名残り dvd.jpg 原作本は、あのAmazonのCEO ジェフ・ペゾス氏が本書を推薦しています(『ジェフ・ベゾス 果てなき野望―アマゾンを創った無敵の奇才経営者(The Everything Store: Jeff Bezos and the Age of Amazon)』の付録にあるベゾス氏の12冊の愛読書の中の唯一の小説が本書)。ジェフ・ペゾス氏は、この本から「人生を後悔しないことを意識して毎日を生きていこう」ということを学んだようです。何だか、実業家らしい読み方だなあ。

 自分自身も、非常に抑えたトーンの(それだけに切なさが増す)叶わなかった恋の物語であると感じられたのと同時に、「時間は巻き戻せない」「後悔先に立たず」といった箴言を想起させられましたが、原作者のカズオ・イシグロ氏は、この映画を結構気に入っているとしながらも、原作と映画は「異なる芸術作品」だとしているようです。そこで、映画と原作と比べてみるのも面白いのではないかと思いました。

日の名残り07.jpg「日の名残り」●原題:THE REMAINS OF THE DAY●制作年:1993年●制作国:イギリス●監督:ジェームズ・アイヴォリー●製作:リンゼイ・ドーラン●脚本:ルース・プラワー・ジャブバーラ/ハロルド・ピンター(ノンクレジット)●撮影:トニー・ピアース=ロバーツ●音楽:リチャード・ロビンス●原作:カズオ・イシグロ●時間:134分●出演:アンソニー・ホプキンス/エマ・トンプソン/ジェームズ・フォックス/クリストファー・リーヴ/ピーター・ヴォーン/ヒュー・グラント/パトリック・ゴッドフリー/マイケル・ロンズデール●日本公開:1994/03●配給:コロンビア・ピクチャーズ(評価:★★★★)

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ハーレクイン・ロマンスみたいでも、演じる役者が上手ならば、王道を行く恋愛劇作品に。
いつか晴れた日に dvdL.jpg いつか晴れた日に dvdド.jpg いつか晴れた日に 00.jpg アン・リー.jpg
いつか晴れた日に[DVD]」「いつか晴れた日に[DVD]」ケイト・ウィンスレット/エマ・トンプソン アン・リー監督  

いつか晴れた日に_1.jpg 貴族のダッシュウッド氏(トム・ウィルキンソン)が亡くなった後、ダッシュウッド夫人と3人の娘、エリノア(エマ・トンプソン)、マリアンヌ(ケイト・ウィンスレット)、マーガレットは、年500ポンドの遺産しか残されなかったことに愕然とする。ダッシュウッド氏は妻と娘たちの身を案じ、死ぬ間際に彼女たちを頼むと先妻との間の息子ジョン(ジェームズ・フリート)に頼んでいたにもかかわらず、ジョンの妻ファニー(ハリエット・ウォルター)がそれを阻止してしまったのだった。ジョンとファニーは母娘が住んでいたノーランド・パーク邸に乗り込み、彼女たちを邪険に扱うようになる。エリノアは、屋敷を訪れたファニーの弟エドワード(ヒュー・グラント)と互いに好感を抱く。ダッシュウッド母娘はミドルトン卿(ロバート・ハーディ)の厚意でバートン・コテージへ移り住む。マリアンヌは年の離れたブランドン大佐(アラン・リックマン)から愛情を寄せられるが、彼女は青年貴族ウィロビー(グレッグ・ワイズ)と恋仲になってしまう。しかし、ウィロビーは理由も告げずにロンドンへ去り、マリアンヌは悲しみに沈む。一方、エリノアはエドワードの秘密の婚約者ルーシー(イモジェン・スタッブス)の存在に大きな衝撃を受ける。ジェニングス夫人(エリザベス・スプリッグス)の招待で、失意のエリノアとマリアンヌ姉妹、そしてルーシーはロンドンを訪れるが、そこでは思いがけない事態が待っていた―。

Alan Rickman with Ang Lee's Goldener Bär.jpg 1995年製作のアン・リー(李安)監督による米・英合作映画で、アン・リー監督にとっては、本格的にハリウッド進出を果たした第1作。ジェーン・オースティンの『分別と多感』が原作であり、原題は原作と同じです(Sense and Sensibility)。1996年・第46回ベルリン国際映画祭で、アン・リー監督としては「ウェディング・バンケット」('93年/台湾・米)に次ぐ2度目の「金熊賞」を獲得したほか(複数回の金熊賞受賞は2017年現在アン・リー監督のみ)、主演のエマ・トンプソンが脚本を担当しており、第68回アカデミー賞にて脚色賞を受賞しています。

Alan Rickman with Ang Lee's Goldener Bär (Berlinale, 1996)
 
いつか晴れた日に  03.jpg ジェーン・オースティン作品では『高慢と偏見』が2005年にジョー・ライト監督によるイギリス映画としてキーラ・ナイトレイ主演で映画化されていますが(「プライドと偏見」)、文学全集などによく収められているのは『高慢と偏見』の方だけれども(或いは『エマ』か)、この「いつか晴れた日に」の原作『分別と多感』もなかなか面白いのではないでしょうか(個人的には未読だが)。『高慢と偏見』の最初の映画化作品は、ローレンス・オリヴィエ主演の「高慢と偏見」('40年/米)で、当時ハリウッドで流行したスクリューボール・コメディの影響を受けた作りになっているそうですが、ジェーン・オースティンの小説に登場する姉妹(『高慢と偏見』の場合は5人姉妹)は、いい男が現われる度にどんどん恋にいつか晴れた日に1.jpg陥っていくので、何となく分かる気がします。

 この「いつか晴れた日に」も、原作はハーレクイン・ロマンスかと思ってしまうくらい、エリノア、マリアンヌ姉妹の前にエドワード、ブランドン大佐、ウィロビーいい男が次々と3人現れ、そこから紆余曲折の恋愛模様が展開されていきます。たとえハーレクイン・ロマンスみたいでも、演じる役者がしっかりしていて上手に演じていれば、王道を行く恋愛劇作品となり、さすがオースティン原作ということになる―ということではないでしょうか。
 
いつか晴れた日に エマ・トンプソン.jpg 長女エリノア役のエマ・トンプソンはイングランド出身で、ジェームズ・アイヴォリー監督の「ハワーズ・エンド」('92年/英・日)でアカデミー主演女優賞を受賞済み、同じくエマ・トンプソン グレッグ・ワイズ2.jpgジェームズ・アイヴォリー監督の「日の名残り」('93年/英)の演技でもアカデミー主演女優賞ノミネートされています(この「いつか晴れた日に」では英国アカデミー賞主演女優賞を受賞)。因みに、エマ・トンプソンは私生活では、1995年にケネス・ブラナーと離婚した後、同年この「いつか晴れた日に」で共演した、次女マリアンヌの想い人ウィロビー役のグレッグ・ワイズと交際を始め、2003年に再婚しています。

いつか晴れた日に    09.jpgいつか晴れた日に ケイト・ウィンスレット.jpg 次女マリアンヌ役のケイト・ウィンスレットもイングランド出身で、この作品の後、ジェームズ・キャメロン監督の「タイタニック」('97年/米)でレオナルド・ディカプリオと共演し、スティーブン・ダルドリー監督の「愛を読むひと」('08年/米・独)でアカデミー主演女優賞を受賞することになります。レオナルド・デカプリオより1歳年下ですが、若い頃から演技の天才などと呼ばれたレオナルド・デカプリオよりも、彼女の方が受賞は7年早かったことになります。(この「いつか晴れた日に」では英国アカデミー賞主演女優賞を受賞)。

いつか晴れた日に ヒュー・グラントSense-and-Sensibility-emma-thompson-.jpgいつか晴れた日に ヒュー・グラント.jpg エドワード役のヒュー・グラントは、こうした英国風映画には欠かせないイングランド出身の俳優で(個人的には ジェームズ・アイヴォリー監督の「モーリス」('87年/米)の演技が印象的だった)、英国アカデミー賞主演男優賞を受賞した「フォー・ウェディング」('94年/英)の時もそうでしたが、この映画でもちょっと優柔不断なところがある"いい人"が似合っています。
    
いつか晴れた日に アラン・リックマン.jpg ブランドン大佐役のアラン・リックマンは、この人もイングランド出身で、映画初出演だった「ダイ・ハード」('88アラン・リックマン .jpgダイハード 1988 アラン・リックマン2.jpg年/米)の冷酷無比なテロリスト集団のリーダー・ハンス役で一気に有名になりましたが、元々は英ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身の舞台俳優であり、この映画を観ているとそのことが感じられます。「ハリー・ポッター」シリーズのセブルス・スネイプ役も印象的でしたが、2016年に膵臓癌により69歳で死去したのが惜しまれます。

ヒュー・グラント/エマ・トンプソン    ケイト・ウィンスレット/アラン・リックマン
いつか晴れた日に l1.jpgいつか晴れた日に l2.jpg 脇役もいいですが、やはりこの4人の演技力が映画の完成度に寄与している部分が大きいです。ハリウッド映画ですが、グレッグ・ワイズまで含めて主要な配役の5人ともイングランド出身で、彼らの演技力を引き出したのが、台湾出身のアン・リー監督であるというのが興味深いです。
Sense and Sensibility (1995)
いつか晴れた日に_0.jpgSense and Sensibility (1995).jpg
「いつか晴れた日に」●原題:SENSE AND SENSIBILITY●制作年:1995年●制作国:アメリカ・イギリス●監督:アン・リー(李安)●製作:リンゼイ・ドーラン●脚本:エマ・トンプソン●撮影:マイケル・コールター●音楽:パトリック・ドイル●原作:ジェーン・オースティン「分別と多感」●時間:136分●出演:エマ・トンプソン/ケイト・ウィンスレット/ヒュー・グラント/アラン・リックマン/グレッグ・ワイズ/ジェマ・ジョーンズ/エミリー・フランソワ/ジェームズ・フリート/ハリエット・ウォルター/トム・ウィルキンソン/ロバート・ハーディ/エリザベス・スプリッグス/イモジェン・スタッブス/イメルダ・スタウントン/ヒュー・ローリー/リチャード・ラムズデン●日本公開:1996/06●配給:コロンビア・ピクチャーズ(評価:★★★★)

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教養主義へについての議論はあるが、今日に通じる話として読める普遍性がある。

君たちはどう生きるか Mh_.jpg 君たちはどう生きるか  岩波文庫.jpg 君たちはどう生きるか  ワイド.jpg 君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作).jpg 君たちはどう生きるか  マンガ.jpg
君たちはどう生きるか』『文庫 君たちはどう生きるか (岩波文庫)』『君たちはどう生きるか (ワイド版 岩波文庫)』『君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作)』『漫画 君たちはどう生きるか
君たちはどう生きるか_01.jpg 旧制中学二年の主人公のコペル君こと本田潤一は、学業優秀でスポーツも卒なくこなし、いたずらが過ぎるために級長にこそなれないがある程度の人望はある。父親は亡くなるまで銀行の重役で、家には女中が1人いる。コペル君は友人たちと学校生活を送るなかで、さまざまな出来事を経験し、大きな苦悩に直面したりしながらも、叔父さんをはじめ周囲の導きのもと成長していく―。

吉野源三郎.jpgNHK「おはよう日本 けさのクローズアップ~『君たちはどう生きるか』 いま"大人たち"が読む理由」(2017年11月26日(日))
君たちはどう生きるか 岩波文庫.jpg 作者の吉野源三郎(1899-1981)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリストなどの肩書があった人で、岩波新書の創刊(1938年)に携わり、雑誌「世界」の初代編集長なども務めた人物です。本書は1937年8月に山本有三編「日本少国民文庫」の第5巻として刊行された本で、80年の年月を経て2017年下半期にいきなりブームになりました。『日本少国民文庫』の最終刊として編纂者・山本有三が自ら執筆する予定だったのが、病身のため代わって作者が筆をとることになったとされていますが、『路傍の石』で知られる山本有三の教養主義小説(ビルディングスロマン)の系譜を引いている印象があり、苦難を乗り越えて立派な人間になるという主人公の意思の表出は、下村湖人などの作品にも通じるように感じました。

君たちはどう生きるか クロ現代01.jpgNHK「クローズアップ現代~2018 新たな時代へ "君たちはどう生きるか"」(2018年1月9日(火))

君たちはどう生きるか クロ現代20.jpg NHKの「おはよう日本」や「クローズアップ現代」などでも取り上げられて、読む前から話題沸騰といった感じでした。ただ、個人的には、作中で主人公の友人で進歩主義の姉が英雄的精神を強調する場面があるとか、特攻隊員だった若者が出陣前に本書を愛読していたとか聞いていてちょっと敬遠していた面もありましたが、今回のブームを機に実際に読んでみると、各章の後に、その日の話をコペル君から聞いた叔父さんがコペル君に書いたノートという体裁で、ものの見方や社会の構造・関係性といったテーマが語られる構成になっていて、件(くだん)の主人公の友人の姉が登場する章では、叔父さんは「人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ」という、バランスのとれたコメントをしていました。

 むしろ、その前の、「世間には、悪い人ばかりではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が少なくない」というコメントに象徴される、やや"上から目線"的な点が気になるでしょうか。作者は、本書はもともと文学作品として構想されたものではなく、倫理についての本として書かれた(岩波文庫版あとがき)としていますが、『グロテスクな教養』('05年/ちくま新書)などの著者のある高田里惠子氏によれば、本書は、教養主義の絶頂期にあった旧制中学校の生徒に向けて書かれた教養論でもあるとのこと。官立旧制中学の代表格であった東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)出身の著者により描かれた主人公たちの恵まれた家庭環境や高い「社会階級」に注目し、本書が「君たち」と呼びかける、主体的な生き方のできる(つまり教養ある)人間が、当時は数の限られた特権的な男子であったことを指摘しています。

君たちはどう生きるか_8.JPG そう言えば、NHK-Eテレの「100分de名著」で、この本をテキストとしてジャーナリストの池上彰氏が学校で出張講義を行っていますが、行った先が武蔵中学・高校ということで、やはり完全中高一貫の超進学校だからなあ(当然、男子校)。そういうのが鼻につく人もいるだろし、この本を矢鱈推奨している"文化人"っぽい人が鼻につくという人もいるかも。自分も当初はその一人でしたが、読んでみて、思ったほどに抵抗を感じなかったのは、最近こそ格差社会とか言われながらも、戦前と比べれば国民の生活水準もそこそこのレベルで平準化し、大学進学率もぐっと上がったためで、当時のそうした背景を気にしなければ、学校内でのいじめの問題など、今日に通じる話として読める普遍性を持っているせいかもしれません。

 そう言えば、ブームになるずっと前に、あの辛口評論の齋藤美奈子氏が、本書を若い人への「贈り物に」と薦めていました(齋藤美奈子氏も岩波文化人の系譜?)。個人的には、確かに若い人に読んで欲しいけれど、「読め」と押しつける本ではないのだろうなあと思います(「贈り物」というのはいいかも。「読んだか」と訊かなければ)。

 漫画版も読みましたが、よく出来ていたのではないでしょうか。叔父さんがコペル君に書いたノートがかなりのページ数に渡って引用されていて、本を読んだ気になる? 一方で、コペル君が遊びで早慶戦の実況中継をする箇所などは(当時はプロ野球より大学野球の方がメジャーだった)、今の時代に合わないと思ったのかばっさりカットされています(プロ野球に置き換えるよりはいい)。コペル君が、自らの勇気の無さから、意に反して友人を裏切ってしまった後、どうすればいいか悩む場面で、叔父さんにその答えを示唆される原作よりも、漫画ではどちらかと言うと自ら答えを導き出すニュアンスになっていて、この辺りは原作の欠点と言えばそうとも取れる"説教臭さ"を回避したのでしょうか。このことで、原作を改変していると不満を感じる人もいれば、原作より漫画の方を評価する人もいたりするようです。

 コペル君という綽名のきっかけとなった出来事の話などは良かったです。叔父さんに教えられなくとも、子どもの頃、そうした哲学的、認識論的体験をした人は結構いるのではないでしょうか。その他にも多くの哲学的・倫理学的示唆が叔父さんによってノートを通してなされています。児童文学の名著と言われるものの中には「読み方指導ガイド」みたいのが作られているものもありますが、本書に関して言えば、叔父さんのノートで充分ではないかな。そもそもこの物語自体が「こう読め」というものではなく、極力、自分で読んで、自分で感じたり考えたりするものだろうと思います(と言いつつ、池上彰氏の本を買ってしまったが)。

【1966年新書化[高校生新書(三一書房)]/1982年文庫化[岩波文庫]/1980年再文庫化[ワイド版岩波文庫]/2011年再文庫化[ポプラポケット文庫 日本の名作]】

《読書MEMO》
・人生の意味を知るには、心をうごかされたことの意味を正直に考えること
・見ず知らずの他人にも、生産関係で切っても切れない縁がある
・本当に人間らしい人間関係とは、お互いに好意をつくし、それを喜びとすること
・学問とは、人類の経験をひとまとめにしたもの
・学問を修め、人類がまだ解決できていない問題のために尽力すべき
・「生産する人」と「消費する人」という区別を見落としてはいけない
・過ちを苦しいと感じるのは、正しい道に従って歩こうとしているから

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上手いとは思ったが、ラストが...。吉田修一氏の芥川賞選評に最も共感させられた。

星の子.jpg今村 夏子 .jpg 今村 夏子 氏
星の子

 2017(平成29)年・第39回「野間文芸新人賞」受賞作。2017年上半期・第157回「芥川賞」候補作。2018年「本屋大賞」ノミネート作。

 物語の語り部「わたし」は中学3年生、林ちひろ。ちひろは未熟児で生まれ、生後半年目には原因不明の湿疹に苦しむ。両親は医者が薦める薬やあらゆる民間療法を試したが、効果はない。困り果てた父親は、勤務先の同僚がくれた「金星のめぐみ」という水を持ち帰り、助言どおりちひろの体を洗う。すると、ちひろの夜泣きが減り、2カ月目には全快したのだった。これを機に、両親は水をくれた同僚が所属する新興宗教にはまっていく。父親は会社を辞めて教団の関連団体に移り、母親は怪しい聖水をひたしたタオルを頭にのせて暮らすようになる。叔父が忠言しても両親は聞き入れず、家は転居するたびに狭くなり、ちひろより5歳年上の姉は家出する―。(版元サイトより)

 両親が怪しい新興宗教に嵌ってしまった家族の悲惨な転落話かなと思ってしまいましたが、主人公のちひろはそうでもないらしく、そのちひろの目から淡々と子供時代の日常が語られます。但し、そのちひろも中学3年生になると、その変化の兆しが見られます。

 このプロセスの描き方が上手いと思いました。但し、ラストはややもやっとした感じでしょうか。一部の読者は、ここから、ちひろが両親の自分への愛情を感じながらも、その両親と決別をする予兆を読み取ったようですが、果たしてそこまで読み取れるかなあと(この小説を「読者が忖度する作品」と言う人もいるみたい)。読み取りにくい分、やっぱりこの作品は、新しい家族の在り様といった前向きなものというよりも、新興宗教によって親子が分裂するか、或いは子どもさえも巻き込んでしまう、家族の悲劇ではないかなという気がしてしまいます。

 芥川賞の選評でも評価が割れたようで、小川洋子氏、川上弘美氏がその技量を買って推す一方で、高樹のぶ子氏、島田雅彦氏は推しておらず、高樹のぶ子氏は「会話のリフレインが冗長に感じられた」と技法面で否定的ですが、島田雅彦氏は、「語り手自身が問題系の内部に閉じ込められているために批評的距離を保てない。実はこの点に本作の企みがあり、また問題がある」としています。吉田修一氏も、「この小説は、ある意味、児童虐待の凄惨な現場報告である。本来ならすべての人間に与えられるはずのさまざまな選択権、自由に生きる権利を奪われ吉田修一氏2.jpgていく(物言えぬ)子供の残酷物語であり、でもそこにだって真実の愛はあるのだ、という小説である」とし、「力ある作品だと認めているのだが、ではこれを受賞作として強く推せるかというと、最後の最後でためらいが生じてしまう」としています(宮本輝氏も似たような理由で推していない)。吉田修一氏などは芥川賞作家でありながら、社会性の高い作品も書くため、特にそのように感じるのではないでしょうか。個人的には、吉田修一氏の選評に最も共感させられました。

 上手いとは思いますが、この作品が芥川賞に値するかとなると、ちょっとという感じ。作者は1980年広島県生まれで、 2010年に「あたらしい娘」で太宰治賞を受賞、 2011年に「こちらあみ子」で三島由紀夫賞を受賞、2016年には「あひる」が河合隼雄物語賞受賞し、第155回芥川賞の候補作になるなど躍進著しく、この作品が芥川賞候補になった背景には、そうした"ハロー効果"もあったように思います。

小谷野敦.jpg Amazon.comのレビューで小谷野敦氏が、「『こちらあみ子』『あひる』と衝撃作を出して期待の高まる作者だが、今回は失敗した。長くてしまりがない」としながらも、「芥川賞は、『あひる』と併せての受賞で差し支えなかったと思う」としていて、これは『こちらあみ子』と『あひる』のセットで芥川賞にすればよかったと言っているのでしょうか、それとも『あひる』とこの『星の子』のセットのことを言っているのか(『あひる』は既に候補になっているため、後者はありえないのだが)、よく分からない...。

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全員演技の素人。それでヴェネツィア国際映画祭グランプリだから、スゴイ演出力。
あの子をさがして dvd1.jpg あの子をさがして dvd0.jpg   「あの子を探して」ができるまで.jpg
あの子を探して [DVD]」「あの子を探して [DVD]」メイキング「「あの子を探して」ができるまで [DVD]

あの子をさがして00.jpg 河北省赤城県のチェンニあの子をさがして0.jpgンパオ村にある水泉(シュイチアン)小学校で1年から4年まで28人の生徒たちを教えているカオ先生(高恩満(カオ・エンマン))が、母親の看病のため、1ヵ月間小学校を離れることになった。放っておけば、多くあの子をさがして01.jpgの生徒が家庭の事情で学校をやめてしまう。代理としてチャン村長(田正達(チャン・ジェンダ))に連れてこられたのは、13歳の少女、ウェイ・ミンジ(魏敏芝(ウェイ・ミンジ))。中学校も出ていないミンジに、面接したカオ先生は心許なさを感じるが、子供たちに黒板を書き写させるだけの簡単なことならできるだろうと代理を任せる。報酬は50元。子供を一人も脱落させなければさらに10元。ミンジは、生徒に自習させて教室の外で座っているだけの「授業」を始めるが、うまくいくはずもなく、次々と騒ぎが起こる。特に生徒のホエクー(張慧科(チャン・ホエクー))は、隙を見て抜け出そうとしたり、女の子の日あの子をさがして07.jpg記を盗んで騒いだりといつもミンジを困らせていた。そんなある日、そのホエクーが突然学校に来なくなった。病気になった親の代わりに、町に出稼ぎに行ったという。脱落者を出すと報酬が減ってしまうと考えたミンジは、何とか連れ戻そうと策を巡らせるが、町を出るバス代がない。皆で話し合い、レンガを運んで金を稼ぐことになり、生徒たちも一生懸命働いてようやくミンジを送り出す。大きな町へ着くとホエクーは行方知れずだと聞く。彼女はなけなしの金をはたいて紙と筆と墨汁を買い、尋ね人のチラシを貼り出すが、ある男から「そんなものは無駄だ」と指摘される―。

 1999年製作の張芸謀(チャン・イーモウ)監督作で、原作は施祥生(シー・シアンション)の「空に太陽がある」。後に日本で「幸せ三部作」と呼ばれるようになる3作の第1弾で(この後に第2弾「初恋のきた道」('99年)、第3弾「至福のとき」('00年)と続く)、1999年・第56回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞し、同監督作では鞏俐(コン・リー)主演の「秋菊の物語」('92年)に次いで2度目の受賞でした。

あの子をさがして04.jpg 最初のうちは、ミンジには真剣に授業に取り組む気持ちも無く、彼女が町にホエクーを探しにいくのも、子供を一人でも脱落させれば、報酬にプラスして貰えるはずのあの子をさがして05.jpg10元がフイになってしまうことが動機になっているわけですが、町に行くために幾らのカネが必要で、レンガを幾つ運べばどれだけのカネが集まるかを生徒に計算させているうちに、だんだん先生っぽくなっていき、レンガ運びで生徒たちとの間にも一体感が生まれてくるのが面白かったです。この辺りは、コメディ的手法が成功していると言っていいのではないでしょうか。

あの子を探して 11.jpgあの子を探して 12.jpg しかし、町に着いてからもミンジのホエクー探しは難航し、彼女はホエクーと最後に別れたという少女にカネを払ってまでして情報を得ようとしていて、観ていて、ああ、もう自分の報酬のためとかでなくなっているなあというのが伝わってきます。本人は別にそう思って意識が変わったわけではなく、いつの間にかそうした意識になっているわけであって、この辺りも上手いと思いました。そして、ラスト近くのテレビを通しての涙ながらの訴え―これは泣けます。

あの子をさがして06.jpg メイキング(張芸謀監修・出演「『あの子を探して』ができるまで」(2002年))によると、出演者は全員、演技の素人であるとのこと。ミンジを演じた13歳の少女ウェイ・ミンジは、全国で2千人以上もの候補者の中から選ばれた河北省の中学校の生徒。ホエクーを演じた10歳のチャン・ホエクーも河北省の小学生で、村長もカオ先生もテレビ番組のキャスターも、実際に同じ職業の人々だそうです。監督は出演者全員にその状況に彼らが置かれたらどうするかを問い、彼らが答えたようにカメラの前で演じさせたとのことです。

あの子をさがして08.jpg 監督のインタビュー等によると、ミンジが、スタジオでキャスターからいろいろ問いかけられて何も答えられないでいた場面も、監督が予めミンジに「色々質問されるけれど、必ず答えなければいけない」と言って緊張させておいて、答えられない状況を作り出したということで、監督自身「テレビ局のある一面を風刺している場面になったと思います」と述べています。そのミンジが泣くシーンも、「どうしてもあそこで『ホエクー』って言って泣いてもらわなければならない。で、何をしたかと言いますと、耳元でこっそり囁きました。お父さんやお母さん、お姉さん、妹のことですね。彼女の家は非常に貧しいのです。ですから、そういうお家の状況を思い出して泣いてもらったのです」とのこと。スゴイ演出だなあ。

あの子をさがして09.jpg ややストレート過ぎてベタな印象もありますが、ラストの美談も含め、都市と農村の貧富の差が大きく、それが教育格差にもなっているという社会批判になっているようにも思います。中国語タイトルは「一个都不能少」、英語タイトルは"Not One Less"。ミンジは、残っている生徒をうっちゃっておいてホエクーを探しに行っているわけで、カンヌの審査員たちは当然のことながら、聖書の「迷える子羊」の話を想起したのではないでしょうか(改めて、上手く作られていると思う)。

あの子を探して03s.jpg「あの子を探して」●原題:一个都不能少/NOT ONE LESS●制作年:1999年●制作国:中国●監督:張芸謀(チャン・イーモウ)●製作:趙愚(ツァオ・ユー)●脚本:施祥生(シー・シアンション)●撮影:侯咏(ホウ・ヨン)●音楽:三宝(サンパオ)●原作:施祥生(シー・シアンション)「空に太陽がある」●時間:106分●出演:魏敏芝(ウェイ・ミンジ)/高恩満(カオ・エンマン)/張慧科(チャン・ホエクー)/田正達(チャン・ジェンダ)●日本公開:2000/07●配給:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント●最初に観た場所:渋谷・Bunkamura ル・シネマ(00-10-10)(評価:★★★★☆)

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「羅生門」「切腹」との類似(オマージュ?)。映像美的は飽きさせないが、演出は大味に。

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英雄 ~HERO~ スペシャルエディション [DVD]」章子怡(チャン・ツィイー)/梁朝偉(トニー・レオン)/李連杰(ジェット・リー)/陳道明(チェン・タオミン)/張曼玉(マギー・チャン)/甄子丹(ドニー・イェン)

hero_018.jpg 中国の戦国時代末期、後に始皇帝となる秦王(陳道明(チェン・タオミン))は刺客に狙われており、忠実な家臣を除いては常に百歩以内の距離には誰も近づけさせることはなかった。過去のとある一件以来、宮殿の中も刺客が人の中に紛れ込むことの無い様、宮殿の外を多くの衛兵が守りを固めているのとは対照的に、敢えてがらんどうにしていた。そんなある日、一本の槍と二本の剣を携えた無名(ウーミン)(李連杰(ジェット・リー))と呼ばれる名無しの男が刺客を倒したと告げ、宮殿にやってくる。槍と剣には、中国最強と言われる3人の刺客の名前が記されていた。そして彼は秦王の前で、槍の使い手・長空(チャンコン)(甄子丹(ドニー・イェン))、剣の使い手・残剣(ツァンジェン)(梁朝偉(HERO~英雄~ges.jpgHERO~英雄~s.jpgトニー・レオン)、残剣の恋人で同じく剣の使い手・飛雪(フェイシエ)(張曼玉(マギー・チャン))の3人の刺客を倒した経緯を語り始める。秦王は刺客を倒した褒美として無名に自分の側に近づくことを許すが、彼の話を聞いていくうちに不自然な何かに気付く―。

無名(ジェット・リー)/飛雪(マギー・チャン)・残剣(トニー・レオン)
如月(チャン・ツィイー)
HERO~英雄~05 チャン.jpg 2003年の張芸謀(チャン・イーモウ)監督による自身初の武術映画。台湾出身のアン・リー(李安)監督が、章子怡(チャン・ツィイー)らを起用して撮った「グリーン・デスティニー」('00年/中国・香港・台湾・米)で、トロント国際映画祭の最高賞「観客賞」や米アカデミー外国語映画賞を受賞したのに対抗したのでしょうか。こちらも、第53回ベルリン国際映画祭で特別賞(アルフレード・バウアー賞)を受賞するなどしています(チャン・ツィイーはこの映画にも、密かに残剣に恋する鴛鴦鉞の使い手・如月(ルーユエ)の役で出ていて、本作は結局、ジェット・リー、ドニー・イェン、トニー・レオン、マギー・チャン、チャン・ツィイーによる「5剣士」の物語となっている)。

HERO~英雄~ 09.jpg ジェット・リー演じる無明が語る話に虚構があり、そのことに気付いた秦王に促されて、同一人物に関する話が何度か異なった話として彼の口から語られ、それらが何れも映像となっています。従って、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞作した、黒澤明監督の「羅生門」('50年/大映)の実質的な原作は芥川龍之介の「藪の中」ですが、それと似た感じの、あたかも「羅生門」に対するオマージュのような構成になっていることは、多くの人が指摘しています。

無名(ジェット・リー)・飛雪(マギー・チャン)

HERO~英雄~  .jpg 但し、個人的には、まず最初に似ているなあと思ったのは小林正樹監督の「切腹」('62年/松竹)で、秦王の前で無名が3人の師客を倒した経緯を語るというのは、仲代達矢演じる津雲半四郎が、井伊家上屋敷に井伊家の3人の剣客の髷を持ってきて、家老・斎藤勘解由(かげゆ)(三國連太郎)に、無理矢理切腹させられた娘婿の仇である3人を斃した経緯を語るのとそっくりで、ラストもやや似ています(「秦王」と「家老」の物語における価値ポジションは、最終的に真逆のものとなるが)。「切腹」もカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞しているので、張芸謀監督も知っている作品であると思います(「切腹」へのオマージュも込められている(?))。

HERO~英雄~04.jpg 映像美的は飽きさせませんでした。「ストーリーを色彩で語る」をコンセプトに、赤は無名の語る創作の世界、青は秦王の語る想像の世界、緑は実際にあった過去の世界、白は真実の現在と分けられ、それぞれの色でエピソードが語られ、最HERO~英雄~012.jpg後にやっと真相が明らかになるという構成は凝っていた思います。雨の中で闘うシーンや、池や砂漠での戦闘シーンなどもたいへん美しかったです(カメラHERO~英雄~03.jpgは「花様年華」('00年/香港)のクリストファー・ドイル、衣装は、「乱」('85年/東宝)のワダ・エミ)。

HERO~英雄~9s.jpg 刺客達のワイヤーアクションやCGなどによる超絶的な技に関李陵・山月記22.jpgしては、物理的法則に反しているとか言わないことがもう"お約束"なのでしょう。中島敦の短編に「名人伝」というのがあって(『李陵・山月記 (新潮文庫)』所収)、名人同士が矢を放ってひじりがぶつかり合うといった場面があり、こうした極端な表現も中国では伝統的なのかもしれません。

HERO~英雄~06.jpg 但し、武術映画で且つCGを駆使して大掛かりに見せた分、個々の役者の演技が背景に埋没してしまって大味になった印象を受けました。それまでの作品で素晴らしい演出力を見せてきた監督が、折角トニー・レオン、マギー・チャンといった繊細な演技が出来る俳優を揃えながら、ちょっと勿体ない気がします(この2人はウォン・カーウァイ(王家衛)監督の「花様年華」('00年/香港)のコンビでもある。そのウォン・カーウァイも、トニー・レオン、チャン・ツィイー主演の武術映画「グランド・マスター」('13年/香港・中国)を撮っている)。

 CGの魅力(技術力・低コスト性)に抗しきれないというのは、「ジュラシック・パーク」('93年/米)で、恐竜の全体像をマイケル・クライトンの原作よりうんと早く観客に見せてしまったスティーヴン・スピルバーグが辿った道と同じでしょうか。張芸謀監督は2006年に、2年後に開催される北京オリンピックの開会式および閉会式のチーフディレクターに就任、2年間映画製作をせず、2008年の北京オリンピック開会式および閉会式の演出を行いましたが、後に開会式の演出において打ち上げられた花火の多くが事前に用意されたCG映像だったことが明らかとなっています。

「HERO」(「HERO~英雄~」)●原題:英雄/HERO●制作年:2002年●制作国:香港・中国●監督:張芸謀(チャン・イーモウ)●製作:ビル・コン/張芸謀●脚本:李馮/張芸謀/王斌●撮影:クリストファー・ドイルHERO~英雄~ro02.jpg●音楽:譚盾(タン・ドゥン)●衣装デザイン:ワダ・エミ●時間:99分●出演:李連杰(ジェット・リー)/甄子丹(ドニー・イェン)/梁朝偉(トニー・レオン)/張曼玉(マギー・チャン)/章子怡(チャン・ツィイー)/陳道明(チェン・タオミン)●日本公開:2003/06●配給:ワーナー・ブラザース(評価:★★★☆)
トニー・レオン/マギー・チャン/チャン・イーモウ/ジェット・リー/チャン・ツィイー/ドニー・イェン

グランド・マスター032.jpgグランド・マスター56.jpgトニー・レオンチャン・ツィイー
in「グランド・マスター」['13年/香港・中国]ウォン・カーウァイ(王家衛)監督

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"他者としてしか生きられない" インパーソネーターの哀しみ。
ミスター・ロンリー dvd.jpg    
ミスター・ロンリー [DVD]」 「ミスター・ロンリー」ザ・レターメン版

ミスター・ロンリー 00.jpg 大道芸人のマイケル(ディエゴ・ルナ)はマミスター・ロンリー 01.jpgイケル・ジャクソンのインパーソネーターとしてパリの路上で生計を立てるも、一向に生活が苦しくなるばかり。ある時、マリリン・モンローのような彼女(サマンサ・モートン)に出会う。彼女もマイケルと同じインパーソネーターであり、不器用で有名人になりきる事でしか生きられないのだった。そんな彼女に惹かれたマイケルはある日、彼女からスコットランドの古城に誘われる。そこには自分たちと同じようになりきる事でしか生きられない、様々なインパーソネーターたちによるコミュニティがあった。チャップリン、マドンナ、リンカーン大統領、ローマ法王、エリザベス女王、サミー・デイヴィスJr.、ジェームズ・ディーン、シャーリー・テンプルなどがいる夢のような理想郷だったが―。

サマンサ・モートン/ディエゴ・ルナ

ミスター・ロンリー  .jpg 「KIDS/キッズ」('95年)の脚本で世界中にセンセーショナルを巻き起こし、その後「ガンモ」('97年)や「ジュリアン」('99年)などで映画監督として活躍してきた(共に脚本も担当)ハーモニー・コリンによる2007年の監督作で、第60回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」出品作品です。英・仏・米の合作映画で、マイケルが路上でインパーソネーターをしているのがパリで、インパーソネーターたちによるコミュニティがあるのがスコットランド、彼らが模している人物が殆ど米国の有名人と、まさに3国入り交じっている感じです。

ミスター・ロンリー07.jpg 更には、マイケルを演じたディエゴ・ルナはメキシコ出身の俳優、マリリンを演じたサマンサ・モートンは英国出身(「マイノリティ・リポート」('02年))、チャップリンを演じたドニ・ラヴァンはフランス人俳優、神父を演じたヴェルナー・ヘルツォークはドイツの映画監督で(「フィツカラルド」('82年))、レナード役のレオス・カラックスはフランスの映画監督(「ポンヌフの恋人」('91年))、ローマ法王を演じたジェームズ・フォックスは英国の俳優(「日の名残り」('93年))、エリザベス女王を演じたアニタ・パレンバーグはイタリアの女優と多様です(サブストーリーとしてあるヴェルナー・ヘルツォークが演じる神父がいる修道院はどこの国かよく分からないし、ほぼ、無国籍映画と言っていいのでは)。

ミスター・ロンリー  .jpg 北千住のシネマブルースタジオで「自分の人生を生きる 特集」のラストを締め括る1本として上映されたのを観ましたが、この作品が最も特集のタイトルに沿っていました。主人公はマイケル・ジャクソンに憧れ、焦がれ、いつしか「マイケル」としてしか生きられなくなってしまってアイデンティティを見失い、日々ストリート・パフォーマーとして物真似をしながら生きている孤独な若者であり、そんな彼がマリリン・モンローのインパーソネーターと出会って、彼女の導きでコミュニティを訪れます。

ミスター・ロンリー08.jpgミスター・ロンリー05.jpg 当初は理想郷のようにも思えたコミュニ>ティでしたが、次第にそうでもないらしことが窺えるようになります。そこにいる"他者としてしか生きられない"インパーソネーターたちは常に神経症的であり、コミュニティがある種ヘイブン(避難所)乃至サナトリウミスター・ロンリー6.jpgム(療養所)のような機能を果たしているようにも見えます。彼らは、メンバー総出演の「史上最大のショー」を企画しますが、実施されたショーは、楽しいものというより、インパーソネーターがひたむきさに演じれば演じるほど、彼らの哀しみが滲み出てくるようなものでした(チャップリンが演じたのは「大酔(たいすい)(午前一時)」 ('16年/米)か。結構マニアック)。もとより観客もまばらで、興行的にも大失敗、そして遂にある悲劇が起き、それを機に、マイケルはパリに戻り、コミューンで出会った人々のことを回想しつつも新たな決断をします。

myAMERICA.jpgマイ・アメリカ.jpg かつて写真家・立木義浩氏の『マイ・アメリカ』('80年/集英社)という本を読んで、アメリカにはタレントのそっくりさんだけを集めたプロダクションがあり、チャップリン、ウッディ・アレン、チャールズ・ブロンソン、ロバート・レッドフォードなど多くの"有名人なりきり人間"(当時まだインパーソネーターという言葉は日本に入って来ていない)がいるということを知りました。著者は、ロスにあるモンローのそっくりさんの住まいを訪ね、それが侘びしいアパートであることにちょっとしんみりさせられます。それでもカメラを向けると彼女自身はモンローになり切ってしまうので、おかしいというより哀しい気分になったというのを、この映画を観て思い出しました。
マイ・アメリカ―立木義浩ノンフィクション (1980年)

ミスター・ロンリー 0.jpg タイトル通りの「ミスター・ロンリー」の曲がオープニングシーンからよくマッチしています。予告編のキャッチは「かりものの人生の、ほんものの幸せ」。月並みですが、人は皆、いつか自らの孤独と向き合わなければならない時が来るといったところでしょうか。たとえ、コミュニティで"永遠の子供"のように暮らしていたとしても。但し、ハーモニー・コリン監督は、コミュニティに残るの者や死んでいった者ミスター・ロンリーes.jpgにも、暖かい視線を注いでいるように思えました。いい映画でしたが、ところどころで挿入されるノン・パラシュートでスカイダイビングする修道院のシスターたちの"奇跡"と"悲劇"のエピソードは、やや寓話的すぎて理解しにくかったでしょうか。

三ばか大将1.jpg三ばか大将.jpg三ばか大将図2.jpg インパーソネーターたちの中に「三ばか大将」のそっくりさんもいて、ちょっと懐かしかったです。マイケル・ジャクソンが幼少時に「三ばか大将」の大ファンだったのは有名で、特にデブのカーリーのものまねをしていたと明言しています(このカーリーを演じた喜劇役者は、1952年に48歳の若さで死去し、日本で放送されたころには既に亡くなっていたことを最近知った)。

「三ばか大将」The Three Stooges(ABC 1949~52(第1期))○日本での放映チャネル:日本テレビ(1963.06~64.11)

ミスター・ロンリーc2.jpg「ミスター・ロンリー」●原題:MISTER LONELY●制作年:2007年●制作国:イギリス・フランス・アメリカ●監督:ハーモニー・コリン●製作:ナージャ・ロメイン●脚本:ハーモニー・コリン/アヴィ・コーリン●撮影:マルセル・ザイスキンド●音楽:ジェイソン・スペースマン/サン・シティ・ガールズ(イメージソング:「ミスター・ロンリー」(1964年発売)ボビー・ヴィントン)●サマンサ・モートン Samantha Morton.jpgミスター・ロンリー06.jpg時間:111分●出演:ディエゴ・ルナ/サマンサ・モートン/ドニ・ラヴァン/ヴェルナー・ヘルツォーク/レオス・カラックス/ジェームズ・フォックス/ジョセフ・モーガン/アニタ・パレンバーグ ●日本公開:2008/02●配給:ギャガ・コミュニケーションズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-01-16)(評価:★★★☆)

Samantha Morton

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レナード&ポール・シュレイダー兄弟の東映ヤクザ映画への思い入れが感じられる作品。

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ザ・ヤクザ [DVD]」高倉健/ロバート・ミッチャム

ザ・ヤクザ 01.jpg ロスで私立探偵をしているハリー・キルマー(ロバート・ミッチャム)は旧友のジョージ・タナー(ブライアン・キース)から、日本の暴力団・東野組に誘拐された娘を救出してほしいと依頼される。タナーは海運会社を営むマフィアで、武器密輸の契約トラブルで東野組と揉めていたのだ。東野が殺し屋・加藤次郎(待田京介)をロスに送り、4日以内にタナー自身が日本に来なければ娘の命はないと通達、タナーは、かつて進駐軍憲兵として日本に勤務していた旧友のハリーに相談したのだ。ハリーは日本語が堪能な上、田中ザ・ヤクザ es.jpg健(高倉健)という暴力団の幹部と面識があった。健はハリーに義理があり、東野との交渉もうまく行くだろうというのがタナーの目算だった。ハリーは20年ぶりに東京へ向い、ボディガードで監視役のダスティ(リチャード・ジョーダン)がこれに同行する。ハリーとタナーの共通の友人で、日本文化に惹かれ、大学で米国史を教えるオリヴァー・ウィート(ハーブ・エデルマン)の邸に滞在することになる。ハリーはバー「キルマーハウス」を訪れる。戦後の混乱時に田中英子(岸惠子)と知り合い、子連れの英ザ・ヤクザ .jpg子が娼婦にならずに済んだのもハリーの愛情のお蔭だった。実は英子の夫・健が奇跡的に復員し、健は妻と娘が受けた恩義を尊び、二人から遠去かったのだが、ハリーには健と英子は兄妹だと話していた。軍命で日本を去る際にハリーはタナーから金を用意してもらい、バーを英子に与えたのだった。娘・花子(クリスティーナ・コクボ)も今は美しく成長し、ハリーを歓迎する。ハリーは健に会いに京都に向かう。健はヤクザの世界から足を洗い、剣道を教えていたザ・ヤクザ05.jpgが、義理を返すために頼みを引き受ける。タナーの娘が監禁されている鎌倉の古寺に忍び入って娘を救出、今度は健の命が東野組に狙われる。ハリーはタナーが東野と手を握り、自分たちを裏切ったことを知る。東野組がウィート邸に殴り込みをかけ、目の前で花子とダスティが殺される。タナーを射殺したハリーは健と共に、賭場を開いている東野邸に殴り込む―。

The_Yakuza_1974_.jpg 1974年のシドニー・ポラック監督作で、脚本は、2年後に「タクシードライバー」('76年)の脚本を手掛け、後に「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS」('85年)を監督するポール・シュレイダー、原作は、その兄で、1969年~1973年の5年間、同志社大学と京都大学で英文学を教え、義侠の世界に興味を持ち、実在の暴力団にも出入りしたレナード・シュレイダーです。レナード・シュレイダーは帰国後、当時の東映ヤクザ映画を元にこの映画の原作を書いています。

 一方、弟のポール・シュレイダーは本当は脚本だけでなく監督もやりたかったのが、この作品で脚本家デビューしたばかりの無名であったためにそれはならず、但し、この脚本を気に入ったワーナー・ブラザーズは彼に監督の選択権を委ねていたそうで、シドニー・ポラックに決まる前に、フランシス・フォード・コッポラやニコラス・ローグにも依頼していたそうです。結局、大御所シドニー・ポラックが監督することになりましたが、その前に、ロバート・アルドリッチに監督のオファーが行ったものの、リー・マーヴィンを起用したいと考えたロバート・アルドリッチと会社側と折り合いがつかず、ロバート・ミッチャムに声が掛かかり、更に、創作上の違いから結局ロバート・アルドリッチが監督を降りたという経緯があります。ロバート・アルドリッチは代わりに、同じ男性アクション映画でも、極々アメリカ的な作品「ロンゲスト・ヤード」('74年)を撮ることになった)。

ザ・ヤクザ2s.jpg レナード&ポール・シュレイダー兄弟の東映ヤクザ映画への思い入れが感じられる作品です。とりわけレナード・シュレイダーはやくざ世界と任侠道についてきちんとリサーチをした上で原作を書いていていて、シドニー・ポラック監督もシュレイダー兄弟の意向をできるだけ汲んで映画化した模様です。従って、日本を舞台にしたハリウッド映画にありがちな、実態と乖離したへんてこりんなジャポニズムは殆ど見られなかったように思います(日本で米国史を教え、日本の歴史研究にも関心があるというオリヴァー・ウィートのモデルは、原作者のレナード・シュレイダー自身か)。

ザ・ヤクザ3s.jpg シドニー・ポラック監督自身も日本のヤクザ映画を研究したらしく、日本のヤクザ映画でよくみかけるショットなども結構あったように思います(東映のスタッフが制作に関わっている)。菅原文太の「仁義なき戦い」シリーズが1973年にスタートしていますが、むしろ参考にしたのは、ヤクザの美学や様式美の色合いがまだ濃く残る、高倉健主演のザ・ヤクザ1s.jpg「昭和残侠伝」シリーズではないでしょうか(レナード・シュレイダーは帰国後に東映ヤクザ映画を60本ぐらい米国の映画館で観たらしい)。ロバート・ミッチャム演じるハザ・ヤクザ kisi .jpgリーが、自分を裏切ったタナーを射殺した後、東野邸に単独で殴り込みをかけようとする田中健に同行するのは、「昭和残侠伝」シリーズにおける池部良の役どころと重なります。日本のヤクザ映画の"道行"のパターンを踏襲しているわけですが、日本人俳優と外国人俳優の組み合わせであってもその形がさほど崩れておらず、目だった違和感がないのは、ロバート・ミッチャムの演技力に負うところも大きいように思いました(岸恵子もほどよくバタ臭いところがあるし...)。

ザ・ヤクザ the-yakuza.jpgザ・ヤクザ7.jpg でも、全体としては、やはり高倉健の映画という感じです(高倉健はロバート・ミッチャムの次にクレジットされている)。殴り込みも、"主戦場"で闘っているのは高倉健で、岡田英次演じる敵方のボスを殺った後も、一人で何人ザ・ヤクザ1-1.jpgもの相手をしていて、ロバート・ミッチャムは拳銃とライフルで周辺でそれをアシストするのみです。最後は負傷でへたり込んで、ラストの待田京介演じる殺し屋との勝負にも手は出しません。最後に主人公が怒りをザ・ヤクザm.jpg爆発させて暴れまくり、それが観る側にカタルシス効果を生むのはヤクザ映画のお決まりですが、アメリカ人が観たら少しフラストレーションを感じるかも。実際、興行的にはアメリカでは失敗作だったようですが、後にクエンティン・タランティーノなどによって再評価されて自身の作品でオマージュが込めれたり(「キル・ビル」('03年))、ミンク監督、スティーヴン・セガール主演でリメイク作品が作られたりしています(「イントゥ・ザ・サン」('05年))。

ザ・ヤクザ 海外版.jpgザ・ヤクザ 01.jpg-the-yakuza-1.jpg「ザ・ヤクザ」●原題:THE YAKUZA●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督・製作:シドニー・ポラック●脚本:ポール・シュレイダー/ロバート・タウン●撮影:岡崎宏三/デューク・キャラハン●音楽:デイヴ・グルーシン(挿入歌:「ONLY THE WIND」作詞:阿久悠)●原作:レナード・シュレイダー●時間:122分●出演:ロバート・ミッチャム/高倉健/ブライアン・キース/ハーブ・エデルマン/リチャード・ジョーダン/岸惠子/岡田英次/ ジェームス繁田/待田京介/クリスティーナ・コクボ/汐路章/郷鍈治/植村謙二郎 /ヒデ夕樹●日本公開:1975/03●配給:ワーナー・ブラザース(評価:★★★☆)

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渋くてカッコいい、そしてどこか物悲しいアラン・ドロン像を確立した作品。

サムライ 00.jpgサムライ ドロン _.jpg サムライ ドロンdvd1.jpg サムライ ドロン dvd2_.jpg サムライ ドロン_.jpg
サムライ(字幕版)」「サムライ [DVD]」「サムライ [DVD]」「映画パンフレット 「サムライ」 監督/脚色 ジャン・ピエール・メルビル 出演 アラン・ドロン/ナタリー・ドロン/カティ・ロジエ/フランソワ・ペリエ/ジャック・ルロワ

サムライ1.jpg 殺し屋のジェフ・コステロ(アラン・ドロン)は、コールガールの恋人ジャーヌ(ナタリー・ドロン)にアリバイを頼むと、仕事場のクラブへ向った。ジェフの仕事はクラブの経営者を殺すことであり、仕事はいつものように寸分の狂いもなく完了するが、廊下で黒人歌手バレリー(カティ・ロジエ)に顔を見られてしまう。警察は動き出し、クラブの客や目撃者の証言で、ジェフも署に連行され、面通しが行なわれた。目撃者の大半は、ジェフが犯人だと断定するが、バレリーサムライ2.jpgだけはなぜかそれを否定し、アリバイのあるジェフは釈放される。だが、主任警部(フランソワ・ペリエ)は依然ジェフが怪しいと睨み、尾行を付ける。ジェフは巧みに尾行を巻くと、仕事の残金を受けとるために、殺しの依頼を取りついだ金髪のサムライ3.jpg男(ジャック・ルロワ)と会うが、男はいきなり巻銃を抜いて、ジェフは左手を傷つけられる。残金を貰えぬどころか殺されそうにさえなったジェフは、殺しの依頼主を突きとめるべく、偽証をして彼を庇ってくれたバレリーを訪れっサムライages.jpgるが、バレリーの口は堅かった。やむなく帰ったジェフの部屋に金髪の男がいて、男はうって変た態度で殺しの残金を渡すと、新しい仕事を依頼する。ジェフは、隙をみて男に飛びかかり、巻銃を突きつけ依頼主の名を聞き出す。大掛かりな尾行網をぬけジェフは、男から聞き出したオリエビ(ジャン=ピエール・ポジェ)なる依頼主を訪ね、射殺する。オリビエの部屋はバレリーのすぐ隣であり、オリビエはバレリーを通じて自分の正体がばれるのを恐れて、バレリー殺しをジェフに依頼したのだった。クラブでピアノを弾くバレリーの前にジェフが現われ、ジェフが拳銃を握った瞬間―。

サムライ4.jpg 1967年公開のジャン=ピエール・メルヴィル監督のフレンチ・フィルム・ノワールで、アラン・ドロンが侍を思わせる暗殺者を演じ、ウォルター・ヒル監督の「ザ・ドライバー」('78年/米)から北野武監督の「ソナチネ」('93年/松竹)まで後世の多くの作品に影響を与えたとされる作品であり、ナタリー・ドロンの映画デビュー作品でもあります。但し、何と言ってもアラン・ドロンの映画であり、ジャン=ピエール・メルヴィル監督はこの作品の後もアラン・ドロンと組んで、「仁義」('70年/仏)、「リスボン特急」('72年/仏・伊)を撮っていますが、この「サムライ」と「仁義」が佳作ではないかと思います。

サムライes.jpg 例えば、冒頭のアラン・ドロン演じるジェフが、車を盗む際に持ち合わせたキーの束にを選ぶシーンなどは、派手さは無いですが緊張感があり、ジェフがメトロを乗り継いで女性警察官の尾行を巻くシーンなどもそうです。そう言えば、1つ1つのシーンをじっくり撮っていて、ジェフが警察で容疑者として"面通し"を受けるシーンや、金髪サムライges.jpgの男に撃たれた左手の傷を自力で治療するシーン、或いは、刑事たちがジェフの部屋に盗聴器を仕掛けるシーンなども、"普通の映画"的に短縮したり割愛したりせず、リアルタイムで撮っています。それが"冗長感"とならず"緊張感"に繋がっているところに、この監督の持ち味があるように思いました。

サムライ ドロンs.jpg三島由紀夫.jpg ジェフの描き方もいいです。彼自身は無口ではあるが、飼っている小鳥を心の友としているようでもあり("侵入者センサー"としても飼っていた?)、三島由紀夫が指摘したようにニヒリストではないということでしょう。むしろ、ナタリー・ドロン演じる恋人ジャーヌへの優しい想いを抱き、また、カティ・ロジ演じる自分を庇ってくれたバレリーにも恋愛感情に似た想いを抱いたのではないでしょうか。

Le Samouraï 1967 Alain Delon and Cathy Rosier.jpg 彼は、自分を裏切った雇い主に対してきっちり落とし前をつける一方で、バレリーに対しては、ラサムライ 1967mw7.jpgストで「借り」を帳消しにしたとも言えます。また、「武士道とは死ぬことと見つけたり」言いますが、ラストで、バレリーがいるクラブに入っていく際に、クロークの女性(カトリーヌ・ジュールダン)から預かり札を受け取っていないことから、死に場所を求めていた風にもとれます。
Samurai (1967)
サムライ@._V1_.jpgSamurai (1967).jpg 原題も"Le Samouraï"。映画の始めに「サムライの孤独ほど深いものはない。ジャングルに生きるトラ以上にはるかに孤独だ」という『武士道』からという文句が出てきますが、実はメルヴィルが創作した言葉のようです。アラン・ドロンは脚本が気に入ってすぐに出演のオファーを受諾したそうですが、このジェフ役を演じることで、渋くてカッコいい、そしてどこか物悲しいアラン・ドロン像を確立したように思います。アラン・ドロンが後に、自らが化粧品ブランドを立ち上げた際に、香水に「サムライ」の名前を付けていることから、アラン・ドロン自身この作品をかなり気に入っていたのではないかと思われます。

サムライs.jpg「サムライ」●原題:LE SAMOURAI●制作年:1967年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=ピエール・メルヴィル●製作:ジョルジュ・カサティ●撮影:アンリ・ドカエ●音楽:サムライ カティ ・ロジェ.jpgフランソワ・ド・ルーベ●原作:アゴアン・マクレオ●時間:105分●出演:アラン・ドロン/フランソワ・ペリエ/ナタリー・ドロンカティ・ロジェ/ジャック・ルロワ/ミシェル・ボワロン/アンドレ・サルグ(ガレ)/ロベール・ファヴァール/ジャン=ピエール・ポジェ/カトリーヌ・ジュールダン/ロジェ・フラデ/カルロ・ネル/ロベール・ロンド/アンドレ・トラン /ジャック・デシャン/ピエール・ヴォディエ●日本公開:1968/03●配給:日本ヘラルド映画(評価:★★★★)

《読書MEMO》
●三島由紀夫の「サムライ」評
「『サムライ』は、沈黙と直感と行為とを扱った、非フランス的な作品で、言葉は何ら重要ではなく、情感は久々の濡れたようなパリの街の描写をアラン・ドロンの哀愁に充ちた目で尽くしている。この映画が殺し屋の沈黙の中に充填したエネルギーは、たしかに密度が高い。それは何らニヒリズムではない。情熱でもない。キリッとした、手ごたえのある、折目節目の正しい行動の充実感である」(三島由紀夫『映画論集成』より)

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主人公が好きになれないが、突き放して読もうとしつつもリアルに考えさせらるのが作者の巧さ。

猿の見る夢.jpg猿の見る夢01.jpg
桐野氏.jpg 桐野 夏生 氏

 薄井正明、59歳。元大手銀行勤務で、出向先ではプチ・エリート生活を謳歌している。近く都内に二世帯住宅を建築予定で、十年来の愛人・美優樹との関係も良好。一方、最近は会長秘書の朝川真奈のことが気になって仕方ない。目下の悩みは社内での生き残りだが、そんな時、会長から社長のセクハラ問題を相談される。どちらにつくか、ここが人生の分かれ道―。帰宅した薄井を待っていたのは、妻が呼び寄せたという謎の占い師・長峰。この女が指し示すのは、栄達の道か、それとも破滅の一歩か―。(版元サイトより)

孤舟.jpg終わった人 .jpg 雑誌「週刊現代」の2013年8月10日号から21014年9月6日号に連載された小説で、推理小説だはありませんが、主人公である中年男性の人間心理をリアルに描いていて、面白かったと言っていいと思います。会社を定年退職した男性の虚無感や焦りのようなものを描いた小説に、故・渡辺淳一の『孤舟』('10年/集英社)や内館牧子氏の『終わった人』('15年/講談社)がありましたが、渡辺淳一の『孤舟』の主人公が浮気願望があるのに対して、こちらは実際に愛人がいて、内館牧子氏の『終わった人』の主人公は大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍となり、そのまま定年を迎えたのに対し、こちらも同じく大手銀行の出身ですが、今のところ出向先でもそこそこ上を狙える地位ます。そうした状況であることもあってか、自分で自分自身のことをかなり上のクラスに属する人間だと思っていて、このタイプの男性って世の中には結構いるだろうなあと思われ、すごくリアリティを感じました。

 一方で、読み終えて何か残るかと言うと、それほどのものでもないような気もしなくもありません。最大の原因は、十年来の愛人に「女房は既得権があるから」などと言っている主人公に十分に感情移入できないせいかもしれません。妻が夢占い師である長峰みたいな女性にマインドコントロールされれば嫌気もさすとは思いますが、愛人の美優樹を「みゆたん」と呼んでいるのは情けない。しかも、美優樹を会長秘書の朝川真奈と比較して、欲求のままに自分勝手な夢を見ている様は、タイトル通り"猿の見る夢"さながらです。

 男の愚かさを描いた裏返しのフェニミズム小説かとも思いましたが、主人公の妻も怪しい夢占い師・長峰を猿が蛙を祀るがごとく奉っていて、これはもう「人間群像・悲喜劇」として読むしかないかなあと。一旦そう思えば、また面白くも読めましたが、ずーっとその悲喜劇が続いていくのが結構しんどくも感じられました。でも、作者の小説らしいと言えばそう言えるでしょうか。

猿の見る夢s.jpg 予定調和にしないところも作者らしいですが、もともと好きにはなれない主人公ではあるものの、それでもちょっと気の毒になるくらい主人公を苛めていて、それでいて帯に作者の「これまでで一番愛おしい男を書いた」とのコメントがあり、やや違和感を覚えました(ネットで同じような感想が見受けられた)。苛めた分だけ愛おしいということなのかなあ。

 帯にはそれより大きな文字で。「あの女さえいなければ。」とありますが、確かに長峰という夢占い師はまさに"ホラー"だったなあと。やっぱり、この占い婆さんが一番強烈な印象を残したかも。こんな婆さんにつけ込まれる時点で、夫婦の箍(たが)が既に緩んでいるか外れてしまっているということなのだろなあ―とか、「人間群像・悲喜劇」として突き放して読もうと思っても、やっぱりリアルに考えてしまう小説でした。そう読ませるのは、作者の力量のなせる業でしょうか(なんでこんなに男性心理がわかるのだろうか)。

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シリーズ第1作。ドラマにはなっていない木枯し紋次郎の誕生秘話。

赦免花は散った1.jpg 赦免花は散った 時代小説文庫.jpg 木枯し紋次郎 (一) 赦免花は散った (光文社文庫) .jpg 時代小説傑作選-upq.jpg 木枯し紋次郎2.jpg
『赦免花は散った―木枯し紋次郎股旅シリーズ』『赦免花は散った―木枯し紋次郎 (1981年) (時代小説文庫〈36〉)』『木枯し紋次郎(一)~赦免花は散った~ (光文社文庫)』『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選 (宝島社文庫 「この時代小説がすごい!」シリーズ)』「木枯し紋次郎」(中村敦夫)
挿画:岩田専太郎
赦免花は散った_2岩田専太郎.jpg 宝島社の「『この時代小説がすごい!』が選ぶ!時代小説ベストテンアンケート」第2位。

天保6年、渡世人の紋次郎は、母親の死に目を看取りたいという幼馴染みで兄弟分の左文治の罪を代わりに被って、三宅島に流罪になっている。三宅島の囚人たちはみな飢えに苦しんでいて、島からの脱出を試みたりしている。脱出が未遂に終わって、島を出られなかった者は、銃殺されていくのだった。紋次郎の赦免花は散った02岩田専太郎.jpg島での同居人・清五郎ほか、捨吉、源太、お花の4人組も、脱出を企てている。差し迫った三宅島の火山噴火の機を狙い、その混乱に乗じて脱出しようということだ。一時的な身代わりとして島に来ている紋次郎はこの計画に加わらないつもりだったが、新たに島に来た流人から、左文治の母親は9か月前、紋次郎が小伝馬町の牢内にいる頃に亡くなっていたことを知らされ、自分が左文治に裏切られたことを知って、4人組の島脱出計画に加わることにする―。

「赦免花は散った」は「小説現代」1971(昭和46)年3月号に発表された作品で、「帰ってきた紋次郎」シリーズまで入れると28年間、全113編にもなる「紋次郎もの」の第1作、始まりの作品です。そのデビューが流刑島としての三宅島だったというのはやや意外でした。いきなり、島における悲惨を極める流人生活が克明に描写され、島流しが「遠回しの死刑」といっていいほどに、肉体的にも精神的にもギリギリまで追い詰められる地獄の刑罰であることを物語っています。

紋次郎は、島に流される時に、自分の後追いするように自殺した両替屋の「お夕」のことを毎日供養の気持ちで思ってみたり、三宅島では「お夕」と同じ名前の流人の妊婦の世話をしたりしますが、紋次郎が世話した島の「お夕」は子連れ自殺したために紋次郎の気遣いは報いられることなく、また、最終的には、もう1人の「お夕」にも左文治と通じ合って自分を裏切っていたことを知ることになり、日々の供養もまた無意味だったことを知るに至ります。

島からの脱出行で、清五郎、捨吉、源太、お花の4人組は生存本能剥き出しの獣のような争いとなり、結局、紋次郎だけが江戸に帰還して左文治と対峙します。お腹の中に左文治の子がいるというお夕の訴えを退け、「もう、騙されねえぜ!」と一喝して左文治を仕留め、お夕には「お夕さん、甘ったれちゃあいけませんぜ。赦免花は散ったんでござんすよ」と言い捨てます。

「赦免花」とは蘇鉄の花のことで、流刑の島では蘇鉄の花が咲くと赦免船がやって来るという言い伝えが根拠のないまま自然発生的に流布されており、そのことに由来する呼び名です。と言っても、今ここで「赦免花は散ったんでござんすよ」と言ってもお夕には何のことだか分かるはずもなく、紋次郎自身、なぜ自分がそう言い捨てたのか分からないでいます。但し、その後に、「しかし、それでもよかった。赦免花は散ったと口にした瞬間から、紋次郎は新しい自分になったような気がしたのだった」と続きます。

まさに、虚無感漂うアンチ・ヒーロー木枯し紋次郎の誕生の瞬間であり、当エピソードは紋次郎誕生秘話と言えるものですが(当時紋次郎は30歳で、渡世の道に入って14年という設定らしい)、翌'72年1月1日からフジテレビ系列でスタートした中村敦夫主演のテレビドラマ「木枯し紋次郎」では、全38話を通じてこのエピソードは映像化されていないようです('77年から'78年にかけて東京12チャンネルで放映された「新 木枯し紋次郎」全26話についても同様)。"誕生秘話"という特殊な位置づけであるだけに、通常のシリーズの中には入れにくいのでしょう。一方で、中島貞夫監督、菅原文太主演の映画「木枯し紋次郎」('72年/東映)がこの「赦免花は散った」を原作としているとのことで、初の時代劇出演だった菅原文太の紋次郎がどのようなものだった観てみたい気もします

木枯し紋次郎3.jpg木枯し紋次郎 .jpg「木枯し紋次郎」●演出:市川崑/森一生/手銭弘喜/大洲斉/出目昌伸/小野田嘉幹 他●プロデューサー:浅野英雄/阪根慶一/大岡弘光/小嶋伸介●脚本:服部佳/久里子亭(和田夏十、市川崑)/山田隆之/大野靖子/大藪郁子 他●撮影:宮川一夫/森田富士郎●音楽:湯浅譲二(主題歌「だれかが風の中で」(作詞:和田夏十、作曲:小室等、編曲:寺島尚彦、歌:上條恒彦)●原作:笹沢左保●出演:中村敦夫/森内一夫/森下耕作/美樹博/(以下、非レギュラー)小川真由美/小池朝雄/植田峻/二瓶康一/原田芳雄/加藤嘉/藤村志保/大出俊/香川美子/常田富士男/赤座美代子/野川由美子/小松方正/浜村純/鰐淵晴子/阿藤海(快)/小山明子/太地喜和子/(ナレーター)芥川隆行●放映:1972/01~05、1972/11~1973/03(全38回)●放送局:フジテレビ

【1981年文庫化[富士見書房・時代小説文庫(『赦免花は散った―木枯し紋次郎』)]/1997年再文庫化[光文社文庫(『木枯し紋次郎(一)~赦免花は散った~』)]/2016年再文庫化[宝島社文庫(『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選』)]】

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時代小説においてこれほど途方もないアイデア(状況設定)に出会うことは稀有。

国を蹴った男 文庫.jpg 国を蹴った男 講談社.jpg 時代小説傑作選-upq.jpg
国を蹴った男 (講談社文庫)』『国を蹴った男』『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選 (宝島社文庫 「この時代小説がすごい!」シリーズ)

国を蹴った男 03.jpg 2012(平成24)年・第34回「吉川英治文学新人賞」受賞作。2012(平成24)年下半期・第148回「直木賞」候補作。宝島社の「『この時代小説がすごい!』が選ぶ!時代小説ベストテンアンケート」第1位。

 京の鞠師・五助は、訳あって京を出て、駿河の今川家のお抱え鞠職人になる。今川家当主・氏真は、桶狭間の戦いで織田信長に討たれた今川義元の子で、今は三河の家康の庇護下にあり、名人並みの鞠足の持ち主だった。その、上洛して、家康の同盟者にして「父の仇」でもある信長に京都の相国寺で謁見し、信長の前で蹴鞠を披露することになる。そんな折、五助に今の妻を世話してくれた商人・籠屋宗兵衛が、石山本願寺の意向を受けて、蹴鞠に火薬を仕込んで信長を暗殺する計画を五助に告げる。すでに五助の妻子は人質にとられており、妻子を救うには信長暗殺計画に手を貸すしかない五助だったが―。

 宝島社が、毎年、その年に刊行された時代小説のベストランキングを発表し紹介している『この時代小説がすごい!』のランキングアンケート投票によって選出された短編時代小説のオールタイムベストの第1位作品。ベストテンアンケート投票者は評論家、ライター、編集者など24人で、1人で10位まで投票し、第1位に10点、第2位には9点...第10位には1点、というかたちで累計するもので、59点を獲得し、第2位の笹沢佐保「赦免花は散った」の42点を17ポイント上回っての第1位でした。因みに作者は、この作品の前に「城を噛ませた男」で直木賞候補(第146回)になり、この作品の後も「巨鯨の海」(第150回)、「天下人の茶」(第155回)で候補になっています。

 物語にあるように、氏真が1575(天正3)年3月20日に信長の前で蹴鞠を披露したというのは『信長公記』ある史実で(但し、氏真が同年に詠んだ歌428首を収めた『今川氏真詠草』にはこの会見に関する感慨は記されていない)、翌月に長篠の合戦があり、その後の残敵討伐で、諏訪原城(牧野城)の城主となった氏真は、城主の座を降り(解任され)鞠と和歌に生きる余生を送ることになります。当然のことながら、物語における蹴鞠による信長暗殺計画は未遂に終わり、氏真はそうした計画があったことすら知らなかったことになっていますが、それでは五助はどうしたのか、五助の妻子の命はどうなったのか―。

 短編集『国を蹴った男』は、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉などの権力者に翻弄されつつも、自らの信念を貫いた者たちを描いた作品群で、表題作であるこの「国を蹴った男」のテーマそうです。但し、「国を蹴った男」の場合、主人公が武士ではなく蹴鞠職人であり、主人と武士道的な主従関係というよりは蹴鞠を通した友情のようなもので結ばれていながら、その行為は主人を守るためなら自らは命を投げ出すことも厭わないとする、武士以上に覚悟の座ったものです。しかも、何ら恩寵や名誉の見返りのないものだけに感動させられます。

女城主直虎   今川氏真1.jpg この作品はまた、人物造型解釈がユニークです。今川氏真は文化人で蹴鞠の名手でしたが、誰もが天下を狙う時代に暢気に歌を詠み、鞠を蹴っているうちに今川家を滅亡させてしまった公家趣味の暗愚な殿様というイメージがあります。しかし、この作品では、蹴鞠職人・五助の目を通して、氏真の一見暗愚に見える気質の根底にある気高さや柔軟な思考をも描いており、五助が忠誠を寄せるに足る人物となっています。

直虎 今川氏真s.jpg こうした描き方は、今年['17年]のNHKの大河ドラマ「女城主 直虎」においても、尾上松也演じる今川氏真が、最初は浅丘ルリ子演じる祖母・寿桂尼の後見に敷かれて政務をする内に遊興に耽るようになったダメ当主として描かれていたのが、終盤は、独自の割切りで、一代だけだったものの今川家を存続延長させ、自らは好きな芸術の世界に身を転じ余生を永らえた、戦国大名としてはユニークな生き方をした人物としてむしろ肯定的に描かれていることにも通じるように思います(この作品が「直虎」における氏真"再評価"の先直虎 今川氏真    .jpg鞭となった?)。作者がこの作品を書いた頃は(つい5年前だが)、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れたにも関わらず今川氏真が戦国の時代を生き延びた経緯というのが一般にはあまり知られていなかったのではないでしょうか。直木賞選考委員の桐野夏生氏は、「私は、時代背景や当時の状況など、もう少し説明が欲しいと思うところがある」としています(これは短編集全体に対する講評)。但し、これを説明し始めると、かなり複雑で長くなり、短編作品としてのキレが失われたかもしれないと思います。

女城主直虎   今川氏真2.jpg 更にこの作品の白眉とも思えるのは、作中の蹴鞠競技を、通常8人4組制で行われるのを、1人で競うのが好きな信長の意向で変則的な4人4組制にして、信長の相手として氏真の他に、信長に同行した三河の松平家康と、たまたま傍に控えていた羽柴藤吉郎秀吉を加えていることです。籠屋宗兵衛の思惑通り鞠に仕掛けた爆薬が爆発すれば、石山本願寺が望んだ信長暗殺だけでなく、氏真、家康、秀吉も爆死する可能性があり、五助の氏真への思いはともかく、信長、家康、秀吉の3人が同時に、或いはその内の誰かが命を落とすことになるかもしれない状況を作りだしている点です。同時にこの部分は、暗殺の実現可能性という面でネックにもなるようにも思いますが(狙い通り信長が死ぬとは限らず、実質ロシアン・ルーレット状態になってしまう)、それを割り引いて考えても、時代小説においてこれほど途方もないアイデア(状況設定)に出会うことは稀有なように思いました。

【2015年文庫化[講談社文庫]/2016年再文庫化[宝島社文庫(『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選』)]】

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久しぶりに観直してみて改めて原作のスゴイ技巧(幾つものリフレイン)に気づいた。。

二十日鼠と人間(1992).jpg二十日鼠と人間.jpg 二十日鼠と人間(1992)es.jpg 
二十日鼠と人間 [DVD]」ジョン・マルコヴィッチ/ゲイリー・シニーズ

二十日鼠と人間(1992)011.jpg 1930年の大恐慌時代のカルフォルニア。小柄で頭の切れるジョージ(ゲイリー・シニーズ)と、巨漢だが知恵遅れのレニー(ジョン・マルコヴィッチ)の2人は、農場から農場へ渡り歩きながら労働に明け暮れる日々を送っていた。レニーは気持ちの優しい男だが、他愛のない失敗でよく面倒に巻き込まれるのが日常茶飯事だった。そんなレニーを聡明なジョージは何かと庇い、レニーは行動の全てをジョージに指示してもらい頼りきっていた。いつかは牧場主になるという夢を楽しそうに語る2人。そして彼らは、次の働き場所タイラー牧場へと向かうが―。

ハツカネズミと人間.jpg二十日鼠と人間(1992)02.jpg 1992年公開作で、原作は1937年に出版されたジョン・スタインベック(John Steinbeck、1902‐1968/享年66)の小説で、文庫本で150ページ弱です。このシンプルで中身の濃い作品を、当時気鋭のゲイリー・シニーズが監督し、製作・主演も兼ねています。ゲイリー・シニーズは元々演出家として評価され、この「二十日鼠と人間」も自らが舞台演出した後の映画化作品です。

二十日鼠と人間(1992)01.jpg  昔ビデオで観たのを、今回DVDで観直しました。ジョン・マルコヴィッチは当時から演技が上手いと思っていましたが、やはり上手い。一方、ゲイリー・シニーズの方は、監督が主演も兼ねると気負い過ぎてダメになるケースもあるのでどうだったかなと思いましたが、観直してみたら、ジョン・マルコヴィッチと甲乙つけ難いほどの名演技でした。大男と小男の話なので、身長183センチのジョン・マルコヴィッチと身長175センチのゲイリー・シニーズで、原作のイメージほどの"高低差"ではないなあと思いましたが、観ているうちにそんなことはどうでもよくなったほどでした。

 久しぶりに映画を観て、改めて原作の技巧に気づきました。キャンディ老人(レイ・ウォルストン)が、自分が飼っていた老犬の最期を他人であるカールソンに任せたことを、後で「自分がやるべきだった」と悔いたところが、ジョージとレニーとの最後のシーン(ジョージは、レニーの人間としての矜持を、自分にできる最善の方法で保たせてやりたかった二十日鼠と人間(1992)06.jpgということなのだろう)と重なる伏線となるわけで、これははっきり覚えていましたが、その他にも、レニーが〈二十日鼠〉の死体を持ち歩いていたこと(自分の手で圧死させてしまったのかもしれない)と、結果として短期間しか飼えなかった〈子犬〉の死、そして終盤の〈カーリーの妻〉(シェリリン・フェン)の死と、3度にわたって事故死が繰り返されていたのだなあと。更には、2人が今の農場に流れてくる原因になった、レニーが前の農場で女性の着ている服の〈光沢〉のある生地に魅せられた結果生じたトラブルと、レニーが今度はカーリーの妻の髪の毛の〈光沢〉に魅せられて、彼女からの誘惑もあって、結局それが悲劇に繋がるという、ここでもリフレインが効いています。つまり3通りものリフレインがあるわけですが、何れも後の方がより重大な結果を招いており、リフレインとリフレインが"相似形"的な関係になっています(何という技巧か!)。

二十日鼠と人間(1992)04.jpg ジョージはラストで、レニーと共にいることが自分の生きがいになっていたことに改めて(初めて?)気づいたのではないでしょうか。原作は、ラストの悲劇の後、全てを見通したスリムがジョージに気遣いする一方で、共に立ち去る2人を見てカーリーとカールソンは首を傾げるといった終わり方になっていて、スリム、ジョージの2人とカーリー、カールソンの2人が、全く別のタイプの人間として明確に線引されることを効果的に印象づけているように思いました。同時に、ジョージがもう農場をあちこち移動することなく、スリムと同じ道を辿り、更にはスリムの後継となることを暗示しているように思いました。

 一方、映画では、ジョージが逃走したレニーを探す際にカーボーイハットを藪の中へ捨てる(落とす(?))場面があり、カウボーイハットは農夫・牧童の象徴であることから、ジョージは農夫を続けることもしないとの見方もあるようです。この場合は、農夫を辞めて何かをするというよりは、農夫として働くのは将来の夢を実現させるためで、その夢はレニーと共にあった夢だったので、レニーを失った今、これから何をしていいのか真っ暗闇状態にあるということなのでしょう(実際、映画ではラスト、ジョージは暗闇の中で貨物列車に乗る)。

二十日鼠と人間(1992)05.jpg 概ね原作に忠実に作られていましたが、黒人であるがために厩に住まわされているクルックス(ジョー・モートン)をカーリーの妻がなじるシーンが無かったなあ。ゲイリー・シニーズは舞台から映画に入ったわけですが、この作品の原作そのものが小説でありながら演劇的でもあり、このクルックスも出番は短いながら重要な役割を担っていたように思います。但し、ジョー・モートンの演技そのものは良く、老犬を飼うキャンディ老人役のレイ・ウォルストンもそうですが、脇役まで演技達者で固めているという点でも、演劇的な映画でした。

二十日鼠と人間 the farm.jpg 二十日鼠と人間55f2.jpg 二十日鼠と人間f9c71de.jpg

二十日鼠と人間 000.jpg「二十日鼠と人間」●原題:OF MICE AND MEN●制作年:1992年●制作国:アメリカ●監督:ゲイリー・シニーズ●製作:ゲイリー・シニーズ /ラス・スミス●脚本:ホートン・フート●撮影:ケネス・マクミラン●音楽:マーク・アイシャム●原作:ジョン・スタインベック●時間:115分●出演:ゲイリー・シニーズ/ジョン・マルコヴィッチ/レイ・ウォルストン/シェリリン・フェン/ジョー・モートン/アレクシス・アークエット/ジョン・テリー/モイラ・ハリス●日本公開:1992/12●配給:MGM映画=UIP(評価:★★★★)

"Of Mice and Men" from Iron Age Theatre(舞台劇「二十日鼠と人間」)
Of Mice and Men 1.jpg Of Mice and Men 3.jpg

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カズオ・イシグロの「探偵小説」風「母子もの」とでも言えるか。ラストは切ない。

わたしたちが孤児だったころm.jpg わたしたちが孤児だったころim.jpg
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)』『わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)
"When We Were Orphans"
When We Were Orphansド.jpgわたしたちが孤児だったころges.jpg 1923年夏、大学を卒業したクリストファー・バンクス(わたし)は、探偵になるという子供の頃からの夢を胸にロンドンに住んでいた。あるパーティで魅力的な女性サラ・ヘミングスに出逢うが、彼女は有名な男を追いかける性癖があり、探偵として売り出し中の彼に彼女の方から接近してくる。ある日彼女は大きな晩餐会に出入りできるよう彼を利用しようとするが、彼が拒否したため強引に中に入り、将来の夫となるサー・セシルに取り入ることに成功する。彼女は、つまらない男と添って人生を無駄にしたくないと言う。そして自分は孤児であると。クリストファーも子供の頃過ごした上海で両親が行方不明になった孤児だった。上海時代の親友はアキラという日本人の少年で、彼と毎日のように遊んだ。クリストファーの母は美しく、高い理想の持ち主で、夫の勤める会社がアヘンを輸入していることに心を痛め、反対運動に尽力し、父は母の期待に応えられないことに苦悩していた。反対派の一人フィリップおじさんはよく家に来てクリストファーと遊んでくれ、クリストファーも彼が好きだった。ある日突然その父が失踪する。後に、ある事件の調査中、クリストファーは軍閥の重要人物ワン・クーの写真を手に入れるが、それは父の失踪後まもなく家に来て母に罵られた男だった。この出来事の後、クリストファーがフィリップおじさんに連れられ買物に出ている間に、母までもが失踪したのだ。彼は英国の叔母の元に預けられ、以来アキラとは会っていない。後にクリストファーは両親を亡くした気丈な少女ジェニファーを養女にする。1937年、世界は戦争に向けて転がりだし、彼はそんな世界を自分が救わなくてはと感じ、上海で自らの使命が解決されると信じる。同じ頃、セシルと妻のサラも上海へと移る。クリストファーは、両親はアヘン事件に関わって誘拐され、いまだに拘束されていると信じ、助け出せば世界も救えると思っている。ジェニファーは彼の妄想を見抜いていた。上海でイエロースネークと呼ばれる情報提供者に会えるよう打診するが、役人からは色よい返事はない。日本軍の砲撃は既に始まっていた。セシルは影響力を失って賭けごとに溺れ、クリストファーはかつて両親の失踪事件を担当していたクン警部を探し出す。警部はひどく落ちぶれていたが、手掛かりを思い出したら連絡すると約束してくれた。そんな折、サラからセシルと別れるから一緒に駆け落ちしてほしいと頼まれ、彼は同意する。その直後にクン警部から両親が幽閉されているであろう場所について連絡が入り、彼はサラを残してその場所に向かう。そこは日本軍との戦闘地帯になっていて、中国軍将校の助けを得て瓦礫の街を進むが、将校は途中で帰り、彼は一人戦場を彷徨う。迷路のような地形の中、重傷を負って倒れている日本兵を見つけ、きっとあれはアキラだ、一緒に両親を助け出すために来てくれたのだと思う。アキラに似た男の道案内で目的の建物に辿り着くが、そこは半ば破壊され、二人は日本軍に捕まり、アキラらしい男は情報を流した罪で逮捕され、クリストファーは領事館に送り返される。ここで彼はフィリップおじさんと再会し、おじさんから、両親失踪事件の真相を知らされる―。
"When We Were Orphans"
When We Were Orphans.jpgわたしたちが孤児だったころ』.jpg 2017年のノーベル文学賞受賞者となったカズオ・イシグロの2000年に刊行された作品で(原題:When We Were Orphans)、長編第5作にあたり、作者は発表時45歳です(作者はその後、63歳でのノーベル賞受賞までに、長編は『わたしを離さないで(Never Let Me Go)』と『忘れられた巨人(The Buried Giant)』の2作しか発表していない)。本作は出版と同時にベストセラーとなったほか、英米で評論家などからも高く評価され、ブッカー賞とウィットブレッド賞にノミネートされています。但し、作者のこれまでの作品『日の名残り(The Remains of the Day)』や『わたしを離さないで(Never Let Me Go)』のように映画化される予定は今のところないようなので、ややストーリーを詳しく書きました(「上海の伯爵夫人(The White Countess)」('05年/米)という作者のオリジナル脚本を映画化した作品があり、1930年代の上海が舞台で、しかも日中戦争前後を描いているが、本作とは全く別の話である)。

 面白く読め、こんなに面白くていいのかなという印象も(ラストは重けれども)。体裁はあたかも、子どもから大人へと成長した主人公が過去の両親失踪事件の謎を解決する「探偵小説」のようにも見えますが、作者は「週刊文春」2001年11月8日号の対談「阿川佐和子のこの人に会いたい」で、「最初はアガサ・クリスティ的な英国の典型的な探偵ものを書こうと目論んでいたのがなかなかその通りにいかなくて(中略)探偵ものにこだわるのはやめた」と述べており、終盤にフィリップおじさんによる「謎解き」のようなものはあるものの、物語を構成する上で「探偵小説の形を借りた」と言った方が適切かと思われます。探偵小説として読んでしまうと、メインストーリーはともかく、「わたしたちが孤児だったころ」の「たち」という言い方の元になっている、主人公と同じ孤児であるサラやジェニファーについての記述は謎解きの伏線になってはおらず、結局サラの行く末は事後譚で語られ、ジェニファーもこの先どうなるのかよく分からないままで終わっています。

 更に、終盤の主人公が上海の日本軍との戦闘地帯を彷徨う様は夢現(ゆめうつつ)状態のような感じで、両親がその近くに拘束されているという主人公の確信も、両親の失踪が10数年前だったことからすれば全く根拠はなく、また、主人公は日本兵を見つけ、それをアキラだと思い込むなど、表現上は殆ど幻想文学の世界に入っている感じがしました。(因みに、作者の『充たされざる者(The Unconsoled)』は全編、カフカ的な幻想小説と言えるのではないか)。

 それでいてやはり「探偵小説の形を借りて」いるわけであって、探偵である主人公が何か自力で謎解きをしたわけではないですが、ラストでフィリップおじさんから、ちょうど「探偵小説」のラストのように、衝撃の事実が明かされます。その事実は切なかったです。そして、ラストの再会―こうした場面は、個人的にはどこか既視感がありました。これ、カズオ・イシグロの母子ものと言うか、そう言えば、谷崎潤一郎にも「母を恋うる記」というのがあり、山口瞳が自分の母親について書いた『血族』などもそうした系譜の作品でしたが、男はみんなマザコンなのか(?)。その意味でこの作品は一部「日本的」な感じもしますが、一方で、「英国的」な探偵小説の要素を織り込むことで、ラストも切ないことは切ないですが、日本的なウェットな感じではなく、意外と乾いた読後感の作品に仕上がっているように思いました。

 『日の名残り』『わたしを離さないで』同様、語り手が自らの記憶を辿っていきながら、過去を見つめ直す話でもあります。もしかしたら、われわれは皆、過ぎ去った過去の人生において精神的に取り戻したい何かを抱えているのかもしれません。『日の名残り』も『わたしを離さないで』もそうですが、読み手の日常生活とかけ離れたシチュエーションを描きながら、読者をそうした普遍的な思いに駆りたてる作品でもあり、それがラストの切なさにつながっていると思います。

【2006年文庫化[ハヤカワepi文庫]】

《》
●カズオ・イシグロのこれまで発表した長編小説 (出版年 邦題 原題)
1982年 遠い山なみの光 A Pale View of Hills
1986年 浮世の画家 An Artist of the Floating World
1989年 日の名残り The Remains of the Day
1995年 充たされざる者 The Unconsoled
2000年 わたしたちが孤児だったころ When We Were Orphans
2005年 わたしを離さないで Never Let Me Go
2015年 忘れられた巨人 The Buried Giant

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あり得ない話なのだが、リアルな描写と凝ったプロットで引き込まれた。

月の満ち欠け 佐藤正午2.jpg月の満ち欠け 佐藤正午3.jpg月の満ち欠け.jpg  佐藤正午 .jpg 佐藤正午 氏
月の満ち欠け 第157回直木賞受賞』(2017/04 岩波書店)

 2017(平成29)年上半期・第156回「直木賞」受賞作。

 八戸在住で60歳過ぎになる小山内堅は、東京駅のホテルで、18歳で亡くなった娘・小山内瑠璃の高校時代の親友だった女優の縁坂ゆいと、その娘・るりの親子に会う。「どら焼き、嫌いじゃないもんね。あたし、見たことあるし、食べてるとこ。一緒に食べたことがあるね、家族三人で」と初対面の少女・縁坂るりは小山内に向かって言い放つ。彼女は「あたしは、月のように死んで、生まれ変わる」と言うのだ。目の前にいるこの7歳の娘が、いまは亡きわが子だというのか?小山内を含めた3人の男と転生を繰り返す少女の、30余年に及ぶ人生、その過ぎし日々が交錯し、幾重にも織り込まれてゆく―。

小説の読み書き.jpg 1955年生まれの作者(佐世保在住)にとって、デビューから34年目での「直木賞」受賞作で、受賞時の年齢61歳10ヵ月というのは歴代第7位ですが、かなり高齢に感じられるのは、やはり既に作家として名を成しているためでしょうか。岩波書店からは『小説の読み書き』('06年/岩波新書)という本も出していたりして、内容的には小説の読み方書き方を人に押し付けるものではないですが、こうした本を著すというのはそれなりに作家として出来上がっているということではないかと思います。デビュー作以来32年ぶりの文学賞受賞作が前作の『鳩の撃退法』('14年/小学館)(山田風太郎賞)ということで、ここにきて"賞づいた" 感じもします(因みに『鳩の撃退法』の主人公は直木賞作家だったが今は小説を書いていない男)。そして、本作『月の満ち欠け』は実際面白かったです。この"面白さ"(言い換えれば"エンタメ性")は、かなり戦略的に練られた効果であるようにも思いました。
小説の読み書き (岩波新書)』['06年]

 人は何度も生まれ変わるという輪廻転生をモチーフにしていますが、作者によれば、着想はナボコフの小説「ロリータ」で、中年男が少女に恋をする話の逆で行こうとし、そのままだと嘘っぽいので、それに「生まれ変わり」の設定を加えたとのことです。シュールで現実にはあり得ない話ですが、リアルな描写を積み重ねていく文章の上手さと、複雑な設定が組み合わさったプロットの巧みさで、引き込まれるように読み進むことができました。

 直木賞の選評では、9人の選考委員の内、浅田次郎、伊集院静、北方謙三、林真理子の各氏が強く推したようで、4人が◎だと、これでほぼ決まりという感じでしょうか。浅田次郎氏が「熟練の小説である。抜き差しならぬ話のわりには安心して読める大人の雰囲気をまとっており、文章も過不足なく丁寧で、どれほど想像力が翔いてもメイン・ストーリーを損うことがない」とし、伊集院静氏が「本来、小説には奇妙、摩訶不思議な所が備わっているものであるが、これを平然と、こともなげに書きすすめられる所に、作者の力量、体力を見せられた気がする」と評しており、この両氏の選評がしっくりきました。ストーリーでどこか破綻しているところはないかとも思いましたが、積極的に推さなかった桐野夏生氏さえ、「構成は怖ろしく凝っていて巧みだ」としているので、読んでいて時系列的な経緯が掴みにくかった部分は多少ありましたが、これでストーリー破綻はないのだろうなあ。

 気がついてみたら、語りの時間は東京駅付近で午前10時半に始まり午後1時すぎまでの3時間弱の間に収まっていて、この中に34年強の物語が詰まっているという構成も上手いと思いましたが、一方で、そうなると、最後の章が必要だったのかどうか(蛇足ではなかったか)と迷うところです。北方健三氏は、最終章と言うより最後の一行について、「本来ならば切れ味と言われるところに、微妙な作為を感じてしまったのだが、それが欠点だという確信は持てなかった」としています。

 『小説の読み書き』でも川端康成の『雪国』、志賀直哉の『暗夜行路』、森鴎外の『雁』といった文学作品を取り上げていて、ミステリっぽい作品がありながらもどちらかと言うと文芸作家というイメージもあったのですが(岩波書店から本を出しているせいもあるかも。本作は岩波書店から刊行された本としては、芥川賞・直木賞を通じて初の受賞作)、改めて、この作家ってストーリーテラーだったのだなあと。帯に「二十年ぶりの書き下ろし」「新たな代表作」とあるだけのことはあって、十分に"凝って"いました。作者は、直木賞に決まって「うれしいより、ほっとした」とのこと。但し、授賞式は欠席しています(その理由には、「(佐世保から長崎までの)長旅で仕事ができなくなるのでは、元も子もない」と体調面での不安を挙げているがどうなんだろう)。

高田馬場・稲門ビル4.jpg 「3人の男」の小山内堅以外のあとの2人は三角哲彦と正木竜之介という男ですが、三角哲彦の若い頃の物語で、高田馬場の東映パラスと早稲田松竹が出て来るのが懐かしかったです。"懐かしかった"と言っても早稲田松竹はまだありますが、稲門ビル4階にあった東映パラスは1999(平成11)年頃閉館し、今は居酒屋「土風炉」になっています。

稲門ビル

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「花様年華」の監督らしいカンフー映画(伝記映画)になったが、詰め込み過ぎで焦点がぼけた。

グランド・マスター poster .jpgグランド・マスター dvd.jpg グランド・マスター .jpg
グランド・マスター [DVD]」チャン・ツィイー(中国)/トニー・レオン(香港)

 1930年代中国。中国南部広東佛山の武術家・葉問(イップ・マン)(トニー・レオン(梁朝偉))が四十歳の頃、佛山に北部東北の八卦掌の宗師(グランドマスター)・宮宝森(ゴン・パオセン)(ワン・チンシアン(王慶祥)がやって来る。引退を考えている宝森は「自分は北の技を南に伝えたので、今度は南の技を北に伝えて欲しい」と言い、自分に勝った南部の武術家を南の代表とすると告げる。南の武術家の中から選ばれた葉問はこれに応えて宝森の試しに合格し代表となるグランド・マスター 06.jpgも、宝森ととも佛山を訪れていた宝森の娘の宮若梅(ゴン・ルオメイ)(チャン・ツィイー(章子怡))がグランド・マスターs.jpg異を唱え、葉問に試合を申し込む。葉問は若梅と試合い、試合いを通じて二人は心を通わせて、若梅は葉問を認める。若梅は父と共に東北に帰り、葉問と若梅は手紙を交し合うようになる。やがて準備の整った葉問は東北を訪れようとした時、日中戦争が勃発する―。

チャン・ツィイー、ウォン・カーウァイ(第8回アジアン・フィルム・アワード授賞式)
映画「グランド・マスター」が7部門で受賞.jpgグランド・マスター59.jpg 2013年のウォン・カーウァイ(王家衛)監督映画で、2014年・第38回香港国際映画祭「アジア・フィルム・アワード(第8回)」において、最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀女優賞(チャン・ツィイー)、最優秀音楽賞(梅林茂)など14部門中7部門で最優秀賞を受賞、2014年・第33回「香港電影金像奨」でも最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀主演女優賞、最優秀助演男優賞(マックス・チャン)を受賞した作品です。

葉問 ブルース・リー.jpg 原題は「一代宗師」。香港の武術家でブルース・リーの師匠でもあった葉問(よう もん、イップ・マン、1893-1972)がモデルで、この葉問をモデルにした映画には、ウィルソン・イップ監督、ドニー・イェン主演のイップ・マン・シリーズ3作(「イップ・マン 序章」('08年/香港)、「イップ・マン 葉問」(10年/香港)、「イップ・マン 継承」('15年/香港))やハーマン・ヤオ監督、デニス・トー主演の「イップ・マン 誕生」('08年/香港)、同じくハーマン・ヤオ監督でアンソニー・ウォン主演の「イップ・マン 最終章」('13年/香港)などもあります(ここ何年かブームっぽい印象)。

グランド・マスター03.jpg 「恋する惑星」('94年/香港)、「花様年華」('00年/香港)のウォン・カーウァイ監督が、同じくトニー・レオン主演でカンフー映画を撮ったらどうなるのだろうか、しかも今回の相手役は「初恋のきた道」('99年/中国)のチャン・ツィイーということで期待されましたが、いかにも「花様年華」の監督らしいカンフー映画(武術映画)になったかなという感じです。

グランド・マスター 09.jpg カンフー・アクションもありますが、しっとりとした美しい映像が続き、米雑誌「TIME」が発表した「2013年の映画ベスト10」では5位と高評価されたように、ウォン・カーウァイらしい映像美学が前面に出ています(1936年当時の娼館"金楼"のセットなどは凝っていた)。但し、欲を言えば、ストーリーの方をもう少し上手く作って欲しかったように思います。

グランド・マスター20a00.jpg 主要な役どころでは、ルオメイの父の敵役の馬三(マーサン)を演じたマックス・チャン(張晋)はカンフー俳優で(ウィルソン・イップ監督の「イップ・マン 継承グランド・マスター チャン・チェン.jpg」('15年/香港)にも出演している)、一線天(カミソリ)を演じたチャン・チェン(張震)は、台湾出身ですが(ウォン・カーウァイ監督の「ブエノスアイレス」('97年/香港)にも出演している)、中国武術・八極拳の全国大会で優勝経験もあり、トニー・レオンも、イップ・マンの最後の直弟子ダンカン・リョンから4年間にも及ぶ直接指導を受けたとのことです。それでもこの監督ですから、アクションを純粋に突き詰めただけの作品にならないことはほぼ予想通りでした。

チャン・チェン(張震)(一線天(カミソリ))

グランド・マスター チャン・チェン5.jpg しかし、結局は作品としてのテーマが、ルオメイの復讐劇だったのか、彼女の技の継承の問題だったのか、彼女のイップ・マンに対する恋心だったのか、あまりに沢山盛り込み過ぎて、やや焦点がぼけてしまった感じです。説明不足な所は説明不足で、チャン・チェン演じる一線天(カミソリ)などは、本筋の話とどう絡むのかが分かりにくかったです(日本に協力し満洲国奉天の協和会長となった敵役のマーサンに対して、中国国民党の特務機関所属の暗殺者として最前線にいたカミソリという対比か。最後は理髪店の店主になったようだが、床屋業の傍ら技を後世に伝えた?)。

グランド・マスター 07.jpg トニー・レオン演じるイップ・マンは、カンフーの技比べの場面でもいつも余裕の表情で、チャン・ツィイー演じるルオメイの十数年ぶりのグランド・マスター56.jpg告白を聴く時も穏やかな表情で、いくら抑制の効いた演技といっても、ちょっと現実ありえない?(好きな俳優なのでまあいいか)。チャン・ツィイーは、アン・リー(李安)監督 の「グリーン・デスティニー」('00年/中国・香港)の時からすれば、カンフーはかなり様になっている印象を受けました(「グリーン・デスティニー」の時は、いかにもワイヤーに吊られているという感じがしたが、あれから13年かあ)。

グランド・マスターed.jpg 男女が運命的に出会いその思いが行き違うのは、「花様年華」に似ているように思いますが、戦争に最も翻弄されたのは、韓国の人気女優・ソン・ヘギョ(宋慧敎)が演じた、先に東北に行って結局あとから来るはずだったイップ・マンと離れ離れになった妻の張永成(チャン・ヨンチェン)のようにも思えます。

 実際には葉問(イップ・マン)が1949年に香港に亡命した後、最初の2年間は大陸と香港の往来は自由であり、家族はしばしば葉問のもとを訪れていますが、1951年元日から大陸と香港の国境が突如封鎖され、家族に会えなくなった葉問は、その後1人の女性と暮らし始め、女性との間に息子を設けています。一方、1960年に妻の張永成が亡くなったのは映画にもある通りですが(彼女は佛山で亡くなっている)、1962年に長男と次男がともに香港へ密航し、父・葉問と再会を果たしています。葉問は1972年12月1日に、九龍・旺角通菜街の自宅で79歳で死去、その波瀾万丈の生涯を終えています。

 一応「伝記映画」ということになっているらしいです。ウィルソン・イップ監督、ドニー・イェン主演のイップ・マン・シリーズ3作の方が、カンフー映画としては面白いのかもしれないですが、こちらも「実話」を基にしたと謳いながら、どんどん史実から外れてきているので(イップ・マン・シリーズでは葉問の妻・張永成は夫と離別死しないなど)、共に葉問を主人公としながらも、片や「カンフー映画」、片や「伝記映画」ということで、バッティングはしないとの考えから作られた作品ではないでしょうか(ウォン・カーウァイ監督としては、自分は武侠映画でもここまで撮れるという自負の発露でもあったとは思うが)。

マギー・チャン/トニー・レオン花様年華」(2000)チャン・ツィイートニー・レオンHERO」(2002)
花様年華002.jpg トニー・レオン/チャン・ツィイー「HERO」(2002).jpg
チャン・ツィイー初恋のきた道」(1999)ミシェル・ヨー/チャン・ツィイーグリーン・デスティニー」(2000)
初恋のきた道 チャン011.jpg CROUCHING TIGER, HIDDEN DRAGON22.jpg

グランド・マスター  .jpgグランド・マスター3.jpg「グランド・マスター」●原題:一代宗師/THE GRANDMASTER●制作年:2013年●制作国:香港・中国●監督:ウォン・カーウァイ(王家衛)●製作:ウォン・カーウァイ/ジャッキー・パン・イーワン●脚本:ゾウ・ジンジ/シュー・ハオフォン/ウォン・カーウァイ●撮影:フィリップ・ル・スール●音楽:梅林茂/ナタニエル・グランド・マスター チャン・チェン2.jpgメカリー●時間:123分●出演:トニー・レオン(梁朝偉)/チャン・ツィイー(章子怡)/チャン・チェン(張震)/マックス・チャン(張晋)/ワン・チンシアン(王ソン・ヘギョとチャン・ツィイーt.jpg慶祥)/ソン・ヘギョ(宋慧敎)/チャオ・ベンシャン(趙本山)/ユエン・ウーピン(袁和平)(アクション指導も)●日本公開:2013/05●配給:ギャガ(評価:★★★)

ソン・ヘギョ(韓国)とチャン・ツィイー(中国)
2014年4月16日中国・北京の北京ホテルで開かれた2人が再共演した映画「太平輪〜THE CROSSING〜」(ジョン・ウー監督)の製作発表会で[韓流エンターテインメント]

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「触れるはずのない2人」が出会って。異価値許容性と言うか、ある意味今日的なテーマを扱った作品。

最強のふたり DVD1 .jpg最強のふたり DVD2.jpg 最強のふたり DVD3.jpg
最強のふたり スペシャル・プライス [DVD]
最強のふたりコレクターズ・エディション(2枚組)(初回限定仕様) [DVD]

最強のふたり04.jpg パリに住む富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、頸髄損傷で首から下の感覚が無く、体を動かすこともできない。フィリップと秘書のマガリー(オドレイ・フルーロ)は、住み込みの新しい介護人を雇うため、候補者の面接をパリの邸宅でおこなっていた。ドリス(オマール・シー)は、職探しの面接を最強のふたりes.jpg紹介され、フィリップの邸宅へやって来る。ドリスは職に就く気はなく、給付期間が終了間際となった失業保険を引き続き貰えるようにするため、紹介された面接を受け、不合格最強のふたりmages.jpgになったことを証明する書類にサインが欲しいだけだった。気難しいところのあるフィリップは、他の候補者を気最強のふたりges.jpgに入らず、介護や看護の資格も経験もないドリスを、周囲の反対を押し切って雇うことにする。フィリップは、自分のことを障害者としてではなく、一人の人間として扱ってくれるドリスと次第に心を通じ合っていく―。

エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ監督 in「東京国際映画祭」(2011)
エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ .jpg 2011年11月本国公開のエリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督作で、第37回セザール賞で作品・監督・主演男優・助演女優・撮影・脚本・編集・音響賞にノミネートされ、オマール・シーが主演男優賞を受賞、フランスでの歴代観客動員数で3位(フランス映画のみの歴代観客動員数では2位)となる大ヒットとなりました。日本では、2011年10月に第24回東京国際映画祭のコンペティション部門にて上映され、最高賞のサクラグランプリ受賞と最優秀男優賞W受賞(ランソワ・クリュゼ、オマール・シー)という、史上初のトリプル受賞を達成し、翌年9月の一般公開後も、興行収入が日本で公開されたフランス語映画の中で歴代1位のヒット作となり、2013年第36回日本アカデミー賞の最優秀外国作品賞も受賞しています。

最強のふたり 映画 モデル.jpg 実在の富豪フィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴとその介護人アブデル・ヤスミン・セローの実話を基にした作品であるということですが、映画では介護人ドリスはアフリカ系の黒人になっていますが、実際のアブデルはアルジェリア出身のアラブ系で、フィリップと1年程度で別れたのではなく、10年程度介護したとのこと。他にも事実と異なる点は多くあり、映画は映画として観た方がよいかもしれません。

 ドリスは黒人ゲットーに暮らし、家族が問題を抱える中、自身も職にありつけず最初から失業保険を目当てに面接を受けているような有様で、大金持ちだが身体的障害を持つフィリプに対して、ドリスの方は、身体は健康だが社会的にハンディキャップを負っているとも言えます。映画の原題は"Intouchables"であり、「toucher=触れる、コンタクトする(英語のtouch)」という動詞が元になっていて、「本来は触れるはずのない(出会うはずのない)2人」といった意味のようです。この異質の2人が、互いを受け容れ、強い絆を築いていくというのがテーマだと思います。

最強のふたりロード.jpg その点において、フィリップが多くの候補者の中からなぜドリスを自らの介護人として採用したのかということがひとつこの作品のカギとなりますが、他の候補者が障害を持つフィリップに同情を示す中、そうした他人の同情にウンザリしていたフィリップにとって、対等な人間として自分と接するドリスには偽善的なものが感じられず、"偽善者"に囲まれて暮らしてきたようなフィリップにとっては、彼がが唯一心を許せそうな相手であったということでしょう。

最強のふたりsaikyo-03-e1449553808662.jpg 2人が生活環境や趣味趣向の違い―クラシックとソウル、高級スーツとスウェット、文学的な会話と下ネタ―を超えて心を通い合うようになる様がコメディタッチで描かれていますが、異文化交流とでも言うか、異価値許容性とでも言うか、ある意味今日的なテーマを扱った作品とも言えます。また、その根底には、両者の間で通じ合う何かがあったということが言えるかと思います。フィリップは友人から「注意したまえ。ああいう輩は容赦ない」と言われ、「そこがいい...容赦ないところがね」と答えています。

最強のふたりages.jpg 一方で、白人の富豪と黒人の介護人という組み合わせになったことで、アメリカ映画「ドライビング Miss デイジー」('89年)の時にもあったような"白人にとって都合のいい黒人が描かれている映画"との批判も受ける可能性はあるかもしれません。でも個人的には、いい映画だと思います。

 この映画では介護のリアルな様子が描かれておらず、介護の現場にいる人から見ればキレイに作られ過ぎている印象を受けるかもしれませんが、これは、そうした様子を映像化してしまうと、観客が面接に来たその他多くの介護人候補者と同じく、フィリップを同情の目で見てしまうことを避けるため、意図的に描かないようにしたのではないかと思います。

最強のふたりsaikyo-01.jpg また、介護事業者や介護に携わる家族などからすれば、介護問題のかなりの部分は経済的な問題であって、この映画の主人公のように大富豪であればそうした問題の殆どは解決可能であり、あとは介護人と被介護者の相性の問題だけになるので、現場にとってさほど参考になるものはないとの見方もあるかもしれません。でも、本来がこの作品は、そうした介護の大変さを伝えることを趣旨としたものではなく、元々異質な他人同士だった2人が、お互い対等な立場で相手を認め合い、相手を思い遣る関係となった―"Intouchables"という原題からして―それがこの映画のテーマではなかったかと思います。

最強のふたりsaikyo-02.jpg ただ泣けるだけの映画にしようとすれば、もっとそうした効果も織り込むことができたかもしれませんが、むしろ、そうした方向よりも、"偽善"への抵抗や"人間性"とは何かといったことに力が注がれている印象を受けました。ドリスを演じたオマール・シーもいいですが、顔の表情だけで演技したフランソワ・クリュゼも良かったし、介護助手をイヴォンヌを演じたアンヌ・ル・ニ(セザール賞助演女優賞ノミネート)、秘書のマガリーを演じたオドレイ・フルーロなど脇役も悪くなかったように思います(マガリーは○○○○○だったのかあ。ある意味、"ダイバーシティ映画"でもあったなあ)。
 アンヌ・ル・ニ/オマール・シー        オドレイ・フルーロ
最強のふたり03.jpg最強のふたり00.jpg「最強のふたり」●原題:INTOUCHABLES●制作年:2011年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ●製作:ニコラ・デュヴァル・アダソフスキ/ヤン・ゼノウローラン・ゼイトゥン●撮影:マチュー・ヴァドピエ●音楽:ルドヴィコ・エイナウディ●時間:112分●出演:フランソワ・クリュゼ/オマール・シー/アンヌ・ル・ニ/オドレイ・フルーロ/最強のふたり02.jpg最強のふたり01.jpgクロティルド・モレ/アルバ・ガイア・クラゲード・ベルージ/トマ・ソリヴェレ/クリスティアン・アメリ/グレゴリー・オースターマン/アブサ・ダイヤトーン・トゥーレ/シリル・マンディ/ドロテ・ブリエール・メリット●日本公開:2012/09●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(17-12-14)(評価★★★★)

《読書MEMO》
●フランス映画歴代観客動員数ランキング (Liste des plus gros succès du box-office en France(wikipedia))
1位 『タイタニック』(米・1997年)       21774181人 
2位 『Bienvenue chez les Ch'tis』(仏・2008年) 20489303人
3位 『最強のふたり(intouchable)』(仏・2011年)  19440920人
4位 『白雪姫』(米・1966年)          18319651人
5位 『大進撃(La grande Vadrouille)』(仏・1966年) 17267607人

フランス映画のみに限った国内観客動員数ランキングTOP20
1位 Bienvenues chez les Ch'tis
2位 Intouchable(最強のふたり
3位 La Grande Vadrouille(大進撃)
4位 Astérix et Obélix:Mission Cléopâtre
5位 Les Visiteurs
6位 Le Petit Monde de don Camillo
7位 Le Corniaud
8位 Les Bronzés 3:Amis pour la vie
9位 Taxi 2(タクシー2)
10位 Trois hommes et un couffin
11位 Les Misérables(レ・ミゼラブル)
12位 La guerre des boutons
13位 Le Dîner de cons
14位 Le Grand Bleu(グラン・ブルー)
15位 L'Ours(子熊物語)
16位 Astérix et Obélix contre César
17位 Emmanuelle(エマニュエル夫人)
18位 La vache et le Prisonnier
19位 Le Bataillon du ciel
20位 Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain(アメリ)

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短編集。通勤電車などで読む分にはまずまず。「君の瞳に乾杯」「水晶の数珠」が良かった。

素敵な日本人 東野圭吾短編集.jpg素敵な日本人 東野圭吾短編集ド.jpg素敵な日本人 東野圭吾短編集

 作者が2011年から2016年にかけて『宝石 ザ ミステリー』('11年/光文社)などに発表した短編を収めたもので、「正月の決意」「十年目のバレンタインデー」「今夜は一人で雛祭り」「君の瞳に乾杯」「レンタルベビー」「壊れた時計」「サファイアの奇跡」「クリスマスミステリ」「水晶の数珠」の9編を所収。

 「正月の決意」...書き初めやお屠蘇の準備が出来た達之と康代の夫婦は、毎年の習慣の初詣に出掛ける。神社への境内に着くと人が倒れていた。倒れていたのは下着姿の77歳の町長で、警察に連絡しやって来たのは、やる気の無い刑事2人と署長だった。町長は病院に運ばれ、後頭部を殴れて記憶喪失になっているらしいと連絡がある。町長は、誰に殴られ、且つ、下着姿だったのか? 小さな神社で起きた小さな事件と夫婦の決意とは?

 「十年目のバレンタインデー」... 小説家の峰岸は、10年前に突然振られた彼女・津田知理子とバレンタインデーに10年ぶり会うことになり、胸を躍らせる。峰岸の小説家としての活躍を認め、本の内容の話をする知理子に甘い夜の時間を期待をする峰岸だったが、話の行方は、知理子の友人が10年前に自殺してしまったという話になる―。

 「今夜は一人で雛祭り」...妻・加奈子に先立たれ、娘・真穂が結婚する事になった三郎だが、真穂が嫁ぐ先は地元の名家で、大病院を経営している家だった。自分の夢のため出版社に就職していた真穂は、名家の家に嫁ぐため退職するという。結婚のために娘が無理をしているのではないかと思った三郎に対し、真穂は「そんなことない、私はお母さんの娘」だからと言って笑う。三郎はしまっていた雛人形を見て、亡妻・加奈子の意外な一面に改めて気付づく―。

 「君の瞳に乾杯」...内村は休日の競馬場にいた。顔馴染みのハマさんと話した後、ふと後ろから声をかけられると、大学同期の柳田だった。「久しぶり、今お前何してるの?」と訊かれ、「広告関係の会社に就職した」と答える内村。ありきたりな再会の会話の後、柳田に合コンに誘われた内村は参加し、アニメ好きの女性モモカに出会う。自分もアニメ好きの内村は彼女に惹かれてゆき、何度かデートを重ね、遂に告白と彼女の瞳を見つめた時、彼女の隠された秘密を知る―。

 「レンタルベビー」...未来の晩婚化、非婚化の世界。エリーは結婚にはメリットを見いだせないと思いながら、子育てには少し関心があったため「疑似子育」体験をしてみることに。赤ちゃん型アンドロイドに「パール」と名付け、ボーイフレンドの「アキラ」と疑似子育てし、子育ての大変さを実感しながらも徐々に愛着が湧いてくる。いよいよパールとの別れが来るが、その時意外な真実が明らかに―。

 「壊れた時計」...失業中で家賃も滞納している俺に、Aから連絡が入る。Aは周旋屋で、俺は過去に何度か危ない仕事をしていたが、今回の仕事は、「白い彫像」の入った白いケースを盗み出すことだった。仕事を引き受け、指定のマンションの一室に侵入するが、そこへ部屋の主が帰宅してしまい、咄嗟に突き飛ばして彼を殺してしまう。白いケースは彼の手に握られていた。焦った俺がAに連絡すると、問題ないから「わざとらしいことをせず」に立ち去れと指示される。Aに白いケースを渡し、報酬を得た俺だったが、部屋の主の男の壊れた腕時計が気になり、悩んだ末に―。

 「サファイアの奇跡」...小学生の未玖は学校帰りに神社による習慣があった。神社には茶毛の猫・イナリがいるからで、野良猫だが、未玖はピンクの首輪を買って猫に付け、猫に将来の夢を心の中で語って過ごしていた。そんなある日、神社でイナリを見かけなくなる。学校の帰り道、道路のガードレールに見覚えのあるピンクの首輪を見つける。そこには花が添えられ、未玖は見張りの末に、花を添えている人物を見つける。軽トラで来た男で、運転中に急に飛び出してきたイナリを轢いてしまったらしい。男はイナリを動物病院に連れて行ったが、亡くなってしまったのだと言う。男に連れられ行ったその病院で、未玖は不思議な気配を感じ、それを辿ると1つのケージに行き着く。そこには、青色の毛を持つ猫・サファイアがいた―。

 「クリスマスミステリ」...貧乏劇団員の売れっ子・黒須は人気脚本家の弥生に殺意を抱いていた。黒須は弥生のお蔭で売れっ子俳優になれたが、15歳年上の弥生と男と女の関係になっていた。しかし、若い女優の恋人ができた黒須は、業界に顔が利く弥生が邪魔になった。一緒に出る事になっていたクリスマスパーティの前に二人は会う約束をしていたが、黒須はそこで、かつて弥生が話し所持している毒物マンドラゴラを使って弥生を殺害しようと企む。毒を含ませたワインを飲んだ弥生は倒れて、自分がいた痕跡を消した黒須は劇団に戻り、その後パーティに出席する。そこに死んだと思っていた弥生が現れる―。

 「水晶の数珠」...アメリカで俳優として成功する夢を追う直樹に、姉・貴美子から、父・真一郎が癌で余命僅かなので、父の最後の誕生日パーティに来て欲しいと電話がある。直樹の実家は地元の名家で、長男の直樹は一度は地元企業に就職したが、自分の夢を追うために父に勘当されながら渡米したのだ。大事なオーディションがあったが、直樹は7年ぶりに帰国、実家に向かう電車を降りると父から電話があり、それは直樹の夢を嘲笑するものだった。怒った直樹は父の誕生日パーティには出ず、アメリカにトンボ返りする。3週間後に父は亡くなり、訃報を受けた直樹は日本に戻る。葬儀の後の通夜振舞いで、親族から、一度だけ時間を1日戻せるという「水晶の数珠」言い伝えを聞く。信じがたい話だが、父からの遺言書は「水晶の数珠」の取扱説明書だった。「水晶の数珠」の力は本物なのか? 父はいつ何のために水晶の数珠を使ったのか?

 最初に「正月」次に「バレンタインデー」、更には「雛祭り」と来るので、季節ごとに順番に出て来るのかと思ったら、途中からそうでもなくなって、アンドロイドを扱った「レンタルベビー」、脳移植を扱った「サファイアの奇跡」のような近未来SFもあったりして、最後の方で「クリスマス」が出てきた程度。しかしながら9編は比較的粒ぞろいと言っていいのではないでしょうか。長編ほどの重みやインパクトは無いですが、通勤電車などで暇つぶしに読む分にはまずまずだと思います。読む人によって好みが分かれそうですが、個人的には、「君の瞳に乾杯」「水晶の数珠」が良かったでしょうか。

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これも予定調和だが、俳優陣の演技力のお蔭で感情移入できた。オチも効いている。

世界にひとつのプレイブック 2012.jpg世界にひとつのプレイブック 00.jpg 世界にひとつのプレイブック デ・ニーロ2.jpg
ジェニファー・ローレンス/ブラッドレイ・クーパー  ロバート・デ・ニーロ
世界にひとつのプレイブック DVDコレクターズ・エディション(2枚組)

 躁うつ病のパット(ブラッドレイ・クーパー)は、8カ月で精神病院を退院した。高校の歴史教師だったパットは、自宅で妻のニッキ(ブレア・ビー)と同僚教師との浮気現場に遭遇、その浮気相手に暴行したことから入院を命じられ、さらに裁判所からニッキへの接近禁止を言い渡されていた。今は実家で両親(ロバート・デ・ニーロ/ジャッキー・ウィーヴァー)と暮らし療養をする日々だったが、『武器よさらば』などに激しく動揺して毎日のように騒ぎを起こしても、自分は正常だと信じ、復縁のため元妻に連絡を取ろうとし続けた。そんな折、友人ロニー(ジョン・オーティス)夫妻との食事会で、ロニーの妻の世界にひとつのプレイブックf.jpg妹ティファニー(ジェニファー・ローレンス)と知り合う。夫と死別したティファニーは、ショックで混乱し、性依存症となって女性を含む同僚全員と肉体関係を持ったことからトラブルとなり失職、今は心理療法を受ける身だった。二人は薬物療法の話題から意気投合し、食事に行くが、最終的には不調に終わる。パットは元妻との連絡方法として、元妻の友人であるティファニー姉妹を通じて手紙を渡してもらおうと考え、ティファニーは元妻との連絡の橋渡しを条件に、パットに社交ダンスの特訓を始める。ダンスが得意なティファニーは、自分を取り戻すためにダンスコンテストへの出場を決意し、初心者のパットをパートナーに選んだのだ。ダンスを通じて、パットは自分が回復する手応えを感じ、ティファニーとも打ち解ける。パットの父親はアメフトのノミ屋をやっていて、アメフトの話題を通じて息子のパットと親子の溝を埋めようとしていたが、そんな父親がついに全財産を賭けて負けてしまう。それを知ったティファニーは、負けを取り戻すために、アメフトの勝敗に加え、ダンスコンテストの自分たちの得点を対象にした起死回生の賭けをセッティングする―。

 2012年公開の、デヴィッド・O・ラッセル監督による「ザ・ファイター」('10年)に続く作品で、これも予ジェニファー・ローレンス『世界にひとつのプレイブック』.jpg定調和ですが、俳優陣の演技力のお蔭で感情移入できました。第37回トロント国際映画祭観客賞(最高賞)受賞作で、第28回インディペンデント・スピリット賞作品賞・監督賞・主演女優賞も受賞。「ザ・ファイター」は米アカデミー賞6部門7ノミネートされ、助演男優賞と助演女優賞を撮っていますが、この「世界にひとつのプレイブック」の方は、アカデミー賞8部門にノミネートされ、ティファニー役のジェニファー・ローレンスが主演女優賞を受賞しています(他に、ブラッドレイ・クーパーが主演男優賞、父親役のロバート・デ・ニーロが助演男優賞、母親役のジャッキー・ウィーヴァーが助演女優賞のそれぞれ候補だった)。ティファニー役は当初アン・ハサウェイがキャスティングされていましたが、「ダークナイト ライジング」('12年)とのスケジュール競合のために降板、但しアン・ハサウェイは、同年の「レ・ミゼラブル」('12年)でアカデミー助演女優賞を受賞しています。、

第85回アカデミー賞 主演女優賞・ジェニファー・ローレンス(「世界にひとつのプレイブック」)/助演女優賞・アン・ハサウェイ(「レ・ミゼラブル」)

世界にひとつのプレイブック06.jpg 主人公たちの一発逆転を狙った策がもしも上手くいかなかったら悲劇的な状況になってしまうわけですが、予めコメディがあること(予定調和)が前提となっている感じで、そこはあまり突っ込むべきではないのかも。ティファニーとパットは息の合ったダンスを披露するものの、素人ぶりは隠せず、他のダンサー達から失笑や慰めを受けますが、結果は賭けの目標をクリアし、パットは大喜び。パットはニッキの元に歩み寄って会話を交わし、それを見たティファニーは会場を後にする―。

 ネタバレになりますが、ティファニーがパットとダンスの練習を続ける中、パットが元妻のニッキに書いた手紙に対するニッキからの返事をパットに渡す場面があり、その内容は、まだ直接会うことはできないが、今後に期待が持てる前向きな内容であり、それでパットは元気を出したかのように見えるわけですが、最後にその手紙は実はニッキが書いたものではないことが明かされ、そのことをパット自身も知っていたというのが、なかなか洒落たオチになっているように思いました。

 一方で、そうであるならば、そんな手紙など書いていないニッキがなぜダンス大会の会場に来たのかがよく分かりませんが、ただ純粋にダンスを見に来たのでしょうか。何れにせよ、パットの元妻ニッキへの未練は既に断ち切れていて、パットはニッキと言葉を交わした後はティファニーを追います。このシーンだけでも泣けますが、ティファニーがパットを励ますためにニッキを装って手紙を書いて、パットもそのことを知っていて言わなかったとういうオチが、やはり効いているように思いました。

世界にひとつのプレイブック デ・ニーロ1.jpg 母親役のオーストラリア出身の女優ジャッキー・ウィーヴァーは、「アニマル・キングダム」('10年)以来2年ぶり2度目のアカデミー助演女優賞ノミネート、父親役の大御所ロバート・デ・ニーロは「ケープ・フィアー」('91年)以来21年ぶり7度目のノミネートでした。この映画はアメリカでも結構ヒットしたようですが、主人公が生きる自信を取り戻す人生の復活劇である上に家族愛が絡んでいる点が、今日のアメリカ人に受けた要因ではないでしょうか。勿論、そうした心性は日本人にも通じる部分はありますが、"Silver Linings Playbook"という原題を「世界にひとつのプレイブック」という「プレイブック」のところだけを残した邦題にしたことで(プレイブックって日本人には馴染みが薄いのでは)、却って敬遠される原因となってしまい、損したようにも思います。

ジェニファー・ローレンス in「アメリカン・ハッスル」(2013)(デヴィッド・O・ラッセル監督)/「パッセンジャー」(2016)
ジェニファー・ローレンス アメリカン・ハッスル.jpg ジェニファー・ローレンス パッセンジャー.jpg

Silver Linings Playbook (2012).jpg「世界にひとつのプレイブック」●原題:SILVER LININGS PLAYBOOK●制作年:2012年●制作国:アメリカ●監督・脚本:デヴィッド・O・ラッセル●製作:ブルース・コーエン/ドナ・ジグリオッティ/ジョナサン・ゴードン●撮影:マサノブ・タカヤナギ●音楽:ダニー・エルフマン●原作:マシュー・クイック「世界にひとつのプレイブック」●時間:122分●出演:ブラッドレイ・クーパー/ジェニファー・ローレンス/ロバート・デ・ニーロ/ジャッキー・ウィーヴァ/クリス・タッカー/アヌパム・カー/ジョン・オーティス/シェー・ウィガム/ジュリア・スタイルズ/ポール・ハーマン/ダッシュ・ミホク/ブレア・ビー●日本公開:2013/02●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(17-12-05)(評価★★★★)
Silver Linings Playbook (2012)

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「神谷(メンター)ではなく、"僕"(メンティ)を見事に描き出した」(小川洋子氏)。豊胸手術がなければ◎。

火花.jpg火花 文庫.jpg  又吉直樹 芥川賞受賞.jpg
火花 (文春文庫)』 NHK「ニュースウオッチ9」(平成27年7月16日)より

火花』(表紙装丁画:西川美穂「イマスカ」)

 2015(平成27)年上半期・第153回「芥川賞」受賞作。2016年・第13回「本屋大賞」第10位。

 売れない芸人・徳永は、熱海の花火大会で、先輩芸人・神谷と電撃的な出会いを果たす。徳永は神谷の弟子になることを志願すると、「俺の伝記を書く」という条件で受け入れられた。奇想の天才でありながら、人間味に溢れる神谷に徳永は惹かれていき、神谷もまた徳永に心を開き、神谷は徳永に笑いの哲学を伝授しようとする―。

火花es.jpg文學界5_pho01.jpg 文藝春秋の雑誌「文學界」2015年2月号に掲載された、現役お笑い芸人"ピース・又吉"の純文学小説ですが、デビュー作で芥川賞受賞というのもスゴイなあ(あの石原慎太郎の「太陽の季節」さえもデビュー作ではなかったし)。2015年3月に単行本が刊行され、2015年8月時点で累計発行部数239万部を突破、村上龍氏の『限りなく透明に近いブルー』を抜き、芥川賞受賞作品として歴代第1位になったそうです(既に文庫化されており、文庫も併せると300万部を超えている)。

 芥川賞の選考では、宮本輝、川上弘美の両選考委員が強く推し、高樹のぶ子、奥泉光の両選考委員が受賞に否定的でしたが、残りの委員のうち、山田詠美、小川洋子、島田雅彦氏の3氏が受賞に賛成したため、これで9人の選考委員のうち5人が推したことになり、比較的すんなり決まったのではないでしょうか。新潮社主催の「三島由紀夫賞」の候補になりながら受賞しなかったことも、プラスに作用した気がしますが、「太陽の季節」が獲った「文學界新人賞」については、この作品は候補にもなっていないのはどうしてでしょうか。

芥川賞の偏差値.jpg小谷野敦.jpg 小谷野敦氏が近著『芥川賞の偏差値』('17年/二見書房)で、この「火花」の1年後に芥川賞を受賞した村田沙耶香氏の「コンビニ人間」を偏差値72として最高評価をしていますが、「火花」は偏差値49という評価です。但し、芥川賞作品だけで偏差値を決めているわけではないためか、全部の芥川賞作品の中では上位3分の1くらいの位置にある評価ということになっています(因みに「限りなく透明に近いブルー」は偏差値44、「太陽の季節」は偏差値38)。

芥川賞の偏差値

 個人的には、良かったと思います。ある種「メンター小説」だなあと思いました。伊集院静氏の『いねむり先生』('11年/集英社)には及びませんが、こういうの、タイプ的に好きかも。作者は、お笑い芸人の世界を知ってほしかったというようなことをどこかで言っていましたが、この世界の上下関係の厳しさなどは、バライティのネタなどになっていたりして、意外と知られてしまっているのではないでしょうか。

 やはり、面白かったのは(小谷野敦氏の『芥川賞の偏差値』は面白いかどうかを重視しているようだが)、先輩芸人・神谷のキャラクターの描かれ方でしょう。個人的には、「天才」とは、世の中に受け入れられてこその「天才」だと考えます。その考えで行けば、神谷は売れていないから今の所「天才」でもないし、どちらかと言うと「本物」と言った方がいいのかなあ。生き方として"漫才師"というのを見せてくれているように思われ、その部分において、読む前の予想や期待を超えていました。

高樹のぶ子.jpg 但し、終盤に神谷に豊胸手術をさせたのはどうしてなのでしょう。もう神谷のキャラに十分驚かされたのに、作者はまだ足りないと思ったのでしょうか。芥川賞受賞に反対した高樹のぶ子氏も、反対理由を、「優れたところは他の選者に譲る。私が最後まで×を付けたのは、破天荒で世界をひっくり返す言葉で支えられた神谷の魅力が、後半、言葉とは無縁の豊胸手術に堕し、それと共に本作の魅力も萎んだせいだ」としています。作者は、神谷を壊れゆくキャラとして描いたのでしょうか。

小川洋子.jpg それでも、個人的には星4つ(○)で、終盤の豊胸手術がなければ◎でした。神谷に目が行きがちですが、小川洋子氏が、「『火花』の語り手が私は好きだ」「他人を無条件に丸ごと肯定できる彼だからこそ、天才気取りの詐欺師的理屈屋、神谷の存在をここまで深く掘り下げられたのだろう。『火花』の成功は、神谷ではなく、"僕"を見事に描き出した点にある」としているのは、穿った見方だと思いました。メンターの描かれ方もさることながら、メンティのそれ方が決め手になっているということでしょう。ラストに不満があっても△ではなく○になる理由は、根底に小川洋子氏が指摘するような面があるためかもしれないと思いました。

火花 映画 チラシ.jpg火花 映画_02.jpg板尾創路 監督「火花」2017年11月 全国東宝系公開。
徳永 - 菅田将暉
神谷 - 桐谷健太


【2017年文庫化[文春文庫]】

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実話がベース。予定調和だが、俳優陣の演技力のお蔭で感情移入できた。

ザ・ファイター dvd .jpg 
「ザ・ファイター」クリスチャン・ベイル/マーク・ウォールバーグ
ザ・ファイター01.jpg ミッキー・ウォード(マーク・ウォールバーグ)の異父兄のディッキー・エクランド(クリスチャン・ベイル)は、かつてシュガー・レイ・レナードをダウンさせたことがあり(実はスリップダウンだったようだが)、地元ではローウェルの誇りと呼ばれているが、試合に敗れた落胆から麻薬依存症になってしまった上に、その短気で怠惰な性格から破綻した日々を送っている。一方、弟であるミッキーは才能に恵まれず、世界チャンピオンなどは遠い夢である。それでもミッキーに過度の期待を寄せる過保護の母親アリザ・ファイター02.jpgス(メリッサ・レオ)と、かつて名ボクサーだった兄のディッキーに言われるがままに試合を重ねるが、一度も勝利を収めることが出来ず、次第に家族の絆もボロボロになっていく。そんな中、薬物中毒の兄ザ・ファイター クリスチャン・ベール .jpgディッキーが警官を殴る騒ぎを起こして監獄送りに。人生のどん底まで落ちた兄を見て、ミッキーは彼と縁を切る決断をする。ミッキーを支え続けるガールフレンドのシャーリーン(エイミー・アダムス)と共に再起をかけてトレーニングを重ねるが、そんなミッキーに、ディッキーは監獄の中からもアドバイスを送り続ける。どんなに弟に拒否されても、弟を応援し続ける兄。そして、兄の出所の日、ミッキーはディッキーをふたたびコーチザ・ファイター05.jpgに迎え、二人三脚で再度世界の頂点を目指し始める―。

クリスチャン・ベール メリッサ・レオ.jpg 2010年公開のデヴィッド・O・ラッセル監督作で、実話に基づいた話であるとのこと。第83回アカデミー賞で作品賞など6部門にノミネートされ、助演男優賞(クリスチャン・ベール)、助演女優賞(メリッサ・レオ)の2冠を獲得しています(ゴールデングローブ賞でも5部門にノミネートされ、同じく助演男優賞、助演女優賞の2冠を獲得している)。

第83回アカデミー賞 助演男優賞・クリスチャン・ベール(「ザ・ファイター」)、主演女優賞・ナタリー・ポートマン(「ブラック・スワン」)、助演女優賞・メリッサ・レオ(「ザ・ファイター」)、主演男優賞・コリン・ファース(「英国王のスピーチ」)

ザ・ファイター11.jpgザ・ファイター03.jpg クリスチャン・ベールが演じた、かつては天才と言われたボクサーだったが今は自堕落な生活を送り、それでも弟ミッキーのボクサー人生に何とか関わろうとする兄ディッキーのキャラが立っていました。加えて、メリッサ・レオ演じる過干渉の母親のキツさも。この兄と母親と彼女の7人の娘(何れもバカっぽい異父姉妹軍団)に対抗するのがエイミー・アダザ・ファイター04.jpgザ・ファイター9.jpgムス演じるミッキーの恋人シャーリーンで、エイミー・アダムスも、ゴールデングローブ賞とアカデミー賞の両方で助演女優賞にノミネートされています。息子と家族の分断に悩まされ、しかもすべてにおいて主導権を妻に握ザ・ファイター12.jpgられ、それでも息子の将来に心を砕く父親役のジョージ・ウォードも良かったし、こうなると、一番キャラが立っていないのが、マーク・ウォールバーグ(「ザ・シューター/極大射程」('06年))がペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金.jpg演じた主人公のミッキーのような気もしますが、彼は肉体で勝負といったところでしょうか。出演料よりも肉体改造のためにトレーナーに払った費用の方が高かったとのことですが、演技そのものはそう悪くなかったように思います(マーク・ウォールバーグはその後「ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金」('13年)でジムトレーナー役を演じることになり、更に筋肉を増量することに。共演は「スコーピオン・キング」('02年)のドウェイン・ジョンソン)。

 ストーリーは、実話ベースとは言え、定番と言えば定番であり、こうした予定調和的な話では俳優の演技力が感情移入できるかどうかにかかってきますが、主要な役柄で下手な人はいなくて(むしろ上等。何せ、内2人はアカデミー賞の演技)、感情移入できる、いい映画でした(最後、ディッキーがそれまでのトラブルメーカー的な彼から変貌を遂げるのは、感動的だった)。重要なウェイトを占めるボクシングの試合シーンもよく撮れていたように思います(普通のシーンでもハンディカメラを多用している。慣れるまでちょっと時間がかかったが、リズム感のある小気味の良い映画を撮る監督だと思った)。

マーク・ウォールバーグ.jpgマット・デイモン.jpg 当初ディッキーはマット・デイモン(「ボーン・アイデンティティー」('02年))が演じる予定だったがスケジュールの都合で降板し、次の候補となったブラッド・ピットもまた他作品の出演を理由に降板、最終的にクリスチャン・ベールが務めることになりましたが、それでアカデミー賞獲得(!)かあ。因みに、クリスチャン・ベールは英国ウェールズ出身です。

マーク・ウォールバーグ/マット・デイモン

 主演のマーク・ウォールバーグはスウェーデン、アイルランド、イングランド、フランス系カナダ人の血を引くそうで、マット・デイモンと見た目が似ていますが(マット・デイモンもイングランド、スコットランド、フィンランド、スウェーデンの血を引く)、二人が兄弟役だったら、区別がつかなかった? また、シュガー・レイ・レナードが本人役で出演しているほか、警官兼トレーナーのミッキー・オキーフは本人が自分自身を演じています。

 因みに、ミッキー・ウォードが1997年にアルフォンソ・サンチェスを破ってライトウェルター級のチャンピオンとなったWBUは、ボクシング主要4団体(WBA・WBO・WBC・IBF)に比べ影の薄いマイナーな団体で、ミッキー・ウォードがWBU王者になったところで誰も彼には注目していなかったのが、その後、2002年から2003年にかけて"稲妻"アルツロ・ガッティと繰り広げた3連戦の死闘(1勝1敗となったためラバーマッチが行われた)で、その名を広く知られるようになりました。3戦とも激しい打ち合いの試合で、ボクシング史に残る"伝説の試合"と呼ばれています。

 兄ディッキー・エクランドがシュガー・レイ・レナードと闘った試合は、映画では実際の映像を使っているようでした。ネットで観ることができるので、スリップダウンかどうか、自分の目で確認してみるのもいいです。ミッキー・ウォードがアルフォンソ・サンチェスからタイトルを奪い、予想外の展開に実況が「アンビリーバブル!」と叫ぶ試合も、ウォードとアルツロ・ガッティとの歴史に残る名勝負と言われる3連戦の試合も、何れもクライマックスシーンをネットで観ることができます。

ディッキー・エクランド vs.シュガー・レイ・レナード  ミッキー・ウォード vs.アルフォンソ・サンチェス
 

ミッキー・ウォード vs.アルツロ・ガッティ(第1戦)  ミッキー・ウォード vs.アルツロ・ガッティ(第2戦)
 

ザ・ファイター0.jpg「ザ・ファイター」●原題:THE FIGHTER●制作年:2010年●制作国:アメリカ●監督:デヴィッド・O・ラッセル●製作:デイヴィッド・ホバーマン/トッド・リーバーマン/ライアン・カヴァノー/マーク・ウォールバーグ/ドロシー・オーフィエロ/ポール・タマシー●脚本:スコット・シルヴァー/ポール・タマシー/エリック・ジョンソン●撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ●音楽:マイケル・ブルック●時間:115分●出演:マーク・ウォールバーグ/クリスチャン・ベール/エイミー・アダムス/メリッサ・レオ/ミッキー・オキーフ/シュガー・レイ・レナード●日本公開:2011/03●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(17-11-20)(評価★★★★)
The Fighter (2010)

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"妊娠小説"としての戦後日本文学の代表作。風俗をよく描いている分、古さは否めない。

太陽の季節 (1956年) _.jpg太陽の季節 新潮文庫.jpg太陽の季節 (新潮文庫).jpg 石原慎太郎 裕次郎L.jpg
太陽の季節 (新潮文庫)』 石原慎太郎・石原裕次郎
太陽の季節 (1956年)

 1955(昭和30)年・第1回「文學界新人賞」受賞作、1955(昭和30)年下半期・第34回「芥川賞」受賞作。

 窮屈な既成の価値や倫理に反逆し、若い戦後世代の肉体と性を描いて、戦後社会に新鮮な衝撃を与えた作品であるとされています。また、そればかりでなく、「芥川賞」の話題性を決定づけた作品でもあります。新潮文庫解説の奥野健男は、昭和32年の時点で、「僅か二年前の小説だが、既に歴史的な作品ということができる」としています。

 当時の芥川賞の選考では、最終的には藤枝静男の「痩我慢の説」との対決となり、この2作に対し選考委員の意見が分かれ、委員のうち舟橋聖一、石川達三がそれぞれ欠点を指摘しつつも「太陽の季節」を終始積極的に支持し、一方、佐藤春夫、丹羽文雄、宇野浩二が強く反対したものの、最終的には瀧井孝作、川端康成、中村光夫、井上靖が前者の支持派に同調したという流れだったようです(2対3から6対3に逆転したということか)。

太陽の季節es.jpg 作品が世間で話題になったのは、裕福な家庭で育った若者の無軌道な生活を描いたものであり、また、当時としては"奔放な"性描写が含まれていたこともあるかと思いますが、今読むと、それほど過激でもないという印象です(その分、先の時代を予言していたと言えなくもないが)。'56年に長門裕之、南田洋子主演で映画化されたものも(あまり印象に残ってないが)おとなしい内容だったのではなかったでしょうか(石原裕次郎が脇役で映画初出演、兄・慎太郎もチョイ役で出てる)。「日活100周年邦画クラシック GREAT20 太陽の季節 HDリマスター版 [DVD]

斎藤美奈子.jpg 齋藤美奈子風に言えば、女性が予期せぬ妊娠をすることで男性が悩むという"妊娠小説"ということになるのでしょう。齋藤氏によれば、この"妊娠小説"の典型例が森鴎外の『舞姫』であり、村上春樹の『風の歌を聴け』などもそうであるとのことで、日本の小説の伝統的(?)流れとして綿々と連なっているのだなあと思わされますが、その中でも戦後日本文学の代表作的位置づけにあるのが、この「太陽の季節」ではないかと思います。

石原慎太郎 裕次郎.jpg 素材としては、作者自身の体験ではなく、作者が弟の石原裕次郎から聞いた話が題材になっているそうですが、兄・慎太郎の方は弟・裕次郎よりずっと神経質そうな感じがします。当時ほとんど他の作家の作品などは読んでいなかったと公言していたとは言え、気質的にはどことなく神経質な文学者気質が感じられます("しばたき"に象徴されている)。政界に進出するなどし、無理して強気の姿勢を表に出し続けて何十年、結果として、ああいう豪放磊落なオモテと多感多情なウラを併せ持ったキャラになったのではないでしょうか。

 「太陽の季節」の翌年に発表された「処刑の部屋」の方が、やや完成度が高いかもしれません。かつてこの人の『完全な遊戯』(1957)や『行為と死』(1964)なども読んだりしましたが、個人的にはこの両作品の間の頃は結構良かったように思います。但し、風俗をよく描いている分、後になって読めば読むほど古さは否めなくなり、この「太陽の季節」にもそれは当て嵌まるような気がします(作者の「青春とはなんだ」などに通じるものも感じられる)。

青春てはなんだ 太陽の季節 行為と死 .jpg とは言え、田中康夫氏が言う「新人に必要なのは、若者であること、馬鹿者であること、よそ者であること」の三条件を、当時まさにぴったり満たしたのが、この「太陽の季節」であったと思います。以降、芥川賞は、毎回ではないですが、何年に一度か、そうしたことを意識した選考結果になることがあるようにも思います(なかなかそうした作品はないけれど、期待はしたい)。

 因みに、作品集『太陽の季節』は、1956年3月刊行の新潮社版は、「灰色の教室」(1954年)、「太陽の季節」「冷たい顔」(1955年)、「奪われぬもの」「処刑の部屋」(156年)を所収、1957年8月刊行の新潮文庫版では、「太陽の季節」「灰色の教室」「処刑の部屋」「ヨットと少年」(1956年)「黒い水」が収められており、若干ラインアップが異なっています。

現代長編文学全集〈第44〉石原慎太郎 (1968年)青春とはなんだ 太陽の季節 行為と死

【1957年文庫化・2011改版[新潮文庫]/1958年再文庫化[角川文庫(『太陽の季節・若い獣 他五篇』)]】

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研ぎ澄まされた映像と音楽により、映画は原作を超えている。

乾いた花  j.jpeg乾いた花 dvd.jpg 乾いた花ド.jpg 乾いた花 石原慎太郎_.jpg
乾いた花 [DVD]」池部良/加賀まりこ/藤木孝 『乾いた花 (1959年)』(文藝春秋新社)

乾いた花  ぽすたー80.jpg乾いた花02.jpeg ヤクザ抗争で敵対していた安岡組の男を刺して三年ぶりに刑務所から出所した船田組の村木(池部良)は、賭場で男達に混じり大胆な花札勝負をする「その少女」と出会う。彼女に乾いた花03.jpeg自分と同じ匂いを感じた村木は、愛人の新子(原佐知子)との逢瀬も気が入らない。次の賭場で村木は再びその少女に会い、彼女との乾いた花es.jpgサシで勝負する。有り金を全部張って挑みかかる彼女は、村木の心を楽しませる。その夜、村木は思いがけず屋台でコップ酒を飲む彼女と出会う。冴子(加賀まりこ)という名の彼女は、もっと大きな勝負のある場所へ行きたいとせがむ。約束の日、豪華なスポーツカーで現れた彼女に村木は眼を瞠る。大きな賭場での冴子の手捌きは見事だった。彼はふと隅に蹲って彼乾いた花29.jpg女を擬視する葉(藤木孝)という男に気づく。中国帰りで殺しと麻薬だけに生きているというその男の死神のような眼に、村木は危険を感じる。それでも勝負に酔った村木と冴子は、乾いた花22.jpg夜の街を狂ったように車を走らせ、充実感を味わう。勝負事への刺激を追い求める冴子が、勝負が小さくてつまらないと言うので、村木は弟分の相川(杉浦直樹)が主宰する、その筋の大物らが集まる花札賭場へ彼女を案内し、大勝負の刺激に心震える冴子の姿に村木は満足する。そこへガサ入れがあり、隠れる中二人はカモフラージュで恋人同士を演じるが、二人の間にキス以上の関係はない。更に刺激を求める冴子は、葉から麻薬の刺激を教わってしまう。一方の村木は、自分の組と大阪の組との抗争に巻き込まれ、再び鉄砲玉になる。標的の組長を殺る直前、村木は冴子に会い「あんたにヤクよりいいものを見せてやる。俺は人を殺すんだ」と襲撃現場に彼女を連れて行く。オペラBGMが流れる重厚ゴージャスなクラブで、冴子の目の前で村木はターゲットの組長(山茶花究)を刺す。その時、冴子は―。

乾いた花25.jpg 1964(昭和39)年公開の篠田正浩監督作で、原作は石原慎太郎が雑誌「新潮」1958(昭和33)年に発表した短編小説。公開前に配給会社側から難解という理由で8カ月間お蔵入りとなった後、反社会的という理由で成人映画に指定のうえ公開されたそうですが、確かに池部良演じる主人公の村木はヤクザだしなあ。但し、ヤクザと言ってもインテリ・ヤクザといったイメージでしょうか(本を読んだりしている場面があるわけではないが)。

乾いた花ges.jpg 主人公の村木が出所してみたら、船田組と安岡組が既に手打ちをしていて、安岡組のチンピラ・次郎(佐々木功)がかつての仇である村木を襲うが失敗、次郎は安岡(東野英治郎)の命令で指を詰め、安岡も船田(宮口精二)近しくなっていて、次郎もその後は村木の子分みたいになるという―ちょっと最初の方の勢力図が分かりにくいですが(この話は原作には無い映画のオリジナル)、結局、冴子との出会いを経て、村木は再び刺客として大阪の組の組長を殺ることになり、その際に冴子を連れれ行き、その刺殺現場を見せます。

乾いた花 池部.jpg 何のために村木は冴子を襲撃現場に連れて行ったのか。自分と同じく日常生活の刺激に対して不感症状態になっていて、生の充足を賭博でしか得ることが出来なくなってしまっている彼女に、葉が彼女に与える麻薬以上の刺激を村木は与えたかったのか。それが村木の冴子に対する愛の形であり、それが虚しいと分かっていても、彼はそれをしないではおれなかったのか―。

乾いた花01.jpeg 作家・石原慎太郎の初期の中短編作品は悪くないものが多く、この映画の原作「乾いた花」もその一つですが、映画はストーリーの根幹部分は原作を踏襲しながらも、映像や音楽を研ぎ澄ませて原作を超えているように思いました(マーチン・スコセッシはこの作品を30回は見ているという)。但し、音楽は、武満徹が賭場に響く花札の札の音にインスパイアされてテーマ曲を作ったとのことですが、劇中では殆ど使われていません(花札を切る音がバックミュージックの代わりになっていたりする)。

乾いた花zj.jpeg 加賀まりこ演じる冴子の小悪魔感と、賭場の緊迫した雰囲気との取り合わせが光っています。コラムニストの中森明夫は、この映画の美少女ヒロイン像を押尾守のアニメーションで観てみたいとしており、"萌え"系の感性がここにはあり、「やはり石原慎太郎は元祖おたく作家だ!」としています(『石原慎太郎の文学9』('07年/文藝春秋)解説)。

乾いた花ages.jpg 東京オリンピックの年に、こうした世間一般の感覚で言えば"退廃的"とも言える作品が公開されていて、その原作者が、「青春とはなんだ」('65年/日活)や「これが青春だ!」('66年/東宝)の原作者である石原慎太郎であるというのが興味深いです。原作が書かれたのは1958(昭和33)年ですから、映画の中にあるスポーツカーで冴子が走った首都高速は、映画撮影当時で一部が完成したばかりで、原作では一般道を走ったことになります。

 池部良が後に東映ヤクザ映画に出るきっかけとなった作品と言われています。乾いた花  東野.jpg安岡組のチンピラ役の佐々木功、村木の弟分役の杉浦直樹ともに若々しく、葉を演じた藤木孝に至っては、「シン・ゴジラ」('16年/東宝)に副知事役で出ていましたが、すっかり変わったあなと。東野英治郎と宮口精二が、ヤクザの親分同士と言うより、単なる年寄りの茶飲み仲間に見えてしまうという難はありますが、全体としては、緊迫感のある映像が密度濃く続いて(特に池部良、加賀まりこが出ている賭場シーンがいい)、ラストまで飽きさせずに一気に見せる作品でした。
東野英治郎(安岡組組長・安岡)・宮口精二(船田組組長・船田)

佐々木 功(安岡組のチンピラ・次郎) 杉浦直樹(村木の弟分・相川)  藤木 孝(中国帰りの男・葉)
乾いた花 佐々木功.jpg 乾いた花 杉浦直樹.jpg 乾いた花j.jpeg
佐々木 功     杉浦直樹     藤木 孝 in「シン・ゴジラ」('16年/東宝)
佐々木功.jpg 杉浦直樹.jpgシン・ゴジラ 藤木孝.jpg

乾いた花sim.jpg乾いた花  title.jpg「乾いた花」●制作年:1964年●監督:篠田正浩●製作:白井昌夫/若槻繁●脚本:馬場当/篠田正浩●撮影:小杉正雄●音楽:武満徹/高橋悠治●原作:石原慎太郎●時間:99分●出演:池部良/加賀まりこ/藤木孝/原知佐子/中原功二/東野英治郎/三上真一郎/宮口精二/佐々木功/杉浦直樹/平田未喜三/山茶花究/倉田爽平/水島真哉/竹脇無我/水島弘/玉川伊佐男/斎藤知子/国景子/田中明夫●公開:1964/03●配給:松竹(評価:★★★★)

完全な遊戯 新潮文庫2003L.jpg【1958年単行本[新潮社(『完全な遊戯』)]/1959年単行本[文藝春秋新社](『乾いた花』)/1959年文庫化[角川文庫(『完全な遊戯―他四篇』)]/1960年再文庫化・2003年改訂[新潮文庫(『完全な遊戯』)]】

完全な遊戯 (新潮文庫)
(完全な遊戯、若い獣、乾いた花、鱶女、ファンキー・ジャンプ、狂った果実) 

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「●「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ

重かった。ミステリと言うより、半分以上は「夫婦の再生」の物語だったかも。

慈雨 柚月裕子1.jpg慈雨 柚月裕子2.jpg慈雨 柚月裕子.jpg 柚月裕子 氏.jpg 柚月 裕子 氏
慈雨』(2016/10 集英社)

 2016(平成28)年「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」第1位作品。

 警察官を定年退職した神場智則(じんば とものり)は、愛犬を娘〈幸知〉に託し、妻の香代子とお遍路の旅に出る。新婚旅行以来の旅先に四国を選んだのは、42年間の警察官人生で、自らが関わった幼女殺害事件の被害者を弔うためだった。香代子とは県北部・雨久良村の駐在時代に先輩・須田の紹介で結婚して32年。以来仕事一筋で口の重い神場を明るく支えてくれた妻は久々の2人旅が余程嬉しいのか、山道を鼻歌まじりに進んでいく。4番札所まで参拝を終えた日、宿のテレビでは群馬県尾原市に住む岡田愛里菜ちゃん(7歳)が遠壬山山中から遺体で発見されたと報じ、神場の中で苦い記憶が甦る。16年前、県警の捜一時代に手がけた〈金内純子ちゃん殺害事件〉だった。同じ遠壬山で少女の遺体が発見されたこの事件で県警は、八重樫一雄(36歳)を逮捕。本人は無実を主張したが、体液のDNA鑑定が決め手となり、懲役20年の実刑が確定していた。この鑑定を覆しかねないある事実を、神場は妻にも幸知と交際中の元部下・緒方〉にも秘密にしてきた。しかし16年前と似た犯行に彼の心は騒ぎ、巡礼の道すがら、緒方や現捜一課長〈鷲尾〉と連絡を取り、遠距離推理に挑むことになる―。

 『孤狼の血』('15年/角川書店)で2016年・第69回「日本推理作家協会賞」を受賞した作者の作品で、女流でありながら刑事や検事を主人公とした作品を多く書いている作者ですが、これも同じく刑事ものです(「このミステリーがすごい!」大賞の『臨床真理』('09年/宝島社)の主人公は女性臨床心理士だったが)。作者は子どもの頃から男の世界と言われる物語が好きで、「仁義なき戦い」や「県警対組織暴力」の大ファンだったそうです。

 主人公である退職したばかりの刑事は、旅先で事件を推理するわけで、現場に行かないという点である種"安楽椅子探偵"に通じるところもありますが、推理の内容そのものはシンプルで(犯人はNシステムをどうやって抜けたかのかという)、ミステリ的要素はそう強くないように思いました。

 人間ドラマの部分も、主人公の先輩・須田が殉職した時にまだ幼かったその娘の名前が〈幸恵〉であるということが分かった時に、その構造が読めてしまった部分はありました。但し、それでも、読後感は重かったです。しみじみとした感慨もあったし、爽やかさもあれば(前の事件はおそらく解明されないだろうという)やるせなさもあるし、結構複雑な気持ちにさせられました。

 最初のうちは、夫婦でのお遍路の旅の方がかなりの比重で描かれていて、一方で、事件の方は殆ど解決に向けて進展しないので、読んでいてやや焦れったくなりますが、ラストの方になるとそれまでのそうした構成が活きてきて、結局、推理小説である以上に、半分以上は「夫婦の再生」の物語だったのだなあと思いました。

 作者は、東日本大震災で両親を失うという経験をしており、そうした経験がこうした作風に反映されているとみることもできますが、自身はインタビューで「どうでしょう。お遍路に行ったのはあくまで取材ですし、その初日に遭遇した台風が表題に繋がった。それを自然の猛威と思うか、恵みと思うかは人にもよるし、雨は何も語ってくれないんだなって......。それほどあの震災がまだ私の中では意味づけできていないということかもしれません」と答えています。

 また、作者は、実際の事件を参考にして作品を書くとも言っていますが(『蟻の菜園〜アントガーデン〜』('14年/宝島社)のモチーフは「首都圏連続不審死事件(木嶋佳苗事件)」から得たようだか)、この作品のモチーフの元になっているのは、1990年に4歳の女児が殺害される事件が発生し、翌年に容疑者が逮捕され、17年半の拘禁を経て2010年に冤罪事件であったことが判明した「足利事件」ではないかと思います。

 あの事件も、当時まだ精度の低かったDNA鑑定(再審請求による再鑑定人の大学教授に「もし自分の学生がやったのだったらやり直しをさせるレベル」と言われた)の結果を過度に重用してしまったことからくる捜査ミスでした。誤って逮捕され、十数年も自由な時間を奪われた被害者の怒りや悔しさもさることながら、ああした冤罪事件は、当時捜査に当たった多くの警察関係者にも重い影を落とすものなのだろうなあと、この小説を読んで改めて思いました。

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"援助交際"という言葉が流行る12年前の作品で、"援交"の上を行く「少女」。

連城三紀彦 少女m.jpg 連城三紀彦 少女 光文社文庫_.jpg 連城三紀彦 少女 光文社文庫.jpg 少女ミステリー倶楽部.jpg 連城三紀彦-01.jpg
少女』(1984)『少女 (光文社文庫)』(1988)『少女 (光文社文庫)』(2001)『少女ミステリー倶楽部 (光文社文庫)』(2016) 連城三紀彦(1948-2013/享年65)

 「わたしと寝ない?」うらぶれたバーテンの「彼」が喫茶店で新聞を広げているところに、少女が突然、声をかけてきた。その日暮らしで、最初から金を払うつもりなどなかった「彼」だったが、やりようはあった。ことを果たした後、少女の隙を狙って、彼女の定期入れから2万円を盗んで逃走した。が、その札番号が郵便局強盗の奪った番号と一致したため、「彼」は警察に連行される。やがて、強盗の容疑は晴れるが、納得のいかぬ「彼」は少女を探す―。

 連城三紀彦(1948-2013/享年65)が「小説宝石」の'84年6月号に発表した作品で、短編集『少女』として'84年5月に光文社より刊行されています('88年/光文社文庫、2001年改訂)。

 冴えない中年男が売春少女から金を盗んだことを自ら証明しなければならなくなるという逆説的な展開がちょっと可笑しかったです。「少女が男を買ったからと言って、われわれにはどうすることもできないんだ...」という刑事の言葉に、「刑事さん、ホントにそれでいいの?」って思わず突っ込みたくなる気もするかもしれませんが、当時「買春」は禁じられてはいたものの罰則はなかったので、実質"犯罪"としては扱われていなかったし、この話の場合、大の大人を"買った"のだから、"児童買春"にも当たらないのだろなあ。

 因みに、現在は、18歳未満の少女少年と金銭を払って性的関係を持った場合には、児童買春となり青少年保護育成条例違反となりますが、恋愛関係にある場合には、18歳未満の女性と性行為を行っても青少年保護育成条例に違反することにはならないそうです(従って、金銭が支払われたかどうかがカギとなる)。

少女~an adolescent(.jpg少女~an adolescent.jpg映画「少女~an adolescent」(2001)

 「少女」は16年前にこの作品と出会って共感を受けたという俳優・奥田瑛二の監督・主演で映画化されていますが、主人公の男性は警官という設定になっています。奥田瑛二の監督デビュー作でもあり、第17回パリ国際映画祭でグランプリ受賞作品となっていますが、個人的には未見です(共演は小沢まゆ、小路晃、夏木マリ、室田日出男)。

 短編集『少女』に収録された他の作品は、「熱い闇」「ひと夏の肌」「盗まれた情事」「金色の髪」で、何れも官能小説の色合いが濃く、この内、「盗まれた情事」が三浦友和主演で1995年にテレビ朝日系でドラマ化されていますが、これも未見です(共演は余貴美子、高島礼子)。

 「少女」以外の短編集所収作品は、変態性欲を扱ったものなどどぎつさもある作品が多く、但し、ミステリーとしての面白さもそれぞれありますが、作者の文章に一番マッチしているのは「少女」ではないかなと思いました。風俗を描くという面でも、"援助交際"という言葉が流行語になったのが1996年で、それより12年前にこういうのを書いていた訳だから、かなり先駆的だったかも。しかも、この「少女」は見方によっては"援交"などより上を行っていることになります。それでいて、"少女"にどこか哀しさがあるのが、この小品の味なのかもしれません。

 この作品は2017年刊行の光文社文庫『少女ミステリー倶楽部』にも、同じく都会に棲む若者の生態を描いた笹沢佐保の「六本木心中」(1962年発表)などと併せて収録されています。

【1988年文庫化・2001改装[光文社文庫(『少女)]/2017年再文庫化[光文社文庫『少女ミステリー倶楽部』所収]】

《読書MEMO》
●『少女ミステリー倶楽部』 ('17年/光文社文庫)
オルレアンの少女(江戸川乱歩)/少女(連城三紀彦)/うす紫の午後(仁木悦子)/少女と武者人形(山田正紀)/五島・福江行(石沢英太郎)/白い道の少女(有馬頼義)/路地裏のフルコース(芦辺拓)/汽車を招く少女(丘美丈二郎)/老人と看護の娘(木々高太郎)/笛吹けば人が死ぬ(角田喜久雄)/バラの耳飾り(結城昌治)/白菊(夢野久作)/六本木心中(笹沢左保)

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(『白夜行』+『火車』)÷2。構成自体がある種"叙述トリック"になっているのが"凄い"。

愚者の毒.jpg愚者の毒 2.jpg カバーイラスト:藤田新策 宇佐美まこと.jpg 宇佐美まこと 氏 [愛媛在住](from 南海放送.2016.12.5)
愚者の毒 (祥伝社文庫)

 2017(平成29)年・第70回「日本推理作家協会賞」(長編及び連作短編集部門)受賞作。

 香川葉子は、借金苦から自殺した妹夫婦の代わりに、言葉に障害を持つ甥の達也を養っていたが、激しい借金の取り立てから逃れるため、世間から身を隠して生きていた。1985年春、葉子は、上野の職業安定所で弁護士事務所に勤めているという美貌の女・希美と出会い、気軽にお喋りをする仲になる。葉子は彼女からの紹介で、調布市深大寺にある旧家の難波家で家政婦として働くことになる。武蔵野の屋敷には、当主である優しい「先生」と、亡くなった妻の子供である由紀夫という繊維会社の若社長が住んでいて、希美もたびたび訪ねて来てくれた。穏やかで安心できる日々であり、由紀夫が時々、夜中に一人でこっそりと外出することに葉子は気づいていたが、詮索はしなかった―(第1章)。

 希美の父は、1963年に三池炭鉱炭塵爆発事故に遭い、一酸化炭素中毒患者となった。そのため、一家は筑豊の山奥の廃鉱部落に移り住む。希美の父は、感情のコントロールができなくなり、次第に獣のようになる。1966年の秋のある日、希美の父が妻シヅ子と間違えて妹に襲いかかり、希美は父に殺意を覚える。そのことを男友達のユウに話すと、ユウはユウで恨んでいる男がいるという。そして、ある犯罪計画が実行に移される―(第2章)。

 書き下ろしでいきなり文庫になった作品で、作者のこれまでの作品ともやや毛色が異なり、刊行時はそれほど話題にならなかったけれども、次第に口コミで評判になり、日本推理作家協会賞を受賞するに至っています。選評であさのあつこ氏は、「瑕疵の多い作品だ。特に、車の細工とか、烏を使うとか殺害方法にリアリティがない。〝死んだのは誰だ〟という謎、人のすり替わりも意外に早く結果が見えてしまう」としつつ、「しかし、その瑕疵があってなお、この作品には鬼気迫る力があった」「殺人者の慟哭を自分のものとした作者に、協会賞はなにより相応しい」としていて、他の選者も、作品の一部に同様の瑕疵を見出しながらも、文章力や構成力、そして何よりも読み手に訴えかけてくるテーマの重さで、受賞作として推している印象でした。

 個人的にも完全一致とは言わないまでも、ほぼ同じような感想を抱きました。丁度、『白夜行』(東野圭吾)と『火車』(宮部みゆき)をたして2で割った感じでしょうか(これだと凄い褒め言葉になるが、それに×0.8といった感じか)。「父親殺し」というのもモチーフとして噛んでいるように思いました。

 3章構成で、2015年の高級老人ホームに入所中の語り手の現在と、それぞれの過去が交互に描かれますが、その構成自体がある種"叙述トリック"になっていて、第2章の終わりでそれに気づかされた時は、正直"凄い"と思いました。ただ、その"凄い"が、作者としては引っ張ったつもりでしょうが、それでも読者的には早く来すぎてしまって、以降、それを超えるものが無かったような気がしないでもないです。

 それでも、主人公以外にも、60年代の過去にいたある人物が80年代に意外な人物になり代わっていて、その表の顔と裏の顔の差が激しい分キャラ立ちしており、更にラスト近くでは、もう一人の人物の現在の姿が明かされるといった具合に、盛り沢山でした。確かに終盤は"プロット過剰"とでも言うか、いきなり"本格推理風"になったりして、ばたばたといろんなものを詰め込んで、伏線を一気に"回収"して帳尻を合わせた感じはしますが、ホラー作家の篠たまき‏氏の「犯罪を犯すしかなかった人々の生き様が切なすぎる」という評は的を射ているように思われ、◎評価としました(今年読んだ近刊小説の中ではベスト1ミステリになるかも)。

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作者の初期代表作。冒頭の60年代の六本木の描写が純文学っぽくてノスタルジーを感じる。

少女ミステリー倶楽部.jpg 笹沢佐保 六本木心中 角川文庫旧版.jpg 笹沢佐保 六本木心中 角川文庫.jpg  笹沢佐保 六本木心中 リバイバル.jpg 心中小説名作選 (集英社文庫).jpg
少女ミステリー倶楽部 (光文社文庫)』/『六本木心中』角川文庫旧版/『六本木心中 (角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20)』『心中小説名作選 (集英社文庫)

六本木心中 (National novels).jpg 六本木が本当の六本木だったころ、休学中の大学生・海老名昌章(21歳)は、深夜のバーで16歳の高校生・芥川千景と知り合う。千景はお腹に父親の分からぬ4カ月の子がいると、昌章に悪戯っぽく告げる。互いに一人ぼっちであることがふたりを結びつける。その孤独を癒すために二人の出た行動とは―。

 1962(昭和37)年に「小説中央公論」に発表された笹沢左保(1930-2002/享年71)の初期代表作(当時32歳)。と言っても、作者は締切りに追われて書いて、原稿用紙80枚の予定が書けなくて10枚減らして書いて、いやいや編集者に渡した作品だったそうですが、それが編集部で意外と好評だったとのことです(結局は作者の代表作の1つになった)。
六本木心中 (National Novels)

 1962年下期・第48回直木賞の候補作となり、これは『人喰い』('60年)、『空白の起点』('61年)に続いて3度目で、前2回と同様「受賞確実」との前評判でしたが("九分九厘"とまで言われた)、またも選に漏れています。選考委員の中で重鎮・松本清張が「松本清張2 .jpg氏の作品の中で最優秀とは云えないが、最近の氏の活動は職業作家として将来性ある才能を感じさせるに十分である」「いうまでもなく笹沢氏はすでに流行作家だが、だからといって、受賞対象から外す理由はないように思う」と"珍しく"推薦するコメントを寄せているのに落選したのは皮肉だったと言えるかもしれません(但し、松本清張はこの選考会は欠席している)。結局、笹沢佐保は、4度候補になりながら直木賞を獲ることがありませんでした(「木枯らし紋次郎」シリーズがヒットして、逆に賞を与え辛くなったのではないか)。

 話の舞台は六本木、と言っても、80年代のバブルの頃の六本木はイメージできるけれど、60年代の六本木はさすがにイメージしにくいかも。しかしながら、この作品の冒頭の当時の「麻布六本木」界隈の描写は、リアルタイムで知らなくとも、何となく雰囲気を伝えるものがあっていいです。描写が推理小説というより純文学小説っぽく、当時の六本木を知らないのに何となくノスタルジーを感じます(今の六本木のような煌びやかな印象は感じられないなあ。竜土町や霞町って今のどのあたりか、思わず調べてみた)。

 つい最近、光文社文庫の『少女ミステリー倶楽部』に収められ、久しぶりに再読しましたが、冒頭の六本木の描写に時間がかかり過ぎたのか、文庫解説の新保博久氏も指摘するように、結末部分はやや書き急いだ感もあります。でも、時代に漂う若者の虚無感のようなものは感じられます。主人公の男女は、現代における「自殺サイト」を求めてネットを彷徨っているような少年少女とも通底するのでしょうか。個人的には、ちょっと違う気がします。

 もう一つ新保博久氏が指摘していることは、1962年3月まで前年から朝日新聞に連載されていた大岡昇平の『若草物語』(後に『事件』と改題)との相似が見られるとのことです。妊娠した少女との結婚を反対する身内を少年が殺した事件を、途中から法曹関係者の視点で描いている点は確かに似ていると思いました。でも、この「六本木心中」は、作者の完全なオリジナルとみるべきでしょう。

 やや時代がかった作為が感じられる後半よりも、主人公・昌章と少女・千景との出合いを描いた前半の方がいいです。今までいろいろなアンソロジーに収められていますが、やはりタイトルは、繰り返しそうした形で取り上げられる要因の一つになっているかと思われ、成功要因になっていると思います。

心中小説名作選 (1980年) _.jpg【1962年単行本[東都書房『第三の被害者』所収]/1968年新書化[文華新書『六本木心中』所収]]/1971年文庫化[角川文庫『六本木心中』所収]]/1980年再文庫化[集英社文庫『心中小説名作選』所収/1989年再文庫化[講談社文庫『ミステリー傑作選〈特別編 1〉1ダースの殺意』所収]/1996年再文庫化[角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20『六本木心中』所収]/2004年再文庫化[光文社文庫『甘やかな祝祭』所収]/2008年再文庫化[集英社文庫『心中小説名作選』所収]/2008年ノベルズ化[National Novels(ナショナル出版)『六本木心中』所収]/2017年再文庫化[光文社文庫『少女ミステリー倶楽部』所収]】
心中小説名作選t.jpg心中小説名作選 (1980年) (集英社文庫―日本名作シリーズ〈8〉)
●『少心中小説名作選』 ('80年・'08年/集英社文庫) 家族の残酷な死を、詩の如く昇華した、川端康成「心中」。戦争に翻弄された三人の男女、田宮虎彦「銀心中」。現実から逃避し愛欲に溺れる二人、大岡昇平「来宮心中」。江戸時代の庶民の心中を俯瞰的に物語る、司馬遼太郎「村の心中」。少女と孤独な魂を通わせた男の虚無、笹沢左保「六本木心中。男女の業と欲の凄まじさを描ききった、梶山季之「那覇心中」。全6編。
     
《読書MEMO》
●『少女ミステリー倶楽部』 ('17年/光文社文庫)
オルレアンの少女(江戸川乱歩)/少女(連城三紀彦)/うす紫の午後(仁木悦子)/少女と武者人形(山田正紀)/五島・福江行(石沢英太郎)/白い道の少女(有馬頼義)/路地裏のフルコース(芦辺拓)/汽車を招く少女(丘美丈二郎)/老人と看護の娘(木々高太郎)/笛吹けば人が死ぬ(角田喜久雄)/バラの耳飾り(結城昌治)/白菊(夢野久作)/六本木心中(笹沢左保)

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まさに「小説以外」。いい作家はいい読者でもあることが窺える。

小説以外200_.jpg 小説以外9.JPG  恩田陸 オンダ・リク.jpg 恩田 陸 氏
小説以外 (新潮文庫)
小説以外』(2005/04 新潮社)

 本好きが嵩じて作家となった著者は、これまでどのような作品を愛読してきたのか? ミステリー、ファンタジー、ホラー、SF、少女漫画、日本文学......あらゆるジャンルを越境する読書の秘密に迫る。さらに偏愛する料理、食べ物、映画、音楽にまつわる話、転校が多かった少女時代の思い出などデビューから14年間の全エッセイを収録。本に愛され、本を愛する作家の世界を一望する解体全書。(文庫口上より)

 著者が14年間にわたって様々な場所で発表してきた全エッセイを収録したものとのことで、この人も最初は兼業作家としてスタートしたのだなあと。一番直近のものは、『夜のピクニック』('04年/新潮社)での「本屋大賞『受賞のことば』」になっていますが、この度『蜜蜂と遠雷』('16年/幻冬舎)で直木賞と本屋大賞とを史上初のW受賞し、2回目の本屋大賞受賞(これも史上初)となっています。

 「全エッセイ」とありますが、文庫の解説や書評等もあり、まさに「小説以外」という感じです。もちろん、エッセイ風の小文も多くあり、料理や食べ物、日常生活に纏わる話や子供時代の思い出などの話もありますが、やはり本に纏わる話が多く、あとは映画、音楽に関する話が多いでしょうか。

 本に関する話などを読んでも、いい作家はいい読書家でもあることが窺えました。ただ、いずれも2ページから3ページ前後の小文ばかりなので、気軽に読めることは読めるけれども、意外と後で印象に残らないかも(もっと長いのは書いていないのかなあ。それが不思議)。

 そんな中、出版社などからのアンケートに応えて、「文庫のベスト5」「海外ミステリのマイベスト7」、更には「マイ・ベストPKD(フィリップ・K・ディック)」といったちょっとマニアアックなものまで挙げているのが目を引きました。個人的には、「クリスティー私のベスト5」というのが、ミステリにおける著者の指向性を窺わせていて興味深かったです(『終わりなき夜に生れつく』は、今年['17年]同名の作品を上梓している)。一番好きな映画が「去年マリエンバートで」('61年/仏)であるというのもこの人らしいのではないでしょうか。『夏の名残りの薔薇』('04年/文藝春秋)はこの映画をモチーフに書かれているようですが、『中庭の出来事』('06年/新潮社)もちょっとそんな雰囲気があったように思います。

【2008年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
●「クリスティー私のベスト5」
①『葬儀を終えて』
②『終わりなき夜に生れつく』
③『メソポタミアの殺人』
④『ねじれた家』
⑤『鏡は横にひび割れて』

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"癒し系"×"お仕事系"。いい話ばかり過ぎる気もするが、上手いと思った。

ツバキ文具店obi1.jpgツバキ文具店.jpg  ツバキ文具店 ドラマ.jpg
ツバキ文具店』 「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」NHK(2017)多部未華子主演

ツバキ文具店3.jpg 2017(平成29)年・第14回「本屋大賞」第4位作品。

 祖母の葬式のため、雨宮鳩子は高校を卒業して以来8年ぶりに故郷の神奈川県の鎌倉に戻ってきた。 一人で鳩子を育ててくれた祖母は文具店を営む傍ら、思いを言葉にするのが難しい人に代わって手紙を書くことを請け負う「代書屋」でもあった。 祖母に反発して家を飛び出した鳩子は葬式と家の片付けが終わるとすぐに鎌倉を去ろうとするが、生前祖母が引き受けたものの未完であった代書の仕事を引き継ぐように促されそれに取り組むことで心境が変わり、文具店と代書屋業を継ぐことを決意する。地元の温かい人々にも支えられながら鳩子は代書屋として歩み始めた。さまざまな人の思いをすくいとり文字にして相手に届けることで、鳩子は彼らの思いに触れ彼らの人生に関わり、また仕事の師匠であった祖母の思いにも寄り添っていく―。

ツバキ文具店 d.jpg 近年流行りの"癒し系"と"お仕事系"を掛け合わせたような作品ですが、すんなり気持ちよく読めました。今年['17年]4月にNHKラジオ第1「新日曜名作座」にてラジオドラマ化され、更にNHK総合「ドラマ10」にて「ツバキ文具店〜鎌倉代書屋物語〜」と題して多部未華子主演でテレビドラマ化(全8話)されています。

 やや"いい話ばかり"過ぎて、あざとい印象を受けなくもないですが、淡々とエピソードを積み上げて、ラストで主人公が先代(祖母)の自分への想いを知るという盛り上げ方は上手いと思いました(素直に感動した)。

ツバキ文具店ド.jpgツバキ文具店 tegami.jpg 鎌倉という物語の舞台背景が効いているし、何よりも手紙文が「手書き」で(挿画の形を借りて)出てくるのが効いています。最初は作者が書いたのかなとも思ったりしましたが、"男爵"の手紙文が出てきたところで、これはプロの為せる技だと確信し、調べてみたら、萱谷恵子氏というプロの字書きの手によるものでした(ドラマでも多部未華子の書く字を担当している)。"挿画"と言うより、"コラボ"に近いかもしれません。

 主人公の生い立ちなどについてあまり細かいことの説明をしていないのが、却ってすっと物語に入っていける要因にもなっているように思いました。テレビドラマ版で多部未華子は、原作のイメージをそう損なってはいないツバキ文具店s.jpg、まずまずと言っていい演技でしたが(多部未華子はこの演技で第8回「コンフィデンスアワード・ドラマ賞」主演女優賞受賞)、ストーリー的にやや説明的な要素を付け加え過ぎたでしょうか。その結果、(これもありがちなことだが)原作に無い登場人物が出てきたりします(その典型が高橋克典演じる観光ガイド)。やっぱり脚本家というものは、原作に対して「何も足さず何も引かず」ということが出来ない性質なのかなあ。

ツバキ文具店〜鎌倉代書屋物語〜.jpg「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」●演出:黛りんたろう/榎戸崇泰/西村武五郎●脚本:荒井修子●原作:小川糸●出演:多部未華子/高橋克典/上地雄輔/片瀬那奈/新津ちせ/江波杏子/奥田瑛二/倍賞美津子●放映:2017/04~06(全8回)●放送局:NHK

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"佳作"と言うより"傑作"の域にある作品だと思った。

夜のピクニック  2004.jpg夜のピクニック  文庫2.jpg夜のピクニック  文庫1.jpg 夜のピクニックs.jpg
夜のピクニック (新潮文庫)』映画「夜のピクニック」(2006)長澤雅彦監督、多部未華子主演
『夜のピクニック』(2004/07 新潮社)

夜のピクニックL.jpg 2004(平成16)年・第26回「吉川英治文学新人賞」及び2005(平成17)年・第2回「本屋大賞(大賞)」受賞作。2004年度「『本の雑誌』が選ぶノンジャンルベスト10」第1位。

 全校生徒が24時間かけて80kmを歩く高校の伝統行事「歩行祭」。3年生の甲田貴子は、最後の歩行祭、1年に1度の特別なこの日に、自分の中で賭けをした。それは、クラスメイトの西脇融に声を掛けるということ。貴子は、恋心とは違うある理由から西脇を意識していたが、一度も話をしたことがなかった。しかし、ふたりの不自然な様子をクラスメイトは誤解して―。

 作者が、自らの母校である茨城県立水戸第一高等学校の名物行事「歩く会」にモチーフを得て描いた青春小説。水戸第一高等学校の歴史を見ると、1938(昭和13)年に「健歩会」というものが発足し、1949(昭和24)年に 最初の「歩く会」が勿来―水戸間(80㎞)で実施され、翌年の1950(昭和25)年に初めての女子生徒が入学したとなっており、男子校の伝統が共学になっても引き継がれていることになります。作中の「歩行祭」では80km歩くことになっていますが、現在の「歩く会」は70kmとのことです(作者の出身大学である早稲田大学にも100km歩く「100キロハイク」とうのがあるが、作者がワセダでも歩いたかはどうかは知らない)。

 高校生の男女が定められた道程をただただ歩いていくだけの状況設定でありながら、これだけ読む者を惹きつける作品というのも、ある意味スゴイなあと思います。キャラクターの描き分けがしっかり出来ていて、女子同士、男子同士、男子女子間の遣り取りが、いずれもリアリティを保って描かれており、それでいてドロっとした感じにはならずリリカルで、ノスタルジックでもあるという(初読の際は読んでいてちょっと気恥ずかしさも感じたが)、読み直してみて、文庫解説の池上冬樹氏が"名作"と呼ぶのも頷けました。

池上冬樹.jpg 作者のファンの間では、この作品で「直木賞」を獲るべきだったとの声もありますが(個人的にもその気持ちは理解できる)、実際には「吉川英治文学新人賞」を受賞したものの直木賞は候補にもなっていません。この点について文庫解説の池上冬樹氏は、ある程度人気を誇る作品に関して、選考委員が追認を避けたがる傾向があることを指摘しており、ナルホドなあと思いました。

 ただ、この池上冬樹氏の解説は2006(平成18)年に書かれたものですが、同氏はこの作品が2005(平成17)年の第2回「本屋大賞」の大賞を受賞したことに注目しており(第1回大賞受賞は小川洋子氏の『博士が愛した数式』だった)、この作品を"新作にしてすでに名作"であった作品としています。

本屋大賞1-9.jpg そして作者は、この作品の12年後、『蜜蜂と遠雷』('16年/幻冬舎)で2016(平成28)年下半期・第156回「直木賞」受賞しますが、この作品は、2017(平成29)年・第14回「本屋大賞」第1位(大賞)作品にもなりました。同著者が「本屋大賞」の「大賞」を2度受賞するのも初めてならば、「直木賞」受賞作が「本屋大賞」の「大賞」を受賞するのも初めてですが、その辺りの制約がないところが、「本屋大賞」の1つの特徴と言えるかもしれません。

 『夜のピクニック』の「本屋大賞」受賞でその作品の人気を裏付け、『蜜蜂と遠雷』の「本屋大賞」受賞で、今度は「本屋大賞」という賞そのものの性格をよりくっきりと浮き彫りにしてみせたという感じでしょうか。どちらも佳作ですが、個人的には、今回読み直してみて、『蜜蜂と遠雷』は"佳作"であり"力作"、『夜のピクニック』は"佳作"と言うより"傑作"の域にある作品のように思いました。

夜のピクニック .jpg夜のピクニック  eiga.jpg 因みに、この作品は2006年に長澤雅彦監督、多部未華子主演で映画化されています(「本屋大賞」の第1回受賞作『博士が愛した数式』から第10回受賞作『海賊とよばれた男』までの「大賞」受賞作で'17年現在映画化されていないのは第4回受賞作の『一瞬の風になれ』のみ。但し、この作品のもテレビドラマ化はされている)。映画を観る前は、ずっと歩いてばかりの話だから、小説のような夜のピクニック 09.jpg登場人物の細かい心理描写は映像では難しいのではないかと思いましたが、今思えば、当時まだ年齢が若かった割には比較的演技力のある俳優が多く出ていたせいかまずまずの出来だったと思います。それでも苦しかったのか、ユーモラスなエピソードをそれこそコメディ風に強調したり、更には、主人公の心理をアニメで表現したりしていましたが、そこまでする必要があったか疑問に思いました。工夫を凝らしたつもりなのかもしれませんが、却って"苦しまぎれ"を感じてしまいました(撮影そのものはたいへんだったように思える。一応、評価は○)。

picnic_04.jpg夜のピクニックes.jpg「夜のピクニック」●制作年:2006年●監督:長澤雅彦●製作:牛山拓二/武部由実子●脚本:三澤慶子/長澤雅彦●撮影:小林基己●音楽:伊東宏晃●原作:恩田陸●時間:117分●出演:多部未華子/石田卓也/郭智博/西原亜希/貫地谷しほり/松田まどか/柄本佑/高部あい/加藤ローサ/池松壮亮●劇場公開:2006/09●配給:ムービーアイ=松竹(評価★★★☆)
多部未華子in「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」/貫地谷しほりin「おんな城主 直虎」(共に2017・NHK)
ツバキ文具店 d .jpg 貫地谷しほり おんな城主 直虎.jpg

【2006年文庫化[新潮文庫]】

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「この映画で最も描きたかったのは情熱のメカニズムだ」(ジャック・ドゥミ)。

天使の入江 dvd.jpg 天使の入江  dvd.jpg  天使の入江02.jpg
天使の入江 [DVD]」(2011)「天使の入江 ジャック・ドゥミ監督 Blu-ray」(2016)

天使の入江749.jpg パリの銀行で働くジャン・フルニエ(クロード・マン)は、同僚のキャロン(ポー天使の入江849.jpgル・ゲール)に連れられて行った市中のカジノで、一時間で給料の半年分を稼ぐ大当たりする。それを契機にギャンブルに取り憑かれた彼だったが、謹厳な時計修理職人の父親から「賭博師はごめんだ。出て行け」と勘当されると、ニースの安ホテルに居を移し、「天使の入江」のカジノ通いを始める。そんなある日、以前カジノで見かけたブロンド美女のジャッキー・ドメストル(天使の入江91.jpgジャンヌ・モロー)に偶然出会う。ジャンは彼女に惹かれると共に、意気投合した彼女とパートナーを組み、ますますギャンブルにのめり込んでいく。彼女は夫の懇願にもかかわらずギャンブルに熱中して離婚し、息子とは週に一回会えるだけだと言う。ボロ負けした日は「二度としない」と誓天使の入江9457580.jpgうが口だけで、「軽率な自分に腹がたつ」と言いながらやめられない。ホテル代もなく駅のベンチで寝るというジャッキーを、ジャンは自分のホテルに泊まらせる。翌朝二人は別れるが、午後天使の入江9457581.jpg海岸にいたジャンを探しに来たジャッキーは、女友だちに借金した金で賭天使の入江L.jpgけてくると言い、別れるつもりだったジャンはカジノまでジャッキーを追っていく。そして、カジノで二人は勝ちまくり、「崖っぷちのドンデン返しね。モンテカルロに行きましょう」というジャッキーの誘いに車を買い、ドレスにタキシードを用意し、豪華ホテルに横付けし、海が見えるバルコニー付きのスイートルームにチェックインする。しかし、二人はカジノで今度は大敗し、結局有り金を全部使い果たしてしまう―。

イメージフォーラム .JPG 1963年のジャック・ドゥミ監督作で、本邦でも2009年に「ジャック・ドゥミ初期作品集DVD-BOX」としてDVD化されており、アンスティチュ・フランセ東京で2013年、2014年と上映されたりもしていますが、劇場公開は今年['17年]7月から8月にかけてのシアター・イメージフォーラムでの夫婦だったジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダ両監督の作品を特集した「ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語」での上映が「初公開」だそうです。そして、7月22日にロードショーが始まったと思ったら、そのすぐ後にジャンヌ・モローの訃報に接することになりました(7月31日老衰のため逝去。89歳)。

 ジャック・ドゥミ監督が「シェルブールの雨傘」('64年)で見せたカラフルでポップな世界観とはうって変って(「天死の入江」は「シェルブールの雨傘」の1つ前の作品なのだが)、こちらはモノクロで、途中ロマンチックな場面は殆ど無く、天国(大勝ち)と地獄(大負け)の間を目まぐるしく行き来する二人をカメラは冷静に追っているという感じです。ラストのラストで、ああ、恋愛映画だったのだなあと思わされ、ロマンチストであるジャック・ドゥミの本質がこういう救いある結末にさせたのかなあと思いました。但し、ジャンヌ・モロー演じるジャッキーはこれまでも何度も「二度としない」と誓ってはこうなってしまっているわけで、本当に二人でこのまま行って大丈夫なのかなあという気もしました。

天使の入江9457582.jpg すでに、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」('57年)やフランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」('62年)、ジョゼフ・ロージー監督の「エヴァの匂い」('62年)などでファム・ファタールを演じていたジャンヌ・モローですが、この映画での女ギャンブラー役(ジャック・ドゥミの叔母がモデルだそうだ)は、また違った印象がありました。現代の眼で見れば、ギャンブル依存症という病いにしか見えないのですが、主人公もその辺りは解っていて、そこがまた、主人公が彼女を突き離せない1つの理由になっているように思います。

天使の入江18.gif ただ、ジャッキーはギャンブルに対する弱さだけでなく、ギャンブルについての哲学も持っていて、「贅沢できなくても平気よ。お金のために賭けをやるのじゃない。十分あってもやるわ。賭けの魅力は贅沢と貧困の両方が味わえること。それに数字や偶然の神秘がある。もし数字が神様の思し召しなら、私は信者よ。カジノに初めて入ったとき、教会と同じ感動を覚えた。私にとって賭けは宗教よ。お金とは関係ない」「この情熱のおかげで私は生きていられるの。誰にも奪う権利はないわ」と言っています。ギャンブラーとしての凄みを感じさせながらも、強がっている部分も感じられ、その辺りがジャンヌ・モローならではの演技の機微であり、同じファム・ファタールを演じても、監督が違えば違ったタイプのそれを見せる演技の幅であると思いました。

天使の入江31.jpg ジャンヌ・モローのプラチナ・ブロンドに染めた髪と白いドレス(衣装デザインはジャンヌ・モローの当時の恋人ピエール・カルダン)が、モノクロ映画であるからこそニースの浜に映えて輝いて見えます。主人公はジャッキーというファム・ファタールに巻き込まれてしまうのか、或いはまた、依存症である彼女を愛の力で救い出せるのか―という二人の行方がどうなるかということももさることながら、むしろ、「私にとって賭けは宗教よ」と言い、主人公の「君にとって僕は机か椅子に見えるのか。心はどうでもいいのか」との問いに「ただの賭け仲間よ。なぜあなたを犬のように連れ回したかわかる? 幸運をもたらすからよ」と言い放ちつつも最後は主人公に寄り添うジャッキーの、情熱と愛のエネルギー自体がテーマとなっているような映画であるように思えました。ジャック・ドゥミ監督自身、「この映画で最も描きたかったのは情熱のメカニズムだ」と言っており、ミシェル・ルグランのきらめく音楽もそうしたテーマに呼応したものとなっているように思われました。
     
ドゥミとヴァルダ、幸せについての5つの物語.jpg「天使の入江」●原題:LA BAIE DES ANGES●制作年:1963年●制作国:フランス●監督・脚本: ジャック・ドゥミ●撮影:ジャン・ラビエ●音楽:ミシェル・ルグラン●時間:101分●出演:ジャンヌ・モロー/シアター・イメージフォーラム2.jpgクロード・マン/ポール・ゲール/アンナ・ナシエ●日本公開:2017/07●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:渋谷・シアター・イメージフォーラム(特集「ドゥミとヴァルダ、幸せについての5つの物語」)(17-08-18)(評価★★★★)

シアター・イメージフォーラム 2000(平成12)年9月オープン(シアター1・64席/シアター2・100席)。表参道駅から徒歩7分。青山通り渋谷方向、青山学院を過ぎ、二本目の通り左入る。

「●は行の外国映画の監督①」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2517】 オリヴァー・ヒルシュビーゲル 「ヒトラー~最期の12日間~
「●ショーン・コネリー 出演作品」の インデックッスへ 「○外国映画 【制作年順】」のインデックッスへ ○ノーベル文学賞受賞者(ラドヤード・キップリング)

ジョン・ヒューストン監督の夢を追いかける男を描いた映画の系譜上にある作品。

王になろうとした男 pannhuretto .jpg になろうとした男 dvd.jpg 王になろうとした男0s.jpg 王になろうとした男3s.jpg
映画パンフレット 「王になろうとした男」 監督 ジョン・ヒューストン/「王になろうとした男 [DVD]」マイケル・ケイン/クリストファー・プラマー/ショーン・コネリー

王になろうとした男7s.jpg 英領インド帝国ラホールの北極星新聞の記者キップリング(クリストファー・プラマー)の事務所に、乞食のような男が現れ、「君の前で契約を交わした」と言われて、キップリングは彼が3年前に出会ったカーネハン(マイケル・ケイン)だと気づく。キップリングは、契約を交わしたもう一人の男王になろうとした男5s.jpgドレイボット(ショーン・コネリー)の行方を訊くが、カーネハンは彼は死んだと言い、彼らの「王になる」という夢の顛末を語る。3年前にカーネハンは、偶然にドレイボット、カーネハンと知り合うが、二人は「王になる」という夢を抱いていて、キップリングを証人に「王になるまでは女と酒を断つ」という契約を交わしたのだ。銃を入手した二人はアフガニスタン辺境カフィリスタンに向けて出発、何とかカフィリスタンに到達した二人は、女性を襲う仮面の部族に出くわし銃で追い払う。襲われていた部族の城に英語を話す男ビリー(サイード・ジャフリー)がいて、二人はビリーを仲間に引き込み、首長を丸め込み英国式軍事訓練を施し、カフィリス王になろうとした男ages.jpgタン支配を企む。仮面の部族に戦争を仕掛け降伏に追い込むが、その際、ドレイボットの胸に矢が命中するも、ベルトに当たり王になろうとした男as.jpg命拾いする。それを見た部族たちは、ドレイボットが、伝説で語られる大昔カフィリスタンを征服した神シカンダー(アレクサンダー大王)の息子だと信じる。カーネハンは伝説を利用してドレイボットを「神の息子」に仕立て上げ、戦わずに周辺部族を従属させるが、聖都シカンダルグルの大司祭に出頭を命じられる。大司祭は「本当の神か確かめる」としてドレイボットを剣で刺そうとするが、彼がフリーメイソンの紋章を所持しているのを見てシカンダーの息子として認める。祭壇に刻まれた古来の紋章は、フリーメイソンのと同じ意匠だった。「シカンダー2世」としてカ王になろうとした男 2s.jpgフィリスタン王に即位したドレイボットは人々から崇められ、シカンダーが残した莫大な財宝を手に入れる。悲願達成を喜ぶカーネハンは、「財宝を手にインドに戻ろう」と提案するが、王座の魅力に憑りつかれたドレイボットは、留まって美女ロクサネ(シャキーラ・ケイン)を王妃に迎えることを決める。「神と人間の結婚」に高僧は反発し、カーネハンも正体の露見を恐れて反対するが、ドレイボットは聞き入れず強引に結婚を宣言する。カーネハンはドレイボットに別れを告げて出発しようとするが、懇願されて結婚式だけは参列する。式の際に、「神に愛された女は灰になる」という言い伝えを信じたロクサネは、恐怖のあまりドレイボットの頬を噛む。不死身のはずのドレイボットから血が流れる姿を見た大司祭らは、彼が神を騙る偽物だと気づき、二人は怒り狂う群衆から逃れようとするが―。

ラドヤード・キップリング.jpg 1975年公開のアメリカ・イギリス映画で、『ジャングル・ブック』などで知られるノーベル文学賞受賞作家のラドヤード・キップリング(1865-1936)の同名小説の映画化作品。キップリングは英国人で初めての(1907年)、且つ史上最年少(41歳)でのノーベル文学賞受賞作家です。ジョン・ヒューストン監督はキップリングの愛読者で、「王になろうとした男」は王になろうとした男2s.jpg20年来の念願の企画だったそうです。当初はハンフリー・ボガートとクラーク・ゲイブルが主演候補でしたが、ゲイブルの死で頓挫し、後にポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの主演で企画が再スタートしまたが、ポール・ニューマンが英国人を主演に据えるべきだと主張し、マイケル・ケインとショーン・コネリーになったとか。ポール・ニューマンの主張は正しかったように思います。

王になろうとした男es.jpg 途中まで結構コミカルなシーンがあるために、ラストのトレイボットが英国の歌を歌いながら吊り橋を渡っていくシーンは一気に悲壮感が増します。結局、「王」になるつもりが「神」にまでなってしまって、それがトレイボットに災いしました。ジョン・ヒューストン自身は、「この映画にも欠点はないとはいえない。でもそんなことを誰が気にするだろうか。これは遮二無二前に突き進む映画である。前方の瀑布に向かってひたすら泳いでいくそういう映画なのである」と述べています。結末こそ悲壮感が漂いますが、夢を追いかける生き方をした男を肯定的に捉えたと言うか、むしろ讃えた映画なのでしょう。

黄金 002.jpgマルタの鷹 b.jpg そう言えば、同監督の「マルタの鷹」('41年)でも、ハンフリー・ボガート演じるサム・スペードは、"マルタの鷹"の争奪に明け暮れる男達を警察に引き渡しながらも、"鷹"を手に取った刑事の「重いな、これは何だ」という問いに「夢のかたまりさ」と答えているし、「黄金」('48年)はまさに、一獲千金を夢見てシエラ・マドレ山中に金鉱を求める男達の話でした。その意味では、「マルタの鷹」「黄金」の流れを汲むものがあると思います。

王になろうとした男0as.jpg 原作であるラドヤード・キップリングの短編小説「王になろうとした男」(1888)(「王になろうとした男」(『諸国物語』('08年/ポプラ社)所収)/「王を気取る男」(『キプリング・インド傑作選』('08年/鳳書房)所収))は、冒険家ジェームズ・ブルックとジョシア・ハーランの二人の経験を元にしていて、ジェームズ・ブルックは、ボルネオ島にあるサラワクで白人王に成った英国人であり、ジョシア・ハーランは、ゴール王子の称号を、彼自身のみ成らず、彼の子孫インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説es.jpgにまで与えられた米国人冒険家でした。こうした秘境に冒険し、お宝や理想郷を求める話は、同じく英国作家のジェームズ・ヒルトンの『失われた地平線』(1933)などに受け継がれ(『失われた地平線』は1937年にフランク・キャプラ監督で映画化されている)、更には、フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」('79年/米)や、スティーヴン・スピルバーグ監督の「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」('81年/米)をはじめとするインディ・ジョーンズ・シリーズなどにも影響を与えているように思います。「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」('84年)

 「王になろうとした男」の舞台カフィリスタンはアフガニスタンとパキスタンの国境付近で、その谷に住むカラーシャ族は独自の宗教を信仰するため「異教(カフィール)徒の地=カフィリスタン」と呼ばれ、人々は白い肌、青い瞳の特徴を持ち、古代マケドニアの将軍アレキサンダー大王の軍隊の末裔という伝説があるそうです。但し、撮影の大半はモロッコで行われたとのことです。カフィリスタンの首長や司祭を演じた俳優はこの作品しか出演記録がないので、モロッコでの現地調達だったのではないでしょうか。

王になろうとした男mages.jpg王になろうとした男ges.jpg ドレイボットが結婚式を挙げる相手のロクサネ役は、ロアルド・ダールとパトリシア・ニールの娘テッサ・ダール(1957年生まれ)が予定されていましたが、ジョン・ヒューストンがよりアラブ的な女性を求め、「私たちはどこかでアラブの姫を探さなければいけない」という話をマイケル・ケインとした食事した時に話した際に、同席したマイケル・ケインの妻シャキーラ・ケイン(1947年生まれ)が南米ガイアナ出身でエキゾチックな容貌だったため、ヒューストンが彼女を説得してロクサネ役に起用したそうです。減量や歯の矯正までして撮影に備えたというテッサ・ダールには気の毒ですが、演技力より容貌の方が重要だったということでしょう。モデル出身のシャキーラ・ケインも"Carry on Again Doctor" (1969)などにノンクレジットのチョイ役で出ている他はこの作品ぐらいしか出演記録が無いテンポラリー(特別出演)で(アイーシャと呼ばれていた頃、英APフィルムズの「謎の円盤UFO」(1970)というSFテレビドラマにアイーシャ・ジョンソン少尉役で出ていて、これがマイケル・ケインの目にとまり二人の結婚に至った)、こちらは"現地調達"ならぬ"自前調達"といったところでしょうか。

SHAKIRA CAINE in CARRY ON AGAIN DOCTOR (1969)/THE MAN WHO WOULD BE KING (1975)
SID JAMES <font color=deeppink><strong>SHAKIRA CAINE</strong></font> & JIM DALE CARRY ON AGAIN DOCTOR (1969) .jpg Shakira Caine .jpg
アイーシャ(in「謎の円盤UFO」)=シャキーラ・ケイン/マイケル・ケイン in「鷲は舞いおりた」('76年/英)
アイーシャ・ジョンソン少尉.jpg シャキーラ ケインSH.jpg 鷲は舞いおりた ケイン サザーランド 2 .jpg

The Man Who Would Be King (1975).jpg王になろうとした男5.jpg「王になろうとした男」●原題:THE MAN WHO WOULD BE KING●制作年:1975年●制作国:アメリカ・イギリス●監督:ジョン・ヒューストン●製作:ジョン・フォアマン●脚本:ジョン・ヒューストン/グラディス・ヒル●撮影:オズワルド・モリス●音楽:モーリス・ジャール●原作:ラドヤード・キップリング「王になろうとした男」●時間:129分●出演:ショーン・コネリー/マイケル・ケイン/クリストファー・プラマー/サイード・ジャフリー/ドラミ・ラルビ/ジャック・メイ/カルーム・ベン・ボウリ/モハマド・シャムシ/アルバート・モーゼス/ポール・アントリム/グラハム・エイカー/シャキーラ・ケイン●日本公開:1976/06●配給:コロムビア・ピクチャーズ(評価:★★★☆)
The Man Who Would Be King (1975)

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曲者俳優に事欠かない作品。その中でサム・スペード像をよく体現していたH・ボガート。

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マルタの鷹03.jpgマルタの鷹Bogart.jpg サンフランシスコの私立探偵サム・スペード(ハンフリー・ボガート)は、家出した妹を連れ戻したいという女性(メアリー・アスター)の依頼を受け、相棒のマイルズ・アーチャー(ジェローム・コーワン)に、フロイド・サースビーという男を尾行させる。しかし、その夜サースビーとアーチャーは死体となって発見される。スペードはアーチャーの妻(グラディス・ジョージ)と密通しており、警察は彼に嫌疑を向ける。スペードはジョエル・カマルタの鷹AstorMaltFalc1941Trailer.jpgマルタの鷹GeorgeMaltFalc1941Trailer.jpgイロ(ピーター・ローレ)という男の訪問を受け、彼はスペードが何かを握っていると考えており、それを探ろうとしている様子だった。女依頼人に再会したスペードは、彼女が最初に名乗ったのは偽名で、本名はブリジッド・オショーネシーであること、カイロとも関係していることを知る。2人を引き合わせたスペードは、彼らの会話からその関心がある鳥の彫像にあること、「G」なる人物もまたそれを求めてマルタの鷹LorreMaltFalc1941Trailer.jpgマルタの鷹GreenstreetMaltFalc1941Trailer.jpgいるらしいことを知る。やがて「G」ことガットマン(シドニー・グリーンストリート)もスペードに接触してくる。スペードはハッタリを仕掛け、彼らの捜し求めるマルタ騎士団にゆかりを持つ「マルタの鷹」の存在を聞き出す。ガットマンは、ロシアの将軍が「鷹」を所持していることを知り、カイロ、サースビー、オショーネシーの3人を代理人として派遣したが、「鷹」の価値に勘付いた3人はそれを秘匿してしまったのだという。やがて、オショーネシーの意を受けて、貨物船「ラ・パロマ」号の船長がスペードの事務所を訪れるが、彼は「鷹」をスペードに託して息絶える。「鷹」を手に入れたスペードはそれを切り札にガットマンらと交渉し、すべての経緯を炙り出す―。

マルタの鷹 b.jpgマルタの鷹〔改訳決定版〕.jpg 1941年のジョン・ヒューストンの脚本・監督作で、監督デビュー作でもある作品。ダシール・ハメットの同名探偵小説の3度目の映画化作品ですが、この作品が圧倒的に有名です(2007年の American Film Institute による「ベスト映画100」では第31位にランクインしている。因みに、先に取り上げた「黄金」('48年)は第38位)。日本公開は本国公開の10年後の1951年ですが、ハメットの原作の本邦初訳は更に後で1954年のハヤカワ・ポケット・ミステリなので、翻訳者(砧一郎)も先に映画の方を観たのではないでしょうか。まあ、読者側からすれば、原作を先に読もうと映画を先に観ようと、映画のイメージが強烈なので、原作に対するイメージに影響を与えることは必至のような気がします。

マルタの鷹S (2).jpg ハンフリー・ボガートが40代で初めてタイトルでトップになった作品ですが、カイロを演じたピーター・ローレとガットマンを演じたマルタの鷹s.jpgシドニー・グリーンストリートの曲者ぶりが強烈で、ガットマンの手下の用心棒役で性格俳優のエリシャ・クック・Jrなども出ていたりして、ハンフリー・ボガートのアクの強さが中和され、むしろ爽やかに見えるくらいです。とりわけ、ぬめっとした異様さを漂わすピーター・ローレは、風貌も演技も何とも言えず薄気味悪いですが、この人、「カサブランカ」('42年)にも、出国ビザを売買するブローカー役で出ていました(ヒッチコックの「暗殺者の家」('34年)にも出ていた)。

マルタの鷹the-maltese-falcon.jpg ストーリーは概ね原作に忠実ですが、ラ・パロマ号の中で何があったのかが全く説明されておらず、交渉上「マルタの鷹」を所持しているとハッタリをかましたスペードのところへ「鷹」が偶然転がり込んできて、ややご都合主義に見えてしまうキライがなくもありません。原作では、ラ・パロマ号の中での出来事は登場人物の一人によって語られる形になっており、これを映像化すると"映像のウソ"になるし、"語り"でやると、せっかくそこまでテンポよく話が展開していたのに間延びしてしまうことになり、敢えて説明をすっ飛ばしたのではないかと、個人的には推察します。

マルタの鷹09.jpg 実は登場人物の"語り"でストーリーを展開させている部分が既に結構あり(フィルム・ノアールに特有の作劇法で、この作品がその原型になったとも言われている)、とりわけハンフリー・ボガートがよく喋っているので(しかも早口で)、これ以上やるとセリフばかりになってしまうという危惧もあったのかも。まあ、その他にもサスペンスの要素はあるし、ハードボイルド作品の場合、謎解きも大事ですがテンポや雰囲気も大事なので、ラ・パロマ号での出来事の説明を省いてしまったのは、これはこれで妥当な選択だったのかもしれません。

マルタの鷹mages.jpg サム・スペードがいなければ、レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウも、ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャーも存在しなかったと言われています。原作者ハメットはサム・スペードについて「スペードにはモデルはいない。彼は私が一緒に働いていた私立探偵の多くがこうでありたいと願い、時にうぬぼれて少しは近づけたと思い込んだという意味で、夢に描いた男なのである」「彼はいかなる状況も身をもってくぐり抜け、犯罪者であろうと無実の傍観者であろうと、はたまた依頼人であろうと、関わりを持った相手に打ち勝つことの出来る強靭な策士であろうと望んでいる男なのである」と述べていますが、ハンフリー・ボガートはそうしたサム・スペード像をよく体現していたように思います。

マルタの鷹08.jpgマルタの鷹  0.jpg「マルタの鷹」●原題:THE MALTESE FALCON●制作年:1941年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ジョン・ヒューストン●撮影:アーサー・エディソン●音楽:アドルフ・ドイチュ●原作:ダシール・ハメット●時間:101分●出演:ハンフリー・ボガート/メアリー・アスター/グラディス・ジョージ/ピーター・ローレ/バートン・マクレーン/リー・パトリック/シドニー・グリーンストリート/ウォード・ボンド/ジェローム・コーワン/エリシャ・クック・Jr/ジェームズ・バーク/マレイ・アルパー/ジョン・ハミルトン/ウォルター・ヒューストン(ノン・クレジット)●日本公開:1951/01●配給:セントラル●最初に観た場所:新宿・シアターアプル(85-10-13)(評価:★★★★)

ピーター・ローレ in「マルタの鷹」('41年)
ピーター・ローレ.jpg
ピーター・ローレ in「暗殺者の家」('34年)/「カサブランカ」('42年)/ヒッチコック劇場「南部から来た男」(1960) (日本放送時のタイトル「指」)with Steve McQueen
暗殺者の家 ピーター・ローレ.jpg ウーガーテ(ピーター・ローレ)_.jpg ダール 南から来た男es.jpg

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人間劇として優れている。J&W・ヒューストンが親子でアカデミー賞(監督賞・助演男優賞)を獲った作品。

黄金 poster.jpg黄金 THE TREASURE OF THE SIERRA MADRE.jpg黄金 1948_.jpg
黄金 スペシャル・エディション [DVD]

黄金 01.jpg 1920年代のメキシコ。革命の混乱は収まっていたが、地方では山賊がはびこり人々を脅かし続けていた。新政府により、地方の統制と山賊の排除は通称フェデラルズという有能だが非情な連邦警察に任されていた。外国人にとって、山賊に出くわすことは死を意味するほど危険なことで、山賊もフェデラルズに捕まれば、自分の墓穴を掘り、銃殺されるのだった。そんな中、ダブズ(ハンフリー・ボガート)、ハワード(ウォルター・ヒューストン)、カーティン(ティム・ホルト)の3人の白人のアメリカ人がメキシコの港町タンピコで出会い、一獲千金を夢黄金 02.jpg見てシエラ・マドレ山中に金鉱を求め旅立つ。男たちは途中、ゴールド・ハット(アルフォンソ・ベドヤ)率いる山賊の列車襲撃に遭いながらも切り抜ける。列車旅を終え砂漠に出ると、これまで老人然としていたハワードが、屈強で知識豊富な山師であることを見せつける。ハワードの活躍で金鉱が見つかり砂金が掘り出されてゆくが、黄金の魅力にとりつかれたダブズは、金を独り占めしたい衝動に駆黄金 03.jpgられるようになってゆく。コーディ(ブルース・ベネット)という一人旅の男が現れ仲間に入れてくれと申し出る中、ゴールド・ハットたちがフェデラルズのふり黄金es.jpgをして接近してくるが、山賊の正体を男たちは見抜き、銃撃戦となる。コーディが銃弾に倒れ、形勢が不利になったところで本物のフェデラルズが現れ山賊を蹴散らす。やがて、砂金の取れ高が減り、十分な金を手にした男たちは、山を下りることに。ロバを引く道すがら、インディオの少年を助けたハワード黄金 07.jpgは村人に請われて礼を受けるため、残りの2人と一時別れる。彼を裏切り金を山分けにしようと言うダブズと、コーディも入れた4人で分けるべきだとするカーティンは対決し、勝ったダブズは瀕死のカーティを置いて町へと向かうが、寸前でゴールド・ハットに遭遇し、あえなく命を落とす。一方、カーティスは一命を取りとめハワードと合流し、2人は町に着くが、既にダブズは死に、ゴールド・ハット一党も処刑されたと知る。ようやく砂金が捨てられた場所へと辿り着くも、折からの季節風が金を空中へと吹き飛ばしてしまう。全てが無に帰したことを知った2人は笑うしかなかった。ハワードは彼を必要とするインディオの村へ、カーティンはコーディの残した家族に会うためテキサスへ、それぞれの道へと馬を向ける―。

黄金in.jpg黄金 04.jpg 1948年公開のジョン・ヒューストン監の作品。ハンフリー・ボガートは「マルタの鷹」('41年)に続く、2度目のヒューストン監督作品への出演でした(その後、同年公開の「キー・ラーゴ」('48年)でもコンビを組んだ)。この作品は同年のアカデミー賞で監督賞と脚色賞、助演男優賞双葉十三郎.jpgに輝いたほか、ニューヨーク映画批評家協会賞作品賞なども受賞。2007年の American Film Institute による「ベスト映画100」では第38位にランクイン村上春樹 09.jpgしています。日本でも、双葉十三郎(1910-2009)が「ぼくの採点表」で☆☆☆☆★(85点)というジョン・ヒューストン監督作の中でも、またハンフリー・ボガート主演作の中でも最も高い評価をしています。因みに、作家の村上春樹氏は川本三郎氏との共著『映画をめぐる冒険』('85年/講談社)の中で、「僕は学生時代にこの『黄金』のシナリオを何度も何度も読みかえして作劇術の勉強をしたことがある」と述べています・

黄金 11.jpg 初めて観た時は、「マルタの鷹」でハンフリー・ボガートが演じたサム・スペードの冷静なタフガイのイメージがあったので、彼が演じる主人公ダブズが、次第に冷静さを失って仲間へ不信を抱き、金を独り占めようとして、最期は(映画の"最後"まで行かないうちに)山賊たちにあっけなく殺されてしまったのには驚きました(30代の脇役だった頃のハンフリー・ボガートは、例えば「汚れた顔の天使」('39年)でジェームズ・キャグニー演じるギャングにあっさり殺されたりしていたが)。ウォルター・ヒューストンが演じたベテラン山師ハワード(その演技によりアカデミー賞の"助演"男優賞を獲得した)の方がむしろ主役である映画だったような気もします。ティム・ホルト演じるカーティンの視点で、ダブズとハワードの生き方を対比させた作品とも言え、人間劇として優れていると思います。ハワードの方も、人間性に溢れた面と、ややそれを超越したようなエキセントリックな面(聖人?)を併せ持っており、一筋縄ではいかないキャラでした。

黄金 alfonso-bedoya.jpg ダブズはあっさり殺されてしまいますが、タブズを殺した山賊たちも警察に捕まり即座に処刑されることになります。処刑される前にゴールド・ハットは、落ちた自分の帽子を拾って被ってもよいかと銃殺隊に願い出て、それが許されるとひょいと帽子を拾い、そして銃殺されます。この記念撮影でもするかのようなトボケた一見ユーモラスな振る舞いに、他人の命を奪うことを何とも思っていないどころか、自分に命さえあまり重いものと思っていないような刹那的なものが感じられます。

黄金97.jpg 最初の方で、ダブズに何度か小銭を施すアメリカ人紳士役で、ジョン・ヒューストン監督自身が出演しています。ハワード役のウォルター・ヒューストンは彼の実父であり、この作品はアカデミー賞の監督賞も受賞しているので、1つの作品で親子でアカデミー賞を獲った最初の作品になります。

Ougon (1948).jpgジョン・ヒューストン  Ougon (1948)

「黄金」●原題:THE TREASURE OF THE SIERRA MADRE●制作年:1948年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ジョン・ヒューストン●製作:ヘンリー・ブランク●撮影:テッド・マッコード●音楽:マックス・スタイナー/レオ・F・フォーブステイン●原作:B・トレヴン●時間:126分●出演:ハンフリー・ボガート/ ウォルター・ヒューストン/ティム・ホルト/ブルース・ベネット/ バートン・マクレーン/アルフォンソ・ベドヤ●日本公開:1949/05●配給:ワーナー・ブラザーズ(評価:★★★★)

《読書MEMO》
スタンリー・キューブリックが選ぶベスト映画10(from 10 Great Filmmakers' Top 10 Favorite Movies)
1 『青春群像』(1953年/監督:フェデリコ・フェリーニ)
2 『野いちご』(1957年/監督:イングマール・ベルイマン)
3 『市民ケーン』(1941年/監督・主演:オーソン・ウェルズ)
『黄金』(1948年/監督:ジョン・ヒューストン /主演:ハンフリー・ボガート)
5 『街の灯』(1931年/監督・主演:チャールズ・チャップリン)
6 『ヘンリー五世』(1945年/監督・主演:ローレンス・オリヴィエ)
7 『夜』(1961年/監督:ミケランジェロ・アントニオーニ)
8 『バンク・ディック』(1940年/監督:エドワード・クライン)
9 『ロキシー・ハート』(1942年/監督:ウィリアム・ウェルマン)
10『地獄の天使』(1931年/監督:ハワード・ヒューズ)

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読み直してみて、"小説的"書簡体だと改めて思ったが、いい作品だと思えるようになった。。

錦繍.jpg錦繍 (1982年)錦繍 bunnko .jpg錦繍 (新潮文庫)

 かつて27歳と25歳の夫婦であり、夫の不義により離婚した男女が、その後別々の人生を生き37歳と35歳となった今、紅葉燃える蔵王のゴンドラ・リフトで偶然再会する。かつての夫・有馬靖明は、安穏ではない日々に疲れ果てた容貌でおり、かつての妻・勝沼亜紀は、再婚し、障害をもつ子の母となっていた。亜紀は、十数年ぶりに靖明に手紙を書き、靖明も躊躇しながらもそれに返信する。文通は当初、かつて靖明と深い仲となった瀬尾由加子と彼女からの無理心中に至る経緯の説明として始まり、次第にそれぞれが生きてきた日々と現在を語る内容に変わっていく。亜紀は靖明に去られた哀しみ、経営している建設会社の跡継ぎに娘婿をと考えていた父の失望、常連となった喫茶店「モーツァルト」の焼失と再建、別離の元となった由加子への憎悪、息子・清高が障害児として生を受けたことの遠因としての靖明への怨嗟、「モーツァルト」での奇縁による東洋史学者・勝沼壮一郎との再婚とその現在の夫との間で心が通い合わないこと、そして、それら全ての原因と言えるかもしれない宿業めいた自らの因縁を書き綴る。一方の靖明は、離婚後の荒んだ生活、心中の夜に死にゆく自分を離れた所から見ていたという臨死体験、現在ともに暮らしている令子という女性の献身ぶり、彼女の祖母が語ったという生と死の巡り合わせ、そして、令子の発案によるささやかな新事業の立ち上げと、それにより少しずつ回復していく心を書き綴る。互いの内にあった屈託は、手紙を遣り取りするうちに消えていく。「生命の不思議なからくり」を秘める宇宙に、互いの幸せを心から祈りながら、二人は遂に本当の別離の時を迎える―。

 作者が「泥の河」「螢川」「道頓堀川」の所謂"川三部作"に続いて発表した、全編"書簡体"の作品で(1982年新潮社刊)、(秋だからというわけではないが)久しぶりに再読してみました。最初に読んだ時は、書簡体であるということもあってか何となく古風な感じがし、終盤で女性の方が運命論者みたいになっていくのがやや肌に合わなかった気がします(もともと、自分の息子が障害を持って生まれたことを、自罰的な宿命論で捉えるような傾向がこの女性にはあるように思えた)。但し、読み返してみて、こうした辛い体験をしたら、そうした考え方が強まることもあるのかなあとも思ったりしました(最後に女性は、そうした自罰的な考えから解き放たれ、むしろ息子の成長が生きがいとして感じられるようになるのだが)。

 男性の方も、様々な経験を通してやや神秘主義的な考えを持つようになったようですが、結局、再会の時には疲れ果てていたように見えた男性(裏切られた女性よりも裏切った男性の方がより苦しかったと見ることもできる)の方が、手紙の遣り取りを通して、と言うか、令子という女性との新事業の立ち上げという新たな行動を通して、より早く恢復していったように思えます(立ち上げた新事業には、作者の広告代理店での勤務経験からくるアイデアが織り込まれているのではないか)。結局、女性の方から手紙を書いていることからみても、女性の方が、経済的なことはともかく、精神的には空虚感が大きかったということだったのかもしれません。しかしながら、女性の方も、男性の恢復に引っ張られるように強くなっていきます。

 改めて読み直してみると、"書簡体"という形式はやはり古風に感じられますが、書かれている内容にはリアリティがあり、非常に"小説的"に書かれているため、思った以上に感情移入できました(年齢のせいか)。一方、今の時代の人だったら、もう、こんな手紙の遣り取りをすることはまずないのではないかという気もして、内容におけるリアリティは再認識しましたが、形式におけるリアイティは更に後退しているようにも思いました。手紙というものの良さ、奥ゆかしさが感じられる作品でもあり、これはまさに作者の筆力に負う部分が大きいと思いますが、一方で、非常に"小説的"に書かれている点で、読者との間である種"お約束ごと"を設定するような作品になっているようにも思いました(初読の際にもそう思ったことを思い出した)。

心と響き合う読書案内2.jpg 作家の小川洋子氏が(『心に響き合う読書案内』('09年/PHP新書)の中で取り上げていて(ということは「心に響き合う」作品であるということになるが)、男女の往復書簡で基本的に元夫婦の男と女しか出てこないはずが、清高くん(亜紀の息子)をはじめ、実に魅力的な脇役が登場するとし、例えば、一代で会社を築いた亜紀の父親、住み込みのお手伝いさんの育子さん、喫茶店「モーツァルト」のご主人夫婦、今現在の靖明と共に暮らしている令子さん等々であるとしています。小川洋子氏は清高くんと令子さんが特に気に入ったみたいですが、言われてみればナルホドなあと。そうした指摘を受けて、人間は一人で生きていくわけではないのだなあと改めて思わされます。やはり、優れた読書家というのは、作品のいいところをうまく見つけるものだなあと思います。

錦繍 2.jpg錦繍 butai 7.jpg 読み直してみて、いい作品だと思いましたが、読者との間である種"お約束ごと"を設定するような作品になっていることにやや拘ってしまった自分は、小川洋子氏ほどにまでは、この作品の良い読者ではなかったかもしれません。

 この作品は、熊井啓監督で映画化される予定がありましたが、結局立ち消えになったようです。但し、1996年に南果歩主演で舞台化され(一人舞台「幻の光」)、更に2007年に鹿賀丈史、余貴美子主演で、2009年に鹿賀丈史、小島聖主演で舞台化されています。

【1985年文庫化[新潮文庫]】

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