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映画と異なる結末。小説は小説的に書かれ、映画は映画的に作られているが、軍配は映画か。

時計じかけのオレンジ 完全版.jpg アントニイ・バージェス.jpg  時計じかけのオレンジ dvd.jpg スタンリー・キューブリック2.jpg
時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)』Anthony Burgess「時計じかけのオレンジ [WB COLLECTION][AmazonDVDコレクション] [DVD]」Stanley Kubrick

時計じかけのオレンジ 0041.jpg 近未来の高度管理社会。15歳の少年アレックスは、平凡で機械的な毎日にうんざりしていた。そこで彼が見つけた唯一の気晴らしは「超暴力」。仲間とともに夜の街を彷徨い、盗み、破壊、暴行、殺人をけたたましく笑いながら繰り返す。だがやがて、国家の手がアレックスに迫る―。

時計じかけのオレンジ002.jpg 『時計じかけのオレンジ』は、アンソニー・バージェス(1917-1993/76歳没、翻訳出版物ではアントニイ・バージェスと表記される)が1962年に発表したディストピア小説で、スタンリー・キューブリック(1928-1999/70歳没)によって映画化された「時計じかけのオレンジ」('71年/英・米)は、第37回「ニューヨーク映画批評家協会賞」の作品賞や監督賞を受賞しています。

時計じかけのオレンジ 09.jpg 小説にも映画にも、少年たちが作家の家に押し入り、妻を暴行する場面がありますが、原作者アンソニー・バージェスが兵役でジブラルタルに駐在中、ロンドンに残っていた身重の妻が市内が停電中に4人の若い米軍脱走兵に襲われ、金を強奪され、結局赤ん坊を流産したという出来事があったとのことです。さらに、それから何年か後、バージェスは手術不可能な脳腫瘍があるという告知を受け、自分が死んだ後に妻が困らないようにと猛スピードで原稿を書き、『時計じかけのオレンジ』の元稿ができたそうです(脳腫瘍は後に誤診と判明した)。

時計じかけのオレンジ 004.jpg しかしながら、出来上がった原稿を作者自身が読み返してみて、ただの少年犯罪の小説であって新鮮味も無いことに気がつき、たまたま60年代初頭のソ連に旅行をした時、ソ連にも不良少年がいて英国の不良少年ともなんら違いがなかったことから、主人公の少年が、英語とロシア語を組み合わせて作った「ナツァト言葉」を操るという設定にしたとのことです。

 作品が発表された時の評判はイマイチで、「タチが悪く、取るに足らない扇情小説」と言われ、原罪と自由意志がテーマだとは気づかれずにいましたが、若者の間ではアンダーグラウンド的に支持を得ました。そして、時代や価値観の急激な変化や、映画界でも暴力や性の描写に寛大になってく中で、時代に乗り遅れないテーマを模索していたスタンリー・キューブリック監督の目にこの作品がとまって映画化されることになり、そのことによって一気に注目されるようになったとのことです。

 ストーリーと設定については原作と映画に大きな違いはないのですが、設定で1つ異なるのは、映画では成人男性である主人公のアレックスが、原作では15歳で設定されている点です。これはさすがに15歳のままの設定では映像化しにくかったということでしょう。

時計じかけのオレンジ003.jpg それと、それ以上に大きく異なるのは結末です。映画の衝撃的かつ皮肉ともとれる結末は、原作の第3部の6章で、アレックスが「ルドビコ療法」による「治療」を施されたにもかかわらず、結局「すっかり元通り」になった(要するに"ワル"に戻った)と宣言するところに該当します。しかし、原作は第1部から第3部までそれぞれ7章ずつで構成されており、この第3部の第7章が映画では割愛されています。

 なぜこうしことが起きたかというと、原作が米国で最初に出版された際、バージェスの意図に反し最終章である第21章(第3部の第7章)が削除されて出版され、キューブリックによる映画も本来の最終章を削除された版を元に作られたためです。

 その第3部の第7章を収めているゆえに、「ハヤカワepi文庫」版は「完全版」と謳っているわけです。本版は、'80年刊行の〈アンソニー・バージェス選集(早川書房)に準拠していますが、それ以前に刊行('77年)の「ハヤカワ文庫」版にはこの最終章がありません。

 最終の第3部の第7章はどういった内容かというと、アレックスは21歳になっていて、新しい仲間たちと集い再び暴れ回る日々に戻るも、そんな生活に対してどこか倦怠感を覚えるようになって、そんなある日、かつての仲間ピートと再会し、妻を伴う彼の口から子どもが生まれたことを聞いて、そろそろ自分も落ち着こうと考え、暴力からの卒業を決意し、かつて犯した犯罪は若気の至りだったと総括するのです。

 文庫解説の映画評論家の柳下毅一郎氏(自称「特殊翻訳家」)によると、キューブリックは、「この版(第3部の第7章がある版)は、ほとんど脚本を書き上げるまで、読まなかった。けれども、私に関する限り、それは納得のいかないもので、文体や本の意図とも矛盾している」と言っていたとのことです(キューブリックは、出版社がバージェスを説き伏せて、彼の"正しい判断"に反して付け足しの章を加えさせたと思い違いしていたようだ。第3部の第7章はいわばハッピーエンドであるため、そうした"作為"があった思うのも無理ない)。

時計じかけのオレンジ dh.jpg 米国刊行時に最終章のカットを求めたのは実は米国出版社であり、キューブリックや出版社は、最終章をとってつけたハッピーエンドに過ぎないと考え、一方のバージェスはむしろ「主人公か主要登場人物の道徳的変容、あるいは英知が増す可能性を示せないのならば、小説を書く意味などない」とし、第6章で「すべて元通り」のままで終わったのでは、ただの寓話にしかならないと反発したそうです(バージェスはカソリック作家でもある)。

時計じかけのオレンジch.jpg この両者の言い分をどうとるかで「映画派」と「小説派」に分かれるかもしれません(バージェスは映画版を嫌っていたという)。バージェスの側に与したいところですが、そうなると、「ルドビコ療法」によるアレックスの「治療」というのは結果的にうまくいったことになり、「拷問を通じた再教育」を是認するともとられかねない恐れもあるように思われます。映画では、そうした自己矛盾に陥るのを回避し、原作が自由意志の小説であることがインパクトをもって伝わることの方を重視したように思います(キューブリックは「シャイニング」('80年/英)の結末も原作と変えていて、原作者のスティーヴン・キングと喧嘩になっている)。

 「映画派」に立っても「小説派」に立っても、人間の自由意志は尊重されるべきであるというテーマは変わりないと思います。小説は小説的に書かれ、映画は映画的に作られているように思います。ただし、小説の結末をキューブリックが、「納得のいかないもので、文体や本の意図とも矛盾している」としているのは単に"いちいちゃもん"をつけているとは言い難く、まさに小説の方の弱点とも言え、個人的にはこの勝負、映画の方に軍配を上げたいと思います(「シャイニング」は、自分は原作の方に軍配を上げるのだが)。

 因みに、先に取り上げた同じくディストピア小説であるジョージ・オーウェルの『一九八四年』を読んでいる時に、いつも想起させれていたのがこの作品でした。そして、バージェスはオーウェルの『一九八四年』を意識して『1985年』という未来小説を書いていますが、そこでは、オーウェルが描いた管理社とはまた違った社会が描かれているようです。


【2836】 尾形 誠規 (編) 『観ずに死ねるか!傑作絶望シネマ88
』 (2015/06 鉄人社)
IMG_7882.JPG「時計じかけのオレンジ」●原題:A CLOCKWORK ORANGE●制作年:1971年●制作国:イギリス・アメリカ●監督・製作・脚本:スタンリー・キューブリック●撮影:ジョン・オルコット●音楽:ウォルター・カーロス●原作:アンソニー・バージェス●時間:137分●出演:マルコム・マクダウェル/ウォーレン・クラーク/ジェームズ・マーカス/ポール・ファレル/リチャード・コンノート/パトリック・マギー/エイドリアン・コリ/ミリアム・カーリン/オーブリー・モリス/スティーヴン・バーコフ/イケル・ベイツ/ゴッドフリー・クイグリー/マッジ・ライアン/フィリップ・ストーン/アンソニー・シャープ/ポーリーン・テイラー●日本公開:1972/04●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:三鷹オスカー(80-02-09)●2回目:吉祥寺セントラル(83-12-04)(評価:★★★★☆)●併映(1回目):「非情の罠」(スタンリー・キューブリック)


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「独裁政治」「全体主義」批判と併せて「管理社会」「監視社会」批判にもなっている。

一九八四年.jpg一九八四年 sin.jpeg 1984 (角川文庫).jpg 
一九八四年〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)』/『1984 (角川文庫)』['21年3月]

 1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三大超大国によって分割統治されていて、国境の紛争地域では絶えず戦争が繰り返されている。物語の舞台オセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンや街中に仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。オセアニアの構成地域の一つ「エアストリップ・ワン(旧英国)」の最大都市ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の下級役人として日々歴史記録の改竄作業を行っている。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。ウィンストンは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという禁行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの三人の人物が載った過去の新聞記事を偶然見つけ、体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性ジュリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになり、古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、隠れ家としてジュリアと共に過ごす。さらに、ウィンストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚のオブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白、オブライエンよりエマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書を渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出る―。

ジョージ・オーウェル.jpg 1949年6月に出版されたジョージ・オーウェル(1903-1950)の作品で、オーウェルは結核に苦しみながら、1947年から1948年にかけて転地療養先のスコットランドのジュラ島でこの作品のほとんどを執筆し、1947年暮れから9カ月間治療に専念することになって執筆が中断されるも、1948年12月に最終稿を出版社に送ったとのこと、1950年1月21日、肺動脈破裂による大量出血のため、46歳の若さで亡くなっています。
ジョージ・オーウェル(1903-1950/46歳没)

 ロイター通信によれば、英国人の3人に2人は、実際には読んでいない本も「読んだふり」をしたことがあるといい、「世界本の日」を主催する団体の'09年のウェッブ調査の結果では、読んだと嘘をついたことのある本の1位が、回答者の42%が挙げたジョージ・オーウェルの『一九八四年』であったとのこと(2位はトルストイの『戦争と平和』、3位はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』)。

 確かに、第1部で描かれる未来都市ロンドンの管理社会は、ややマニアックなSF小説を読んでいるみたいで、そうした類の小説を読みつけていない人は途中で投げ出したくなるかもしれません。しかし、第2部で主人公のウィンストン・スミスがジュリアという女性との恋に陥るところから話が面白くなってきます(恋愛はほとんどの人が身近に感じるから)。そして、突然の暗転。ジュリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、「愛情省」で尋問と拷問を受けることになりますが、これがまたヘビィでした。

 そして、最後は、「愛情省」の〈101号室〉で自分の信念を徹底的に打ち砕かれたウィンストン・スミスは、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら"心から"党を愛すようになるという―読んでいても苦しくなってくるような内容であるばかりでなく、ディストピア小説としてテーマ的にも重いものでした。

 この作品は、ソ連のスターリン体制批判ともとれる『動物農場』がそうであったように、刊行時においては、文学的価値よりも政治的価値の方が評価され、とりわけ米政府は、『動物農場』と併せて反共宣伝の材料として本書を利用したようで(逆にソ連ではペレストロイカが進行した1980年代末、1991年のソ連解体の直前まで禁書だった)、そうした政治的局面が過ぎればその価値は下がるとまで見られたりもしていたようです。

 しかし、実際には十分に普遍性を持った作品であったことは、後には誰もが認めるとことろとなったわけで、この作品で描かれ、端的に批判対象になっている「独裁政治」「全体主義」は、今もって北朝鮮や中国をはじめ、そういう国が実際にあるということです。また、アメリカでトランプ政権が誕生した際に、本書が再びベストセラーランキングに名を連ねたとの話もあります。

 あと、もっと広い意味での批判対象として描かれている、「管理社会」「監視社会」の問題もあるかと思いますが、そう言えば、都市部の街角に監視(防犯)カメラが普及し始めた際に、この作品が取り上げられたりしたことがありました。そうした意味でも先駆的であったわけですが、一方でわれわれ現代人は、そうした社会の恩恵をも受けているわけで、こちらの方が一筋縄背はいかないテーマかもしれません。

 監視カメラについては、警察が設置した街頭防犯カメラも増加傾向にあるものの、住宅や店舗、駅などに設置されている民間のカメラの方が圧倒的に数が多くて数百万台にのぼるとみられているそうですが、今や犯罪検挙の一割は、そうした防犯カメラが容疑者の特定に役立っているそうで、誰もこれを悪くは言わないでしょう。マイナンバー制度も、当初は「国民総背番号制」などと言われて国民が不安感を抱いたりしましたが、今は浸透し、カードを作った方が何かと便利だとかいう話とかになっているし、現代人はいつの間にか監視・管理されることに慣れてしまっているのかもしれません。

 でも、時にはそのことに自覚的になってみることが大事であって、その意識を思い起こさせてくれるという面も、この作品の今日的意義としてあるように思いました。「独裁政治」「全体主義」批判と併せて「管理社会」「監視社会」批判にもなっている作品であるように思います。先月['21年3月]に角川文庫から新訳が刊行されたのも、この作品が今日的価値を有することの証左とも言え、帯文には「思想統制、監視―現代を予見した20世紀の巨作‼」とあり、解説の内田樹氏が「昔読んだときよりもむしろ怖い」と述べていて、それぐらい自覚的な意識で読むべき本なのかもしれません。

映画「1984」('84年/英)ジョン・ハート    初代 MacintoshのCM('84年)
1984 映画 ジョン・ハート.jpg1984 マッキントッシュ cm.jpg 1984年にマイケル・ラドフォード監督により映画化されており、(「1984」(英))、ウィンストン・スミスをジョン・ハート、オブライエンをリチャード・バートン(この作品が遺作となった)が演じているそうですが未見です。個人金正恩 syouzou.jpg的には、ビッグブラザーのイメージは、同じく1984年に発表された、スティーブ・ジョブズによる初代MacintoshのCM(監督はリドリー・スコット)の中に出てくる巨大なスクリーンに映し出された独裁者の姿でしょうか。明らかにオーウェルの『一九八四年』がモデルですが(独裁者に揶揄されているのはIBMだと言われている)、作品を読む前に先にCMの方を観てしまったこともあり、イメージがなかなか抜けない(笑)。でも、現代に置き換えれば、金正恩や習近平がまさにこのビッグブラザーに該当するのでしょう。

まんがでわかる ジョージ・オーウェル.jpg 漫画などにもなっていますが、絶対に原作を読んだ方がいいです。ハヤカワepi文庫版の『動物農場』の訳者である山形浩生氏が監修した『まんがでわかる ジョージ・オーウェル「1984年」』('20年/宝島者社)がありますが、これも漫画の部分はいいとは思わなかったですが、解説はわかりよかったです。

まんがでわかる ジョージ・オーウェル『1984年』

【1972年文庫化[ハヤカワ文庫(『1984年』新庄哲夫:訳)]/2009年再文庫化[ハヤカワepi文庫(高橋和久:訳)]/2021年再文庫化[角川文庫(『1984』田内志文:訳)]】

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現代の様々な組織にも通用する普遍性があるが、発表当時は政治利用され、その点は看過された?

2015 ジョージ オーウェル 動物農場 角川.jpg 2009 ジョージ オーウェル 動物農場 岩波.jpg 2013 ジョージ オーウェル 動物農場 ちくま.jpg 2017 ジョージ オーウェル 動物農場 ハヤカワ.jpg
動物農場 (角川文庫)』['72年]『動物農場-おとぎばなし (岩波文庫)』['08年]『動物農場: 付「G・オーウェルをめぐって」開高健 (ちくま文庫)』['13年]『動物農場〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)』['17年]
IMG_20210328_115159.jpg動物農場 [DVD].jpg アニマル・ファーム図1.jpg ジョージ・オーウェル.jpg
角川文庫(併録:「象を撃つ」「絞首刑」「貧しいものの最期」)/「動物農場 [DVD]」/石ノ森 章太郎『アニマル・ファーム (ちくま文庫)』['18年]/ジョージ・オーウェル(1903-1950)
Animal Farm (Baker Street Readers) (2021/08)
Animal Farm (Baker Street Readers).jpg マナー農場の動物たちは自分たちをこき使う人間の横暴に怒っていた。飲んだくれの農場主ジョーンズを追い出した動物たちは決起して反乱を起こし、すべての動物は平等という理想を実現するべく「動物農場」を設立、守るべき戒律を定め、動物主義の実践に励んだ。農場は共和国となり、知力に優れたブタがリーダーとなったが、指導者となったブタのナポレオンは、反乱の先導者だった同じブタのスノーボールを追放し、手に入れた特権を徐々に拡大していく。それにより、「理想の農場」は次第に変質してゆく―。

 1945年8月に出版されたジョージ・オーウェル(1903-1950/46歳没)の作品で(原題には岩波文庫訳のように「おとぎばなし」というサブタイトルが付く)、実際に書かれたのは'43年11月から'44年2月までの間でしたが、その内容は、当時は理想の社会と見られていたソ連をあからさまに皮肉った内容であったため、出版社数社に出版を断られたという逸話があります。具体的には、ブタのメージャーはレーニン、ナポレオンはスターリン、スノーボールはトロツキーがモデルであり、当時の人から見ればすぐにピンとくるものであったようです。
ハヤカワepi文庫(2017/01)
IMG_20210328_115145.jpg また、こうしたストーリーの背景には、作者自身が、民兵(伍長)としてファシスト政権と戦うべく戦線へ赴いたスペイン内戦において、人民戦線の兵士たちの勇敢さに感銘を受ける一方で、ソ連からの援助を受けた共産党軍のスターリニストの欺瞞に義憤を抱いたことがあります。作者が入隊したPOUMはトロツキー系の軍隊組織で、ある時期からソ連にとってファシスト軍以上に危険で「粛清」に値する対象とみなされるようになったとのこと(川端康雄『ジョージ・オーウェル』('20年/岩波新書))、要するに、戦争に行ったら後ろ(味方)から弾が飛んできたといった状況だったようです。

 ただし、第二次世界大戦中はソ連は連合国側であったため、英国において批判の対象とするのはタブーだったのが(作者はジャーナリストでもあったが、本書はスターリン体制下のソ連を直接的に取材して書いたものではないことも弱点とされた)、戦後、米ソ冷戦時代に入ってからは、「共産主義は全然ユートピアなんかじゃないよ」という反共キャンペーンに利用されるような形で全面解禁されたとのこと。従って、本はよく売れたものの、それは政治的な絡みで売れているのであって、そうした時期が過ぎれば忘れ去られるだろうとも思われていて、現代の様々な組織にも通用する普遍性があるにも関わらず、その当時はその点は看過されたようです(国際情勢に振り回された作品とも言える)。

ジョン・ハラス&ジョイ・バチュラー
動物農場 アニメ1.jpgジョン・ハラス.jpgジョイ・バチュラー.jpg 反共キャンペーンに利用された一例として、ジョン・ハラス(1912-1995)&ジョイ・バチュラー(1914-1991)監督により1954年にアニメ映画化されていますが(「ハラス&バチュラー」は1940~70年代にかけて、ヨーロッパで最大、かつ最も影響力のあるアニメーションスタジオだった)、この製作をCIAが支援していたことが後に明らかになっています。アニメ「動物農場」は結末が原作と異なっていて、原作では最後まで「非政治的」な「静観主義者」だったロバのベンジャミンが、ここでは親友のウマのボクサーがブタのナポレオンの陰謀によって悲惨な最期を遂げたのを契機に目覚め、リーダーとなって、外部の動物たちの援軍を得て反乱を起こし、ブタたちを退治するというハッピーエンドになっています。

動物農場 アニメ2.jpg動物農場 アニメ4.jpg ハッピーエンドにするのはいいのですが、やや全体的に粗かったかなあという印象で、明らかに大人向けの内容なのに、子どもに受けようとしたのか、動物たちが愛らしい動きを描いた場面がしばしば挿入されていて、そのわざとさしさから逆にCIAが背後にいるのを意識したりしてしまいます(笑)。ただし、宮崎駿監督などはその技術を高く評価していて、'08年、日本でのDVDの発売に先行して「三鷹ジブリ美術館」として配給し、全国各地で上映しています。また、ジョン・ハラスにはアニメーション技法についての多くの著作があり、宮崎駿監督もそれを参考書として読んだとのことです。

『アニマル・ファーム』.jpg)『アニマル・ファーム』obi.png また、漫画家の石ノ森章太郎(1938-1998)がこれを漫画化していて(『アニマル・ファーム』(「週刊少年マガジン」1970年8月23日第35号~9月13日第38号)、'70年初刊)、'18年にちくま文庫に収められています。文庫版は字が小さくて読みにくいとの声もありますが、原作の登場人物のセリフをそのまま引いてきているため、文字数が多くなってしまうことによるもので、原作へのリスペクトが感じられ、また、原作の雰囲気を掴む上でもこのセリフの活かし方は良いと思いました。

 最後の方だけ、ちょっと端折った感があったでしょうか。ちくま文庫同録の短編2編(「くだんのはは」「カラーン・コローン」)は要らなかったです。「アニマル・ファーム」のみ最後までしっかり描き切ってほしかったけれど、売れっ子漫画家がいくつか抱えている連載のうちの1つとして描いているので、なかなかそうはいかなかった事情があったのかもしれません。5回の連載でここまで盛り込めれば上出来とみなすべきなのかもしれません(アニメより密度が濃い)。

動物農場 (1954).jpg動物農場 アニメ3.jpg「動物農場」●原題:ANIMAL FARM●制作年:1954年●制作国:イギリス●監督・製作:ジョン・ハラス/ジョイ・バチュラー●製作製作プロデューサー:ルイ・ド・ロシュモン●脚本:ジョン・ハラス/ジョイ・バチュラー/フィリップ・スタップ/ロサー・ウォルフ●撮影:ディーン・カンディ●音楽:マティアス・サイバー●アニメーション:ジョン・F・リード●原作:ジョージ・オーウェル●時間:74分●日本公開:2008/12●配給:三鷹の森ジブリ美術館(評価:★★★)

【1972年文庫化[角川文庫(高畠文夫:訳)]/2009年再文庫化[岩波文庫(『動物農場: おとぎばなし』 川端康雄:訳)/2013年再文庫化[ちくま文庫(開高 健:訳)]/2017年再文庫化[ハヤカワepi文庫(山形浩生:訳)]】

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「松本清張スペシャル・留守宅の事件」)

「留守宅の事件」ほか"社会派"の面目躍如といった作品群。どれも面白かった。

証明 ポケット文春1970.jpg「証明」文春文庫.jpg 「証明」文春文庫新装版.jpg 「留守宅の事件」ドラマ.jpg
『証明』(ポケット文春)/『証明 (文春文庫)』/『新装版 証明 (文春文庫)』/火曜サスペンス劇場「松本清張スペシャル・留守宅の事件」('96年/日本テレビ)古谷一行/内藤剛志

『証明』 (1970 ポケット文春)1.jpg 「証明」(オール読物、1969年)、「新開地の事件」(オール読物、1969年)、「蜜宗律仙教」(オール読物、1970年)、「留守宅の事件」(小説現代、1971年)の4編を所収。この中で、「密宗律仙教」は、印刷屋の渡り職人をしていた男が高野山で修行して新興宗教を起こす話で、宗教団体がどう生まれ、どう成長するか、そのプロセスが丁寧に描いていて面白かったです。最後の方に注射による犯罪行為が出てきますが、それは付け足しのようなもので、むしろノンフィクションタッチで描かれる教団および教祖誕生のプロセスが読み処であったように思います。他の3編は―。

「証明」
 高山久美子の夫・信夫は5年前に会社勤めを辞め、文芸雑誌への小説の持ち込みを続けていた。信夫の作品は同人雑誌に時々掲載されたが、一流の文芸雑誌からは原稿を突き返される日々が続いた。美久子は婦人雑誌の下調べの仕事をしていたが、無収入の状態が続く信夫は、久美子が帰宅すると当て付けるように荒れ狂ったり、妨害したりするのだった。妻に養われているという卑屈感が原因とはわかっていたが、いまさら文学を止めて下さいと久美子は言えなかった。不規則な久美子の仕事時間に疑念を持つようになった信夫は、久美子にその日の行動の明確な報告を要求し、辻褄の合わないと怒るようになった。ある日、久美子は取材のため、洋画家の守山嘉一と赤坂のレストランで会った。帰宅途中、守山が名うてのプレイボーイの評判があることに気づく。信夫には隠さなければならない...。久美子は守山に再び会い、口止めを懇願する―。

 主人公が夫の疑いを避けるために自分の行動記録の改竄したことよって、逆に自分自身を追い込んでしまう話かと思いましたが、途中までそうした様相を呈していたものの、終盤に話は思わぬ急展開をしました。肉食系っぽい守山とは何も無かったのに、一見乾いた感じの仏文学者の平井と...。結局、夫の嫉妬には耐えることができたけれど、自分の方のそれは抑えられなかったということになるでしょうか。今まで夫の下で我慢していた分、抑圧された情動が一気に発散されて、「本気」になってしまったということなのかもしれません。平井への嫉妬が恨みに転じて...。それにしても、その瞬間によく犯行を思いついたものだなあ。犯罪は犯罪に違いないけれど、ある種の無理心中と言えるかも。

月曜ドラマスペシャル 証明.jpg この「証明」はこれまでに2度、1977年にTBS「東芝日曜劇場」で大原麗子・山本學主演で、1994年の同じくTBSの「月曜ドラマスペシャル」で風間杜夫・原田美枝子主演でドラマ化されていますが、いずれも個人的には未見です。


「新開地の事件」
 東京西部の北多摩郡、農地が開発されベッドタウン化しつつある地域で、長野直治は妻のヒサ・娘の富子と3人で暮らしていたが、ある時、九州から下田忠夫というゴツゴツした風貌の男が来て、間借人として直治の家に入ることになった。忠夫は菓子職人の見習いとして中央線沿線の有名菓子屋に通った。やがて職人となった忠夫は、富子と結婚することになり、長野家の養子に入る。やがて忠夫は直治の援助もあり、新宿の近くに洋菓子店を開業、店は繁盛した。1年後、直治は卒中で倒れ体が不自由になり、その2年目、直治は庭先で転倒し頭を打ったことが原因で死んだ。ヒサの身の振り方が問題となったが、土地を売って忠夫の店に同居するよう提案されるも、ヒサは頑なに拒否する。そうした中、ヒサの絞殺死体が発見される。忠夫の不審な行動に着目した警察は、行方不明となった忠夫を全国に指名手配、2週間後に逮捕された忠夫は、警察の推定した通りに犯行を自供する。しかし、その供述に検事は疑問を抱く―。

 土地を売る売らないの件でなぜ揉めるのかなあと思いましたが、最後に思わぬ真相が明かされてビックリ。ちょっとこの「動機」は思いつかないなあ。推理しようがなかったです。母と娘と娘婿の性の確執かあ。「どろどろ度」は4編の中で一番でした。

知られざる動機.jpg この「新開地の事件」は、1983年に日本テレビの「火曜サスペンス劇場」枠で藤真利子主演で「松本清張スペシャル・松本清張の知られざる動機」というタイトルで(まさにタイトル通りだが)ドラマ化されています。地主の一人娘・長野富子を藤真利子が、富子の結婚相手・下田忠夫を高岡建治が演じ、富子の母・長野ヒサは吉行和子、父・直治は内田朝雄が演じていますが、こちらも未見です。


「留守宅の事件」
 足立区・西新井の栗山敏夫宅の物置で、栗山の妻・宗子の死体が発見された。萩野光治は栗山の友人であったが、宗子に好意を持っていた。栗山の留守中に宗子のもとを訪れていたことが露見し、萩野は殺人の容疑者として逮捕される。他方、捜査主任の石子警部補は、萩野が宗子を犯さなかった点、栗山の素行に問題があった点から、真犯人は栗山だと考える。しかし、自動車セールスマンの栗山は仕事で東北各地を廻っており、その合間を縫って東京の宗子を殺すことは、まったく不可能であるように思われた―。

 "ミニ「点と線」"みたいな感じで面白かったです(この作品は1972年・第3回「小説現代読者賞」に選ばれている)。文庫解説の阿刀田高氏も、表題作よりも先にこちらの方を取り上げているくらい。犯人の見当はすぐつきますが、どうやってアリバイを崩すかが焦点になっています。個人的には、終盤ばたばたっと急展開する「証明」よりもこちらの方がオーソドックスと言うか、やや上に思えました。

留守宅の事件」ドラマt3.jpg この「留守宅の事件」は、1996年に日本テレビの「火曜サスペンス劇場」枠で古谷一行・内藤剛志主演で、2013年にテレビ東京の「水曜ミステリー9」枠で寺尾聰主演(刑事役)でそれぞれドラマ化されていますが、「火曜サスペンス劇場」版の「松本清張スペシャル・留守宅の事件」を観ました。

「留守宅の事件」0.jpg 容疑者にされてしまう萩野光治(古谷一行)は、原作と異なり、被害者の栗山宗子(洞口依子)と従兄妹関係にあり、かつて一度だけ肉体関係を持ったことがあるという設定となっていました。さらに、萩野は警察に逮捕されそうになる直前に逃れ、潜伏しながら妻(余貴美子)の助けを借りて、栗山(内藤剛志)が真犯人であるとの確証を得るに至り、自らその鉄壁のアリバイ崩しに挑むというもの(犯人の濡れ衣を着せられた男が逃亡しながら真犯人を突きとめるという「逃亡者」のリチャード・キンブルのスタイル)。最後は事件を解き明かすも、妻は自分の下を去って行くというほろ苦い結末でした(脚本は大野靖子(1928-2011/82歳没))。

古谷一行(萩野光治:会社員)/内藤剛志(栗山敏夫:萩野の後輩、セールスマン)/洞口依子(栗山宗子:栗山の妻、萩野の従妹、絞殺被害者)/余貴美子(萩野芳子:萩野の妻)/平泉成(石子静雄:警視庁警部補、捜査主任)/芳本美代子(高瀬昌子:栗山宗子の妹)

「留守宅の事件」ドラマ2.jpg 金田一耕助役のイメージが強い古谷一行が、被疑者とされながらも自ら事件の真相を探る"探偵"の役割を演じているのはともかく、最近は刑事役が多い内藤剛志が犯人役を演じているのが興味深いですが、思い起こせばこの当時は結構犯人役や被害者役もやっていた記憶があります(1994年のTBS「月曜ドラマスペシャル」版の松本清張原作「証明」では、主人公に殺害される仏文学者の平井の役で出ている)。

内藤剛志/古谷一行

「松本清張スペシャル・留守宅の事件」3.jpg「松本清張スペシャル・留守宅の事件」●監督:嶋村正敏●プロデューサー:佐光千尋(日本テレビ)/田中浩三(松竹)/林悦子(『霧』企画)●脚本:大野靖子●音楽:大谷和夫●原作:松本清張「留守宅の事件」●出演:古谷一行/内藤剛志/余貴美子/洞口依子/芳本美代子/平泉成/加地凌馬/内田大介/岡崎公彦/小畑二郎/米沢牛/佐竹努/西塔亜利夫/白鳥英一/阿倍正明/大橋ミツ/但木秋寿/木村理沙●放映:1996/01/09(全1回)●放送局:日本テレビ

 こうしてみると、「密宗律仙教」以外の他の3編にしても、文庫解説の阿刀田高氏も指摘しているように、「推理」そのものよりも、「社会」や「人間」にウェイトを置いた作品であったように思われ、"社会派"と呼ばれた作者の面目躍如と言える作品群でした。

【1976年文庫化・2013年新装版[文春文庫]】

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「悲惨小説」になっているのが逆に面白いのかも。リアリズムで読者を惹きつける。

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpgにごりえ たけくらべ 岩波.jpgちくま日本文学013 樋口一葉.jpg にごりえes.jpg
にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)/『にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)』(カバー絵:鏑木清方「たけくらべの美登利」)/『樋口一葉 [ちくま日本文学013]』(たけくらべ・にごりえ・大つごもり・十三夜・ゆく雲・わかれ道・われから・春の日・琴の音・闇桜・あきあわせ・塵の中・他)/映画「にごりえ」淡島千景
にごりえ 3.jpg 丸山福山町の銘酒屋街にある菊の井のお力は、上客の結城朝之助に気に入られるが、それ以前に馴染みになった客・源七がいた。源七は蒲団屋を営んでいたが、お力に入れ込んだことで没落し、今は妻子共々長屋での苦しい生活を送っている。しかし、それでもお力への未練を断ち切れずにいた。ある日、朝之助が店にやって来た。お力は酒に酔って身の上話を始めるが、朝之助はお力に出世を望むなと言う。一方の源七は仕事もままならなくなり、家計は妻の内職に頼るばかりになっていた。そんな中、子どもがお力から高価な菓子を貰ったことをきっかけに、それを嘆く妻と諍いになり、ついに源七は妻子とも別れてしまう。ある日、菊乃井でお力が行方不明になり、騒ぎになっていた―。

ちくま日本文学013 樋口一葉.jpg 樋口一葉が、1895(明治28)年9月、雑誌「文芸倶楽部」に発表した作品です。舞台となった丸山福山町は現・文京区白山一丁目、西片一丁目あたりで旧花街に近く、樋口一葉は「たけくらべ」の舞台となった竜泉寺町(現・台東区竜泉)を引き上げた後、1894(明治27)年から没する1896(明治29)年まで丸山福山町に居住し、「にごりえ」のほか、「大つごもり」「たけくらべ」「十三夜」等の名作を遺しています(竜泉に「一葉記念館」があるが、本郷の東大赤門の向かいにも「一葉会館」があり、ゆかりの品々が展示されている)。

樋口一葉 [ちくま日本文学013]』(カバー絵:安良光雅

にごりえ 小池 神山.jpg この「にごりえ」は、今井正監督によりオムニバス映画「にごりえ」('53年/松竹)の第3話として淡島千景主演で映像化されていて、結城朝之助を山村聡、源七を宮口精二、源七の妻・お初を杉村春子が演じています(二人の息子を当時6歳の松山省二が演じている)。「文学座総出演」の映画とのことで、この第3話にはそのほかにヤクザや酔客などの役で、加藤武や小池朝雄、神山繁などがノンクレジットでちょっとだけですが出ています。

 推理小説ではないので結末を明かしてしまうと、最後にお力は源七の刃によって、無理とも合意とも分からない心中の片割れとなって死ぬことにまります。結局、お力も源七のことが忘れられず、二人はどこかで会ったのではないかと思われます。ただし、その時、妻子に去られ絆(ほだ)しの無くなった源七の方はともかく、お力の方に心中する気持ちまで固まっていたかは疑問です。実際、検証ではお力は後ろ袈裟に切られており、逃げようとしたのではないかと推察されています。ただし、その前に二人が裏山で話し合っているところが人に見られていることから、事前の合意があったともとれ、結局、作者は意図的にどちらでもとれるような書き方をしたように思います。

にごりえ 2.jpg この物語におけるお力は上客の結城朝之助の態度は微妙です。お力は菊の井のいわばナンバーワン芸妓でありながら、今の生活を虚しく感じており、自暴自棄になっているところがあります。そんなお力の前に客として朝之助という独身男性が現れ、彼に対して彼女は自分の生い立ちなどを語るまでになり(その中身は子ども時代の凄まじいまでの貧乏物語で、これは映画でも映像化されていた)、一時は朝之助に気持ちが傾いたかに思えました。でも、朝之助の方は、突き放しはしないものの、「俺の嫁になれ」などといったことを言うわけでもありません。

にごりえ 宮口.jpg お力も、結局は朝之助とは一緒にはなれないと思ったのでしょうか。あるいは、彼女自身が男性に完全に所有されることを拒否しているようにもとれます。そして、さらに深い虚無感に陥ったようにも思われ、源七の方へ奔ったともとれます(源七を狂わせた罰を自ら引き受けて死んでいったとの解釈もあるようだ)。一方、源七の側にすれば、「いっそ死のう」との想いは自然なことであり、ネガティブな意味での「渡りに船」だったかもしれません。彼は一緒に死んでくれる相手としてお力のことを考えていたのではないかと思われます(山中貞雄監督の「人情紙風船」('37年/東宝映画)を思い出した)。
 
 樋口一葉の作品はやはり悲劇が多いように思いますが、この作品は、抒情性を湛えた「たけくらべ」などと比べると、徹底した悲劇であるように思います(「たけくらべ」が一葉の作品の中でも特殊な方なのかも)。お力の死は恋人を亡くした朝之助にとっても不幸であり、源七の死は戻ってくる所を無くしたその妻にとっても不幸です(二人の子どもにとっても不幸ということになる)。

にごりえges.jpg ただし、変な言い方ですが、こういう絶望的な物語(「悲惨小説」)になっているところが逆に面白いのかもしれず、一葉という人は読者心理がよく分かっていたのではないかと思います。また、お力自身の絶望感には、何か運命論的な思い込みがあるようにも思います。そうしたお力の絶望感が読む側に伝わってくる根底には、描写のリアリズムがあるのでしょう。それも読者を惹きつける要因になっていると思います。

「にごりえ」●制作年:1953年●監督:今井正●製作:伊藤武郎●脚本:水木洋子/井手俊郎●撮影:中尾駿一郎●音楽:團伊玖磨●原作:樋口一葉『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』●時間:130分●出演:《十三夜》田村秋子/丹阿弥谷津子/三津田健/芥川比呂志/久門祐夫(ノンクレジット)《大つにごりえages.jpgごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)

【1949年文庫化・1978年・2013年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1950年文庫化・1999年改版[岩波文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1968年再文庫化[角川文庫(『たけくらべ・にごりえ』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]】

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谷崎文学の世界を分かりやすく且つ重厚に再現。原作と異なる結末。愉しめた。

1鬼の棲む館.jpg
鬼の棲む館 [DVD]」 高峰秀子/勝新太郎/新珠三千代
「鬼の棲む館」c taka.jpg 南北朝時代、戦火を免れた山寺に、無明の太郎と異名をとる盗賊(勝新太郎)が、白拍子あがりの情人・愛染(新珠三千代)と爛れた生活を送っていた。自堕落な愛染、太郎が従者のように献身しているのは、彼女が素晴らしい肉体を、持っていたからだった。晩秋のある夕暮、京から太郎の妻・楓(高峰秀子)が尋ねて来た。太郎は、自分を探し求めて訪れた楓を邪慳に扱ったが、彼女はいつしか庫裡に住みつき、ただひたすら獣が獲物を待つ忍従さで太郎に仕えた。それから半年ほども過ぎたある晩、道に迷った高野の上人(佐鬼の棲む館 00.jpg藤慶)が、一夜の宿を乞うて訪れた。楓は早速自分の苦衷を訴えたが、上人は、愛染を憎む己の心の中にこそ鬼が住んでいると説教し、上人が所持している黄金仏を盗ろうとした太郎には「鬼の棲む館」c ara.jpg呪文を唱えて立往生させた。だが、上人はそこに現われた愛染を見て動揺した。その昔、上人を恋仇きと争わせ、仏門に入る結縁をつくった女、それが愛染だった。上人に敵意を感じた愛染は、彼を本堂に誘う。そうした愛染に上人は仏の道を諭そうとしたが―。

無明と愛染 プラトン社.jpg無明と愛染3.jpg 三隅研次(1921-1975/54歳没)監督による1969年公開作で、原作は谷崎潤一郎の戯曲「無明と愛染」。1924(大正13)1月1日発行の「改造」新年号に第一幕が、3月1日発行の3月号に第二幕が発表され、その年の5月に『無明と愛染 谷崎潤一郎戯曲集』として「腕角力」「月の囁き」「蘇東坡」と併せてプラトン社から刊行されています。
無明と愛染』['24年/プラトン社]

 脚本は、新藤兼人。映画の最初の方にある楓が夫である無明の太郎を訪ね来る場面は原作にはなく、原作は、道に迷った高野の上人が宿を求めて山寺を訪ねたら、すでにそこで太郎が妻妾同居状態で暮らしていた―というところから始まります(映画の冒頭から半年が経「鬼の棲む館」7.jpgっていることになる)。従って、落ち武者たちが寺を襲い、それを太郎が妻妾見守る前で一人で片付けるというシーンも映画のオリジナルです。勝新太郎の座頭市シリーズを第1作の「座頭市物語」('62年/大映)をはじめ何本も撮っている監督なので、やはり剣戟を入れないと収まらなかったのでしょう(笑)。どこまでこんな調子で原作からの改変があるのかなあと思って観ていたら、佐藤慶の演じる上人が訪ねて来るところから原作戯曲の通りで、宮川一夫のカメラ、伊福部昭の音楽も相俟って、重厚感のある映像化作品に仕上がっていました。

鬼の棲む館es.jpg「鬼の棲む館」11.jpg 愛染と楓の激突はそのまま新珠三千代高峰秀子の演技合戦の様相を呈しているように思われ(新珠三千代は現代的なメイク、高峰秀子は能面のようなメイクで、これは肉体と精神の対決を意味しているのではないか)、序盤で派手な剣戟を見せた勝新太郎も、愛染と楓の凌ぎ合いの狭間でたじたじとなる太郎さながらに、やや後退していく感じ。それでも、ああ、この役者が黒澤明の「影武者」をやっていたらなあ、と思わせる骨太さを遺憾なく発揮していました。

「鬼の棲む館」katu.jpg 考えてみれば、原作は戯曲で、それをかなり忠実に再現しているので、役者は原作と同じセリフを話すことになり、新藤兼人の脚本は実質的には前の方に付け加えた部分だけかと思って、「結末は知っているよ」みたいな感じて観ていました。そしたら、最後の最後で意表を突かれました。

「鬼の棲む館」2.jpg 谷崎文学の世界を分かりやすく且つ重厚に再現していましたが、加えて、原作と異なる結末で、"意外性"も愉しめました。これ、映画を観てから原作を読んだ人も、原作の結末に「あれっ」と思うはずであって、全集で20ページくらいなので是非読んでみて欲しいと思います(原作の方が映画より"谷崎的"であるため、映画を観た人は原作がどうなっているか確認した方がいいように思うのだ)。

「鬼の棲む館」図2.jpg「鬼の棲む館」●制作年:1969年●監督・脚本:三隅研次●製作:永田雅一●脚本:新藤兼人●撮影:宮川一夫●音楽:伊福部昭●原作:谷崎潤一郎「無明と愛神保町シアター(「鬼の棲む館」).jpg染」(戯曲)●時間:76分●出演:勝新太郎/高峰秀子/新珠三千代/佐藤慶/五味龍太郎/木村元/伊達岳志/伴勇太郎/松田剛武/黒木現●公開:1969/05●配給:大映●最初に観た場所:神田・神保町シアター(21-03-10)(評価:★★★★)

神保町シアター

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成瀬巳喜・高峰秀子初タッグ作品。やっとDVD化。原作に忠実。ユーモアの裏にペーソスも。

秀子の車掌さん vhs1.jpg 秀子の車掌さん vhs2.jpg 秀子の車掌さん dvd1.jpg 秀子の車掌さん dvd2.jpg おこまさん 井伏.jpg
日本映画傑作全集「秀子の車掌さん」 主演 高峰秀子 成瀬巳喜男監督作品 VHSビデオソフト (キネマ倶楽部) 」/「秀子の車掌さん 【東宝DVD名作セレクション】」高峰秀子/藤原鶏太(釜足)/『おこまさん』['41年]
秀子の車掌さん vhs3.jpg秀子の車掌さん dvd23.jpg バスの車掌・おこまさん(高峰秀子)が勤める甲府のバス会社は、古びたバスを1台所有するだけのボロ会社であり、バス10台を有する新興のバス会社に押され気味。社長(勝見庸太郎)も赤字続きの会社を売り払ってしまおうと考えている。おこまさんも、評判の悪いこんな会社などいつでも辞めてやると思いながら、一方ではせめて仕事に誇りを持ちたいと切に思い、バスの運転を生き甲斐とする園田運転手(藤原鶏太)と共に思案、ラジオで聞いた名所案内のバスガイドのアイデアを取り入れることを思いつく。そして、地元の旅館「東洋館」に東京から来て逗留中の作家・井川權二(夏川大二郎)に、沿線の案内記を書いてほしいと依頼する―。

1941年に公開の成瀬巳喜男(1905-1969/63歳没)監督作で、主演は高峰秀子で、これが後に「名コンビ」と謳われた両者の初タッグ作品です。原作は井伏鱒二が1940(昭和15)年1月1日発行号から6月1日発行号の「少女の友」に連鎖した「おこまさん」で(初出の表題脇には「長編少女小説」とあったが、実質"中編"である)、『おこまさん』('41年/輝文館)に収録されました。

秀子の車掌さん vhs4.jpg秀子の車掌さん dvd3.jpg 原作の主人公"おこまさん"は19歳で、映画出演時の高峰秀子は17歳ですが、原作は数え年なのでほぼ同じということになります。ただし、職業モノであるせいか、同じく「高峰秀子のアイドル映画」と言える前年の「秀子の応援団長」('40年/東宝動画)などよりもずっと大人びて見えます。いずれにせよ、今の日本で17歳でここまで演技できる子役はいないのではないかと思われます。

「秀子の車掌さん」に出てくるバス
IM秀子の車掌さん vhs2.jpg 高峰秀子と運転手(園田)の藤原鶏太(釜足)のユーモラスなやりとりが微笑ましいですが、セリフはほとんど原作通りであり、脚本家が要らないのではないかと思われるくらい(実際、成瀬巳喜男自身が脚色している)。監督がやったのは、舞台設定と演出だけか。でも、楽しい映画に仕上がっています。

1 有りがたうさん1936.jpg 1941年9月の公開ですが、この牧歌的雰囲気はとても戦局が差し迫っているような時期とは思えません(バスの運行に沿って話が進んでいく清水宏監督(原作:川端康成)の 「有りがたうさん」('36年/松竹大船)ものんびりした雰囲気ではあったが)。ただし、運転手役の藤原釜足の芸名が藤原鶏太になっているのは、当時(1940年)内務省から「藤原鎌足の同名異字とは歴史上の偉人を冒涜している」とクレームを受け、改名を余儀なくされていたことによるものであり、この辺りに時代が窺えるでしょうか(「鶏太(けいた)」は「変えた(けえた)」を転訛したもの)。

 長らくDVD化されず、ウキペディアにも「なお、本作はこれまでキネマ倶楽部においてビデオ化されたのみで、DVD化を含めて一般に市販されるソフト化は行われたことがない」とあり、個人的にも最初はVHSで観たのですが、昨年['20年]12月に遂にDVD化されました。

秀子の車掌さん 作家2.jpg秀子の車掌さん 作家.jpg 作家・井川權二のモデルは井伏鱒二自身であり、もともと高峰秀子主演と知りながら先に原作を読んだので、高峰秀子と井伏鱒二が話しているようなイメージが映画を観る前から先行してあったですが、改めて観ると、「井川權二」という作家を結構面白おかしくに描いていたなあ。原作者の遊び心を感じますが、一方でこの「井川權二」という作家には、おこまさんに沿線の案内記を書いてあげただけでなく、社長に無理難題を押し付けられた園田運転手の窮状を、知恵を働かせて救うというヒロイックな面もあり、それが映画ではちょっと分かりづらいので、原作も併せて読むといいと思います。

秀子の車掌さん 社長.jpg それにしても、作家・井川權秀子の車掌さん 足.jpg二を演じた夏川大二郎よりも、ラムネを氷にかけて飲んでばかりいる社長を演じた勝見庸太郎の方が井伏鱒二に似ていたかも(笑)。結局、この会社が「バス会社」であるというのは、裏でもろもろ危ういことをやるための「看板」に過ぎず、社長は今その看板のすげ替えを考えていて、おこまさんも園田も、会社の評判が良くないことはわかっていても、理想と希望に燃えているものだから、そこまで政略的なことには思い至らないという―ちょうど今で言えば、「ブラック企業」のもとで「やりがい詐欺」に遭っているのに、本人にはその自覚がない人と同じということになるかもしれません。革靴が会社から供給されず、下駄ばきのバスガイドというのもスゴイけれど、おこまさんの楽観的な健気さが映画での救いになっています(なにせアイドル映画だからなあ)。

 井伏鱒二のユーモアはペーソスとセットです。ラストでも、おこまさんがガイドし、園田運転手が悦に入って運転していますが、原作では、「しかしおこまさんも園田さんも、彼等の知らない間に彼等自身は雇主を失った雇人になっていた」とあります。「ただ彼らはそんなことなど知らないで、バスが進んで行くにつれ楽しい気持で息がつまりそうになっていたのである」と。要するに、この時点で、社長は会社を他に売り渡してしまっているわけで、映画ではそのト書き(解説)が無い分、注意して観る必要があるかもしれません。

 個人的評価は、「秀子の応援団長」は★★★☆でしたが、「車掌さん」の方は、原作のセリフを変えないで持ち味を活かしている技量を買って(さらにDVDD化記念?も考慮して)原作と同じく★★★★にしました。

『おこまさん』['41年]
おこまさん 井伏.jpg昭和1年7月 伊豆熱川にて(右より井伏鱒二、太宰治、小山祐士、伊馬春部)
井伏 太宰 s15.jpg

「秀子の車掌さん」●制作年:1941年●監督・脚本:成瀬巳喜男●製作:藤本真澄●撮影:東健●音楽:飯田信夫●原作:井伏鱒二「おこまさん」●時間:54分●出演:高峰秀子/藤原鶏太(釜足)/夏川大二郎/清川玉枝/勝見庸太郎/馬野都留子/榊田敬治/林喜美子/山川ひろし/松林久晴●公開:1941/09●配給:東宝(評価:★★★★)

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結末は面白かった。石之助はどういう位置づけになるのか。

大つごもり・十三夜 (岩波文庫.jpgにごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpg 大つごもり 久我.jpg 大つごもり Kindle版.jpg
大つごもり・十三夜 (岩波文庫 緑 25-2)』/『にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)/映画「にごりえ」('53年/松竹)第2話「大つごもり」久我美子/[Kindle版] 現代語訳『大つごもり
にごりえ 2.jpg 18歳のお峰が山村家の奉公人となってしばらくした後、暇が貰えたため、初音町にある伯父の家へ帰宅する。そこで病気の伯父から、高利貸しから借りた10円の期限が迫っているのでおどり(期間延長のための金銭)を払うことを頼まれ、山村家から借りる約束をする。総領である石之助が帰ってくるが、石之助と御新造は仲が悪いため、機嫌が悪くなり、お峰は金を借りる事が出来なかった。そのため、大晦日に仕方なく引き出しから1円札2枚を盗んでしまう。その後、大勘定(大晦日の有り金を全て封印すること)のために、お峰が2円を盗んだことが露見しそうになる。お峰はその時は自殺をする決心をするが、御新造が引き出しを開けると―。

 樋口一葉が、1894(明治27)年12月、「文學界」(菊池寛が創刊した今ある雑誌とは別の雑誌)に発表した作品で、一葉が下谷龍泉寺町(台東区竜泉)から本郷区丸山福山町(文京区西片)へ転居し、荒物雑貨・駄菓子店を営みつつ執筆に専念していた時期の作品です。今井正監督によりオムニバス映画「にごりえ」('53年/松竹)の第2話として映像化されています。

大つごもり 中谷.png仲谷昇2.jpg オチが面白かったです。原作を読んだ上で今井正監督の映画化作品を観ましたが、映画でも楽しめました。今井正監督はリアリズムにこだわる作風ですが、こうした話は、細部の描写がリアリであればあるほど、ラストが効いてくるように思いました。若き日の仲谷昇が、放蕩息子を好演しています(あれだけ出ているのに何とノンクレジット。'63年に、劇団の体質への不満から芥川比呂志、小池朝雄、神山繁らと文学座を脱退することになる。因みに、芥川比呂志はこの作品の第1部「十三夜」に、小池朝雄、神山繁は第3部「にごりえ」に出ているが、小池朝雄、神山繁は端役のためノンクレジット)。

大つごもり174.jpg 中編に見合った軽妙なオチであるし、作者はミステリ作家並みのストーリーテラーであるなあと思うのですが、一方で、このオチであるがゆえにこの掌編を人情小説の域を出ないものとして、文学作品としてとしてはあまり評価しない人もいるようです。確かにストーリー的に見ても、お峰が伯父(養父にあたる)のために金を工面することが出来たのには安堵させられますが、一時的解決にはなっていても根本的解決にはなっておらず、さらに言えば、お峰が金を結んだことで、罪人が一人誕生したとも言えます。

 この、お峰が金を結んだことは、そこからお峰の転落が始まるという暗い予兆とも取れ、なぜならば、おそらく一葉はそうした些細なことで、もとは真面目だった人が堅気を踏み外して転落していくケースを見てきていたと思われるからです。

にごりえ 大つごもり.jpg また、この作品を単純にコミカルなものとして捉えれば、石之助はお峰にとって救世主的な存在ということになるのかもしれませんが(実際、「山村家―富める世界への反逆者」とか「山村家の贖罪」の代行者とみる説がある)、それは偶然そういう結果になっただけで、別に石之助がお峰の側にいるわけではなく、彼はあくまでも「持てる側」にいて、その意味では「持たざる側」にいるお峰とは対峙的な存在ではないかと思います。
仲谷昇(山村家総領・山村石之助(ノンクレジット))
岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))
大つごもり 岸田.jpg この辺りは研究者の間でも議論が活発なようですが、一葉が書いているうちにお峰を救わずにはおれなくなったのではないかという説もあって、これ、何だか当たっていそうですが、こうなると結局本人に聞いてみないとわからないということになるのではないでしょうか(研究者もそれは分かった上で議論しているのだと思うが)。

「にごりえ」●制作年:1953年●監督:今井正●製作:伊藤武郎●脚本:水木洋子/井手俊郎●撮影:中尾駿一郎●音楽:團伊玖磨●原作:樋口一葉『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』●時間:130分●出演:《十三夜》田村秋子/丹阿弥谷津子/三津田健/芥川比呂志/久門祐夫(ノンクレジにごりえ 映画 大つごもり.jpgット)《大つごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)

【1939年文庫化[岩波文庫(『大つごもり・ゆく雲 他二篇』)]/1949年文庫化・2003年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1979年再文庫化[岩波文庫(『大つごもり・十三夜』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]】

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〈予定調和〉と言うより〈予定不調和〉的とも言える作品。

大つごもり・十三夜 (岩波文庫.jpgにごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpg樋口一葉 十三夜 eiga.jpg 十三夜 Kindle版.jpg
大つごもり・十三夜 (岩波文庫 緑 25-2)』/『にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)/映画「にごりえ」('53年/松竹)第1話「十三夜」/[Kindle版] 現代語訳『十三夜
にごりえ 1.jpg 貧しい士族・斉藤主計の娘・お関は、官吏・原田勇に望まれて七年前に結婚したが、勇は冷酷無情なのに耐えかねてある夜、無心に眠る幼い太郎に切ない別れを告げて、これを最後と無断で実家に帰る。折しも十三夜、いそいそと迎える両親を見て言い出しかねていたが、怪しむ父に促されて経緯を話し、離縁をと哀願する。母は娘への仕打ちにいきり立ち、父はそれをたしなめ、お関に因果を含め、ねんごろに説き諭す。お関もついにはすべて運命と諦め、力なく夫の家に帰る。その途中乗った車屋はなんと幼馴染みの高坂録之助だった―。

 樋口一葉が、1895(明治28) 年12月、雑誌「文芸倶楽部」閨秀小説号に発表した作品で、劇作家・久保田万太郎が1947(昭和22)年に劇化脚色を行い、舞台で上演されているほか、今井正監督によりオムニバス映画「にごりえ」('53年/松竹)の第1話として映像化されています。

511にごりえ.jpg お関が夫との離縁を両親に哀願するも(DV夫か?)、父親に「子どもと別れて実家で泣き暮らすなら、夫のもとで泣き暮らすのも同じと諦めろ」と言われて(酷いこと言う父親だなあ)本当に諦めるという悲惨な話ですが、背景には嫁ぎ先と実家の経済格差があり、嫁ぎ先は裕福で、別れれば子どもの親権は経済力のある向こう側に行くし、父親からすれば息子の就職まで世話してもらっているので、こちらから離縁を申し出るなんて到底不可能だという状況のようです。左翼系映画人である今井正監督が映像化したことからも窺えるように、経済格差がモチーフの1つにあるかと思います。

 お関は、車夫が幼馴染みの高坂録之助だとわかって、歩きながら話を聞けば、自分のために自暴自棄になり(かつて二人は相思相愛だったということか)、妻子を捨てて落ちぶれた暮らしをしているとのことで(映画では芥川比呂志が演じて、相当やつれた感じを出している)、その彼の零落を今まさに目の前にして切々たる思いが胸に迫り、大いなる悲しみを抱いたまま彼とも別れ帰って行きます。

 このラストの落ちぶれた幼馴染みとの邂逅とそれがお関に与えた心理的影響をどうとるか、個人的には微妙な気がします。と言うのは、お関が「辛い思いをしているのは自分だけではない」と思ったとして、それはそれでいいのですが、そのことによって自分の置かれている状況を合理化すれば、彼女は気持ち的には少し楽になのるもしれませんが、結果的には父親の〈経済優先原理〉的な考えに服従することになるかと思われます。

 その意味では、〈予定調和〉と言うより〈予定不調和〉的とも言える作品ですが、おそらく作者はそのことも含んでこうした、言わば解決策を示さない終わらせ方をしているのではないかと思います。

 この作品は、『10分間で読める 泣ける名作集』('18年/GOMA BOOKS新書)という本に収められてはいますが、確かに樋口一葉は日本初の女性流行作家と言われてはいるものの(生前の世間での評価は「文学作家」より「流行作家」というイメージが強かったようだ)、単にお涙頂戴的な話をテクニックのみで書くに過ぎない作家ではなかったことははっきりしていると思います。

13爺.jpg「にごりえ」●制作年:1953年●監督:今井正●製作:伊藤武郎●脚本:水木洋子/井手俊郎●撮影:中尾駿一郎●音楽:團伊玖磨●原作:樋口一葉『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』●時間:130分●出演:《十三夜》田村秋子/丹阿弥谷津子/三津田健/芥川比呂志/久門祐夫(ノンクレジット)《大つごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)

【1949年文庫化・2003年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1979年再文庫化[岩波文庫(『大つごもり・十三夜』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]】

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「東京物語」「雨月物語」を抑えてキネマ旬報ベスト・テン第1位に輝いた作品。

にごりえ 1953.jpgにごりえt1.jpg にごりえt2.jpg にごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpg
独立プロ名画特選 にごりえ [DVD]」『にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)

 1953年公開の文学座・新世紀映画社製作、今井正(1912-1991)監督作で、樋口一葉の短編小説「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」の3編を原作とするオムニバス映画です。

十三夜
大つごもり・十三夜 (岩波文庫.jpgにごりえ1 - コピー.jpg 夫の仕打ちに耐えかね、せき(丹阿弥谷津子)が実家に戻ってくる。話を聞いた母(田村秋子)は憤慨し出戻りを許すが、父(三津田健)は、子供と別れて実家で泣き暮らすなら夫のもとで泣き暮らすのも同じと諭し、車屋を呼んで、夜道を帰す。しばらく行くと車屋が突然「これ以上引くのが嫌になったから降りてくれ」と言いだす。月夜の明かりで顔がのぞくと、それは幼なじみの録之助(芥川比呂志)だった―。
大つごもり・十三夜 (岩波文庫 緑 25-2)

大つごもり
にごりえ 2 - コピー.jpg 女中・みね(久我美子)は、育ててくれた養父母(中村伸郎・荒木道子)に頼まれ、奉公先の女主人・あや(長岡輝子)に借金2円を申し込む。約束の大みそかの日、あやはそんな話は聞いていないと突っぱね、急用で出かけてしまう。ちょうどその時、当家に20円の入金があり、みねはこの金を茶の間の小箱に入れておくように頼まれる。茶の間では放蕩息子の若旦那・石之助(仲谷昇)が昼寝をしていたが、思いあぐねたみねは、小箱から黙って2円を持ち出し、訪ねてきた養母に渡してしまう。主人の嘉兵衛(竜岡晋)が戻ると、石之助は金を無心し始める。あやは、50円を石之助に渡して追い払う。その夜、主人夫婦は金勘定を始め、茶の間の小箱をみねに持ってこさせる。みねが自分が2円持ちだしたことを言いだせないまま、あやが引き出しを開けると―。

にごりえ
にごりえ  3- コピー.jpg 銘酒屋「菊乃井」の人気酌婦・お力(淡島千景)に付きまとう源七(宮口精二)は、かつてお力に入れ上げた挙句、仕事が疎かになって落ちぶれ、妻(杉村春子)と子(松山省二)と長屋住まいしている。お力とにごりえ たけくらべ 岩波.jpg別れてもなお忘れられず、仕事は身が入らず、妻には毎日愚痴をこぼされ、責められる日々だった。お力も一度は惚れた男の惨状を知るゆえに、鬱鬱とした日を送り、店にやって来て客となった朝之助(山村聰)に、自身の生い立ちなどを打ち明ける。ある日、源七の子が菓子を持って家に帰る。お力にもらった菓子と知り、妻は怒り、子を連れて家を出る。妻が戻ってみると源七の姿がない。菊乃井でもお力が行方不明で騒ぎになっていた―。
にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

 1953年度・第27回キネマ旬報ベスト・テンの第1位に輝いた作品で、この年の同ベスト・テン第2位が小津安二郎監督の「東京物語」で第3位が溝口健二「雨月物語」ですから、考えてみたらスゴイことです(因みにこの年は、4位以下も「煙突の見える場所」「あにいもうと」「日本の悲劇」「ひめゆりの塔」「」などの傑作揃い)。

映画「小林多喜二」.png 製作が文学座で、監督が「小林多喜二」('74年/多喜二プロ)などを撮っている今井正となると左翼系的な色合いを感じるかもしれませんが、今井正監督が樋口一葉の原作に何か手を加えたわけではなく、忠実に原作を再現しています。それでいて、プロレタリア文学的な雰囲気を醸すのは、3作とも「貧困」がモチーフになっているからでしょう。また、そこには、樋口一葉の市井の人々への共感があり、実際に見聞きしたことを素材にして書いていることによるリアリズムがあるかと思います。
  
511にごりえ.jpg 原作の、ああ、実際こういうことがあったかもしれないなあ、と思わせるような感覚が、原作を忠実に再現することで映画でも生かされて、それが高い評価につながったのではないかと思います。ただし、時間が経つと、これって、そもそも原作の良さに負うところが大きいね、ということで、後に、「東京物語」や「雨月物語」ほどには注目されなくなったのではないでしょうか。でも、イタリア映画におけるネオ・リアリズムの影響を受けたという今井正監督ならではのいい映画だと思います。

にごりえ 映画 大つごもり.jpg 最近の映画では再現不可能な明治の雰囲気を濃厚に映し出している作品であるとともに、文学座の俳優が(ノンクレジットも含め)多数出演しているため、誰がどこにどんな役で出ているかを見るのも楽しい映画です。

にごりえages.jpg「にごりえ」●制作年:1953年●監督:今井正●製作:伊藤武郎●脚本:水木洋子/井手俊郎●撮影:中尾駿一郎●音楽:團伊玖磨●原作:樋口一葉『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』●時間:130分●出演:《十三夜》田村秋子/丹阿弥谷津子/三津田健/芥川比呂志/久門祐夫(ノンクレジット)《大つごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)

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原作を改変して一続きのストーリーにしながらも、原作のエッセンスは損なわず。

ななみだ川 dvd.jpg ななみだ川 1967 2 - コピー.jpg ななみだ川 1967 3 - コピー.jpg
なみだ川 [DVD]」藤村志保
「なみだ川」3.png 嘉永年間、江戸日本橋はせがわ町に、おしず(藤村志保)、おたか(若柳菊)の姉妹がいた。二人はそれぞれ、長唄の師匠、仕立屋として、神経を病んで仕事を休んでいる彫金師の父・新七(藤原釜足)に代って、一家の生計を支えていた。姉のおしずは、生半可な諺を乱発する癖のあるお人好し、妹は利口で勝気な性格だった。姉妹にとって悩みの種は、時折姿を現わしては僅かな貯えを持ち出していく兄の栄二(戸浦六宏)のことで、二人の結婚を妨げている原因の一つあった。ある日、おたかに、彼女が仕立物を納めている信濃屋の一人息子・友吉(塩崎純男)との縁談が持ち上がる。おたかは友吉を憎からず思っていたのだが、彼女は姉よりも先に嫁ぐのが心苦しく、また栄二のこともあるので話を断る。だが、妹の本心を知るおしずは、信濃屋の両親に栄二のことを打ち明け、妹には自分にも好きな人があって近いうちに祝言を上げるからと、縁談を纏めたのである。おたかは喜びながらも、姉の結婚話は嘘に違いないと胸を痛める。そして姉が好きな人だという貞二郎(細川俊之)に会ってみて、姉の嘘を確かめた。だが、おたかは姉が本当に貞二郎に焦がれているのを知っていた。彫金師としては江戸一番の腕を持ちながら少しスネたところのある貞二郎におたかは頼み込み、おしずに会ってもらうことにし。試しにと、おしずに会った貞二郎は、彼女の天衣無縫な性格に心がなごむ。だが、このことが、前からおしずを囲ってみたいと思っていた鶴村(安部徹)に伝わると、鶴村は貞二郎に、おしずは自分の囲われ者だと言って手を引かせようとした。それを真に受けた貞二郎は、おたかに会って確めようとした時、おしずの自分を想ういじらしい気持ちを訴えられて我が身の卑しい気持ちを恥じる。やがておたかの結納も無事に終えた夜、栄二が姿を現わした。おしずは、栄二が妹の婚礼を邪魔する気なら、刺し違えて自分も死のうと短刀を握りしめる―。

三隅研次.jpg 1967年公開の三隅研次(1921-1975)監督作で(脚本は依田義賢)、原作は、山本周五郎が江戸・日本橋を舞台に、お互いの幸せを尊重し合う姉妹の姿を描いた『おたふく物語』。姉・おしずを演じる藤村志保は、大映の演技研究生だった頃に原作を読み、いつかこの役を演じたいと思いを抱いていただけあって、お人好しを可愛く演じてはまり役でした。藤村志保はこの頃は毎年5本から10本の映画に出演しており、テレビでも、2年前にNHKの大河ドラマ「太閤記」('65年)で緒形拳演じる秀吉の妻・ねねを、この年の大河「三姉妹」('67年)では次女るいを演じて(長女を岡田茉莉子、三女を栗原小巻が演じた)、お茶の間でもお馴染みの人気女優でしたが、主役を演じたこの作品は代表作と言えるのではないでしょうか。

三隅研次

児次郎吹雪・おたふく物語.jpgおたふく物語 (時代小説文庫).jpg 原作の『おたふく物語』(「妹の縁談」「湯治」「おたふく」から成る)は、「おたふく物語」(「講談雑誌」1949年4月号)、「妹の縁談」(「婦人倶楽部」1950年9月秋の増刊号)、「湯治」(「講談倶楽部」1951年3月号)の順で独立した短編として発表されていて、姉妹の名も「おたふく物語」はおしずとおきく、「妹の縁談」はお静とおかよ、「湯治」お静とおたかになっていたのが、『おたふく物語』(55年/河出新書)としてまとめられた際に、「妹の縁談」「湯治」「おたふく」と一部改題の上で時系列に並べ替えられた連作となり、姉妹の名もおしずとおたかで統一されたとのことです。
児次郎吹雪・おたふく物語 (河出文庫)』['18年]『おたふく物語 (時代小説文庫)』['98年]

 ただし、「妹の縁談」の縁談では姉妹に両親と兄二人がいるのに、「おたふく」では「家族は両親と娘二人」とされるなど、修正忘れ?もあったりします。映画では、彫金師の父親とそれを支える姉妹と、倒幕活動の資金だと言って家族から金を巻き上げる兄が一人という家族構成になっていました。

 原作は、「妹の縁談」で、おしずが姉を差し置いてはと嫁に行きそびれている妹に対し、一計を図って妹の縁談を纏めようとする様が描かれていて、これは映画も同じです。おしずの「目黒の秋刀魚」についての勘違いは映画でも活かされていました。

「なみだ川」 toura.jpg 「湯治」では、金をせびりに来た兄におしずが短刀を突き出して追い返すも、衣類を持って後を追いかけるという結末で、家に来られても困るけれども、兄妹愛はあるといった感じでしょうか。映画のように、もう来ないという約束を破って妹の婚礼を邪魔するようなタイミングで来たわけでもないですが、映画の方でも、最後には栄二(戸浦六宏)は今度こそもう邪魔しないと言っているので、結局、兄も根はそんな悪い人ではなかったっということでしょう。
戸浦六宏
細川俊之/藤村志保
「なみだ川」 hosokawa.jpg細川俊之.jpg 原作の最後の「おたふく」では、おしずもおたかも既に結婚していて、おしずの夫は勿論貞二郎ですが、ある日、貞二郎が自分の作った、値段的には張るはずの彫り物を、かつて裕福ではなかったはずのおしずが幾つも持っていることを知り、そこから鶴村との過去の関係を疑い始めて悩むというもので、この誤解を解くために今度はおたかの方が、おしずにとって貞次郎は長年の想い人であり、彼が丹精こめて作った彫り物を身につけていたかったが、直接は言えなくて、長唄の稽古に来ていた鶴村の家人に頼んで鶴村の名で注文したものだと事情を説明し、貞二郎の疑念を晴らすというもの。映画の方は結婚前なので、おしずとおたかの姉妹愛にうたれた貞二郎が、おしずに惚れ直して父・新七におしずを嫁にと申し入れるというものでした。

なみだ川 玉川.png 最後がおしずの"天然ボケ"で終わるところは原作も映画も同じで、ストーリーの起伏はありますが、「なみだ川」というタイトルに反して映画も原作も結構コミカルな面があり(その上で泣かせる人情話なのだが)、また、それを藤村志保が上手く演じていました(刃物屋の玉川良一に小刀の突き方を教わるところなどは、深刻な状況なのにほのぼのコントみたい)。

「なみだ川」 tour.jpg「なみだ川」安倍.jpg 時制的に異なる三話を映画では一続きにしたために、「妹の縁談」は概ねそのままですが、「湯治」では兄の栄二が一度した約束を破っておたかの結納後(婚礼前)に再び押しかけてくるようにし(でも最後は去って行く)、「おたふく」での貞次郎(細川俊之)の疑念は、過去の関係に対するものではなく、リアルタイムにしたのでしょう。そのため、原作には名前しか出てこない鶴村が映画では登場し(安部徹)、貞二郎におしずは自分の囲い者だと言って手を引かせようとするなど、栄二の戸浦六宏と異なり、終始一貫して"悪役"でした(笑)。

 原作を改変して一続きのストーリーにしながらも、原作のエッセンスは損なっておらず、楽しめるとともに、脚本家の力量を感じた作品でした。 

「なみだ川」 title.jpg「なみだ川」●制作年:1967年●監督:三隅研次●脚本:依田義賢●撮影:牧浦地志●音楽:小杉太一郎●原作:山本周五郎●時間:79 分●出演:藤村志保/若柳菊/細川俊之/藤原釜足/玉川良一/安部徹/戸浦六宏/塩崎純男/春本富士夫/水原浩一/花布辰男/本間久子/町田博子/寺島雄作/木村玄/越川一/美山晋八/黒木現/香山恵子/橘公子●公開:1967/10●配給:大映●最初に観た場所:神田・神保町シアター(21-02-24)(評価:★★★★)
三隅研次特集.jpg

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「美登利はなぜ寝込んだのか」論争はともかく、抒情性豊かな青春文学の傑作。

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫2.jpgにごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpg  にごりえ たけくらべ 岩波.jpg たけくらべ (集英社文庫).jpg
にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)/『にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)』(カバー絵:鏑木清方「たけくらべの美登利」)/『たけくらべ (集英社文庫)』['93年/'10年表紙カバー新装(イラスト:河下水希)]/[下]『たけくらべ (他)にごりえ・十三夜・大つごもり』['67年/旺文社文庫]/『樋口一葉 [ちくま日本文学013]』(たけくらべ・にごりえ・大つごもり・十三夜・ゆく雲・わかれ道・われから・春の日・琴の音・闇桜・あきあわせ・塵の中・他)カバー画:安野光雅
たけくらべ 旺文社文庫 .jpg樋口一葉 [ちくま日本文学013] 文庫.jpg 吉原の遊女を姉に持つ勝気でおきゃんな少女・美登利は、豊富な小遣いで子供たちの女王様のような存在だった。対して龍華寺僧侶の息子・信如は、俗物的な父を恥じる内向的な少年である。二人は同じ学校に通っているが、運動会の日、美登利が信如にハンカチを差し出したことで皆から囃し立てられる。信如は美登利に邪険な態度をとるようになり、美登利も信如を嫌うようになった。吉原の子供たちは、鳶の頭の子・長吉を中心とした横町組と、金貸しの子・正太郎を中心とした表町組に分かれ対立していた。千束神社(千束稲荷神社)の夏祭りの日、美登利ら表町組は幻灯会のため「筆や」に集まる。だが正太郎が帰宅した隙に、横町組は横町に住みながら表町組に入っている三五郎を暴行する。美登利はこれに怒るが、長吉に罵倒され屈辱を受ける。ある雨の日、用事に出た信如は美登利の家の前で突然下駄の鼻緒が切れて困っていた。美登利は鼻緒をすげる端切れを差し出そうと外に出るが、相手が信如とわかるととっさに身を隠す。信如も美登利に気づくが恥ずかしさから無視する。美登利は恥じらいながらも端切れを信如に向かって投げるが、信如は通りかかった長吉の下駄を借りて去ってしまう。大鳥神社の三の酉の市の日、正太郎は髪を島田に結い美しく着飾った美登利に声をかける。しかし美登利は悲しげな様子で正太郎を拒絶、以後、他の子供とも遊ばなくなってしまう。ある朝、誰かが家の門に差し入れた水仙の造花を美登利はなぜか懐かしく思い、一輪ざしに飾る。それは信如が僧侶の学校に入った日のことだった―。

『一葉』鏑木清方画.jpg 樋口一葉(1872-1896/24歳没)が1895(明治28)年1月から翌年1月まで「文学界」(刊行期間1893.1-1898.1)に断続的に連載た作品で、「暗夜」(1894.6-11)、「大つごもり」(1894.12)に続くものであり、文学界を主宰していた星野天知が、文学界1月号の原稿が集まらなくて一葉に作品を依頼し、一葉は書き溜めていた作品「雛鶏」を改題して発表したとのことです。翌1896(明治29)年、「文芸倶楽部」に一括掲載されると、森鷗外や幸田露伴らに着目され、鴎外の主宰する「めさまし草」誌上での鴎外、露伴、斎藤緑雨の3人による匿名合評「三人冗語」において高い評価で迎えられましたが、一葉はこの頃結核が悪化し、同年11月には死去しています。尚、再掲載時の原稿は口述して妹の邦子に書き取らせたものだそうです。

「一葉」鏑木清方:画
  
 物語の最後で、主人公の美登利が急に元気をなくすのはなぜか、という疑問に、それまでの文学研究者の間では「初潮説」が定説であったところへ、1985(昭和60)年に作家の佐多稲子が「初店(はつみせ)説」を提示し、「娼妓として正式なものではないが、店奥で秘密裏に水揚げ(遊女が初めて客と関係すること)が行なわれたのではないか」としました。この佐多説に対し、初潮説を支持してきた学者の前田愛が反論したことから論争が始まり、この論争には瀬戸内晴美、野口冨士男、吉行淳之介などの小説家も加わったそうです。

樋口一葉.jpg また、関礼子氏の『樋口一葉』('04年/岩波ジュニア新書)によれば、"店奥で秘密裏に水揚げ"をするのは「初夜」と呼ばれるものであり、当時遊女として正式に客をとれるのは16歳になってからだったので、14歳の美登利の場合は「初夜」になるとしています(ジュニア新書なのに詳しい(笑))。その上で関氏は、「初潮」と「初夜」を一続きのもの(つまり両方である?)と解釈した長谷川時雨の説をとっています。

 個人的には「初潮説」というのも言われて初めて、あっ、そういうことか、と思ったくらいで、「初店説」となると想像し難いものもありました(「初夜」も実質的には初めて客をとる"水揚げ"であり「初店」と同じことか)。しかしながら、京都の舞妓などは、水揚げが済むと髪型を結い替えることになっており、そうして何段階かの髪型の変遷を経て、「舞妓」から「芸妓」になっていくとのこと、かつては12、13歳にして水揚げを経験していた舞妓もいたとのことで(現在は水揚げはせず、形式的に髪型を変えることが行われている)、終盤で美登利が髪を島田に結っているのは、確かに彼女が水揚げを経た証拠ともとれるかもしれません。

 こうした、全てを明かさないで読者に想像させるところも上手いと思いますが、今で言う中学生くらいの男の子、女の子が、互いに関心を寄せ、それがある種の想いとなって互いに意識過剰になっていく一方で、少女が自身が「女」であることを自覚し始める様が見事に描かれており、青春文学の傑作として結実しているものと思います(一方で、「にごりえ」のようなどろどろしたリアリズム作品を書きながらだからだからなあ)。

 この作品を読むと、改めてこの年頃の子は、男の子よりも女の子の方が成長が早いということが窺え、男の子はそれに戸惑うという構図もこの中にあるかなあと思いました。木村真佐幸氏のように、信如をこの物語の「真の主人公」であるとする説もあったりして、抒情性豊かな作品であるとともに、「にごりえ」などとはまた違った意味でさまざまな解釈や見方ができる作品であるように思います。

 〈新潮文庫〉版乃至〈岩波文庫〉版が定番でしたが、後から出た〈集英社文庫〉版が新表記で読みやすいとも。現代語版は、松浦理英子氏編訳の『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』('04年/河出文庫)よりも、山口照美氏の『現代語で読むたけくたけくらべ  hibari.jpgらべ』('12年/理論社)が、擬古文の雰囲気を保っていてお奨めです。映画化作品では、五所平之助監督、美空ひばり主演の「たけくらべ」('55年/新東宝) がありますが、個人的には未見です。また、山口百恵のアルバム「15才」に「たけくらべ」という曲があります。千家和也(1946-2019)作詞の歌詞の冒頭の「お歯ぐろ溝(おはぐろどぶ)に燈火(ともしび)うつる」(コレ、「たけくらべ」冒頭の表現をそのまま使っている)の"お歯ぐろ溝"とは、遊女の逃亡を防ぐために設けられた吉原遊郭を囲む溝で、今は埋められてすべて路になっていますが、石垣の跡がちょっとだけ残っています。

 お歯ぐろ溝.jpg お歯ぐろ溝の石垣跡

にごりえ・たけくらべ 樋口一葉 新潮文庫 1949.jpgたけくらべ 樋口一葉 新潮文庫 2.jpg【1949年文庫化・1978年・2013年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1950年文庫化・1999年改版[岩波文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1954年再文庫化[角川文庫(『たけくらべ―他二篇』)]/1967年再文庫化[旺文社文庫(『たけくらべ』)]/1968年再文庫化[角川文庫(『たけくらべ・にごりえ』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]/1993年文庫化[集英社文庫(『たけくらべ』)]】

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「こんなリーダーはいやだ」の典型(笑)。実在のアギーレは映画よりヒドかった?

アギーレ/神の怒り 1972.jpgアギーレ/神の怒り 2.jpg アギーレ/神の怒り 1.jpg
アギーレ/神の怒り [DVD]」クラウス・キンスキー

アギーレ/神の怒り f.jpg 16世紀、スペインは、伝説の黄金郷エルドラドを求めて南米大陸に遠征隊を派遣していた。1560年、ゴンサロ・ピサロの指揮のもと、キトからアンデスの山に向かっていたスペインの探検隊も、エル・ドラドの発見を目指して険しい道を行っていた。12月25日、アンデスの最後の尾根まで進んだ部隊は孤立し、隊長のピサロは食料の調達と情報収集をする40名のアギーレ/神の怒り u.jpg分遺隊を選び出す。もし1週間以内に戻らなければ、残りの遠征隊は引きあげるとピサロは決定する。隊長にはウルスア(ルイ・ゲーハ)、副隊長にアギーレ(クラウス・キンスキー)、キリスト教アギーレ/神の怒り 4.jpg布教のための宣教師にカルバハル(デル・ネグロ)、スペイン王家の代表として貴族のグスマン(ペーター・ベルリング)、さらにウルスアの愛人イリス(ヘレナ・ロホ)とアギーレの娘フローレス(セシリア・リヴェーラ)も分遺隊に同行し、筏で川を下ることになる。しばらく行くと、その分遣隊も撤退を余儀なくされる。しかし、副隊長のアギーレは反乱を起こし、貴族グスマンを皇帝に擁立して独立を宣言。そのまま彼らはエルドラドを目指して出発する。筏で川を下るアギーレ一行は徐々に追い詰められていく―。

アギーレ/神の怒り k.jpg ヴェルナー・ヘルツォーク監督の1972年監督作で、ヴェルナー・ヘルツォークは30歳でこの作品を撮ったことになります。狂気染みたアギーレという男と彼に率いられる集団を描いたこの作品は、1975年のフランス映画批評家協会賞(外国語映画賞)を受賞し、2005年にはタイム誌が選ぶ歴代映画ベスト100に選出されています。黄金に憑かれた人間アギーレの、時に滑稽なまでの狂気を描いて秀逸ですが、最近観直してみて、組織心理学的にみても怖い話だなあと思いました。長年のサラリーマン生活を経て観直すと、こういう視点になるのでしょうか。アギーレって「こんな上司(リーダー)はいやだ」の典型でした(笑)。

 それにしても、このアギーレの無茶苦茶ぶりが凄いです。1561年1月6日(映画は、宣教師の日記として語られるスタイルをとる)、分遺隊の40名は4隻の筏に分乗して出発しますが、途中の急流で1隻が渦に巻き込まれ、岸壁から動けなくなります。1月6日、隊長のウルスアは兵士7人とインディオ2人を救助しようとしますが、副隊長のアギーレはこれに反対し、夜中に筏の上の仲間を部下に銃殺させ(何でもアギーレの言うことを聞く殺し屋みたいな部下が不気味)、さらに遺体を収容させないため、筏に大砲を撃ち込みます。

 結局、アギーレは最初からピサロに反逆し、エルドラドを自ら征服するつもりだったということになります。アギーレは暴力でウルスアとその部下を黙らせ、貴族のグスマンを新たな隊長に据え、公然と国への反逆宣言をして、グスマンをまだ見ぬエルドラドの皇帝に即位させるという、まさに暴挙に出ます。

アギーレ/神の怒り5.jpg その後も、救世主として歓迎してくれた現地人を黄金の在りかを知らないというだけで殺し(これには宣教師も噛んでいる)、ウルスアの処刑を許さなかったグスマンが亡くなるや否やウルスアを絞首刑に処し、アギーレの横暴と先住民の恐怖に恐れをなして逃亡計画を口にした隊員の首を撥ね...と、ますます狂気をエスカレートさせていきます。やがて、先住民の襲撃にも遭って次々に死んでゆく仲間の中で「俺こそ怒れる神だ!」と独り息巻くも、朽ちた筏の上に立つ彼の足元には、夥しい数の野生の猿がいるばかりで、これが彼の「夢の王国」なのかと―。どうみても彼の辿り着く先は、輝く黄金郷などはなく、惨めな死だろうという予感のもと、映画は終わります。

ロペ・デ・アギーレ.jpg ところで、実在したロペ・デ・アギーレという人物もこんな感じだったのでしょうか。調べてみると、本国にいた時は、自分に鞭打ちの刑を宣告した裁判官にストーカー行為を繰り返すなどしたそうで、もともとパラノイア的性格だったようです。このエルドラドを探す遠征の過程で隊長のウルスアを殺害し、貴族グスマンを傀儡としたのは事実のようです。さらに、スペインからのペルー国独立を宣言し、遠征に同行した宣教師、ウルスアの妻、グスマンにも死を命じたとのことです(映画よりヒドイ?)。

ロペ・デ・アギーレ(1510-1561)

 映画では最後、このまま川の上で猿に囲まれて死ぬともとれる絶望的な状況でしたが、実際にはオリノコ川を辿って大西洋岸に抜け、マルガリータ島(現ベネズエラ)のスペイン人の入植地を攻撃し、知事と女性を含む50人もの地元住民に死を命じ、彼の部下は集落を略奪したとのことです。

 さらに、1561年7月、スペイン国王フィリップ2世に自分が独立を宣言する理由を説明する手紙を送りますが、そのようなものが国王に受け入れられるはずもなく、彼はあくまで反逆者扱いのままであり、王立軍は彼の部下に恩赦を与えることによってアギーレを弱体化させ、バルキシメト(現ベネズエラ)の町でかつての彼自身の部隊によって補強された王立軍に包囲された末に捕縛され、処刑されたとのことです(包囲された際に自分の娘を殺害し、自身は銃撃に斃れたとの話もある。娘は映画では、DVDジャケットにもあるように先住民の矢に射られて死ぬ)。

 こうした激烈な人生だったため、幾つもの文学作品のモチーフになっているそうで、ヴェルナー・ヘルツォーク監督が取り上げたのも、それまでにそうした素地があったためだと思われます。ただ、これを映画にしようとは、それまで誰も思わなかったのではないでしょうか。映画冒頭の何百人もの探検隊が険しい山道を行くシーンだけでも、よくこれを撮ったなあと思わされるものでした。

アギーレ/神の怒り bouto.jpg

「アギーレ/神の怒り」●原題:AGUIRRE, DER ZORN GOTTES●制作年:1972年●制作国:西ドイツ●監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク●製作:ヴェルナー・ヘルツォーク/ハンス・プレッシャー●撮影:トーマス・マウホ●音楽:ポポル・ヴー●時間:93分●出演:クラウス・キンスキー/ヘレナ・ロホ/デル・ネグロ/ルイ・ゲーハ/ペーター・ベルリング/セシリア・リヴェーラ●日本公開:1983/02●配給:大映インターナショナル●最初に観た場所:大井武蔵野舘(84-02-18)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ(21-03-09)(評価:★★★★)●併映(1回目):「愛の絆」(ハンス・W・ガイセンドルファー)

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内容が飛び飛びでサスペンス部分が分かりにくかったが、アクションは期待以上。

太陽は動かない  2021.jpg 太陽は動かない 吉田修一.jpg 太陽は動かない 2.jpg 
「太陽は動かない」吉田修一『太陽は動かない』藤原竜也/竹内涼真

太陽は動かない 0.jpg 産業スパイ組織・AN通信の諜報員・鷹野(藤原竜也)と、相棒の田岡竹内涼真)。彼らには、24時間ごとにAN通信へ定期連絡しなければ爆死する爆弾を埋め込まれている。彼らは今ある太陽光エネルギーの開発技術に関する国際的な争奪戦の最中にいた。他国のスパイや各国の権力者たちと対峙する中、鷹野の商売敵のデイビッド・キム(ピョン・ヨハン)や謎の女AYAKO(ハン・ヒョジュ)らが暗躍する―。

 羽住英一郎監督の2020年作で、同年5月に公開される予定だったのが、新型コロナ禍により今年['21年]に持ち越されたもの。原作は、吉田修一のサスペンス・アクション小説『太陽は動かない』('12年/幻冬舎)で、コレ、たいへん面白かったです。そこで、映画にも期待して、公開の翌日の土曜日に子どもと観に行きました。

太陽は動かない 40.jpg 原作はスパイ合戦がかなり複雑に入り組んでいて、読んだのは8年くらい前なので、映画を観ながらストーリーの細部を思い出せるかなあと思ったけれども、結果的には、映画を観てもよく分からなかった部分が多かったという感じです。

 一方、アクションの方は、原作を読んだときは、実写は難しく、アニメにでもしないと再現できないのではないかと思っていたところ、これが意外と期待以上に良かったです。ブルガリアなどでの海外撮影をふんだんに取り入れ、かなり大規模かつハードなアクションシーンがありました(やはり、これからはアクションは海外撮影がいい?)。

太陽は動かない 菊池詩織.jpg ただ、映画というものはアクションだけでは成り立たず、ドラマ部分がしっかりしていてこそ印象に残るものとなるはずですが、ドラマ部分がやや弱かったでしょうか。と言うより、見始めてから、何か違うなあと思ったら、鷹野の生い立ちを巡るシリーズ第2作『森は知っている』も取り入れて2作を1本にまとめ、今起きていることと鷹野の過去の、高校時代や子ども時代のこととが交互に出てくる構成でした。

太陽は動かない 菊池詩織2.jpg この構成自体が悪いとは思わないですが、本2冊分を1作に詰め込んだことで犠牲になったのが、プロット部分の描写だったように思います。説明的になり過ぎて全体のテンポが悪くなるのを避けるために敢えてそうしたのかもしれませんが、内容が飛び飛びになってサスペンス的な要素が抜けてしまったように思います。原作を読まずに観た人は、おそらく話の展開についけなかったのではないでしょうか。その分、鷹野の子ども時代や学校時代の描写がしっかりしていればまだいいのですが、どの演技シーンも何となく"作った"感があってイマイチでした(鷹野の学校時代の想い人・菊池詩織を演じた南沙良は、目下「演技修行中」といったところか)。

太陽は動かない ges.jpg でも、大人の俳優陣が頑張った迫真のアクションシーンが思ったより良かったので、評価は「○」にしておきます。原作を読んだとき、鷹野やAYAKOの役を演じきれる役者はあまりいないように思いましたが、藤原竜也は意外と健闘したのではないかと思います("動"だけでなく"静"の演技もできるのが大きい)。この人は、以前にNHKのドラマ「海底の君へ」('16年)で演じた、中学の時に受けたいじめの後遺症に苦しみ、15年後に開かれた同窓会で爆弾を手に元いじめっ子へ復讐しようとする青年役のような、トラウマかな何かを負って、心に暗~い陰を持つ人間の役が似合うように思います。泳ぎが苦手な所謂"金槌"だったらしいけれど、あのドラマの時も今回も〈水〉と格闘していました(泳げるようになった?)。

太陽は動かない ges.jpg太陽は動かない es.jpg 一方、AYAKOの役は、原作が出たころ巷では「ルパン三世」の峰不二子が相応しいとの声を聞きましたが(いきなりアニメに行っちゃうのか)、誰が演じるのかと思ったら、日本人女優ではなく、映画「王になった男」('12年/韓国)でイ・ビョンホンと共演したハン・ヒョジュでした。日本人で見つからなかったのか、デイビッド・キムを演じたピョン・ヨハンとセットだったのか。でも、役名はAYAKOのままなので、韓国語訛りの日本語が気になりました。

 エンディングロールで流れた映像は、最初ボツシーンかと思いましたが、WOWOWでやったドラマの場面集でした(子どもに教えて貰った)。主演は映画と同じ藤原竜也ですが、ネットを観ると「ドラマの方がおそらく原作に忠実なのだろう」とかいう感想がありました。でもウィキペディアによると、ドラマは「原作者である吉田修一監修によるオリジナルストーリーとして放送された」とあるので、やはり映画の方が原作に則っているのでしょう。こうした感想が出る背景にも、映画において内容が飛び飛びになって、サスペンス部分が分かりにくかったことがあるかと思います。


海底の君へ1.jpg海底の君へ2.jpg「海底の君へ」●演出:石塚嘉●作:櫻井剛●制作統括:中村高志●音楽:大友良英●出演:藤原竜也/成海璃子/水崎綾女/市瀬悠也/忍成修吾/淵上泰史/落合モトキ/近藤芳正/神戸浩/モロ師岡/麿赤兒●放映:2016/2/20(全1回)●放送局:NHK

太陽は動かない337.jpg「太陽は動かない」●制作年:2020年●監督:羽住英一郎●製作:武田吉孝/大瀧亮/森井輝/小出真佐樹/古屋厚●脚本:林民夫●撮影:江崎朋生●音楽:菅野祐悟(主題歌:King Gnu「泡」)●原作:吉田修一『太陽は動かない』『森は知っている』●時間:110分●出演:藤原竜也/竹内涼真/ハン・ヒョジュ/ピョン・ヨハン/市原隼人/南沙良/日向亘/加藤清史郎/横田栄司/翁華栄/八木アリサ/勝野洋/宮崎美子/鶴見辰吾/佐藤浩市●公開:20211/03●配給:ワーナー・ブラザース映画●最初に観た場所:TOHOシネマズ上野(スクリーン3)(21-03-06)(評価:★★★☆)
TOHOシネマズ上野.jpgTOHOシネマズ上野2.jpgTOHOシネマズ上野3.jpg

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いい映画だったが、原作をヒントに「東京物語」を撮った? という印象も。

「息子」 山田洋次1991.jpg『息子』1991.jpg 「息子」 山田洋次図1.jpg  ハマボウフウの花や風200_.jpg
あの頃映画 「息子」 [DVD]」『ハマボウフウの花や風

「息子」 山田洋次 1.jpg バブル景気時の1990年7月、東京の居酒屋でアルバイトをしている浅野哲夫(永瀬正敏)は、母の一周忌で帰った故郷の岩手でその不安定な生活を父の昭男(三國連太郎)に戒められる。その後、居酒屋のアルバイトを辞めた哲夫は下町の鉄工所にアルバイトで働くようになる(後に契約社員へ登用)。製品を配達しに行く取引先で川島征子(和久井映見)という美しい女性に好意を持つ。哲夫の想いは募るが、あるとき彼女は聴覚に障害があることを知らされる。当初は動揺する哲夫だったが、それでも征子への愛は変わらなかった。翌年の1月に上京してきた父に、哲夫は征子を紹介する。彼は父に、征子と結婚したいと告げる―。

 1991年公開の山田洋次監督作で、原作は椎名誠の短編小説「倉庫作業員」です(『ハマボウフウの花や風』('91年10月刊/文藝春秋)所収で、単行本が出たのと映画が公開されたのが同時期ということになる)。第15回「日本アカデミー賞」で「最優秀作品賞/最優秀主演男優賞/最優秀助演男優賞/最優秀助演女優賞」を受賞し、第65回「キネマ旬報ベスト・テン」でも「日本映画部門第1位/監督賞/主演男優賞/助演男優賞/助演女優賞」を受賞しているので、"Wで四冠"といったところでしょうか。演技賞受賞対象者は、主演男優賞は三國連太郎、助演男優賞は永瀬正敏、助演女優賞は和久井映見ですが、とりわけ永瀬正敏はこれ以外にも多くの賞を受賞し、飛躍の契機となった作品になります。

「息子」 山田洋次 wkakui e.jpg いい映画だと思いました。原作は短編で、哲夫の家族は登場せず(従って、哲夫が母の一周忌で帰省する場面で、その際に兄弟・家族関係を明らかにするといった描写もない)、哲夫が日雇い労働をしていたのが、より安定した仕事を求めて伸銅品問屋に臨時社員として就職するところから始まります。そして、仕事を通して知り合った川島征子に好意を抱き、不器用ながらもアプローチする中で彼女が聾唖者であること知って、この恋を貫こうと決意するところで終わるので、映画で言えば、哲夫が「それがどうしたっていうんだ!いいではねぇか!」と心中で叫ぶところで終わっていることになり、あとは原作の後日譚ということになります。

「息子」 山田洋次 8.jpg 戦友会の集まりに出るために哲夫の父・昭男が上京し、哲夫の兄の家に泊まるりますが、哲夫の生活が心配な昭男は哲夫の元を訪れます。外食でもしようと哲夫を誘う昭男でしたが、哲夫は断り自宅で料理するため昭男とスーパーへ買い物に。そして、哲夫の部屋で昭男は哲夫から征子を紹介されます。耳の聞こえない征子のためにFAXを購入している哲夫。哲夫から、征子と真面目に付き合っていて、結婚することを告げられる昭男。いくら反対したって無駄だからと昭男に言う哲夫。昭男は征子に向かって「本当にこの子と一緒になってくれるのですか?」と訊き、頷く征子を見て「有難う。有難う」と感謝する。哲夫に対しては「もしお前がこの子の事を傷つけるようなことがあれば、俺はこの子の両親の前で腹を切らなきゃならないからな」と覚悟を問い、哲夫は当たり前だと答える―。いい場面だったなあ。仲睦まじい二人を見て昭男が素直に喜び、心配していた哲夫が立派になっていることに胸を撫でおろす様がいいです。

「息子」 山田洋次 5.jpg こうして息子のことを気に掛ける父と、一人暮らしになった父をどうするかに悩む哲夫の兄夫婦や姉などが描かれますが、どちらかと言うと後者の方が色合いが強く、誰の世話にもならないと言い張る父親に周囲が戸惑っているといった感じです。それでも、一番ふらふらしていたように見えた息子・哲夫の成長を見届けて、昭男自身は安心して息子が買ったファックスを持ってまた岩手に戻っていく―。ああ、核家族社会における親離れ・子離れの話で、山田洋次監督が「家族」('70年)以来追求し続けてきたテーマの映画だったのだなあと思いました。

東京物語 小津 笠・原2.jpg さらに言えば、田中隆三演じる息子長男とはまともに話ができないけれども、原田美枝子演じる血縁関係のないその嫁とはしみじみと本音で語り合えるというのは、これはもう小津安二郎の「東京物語」の笠智衆(周吉)と原節子(周吉の次男の妻)の世界。そう思うと、一人になった父をどうするか悩む兄や妹らも、一方で自分たちの生活の事情があって、父親の存在を「処理すべきやっかいな問題」として捉えているという点で、これまた「東京物語」で山村聰(長男)や杉村春子(長女)、中村伸郎(長女の夫)が演じた役に通じるところがあります。原作をヒントに「東京物語」を撮った?みたいな感じの映画で、原作者も「感動的な映画でした」と苦笑するしかないのでしょう。主人公が、原作には出てこない父・昭男に哲夫から代わり、その昭男を演じた三國連太郎が〈主演男優賞〉で、永瀬正敏の方は〈助演男優賞〉ですから。

「息子」 山田洋次 2.jpg 三國連太郎の自然な演技もさることながら、賞を総嘗めした永瀬正敏は、実際いい演技でした。この映画での高評価を機に、テレビドラマにはあまり出ず、映画出演を専らとする、言わば"映画「息子」 山田洋次 wakui.png俳優"になっていったのではないでしょうか(日本にはあまりいないタイプ。浅野忠信あたりが後継者か)。和久井映見もとても感じが良かったです。彼女も、今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢栄一の母・渋沢ゑい役を演じるなど、息の長い女優になってきました。

「息子」 山田洋次 4.jpg あと、鉄工所のおっさん役のをいかりや長介や、トラック運転手タキさん役の田中邦衛をはじめ、梅津栄、佐藤B作、レオナルド熊、松村達雄といった脇を固める面々の演技が手堅く、演技の下手な人が出てこない映画とも言えるのではないでしょうか。とりわけ、黒澤明監督が前年「息子」ikariya.jpgに「」('90年)で実質的には役者として初めて映画に起用したいかりや長介に、「夢」の時は単に絵的な使われ方だったのに対し、この作品できちっり演技させているのは、後のいかりや長介の俳優としての活躍のことを思うと慧眼だったと思います。後に藤山直美が阪本順治監督の「」('00年)で、映画初出演・初主演にして演技賞を総嘗めしたということがありましたが、舞台をやっていた人は、それがドタバタコントや定番喜劇であろうと、映画の方でもすっとと役に入り込んで力を発揮することがままあるように思います(映画に限らず、テレビドラマの方に行っても同じ。あの荒井注でも、ドリフターズ脱退後に出演した「土曜ワイド劇場・江戸川乱歩の美女シリーズ」(テレビ朝日)に1978年の第2話より明智の盟友の波越警部役で出演し、新人助演男優賞のような演技賞をもらっていた記憶があります(明智役の天知茂が他界する1985年の最終・第25話まで演じ通した)。

「息子」●制作年:1991年●監督:山田洋次●製作:中川滋弘/深澤宏●脚本:山田洋次/朝間義隆●撮影:高羽哲夫●音楽:松村禎三●原作:椎名誠「倉庫作業員」●時間:121分●出演:三國連太郎/永瀬正敏/和久井映見/田中隆三/原田美枝子/浅田美代子/山口良一/浅利香津代/ケーシー高峰/いかりや長介/田中邦衛/梅津栄/佐藤B作/レオナルド熊/松村達雄●公開:1991/10●配給:松竹(評価:★★★☆)

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読みやすいし、楽しく読めるコラム集。甦る70年代後半の洋画全盛期の息吹。

地獄の観光船 (1981年).jpg地獄の観光船 (集英社文庫).jpg1『地獄の観光船』.jpg コラムは踊る―エンタテインメント評判記.jpg
地獄の観光船―コラム101 (1981年)』['81年]『地獄の観光船―コラム101 (集英社文庫)』['84年]『コラムは踊る―エンタテインメント評判記 1977~81 (ちくま文庫)』['89年](カバーイラスト:和田誠)

 本書は、著者が1977年から1981年春まで「キネマ旬報」に連載した「小林信彦のコラム」をまとめたもので、単行本にする際に70年代後半のクロニクル的側面を打ち出すため、相倉久人氏の「大洪水のあとの70年代はビートルズの解散に始まり、地獄の観光船となって80年代に向かう」というエッセイのタイトルから引いて、このタイトルに改めたとのこと。1984年に集英社文庫で文庫化された後、1989年にちくま文庫で『コラムは踊る―エンタテインメント評判記 1977~81』と改題されて再文庫化されました。

 夥しい数の洋画と邦画(巻末に題名索引が付されている)を紹介し、日活アクション、ヒチコック、マルクス兄弟(単行本表紙)、B級映画などを論じるとともに、漫才ブームやタモリといったタレントにも言及していて、娯楽メディア全般を対象としているので、改題後のサブタイトルがむしろ内容紹介的には分かりやすいかもしれません(ただ、インパクトは「地獄の観光船」の方がある)。年代別に印象に残ったところを一部拾っていくと―(以下、#はコラムの通し番号。ページ数は集英社文庫)。

1977年
タクシードライバー パンフレット.jpgタクシードライバー 映画館.jpg#2.タクシードライバーで、主人公のトラヴィスが初デートでポルノ映画を観に行く件りがあり、あれは日本ではトラヴィスが非常識だということで片付けられるが、映画に出てくるポルノ映画ををやっていた小屋は、高級な映画館なのだそうです(17p)。トラヴィスなりに奮発したということか。そんなの、予備知識なしにフツーに観ている分には分からなかったなあ。単にこの男"狂っている"と思ってしまう。

ネットワーク 1976 ちらし.jpgネットワーク ロバート・デュヴァル.jpg#9.ネットワークを、わくわくするほど面白い設定なのに、ラストの一発で、すべてが嘘くさくなったケースであり「惜しい」としています(35p)。フェイ・ダナウェイが、テレビ番組の視聴率アップのためにテロリストを利用したことを指しているのでしょう。確かにあのラストでリアリティが無くなったようにも思えますが、個人的には、ある種の"寓話"として敢えてリアリティを度外視して、ああいう風なラストにしたのではないかと思います。

ROLLERCOASTER 1977.jpgROLLERCOASTER 19772.jpg#16.「ジェット・ローラー・コースター」は集団捜査劇めかしているが、保安基準局役人のジョージ・シーガルと爆発狂のティモシイ・ボトムズの対決であるとしています(53p)。この点においては「真昼の決闘」や「ジャッカルの日」などと同系譜で、特徴的なのは、敵味方がモノマニアックである点だと。なるほど。アメリカ人は大体「個対組織」より「個対個」の対決が好きなのかも。著者はこの映画のジョージ・シーガルの演技を絶賛しています。個人的には、パニック映画としては懐かしい作品ですが、「ポセイドンアドベンチャー」のような先行する巨大スケールのパニック映画があるので、スケール面でどうしても弱いかなあというのはありました。因みに、この映画の脚本は、「刑事コロンボ」でお馴染みのリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクでした。リチャード・ウィドマーク、ハリー・ガーディノ、スーザン・ストラスバーグなども出ていて、(観た当時の評価は★★★だが)これをB級パニック映画なんて言うと失礼にあたる?

アニー・ホール poster.jpgANNIE HALL.jpg#24.アニー・ホールは、ウディ・アレンとダイアン・キートンの実生活がベースになっているらしいとし(アニー・ホールがダイアン・キートンの本名であることには触れていない)、ウディ・アレンの映画を観ることは、「日本語のよく気きとれない外人さんが寅さん映画を観るようなもの」だとしています(72p)。個人的には、有楽町の「ニュー東宝シネマ2」というマイナーなロードショー館に観に行った際に、外国人の観客が結構多く来ていて、笑いの起こるタイミングが字幕を読んでいる日本人はやや遅れがちで、しまいには外国人しか笑わないところもあったりした記憶があります。また、会話が早すぎて、訳を端折っている感じもしました。当時は"入れ替え制"というものが無かったので、同じ劇場で2度観ました(個人的には当時、英会話学校に通っていた)。
          
1978年
ミスター・グッドバーを探して1.jpg#32.ミスター・グッドバーを探して(これもダイアン・キートンだが)を著者は大力作であると絶賛し、ショックで体調がおかしくなったくらいだとしています(93p)。当時の日本人の批評は、男が描けていないとかボロクソだったようで、著者は作品の魂が分かっていないと憤慨し、「リチャード・ブルックス老にこれほどの現代性とスタミナがあるとは、思ってもみなかった」とまで述べていますが、自分の評価も実はそう高くはなかったです(作品の魂が分からなかった?)。 そう言えば、同じ英会話学校に通っていたアメリカ帰りの友人が、この「ミスター・グッドバーを探して」を、「アニー・ホール」と共に絶賛し、ペーパーバックを読んでいました(自分も買ったと思うが、読み終えた記憶はない)。

スター・ウォーズ エピソード4.jpgスター・ウォーズ 1977 sabaku.jpg#32.「スター・ウォーズ」で、「二つのロボットが砂漠をとぼとぼ行く場面で、こんなシーンを観たことがあったな、と思った。黒澤明の「隠し砦の三悪人」のオープニング―千秋実と藤原釜足が腹をへらして歩いているシーンと同じ撮り方だ、とすぐに気づいた」とのこと(94p)。後にジョージ・ルーカス自身が黒澤明からの"頂き"だと白状しており、著者は1998年のエッセイ(『人生は五十一から』)でも「ぼくが見つけた」と書いています(自慢?)。個人的にはこの映画、周りが大騒ぎした分あまり乗り切れず、だいぶ遅れて'82年に飯田橋の佳作座で「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」との併映で、日本語吹き替え版を観ました(ハン・ソロ役の森本レオは雰スター・ウォーズ 1977 ハンソロ2.jpg囲気出ていた。ルーク役は奥田瑛二!)。悪くはないけれど、十分満足したかと言うとイマイチだったというのが当時の印象で(評価★★★☆)、前年公開の「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」とどっこいどっこいか、やや「レーダース」の方が面白かったくらいでしょうか。やっぱりこういうのは中身云々もさることながら、"旬"の内に観ないと気分的に"乗れない"のかもしれません。そう言えば、ハリソン・フォード来日の際の記者会見で、質疑応答の際に「インディー・ショーンズ」のことは訊いてもいいけれど、「スター・ウォーズ」のことに触れるのはご法度であったとか。ハリソン・フォードの中では、ジョーンズ博士はインテリで、ハン・ソロはお馬鹿キャラとの意識があるようです。

1979年「二人でヒッチコック映画の魅力を語ろう」―和田誠氏との対談
引き裂かれたカーテン1.jpg引き裂かれたカーテン2.jpg 「引き裂かれたカーテン」('66年)を、著者は、作品は失敗だったけれど、ヒッチコック好みの俳優を使ったという意味では、この作品のポール・ニューマンがそうだとしているのに対し、和田誠は、この作品を好きだとし、ポール・ニューマンには「逆転」('63年)などのようにスリラーが似合うと言っています(143p)(「動く標的」('66年)などもそうかも。2011年にやっとDVD化された作品だが)。「引き裂かれたカーテン」の日本での低評価は、ポール・ニューマンに理論物理学者の役は似合わないという先入観によるところが大きいのではないかと思われます(東側の物理学者の前で黒板に物理方程式を書いてみせる場面がある)。また、和田誠が、ヒッチコック映画のヒロインでは「北北西に進路を取れ」('59年)のエヴァ・マリー・セイントが印象的だったと言うと、著者も、「あれは最高です」と。著者が、「引き裂かれたカーテン」のジュリー・アンドリュースを指し、色っぽくない女優を色っぽく見せることにおいてヒッチコックの独壇場だと(笑)。一方で、ファッションモデルみたいな美人も好んで使うと言っているのは確かに。その代表格が「裏窓」('54年)のグレース・ケリーということになるのでしょう(144p)。
      
1979年
ナイル殺人事件 DVD.jpgナイル殺人事件 スチール.jpg#49.ナイル殺人事件」のピーター・ユスチノフのポワロは良かったと。身体がでか過ぎるのが次第に気にならなくなったのは、彼の演技力の賜物だとしています(ピーター・ユスティノフ はその後「地中海殺人事件」('82年)、「死海殺人事件」 ('88年)でもポアロを演じることになる)。クリスティが自作「カーテン」でポワロを殺してしまったのは、こうすれば誰かが著作権者に金を払ってポワロ物の続きを書くといったことが出来ないからだということで、なるほどなあ。007が登場する小説を書こうと思ったら著作権者に金を払わなければならないわけだ(164p)。これがジェフリー・ディーバーやアンソニー・ホロヴィッツぐらいになるとと、逆にイアン・フレミング・エステートからのオファーを受けて書くことになるわけか。

麦秋 dvd V.jpg麦秋 sugimura.jpg#52.麦秋('51年、小津安二郎監督)を正月にNHKで観て(この辺りからテレビで観たものも入ってくる。今の著者の「週刊文春」の連載のエッセイ「本音を申せば」(旧題は「生は五十一から」)がこのパターンだなあ)、石堂淑朗(1932年生まれ「怪奇大作戦/呪いの壷呪いのツボ」('69年)の脚本)、笠原和夫(1927年生まれ・「仁義なき戦い」('73年)の脚本)など著者の多くの知人がしゅんとしたそうな(173p)。著者自身、「封切当時は、古い映画、死ね、とった気持ちで観ていた」とのことで、それを今観て粛然とした気持ちになるのは、「要するに、ぼくらの世代はトシをとったのだ、ということでしょうがねえ」と。これを書いている時点で著者は45歳くらいのはずですが...。

ビッグ・ウェンズデー dvd.jpgビッグ・ウェンズデー 1.jpg#53.ビッグ・ウェンズデーを、脚本・監督のジョン・ミリアスの、自伝的と言うより、私小説ならぬ私映画の秀作としていて、なるほどね。日本ではサーフィン・ブームが始まったところなので、「若い観客を動員できれば、アタると思うのですが」と(実際、そこそこヒットしたのでは)。「これは、もう、浦山桐郎さんの世界ですね」と言っているのが面白いです(176p)。「アメリカン・グラフィティ」などと同じノスタルジー映画の系譜ということでしょうか。

エノケンの近藤勇2.bmp#55.エノケンの近藤勇 「エノケンの頑張り戦術」などエノケン映画を、久々に上京してきた筒井康隆氏と二日間にわたり4本観たと(179p)(この辺りからエノケンの頑張り戦術 1.jpg日記風の話も多くなり、この様式も「週刊文春」の連載のエッセイ「本音を申せば」に受け継がれている)。二日目から色川武大氏が加わったというからスゴイ面子。それにしても「エノケンの頑張り戦術」を「博覧強記の色川さんが、題名さえも知らなかった」とは意外。そう言う著者も、「頑張り戦術」は知らなかったとのこと。按摩に化けたエノケンが如月寛多を「もみくちゃ」にし、取っ組み合いになるところを、カメラ据えっぱなしのワンショットで撮っているいるところが、飛びぬけて面白かったとしていますが、「エノケンの近藤勇」にもそうした撮り方をしている場面があります。

料理長殿、ご用心 p1.jpg料理長シェフ殿、ご用心 02.jpg#58.料理長(シェフ)殿、ご用心を「さいきん、数少ない〈小品佳作〉であった」と。〈小品佳作〉というのは、戦前から戦後にかけてよく使用された言葉で、出演者のランクを認めた上での言葉で、「料理長殿、ご用心」で言えば、ジャクリーン・ビセットが素晴らしく、一人で全編を支えているとしています。そう言えば、和田誠も『お楽しみはこれからだ PART3―映画の名セリフ』('80年)でこの映画を評価していましたが、あれもこのコラムと同時期の「キネマ旬報」の連載コラムでした。

復讐するは我にあり dvd7.jpg復讐するは我にあり  04 .jpg#61.復讐するは我にありを、面白かったとして取り上げています(193p)。「前半の屋外場面は冴えないが、後半、浜松の旅館に移ってから、今村昌平調の屋内ドラマが溌溂とする。緒形拳がシャニムニという力演で、よろしかった」と。但し、「犯罪者の〈内面の追究〉というのは、あまり、意味がないと思う」とも。著者は邦画も数多く観ていますが、かなり厳しめの評価になるのは、常に洋画と比較しているからではないかと思ったりもしました。

エイリアン DVD.jpgエイリアン ジョンハート.jpg#62.エイリアンをFOXで観せてもらった(195p)とのことで、試写会でしょうか。「宇宙船内のわりにリアルな描写」を良いとし、着陸する変な惑星は、1950年代の「禁断の惑星」風であると。そっかあ。この映画を観た時、「禁断の惑星」はまだ観ていなかったので気がつきませんでした。「要するに、これは、SFに形を借りた恐怖映画」なのだと。そう言えば、内田樹氏が『映画の構造分析』(晶文社)の中で、妊娠と出産に対する女性の側の恐怖の暗喩だと言っていたのを思い出しました。

人情紙風船2.jpg人情紙風船 dvd1.jpg #63.人情紙風船('37年・山中貞雄監督)を、機会があって観たとあります(200p)。邦画に厳しいと書きましたが、この映画に関しては「もう、よくって、よくって。だまされたと思って、観てごらんなさい。こんな映画も、めったにないよ」とべた褒めです。でも、実際、いい映画なのです(かなり暗い話だけれど)。

 
 
1980年
二百三高地 dvd.jpg#90.二百三高地を、「もっとも不足しているのは〈ふつうの描写〉である」と(267p)。「人間がメシを食うとか、そういう描写が下手、というより、まるで無い」のがだめで、観客は大戦争とかを常に観たいと思うのではなく、ときどき〈ふつうの描写〉も眺めたいと思うもので、「クレーマー、クレーマー」などは、その欲求にぴしりとはまったからヒットしたのだと。個人的にも、「二百三高地」はいいと思わなかったけれど、それは乃木希典の描き方に不満を感じたりしたからで、一方で、こうした見方もあるのだなあと。著者は、「小津安二郎的なものに、心を惹かれるきょうこのごろで、要するに、トシですわな」とも言ってはいますが。

殺しのドレス.jpgDRESSED TO KILL Angie Dickinson.jpg#95.殺しのドレス(ブライアン・デ・パルマ監督)を絶賛(279p)。「二度見た。あまりに面白かったからだが、とにかく、アタマが白紙の状態だったからこそ、最高に楽しめたのだ」と。こういうのは、「いっさい、何も知らないみなければならない」とし、リポーター(しばしば映画評論家という肩書がつく)が映画の内容をばらしてしまう風潮を痛烈に批判しています。思うに、最近の日本映画などは、もう観る前に大体の内容はわかっていて、若い人などは、描かれ方を確認するような鑑賞スタイルになってきているのではないでしょうか。
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 先にも書いた通り、連載の後の方では、漫才ブームやタレントの話もあって、映画に限っても、話題は、作品観賞から、映画館について、字幕の話など多岐にわたり、80年代に入ってからは、すでに世に出始めたビデオで映画を観るということについても触れています(まだVHSとベータがシェア争いをしていた頃だが)。

 この著者のコラムは、読みやすいし、また楽しく読めますが、著者のあとがきによれば、「キネマ旬報」という映画専門誌に連載しながら(「だからこそ」とも言えるが)、敢えて映画評とはなるべく離れた内容の方がいいと言う編集部の意向に、著者自身も沿ったものだとのこと。個人的は、70年代後半の洋画全盛期の息吹がリアルタイムで甦ってくるようなコラム集であったし、当時の自分の評価の振り返りにもなりました。「ジェット・ローラー・コースター」などは、観た当時は「B級」と思いましたが(これ、著者に言わせれば差別用語になるらしい)、著者が言うところの〈小品佳作〉だったかもしれないと思います。観直していないので評価は★★★のまま修正はしませんでしたが、機会があれば観直してみたいと思います(2017年にHDリマスター版Blu-rayされている)。

    
タクシードライバー」01.jpgタクシー・ドライバー チラシ.jpg「タクシードライバー」●原題:TAXI DRIVER●制作年:1976年●制作国:アメリカ●監督:マーティン・スコセッシ●製作:マイケル・フィリップス/ジュリア・フィリップス●脚本:ポール・シュレイダー●撮影:マイケル・チャップマン●音楽:バーナード・ハーマン●時間:114分●出演:ロバート・デ・ニーロ/シビル・シェパード/ジョディ・フォスター/ハーヴェイ・カイテル/ピーター・ボイル/アルバート・ブルックス/マーティン・スコセッシ/ジョー・スピネル/ダイアン・アボット/レナード・ハリス/ヴィクター・アルゴ/ガース・エイヴァリー/リチャード・ヒッグス/ロバート・マルコフ、/ハリー・ノーサップ/スティーブン・TAXI DRIVER.PETER BOYLE AND ROBERT DE NIRO.jpgプリンス●日本公開:1976/09●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:早稲田松竹(77-11-05)●2回目:池袋文芸坐(79-02-11)●3回目:三鷹オスカー(81-03-18)●4回目:早稲田松竹(85-03-23)(評価:★★★★★)●併映(1回目):「アメリカングラフィティ」(ジョージ・ルーカス)●併映(2回目):「ローリング・サンダー」(ジョン・フリン)●併映(3回目):「アリスの恋」(マーティン・スコセッシ)/「ミーン・ストリート」(マーティン・スコセッシ)●併映(4回目):「ミッドナイト・エクスプレス」(アラン・パーカー)


ネットワーク 1976 11.jpgネットワーク [DVD].jpg「ネットワーク」●原題:NETWORK●制作年:1976年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ルメット●製作:ハワード・ゴットフリード●脚本:パディ・チャイエフスキー●撮影:オーウェン・ロイズマン●音楽:エリオット・ローレンス●時間:121分●出演:フェイ・ダナウェイ/ウィリアム・ホールデン/ピーター・フィンチ/ロバート・デュヴァル/ベアトリス・ストレイト/ウェズリー・アディ/ネッド・ビーティ/ジョーダン・チャーニー/コンチャータ・フェレル/レイン・スミス/マーリーン・ウォーフィールド●日本公開:1977/01●配給:ユナイト映画●最初に観た場所:池袋・文芸坐(78-12-13)(評価:★★★★)●併映:「カプリコン・1」(ピーター・ハイアムズ)
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ジェット・ローラー・コースター -HDリマスター版- [Blu-ray]
ジェット・ローラー・コースター dvd.jpg「ジェット・ローラー・コースター」●原題:ROLLERCOASTER●制作年:1977年●制作国:アメリカ●監督:ジェームズ・ゴールドストーン●製作:ジェニングス・ラング●脚本:リチャード・レヴィンソン/ウィリアム・リンク●撮影:デヴィッド・M・ウォルシュ●音楽:ラロ・シフリン●時間:119分●出演:ジョージ・シーガル/ヘンリー・フォンダ/リチャード・ウィドマーク/ティモシー・ボトムズ/ハリー・ガーディノ/ハリー・デイビス/スーザン・ストラスバーグ/ヘレン・ハント/スティーヴ・グッテンバーグ●日本公開:1977/06●配給:CIC●最初に観た場所:池袋・テアトルダイヤ(78-01-21)(評価:★★★)●併映:「新・猿の惑星」(ドン・テイラー)/「ローラーボール」(ノーマン・ジュイソン)/「世界が燃えつきる日」(ジャック・スマイト)(オールナイト)

ANNIE HALL .jpg「アニー・ホール」●原題:ANNIE HALL●制作年:1977年●制作国:アメリカ●監督:ウディ・アレン●製作:チャールズ・ジョフィ/ジャック・ローリンズ●脚本:ウディ・アレン/マーシャル・ブリックマン●撮影:ゴードン・ウィリス ●時間:94分●出演:ウディ・アレン/ダイアン・キートン/トニー・ロバーツ/シェリー・デュバル/ポール・サイモン/シガニー・ウィーバー/クリストファー・ウォーケン/ジェフ・ゴールドブラム/ジョン・グローヴァー/トルーマン・カポーティ(ノンクレジット)●日本公開:1978/01●配給:オライオン映画●最初に観た場所:有楽町・ニュー東宝シネマ2(78-01-18)●2回目:有楽町・ニュー東宝シネマ2 (78-01-18)(評価:★★★★)


映画パンフレット 「ミスターグッドバーを探して」.jpg「ミスター・グッドバーを探して」●原題:LOOKING FOR MR. GOODBAR●制作年:1977年●制作国:アメリカ●監督・脚本:リチャード・ブルックス●製作:フレディ・フィールズ●撮影:ウィリアム・A・フレイカー●音楽:アーティ・ケイン●原作:ジュディス・ロスナー「ミスター・グッドバーを探して」●時間:135分●出演:ダイアン・キートン/アラン・フェインスタイン/リチャード・カイリー/チューズデイ・ウェルド/トム・ベレンジャー/ウィリアム・アザートン/リチャード・ギア●日本公開:1978/03●配給:パラマウント=CIC●最初に観た場所:飯田橋・佳作座(79-02-04)(評価:★★☆)●併映:「流されて...」(リナ・ウェルトミューラー)
映画パンフレット 「ミスターグッドバーを探して」出演ダイアン・キートン


昭和外国映画史―「月世界探検」から「スター・ウォーズ」まで「別冊1億人の昭和史」』('78年6月/毎日新聞社)
0昭和外国映画史.jpgスター・ウォーズ 1977 ハンソロ1.jpg「スター・ウォーズ(「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」)」●原題:THE STAR WARS●制作年:1977年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ジョージ・ルーカス●製作: ゲイリー・カーツ●撮影:ギルバート・テイラー●音楽:ジョン・ウィリアムズ●時間:121分(特別編:125分)●出演:マーク・ハミル/ハリソン・フォード/キャリー・フィッシャー/デヴィッド・プラウズ/ジェームズ・アール・ジョーンズ(声)/アレック・ギネス/アンソニー・ダニエルズ/ケニー・ベイカー/ピーター・メイヒュー/ピーター・カッシング/フィル・ブラウン/シラー・フレイザー/ジェレミー・ブロック/ポール・ブレイク/ローリー・グード/アンソニー・フォレスト/ドリュー・ヘンレイ/アンガス・マッキネ/デニス・ローソン/ギャリック・ヘイゴン/ローリー・グード/パム・ローズ/リチャード・ルパルメンティエ/デレック・ライオンズ●日本公開:1978/06●配給:20世紀フォックス映画●最初に観た場所:飯田橋・佳作座(82-07-11)(評価:★★★☆)●併映:「レイダース 失われた《聖櫃》」(スティーブン・スピルバーグ)


引き裂かれたカーテン 1966.jpg引き裂かれたカーテン5.jpg「引き裂かれたカーテン」●原題:TORN CURTAIN●制作年:1966年●制作国:アメリカ●監督・製作:アルフレッド・ヒッチコック●ジェニングス・ラング●脚本:ブライアン・ムーア/ウィリス・ホール/キース・ウォーターハウス●撮影:ジョン・F・ウォーレン●音楽:ジョン・アディソン●時間:128分●出演:ポール・ニューマン /ジュリー・アンドリュース/ハンスイェルク・フェルミー/ギュンター・シュトラック/ルドウィヒ・ドナート/ヴォルフガング・キーリング/リラ・ケドロヴ/モート・ミルズ/ギゼラ・フィッシャー/デヴィッド・オパトッシュ/タマラ・トゥマノワ/モーリス・ドナー/ロバート・ブーン/ノーバート・シラー/ハロルド・ディレンフォース/アーサー・グールド=ポーター/ピーター・ローレ・Jr/アンドレア・ダルビー/エリック・ホランド/レスター・フレッチャー●日本公開:1966/10●配給:ユニバーサル・ピクチャーズ.(評価:★★★★)
引き裂かれたカーテン [DVD]


「ナイル殺人事件」映画パンフレット
ナイル殺人事件 パンフレット.jpgナイル殺人事件 オリヴィア・ハッセー.jpgナイル殺人事件 べティ・デイヴィス.jpgミア・ファロー_3.jpg「ナイル殺人事件」●原題:DEATH ON THE NILE●制作年:1978年●制作国:イギリス●監督:ジョン・ギラーミン●製作:ジョン・ブラボーン/リチャード・グッドウィン●脚本:アンソニー・シェーファー●撮影:ジャック・カーディフ●音楽:ニーノ・ロータ●原作:アガサ・クリスティ「ナイルに死す」●時間:140分●出演:ピーター・ユスティノフ/ミア・ファローベティ・デイヴィス/アンジェラ・ランズベリー/ジョージ・ケネkinopoisk.ru-Death-on-the-Nile-1612353.jpgディ/オリヴィア・ハッセー/ジョン・フィンチ/マギー・スミス/デヴィッド・ニーヴkinopoisk.ru-Death-on-the-Nile-1612358.jpgン/ジャック・ウォーデン/ロイス・チャイルズサイモン・マッコーキンデール/ジェーン・バーキン/サム・ワナメイカー/ハリー・アンドリュース●日本公開:1978/12●配給:東宝東和●最初に観た場所:日比谷映画劇場(78-12-17)(評価:★★★☆)

  

麦秋 1.jpg「麦秋」●制作年:1953年●監督:小津安二郎●製作:山本武●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田麦秋 1951  .jpg雄春●音楽:伊藤宣二●時間:124分●出演:原節子/笠智衆/淡島千景/三宅邦子/菅井一郎/東山千栄子/杉村春子/二本柳寛/佐野周二/村瀬禪/城澤勇夫/高堂国典/高橋とよ/宮内精二/井川邦子/志賀真津子/伊藤和代/山本多美/谷よしの/寺田佳世子/長谷部朋香/山田英子/田代芳子/谷崎純●公開:1951/03●配給:松竹(評価:★★★★☆)


ビッグ・ウェンズデー  ps.jpgBig Wednesday (1978).jpgBIG WEDNESDAY .jpg「ビッグ・ウェンズデー」●原題:BIG WENSDAY●制作年:1978年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ミリアス●製作:バズ・フェイトシャンズ/アレクサンドラ・ローズ●脚本:ジョン・ミリアス/デニス・アーバーグ●撮影:ブルース・サーティース●音楽:ベイBIG WEDNESDAY.jpgジル・ポールドゥリス●時間:119分●出演:ジャン=マイケル・ヴィンセント/ウィリアム・カットBIG WEDNESDAY   .jpg/ゲイリー・ビジー/リー・パーセル/サム・メルヴィル/パティ・ダーバンヴィル/ダレル・フェティ/ジェフ・パークス/レブ・ブラウン/デニス・アーバーグ/リック・ダノ/バーバラ・ヘイル/ジョー・スピネル/ロバート・イングランド●日本公開:1979/04●配給:ワーナー・ブラザーズ●最初に観た場所:テアトル吉祥寺(82>-03-13)(評価:★★★☆)●併映:「カッコーの巣の上で」(ミロシュ・フォアマン)


エノケンの近藤勇1.jpg「エノケンの近藤勇」●制作年:1935年●監督:山本嘉次郎●脚本・原作:ピエル・ブリヤント/P.C.L.文芸部●撮影:唐沢弘光●音楽:栗原重一●時間:81分●出演:榎本健一/二村定一/中村是好/柳田貞一/如月寛多/田島辰夫/丸山定夫/伊藤薫/花島喜世子/宏川光子/北村季佐江/エノケンの頑張り戦術 vhs.jpg千川輝美/高尾光子/夏目初子●公開:1935/10●配給:P.C.L.(評価:★★★)
「エノケンの頑張り戦術」●制作年:1939年●監督:中川信夫●脚本・原作:小国英雄●撮影:伊藤武夫●音楽:栗原重一●時間:74分●出演:榎本健一/宏川光子/小高たかし/如月寛多/渋谷正代/川童/柳田貞一/柳文代/音羽久米子/北村武夫 /金井俊夫/南光司●公開:1939.09●配給:東宝東京(評価:★★★)


01料理長(シェフ)殿.jpg02料理長(シェフ)殿.jpg「料理長(シェフ)殿、ご用心」●原題:SOMEONE IS KILLING THE GREAT CHEFS OF EUROPE●制作年:ヴァン・ライアンズ/ナン・ラ1978年●制作国:アメリカ●監督:テッド・コチェフ●脚本:ピーター・ストーン●撮影:ジョン・オルコット●音楽:ヘンリー・マンシーニ●原作:アイヴァン・ライアンズ/03料理長(シェフ)殿.pngナン・ライアンズ●時間:112分●出演:ジャクリーン・ビセット/ジョージ・シーガル/ロバート・モーレイ/ジャン=ピエール・カッセル/フィリップ・ノワレ/ジャン・ロシュフォール/ルイージ・プロイェッティ/ステファノ・サッタ・フロレス●日本公開:1979/05●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:五反田TOEIシネマ(80-02-18)(評価:★★★)●併映「セント・アイブス」(J・リー・トンプソン)/「クリスチーヌの性愛記」(アロイス・ブルマー)

Fukushû suru wa ware ni ari (1979)
Fukushû suru wa ware ni ari (1979) .jpg復讐するは我にありC.jpg「復讐するは我にあり」●制作年:1979年●監督:今村昌平●製作:井上和男●脚本:馬場当/池端俊策●撮影:姫田真佐久●音楽:池辺晋一郎●原作:佐木隆三●時間:140分●出演:緒形拳/三國連太郎/ミヤコ蝶々/倍賞美津子/小川真由美小川真由美 復讐するは我にあり2.jpg清川虹子/殿山泰司/垂水悟郎/絵沢萠子/白川和子/フランキー堺/北村和夫/火野正平/根岸とし江(根岸李江)/河原崎長一郎/菅井きん/石堂淑郎/加藤嘉/佐木隆三●公開:1979/04●配給:松竹●最初に観た場所(再見):新宿ピカデリー(緒形拳追悼特集)(08-11-23)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ(10-01-17)(評価:★★★★☆)


エイリアン 1979.jpgエイリアン スタントン.jpg「エイリアン」●原題:ALIEN●制作年:1979年●制作国:アメリカ●監督:リドリー・スコット●製作:ゴードン・キャロル/デヴィッド・ガイラー/ウォルター・ヒル●脚本:ダン・オバノン●撮影:デレク・ヴァンリント●音楽:ジェリー・ゴールドスミス●時間:117分●出演:トム・スケリット/シガニー・ウィーバー/ヴェロニカ・カートライト/ハリー・ディーン・スタントン/ジョン・ハート/イアン・ホルム/ヤフェット・コットー●日本公開:1979/07●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:三軒茶屋東映(84-07-22)(評価:★★★★)●併映:「遊星からの物体X」(ジョン・カーペンター)


人情紙風船 kawarazaki.jpg人情紙風船 01.jpg「人情紙風船」●制作年:1937年●監督:山中貞雄●製作:P.C.L.●脚本:三村伸太郎●撮影:三村明●音楽:太田忠郎●美術考証:岩田専太郎●原作:河竹黙阿弥(『梅雨小袖昔八丈』、通称『髪結新三』)●時間:86分●出演:河原崎長十郎(海野又十郎)/中村翫右衛門(髪結新三)/山岸しづ江(又十郎の女房おたき)/霧立のぼる(白子屋の娘お駒)/助高屋助蔵(家主長兵衛)/市川笑太朗(弥太五郎源七)/中村鶴蔵 (金魚売源公)/市川莚司[加東大介])(猪助)/橘小三郎[藤川八蔵](毛利三左衛門)/御橋公(白子屋久左衛門)/瀬川菊乃丞(忠七)/市川扇升(長松)/原緋紗子(源公の女房おてつ)/坂東調右衛門/市川樂三郎/市川菊之助/岬たか子●公開:1937/08●配給:東宝映画●最初に観た場所:早稲田松竹(07-08-12)(評価:★★★★☆)●併映:「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(山中貞雄)


7二百三高地 丹波哲郎 dvdジャケット1.jpg「二百三高地」●制作年:1980年●監督:舛田利雄●脚本:笠原和夫●撮影:飯村雅彦●音楽:山本直純●主題曲:さだまさし●時間:181分●出演:仲代達矢/あおい輝彦/新沼謙治/湯原昌幸/佐藤允/永島敏行/長谷川明男/稲葉義男/新克利/矢吹二朗/船戸順/浜田寅彦/近藤宏/伊沢一郎/玉川伊佐男/名和宏/横森久/武藤章生/浜田晃/三南道郎/二百三高地 丹波哲郎.jpg北村晃一/木村四郎/中田博久/南廣/河原崎次郎/市川好朗/山田光一/磯村健治/相馬剛三/高月忠/亀山達也/清水照夫/桐原信介/原田力/久地明/秋山敏/金子吉延/森繁久彌/天知茂/神山繁/平田昭彦/若林豪/野口元夫/土山登士幸/川合伸旺/久遠利三/須藤健/吉原正皓/愛川欽也/夏目雅子/野際陽子/桑山正一/赤木春恵/原田清人/北林早苗/土方弘/小畠絹子/河合絃司/須賀良/石橋雅史/村井国夫/早川純一/尾形伸之介/青木義朗/三船敏郎/松尾嘉代/内藤武敏/丹波哲郎●公開:1980/08●配給:東映●最初に観た場所:飯田橋・佳作座 (81-01-24)(評価:★★)●併映:「将軍 SHOGUN」(ジェリー・ロンドン)


『殺しのドレス』(1980) 2.jpg「殺しのドレス」●原題:DRESSED TO KILL●制作年:1980年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ブライアン・デ・パルマ●製作:ジョージ・リットー●撮影:ラルフ・ボード●音楽:ピノ・ドナッジオ●時間:114分●出演:マイケル・ケイン/アンジー・ディキンソン/ナンシー・アレン/キース・ゴードン/デニス・フランツ/デヴィッド・ マーグリーズ/ブランドン・マガート●日本公開:1981/04●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:六本木・俳優座シネマテン(81-04-03)●2回目:テアトル吉祥寺 (86-02-15)(評価:★★★★)●併映(2回目):「デストラップ 死の罠」(シドニー・ルメット)/「日曜日が待ち遠しい!」(フランソワ・トリュフォー)/「ハメット」(ヴィム・ヴェンダース)

【1984年文庫化[集英社文庫]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『コラムは踊る―エンタテインメント評判記 1977~81』)]】


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〈地獄〉と言うくらいの思いをしないとこれだけの本は読めないのだろなあ。感服させられる。

地獄の読書録 tannkoubon.jpg地獄の読書録 bunko.jpg  地獄の読書録 ちくま文庫.jpg
地獄の読書綠』['80年]/『地獄の読書録 (集英社文庫)』['84年]/『地獄の読書録 (ちくま文庫)』['89年]

地獄の読書録 syuueisya bunko.jpg 1958年のある日、著者・小林信彦は翻訳ミステリーの全巻読破・紹介を雄々しく決意する。それから10年、本格推理からハードボイルド、サスペンス、スパイ・スリラー、冒険小説、SF、日本の作家の作品...と、"読み"の対象は広がり、膨大な量の"活字の地獄"との血みどろの戦いは続いた。755冊を俎上にあげ、激動と混乱の60年代の語り部となった著者の毒舌が冴える大河ブック・ガイドの名篇。(本書紹介文より)

 具体的には、本書の第1部「本邦初訳ミステリ総まくり」は座視「宝石」の1959年1月後から63年12月号まで連載された「みすてりい・がいど」の完全収録であり、第2部「スパイ小説とSFの洪水」は、隔月刊「平凡パンチ・デラックス」の1965年9月号から69年9月号に連載されたもので、そのことにより'59年から'69年の、つまり概ね60年代のブックガイドとなっています(巻末に著者索引・書名索引が付されている)。

 とにかくすごい量です。これだけ本を読みながら、同時に映画なども多く観ているわけであり、この時分の著者のパワーと執念を感じます。著者によれば、、あくまで一ファンとして、楽しい作品を少しでも多く読みたい、との熱い想いを抱いて本の山に挑戦していったとのことで、ある種〈闘いの記録〉であるとも言えます。

 気に入った作品は、一作に複数ページを費やして内容紹介・論評することもある一方で、凡作はほとんど一文で片付けていたりもしますが(総じて短いものが多いが、このあたりのメリハリが明確)、今日"傑作"とされているものでも当時はまだ新鋭作家の評価が確定していない作品だったりして、それをきっちり評価し切っているところがスゴイです。年代別に見て、前半の方でいくつか印象に残ったのは―(以下、ページ数は集英社文庫)。

1959年
魔術の殺人 (1958年).jpg チャンドラーの『長いお別れ」でスタートしたこの年は、「魔術の殺人」(早川書房170円)をクリスティーの52年の作品だが、「凡作」と一言で切り捨てています(28p)。

血の収穫 創元推理文庫.jpg 創元推理文庫の新刊8冊『グリーン家殺人事件」』(ヴァン・ダイン、130円)、『血の収穫』(D・ハメット、100円)、『ABC殺人事件」(A・クリスティー、100円)、『かわいい女』(R・チャンドラー、110円)など紹介し(55p)、この中で『血の収穫』は名訳(田中西二郎)として定評があるのでと一読を勧めています。やはり1つ選ぶとすればこれでしょうか('56年6月に 田中西二郎訳が創元推理文庫から出て、すぐに名訳との評価が固まったということか)。

1960年
気ちがい〔サイコ〕.pngPSYCHO2.jpg ロバート・ブロックの『気ちがい』(早川書房・160円)を、ヒッチコックが来日の際に大いに宣伝していった映画「サイコ」の原作として紹介していますが(114p)、原作の翻訳刊行はこPSYCHO 31.jpgの年の4月、映画の公開は9月でした。原作のあらすじを紹介しながらも、面白くない、凄味がないとの低評価です。映画の方は後の方で、大当たりしているけれど、話がモーテルに入るまでが冴えないと。ただし、殺しの場のショッキングなことは無類であり、パーキンスのサイコぶりがいいとのことで(137p)、原作がイマイチで、映画は原作を超えているというのは、衆目の一致するところかと思います。

Alfred Hitchcock 女主人01.jpg この年のエドガー賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)受賞作を取り上げる中で、短編賞を受賞したロアルド・ダールの「女主人」(作者の第三短編集『キス・キス』所収)を取り上げ(118p)、そのあらすじを3ページにわたって詳しく紹介しています(ネタバレはしていないけれどほとんど全部(笑))。個人的にも傑作だと思い、読者に伝えたくなる気持ち、理解できます。これ、「ヒッチコック劇場」(「ロンドンから来た男」(1961))や「ロアルド・ダール劇場 予期せぬ出来事」(「女主人」(1979))で映像化されています。
Alfred Hitchcock Presents - Season 6 Episode 19 #210."The Landlady"(1961)(「ロンドンから来た男」)

1961年
パディントン発4時50分 (1960年).jpg鳩のなかの猫 ポケミス.jpg アガサ・クリスティーの『パディントン発4時50分』(早川書房200円)の評価を☆☆☆☆と(このあたりから星評価を導入し、☆1つ20点、、★が5点とのこと)。本格ファンは、久しぶりに良い気分になれる作品であるとしています(150p)。それから『鳩の中の猫』(早川書房220円)にも☆☆☆☆の評価をしています(158p)。女子パブリック・スクールにおける殺人という「本格」に、中近東の某国における革命と宝石紛失という「スリラー」の掛け合わせを、マープル物とトミー・タペンス物をカクテルにしたみたいで、こんがらがったところへ登場するのがポワロであるというサービスぶりと絶賛しています。

 ロアルド・ダールの第三短編集『キス・キス』早川書房360円)そのものも取り上げ、「女主人」を最高としながらも、「天国への道」が好きだと。第二短編集『あなたに似た人』よりレベルは落ちるが、風変わりな短編集としてお奨めでき、ただし、値段の高いのが玉にキズであるとしています(360円だが)。

 後半は、「スパイ小説とSFの洪水」と題されているように、スパイ小説、冒険小説やSF、さらに文学作品にまで言及が及んでいて、日本人作家の作品も多く出てきます。例えば、1965年では、「筒井康隆という新人」の『48億の妄想』(早川書房・340年)であったり、「露悪的なテレビ・タレントとして有名な野坂昭如」の『エロ事師』(講談社・270年)であったりとか。

 著者が翻訳ミステリーの全巻読破を決意したのは失業していた時で、雑誌の編集長になってからは「翻訳もの全完読破」は地獄であり、狂気の沙汰であったとのことで、映画「地獄の黙示録」('79年/米)のもじりであるとは思いますが、すんなり(笑)このタイトルになったとのことです。地獄かあ。そうだろうなあ。それくらいの思いをしないとこれだけは読めないだろうなあ。ただただ感服させられるばかりです。

 本書は、1980年代のミステリ評も加えた〈定本版〉として、ちくま文庫で再文庫化されました。

【1984年文庫化[集英社文庫]/1989年再年文庫化[ちくま文庫]】

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舞台は古代のギリシャ、ペルシャ(エジプト)、アッシリア、そして中国 & 自伝的中編、韓国と多彩。
IMG_文字禍・牛人.jpg文字禍・牛人.jpg   文字禍 円城.jpg  大人読み『山月記』.jpg
文字禍・牛人 (角川文庫)』/円城塔『文字渦』/『大人読み『山月記』

 1942(昭和17)2月「文学界」に「山月記」と共に発表された「文字禍」、同年7月「政界往来」に発表された「牛人」ほか、「狐憑」「木乃伊」「斗南先生」「虎狩」の6編を所収。

「狐憑」...... 「ネウリ部落のシャクに 憑きものがしたという評判である。色々なものが此の男にのり移るのだそうだ。鷹だの狼だの獺だのの靈が哀れなシャクにのり移つて、不思議な言葉を吐かせるということである。」―この書き出しだけですっと入っていける話。中島敦と言えば古代中国のイメージが強いですが、これは古代ギリシャ時代のスキタイ人を主人公にした話。でも、何となく現代的なブラックユーモアの香りがします(小説家の悲劇?)。

「木乃伊」(1942)...... ペルシャ王カンビュセスがエジプトに侵入した際、その麾下の武将パリスカスは墓地捜索隊に加わるが―。前世の自分のミイラと遭遇してそのミイラの生きていた時に転生し、さらにそれがまた前世の自分のミイラと遭遇し、というBC6世紀のペルシャ王朝並びに古代エジ『山月記・弟子・李陵ほか三編.jpgプトを舞台にしていながら、これも何だか現代SFみたいな話です。かつて『山月記・弟子・李陵ほか三編』(講談社文庫)で初読。個人的に好みで、すでに前項で「◎」をつけましたが、この角川文庫版の解説の池澤夏樹氏によれば、ヘロドトスの『歴史』にカンビュセスのエジプト遠征の話があってもパリスカスの名はないことから、作者の創作ではないかとのことです。

「文字禍」(1942)...... 古代アッシリヤの大王は、毎夜図書館に出没すると噂される「文字の霊」について、老博士に調査を命じる。博士は万巻の書に目を通すがそれらしい説はない。ある日、ひとつの文字を終日凝視していると、いつしかその文字が解体し、意味の無いひとつひとつの線の交錯としか見えなくなった。この発見を手初めに、文字の霊の性質が次第に判って来たのだが―。BC7世紀新アッシリア時代の帝国図書館の話。だんだん形而上学的になってくるなあと思ったら、最後は笑ってしまう悲喜劇でした。作家の円城塔氏が、この作品へのオマージュを込めた同名の「文字禍」という短編を書いて2017年・第43回「川端康成文学賞」を受賞しています(舞台は中島敦が得意とした古代中国になっている)。

「牛人」(1942)...... 魯の叔孫豹が若い頃、亡命先の斉で美女と野合してそのまま故国に帰ったが、そのとき生まれた子であるとして、「牛」のような容貌を持った男が名乗り出てくる。叔はこの「息子」が気に入り、早速側近として取立て、牛は側近として活躍するが、側近として重用されればされるほど、牛の思う壷になっていく―。やっと中国もので、しかもホラー(笑)。時代は春秋時代で、魯の叔孫僑如の弟・叔孫豹の話ですが、本当にこんな末路だったの? 後世に宦官がよく行った「情報の壟断」がモチーフになっていような印象も受けました。

「斗南先生」(1942)... 作者の伯父を描いた大学時代の創作で、しかもその死の前後のみを、自然現象を徹底して「観察」するかのような筆致で描かれています。執筆して10年の歳月を経て世に出たものだそうですが(作者がすでに作家として世評を得た時期になる)、中島敦文学の実質的な出発を示す作品として位置づけられています。

「虎狩」(1934)... 大正時代の京城(現ソウル)近郊で、少年である主人公が、親に内緒で友人の趙大煥の家族と虎狩りに参加する話。作者が24歳の時に書いた「中央公論」の懸賞小説応募作です。11歳から5年ほど韓国で少年時代を送った作者の経験がもとになっている、これも自伝的要素のある作品かと思いますが、15,6年後に趙大煥に再開する後日談も含め、どこまでが事実でどこまでが創作か分かりせん。

 『大人読み「山月記」』('09年/明治書院)という本を読むと、中島敦という人は、「山月記」にしても「名人伝」にしても、また「弟子」にしても「李陵」にしても、原典にどこか手を加えているようです。そして、その手の加え方に、作者としてのテーマ性が込められていることが多いようです。本書のこれらの作品も、どこが作者の創作なのか、楽しみながらも考えてしまいました。

 「文豪ストレイドッグス」タイアップカバーですが、作品の舞台が古代のギリシャ、ペルシャ(エジプト)、アッシリア、そして中国に広がり、さらに自伝的中編もあって、韓国も舞台だったりして多彩で(自分だけnの思い込みかもしれないが、中島敦って何となく中国のイメージしかなかったりする)、加えて、池澤夏樹氏のほとんど書き下ろしの解説があり、詳細な年譜も付されていて、これで実質ワンコイン本であるというのは、コスパはかなり良かったと思います。

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ニック・ビレーンがずっこけることで、そのキャラを逆に好きになってしまう。

パルプ チャールズ ブコウスキー 新潮文庫.jpgパルプ チャールズ ブコウスキー.jpg パルプ チャールズ ブコウスキー ちくま.jpg   チャールズ・ブコウスキー.jpg
パルプ』['95年]/『パルプ (ちくま文庫)』['16年](カバーイラスト:
サヌキナオヤ)/チャールズ・ブコウスキー(1920-1994)
パルプ (新潮文庫)』['00年](カバーイラスト:ゴッホ今泉)

パルプ チャールズ ブコウスキー6.jpg バーと競馬場に入りびたり、ろくに仕事もしない史上最低の私立探偵ニック・ビレーンのもとに、死んだはずの作家セリーヌを探してくれという依頼が来る。早速調査に乗り出すビレーンだが、それを皮切りに、いくつもの奇妙な事件に巻き込まれていく。死神、浮気妻、宇宙人等が入り乱れ、物語は佳境に突入する―。

 『パルプ』は、詩人・作家であるチャールズ・ブコウスキー(1920-1994)が最後に執筆した小説で、ブコウスキーの死の直前、1994年に出版されています。日本では'95年に単行本が刊行され、2000年に新潮文庫で文庫化されましたが、その後、2016年に同じ訳者のものがちくま文庫で文庫化されました。背景として、近年ブコウスキーが見直されていてちょっとしたブームになっているということがあるようです。

 ハードボイルド探小説の体裁をとっていますが、話はもうはちゃめちゃで、このはちゃめちゃぶりが楽しいです。ハードボイルド小説の定型をパロディ化した、メタハードボイルド小説と言えます。それと、ブコウスキーはこの小説を"悪文"に捧げていて、小説に登場するエピソードやアイテムはいわゆる「パルプ・マガジン」に見られるような意図的な悪文や、それに付きものの安っぽい要素(キッチュ感)を彷彿とさせ、それらへのオマージュともなっています(訳者は、クエンティン・タランティーノ監督の映画「パルプ・フィクション」('94年/米)と対比させている)。

東山 彰良.jpg 自分では「LA一の名探偵」「スーパー探偵」と称し、依頼料は1時間6ドル、飲んだくれ(日本酒をよく呑む)で競馬が趣味だという主人公・ニック・ビレーンという男(55歳)のキャラが最高に面白く、ちくま文庫解説の直木賞(『』)作家の東山彰良氏が述べているように、ミステリの部分は読者にページをめくらせるための推進力に過ぎず、作者が描きたかったのは、このダメ探偵の厭世的な人生観かもしれません。そのことは、冒頭から「セリーヌ」の名が出てくることなどとも符合するように思えます(そう言えば、ブコウスキーはルイ=フェルディナン・セリーヌと雰囲気的に似ている)。

橋 源一郎.jpg翻訳夜話.jpg 帯の推薦文で高橋源一郎氏が、「日本翻訳史上の最高傑作だと思います」と述べていますが、どう訳すか翻訳者の腕にかかっている小説とも言え、その翻訳者が、村上春樹氏との間に『翻訳夜話』('00年/文春新書)という共著もある柴田元幸氏であるというのも分かる気がします。

小鷹信光.jpg斎藤美奈子.jpg 「ハードボイルド小説は男のハーレクインロマンスである」と言ったのは斎藤美奈子氏ですが、それに対してハードボイルドの御大であった故・小鷹信光氏も、「何だか少し違う気がする」と言って苦笑いしたたとか。斎藤美奈子氏の言葉もある程度は本質を突いているのかもしれませんが、言われた方も、別に自分が登場人物のようになれると思って読んでいるわけではなく、そのギャップを十分衣自覚し、憧憬の対象は憧憬の対象として、現実は現実としてとらえ、時にはギャップを楽しんでいる部分もあるように思います。

 この『パルプ』は、ニック・ビレーンがずっこけることで、そのキャラを逆に好きになってしまうという、不思議な吸引力を持った小説ですが、ニック・ビレーンが一人で、ハードボイルドな男とずっこけ男の両方をやってのけているところが、なかなかのミソではないかと思いました。

 因みに、ニック・ビレーンという名は、映画「カサブランカ」におけるハンフリー・ボガートの役名「リック・ブレイン」のもじりだとか。「マイク・ハマー」シリーズの原作者であるミッキー・スピレインとも少し似ているけれど(この人、「刑事コロンボ」に殺害されるベストセラー作家の役で出演していた(「第22話/第三の終章」))。

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作者の作品の中では純文学に近い部類?「倉庫作業員」が一番すっきりして気持ちいい。

IMG_20210224_063002.jpgハマボウフウの花や風200_.jpg  『息子』1991.jpg
ハマボウフウの花や風』  山田洋次監督「あの頃映画 「息子」 [DVD]

 作者が'89年から'90年くらいにかけて発表した短編を集めたもので、表題作の「ハマボウフウの花や風」のほか、「倉庫作業員」「皿を洗う」「三羽のアヒル」「温泉問題」「脱出」の全6編を収録。作者の若い頃の経験も含め、いろいろな仕事に携わる人、いろいろな生き方を選ぶ人が描かれていたように思います。

映画 息子.jpg 「倉庫作業員」...... 大学を中退した浅野は、まとまった金を作るために日雇い労働をしていたが、より安定した仕事を求めて「紅谷金属」という伸銅品問屋に臨時社員として就職する。そこには、倉庫長の20代後半位の成田、16歳の若さのアキ、おっさんこと辻村、浅野と同い年位の三沢などの面々がいた。ある日浅野は、運送会社の運転手タキさんと取引先の「新光プラス」へ納品に行った際に、その会社の事務員の美しさに惹かれ、誘うが笑うだけで返事がない。そこで、彼女に手紙を書いて渡す。後で分かったことだが、彼女の名前は川島征子、彼女は話したり聴いたり出来ない聾唖者だった―。すっきりとして気持ちのいい短編(評価:★★★★)。山田洋次監督がこの作品をもとに永瀬正敏、和久井映主演で映画「息子」('91年/松竹)を撮っています(いや、あの映画、主演は浅野の父親を演じた三國連太郎だったか。おっさんをいかりや長介、タキさんを田中邦衛が演じている)。

 「皿を洗う」...... 写真学校に通う21歳の僕はイタリアンレストランで皿洗いのアルバイトをしている。そこには、学生の竹本と辻田、ミュージシャン志望の通称ジャム、司法書士めざす田津浜、四十代半ばイタリア人の調理人パウロ、三十才前後で菓子作り担当のパウロの日本人妻ヨーコなどがいた。ぼくは、一つ年上の女・直子と付き合っている。ある日、ヨーコと田津浜が駆け落ちしたようだ。店に三島由紀夫を来たのを覗き見し、その後三島は割腹自決することに―。東京写真大学(現・東京工芸大学)の学生だった作者自身が20歳の頃、六本木のイタリアンレストランで皿洗いのアルバイトをしていた時の経験が元になっているようです。ノスタルジー小説か(★★★☆)。

あひるのうたがきこえてくるよ。 [VHS]」「あひるのうたがきこえてくるよ。 オリジナル・サウンドトラック
あひるのうたがきこえてくるよ。.jpgあひるのうたがきこえてくるよ。cd.jpg 「三羽のアヒル」... 都内の中学で国語教師をやってた梶良介(45才)は、当時流行ったブラックバス釣りのため山上の湖に住みついた。家賃1万円、生活費1万円の暮らしだが、田舎暮らしというのは、のんびりしていそうで結構忙しいということを知る。野菜を作ってもそれが大きくなることに感動し、楽しい楽しいと言っている内に花が咲いて食べる時期を逃してしまう。ボートで釣りをするのが日常だったある日、世話人から三羽のアヒルの子を貰い受けるが、アヒルの子たちは水に入ろうとしないし、自分で餌を獲ることも知らない。こうして自分のことを親だと思うアヒルたちを躾ける生活が始まる―。カヌーイストの野田知佑氏が作者に話した話がベースになっているようで、作者自身が監督し、柄本明主演で「あひるのうたがきこえてくるよ。」という映画になっているようですが未見。でも、何となくしみじみとしたいい話でした(★★★☆)。

 「ハマボウフウの花や風」...... 水島圭一は、昔ケンカに明け暮れていた故郷の舞浜を19年ぶりに訪れ、かつて想いを寄せた同級生・吉川美緒と再会する。小さな海辺の町で水島らが虚しく熱く暴れ回っていた、忘れられない青春時代の記憶だった。当時たくさんの味方があり敵があった。味方の赤石哲夫、吉野耕三、左眼が義眼のビーズ屋・仙一、対峙する敵方の首領はダボ常。昔話と彼らのその後について話しが続く。皆に今は今の暮らしがあり、美緒と付き合っていた赤石は今は日本にはいない―。これものノスタルジー小説で、表題作であると同時に作者唯一の直木賞候補作ですが、選考委員の多くが指摘したように、回想譚に(しかも、後日譚があるため二重の過去形に)なっている分インパクトが弱く、モチーフも既存小説にありがちなパターンで、群を抜くほどの作品でもないと思いました(評価:★★★)。

 「温泉問題」...... ライターの西田は写真家のつるさんとが八丈島に取材に行く。そこでいろいろな人に会い、いろいろな経験をする―。紀行文みたいな小説ですが、小説の中にあるもう一つの温泉の話が面白かったです。東北花巻に近い山の温泉宿での話で、混浴温泉に身体つきから30代くらいと思わる女性が入ってきたが...。あり得る話かもなあ。でも、これも物語の中で話になっているので、ややインパクトが弱かったかも。作者は同じモチーフでSFも書いたりしますが、じれもSF版があったように思います(★★★☆)。

 「脱出」...... 大学受験浪人生の信二には思うところがあり、暫く一人で自活しながら受験勉強したいと家を飛び出す。偽名を使って芦ノ湖の旅館相手の雑貨店での住み込みの仕事に就き、仕事が慣れるまではつらかったものの耐え、仕事のために運転免許を取得しようとした。ところが―。'70年の大阪万博の頃の話で、当時の地方都市でありそうな話。これもちょっと地味かなあ(★★★)。

 作者の作品の中では純文学に近い部類かも。全体にそう悪くはないのですが、経験に即して描こうとしているのか、リアリティはあるけれどドラマ性が薄いかもしれません。そうした中、冒頭の「倉庫作業員」が、一番良かったように思うし、山田洋次監督が選びそうな作品だなあという感じもしました。

【1994年文庫化[文春文庫]】

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吉行淳之介の文学世界観、性に対する探究者的な姿勢を映像化。DVDリリースを望む。

砂の上の植物群 ps.jpg西尾三枝子 砂の上の植物群9.png 砂の上の植物群 稲野.jpg
【発売延期・発売日未定】砂の上の植物群 [DVD]」['14年]西尾三枝子/中谷昇

砂の上の植物群2.jpg 化粧品セールスマン伊木一郎(仲谷昇)は、ある夜マリンタワーの展望台で見知らぬ少女(西尾三枝子)に声をかけられた。真赤な口紅が印象的だった。少女は自ら伊木を旅館に誘う。裸身の少女は想像以上に熟れていたが、いざとなると拒み続けた。二人は名も告げずに別れるが、一週間後再び展望台で出逢う。今度は伊木が少女を誘った。少女は苦痛を訴えながらも、伊木の身体を受け入れた。その夜初めて名乗った少女の名は津上明子、高校三年生だった。明子の姉・京子(稲野和子)は、バー「鉄の槌」のホステスをしていた。親代りの姉は、明子に女の純潔についてうるさかったが、自らは昼日中から男とホテルに入り浸っていた。明子はそんな京子を激しく憎み、伊木に姉をひどい目に遭わせてくれと頼む。伊木はそんな京子に興味を感じ、バー「鉄の槌」を訪ねる。その夜、伊木は京子を抱き、京子は、マゾヒスティックな媚態で伊木に応える。伊木と京子の密会は続き、京子のマゾヒスティックな欲望は募る一方だった。伊木も京子との異常な情事に流されていったが、一方、伊木は父と妻・江美子(島崎雪子)の関係を訝り、父の旧知の散髪屋(信欣三)から、妻の秘密を探っていた。散髪屋は父と妻との関係は否定したが、父と芸者との間に生まれた腹違いの妹がいると言う。その名は京子といった。しかも明子は、姉妹は父違いだと言う。伊木は重苦しい疑惑に苛まされる。そんなとき、明子から姉のことを知りたいと電話があった。伊木は京子を旅館の一室にあられもない姿のまま閉じ込め、明子の前に晒した。散髪屋が言う京子は別人だった。全てが終ったと思ったが、数日後再び会った伊木と京子は、夕日に染まる海岸通りにその影が消えていく―。 

中平康.jpg砂の上の植物群.jpg 1964年3月公開の「月曜日のユカ」(日活)の中平康(なかひら こう、1926-1978/52歳没)監督の、同じく'64年の8月公開作です。原作の吉行淳之介の『砂の上の植物群』は、'63年に雑誌「文学界」に連載され、'64年3月に単行本刊行されていて、単行本が出てすぐに映画化されたことになり、原作が当時世間に注目されたことが窺えます。

中平康(1926-1978)/吉行淳之介『砂の上の植物群 (新潮文庫)
  
砂の上の植物群bs.jpg 当時はともかく、今ではそれほどセンセーショナルとも言えない内容ではないかと言われながらもなかなかソフト化されず、2014年にやっとDVD化されたと思ったら、発売延期になり、その後、発売日未定のままとなって「砂の上の植物群」 pc.jpgいます(DVD化される数年前くらいにNHK⁻BS2で放映されていたのを観たのだが)。個人的には、神保町シアターで、なぜか「生誕135年 谷崎潤一郎 谷崎・三島・荷風―耽美と背徳の文芸映画」企画の1本として再見しました。映画は、オープニング・クレジットをはじめ、本編の途中に挿入される、原作のタイトルの元となったパウル・クレーの絵が出てくるシーンのみカラーで、本編のドラマ部分はモノクロとなっています。

 原作は、表面的には、今で言えば、援助交際、SM、コスプレなどの言葉に置き換えられる状況設定が描かれていて、それが世間で話題を呼んだ最大の要因かと思われますが、小説としては根本的には「心理小説」と言うべきものであると思います。これを、このまま映像化してしまうと、単なる通俗ドラマになりかねないところですが、「テクニックの人」と呼ばれた中平康監督は、登場人物のアップシーンを繰り返すことで、通俗に陥ることを巧みに回避しているように思われました。

砂の上の植物群7.jpg そのやり方は徹底していて、冒頭の横浜マリンタワーで伊木と明子が初めて出会うシーンからして、マリンタワーや展望台のすべてを映すことはせず(原作でも「マリンタワー」と特定しているわけではない)、エレベータ内ですらその全部は映さず、エレベーターガールの唇をアップで映してばかりいるといった具合です。従って、あとから出てくるいくつかの濡れ場シーンも、顔や身体の一部しか映さず、肉体はオブジェのように扱われると同時に感情の表象でもあり、そのことで、ある種〈抽象化〉を行っているように思われました(時にシュールなシーンもあったりした)。

 ストーリー的には比較的原作に沿って作られているように思われ、個人的には吉行作品が好きなので良かったと思います。伊木がなぜ今化粧品セールスマンなどやっているかということは省かれていましたが(以前定時制高校の教師をしていたが、教え子の女生徒が働く酒場へ何度か通ったことが人の噂になり、高校を辞めることになった)、父親(原作者の父・吉行エイスケが意識されていると言われている)と妻を巡るしこりのような疑惑は生かされていました。

砂の上の植物群89.png 伊木が友人二人といると、一人が「痴漢」に間違えられそうになった話をしますが、実際やっていることはほぼ痴漢か、また今でいうストーカーに近かったりもし、もう一人の立派な紳士に見える友人の方は、二人を女性が「気を遣る」見世小池朝雄.jpg高橋昌也.jpg物(今で言えば「覗き部屋」みたいなものか)に連れて行ったりと、このあたりも原作通りかと思いますが、実際に演じているのがそれぞれ小池朝雄と高橋昌也で、共にちょっと怪演っぽい印象でした(笑)。

 しかしながら映画全体としては、吉行淳之介の文学的世界観を、もっと言えば性に対する探究者的な姿勢を、先駆的映像表現でとらまえていたように思われ、ソフトリリースへの期待も込めて星4つの評価としました(中平康は再評価されつつあると思うが、作品を観られないのではどうしょうもないではないか)。

 伊木を演じた中谷昇(なかや のぼる、1929-2006)は、中央大学法学部中退後、文学座、劇団「雲」を経て、演劇集団「円」に所属していた役者で、ちょうどこの作品の頃は、芥川比呂志、神山繁、小池朝雄らと文学座を脱退し、福田恆存を中心とした劇団「雲」に移籍した頃になります(岸田今日子と1954年に結婚、一女をもうけるも1978年に離婚)。テレビドラマでは、教授役・首相役・組織の長などの中谷昇 砂の上の植物群9.png地位の高い役を担当することが多く、「キイハンター」('68年~'73年)の村岡・国際警察特別室長役、「カノッサの屈辱」('90-91年)の教授役などもそうでした(松本清張原作、野村芳太郎監督の「疑惑」('82年/松竹)では桃井かおりに振り回される男の役で出ていた)。

 明子役の西尾三枝子は、1947年7月生まれなので、この作品に出た時は17歳になる少し前ぐらいでしょうか。同年2月公開の三田明のデビュー曲をモチーフにし、三田明自身も出演した所謂"昭和青春歌謡映画"「美し美しい十代.jpgい十代」('64年/日活)で主役デビューしていますが、当初から、まだ現役の女子高校生とは思わせないほどの演技ぶりを見せていました。'66年に日活を退社。その後、徐々にヌード、セクシー路線への出演を要求されるようになったことも伴い、活動の場をテレビドラマへ移行し、個人的には「サインはV」(1970)や「プレイガール」(1970-74)などに出ていた記憶があります(今は赤坂のTBS近くでカラオケスナックを経営している)。

「美しい十代」('64年/日活)

中谷昇 in「キイハンター」('68-73年)/「疑惑」('82年)/「カノッサの屈辱」('90-91年)
仲谷昇 キイハンター.jpg 中谷昇 疑惑.png 仲谷昇 カノッサの屈辱.jpg

西尾三枝子(1947年生まれ)in「恐怖劇場アンバランス(第9話)/死体置場(モルグ)の殺人者」('73年('69年制作))/「サインはV」('70年)/「プレイガール」('70年-'74年)
第9話 死体置場(モルグ)の殺人者 0.jpg 西尾三枝子 サインはv.jpg プレイガール nisiuo.jpg


砂の上の植物群 p0ster.jpg砂の上の植物群5.jpg砂の上の植物群m.jpg「砂の上の植物群」●制作年:1964年●監督:中平康●脚本:池田一朗/加藤彰/中平康●撮影: 山崎善弘●音楽:黛敏郎●原作:吉行淳之介●時間:95分●出演:仲谷昇/伊木江美子/稲野和子/西尾三枝子/2021年02月12日 神保町シアター.jpg島崎雪子/信欣三/小池朝雄/高橋昌也/福田公子/岸輝子/須田喜久代/雨宮節子/浜口竜哉/藤野宏/有田双美子/葵真木子/小柴隆/谷川玲子●公開:1964/08●配給:日活●最初に観た場所(再見):神保町シアター(21-02-12)(評価:★★★★)

2021年2月12日 神保町シアター

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ビフォア・アフターの表情を演じ分ける藤山直美が上手い。存在感が断トツの大楠道代。

『顔』1999.jpg顔 (2000年の映画).jpg 顔 (2000年の映画)3.jpg
あの頃映画 「顔」 [DVD]」大楠道代/藤山直美/牧瀬里穂
「顔」1.jpg「顔」2.jpg「顔」22.jpg 吉村正子(藤山直美)は尼崎の実家のクリーニング屋の二階でかけはぎの仕事をしている。妹の由香里(牧瀬里穂)は、正子とは性格も顔も真逆で、引き籠もりの正子に皮肉を言い馬鹿にする。ある日、正子の母・常子(渡辺美佐子)が仕事中に倒れ、急死する。ショックで葬儀の日も二階に籠りきりの正子に由香里の怒りは爆発し、正子を突き飛ばして「顔」 kannkurou.pngずっと正子のことを恥ずかしいと思っていたと言う。翌日、風呂に浸かる正子。部屋には由香里の死体が転がっている。昨夜、言い争いの末、正子が殺してしまったのだ。香典を鞄に入れ、正子は家から逃げ出す。数日後の'95年1月17日、野宿する正子「顔」31.jpg「顔」32.jpgを阪神・淡路大震災が襲う。離れて暮らす父親のもとへ向かうことにした正子は、道中、見知らぬ男(中村勘九郎)に襲われレイプされる。疲れ果てた正子は、行き着いたラブホテルで「顔」4sato.jpg支配人(正司照枝)に拾われ、そこで働くことになる。ラブホテルのオーナー・花田英一(岸部一徳)は正子を可愛がり、正子は仕事に馴染み始めが、ある日、英一は首を吊って死んでいた。警察を恐れた正子は逃げ出し、マスクで顔を隠して電車に乗る。その車中で池田(佐藤浩市)という男と同席、池田は正子に話しかけ、二人は楽しく会話する。池田はリストラされて実家に帰るのだと言う。別府駅で降りた池田を、妻と子供が待っていた。終点の大分まで行く予定だった正子も別府駅で降りる。そこで自殺を図ろうとしたが失敗し、中上律子(大楠道代)という女性に助けられる。律子はスナックのママで、正子を「顔」51oogusu.png「顔」52 hujiyama.jpg「顔」5toyokaw.jpgそこでホステスとして働かせる。内気な正子だったが、働くうちに外交的になっていく。店からの帰途、正子は律子の弟・洋行(豊川悦司)と遭遇する。洋行は正子に、律子のことを頼むと言う。ある日、律子が同窓会で店にいない隙に、洋行は客の狩山(國村準)から金を得て、何も知らない正子の体を売る。正子は必死に抵抗するも、やがて諦め受け入れる。その後、何もなかったように働く正子。洋行が正子の部屋を訪れ、ヤクザは辞めたつもりだったのだがと呟き、彼はいなくなる。ある日、町中で正子は池田に再「顔」71.jpg会する。池田は辞めた会社の顧客データを抜き取っていて、それを脅しに会社から金を取ろうとしていた。そして、妻には逃げられ、息子と二人で暮らし「顔」72.jpgていた。それを聞いた正子は、それでも池田のことが好きだった。ある日、洋行がヤクザに殺される。店を来た警察を見て、正子は逃げ出す。正子は池田に別れを告げ、電話で律子にも別れを告げる。心配する律子に、私の名前は吉村正子だと告げる。弟を亡くした律子は、それを聞いてもまだ正子のことを心配し、会いたいと言う。しかし、正子は別れを告げて話を切る。正子は離島へと逃げ、そこで暮らし始めるが、すでに追っ手は近くまで迫っていた―。

「顔」2000 fujiyama.jpg 「どついたるねん」(1989)で「芸術選奨新人賞」を受賞した阪本順治監督の2000年作で、2000年度の日本国内の映画賞を多数受賞し、第46回キネマ旬報日本映画ベスト・テンでは、日本映画ベスト・テン1位、読者選出日本映画ベスト・テン1位、監督賞(阪本順治)、主演女優賞(藤山直美)、助演女優賞(大楠道代)、脚本賞(阪本順治、宇野イサム)を獲得しています。また、藤山直美はこの映画初主演であった「顔」の演技で、キネマ旬報賞主演女優賞のほか、第55回毎日映画コンクール 女優主演賞、第25回報知映画賞 最優秀主演女優賞、第22回ヨコハマ映画祭 主演女優賞などを受賞しています。

顔 (2000年)4.jpg 逮捕されるまでの約15年に及ぶ逃走劇で知られる福田和子の事件をベースにしているとのことですが、福田和子は逃亡中に顔を整形していたことでも知られています。「顔」というタイトルから、藤山直美演じるこの映画の主人公も整形するのかなと思われがちですがそうではなく、事件と映画は別として捉えた方がいいかもしれません。

 主人公は、まさに存在自体が澱み切ってしまっているような引き籠り状態にありましたが、自分のことをずっとそんな風に生きていくのかと侮蔑した妹を殺害してしまったとことで家を出て、皮肉なことに逃亡生活の中で今まで経験しなかった人との交わりを経験し、徐々に明るい感情豊かな女性へと変わっていきます。

「顔」6 fujiyama.jpg この彼女の変化が最も表れるのが彼女の表情であり(このビフォア・アフターの表情を演じ分ける藤山直美が上手い)、それゆえにこの映画のタイトルは「顔」なのではないかと思います。でも、整形しているわけではないので、その「顔」によって彼女は次第に迫る警察の捜査から逃げ続けなけらばならないのす。彼女が逃亡の過程で出会う人間が皆、誰も彼も一癖も二癖もあったり訳ありであったりして、ストーリー的には飽きさせません。コミカルな要素も多分に含まれていますが、藤山直美を使いつつ、コメディ映画にはならないようにしているという印象です(むしろ"重い"と言える)。

「顔」sokan.jpg そもそも、彼女の妹役で序盤から登場の牧瀬里穂も、JR東海「クリスマスエクスプレス」(1989)や「東京上空いらっしゃいませ」(1990)の頃とはがらっと違った〈嫌な女〉役で、しかも早々に殺されます。歌舞伎界の貴公子と言われた中村勘九郎は主人公をレイプにする役だし。喫茶店の女は内田春菊だったのかあ。ラブホテルの受付にいた正司照枝は、松竹新喜劇で藤山寛美に鍛えられた繋がりから出ているのでしょうか。岸部一徳はそのラブホの経営者で、佐藤浩市は退職させられた会社を恐喝する男、トヨエツこと豊川悦司は堅気に戻れない元ヤクザで、國村隼はカラオケでシャ乱Qを唄いつつ、これも主人公に手を出そうとする中年男―といった具合です。これらの役者の演技を観ているだけでも楽しめます。

大楠道代0.jpg「顔」8ogusu.jpg こうした中、断トツに存在感があったと思えたのは、スナックのママ役の大楠道代で、この映画で言えば渡辺美佐子に次ぐべテランであるだけのことはあります。別れを告げようとする主人公に、彼女が置かれている状況を察してか、「おなかが減ったらご飯食べて、またおなかが減ったらご飯食べて、遠くを見らんでいいの」と語りかけ、生き続けよと勇気づける場面は泣けました。電話で語るシーンでこれだけ観る側を引きこませるのはさすがです。

福田和子.jpg 警察の捜査を巧みにかわし続けて15年間逃げ延びた福田和子は、石川県・能美市の和菓子屋の後妻の座に納まっていて、家が近所で当時小学生だった松井秀喜も客としてよく菓子を買いに来ていて、福田逮捕後のインタビューで「綺麗で愛想のいい奥さんだった」と語っているくらいですが(素性を知られないようにするため入籍を断り、事実上の内縁関係だったことで疑われることになった)、それに比べればこの映画の主人公はずっと"どんくさい"かもしれません(福田の逃亡劇は、2020年まで主だったものだけで6回テレビで〈実録ドラマ化〉乃至〈再現映像化〉され、大竹しのぶや寺島しのぶら"演技派"女優が福田を演じている)。

「顔」図5.jpg この映画を観ている時は、ラストは「太陽がいっぱい」的な終わり方になるのかなと思ったりもしたもので、最初観たときは「それにしてもこのラストはちょっとねえ」というのも正直ありましたが、ある意味「象徴的な終わり方」にしたということなのでしょう。乗れなかった自転車に乗れるようになった、というのとのリフレインだったと思います。これはこれでいいのかもしれないということで、評価は◎にしました。

「顔」●制作年:2000年●監督:阪本順治●製作会社:松竹/衛星劇場/毎日放送/セディック・インターナショナル/キノ●脚本:「顔」soka.jpg阪本順治/宇野イサム●撮影:笠松則通●音楽:coba●時間:123分●出演:藤山直美/佐藤浩市/豊川悦司/大楠道代/國村準/牧瀬里穂/渡辺美佐子/中村勘九郎/岸部一徳/早乙女愛/内田春菊/中島陽典/川越美和/水谷誠伺/中沢青六/正司照枝/九十九一/黒田百合●公開:2000/08●配給:松竹(評価:★★★★☆)
     
《読書MEMO》
●福田和子を演じた女優
大竹しのぶ -「実録 福田和子」 (フジテレビ、2002年8月2日)
藤澤オリエ -「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ、2009年12月30日)
鈴木ひろみ -「ブラマヨ衝撃ファイル 世界のコワ〜イ女たち」(TBS、2011年2月1日(SP#6)、10月25日)
河合美智子 -「日曜ビッグバラエティ ニッポン事件簿~犯人はなぜ逃げるのか~」 (テレビ東京、2012年3月18日)
寺島しのぶ - 実録ドラマスペシャル 女の犯罪ミステリー「福田和子 整形逃亡15年」(テレビ朝日、2016年3月17日)
佐藤仁美 - 直撃!シンソウ坂上「母・福田和子」(フジテレビ、2018年8月2日)

「福田和子 整形逃亡15年」('16年/テレビ朝日)寺島しのぶ 「母・福田和子」('18年/フジテレビ)佐藤仁美
福田和子 整形逃亡15年.jpg母・福田和子.jpg

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東京オリンピックポスターのグラフィックデザイナーは、ただならぬ文筆家でもあった。

亀倉雄策の直言飛行0.jpg亀倉雄策の直言飛行 新装版.jpg 亀倉雄策の直言飛行00.jpg 亀倉雄策.jpg
亀倉雄策の直言飛行』亀倉雄策(1915-1997/82歳没)

亀倉雄策の直言飛行4c.jpg亀倉雄策の直言飛行1.jpg 日本のデザイン界を創ったとも言われるグラフィックデザイナーで、1964年東京オリンピックのポスターや、日本電信電話(NTT)のマークなどで知られる亀倉雄策(1915-1997/82歳没)によるエッセイ集で、1991年に刊行されたものを、2012年に新装版で復刊したものです。
亀倉雄策の直言飛行』['91年]

 A、B、C、Dの4章から成り、最初の「A」は何と追悼文集ですが、写真家・土門拳、彫刻家・イサム・ノグチ、装幀家・原弘、建築家・前川國夫、画家・有元利夫、詩人・草野心平といった錚々たる人々への追悼文を通して、それらの人々との交友が浮き彫りにされ、面白く読める分、亡くなった人への哀惜の気持ちがじわっと伝わってきます。この追悼文を読むだけでも、著者が、著名なデザイナーであったばかりでなく、ただならぬ文筆家でもあったことが窺えます。

 「B」は作家論で、カッサンドル、サヴィニャック、ウォーホル、ドーフスマンから丹下健三、瀧口修造、いわさきちひろ、永井一正、原田泰治、佐藤晃一まで、内外の作家を論じています。これも読ませますが、著者自身は、「どうせデザイン屋風情が書いたものですから、ボキャブラリーが貧しいんですね」と述べており、随分と謙虚です(全然そんなことはない)。

 「C」は、日本と西洋の文化について各所で論じたもので、前振りでいきなり「かなり憤慨している」とあるように、全体を通して、日本人の美意識の後退を嘆き、また、業界の風潮に対する批判が込められたものとなっています。

 最後の「D」は、タイトルにもなっている、モリサワという写真会社のPR誌「たて組ヨコ組」に連載した「直言飛行」というエッセイで、著者がインタビューに応え、その速記録を著者自身が筆入れしたものですが、1回につき二百字詰原稿用紙で40枚以上書き、4日くらいは潰したそうで、なかなかの労作のようです。

 内容は、引く続きデザイン業界の風潮に対する批判であったりしますが、この章がいちばん言いたいことを言っている感じで、面白かったです。黒澤明の「夢」などを真っ向から批判している一方で、そんな尖がった話ばかりでなく、生活雑感をユーモラスに描いていたりもし、肩の凝らないエッセイとなっています。

亀倉雄策の直言飛行4.jpg亀倉雄策の直言飛行2.jpg また、「直言飛行」連載時に毎回掲載された著者の似顔絵がカラー再録されていて、描いているのは下谷二助、安西水丸、秋山育、灘本唯人、木田安彦、古川倬、山口はるみ、空山基、そして最後が和田誠です。それらの似顔絵を、連載の最終回で著者自身が論評したりしていますが、東京オリンピックのポスターをパロディ化した和田誠のものを、「驚いたねえ」と絶賛しています。それが、この本の表紙になっているわけで、なぜ亀倉雄策に本なのに和田誠の表紙なのかと思ったら、そういうことだったのか。でも、確かに和田誠、上手いと言うか、着想がスゴイなあと思います。

1964 東京オリンピックポスター デザイン:亀倉雄策
1964 東京オリンピック 亀倉雄策.jpg
 

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連載最初期分。複数トピックスの〈結び付け〉の力がスゴイ。この頃が一番尖がっていたかも。

山藤章二のブラック=アングル.jpg山藤章二のブラック=アングル1.jpg  山藤章二のブラック=アングル03.jpg
山藤章二のブラック=アングル』 「19歳山下、初優勝」('78年,5.20号)

 1976年から「週刊朝日」に連載されている「山藤章二のブラック=アングル」(後に「山藤章二のブラック・アングル」)の最初期にあたる'76年と'77年掲載分をまとめたものです。作者が「週刊朝日」の仕事に関わるようになったのは'72年からで、初仕事は表紙イラストだったのでですが、これが読者には不評で、'74年に終了の憂き目に。とは言え、一方で惜しむ声もあったため、巻末ページにイラストを持っていくという形で継続された途端に人気が出て、「週刊誌を裏から開かせる男」の異名をとるまでになったわけです。でも、確かにこのスタイルで行くなら巻末向きだろうなあと思います。

「週刊朝日」2020年9月18日号(連載2202回)
図2.jpg 時事ネタで長く続けていくというのもスゴイことです。「週刊文春」連載の林真理子氏の時事エッセイ「夜ふけのなわとび」が'83年より続いていて、一昨年['19年]連載1,615回を突破し、それまで最多とされてきた「週刊新潮」の山口瞳の「男性自身」を抜いたのを機にギネス世界記録に認定申請、昨年['20年]10月に「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」としてギネス公式認定されましたが、回数だけで言うと、それよりすっと多いことになります(昨年['20年]9月には連載2,200回を超えた)。ただし、成人向け週刊誌連載の「漫画」も含めると、東海林さだお氏が「週刊文春」に'68年から「タンマ君」を、「週刊現代」に'69年から「サラリーマン専科」をダブルで連載していて、これが最長かと思います(東海林さ週刊文春 2021年2月11日号.jpgだお氏は、「週刊朝日」のイラスト付きコラム「あれも食いたい これも食いたい」の連載も'87 年から続いている)。手元にある「週刊文春」2021年2月11日号の段階で「夜ふけのなわとび」が連載1,684回に対し「タンマ君」は連載2,421回となっています。連載回数で言うと、「ブラック・アングル」は「夜ふけのなわとび」を大きく上回るが、「タンマ君」にはちょと及ばないということになります。

 本書は、見開きの片側左ページに原寸版で掲載分を再現し、右ページに関連する記事ネタが載った新聞の切り抜きを配しているので、イラストの意味しているところが理解しやすくなっています。こうして見ると、2以上のトピックスを組み合わせてイラストにしているパターンが多いのが分かります。

山藤章二のブラック=アングル2.jpg山藤章二のブラック=アングル02.jpg週刊朝日 1976年8月13日.jpg 例えば、'76年分と'77年分を見て、この頃の世を騒がせた最大の出来事はロッキード事件とその中での田中角栄前首相の逮捕だったと思うのですが、'76年に武者小路実篤が死去した際、武者小路実篤がよく書いていた色紙「仲良き事は美しき哉」をパロディにして、野菜の絵をロッキード事件の主役の田中角栄、児玉誉士夫、小佐野賢治の顔に変えたりしています(4.30号)。過去の作品の中でも傑作とされるものですが、これも、ロッキード事件と武者小路実篤の死という複数トピックスの組み合わせです。この〈結び付け〉の力がスゴイなあと改めて思います。

山藤章二のブラック=アングル3.jpg '77年には、当時の環境庁長官だった石原慎太郎の舌禍問題について、研ナオコが出演した「キンチョール」(大日本除虫菊)のCM「トンデレラ、シンデレラ」にかけた絵を掲載し(5.13号)。石原慎太郎を蝿に見立て、石原蝿が暴言を吐くと研が「あっ、またまた言ッテレラ!」、石原蝿が落っこちると「あっ、慎(シン)デレラ!!」と。権力者をここまでコケにするには覚悟もいると思ますが、作者本人は「失言放言は漫画にとって絶好の材料になる」(『山藤章二のブラックアングル25年 全体重』)と語っていて、根っからこういう尖がったのが好きなのかも。

山藤章二のブラック=アングル4.jpg 同じく、'77年に井上陽水が大麻取締法違反(大麻所持)容疑で逮捕された際には、サイケデリックな井上の似顔絵を描き、当人の代表曲「心もよう」をドラッグ・ソングに改作しています(9.30号)。この人、この頃はばんばん芸能人やミュージシャンを叩いていたけれど(先に挙げた研ナオコについても、薬物違反逮捕に触れている)、最近になればなるほど毒は弱まり、とりわけ芸能ネタやミュージシャンネタは減っているのではないでしょうか(不祥事は依然として結構起きているにもかかわらず)。名を成すにつれ「絆(ほだ)し多かる人」になっちゃったのかなあ。井上陽水だって研ナオコだって今もその世界にいるわけだし。

 今も「ブラック」であり続けてはいると思いますが、この頃が一番尖がっていたかもしれないと思わせる一冊です。

■山藤章二カバーイラスト文庫
安岡 章太郎『なまけものの思想』('73年/角川文庫)/筒井 康隆『乱調文学大辞典』('75年/講談社文庫)/三田 誠広『僕って何』('80年/河出文庫)
ななけものの思想角川.png 乱調文学大辞典2.jpg 0僕って何 (1980年) (河出文庫).jpg

「週刊朝日」1976年8月13日号目次
週刊朝日 1976年8月13日2.jpg

【1981年文庫化[新潮文庫(『山藤章二のブラック=アングル〈1976〉』『山藤章二のブラック=アングル'77』)]】

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2年連続での年末ミステリランキング4冠に相応しい、安定した力量を見せた。

メインテーマは殺人1.jpgメインテーマは殺人2.jpg  カササギ殺人事件.jpg
カササギ殺人事件 上 (創元推理文庫)』『カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)
メインテーマは殺人 ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ (創元推理文庫)

 売れっ子作家のアンソニー・ホロヴィッツは、知り合いで元刑事のダニエル・ホーソーンから今捜査している事件をもとにホーソーン自身の本を書いてほしいと依頼される。事件とは、自分の葬儀を手配したダイアナ・クーパーが、その6時間後に殺害され、死の直前に「損傷の子に会った、怖い」というメールを息子のダミアンに送っていたというものだ。ダイアナは、かつて、道に飛び出してきた幼い少年ティモシーを事故で死なせ、その兄弟ジェレミーに重い障害を負わせていた。ダミアンは、10年前の交通事故のことを聞かれて激怒。ダイアナがハンドルを握らなくなったこと、住み慣れた家を売り転居したことなどを挙げ、まるで自分が被害者だという顔をして話す。ホーソーンは仕事でスティーヴン・スピルバーグと打ち合わせ中のアンソニーを強引に連れ出し、無理やりダイアナの葬儀に出席させる。その葬儀で、埋葬の際に柩を下ろした瞬間、ティモシーお気に入りの童謡が流れ出し、取り乱したダミアンは顔色を変え一人帰ってしまうが、やがて自宅で惨殺死体で発見される。アンソニーとホーソーンは、葬儀屋のロバート・コーンウォリスを訪ね、ティモシーの父親アランから葬儀の日程の確認の電話があったという情報を得る。勝手に執筆を始めたことを著作権エージェントのヒルダに責められたアンソニーだったが、秘密裡にアランを訪ねるために出かけてく―。

メインテーマは殺人0.png 2017年8月刊行の原著タイトルは"The Word Is Murder"。作者の『カササギ殺人事件』が年末ミステリランキング4冠を達成したのに続いて、この作品もまた「週刊文春ミステリーベスト10」(2019)、「ミステリが読みたい!」(2020)、「本格ミステリ・ベスト10」(2020)、「このミステリーがすごい!」(2020)、のそれぞれの海外部門で1位を獲得して年末ミステリランキング4冠を達成しており、同じ作家の作品が2年連続で4冠となるのは史上初とのことです(結局、次回作『その裁きは死』で3年連続での年末ミステリランキング4冠を達成することになるのだが)。。

 前作は、上巻の作中作の事件と、下巻の今起きている事件と絡み合っていて、上下巻で二度楽しめました。今回もちょっと変わっていて、アンソニー・ホロヴィッツ自身が、ホーソーンという探偵役の元刑事にくっついていき、事件が解決に至るまでを小説に書くという、前作とは少し違ったタイプの"入れ子"構造になっています。

 解決できるかどうか分からない事件についてミステリを書こうとする作家がいるだろうかという疑問は自ずと湧くかと思いますが(実際、アンソニーも時々疑心悪鬼になる)、ホーソーンがこの物語におけるホームズ役であり、最後に事件を解決するのはいわばお約束事であって、どうやって事件を解決するのかということに関心を持っていくため、あまりその辺りは気になりませんでした。後で考えればかなり強引な虚構ですが、そんなことを考えさせない話の展開の旨さ、スピード感があります。

 ホーソーンがホームズならば、アンソニーはワトソンといった役回りでしょうか。ただし、前作からもそれを感じましたが、やはり作者はアガサ・クリスティの影響をかなり受けているように思いました。終盤にきて、もう登場人物の誰も彼もが容疑者たり得るという状況になるのは、クリスティの得意なパターンでもあったように思います。

 出来としては星5つとしてもいいのですが、どうしても"二度おいしかった"前作と比べてしまい、星4つとしました。最初に怪しいと思われた人間は、だいたいにおいて犯人ではないというのは、作者が脚本を手掛ける刑事ドラマの「バーナビー警部」などでよくあったパターンのように思います。でも、2年連続での年末ミステリランキング4冠に相応しい、安定した力量を見せてくれたと思います。

 ホーソーンという元刑事の、個人的な話や世間並みの挨拶は一切抜きで、一度口を閉じたら黙り続け、いつも単独で勝手な捜査をするため昔から相棒がおらず、裡に暴力性や同性愛者や小児性愛者に見せる憎悪を秘める一方で、子どもにシンパシーを寄せる―といったキャラクターが興味深く、作者はこのキャラクターでのシリーズ化を表明しています(その結果、「ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ」としてシリーズ第2作『その裁きは死』が誕生することとなった)。

 ホーソーンが、アンソニーがこれから書こうとする小説は、『ホーソーン登場』という題名が相応しいと主張するのが可笑しいです(まだ事件に着手して間もない時からそう言っている(笑)のだが、実質、「ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ」の第1作なので、サブタイトルでそう入ってもおかしくないわけだ)。そう言えば、前作では、作中作であるアラン・コンウェイ作『カササギ殺人事件』について、版元の社長が『カササギ殺人事件(マグパイ・マーダーズ)』というタイトルは『バーナービー警部(ミッドサマー・マーダーズ)に似すぎているので変えた方がいいと意見する場面がありました(結局、"Magpie Murders"のままでいったわけだが)。こうした「遊び」は楽しめます。

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「女性vs.女性」のドラマになっていた。ワインのぶっかけ合い」は「エール交換」?

疑惑 [DVD].jpg 疑惑  2.jpg 松本清張 疑惑 文庫.jpg
<あの頃映画> 疑惑 [DVD]」岩下志麻/桃井かおり/三木のり平『新装版 疑惑 (文春文庫)
疑惑 0.jpg 富山県新港湾埠頭で車が海中に転落、乗っていた地元の財閥・白河福太郎(仲谷昇)は死亡したが、後妻の球磨子(桃井かおり)はかすり傷ひとつ負わなかった。後に球磨子は過去に情夫の豊崎(鹿賀丈史)と共謀して数数の犯罪を起こしていたことが判明。しかも、彼女は夫に三億円の保険金をかけており、この事故も、泳げない福太郎を殺すための擬装ではないかと誰もが疑う。新聞記者の秋谷(柄本明)もその一人だった。物的証拠がないまま球磨子は身柄を拘束された。球磨子の弁護は、白河家の顧問弁の原山弁護士(松村達雄)が持病を理由に降り、その後輩で刑事専門の弁護士としては日本屈指とされる岡村弁護士(丹波哲郎)も断ってしまい弁護人の引き受け手がいない中、民事専門の佐原律子弁護士(岩下志麻)が国選弁護人として選ばれ、検事の宗方(小林稔侍)と法廷で対峙する。球磨子と律子は、互いに反感を抱きながらも、球磨子の無実を証明しようとする―。

松本清張 疑惑 単行本.jpg 野村芳太郎監督の1982年9月公開作で、松本清張の「オール讀物」同年2月号発表の中編小説「疑惑」の映画化ですが(発表して半年くらいで映画になってしまうところが、当時の松本清張の人気を物語っていてスゴイが)、原作者自身が脚色したとのことです(撮影台本は古田求と野村芳太郎)。白河福太郎を仲谷昇、球磨子を桃井かおり、その弁護人を岩下志麻が演じており、新聞記者の秋谷に柄本明、検事の宗方に小林稔侍、といった配役も楽しめます。映画の後半は法廷劇となりますが、証言者として、鑑定した大学教授に小沢栄太郎、事故の目撃者に森田健作、球磨子が元いた東京のクラブの経営者に山田五十鈴、球磨子の情夫・豊崎に鹿賀丈史、と配役も今見るとなかなか豪華です。

疑惑 柄本明.jpg 原作は、主に北陸日日新聞の社会部記者の秋谷の視点で描かれており、自社の新聞で、球磨子が犯人であるのは間違いなく、彼女は稀にみる毒婦であるといった論調を展開した秋谷が、国選弁護人の42歳の佐原卓吉弁護士が地道な検証を行った結果、球磨子の無実が立証される可能性が出てきたため、そうなると、球磨子が無罪放免になった際に彼女とその情夫の"お礼参り"に遭うのではないかと、次第に戦々恐々たる不安心理に陥っていき、遂に...という展開です(マスコミ報道の在り方に対する風刺がテーマになっているともとれる)。

疑惑 映画 iwashita.jpg 一方、映画の方は、桃井かおり演じる球磨子を弁護する国選弁護人が、原作の見た目はぱっとしない佐原卓吉弁護士から、岩下志麻演じる、やはり民事専門だが見るからに頭が切れそうな東大法学部卒の女性弁護士・佐原律子に改変されています。それによって、殺人容疑者の女と彼女を弁護することになった女性弁護士の間の確執を描く「女性vs.女性」の構図になっており、柄本明演じる新聞記者の秋谷は、原作よりかなり後退した印象を受けるし、小林稔侍演じる検事もあまりぱっとしません。仲谷昇演じる白河福太郎からして、原作以上に球磨子に振り回されっぱなしであり、男性陣は法廷の証言台に立ってもは皆おどおどしていて、頼りなさげな描かれ方になっているのは、監督の計算の内ではないでしょうか。

疑惑 7.jpg 脚本は途中で変更があったりしたようですが、桃井かおり、岩下志麻という配役が決まった時点で「女性vs.女性」のドラマとなるのは自明のことだったかもしれません。二人は被告人と弁護人という関係でありながら常に確執があり、事件解決後にはむしろ、それはより明白になるという展開でした。まったく境遇の異なる二人でありながら、共に、男性社会を生き抜く上でのしたたかさ、逞しさを持っているという点で両者は通底しているように思われました。映画終盤の「ワインのぶっかけ合い」をある種の「エール交換」との捉え方をする人もいますが、なかなか穿った見方だと思います。

疑惑 映画 momoi.jpg 桃井かおりの演技が高く評価されましたが、桃井かおりは、球磨子役のオファーを受けた際、「週刊誌的には私自身がわけもなく嫌われていて最悪な状態だったんで、『いまさらこの役をやる必要はないでしょ』と、うちの事務所は全員大反対(笑)。でも、(中略)等身大の桃井ネタは尽きたと思っていたので、いっそすごく嫌な人とかダメな人を少し作って演じてみたい、とにかく演じたいという気持ちが強かったんですね。球磨子のような人だと思われてこそ大成功くらいの気持ちで、思いっきりやってみようと思ったんです」と語っています。

疑惑6.jpg 桃井かおりは彼女なりのふっきれた演技だったと思いますが、ただ、個人的には、「影の車」('70年/野村芳太郎監督)、「内海の輪」('71年/斎藤耕一)、「鬼畜」('78年/野村芳太郎監督)と松本清張原作の作品に出演してきた岩下志麻がやはり印象が強かったでしょうか(ラストは佐原律子にとっても厳しいものだったが、この辺りも映画のオリジナルである)。この作品の翌年、「迷走地図」('84年/野村芳太郎監督)にも出演し、これら作品で相手方の男優の方は、加藤剛、中尾彬、緒形拳、勝新太郎と変わっていますが、この「疑惑」だけ、拮抗する相方が女優(桃井かおり)であり、その意味ではユニークな位置づけにあるかもしれません。

疑惑5.jpg もう一つ、原作からの改変点として、佐原弁護士が、水没した車の車内にあった「脱げた靴とスパナ」から真相に迫るのは原作も同じですが、映画の後半は裁判シーンが主となり、これだけでは公判が維持できないと考えたのか、映画の方には、白河福太郎の息子の決定的証言というのがあります。これは大きな改変かと思いますが、判決まで描くとすれば、やはり「靴とスパナ」だけでは弱く、理にかなった改変だったように思います(子どもに証言を迫る岩下志麻がちょっと怖くて、「鬼畜」の時の彼女を思い出した(笑))。

疑惑 jikeknn.jpg別府三億円保険金殺人事件2.jpg 車の「転落事故」の実証検分のための実験などは、原作より丁寧に描いていましたが、原作が、1974年11月発生の「別府三億円保険金殺人事件」からヒントを得たものであり、この事件において実際に何度か転落実験が実施され、その様子がテレビで報じられているため、撮影前から大体のイメージは掴めていたのではないでしょうか。

疑惑 kagaya.jpg 舞台を別府から富山に移しているのは、原作がそうなっているためです。ロケで石川・和倉温泉の「加賀屋」を使っているのは、松本清張の好み?でしょうか。「ゼロの焦点」('61年) のロケでも使われ、原作執筆時の松本清張も宿泊していた旅館ですが、「ゼロの焦点」の時から建て替えられて綺麗になっているよゼロの焦点 1961年.jpgうに見えます。ロケ中は富山と石川の往復が激しかったそうですが、富山のロケ先で桃井かおりがと松本清張と食事をした際、富山湾名物のオコゼの唐揚げを注文した松本清張を見て、桃井かおりが「オコゼ食べちゃうんですか」と言ったところ、清張は「似ているからって、僕が食べちゃいけないの」と返し、それまでの緊張が一気にほぐれて和んだという、彼女自身の回顧談があります。

「ゼロの焦点」('61年)
           

疑惑 tanba.jpg「疑惑」●制作年:1982年●監督:野村芳太郎●製作:野村芳太郎/杉崎重美●脚色:松本清張●撮影台本:古田求/野村芳太郎●撮影:川又昂●音楽:芥川也寸志●原作:松本清張●時間:127分●出演:桃井かおり/岩下志麻/鹿賀丈史/柄本明/仲谷昇/内藤武敏/小林稔侍/小沢栄太郎/山田五十鈴/森田健作/松村達雄/丹波哲郎/三木のり平/北林谷栄/名古屋章/新田昌玄/河原崎次郎/山本清/飯島大介/梅野泰靖/小林昭二/水谷貞雄/真野響子●公開:1982/09●配給:松竹=富士映画(評価:★★★★)
松村達雄(白河家の顧問弁護士・原山正雄)/丹波哲郎(原山の大学の後輩の弁護士・岡村謙孝。原山は球磨子の弁護を降り、後任を要請された岡村も結局は辞退する)

中谷昇 in「にごりえ(第2話:大つごもり)」('53年)/「砂の上の植物群」('64年)/「キイハンター」('68-73年)/「疑惑」('82年)/「カノッサの屈辱」('90-91年)
にごりえ 大つごもり 中谷.jpg 中谷昇 砂の上の植物群9.png 仲谷昇 キイハンター.jpg 中谷昇 疑惑.png 仲谷昇 カノッサの屈辱.jpg


《読書MEMO》
●「疑惑」のテレビドラマ化
・1992年「松本清張スペシャル・疑惑」(フジテレビ)いしだあゆみ(白河球磨子)・小林稔侍(佐原卓吉)
・2003年「松本清張没後10年特別企画・疑惑」(テレビ朝日)余貴美子(白河球磨子)・中村嘉葎雄(佐原卓吉)
・2009年「松本清張生誕100年特別企画・疑惑」(TBS)沢口靖子(白河球磨子)・田村正和(佐原卓吉)
・2012年「松本清張没後20年特別企画・疑惑」(フジテレビ)尾野真千子(白河球磨子)・常盤貴子(佐原千鶴)
・2019年「松本清張ドラマスペシャル・疑惑」(テレビ朝日)黒木華(白河球磨子)・米倉涼子(佐原卓子)

1992年「疑惑」(フジテレビ)いしだあゆみ(白河球磨子)・小林稔侍(佐原卓吉)/2009年「疑惑」(TBS)沢口靖子(白河球磨子)・田村正和(佐原卓吉)
松本清張スペシャル・疑惑1.jpg 松本清張生誕100年特別企画・疑惑.jpg

2012年「疑惑」(フジテレビ)常盤貴子(佐原千鶴)・尾野真千子(白河球磨子)/2019年「疑惑」(テレビ朝日)米倉涼子(佐原卓子)・黒木華(白河球磨子)
松本清張没後20年特別企画・疑惑.jpg 松本清張ドラマスペシャル・疑惑.jpg

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「●わ 和田 誠」の インデックッスへ

子ども向けだが、時に大人向けの含意もあって大人もそこそこ楽める(和田誠の絵とセットで)。

きまぐれロボット250.jpg「きまぐれロボット」kadokawa bunjko.jpg「博士とロボット」
きまぐれロボット (角川文庫 緑 303-3)』(旧カバー版(イラスト:和田 誠))
Iきまぐれロボット 3.jpg 金持ちのエヌ氏は博士から、これが私の作った最も優秀なロボットですとの説明を受け、そのロボットを買って、離れ島の別荘で1カ月休むことにした。ロボットは料理やあとかたづけ、部屋のそうじ、古時計の修理までしてくれて、面白い話も次々喋ってくれた。しかし、2日ほどするとロボットは故障し、逃げだしたり、エヌ氏を追いかけたりして、毎日何かしら事件を起こす。1カ月が経ち、島に迎えの船が来て都会に戻ったエヌ氏は、博士に文句を言うが、博士は「それせいいのです」と落ち着いて答えた―。(「きまぐれロボット」)

 エフ博士はロケットに乗って、宇宙の旅を続けていた。文明の遅れている住民の住む星を見つけると、そこに着陸し、いろいろ指導するのが目的だった。大変な仕事だが、博士が自分で作ったロボットをひとり連れていて、博士は力が強く何でもできるロボットにいろいろ命令して仕事をさせていた、ロボットは、地面を耕し、種をまき、川ふちに水車をつくり、おかげで住民たちの生活はよくなった。勉強することを知り、文明も順調に育っているので、博士はこの星を去ることにした。出発の日、住民たちは口々にお礼を言い、感謝の気持ちを込めて像を作ったという。博士もやりがいを感じ「喜んで拝見しましょう」と言って像を見に行くが、そこにあったのはエフ博士の像ではなく―。(「博士とロボット」)

『気まぐれロボット』['66年/理論社](31編所収)    「地球のみなさん」
「きまぐれロボット」理論社.jpg 作者のショートショート36編を所収。谷川俊太郎氏の文庫解説によれば、収められた作品の大部分は、はじめ朝日新聞の連載のために書かれ、「花とひみつ」以下の5編を除く31編が同じ『きまぐれロボット』のタイトルの下、和田誠の挿絵入りで、子どものための本として刊行されたことがあるとのことです。これは児童向け出版を手掛ける理論社版の『気まぐれロボット』('67年)のことで、この理論社版は、愛蔵版として'99年に復刻されています。

まぐれロボット 映画.jpgきまぐれロボット 映画.jpgレッツゴー三匹のじゅん.jpg 表題作の「きまぐれロボット」は、映像作家の辻川幸一郎氏が'04年に映像化しており(モノクロ・40分)、「エヌ氏」を浅野忠信、「博士」をレッツゴー三匹の"じゅん"こと逢坂じゅんが演じているとのことですが、個人的には未見です(レッツゴー三匹は2014年に"じゅん"が、2018年に"長作"が亡くなり、昨年['20年]ついに"正児"も亡くなってしまった)。

 全体に発明家の博士やロボットが出てくる話が多く、作者自身が〈馴れない童話を書く〉と述べているように、このシリーズは確かに子ども向けではありました。しかしながら、同時に大人でもそこそこ楽しんで読めるのがこの人の作品の特徴であり、そのことは谷川俊太郎氏も指摘していました。「きまぐれロボット」などは、博士やロボットが出てくるのと同時に、大人向けの含意もあったように思われ、それらの要素を満たす典型と言えます。

和田誠 2.jpg20120128 週刊文春.jpg もう一つ、この作品シリーズは、は和田誠(1936-2019)が表紙だけでなく、挿画も担当していて、和田誠の絵とともに楽しめるというメリットもあるかと思います。星新一が亡くなったのは1997(平成9)年12月30日で、71歳でした。「週刊文春」の表紙イラストを担当していた和田誠は、すぐに追悼の絵を描こうと思ったものの、あまりに親しくしていたため亡くなった実感が湧かず、葬儀に参列した後になって、やっぱり描かねばという気持ちになったことです。

 その和田誠も2019年10月7日に83歳で亡くなり、「週刊文春」は、2017年7月以降現在('21年2月)に至るまで、過去に表紙を飾った和田誠の絵を再び表紙にするアンコール企画を継続していますが、今年['21年]の1月28日号に、その星新一追悼イラスト〈夜空のムコウ〉が再登場しました(巻末「表紙はうたう」に「1998年2月5日号より」とある)。

 絵は星をモチーフにしたもので、「星新一」の「星」に夜空の「星」を懸けたのでしょうか。真ん中にある赤い星が〈火星模様〉であることから、ここでの「星」は「惑星」を表していると思われます。これを描いた和田誠も「星」になってしまったのかと思うと、ちょっとしんみりさせられます。

きまぐれロボット2.jpg【1972年文庫化・2006年新装版[角川文庫]/2014年文庫化[角川つばさ文庫]】

きまぐれロボット (角川文庫)』2006年新装版

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「刑事たちの執念」×「容疑者の孤独」。『オリンピックの身代金』×『沈黙の町で』か。

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罪の轍

 東京オリンピックを翌年に控えた昭和38年。北海道・礼文島で昆布漁の親方の下で働く青年・宇野寛治は空き巣の常習だった。彼は窃盗事件の捜査から逃れるために、身ひとつで本土に流れ着く。東京に行きさえすれば、明るい未来が待っていると信じていたのだ。一方、警視庁捜査一課強行班係に所属する刑事・落合昌夫は、南千住で起きた強盗殺人事件の捜査中に、子供たちから「莫迦」と呼ばれていた北国訛りの青年の噂を聞きつける。やがて、浅草で男児誘拐事件が発生し、日本中を恐怖と怒りの渦に叩き込む。落合昌夫は、その誘拐事件を担当することになり、事件と北国訛りの男とのつながりを感じ、事件解決への糸口を探る―。

 作者の作品としては、『オリンピックの身代金』『沈黙の町で』などと同系譜の犯罪ミステリで、時代背景も『オリンピックの身代金』の1年前であるし、捜査一課刑事の落合昌夫をはじめ、『オリンピックの身代金』の時と同じチームが捜査にあたります(そう言えば、高村薫の『マークスの山』から『我らが少女A』までの合田刑事シリーズ6作も、合田雄一郎は警視庁捜査一課だった)。

 『オリンピックの身代金』で、1964年東京オリンピック当時の社会を描いて、そのリアリティにおいてピカイチのものを感じましたが、今回もそれに勝るとも劣らずといったところ。しかも、読み進むうちに胸に迫ってくる緊迫感は、『オリンピックの身代金』以上であり、スケールとしては『オリンピックの身代金』の方がスケールが大きいのでしょうが、細部においてはこちらの方が上でしょうか。

 「莫迦」と蔑まれ、行き当たりばったりの行動を繰り返す宇野は、時に哀しく映りますが、朝日新聞での作者へのインタビュー記事によれば、物語で人を裁くことは決してしないのが作者のモットーだそうで、「誰でも事情があるし、こいつなら何を言うかと想像しながら書く。勧善懲悪みたいな物語は僕には書けない」と述べています。

 読んでいて、そんな宇野につい感情移入させられました(この辺りも『オリンピックの身代金』に通じるし、前言からすれば、読者をそう導くのが"作者流"なのだろう)。それだけに、彼が、幼いころの自分を使って"当たり屋"をしいていた義父に対して復讐を図る気持ちも分かる気かしたし、最後に事実がすべて明らかになった時のやるせない気持ちは、そうか、やっぱりと思いながらも、何とも言えないものでした。

 誘拐事件は、物語と同じ東京五輪前年の1963年に、4歳児が誘拐・殺害され、日本中の注目を集めた吉展(よしのぶ)ちゃん事件がモデルになっており、作者は「いまある世の中の基礎になった事件だった」と話しています。因みに、自分が大学で講義を受けた心理学の先生は、犯人の精神鑑定を依頼されたけれども断ったと授業で言っていました。理由は、鑑定結果に関わらず、死刑になることがほぼ間違いなかったからとのことでした。

 帯に「刑事たちの執念」×「容疑者の孤独」とあるように、容疑者の不遇に偏りすぎず、被害者家族の不安や哀しみと、なんとかそれを晴らそうと奮闘する刑事たちの奮闘を、うまく配分していたように思います。さらには、匿名をいいことに警察批判をする世間や、それに便乗するマスコミ報道など、「劇場型」と呼ばれる事件のハシリのころの世相を、よく伝えているように思います。

 加えて秀逸なのは、宇野寛治という、ある種の人格障害を抱えているとも言えるキャラクターの描き方で、この点においては、、『オリンピックの身代金』よりむしろ『沈黙の町で』での、特殊な人格に対する卓越した描写力が、この作品においても生かされているように思いました。

 その意味では、「刑事たちの執念」×「容疑者の孤独」の物語であると同時に、『オリンピックの身代金』×『沈黙の町で』的作品のように感じられました。傑作同士でランク付けするのはあまり意味がないかもしれないし、作者を高く評価する人の中でも、人によってランキングは当然違ってくると思いますが、個人的には、『オリンピックの身代金』よりは上で、『沈黙の町で』(実はこれ、2010年代のマイ・ベスト小説なのだが)に迫ろうというところにあると思いました。

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実際の事件に着想を得ながらもトリックは独自で、社会批判も込められた「疑惑」。

松本清張 疑惑 単行本.jpg松本清張 疑惑 文庫 kyuu.jpg松本清張 疑惑 文庫.jpg  疑惑 [DVD].jpg
『疑惑』['83年/文春文庫]『新装版 疑惑 (文春文庫)』['13年]「疑惑 [DVD]
疑惑 (1982年)

 富山新港湾の岸壁で、白河福太郎と当時その妻・白河(鬼塚)球磨子の乗った車が、時速40キロのスピードで海へ突っ込み、夫・福太郎が死亡する事件があった。球磨子は車から脱出し助かっていたが、保険金殺人と疑われ警察に逮捕される。新聞記者の秋谷茂一は、球磨子の過去の新宿でのホステス時代、暴力団員とつるんで詐欺・恐喝・傷害事件を起こし、北陸の資産家である福太郎と結婚後はすぐ、夫に巨額の生命保険をかけたことなどを詳細に報じた上で、球磨子を「北陸一の毒婦」と糾弾する記事を書いた。秋谷の記事を契機に他のマスコミも追随、日本中が球磨子の犯行を疑わない雰囲気になる。球磨子の弁護人も辞退が続出する中、国選弁護人の佐原卓吉が弁護人となる。球磨子の犯行を確信する秋谷は、佐原に状況を覆す力はないと高をくくっていた―。(「疑惑」)

疑惑  2.jpg 「疑惑」は「昇る足音」の題で「オール讀物」1982年2月号に掲載され、改題の上、同年3月に文藝春秋から中篇「不運な名前」を併録して発刊されたもの。野村芳太郎監督、桃井かおり・岩下志麻主演で「疑惑」('82年/松竹)として映画化されたほか、2020年までに5回テレビドラマ化されており、知る人も多いと思います。

野村 芳太郎 「疑惑」(1982/09 松竹=富士映画)★★★★

 国選弁護人の佐原が出てくるところくらいから俄然面白くなってきますが(ブレーキのトリックに行き着くプロットは上手い)、ラストはちょっと怖かったなあ(鉄パイプではなくスパナを持たせればブラックユーモアだったかもしれないが、それでは人は殺せないか)。これ、新聞記者の方にも問題があるけれど、当時でもそんな報道は許されなかったのではないかという気もします。

 ただ、1970年代後半からテレビにおいて定位置を占めるようになった「ワイドショー」における報道などは、そのキライがあったかもしれません。ワイドショーはもともと芸能ネタを扱う番組でしたが、じき社会ネタも扱うようになり、社会ネタを芸能ネタのノリで扱うことで、視聴者に親近感を持たせていたように思います。

 因みに、この小説のモデルとなったのは、1974年11月17日発生の「別府三億円保険金殺人事件」であり、これは、大分県別府市のフェリー岸壁から親子4人の乗った乗用車が海に転落した事故で、唯一生き残った父親の荒木虎美(当時47歳)が、保険金目当てで母娘3人を殺害した保険金殺人事件として、逮捕・起訴されたものです。一・二審で死刑判決後(1980年・1984年)、上告中に被告人死亡により公訴棄却となっており、この松本清張の小説は、一審判決と二審判決の間の時期に書かれたことになります。事件の翌年の1975年に、私選弁護人(当時71歳)が辞任し、国選弁護人が選任されたことなども、創作のヒントになったのでしょう。

荒木虎美.jpg この事件も、当時ワイドショーなどで取り上げられ、逮捕前の本人インタビューなどが流れました。さらに、それにとどまらず、事件の翌月12月4日には、すでにすっかり"有名人"となっていた荒木虎美を、フジテレビがワイドショー「3時のあなた」のスタジオに招いて出演させたりもし、事件の"劇場化"のハシリだったかもしれません。当時ワイドショーに出ていた推理作家の戸川昌子(1931-2016)が、キャスターに感想を訊かれて「心証はクロ」と言っていたから、テレビではそれくらいのことは言っていい時代で、その辺りは割合ユルかったのかも(その後も「三浦和義事件(ロス疑惑)」(1981-82年)、「埼玉愛犬家連続殺人事件」(1993年)、和歌山毒物カレー事件」(1998年)などで似たような取り上げられ方が繰り返された)。

 結論づけると、この小説は、モチーフは「別府三億円保険金殺人事件」を参考にしていると思ますが、トリック部分はオリジナルであり、テーマは、報道の在り方というのがひとつあるのではないでしょうか。清張作品の中でプロットがものすごく優れているという類のものではないですが、実際の事件を素材としてその時代の風潮を作品に取り込んでいる点が作者ならではという気がします。荒木虎美は、映画の製作発表直後に作者に手紙を送り、「自分の事件でも運転していたのは妻で、まさに『疑惑』の内容そのものである」などと訴えて作者の意見を求めましたが、作者は、「あくまで着想を得ただけで作品はオリジナルのフィクションであり、係争中の事件でもあるので意見は控えたい」と返答しています(社会批判を込めたつもりが、モデルがそれに便乗してきたということか)。


 1980年代初頭、北海道・月形町にある樺戸行刑資料館(現在の月形樺戸博物館)に、3人の訪問客がやって来た。一人はルポライターの安田、もう一人は福岡の元高校校長の伊田、あとの一人は、資料館二人がいるところに居合わせた女性・神岡。偶然出会った3人は、熊坂長庵の「観音図」の前で、明治時代最大の贋作事件でもある「藤田組贋札事件」の真相にせまる―。(「不運な名前」)

 併録の「不運な名前」は、「オール讀物」1981年2月号に掲載されたもので、明治時代最大の贋作事件と、その犯人とされた熊坂長庵を扱ったもので、なぜ熊坂長庵が犯人とされたのかを探っています。ドキュメンタリータッチで、ほとんど作者・松本清張が、自らの歴史考察を小説に落とし込んだような作品ですが、作者の分身と思しきルポライターの安田が推理を開陳するも、ラストで、神岡女史が実は京都の私立女子大学助教授で、当時の造幣関係者の子孫であることが明かされ、安田以上に穿った考察をしてみせるところが面白いです(実はこれが作者・松本清張の独自の推論ということになる)。因みに、現在でも博物館では、熊坂長庵事件が冤罪であったという認識は示していないそうです。

 作中の安田は、熊坂長庵が犯人と決めつけられた一要因として、江戸の大盗賊「熊坂長範」と名前が似ていることを挙げており、このことがタイトルの「不運な名前」につながっています。そして、「疑惑」の鬼塚球磨子も、略して「鬼熊」となり、"毒婦"たるに相応しい呼称になるという意味では同じく"不運な名前"であり、それでこの二編がセットになっているようです(そう言えば、「荒木虎美」というのも、何となくその類の名前である)。

北海道樺戸郡月形町・月形樺戸博物館(樺戸行刑資料館)/月形町・篠津囚人墓地/篠津囚人墓地内の熊坂長庵の墓
月形樺戸博物館.jpg 篠津囚人墓地2.jpg 篠津囚人墓地内の熊坂長庵の墓.jpg

【1983年文庫化・2013年新装版[文春文庫]】

《読書MEMO》
●「疑惑」のテレビドラマ化
・1992年「松本清張スペシャル・疑惑」(フジテレビ)いしだあゆみ(白河球磨子)・小林稔侍(佐原卓吉)
・2003年「松本清張没後10年特別企画・疑惑」(テレビ朝日)余貴美子(白河球磨子)・中村嘉葎雄(佐原卓吉)
・2009年「松本清張生誕100年特別企画・疑惑」(TBS)沢口靖子(白河球磨子)・田村正和(佐原卓吉)
・2012年「松本清張没後20年特別企画・疑惑」(フジテレビ)尾野真千子(白河球磨子)・常盤貴子(佐原千鶴)
・2019年「松本清張ドラマスペシャル・疑惑」(テレビ朝日)黒木華(白河球磨子)・米倉涼子(佐原卓子)

1992年「疑惑」(フジテレビ)いしだあゆみ(白河球磨子)・小林稔侍(佐原卓吉)/2009年「疑惑」(TBS)沢口靖子(白河球磨子)・田村正和(佐原卓吉)
松本清張スペシャル・疑惑1.jpg 松本清張生誕100年特別企画・疑惑.jpg

2012年「疑惑」(フジテレビ)常盤貴子(佐原千鶴)・尾野真千子(白河球磨子)/2019年「疑惑」(テレビ朝日)米倉涼子(佐原卓子)・黒木華(白河球磨子)
松本清張没後20年特別企画・疑惑.jpg 松本清張ドラマスペシャル・疑惑.jpg

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"混沌"が魅力の「ロケーション」、アナーキーでパワフルな「党宣言」、"ごった煮"の「ニワトリはハダシだ」。
ロケーション 森崎東 1984.jpg ロケーション 美保2.jpg ロケーション 美保.jpg
あの頃映画 松竹DVDコレクション ロケーション」美保純/西田敏行
生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言 dvd.jpg 生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言 (1).jpg 生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言2.jpg
生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言【DVD】」平田満/倍賞美津子/原田芳雄
ニワトリはハダシだ 2004.jpg ニワトリはハダシだ 倍賞・原田.jpg ニワトリはハダシだ 肘井・加瀬.jpg
ニワトリはハダシだ [DVD]」倍賞美津子/原田芳雄   肘井美佳/加瀬亮

ロケーション1.jpg『ロケーション』1.jpg ピンク映画のキャメラマンであるべーやんこと小田辺子之助(西田敏行)は、妻で主演女優の奈津子(大楠道代)が自殺未遂し、撮影がストップし困り果てていた。たまたまロケ現場として借りた連れ込み宿の掃除婦・笑子(美保純)を強引に主演女優の代役に仕立てて、撮影を続行させる。しかし撮影中、監督(加藤武)は病気で倒れ、笑子は自分の田舎に墓参りに帰るので撮影は降りると言い出す。笑子の帰郷を逆手にとり、ロケ場所を笑子の故郷である福島の湯本に代え、その場その場で脚本を変えながら撮影していく―。(「ロケーション」)

「ロケーション」1.jpg 「ロケーション」('84年)は、ピンク映画のスチールマンだった津田一郎の『ザ・ロケーション』('80年/晩声社)を原作に、ピンク映画づくりの現場を描き出したもので、森崎東監督は、映画作りの参考にするため、滝田洋二郎監督による「真昼の切り裂き魔」('84年/新東宝)の撮影現場に足を運んだとのこと(滝田洋二郎ってあの、第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞作「おくりびと」('08年)の監督だが)。それでも森崎東監督らしく、とにかくごちゃごちゃのストーリーです。
  
0映画 ロケーション.jpgロケーション vhs.jpg まず、西田敏行演じるキャメラマンと、大楠道代演じるその女房の女優と、柄本明演じる脚本家の三角関係があり、映画の撮影が始まるや、主役の彼女が降りてしまい、やっと見つけた代役も逃げ出し、監督は入院するという始末で、カメラマンと竹中直人演じる助監督が中心になり、美保純演じる連れ込み旅館の掃除婦をヒロインに仕立てて撮影を続けるも、彼女が福島へ墓参りに帰ると言い出し、それを追ってロケに行くと、彼女の過去が一家心中、父親殺し、母親殺しと錯綜し、ロケ隊一行は映画の内容を変更して、彼女と母親(大楠道代・二役)の愛僧劇をドキュメンタリーのように撮影することになるといった具合。映画内映画のもともとのストーリーは、3人の男に襲われ海で溺死した母親の娘が男たちに復讐する設定だったので、随分と話が違っていきますが、これもこの映画の脚本の内なのでしょうか。

ロケーション2.jpg 美保純が演じる笑子が、、最初の内は幼児体験の影響でロケーション 6.jpg無口だったのが、ラストの方では大楠道代演じる母親と拮抗して互いの情念をぶつけあっており、美保純としては最高傑作ではないでしょうか。美保純と同様にそれまで主にピンク映画に出ていた竹中直人が、最初に一般映画に出演した作品でもあります。作品全体としても、「喜劇 女は男のふるさとヨ」('71年)などよりは上ではないでしょうか。
西田敏行/大楠道代/美保純
ロケーション1984  竹中直人.jpg 竹中直人/西田敏行/美保純


倍賞美津子 in「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」
党宣言1.jpg党宣言 倍賞.jpg バーバラ(倍賞美津子)は15年前、19歳の時にコザ暴動で沖縄を離れたヌードダンサー。恋人の宮里(原田芳雄)は、原子力発電所の定期検査に携わる、所謂"原発ジプシー"だが、今は暴力団の手先に。バーバラは、元教師の野呂(平田満)と一緒に旅に出て、福井県で昔馴染み党宣言  o-00.pngのアイコ(上原由恵)と再会、彼女は頭の弱い娼婦で、足抜けを図ったためにヤクザに追われている。そんなアイコには、原発で働く安次党宣言o-00.png(泉谷しげる)という恋人がいたが、死んだという。ところが安次の墓に出向いたバーバラと野呂は、実は安次が生きていることを知る。安次は、原発事故で放射能を浴び、原発での事故のことを知っていることがばれるのを恐れ、死んだ060党宣言.jpgふりをしていたのだ。アイコと安次は、"じゃぱゆきさん"マリア(ジュビー・シバリオス)と一緒に逃亡するが、暴力団に見つかって殺されてしまう。アイコ殺しの罪を着せられそうになった宮里は、暴力団の戸張(小林稔侍)を猟銃で射殺、バーバラたちは、マリアをフィリピンに帰してやろうと密航を企て、それを阻止しようと、暴力団や悪徳刑事の鎧(梅宮辰夫)殿山 泰司 党宣言.jpgが港にやってくる。撃たれて息を引き取った宮里に代わって、バーバラは猟銃をぶっ放して追っ手を撃退。結局マリアの乗った船は、船長(殿山泰司)が油を積み忘れ止まってしまうが、最終的に彼女はフィリピンに送還されることに。移送される船上からバーバラの姿を見つけたマリアは、アイコと安次のスローガンの言葉「溢れる情熱、みなぎる若さ、協同一致団結、ファイト!」と呼び掛ける―。(「党宣言」)

党宣言747.jpg 「ローケーション」の翌年に撮られたのが「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」('85年)ですが、森崎東監督のインタビューによれば、この作品の最初の構想では、原発内部の実態を暴露しようと教師ら多数の人質とともに立て籠もる男(原発ジプシー)の物語で、彼の要求で現場からの生中継が実現しそうになった時、突然天皇崩御の情報が入り、現場からの生中継が吹っ飛んでしまうという展開で、物語のオープニングでは犯人である主人公がトイレに入りながら天皇陛下の遺体を運ぶパレードがテレビで放映されている場面を見るという場面が用意されていたそうです(この映画の公開は1985(昭和60)年)。そして、その物語の主人公で立て籠もり犯のモデルは金嬉老だったそうです。

 こちらは、監督自身によるオリジナル脚本による作品であるため、撮影中にもセリフはどんどん変わったようでが、それは、森崎作品の多くに共通することだったようで、この作品でもセリフでけでなく、現場でどんどん物語や配役が変えられていったようです。

党宣言 8.jpg この映画の配役も、当初は平田満が演じた教師の役を原田芳雄が演じる予定だったといいます。しかし、原田芳雄が「俺に先生役は無理です」と監督に直訴し宮里を演じることになり、そのキャラクターも彼に合わせて変わっていったそうです。もちろん、野呂の役も平田に合わせて変えられたのでしょう。こうした、行き当たりばったり的な映画作りの手法は、完成度の高い作品を生み出すのには向いていないかもしれませんが、完成された芸術作品にはない、見るものを元気にするエネルギーを持つことあるとも思いました。

 昨年['20年]7月16日の森崎東次監督の逝去を受け、同月31日付の朝日新聞夕刊でこの作品をフィーチャーしていましたが、この映画には「虐げられた者への人間賛歌」であり、「ごった煮に落とし込んだ『怒り』」が込められているとしています。非常によくまとまった記事でした(さすが朝日新聞の映画担当記者。的を射た表現をするものだ)。

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2020年7月31日朝日新聞夕刊

 一言で言えば、「ロケーション」は、ごちゃごちゃしていて、もう何だか「わけわかんない」、言わば先の読めない"混沌"がむしろ魅力的であり、この映画の神髄であるのかも。「党宣言」の方も、アナーキーでパワフルであり、こうして2作比べてみると、通じ合う部分もあるように思え、故・森崎東監督の作品の持ち味がみえてくるように思いました。また、これは、「党宣言」の19年後に、脚本・撮影・音楽などの主要スタッフはすべて「党宣言」と同じメンバーで撮られた「ニワトリはハダシだ」('04年)にも見られた特徴のように思います。

ニワトリはハダシだ6.jpgニワトリはハダシだps.jpg 舞鶴に住む養護学校中学部3年生のサムこと大浜勇(浜上竜也)は重度の知的障害をもちながらも意外な記憶力を持つ。在日朝鮮人のハハこと金子澄子(倍賞美津子)は潜水夫のチチこと大浜守(原田芳雄)とサムの教育方針をめぐって対立し、現在は小学生の妹・チャルこと金子千春(守山玲愛)を連れて別居中である。そんなある日、サムとチャルが暴力団に拉致されてしまう。養護学校でサムを担任する桜井直子(肘井美佳)がサムたちの行方を追う―。(「ニワトリはハダシだ」)

ニワトリはハダシだin.jpgニワトリはハダシだド.jpg 森崎東監督の'04(平成16年)年度「芸術選奨」受賞対象となったこの作品においても、現代日本が抱える社会問題を詰め込められるだけ詰め込んで、その混沌とした中での猥雑で骨太な笑いから庶民の逞しさを描く構図になっています。20年近く経てもまったく枯れていないと言えば枯れていないと言えますが、相変わらずのごった煮感にはやや胃もたれがしそう(笑)。ただ、倍賞美津子、原田芳雄など森崎映画ならではの常連キャストの演技は安定感があってさすがであり、また養護学校教師役の肘井美佳の初々しい快活さも印象的でした(「時代屋の女房」の夏目雅子へのオマージュと思われる演技シーンがあった)。

シネマブルースタジオorigin.jpgロケーション s.jpg「ロケーション」●制作年:1984年●監督:森崎東●製作:中川滋弘/赤司学文●脚本:近藤昭二/森崎東●撮影:水野征樹●音楽:佐藤允彦●原作:津田一郎●時間:99分●出演:西田敏行/大楠道代/美保純/柄本明/加藤武/竹中直人/アパッチけん/大木正司/草見潤平/イヴ/パルコ/河原さぶ/殿山泰司/初井言榮/愛川欽也/乙羽信子/根岸明美/花王おさむ/和由布子/矢崎滋●公開:1984/09●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-12-23)(評価:★★★★)

党宣言9.jpg「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」●制作年:1985年●監督:森崎東●製作:木下茂三郎●脚本:近藤昭二/森崎東/大原清秀●撮影:浜田毅●音楽:宇崎竜童●時間:105分●出演:倍賞美津子/原田芳雄/平田満/片石隆弘/竹本幸恵/久野真平/上原由恵/泉谷しげる/梅宮辰夫/河原さぶ/小林稔侍/唐沢民賢/左とん平/水上功治/小林トシエ/殿山泰司/ジュビー・シバリオス●公開:1985/05●配給:ATG●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-01-12)(評価:★★★★)

ニワトリはハダシだv.jpgニワトリはハダシだ00.jpg「ニワトリはハダシだ」●制作年:2004年●監督:森崎東●製作:シマフィルム/ビーワイルド/衛星劇場●脚本:近藤昭二/森崎東●撮影:浜田毅●音楽:宇崎竜童●時間:114分●出演:倍賞美津子/原田芳雄/肘井美佳/石橋蓮司/余貴美子/浜上竜也/守山玲愛/加瀬亮/李麗仙/岸部一徳/塩見三省/笑福亭松之助/柄本明/河原さぶ/不破万作/三林京子/露の五郎/眞島秀和●公開:2004/11●配給:ザナドゥー●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-01-27)(評価:★★★★)

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どろっとした映像化作品になりかけているところを透明感を保たせている夏目雅子。

時代屋の女房dvd.jpg 時代屋の女房 13.jpg 時代屋の女房01.jpg
あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション 時代屋の女房 [Blu-ray]」夏目雅子/渡瀬恒彦

「時代屋の女房」2.jpg 35歳独身の安さん(渡瀬恒彦)は大井町で「時代屋」という骨董屋を営んでいる。夏のある日、野良猫をかかえ、銀色の日傘をさした、真弓(夏目雅子)という女がやって来ると、そのまま店に居ついてしまう。一緒に暮すようになっても、安さ「時代屋の女房」0.jpgんは、真弓がどういう過去を持っているか訊こうともしない。そんな真弓がひょいと家を出ていくと、暫く戻ってこない。喫茶店サンライズの独身のマスター(津川雅彦)や「時代屋の女房」1.jpgクリニーング屋の今井さん夫婦(大坂志郎・初井言栄)、飲み屋とん吉の夫婦(藤木悠・藤田弓子)らが親身になって心配していると、真弓は何事も無かったかのように帰って来る。闇屋育ちのマスターは、カレーライス屋、洋品店、レコード屋などをやった末夏目雅子 『 時代屋の女房 』.jpgに今の店を開き、別れた女房と年頃の娘に毎月仕送りをしながらも、店の女の子に手をつけ、今はユキちゃん(中山貴美子)とデキているが、その彼女は、同じ店のバーテン、渡辺(趙方豪)と愛し合っている。今井さんの奥さんが売りにきた古いトランクから昭和11年2月26日の日付の上野-東京間の古切符が出てきた。47年前、今井さんが人妻と駆け落ちしようとして連れ戻され、使わなかった切符で、青春の思い出を蘇らせる今井さん。真弓がいない間に、安さんは、どこo時代屋の女房.jpgか真弓に似ている美郷(夏目雅子、二役)という女と知り合い、関係を結ぶ。東京の孤独で華やいだ暮しを畳んで、彼女は東北の郷里に戻って結婚しようとしており、その寂しさの中で、安さんと出会ったのだ。マスターは遊びが過ぎて店を閉める羽目となり、ユキちゃんと渡辺クンに店を引き取ってもらい、小樽の旧友を訪ねて旅に出ることに。安さんも、岩手で覗きからくりの売り物があると聞き、一緒に車で旅に出る。安さんが店に戻った翌日、真弓が初めて現れたときと同じように、冬にもかかわらず日傘をさして帰ってくる。その差し上げた手には、安さんが欲しがっていた南部鉄瓶が―。
時代屋の女房 (1982年)
I『時代屋の女房』.jpg 1983年公開の森崎東(1927-2020)監督作で、原作は村松友視の1982(昭和57)年上半期・第87回「直木賞」受賞作。作者は「セミ・ファイナル」「泪橋」に次ぐ3度目の候補での受賞で、単行本『時代屋の女房』('57年/角川書店)には「時代屋の女房」と「泪橋」が収録されています。

 「泪橋」の方も'83年に黒木和雄監督、渡瀬恒彦主演で映画化されていますが、そちらは未見です(原作者が脚本に噛んでいる)。原作の方は、大井町ではなく鈴ヶ森が舞台ですが、何となく「時代屋の女房」に似た雰囲気もあって、直木賞選考の時も、選考委員のうち強く推したのが山口瞳、五木寛之の両委員であったという点で共通します。「泪橋」の時は受賞に至りませんでしたが、「時代屋の女房」の方が完成度が高く、より受賞作に相応しいように思われます(因みに、「泪橋」が受賞を逃したときは、つかこうへい『蒲田行進曲』が受賞し、「時代屋の女房」が受賞したときは深田祐介『炎熱商人』と同時受賞となった)。

友視 直木賞受賞.jpg 作者はのこれら一連の小説により、「新しい都会派作家の登場」として注目されましたが、「時代屋の女房」で言えば、安さんと真弓の、お互いに相手の出自を探索しない、適度な距離感を保った関係というのが「都会的」という風に受け止められたのかなあと思いました。

大井武蔵野館 時代屋の女房 - コピー.jpg これを、どちらかというと"こってり系"の"ごった煮"と言うか、どろっとした作風の森崎東監督がどう撮るか(こちらは原作者が脚本に噛んでいない)――結局、物語の舞台に近い大井武蔵野館などで80年代から90年代かけてによく上映されていたものの、何となく観に行かずじまいで、だいぶ後になってビデオで観ましたが、う~ん、やっぱり、という感じ。最近、劇場で見直しましたが、その印象は変わらずです。

「時代屋の女房」5.jpg 安さんをはじめ、登場人物にいろんなものを背負わせすぎて、原作にない登場人物も多くあり(朝丘雪路や沖田浩之が演じた役どころは原作にはない)、やっぱり"こってり系""ごった煮"になっているような...。真弓の行き先について映画では一つの解釈を入れていたなあ(原作でも真弓はもちろん帰ってくるが、どこへ行ったかはわからず、特に何か時代屋の女房 mina.jpg持って帰ってきたわけではない)。原作における「カーリー・ヘヤの女」が、映画における「美郷」かと思いますが、彼女に関するエピソードはほとんど映画のオリジナル乃至は「泪橋」からもってきているかで、これを夏目雅子に二役でやらせたのは、夏目雅子の演技力をより引き出そうという狙いだったのでしょうか(森崎東監督作品には「ロケーション」('84年)における大楠道代の役など一人二役がよくあるが、夏目雅子のこれが初の一人二役の試みだったのではないか)。

「時代屋の女房」3.jpg 「都会派」とは言い難いどろっとした作品になりそうなところを、明るい透明感でもって救い、原作との雰囲気の乖離を防いでいるのは、まさに夏目雅子のお陰であり、この作品の2年後にこの世を去ったことを思うと、尚更残念な思いは増します。この作品がいいという人の多くが、この作品での夏目雅子を絶賛しますが、「夏目雅子がいい」という点では同感です。このころの森崎東監督の中でも、透明感の高い、特殊なポジションにある作品ではないでしょうか。
    
「時代屋の女房」4.jpg「時代屋の女房」●制作年:1983年●監督:森崎東●製作:杉崎重美/中川完治●脚本:荒井晴彦/長尾啓司●撮影:竹村博●音楽:木森敏之●原作:村松友視●時間:97分●出演:渡瀬恒彦/夏目雅子/津川雅彦/中山貴美子/趙方豪/大坂志郎/初井言栄/藤木悠/藤田弓子/朝丘雪路/沖田浩之/平田満/坂野比呂志/名古屋章●公時代屋の女房 津川雅彦.jpg開:1983/03●配給:松竹●最初に観た場所(再見):北千住・シネマブルースタジオ(20-12-17)(評価:★★★☆)
津川雅彦(喫茶店サンライズの独身マスター)

P+D BOOKS 時代屋の女房.jpg時代屋の女房・泪橋 (1983年) (角川文庫).jpg【1983年文庫化[角川文庫(『時代屋の女房・泪橋』)]/2019年[小学館・P+D BOOKS]】
時代屋の女房・泪橋 (1983年) (角川文庫)

P+D BOOKS 時代屋の女房

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倍賞美津子を中心にシリーズを撮っていく選択肢もあったのでないか。

喜劇 女は男のふるさとヨ v.jpg喜劇 女は男のふるさとヨa1.jpg 喜劇 女は男のふるさとヨa21.jpg 喜劇 女は男のふるさとヨa22.jpg
喜劇 女は男のふるさとヨ」(VHS)倍賞美津子/河原崎長一郎/中村メイコ/森繁久弥/緑魔子
喜劇 女は男のふるさとヨ(1971).jpg喜劇 女は男のふるさとヨ07.jpg ストリッパー斡旋業「新宿芸能社」を営む金沢(森繁久弥)と竜子(中村メイ子)夫妻は、父さん母さんと呼ばれながら、踊り子たちと家族のように暮らしている。ある日、旅に出ていたマタタビ笠子(倍賞美津子)が、金も溜まり、そろそろ結婚したいと久し振りに帰って来る。が、金沢夫婦の留守中、昔のヒモに強引に連れ去られ、金沢が談判に行くがイタメつけられて戻る。腹にすえかねた竜子が人糞を流し込んで報復したが、笠子は再び旅に出る。笠子の紹介でやって来た、泣いているような顔の田舎臭い星子(緑魔子)は、踊りを教えているうちに、結構いい線いくようになる。とは言え、客の頼みを断れず、トイレで性行為したり、道端で自殺しそうな青年を救おうとしてアオカンしたと警察に捕まったりして、その都度竜子は一喜一憂する。一方、笠子は旅先で彼女に心酔する青年・照夫(河原崎長一郎)に出会い、彼が作ってくれたキャンピング・カーで一緒に旅回りを続ける。運転は勿論、三度の食事までひたすら尽くすだけで、絶対に手を出さない照夫。笠子は運転免許を取ったのを機会にいったんはクビにしたが、彼のこのうえない愛情と誠意に気づき、結婚しようと心に決める。しかし―。

女は度胸.jpg男は愛嬌.png森崎東監督.jpg 昨年['20年]7月に92歳で亡くなった森崎東監督の「女シリーズ」の第1作で、原作は、藤原審爾のお座敷ストリッパーを描いた連作短編集『わが国おんな三割安』の中の「またたび笠子」「あおかん星子」を中心としています(脚本は山田洋次)。笠子を演ずる倍賞美津子は森崎東監督の「喜劇 女は度胸」('69年)、「喜劇 男は愛嬌」('70年)に続く出演で、星子を演じた緑魔子は山田洋次監督(森崎東脚本)の「吹けば飛ぶよな男だが」('68年)にも出ています。
喜劇・女は度胸 [DVD]」「あの頃映画 「喜劇 男は愛嬌」 [DVD]
喜劇・女生きてます [VHS]」「喜劇・女売り出します [VHS]
女生きています.png女売る出します.jpg この作品の後、第2作「喜劇 女生きてます」('71年)、第3作「喜劇 女売り出します」('72年)、第4作「女生きてます 盛り場渡り鳥」('72年)と続いていきますが、何れも森繁久弥演じる金沢を軸に話が展開し、その妻・竜子役は第2作で左幸子、第3作で市原悦子と代わって、第4作で中村メイ子に戻っています。ヒロインの方も毎回変わり、倍賞美津子と緑魔子が出ているのはこの第1作のみで、第2作は安田(大楠)道代、第3作は夏純子、第4作は川崎あかねです。

 山田洋次監督が「男はつらいよ」 シリーズの第1作を撮ったのが'69年で、シリーズ中、第2作「男はつらいよ フーテンの寅」('70年)のみ森崎東監督作となっていますが、あとは全部山田洋次の監督作です。ただし、この森崎東監督の「女シリーズ」を観ると、同じ下町人情を描いても山田洋次監督作とは随分雰囲気が違っている感じもします(「女シリーズ」でこの「喜劇 女は男のふるさとヨ」だけ脚本に山田洋次が噛んでいるのだが)。

山田洋次.jpg 1931年生まれの山田洋次監督は「男はつらいよ」「続・男はつらいよ」などで1969(昭和44)年度・第20回「芸術選奨」を、1927年生まれの森崎東監督は「男はつらいよ フーテンの寅」「喜劇・男は愛嬌」などで1970(昭和45)年度・第21回「芸術選奨新人賞」を受賞しています。因みに、山田洋次監督は東京大学法学部を卒業し、新聞社勤務を経て1954年に松竹に補欠入社、森崎東監督は京都大学法学部を卒業して1956年に松竹に入社しています(年齢は森崎東監督の方が上だが、松竹では山田洋次監督の方が先輩ということか)。

倍賞千恵子 倍賞美津子.jpg 森崎東監督は森繁久弥を中心にシリーズを撮っていきましたが、倍賞美津子を中心にシリーズを撮っていくという選択肢もあったのでないかという気がします(山田洋次監督のヴィーナスが倍賞千恵子で、森崎東監督のヴィーナスが倍賞美津子であるというのも面白い)。そうしたならば、もしかしたら倍賞美津子が女性版寅さんみたいな存在になっていたかもしれません。ただし、この倍賞美津子のストリッパー「笠子」のキャラクターは、森崎東監督の後の作品「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」('85年/ATG)における、倍賞美津子演じる主人公のヌードダンサー「バーバラ」などにも反映されていたように思います。

倍賞千恵子/倍賞美津子

喜劇 女は男のふるさとヨ vhs.jpg「喜劇 女は男のふるさとヨ」●制作年:1971年●監督:森崎東●製作:小角恒雄●脚本:山田洋次/森崎東●撮影:吉川憲一●音楽:山本直純●原作:藤原審爾●時間:91分●出演:森繁久弥/中村メイコ/倍賞美津子/緑魔子/河原崎長一郎/花沢徳衛/伴淳三郎/佐藤蛾次郎/園佳也子/山本紀彦/犬塚弘/名古屋章/左卜全●公開:1971/05●配給:松竹●最初に観た場所(再見):北千住・シネマブルースタジオ(19-12-06)(評価:★★★☆)

喜劇 女は男のふるさとヨ vhsa.jpg

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三角関係? 同性愛? 映画も原作も悪くはないが、共にややすっきりしない。

小さいおうち 2014 2.jpg 小さいおうち  1.jpg 小さいおうち 単行本.jpg
あの頃映画 松竹DVDコレクション 小さいおうち」黒木華/松たか子『小さいおうち

小さいおうち 映画1.jpg 昭和11年、田舎から出てきた純真な娘・布宮タキ(黒木華)は、東京郊外に建つモダンな赤い三角屋根の小さな家で暮らす一家の元で女中として働き始める。若く美しい奥様の時子(松たか子)、家の主人で玩具会社に勤める平井雅樹(片岡孝太郎)、5歳になる息子の恭一とともに穏やかな日々を送っていたある日、雅樹の部下で板倉正治(吉岡秀隆)という青年が現れ、時子の心は揺れていく。タキは複雑な思いを胸に、その行方を見つめ続ける。それから60数年後、晩年のタキ(倍賞千恵子)が大学ノートに綴った自叙伝を読んだタキの親類・荒井健史(妻夫木聡)は、それまで秘められていた真実を知る―。

小さいおうち 金熊賞.jpg小さいおうち 黒木.jpg 2010(平成22)年上半期・第143回直木賞を受賞した中島京子の原作『小さいおうち』の映画化作品で、当時82歳の山田洋次監督は、本作が通算82作目となるとのこと。昭和初期からの時代を背景に、赤い屋根の小さな家で起きた密やかな"恋愛事件"を巡る物語で、時子役を松たか子、晩年のタキを倍賞千恵子が演じましたが、若き日のタキに扮した黒木華(「クラシックな顔立ち」が決め手となり起用されたという)が、第64回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(女優賞)を受賞しています(「にっぽん昆虫記」の左幸子、「サンダカン八番娼館 望郷」の 田中絹代、「キャタピラー」の寺島しのぶに次いで日本人4人目の受賞)。

 山田洋次監督が"不倫映画"を撮った―といった言われ方で話題になったりもしましたが、この作品の前年に撮った「東京家族」('13年)が小津安二郎の「東京物語」('53年)のリメイクと考えられることからすると、この「小さいおうち」は、小津の「早春」('56年)あたりと呼応する作品かなと思ったりもしました。

小さいおうち 映画4.jpg 本作は、黒木華が演じる「女中」タキ、松たか子が演じる「奥様」時子、吉岡秀隆演じる「青年」板倉の三人が主要登場人物で、タキの視点で語る時子と板倉の不倫関係が物語の中心になりますが、ネットでの映画評の中には、この三人が三角関係にあり、それゆえにタキは、出征することになった板倉に会いに行こうとする時子に、板倉と会う代わり、板倉の方から訪ねるよう手紙を書かせておきながら、その時子の手紙を板倉に渡さなかったのだという解釈のものがありました(中には、タキと板倉はすでに肉体関係があり、時子を裏切ったという思いから、二人は生涯結婚をせずに通したのだというのもあった)。

小さいおうち 2014 b.jpg 老齢となったタキが、甥っ子の健史に今書き綴っている回想録を読まれていることを意識しているため、タキが回想録に書いていることが必ずしもすべて本当ではないという可能性はもともとあったわけですが、三人が三角関係にあったというのはちょっと穿ち過ぎた見方のように思いました。個人的は、タキは、自分が奉公する平井家の崩壊を見たくなかったということが、手紙を板倉に渡さなかった理由かと思いましたが、そうした極端小さいおうち0.jpgな説に出くわすと、ちょっとこれでは理由としては弱いかなとも思ってしまいます(自信なさ過ぎ?)。

 一方、まったく別の見方として、タキと時子は精神的な同性愛の関係にあり、ゆえに、異性愛に奔ろうとする時子をそうさせまいとして、時子の手紙を板倉に渡さなかったのだという解釈もあって、最初はちょっとビックリしました。確かにそうなると、今度は板倉をめぐる時子とタキの三角関係ではなく、時子をめぐる板倉とタキの三角関係ということになり、板倉はタキにとっての"恋敵"のような位置づけになりますが、映画を見る限り、二人が抱き合ったりする場面はあっても、そこまでの雰囲気は感じられませんでした。

小さいおうち wkaba.jpg ところが、原作を読むと、タキの時子への思いが滔々と綴られていて、それだけでは「奥様」に憧れる「女中」というだけにすぎないのですが、時子の友人で婦人誌(女性誌)の編集者であるいわば職業婦人(キャリアウーマン)の女性が、そういう関係もあっていいと言って、タキと時子が精神的な同性愛関係にあることを示唆していました。従って、この同性愛論は、原作を読んだ人から出てきたのではないかと思います。映画だけではわからないように思いました。というか、「山田洋次監督は同性愛の物語を男女の不倫物語に確信犯的に改変してしまった」と言っている人もいます。

 原作を読むと、タキの平井家を守りたいという気持ちと、時子との精神的な関係を続けたいという気持ちは重なっているように思え、さらに、この二人に時子の息子・恭一を加えた三人の関係を「守りたいもの」として板倉が捉えていることがじわっと伝わってきます。その部分で、映画よりも原作の方が深い気がしました。

小さいおうち 映画6.jpg 映画では、板倉は時子に会わずに出征し(時子からみれば会えずに終わり)、それはタキが時子からの手紙を板倉に渡さなかったためで、そのことをタキは一生悔やみ続け、未開封の手紙を生涯持ち続けるととれる作りになっていますが、原作では、板倉は出征のため弘前に行く前に"小さいおうち"にやって来て時子と話をし、その間タキは庭仕事をしていたと回想録にあります(それでこの小さな恋愛事件は終わったと)。実際にはタキは板倉に手紙を渡さなかったため、板倉がやってくるはずはなく、この部分はタキがによるウソの記述ということいなります。映画では、板倉が最後に"小さいおうち"にやって来た〈偽エピソード〉を描くと"映像のウソ"になるため描いてはいませんでした。原作では、最後に健史は、渡されなかった手紙を見つけ、タキの回想録にあるその日の記録は虚偽であると知って、タキは時子に恋をしていたのかもしれないと悟ります。

 映画も原作も、共に悪くはないですが、ややもやっとした印象が残りました。直木賞の選評で浅田次郎氏が、「丹念な取材と精密な考証によって時代の空気を描き切った著者の作家としての資質の評価、及び次作への期待の高まりが感じられる」と述べているのは確かにそう思いました。選考で強く推したのはあと北方謙三氏など。一方、宮部みゆき氏の「この設定ならもっといろいろなことができるのにもったいない」、渡辺淳一氏の「昭和モダンの家庭的な雰囲気はある程度書けてはいるが、肝心のノートに秘められていた恋愛事件がこの程度では軽すぎる」といった評もありました。

 個人的には、同じく直木賞受賞作の、昭和初期の上流家庭の士族令嬢とお抱え女性運転手の活躍する、北村薫氏の『鷺と雪』('09年/文芸春秋)を想起したりもしましたが、この『小さいおうち』の方が上だったように思います。よく書けていると思いつつも星5つにならないのは、前述の通りやっぱりすっきりしないところがあるためです。

小さいおうち 松.jpg小さいおうち 映画 9.jpg「小さいおうち」●制作年:2014年●監督:山田洋次●脚本:平松恵美子/山田洋次●撮影:近森眞史●音楽:久石譲●原作:中島京子「小さいおうち」●時間:137分●出演 松たか/黒木華/片岡孝太郎/吉岡秀隆/妻夫木聡/倍賞千恵子/橋爪功/吉行和子/室井滋/中嶋朋子/林家正蔵/ラサール石井/あき竹城/松金よね子/螢雪次朗/市川福太郎/秋山聡/笹野高史/小林稔侍/夏川結衣/木村文乃/米倉斉加年●公開:2014/01●配給:松竹(評価:★★★☆)

【2012年文庫化[文春文庫]】
I『小さいおうち』wカバー.jpg
wカバー版

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「香港ノワール」の記念碑的作品。何よりも全体を通してテンポがいい"娯楽作"。

男たちの挽歌 dvd.jpg男たちの挽歌 1986 人物.jpg
ティ・ロン(狄龍)/レスリー・チャン(張國榮)/チョウ・ユンファ(周潤發)/レイ・チーホン(李子雄)
男たちの挽歌 <日本語吹替収録版> [DVD]
男たちの挽歌 1.jpg 香港・三合会の幹部ホー(ティ・ロン)は闘病中の父と学生の弟キット(レスリー・チャン)の面倒を見ていたが、弟が警官になる希望を持っていることで病床の父から足を洗うよう頼まれる。了解したホーは、次回の台湾への贋札の取り引きを最後に、闇社会から足を洗おうと決意する。しかし、取り引きは密告によって警察に知られており、同行した後輩シン(レイ・チーホン)を逃し、ホーは自首することに。その間、香港では父が陰謀によって殺され、そのことでキットは尊敬する兄が三合会の組員と知る。一男たちの挽歌4.jpg方、ホーの親友マーク(チョウ・ユンファ)は報復のために乗り込んだレストランで裏切者を皆殺しにしたものの、足を撃たれ負傷する。数年後、ホーは出所するが、今では警察官になり結婚もしているキットから、父親の死の責任とマフィアの兄を持つことから出世の出来ない不満をぶつけられた上に追い出され、親友マークは負傷で自由の利かない体になったことから雑用以下の扱いを受けるほど落ちぶれていた。そして元は後男たちの挽歌3.jpg輩だったシンが三合会で権力を握るようになっていた。ホーは弟と和解するためにも堅気となり、穏やかに暮らそうとするが、周りはそんな彼を放ってはおかなかった。男として失った誇りを取り戻したいマークは旧友に協力を求め、シンも自分に力を貸すよう強要する。しかしシンは自分の敵となる人物たちの粛清を始め、手始めに組長のユー(シー・イェンズ)が殺された。現状を知ったホーは弟との絆、親友との友情のためにマークと共に銃を手に取る―。

男たちの挽歌039.jpg ジョン・ウー監督の1986年作品で、「香港ノワール」とも呼ばれる新しい流れを作った記念碑的な作品です(因みに、この作品をはじめ、ジョン・ウーなどが監督・製作した香港製犯罪映画は、アクションではハリウッド製アクション映画との親和性があるが、ギャング映画としての基本的傾向は「フレンチ・フィルム・ノワール」に近いとされている)。第6回「香港電影金像奨」の最優秀作品賞・最優秀主演男優賞(チョウ・ユンファ)受賞作で、第23回「金馬奨」の最優秀監督賞・最優秀主演男優賞受賞(ティ・ロン)も受賞しています。興行的にも成功し、「男たちの挽歌Ⅱ」('87年)、「アゲイン/明日への誓い」('89年)とシリーズは計3作製作されています(チョウ・ユンファは第2作「男たちの挽歌Ⅱ」ではマークの双子の弟のケンの役で出ているが、「アゲイン/明日への誓い」(タイトルに3と付けられていることがあるが、時間的には第1作目よりも前にあたる作品)では再びマーク役で出ている)。

 この映画の製作のきかっけは、香港映画界で独自の路線を貫き通したことでジョン・ウーとティ・ロンが台湾に追われることになり不遇の生活を送っていたところ、友人であるツイ・ハークが「もう一度、香港で映画を作ろう」と台湾に出向いて香港映画界に復活させたことにあるとのことです。

「マトリックス」図1.jpgチョウユンファ 男たちの挽歌.jpg スローモーションを多用した銃撃戦は、サム・ペキンパーの「ワイルドバンチ」('69年/米)の影響を強く受けたと言われており(さらにセルジオ・レオーネや深作欣二からも多大な影響を受けているとのこと)、また、逆にこの作品が後世の映像作家に与えた影響も大きく、「マトリックス」シリーズのウォシャウスキー兄弟もジョン・ウーのファンであることを公言しています。そう言えば、チョウ・ユンファがロングコートとサングラスのスタイルで、二丁拳銃を構えて敵陣に斬りこむ姿は、「マトリックス」('99年/米)でのキアヌ・リーブス演じる主人公の姿と重なります。

「マトリックス」('99年/米)

 何よりも全体を通してテンポがいいです。友情や兄弟愛がモチーフとなっていますが、「情」を描くシーンを長々と引き延ばさず、さっと次のシーンに移ります。それでいて、その「情」の部分が描けていないかというとそんなことはなく、アクションシーンと拮抗する重みをもって描けています。この監督、ハリウッドから声が掛かったのも分かる気がします。
      チョウ・ユンファ(周潤發)       レスリー・チャン(張國榮)
英雄本色 周潤發.jpg英雄本色 張國榮.jpg この作品は、チョウ・ユンファ(周潤發)の出世作とされていますが、レスリー・チャン(張國榮)もよく知られるようになったのはこのあたりからで、その後二人とも、有名監督の作品に次々と出演するようになります。さらに、演技力とアクションにより武侠映画のトップスターとして活躍するも、一時低迷していたティ・ロン(狄龍)が復活を遂げた作品でもあります。

男たちの挽歌 1986 8.jpg英雄本色 狄龍.jpg 「香港電影金像奨」の最優秀主演男優賞を受賞したチョウ・ユンファと、「金馬奨」の最優秀主演男優賞受賞を受賞したティ・ロンと、どちらが良かったかというと微妙ですが、個人的にはティ・ロンに軍配を上げたいと思います。すっかり卓越した演技派俳優になったように思いますが、弟役のレスリー・チャンとカンフーでじゃれ合うシーンに、かつて武侠映画で見せたアクションの片鱗を窺わせます。
ティ・ロン(狄龍)

ツイ・ハーク(徐克)/レスリー・チャン(張國榮)
英雄本色 徐克.jpg ジョン・ウー監督が台湾警察の警部役で出ているほか、製作総指揮のツイ・ハーク(「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」シリーズなどの監督でもある)が、キットの恋人が実技試験を受ける音楽学院の審査員役で出ていて(まあ、ツイ・ハークはもともと俳優としてのカメオ出演も多い監督だが)、オーバーアクション気味の演技をしているのに遊び心を感じました。凄絶なマフィア社会を描いた作品ですが、基本的にはエンタテインメント作であると思います。


チョウ・ユンファ(周潤發)in メイベル・チャン監督「誰かがあなたを愛してる」('87年)/アン・リー監督「グリーン・デスティニー」('00年)
秋天的童話1.jpg グリーン・デスティニー 02.jpg
レスリー・チャン(張國榮)in ウォン・カーウァイ監督「欲望の翼」('90年)/チェン・カイコー監督「さらば、わが愛/覇王別姫」('93年)
欲望の翼01.jpg 覇王別姫 張國榮.jpg


男たちの挽歌 pos.jpg英雄本色 2.jpg「男たちの挽歌」●原題:英雄本色(英:A BETTER TOMORROW)●制作年:1986年●制作国:香港●監督・脚本:ジョン・ウー(呉宇森)●製作総指揮:ツイ・ハーク●製作:ウォン・カーマン●撮影:ウォン・ウィンハン●音楽:ジョセフ・クー●時間:97分●出演:チョウ・ユンファ(周潤發)/ティ・ロン(狄龍)/レスリーエミリー・チュウ.jpg・チャン(張國榮)/レイ・チーホン(李子雄)/ケネス・ツァン(曾江)/エミリー・チュウ/ティエン・ファン/シー・イェンズ/カム・ヒン・イン/シン・フイオン/レウ・ミン/ジョン・ウー(呉宇森) /ツイ・ハーク(徐克)「●日本公開:1987/04●配給:日本ヘラルド映画(評価:★★★★)


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ジャン・ギャバンとアラン・ドロンの初共演作。やはりラストがこの映画の白眉か。

地下室のメロディー dvd.jpg地下室のメロディー Blu-ray.jpg地下室のメロディー 0.jpg
ジャン・ギャバン/アラン・ドロン
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地下室のメロディ [DVD]

地下室のメロディー 1.jpg 強盗罪で5年間服役していた老ギャングのシャルル(ジャン・ギャバン)は、刑期を終えて出所した。妻のジャネット(ヴィヴィアーヌ・ロマンス)は夫にはギャング稼業から足を洗って欲しいと願うが、シャルルは、昔の仲間マリオ(アンリ・ヴァルロジュー)の元を訪ね、人生最後の大仕事としてカンヌのパルム・ビーチにあるカジノの地下金庫から10億フランという大金をごっそり奪い取る作戦を立てる。人手の欲しいシャルルは、かつて刑務所で目をつけていた若いチンピラのフランシス・ヴ地下室のメロディー 2.jpgェルロット(アラン・ドロン)とその義兄ロイス・ノーダン(モーリス・ビロー)を仲間に引き入れる。彼らはまず下調べのためカジノに行き、極秘裏に地下金庫へ運び込まれる大金の搬入ルートを確認する。シャルルの助言でフランシスは金持ちの御曹司に成りすまし、運転手役のロイスと共にカジノのあるホテルに向かい、カジノのダンサーのブリジット(カルラ・マルリエ)を口説いて親しくなり、一般客が立ち入れないカジノの舞台裏へ出入りする口実を掴む。作戦決行日はカジノのオーナーが売上金を運び出す頃合いを見計らって決定した。地下室のメロディー 3.jpg当日、フランシスはブリジットのステージを観た後カジノの舞台裏に侵入、換気ダクトを伝ってエレベーターの屋根に身を潜め、オーナーと会計係が売上金の勘定をしている様子を見る。覆面にマシンガンのフランシスがオーナーらの前に現れ、会計係に鍵を開けさせてシャルルを引き入れると、まんまと大金10億フランを奪ってバッグに詰め込み、ロイスの運転するロールスロイスで逃走する。金は事前に押さえていた更衣室に隠し、シャルルとフランシスはそれぞれ別のホテルに泊まって警察の目をやり過ごす。作戦は大成功と思われたが、翌朝、シャルルが朝食を取りながら新聞を見ると、一面にカジノにいたフランシスの写真が大きく写し出されていた。慌てたシャルルはロイスを逃がし、何とか警察の手を逃れようとフランシスと共に観光客を装って脱出の隙を窺う。しかし、犯行に使ったバッグの外観をカジノのオーナーらは覚えており、フランシスは慌ててバッグをホテルのプールに沈める―。

 1963年製作のアンリ・ヴェルヌイユ監督作で、原作はジョン・トリニアンの『地下室のメロディー』('63年/ハヤカワ・ミステリ)。ジャン・ギャバンとアラン・ドロンが初共演したこの作品は、1963年ゴールデングローブ賞外国映画賞を受賞するなどし、クライムサスペンスの名作とされています(二人はその後「シシリアン」('69年)、「暗黒街のふたり」('73年)で共演)。また、メインテーマは、ホンダの3代目プレリュード('87年)やサントリーのコーヒーBOSS無糖ブラック('07年)のCMで使われたりもしたので、日本でも多くの人に馴染みがあるのではないかと思います。

 まず、ジャン・ギャバン演じるシャルルが出てくる冒頭で、道路の名前が変わったことを彼が初めて知るところから、彼が刑務所を出たばかりであることを窺わせるところなどは上手いと思われ、その後家に帰ってきてからの妻とのやり取りにも無駄がありません。そして、すぐさま、「人生で一番でかいこと」に取り組まんとする彼に惹きけられていきます(それにしても、出所したてでまた強盗計画とは、諦めるということはないのだ、この主人公は)。

地下室のメロディー doron.jpg シャルルはアラン・ドロン演じるフランシスを相棒にし、その義兄まで仲間に引き入れますが(その際に義兄が信用のおける人物か、刑事を装ってテストしている)、フランシスに対し、カジノで上客としてふるまう方法を伝授すると、最初はチンピラにしか見えなかった彼が、どこかの貴公子に見えてくるから面白い。話が出来すぎているようにも思えますが、アラン・ドロンの美貌であれば、カジノのダンサーを手懐けるのも朝飯前かなとも思ってしまいます。

 でも、調子に乗ったフランシスが時間にルーズなのに対し、「やる気が失せた、幽霊とは組めない。1分が命取りなんだぞ」と雷を落とすところなどは、ベテラン・ギャバンの貫禄。決行の1週間前の同じ曜日・時間にリハーサルをさせるなど、シャルルの方がフランシスよりずっと慎重です。でも、ここまで入念に準備しても、本番では何が起こるかわからない―。

 実際、当日、カジノの舞台裏に侵入したフランシスでしたが、舞台裏がダンサーたちの打ち上げ会場みたいになってしまったため、なかなか次の行動に移れません(たまたまショーの千秋楽みたいな日だったのか)。ようやっとダクトに入り込んで、エレベーターまで辿り着きますが、かなりのタイムロスで、観ている方もハラハラさせられます(ダクトを使っての移動というのは、その後、多くの映画で使われたが、これが元祖?)。

last地下室のメロディー.jpg それでも、フランシスはシャルルと何とか地下金庫前で落ち合い(金庫までの道のりに苦労したフランシスに対し、シャルルがあっさり金庫に辿り着いているのが可笑しいが)、地下金庫からの大金の奪取に成功。二人にとってメデタシ、メデタシと思いきや―ということで、あの有名なラストシーンに向かいますが、この映画、プロセスの描写もいいですが、やはり決め手はあのラストシーンでしょう。

 ラストシーンがこの映画のクライマックスであり(アンチクライマックスとも言える)、そのクライマックスシーンにおいて主役の二人がじっと動かないでいる―いや、動こうにもまったく動けないでいる、それでいて、今起きていることをまざまざと見せつけられる、そのほろ苦さ(本人たちからすれば"残酷さ"と言った方がいいか)がこの映画の白眉というか、最大の持ち味でしょう。

地下室のメロディー カラー版.jpg 2016年にHDリマスター版とカラーライズ版の2枚組のDVDがリリースされましたが、やっぱりカラーより白黒の方がいいです。HDリマスター版を観ると、プールサイドのシーンなど、意図的に光量を上げて、光と闇のコントラストを浮き立たせているようにも思えました。

 この映画の結末は、スタンリー・キューブリック監督の「現金(ゲンナマ)に体を張れ」('56年)を彷彿とさせるものでもあります。また、この映画の18日前にフランスで公開されたジャック・ドゥミ監督、ジャンヌ・モロー主演の「天使の入江」('63年)にも、ニースのカジノが出てきます(ロケ隊同士が対面しなかっただろうか)。共に観比べてみるのもいいかもしれません。

地下室のメロディー ps.jpg「地下室のメロディー」●原題:MELODIE EN SOUS-SOL(米:ANY NUMBER CAN WIN/英:THE BIG SNATCH)●制作年:1963年●制作国:フランス●監督:アンリ・ヴェルヌイユ●脚本:ミッシェル・オーディアール/アルベール・シモナン/アンリ・ヴェルヌイユ●撮影:ルイ・パージュ●音楽:ミシェル・マーニュ●時間:118分●出演:ジャン・ギャバン/アラン・ドロン/ヴィヴィアーヌ・ロマンス/モーリス・ビロー/ジャン・カルメ/カルラ・マルリエ/クロード・セバール●日本公開:1963/08●配給:ヘラルド●最初に観た場所:三鷹オスカー(79-04-15)(評価:★★★★)●併映:「ル・ジタン」(ジョゼ・ジョヴァンニ)/「ブーメランのように」(ジョゼ・ジョヴァンニ)

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ラストの踊りのシーンは圧巻だが、細かいプロットもよく出来ている。

フレンチ・カンカン 1954 dvd.jpg フレンチ・カンカン 1954 1.jpg フレンチ・カンカン160.jpg フレンチ・カンカン61.jpg
フレンチ・カンカン HDマスター [DVD]」ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール
maria-felix-french-cancan-1954.jpgフレンチ・カンカン74.jpg 1888年のパリ。上流向けクラブ「パラヴァン・シノワ(シナの屏風)」のオーナー・ダングラール(ジャン・ギャバン)は、モデルをしていたところを自身が発掘したローラ(マリア・フェリックス)をベリーダンサーとしてクラブのスターに据え、同時に彼女を自身の愛人にしていた。ローラもダFRENCH CANCAN 1954ages.jpgングラールを愛していたが、彼の事業の出資者であるヴァルテル男爵(ジャン=ロジェ・コシモン)が彼女につきまとっていた。ある晩モンマルトルに行ったダングラールは、「白い女王」というキャバレーで恋人のパン職人のポーロ(フランコ・パストリーノ)とカンカン踊りに興じる洗濯女の娘ニニ(フランソワーズ・アルヌーFRENCH CANCAN 1954 3.jpgル)の新鮮さに驚嘆し、カンカン踊りを新しいショーとして興行することを決心、「パラヴァン・シノワ」フレンチ・カンカン 1954 1.jpgを売却して「白い女王」を買い取り、カンカン踊りに「フレンチ・カンカン」という名称を与え、「白い女王」を取り壊してニニを中心に大勢の踊り子がカンカンを踊るショーを上演するキャバレー「ムーラン・ルージュ」を立ち上げることにする。棟上式の日、ニニに嫉妬したローラが喧嘩を仕掛けて乱闘となり、さらにダングラールに嫉妬したポーロが工事中の穴にダングラールを突き落とし、彼は大ケガを負う。彼が退院した日、ローラに唆されてヴフレンチ・カンカン  2.jpgァルテル男爵が出資を取りやめたことを知ったダングラールは絶望するが、その晩ニニと初めて結ばれる。かねてからニニに思いを寄せていた某国のアレクサンドル王子(ジャンニ・エスポジート)が新たな支援者となり、フレンチ・カンカン3852.jpgムーラン・ルージュの工事は進むが、嫉妬に燃えるローラは、王子を連れ「ムーラン・ルージュに押しかけ、皆の面前でニニにダングラールの情婦であることを告白させる。王子はピストル自殺をするが未遂に終わり、ダングラール名義に書き換えたムーラン・ルージュの権利書を残して去る。後悔したローラも協力を約し、ムーラン・ルージュはなんとか開店にこぎつける。しかし ショーの本番直前、新人歌手のエステル(アンナ・アメンドーラ)に囁きかけるダングラールを見かけたニニは楽屋に籠ってしまい、観客たちは騒ぎ出す―。

フレンチ・カンカン 1954 2.jpg ジャン・ルノワール監督の1954年制作、1955年フランス公開作で、1880年代のパリを舞台に、フレンチ・カンカンとムーラン・ルージュの誕生を虚実取り混ぜて描いたものです。キャバレー"ムーラン・ルージュ"を舞台にした映画は数多く、アメフレンチ・カンカン133a.jpgリカでは、ムーラン・ルージュに通い詰めた画家ロートレックの生涯を描いたジョン・ヒューストン監督の「赤い風車」('52年)や、共にミュージカル映画で、シャーリー・マクレーン主演「カンカン」('60年)、ニコール・キッドマン主演「ムーランルージュ」('01年)などがあります。この作品のヒロイン・ニニを演じた当時23歳のフランソワーズ・アルヌールは一気にスターとなりり、その後、アンリ・ヴェルヌイユ監督の「ヘッドライト」('56年)で再びジャン・ギャバンと共演することになります。

 この作品は、厳密にはミュージカル映画ではないものの、エディット・ピアフをはじめとして多くの歌手も出演しているため、雰囲気的にはミュージカル映画っぽい印象を受けます(たまたま隣家で洗濯物を干しながら鼻歌を歌っていた主婦がピアフ級だったというのがスゴイ設定だが)。基本的に俳優陣は台詞を普通に喋りますが、時に歌い出すことのあり、主演のジャン・ギャバンも1曲だけ歌っています。ジャン・ギャバンというとギャング映画のイメージが強いですが、実はジャン・ギャバンの父はミュージック・ホールの役者で、母は歌手であり、ジャン・ギャバン自身も〈俳優〉兼〈歌手〉であったことを改めて想起しました。

FRENCH CANCAN 1954 5.jpg ラストの、ムーラン・ルージュの客席のあちこちからフレンチ・カンカンのダンサーが沸いて出てきて、クライマックスのフレンチ・カンカンの大演舞に繋がっていくシーンは、美しいカラー映像と相俟って圧巻です。さすが画家ルノワールの次男! 「ピクニック」('36年)ではモノクロで印象派の世界を再現してみせましたが、カラーで豊かな色彩表現を見せています(ただし、映画の中ではロートレックの絵が多用されている)。

 細かいプロットもよく出来ていました。去っていった王子はいい人だったなあ。王子には気の毒だったけれども、最後は、残された人はみんな幸せになれそうな雰囲気で、ラストシーンはみんなカップルになっていました。ただ笑わせるだけの役回りだと思っていたダングラールの部下の長身の芸人ガジミール(フィリップ・クレイ)の隣にも彼女と思しき女性がいるし、恋人ニニをダングラールに持っていかれ嫉妬心の抑制がきかなかったポーロ(フランコ・パストリーノ)の傍らにも、ニニのかつての同僚で、「ムーラン・ルージュ」の踊子の採用試験に落ちて今も洗濯女をしているテレーズ(アニック・モーリス)が傍にいました。なんだか、気配りの行き届いた映画のように思えました。

フレンチ・カンカン ジャン・ギャバン.jpg 裏を返せば、王子が去った後に結ばれないのはダングラールとニニだけであり、ダングラールは楽屋に籠ってしまったニニに、「オレは籠の鳥にはなれない」と言っていましたが(説得するつもりが開き直りになっていた(笑))、これが一般的な家庭というものを持ち得ないダングラールの性(さが)であると同時に、興行に人生を賭けた人間の厳しさということなのかもしれません(この厳しさは、踊りにすべてを賭けることにしたニニにも当てはまる)。

フレンチ・カンカン156.jpg この映画は、公開時には興行的に成功しましたが、やがて1950年代末にフランスで始まったにヌーヴェルバーグが隆盛となり、後の批評家たちによって退屈な映画だとして無視されてしまったようです。それがまた最近になって、「ベル・エポック」と呼ばれる時代に、大衆芸能の世界にも新しい現実感覚を示すような創造性豊かな表現方法の革新があったことを、興行の世界だけでなく町の様子や人々の風俗と併せて色彩豊かに描いた作品として再注目されています。

 個人的にも、昔はこんな映画は観に行かなかったでしょうが、だんだんこうした映画が快く、また何となく懐かしく感じられるようになった昨今です(やはり年齢のせいか?)。そう言えばジャン・ギャバンって「レ・ミゼラブル」('57年)のような文芸大作にも出演していて、今まで数多く映画化されたその作品でも「歴代最高」との評価を得ています。

ジャン・ギャバンフランソワーズ・アルヌール in「ヘッドライト」('56年)/ジャン・ギャバン in「レ・ミゼラブル」('57年)
「ヘッドライト」('56年)ジャン・ギャバン.jpg les_miserables01jw.jpg 

フランソワーズ・アルヌール1958.jpgフレンチ・カンカン0.jpg「フレンチ・カンカン」●原題:FRENCH CANCAN●制作年:1954年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン・ルノワール●製作:ミシェル・ケルベ●撮影:ルッツ・ライテマイヤー●音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス●時間:102分●出演:ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール/マリア・フェリックス/アンナ・アメンドーラ/ヴァルテジャン=ロジェ・コシモン/ジャンニ・エスポジート/フランコ・パストリーノ/アニック・モーリス/ミシェル・ピッコリ/エディット・ピアフ●日本公開:1955/08●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-12-16)(評価:★★★★)

フランソワーズ・アルヌール

Francoise Arnoul (1958)

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実写と見紛うCG。「大人の寓話」的要素の強い原作であることを再認識した。

Disney's クリスマス・キャロル  2009.jpg Disney's クリスマス・キャロル01.jpg  クリスマス・カロル 新潮文庫.bmp クリスマス・キャロル (角川文庫).jpg
Disney's クリスマス・キャロル [DVD]」『クリスマス・カロル (新潮文庫)』(村岡花子:訳)『クリスマス・キャロル (角川文庫)』['20年/越前敏弥:訳]
Disney's クリスマス・キャロル1.jpgDisney's クリスマス・キャロル 56.jpg スクルージ&マーレイ商会を営んでいた初老の男スクルージは冷酷で無慈悲な人間で、彼を知る者の多くはエゴイストのスクルージを忌み嫌い、仕事仲間であったマーレイの葬儀の際にも布施を出し渋るばかりか、亡骸の瞼に置かれた冥銭を持ち去るほど金に取り憑かれた男であった。葬儀から7年後のクリスマスイブの夜、亡霊となったマーレイが彼を訪ねてきた。生前、会計事務所に籠って人生を無駄にした自分の愚かさを嘆き、犯した罪の分だけ重Disney's クリスマス・キャロル45.jpgく長くなった鎖に囚われた自らの姿を指して、このままでは「お前も同じ運命を辿る」と忠告をしにきたのだ。そして「お前のもとに3人の精霊が現れる」と言い残して去っていく。程なくして最初の精霊がスクルージの前に姿を現した。彼はスクルージの過去のクリスマスの精霊だと自らを名乗った―。

"A Christmas Carol (Bantam Classic)"
A Christmas Carol (Bantam Classic).jpg 2009年のアメリカ映画で、原作は勿論あの有名なチャールズ・ディケンズが1843年に発表した小説『クリスマス・キャロル』。何しろ、英国では一時家族でクリスマスを祝う風習が廃れていたのが、この小説のお陰で一気に復活し、今に続いている言われているほどの作品です。

Disney's クリスマス・キャロル2.jpg 監督は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」('85年)、「ロジャー・ラビット」('88年)、「フォレスト・ガンプ/一期一会」('94年)のロバート・ゼメキスであり、「ポーラー・エクスプレス」('04年)、「ベオウルフ/呪われし勇者」('07年)で駆使した3D:CGアニメーション技術を更に発展させたCG技術が使われています。具体的には、通常のモーション・キャプチャーなら数台から10数台程度A CHRISTMAS CAROL 2009 performance capture2.jpgA CHRISTMAS CAROL 2009 performance capture.jpgのカメラで身体の主要な部分に取り付けた数十のガラス球(マーカー)を観測するところを,この映画では200台ものカメラを用意し、マーカーは,ボディ部に約60個に対し、顔面と頭皮には153個も着けてデータを計測しています。表情から指先までしっかりと観測し、俳優の微妙な演技をCGキャラに伝えることができるので、これを「パフォーマンス・キャプチャー」と呼ぶそうです。奥行きの表現が豊かになり、実写と見紛うほどで、かつての、登場人物が皆のっぺりしていて、プラスチック粘土か何かに見えるCG映画からは、格段の進歩を遂げたと言えるでしょう。

ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース.jpg ジム・キャリー、ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース、ケイリー・エルウィズといった芸達者が声を担当し、しかもジム・キャリーはスクルージの子供時代から今の大人までの4役に加え3人の亡霊役の全7役、ゲイリー・オールドマンはマーレイとティムの2役、ボブ・ホスキンスも2役、ケイリー・エルウィズは脇役4役とそれぞれ複数役をこなしています。ジム・キャリーが声を担当したスクルージもそうですが、ゲイリー・オールドマンのクラチット(スクルージの事務所で働く事務員)やコリン・ファースのフレッド(スクルージの甥)のアニメは本人とよく似ています。モーション・キャプチャーと原理は同じだから、声だけでなく実際に演技したということでしょうが、「顔芸」も反映されているようです(ジム・キャリーの場合は、スクルージはスクルージ、亡霊は亡霊で別々に撮ったのだろなあ。でも、何れも動きがジム・キャリーっぽい)。

ゲイリー・オールドマン/コリン・ファース(2009)
  
Disney's クリスマス・キャロル7.jpg テクニカルな面はともかく、セリフが原作をかなり忠実に追っているのがいいです。アクションや表情はCGで大袈裟になっていますが、原作を捻じ曲げなかったのは良かったと思います(ディズニー映画は往々にして原作の"毒"の部分を消してしまうことがある)。ただ、結果的に、精巧なCGによる見た目のリアルさと相俟って、大人は楽しめるけれども、極々小さい子どもには怖く感じられる部分もあったように思います。

Disney's クリスマス・キャロル 3.jpg この話は一面で、主人公の金持ちのスクルージが、(ユダヤ人には金持ちが多い)、禁欲的(スクルージやマーレイは贅沢はしていない)で貯金を良しとするユダヤ人の価値観を捨てて、キリスト教徒的価値観を受け入れる話とも読めます。一方で、イエスの誕生や復活を祝うという色合いはさほど強くなく、ディケンズはクリスマスをプディングと七面鳥の日にしてしまったという批判があるくらいです。

IMG_20201223_160122.jpg そもそもこの映画(原作)のテーマは何か。個人的には、過去を振り返って今の自分を見つめ直した時、今の自分はかつてなりたかった自分と一致しているだろうかを振り返ってみよ!ということではないかと思っています。

A CHRISTMAS CAROL 2009es.jpg 長い鎖を引き摺って死後7年間彷徨っているスクルージのかつての同僚マーレイの幽霊は、ある意味、資本主義社会における人間疎外の象徴であり、その幽霊が去っていくとき、スクルージが窓の外から眺めた夜空には、同じように鎖を引き摺る多くの幽霊で満たされていたというのは、アニメで見ると却って怖いかもしれません。寓話的ですが、「大人の寓話」的要素の強い原作であることを、アニメを観て改めて認識させられました。

A CHRISTMAS CAROL 2009  t.jpgDisney's クリスマス・キャロル4.jpg「Disney's クリスマス・キャロル」●原題:A CHRISTMAS CAROL●制作年:2009年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ロバート・ゼメキス●製作:ロバート・ゼメキス/スティーヴ・スターキー/ジャック・ラプケ●撮影:ロバート・プレスリー●音楽:アラン・シルヴェストリ●原作:チャールズ・ディケンズ「クリスマス・キャロル」●時間:97分●出演:ジム・キャリー/ゲイリー・オールドマン/コリン・ファース/ボブ・ホスキンス/ロビン・ライト・ペン/ケイリー・エルウィズ/ダリル・サバラ/フェイ・マスターソン/レスリー・マンヴィル/モリー・C・クイン●日本公開:2009/11●配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ・ジャパン(評価:★★★☆)

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社会派作品であり、心を揺さぶる作品、且つ、カフカ的不条理の世界「壁あつき部屋」。

壁あつき部屋 dvd.jpg 壁あつき部屋2.jpg   私は貝になりたいDVD.jpg 私は貝になりたい 1959 vhs 1.jpg
あの頃映画松竹DVDコレクション 壁あつき部屋」['16年]「私は貝になりたい <東宝DVD名作セレクション>」['20年]/VHS

壁あつき部屋 52.png 戦後4年が過ぎたが、巣鴨拘置所には多くのBC級戦犯が服役している。その一人・山下(浜田寅彦)は、戦時中南方で上官・浜田(小沢栄太郎)の命令で一人の原地人を殺したのだが、その浜田の偽証で罪を被せられ、重労働終身刑の判決を受けている。また横田(三島耕)は戦時中、米俘虜収容所の通訳だっただけで巣鴨に入れられた。横田が戦時中、唯一人間らしい少女だと思つた隠亡燒(北竜二)の娘・ヨシ子(岸惠子)は、今では渋谷の歓楽街に働いている。朝鮮人の許(伊藤雄之助)も、戦犯の刻印を押された犠牲者の一人だった。山下はある日脱獄を企てて失敗、その直後に母の死を知る。葬儀のため時限付で出所を許された山下は、浜田へのかつての恨みと、浜田が山下の母と妹(林トシ子)を今まで迫害し続けていたことへの怒り壁あつき部屋 0.jpgから、浜田家に向かうも、恐怖に慄く浜田を見て殺意が失せる。たった一人の妹は、「これからどうする?」という山下の問いに、「生きて行くわ」とポツリ答える。再び拘置所に戻り、横田らに迎えられる山下、そこには厚い壁だけが待っていた―。

 巣鴨拘置所に服役中のBC級戦犯の手記「壁あつき部屋」の映画化で、新鋭プロ第一回作品。脚色には芥川賞受賞作家の安部公房が当り、小林正樹が監督しています。作品自体は1953年10月に完成しましたが、GHQの検閲を恐れた松竹の上層部によって、一部カットされそうになったのを小林監督が拒否したため、公開が3年遅れ1956年10月となりました。

壁あつき部屋1.jpg 小説家の安部公房の脚本ということもあるためか、人間心理を深く追求しながらも、余分な説明は削ぎ落とし、多くのエピソードを組み込んでいます。同じ部屋(雑居房)の受刑者6人の話という構成ですが、信欣三が演じる男がやはり手を下したくなかった処刑で人を殺めてしまった苦悩から狂い死ぬ(自殺)という凄絶な場面が早々にあり、あとは5人になります。

壁あつき部屋3.jpg その5人の中心となる浜田寅彦演じる山下は、戦地で疑心暗鬼に駆られた上官に現地人の殺害を命じられたわけですが、その現地人は部隊が食料も無くジャングルを彷徨い歩いていたところを助けてくれた言わば命の恩人であり、山下自身は上官に抗議するも、それでも殺害命令に従わなければ反逆罪として銃殺すると言われて、失意の中で恩人の命を奪ったものでした。

壁あつき部屋m5.jpg それが戦犯として裁かれる際に、上官の方は偽証により罪を全て山下になすりつけ、山下には瞬く間に死刑判決が下って、現地で執行ぎりぎりのところで刑を減免されて巣鴨刑務所に送致されたわけです。そこではまた人間扱いされず不当な処遇のもと強制労働させられる「BC級戦犯」が多く収容されていて、中には精神を病む者もいる状況。この山下の自身が置かれた理不尽な状況は、カフカ的不条理の世界にも通じ、その辺りが安部公房なのかなとも思いました。

 戦争の現地である南方での裁判において、アメリカ人らが報復にも近い形で日本人を裁き処刑していく場面があり(処刑も残酷だが、それを日本人捕虜に見せるのも残酷!)、銃殺後に現地に遺体をぞんざいに埋葬するため、現地人の反感を買うという、こうした自分本位の「正義」を振りかざして現地人の反感さえ買うアメリカ人の横暴が描かれているところが、松竹の上層部がGHQの検閲を恐れた由縁ではないかと思われます。
    
壁あつき部屋 岸恵子.jpg壁あつき部屋 ポスター.jpg この映画は社会派作品であることは確かですが、今の時代でも人の心を揺さぶるような戦争というものの根本に迫った作品でもあります(且つ、壁あつき部屋17.jpgカフカ的不条理の世界にも通じるということか)。一時的に出所を許された山下は、世の中がすっかり平和ムードに変化しているのに驚かされますが、一方で、横田が戦時中、唯一人間らしく優しい少女だと感じたヨシ子は、戦後は米兵に体を売る女となっていて、心もすれっからしになっており、そこにも戦争の悲劇が縮図として組み込まれています。岸惠子が、戦時中の可憐な少女と、戦後の淪落した女性の両方を演じ分けています。

私は貝になりたい2.jpg私は貝になりたい 1958.jpg もともとこの雑居房の6人は普通の市井の善良な市民であり、それがいわれなき罪を負わされて重い刑に服しているわけです。無実の人間が戦犯とされてしまう話としては、「壁あつき部屋」と同じように、戦争中に上官の命令で捕虜を刺殺した理髪店主が、戦後C級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描いた「私は貝になりたい」('59年/東宝)があります。もともと1958年10月にテレビ放映された作品が、芸術賞受賞をきっかけに翌年4月に映画化されたもので、監督はTV版の脚本を書いた橋本忍です(橋本忍にとっての初監督作品)。
私は貝になりたい <1958年TVドラマ作品> [DVD]
私は貝になりたい」 508.jpg私は貝になりたい」tbs.jpg<1958年TV版> ラジオ東京テレビ(KRT/現TBS)(第13回芸術祭文部大臣賞受賞)〈出演〉フランキー堺/清水房江/桜むつ子/平山清/高田敏江/佐分利信(特別出演)/大森義夫/原保美/南原伸二(特別出演)/清村耕次/熊倉一雄/小松方正/内藤武敏/恩田清二郎/浅野進治郎/増田順二/坂本武/十朱久雄/垂水悟郎/河野秋武/田中明夫/ジョージ・A・ファーネス(特別出演)/佐野浅夫/梶哲也/織本順吉
「私は貝になりたい」<1959年映画作品>
私は貝になりたい 1959 vhs.jpg こちらは、主人公の理髪店主・豊松(フランキー堺)が戦後やっとの思いで家族のもとに戻り、理髪店で再び腕を揮い、やがて二人目の子供を授かったことを知私は貝になりたい 1959 01.jpgり平和な生活が戻ってきたかに思えた―その時、突然やってきたⅯP(ミリタリーポリス)に従軍中の事件の戦犯として逮捕されてしまうというもので、しかも最後は死刑になるという結末であるため、相当にヘビーです。

私は貝になりたい 1959 2.jpg いかにも橋本忍っぽい脚本に思えなくもないですが、こちらもBC級戦犯・加藤哲太郎の巣鴨獄中手記「狂える戦犯死刑囚」が一部モチーフとなっていて、そこには「私は貝になりたいと思います」という囚人の切実な叫びが綴られています(加藤哲太郎自身は、絞首刑→終身刑→有期刑と減刑されている)。

私は貝になりたい 所1.jpg私は貝になりたい 所2.jpg 「壁あつき部屋」は、北千住・シネマブルースタジオでの「戦争の傷跡特集」で観ました。「私は貝になりたい」と観比べてみるのもよいかと思います。「私は貝になりたい」はその後、1994年に所ジョージ主演でテレビドラマ・リメイク版が放送されたほか、2008年に福澤克雄監督、中居正広主演で再映画化されています。
「私は貝になりたい」<1994年TVドラマ化作品>所ジョージ/田中美佐子
私は貝になりたい 所011.jpg私は貝になりたい vhs.jpg<1994年TV(所ジョージ)版> TBS(第43回日本民間放送連盟賞ドラマ番組部門優秀受賞)〈出演〉所ジョージ/田中美佐子/長沼達矢/瀬戸朝香/津川雅彦/春田純一/桜金造/柳葉敏郎/渡瀬恒彦/矢崎滋/石倉三郎/杉本哲太/森本レオ/三木のり平/室田日出男/すまけい/小宮健吾/小坂一也/段田安則/竹田高利/寺田農/尾藤イサオ/ラサール石井


シネマ ブルースタジオ 戦争の傷跡 特集.jpg壁あつき部屋 (1956).jpg「壁あつき部屋」●制作年:1956年●監督:小林正樹●脚本:安部公房●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●原作:「壁あつき部屋―巣鴨BC級戦犯の人生記」●時間:110分●出演:浜田寅彦/三島耕/下元勉/信欣三/三井弘次/伊藤雄之助/内田良平/林トシ子/北竜二/岸惠子/小沢栄太郎/望月優子/小林幹/永井智雄/大木実/横山運平/戸川美子●公開:1956/10●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-10-12)(評価:★★★★)
       
私は貝になりたい 1959 tokoya.jpg「私は貝になりたい」●制作年:1959年●監督・脚本:橋「私は貝になりたい」95.jpg本忍●製作:藤本真澄/三輪礼二●撮影:中井朝一●音楽:木佐藤勝●原作:(物語、構成)橋本忍/(題名、遺書)加藤哲太郎●時間:113分●出演:フランキー堺/新珠三千代/菅野彰雄/水野久美/笠智衆/中丸忠雄/藤田進/笈川武夫/南原伸二/藤原釜足/稲葉義男/小池朝雄/佐田豊/平田昭彦/藤木悠/清水一郎/加東大介/織田政雄/多々良純/桜143865267608226030179_PDVD_006_20150804104437.jpg143867866083089746178_PDVD_008_20150804175741.jpg井巨郎/加藤和夫/坪野鎌之/榊田敬二/沢村いき雄/堺左千夫/ジョージ・A・ファーネス●1「私は貝になりたい」笠智衆.jpg143868414555329634178_PDVD_010_20150804192906.jpg公開:1959/04●配給:東宝●最初に観た場所:高田馬場・ACTミニシアター(84-12-09)(評価:★★★★)

加東大介(豊松に赤紙を届ける町役場職員・竹内)
笠智衆(教誨師の小宮)/フランキー堺(清水豊松)/藤田進(豊松の元上官(軍司令官)矢野中将)

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夫婦の危機と再生。昭和サラリーマンの悲哀。小津にはこういう映画をもっと撮って欲しかった。

「早春」dvd.jpg 早春 (ラーメン.jpg 早春 dvd.jpg 早春 淡島千景 池部良.jpg
あの頃映画 松竹DVDコレクション 「早春」」岸恵子・池部良「早春 デジタル修復版 [DVD]」池部良・淡島千景  

早春 1956 通勤.jpg 杉山正二(池部良)は蒲田から丸ビルの会杜「東亜耐火煉瓦」に電車通勤するサラリーマンで、結婚後8年の妻昌子(淡島千景)とは、子供を疫痢で失って以来互いにしっくりいかないものを感じている。毎朝同じ電車に乗り合わせることから親しくなった通勤仲間に、青木(高橋貞二)、辻(諸角啓二郎)、野村(田中春男)たち、それに「キンギョ」という綽名の金子千代(岸惠子)がいて、正二は退社後は男仲間で麻雀にふけるのが日課のようになっていた。昌子は毎日の単調を紛らわすため、荏原中早春 1956.jpg延の実家に帰り、小さなおでん屋をやっている母のしげ(浦邊粂子)に愚痴をこぼしていた。杉山は、通勤仲間で日曜に江ノ島へハイキングに出かけたのを機に千代と急接近し、千代の誘惑に屈して一夜を共にしてしまう。それが他の仲間早春 (1956年の映画)awasihima.jpgに知れて、千代は仲間に吊し上げられ、その辛さを杉山の胸に縋って訴えるが、杉山はそれを持て余す。一方、夫と千代の秘密を見破った昌子は家を出る。その日、杉山は会社の同僚で前夜に見舞ったばかりの三浦(増田順二)の早春 池部良 笠智衆 山村聰.jpg死を聞かされ、サラリーマン人生に心から希望を託していた男だっただけに、その死は杉山に暗い影を落とす。仕事面でも家庭生活でも杉山はこの機会に立ち直りたいと思い、丁度話に出た岡山県三石の工場への転勤内示を受諾し、千代との関係を清算して田舎へ行くのもいいかもしれないと考える。一方、昌子は家を出て以来、旧友の婦人記者の富永栄(中北千枝子)のアパートに同居して、杉山からの電話にさえ出ようとしない。杉山は三石の工場に単身で赴任する途中に大津に寄り、仲人の小野寺(笠智衆)を訪ね助言を得る。山に囲まれた侘しい三石に着任して幾日目かの夕方、杉山が工場から下宿に帰ると―。

早春 1956 .jpg 小津安二郎監督の1956年監督作で、当時の若者向けに撮ったと言われているそうです。サラリーマンとして自宅と会社を往復するだけの生活だった杉山(池部良)が、ちょっとしたきっかけから通勤仲間の千代(岸恵子)と関係を持ってしまう、などといったことは今でもありそうですが、密会を重ねるうちに、二人の関係が社内で噂となり、(社内不倫ではないのに)同期社員らに詰問されてしまうというのは、昭和的かもしれません(今の若者はプライバシー問題を気にしてそこまでおせっかい焼かないのでは)。そもそも、通勤仲間でハイキングに行ったのが契機になったというのにも昭和的なものを感じます。

早春 岸恵子 池部良.jpg

 この映画には、もう一人、戦後のニュータイプの女性が出てきて、それは、昌子が家を出てそのアパートに駆け込んだ旧友の婦人記者(中北千枝子)で、夫に早く死なれて一人住まいを余儀なくされながらも、経済的には自立している女性です。基本的には"伝統的"な家庭女性と思われる昌子も、彼女のバイタリティに感化されてか、家を出てもそう暗くならず、杉山からの電話も出ようとしません。

 これらに比べると、杉山の方は、前夜に見舞ったばかりの会社の同僚に死なれるなどして、そこへ妻に出奔されて終始暗い感じ。更にそこへ、会社からの地方への転勤の打診といった具合に、内憂外患の状況に。もともと、大恋愛で結婚したらしい夫婦ですが、昌子が何年か前に産んだ子が死産だったこともあり、夫婦仲が淡泊になっていたところに、杉山の不倫問題があって(千代に「奥さん、怖い?」と訊かれて「ああ、怖い」と答えているのに不倫してしまった)、これはまさに離婚の危機と言えるでしょう。

でも、家庭のことを考えながら、仕事のことも考えなければならないのがサラリーマン。杉山は今の会社で出世コースなのか、ゴル早春 山村聡.jpg フをやる総務部長(中村伸郎)から声をかけられる存在です。一方、違った生き方をする人物もいて、それが会社の先輩で仲人もやってもらった小野寺(笠智衆)と同期の阿合(山村聰)早春 東野英治郎.jpgで、彼は会社を辞めて今は喫茶店・バーを経営していて(常連客に定年間際の東野英治郎!)、要するに「脱サラ」したのだと思われますが、会社一筋とは違った男の生き方もこの映画では見せています。
山村聰(杉山のかつての上司・阿合豊)/東野英治郎(阿合の店の客・服部東吉)

早春 1956 中村.jpg 興味深く観れました。不倫を扱っていますが最後はハッピーエンドでしょうか(そう言えば、「風の中の牝雞」('48年)も「お茶漬の味」('52年)も「雨降って地固まる)」的映画だった」。娘が嫁にいくかいかないかといった話よりは起伏があり、小津にはこういう作品をもっと撮って欲しかった気もします。興味深く観ることが出来た理由の一つとして、当時のサラリーマン事情がよく分かる映画だったということがあります。杉山の勤務する会社が丸ビルにあるということは、当時で言えば一流会社なのでしょう。杉山に転勤の内示が出てからほどなくして、複数名の労働組合の幹部が杉山のところへ来て「(転勤命令を)受けるかどうかよく考えて」とアドバ早春 池部良 笠智衆.jpgイスするというのにも時代を感じました(内示の段階で組合に知らされているのか?)。仲人をしてもらった人に人生相談するというのもある意味昭和的かも。

笠智衆(杉山の仲人・小野寺) 

 描写がしっかりしている小津映画を観るということは、「昭和」という時代を確認することにもなると思いますが、後期の作品は、家庭内のことはよく描かれているものの、会社のことは、この人たち(主に重役たち)仕事しているの? みたいな印象もあります。そうした中で、この作品は、昭和のサラリーマン悲哀物語とも言え(もちろん今のサラリーマンに通じるところもある)、小津映画の中ではちょっと面白い位置にあるように思います。

杉村春子(杉山家の隣人・田村たま子)   三井弘次・加東大介(杉山の戦友)
早春 杉村春子.jpg 早春 加東大介 三井弘次.jpg
宮口精二(たま子の夫・精一郎)      中村伸郎(総務部長)
早春宮口精二.jpg 早春 中村伸郎.jpg
岸惠子(「キンギョ」こと金子千代)
早春 岸恵子.jpg早春 (1956年の映画).jpg「早春」●制作年:1956年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧/小津安二郎 ●撮影:‎厚田雄春●音楽:斎藤高順●時間:144分●出演:池部良/淡島千景/浦辺粂子/田浦正巳/宮口精二/杉村春子/岸惠子/高橋貞二/藤乃高子/笠智衆/山村聰/三宅邦子/織田順二/長岡輝子/東野英治郎/中北千枝子/加賀不二男/田中春男/糸川和広/長谷部朋香/諸角啓二郎/荻いく子/山本和子/中村伸郎/永井達郎/三井弘次/加東大介/菅原通済/村瀬禅/杉田弘子/山田好一/川口のぶ/竹田法一/島村俊雄/谷崎純/長谷部朋香/末永功/南郷佑児/佐々木恒子/千村洋子/佐原康/稲川善一/鬼笑介/今井健太郎/松野日出夫/峰久子/鈴木康之/叶多賀子/井上正彦/千葉晃/山本多美/太田千恵子/中山淳二●公開:1956/01●配給:松竹(評価:★★★★)

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主人公を男性から女性に変えて成功したとも言えるし、原作と別物になったとも言える。

06『顔』.jpg 顔 映画 0.jpg 顔 (1956年) (ロマン・ブックス).jpg 『顔・白い闇』.JPG
<あの頃映画> 顔 [DVD]」岡田茉莉子/大木実『顔 (1956年) (ロマン・ブックス)』(顔/殺意/なぜ「製図」が開いていたか/反射/市長死す/張込み)『顔・白い闇 (角川文庫)』(顔/張込み/声/地方紙を買う女/白い闇)
顔 (1956年) (ロマン・ブックス)
『顔』ロマン・ブックス.jpgchapter_l_0001.jpg 東海道線の夜行列車にある男が乗り込み、そこである女を見つける。その女・水原秋子(岡田茉莉子)は、元は安酒場で働いていたが、ふとしたことでファッションモデルの幸運を掴みこれを手放すまいと懸命になっていた。一方の男・飯島(山内明)は無免許の堕胎医だった。秋子はプロ野球二軍選手の江波(森美樹)と結婚しようとしていたが、飯島は酒場時代の秋子の古傷に触れ彼女を苦しめていたのだ。飯島は、秋子の大阪でのショーの帰りを追って夜行列車に乗り込んだのだが、洗面所で秋子と口論となり、揉み合いになって列車から落ち、付近の病院に搬送されるも間もなく死亡する。警察chapter_l_0002.jpgは事件を軽く見たが、長谷川刑事(笠智衆)は何かあると確信、病院の死体置場に贈主不明の花束が届いたことから疑念を深め、列車の乗客で事件の目撃者である石岡三郎(大木実)に辿り着く。石岡は洗面所で秋子の顔を見たという。その新聞記事を見て秋子はモデルをやめ、江波と田舎に帰る決心するが、秋子の最後のショーに、長谷川刑事が石岡を連れて首実検に来る。驚く秋子だったが、石岡は犯人はいないと刑事に告げる。chapter_l_0003.jpg止むなく警察は石岡を尾行したがマカれてしまう。その頃、秋子のアパートでは江波が田舎へ行くため荷造りをしていた。そこへ石岡が現れ、秋子はいなかったが、去り際に表で帰って来た秋子に会う。石岡は秋子を旅館に連込み脅迫したが、そこを出た途端トラックに轢かれ死ぬ。秋子がアパートに戻ると、江波は石岡との関係を難詰、別れると言い出す。秋子は、呆然として外に出た。長谷川刑事らは漸く飯島殺し犯人として秋子を突止める。夜の銀座を彷徨う秋子。それをパトロールカーのサイレン音がけたたましく追う―。

 原作は、「小説新潮」1956(昭和31)年8月号に掲載され、同年10月、講談社ロマン・ブックスより刊行された松本清張による初の推理小説短編集の表題作となり(所収作品:顔、殺顔 1957年 okada31.jpg意、なぜ「星図」が開いていたか、反射、市長死す、張込み)、この短編集は1957(昭和32)年・第10回「日本探偵作家クラブ賞(第16回以降「日本推理作家協会賞」)」を受賞作しています。
岡田茉莉子
右から岡田茉莉子(水原秋子)・笠智衆(長谷川刑事)・大木実(石岡)
顔  大木 岡田 笠智衆.jpg ただし、原作の「顔」の主人公はファッションモデル女性ではなく、井野良吉という劇団員で、最近味のある役者として人気が出てきて、映画出演も決まり始めた男性です(つまり映画は主人公の性別を改変している)。実は彼は過去に女性を旅行に誘って殺害しようとして目的を果たすも、その土地に向かう途中の列車内で女性が知り合いの男性と出会ったところから二人でいるのを目撃されたため、今度はその男を理由をつけて旅行に誘い出し、殺害しようとします。ところが、その誘いを訝った男性は警察に相談し、警察は井野が犯人と確信、その旅行についてきて、旅館が井野と同宿だったために鉢合わせに。そこで実質的に首実検の状況になったわけですが、ところが、男には井野が自分が列車内で見た人物と同一人物には見えない! 見えないから当然、コイツが犯人だととも言えない(この点が、石岡が秋子を同一人物と分かりながらも、後で脅迫するために、その場では「犯人はここ中にはいない」と刑事に言っている映画とは大きく異なる)。

 結局、最終的には偶然どこかで井野が犯人であることが男にはわかるわけで、どこで分かるかは読んでのお楽しみですが、人間の記憶の機微を扱った短編らしいモチーフの作品です。ただし、このままだと映画になりにくい短編でもあるので、主人公を男性から女性に変えて、サイドストーリーを幾つも付け足して映画として"見栄えある"ものにしたとも言えるし、原作のモチーフを映画では活かしていないので、原作と別物になったとも言えるかと思います。

 原作者の松本清張は、自分の短編が映像化する際に話を膨らますことについては鷹揚であったようで、むしろ、短編をどうやって1時間半なり2時間なりの物語に加工するかこそが映画監督らの力量とみていたようです。自身の短編の映画化作品で最も評価していたのは、野村芳太郎監督の「張込み」('58年/松竹)だったようで、「原作を超えている」と言っていたそうですが、この「顔」についてはどうだったのでしょうか。個人的には、原作を超えたとまでは言い難いですが、まずまずだったように思います。ただし、原作のモチーフを活かしていので、「別物」として"まずます"ということになります。

 映画の中で、石橋湛山が自民党総裁で岸信介と争って勝った出来事が銀座のビルのテロップニュースで流れる場面がありますが、これは1956年12月のことで、岸信介に7票差で競り勝って総裁に当選した石橋湛山は、12月23日に内閣総理大臣に指名されています。原作が「小説新潮」1956年8月号に掲載されたもので、この映画の公開が1957年1月22日なので、撮影時の時事ネタを織り込んだといったところでしょうか。それにしても、雑誌の8月号に発表された短編が翌年1月には映画になるなんて、当時の松本清張の人気を窺わせます。ただし、過去に10回以上ドラマ化されていますが、映画化作品はこの大曽根辰夫監督の作品のみです。

・1958年「顔」(日本テレビ)三橋達也(井野)・花柳喜章(石岡)
・1959年「顔」(KRテレビ(現TBS))天本英世(井野)・高野真二(石岡)
・1962年「松本清張シリーズ・顔」(NHK)南原宏治・松宮五郎
・1963年「顔」(NET(現テレビ朝日))大木実(井野)・大坂志郎(石岡)
・1966年「松本清張シリーズ・顔」(関西テレビ・フジテレビ)山崎努・内田稔
・1978年「松本清張おんなシリーズ・顔」(TBS)大空真弓(井野)・織本順吉(石岡)
・1978年「松本清張の「顔」」(テレビ朝日)倍賞千恵子(井野)・財津一郎(石岡)
・1982年「松本清張の「顔」」(TBS)烏丸せつこ・浅茅陽子
・1999年「「松本清張特別企画・顔」(TBS)戸田菜穂 (井野)・斉藤慶子(石岡)
・2009年「松本清張ドラマスペシャル 顔」(NHK)谷原章介(井野)・高橋和也(石岡)
・2013年「松本清張スペシャル 顔」(フジテレビ) 松雪泰子・田中麗奈・坂口憲二

「松本清張ドラマスペシャル 顔」(2009年・NHK)谷原章介/「松本清張スペシャル 顔」(2013年・CX)松雪泰子
松本清張ドラマスペシャル 顔.jpg松本清張SP--松雪泰子の「顔」.jpg

  
   
顔 映画00.jpg「顔」okada.jpg「顔」●制作年:1957年●監督:大曽根辰夫●脚本:井手雅人/瀬川昌治●撮影:石本秀雄●音楽:黛敏郎●原作:松本清張「顔」●時間:104分●出演:岡田茉莉子/大木実/笠智衆/森美樹/宮城千賀子/佐竹明夫/松本克平/千石規子/小沢栄(小沢栄太郎)/山内明/細川俊夫/内田良平/永田靖/乃木年雄/草島競子/永井秀明/十朱久雄/笹川富士夫/高村俊郎●公開:1957/01●配給:松竹(評価:★★★☆)
顔 映画 dvd.jpg

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「ゼロの焦点」('58年)の女性主人公へと繋がる「声」('56年)、「白い闇」('57年)。

『顔・白い闇』.JPG 白い闇 (1957年) (角川小説新書).jpg  松本清張短編全集〈第5〉声 (1964年).jpg 声―松本清張短編全集〈5〉 (カッパ・ノベルス).jpg
顔・白い闇 (角川文庫)』(顔/張込み/声/地方紙を買う女/白い闇)『白い闇 (1957年) (角川小説新書)』(白い闇/一年半待て/地方紙を買う女/共犯者/声)『松本清張短編全集〈第5〉声 (1964年) (カッパ・ノベルス)』(声/顔/恋情/栄落不測/尊厳/陰謀将軍)『声―松本清張短編全集〈5〉 (カッパ・ノベルス)』['02年]

 新聞社で電話の交換手・高橋朝子は、数百人の声を聞き分けられるベテラン。ある日、社会部の石川汎に頼まれて、赤星という姓の学者に電話をかけるが、太く厭らしい声で電話を切られてしまう。電話帳を見誤り、同じ赤星姓でもまったくの別人にかけてしまったとすぐに分かったが、不快なので、間違えた方の住所を見てみると、世田谷の邸町であった。帰宅し夕刊を開いた朝子は、世田谷の赤星邸で強盗殺人事件が起こったことを知る。朝子は警察に出頭し電話の件を伝えたが、犯人の手掛かりは掴めない。ところが、月日は流れたある日、結婚して離職した彼女の耳に、あの電話の声の主が...。声の持ち主は意外なところから朝子のもとに現われる―。(声)

 信子の夫の精一は、仕事で北海道に出張すると言って家を出たまま失踪した。夫の身を案ずる信子は、精一の従弟・高瀬俊吉の助言に従い、夫の仕事関係の炭鉱会社に電報を打つが、北海道には一度も来ていないと返事が来る。信子は俊吉に結果を報告したが、俊吉から、実は精一には青森に田所常子という隠れた女がいるとの思いがけない"夫の裏切り"を聞かされる。信子は青森に向かい女と対峙するが、却って田所常子に圧倒されてしまう。病人のようになって東京へ帰った信子を俊吉はいたわるが、その二ヵ月後、思いがけない事件が発生する。俊吉が連れてきた田所常子の兄だという白木淳三という仙台の旅館経営者が、田所常子は青森県の十和田湖に近い奥入瀬の林の中で死体で発見されたという。田所常子を殺害したのは夫・精一なのか。その精一はいまどこにいるのか―。(白い闇)

「影なき声」0.jpg 「声」は、文庫で80ページほどの短編で、「小説公園」1956(昭和31)年10月号・11月号に連載され、1957年2月に『森鴎外・松本清張集』(文芸評論社・文芸推理小説選集1)収録の一編として刊行されています。また、鈴木清順監督、二谷英明(石川汎)、南田洋子(朝子)主演で「影なき声」('58年/日活)として映画化されるとともに、1950年代から70年代にかけて5回テレビドラマ化されています。

「影なき声」('58年/日活)南田洋子・二谷英明

 「白い闇」は、文庫で70ページ弱の短編で、「小説新潮」1957(昭和32)年8月号に掲載され、1957年8月に短編集『白い闇』収録の表題作として、角川書店(角川小説新書)より刊行されています。こちらは、映画化はされていませんが、50年代から00年代にかけて8回テレビドラマ化されています。

 何度もドラマ化されていることからも窺えるように、共に傑作です。短編集『白い闇』所収作では、「一年半待て」が2016年までに12回、「地方紙を買う女」が9回ドラマ化されていますが、内容的にもそれらに比肩し得るレベルにあると思います。「声」は時間差トリックが秀逸で、「白い声」は誰が味方で誰が敵かという点でほとんどの読者を欺いてみせるのではないかと思います。

 この両作品の特徴は、平凡な女性である主人公が、警察に頼らず独力で事件の謎を解こうとする点で、そこで思い出されるのが「ゼロの焦点」('58年発表)です。「ゼロの焦点」も、夫が単身赴任先の北陸で行方不明になり、妻・が単身捜査に乗り出す過程で夫の二重生活が浮き彫りになってくるというものなので、「白い闇」と少し似ています。

 三作とも女性が主人公ですが、「声」では、主人公の朝子は、事件に深入りしたばかりに犯人グループの犠牲になり、あとは警察が事件を解決することになり、「白い闇」では、主人公の朝子は、犯人を見抜くことが出来たものの、霧深い湖のボートの上で犯人と対峙し、最後は危うく犯人に殺害されかけます。それに比べると、「ゼロの焦点」の女主人公・板根禎子は、やはり断崖絶壁の上で犯人と対峙しますが、二人きりではなくそこにもう一人の人物がいて、自らが犯人に崖から突き落とされるということにはなりません。

 こうしてみると、「声」('56年)、「白い闇」('57年)から「ゼロの焦点」('57年)へと女性主人公が進化してきている(推理小説として洗練されてきている)ように思えました。「声」「白い闇」は、名作「ゼロの焦点」へと繋がる作品でもあるように思いました。

「影なき声」posuta-.jpg「影なき声」1.jpg「影なき声」●制作年:1958年●監督:鈴木清順●脚本:佐治乾/秋元隆太●音楽:林光●撮影:永塚一栄●原作:松本清張「声」●時間:92分●出演:二谷英明/南田洋子/高原駿雄/宍戸錠/芦田伸介/金子信雄/高品格●劇場公開:1958/10●配給:日活
二谷英明/南田洋子   

●「声」ドラマ化
・1958年「声」(KRテレビ(現TBS))佐野周二・三井弘次・藤間紫
・1959年「声」(フジテレビ)千典子・飯沼慧
・1961年「声」(TBS)福田公子・岩井半四郎
・1962年「声」(NHK)小山明子・松本朝夫・三島耕
・1978年「松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き」(テレビ朝日)音無美紀子・秋野太作・泉ピン子・米倉斉加年

●「白い闇」ドラマ化
・1959年「白い闇」(KRテレビ(現TBS))乙羽信子・高橋昌也・金子信雄
・1998年「白い闇」(フジテレビ)日野明子・真木祥次郎・入川保則
・1961年「白い闇」(TBS)月丘夢路・井上孝雄・山茶花究
・1962年「白い闇」(NHK)吉行和子・金内吉男・鈴木瑞穂
・1977年「白い闇」(TBS)吉永小百合・草刈正雄・二木てるみ・井上孝雄
・1980年「松本清張の白い闇・十和田湖偽装心中」(テレビ朝日)音無美紀子・津川雅彦・速水亮
・1996年「松本清張ドラマスペシャル・白い闇 十和田湖奥入瀬殺人事件」(テレビ東京)大竹しのぶ・加勢大周・寺田農
・2005年「黒革の手帖スペシャル〜白い闇」(テレビ朝日)米倉涼子・豊原功補・岡本健一
松本清張傑作選 2 白い闇 [レンタル落ち]」「白い闇」(1977年/TBS)吉永小百合・草刈正雄
1977年「白い闇」(TBS)dsd.jpg 1977年「白い闇」(TBS).jpg
「黒革の手帖スペシャル〜白い闇」(2005年/テレビ朝日)米倉涼子・豊原功補
黒革の手帖スペシャル〜白い闇0.jpg 黒革の手帖スペシャル〜白い闇.jpg


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読書案内を兼ねた"読書半生記"。人文専攻ネタ、松波信三郎ゼミネタで懐かしくなってしまった。

新書百冊 新潮新書.jpg  坪内祐三2.jpg 新潮新書 新書百冊.jpg
新書百冊(新潮新書)』坪内 祐三(1958-2020)

 本書の著者で、今年['20年]1月に61歳で亡くなった評論家・エッセイストの坪内祐三(1958年生まれ)は、本好き、古本好き、神保町好きとしても知られていましたが、その著者が、自らの半生の折々に読んできた新書百冊を重ねて振り返ってコラムとして綴った"読書半生記"です(エッセイとも言えるか)。

 タイトルから「読書案内」的なものを想像する人もいるかと思いますが、その要素もしっかり満たしていて、文中で取り上げた百冊の新書が、巻末に「百冊リスト」として章ごとに整理されています。ただし、その他にも多くの本を紹介していて、「新書百冊」にそれらを含めた約300冊の書名索引もそのあとに付されています。

 いい本を選んでいるなあという印象で、古本が多いせいか、岩波新書・中公新書・講談社現代新書の「新書御三家」が占める割合が高くなっています。「講談社現代新書のアメリカ文化物は充実していた」(第4章)というのは確かに。かつては岩波新書・中公新書・講談社現代新書の3つが、一般向け新書では絶対的代表格でリジッドなイメージがありました。

 自伝的エッセイっぽい印象を受けるのは、例えば第1章が「自らの意志で新書を読み始めた頃」、第2章が「新書がどんどん好きなっていった予備校時代」というふうになっていたりするためで、御茶ノ水での浪人生活を振り返り、「私が通っていた御茶ノ水の駿台予備校は、当時、単なる受験合格のテクニックではなく、もっと本質的な「学問」を教えてくれた。特に英文解釈の奥井潔先生の授業はいつも心待ちにした。教壇で奥井先生は例えばT.S.エリオットやポール・ヴァレリーの文学的意味について語ってくれた」といった下りは、その頃浪人生活を送り、駿台予備校で学んでいた人などは懐かしくて仕方がないのでは。

 と思って読んでいたら、「浪人時代の多読が功を奏して(?)」早稲田大学第一文学部に入学し、2年次の専攻分けで、学問の多様化を見据え、オール―ジャンルの学科の授業に出席できる人文専攻を選んだとのこと(本当は1時限目の授業や原書購読が無いことが理由であったとも)。実は自分も同じ大学・学部・専攻であり、そのことは以前から知っては知ってはいたものの、人文専攻を選んだ理由もほぼ同じであることを改めて知りました。

存在と無下.jpg存在と無 上.jpg さらに、第5章では、人文専攻のゼミで『存在と無』を読まされ、教官はその本の翻訳者の松波信三郎で、「全然歯が立たなかった」とありますが、自分も同じ頃このゼミを受けました。松波信三郎先生の講義は『存在と無』をものすごいスピードで読み下して解説するので、講義中にかなりの集中力を要したように記憶します。毎回の授業がそんな感じで進められ、それを丸々1年かけてやるのですが、『存在と無』そのものがかなり大部な本なので、結局、本の要所要所を押さえはするものの、全部は読み通せませんでした。

 松波信三郎先生は大男だったとのこと(そうだったかも)、躰の大小の違いはあるが風貌はサルトルに似ていたとのこと(言われればそうだったかも)。なんだか、早大一文(「第一文学部」という呼称は今は無い)ネタ、人文専攻ネタ、松波信三郎ゼミネタで懐かしくなってしまいましたが、著者の方は修士課程に進んだのだのだなあ。

 著者の社会人としてのスタートは雑誌「東京人」の編集者であり、その後次第に書き手としての本領を発揮していくことになりますが、ベースにしっかりした読書体験があることを改めて感じました。本書で紹介されている本には絶版本も多いですが、今はほぼネットの古本市場で入手可能です。それにしても、一方で1996年から「週刊文春」で「文庫本を狙え!」の連載を亡くなる前まで続けていて、こちらの方は文庫の新刊を追っていたわけですから、改めてスゴイなあと思います。

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本当に「傷だらけ」になったなあ、カミーユ警部。シリーズを終わらせるところまでいくとは...。

Sacrifices (A.M.THRIL.POLAR) (French Edition).jpg傷だらけのカミーユ.jpg Pierre Lemaitre.jpg
Sacrifices (A.M.THRIL.POLAR) (French Edition)『傷だらけのカミーユ (文春文庫)』 Pierre Lemaitre(2014)

 妻を失って5年、ようやく立ち直りかけたカミーユ。ところが恋人のアンヌがたまたま事件に巻き込まれ、二人組の強盗に殴られ瀕死の重傷を負う。アンヌの携帯の連絡先のトップにカミーユの電話番号があったため、警察からカミーユに電話があり、カミーユは病院に駆けつけ、アンヌとの関係を誰にも明かすことなく、事件を担当することにする。しかしながら、強引なうえに秘密裏の捜査活動は上司たちから批判され、事件の担当を外されるどころか、刑事として失格の烙印さえ押されそうになる―。

 2012年10月原著刊行のピエール・ルメートルの、『悲しみのイレーヌ』『その女アレックス』に続くカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの第三作であり(原題:Sacrifices)、シリーズ完結編となるとのことです。英国推理作家協会賞のインターナショナル・ダガー賞を2013年に受賞した『その女アレックス』に続いて、この作品でも2015年のインターナショナル・ダガー賞を受賞しています。また日本では、2016年「週刊文春ミステリーベスト10」の第1位となり、『その女アレックス』『悲しみのイレーヌ』に続く3年連続の第1位でした(別冊宝島の「このミステリーがすごい!」(2016年)では第2位、早川書房の「ミステリーが読みたい!」(2017年)では第5位)。

 時系列でいうと、『その女アレックス』のすぐあとの事件ですが、本書で繰り返し言及されるのは、悲劇的な死をとげたイレーヌのことです(日本では、翻訳の順序が『その女アレックス』→『悲しみのイレーヌ』と逆になった)。ようやく立ち直りかけたカミーユに襲いかかる新たな悲劇! これ、ほとんどの読者は完全に騙されると思いますが、プロットのこと以上に、作者というのはここまで主人公を苛めるものなのかなあと考えてしまいました。

 事件は解決しても、カミーユは本当に「傷だらけ」になったなあ。警察も辞めることになり、シリーズもこれで終わらせるということだそうで、そこまで普通やるかね。アガサ・クリスティはエルキュール・ポワロのことを好きではなかったと言われていますが、この作者もこの物語の主人公である身長145㎝のカミーユ・ヴェルーヴェン警部のことをあまり好きではないのかも、と思ってしまいました。

 ただ、後に作者はシリーズの復活も示唆しており、今のところ個人的にはこのシリーズとは相性がイマイチですが(すべてにおいてカミーユ警部が強引すぎる)、新作が出れば読んでみるかもしれません。

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漫画化作品の中で群を抜く、近藤ようこ版「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」。

桜の森の満開の下 (岩波現代文庫).jpg 夜長姫と耳男 (岩波現代文庫).jpg 桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫).jpg  桜の森の満開の下・夜長姫と耳男 (ホーム社漫画文庫).jpg
桜の森の満開の下 (岩波現代文庫)』『夜長姫と耳男 (岩波現代文庫)』『桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)』(「夜長姫と耳男」所収)『桜の森の満開の下・夜長姫と耳男 (ホーム社漫画文庫)
桜の森の満開の下・白痴 他12篇 (岩波文庫)
桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫).jpg 主人公の山賊が住む鈴鹿の山奥には桜の木がたくさん茂っており、山賊はそれらに対し、理由がわからないまま不安を感じている。ある時、山道を非常に美しい女が通り、山賊は、女と一緒にいた旦那を殺して女を自分の妻にする。妻は都から来たもので、山での生活に何かと不平不満を言う。そして遂には山賊を都に連れて行き生活を始める。都での妻は大変楽しそうだった。山賊に頼んで獲ってきてもらった人の首で、ごっこあそびにふけっていた。対する山賊は次第に退屈になり、同時に妻に嫌気もさし始めたため、山へ帰ろうと決める。その旨を伝えると妻は連れて行ってくれと頼む。しかし妻は、一時ついていくものの、いずれまた都に連れ帰ってこようと考えていたのだ。山賊が妻を負ぶって山へ向かう道中、いつの間にか背中にいたのは鬼だった。襲われた山賊は鬼を殺す。しかしそこにあるのは鬼ではなく妻の死体だった。死体は桜の花びらへと変わり、孤独を知った山賊自らも花びらへと変わって消えてゆくのだった―。

IM桜の森の満開の下8.jpg 昭和22(1947)年6月、当時40歳の坂口安吾(1906-1955)が雑誌『肉体』創刊号に発表した短編小説「桜の森の満開の下」(さくらのもりのまんかいのした)は、坂口安吾代表作の一つで、「堕落論」と並んで読まれており、傑作と称されることの多い作品です。

 作品の魅力として、全体を通して情景の美しさが溢れるように感じられる点がありますが、これをビジュアル化するとなると、それぞれが既に抱いている美しいイメージがあるだけに、その期待に応えるのはなかなか難しいということになります。

 実際、多くの漫画家や画家が挑戦していますが、原作を読んで固有のイメージが出来てしまった人を満足させるものは少ないかと思います。画風が少女漫画風(BL系・ツンデレ系)になってしまっているものが多いせいもあるかと思います。

桜の森の満開の下 (ビッグコミックススペシャル).jpg そんな中、2009年に小学館のビッグコミックススペシャルとして刊行された近藤ようこ(1957年生まれ)氏の漫画化作品は、さすがベテランと言うか、比較的原作の雰囲気をよく伝えているように思いました。と言うより、相対比較で言えば、群を抜いていると言っていいかもしれません(このタッチが原作にフィットするとすれば、山岸涼子氏なども描けば結構いい線いくのではないか)。

桜の森の満開の下 (ビッグコミックススペシャル)』['09年]

 実は近藤氏が坂口安吾の作品で最初に漫画化したのは2008年の「夜長姫と耳男」で、近藤氏はその企画が決まった時、大好きな安吾を独り占めできるような気がして武者震いしたそうです。一番描きたいと思っていたのは、耳男が江奈子に耳を切られる場面と、高楼につるされた蛇の死体が揺れる場面だったそうで、これだけでも、「夜長姫と耳男」の原作が「桜の森の満開の下」に劣らず凄まじい話であることは窺えるかと思いますが、「桜の森の満開の下」のあらすじを書いてしまったので、「夜長姫と耳男」の方はここでは内容には触れないでおきます。
桜の森の満開の下 (立東舎 乙女の本棚)
桜の森の満開の下 (立東舎 乙女の本棚).jpg 近藤氏の漫画のほかに、立東舎の「乙女の本棚」シリーズで「桜の森の満開の下」の原文を全て載せた上でそれにカラーで絵をつける形での絵本化をしていますが('19年)、絵が、駆け出しの少女漫画家のパターンでこれも自分にとってはイマイチでした。

 同じ少女漫画風ならば、ホーム社漫画文庫の『コミック版 桜の森の満開の下・夜長姫と耳男』('10年)の方がまだ良かったかも。「桜の森の満開の下」の方の漫画は萩原玲二氏、「夜長姫と耳男」の方はタナカ☆コージ氏が描いています。漫画として割り切って読めば、1冊で両方の作品が読めるので、コスパ的にもますまずだったように思います。

 因みに、近藤氏の『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』は共に2017年10月に岩波現代文庫のラインアップに加わっています(お堅い岩波もその実力を認めた!?)。

『桜の森の満開の下』...【2017年文庫化[岩波現代文庫]】/『夜長姫と耳男』...【2017年文庫化[岩波現代文庫]】

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○ノーベル文学賞受賞者(ジョゼ・サラマーゴ)「○海外文学・随筆など 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

白の闇 2008-2.jpg白の闇 2008-3.jpg 白の闇 2001.jpg 白の闇 2020.jpg 
白の闇 新装版』['01年]『白の闇』['08年]『白の闇 (河出文庫)』['20年]

目が見えなくなることで見えてくるものがあるならば、今は我々は何を見ているのか。

 クルマを運転中の男が突然目の前が真っ白になり失明する。そこから、車泥棒、篤実な目医者、サングラスの娼婦の娘、子供、眼帯をした老人などへと、「ミルク色の海」が原因不明のまま次々と周囲に伝染していく。事態を重く見た政府は、感染患者らを、精神病院だった建物を収容所にしてそこへ隔離する。介助者のいない収容所の中で人々は秩序を失い、やがて汚辱の世界にまみれていく。しかし、そこにはたったひとりだけ目が見える女性が紛れ込んでいた―。

ジョゼ・サラマーゴ.jpg ポルトガルの作家(劇作家・ジャーナリストでもある)ジョゼ・サラマーゴ(1922-2010/87歳没)が1995年に発表した作品で(原題:Ensaio sobre a Cegueira)、サラマーゴは既に、その代表作『修道院回想録』('82年)、『リカルド・レイスの死の年』('84年)で数々の文学賞を受賞していましたが、本書はとりわけ世界各国で翻訳され、'98年にはポルトガル人として初のノーベル文学賞受賞者となっています。また、2002年にノルウェー・ブック・クラブが発表した「世界最高の文学100冊」(Bokkulubben World Library)では、一番古いものが『ギルガメシュ叙事詩』(紀元前18世紀~17世紀)で、最も最近のものがこの『白の闇』となっています。

 日本では、2001年に翻訳されて日本放送出版協会より刊行され、2008年には新装版も出ましたが、今回、河出文庫として刊行されました(英訳本を底本とし、原著を参照している)。本書における失明を引き起こす感染症が街中に蔓延していく状況は、まさに新型コロナウィルスによる感染が広まる2020年現在の状況に通じるところがあることからの文庫化と思われます。

 物語では人から人へと感染は広まり、目の見えない人は急増し、次々と収容所の建物に送られてきます。ベッドは足りず、食糧も足りなくなり、目が見えないのでトイレも一苦労で、至る場所が汚れていきます。さらには、あるグループが暴力で食糧を占拠し、他のグループに金目のものを要求、やがてその要求はエスカレートしていき、要求に従わなければ支配下に置かれた人間は餓死してしまう状況に―。

 閉鎖された空間で噴出する人間の醜さ・怖ろしさを描いた、ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』などにも比される、ディストピア小説であると言えます。文体は独特で、会話にカギ括弧がなく、初めはやや当惑させられますが、内容の凄まじさに引き込まれ、ぐいぐい読み進むことができました。特殊な出来事を描いていて、登場人物の名前も出てこないというのはある種の寓話ともとれますが、表現がリアルな分、「現実世界の縮図」感もありました。

 希望がまったく無いかと言えばそうではなく、世の中の皆が目が見えなくなっていく状況の中、目医者の妻1人だけが目が見えていて(この目医者の妻が物語の中心人物になる)、最初に収容所に隔離された、自分の夫を含む6人を、陰に日向に支えていくサーバントリーダーのような役割を果たします。ある意味、人間の理性の部分を象徴するような存在です。
ブラインドネス (2008) 監督:フェルナンド・メイレレス 主演:ジュリアン・ムーア
ブラインドネス (2008).jpgブラインドネス1.jpg 2008年にはフェルナンド・メイレレス監督、ジュリアン・ムーア主演で映画化もされ(「ブブラインドネス (2008) 木村 伊勢谷.jpgラインドネス」('08年/日本・ブラジル・カナダ))、第61回カンヌ国際映画祭のオープニング作品でした。日本からも最初に感染する夫婦役で伊勢谷友介、木村佳乃が出演していますが、当時はノーベル賞作家の作品が原作とは知らす、単なるパニック映画だと思ってスルーしてしまいました。でも、少人数の"身内"とその他大勢の"外敵"という原作の構図は、サバイバル系のパニック映画の典型的パターンであり(「バイオハザード」('02年)や「アイ・アム・レジェンド」('07年)など感染者がゾンビ化する映画なども大体このパターン)、意外と映画化し易かったのではないかという気もします。

 作品テーマとしては、目が見えなくなることで見えてくるものがあり、それは人間のエゴの醜さであったりするものの、真の理性もそうしたものの対極として同じように浮き彫りになるということでしょうか。となると、目が見えているときは一体我々は何を見ているのかという、ある種皮肉のようなものも込められているかと思います(意識的・無意識的に見ないようにしている部分が多々あるように思う)。個人的解釈ですが、「白い闇」とは、今まさに人々が置かれている(しかし気づいてはいない)状況でもあると言えるかもしれません。

 原題の意味は「見えないことの試み」で、作者は2004年には81歳で本書の続編『見えることの試み』を、2005年に82歳で『中絶する死』を発表しており、『見えることの試み』では、伝染性の"白い失明病"が終焉した4年後の世界の政治と社会、集団と個人、束縛と自由を描き、『中絶する死』では、ある国でその国境の内側では、どんなに死にかけている人も死ななくなる、つまり死者がいなくなる事態が勃発するという世界を描いているとのこと、そう言えば、2017年のノーベル文学賞受賞者となったカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』('05年)も、SFの形を借りて、わかりやすいドラマのスタイルで「死」というテーマを扱っていたことを思い出しました(SFの形を借りるのはノーベル文学賞受賞者の一つの傾向か?)。

【2008年新装版/2020年文庫化[河出文庫]】

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若尾文子が役に嵌っている。タイトルが「解題」になっているような面もあるか。

女は二度生まれる p3.jpg女は二度生まれる p1.jpg女は二度生まれる_AC_.jpg 女は二度生まれる p1500_.jpg
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女は二度生まれる 山村.jpg 九段の花街の芸者・小えん、本名友子(若尾文子)は、売春防止法が施行されて、肩身の狭い思いをしながらも特に芸も無いため、建築家の筒井(山村聡)に抱かれるなどして、適当に法をすり抜けながら客を取る日々を送っている。芸者仲間の桃千代(八潮悠子)が早女は二度生まれる 藤巻.jpg々見切りをつけ、銀座でバー勤めをすることになり一緒に誘われるが、小えんは誘いを断り九段に留まる。置屋の近所に住む学生・牧(藤巻潤)に仄かな恋心を抱きながらも、馴染み客の矢島(山茶花究)とは適当に遊びに興じたりしていたが、宴席で知り合った寿司職人・野崎(フランキー堺)に女は二度生まれる 山茶花 究.jpg対しては、自らデートに誘ったりして他の男とは一線を画していた。しかし、密告者により売春行為がバレて職女は二度生まれる フランキーges.jpgを追われた彼女は、桃千代のいる銀座のバーで本名の友子の名で働くことになる。店で筒井と再会し、妾となりアパートまで世話して貰うようになるが、筒井は独占欲が強く、友子を縛りつける。ある日、友子は、映画館で知り合った少年工・孝平(高見国一)と、遊びのつもりで関係を持つが、それが女は二度生まれる4.jpg筒井にバレてしまう。筒井に散々脅された友子は、二度と他の男と付き合わないと決め、その後は、筒井の希望通りに唄を習い始めたりと、平穏の日々となるが、その筒井が突然病に倒れ入院することに。それを機に友子は小えんに戻り、九段の花街に復帰しながら、本妻の隙を窺って筒女は二度生まれる8.jpg井を見舞うが、筒井が急逝すると筒井の妻(山岡久乃)が置屋に現れ、執拗な言い掛かりをつけてくる。その後、学生だった牧が就職し、その仕事上の接待としてお座敷を訪れ再会を遂げるが、牧が外国人客の接待を頼んだのを知って絶望する。街に彷徨い出た彼女はいつかの少年工に出会い、少年が山に行きたいのを知って、故郷へ行って見ようと思う。その途中、妻子ともに幸福そうな野崎にばったり出会う。彼女から金をもらって元気に山にでかける少年を見送り、自らは駅に独り佇む―。

女は二度生まれる スチール.jpg 1961(昭和36)年公開の川島雄三(1918-1963/享年45)監督作で、川島雄三はこれが大映での初監督作でした。原作は富田常雄の『小えん日記』('99年/講談社)で(そう言えば、川島監督の「とんかつ大将」('52年/松竹)も富田常雄の原作だった)、川島雄三が井手俊郎と共に脚色しています。

 川島雄三監督は当時42歳くらいで、若尾文子は1933年生まれなので28歳くらいでしょうか。川島監督は大映の重役陣を前に「とにかく、若尾クンをオンナにしてお目にかけます」と宣言したとのことですが、若尾文子が本能の赴くまま気のむくまま行動する天衣無縫の性格の小えんという役に嵌っていました。

 そんな楽天的な小えんも、いろいろあって、女の幸せとは何 女は二度生まれる 山村聰.jpgかを考えるようになります。まず、ある意味自分を縛っていた建築家のパトロン筒井の死と、その本妻から上から目線での言いがかりをつけられた事件(こうなると妾は本妻に対して弱い)。さらに、かつて想いを寄せたこともあった牧に、宴席で牧の学生時代の初恋相手として紹介されたと思いきや、接待客の外国人に枕営業をして欲しいと頼まれるという屈辱。小えんはそれを頑なに断り、九段の花街を出ていくことになりますが、それまでふわふわと生きていた彼女が、プライドに目覚めた瞬間とも言えます。

女は二度生まれる 松本電鉄島々駅.jpg いつかの少年工を誘い、かねてから行きたがっていた長野の上高地へ向かうと、その電車内で、偶然、信州のわさび屋の出戻り子持ち女性と一緒になったと聞いていた、あの寿司職人だった野崎を見かけてしまう...。結局、途中のバス乗り場で少年に金や腕時計等を渡して、実家に帰ると言って少年とも別れ一人になる友子でした(もう小えんではない)。

島々駅(松本電鉄上高地線終点駅。台風による土砂災害で1984年に廃止)

女は二度生まれる ド.jpg ラストはやや唐突に終わりますが、駅の待合所に一人座り電車を待つ彼女が、新しい人生を生きていこうという決意に目覚めたことが示唆されるような終わり方ともとれます。タイトルがまさにそのものですが、ただ、このタイトルがないと彼女の内心は慮りにくい面もあり、「女は二度生まれる」というタイトルが「解題」になっているような面もあるように思いました(「はじめは女として、二度目は、人間として」というキャッチまで付けられている)。

 小説でもこういうのありますが、これはこれでいいのではないでしょうか。ラストでぶった切るような終わり方で、すっきりしないという人もいるかと思うし、もしかしたら中には彼女の将来を悲観する人もいるかもしれません。でも、観た人それぞれが女は二度生まれる フランキー.jpg違った受け止め方をする映画っていうのも、それはそれで味があると言えるのではないでしょうか。若尾文子はリアルで存在感ある演技をしていたし、脇役ではフランキー堺が良かったです(寿司職人の野崎はわさび屋になっちゃったのかあ(笑))。前の年にデビューしたばかりの江波杏子も出ていました。

江波杏子
若尾文子映画祭 角川シネマ2.jpg女は二度生まれる 江波.jpg「女は二度生まれる」●制作年:1961年●監督:川島雄三●脚本:井手俊郎/川島雄三●撮影:村井博●音楽:池野成●原作:富田常雄「小えん日記」●時間:99分●出演:若尾文子/藤巻潤/山村聡/菅原通済(特別出演)/山茶花究/江波杏子/高野通子/潮万太郎/倉田マユミ/上田吉二郎/村田知栄子/八潮悠子/山内敬0女は二度生まれる.jpg子/仁木多鶴子/花井弘子/紺野ユカ/目黒幸子/村田扶実子/山岡久乃/穂高のり子/平井岐代子/耕田久鯉子/三保まりこ/中条静夫/村井千恵子/中田勉/竹里光子/山中和子/大山健二/酒井三郎/高見國一/フランキー堺(東宝)●公開:1961/07●配給:大映●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(20-03-20)(評価:★★★★)
女は二度生まれる [DVD]
江波杏子 「女の賭場」('66年/大映)/「江戸川乱歩 美女シリーズ(第5話)/黒水仙の美女」('78年/テレ朝)
女の賭場2.jpg   5話)/黒水仙の美女 江波1.jpg 5話)/黒水仙の美女 江波2.jpg
江波杏子(1942-2018/76歳没)
江波杏子.jpg 江波杏子_5.jpg

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原作を新藤兼人がサスペンス時代劇風に。宮川一夫のカメラが映す肌が4Kで映えた。

刺青(1966).jpg刺青1966.jpg 刺青 4K デジタル修復版.jpg 刺青 若尾.jpg
「刺青」チラシ/「刺青 [DVD]」/「刺青 4K デジタル修復版 [Blu-ray]」若尾文子

刺青 satou.jpg 質屋の娘・お艶(若尾文子)は、ある雪の夜、手代の新助(長谷川明男)と駈け落ちした。この二人を引き取ったのは、店に出入りする遊び人の権次夫婦(須賀不二男・藤原礼子)だった。優しい言葉で二人を迎え入れた夫婦だったが、権次は実は悪党で、お艶の親元へ現われ何かと小金を巻きあげた挙句に、お艶を芸者として売り飛ばし、新助を殺そうとしていた。そんなこととは知らないお艶と新助は、互いに求め合うまま狂おしい愛欲の日々を送っていた。しかし、そんなお艶の艶めかしい姿を、権次の下に出入りする刺青師の清吉(山本學)は焼けつくような眼差しで見ていた。ある雨の夜、権次は計画を実行に移し、殺し屋・三太(木村玄)を新助にさし向けるが、必死で抵抗した新助は、逆に三太を短刀で殺してしまう。同じ頃、土蔵に閉じこめられていたお艶は、清吉に麻薬をかがさ刺青 1966es.jpgれて気を失い、その白い肌に巨大な女郎蜘蛛の刺青を施される。やがて眠りから醒めたお艶は、刺青によって眠っていた妖しい血を呼び起こされたように瞳が熱を帯びて濡れていた。それからというものお艶は辰巳芸者・染吉と名を改め、次々と男を酔わせてくが、お艶を忘れ切れない新助は嫉妬に身を焦がし、お艶と関係を持った男を次々と殺害、遂にある晩、短刀を持ってお艶に迫る。だが新助にはお艶を殺せず、逆にお艶が新助を刺す。一部始終を垣間見ていた清吉は、遂に耐え切れず自らが彫った女郎蜘蛛を短刀で刺し、自らも命を絶つ―。

刺青 籾山書店.jpg 原作「刺青(しせい)」は、1910(明治43)年11月、同人誌の第二次『新思潮』に発表された谷崎潤一郎の短編小説で、作者本人が処女作だとしていたという作品です(単行本は、翌1911(明治44)年12月に籾山書店より刊行)。皮膚や足に対するフェティシズムと、それに溺れる男の性的倒錯など、その後の谷崎作品に共通するモチーフが見られます。

『刺青』[1911年/復刻版](刺青/少年/麒麟/幇間/秘密/象/信西)

刺青・秘密 (新潮文庫).jpg刺青・秘密 (新潮文庫)』[1966年](刺青/少年/幇間/秘密/異端者の悲しみ/二人の稚児/母を恋うる記)

 原作は文庫で十数ページしかなく、主人公の清吉が少女に刺青を施すことで宿願を果たし、「男と云う男は、みんなお前の肥料(こやし)になるのだ」という清吉の予言通り、少女がこれから多くの男を酔わせるであろう妖艶な女に変身したところで終わっています(少女は清吉に「お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ」とも言っている)。この少女が刺青を施されたことで劇的な変化を遂げたところですぱっと終わっている、この終わり方が作品の印象を非常に強いものにしているように思います。

増村保造(1924-1986)/新藤兼人(1912‐2012/享年100)
刺青 若尾 映画祭.jpg増村保造.jpg新藤兼人2.png 一方、増村保造監督の映画「刺青(いれずみ)」は、「刺青」の他に同じ谷崎の短編小説「お艶殺し」も基にしていて、映画の方で展開されるサスペンス時代劇風のストーリーは、「お艶殺し」に拠るか、または脚本家としての新藤兼人(1912-2012)のオリジナルということになります。強いて言えば、谷崎の原作における刺青を施され魔性を覚醒された少女がその後どうなったかを、イメージを膨らませて描いた後日譚ともとれます。ただし、映画で、若尾文子演じるお艶が山本學演じる清吉に刺青を掘られるのは物語の中盤なので、10ページほどしかない谷崎の原作に、プロローグとエピローグの両方を足したという感じでしょうか。

 とは言え、そのプロローグとエピローグで大方を占めるので(黒澤明の「羅生門」が、芥川の「羅生門」を基にしているのは冒頭部分くらいで、あとはほとんど芥川の「藪の中」を基にしていたのを想起させる)、原作の「刺青」とは別物という見方もできます。となると、あとは、「お艶殺し」に拠った新藤兼人の脚本が、どれだけ谷崎の耽美主義的な世界を表現することが出来ているかということになりますが、ちょっとストーリー性があり過ぎて、テレビの時代劇ドラマみたいになった印象もなくもないです。それでも最後まで見せるのは、増村保造の演出と宮川一夫のカメラのお陰でしょうか。

 このパターンでいく場合、大概のケースでは原作の雰囲気をぶち壊してしまうものですが、原作を超えたとは言わないまでも、何とか持ちこたえたような気がします。実際、谷崎作品の映画化ということを考えず、若尾文子の映画という風に見れば、まずまずであったように思います。

角川シネマ有楽町200306_0216.jpg刺青 映画&文庫 2.JPG 角川シネマ有楽町での「若尾文子映画祭2020」で観ましたが、全41作品を上映する中で、この「刺青」の4K修復版が世界初上映されることが映画祭の最大の目玉であったようです。率直な感想として、映像のきめ細やかさは予想していた以上でした。宮川一夫のカメラが映す若尾文子の肌が4Kで映え、彼女が動くと背中の蜘蛛も妖しく蠢くという、映画祭の目玉として打ち出すだけのことはあるものでした。

「若尾文子映画祭」@角川シネマ有楽町(同館公式Twitterより)
「若尾文子映画祭」@角川シネマ有楽町.jpg刺青 1966 4.jpg「刺青(いれずみ)」●制作年:1966年●監督:増村保造●脚本:新藤兼人●撮影:宮川一夫●音楽:鏑木創●原作:谷崎潤一郎「刺青(しせい)」「お艶殺し」●時間:86分●出演:若尾文子/長谷川明男/山本學/佐藤慶/須賀不二男/内田朝雄/刺青_143716.jpg藤原礼子/毛利菊枝/南部彰三/木村玄/岩田正/藤川準/薮内武司/山岡鋭二郎/森内一夫/松田剛武/橘公子●公開:1966/01●配給:大映●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(20-03-24)(評価:★★★☆)


2刺青810.jpg 0「刺青(いれずみ)」.jpg 佐藤慶

【1950年文庫化[新潮文庫(『刺青』)]/1969年文庫化[新潮文庫(『刺青・秘密』)]/2012年再債文庫化[集英社文庫(『谷崎潤一郎フェティシズム小説集』)]】

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バルタザールは何の象徴なのか。バルタザールにとって死は幸福だったと示唆しているのか。

バルタザールどこへ行く 1966.jpgバルタザールどこへ行くA.jpg バルタザールどこヘ行くtド.jpg
バルタザールどこへ行く HDマスター ロベール・ブレッソン [DVD]」チラシ

バルタザールどこヘ行くド.jpg ピレネーのある農場の息子ジャックと教師(フィリップ・アスラン)の娘マリーは、ある日一匹の生れたばかりのロバを拾って来て、バルタザールと名付けた。10年後、バルタザールは鍛冶屋の苦役に使われていたが、苦しさに耐えかねて逃げ出し、マリーのもとへ。久しぶりの再会に喜んだマリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は、その日からバルタザールに夢中になる。これに嫉妬したパン屋の息子ジェラール(フランソワ・ラファルジュ)を長とする不良グループは、ことあるごとに、バルタザールに残酷な仕打ちを加える。その頃、マリーの父親と農場主との間に訴訟問題がもち上り、十年ぶりにジャック(ヴァルター・グリーン)が戻って来た。しかし、マリーの心は、ジャックから離れていた。訴訟はこじれ、バルタザールはジェラールの家へ譲渡された。バルタザールの身を案じて訪れて来たマリーは、ジェラールに誘惑される。その現場をバルタザールはじっとみつめていた。その日から、マリーは彼等の仲間に入り、バルタザールから遠のく。訴訟にマリーの父親は敗れるが、ジャックは問題の善処を約束、マリーに求婚した。心動かされたマリーは、すぐにジェラールたちに話をつけに行くが、仲間四人に暴行されてしまう―。

バルタザールどこヘ行くロード.jpg ロベール・ブレッソン監督の1966年作品で、第27回ベネチア国際映画祭審査員特別表彰(サン・ジョルジョ賞)をはじめ、フランス映画批評家協会賞(ジョルジュ・メリエス賞)などを多くの賞を受賞した作品です(日本公開前に「バルタザールが行きあたりばったり」という訳題で紹介された)。ブレッソンが長年映画化を望んだ本作は、聖なるロバ"バルタザール"をめぐる現代の寓話であり、ドストエフスキーの長編小説「白痴」の挿話から着想し(ドストエフスキーの長編は、しばしば本筋を"脱線"して長大な挿話が入ることが多いが、これもその1つか)、一匹のロバ"バルタザール"と少女マリーの数奇な運命を繊細に描いています。

 マリーの両親は誇り高さゆえに没落し、マリーは不良少年ジェラールに拐かされ悪徳の道に墜ちていき、そして、不良少年らに暴行されたマリーが村から消えて、彼女の父親は落胆のあまり死に、バルタザールは、ジェラールの密輸の手仕いをさせられた挙句、ピレネー山中で税関との銃撃戦に巻き込まれ斃れる―というように、人間の欲望と愚かさが横溢し、誰も幸せにならない(バルタザールを含め)、と言うより、不幸になることを運命づけられているような話でした。

バルタザールどこヘ行く3.jpg 最初は、ロバのバルタザールを巡ってのマリーの話かと思ましたが、最後はマリーもいなくなり、振り返ってみれば、バルタザールが主人公のような映画でした(演技をしない主人公であることが特殊だが)。では、マリーの母(ナタリー・ジョワイヨー)が「聖なるロバ」と呼ぶ(そう呼ぶのは彼女だけだが)バルタザールは何の象徴なのか。キリストの象徴というのは、比較的すんなり受け入れる人とそうでない人がいるかと思います(個人的にはその中間くらいなのだが)。

 ブレッソン監督の作品は、イングマール・ベルイマン、ジャン・リュック・ゴダール、アンドレイ・タルコフスキーといった錚々たる映画監督たちを魅了してきたことでも知られていますが、例えば、ベルイマンとゴダールの評価を見てみると、この作品の後に続く「少女ムシェット」('67年/仏)に対しては両監督とも高い評価であるのに対し、この「バルタザールどこへ行く」は、ゴダールは高く評価したのに対し、ベルイマンは「さっぱりわからん」と言ったとか。やはり、それくらいのクラスでも、バルタザールの象徴性のところで、合う合わないが出てくるのではないでしょうか(ブレッソンは、「説明をしない」ことで知られている監督と言ってもいい)。

バルタザールどこへ行く hi.jpg ラストの、羊たちに囲まれてバルタザールが息を引き取ろうとするシーンに、イエス・キリストの磔刑の場面を想起する人もいるようです。一方、悲惨な生涯が終わりを告げるのは、バルタザールにとって幸福だったと示唆しているような気もします。というのは、次作「少女ムシェット」がまさに、悲惨な人生を送る少女が、死によって自らの安寧を得ようとするような作品であるからです。ただ、そう捉えると、バルタザール=キリストというのは、ちょっと違ってくるようにも思います。

バルタザールどこヘ行くes.jpg ストーリー的には、バルタザールがパン屋や不良グループ、サーカス、老人など様々な人の手に渡る中で、その目を通して人間の欲望やエゴや浮彫りになるのが興味深いですが、バルタザールの飼い主の中では、不良のジェラールの仲間であるアルノルド(ジーン・クラウド・ギルバート)というのが一番エキセントリックでした。普段は大人しくバルタザールの面倒を見ていたのが、酒が入ると人が変わったかのように狂暴になり、堪らず逃げ出したバルタザールがサーカスに拾われたのを再度迎えに訪れ、また飼うことに。やがて遺産を相続して貧困から脱するも、不良グループにたかられた挙句、酔ったままバルタザールの背に乗り、転落死するという、ちょっとエミール・ゾラの小説に出てくる「破滅が運命づけられている」人物みたいでした。そう言えば、この俳優、「少女ムシェット」にも、密猟者の役で出ていました。

アンヌ・ヴィアゼムスキー&ゴダール.jpgアンヌ・ヴィアゼムスキー 中国女.jpg また、少女マリーを演じたアンヌ・ヴィアゼムスキー(1947-2017)は、この作品で女優としてデビューし、翌1967年、ジャン=リュック・ゴダールの「中国女」に主演、同年ゴダールと結婚するも、1979年に離婚しています。彼女には小説家や脚本家としての作品があり、フランスでは著書を原作にしばしば映画化される人気作家で、テレビ映画の監督もしています。でも、この映画の頃は18歳になったばかりで、"素"な美しさがロベール・ブレッソン監督のドキュメンタリー調の演出の中で映えているように思いました(ゴダールが惚れたのも無理ない?)

グッバイ・ゴダール!1.jpgグッバイ・ゴダール!.jpg 近年では、ヴィアゼムスキーの自伝的小説『彼女のひたむきな12カ月』の1年後が描かれた『それからの彼女』がミシェル・アザナヴィシウス監督により「グッバイ・ゴダール!」として映画化されていて、1960年代後半のパリを舞台に、映画監督ジャン=リュック・ゴダールとその当時の妻アンヌ・ヴィアゼムスキーの日々が描かれるコメディ映画とのこと。第70回カンヌ国際映画祭にて主要部門パルム・ドールに出品されたのち、フランスで2017年9月13日に公開されていますが、ヴィアゼムスキーは同年10月5日に満70歳で亡くなっています。

「グッバイ・ゴダール!」('17年/仏)ルイ・ガレル/ステイシー・マーティン

アンヌ・ヴィアゼムスキー in「バルタザールどこへ行く」('66年)/「中国女」('67年)
バルタザールどこヘ行くages.jpgアンヌ・ヴィアゼムスキー 中国女2.jpg「バルタザールどこへ行く」●原題:AU HASARD BALTHAZAR●制作年:1966年●制作国:フランス・スウェーデン ●監督・脚本:ロベール・ブレッソン●製作:マグ・ボダール●撮影:ギスラン・クロケ)●音楽:フランツ・シューベルト/ジャン・ヴィーネ●時間:96分●出演アンヌ・ヴィアゼムスキー/フランソワ・ラファルジュ/フィリップ・アスラン/ナタリー・ジョワイヨー/ヴァルター・グリ1シネマカリテブレッソン.jpgーン/ジャン=クロード・ギルベール/ピエール・クロソフスキー●日本公開:1970/05●配給:ATG●最初に観た場所:新宿シネマカリテ(20-11-05)(評価:★★★★)

新宿シネマカリテ(20.11.05)

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テンポが良くて明るいのがベルモントらしい。「ルパン3世」や「コブラ」のルーツ的作品。

「警部」(ジョルジュ・ロートネル)1.jpg 「警部」(ジョルジュ・ロートネル)3.jpg 「警部」(ジョルジュ・ロートネル)2.jpg
ジャン=ポール・ベルモンドの警部 [DVD]
「警部」es.jpg 南仏マルセイユでは、警察官が暗黒街から賄賂を貰い、麻薬、恐喝、売春などの犯罪を黙認してたが、ある日モーテルで地元警察の警部が娼婦と一緒のところを殺された。背後に暗黒街の影がちらつく中、パリから一人の男がやって来る。彼の名は、スタニスラス・ボロウィッツ(ジャン=ポール・ベルモンド)、またの名をアントMarie Laforêt Flic ou Voyou.jpgニオ・セルッティ。その行状から一見悪党にも見え、警察に逮捕されたりもするが、実は別名"洗濯屋"と呼ばれる、自らの身分を隠して他の警察官を監督する警部だった。彼は早速、身分を隠して地下組織に潜り調査を開始、殺された警部の未亡人(マリー・ラフォレ)に接近し、彼女を通して事件の真相に迫るが、一方、警察内では暗黒街の組織と通じて彼を葬り去ろうとする計画が進んでいた―。

ジャン・ポール・ベルモンド傑作選.jpg '79年フランス公開作で、ミシェル・グリリアの原作を基に「さらば友よ」('68年)、「パリ警視J」('84年)のジャン・エルマンが脚色し、撮影は「死刑台のエレベーター」('58年)、「太陽がいっぱい」('60年)、「サムライ」('67年)のアンリ・ドカエ、音楽は「最後の晩餐」('72年)、「暗黒街のふたり」('73年)、「テス」('80年)のフィリップ・サルド、監督はベルモンドとはこの作品以降、「プロフェッショナル」('81年)、「ソフィー・マルソー/恋にくちづけ」('84年)など4本の作品でコンビを組む、アクション活劇を得意とするジョルジュ・ロートネル(1926-2013)です。

 このように、ある程度"面子"が揃っている割には、1980年11月にフランス映画際の1本として上映されただけで、その後も名画座で数回上映されたのみという不遇の作品で、その後'88年に「ジャン・ポール・ベルモンドの警視コマンドー」のタイトルでビデオ化されましたが(アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「コマンドー」('85年/米)を意識した?)、やがて廃盤になり、'07年にやっと「ジャン=ポール・ベルモンドの警部」のタイトルでDVD化され、ただし、どういう訳かブルーレイ化されないまま今['20年]に至っています。それが今回、新宿武蔵野館での特集「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選」でHDリマスター版による40年ぶりの劇場公開となりました。
     
「警部」ges.jpg 観ていてテンポがいいと思いました。ベルモント演じる男は、革ジャン・革ブーツで白いクラシックのスポーツカーをぶっ飛ばして登場するや、マリー・ラフォレ演じる警部の未亡人の家に乗り付け、車ごと窓をぶち破って侵入、自らセルッティと名乗り、カナダの刑務所から出所してきたばかりであり、殺されたのは妹だと自己紹介して金を請求する―どこの無法者かと思いきや実は刑事ということで、ただしこれは邦題がネタバレ気味でしょうか(原題は FLIC OU VOYOU(COP OR HOOD)、つまり「刑事か無法者か」)。
 
「警部」Flic-ou-voyou-de-Georges-Lautner-1979.jpg ただ、もう一つ大きなJulie-Jezequel-dans-Flic-ou-Voyou.jpgヤマがあって、ボロウィッツは二つの組織を対立させて自滅に追い込む黒澤明の「用心棒」みたな戦略をとるのですが、警察内部にも暗黒組織に通じた側にはボロウィッツを陥れようとする罠があって、ボロウィッツがどこまでそれに気が付いているかが分からず、観ていてはらはらさせられることです。一方で、ボロウィッツには娘(ジュリー・ジェゼケル)がいて、ホームドラマ的な親子問題も微妙に(時にユーモラスに)絡んで、さらに極力スタントマンを使わず体を張ってやっているアクションの部分にもユーモラスな場面があり、全体としてコメディ・アクション映画と言えるものになっています。

i「警部」ages.jpg この明るさが、アラン・ドロンのギャング映画などとは大きく異なる点で、フランスではアラン・ドロンより人気があるということですが、日本でも、ボロウィッツの人物造型はモンキー・パンチの「ルパン3世」や寺沢武一の「コブラ」に影響を与えたと言われてます。その割にはあまり注目されてこなかったようにも思いますが、相まみえてみると、意外と楽しめた作品でした。
     
IMG_20201112_183719.jpgIMG_20201112_183526.jpg「警部(ジャン=ポール・ベルモンドの警部)」●原題:FLIC OU VOYOU(COP OR HOOD)●制作年:1978年●制作国:フランス●監督:ジョルジュ・ロートネル●製作:アラン・ポワレ●脚本:ジャン・エルマン/ミシェル・オーディアール●撮影:アンリ・ドカ●音楽:フィリップ・サルド●原案:ミシェル・グリリア●時間:108分●出演:ジャン=ポール・ベルモンド/マリー・ラフォレ/ジョルジュ・ジェレ/ジャン=フランソワ・バルメ/クロード・ブロッセ/トニー・ケンドール/ミシェル・ボーヌ/カトリーヌ・ラシェン/ジュリー・ジェゼケル●日本公開:1980/11●配給:エデン●最初に観た場所:新宿武蔵野館(20-11-12)(評価:★★★☆)

新宿武蔵野館(2020.11.12)

 VHS 警視コマンドー.jpg

 

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CGを使わない分、昔のアクション映画の方がスリルがあったことの証左のような映画。

恐怖に襲われた街.jpg【ビデオ】 恐怖に襲われた街.jpg恐怖に襲われた街1.jpg
【ビデオ】 恐怖に襲われた街 (VHS)

 パリの高級マンションに住むノラ・エルメール(レア・マッサリ)が17階の自分の部屋の窓から飛び降りて死んだ。死の直前に、何者かに脅迫されていると警察に訴え出た直後だった。パリ警察きっての腕利き警部ルテリエ(ジャン=ポール・ベルモンド)が捜恐怖に襲われた街 kangosi.jpg査にあたることになったが、ミノスと名乗る謎の男から彼に電話がかかってくる。事件の犯人だと話すミノスは、連続殺人を予告してくるのだった。そして、次には、多くの男との情事を重ねていた女性が犠牲となる。パリの街が恐怖に包まれる中、ルテリエは次の標的である看護師のエレーヌ(カトリーヌ・モラン)の警護にあたるが、エレーヌもミノスの罠にはまり殺されてしまう。彼女の死によって意外な犯人の正体が明らかになるのだが、ルテリエは次の犠牲者がポルノ女優のパメラ・スイートであることを突きとめると、彼女の自宅であるマンションへと向かう。だが、すでに到着していたミノスは、パメラを人質に取った上に部屋に爆弾を仕掛けていた―。

IMG_20201203_164015.jpg 「地下室のメロディー」('63年)「シシリアン」('69年)のアンリ・ヴェルヌイユ監督の1975年公開作で、「ジャン=ポール・ベルモンドの恐怖に襲われた街」との邦題が使われることもあるポリス・アクション映画。アンリ・ヴェルヌイユとベルモンドのタッグで、音楽もエンニオ・モリコーネという作品ですが、ストーリーがやや凡庸なせいか、公開当時あまり話題にならなかったようです。一応、ビデオ化されましたが、その後ソフト化されることもなく、それが今回、新宿武蔵野館での特集「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選」でHDリマスター版による45年ぶりの劇場公開となりました。

新宿武蔵野館(2020.12.3)
    
恐怖に襲われた街2.jpg 見所はストーリーではなくアクションでした。ジャン=ポール・ベルモンドはノー・スタントでスレート屋根を跳び、列車の屋根を走ってトンネルでは身を伏せ、最後はヘリにワイヤーでぶら下がってビルの25階の窓を破って突入します。この映画が、後のジャッキー・チェンやスティーブ・マックイーン、チャック・ノリスなど、多くのアクションスターに影響を与えたというのも頷けます。

 スティーヴ・マックイーンも「ハンター」('80年/米)でシカゴの地下鉄の屋根に上っています。デパートの中へ逃げ込んだ犯人を追うシーンは、ジャッキー・チェンの「ポリス・ストーリー/香港国際警察」('85年/香港)にもありました。高層ビルにロープ一本で突っ込むシーンは「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」('11年/米)にもあったので、それをスタントを使わずにやったトム・クルーズも、この映画でアクションに体を張るベルモンドの影響を受けているのかもしれません。

「恋愛日記」トリュフォー.jpg恐怖に襲われた街 aibo.jpg ルテリエの相棒のモアサック刑事に扮するシャルル・デネは、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」('57年)では、リノ・ヴァ死刑台のエレベーター9.jpgンチュラ演じる警部の相方の警部補で、リノ・ヴァンチュラと交互にモーリス・ロネを尋問していました。主演作「恋愛日記」('77年/仏)など、フランソワ・トリュフォー監督の作品にもよく出ていた性格俳優です。この作品では"筋肉"で事件を解決することをモットーとするルテリエに比べれば特に見せ場は無いものの、抑制の効いた味のある演技を見せています。

恐怖に襲われた街 lea.jpgL_avventura_(1959)_Antonioni.jpg また、冒頭でネグリジェ姿で登場し最初に死んでしまう女性ノラ・エルメール役のレア・マッサリは、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「情事」('60年/伊)で、物語の序盤で行け不明になる娘アンナ役を演じていました。この作品の15年前ですが、そう言えば、当時からちょっとキツイ感じだったかも。 

恐怖に襲われた街 ja.jpg恐怖に襲われた街  han.jpg こうした役者陣も含め、個々の見所はありますが、犯人が結構しょぼい割には、ルテリエが警護しててもカトリーヌ・モラン演じる看護師のエレーヌを守れなかったりするので、やはりストーリー面で弱いでしょうか(まあ、「007シリーズ」だって、ジェームズ・ボンドはいっぱい女性を死なせてしまっているが)。結局、この作品の一番の見所はジャン=ポール・Henri Verneuil explique à Jean-Paul Belmondo.jpgean-Paul Belmondo se tient prêt pour une cascade.jpgベルモンドのアクション―ということに行き着きます。「CGなどを使わない分、昔のアクション映画の方がスリルがあった」ということの証左のような映画でした。
     

Henri Verneuil explique à Jean-Paul Belmondo


0070恐怖に襲われた街.jpg「恐怖に襲われた街(ジャン=ポール・ベルモンドの恐怖に襲われた街)」●原題:PEUR SUR LA VILLE(英:FEAR OVER THE CITY)●制作年:1975年●制作国:フランス・イタリア●監督・脚本:アンリ・ヴェルヌイユ●製作:ャン=ポール・ベルモンド/アンリ・ヴェルヌイユ●撮影:シャルル=アンリ・モンテル●音楽:フエンニオ・モリコーネ●時間:126分●出演:ジャン=ポール・ベルモンド/シャルル・デネ/レア・マッセリ/アダルベルト・マリア・メルリ/ジョヴァンニ・チャンフリーリア/ジャン・マルタン/カトリーヌ・モラン●日本公開:1975/07●配給:コロムビア●最初に観た場所:新宿武蔵野館(20-12-03)(評価:★★★☆)

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三島の演技は言われているほどに酷いものでもない。演技を見られるだけも貴重。

からっ風野郎450.jpgからっ風野郎 dvd.jpgからっ風野郎 若尾2.jpg
からっ風野郎 [DVD]」若尾文子/三島由紀夫
からっ風野郎』 mishima.jpg 刑務所内の庭での111番の出所祝いのバレーボール大会の最中、試合に熱中している111番囚人・朝比奈武夫(三島由紀夫)に面会の知らせがあり、別の囚人が代わりに武夫の上着を着て面会に行く。面会の男は名札を確かめ拳銃を発砲、彼は別人を殺したのだ。朝比奈一家二代目の武夫は、何とからっ風野郎 水谷.jpgか予定どおり出所。殺し屋を仕向けたのは一家と反目する新興ヤクザ・相良商事の社長・相良雄作(根上淳)で、武夫が服役したのも、父の仇で相良の脚を刺したためであり、後遺症を負った相良は武夫を恨んでいる。武夫は、情婦のキャバレー歌手・昌子(水谷良重)と映画館の2階の部屋で落ち合い、抱き終わると彼女と手を切る。命を狙われている武夫に女はお荷物だからだ。映画館は朝からっ風野郎』 wakao.jpg比奈一家が支配人で、2階は武夫の隠れ家だった。映画館には武夫が初めて見るもぎりの女・小泉芳江(若尾文子)がいて、武夫は芳江から「親分なのにちっとも怖くない」と言われる。ある日、芳江は町工場に勤める兄・正一(川崎敬三)に弁当を届けに行ってスト騒動に巻き込まれる。武夫は叔父・吾からっ風野郎 志村 .jpg平(志村喬)から相良を殺して来いと拳銃を渡され、大親分・雲取大三郎(山本禮三郎)から法事の招待が両者にあり、その機会が訪れる。ところが当日相良は来ず、武夫は帰り際に、殺し屋ゼンソクの政(神山繁)の銃弾に見舞われる。しかし、政がゼンソク発作を起し、武夫は左腕を射たれただけで済む。映画館を解雇されていた芳江は、再び雇うよう頼むが、武夫が断ると居場所をバラすと脅す。怒った武夫は芳江を手籠めにし、「こうなったのもお前が好きだったからさ」と言って、それから2人は付き合うように。ある日、二人が遊園地から出たとき、武夫は相良の幼い娘を偶然見つけ誘拐、相良らが製薬会社から金をゆすろうと入手した、治験で死者が出た新薬をよこせと相良に要求する。しかし取引場所の東京駅八重洲口からっ風野郎 ラス前.jpg構内に雲取が仲介で登場し、儲けは折半し手打ちにしろと命ずる。両者は一旦収めるが、相良は雲取に更に半分仲介料を取られることに。芳江は妊娠し、武夫は、命を狙われている自分に赤子がいると面倒だから堕ろせと言うが芳江はきかない。産婦人科に連れて行くが抵抗され、帰途に昌子と鉢合わせする。芳江との事を昌子が相良に密告すると察した武夫は、芳江を隠れ家に匿う。芳江に根負けした武夫は、彼女と世帯を持つ決意をする。そんな折、相良が芳江の兄を監禁して、朝比奈一家が取引で得た金からっ風野郎 神山.jpgで始めたトルコ風呂の権利を要求してくる。芳江の身を案じた武夫は、九州の芳江の田舎へ身を隠すよう言う。武夫は舎弟で親友の愛川(船越英二)にトルコ風呂の権利をくれと相談、愛川が断ると相良商事に単身乗り込もうとするため、愛川は権利書を相良に渡し芳江の兄を救う。愛川の勧めで彼と一緒に大阪で堅気になると決めた武夫は、出産で里帰りする芳江を東京駅まで見送りに。発車直前に、生まれてくる赤ん坊の産着を買いに、構内のデパートに走るが、待ち伏せしていたゼンソクの政に拳銃を突き付けられる―。

からっ風野郎 1960.jpgからっ風野郎 ラスト.jpg 1960公開の増村保造監督作。三島由紀夫が、ヤクザの跡取りながらどこか弱さや優しさを持ったしがない男を演じていますが、この作品で華々しく映画デビューしたものの、その大根役者ぶりを酷評され、興行的にはヒットしたようですが、三島自身は「俳優はもうゴメン」と言ったとか。

 もともと、『鏡子の家』を映画化する予定だったのが、三島主演の映画を作ろうという話が持ち上がってそちらを優先することになり(結局『鏡子の家』の映画化話は流れた)、それは、競馬騎手が主人公の「凄い名馬に乗る騎手が八百長やる話」で、三島も乗り気だったのが、当の映画製作会社・大映の永田雅一社長が中央競馬会の馬主会会長をしていて、「中央競馬が八百長だって、そんなの絶対できない!」と怒ってボツになり、そこでかつて菊島隆三が石原裕次郎を想定して書いたものの、ラストで主人公が死ぬのが裕次郎の「からっ風野郎」ges.jpgイメージに合わないとしてお蔵入りしていた脚本が再発掘されたとのこと。オリジナルは、凄く強いヤクザの二代目が最後に殺し屋に殺されてしまうというもので、三島はそれを読んで惚れ込んだものの、増村監督はその役柄を不器用な三島の演技に合わせ、「二代目だが気が弱く、腕力がなくて、組の存続も危ぶまれる、気がいい男」という性格に変えています。このように紆余曲折あったわけですが、三島自身は、そのように改変されたことで、「はじめてなんとか見られるやうになつた」(三島由紀夫「映画俳優オブジェ論」)という認識だったようです。

 撮影現場での増村保造監督(増村は三島と東大法学部で同級生だったが、会うのは15年ぶりだった)の三島に対する演出は苛烈を極め、殆どパワハラに近いものがあり、若尾文子などは見ていてはらはらしたそうですが、その甲斐あってか、三島の演技は言われているほどに酷いものでもないと思いました。演技のド素人が、いきなり志村喬や船越英二といった演技達者を相手にここまでやれれば、大したものと言ってもいいのではないでしょうか。この映画の三島が"大根"ならば、「幕末太陽傳」('57年)の石原裕次郎だって、三島と同じ程度に"大根"ではなかったかなあ。

「からっ風野郎」.jpg もともと脚本がB級っぽくて(純愛ヤクザ物語?)、映画としての個人的評価は△ですが、三島の熱演のせいで△にするには忍びなく(?)、また、三島由紀夫が出ずっぱりであり、ノーベル文学書候補にもなった大作家がスクリーンを動き回っているのを最初(冒頭のバレーボールシーンですぐに、いま跳ねたの三島だ!と分かった)から最後まで見られるだけでも貴重という見方をすれば、○にしておいていいのではと思った次第です。三島由紀夫が好きな人は必見です。

「からっ風野郎」ンロード.jpg 主人公の武夫が公園で相良の幼い娘を誘拐しようとするシーンで、武夫が子どもにウィンクするのですが、三島はウィンクをしようとすると両目を閉じてしまい、どうしてもウィンクができず、何度もリテイクになったそうです。三島自身は、自分は「何かの病気だろう」と思ったようですが、緊張していたかというと、それは否定しています。ただ、普通に考えればやはり緊張していたのだろうなあ(その前に美輪明宏の舞台に兵士たちの1人の役で出たときも、緊張のあまり「回れ右」の号令に1人だけ「回れ左」をしたというから)。結果、出来上がりはこわばった感じのウィンクになり、それが映画における状況設定や主人公の性格とマッチしているという、こうした偶然の妙もあったかと思います。

「からっ風野郎」680.jpgからっ風野郎 ラスト2 (1).jpg ラストの武夫がエスカレーターに倒れ込むシーンで、殺し屋役の神山繁が、「三島さんね、もっとパーンと派手に倒れなきゃ駄目だよ」と助言したのを素直に聞き入るあまり、本当に思いっきり倒れて足を踏み外してしまい、右後頭部をエスカレーターの段の角に強打し大ケガをし、虎の門病院に救急搬送されたというエピソードは有名です。ロケは西銀座デパートで行われましたが、自分がこの作品を劇場で初めて観たのが有楽町だったので、60年前、ここから歩いて5分もかからないところで、三島は後頭部を打って脳震盪を起こしたのだなあと思ったりしました。

 増村保造監督に言わせれば、「監督を引受けたからには、同級生の三島が世間から笑われないような芝居にしなければ駄目だと」という気持ちだったとのことですが(東大同級生として同じインテリ同士のライバル意識があったのだろうという人もいる)、この映画では、本人がたいへんな目に遭った割には批評家が結構厳しい評価をしたため、先述の通り、三島自身も暫くはもう映画は懲り懲りといった気持ちだったようです。ただ、後に五社英雄監督の「人斬り」('69年)に出てその演技が評価されたのは、この「からっ風野郎」での経験があってのことだと思うし、その前に「憂国」('66年)を監督し、主演もしているのも、映画というものがどういうものか要領が掴めたからであって、三島やはり、後々にこの映画出演の経験を活かしたように思います。

からっ風野郎 200306_0216.JPGからっ風野郎』.jpgからっ風野郎 若尾.jpg「からっ風野郎」●制作年:1960年●監督:増村保造●製作:永田雅一●脚本:菊島隆三/安藤日出男●撮影:村井博●音楽:塚原哲夫●時間:96分●出演:三島由紀夫/若尾文子/船越英二/志村喬/川崎敬三/小野道子/水谷良重/根上淳/山本禮三郎/神山繁/浜村純/三津田健/潮万太郎/倉田マユミ/小山内淳/守田学●公開:1960/03●配給:大映●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(20-03-06)(評価:★★★☆)

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「雁」の位置づけが原作と違った。原作に現代的な解釈を織り込んだのではないか。

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日本映画傑作全集 「雁」[VHS]」「雁 (1953) [DVD]

 下谷練塀町の裏長屋に住む善吉(田中栄三)、お玉(高峰秀子)の親娘は、子供相手の飴細工を売って、侘しく暮らしていた。お玉は妻子ある男とも知らず一緒になり、騙された過去があった。今度は呉服商だという末造(東野英治郎)の世話を受けるvhs 雁2.jpgことになったが、それは嘘で末造は大学の小使いから成り上った高利貸しでお常(浦辺粂子)という世話女房もいる男だった。お玉は大学裏の無縁坂の小さな妾宅に囲われた。末造に欺か雁 1953 東野.jpgれたことを知って口惜しく思ったが、ようやく平穏な日々にありついた父親の姿をみると、せっかくの決心も揺らいだ。その頃、毎日無緑坂を散歩する医科大学生達がいた。偶然その中の一人・岡田(芥川比呂志)を知ったお玉は、いつ豊田四郎 「雁」芥川.jpgか激しい思慕の情を募らせていった。末造が留守をした冬の或る日、お玉は今日こそ岡田に言葉をかけようと決心をしたが、岡田は試験にパスしてドイツへ留学する事になり、丁度その日送別会が催される事になっていた。お玉は岡田の友人・木村(宇野重吉)に知らされて駈けつけたが、岡田に会う事が出来なかった。それとなく感ずいた末造はお玉に厭味を浴びせた。お玉は黙って家を出た。不忍の池の畔でもの思いにたたずむお玉の傍を、馬車の音が近づいてきて、その中に岡田の顔が一瞬見えたかと思うと風のよう通り過ぎて行った―。

「雁」1953.jpg 森鷗外の「」を原作とする1953年の豊田四郎監督作で、高峰秀子、芥川比呂志主演。豊田四郎監督の永井荷風原作「濹東綺譚」('60年)も山本富士子の相手役は芥川比呂志でした。豊田四郎監督は、この2作品の間に、有島武郎原作の「或る女」('54年)、織田作之助原作の「夫婦善哉」('55年)、谷崎潤一郎原作の「猫と庄造と二人のをんな」('56年)、川端康成原作の「雪国」('57年)、井伏鱒二原作の「駅前旅館」('58年)、志賀直哉原作の「暗夜行路」('59年)など毎年精力的に文芸作品を撮っています。また、この「雁」は、池広一夫監督、若尾文子、山本學主演で1966年にも映画化されています。

雁 高峰秀子.jpg 原作は、「僕」が35年前の出来事を振り返る形になっていて、原作の「僕」は映画での岡田の友人・木村に該当しますが、原作には木村という名は出てきません(因みに若尾文子版でも木村になっている)。また、原作でのお玉の年齢は数えで19歳くらいのようですが、それを実年齢で当時29歳の高峰秀子が演じています(ただし、若尾文子が演じた時は32歳だった)。芥川比呂志もこの時33歳だったので、学生というにはやや年齢が行き過ぎている印象も受けます。

雁 1953 1.gif 物語は、原作が主に「(物語の語り手でもある)僕」の視点から展開されるのに対し、映画は高峰秀子が演じるお玉の視点からの展開が中心であり、特に前半は9割以上がそうであって、お玉が善吉にほとんど騙されるような形でその"囲い者"になり、周囲の差別と偏見の下、肩身の狭い思いで暮らす様が丁寧に描かれています。お玉が芥川比呂志演じる岡田と知り合う契機となる「蛇事件」は真ん中ぐらいでしょうか。そこからお玉が岡田への想いを募らせていくのは原作と同じです。

 原作との大きな間違いは、宇野重吉演じる原作の「僕」こと木村が、原作では岡田とお玉が相識であったことを当時知らなかったことになっているのに、映画ではそれを知っていて、岡田の恋愛アドバイザー的な立場にいることで(岡田が医学生であるのに対し、木村は文系の学生ということになっているが、演じる宇野重吉が当時39歳くらいなので、相当老けた学生に見える(笑))、ただし、木村の岡田への助言は、「二人は住む世界が違いすぎる」といった現実的なものとなっています。一方で、岡田の送別会の夜、夜道でお玉と出会った木村は、岡田がもうすぐ来るので一緒に岡田を待ちますか、とお玉を誘う優しさを見せます。

 しかし、お玉は一緒に岡田を見送りましようと言う木村には応じず、遠くからその出発を見届けるにとどまります。ラストシーンで、岡田が去った後一人佇むお玉の脇で、池から一羽の鴈が飛び立ちますが、これは去っていく岡田を象徴しているようにも思えますが、原作では雁は、岡田が逃がそうと思って投げた石に当たって死ぬことからお玉の悲運を象徴しているともとれるものとなっています。そうなると、映画における雁は、将来におけるお玉の転身を象徴しているようにも思えます。

豊田四郎 「雁」 takamine.jpg豊田四郎 「雁」es.jpg 個人的には、原作を読んだ時、正直あまりに古風な話だなあと思ったりもしましたが、豊田四郎監督は映画において、高峰秀子という女優の意志的なキャラクターをベースに、現代的な解釈を織り込んだのではないかという気がしています。原作に手を加えてダメにしてしまう監督は多いですが、本作は、原作の情緒風情、主人公の切ない思いなどを生かしたうえでの改変であり、これはこれで悪くなかったように思います。

豊田四郎「雁」1953.jpg「雁」●制作年:1953年●監督:豊田四郎●企画:平尾郁次/黒岩健而●脚本:成澤昌茂●撮影:三浦光雄●音楽:團伊玖磨●原作:森鷗外「雁」●時間:87分●出演:高峰秀子/田中栄三/小田切みき/浜路真千子/東野英治郎/浦辺粂子/芥川比呂志/宇野重吉/三宅邦子/飯田蝶子/山田禅二/直木彰/宮田悦子/若水葉子●公開:1953/09●配給:大映(評価:★★★☆)

高峰秀子/飯田蝶子

 
   
 

成澤昌茂 作品

監督作品
1962年 「裸体」(永井荷風原作) にんじんくらぶ・松竹
1966年 「四畳半物語 娼婦しの」(永井荷風原作)三田佳子 露口茂 田村高広 東映
1967年 「花札渡世」(脚本)東映
1969年 「妾二十一人 ど助平一代」(小幡欣治原作)三木のり平 佐久間良子 森光子 中村玉緒 東映
1968年 「雪夫人絵図」(舟橋聖一原作)佐久間良子 山形勲 浜木綿子 丹波哲郎 東映

脚本作品
1949年 「恋狼火」(洲多競監督) 新演伎座
1950年 「東海道は兇状旅」(久松静児監督、秘田余四郎原作) 大映
1950年 「午前零時の出獄」(小石栄一監督、島田一男原作) 大映
1950年 「ごろつき船」(菊島隆三と共同)森一生監督、大仏次郎原作 大河内伝次郎  大映
1951年 「宮城広場」(久松静児監督、川口松太郎原作)森雅之 大映
1951年 「牝犬」 (木村恵吾監督)京マチ子 大映
1951年 「飛騨の小天狗」(小石栄一監督) 大映
1951年 「馬喰一代」(中山正男原作、木村恵吾監督)三船敏郎、京マチ子 大映
1952年 「浅草紅団」(川端康成原作、久松静児監督)京マチ子 乙羽信子 根上淳  大映
1952年 「丹下左膳」(林不忘原作、松田定次監督)阪東妻三郎 淡島千景 松竹
1952年 「港へ来た男」(梶野悳三原作、本多猪四郎監督)三船敏郎  東宝
1953年 「南十字星は偽らず」(山崎アイン原作、田中重雄監督)高峰三枝子  新東宝
1953年 「雁」(森鷗外原作、豊田四郎監督)高峰秀子、芥川比呂志  大映
1953年 「浅草物語」(川端康成原作、島耕二監督)山本富士子  大映
1954年 「第二の接吻」(菊池寛原作、清水宏・長谷部慶治監督) 滝村プロ
1954年 「鼠小僧色ざんげ」 月夜桜(山岡荘八原作、冬島泰三監督)坂東鶴之助(中村富十郎) 新東宝
1954年 「伝七捕物帳人肌千両(野村胡堂 城昌幸 佐々木杜太郎 陣出達朗 土師清二原作、松田定次監督)高田浩吉 松竹
1954年 「花のいのちを」(菊田一夫原作、田中重雄監督)菅原謙二 大映
1954年 「噂の女」(依田義賢と共同)溝口監督 田中絹代、大谷友右衛門(中村雀右衛門) 大映
1955年 「明治一代女」(川口松太郎原作、伊藤大輔監督)木暮実千代  新東宝
1955年 「花のゆくえ」(阿木翁助原作、森永健次郎監督)津島恵子 日活
1955年 「新・平家物語」(依田と共同、溝口監督)大映
1955年 「若き日の千葉周作」(山岡荘八原作、酒井辰雄監督)中村賀津雄  松竹
1956年 「新平家物語 義仲をめぐる三人の女」(衣笠貞之助監督)長谷川一夫、京マチ子  大映
1956年 「赤線地帯」 溝口監督 大映
1956年 「惚れるな弥ン八」(棟田博原作、村山三男監督)菅原謙二 大映
1956年 「あこがれの練習船」(野村浩将監督)川口浩 大映
1957年 「いとはん物語」(北条秀司原作、伊藤大輔監督)京マチ子 大映
1958年 「風と女と旅鴉」(加藤泰監督)中村錦之助  東映
1959年 「美男城」(柴田錬三郎原作、佐々木康監督)中村錦之助 東映
1959年 「手さぐりの青春」(壺井栄原作、川頭義郎監督)鰐淵晴子 松竹
1959年 「浪花の恋の物語」(近松門左衛門原作、内田吐夢監督)中村錦之助 有馬稲子 東映
1959年 「火の壁」(船山馨原作、岩間鶴夫監督)高千穂ひづる 松竹
1960年 「親鸞」(吉川英治原作、田坂具隆監督)中村錦之助 東映
1960年 「つばくろ道中」(河野寿一監督)中村賀津雄 東映
1960年 「狐剣は折れず 月影一刀流」(柴田錬三郎原作、佐々木康監督)鶴田浩二  東映
1961年 「宮本武蔵」(吉川英治原作、内田吐夢監督)中村錦之助 東映
1961年 「母と娘」(小糸のぶ原作、川頭義郎監督)鰐淵晴子 松竹
1961年 「江戸っ子繁昌記」(マキノ雅弘監督)中村錦之助 東映
1961年 「はだかっ子」(近藤健原作、田坂監督)有馬稲子 ニュー東映
1961年 「小さな花の物語」(壺井栄原作、川頭義郎監督) 松竹
1962年 「お吟さま」(今東光原作、田中絹代監督)有馬稲子、仲代達矢 にんじんくらぶ
1963年 「虹をつかむ踊子」(原作)田畠恒男監督 松竹
1963年 「関の弥太ッぺ」(長谷川伸原作、山下耕作監督) 東映
1964年 「おんなの渦と淵と流れ」(榛葉英治原作、中平康監督)仲谷昇 日活
1965年 「ひも」(関川秀雄監督)梅宮辰夫、緑魔子 東映
1965年 「いろ」(村山新治監督)梅宮、緑魔子 東映
1965年 「赤い谷間の決斗」(関川周原作、舛田利雄監督)石原裕次郎 日活
1966年 「雁」(森鴎外原作、池広一夫監督)若尾文子、山本學 大映
1967年 「シンガポールの夜は更けて」(原作、市川泰一監督)橋幸夫 松竹
1967年 「柳ヶ瀬ブルース」(村山新治監督)梅宮辰夫 東映東京
1968年 「怪談残酷物語」(柴田錬三郎原作、長谷和夫監督) 松竹
1968年 「黒蜥蜴」(江戸川乱歩原作、三島由紀夫劇化)丸山明宏、木村功 松竹
1968年 「夜の歌謡シリーズ 命かれても」 東映東京
1968年 「大奥絵巻」(山下耕作監督)佐久間良子、田村高廣 東映京都
1969年 「夜の歌謡シリーズ 港町ブルース」(鷹森立一監督) 東映東京
1969年 「夜の歌謡シリーズ 悪党ブルース」(鷹森立一監督)東映東京
1969年 「夜をひらく 女の市場」(江崎実生監督)小林旭 日活
1973年 「夜の歌謡シリーズ 女のみち」(山口和彦監督)東映東京
1973年 「夜の歌謡シリーズ なみだ恋」(斎藤武市監督)東映東京
1974年 「夜の演歌 しのび恋」(降旗康男監督) 東映東京

テレビドラマ

1962年「善魔」岸田國士原作 菅貫太郎、内藤武敏、瑳峨三智子
1964年「古都」NHK 川端康成原作 小林千登勢、中村鴈治郎(2代)、萬代峰子
1964年「若き日の信長」大仏次郎原作 市川猿之助(2代猿翁)、森雅之
1965年「香華」有吉佐和子原作 山田五十鈴
1967年「華岡青洲の妻」有吉佐和子原作 南田洋子、岡田英次、水谷八重子(初代)
1967年「残菊物語」村松梢風原作 市川門之助、柳永二郎、池内淳子
1968年「皇女和の宮」川口松太郎原作 佐久間良子、平幹二朗
1969年「一の糸」有吉佐和子原作 佐久間良子、佐藤慶
1970年「プレイガール」

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「リズム感とスピード感あふれる口語体」(坪内祐三)。実は相当なインテリ? 

殿山泰司ベスト・エッセイ.jpg6殿山泰司ベスト・エッセイ.jpg  螢川図5.jpg
殿山泰司ベスト・エッセイ (ちくま文庫)』['18年](カバーデザイン・イラスト:南伸坊) 須川栄三監督「螢川」('87年)

 名脇役であり、ジャズとミステリーをこよなく愛し、趣味を綴った著書も多数残している殿山泰司(1915-1989/73歳没)ですが、そのエッセイ集『三文役者あなあきい伝』('74年/講談社)などは、講談社文庫に収められた後、絶版になっていました。こうした著者のエッセイ集を、その没後に掘り起こして再度文庫化しているのがちくま文庫で、そのラインナップは以下の通りです。

三文役者あなあきい伝1・2.jpg ・『三文役者あなあきい伝〈PART1〉』('95年1月/ちくま文庫)
 ・『三文役者あなあきい伝〈PART2〉』('95年1月/ちくま文庫)』
 ・『JAMJAM日記』('96年2月/ちくま文庫)
 ・『三文役者のニッポンひとり旅』('00年2月/ちくま文庫)
 ・『三文役者の無責任放言錄』('00年9月/ちくま文庫)
 ・『バカな役者め!!』('01年3月/ちくま文庫)
 ・『三文役者のニッポン日記』('01年3月/ちくま文庫)
 ・『三文役者の待ち時間』('03年3月/ちくま文庫)

 先に取り上げた坪内祐三(1958-2020)著『文庫本を狙え!』('16年/ちくま文庫)で『三文役者のニッポンひとり旅』が紹介されていましたが、殿山泰司の盟友だった新藤兼人(1912-2012)の著書『三文役者の死―正伝殿山泰司』('00年/岩波現代文庫)をもとに新藤兼人自身が監督した映画「三文役者」('00年/主演:竹中直人)が公開されることになったことを話題とする一方、ここでも、「殿山泰司復活の大きな力となっているのは、何といっても、ちくま文庫だ」としています。

『日本女地図』('2.jpg『日本女地図』(1.jpg また、坪内祐三は、殿山泰司の作品の特徴は、「リズ『三文役者の無責任放言錄』.jpgム感とスピード感あふれる口語体」にあるとし、初期エッセイ『日本女地図』('69年/カッパ・ブックス)の角川文庫版('83年)で、糸井重里氏が「昭和軽薄体の父が嵐山光三郎であるならば、そのまぶたの父は殿山泰司である」と書いたことを紹介しています(そっか、糸井重里や椎名誠よりもずっと前の、言わば先駆者だったのだなあ)。

三文役者の無責任放言録 (ちくま文庫).jpg 復活してくれるのは有難いし、読んでいて面白いのですが、全部読むのはたいへんという人もいるかと配慮してくれた(?)のが本書ベストエッセイ集で、三部構成の1部は『三文役者のニッポン日記』、『三文役者あなあきい伝〈PART1・2〉』からの抜粋、第2部は『三文役者の無責任放言錄』、『三文役者のニッポン日記』、『JAMJAM日記』、『三文役者の待ち時間』、それと『殿山泰司のしゃべくり105日』('84年/講談社)からの抜粋、第3部がその他となっています。
『三文役者の無責任放言録』
三文役者の無責任放言録 (ちくま文庫)

愛のコリーダ 殿山.png 個人的には、自叙伝風に構成されている第1部が波乱万丈で特に面白く感じられましたが、銀座8丁目のおでん屋「お多幸」の息子だったのだなあと思い出しました(本人は役者になるため、家業は弟が継いだ)。小学校は泰明小学校かあ(公立校だが、何年か前にアルマーニを標準服にしたことで話題となった)。「お呼びがかかればどこへでも」をモットーに「三文役者」を自称し、大島渚監督の「愛のコリーダ」('76年/日・仏)で「フルチン」になったりしましたが、実生活では流行に敏感でお洒落であり、公私にわたりジーンズにサングラスがトレードマークだったようです。
大島 渚「愛のコリーダ」('76年)
新藤兼人「人間」('62年)
「人間」 殿山泰司山本圭.jpg 第1部の終わりの方にある、殿山泰司が出演した新藤兼人監督の「裸の島」('60年/主演:乙羽信子・殿山泰司)や野上弥生子原作の「人間」('62年/出演:乙羽信子・殿山泰司・山本圭・佐藤慶)など作品ごとの映画撮影時の裏話なども興味深かったですが(結構ハチャメチャな面のあったりする)、第2部に1977年から1980年までの日記の抜粋があり、撮影所に出向いて仕事したかと思えばジャズコンサートに行き、さらにミステリもたくさん読んで批評するなど、非常に密度の濃い時間を送っていることが窺えました。語り口とは裏腹に、相当インテリであるような印象を受けましたが、本人はそう見られることを極力避けていたのかもしれません。

黒澤 明「酔いどれ天使」('48年)/小津安二郎「お早よう」('59年)/小栗康平「泥の河」('81年)
酔いどれ天使Drunken-Angel-0.50.16.jpg小津 お早う 殿山.jpg泥の河 殿山泰司9.jpg 新藤兼人、大島渚のみならず、黒澤明、川島雄三、小津安二郎、野村芳太郎、今村昌平など多くの監督に愛されてその作品に起用され(小栗康平監督の「泥の河」('81年)に出演した時砂の器 殿山泰司.jpgのことも書かれていたなあ。舟の上から橋の上にいる子供にスイカを投げてやるオッさん役だった)、一方でこれだけエッセイ集を残しているわけで、充実した生き方であったのではないでしょうか。
野村芳太郎「砂の器」('74年)
  
田中小実昌・色川武大(阿佐田哲也)・殿山泰司
田中小実昌 色川武大 殿山泰司 .jpg田中小実昌(1925-2000/74歳没)
色川武大(1929-1989/60歳没)
殿山泰司(1915-1989/73歳没)

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1冊1冊の読み込みが深い。本書を手に文庫探索してみるのもいいかも。

I文庫本を狙え図5.jpg文庫本を狙え.jpg  坪内 祐三.jpg
文庫本を狙え! (ちくま文庫)』 坪内 祐三(1958-2020(61歳没))
カバーデザイン:南 伸坊

『文庫本を狙え!』(晶文社.jpg 今年['20年]1月に61歳で亡くなった評論家・坪内祐三(1958年生まれ)が、「週刊文春」誌上で亡くなる直前まで20年以上にわたって長期連載した「文庫本を狙え!」の第1回から171回分を1冊の文庫に纏めたものです。2000年11月に単行本『文庫本を狙え!』(晶文社)が刊行されていますが、第18回から第171回までが収録されていて、最初の17回分は著者の初の書評集『シブい本』('97年/文藝春秋)に掲載されたため、両方を纏めたものはこの文庫が初となります。第1回の高見澤潤子『のらくろひとりぼっち』の掲載は1996年8月で、171回の小林信彦『読書中毒』の掲載は2000年5月です。

 因みに、シリーズ第2弾『文庫本福袋』(2000年~2004年、194回分を収録)は先に文春文庫で文庫化されていて(したがって文春文庫内では『文庫本福袋』が"第1弾"とされている)、第3弾『文庫本玉手箱』(2004年~2009年、200回分を収録)は'09年に文藝春秋から、第4弾『文庫本宝船』(2009年~2016年、290回分を収録)は本の雑誌社から、それぞれ単行本が刊行されています。さらに、第5弾として、連載の第886回(2016年4月)~第1056回(2020年1月)を収めた『文庫本千秋楽』が先月['20年11月]本の雑誌社から刊行され、「文庫本を狙え!」の170回分と併せ、本の雑誌増刊「おすすめ文庫王国」に1999年から20年にわたって書き続けた「年刊文庫番」を1冊にしたものとなっています。

 1冊1冊の読み込みが深くて、よくこれだけ毎週毎週書き続けてきたものだなあと驚かされます。同じく「週刊文春」に'92年から「私の読書日記」を連載している立花隆氏が、「最後まで読まなければならない本」(推理小説など)、「速読してはいけない本」(文学作品など)は「タイムコンシューマー」(時間浪費)であるとして避けていたのに対し、著者も日本の現代小説や推理小説はほとんど選んでおらず、多くを読もうと思ったらやはり何らかの割り切りが必要なのかもしれません。因みに、本書では34の文庫レーベルが取り上げられていて、最多は岩波の15冊、ちくま、中公が続き、新潮と講談社文芸文庫が10冊で同数4位とのことです。

 村上春樹を取り上げていると思ったら『やがて哀しき外国語』('97年/講談社文庫)で、つまりエッセイでした(p85)。村上春樹はエッセイがいいね。

 小沼丹の『清水町先生』('97年/ちくま文庫)の井伏鱒二の将棋好きの様などは可笑しいです(p112)。太宰治との師弟の関係がどのようなものであったかも伝わってきます。

 「裸の大将」こと山下清の『日本ぶらりぶらり』('98年/ちくま文庫)というエッセイも紹介されていて(p201)、著者が「実は、山下清は、かなりの文章家なのだ」とするのに納得させられました。

 蛭子能収『エビスヨシカズの密かな愉しみ』('98年/講談社+α文庫)では、「蛭子能収ほど実物と作品のイメージが異なる人も珍しい」とし(p216)、「文筆家エビスヨシカズは、きわめて知的で論理的」としてその証左を示しています(そう言えば、先の立花隆氏は、蛭子能収氏の作品の方を評して、作者は「天才か狂人」と言っていた)。

 ノーマン・マルコム/板坂元訳『ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出』('98年/平凡社ライブラリー)などを取り上げてくれているのは嬉しいです(p247)。これ、絶版新書がライブラリーになったパターンです。すぐ後に続く岡井耀毅『瞬間伝説―歴史を刻んだ写真家たち』('98年/朝日文庫)にある新人カメラマンだった秋山庄太郎と大女優・原節子の出会いなども、いいところを拾ってくるなあと(p249)。

 水上勉『私版 東京図絵』('98年/朝日文庫)にある、水上勉が武者小路実篤から実篤自身の描いた絵を貰った話も、武者小路実篤の白樺派的な人柄が窺えるエピソードでいいです(p275)。吉行淳之介は、短編集『悩ましき土地』('99年/講談社文芸文庫)が取り上げられていますが(p306)、巻末の年譜が読みごたえがあったと(笑)。それだけの病歴ということでしょう。

 千葉伸夫『評伝山中貞雄―若き映画監督の肖像』 ('99年/平凡社ライブラリー)などを取り上げているのもシブいです(p357)。山中貞雄にとって小津安二郎がメンターだったのなあ。同じく映画関係で、殿山泰司『三文役者のニッポンひとり旅』('00年/ちくま文庫)なども読んでみたくなる紹介のされ方をしています。

 このように、文庫と言えども結構マニアックなものも多いです。その分、こんな本も文庫で読めるのだという新たな発見がありました。シリーズ第1弾なので、1996年から2000年刊と結構古い本ばかりになりますが、解説の平尾隆弘氏によれば、今はネットの古本市場でこれら全ての文庫が入手可能とのことで、しかも、一番高いものでも2,500円とのこと(最安値は1円)。本書を手に、文庫探索してみるのもいいかもしれません。

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ミステリ(作家)論と文学論、個々の作品批評。安吾節が小気味よい。

IMG_20201127_045035.jpg私の探偵小説 坂口安吾2.jpg
私の探偵小説 (1978年) (角川文庫)

 推理ファンを自任し、自ら「不連続殺人事件」「復員殺人事件」「能面の秘密」などの作品を生んだ坂口安吾(1906-1955/享年49)の、推理小説に関する全エッセイを収録したもの。第一部は表題作「私の探偵小説」(昭和22年6月発表)を含むミステリ及びミステリ作家論で、第二部、第三部は主に文学論、個々の作品批評(文学賞の選評を含む)という体裁になっています。

 「推理小説は、作者と読者の知恵比べを楽しむゲームである」とし、「謎の手がかりを全部読者に知らせること」「謎を複雑にするために人間性を不当にゆがめぬこと」などのルールを説いていますが、言っていることはすごくまともだと思いました。でも、現代でも通じることを早くから言っているのはさすがと言えるかも。

シタフォードの秘密  ハヤカワ・ミステリ文庫.jpg また、海外・国外の推理作家を評価していますが、海外の作家では、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーンを高く評価しており、これもまともではないでしょうか。クリスティの天分は「脅威のほかない」とし、その作品では、「『吹雪の山荘』のトリックほど非凡なものはない」と高く評価していますが、これって『シタフォードの秘密』のことだと思います(この作品、「江戸川乱歩が選んだクリスティ作品ベスト8」 に入っている)。「この二人を除くと、あとは天分が落ちるようだ」とし、むしろ、日本の推理作家で、「横溝君を世界のベストテン以上、ベストファイブにランクしうる才能であると思っている」として横溝正史を高く評価しています(以上、主に第一部「推理小説論」(昭和25年発表)より)。

 第二部、第三部では、推理作家に限らず、幅広く作家論、文学論を展開しながら、文学の本質を自由、芸術、反逆といったさまざまなテーマに絡めて論じています。また、戯作性と思想性は共存し得るとし、一方で、自然派や私小説を"綴方"と称して批判しています。さらに、国語論・敬語論・文章論も、いずれも現実の生活に即したものであるべきだという、ある種プラグマティックなものの見方が、この作家の特徴であることを改めて感じました。

志賀直哉_02.jpg 具体的には、「志賀直哉に文学の問題はない」(昭和23年発表)において、志賀直哉を、その「一生には、生死を賭したアガキや脱出などはない」とし、「位置の安定だけが、彼の問題であり」、それだけにすぎなかったとしています。夏目漱石についても、「その思惟の根は(中略)わが周囲を肯定し、それを合理化して安定をもとめる以上に深まることはなかった」と批判的ですが、表題から窺えるように、志賀直哉が最大の批判対象となっています。

志賀直哉

 また「戦後文章論」(昭和26年発表)では、漫画家の文章を評価していて、近藤日出造や清水崑、横山兄弟の皆が文章上手であると褒め、サザエさ安岡章太郎2.jpgん(長谷川町子)も「絵はあまりお上手ではないが、文章は相当うまいし、特に思いつきが卓抜だ」という評価の仕方をしているのが興味深いです。作家では、「今度の芥川賞の候補にのぼった安岡章太郎という人のが甚だ新鮮なもので」あったと。ただし、「大岡(昇平)三島(由紀夫)両所のように後世おそるべしというところがない」とも。「大岡三島両所の文章は批評家にわからぬような文章や小説ではないね」とし、甚だしく多くの人に理解される可能性を含んでいますよ」と述べています。

安岡章太郎

 因みに、第三部に「芥川賞」の選評があり(著者は、第21回(昭和24年上半期)から通算5年半、選考委員を務めた)、田宮虎彦への授賞に反対していますが(第23回か)、「候補にあげられたことは、甚しく意外であった」とし、「その作品が不当に埋れているわけではなくて、多くの読者の目にもふれ、評者の目にもふれている」「芥川賞復活の時に、三島君まではすでに既成作家と認めて授賞しない、というのが既定の方針であったが、田宮君が授賞するとなると、三島君はむろんのこと、梅崎君でも武田君でももっと古狸の檀君でも候補にいれなければならないし、かく言う私も、候補に入れてもらわなければならない」としています。

 「堕落論」もそうですが、安吾節と言うのか、スカッと言い切っているところが小気味よいのですが、細かいところを見ていくと、それはそれでいろいろ興味深いです。

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伝記漫画の傑作。史実を追って丁寧。陰に1人の高校生の協力があった!

IMG_20201118_160831.jpg劇画ヒットラー (ちくま文庫).jpg 『劇画ヒットラー』(実業之日本社、1972年).jpg
劇画ヒットラー (ちくま文庫)』['90年]『劇画ヒットラー』(実業之日本社、1972年)

『劇画ヒットラー』2.jpg 第二次世界大戦末期のドイツ、ユダヤ人は絶滅収容所行きを逃れるために、屋根裏に隠れて生活していた。同じ頃、パリではレジスタンスの一員が逮捕され、レジスタンス内は密通者がいるのではないかと疑心暗鬼になっていた。それでもなお、ドイツ人は史上希なる独裁者となったアドルフ・ヒットラーに熱狂していた。なぜ、ヒットラーはこれほどにも強大な独裁者となりえたのだろうか―。

『劇画ヒットラー』_01.gif漫画サンデー 劇画 ヒットラー 伝.jpg 水木しげる(1922-2015/享年93)が、画家志望の青年アドルフ・ヒットラーが、いかに政治の道へ進み、独裁者から破滅へ至ったのかを描いた伝記作品。「週刊漫画サンデー」(実業之日本社)に1971(昭和46)年5月8日号から8月28日号まで連載され(連載時のタイトルは「20世紀の狂気ヒットラー」)、ヒットラーを善人とも悪人とも決めつけずに客観的かつユーモラスに描いているのが特徴で、伝記漫画の傑作とされています。

『劇画ヒットラー』_05.gif とにかく記述が史実を追って丁寧であり、「月刊漫画ガロ」(青林堂)の1970(昭和45)年10月号から1972年10月号に連載した作者初の伝記漫画で、近藤勇の生涯を描いた『星をつかみそこねる男』もそうでしたが、緻密さはそれ以上と思われます。

 執筆にあたり、構成や資料収集を手伝う協力者・山田はじめがいましたが、ヒットラーに対する彼の考え方が作者は不満で、そこに協力を申し出たのが水木漫画ファンでナチス研究に没頭していた当時高校生の後藤修一(1952-2018)で、彼は小学2年生時からヒットラーに興味を抱いた市井のドイツ近現代史研究者であり、母校の文化祭用に作成した3時間にもわたるスライド・ドキュメンタリー「アドルフ・ヒトラー」を作者に見せる機会を得、これを見て感服した作者が200点以上の資料を彼から借り受け、さらに彼が作者宅に頻繁に通い協力したことで、歴史的事実に忠実で、登場人物の複雑な人間関係を丁寧に紹介した深い内容の作品へになったとのことです。

「ヒトラー~最期の12日間~」ブルーノ・ガンツ(アドルフ・ヒトラー)
ヒトラー 最期の12日間 2005.jpg0ヒトラー 最期の12日間 011.jpg 特にラストの方の臨場感は圧巻で、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督の「ヒトラー~最期の12日間~」('04年/ドイツ・オーストリア・イタリア)と比較してみるのもいいのではないでしょうか。あの映画は(個人的評価は★★★★)、ヨアヒム・フェストによる同名の研究書『ヒトラー 最期の12日間』('05年/岩波書店)、およびヒトラーの個人秘書官を務めたトラウドゥル・ユンゲの証言と回想録『私はヒトラーの秘書だった』('04年/草思社)が土台となっていましたが、戦局面で追い詰められたヒットラーの狂気を端的に描いていました。一方、この水木版は、劇画のメリットを生かし、情報量が映画を上回るものとなっているように思われ、さらに、ヒットラーのキャラクターにしても、単なる狂人としては描いていません。

 終盤部分だけでなく、ヒットラーの無名時代や彼が政界で台頭していく過程の描き方もいいです。こうしてみると、ヒットラーは、演説が禁止されていたり、政治犯として収監されていたり時期は自らの勢力を減じているけれども、演説の禁止や囚われを解かれると、すぐに遊説して各地の勢力図をヒットラー色に塗り替えていったことが分かり、その演説の力は凄かったのだなあと改めて思いました。

NHK・BS1スペシャル「独裁者ヒトラー 演説の魔力」2020年8月14日再放送
独裁者ヒトラー 演説の魔力1.jpg独裁者ヒトラー 演説の魔力2.jpg ちょうど今年['20年]の8月にNHK・BS1スペシャルで「独裁者ヒトラー 演説の魔力」という番組を放送しており、実際にヒットラー演説を聞いた人々をドイツ各地に訪ね、さらに150万語のビッグデータを分析してその人を惹きつける演説のドナルド・トランプ演説.jpg秘密を探る番組がありました。この中で驚いたのは、番組における「証言者」たる演説を聞いた人々(多くは80歳代後半乃至90歳代で、中には100歳を超える人もいた)のほとんど誰もが、当時ヒットラーの演説に気分が高揚し、好きなロックスターのライブ会場にいるような恍惚感さえ味わったことを、特に臆することなく、むしろ懐かしむように(その身振りを真似るなどして)語っていたことでした(「生演説こそが命」であるというのは、現代で言えば、先の米大統領選の候補者同士の討論会で生の公開討論を望み、リモート討論を拒否したドナルド・トランプがそれに当て嵌まるかも)。

photo_1.jpg NHKは、BSプレミアムで一昨年['18年]から再放送している「映像の世紀プレミアム」シリーズの第18集として、「ナチス狂気の集団」というのを12月12日(土)に放送するようなので(これは今年12月の放送が初放送になる)、これも観なくてはなりません(同シリーズ第9集「独裁者3人の狂気」も良かった。「映像の世紀」は過去に放映されソフト化されているものの中にも「NHKスペシャル 映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望」などヒットラー関係の良作が多い)。

NHK・BSプレミアム「映像の世紀プレミアム」第9集「独裁者3人の狂気」2020年8月15日再放送

《読書MEMO》
●単行本
『劇画ヒットラー』(実業之日本社、1972年)
『ヒットラー 世紀の独裁者』(講談社、1985年4月)
『豪華愛蔵版 コミック ヒットラー』(講談社、1989年9月)
『復刻版 劇画ヒットラー』(実業之日本社、2003年2月)
『ヒットラー』(世界文化社、2005年8月)
『ヒットラー 水木しげる傑作選』(世界文化社、2012年8月)
『20世紀の狂気 ヒットラー 他』(講談社〈水木しげる漫画大全集〉、2015年11月)

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数奇な人の一生を見るよう。本当に船好きだった作者だからこその作品。

ばいかる丸 (ポニー・ブックス).jpg ばいかる丸 (ポニー・ブックス)3.jpg ばいかる丸  1965.jpg
ばいかる丸 (ポニー・ブックス)』['17年/復刻版]  『ばいかる丸 (ポニー・ブックス)』['65年]

「ポニー・ブックス(復刻版)」.jpg イラストレーター、デザイナーで、アンクルトリスの生みの親で、船の画家でもある柳原良平(1931-2015/享年84)が、「ばいかる丸」という実在の船の半生を絵本形式で描いたもの。1965年に岩崎書店より「ポニーブックス」(60年代に漫画家、イラストレーターが絵とストーリーの両方を手がけたことで話題になった絵本シリーズ)として刊行され、半世紀以上の月日を経て、2017年に復刻版として刊行されました。

ばいかる丸 (ポニー・ブックス)1.jpg 1921年(大正10年)に大阪商船の客船として生まれた「ばいかる丸」は、大連航路の人気戦でしたが、やがて大阪商船にも新しい船が多く出来たため、東亜海運という別会社に売られ、商人を満州に運ぶ船になります。ところが1937(昭和12)年に日中戦争ばいかる丸 (ポニー・ブックス)2.jpgが始まって黒塗りの病院船となり、1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦で白塗りの国際赤十字の病院船になります。戦局が悪化すると病院船であるのに兵士を運ぼうとしましたが、1945(昭和20)年5月、大分県姫島沖で機雷に触れて船体に大穴が開き、そのまま戦争が終わってしまいます。応急処理後は瀬戸内海の笠戸島沖に係留されていましたが、やがて大阪湾で船員学校の学生の寄宿舎替わりとなり、さらに1949(昭和24)年、極洋捕鯨に買い取られ、捕鯨船に改造されます。しかし、やがて捕鯨船ももっと大型のものが多く造られたため、肉を運ぶ冷凍船に改造され、名前も「極星丸」に改名されて「今」に至っているとのことです。

ばいかる丸 (ポニー・ブックス3.jpeg こうした1隻の船の歩みを、船を主人公にして「ワタシ」という1人称で淡々と語っていますが(淡々と語られているわりには、かつて栄華を誇った「ばいかる号」が、より大きな船が現れて役割の上で隅へ追いやられるのは何となく哀しかったりする)、絵の訴求力はやはりさすがだなあと思うとともに、まるで数奇な人の一生を見るようだなあとも思いました。

 本書の初版の刊行が1965年で、作者34歳頃の作品と思われますが、1959年にサントリーを退社した後は、船や港をテーマにした作品や文章を数多く発表しており、また、漫画家として1962年3月から1966年6月まで、4コマ漫画『今日も一日』を読売新聞夕刊に連載。1968年、至誠堂より『柳原良平 船の本』を刊行しており、その少し前の作品と言うことになります。

 初版の刊行は、大阪商船と三井船舶が合併して新会社の大阪商船三井船舶株式会社(後の商船三井)になった頃ですが、復刻版の刊行を機に、版元の岩崎書店のスタッフが商船三井を訪ね、「ばいかる丸」のその後を訊いています(岩崎書店のブログ「「ばいかる丸」のその後を想う~柳原良平さんを偲んで」)。しかし、今いる社員もその辺りは手がかりが無いためよく分からなくて、廃船となり鉄屑として再利用されたのではないか、でも、他の船の一部になっている形を変えてどこかを航海していると思います!とのことです。

 そもそも船会社の方から作者にこの船をモデルに絵本を描いてほしいと依頼したこともなかったようで、本当に船好きだった作者だからこそ、自ら「ばいかる丸」という船が連航路、病院船、寄宿舎、捕鯨母船、冷凍船と改造されていく過程をここまで調べ上げて、精緻な絵とともに完成させたものと思われます。商船三井の方々も、船の所有が大阪商船から東亜海運に変わったとき、(当然、旗印は違っているが)船のデザインが変わっているところまで描き分けている点に感心されていたようです。

大阪商船に所属していた「ばいかる丸」         所属が東亜海運に変わった後。煙突の印が異なっている。
ばいかる丸 (ポニー・ブックス)68.jpg ばいかる丸 (ポニー・ブックス)681.jpg

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環境破壊等の今日的問題に早くから高い関心と危惧を抱いていたエコロジストだった。

真鍋博の植物園と昆虫記 (ちくま文庫)2.jpg真鍋博の植物園と昆虫記 (ちくま文庫).jpg 真鍋博の植物園.jpg 真鍋博の昆虫記.jpg
真鍋博の植物園と昆虫記 (ちくま文庫)』['20年]『真鍋博の植物園 (1976年)』『真鍋博の昆虫記 (1976年)

真鍋博の植物園と昆虫記72.jpg ラストレーターの真鍋博(1932-2000/68歳没)が、社会のあらゆるものを"植物"と"昆虫"に見立て、ユーモアと風刺を織り込んで描いたものです。もともとは、『真鍋博の植物園』('76年/中央公論社)と『真鍋博の昆虫記』('76年/中央公論社)として別々に刊行されたものが、40年の年月を経て、ちくま文庫に合本化し再編集されたということです。

真鍋博の植物園と昆虫記5.jpg 星新一、筒井康隆、アガサ・クリスティーなど人気作家作品の装画や装幀の仕事で知られた著者ですが、装画や装幀は作品の内容に沿って描かれるのに対し、本書は、著者自身が純粋な自らのアイデアでイラストを描き、コメントを添えています。

真鍋博の植物園と昆虫記4.jpg 見て、読んで感じるのは、70年代から80年代にかけて我々に「未来」像を提供し続けてくれた著者が、実はエコロジストであり、環境破壊等の今日の世界が直面している問題に、その当時から高い関心を寄せ、危惧を抱いていたということが窺えることです。

 本書は、イラストレーターである著者の、その膨大な仕事の中では、最もメッセージ性が高い部類のものであると思います。

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主人公はトッペイだが、本当の主人公はロックか。複雑な性質の「現代悪」を体現。

IMG_20201107_035731.jpgバンパイヤ 秋田書店 初版.jpg
『バンパイヤ (全3巻)』['68年・'72年/秋田書店・サンデーコミックス]

バンパイヤ  手塚ド.jpgバンパイヤ サンデー.jpg 「週刊少年サンデー」(小学館)及び「少年ブック」(集英社)に連載された手塚治虫の漫画作品で、普段は人間の姿をしているのに、ふとした時に異形へと変身を果たしてしまう種族・バンパイヤを描いたもの。手塚作品の特徴の一つである、メタモルフォーゼを取り上げた代表的な作品の一つです。

20190824バンパイヤ.jpgバンパイヤ 秋田書店 88年版.jpg少年サンデー バンパイヤ新連載号(1966年23号).jpg 第1部は「週刊少年サンデー」にて'66(昭和41)年6月12日号(第23号)から'67(昭和42)年5月7日号(第19号)まで連載され手塚治虫本人がこれまでになく重要な登場人物となっています。第2部は、テレビドラマ放映開始時に、「少年ブック」にて'68(昭和43)年10月号から'69(昭和44)年4月号まで連載されましたが、掲載誌の休刊により未完に終わっています(サンデーコミックス初版で全3巻、手塚治虫漫画全集、サンデーコミックス'88年版で全4巻)。

 第1部は、主人公の少年である立花特平(通称トッペイ)と、その弟チッペイ、バンパイヤを利用して世界制覇を目論む冷酷な少年・間久部緑郎(ロッIMG_20201107_035652.jpgク)を軸に、それらにトッペイの父・立花博士の助手だった女性バンパイヤで「日本バンパイヤ革命委員会」東京支部長の岩根山ルリ子なども絡んで話が展開していきますが、「間久部緑郎」の名から窺えるように、シェイクスピマクベス改版 角川文庫クラシックス.jpgアの「マクベス」がモチーフとなっています(同時にロックは、多くの手塚作品に登場するレギュラー・キャラクターでもある)。したがって、ロックは、知的な判断力を持ちながら、一方で、「マクベス」の"3人の魔女"に相当する"3人の占い師"に自分の行く末を占わせたりしています。ロックは占い師たちに、「あんたは、人間にゃやられないよ」と言われますが、これは「女から生まれた者には殺されない」と言われたマクベスと同じで、さらにロックは、「人間でないものにもやられない」と言われます(裏を返せば、「人間」でも「人間でないもの」でもない、「変身中のバンパイヤ」がロックの天敵となることになる)。

iバンパイヤ 第2部.jpg 第1部のラストでロックの野望は絶たれますが、ロック自身がが滅んだわけではなく、第2部にも彼は登場します。ここでは、江戸時代に現れた化け猫(ウェコ)の逸話や、インドの山猫少年の話(正体は人間の姿になったウェコ)など、オムニバス形式のようなエピソードを挟んで、ウェコとロックの出会いやトッペイとウェコの出会いなどがあざ縄をなうように描かれます。ただし、前述の通り、残念ながら未完に終わっています。

 気になるのは、ルリ子がロックも実は自分たちと同じバンパイヤではないかと言っていることで、おそらくそうなのでしょうが、それがどのような形で明かされるのかが未完のため分かりません。第2部に入って話を拡げ過ぎた印象もありますが、講談社版「手塚治虫漫画全集」刊行の際、最終回配本として、編集部側が「新宝島」の収録を主張したのに対し、作者は、書下ろしの話題作として「バンパイヤ」の完結編を加えることを主張したとのことなので、構想はあったのではないかと思われます(最終的には編集部に押し切られたという)。

 個人的は、やはり、第1部の印象が非常に強く、手塚治虫氏がロックを追いかけてタクシーで東京から山口県の秋吉台に行くところなどは、はらはらしながらも、タクシー代どれくらいかかったのかなあと思いながら読んだ記憶があります。第2部は、話が入り組んでいて、しかも未完であるし、やや印象が薄いでしょうか。

バンパイヤ  テレビ.jpg水谷豊.png テレビ版「バンパイヤ」('68年/フジテレビ、全26話)は、実写とアニメの合成作品で、バンパイヤの変身シーンや変身後の動物になった姿はアニメーションで描いています。トッペイ・チッペイ兄弟の兄トッペイを演じたのは水谷豊('52年生まれ)で、これが事実上のデビュー作であり、そのほかに、渡辺文雄や戸浦六宏といった俳優が出ていました。

バンパイヤ   西郷.jpgバンパイヤ 手塚コメント.jpg ただ、原作には、ロックの同郷の馴染みで、ロックにとっては唯一無二の親友にして、唯一の頭が上がらない相手でもある西郷風介というキャラクターが出てきますが、テレビ版では割愛されています。ロックの人間的一面(それが彼自身の野望の実現には障害にもなるのだが)を示す重要な役回りだったのですが...。

 秋田書店の「サンデーコミック」の表紙カバー見返しで、作者自身は、「バンパイヤは、わたしの恐怖三部作の第一作目にあたります」とし、「第一作を現代物、第二作を品を時代物、第三作を未来物に設定し、この第一作を今までの手塚マンガのカラーからぬけだす糸にしたいと思います」と述べています(因みに、第二作は時代物の「どろろ」で、第三作は直接該当する作は無いのではないかとされている。「手塚マンガのカラーからぬけだす」という意味では、岩根山ルリ子が狼に変身する場面は、手塚作品では初めて女性のヌードが描かれたものであるらしい(鳴海 丈『「萌え」の起源』('09年/PHP新書)))。また、シェイクスピアの「マクベス」が作品の骨組みであることを明かし、「マクベスに、バイタリティーにあふれた現代悪の権化を見る気がします」とも述べていて、それを仮託したのがロックこと間久部緑郎であると。作者はそれにしては第1部のラストが弱いとも自分で言っていますが、同時に、第2部でもロックは姿を見せることを予告しています。

バンパイヤ  rokku.jpg こうして見ていくと、この作品のモチーフはメタモルフォーゼで主人公はトッペイですが、本当の主人公はロックなのかもしれません。彼が具現する「現代悪」は、時に魅力的であったりもします(西郷風介には頭が上がらないといった弱みも含め)。ロックは自分の利益のために他者を利用しますが、主要な登場キャラもまた、彼を頼りにしたり利用したりするわけで、そこが作者の描く「現代悪」の複雑な側面と思われます。テレビ版「バンパイヤ」では、バンパイヤたちが人間と早々に和解し、手を組んでロックと対決するというシンプルな勧善懲悪のストーリーに改変されていて、この辺りは、手塚作品の持つ「毒」を描き切れないテレビの限界でしょうか。まあ、テレビは児童向けなので仕方がないと思いますが、言い換えれば、原作には大人でも考えさせられる要素があるということかもしれません。

ソノシート(朝日ソノラマ) 林 光(1931-2012.1.5)
バンパイヤ ソノシート.jpg林光.jpgバンパイヤ 水谷豊.png「バンパイヤ」●演出:山田健/菊地靖守●制作:疋島孝雄/西村幹雄●脚本:山浦弘靖/辻真先/藤波敏郎/久谷新/安藤豊弘/雪室俊一/中西隆三/宮下教雄/今村文人/三芳加也/石郷岡豪●音楽:司一郎/林光●原作:手塚治虫●出演:水谷豊/佐藤博/渡辺文雄/戸浦六バンパイヤ 水谷豊2.jpg宏/山本善朗/左ト全/上田吉二郎/岩下浩/平松淑美/鳳里砂/嘉手納清美/桐生かおる/市川ふさえ/館敬介/中原茂男/手塚治虫●放映:1968/10~1969/03(全26回)●放送局:フジテレビ

「バンパイヤ」テーマソング

変身シーン
 バンパイヤ tv 魔女.png

【1968・1972年コミック本[秋田書店・サンデーコミックス(全3巻)]/1979年文庫化[講談社・手塚治虫漫画全集(全3巻)]/1988コミック本[秋田書店・サンデーコミックス(全4巻)]/1992年コミック本[秋田書店・手塚治虫傑作選集(全2巻)]/1995年再文庫化[秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka(全3巻)]/2010年再文庫化[講談社・手塚治虫文庫全集(全2巻)]】

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「八月の狂詩曲」の原作だが、映画とは別物か。3連続候補での芥川賞受賞作「鍋の中」。

I「鍋の中」817.jpg村田喜代子.jpg  八月の狂詩曲 ポスター.jpg
鍋の中』 村田 喜代子 氏(1987)「八月の狂詩曲」['95年/松竹]

 1987(昭和62)年上半期・第97回「芥川賞」受賞作の「鍋の中」ほか、「水中の声」「熱愛」「盟友」を所収。

 ある夏、80歳の鉦おばあさんの住む田舎に四人の孫が同居することになる。わたしこと17歳のたみ子と中学生の信次郎の姉弟、従兄の19歳の縦男とその妹17歳のみな子の四人だ。おばあさんのところにハワイに住む弟の病気が伝えられ、四人の親はハワイに出かけ、子どもたちがおばあさんのところに預けられたのだ。ところが、おばあさんはその弟のことを知らないという。13人いたおばあさんの兄弟たちの12人までは名前は覚えているのだが、この弟の名前だけは出てこない。さらに、おばあさんは精神に異常をきたして座敷牢に入れられた弟や駆け落ちをした兄弟の話をし、子どもたちを不安にさせる。それが真実かどうかも疑わしい。まるでおばあさんの頭の中は「鍋の中」のようにいろいろなものでごった煮になっている―。(「鍋の中」)

八月の狂詩曲 1.jpg 表題作「鍋の中」は、「文學界」昭和62年5月号に発表されたもので、黒澤明監督の「八月の狂詩曲(ラプソディー)」('91年/松竹)の原作としても知られていますが、映画が「反核」「反戦」のメッセージが色濃かったのに対し、原則の方はフォークロア的な雰囲気が強く、映画にはない、主人公の出生の謎などのモチーフもあって、映画とは別物と言えば別物ものでした(作者はこの映画化作品に不満だったそうで、「別冊文藝春秋1991年夏号」に、「ラストで許そう、黒澤明」(『異界飛行』収録)というエッセイを書いている)。
「八月の狂詩曲」['95年/松竹]

吉行 淳之介.jpg 当時の芥川賞違考委員の一人、吉行淳之介は、「予想を上まわる力を見せた」と絶賛し、「登場してくる人物も風物も、そして細部もすべていきいきしている」と評しています(単行本帯に選評あり)。同じく日野啓三は「話の運びの計算されたしなやかさ、文章のとぼけたようなユーモア」に感心していて、自分も読んでそれを感じ、芥川賞受賞作としての水準を満たしているように思いました。この回から女流作家として初めて選考委員に加わった大庭みな子、河野多恵子委員も推して、9人の選考員の中で否定的な意見はほとんどなく、すんなり受賞が決まったという感じです。

 「水中の声」は、表題作の10年前、「文學界」昭和52年3月号に発表されたもので、第7回「九州芸術祭文学賞」受賞作。主人公の、自分の4歳の娘を貯水池での溺死事故故で失った母親が、そうした子を事故で亡くした人たちばかりが集まる子供の事故防止運動のようなことをする団体に引き込まれて、熱心に活動するあまり、世間との間に摩擦を生じていく話。自分だったら、同じ状況におかれても、作中にあるような宗教がかった団体には入らないと思いますが、こればっかりはそうした状況に置かれてみないと分からないかも。テープに残った自分の子の声が水底から(藻の間から!)聞こえるように感じたというのは、ものすごくリアリティを感じました(やや怖いか)。

 「熱愛」は、作者が昭和60年に創刊した「発表」という名の個人誌の第2号に発表され、同人誌推薦作品として「文學界」昭和61年4月号に転載されたもので、1986(昭和61)年上半期・第95回「芥川賞」の候補作。オートバイ好きの主人公がオートバイ仲間と競うが、その相手のオートバイが断崖からどうやら転落したらしい、そのことを事実としてして受け止められないでいる主人公の心理を描いています。読む側に、オートバイの疾走感や、仲間が約束の場所に現れないことへの焦燥感が伝わってきて、上手いと思いました。芥川賞選考では、吉行淳之介が「私は評価した。読んでゆくにしたがって、昂揚を覚えた。外側の世界も心象も、すべて肉体感覚で表現できたあたり、なかなかのものである」と推しましたが、受賞はなりませんでした(この時は受賞作なし)。

 「盟友」は、「文學界」昭和61年9月号に発表されたもので、、1986(昭和61)年下半期・第96回「芥川賞」の候補作。主人公の高校生が、学校の懲罰として便所掃除をさせられるうちに、便所掃除に「開眼」し、また、同じ立場の生徒と盟友関係になっていく様を描いたものです。「鍋の中」とはまた異なるユーモアを感じましたが、芥川賞かどうかとなるとやや弱いでしょうか。吉行淳之介も、「前回の「熱愛」ほどには、私をわくわくさせてくれなかった」「それにしても、この作者がいつも少年ばかり書く理由は、まだ私には分からない」と(この時も受賞作なし)。でも、昔の学校は、懲罰ならずとも、生徒が便所掃除していたなあ(今だと、読む世代によって、懐かしさを覚える世代と、ぴんとこない世代があるのでは)。

 ということで、「熱愛」「盟友」と連続で芥川賞候補になり、「鍋の中」で3連続目で受賞したわけですが、やはり「鍋の中」が一番でしょうか。それに比べると、「熱愛」「盟友」も悪くはないですが、「熱愛」はある状況の主人公の心理を突き詰めたもので"習作"のような印象を受けました。

そうしたら、吉行淳之介と同じく当時の芥川賞選考委員だった三浦哲郎が、「熱愛」の選評で、「緊迫した文体が快いリズムを刻んで、なかなか読ませる。ただ、多用されている比喩のなかに、言葉を選びそこねて曖昧になっている個所が散見されて、結局この作品を好ましい習作の一つと思わざるを得なかったのは、惜しかった」と述べていました。三浦哲郎は、「盟友」については 「次作を期待しよう」との短いコメントを寄せているだけですが、作者はその期待に応えたことになります。

【1990年文庫化[文春文庫]】

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原作者が「ラストで許そう黒澤明」と言うと、自分もそんな気になる。

八月の狂詩曲 ポスター.jpg 八月の狂詩曲 1.jpg 八月の狂詩曲 5.jpg
「八月の狂詩曲(ラプソディー)」村瀬幸子・吉岡秀隆ほか/リチャード・ギア
八月の狂詩曲7.jpg ある夏休み。長崎市街から少し離れた山村に住む老女・鉦(村瀬幸子)に1通の航空便が届く。ハワイで農園を営む鉦の兄・錫二郎が不治の病にかかり、死ぬ前に鉦に会いたいとの内容で、鉦の代わりに息子・忠雄(井川比佐志)と娘・良江(根岸季衣)がハワイへ飛んだ。そのため4人の孫が鉦のもとにやって来た。ハワイから忠雄の手紙が届き、錫二郎が妹に会いたがっているため、孫と一緒にハワイに来てほしいと伝えてくるが、鉦は錫二郎が思い出せないとハワイ八月の狂詩曲 2.jpg行きを拒む。都会の生活に慣れた孫たちは田舎の生活に退屈していたが、原爆ゆかりの場所を見て回ったり、祖母の原爆体験の話を聞くうちに、原爆で夫を亡くした鉦の気持ちを次第に理解していく。やがてハワイ行きの八月の狂詩曲 3.jpg決断を促す手紙が届き、鉦は原爆忌が終わってから行くことを決意し電報を出す。それと行き違いに忠雄と良江が帰国、手紙に原爆のことを書いたのは、アメリカ人に原爆の話はまずかったと落胆する。そこへ錫二郎の息子のクラーク(リチャード・ギア)が来日、空港に出迎えた忠雄はその意図を理解できなかったが、クラークは「ワタシタチ、オジサンノコトシッテ、ミンナナキマシタ」と語り、おじさんが亡くなった八月の狂詩曲 4.jpg場所へ行きたいと頼む。その夜、庭の縁台でクラークは鉦に、おじさんのことを知らなくて「スミマセンデシタ」と謝る。鉦は「よかとですよ」と答え、二人は固い握手を交わす。8月9日、鉦は念仏堂で近所の老人たちと読経する。クラークは父の死去を伝える電報を受け取り、急遽帰国する。鉦はやっと錫二郎を思い出し、その死を悲しむが、その後様子が変になり、雷雨の夜に突然「ピカが来た」と叫ぶ。翌日、キノコ雲のような雷雲が空に広がり、鉦は長崎の方へ駆け出して行く。豪雨となり、孫たちや息子たちは祖母を追いかける―。

 黒澤明(1910年生まれ)監督の1991年公開作で、脚本も黒澤明。遺作となった「まあだだよ」('93年)の一つ前の作品であり、三船敏郎を主演に据えた最後の作品「赤ひげ」('65年)以降、「どですかでん」('70年)、「デルス・ウザーラ」('75年)、「影武者」('80年)、「乱」('85年)、「夢」('90年)と5年に1作のペースで撮り続けていた黒澤明監督ですが、この作品は「夢」のわずか1年後の作品であるのが興味深いです。

八月の狂詩曲 6.jpg 黒澤自身はこの作品について、「ラストのあのシーンで笑ってくれ」と言ったそうですが(つまり、鉦おばあさんが豪雨の中で風に立ち黒澤明 大林.jpg向かい、そこにシューベルトの「野ばら」の合唱が流れる場面のことになる)、反戦色が滲む作品でもあるため、そう簡単には笑えない気もします (ただし、木下惠介監督の「二十四の瞳」('54年)の原作もそうだが、この作品の原作「鍋の中」も反戦小説ではなくフツーの文芸小説であり、「原爆」や「ピカ」といった言葉も出てこない)。 そう言えば、今年['20年]4月に亡くなった大林宣彦監督の遺作が「海辺の映画館―キネマの玉手箱」('20年)という反戦色の強い作品でしたが、晩年になるとそうした傾向のものを撮りたくなるのでしょうか。

I「鍋の中」817.jpg八月の狂詩曲es.jpg 原作である「鍋の中」は、村田喜代子(1945- )の1987(昭和62)年上半期・第97回「芥川賞」受賞作です。映画を観ていて、リアルなシーン、戯画化されたシーン、いかにも物語の中のシーンみたいなのが入り混じっていて、例えば、孫たちが鉦おばあさんの料理にダメ出しするなどはリアルだし、ハワイに金持ちの親戚がいると分かった大人たちの行動は通俗的かつ戯画的だし、孫たちは物語の中の人物のように純真であったりします。その辺りにややちぐはぐさを感じましたが、これはおそらく原作がそういう性質のものなのだろうと思いました。でも、原作を読んでみたら、映画と相当違っていました。

 原作者の村田喜代子氏はこの映画化作品に不満だったそうで(そうだろうなあ)、「別冊文藝春秋1991年夏号」に、「ラストで許そう、黒澤明」(『異界飛行』収録)というエッセイを書いています。これを読むと、自分が映画を観て感じたちぐはぐさは、原作者も感じていたということが分って興味深かったです。

八月の狂詩曲5.jpg 例えば、そのエッセイの中に、「主人公の祖母が純文学的造形であるのにくらべ、孫達は通俗小説的可もなく不可もなくで、親はマンガタッチである。この原因はなんだろうと暗闇の中でかんがえた。祖母が映画の中でしっかりと個性を持って立っているのは、原作の造形にわりと忠実に沿っているためだが、孫達はストーリーの幕引き以上の役をここでは持たされていないため、ただ可愛いだけなのである。親達は原作には出てこない映画だけの登場人物であるため、作りがもうひとつ浅いのだろう」といった文章もあります(因みに、原作は孫娘の視点から描かれている)。

 それでもこのエッセイが「ラストで許そう、黒澤明」というタイトルになっているのは、映画を観終わった後、「どうですか、原作者の感想は」と友人に聞かれ、実際、考えた上で、「ラストで許そう、黒澤明」と返事したからそうで、原作者は映画を原作とは別にものとして捉えながらも、ラストの映像の力強さには感じるものがあったようです(三島由紀夫が黒澤のことを「テクニシャン」と呼んでいたが、そうした面はあるかも)。

 自分の作品を映画化してくれた、自分より35歳も年上の世界的監督に、「ラストで許そう」なんて当時は態度が大きいと感じた人もいたようですが、原作者というのは自分の作品の方がいいと思っているのが普通であるし(このエッセイにはっきりそう書いている)、これくらいにのスタンスでもいいのではないかと思います(原作者はラストの、老婆の至福の姿が、黒澤明その人にみえたそうだ)。原作者が「ラストで許そう」なんて言うと、自分もついそんな気になります。主体性が無さすぎかもしれませんが(笑)。
 
八月の狂詩曲 ギアges.jpg この映画は、アメリカでは、芸術性とは異なった部分で評判がイマイチでした。それは、リチャード・ギア演じるクラークが「すみませんでした」「私たち悪かった」と鉦おばあちゃんに謝っている場面が、アメリカ人であるクラークが原爆投下を「すみませんでした」「悪かった」と謝罪していると捉えられたためのようです。実際には、「私たち」は、「鉦の兄であるハワイに移民した錫二郎やクラークらの一家」のことであり、「すみませんでした」は「鉦おばあちゃんの夫が被爆死したことを知らなかった」ことに対してなのですが、そのことが分からず、井川比佐志、根岸季衣らが演じる親たちが、「クラークさんが謝りに来る」とただただ慌てふためく場面もあったりして、これが皮肉にも、観る側にとっての誤解にも結びついたのかもしれません(因みに、原作ではクラークは手紙でしか登場しない)。

 2015年にアメリカのシンクタンクであるピュー・リサーチ・センターが実施した調査では、原爆投下は「正当化できる」と答えた日本人は14%にとどまり、79%は「正当化できない」と回答しているのに対し、アメリカ人では56%が「正当化できる」と回答し、過半数を上回ったそうで、原爆投下に関する歴史認識には、日米のあいだで超えられない深い溝があるようです。

 『COUNTDOWN 1945』という本によれば、広島と長崎への原爆投下から数日後に行われたギャラップの世論調査では、85%のアメリカ人が原爆投下を支持していて、その後の調査で、その支持率は安定していたそうです。被爆60周年を迎えた2005年には、原爆投下を支持するアメリカ人は57%、反対する人は38%だった」と(前述の通り、2015年の調査でもそう変わっていないということにまる)。ところが最近になって、有力紙ロサンゼルス・タイムスが、今年[2020年]8月6日の広島平和記念日に、「日本に原爆を落とす必要なかった」という論説を掲載し、また、近年では、29歳以下の若年層に限定すれば、アメリカでも原爆投下は「間違っていた」と考える人たちは多いといのことです(逆に「正しかった」と考える人々は、65歳以上の白人男性、共和党支持者に多いが、若年層の回答を見ればアメリカの世論も変化しているという指摘もある)。

下村脩 2.jpg 『COUNTDOWN 1945』は、戦争終結のための選択肢は、本土決戦か原爆投下の2つに1つであったという論調ですが、例えば長崎への2回目の原爆投下についてはどうか。広島への原爆投下のたった3日後に、再び無警告で長崎への原爆投下を行ったことは、広島の原爆以上に正当化しえない殺戮だったのではないかと思われます。このことを、2008年にノーベル化学賞を受賞した故・下村脩(長崎に原爆が落ちた際に当時16歳で諫早市にいた)が、ストックホルム大学でのノーベル賞受賞記念講演で話し(通常は記念公演での政治的話題はタブーとされているのだが)、著書にも書いていますが、こうした人々の発言もあって、アメリカでも少しずつ世論が変化しているのかもしれません。

 今この作品が海外公開されていれば、少なくとも当時のように、アメリカの映画界で黙殺されることも無かったかもしれません。ただし、当時のアメリカででも"完全黙殺"されたわけではなく、この映画の撮影時にはなかった平和公園のアメリカからの慰霊碑が、1992(平成4)10月にアメリカのセントポール市から寄贈されていることを付記しておきます(この慰霊碑への寄付を募るために「八月の狂詩曲」上映会がセントポール市で開催された)。

八月の狂詩曲 ポスター.jpg八月の狂詩曲 dvd.jpg八月の狂詩曲(ラプソディー) [DVD]
「八月の狂詩曲(ラプソディー)」●制作年:1991年●監督:黒澤明●製作:黒澤久雄●脚本:黒澤明●撮影:斎藤孝雄/上田正治●音楽:池辺晋一郎●原作:村田喜代子「鍋の中」●時間:98分●出演:村瀬幸子/吉岡秀隆/大寶智子/鈴木美恵/伊崎充則/井川比佐志/根岸季衣/河原崎長シネマ ブルースタジオ 戦争の傷跡 特集.jpg一郎/茅島成美/リチャード・ギア/松本克平/牧よし子/本間文子/川上夏代/音羽久米子/木田三千雄/東静子/堺左千夫/夏木順平/川口節子/槇ひろ子/加藤茂雄/歌澤寅右衛門/門脇三郎●公開:1991/05●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-08-19)(評価:★★★☆)

 

《読書MEMO》
●クラーク役には当初、ジーン・ハックマンが予定されていた。これは脚本を読んだハックマン本人の熱望を受けてのものであった(年齢がクラーク役としては高いため、当初は黒澤が難色を示していた)。ただし、健康上の理由から撮影前に降板している。リチャード・ギアは代役だったわけだが、この作品が原爆論争を引き起こす可能性を含むことを織り込み済みでの出演だったのではないか。撮影で使われた念仏堂(下左)は、撮影終了後に、リチャード・ギアの希望により彼のアメリカの別荘へ移築されたが、ハリウッド俳優としては破格の安い出演料で出演してくれたリチャード・ギアに対する埋め合わせの意味もあったという。リチャード・ギアは、鉦おばあさんの家(下右)も欲しがったが、さすがにこれをアメリカへ移築するのは大変なので諦めてもらったという。
八月の狂詩曲 仏.jpg 八月の狂詩曲 家.jpg

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後の作品の様式美、後の黒澤と三船の関係の終焉の予兆を感じさせる作品ではないか。

蜘蛛巣城 1957.jpg蜘蛛巣城 dvd.jpg蜘蛛巣城 10.jpg
蜘蛛巣城<普及版> [DVD]」三船敏郎

蜘蛛巣城 浪花ド.jpg 北の館(きたのたち)の主・藤巻の謀反を鎮圧した武将、鷲津武時(三船敏郎)と三木義明(千秋実)は、喜ぶ主君・都築国春(佐々木孝丸)に召喚され、蜘蛛巣城へ馬を走らせるが、霧深い「蜘蛛手の森」で道に迷い、奇妙な老婆(浪花千栄子)と出会う。老婆は、武時はやがて北の館の主、そして蜘蛛巣城の城主になり、義明は一の砦の大将となり、やがて子が蜘蛛巣城の城主なると告げる。二人は一笑に蜘蛛巣城 三船es.jpg付すが、主君が与えた褒賞は、武時を北の館の主に、義明を一の砦<の大将に任ずるものだった。武時から一部始終を聞いた妻・浅茅(山田五十鈴)は、老婆の予言を国春が知ればこちらが危ないと謀反を唆し、武時の心は揺れ動く。折りしも、国春が、藤蜘蛛巣城 ンロード.jpg巻の謀反の黒幕、隣国の乾を討つために北の館へ来た。その夜、浅茅は見張りの兵士らを痺れ薬入りの酒で眠らせ、武時は、国春を殺す。主君殺しの濡れ衣をかけられた臣下・小田倉則安(志村喬)は国春の嫡男・国丸(太刀川洋一)と蜘蛛巣城に至るが、蜘蛛巣城蜘蛛巣城 16.jpgの留守を預かっていた義明は開門せず、弓矢で攻撃してきたため逃亡する。義明の推挙もあり、蜘蛛巣城の城主となった武時だったが、子が無いために義明の嫡男・義照(久保明)を養子に迎えようとする。だが浅茅はこれを拒み、加えて懐妊を告げたため、武時も心変わりする。義明親子が姿を見せないまま養子縁組の宴が始まるが、その中で武時は、死装束に身を包んだ義明の幻を見て、抜刀して錯乱する。浅茅が客を引き上げさせると、郎党の武者から、義明は殺害したが、義照は取り逃がしたとの報が入る。嵐の夜、浅茅は蜘蛛巣城 三船 山田.jpeg死産し、国丸、則安、義照を擁した乾の軍勢が攻め込んでくる。無策の家臣らに苛立った武時は、森の老婆を思い出し、蜘蛛手の森へ馬を走らせる。現れた老婆は「蜘蛛手の森が城に寄せて来ぬ限り、お前様は戦に敗れることはない」と予言する。蜘蛛巣城を包囲され動揺する将兵に、武時は老婆の予言を語って聞かせ、士気を高めるが、野鳥の群れが城に飛び込むなどした不穏な夜が明けると浅茅は発狂し、手を「血が取れぬ」と洗い続ける。そして蜘蛛手の森は寄せ来る。恐慌をきたす兵士らに持ち場に戻れと怒鳴る武時めがけ、味方側から無数の矢が放たれる―。

 黒澤明監督の1957年公開作で、シェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代に置き換えた作品であることはよく知られています。クレジットに「原作:シェイクスピア「マクベス」と無いのは、「原作」ではなく「翻案」ということだと思われますがが、Wikipediaなどでは「原作」となっています。また、海外ではシェイクスピアの映画化作品で最も優れた作品の一つとして評価されているようです(ヴェネツィア国際映画祭「金獅子賞」ノミネート作品)。

蜘蛛巣城 last.jpg 1956年10月16日、第1回ロンドン映画祭のオープニング作品として上映され、黒澤明もこれに出席、その直後にローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リーの夫妻と会食し、ローレンス・オリヴィエは本作について、浅茅を妊娠させ、死産で発狂させたことや、森が動き出す前夜、森を荒らされた鳥たちが城に飛んでくるところ、最後に武時が味方の矢で殺されるところなどを評価し、ヴィヴィアン・リーも山田五十鈴の演技に興味を持ち、動きの少ない演技や発狂するときのメーキャップについて熱心に質問したそうです。

蜘蛛巣城 mori.jpg 原作にはマクベスの妻の妊娠は無く、こうしたオリジナリティから黒澤自身がこの作品を「マクベス」のリメイクとしては公表しなかった言われていま蜘蛛巣城 志村4.jpgす。また、最後に武時が味方の無数の矢で殺される部分は、原作ではマクベスは、「女(訳本によっては「女の股」)から生まれた者には殺されない」と魔女に告げられ慢心していたのが、「母の腹を破って出てきた」(要するに「帝王切開」で生まれた)マクダフという男に殺されます(映画では、「バーナムの森がダーネンの丘に向かってこない限りはマクベスは滅びない」との予言の方だけ採用されている。娯楽性を重視する黒澤明がわかりやすい方のみを選択したのではないか)。

蜘蛛巣城 山田.jpg また、山田五十鈴演じる浅茅が狂気に陥る場面では、山田五十鈴は、凄まじい形相で手を洗う仕草をくり返す演技を自分で組み立て、自宅で水道の水を流して自己リハーサルをくり返したといい、この演技は、黒澤にして「このカットほど満足したカットはない」と言わせましたが、黒澤明の方でも、山田五十鈴の白眼に金箔を張るなど、「七人の侍」('54年)で雨に墨汁を混ぜたのと同じような技巧を施しています。

蜘蛛巣城 yamada.jpg ヴィヴィアン・リーも関心を持った山田五十鈴演じる浅茅の演技は、黒澤明自蜘蛛巣城 mihune.png身が好きだったという能の所作を取り入れたもので、モノクロ画面の印影と相俟って強烈な印象を残しますが、この作品が「七人の侍」や「隠し砦の三悪人」('58年)など黒澤作品と同じ50年代の作品であり、同様のダイナミズムを有しながらも、一方で、後の「乱」('85年)(これもシェイ東京暮色 yamada nakamura.jpgクスピアの「リア王」を翻案した作品だが)などに見られる能の様式美をすでに体現していることが興味深いです。しかし。山田五十鈴という女優は、同じ年に小津安二郎監督の「東京暮色」('57年)にも出ているわけで、演技の幅広さを感じます(「東京暮色」には、この作品で「幻の武士」役の中村伸郎、宮口精二も出ている)。

「東京暮色」('57年)山田五十鈴/中村伸郎

 でも、やはり三船敏郎が一番でしょうか。武時が味方の矢で殺されるというのは、原作からの大きな改変と言えますが、ローレンス・オリヴィエをしてその箇所を評価せしめているのは、やはり三船敏郎の演技によるところが大きいと思われ、改めて三船あっての黒澤作品であると思わざるを得ません。このシーン蜘蛛巣城 三船.jpg、大学の弓道部の学生を大勢動員して実際に三船に向けて蜘蛛巣城 大學弓道部.jpg矢を放ったという、まさに命懸けの撮影だったわけですが、三船は本作の撮影終了後も、自宅で酒を飲んでいると矢を射かけられたラストシーンを思い出し、あまりにも危険な撮影をさせた黒澤にだんだんと腹が立ち、酒に酔った勢いで散弾銃を持って黒澤の自宅に押しかけ、自宅前で「こら〜!出て来い!」と叫んだというエピソードがあります。これはある意味、将来の黒澤と三船の関係の終焉の予兆を感じさせるような話のように思えます。

土屋嘉男(鷲津の郎党D、伝令、騎馬の伝令の3役)
蜘蛛巣城 土屋.jpg 伝令の男が城門を叩くシーンは、当初は鷲津の郎党の一人の役の土屋嘉男が推薦した俳優が演じていましたが、「演技が嘘っぽい」として黒澤が気に入らず数日を費やしたため、監督直々の頼みで土屋嘉男が吹き替えをすることとなり、また、鷲津武時に騎馬の伝令が敵情を緊急報告する場面では、ベテランの馬術スタッフが急に「役が重すぎる」と怖気づいたため、乗馬の心得のある土屋嘉男が再び黒澤監督から直々の頼みを受け、この伝令の役を演じています。土屋嘉男は自身にとって会心のテイクが3度目にあったものの、黒澤監督から馬の動きに注文を出され、何度もテイクを重ねることになり、堪りかねてわざと黒澤監督めがけて馬を走らせて、逃げる監督を追いかけ回し、3度目のテイクにOKを出させたとか。土屋嘉男は「隠し砦の三悪人」でも騎馬侍を演じ、馬上で三船敏郎と会い交える派手な騎乗シーンを見せてくれています。

加藤武(都築警護の武士A)/千秋実(三木義明&その幻影)/浪花千栄子(物の怪の妖婆)/中村伸郎(幻の武者C)
蜘蛛巣城 katou1.jpg 蜘蛛巣城 千秋.jpg 蜘蛛巣城 浪花.jpg 蜘蛛巣城 中村.jpg
志村喬(小田倉則保)
蜘蛛巣城 志村.jpg蜘蛛巣城 1.jpg「蜘蛛巣城」●制作年:1957 年●監督:黒澤明●製作:藤本真澄/黒澤明●脚本:小国英雄/橋本忍/菊島隆三/黒澤明●撮影:中井朝一●音楽:佐藤勝●原作:ウィリアム・シェイクスピア「マクベス」(クレジット無し)●時間:110分●出演:三船敏郎/山田五十鈴/志村喬/久保明/太刀川洋一/千秋実/佐々木孝丸/清水元/高堂国典/上田吉二郎/三好栄子/浪花千栄子/富田仲次郎/藤木悠/堺左千夫/大友伸/土屋嘉男/稲葉義男/笈川武夫/谷晃/沢村いき雄/佐田豊/恩田清二郎/高木新平/増田正雄/浅野光雄/井上昭文/小池朝雄/加藤武/高木均/樋口廸也/大村千吉/櫻井巨郎/土屋詩朗/松下猛夫/大友純/坪野鎌之/大橋史典/木村功(特別出演)/宮口精二(特別出演)/中村伸郎(特別出演)●公開:1957/01●配給:東宝●最初に観た場所(再見):北千住・シネマブルースタジオ(10-09-21)(評価:★★★★☆)

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合田刑事シリーズ第5作は、カポーティ×『レディ・ジョーカー』か?

冷血 上下.jpg冷血  毎日新聞社.jpg
冷血(上・下)』(2012/11 毎日新聞社)
   
冷血(上) (新潮文庫)』『冷血(下) (新潮文庫)』['18年]

 クリスマスイヴの朝、午前九時。歯科医一家殺害の第一報。警視庁捜査一課の合田雄一郎は、北区の現場に臨場する。容疑者として浮上してきたのは、井上克美と戸田吉生。彼らは一体何者なのか。その関係性とは? 高梨亨、優子、歩、渉―なぜ、罪なき四人は生を奪われなければならなかったのか。社会の暗渠を流れる中で軌跡を交え、罪を重ねた男ふたり。合田は新たなる荒野に足を踏み入れる(上巻)。井上克美、戸田吉生。逮捕された両名は犯行を認めた。だが、その供述は捜査員を困惑させる。彼らの言葉が事案の重大性とまるで釣り合わないのだ。闇の求人サイトで知り合った男たちが視線を合わせて数日で起こした、歯科医一家強盗殺害事件。最終決着に向けて突き進む群れに逆らうかのように、合田雄一郎はふたりを理解しようと手を伸ばす─。生と死、罪と罰を問い直す、渾身の長篇小説(下巻)。(各文庫版口上より)

 出版された時は結構話題になりましたが、文庫になってから読もうと思っていたら、文庫化まで6年くらいかかった本(この作家は、文庫化の際に改稿する作家でもある)。『マークスの山』から始まり、『照柿』『レディ・ジョーカー』『太陽を曳く馬』と続いた合田雄一郎シリーズの第5作ですが、タイトルから窺えるように、トルーマン・カポーティの『冷血』を意識したものと思われます。前半が「事件」篇で、後半が「裁判」篇で、加害者が死刑になる(二人のうち一人は病死するが)ところで終わるのも似ています。

 ただし、カポーティの『冷血』は、実際に発生した殺人事件を作者が徹底的に取材し、加害者を含む事件の関係者にインタビューすることで、事件の発生から加害者逮捕、加害者の死刑執行に至る過程を再現したノンフィクション・ノベルですが(このジャンルのノンフィクション・ノベルに、佐木隆三の『復讐するは我にあり』がある)、本書はあくまでもフィクションということになります。

 ただ、フィクションでありながらも、2000年(平成12年)12月30日深夜に東京都世田谷区上祖師谷で発生し、未だ解決をみない「世田谷一家殺害事件」をモチーフにしているのは間違いなく、この点では、1984年と1985年に起きた食品会社を標的とした企業脅迫事件「グリコ・森永事件」をモチーフにしたと思われる『レディ・ジョーカー』のスタイルと似ているようにも思います。

 多分、この小説の意図は、「理由なき殺人」を描こうとした点にあるのではないでしょうか。『レディ・ジョーカー』の場合は、「あの事件はこんな犯人像だったかもしれないよ」と示唆しているように感じたのですが(それに納得するかどうかは別として)、この『冷血』では、犯人は二人とも、気がついたら人殺しをしていたという感じで、ところが裁判ではその動機を何とか確定しようとするため、そこに齟齬が生じる、そのギャップを描きたかったのではないかという気がします。

 ただ、その辺りの狙いが見えにくい点がやや難でしょうか。残忍な犯罪を犯したその背景となる生い立ちを犯人の幼少時に遡って分析していますが、躁鬱病の犯人が幼少時にキャベツ畑のキャベツを鍬で叩きつぶす感触と、歯医者夫婦の頭を根切りで叩きつぶす感触が似ていて快感を覚えたというところで、ちょっとついていけない読者もいたのでは。

 でも、やはり、「殺人犯はこうして作られる」こともある、そして、「彼らは、理由にならないような理由で殺人を犯す」こともある―ということがテーマなのではないでしょうか。「こともある」としたのは、この作品がフィクションだからですが、これがノン・フィクションであれば、完全にカポーティの『冷血』と重なるわけで、だから『冷血』というタイトルなのだと思います。

【2018年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

《読書MEMO》
●2013年1~6月に読まれた書評ベスト10 (2013/8/10付 日本経済新聞 電子版)
1 冷血(上・下) 高村薫 著
2 ソロモンの偽証 第1部~第3部 宮部みゆき 著
3 知の逆転 吉成真由美 編
4 等伯(上・下) 安部龍太郎 著
5 僕の死に方 金子哲雄 著
6 私を知らないで 白河三兎 著
7 紅の党 朝日新聞中国総局 著
8 問題です。2000円の弁当を3秒で「安い!」と思わせなさい 山田真哉 著
9 皮膚感覚と人間のこころ 傳田光洋 著
10「弱くても勝てます」 高橋秀実 著

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「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

前半はメタ小説として面白かったが、後半は漫画「ONE PIECE」になってしまった。

熱帯.jpg熱帯』(2018/11 文藝春秋)

 2018(平成30)年下半期・第160回「直木賞」候補作。2019(平成31)年・第16回「本屋大賞」第4位。

 「汝にかかわりなきことを語るなかれ」という謎めいた警句から始まる一冊の本『熱帯』。この本に惹かれ、探し求める作家の森見登美彦氏はある日、奇妙な催し「沈黙読書会」でこの本の秘密を知る女性と出会う。そこで彼女は「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」と言うが、この言葉の真意とは? 秘密を解き明かすべく集結した「学団」のメンバーは、神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと「部屋の中の部屋」...。幻の本をめぐる冒険はいつしか妄想の大海原を駆けめぐり、謎の源流へと向かう―。

 かつてAmazonサイト内にあったマトグロッソ(今は独立している出版社イースト・プレスが運営するWeb文芸誌)に連載されていた作品で、作者が連載を抱えすぎて心身症を発症したため中断していましたが、それが作者が復活して完結させたもの、作者の『夜は短し歩あるけよ乙女』('06年/角川書店)、『夜行』('16年/小学館)に続いて3度目の「直木賞」候補にもなっています。

 ただし、個人的には、前半はメタ小説として面白かったのですがで(主人公は「スランプに陥っている作家・森見登美彦氏」)、後半は漫画「ONE PIECE」みたいになってしまっていて、リアルなイメージが全然湧きませんでした(『夜よるは短し歩あるけよ乙女』のアニメ版を観てしまったことも影響している?)。Amazon.comのレビューを見ると、固定的なファンと思われる人々から絶賛されている一方、一部からは「才能が枯渇したか」などとも評されています(個人的には、後者の意見に近い印象を持ってしまったのだが)。

 「直木賞」の方は、大衆選考会での推薦文には、「現実と空想の境界が曖昧になる構成が見事」「森見ワールドに何回でも浸らせてくださる」といった評が並んでいますが、本選考では強く推す人がいなかったようです。

 林真理子氏が、「読者をぐるぐると迷路の中に誘い込んだ。その混乱が大好きという人もたくさんいるであろうが、私は楽しめなかった」「読者も一緒になってイマジネーションを楽しむ作品なのだろうが、私は従いていけなかった」と述べていますが、自分の感想もこれに近かったでしょうか。

 東野圭吾氏などは、「本作には○も△も×も付けられなかった。この作品の何を楽しめばいいのか、まるでわからなかったからだ」「候補になっているのだから、ほかの人にはわかる美点があるに違いない。それが全く見えないのは、私に文学的素養がないからだろう。つまり本作は純文学なのだ。たぶん」と言っていて、これって半ば皮肉が込められているのではないでしょうか(笑)。

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「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

上手いことは上手いが、〈あざとさ〉を感じた。結末が中途半端な印象も。

流浪の月.jpg流浪の月2.jpg
【2020年本屋大賞 大賞受賞作】流浪の月

 2020(平成28)年・第41回「吉川英治文学新人賞」候補作。2020(令和2)年・第17回「本屋大賞」第1位(大賞)作品。

 家内(かない)更紗は、公務員だった父と自由な性格の母のもとに育っていったが、小学3年生の時に父は病死、1年後に母は男と蒸発した。親戚に引き取られた更紗だが、そこでの生活に窮屈さを感じ、また、その家の子・孝弘からは性的な扱いをされることで、完全に空虚な気持ちになっていた。ある日、公園で本を読んでいた更紗は、「ロリコン」とあだ名が付けられた、いつも公園で小学生を眺めながら読書をしている青年から、「うちへ来ないか」と言われ、ついていくことに。 青年は佐伯文(ふみ)という19歳の一人暮らしの学生で、噂とは異なり、更紗に対して性的な目は向けず、淡々と共同生活が続いた。文は真面目で、逆に更紗は自由な生活を手に入れ、両者は互いに信頼関係を築いていく。2か月の共同生活が続き、少女行方不明事件として話題を呼んでいた頃、文と更紗は油断して動物園に出かけ、そこでメディアにも報道されていた更紗に気づいた人が通報し、文は逮捕される。更紗はやっと現れた理解者が連れて行かれることに抵抗し、文の無罪を主張したが、誰からも信用されることはなかった。失意のまま親戚の家に戻った更紗は、相変わらず孝弘の「いたずら」が行われようとしたため、ビンで孝弘を強打し、孝弘の罪を言えないまま、少女時代を児童養護施設で過ごすことになる。14年後、彼女は大人になり、恋人・亮と同棲をしていた。しかし、過去の呪縛はいまだに彼女を縛り続けている。そんあなある日、更紗は文と思わぬ再会を果たすことになる―。

恩田陸 オンダ・リク.jpg 今年(2020)年4月発表の第17回「本屋大賞」の「大賞」受賞作ですが、3月の「吉川英治文学新人賞」では候補作でありながらも、5人の選考委員の内、積極的に推したのが(言わば◎をつけたのが)、恩田陸氏だけで、他にいなかったため受賞に至っていません。恩田睦氏は、「ここには、私たちが日々感じている息苦しさや生きにくさが描かれており、そのひとつの解決策が提示されている」としています。

 一方、その他の選考委員では、京極夏彦氏は、「筆力も、時代を写し取る感性も、申し分ない。よりシンプルな構造にしたほうが、完成度もいや増し、普遍性も獲得できていたようにも感じられる。惜しい」としていて(言わば△)、個人的にも、上手いとは思うけれど、読んでいてまどろっこしさを感じることもありました。

伊集院静es.jpg 他の選考委員は比較的厳しい評価で(言わば×)、伊集院静氏は作品の曖昧さに苦言を呈し、「亮という人物を登場させたことで作品に不必要な色合いをつけた」とも。大沢在昌氏も、「ファンタジーとしか読めなかった。こういう形での男女の交流を完全否定はしないが、清潔感でくるむことで、本来あってはならないことから目をそらせているようで、読んでいて落ちつかなかった」と。重松清氏も、「エグい要素が満載の作品でありながら、不思議な静謐さと清潔さをたたえていた」としながらも、「やや都合の良すぎる展開も目についてしまった」としています(亮が所謂「恋人間DV」であったという点などがそうか)。

 版元の口上に「あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい―。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める」とあり、これだけでは何のことかさっぱり分かりませんが(笑)、生き辛い二人の見つけた互いが唯一安心できる関係と、世間の眼とのギャップが1つテーマになっているのかなと思いました(同様のテーマは、吉田修一氏の『悪人』('07年/朝日新聞社)などにも見られたように思う)。

 ただ、若干ネタバレになりますが、文がと更紗に対して性的な接し方をしないというのが、結局、終章で、文の気質的要因によるものだと分かった時、小説としてどうなのだろうと。結局、上手いことは上手いのですが、読者の内に潜む"道徳観"を逆利用して、読者を驚かせようとしているような〈あざとさ〉を感じなくもなかったです。また、かつての文は、本文中にもあるように、客観的には少女拉致監禁犯になるわけで、手を出さなければよいというものでもなく、この辺りも、プロ作家が選考委員を務める賞で、ノミネートされながらも受賞に至らなかった理由のような気がします。

 恩田睦氏が「ひとつの解決策が提示されている」としていると書きましたが、ハッピーエンドかというとどうかなと思います。結局、ラストではっきり示されているように、この二人はいつまでもさすらっていく可能性があり、作者もそれが分かっていて、タイトルに「流浪」とあるのでしょう。最後に、二人は知人の子ども「梨花」と会っていて、ある種「ステップファミリー」的なものを示唆しているのかなとも思いましたが、その子と会うのは年に1回ということで、全然そこまでもいっておらず、そうしたことも含め、全体に(特に結末部分)中途半端な印象は否めませんでした。

《読書MEMO》
●2020年本屋大賞
2020年本屋大賞.jpeg

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新たに発見された続編と併せ、当初からストーリー性の高い構想だったのではないか。

夫婦善哉 決定版 新潮文庫.jpg夫婦善哉 (新潮文庫)旧.jpg 夫婦善哉 DVD.jpg 夫婦善哉 森繁久弥・淡島千景.jpg
夫婦善哉 決定版 (新潮文庫)』['16年]『夫婦善哉 (新潮文庫)』['50年/'00年改版]「夫婦善哉 [DVD]」淡島千景/森繁久彌
夫婦善哉19.JPG 大正時代の大阪。貧乏な天ぷらやの娘・蝶子は、17歳で芸者になり、陽気でお転婆な人気芸者に成長する。そして化粧問屋の若旦那・柳吉といい仲になり、駆け落ちをする。ところが熱海で関東大震災に出くわした二人は、大阪に戻り、黒門市場の裏路地の2階に間借り生活をはじめる。蝶子は職のない柳吉に代わり、ヤトナ芸者(コンパニオン)で稼ぎに出るが、柳吉はその金でカフェに出かけたりしていた。柳吉は実家の父親から勘当され、蝶子が苦労して貯めた金に手をつけて放蕩を繰り返す。蝶子はなんとか柳吉を一人前の男にして、実家から認めてもらおうと、商売を始める。剃刀屋、関東煮屋、果物屋、カフェなど転々と商売をするが、結局は柳吉の浪費で失敗に終わる。蝶子の苦労はなかなか報われず、柳吉も腎臓結石を患い、実家から廃嫡される。ある日、柳吉は蝶子を法善寺境内の「めおとぜんざい」に誘い、二人仲良くぜんざいをすする。蝶子はめっきり肥えて座布団が尻に隠れるほどになった―。(「夫婦善哉」)

 「夫婦善哉」は、織田作之助(1913-1947/33歳没)が1940(昭和15)年4月に同人雑誌「海風」に発表し、作者が世に出る契機となった作品です。新潮文庫の旧版(1950年刊)は、この他に「木の都」「六白金星」「アドバルーン」「世相」「競馬」の五編を所収していましたが、2007年に「続 夫婦善哉」の未発表原稿が発見されて刊行され(『夫婦善哉 完全版』雄松堂出版)、この文庫「決定版」は、旧版に「続 夫婦善哉」を加えたものです(新版の解説は石原千秋・早稲田大学教授だが、旧版の作家・青山光二の解説も載せている)。

映画 夫婦善哉0.jpg 「夫婦善哉」は、前記の通り、北新地の人気芸者で陽気なしっかり者の女・蝶子と、化粧問屋の若旦那で優柔不断な妻子持ちの男・柳吉が駆け落ちし、次々と商売を試みては失敗し、喧嘩しながらも別れずに一緒に生きてゆく内縁夫婦の物語であり、豊田四郎監督、森繁久彌、淡島千景主演の映画('55年/東宝)でも知られています。映画は森繁久彌主演ということもあって結構ユーモラスに描かれていますが、原作を読むと、見方によっては、頑張り屋の女性がダメ男に惚れたばっかりに、共に破滅に向かっていく、その予兆の部分まで描いた作品ととれなくもないように思いました。

「夫婦善哉」('55年/東宝)

 ところが、2007年に見つかった「続 夫婦善哉」では、二人は別府に渡り、そこで例のごとく商売を始め、前と同じく起伏がありながらも何とか見通しがついたところへ、隆吉の娘から、自分が結婚することになったので、二人で式に対会ってもらいたいとの速達が届く―という結末になっています(ハッピーエンドと言っていいのでは)。

夫婦善哉 映画 自殺未遂.jpg 実は、本編の終盤で、柳吉の父親が亡くなった際に、蝶子が葬式に出ることを実家から拒まれ、紋付を二人分用意していた蝶子は、いまだに隆吉の実家に自分が受け容れてもらえないのかと絶望し、ガス自殺未遂を起こすという事件があり(この事件は映画にも描かれて、原作同様に新聞記事になっている。この事件のため、柳吉は結局、父の位牌を持つことさえ許されなかったというのは映画のオリジナル)、こうしたことが、文学的には傑作だが、現実的に考えると、一人の女性が破滅に向かう話ともとれるのではないかと個人的に危惧するところであったのですが、ちゃんと話に続きがあって、前は「葬式に呼ばれなかった」けれど、今度は「結婚式に呼ばれる」という相対する結末が「続 夫婦善哉」には用意されていたのだなあと。

 決定版解説の石原千秋氏は、「夫婦善哉」を書いたのは私たちのイメージの中にある「織田作之助」その人であって、「続 夫婦善哉」を書いたのは、人間織田作之助であり、「夫婦善哉」には文学があって、「続 夫婦善哉」には織田作之助がいるとしていますが、なるほど、そうい夫婦ぜんざい.jpgう見方もあるのかなあと。ただし、旧版解説の青山光二(1913-2008)は、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さないというのが、短編小説の名手とされた織田作之助の基本的態度でもあった」としており、青山光二は、柳吉と蝶子が法善寺境内の「めおとぜんざい」に行き、二人でぜんざいを食べるという結末のイメージは早くから作者の頭の中にあったようだとしていますが、もしかしたら、更にその先までストーリーはできていたのかも、と思ってしまいます。
夫婦ぜんざい

 青山光二は、「若書きの『夫婦善哉』には、「文章に未熟な個所が目立ち、構成にも起伏が乏しい」といった弱点があるとしながらも、「この作品が今日まで多くの読者を獲得しつづけ、名品の風格さえ高いと思えるのは、題材と渾然たる調和をなす斬新な文体と、それによって一分の弛みもなく作品を支えている高度の緊張感、さらに作品の根底にある、作者の煮つまった情熱が、そくそくと伝わってきて、読者の心をうつからである」と評しています。

 確かに、戦後書かれた「世相」や「競馬」の方が、完成度自体は高いのかも。「世相」は作者の分身と思しき作家が世相を見ながら作品のネタを漁る、虚実皮膜譚のような構成でオチは無いのですが、真面目男がふとした契機から競馬に嵌ることになる「競馬」は、ストーリー性も高いように思います。ただし、「夫婦善哉」が「続 夫婦善哉」と当初からセットで構想されていたとしたら、ストーリー性においても後の作品と遜色なく、青山光二の言うように、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さない」というのは、デビュー当時からそうだったのではないかと思わせます。

 最初に読んだ時は、「世相」や「競馬」は「夫婦善哉」と並ぶ傑作だと思いましたが、読み返してみると、1940(昭和15)年の夏に(つまり「夫婦善哉」のすぐ後に)書かれた、作者と同じ六白水星の星まわりの少年・楢雄を主人公とする「六白水星」が傑作と言うか、愛おしい作品のように思えてきました(因みに、この作品は書いたときは発表が許されず、戦後に改稿して発表されている。織田作之助は、「夫婦善哉」の次作「青春の逆説」が発禁処分になっていて、このことはそのまま「世相」の中に話として出てくる)。「六白水星」は、何となくオチが無いように見えますが、読み返してみると、青山光二の言うように、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さない」という法則が当て嵌まるかのように、ラストが決まっているなあと思いました。

映画 夫婦善哉1.jpg 映画「夫婦善哉」は、森繁久彌演じる柳吉と淡島千景演じる蝶子が熱海の温泉旅館に駆け落ちと洒落込んだところへ関東大震災に見舞われるというのが出だしでしたが、森繁久彌のアドリブっぽい演技もあって(原作に無い台詞が結構あったように思う)ユーモラスに淡島千景 森繁久彌 夫婦善哉.jpg描かれていたし、あの映画で一番気持ちがいいのは、淡島千景演じる蝶子が、「あの人を一人前の男に出世させたら、それで本望や」と言い切るところですが、原作ではこうした啖呵を切る場面はありません。

 淡島千景は、この作品の演技で1955年・第6回ブルーリボン賞・主演女優賞を受賞。デビュー作でいきなりブルーリボン賞・主演女優賞を受賞した渋谷実監督の「てんやわんや」('50年/松竹)に続く2度目の受賞で、1955年度(1956(昭和31)年)・第4回「菊池寛賞」も受賞しています。また、森繁久彌も1955年・第6回ブルーリボン賞・主演男優賞を初受賞、淡島千景とのコンビで、この作品以降、「駅前シリーズ」など多くの作品で夫婦役を演じることになります。
  
映画 夫婦善哉 awasima.jpg 淡島千景(1924-2012、享年87)は生涯を独身で通しています。森繁久彌(1913-2009、享年96)が生前に「ずっと手が出なかった」と語ったように、男性を寄せつけないオーラがあったそうです。映画は、豊田四郎監督とこの二人のコンビで「新・夫婦善哉」('63年/東宝)が作られただけでリメイク作品はありません。一方、1966年以降10回ほどTVドラマ化されていて、扇千景、中村玉緒、榊原るみ夫婦善哉 森山未來 尾野真千子.jpg、泉ピン子、森光子、浜木綿子、三林京子、黒木瞳、田中裕子、藤山直美らが蝶子(またはそれに相当する役)を演じていますが、淡島千景を超えるものはなかったとの世評のようです。2013年の織田作之助生誕100年を機に、新たに発見された続編を含む新解釈でNHKが初めてテレビドラマ化しています(全4回)。柳吉と蝶子は森山未來と尾野真千子が演じましたが、残念ながら未見です。どろっとした役を演じても透明感のあるのが淡島千景でしたが、尾野真千子はどこまでそれに迫れたのでしょうか。

NHK土曜ドラマ「夫婦善哉」(2013年)森山未來/尾野真千子
 
映画 夫婦善哉es.jpg映画 夫婦善哉ド.jpg「夫婦善哉」●制作年:1955年●監督:豊田四郎●製作:佐藤一郎●脚本:八住利雄●撮影:三浦光雄●音楽:團伊玖磨●原作:織田作之助●時間:121分●出演:森繁久彌/淡島千景/司葉子/浪花千栄子/小堀誠/田村楽太/三好栄子/森川佳子/山山茶花究 夫婦善哉.jpg茶花究/万代峰子●公開:1955/09●配給:東浪花千栄子 夫婦善哉.jpg宝(評価★★★★)
 
山茶花究/浪花千栄子