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冒頭の消防士の妻の証言は、読むのが辛いくらい衝撃的で、哀しい愛の物語でもある。

チェルノブイリの祈り.jpgチェルノブイリの祈り――未来の物語.jpgスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ.jpg スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ
チェルノブイリの祈り-未来の物語 (岩波現代文庫)
チェルノブイリの祈り―未来の物語

スベトラーナ・アレクシエービッチ.jpg 戦争や社会問題の実態を、関係者への聞き書きという技法を通して描き、ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞したベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの著作で、第二次世界大戦に従軍した女性や関係者を取材した『戦争は女の顔をしていない』(1984)、第二次世界大戦のドイツ軍侵攻当時に子供だった人々の体験談を集めた『ボタン穴から見た戦争』(1985)、アフガニスタン侵攻に従軍した人々や家族の証言を集めた『アフガン帰還兵の証言』(1991)、ソ連崩壊からの急激な体制転換期に生きる支えを失って自殺を試みた人々を取材した『死に魅入られた人びと』(1994)に続く第5弾が、チェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇した人々の証言を取り上げた本書『チェルノブイリの祈り』(1997)です。

 1986年の巨大原発事故に遭遇した人々を3年間以上かけて、子どもからお年寄りまで、職業もさまざまな人たち300人に取材して完成したドキュメントですが、1998年に邦訳が出された際は、日本ではそれほど注目されてなかったのではないかと思います。それが2015年のノーベル文学賞受賞で知られるようになり、そう言えば2011年の東日本大震災・福島原発事故の年に、岩波現代文庫で文庫化されていたのだなあと―自分もほぼそのパターンです。

 チェルノブイリ原発事故とその後の対応に自身や近しい人が関わった様々な立場や職業の人々の証言が綴られていますが、やはり最も衝撃的だったのは、事故発生時に消火活動にあたった消防士の妻の話でした(この消防隊は後から駆け付けた応援部隊も含め最終的にほぼ〈全滅〉したとされている)。

 病院に搬送された夫を追って、妊娠を隠し会いにでかける妻。妊娠中だと夫に会えず、またそうでなくとも、将来妊娠する可能性があれば夫に会わせてもらえないため、息子と娘がいると嘘を言い、医師に「二人いるならもう生まなくていいですね」と言われてやっと「中枢神経系が完全にやられ」「骨髄もすべておかされている」という夫のいる病室へ。夫の食事の用意をどうしようかと悩むと、「もうその必要はありません。彼らの胃は食べ物を受けつけなくなっています」と医師に告げられる―。

 それから彼女は、毎日"ちがう夫"と会うことになります。やけどが表面に出てきて、粘膜がゆっくり剥がれ落ち、顔や体の色は、青色、赤色、灰色がかかった褐色へと変化していく。それでも彼女は愛する夫を救おうと奔走し(凄い行動力!)、泣きじゃくる14歳の夫の妹の骨髄が適応したことを知ると、それを夫に告げるも、優しい夫は彼女からの移植を拒否し、代って看護婦だった姉が覚悟の上で提供を申し出、手術を行います(姉は今も病弱で身障者であると言う)。

 夫のそばのテーブルに置かれたオレンジは、夫から出る放射能でピンク色に変わり、それでも、妻は時間の許すかぎり夫の傍に付き添って世話をし続けます。致死量の4000レントゲンをはるかに超える16000レントゲンを浴びた夫の身体は、まさに原子炉そのものであるのに、その夫のそばに居続ける妻の狂気。肺や肝臓の切れ端が口から出て窒息しそうになる夫。事故からたった14日で死を向かえた夫は、亜鉛の棺に納められ、ハンダ付けをし、上にはコンクリート板をのせられ埋葬され、一方、その後、生まれた娘は肝硬変で先天性心臓欠陥があり、4時間で死亡します。

 あまりに衝撃的で、読むのが辛いくらいであり、同時に、極限下で互いの気持ちを通い合わせる若い夫婦のあまりに哀しい愛の物語でもあります。

TVドラマ「チェルノブイリ」(2019)
ドラマ チェルノブイリ1.jpgドラマ チェルノブイリ2.jpgドラマ チェルノブイリ3.jpg  昨年[2019年]アメリカ・HBOで制作・放送され、日本でもスターチャンネルで放映されたテレビドラマ「チェルノブイリ」(全5回のミニシリーズ)にも、このエピソードが反映されたシーンがあったように思いましたが、虚構化された映像よりも、この生々しい現実を伝える「聞き書き」の方が強烈であり、ジャーナリスト初のノーベル文学賞受賞というのも頷けます。

東海村JOCの臨界事故
東海村JCO臨界事故.bmp 思えば、日本国内で初めて事故被曝による死亡者を出した1999年の東海村JCO臨界事故でも、犠牲となった2名の作業員は同じような亡くなり方をしたわけで、うちの1人である大内久さん(当時35歳)の83日間にわたる闘病・延命の記録は、海外では大きく取り上げられたものの、日本では、日本だけが報じない写真などがあるらしく、国の原子力政策上不都合なものには蓋をするという動きが働いたのではないでしょうか。マスコミ内にも、あの問題に触れることをタブー視する、或いは触れないよう"忖度"する気配があるように思います。

 東海村の事故は、2011年の福島原発事故より10年以上前のことですが、本書著者のノーベル文学賞受賞は2015年で、福島原発事故から4年しか経っておらず、その割にはマスコミもあまり彼女の受賞を報道しなかったように思います。本書のベラルーシでの出版は独裁政権による言論統制のために取り消されているとのことですが、目に見えない"報道規制"は日本でもあり得るのではないかと思った次第です。

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新たな角度から我々に考えさせるものを投げかけているように思った。

フクシマ 2011-2017.jpgフクシマ 2011-2017 FUKUSHIMA 2011-2017』(30.4 x 30.2 x 2.4 cm)

フクシマ 2011-2017 01.jpeg 写真家が、2011年3月11日の東日本大震災の後、同年6月に川内村、葛尾村、飯舘村に入って2日の撮影をし、以降2018年1月までの6年半の間に120回現地に足を運んで撮った写真を集めたもので、そうして撮った5万点のなかから190点が選ばれています。

 解説の木下直之・東大教授(文化資源学)もあとがきで述べているように、まず、訪ねた地の多くは一般住民は避難を余儀なくされているため、人がいるべき場所に人がいないという不気味さがあります。

 一方で、同じ場所に何度もカメラを据えて定点観測的に風景などを撮っているため、季節の移り変わりの美しい様などが見られ、つい、「ああ、日本の四季っていいなあ」とも思ってしまいます。

 そんな中、今までごく普通の自然の風景であったところへ、フレコンバックと呼ばれる、汚染された廃棄物や大地から剥ぎ取った土が入った黒い袋が、地表を覆い隠すようにずらっと並ぶ光景がみられる写真がいくつも出てくると(そのうちのいくつかはドローンを使って撮影されている)、これはこれで、人がいない不気味さとはまた違った不気味さがあります。

 これらの多くは、廃棄物の仮置き場(大体が高いフェンスに囲まれていているため、あまりマスコミなどで報じられることもない)に入りきらない分を、「仮々置き場」として置いているものだそうで、最終処分地が決まらないままに除染をし続けた(しかも、その"除染"も便宜上そう称してやっているだけのものという指摘もある)、そのツケが回ってきているとも言えます。

 フクシマの人を撮った写真集は結構ありますが(本書の中にも除染作業員を撮ったものがある)、自然を中心に撮ったこの写真集は、また新たな角度から我々に考えさせるものを投げかけているように思いました。

《読書MEMO》
●本書収載「この地に生じたとてつもない何か」((木下直之・東京大学大学院教授・芸術資源論))より
「土田ヒロミが福島でなくフクシマとしたのは、これまで40年にわたって広島ではなくヒロシマを撮ってきたからだ。人類史上のこれからもどこにでも起こりうる出来事として語りつぎたいという思いが込められている。......福島に、複雑怪奇だといいたくなる変化がじわじわ進行している」

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かつての原発労働者を追ったインタビュー。安全教育や被曝対策は前からいい加減だった。

原発労働者 講談社現代新書L.jpg
原発労働者 講談社現代新書 L.jpg    寺尾 紗穂.jpg
原発労働者 (講談社現代新書)』['15年]    寺尾 紗穂 氏(シンガーソングライター)

闇に消される原発被曝者_.jpg シンガーソングライターでエッセイストでもある著者(自らの修士論文が『評伝川島芳子―男装のエトランゼ』('08年/文春新書)として刊行されていたりもする)が、報道写真家の樋口健二氏による、1980年くらいまでの原発労働者を追って彼らに重い口を開いてもらい書かれたルポ『闇に消される原発被曝者』('81年/三一書房)に触発され、自らも、原発労働に従事していた人たちを訪ねて労働現場の模様を聞き取ったルポです(原発労働の現場を自らが原発労働者として各地の発電所で働いて取材した、堀江邦夫氏の『原発ジプシー』('79年/現代書館)からも示唆を受けている)。

闇に消される原発被曝者』['11年/八月書院(増補新版)]

 原発労働者というと福島原発事故の後処理に携わる人を思い浮かべがちですが、本書での聴き取りの対象は福島事故以前から原発労働に従事していた人が殆どで(つまり'平時'に働いていた人)、福島原発に限らず、柏崎狩羽原発や浜岡原発で働いていた人たちも含まれていますが、全6章から成るうちの第1章から第4章にかけてそれぞれ実名で登場する4人の話が(凄まじい話もあったりして)とりわけ印象に残りました。日常的な定期検査やトラブル処理をこなしてきた人たちの話ですが、当時から安全教育や被曝対策がいかにいい加減であったかということ、そうした危険な状況下での過酷な原発労働の実態が浮き彫りにされています。

 著者のインタビューを受けた人のうちの何人かは、そうした経験を経て原発労働の孕む危険性を社会に知らせる活動に携わるようになったり、また、そうした活動と併せて自らの生き方を見直したりもしているわけで、インタビューを受けた人の生き様も伝わってきました。但し、こうした人たちも最初は仕事が無く生活のために、過酷だが給金のいい原発労働に携わるようになった人もいて、実際、彼らの話から、多くのそうした生活困窮者に近い人が原発労働に"流れ着く"といった実態も窺えました(このことに最初にフォーカスしたのが堀江邦夫氏の『原発ジプシー』だと思うが)。

 従って、原発に基本的には反対し、将来は原発に依存しない社会をつくるべきだとしながらも、現状において雇用を下支えしている面もあることから、すぐに全てを廃止するのは難しいとの見方をする人もいて、複雑な現場の事情を反映しているように思えました。

 一方では、外国人労働者が「一回200とか300ミリ被曝する燃料プール内作業」をやっていて、「一回200万円とか300万円もらえるらしい」といった話もあり、これはインタビューされた人の実体験ではなく、彼らの伝聞情報ではありますが、プール潜水のみならず、原子炉内での労働にも「黒人」が駆り出されているというのは元東電社員の証言にもあるとのことで、この辺りをもう少し掘り下げて欲しかった気もします。

 日本で働く労働者である限り労働基準法や安全衛生法の適用対象となるわけですが、おそらく、そうした「黒人」たちは請負労働であり(しかも、法律で禁じられている多重請負である公算が高い)「労働者」扱いにはなっていないのではないでしょうか。それ以前に、そうした説明を充分受けることもなく、また、彼ら自身が、将来の健康上の不安などよりも目先の給金に惹かれてそうした労働に従事しているのではないかと思われます。原発内部の低技術労働者は釜ヶ崎や山谷から借り出されてくるという話もあり、充分な安全教育・安全対策が講じられないまま、ただ今を生きていくためだけに働いている原発労働者が多くいるとなれば、日本人とて流れとしては同じでしょう。

 こうしたことは『原発ジプシー』でも指摘されていたことであり、今すぐに原発を全面廃止した場合、現在働いている人の仕事は一体どうするのかという問題もさることながら、一方で、原発の危険性がある程度認知された今日においては、格差社会が産み出す生活困窮者との相補関係の上に原発労働が成り立っているとの見方も成り立ち、こんなことを続けていていいのかという思いがしました。基本的には、やはり1つずつ廃炉にしていくべきでしょう。それだけでも相当の労働力の投入が必要なわけで、充分に雇用の場を提供することになるのではないでしょうか。原発で潤ってきた地方自治体などは、その間に、完全廃炉以降の財政的自立策を講じていくべきでしょう。

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終わりが無い福島第一原発事故の検証。これを読むと原発はやめた方がいいと思わざるを得ない。

福島第一原発事故 7つの謎0.jpg福島第一原発事故 7つの謎1.jpg福島第一原発事故 7つの謎 (講談社現代新書)』['15年]

福島第一原発事故 7つの謎2.png NHKスペシャルのメルトダウンシリーズとして5つの番組を放送してきた取材班が、取材の過程で新たな証言等を得ることで、それまでわかった気でいた事実関係の確度が怪しくなり、新たな謎として立ちはだかってきたとして、その主だったものを7つ取り上げて、章ごとに検証と考察を行っています。

 まず第1章で、事故当初の3月11日、1号機の非常用冷却装置が、津波直後から動いていなかったことに、なぜ気づかなかったのかに迫り、吉田所長らは、冷却装置が止まっていることに気がつくチャンスを難度も見逃しており、なぜ、チャンスは見過ごされたのかを探っています。

 第2章では、翌12日、メルトダウンした1号機の危機を回避するためのベントが、なぜ長時間できなかったのか、その謎を解き明かし、第3章では、「1号機のベントは成功した」というのが確定した事実であったにも関わらず、吉田所長は生前に「自分は今になっても、ベントができたかどうか自信がない」という言葉を遺しており、吉田所長のこの謎の言葉をきっかけに、1号機のベントを徹底検証した結果、浮かび上がってきた新たな事実を伝えています。

福島原発   .jpg 第4章では、なぜ爆発しなかった2号機で大量の放射性物質の放出があったのか、第5章では、3号機への消防車の注水がなぜメルトダウンを防ぐ役割を果たせなかったのか、消防車が送り込んだ400トンの水はどこに消えたのか、第6章では、2号機のSR弁と呼ばれる緊急時の減圧装置がなぜ動かなかったのかについて、そして最終第7章では、「最後の砦」とされていた格納容器が壊れたのはなぜか、原発内部の最新の調査結果にメスを入れています。


手前から福島第一原発1号機、2号機、3号機、4号機

 時間を経て明らかになった意外な事実もあれば、まだ真相がよく判らない部分もあり、言えることは、1号機から3号機までそれぞれにおいて、異なる不測の事態が複数いっぺんに起きたということであり、今回の福島第一原発事故から多くの教訓を学んで今後の不測の事態に対処するというのが電力会社各社のスタンスですが、今回の事故でこれだけ対応しきれなくて、実際今度は別の原発で同様の事故が起きた場合、今回と同じように全く"経験"の無い所員や技術者たちが、知識だけで万全の対処が可能なのか大いに疑問です。

 本書を読むと、福島第一原発事故の検証には終わりが無いような気もします。そもそも、福島第一原発事故における、1号機から3号機までそれぞれにおいて起きた事態の多様性もさることながら、今度どこかで原発が被災した際に、その何れかと同じような事態が生じる可能性もあれば、それらとは全く異なる、新たな不測の事態が生じる可能性も大いに孕んでいるように思われ、電力会社がそれらに完璧に対応し切れるというイメージは湧きにくいなあと。やはり原発はやめた方がいいと思わざるを得ませんでした。

再稼働の川内原発.jpg国内の原発としては1年11か月ぶりに再稼働した鹿児島県の川内原発1号機〔NHKニュースウェブ・2015(平成27)年8月13日〕

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原発労働の実態のイラスト入りルポ('79年)の復刻。描かれた経緯や復刻の経緯なども興味深い。

福島原発の闇.jpg 『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』(2011/08 朝日新聞出版)

 『原発ジプシー』('84年/現代書館)の堀江邦夫氏の、福島原発で下請労働者として仕事した体験を基にしたルポルタージュに水木しげる氏の漫画を組み合わせたもので、'79年の「アサヒグラフ」10月26日号・11月2日号に掲載されたもの(原題「パイプの森の放浪者」)を、元の大判サイズから普通の単行本サイズにしての復刻版。

福島原発の闇1.jpg あとがきによると、当時、堀江氏は3カ所の原発で下請労働者として働き、原発内における作業員の労働環境の実態を密かに執筆していたところ(これが後に『原発ジプシー』という本になる)、ある日突然、「アサヒグラフ」の編集者であった藤沢正実氏から電話があり、朝日新聞東京本社で会ってみると、現在執筆中の原稿の一部を再構成して「アサヒグラフ」に掲載したい、一緒にイラストも掲載したいと思うが、水木しげる氏に依頼するつもりだとの話だったとのこと。

 堀江氏は、原発で働いていることは言わば"隠密"取材であったため、限られた一部の人しか知らないはずなのに、大手新聞社の編集者がどうしてそれを知りえたのかも不思議だったし(藤沢氏は情報源を明かさなかった)、水木氏は当時から高名な漫画家ではあったものの、原発労働のことをどれだけ知っているのかという不安もあったと言います。

 結局、水木氏、藤沢氏と、一度、福島原発のある浪江へ行ってみることになり、常磐線特急の車中で、その実態を水木氏に身振り手振りを交えて熱弁することになったということですが(当時、水木氏57歳、堀江氏31歳)、水木氏のイラストは、堀江氏の思いを受け止め、原発労働の危険性と恐怖、非人間的な過酷さを、強烈な感性で以って見る者に強く印象づけるものとなっています。

福島原発の闇2.jpg 堀江氏の原発労働のルポルタージュ部分も読み易く、'79年4月に、東芝プラントの孫請け業者の社員だった32歳の青年が、福島第一原発の正門近くの雑木林で縊死したことから始まる書き出しは衝撃的(この青年は、福島に来る前は浜岡原発で働いていた)。遺書には、「目が悪い。頭が悪い。とにかくおれは精神的に疲れた。人生の道にもついていけない。寂しい。希望もない」とあり、「原発の仕事も考えもんだ」との言葉で終わっていたそうです。

 堀江氏自身も原発内で作業中に肋骨を折る重傷を負いますが、労災申請をしないでくれと、会社から言われたとのこと。とにかく、元請け会社からも孫請け会社からも、作業に関する安全教育は実質的には行われておらず、原発の危険性を殆ど知らされないまま、当時の原発労働者は作業にあたっていたようですが、こうした実態はつい最近に至るまで続いていたものと思われます。

 因みに、これもあとがきによると、朝日新聞社内でも、70年代後半から80年代初頭にかけて「アサヒグラフ」が原発問題を度々追っていたことは知られているものの、この堀江・水木コンビの作品は忘れられていたようです。

 それが、今回の福島第一原発事故を受けての、「朝刊朝日」臨時増刊「朝日ジャーナル 原発と人間」('11年5月24日刊)の編集作業中に、昔の「アサヒグラフ」から、この本の元となった「パイプの森の放浪者」をたまたま見つけたということらしく、その迫力に改めて圧倒され、また、日本で初めて書かれた原発労働のルポルタージュではないかということもあって、今回の復刻となったようです。

 原発労働者が、原発の安全を保守するための定期点検の際に、その作業において危険な被曝状態に置かれるというのも皮肉だし、30余年前の世間からは忘れ去られていたルポルタージュが、原発事故を契機に再び日の目を見るというのも、ある意味皮肉な話かも。

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ソーシャルメディアの活躍と「公式報道」のていたらく、海外の報道と日本のマスコミ報道のギャップ。

震災と情報 岩波新書.jpg 『震災と情報――あのとき何が伝わったか (岩波新書)

 東日本大震災の発生直後、警報も届かずに津波で命を落とした人は数多くいたわけで、更に、電話の不通など情報経路の寸断は首都圏にまで及び、また、その後も繰り返される政府発表の「安全神話」的報道を、どこまで信じたらいいのかも分からず、首都圏にいてもこうした状況でしたから、被災した現地にいた人の混乱と不安は、尚のこと大きなものだったでしょう。

 本書は、ソフトウェア生成系や情報ネットワークが専門である理学博士の著者が、震災後の情報伝達のあり方、マスコミ報道とインターネットやモバイル機器を通しての報道のスピードや正確さのギャップなどを、再検証したものですが、興味深いのは、震災後「最初の1時間」「最初の24時間」「最初の1週間」「最初の1ヵ月」「最初の6ヵ月」というように、何れも震災直後を起点としてスパンのみ変えて、そのスパンの長さに沿ったイシューを追っている点です。

 尚且つ、報道された事実を克明に織り込み、一つ一つのイシューについてはそれほど深く突っ込まず、情報を「数」の面で多く拾っていて、そうした「数」の集積から、実態を浮かび上がらせようとしており、こうした"記録"の残し方も一つの方法かと思いました。

 最初の1時間は、主に大津波警報がどのように伝わったかなどが検証されていますが、福島第一原発事故が明るみになってからは、やはり原発事故報道が本書の大部分を占め、最後は「日本では原子力発電は終わらせよう。地震の多い日本では、リスクが巨大すぎて商業的発電方式として合理的コストに見合わないからである」との言葉で締め括られており、やはりこの辺りは岩波系か。

 振り返ってみると、原発事故発生当初から、ソーシャルメディアを含む海外の報道と、所謂「公式報道」に近い日本のマスコミ報道に、事の重大さに対する認識の度合いに大きな温度差があったことが窺えます。

 淡々と記している中にも、日本のテレビと原子力工学者が、毎回「ただちに心配することはない」を繰り返したことにはさすがに義憤を覚えているようで、「現時点で特に心配する必要はないと言っていると、一号機建屋の爆発が起こる。爆発が起こっても、これは作業の一環でわざと起こした爆発かもしれないと擁護的に説明する。いよいよ水素爆発だったということになると、今度は爆発によって外部へ放射性物質が漏洩することはないだろうと言う。やがて放射性物質が外部へ出たことがわかると、今度は放出量は人体に影響がない範囲だろうと言う」と―確かにこの通りだったなあ。憤りを感じない方がおかしいよ。

 保育園や心身障害児施設の子供達が緊急避難先の公民館で孤立し、電話が繋がらないため園長が電子メールでロンドンの家族に連絡し、家族からの救援要請が東京都副知事に届いて救援のヘリコプターが来たとか、停車した電車の中で、乗客が携帯ワンセグ放送で津波が迫っているのを知り、乗り合わせていた若い巡査らが乗客を避難誘導して全員無事だったとか、インターネット等が人命を救った話はあったなあ。

 極めつけは、NHKテレビで災害放送を見ていた広島の中学生が、テレビ・ラジオに接することのできない被災現地の人々のために、ユ―ストリームのサイトを利用して自宅からNHKをライブ中継したというもので、著作権法違反ではないかとのと問い合わせがNHKにあったけれども、担当者が、自分の責任において容認すると発信したそうです。

 この他にも、様々なケースでこうしたソーシャルメディアが活用された一方で、政府の避難勧告やSPEEDIなどのデータ公表の遅れにより、多くの人が、高濃度放射能汚染地域からの初期避難が遅れたり、放射性物質の飛んでいく風下の方へ避難したりしたわけで、今考えると、国の罪は重いと言うか、情報は自分で集めなければならないということなのか。

 日本のマスコミの政府や東電の話をそのまま横流ししているような報道姿勢に早くから不信を抱いていた外国人特派員らは、テレビに出ている擁護的な原子力工学専門家の説明とは違う説明を聞くために、3月15日には、原子炉格納容器の元設計者・後藤政志氏を講師に招いて講演会を開催し、4月25日の原子力安全・保安院と東電による海外メディア向けの合同記者会見の参加者はゼロ、保安院と東電は、誰もいない記者席に向かって説明を行ったとのことです。

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やはり代替エネルギーも一応は考える必要があるが、「節電」=「発電」にはナルホドと。

脱原子力社会へ.jpg 『脱原子力社会へ――電力をグリーン化する (岩波新書)

 社会学者が、電力の「グリーン化」をキーワードに、海外の事例を引きながら、政府・企業・NGO・消費者の協働に基づく、未来志向的な「脱原子力大国」への政策転換を提言した本。

 冒頭第1章で、今回の福島第一原発の事故を振り返りつつ、なぜ原子力は止まらないのかを考察しています。その中で、原発の非常用発電機がタービン建屋内の「地下」にあったために津波で浸水し機能しなくなったことが指摘されていますが、これは広河隆一氏の『福島 原発の人びと』('11年8月/岩波新書)の中にもありましたが、竜巻やハリケーンを想定した「米国式設計」をそのまま採用し、東電は「フル・ターン・キ―契約」という始動気キーをひねるだけの契約で、全てはGEに丸投げだったということだったのだなあと。

 第1章で、地震列島に54基もの原発が立地することの「環境リスク管理」の技術的・経済的・社会的困難さがフクシマの事故で明らかになったとし、続く第2章で、エネルギーの効率利用と、脱原子力に基づく電力のグリーン化への転換を説いていいて、ここが本書の肝であると思われます。

 海外の事例の中ではアメリカの事例が冒頭にあり、アメリカは原発推進国とされてきたように感じていましたが、70年代後半には原子力ブームはもう終わっていたのだなあと。地域的な事例ですが、電力設備は増やさずに稼働率を高めるなどして脱原発を果たしたり、住民と電力会社が協働で太陽光発電の導入を推進したりといった事例が紹介されていて、それぞれに、「省電力は発電である」というコンセプトが根底にあるという点が興味深かったです。

 「グリーン・エネルギー」というと風力や太陽光発電が思い浮かびますが、節電することも、効果的には発電していることと同じになるわけか。「クリーン・エネルギー」という言葉は実際海外で使われているようですが、「クリーン電力」と言わず「グリーン電力」という言葉を著者が推すのは、「クリーンな電力」というのが原発の宣伝の常套句であったということもあるためのとのこと。

 グリーン化のために消費者ができることを、例えば、希望者が自発的に再生可能エネルギーの発電事業者に寄付する「寄付方式」など5通り挙げていて、その他「出資金方式」「「電力証書方式」「電力力金転嫁方式」などが紹介されてますが、主に海外の事例を参照しつつも、一部、国内でも限定的に試行されたりしているものもあり、この点は個人的には新たな知見でした。

 第3章では、日本の各地域からも脱原発の声が上がっていることを、住民投票などの事例で紹介していますが、まだ「脱原発」を訴えるだけで「代替エネルギー」等の提案までいってないのが大方の状況ながらも、前章の事例のほか、再生エネルギーによる地域おこし、市民風車や市民共同発電といったプロジェクトなどが紹介されています。

 「脱原発」を訴えるのはいいが、やはり次の代替エネルギーを考えないとね。そうした意味では、「脱原子力社会」へ向けての具体的な提案の書。
 但し、風力発電などは、効率面での失敗例もあるし、電磁波障害など新たな"公害"問題を引き起こしているケースもあったはず。そうしたネガティブ情報については、意識的に触れられていないように思えるのが、ややどうかなあという気も。

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低線量の放射線の危険性についての説明がしっくりきた。反原発ではないが、マトモであり気骨がある。

内部被爆の真実.jpg 『内部被曝の真実 (幻冬舎新書)』  児玉 龍彦 国会.jpg 児玉 龍彦 氏

 東大アイソトープセンター長である著者(医学・生物学者)が、'11年7月27日の衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」において、参考人としての意見説明し、質疑応答したものの採録がメインとなっている本。

 そう言えば、それ以前の5月23日の参議院行政監視委員会「原子力発電所事故と行政監視システムの在り方」では、小出裕章(原子力工学者)、後藤政志(元原子炉格納容器設計者)、石橋克彦(地震学者)、孫正義(ソフトバンク社長)の4氏が参考人として意見を述べていますが、こういうのってテレビ中継されないんだなあ(参議院の4氏のものは、ユーストリームのライブで中継され、著者のものは審議中継サイト「衆議院TV」で流されたようだが)。

 若干、お手軽な本づくりという気もしないではないですが、本来公開されてしかるべき内容のものが、限られた範囲でしか公開されていないような状況においては、これもありかなあと(現在はネット動画で見ることができる)。

 著者が委員会でメインに訴えたのは、現行の法律は、高いレベルの放射性物質を少量だけ扱う場合のみを想定しているのに対し、今回の福島第一原発の事故では、広島原爆の20発分から30発分相当の大量の放射性物質が放出され、現行法律が全く対応できていないので、現状に対処できる法律が必要であるということです。

 更に、低レベル放射能の影響は多様な形で現れ、特に子供、乳幼児、胎児を守る必要があり、チェルノブイリ原発事故で、小児甲状線がん以外に、被曝を直接原因とする病気の発症は無かったという説明は誤りであると。また、質疑の中では、今は全力で、除線に取り組むべきことが急務だとも述べています。

 専門用語は多く含まれますが、話し言葉で書かれていて、しかも、基本的には専門家でも何でもない国会議員にも分かるように噛み砕いて説明しているため分かり良かったし、個人的には、内部被曝についてもさることながら、低線量の放射線の危険性についての説明がしっくりきました。

 つまり、大量の放射線がDNAをズタズタにしてしまえば細胞は死ぬだけだけれど、低線量放射線は細胞に異変を与え、DNAを修復する遺伝子が異変をきたすと、最初の1回は大丈夫だが、10年から30年経って、第2段階の異変が起きるとガン細胞になるということなんだなあ。

 修復遺伝子の機能に異変が生じる問題と、その機能の発効のタイミングの問題とを分けて考えれば分かる話だけど、国会議員の先生は分かったかなあ。

 因みに、著者が主張する、①国策として食品、土壌、水を測定してゆく、②.緊急に子供の被曝を減少させるために新しい法律を制定する、③国策として汚染土壌を除染する技術に民間の力を結集する、④除染には何十兆円という国費がかかるため、負担を国策として負うことを確認し、除染の準備を即刻開始する―の4点の内、経済学者(経済評論家?)の池田信夫氏は自らのブログで、「③まではわかるが、問題は④だ。朝日新聞のいうように年間1mSvの放射線も除去しようとすれば、80兆円ぐらいかかるだろうが、国の一般会計は92兆円。そんな巨額の負担を「国策として負う」ことはできない」としています。

 だからって、国が何も負担をしなくてもいいということにはならないでしょう。廃炉にも金はかかるが、とりあえず金食い虫である原発の増設を止めたらどうかと思うんだけど(池田氏は、以前から原発に対しては御用的なスタンス)。

 因みに著者は、老化の遺伝子の研究で世界の最先端を行く成人病研究者でもあり、'11年12月、英科学誌ネイチャーが発表した「科学に影響を与えた今年の10人」の一人に選ばれています。

 原発に関しては、推進派でも反原発でもないようだけれど、師匠が、今回の震災でも、国から現地に派遣され、安全神話を説いて回った長瀧重信・長崎大名誉教授であり(「スリーマイルではこれまでに健康被害は報告されていない」と発言して、小出裕章・京大原子力研助教らを呆れさせた)、一方こちらは、政府の放射線の許容基準値の決め方その他諸々の対応について厳しく批判したことになります(本書からはそれほど感じられないが、動画を見ると、まさに満身の怒りをぶつけているという感じ)。

 文中で、長瀧氏の功績に敬意を表していますが、立場はかなり違うというか、この人の方がマトモであり気骨がありそう。

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写真の伝える力もさることながら、取材文章にも緊迫感があり、今後の課題についても考察。

福島 原発と人びと 岩波新書.jpg福島原発事故~チェルノブイリから何を学ぶか.jpg
広河隆一氏.jpg 広河隆一氏 (フォトジャーナリスト、戦場カメラマン、市民活動家)
写真展「福島原発事故~チェルノブイリから何を学ぶか」(2011年5月3日~18日)
福島 原発と人びと (岩波新書)

 スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故の際に、実態を現地に行って取材し報道したことで講談社出版文化賞を受賞している筋金入りのフォトジャーナリストである著者が、'11年3月11日に東日本大震災が発生し、福島第一原発でメルトダウン事故が起きたのを受けて直ぐに現地を訪れ、その後も何度か現地を取材したものを纏めたルポルタージュ。

 全体を通して写真が多く、やはり写真の伝える力というのは凄いと思いましたが、それだけでなく、文章の方も、冒頭第1章の原発事故の報を受けて急遽現地入りするまでの経過などは非常に緊迫感に満ちていて、避難指示地域に入って放射線測定器の針が振り切れてしまったというのにはぞっとさせられました。

 著者は基本的に、現地から避難してくる人たちと逆方向に、出来るだけ原発事故被災地の中心部へと向かったわけですが、一方、事故当時の現地の人々の避難は漫然としたものであり、事故後3日目の、その"測定器の針が振り切れた"という原発から3キロ地点の双葉町の街中でさえ人々がいて、自転車やバイクで移動していたというのには驚かされました。

 こうした状況を目の当たりにし、著者は急遽取材を止め、道で会った人々に避難を呼びかけるとともに、市区町村役場を廻り、住民により緊急の避難を促すよう説いていて、政府の初動体制の緩慢さから、多くの人が相当量被曝したであろうことが窺えます。

 続く第2章の原発作業員への取材や、第3章の浪江町に住むある老夫婦とその娘たちの家族にフォーカスした取材も、震災並びに事故直後から動きを時系列で追っていて、たいへん緊迫感がありました。

 第4章では、原発事故報道で東電、保安院、官邸が隠蔽した情報を検証し、第5章では、地域の農家などを取材し、拡がる放射能被害の実態を伝え、第6章では、学校や住民は子供達を放射能被害からどう守ろうとしたかが報じられています。

 更に、チェルノブイリの現在を伝えることで、そこから何を学ぶべきかを示唆していますが、著者がチェルノブイリ取材で甲状腺ガンに苦しむ子供達やその家族と接して以来、「チェルノブイリ子ども基金」などを通じて、現地の子供達の支援活動を続けているということは、この章の記述で初めて知りました。

 チェルノブイリ原発火災の消火活動で多くの消防士を失った消防隊長が、「当時は放射能の恐ろしさを知らされてなかった」と語るとともに、「放射能防護服といわれるものは世界中にまだ一着も存在していないのです」と言っているのが印象に残りました(放射能物資の身体への付着を避けるだけであって、γ線や中性子線は、どんどん身体を突き抜けているわけだから)。

 最後の、チェルノブイリの現状を参照しつつ、フクシマにおいて今後懸念されることを考察していますが、やはり、放射能被害が顕在化してくることが一番危惧されるべきことなのでしょう。

 一方で、長崎大学の長瀧名誉教授らを筆頭に多くの原発推進派の学者が早々と現地に送り込まれ、住民を安心させるためだけの根拠無い安全講話をして廻ったため、そうした危機意識の持ち方にも被災した住民の間でムラがあるようで、こうした御用学者の犯した罪は重いように思われました。

 著者は報道写真の月刊誌「DAYS JAPAN(デイズジャパン)」の編集長としてフリージャーナリストを多く受け入れていますが、岩波書店もフリージャーナリストを多く受け入れ彼らの本も出しており、本書は原発事故の記録として岩波新書に加えるに相応しい一冊と言えるかもしれません。

【読書MEMO】
広河隆一.jpg●写真誌「DAYS JAPAN」を発行するデイズジャパン(東京)は(2018年12月)26日、フォトジャーナリストの広河隆一氏(75)を25日付で代表取締役から解任したことを明らかにした。週刊文春2019年1月3日・10日号で、広河氏からのセクハラ行為を訴える女性の元スタッフらの証言が報じられていた。[2018年12月26日WEB東奥日報(共同通信社)]

「週刊文春」 2019年 1/10 号/「DAYS JAPAN(デイズジャパン)」2019年 2月号
広河 隆一 雑誌.jpg広河 隆一 zassi.jpg

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やはり、原子力科学者の書いたものでは、この人の本が一番分かり易い。

原発はいらない1.jpg原発はいらない.jpg 『原発はいらない (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-①)

 『原発のウソ』('11年6月/扶桑社新書)の小出裕章氏が引き続き一般向けに書いた新書で、『原発のウソ』があっという間に10万部を超えるベストセラーになったにも関わらず、どういうわけか比較的"新進"のレーベルからの刊行が続くなあという印象も(ルネッサンス新書って、自費出版原稿を募っているけれど、まさか小出氏の本が自費出版ということはないと思うが)。

 序章に自らが原子力研究を通して反原発運動に転じた経緯が書かれていて、高木仁三郎の『市民科学者として生きる』('99年/岩波新書)を思い出しましたが、著者の場合は、京都大学原子炉実験所に入所以来37年間「助手」(今は"助教"と言う)のままでいて、その昇進の停滞は"ギネス"ものと冗談めかしながらも、科学者は、科学の領域に逃げ込んで「専門バカ」になってはならず、しっかり社会的責任を負うべきであることを強調しています。

 本論部分は『原発のウソ』を先に読んだので、内容が重なる部分もありましたが、やはり、原子力科学者の書いたものでは、この人の本が一番分かり易いのでは。

 第一章で福島第一原発が今後どうなるのかを事故の経緯から遡って解説したうえで、第二章で、危険なのは福島原発だけではないことを解説していますが、その冒頭に南海トラフ沿い、つまり想定東海地震の震源域のほぼ中央にある、浜岡原発の危険性が指摘されています(「破局的事故が起きれば、関東圏を中心に192万人が死亡」すると)。

朝日 20120401.jpg 今日('12年4月1日)の新聞各紙で、内閣府が設けた有識者による「南海トラフの巨大地震モデル検討会」(座長:阿部勝征東大名誉教授)による、南海トラフ地震の新たな想定が報じられていますが、それによると、震度6弱以上の恐れがある地域は24府県687市町村に及び、中央防災会議が'03年に出した20府県350市町村から、総面積で3.3倍に増え、震度6強以上になる地域も5.6倍に拡大し、また、津波高については、10メートル以上の地域が従来の2県10市町から11県90市町村に増えています(最大の津波高が想定されたのは高知県黒潮町の34.4メートル)。

2012年4月1日付 朝日新聞一面より

 朝日新聞の一面には、浜岡原発のある御前崎市で、従来の想定の7.1メートルから14メートル近く引き上げられ、地震で地盤隆起2.1メートルを差し引いても、現在計画中の18メートルの防潮壁を超える可能性があるため、原発の敷地が浸水する可能性があるとの記事もあります。

 この、浜岡原発について著者は全廃炉を主張していますが、中部電力の津波対策についても批判しており、中風電力の本書刊行当時の「15メートルの防波堤を作れば安心」という見方に対し、原発直下でマグニチュード8.5の巨大地震が起きれば、50メートル以上の津波もあり得る、「壁の高さを15メートルにした理由や根拠があるなら、ぜひ教えてほしい」と、この頃から述べています(マグニチュード8.5は、当時の東海・南海予測で、これも今回の検討会で9.1に改められた)。

 本書中盤(第三章)は、読者からの質問にQ&A形式で回答するかたちになっており、「夫に日給3万円、福島原発で働かなかという話がきていますが、被曝しないか心配です」などといった具体的な15の質問に、50ページに渡って丁寧に答えています。

 最終第四章は、未来を担う子供のために大人たちが何をすべきか訴えていますが、一方、「原子力村」の人々が原発を簡単に手放すと考えるのは楽観的すぎるとし、新エネルギーにこだわり過ぎると「それを実現するまでは原発を認める」ということになりかねず、原発の即刻廃絶のためには、火力発電をフル稼働することに尽きるとしている点が示唆的でした(それで電力供給は足りるんだよね)。

原発はいらない3.jpg

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原発労働者の被曝によって受けた苦しみを如実に伝える写真集。日本のエネルギー産業の暗黒史。

原発崩壊 樋口健二写真集.jpg 『原発崩壊』(2011/08 合同出版) 樋口健二.jpg 樋口健二 氏
(26.8 x 21.8 x 1.4 cm)

 原発で働く労働者や原発の付近に住む人々の暮らしぶりを40年近くに渡って取り続けてきた樋口健二氏の、これまで発表してきた写真に、福島第一原発事故後に撮った写真を加えて、ハードカバー大型本として刊行したもの。

 中盤部分の、かつて原発施設内で働いていて骨髄性白血病やがんで亡くなった人の亡くなる前の闘病中の写真や、亡くなった後の遺影を抱えた遺族の写真、更に、亡くなるに至らないまでも、所謂「ぶらぶら病」と言う病いに苦しんでいる様子を撮った写真などが、とりわけ衝撃的です。

 それらには、樋口氏自身が取材した故人や遺族、闘病中の人たちへのインタビューも付されていて、原発作業員の多くが、原発の危険性を何となく知りながらも具体的な説明を十分に受けることなく、危険性の高いわりには無防備で過酷な環境の中で作業に従事し、知らずの内に被曝し、重い病いとの闘いを強いられたことが窺えます。

 その中には、日本で初めて原発被曝裁判を提訴した岩佐嘉寿幸さん(故人)の写真もありますが、原子炉建屋内の2時間半の作業に1回従事しただけで被曝し、重い皮膚炎に苦しみ続けることになった岩佐さんは、それが"放射能性皮膚炎"であると診断した医師の助言と協力により、国と敦賀原発(日本原子力発電)を訴えましたが、政府と日本原電が編成した特別調査団による'被曝の事実無し'との政治的判断の下、敗訴しています。

 しかし、岩佐さんのように世の表に現れた原発被曝者は氷山の一角であり、多くの原発被曝者が、原発での被曝が病いの原因だと確信しつつも、もの言えぬまま亡くなったり、生涯を寝たきりで過ごすことになった事実が窺えます。

樋口健二氏 講演会・写真展.jpg 本書によれば、1970年から2009年までに原発に関わった総労働者数は約200万人、その内の50万人近い下請け労働者の放射線被曝の存在があり、死亡した労働者の数は約700人から1000人とみていいとのこと。

 こうした原発下請け労働者の労働形態についても解説されていて、下請、孫請け、ひ孫請け、更に親方(人出し業)がいて、その下に農漁民や非差別部落民、元炭鉱夫や寄せ場の労働者などがおり、しかも、この人出し業をやっているのは暴力団であったりするわけで、ここに一つのピラミッドの底辺的な差別の構造があるとのことです。

 こうした人達は、被曝してもまず労災申請が認められることはこれまで無く、そうした働き方と犠牲の上に原発による電力供給がこれまで成り立ってきたことを思うと、あまりに歪な構造であったと思わざるを得ません(これはまさに、日本のエネルギー産業の暗黒史!)。

 結局、原発というのは、被曝労働による犠牲を抜きにしては成り立たないものなのでしょう。併せて、近隣住民の健康と生活をも破壊してきたわけで、こんなことまでして原発を存続させる意義は、どこにも無いように思われます。

樋口健二氏 講演会・写真展ポスター

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どの地域においても地域活性化に繋がるどころかコミュニティの亀裂を深める疫病神だった原発。

原発列島を行く.jpg  鎌田 慧.jpg 鎌田 慧 氏   原発事故はなぜくりかえすのか.jpg 
原発列島を行く (集英社新書)』['01年] 高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)』['00年] 

 原子化学者の高木仁三郎(1938-2000/享年62)は、ガン宣告を受けた翌年に遺書のつもりで『市民科学者として生きる』('99年/岩波新書)を書きましたが、その本の刊行された'99年9月に茨城県東海村で起きたJOCの臨界事故を受けて、'00年夏に『原発事故はなぜくりかえすのか』('00年12月/岩波新書)を口述筆記で著し、それが遺作となりました。

 高木氏の本が科学者による反原発の書であるならば、「週刊金曜日」に'99年2月5日号から'01年9月7日号までに連 載された鎌田慧氏の『原発列島を行く』は、ルポライターによる反原発の書であり、この連載の間にJOCの臨界事故があったことになります。

 JOCの臨界事故を機に、その頃の反原発の気運は、少なくとも、東日本大震災による福島第一発電所の事故の直前よりも高かったのかも知れません(片や岩波新書、片や集英社新書で、定番と言えば定番。全メディア的展開では無かったのかも知れないが)。一方、推進派はこの頃、ほとぼりが冷めるのを暫く待っていたのか―。

 早くから原発を取材してきた鎌田氏ですが、本書では、主に過疎地と言える地域にある全国の原発を隈なく巡り(核燃料サイクル基地(青森・六ヶ所村)・処分研究所(岐阜・東濃地区)含む)、その地域に原発が誘致された経緯や、金に糸目をつけない国のやり方、交付金漬けにされてしまった地方財政、押し潰された民意、失われた自然、地域住民の不安や怒り、落胆などをルポしています。

 先ず気づかされるのは、70年代から80年代にかけて、原発誘致により多額の交付金を受け、"町興し"と言って人口規模に不釣り合いな豪奢な箱モノ施設を作ったりしたこれらの地方自治体が、鎌田氏が取材した時点で、町が栄えるどころか、一向に過疎化の問題から抜け出せていないことです。

 更に、原発の誘致に際して、町や村が賛成派と反対派に分かれ、地域コミュニティに大きな亀裂を生じさせているということが、判で押したようにどの自治体にも起きていて、振り返って見れば、原発はどの地域にとっても疫病神だったということになるのではないでしょうか。

 取材の時点で、全国で運転中の原発は50基。その他に建設中4基、計画中3基で、そうすると2010年までには57基になっていたはずの計算ですが、東日本大震災前で、営業運転中は54基(本書の最後に出てくる浜岡原発4基の内、浜岡第一、第二が'09年に運転終了するなどしている)。更に、建設中は2基、着工準備中は12基という状況で、全部出来あがると68基になりますが(北村行孝、三島勇『日本の原子力施設全データ 完全改訂版』('12年/講談社ブルーバックス))、計画が中止されるものが出そうな様子です。

 鎌田氏が取材した当時でも震災前でも、稼働中の原発が全部止まったら電力供給は破綻するとの見方が当然のようにありましたが、福島第一原発の事故を受けて各原発とも定期点検やストレスチェックに入っているため、2011年3月末現在で、54基中、稼働しているのは、北海道電力の泊原発3号炉の1基だけです(これも5月に定期点検のため止まる)。
 少なくとも、夏場の電力消費のピークを除いては、原子力なしで充分やっていけるということの証ではないかとも思ったりします。

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反原発科学者の遺作。立ち上がりから杜撰だった日本の原子力開発の実態がわかる。

原発事故はなぜくりかえすのか.jpg  高木 仁三郎.jpg 高木仁三郎06.jpg
原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)』 高木仁三郎(1938-2000/享年62)/原子力資料情報室の設立総会(1999年1月30日)

 『プルトニウムの恐怖』('81年/岩波新書)などで早くから原発とそれを巡る放射能汚染事故発生の危険性を訴え、原子力科学者でありながら「反原発の旗手」でもあった高木仁三郎(1938-2000)が直腸ガンと告知されたのは'98年夏のことであり、最後に書き遺しておきたいこととして『市民科学者として生きる』('99年/岩波新書)を著します。

東海村JCO臨界事故.bmp しかし、その「最後の著書」が刊行された'99年9月に、茨城県東海村でJOCの臨界事故が起きたことで、さらに「言い遺しておきたいこと」ができた著者が、闘病生活の病床で口述筆記により著したのが本書です。

東海村JOCの臨界事故

 実際に録音が行われたのが'00年の夏で、著者は同年10月、本書刊行前に帰らぬ人となってしまいましたが、すでに本書口述中に自らの死を覚悟していたと思われ、本書の最後には「偲ぶ会」での最後のメッセージが付されています。

 原子力発電の科学的・社会的な問題点と放射能汚染事故の危険性を訴える語り口は淡々としており、それでいて、JOCの臨界事故という悲惨な出来事が、原子力産業・技術・文化の様々な問題点の集積の結果として起きたものであることを、鋭く指摘しています。

 自らが原子化学者として日本原子力事業や東大原子力研究所といった企業・機関で研究に携わっていたころの原子力・放射能の危険性に対する認識の甘さや管理の杜撰さ―これは体質的なものであり、どうしてそのような体質が成り立ったか、更にそれが綿々と続いているのは何故かということを、体験的に分かり易く述べています。

 それによれば、国の原子力開発事業というものは、徹頭徹尾、科学という実態も或いは産業的基礎もないままに、上からの非常に政治的な思惑によってスタートし、更に、三井・三菱・住友といった財閥系企業や大手銀行がそれに乗っかり、「議論なし」「批判なし」「思想なし」の中で進められとのこと。この「三ない主義」は徹底されていた、と言うより、むしろ強制であったとしています。

 そうしたことに疑問を感じた科学者も当初は少なからずいて、著者もその一人でありそうしたことから反原発に転じましたが、反原発に転じなくとも多くの優秀な科学者が他分野の研究に転じ、上から指示を唯々諾々と守る、思想無き体制順応型の技術者や科学者だけが"エリート"として後に残った末に、国・企業と一体となって、所謂「原子力村」という特殊な社会を形成していったようです。

 著者は20代の頃からそうした実態を生身で体験していたわけですが、自分たちが研究に携わっていたころ安全管理意識の希薄さ、実験研究等における放射能管理の杜撰さなども語っており、そうした意味では、著者の研究人生を反省と共に振り返るものともなっている一方で、特定の科学者に見られる思考回路の科学的な弱点を指摘し、更には、科学者として「自分の考え」を持つことの重要さを訴えています。

 また、こうした科学者個々に対する啓蒙だけでなく、国・政府機関などの原子力行政の在り方の問題点を指弾するものとなっており、更に一方では前著同様に、原子力科学の入門書にもなっており、プルトニウムをはじめとする様々の放射能性物質の特性やその危険性が、分かり易く解説されています。

 原子力推進派の科学者の中には、著者のことを蛇蝎の如く嫌う人も多くいたかと思われますが(そうした人には著者の死は安堵感を与えたかも知れない)、一方で、その科学的水準の高さ、指摘の的確さに密かに畏敬の念を抱いていた人もいたように聞きます。

 東日本大震災による福島第一原発事故が起きてみれば、ある意味、予見的な著者であったとも言えますが、本書刊行以前にも多くの原発事故及び事故隠しが行われていたことが本書の中で一覧に示されており、むしろ、本書におけるプルトニウムの危険性の記述を読んで、本書刊行の契機となったJOCの事故が、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すためのMOX燃料を巡る事故とであったことを思うと、更に先々の危険を予言している本であるとも言えます(その予言が的中しないことを祈るのみだが)。

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"原子力村、原子力マフィア"と言われる面々を、実名を挙げて"再整理・再告発"。

原発の闇を暴く.jpg原発の闇を暴く (集英社新書)』(2011/07) 原発の闇を暴く2.jpg

広瀬隆 明石昇二郎.jpg  東日本大震災による福島第一原発事故は、「想定外の天災」などではなく「人災」であるとして、30年以上前、チェルノブイリ事故直後に『危険な話』(′87年/八月書館、'89年/新潮文庫)を刊行した作家・広瀬隆氏(67歳)と、10年前に浜岡原発事故のシミュレーションを連載し、『原発崩壊』(′07年/金曜日)を刊行したルポライター・明石昇二郎(49歳)の2人が、「あってはいけないことを起こしてしまった」構造とその責任の所在を、"実名"を挙げて徹底的に曝した対談です。
広瀬隆・明石昇二郎 両氏(本書刊行と同時に東電を刑事告発した際の記者会見('11年7月15日)

 まず 第1章「今ここにある危機」で、メディアに出ない本当に怖い部分の話や子供たちの被曝の問題を取り上げ、「半減期」という言葉などに見られる、報道の欺瞞を指摘しています。

 そして、第2章「原発崩壊の責任者たち」では、原子力マフィアによる政官産学のシンジケート構造を暴いていく中で、根拠の無い安全・安心神話を振り撤き、リスクと利権を天秤にかけて後者を選択した「原子力関係者」たちを列挙していますが、100ページ以上に及ぶこの章が、やはり本書の"肝"でしょうか。

 放射能事故による汚染は「お百姓の泥と同じ」との暴言を吐いた人物、「不安院」と揶揄される保安院の構造的問題、「被曝しても大丈夫」を連呼した学者たち、耐震基準をねじ曲げた"活断層カッター"―何れも「実名」を挙げてその責任を追及しています。

 冒頭には、事故当初、専門家・解説者としてNHKなどのテレビに出続けた原子力推進派の「御用学者」の名が挙がっており、その筆頭格が、関村直人・東大大学院工業系研究科教授と、岡本孝司・東大大学院教授(東大工学部原子力工学科卒)とされています(今は、ウェッブで「原発業界御用学者リスト」なるものを閲覧出来るが、出来れば彼らがテレビに出る前に知っておきたかったところ)。

 こうした人達は4月終り頃にはもう殆どテレビには出なくなってはいましたが、やはり、事故直後の一般の人々が最も原発事故に関心を寄せ、真剣に不安を抱いている時期に、能天気な楽観説を唱え続けた罪は重いように思えます。

 第3章「私たちが考えるべきこと」では、原発がなくても停電はせず、独立系発電事業者だけでも電気は足りるということ、電力自由化で確実に電気料金は安くなり、必要なのは電力であって、原子力ではないということを訴えています。

 広瀬氏は、『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』('05年/朝日新書)に続く事故後の著書で、内容的には両者の発言とも、これまでの2人の著作と重なる部分も多々あり、やはり、原子力村、原子力マフィアと言われる面々を、実名を挙げて"再整理""再告発"している点が、本書の最大の特長かと思われます(この方面に関しては、集英社は大手では岩波書店と並んでアグレッシブか)。

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情報公開が遅れる理由の全てを解明できなくとも、こうした事後検証はやはり必要。

検証 福島原発事故・記者会見2.jpg    ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか 01.bmp
検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』(2012/01 岩波新書)/『テレビは原発事故をどう伝えたのか (平凡社新書)

 震災並びに福島第一原発の事故後、政府や保安院、東電の記者会見に出続けた2人のフリージャーナリストによる本(日隅一雄氏は弁護士でもあるが)。

 連日のように見られたドタバタの記者会見と後から後から出てくる新事実。そのうち、また何か隠しているのではないなと思いながら報道を眺めることが常態化してしまいましたが、それだけではだめで、やはり、誰が情報を操作したのかまでは行かなくとも、どれだけ情報の提供が遅れたのかくらいは最低限、こうした事後検証が必要でしょう。                福島第一事故の評価 最悪の「レベル7」に引き上げ(ANN 11/04/12)

  事故後1ヵ月も経って、4月12日にようやっと事故評価を「レベル5」から最悪の「レベル7」に引き上げたというのもヒドイ話であるし、核燃料のメルトダウンは早くから多くの専門家がその可能性を示唆していたにも関わらず(但し、当初テレビ出演し解説をしていた御用学者らは何れも根拠の無い楽観論を展開していたわけだが)、東電がメルトダウンを正式に認め、保安院がこれを追認したのが5月12日と、事故後2ヵ月経ってから。

 SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のシミュレーション結果の公表も大幅に遅れたわけですが、これらの情報の早い公表を止めたのは誰なのか?

 「想定外」の大津波が必ずしも「想定外」だはなかった面もあるのに、それを承知の上で東電や政府、保安院が、まるで合言葉のように「想定外」という言葉を繰り返すようになったのはなぜか?

 MOX燃料使用の3号機では事故当初からプルトニウムの放出が懸念されたが、保安院や東電は記者会見で「プルトニウムは放出されにくい」との回答を繰り返すばかり。東電が原発敷地内からプルトニウムが検出されたことを発表したのは3月29日で、政府が敷地外の浪江町でのプルトニウム検出を明かしたのは9月30日。

 その他にも、作業員の被曝上限の引き上げの安全性に関わる問題や、汚染水の海への放出の責任者の不明確さなど、幾つかのテーマごとにわけて、国や東電、保安院の記者会見を追検証しています。

 その中には、マスメディアの記者会見等を受けての報道のあり方も含まれており、いち早く報じたとこころや反応が緩慢だったところ、政府発表をそのまま横流しにし、その不正確さ(乃至ウソ)が明らかになっても、自らの報道のあり方を振り返る気配は見られなかったところなどもあり、そうしたことも含めて検証するとなると、やはりマスメディアには難しく、本書の著者らのようなフリージャーナリストに頑張ってもらうしかないのでしょうか。

 今回の原発事故報道でこうしたフリージャーナリストの果たした役割は大きかったと思われますが、本書によれば、こうしたフリージャーナリストのうち、尖鋭的な一部の者を狙い撃ちにして記者会見から締め出すといったことも行われたとのことです。

 どうせ経産省の官僚筋や保安院、東電などがその本意を明かさずに政治家に上申してそうしたことが行われたのでしょうが、そういう戦術に易々と乗せられてしまうところに、政権の"青さ"を感じます。

ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか2.jpg 本書のほかに、福島原発事故の報道の在り方を検証したものとしては、メディア文化、オーディエンス研究を専門とする伊藤守氏の『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(2012年3月/平凡社新書)がつい最近刊行さており、NHKおよび民放各局の事故の推移や政府発表に対する報道の対応がどうであったか、またそれらのテレビ局に出演していた所謂「専門家」と呼ばれる人たちがどのような発言をし、それに対して聴き手であるアナウンサーやキャスターがどのような反応を示したかなどが、こと細かく検証されています。

 著者はジャーナリズム論が専門でないながらも、事故報道に対する批判的な視点を織り込み、刊行されたばかりということもあって本書に対する評価も高いようですが、大体「原発推進派」の専門家を呼んでくれば、そうした事故の重大さを過小評価したコメントをすることはミエミエなわけで、その学者や専門家が何を話したかもさることながら、テレビ局がどうして事故当初、そんな人ばかりを解説者・コメンテーターとして呼んできたのか(バイアスを排除する意図からか、その「専門家」の出自については触れられていない)ということの方が、より大きな問題であるように思いました。

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ただ「計算してみました」というだけの内容を遥かに超え、脱原発への道筋を示している。

原発のコスト 岩波新書.jpg 『原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)』 大島 堅一.jpg 大島 堅一 氏

 40代半ば中堅の環境経済学者による著書で(朝日新聞社主催の2012(平成24)年度・第12回「大佛次郎論壇賞」受賞)、第1章で東日本大震災による福島第一原発の事故では一体何が起きたのかを振り返り、環境被害の深刻さ、人体への影響、生活への影響を検証しています。

 続く第2章では、被害補償をどのように進めるべきかを論じていて、事故費用を①損害賠償費用、②事故収束・廃炉費用、③原状回復費用、④行政費用に区分し、それぞれ試算しています。

 それによると、①の住民の被害に直接関わる費用である「損害賠償費用」を、直接的な被害だけでなく、営業費用(実害と風評被害)や就労不能による損害、財産価値の喪失・減少など経済的被害なども併せた「被害の総体」を賠償する費用と捉えると、それだけで5.9兆円になり、これに②~④を加えると8.5兆円になるとしていますが(④の行政費用は、国や自治体が行う防災対策と放射能汚染対策、それに放射能汚染により出荷できなくなった食品の買い取り費用も含まれる)、廃炉費用を東京電力の試算を基に1.68兆円と見積もっているものの、これは1号機から4号機の被害状況が十分確認されていない段階での試算であり(チェルノブイリ原発の廃炉費用は19兆年かかっていることからもっと増える可能性がある)、更には、この「8.5兆円」という数字には、③の原状回復費用は"試算不能"として含まれていません(放射性廃棄物貯蔵施設の建設費用だけで80兆円かかるという報道もあるとのこと)。

 そこで次には、このうちの何がどこまで賠償されるかということが問題になってきますが、原子力損害賠償制度というのは、事業者である東京電力の過失責任であった場合、賠償措置が一定の限度額を超えると国が補完援助することになっていて、更には、新たな損害賠償スキームとして登場した原子力損害賠償支援機構は、仕組み上は、この東京電力への援助に上限を設けず、必要があれば何度でも援助できるようにして、東京電力が債務超過に陥らせないようにするようになっているとのこと。こうなると、著者が言うように、東京電力を守るための機構であり、また、原賠法が事業者の責任を明確にした上での国の援助を定めていたのに、東京電力の責任もどんどん曖昧になっていくのではないかなあ(それが、機構を設立した目的なのかもしれないが、最終的な負担は国民の税金にかかってくるため、東京電力にオブリゲーションが無いまま、負担増だけが国民に強いられるというのは解せない)。

 第3章では、原子力は水力・火力に比べ発電コストが安いとされているが、本当にそうなのかを検証していて、この計算のまやかしは以前から言われていたかと思いますが、本書では、原子力発電に不可欠な技術開発コスト、立地対策コストを政策コストとして勘案すると、火力や水力よりも電力コストは高くなることを計算によって示しています(一キロワット当たり、原子力は10.25円、火力は9.91円、水力は7.19円)。

 これらに加えて、原子力発電には、原子力事故後に発生するコスト(事故コスト)が高く、これを事故リスクコストとして計算すること自体に無理あり、更には、核燃料の使用後に発生する使用済燃料の処理・処分にかかる所謂バックエンドコスト(総合資源エネルギー調査会がこれを18.8兆円と計算しているが、実際の額はもっと高くなると想定される)まで含めると、その「経済性」は疑われるとしていますが、尤もだと思いました。

 このようにコストがかかる上に、危険でもある原子力発電ですが、第4章では更に踏み込んで、こうした中、原子力複合体(所謂「原子力村」)がいかにして「安全神話」を作り上げてきたかが検証されていて、そこには反対派の徹底排除を進めるうちに、推進する当事者の側で、危険性を問題視すること自体がタブーとして形成されてしまったというのが実態であるとの分析をしています。

 著者は、日本においてはこの原子力複合体(原子力村)の力があまりにも強すぎるとしながらも、最終第5章では、福島第一原発事故により脱原発に対する国民の支持が圧倒的に高まっており、また原発に頼らなくとも少し節電するだだけで電力供給を賄うことは可能であるとして(節電コストと節電による節約額の方が大きい)、原発を止める道筋を提唱すると共に、脱原発のコストを計算し、更には、再生可能エネルギー普及政策の考え方を示しています。

 環境経済学ってこういうことを計算するのかと初めて知りましたが、あとがきによれば、こと原子力政策については批判的に研究している専門家は極端に少なく、時として孤独な作業を強いられるとのこと、しかも本書は、ただ「計算してみました」というだけの内容を遥かに超えており、事故の経緯や安全性の問題など、著者自身の専門を超える範囲についても相当の勉強をした痕跡が窺えました。

 こうした学者がいることは心強いですが、同じ志を持った研究者がより多く出てくることを期待したいと思いました(著者は、現在は立命館大学教授。私立大学にもっと頑張って欲しい)。

原発コスト4割高.jpg 2011年11月23日 朝日新聞・朝刊

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脱原発の教科書であり、学際的集大成。今後の議論の継続・発展を望む。

原発を終わらせる.jpg    石橋 克彦.jpg 石橋克彦 氏(2011年5月23日参議院行政監視委員会)
原発を終わらせる (岩波新書)』(2011/07)

 地震学者・石橋克彦氏を編者とした14本の小論文集で、東日本大震災、福島第一原子力発電事故後、原発を巡る識者の共著の刊行は珍しくありませんが、事故後3ヵ月そこそこで、これだけの専門家(原子力工学の専門家、技術者、社会学者、地方財政論の専門家など。原発を長く取材してきたジャーナリストをも含む)の論文を集めることが出来るのは、岩波ならではかもしれません。

 全4部構成の第Ⅰ部が福島第一原発の現状、第Ⅱ部が原発の技術的問題点、第Ⅲ部が原発の社会的問題点、第4部が脱原発の経済・エネルギー戦略となっていて、口上には「原発を終わらせるための現実的かつ具体的な道を提案する」とありますが、どちらかと言うと、今回の事故を検証し、あらためて原発の何が問題なのかを多面的に考えるものとなっています。

 個人的に特に印象に残ったのは、冒頭の原発の圧力容器の設計に携わった田中三彦氏の「原発で何が起きたのか」で、この人には『原発はなぜ危険か―元設計技師の証言』('90年/岩波新書)という20年前の著書もありますが、今回の事故後に発表された東電の発表データを分析して、改めて1号機の耐震脆弱性を指摘しており、津波の前に地震で既に電源トラブルと原子炉の損傷があり、1号機原子炉は危険な状態に陥っていたと考えられるとしており、この指摘は、「津波対策をすれば原発は安全になる」という発想を根本から崩すものとして注目されるべきかと思います(実際、その後多くの識者がこの考えを支持した)。

 その他に、金属材料学が専門の井野博満・東大名誉教授も、「原発は先が見えない技術」と題した論文の中で、「圧力容器の照射脆化」の問題を取り上げると共に、高レベル廃棄物の地層処分(ガラス固化体)における「オーバーパックの耐食性」について、「1000年後もオーバーパックの健全性は保たれる」という財団法人原子力安全研究委員会の報告を、そうした「予測」を必要とする人達の「期待」に沿った安全ストーリーを作り上げているに過ぎないとしています。

 また、本書編者で地震テクトニクスが専門の石橋克彦・神戸大学名誉教授は、「地震列島の原発」と題した論文の中で、冒頭の石橋論文を受けて、福島第一原発は、地震動そのものによって「冷やす」「閉じ込める」機能を失うという重大事故が起きた可能性が強いとし、耐震基準の変遷を追いながら、その問題点を指摘しています(福島第一原発の耐震性を審議する委員会で896年の貞観地震の大津波を考慮するよう東電に求めたが、東電はこれを無視した―と巷で言われているのは事実では無く、委員会そのものが最終報告に津波の危険性について考慮を求めることを入れなかったため、津波対策は最初から対象外だったとのこと)。それにしても、地震地帯の真上に54基もの原子炉を造っている国なんて、日本ぐらいなんだなあ(116-117pの図)。

 論文の多くが根拠を明確にするために、所謂「論文形式」に近い形で書かれていて、専門度も高いために素人にはやや難解な部分もありましたが、自分なりに新たな知見が得られた箇所が多くありました。

 脱原発の教科書であり、学際的集大成。願わくば、もっと早くにこうした本が刊行されても良かったのではと思われ、今後も、こうした研究者間相互の情報共有が進み、更に問題の解決に向けての議論が継続・発展することを望みたいと思います。

《読書MEMO》
●目次
はじめに                        石橋克彦
Ⅰ 福島第一原発事故
    1 原発で何が起きたのか           田中三彦
    2 事故はいつまで続くのか          後藤政志
    3 福島原発避難民を訪ねて         鎌田 遵
Ⅱ 原発の何が問題かー科学・技術的側面から    
    1 原発は不完全な技術            上澤千尋
    2 原発は先の見えない技術         井野博満
    3 原発事故の災害規模            今中哲二
    4 地震列島の原発               石橋克彦
Ⅲ 原発の何が問題かー社会的側面から
    1 原子力安全規制を麻痺させた安全神話 吉岡 斉
    2 原発依存の地域社会            伊藤久雄
    3 原子力発電と兵器転用
        ―増え続けるプルトニウムのゆくえ  田窪雅文
Ⅳ 原発をどう終わらせるか
    1 エネルギーシフトの戦略
        ―原子力でもなく、火力でもなく     飯田哲也
    2 原発立地自治体の自立と再生       清水修二
    3 経済・産業構造をどう変えるか       諸富 徹
    4 原発のない新しい時代に踏みだそう    山口幸夫

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講演会のトーンで書かれていて分かり易い。元原発設計者が原発によるエネルギー供給の不可能性を述べている。

福島原発事故はなぜ起きたか.jpg 『福島原発事故はなぜ起きたか』 (2011/06 藤原書店)   原発を終わらせる.jpg 『原発を終わらせる (岩波新書)』(2011/07)

 本書は、福島原発事故が起きた2011年3月11日から1ヵ月余り経った4月16日に明治大学リバティホールで開催された講演会「いま原発で何が起きているのか―東京電力福島第一原子力発電所事故と原発立国のこれから」(ちきゅう座・現代史研究会主催)及び4月26日に町田市民フォーラムで開催されたシンポジュウム「いま、福島原発で何がおきているのか?」(原発事故を考える町田市民の会主催)の講演と質疑応答を再構成したものです。

井野博満.jpg 井野博満・東京大学名誉教授(金属材料学)を編者として3人の筆者から成り、第1章「福島原発事故の原因と結果」では、井野氏が福島原発事故について科学的・専門的に解説するとともに、事故の収束が見えない現状から、今後どのような経過が考えられるのか、詳説しています。

外国人記者向けの会見で話す井野博満・東大名誉教授(右)と元原子炉プラント設計者の後藤政志氏(asahi.com)

 第2章「福島原発で何が起こったのか」では、元原発設計技術者である後藤政志氏が、原子炉格納容器設計に関わった経験をもとに、反省の意も込めて、原発の欠陥と問題点を、やはり詳しく解説しています。

 第3章「放射線被曝の考え方」では、高木学校医療被ばく問題研究グループの瀬川嘉之氏が、放射能被曝について科学的に解説するとともに、東日本及び関東を含む200km圏内の人が、想定される放射能汚染被害に対してどのように対応すべきかを説いています。

 かなり専門的に突っ込んだ部分もありますが、これらの後に、シンポジウムでの一般市民と3氏の間での質疑応答が収録されていて、基本的な質問や不安に分かり易く答える形になっています。

 また、最後に「事態の進展」として、井野氏が、事故後3ヵ月を経て、講演では触れられなかった新たな進展に触れています。

 更に巻末には、井野氏が代表を務める「柏崎刈羽原原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」が「『福島原発震災』をどう見るか―私たちの見解」として2011年3月23日、4月7日、5月19似に発表したレポート及び新潟県知事、柏崎市長らに充てた要請書、並びに福島原発事故及び放射能汚染の経緯を時系列で追った表が付されています。

 講演会やシンポジュウムがベースになっているということで、かっちりした科学的な内容ですが、講演会のトーンで書かれているため分かり易く、話が専門の科学・技術分野に及ぶ箇所は、図解や写真を多用するなどして読者の理解を助けるように配慮されていて(これらも、講演会で一般市民に解説するために用いたものであると思われる)、震災後3ヵ月余りでの刊行としては、よく纏められているように思いました。

 個人的には、元原発設計技術者である後藤氏が、原子炉格納容器をベントしなければならない事態になった時のためにフィルターをつけるべきだったのに(フランスなどではそうしている)その辺の議論が曖昧になって結局つけなかったために、大量の放射能を拡散させることになったことを悔やむとともに、絶対に安全だと言いながら、こうした放出弁を設けていることの矛盾を指摘しているのが印象的でした。

 更には、質疑応答の中で、「今後、地震が来るたびに、仮に壊れていないとしても今後の安全を確認するために年単位で止まることを原子力プラントは覚悟しなければいけないということです。そうすると、本当に経済的なのか、エネルギー源として適切なのかどうかと思っているんです。地震国日本においては、原発はエネルギー供給することができないという結論に達したと私は思っています」と述べているのも印象に残りました。

 因みに、地震学者・石橋克彦氏を編者とした14人の科学者・技術者の小論文集『原発を終わらせる』('11年7月)では、後藤政志氏が、第1章の「福島第一原発事故」の概要解説のうち「事故はいつまで続くのか」のパートを執筆し、井野博満氏の方が、第2章「原発の何が問題かー科学・技術的側面から」で「原発は先の見えない技術」と題して、自分の専門科学分野である「圧力容器の照射脆化」の問題、高レベル廃棄物の地層処分(ガラス固化体)における「オーバーパックの耐食性」の問題を解説していますので(本書と総論・各論の分担が入れ換わっている)、こちらも併せて読まれるとよいかと思います。

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プルサーマル導入を巡る国・東京電力との壮絶な「闘い」を前知事がつぶさに綴る。

福島原発の真実.jpg          佐藤栄佐久(前福島県知事)外国人記者クラブ会見.png
福島原発の真実 (平凡社新書)』   佐藤栄佐久(前福島県知事)外国人記者クラブ会見(4月18日)

 著者は前福島県知事で、知事在任中は東京一極集中に異議を唱え、原発問題、道州制などに関して政府の方針と真っ向から対立、「闘う知事」として県民の圧倒的支持を得ますが、第5期18年目の'06年9月、県発注のダム工事をめぐる汚職事件で追及を受けて知事を辞職、その後逮捕され、第一審で有罪判決を受けます。

 しかし、この逮捕劇が、反原発であった著者を知事の座から引き摺り降ろすための"でっち上げ"事件であったことの経緯は、前著『知事抹殺―つくられた福島県汚職事件』('09年/平凡社)に詳しく書かれています('09年10月に、控訴審で「収賄額ゼロ」認定を受けるも、有罪判決は覆らず)。

 東日本大震災による福島第一原発事故を受けて出版された本書では、冒頭に郡山市にて被災した著者自身の体験が描かれていますが、本編の内容の大部分は、福島第一原発におけるプルサーマル計画の実施を巡って、県にプルサーマル受入れを迫る国及び東京電力と著者との間で繰り広げられた壮絶な「闘いの記録」となっています。

 当初は原発に対して比較的中立的な立場だった著者ですが、90年に入って原発誘致の在り方に明確に違和感を覚えるようになり、やがて福島第一原発のプルサーマル計画の実施に際して、国及び東京電力の次々と前言を翻し、平気でウソをつき、畳み掛けるように誘致を迫る県民不在の姿勢に、心底怒りを覚えるようになります。

 しかしながら本書ではそうした感情的なトーンは極力抑えられ、政府(内閣府・経産省・資源エネルギー庁)や東京電力、原子力委員会・原子力安全委員会や原子力安全・保安院、更には地方自治体の、それぞれの当事者・関係者の誰がいつどのような発言をしたかを淡々と綴ったドキュメントの体裁をとっていて(おそらくバックアップしている人がいると思われるが、その時々の詳細且つ精緻な記録となっている)、それが却って迫力のあるものとなっており、同時に、国や東京電力が原子力政策を強引に進めるために地方自治体を籠絡する"やり口"がつぶさに見てとれます。

 資源エネルギー庁が地方交付金をMOX燃料はウラン燃料の2倍に、プルサーマル発電はウラン燃料発電の3倍にするというのは、まさに地方自治体を交付金で"麻薬漬け"にしてまでもプルサーマルを導入しようとする国の意図の表れであり(真っ先に陥落したのが佐賀県、その後も佐賀県は、政府・九電のいいなりのまま、やらせ公開討論会などを開いたりしたわけだ)、福島県知事であった著者は、こうした国の"やり口"に対して反旗を翻しますが、そこに待ち受けていたのがでっち上げられた汚職事件であり、後任の佐藤雄平知事は易々とプルサーマル受入れに同意してしまう―という、ドキュメントでありながらも小説を読むように一気に読めてしまう内容でしたが、小説ではなく現実の話だから、やりきれない気持ちになります。

 こうして見ると、「国」と言っても、内閣府や経産省を動かしているのは大臣ではなく経産官僚であり、この経産官僚というのが"顔が見えない"だけに歯痒いのですが、例えば、原子力安全・保安院も「資源エネルギー庁の特別の機関」とはされているけれども、結局は経産官僚の出先機関のようなものだったのかと(資源エネルギー庁と違って殆ど文系だし)。

 東電が福島第一・第二原発の点検結果を改竄し、それに対する(東海村JOC臨界事故を「教訓」に導入された内部告発制度に基づく)内部告発が'00年にあったそうですが、告発を受けた当時の通産省も、'01年に発足してそれを引き継いだ保安院も立ち入り調査を行わず、逆に東電に告発者氏名と告発内容資料を渡して2年間放置していたというのは、まさに犯罪行為ではないでしょうか(保安院の解体は当然にしても、もっと責任を追及されて然るべし)。

 あとがきには、震災による福島第一原発事故の前年('10年)6月にも、福島第一原発事故2号機で、冷却水を循環させるポンプが止まって電源喪失し、原子炉の水位が2メートルも下がるという事故があったのに、その教訓が何ら生かされなかったとありますが、これだけ事故隠し・データ改竄を続ける中で、そうした危機感が完全に麻痺していたとも言えるし、著者が言うように、その根底には、「原子力は絶対に必要である。だから、原子力発電は絶対に安全だということにしないといけない」という考え方があったのでしょう。

 今回の福島第一原発事故はまさに人災であり、その背景には官僚が全てを支配する日本の統治機構の問題があるとの思いを、本書を読んで更に強く感じました。

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原子力科学者の立場から、原発の危険性を解説。分かり易くコンパクトに纏まっている。

原発のウソ.jpg 『原発のウソ (扶桑社新書)原発のウソ2.jpg

 原子力学術界における「反原発」の旗手的存在である著者の、『放射能汚染の現実を超えて』('11年5月/ 河出書房新社)に続く福島第一原発事故後の単著で、新書という体裁もあって手軽に読め、且つ、原発の危険性を知る上での入門書としても、たいへん分かり易くコンパクトに纏まっています。

 まず第1章で、当時、発生して間もなかった福島第一原発の事故が、どこに重大な問題点があって今後どうなっていくのかを見通し、以降、第2章から第7章にかけて、放射能とは何か、放射能汚染から身を守るにはどうすればよいかが解説され、更に、国や電力会社が言うところの原発の"常識"は"非常識"であるということ、原子力が「未来のエネルギー」であるとされているのは疑問であること、地震列島・日本に原発を建ててはいけないということ、結論として、原子力に未来はないということが説かれています。

 解明されつつある低レベル被曝の危険性に着目し(御用学者達が「修復効果説」や「ホルミンス効果説」を唱え、50ミリシーベルト以下の低レベル被曝は何ら問題無しとしているのに対し、「低線量での被曝は、高線量での被曝に比べて単位線量あたりの危険度がむしろ高くなる」という近年の研究結果を紹介している)、更に、チェルノブイリ原発事故の放射能物質観測データを基に、風と雨が汚染を拡大することを示すと共に、放射能被曝を受けた場合の年齢別危険性(20~30歳代の大人に比べ、赤ん坊の放射線感受性は4倍)を示して、乳幼児や子ども達への放射能の影響を危惧しています。

 また、原発事故が起きても電力会社が補償責任を取らないシステムについても言及し(米国でも同じことのようだ)、結局そのツケは国民に回されると述べているのは、原子力損害賠償支援機構法(東電の経営と原発の運営を支援する法律?)の成立や東電の国有化検討で、まさにその通りになりつつあります。

 原発を造れば造るだけ電力会社は儲かってきた背景には、資産の何%かを利潤に上乗せしていいという「レートベース」というものが法律で決められていて、資産を増やすために電力会社は原発を造り続ける―では、その費用はどうなるかと言うと、電力利用者が払う電気料金に上乗せされているわけで、結局、日本は世界で一番電気代の高い国になっているというのは、原子力発電がスタートした際の、将来「電気料金は2000分の1になる」とか言っていていた宣伝文句が全くの出鱈目であったことを思い知らされます。

 このように原発は決してコストの安い電力源ではないばかりでなく、原発が「エコ・クリーン」であるというのもウソで、発電時に二酸化炭素を排出しないとはいうものの、そこに至るまでの資材やエネルギーの投入過程で莫大な二酸化炭素が排出されているとのこと、更には、発生した熱エネルギーの3分の2は海に放出されているため、地球温暖化に多大に"寄与"しているとのことです。

 やがて石油資源が枯渇するから原子力発電の推進を―という国の謳い文句もウソだったようで、石油より先にウランが枯渇するとのこと、原子力を牽引してきたフランスにすら新たな原発建設計画は無く、それなのに日本が原子力を捨てることができないのは、電力会社だけでなく、三菱、日立、東芝といった巨大企業が群がって利益を得ているからだとしています。

 日本は、国際公約上、余剰プルトニウムを保持できない国であり、「プルトニウム消費のために原発を造る」という発想のもとで造られた高速増殖炉でも事故が頻発していることからしても核燃料サイクル自体が破綻しているにも関わらず、使用済み核燃料の再処理工場がある青森県六ヶ所村近くにMOX原発・大間原子力発電所を造ろうとしていますが、大間原発の安全面での危険性はかなり高いとのことで、今回の震災で計画の行方がどうなるか注目されるところです。

 そもそも、地震地帯に原発を建てているのは日本だけで、それが54基もあって、浜岡原発などは「地震の巣」の真上に立っており、更に原発より危険なのが使用済み核燃料をため込んでいる再処理工場で、ここが震災に遭ったらどうなるかと思うと空恐ろしい気がします。

 著者の言うように、原発は末期状態にあり、原発を止めても電力供給に軽微な影響しかないのならば、もう原発は止めにすべきではないかと個人的にも思いますが、原発を廃炉にしても、巨大な「核のゴミ」がそこに残り、放射性廃棄物は何百年も監視が必要で、それは誰にも管理できる保証はない―こうなると、何故こんなもの造ってしまったのかとつくづく思いますが、高度経済成長期において、「原子力=夢のエネルギー」という幻想に日本全体が浮かされたのかなあ(手塚治虫が生前に、自作「鉄腕アトム」は原子力などの科学的将来に対してあまりに楽天的で、自分の作品を顧みて一番好きだとは思わないといった発言をしていたのを思い出した)。

 本書を読んで、自分達の子孫のためにも、原発の廃絶を訴えていかなければならないのだろうと思いました。

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案全対策強化も過渡期的措置であって、どうやって廃炉に持ち込むかが今後の課題になるのでは。

福島原発メルトダウン 朝日新書.jpg FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン2.jpg   福島第一原発3号機水素爆発.jpg
FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン (朝日新書)』   福島第一原発3号機水素爆発(2011年3月14日)

  『東京に原発を!』('86年/集英社文庫)、『原子炉時限爆弾』('10年/ダイヤモンド社)など、日本における大地震による原発事故発生の危険性について警鐘を鳴らしてきた著者が、「福島原発事故」発生後、朝日新聞社の要請を受けて著した新書です。

 基本情報の部分では前著と重なる部分も多いですが、原子力発電に関する入門書としても読め、また、目の目で繰り広げられる原発事故の様に沿って書かれている分、切迫感もあります。

 水素爆発など専門家ならば当然予見できたはずの危険は予め報道されず、実際3月12日午後3時36分に1号機、2日後の14日11時1分に3号機、15日6時14分には4号機の使用済み核燃料プールでと次々と水素爆発が起きたわけですが、そうしたものは全て起きてから過去形で、原因はこうだったのではないかとか報道されているところなどは、やはり、政府のマスコミを巻き込んだ情報操作を感じるなあ(3号機の水素爆発は核爆発だった可能性が高いそうだが)。

 福島第一は、GEが東京電力に警告したにも拘らず、コスト削減のため、余裕のない脆弱な冷却システムを設計せざるを得なかった欠陥品―というのには、ちょっと驚きです。
 
 どうやら事故解説でテレビに出演していた専門家とやらも、"御用学者"ばかりだったみたいだし、気象庁発表のマグニチュードが8.4→8.8→9.0という風に変わっていったのも、政府や原発推進派の政治家、東京電力など「想定外」という物言いを擁護するための、政治的介入だった可能性があるとの指摘には、確かにそうかもと思わざるを得ません(従来は「気象庁マグニチュード」を使っていたが、今回は「モーメントマグニチュード」というのに変えたそうだ。そんなのあり?)。

 放射能の数値についてもトリックが使われていて、安全性がやたら強調されるのは、「放射線の有効利用」を飯のタネにしてきた専門家らが、その危険性を訴えるはずが無いからであり、また、そもそも、内部被曝量というのは、生体解剖でもしない限り実態は不明であり、測定による数値化は不可能または無意味なものだそうです(その辺りも、分かり易く解説されている)。

 4つのプレートの境目にある日本の国土は、東海大地震、南海大地震が周期的に発生していて、静岡県の浜岡原発というのは地質学上も危ない場所にあるわけですが、首都圏と中部・関西の中間にあることから、原発震災が起これば、それら巨大都市圏に一斉に死の灰が降り注ぐ可能性があるとのこと(原発から放出された放射能の雲は、風速毎秒2メートルでも3日間で500キロメートル拡がるそうだ。日本の中枢部は全滅?)。

 地盤が脆弱な日本における原子力発電所の危険性について、『東京に原発を!』でも『原子炉時限爆弾』でも浜岡原発をメインに取り上げていますが、本書では最後に、北海道から鹿児島まで14の原発を取り上げおり、これ読むと、浜岡原発のみならず、どこもかしこも皆危ないようです。

 もう、これから原発を新たに作るなどということは論外であり、案全対策の強化も過渡期的措置であって、これらをどうやって廃炉に持ち込むかが今後の課題になるのではないかと思いました。

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原子力学術界における反原発の旗手が福島原発事故の直前に著した本。原発の危険性を説いて分かり易い。

隠される原子力・核の真実.jpg 九電やらせ・玄海原発プルサーマル公開討論会('05年12月25日)質問者は実は東電社員ばかり
隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ』(2011/01 創史社)

 原子力の平和利用を志して原子力研究に身を投じながらも、原子力を学ぶことでその危険性に気づき、長年に渡ってそのことを訴え続け、また、放射線被害を受ける側に立って活動を続けてきた、今や原子力学術界における「反原発」の旗手的存在である著者ですが、東日本大震災による福島第一原発の事故前にも関連の多くの著作があり、本書は東日本大震災の数ヵ月前に刊行されたものです。

 被曝の影響と恐ろしさ(とりわけ、看過されがちな低線量被曝の危険性について)、核によってもたらされる環境破壊と生命の危険、日本が進めている核開発の全体像、原子力発電自体の危険性、地球温暖化説が原子力に悪用されたということ、原発が死の灰を生み続けるということ、実際には原子力から簡単に足を洗えるということ、再処理工場が膨大な危険を抱えていることなどを解説し、最後に、エネルギーの消費量をこれ以上増やしても、人類は寿命が伸びるわけでもなければ幸せになるわけでもなく、エネルギー消費型の社会を一刻も早く改めるべきだと訴えています。

 これだけの内容で160ページ弱とコンパクトに纏まっていて、中学生・高校生にも読めるような分かり易さ。一部に解説がやや専門的な内容に踏み込む部分もありますが、そうした箇所はグラフや図表などを用いていて、一般読者の理解の助けとなるよう配慮されており、そうした中、チェルノブイリ原発事故による汚染の広がりを福島原発に当て嵌め、その放射能汚染域を日本地図上で示した図はあまりに「予言」的です。

 プルトニウム再利用のための核燃料リサイクル計画は杜撰を極めており、高速増殖炉「もんじゅ」は試験運転時にナトリウム漏れ事故を起こし('95年)、いまだに1キロワット時の発電すらしておらず、すでに1兆円の金をドブに捨てているとのこと、高速増殖炉の利用は追えば追うほど遠ざかる「夢」となっており、それがすぐにでも出来ると今でも言い続ける学者らがいるのに対し、著者は「正直に言えば、こういう人たちは全員刑務所に入れるべきだと私は思います」とまで書いています。

 原発において電力供給に利用される熱エネルギーは3分の1で、残りの3分の1は海に放出され、しかも、原発を動かし続けるために莫大なエネルギーが費やされていて、多くのリスクも伴う―では一体何のために原発を造り続けるのか? 枯渇されると予測される石油はその「限界」とされる年数が年ごとなぜか「延長」されているし、そもそも日本の電力は不足しているのか? そうした国の原発推進政策に多くの疑問を投げかけ、また、警鐘を鳴らしています。

 著者の所属は「京都大学原子力研究所」。定年間近にして「助教」とは、かつての反公害運動の宇井純・東大「助手」を想起させますが、まだ「京大」だから在籍できるのであって、「東大」だったらとっくに辞めさせられていたと、著者自身が語っていていたという話も聞いたことがあります。

小出裕章.bmp大橋弘忠.bmp 九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)3号機のプルサーマル発電計画について、佐賀県が'05年12月に公開討論会を主催した際、九電が動員した社員や関連会社員らが参加者全体の半数近くも出席していて、導入推進側に有利な"やらせ質問"をするととともに、参加者アンケートにも"積極"回答していたことが明らかになったのは、東日本大震災後の同原発の運転再開を巡る九州電力の"やらせメール事件"が明るみに出た直後の昨年('11年)7月のこと(5年以上前の全国で最初に行われたこのプルサーマル公聴会の時から"やらせ"は常態化していたわけだ)、その公聴会においてプルサーマル原発の危険性を訴えて頑張っていたのが著者で、一方の、「反対派は地震が起きたら危ないと言うが、チェルノブイリのようなことは起こるはずがない。安全ということを確かめられている」と言って小出助教をせせら笑った東京大学の大橋弘忠教授は、福島原発の事故後はマスコミには一切登場していません。

九電やらせ・玄海原発プルサーマル公開討論会 小出裕章・京大助教(助手) vs. 大橋弘忠・東大教授(平成17年12月25日)

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原爆、原発、劣化ウラン弾によってもたらされる内部被爆のメカニズムと、その隠蔽された危険性を明かす。

内部被曝の脅威 ちくま新書.jpg 『内部被曝の脅威 ちくま新書(541)』['05年]  肥田舜太郎.jpg 肥田 舜太郎 医師

 広島で被曝後、60年間にわたり内部被曝の研究を進めてきた肥田舜太郎医師と、社会派ジャーナリスト鎌仲ひとみ氏の共著。

 全5章構成のうちの第1章と第4章が、鎌仲氏による、イラクの劣化ウラン弾による被曝被害者の実情、及び、アメリカの原爆実験・原子力発電によってもたらされたと考えられる被曝被害状況などのリポートで、第2章と第3章が、肥田医師による、広島で原爆が投下された際の経験、自身が医師として被曝者の治療に当たった際のこれまで考えられなかったような特異且つ悲惨な死亡例と、振り返ってみればそれが内部被曝による原爆症によるものであったことを踏まえ、内部被曝とは何か、そのメカニズムと原発事故によってもたらされる可能性があるその脅威を解説、最終第5章は、唯一の原爆被爆国であるわが国が果たすべき役割についての両者の対談となっています。

 肥田医師の被爆体験及び被曝者の治療体験の記述には凄まじいものがありますが、爆心地から離れた場所にいて大量の放射線を浴びたわけではないのに、或いは、被爆後の爆心地に立ち寄っただけで直接"ピカ"には遭わなかったのに、その後に体調不良を訴え、猛烈な倦怠感を催し(外見的異状はないのに働けなくなるため「ぶらぶら病」と呼ばれた)、やがて動けなくなり、暫くして亡くなったケースなどが紹介されていて、当時はただただ不可思議に思っていたのが、研究を進めるうちに、呼吸や飲食を通じて体内に取り込まれた放射性物質が微妙な放射線を長時間にわたって体内から照射し続け、それが原爆症を引き起こしたり、何年も経ってからガンの発症を引き起こしたりしているという確信に至るようになります。

 原爆爆発と同時に放射された強烈な放射線に被曝して大量に即死させられた体外被曝とは対照的に、時間をかけて"ゆっくりと殺される" 内部被曝については、この言葉自体が、核兵器とその医学的被害に関心を持つ一部の医師の間で最近ようやく使われるようになったに過ぎないということです。

 体外被曝では透過性の低い放射線は届かず、主に透過性の高いガンマ線で被曝しますが、それは一過性のものであるため、壊された細胞(DNA)は修復されやすいが、内部被曝では、透過性の低いアルファ線、ベータ線のエネルギーがほとんど体外に逃げることなく人体に影響を与えることから、体内に摂取された際に危険なのはむしろアルファ線、ベータ線を出す核種であるとのことです。

 その内部被曝のメカニズムを科学的に解説する中で、むしろ低線量放射線の方が高線量放射よりも危険性が高いという「ベトカウ理論」を紹介するとともに、マウスを使った実験結果や実際の臨床報告などによる検証を行っています。

 肥田医師は、本書の大きな狙いは、「微妙な放射線なら大丈夫」という神話のウソを突き崩すことにあるとしていますが、よく年間何ミリシーベルトだとか、毎時何マイクロシーベルトまでなら大丈夫だとか言われているのも体外被曝のことで、少しでも体内に入ったら長期的に被曝し続けるため、微量な被曝であれば大丈夫というのは、本書によれば間違いということになります。

 それにも関わらず、今回の福島原発事故に関して政府や学者が「(外部被曝線量が)年間何ミリシーベルトなら大丈夫」と言っているのは、内部被曝のことを全く考慮していないわけであって、これを「ベトカウ理論」に対する学者の見解の相違ということで片付けてしまっていいのか、原発推進を飯のタネにしている御用学者らが言っている「大丈夫」説だけに、不安を覚えます。

 鎌仲氏の後半のリポートの中には、コロンビア川ほとりに9つの原子炉が建設されたハンフォード核施設の風下地域の住民の放射能汚染の実態と、それを隠蔽しようとする政府に対し、立ちあがって国を訴えた住民たちの闘いの記録がありますが、原子力大国アメリカは「被曝大国」でもあることを、新たに知ることができました。

 最終章の両者の対談にある鎌仲氏の、「本来であれば、日本は唯一の『自覚的な被爆国』として、被爆とは何たるかを世界に知らしめる役割を担うべきであったはずなのに、その責務を放棄して、現在のような原子力発電所大国になってきてしまって、核武装論まで出てきてしまっている。なぜこんなことになったんでしょうね」という問いかけに対し、肥田医師は、被爆の問題を、人間の生命との関わり合いの中で捉えていないことに原因の一端があるとしていますが、そうした人々の中には医療関係者や法律の専門家の多くが含まれるとのこと、優秀な人って意外とイマジネーション力が弱かったりすることがあるのか。

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「福島原発事故」が実際に起こってみると、まさに予言的な本だったと認めざるを得ない。

東京に原発を!.jpg 『東京に原発を! (集英社文庫)』['86年]

 単行本(同タイトル)は、'79年の「スリーマイル島原発事故」の発生を受けて'81年にJICC出版局から刊行されていますが、本書は、その後の'86年4月に発生した「チェルノブイリ原発事故」を受けて、単行本を大幅に加筆修正し、同年8月に集英社文庫として刊行されたものです(今から25年前か)。

 20年前に、著者が『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上・下)』('91年/集英社)を発表した頃、渋谷のジァン・ジァンに著者自身によるトークショーを聞きに行って、やや過剰な「陰謀説」的傾向を感じたのですが、その印象もあってか、著者の他の著作にも、やや「怖がらせ」系の印象を抱いてしまいました。

 しかしながら、振りかえってみれば本書では、原発事故は必ず起きるとし、日本ではそれが大地震と共に訪れるということをはっきり予言していて、実際に東日本大震災による「福島原発事故」が起こってみると、まさに予言的な本だったと認めざるを得ません。

 原子力発電のプロセスなどが図解で分かり易く解説されていて、そうした基本知識を得るうえでも古さを感じさせず(40年間同じ原子炉を使っているわけだから変わり様がないか)、併せて、水循環技術や圧力調整技術、放射能抑制の仕組みの脆弱さを指摘している箇所は、これもまた、その危険性が遂に現実のものとなったとの思いに駆られます(核燃料棒の隙間って3ミリしかないんだあ)。

 原子力発電所そのものの危険性ばかりでなく、放射能の人体への影響や使用済み核燃料の危険性についての説明も詳しく(むしろ、こっちの方が怖いか)、となると、青森県下北半島の再処理工場が大震災に見舞われた際にどうなるかということが心配になります。

 最終的には、そこに保管されている使用済み核燃料もどこかへ廃棄することになり、但し、その廃棄先は宇宙がいいか、地底がいいか、海底がいいかと諸論あるようですがベストなものはない―こうなると、捨て場所が無いのに何故こんなもの作ってしまったのかという気持ちになります。

 「原発安全神話」が作られたものであることは、今や周知の事実ですが、著者はこの頃から、本当に原発が安全ならば、東京に原発を作れば最も効率がいいはずであると言って(原子力発電においては、発生する熱エネルギーの3分の2は、利用されることなく海に放出されているとのこと、更に、福島から東京に送電するために莫大な費用がかかっているとのこと)、それが反語的なタイトルとなっているわけです。

 事実に裏付けられたぞっとさせられる記述が多々ある一方で、やや「怖がらせ」系のニュアンスが一部見受けられますが、この問題に関しては、それぐらい「怖がった」方がいいのかもしれません。

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「無脳症」の赤ん坊の写真に衝撃。劣化ウラン弾による核被害の深刻さが重く伝わってくる。

イラク湾岸戦争の子どもたち 劣化ウラン弾は何をもたらしたか.jpg      湾岸戦争の子供たち (森住卓写真集) - 英語.gif       森住 卓.bmp  森住 卓 氏(1951年生まれ)
イラク・湾岸戦争の子どもたち―劣化ウラン弾は何をもたらしたか』/英語版 『湾岸戦争の子供たち』

 フォトジャーナリストである著者が、'98年から'01年にかけてイラクを4回訪れ取材したものを、写真集として纏めたもので、タイトル通り殆どがイラクの子どもたちを撮った写真ですが、当時の経済制裁下の貧困の中、何とか明るく生きようとしている子どもたちの逞しさが伝わってくる一方、栄養失調や白血病のため入院・治療生活を送っている子たちの写真も多く含まれていて心が痛みます。

米原 万里(よねはらまり)エッセイスト・日ロ同時通訳.jpg 本書のことは、ロシア語通訳の故・米原万里氏が以前に書評で取り上げていて知りました。
 著者にとっては、旧ソ連の核実験場周辺に住む人々の生活と核による被害状況を5年間に渡り取材した『セミパラチンスク-草原の民・核汚染の50年』('99年/高文研)を上梓した(多分、この本で米原氏は著者の仕事に関心を寄せたのだろう)次の仕事で、最初はイラクは危険な国ということで敬遠していたようですが、「湾岸戦争」に従軍した米兵を親として生まれてきた子に癌や先天性障害が見られたという話は以前から聞いていたとのことで、イラクで医療支援をしている伊藤政子氏の講演会でイラクの核被害状況の話を聞き、いてもたってもいられなくなってイラクへ入ったとのことで、結局この仕事も4年間に及ぶ長期取材となりました。

イラク・湾岸戦争の子どもたち.jpg 写真は殆どがモノクローム、ルポルタージュとしてのトーンも抑制されていて、それだけに却って、現地の核被害の深刻さが重く伝わって来ます。

 「湾岸戦争」時に使われた劣化ウラン弾により、イラクの大地には広島に投下された原爆の1万4千倍から3万6千倍の放射能がばらまかれたとのこと、実際、栄養失調と併せて、劣化ウラン弾の影響による白血病や癌で亡くなる子が非常に多いということで、病院で、生まれたばかりの健康な赤ん坊が眠る隣で、「無脳症」で生まれ、迫り来る死と戦っている赤ん坊の写真にはショックを受けました。

 当時('02年初頭)イラクを「悪の枢軸」の1つと見做し、攻撃をちらつかせる米国ブッシュ大統領に対し、「この写真を見た上で、それでもなおかつ爆撃を強行するとしたら...私は言うべき言葉を知らない」と著者は結んでいますが、1年後には本当に戦争を始めてしまった...。しかも、その「イラク戦争」においても、劣化ウラン弾が使用されたという...。

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生きようとする子供たちの表情を捉える。原爆症の子供の写真が痛々しかった。

イラク戦争下の子供たち.jpg「イラク戦争」の30日.jpg 豊田 直巳.bmp 豊田 直巳 氏(1956年生まれ)
写真集・イラク戦争下の子供たち』〔'04年〕『フォト・ルポルタージュ「イラク戦争」の30日―私の見たバグダッド』〔'03年〕

 ルポルタージュもこなす戦場カメラマンの写真集で、先に『フォト・ルポルタージュ「イラク戦争」の30日-私の見たバグダッド』('03年/七つ森書館)を読みましたが、多くの取材陣がそうであったようにビザ取得に苦労したようで、米英軍によるイラクへの空爆が開始された日にイラクへ入りしているものの、バグダッド中心部には達しておらず、バグダッドに入ってからも、これまた多くの取材陣がそうであったように、情報省の報道規制で振り回されている感じ。

バグダッド101日.jpg アスネ・セイエルスタッド『バグダッド101日』('07年/イースト・プレス)を読むと、「30日」と「101日」の差を感じるというか...、彼女の方は空爆の始まる3カ月前から市内の様々な人を取材し、情報省を頼みにせず、"取材ツアー"なるものにも価値を置かず独自取材をし(その結果、情報省から睨まれている)、現地に残った唯一の北欧人ジャーナリストとして頑張っている―、それに比べると、「バー・宮嶋」("不肖・宮嶋"こと宮嶋茂樹氏主催?)に日本人同士集っているのは、ちょっとヌルい感じも(戦時下のバグダッドにいるということだけでも大変なことなのだろうけれど)。

 むしろ、写真集である本書『イラク戦争下の子供たち』の方がストレートに訴えるものがあり、これまでも、イラク、アフガン、パレスチナで子供たちを撮り続けているだけのことはありますが、戦時下または内戦の混乱の中でも、何とか一縷の希望のもとに明るく生きようとする子供たちの表情を、見事にファインダーに捉えています。

 そうした写真の中で、原爆症の子供の写真はとりわけ痛々しく思われ、『「イラク戦争」の30日』にも原爆症の若い女性のモノクローム写真が掲載されていて、その女性は間もなく亡くなったとのことでしたが、現地の原爆症の多くは湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾(アメリカは使用を否定している)の"後遺症"だと思われ、今回の戦闘でもさらなる劣化ウラン弾がイラク全土に打ち込まれていると見られています(本書には、イラクの原子力施設の近くで被曝したと思われる少年の写真が掲載されている)。

 本書は、八木久美子・東京外語大学教授(著書『イスラム教徒へのまなざし』)、ジャーナリストの渡辺悟氏(著書『クルド、イラク、窮屈な日々』)ら識者が、近年刊行されたアジア関係の本のベスト5に挙げています。

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