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原節子"通"を任ずるならば押さえておきたい1冊。本人発言等、事実からその実像に迫る。

原節子 伝説の女優 千葉.jpg原節子―映画女優の昭和.jpg原節子さん死去 - 号外:朝日新聞.jpg
原節子―伝説の女優 (平凡社ライブラリー)』『原節子―映画女優の昭和』   朝日新聞「号外」2015年11月25日

原節子、号泣す.jpg 末延芳晴 著『原節子、号泣す』('14年/集英社新書)をちょうど再読し終えた頃に原節子の訃報に接しましたが、既に95歳だっため何となく予感はありました。本人の遺志により発表を遅らせたとのことで、読んでいた頃にはもう亡くなっていたのかあ。文春文庫ビジュアル版の『大アンケートによる日本映画ベスト150』('89年)に監督・男優・女優の各ベスト10のコーナーがあり、女優は、1位・原節子、2位・吉永小百合、3位・高峰秀子、4位・田中絹代、5位・岩下志麻、6位・京マチ子、7位・山田五十鈴、8位・若尾文子、9位・岸恵子、10位・藤純子となっており、やはりスゴイ女優だったのだなあと。

 本書(同著者の『原節子―映画女優の昭和』('87年/大和書房)に加筆修正してライブラリー化したもの)は、その原節子の女優としてのキャリアを丹念に追ったものであり、原節子"通"を任じるならば是非とも押さえておきたい1冊です。著者があとがきで述べていますが、従来の女優の自伝・評伝の、身近な人間関係に密着して展開する書き方とはやや距離を置き、原節子のその時点時点での発言を重視し、その意味を、役や作品や周囲の証言や、その時代の映画・歴史状況と対応させてみるという手法を取っています。こう書くと難しく感じるかもしれませんが、実際はその逆で、事実を出来るだけ詳しく記し、解釈は読者に預ける、或いは事実から汲み取ってもらうという手法にも思え、著者による作品解釈等引っ掛かったりすることが殆ど無いため、正味400ページありますが、すらすら読めました。

 興味深かったのは、デビュー以来その素材を買われながらも今一つ力が出し切れず、一部からは「大根」と呼ばれていた時期が結構長くあったのだなあということで、時折、その年代ごとの女優のブロマイドの売れ行きベストテンやギャランティによる番付、映画雑誌による人気ランキングが出てきますが、ベストテンには早くから名を連ねるものの、ずっとその中では6位以下の下位グループに位置し、結局、戦前10年ベストテンの下位に低迷し続け、彼女が初めてベスト5に入ったのが、雑誌「近代映画」の1949年正月号で、この時点でも、1位に高峰三枝子(当時30歳)、2位に高峰秀子(同24歳)がいて、原節子(同28歳)は第3位でした。4位が田中絹代(同31歳)で5位が山田五十鈴(同31歳)だから、確かに演技面力の面でも"強者"揃いであるわけですが。

麦秋 原節子.jpg 本書によれば、彼女が人気の頂点に達したのは1951年で、ハリウッドの外国人記者協会が企画し毎日新聞が代行した日本における一般投票で、前年の4位からこの年のトップになっています。但し、1952年の「映画ファン」5月号の人気投票では、作品投票で主演作の「麦秋」('51年)、「めし」('51年)が1位と2位に選ばれたにも関わらず、原節子(当時32歳)は津島恵子(同26歳)に次いで2位に後退しており、今でこそ「伝説の女優」と言われていますが、当時は彼女も、移ろいがちな女優人気のうねりの中にいたのだなあと思いました。

麦秋」(1951年)

 そうした原節子の魅力を十分に引き出したの小津安二郎監督であると言われていますが、本書の中にあるエピソードでは、「麦秋」のクランクインが迫った際に、原節子はギャラが高いから別の女優にしてくれと松竹から言われた小津安二郎監督が、原節子が出なければ作品は中止すると珍しく興奮した声で言ったといい、それを聞いた原節子が、自分のギャラは半分でもいいから小津の作品に出演したいと言ったという話に、二人の結びつきの強さを感じました。

 また、原節子はこの頃には女優としての意識にも高いものがあり、「日本映画そのものに、ハッキリとした貫くような個性がないんですもの。リアリズムも底が衝けないか、或いは詩がないのよ」(「近代映画」'51年7月号)とも言っており、「麦秋」の完成間近には、「日本映画の欠点?そうね、それはシナリオだと思うわ。小説の映画化ばかり追っかけている現状は悲しいと思うの。演技者にあった強力なオリジナルを書いて、あッと言わしてくれるシナリオ・ライターがあってもいいと思うわね。」(「時事新報」'51年9月14日)とまで言っていますが、確かに「麦秋」はオリジナル脚本でした(その前の「晩春」('49年)は広津和郎「父と娘」が原作)。

 その少し後には「私は演技がナチュラルに没してしまうのが恐いんです。(中略)映画のリアリズっていうものが、私たちが演技するナチュラルな写実ではなくって、出演者の(中略)厳密なね、リアリズムが一分の隙もなくナチュラルに見える結果の演技でなくっちゃ...。」(「丸」'54年1月号)などといった発言もあり、これ、スゴくない?

 興味深かったのは、「日刊スポーツ」や「スポーツニッポン」「報知新聞」といったスポーツ紙のインタビューが本書には多く載っていますが、その中で、結構ざっくばらんに自分のことを語っている点で、自らを「大根」だとか「おばちゃん」だとか言ったり、自分が演じた役柄が自分には今一つしっくりこなかったとあっさり言ってしまうなど相当サバけた印象があり、結婚に関する記者の質問にも自分なりの考えを述べるなど(時に記者を軽くあしらい)、非常に現代的・現実的な思考や感覚の持ち主であったことが窺える点でした。

 小津安二郎が彼女の魅力を引き出したのは確かですが、小津の描いたやや古風な女性像に続いて、そうした彼女の実像に近いモダンな部分を作品にうまく反映させる監督が現れなかったというのも、彼女が引退を決意した理由として考えられるのではないでしょうか。映画評論家の白井佳夫氏が、「原節子を、完全に使いこなし、その比類なき魅力をスクリーンに開花させてくれるような、一群の映画作家たちの魔術が、だんだん消え失せてしまうような新時代の到来が、彼女に引退を決意させたのだ...」と言っていますが、原節子自身は、そうした新時代の女性を演じるに適した素養も持っていたような気もします。

原節子 インタビュー.jpg 勿論、インタビューでの発言や態度がそのまま映画作品の人物造型に反映されるとも限らないし、本書からは、原節子自身が早くから年齢を意識し、引退を考えていたことも窺えるので何とも言えませんが...。本書を読むと、人気がピークになればなるほど、引退を強く意識していたような感じも。そして、'63年の小津監督の死で「引退」は決定的になったように思います。本書によれば、小津の通夜に姿を現した原節子は小津の遺体に号泣し、この時、本名の会田昌江で弔意を表したそうです。'64年には狛江の自宅を引き払い、鎌倉に住む義兄の熊谷久虎監督の夫婦のもとに引っ越しています(この地が彼女の終の住処となる)。

1960年11月、東京都内の自宅で取材に応じる原節子[朝日新聞デジタル 2015年12月8日]

 出来るだけ客観的事実で本書を構成し、あまり自身の見解を織り込み過ぎないように注意を払ってきたかに見える著者ですが、本書末尾で、「映画女優としての原節子は希有な美しさのため、"花"としての存在価値が大きく、そのなかにあって、原の自己主張は覆い隠されてしまった傾向がある」としており、この見方には大いに頷かされました。

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小津映画を原節子の号泣を通して読み解く。先行する小津映画論に堂々と拮抗する内容。

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原節子、号泣す (集英社新書)

 文芸評論家による小津映画論で、女優・原節子に注目しながらも、とりわけ小津作品において〈紀子三部作〉と呼ばれる「晩春」('49年)、「麦秋」('51年)、「東京物語」('53年)に注目、何れの作品もヒロインを演じた原節子が全身を震わせて泣き崩れる場面があり、そのことを指して小津が不滅の名を残し得たと言っても過言ではないとしています。

 「泣く」という行為を切り口に、小津映画の主題と思想に迫っていくアプローチは興味深く、ドナルド・リチー、佐藤忠男、高橋治、蓮實重彦、吉田喜重らの先行する小津映画論に拮抗する、堂々たる小津映画論になっていたように思います。WEBマガジンでの連載の新書化ということで、個人的には軽い気持ちで手に取って読み始めましたが、実は最初から充分にそれら先行者を意識して書かれていたわけであり、読み終えてみれば新書としては贅沢なほどに"高密度"な内容になっていたように思えました。

 第1章「ほとんどの小津映画で女優たちは泣いた」では、小津が女優に泣かせている作品は、現存する37本の小津作品のうち、8割を超える30作品に上るとし、小津作品に見られるそうした「泣く」という演技を5つのパターンに分類しています(こうした手法自体、目新しいように思えた)。第2章「小津映画の固有の主題と構造」では、小津映画の主題として、家族の関係性や、その中における父や母、妻や子供などの一方の欠落、和解、娘の結婚、幸福な家族共同体の崩壊と喪失、老いと孤独と死を指摘しています。

 第3章「思想としての小津映画」では、ロー・アングルから映画を撮ることへの拘りに既に小津の思想性があるとし、更に、小津は幸福の思想―即ち幸福なる家族の共同関係性に拘り、同時に、その幸福なる関係性の限界を描いた、つまり、幸福の共同体が崩壊し、大いなる喪失(死)と再生のドラマが描かれるのが小津作品であり、「そのギリギリの臨界点において、原節子は幸福の共同体から去っていくことを決意し、崩壊がまさに始まろうとする直前に、必ず号泣している」と指摘しています。そして、先に挙げたドナルド・リチー、佐藤忠男、高橋治、蓮實重彦、吉田喜重らの名を引きながらも、小津映画の「思想」と「真実」は未だ十分に読み抜かれていないとし、〈紀子三部作〉で原節子が見せた「号泣」の演技を通して明確に現れることとなった小津の思想的本質の「真実」について検証し、全面的に解き明かそうとした試みもまた殆どないとしています。

 第4章「原節子は映画の中でいかに泣いたか」では、小津映画以外で原節子が泣いた山中貞雄監督の「河内山宗俊」('36年)と熊谷久虎監督の「上海陸戦隊」('39年)を取り上げ(この両作品での原節子の役どころは非常に対照的であると)、第5章「原節子をめぐる小津と黒澤明の壮絶な闘い」では、黒澤明が原節子をどのように使い、それを観て小津が原節子をどう使ったかを"闘い"として捉えており、具体的には、小津は、黒澤明の「我が青春に悔いなし」('46年)における原節子の演技の限界を見極め、全く別の方向で彼女の資質を生かすべく「晩春」('49年)での彼女の使い方を構想したとのことです。

 実はここまでは本論の前フリのようなもので、第6章から第9章にかけての、〈紀子三部作〉と呼ばれる「晩春」「麦秋」「東京物語」での原節子が号泣する場面を軸とした丹念な分析こそが本書のヤマであり、また、読んでみて実際面白かったです。そして、最後に第10章で、その後の原節子出演の小津映画について論じています。

『晩春』(1949年).jpg この内、「晩春」については、第6章と第7章の2章分を割いており、まず第6章で、「晩春」における晩春 1949 旅館のシーン.jpg原節子の小津映画初めての号泣場面を分析した後、第7章で、「娘は父親と性的結合を望んでいたか」というテーマを扱い、これまで多くの映画評論家が指摘してきたこの作品に対する読解(高橋治『絢爛たる影絵』、蓮實重彦『監督 小津安二郎』など)に対し、エディプスコンプレックス論や「近親相姦」願望論はあり得ないとして排し、娘が嫁に行かずに父親といたいのは、非在の母親と同化することで、父親と幸福な時間を共有していたためであって、旅館で打ち明けられた「このままお父さんといたいの晩春 壺.png」という娘の言葉は、父親の再婚を承認し、自らは「妻」も座から降りて「娘」として甘えたいという気持ちの表れであり、更には、そこにもう一つの隠された、ねじくれた「復讐」感情があったとしています。結局、本書も蓮實重彦ばりにかなりの深読みになっている印象はないこともないですが、例の「壺」の解釈も含め、一定の説得力はあったように思います(表層から入る方法論的アプローチは蓮實重彦的だが、目の付け所が違うため、異なる結論になっているという印象。床の間の壁は外したのではなく、カメラレンズのテクニックだろう)。

麦秋における原節子の号泣.jpg『麦秋』(1951年) .jpg 第8章では「麦秋」について、これを幸福な家族共同体の崩壊を描いた作品として捉え、その中での原節子の号泣の意味を探っていますが、その号泣によって「麦秋」が「晩春」を超えた作品となっていることを、演技論ではなく作品の意味論、テーマ論的に捉えているのが興味深かったです。個人的には、この部分を読んで'我が意を得たり'とでも言うか、本書でも「晩春」だけ2章を当てているように、いろいろ論じ始めると「晩春」の方が論点は多いけれど、作品としては「麦秋」の方がテーマの幅広さ(大家族の崩壊)プラス無常感のような深みという面で上回っているように思いました。最高傑作とされる「東京物語」に向けて、「晩春」の時から更に"進化"していると言っていいでしょうか。

 これら3章に比べると、第9章で「東京物語」について「失われた自然的時間共同体」とい観点から論じているのはやや既知感のある展開でしたが、「幸福な時間」の終焉を小津映画の共通テーマとみるここまでの論旨に沿っており、また、それを原節子の、今度は抑制された号泣ではあるものの、同じくその「泣くこと」に集約させて(作品テーマの表象として)論じているという点では一貫性があり、本書のタイトルにも沿ったものとなっていたように思いました。
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末延芳晴(すえのぶ よしはる)
1942年東京都生まれ。文芸評論家。東京大学文学部中国文学科卒業。同大学院修士課程中退。1973年欧州を経て渡米。98年まで米国で現代音楽、美術等の批評活動を行い、帰国後文芸評論に領域を広げる。『正岡子規、従軍す』(平凡社)で第24回和辻哲郎文化賞受賞。『永井荷風の見たあめりか』(中央公論社)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)他著作多数。

原節子さん死去 - 号外:朝日新聞.jpg朝日新聞「号外」2015年11月25日


 

 
 
 

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読むと小津映画の世界に引き込まれていく。小津作品の解釈の深化に貢献した1冊か。

監督 小津安二郎 蓮實重彦 増補決定版.jpg 監督 小津安二郎 蓮實重彦.jpg監督小津安二郎 (1983年)』 監督 小津安二郎 ちくま学芸文庫1.jpg監督 小津安二郎 (ちくま学芸文庫)』(1992/06 ちくま学芸文庫

『監督 小津安二郎 〈増補決定版〉』(2003/10 筑摩書房)

 小津生誕百年にあたる2003年に刊行された本で、20年ぶりの〈増補決定版〉です。オリジナルの『監督 小津安二郎』の初版の刊行は1983年で、この時すでに佐藤忠男の『小津安二郎の芸術』('71年/朝日新聞社、'78年/朝日選書[上・下])やドナルド・リチーの『小津安二郎の美学-映画のなかの日本』('78年/フィルムアート社、'93年/現代教養文庫)は刊行されていたわけですが、以降、数ある小津作品論の中でも『監督 小津安二郎』はその中心的地位を占め続けてきたのではないでしょうか。

 著者はオリジナル版を著すにあたって、「あまりにも知られすぎた小津を小津的なものと呼び、それが小津の「作品」とどれほど異なるものであるかを具体的に明らかにしようとしました」とのことで、一方、〈増補決定版〉の方は、「いずれも、過去20年間に小津を何度も見なおし、そのつどあまりにも知られていない映画作家だと改めて実感させてくれたいくつもの細部に触発された言葉からなっており、文体にしかるべき変化が生じてはいるものの、同じ視点を踏襲しています。『監督 小津安二郎』の〈増補決定版〉は、『監督 小津安二郎』と同じ書物であり、同時にまったく異なる書物でもあるのです」としています(「『監督 小津安二郎』〈増補決定版〉はどのようにして書かれたか」より)。

 内容的には、オリジナルが第1章から第7章と序章・終章から成るのに対し、この〈増補決定版〉は「憤ること」「笑うこと」「驚くこと」の3章が書き加えられ、「序章+本文全10章+終章」という構成になっています。この他に、オリジナル刊行当初から、小津作品のカメラマンであった原田雄春への著者によるインタビューなどの付録があり、増補版全体では単行本で350ページ近いものとなっていますが、付録部分を除くと増補された3章を加えても250ぺージほどと、思ったよりコンパクト(?)だったかも(因みに、ちくま学芸文庫版はオリジナルの文庫化であり、加筆部分は含まれていない)。

 個人的に何となく大部な本であるというイメージがあるのは、文体がハイブロウで高踏的な印象を与え、読むのに骨が折れるという先入観があるためかもしれず、実際、これが映画に関する論考でなければ途中で投げ出していただろうと思われるフシもあります。その意味では、映画作品という、実際に語られている対象のイメージがハッキリあるというのは大きいと思います。また、著者は、敢えて、その目に見える表層から入って、次に作品間の共通項を探るなど、あくまでも目に見える映像や記号から小津作品を読み解こうとしているように思います。

 その着眼点と分析には、「ちょっと無理があるのではないか」と思われたりする部分もありますが、読む側はその指摘によって、そんな見方もあるのかと気づかされ(その過程において、先に挙げた先行する小津映画論を部分的に批判したりもしているのだが)、更にどんどん小津映画の世界に引き込まれていく―そうした力を持つ監督論であり作品論であるように思います。

秋刀魚の味 ラーメン屋.jpg 例えば、小津作品では、登場人物たちのかつての恩師だった元教師が、今は東京で料理屋を開業しているとのことで、「秋刀魚の味」('62年)の東野英治郎の中華そば屋然り、「一人息子」('36年)の笠智衆のトンカツ屋然り、「東京の合唱」('31年)の東京の合唱(コーラス)2.jpg斎藤達雄のカレーライス屋(「カロリー件」)然りであると。この指摘自体が面白いと思うのですが、そこから、なぜ「豆腐屋」などになるものはいなくて(小津自身のエッセイに『小津安二郎 僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』('10年/図書センター)というのがあるが)、皆、「トンカツ屋」のような、勤め人に昼食を供するような料理屋になっているのかを考察していたりするのが興味深いです(正直、ここまで理屈付けするか―という印象も)。

 各作品論では、「その夜の妻」('30年)、「淑女と髯」('31年)、「非常線の女」('33年)、「風の中の牝雞」('48年)など、多くの映画評論家が失敗作とみなしていたり、評論することを避けて通ったりするような作品をも絶賛している点が特徴的であり、佐藤忠男も「風の中の牝雞」を絶賛してはいますが、それは「戦後の始まり」という時代との関連で評価しているのであり、それに対し、著者の場合は、小津作品という文脈の中で全てを評価しているという印象で、とりわけ「その夜の妻」「淑女と髯」が巷の評価に比べて相対的に高評価であるだけでなく、小津作品の中におけるその位置づけという意味でも重視しているのが興味深いです(著者が低い評価を下している小津作品は、前期作品・後期作品を含め皆無ではないか)。

晩春 1949 旅館のシーン.jpg晩春 壺.png 各論でいろいろと注目すべき点、実際、後の小津作品の見方に影響を与えた部分はありますが(後期の二世代同居家族を描いた小津映画に殆ど「階段」が出てこないのはなぜか、それは世代間の断絶を表しているのだとか)、やはり、終章「快楽と残酷さ」での「晩春」('49年)における笠智衆、原節子が泊まった旅館にあった「壺」は何を意味するのか、というのが、本書における評論的な1つの'クライマックス'かもしれません。アメリカの映画監督ポール・シュレイダーの、この壺は父と別れねばならない娘の心情を象徴する「物のあわれ」を表すとの評も、ドナルド・リチーの、壺を見つめる娘の視線に結婚の決意が隠されているとの分析もバッサリ斬り、非常に回りくどい言い方をしていますが、詰まる所、映画評論家の岩崎昶が、父娘の会話が旅館の寝床の上で交わされていることに注目して最初に提唱した、父に対して性的コンプレックスを抱いていた娘という構図に近い解釈になっているように思いました(この映画の隠されたモチーフとして、「父子相姦」があるというのは、その後多くの海外の評論家が指摘しており、また、それに対する反論も内外であるようだ)。但し、著者は、壺そのものには実は意味が無いとしており、この点が特徴的で―と、引用していくとキリがないのでやめておきますが...。

 作家の梶村啓二氏が『「東京物語」と小津安二郎―なぜ世界はベスト1に選んだのか』('13年/平凡社新書)の中で、「『東京物語』は小津の意図をはるかに超えた場所まで独り歩きし、到達していこうとする」と書いていたのを思い出しました。小津作品全般に渡って、そうしたことに最も貢献したものの1つが本書ではないかと思います。そのことによってより多くの人が小津作品を観るようになり、また、観て、頭を悩ますことになった(?)ということかもしれません。でも、観た者同士でお互いに意見を交わし合うというのは、別にプロの映画評論家レベルでなくとも楽しいことです。

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「東京物語」のみに絞って、実証的に分析。共感する点が少なからずあった。

「東京物語」と小津安二郎―なぜ世界はベスト1に選んだのか.jpg    「東京物語」.jpg「東京物語」
「東京物語」と小津安二郎: なぜ世界はベスト1に選んだのか (平凡社新書)』 

 『野いばら』('11年/日本経済新聞出版社)で第3回「日経小説大賞」を受賞した作家によるもので、2013年は「東京物語」公開後60年、小津安二郎の生誕110年、没後50年という節目の年であったため小津安二郎関連本が多く刊行されましたが、本書もその1つと言えると思います。著者の小説は巷にて評価が割れているようですが(賞を取った小説は大方そうだが)、個人的には未読。但し、本書について言えば、ミーハー的でもなければ高踏的でもなくて読み易く、それでいて結構鋭い分析がされていたように思います。

Sight & Sound誌オールタイム・ベスト2012年版.jpgSight & Sound誌オールタイム・ベスト2012.jpg 「東京物語」のみに絞って述べているのが特徴的で、複数の作品間の連関や作品同士の相似を語る蓮實重彦氏などとは対照的と言えるかも。サブタイトルにある「世界はべスト1に選んだ」とは、"Sight & Sound"誌・映画監督による選出トップ10 (Director's Top 10 Films)(2012年版)の上位100作品のトップに「東京物語」があっさり選ばれてしまったことを指しており、そのことを切り口に、第1章で、外国人映画監督から見て、この作品がどう見えるのかを検証していますが、そこから、この作品が「日本映画」だからということで評価されているわけではないということが浮かび上がってくるのが興味深いです。

「Sight & Sound誌」オールタイム・ベスト2012年版

 そして、第2章以下、「紀子とは誰なのか?」「周吉の旅」「子供について」「生活人」といった具合に、映画内の人物について述べ、中盤以降、「東京について」「着物とスーツ」「戦争のこと」「音と音楽について」「夏について」といった具合に背景や周辺部分に入っていくという感じでしょうか。最後、第11章から第13章にかけて、「整理された画面」「軽さについて」「時間という王」と、作品論としてより深化させていく感じ。しかし、新書という体裁に沿ってか、全体を通して分かり易く書かれており、勝手に理屈をこねくり回している印象も無く、小津安二郎語録などを引きながら実証的に作品分析を進めている印象を受けました。

山村聰、杉村春子.jpg 登場人物・俳優に関しては、第5章「生活人」のところで、杉村春子の演技を「無邪気なまでの呼吸するようなエゴイズム」「はたして杉村春子という女優を欠いて、この人物造形が成功していただろうか」としているのに共感し(小津安二郎が杉村春子の演技を非常に高く評価していたという話をどこかで読んだ記憶がある)、背景に関しては、第10章「夏について」で、夏以外の季節で撮られたならば「東京物語」は全く違った作品になっていただろうという見方にも共感しました。

山村聰、杉村春子

東野英治郎、笠智衆.jpg 第12章「軽さについての」での、小料理屋における周吉(笠智衆)、沼田(東野英治郎)、服部(十朱久雄)の会話シーンのセリフを引用した分析も秀逸でした(セリフが全て、オリジナルの文語の脚本から引用されているが、この文語の"語感"が何故か作品の雰囲気に非常にマッチしているように思われたのは、個人的には新たな発見だった)。

東野英治郎、笠智衆

 第5章の終わりに、「『東京物語』は作者の意図を超えてしまっている。(中略)『東京物語』は小津の意図をはるかに超えた場所まで独り歩きし、到達していこうとする」とありますが、まさにその通りだと思いました。

「東京物語」●制作年:1953年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:斎東京物語 笠・東野.jpg東京物語 0.jpg藤高順●時間:136分●出演:笠智衆/東山千榮子/原節子/香川京子/三宅邦子/杉村春子中村伸郎/山村聰/大坂志郎/十朱久雄/東野英治郎/長岡輝子/高橋豊子/桜むつ子/村瀬禪/安部徹/三谷幸子/毛利充宏/阿南純子/水木涼子/戸川美子/糸川和広●公開:1953/11●配給:松竹●最初に観た場所:三鷹オスカー(82-09-12)(評価:★★★★☆)●併映:「彼岸花」(小津安二郎)/「秋刀魚の味」(小津安二郎)   杉村春子、中村伸郎 / 笠智衆、東野英治郎

《読書MEMO》
"Sight & Sound"誌・映画監督による選出トップ10 (Director's Top 10 Films)(2012年版)の上位100作品
[姉妹版:同誌映画批評家によるオールタイム・ベスト50 (The Top 50 Greatest Films of All Time)(2012年版)
 1位:『東京物語』"Tokyo Story"(1953/日) 監督:小津安二郎
 2位:『2001年宇宙の旅』"2001: A Space Odyssey"(1968/米・英) 監督:スタンリー・キューブリック
 2位:『市民ケーン』"Citizen Kane"(1941/米) 監督:オーソン・ウェルズ
 4位:『8 1/2』"8 1/2"(1963/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
 5位:『タクシー・ドライバー』"Taxi Driver"(1976/米) 監督:マーティン・スコセッシ
 6位:『地獄の黙示録』"Apocalypse Now"(1979/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
 7位:『ゴッドファーザー』"The Godfather"(1972/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
 7位:『めまい』"Vertigo"(1958/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
 9位:『鏡』"Mirror"(1974/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
 10位:『自転車泥棒』"Bicycle Thieves"(1948/伊) 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
 11位:『勝手にしやがれ』"Breathless"(1960/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
 12位:『レイジング・ブル』"Raging Bull"(1980/米) 監督:マーティン・スコセッシ
 13位:『仮面/ペルソナ』"Persona"(1966/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
 13位:『大人は判ってくれない』"The 400 Blows"(1959/仏) 監督:フランソワ・トリュフォー
 13位:『アンドレイ・ルブリョフ』"Andrei Rublev"(1966/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
 16位:『ファニーとアレクサンデル』"Fanny and Alexander"(1984/スウェーデン)監督:イングマール・ベルイマン
 17位:『七人の侍』"Seven Samurai"(1954/日) 監督:黒澤明
 18位:『羅生門』"Rashomon"(1950/日) 監督:黒澤明
 19位:『バリー・リンドン』"Barry Lyndon"(1975/英・米) 監督:スタンリー・キューブリック
 19位:『奇跡』"Ordet"(1955/ベルギー・デンマーク) 監督:カール・ドライヤー
 21位:『バルタザールどこへ行く』"Au hasard Balthazar"(1966/仏・スウェーデン) 監督:ロベール・ブレッソン
 22位:『モダン・タイムス』"Modern Times"(1936/米) 監督:チャーリー・チャップリン
 22位:『アタラント号』"L'Atalante"(1934/仏) 監督:ジャン・ヴィゴ
 22位:『サンライズ』"Sunrise: A Song of Two Humans"(1927/米) 監督:F・W・ムルナウ
 22位:『ゲームの規則』"La Règle du jeu"(1939/仏) 監督:ジャン・ルノワール
 26位:『黒い罠』"Touch Of Evil"(1958/米) 監督:オーソン・ウェルズ
 26位:『狩人の夜』"The Night of the Hunter"(1955/米) 監督:チャールズ・ロートン
 26位:『アルジェの戦い』"The Battle of Algiers"(1966/伊・アルジェリア) 監督:ジッロ・ポンテコルヴォ
 26位:『道』"La Strada"(1954/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
 30位:『ストーカー』"Stalker"(1979/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
 30位:『街の灯』"City Lights"(1931/米) 監督:チャーリー・チャップリン
 30位:『情事』"L'avventura"(1960/伊) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
 30位:『フェリーニのアマルコルド』"Amarcord"(1973/伊・仏) 監督:フェデリコ・フェリーニ
 30位:『奇跡の丘』"The Gospel According to St Matthew"(1964/伊・仏) 監督:ピエロ・パオロ・パゾリーニ
 30位:『ゴッドファーザー PartⅡ』"The Godfather Part II"(1974/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
 30位:『炎628』"Come And See"(1985/ソ連) 監督:エレム・クリモフ
 37位:『クローズ・アップ』"Close-Up"(1990/イラン) 監督:アッバス・キアロスタミ
 37位:『お熱いのがお好き』"Some Like It Hot"(1959/米) 監督:ビリー・ワイルダー
 37位:『甘い生活』"La dolce vita"(1960/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
 37位:『裁かるゝジャンヌ』"The Passion of Joan of Arc"(1927/仏)  監督:カール・ドライヤー
 37位:『プレイタイム』"Play Time"(1967/仏) 監督:ジャック・タチ
 37位:『抵抗(レジスタンス)/死刑囚の手記より』"A Man Escaped"(1956/仏) 監督:ロベール・ブレッソン
 37位:『ビリディアナ』"Viridiana"(1961/西・メキシコ) 監督:ルイス・ブニュエル
 44位:『ウエスタン』"Once Upon a Time in the West"(1968/伊・米) 監督:セルジオ・レオーネ
 44位:『軽蔑』"Le Mépris"(1963/仏・伊・米) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
 44位:『アパートの鍵貸します』"The Apartment"(1960/米) 監督:ビリー・ワイルダー
 44位:『狼の時刻』"Hour of the Wolf"(1968/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
 48位:『カッコーの巣の上で』"One Flew Over the Cuckoo's Nest"(1975/米) 監督:ミロス・フォアマン
 48位:『捜索者』"The Searchers"(1956/米) 監督:ジョン・フォード
 48位:『サイコ』"Psycho"(1960/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
 48位:『カメラを持った男』"Man with a Movie Camera"(1929/ソ連) 監督:ジガ・ヴェルトフ
 48位:『SHOAH』"Shoah"(1985/仏) 監督:クロード・ランズマン
 48位:『アラビアのロレンス』"Lawrence Of Arabia"(1962/英) 監督:デイヴィッド・リーン
 48位:『太陽はひとりぼっち』"L'eclisse"(1962/伊・仏) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
 48位:『スリ』"Pickpocket"(1959/仏) 監督:ロベール・ブレッソン
 48位:『大地のうた』"Pather Panchali"(1955/印) 監督:サタジット・レイ
 48位:『裏窓』"Rear Window"(1954/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
 48位:『グッドフェローズ』"Goodfellas"(1990/米) 監督:マーティン・スコセッシ
 59位:『欲望』"Blow Up"(1966/英) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
 59位:『暗殺の森』"The Conformist"(1970/伊・仏・西独) 監督:ベルナルド・ベルトルッチ
 59位:『アギーレ 神の怒り』"Aguirre, Wrath of God"(1972/西独) 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
 59位:『ガートルード』"Gertrud"(1964/デンマーク) 監督:カール・ドライヤー
 59位:『こわれゆく女』"A Woman Under the Influence"(1974/米) 監督:ジャン・カサヴェテス
 59位:『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』"The Good, the Bad and the Ugly"(1966/伊・米) 監督:セルジオ・レオーネ
 59位:『ブルー・ベルベット』"Blue Velvet"(1986/米) 監督:デイヴィッド・リンチ
 59位:『大いなる幻影』"La Grande Illusion"(1937/仏) 監督:ジャン・ルノワール
 67位:『地獄の逃避行』"Badlands"(1973/米) 監督:テレンス・マリック
 67位:『ブレードランナー』"Blade Runner"(1982/米) 監督:リドリー・スコット
 67位:『サンセット大通り』"Sunset Blvd."(1950/米) 監督:ビリー・ワイルダー
 67位:『雨月物語』"Ugetsu monogatari"(1953/日) 監督:溝口健二
 67位:『雨に唄えば』"Singin'in the Rain"(1951/米) 監督:スタンリー・ドーネン & ジーン・ケリー
 67位:『花様年華』"In the Mood for Love"(2000/香港) 監督:ウォン・カーウァイ
 67位:『イタリア旅行』"Journey to Italy"(1954/伊) 監督:ロベルト・ロッセリーニ
 67位:『女と男のいる舗道』"Vivre sa vie"(1962/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
 75位:『第七の封印』"The Seventh Seal"(1957/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
 75位:『隠された記憶』"Hidden"(2004/仏・オーストリア・伊・独) 監督:ミヒャエル・ハネケ
 75位:『戦艦ポチョムキン』"Battleship Potemkin"(1925/ソ連) 監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン
 75位:『M』"M"(1931/独) 監督:フリッツ・ラング
 75位:『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』"There Will Be Blood"(2007/米) 監督:ポール・トーマス・アンダーソン
 75位:『シャイニング』"The Shining"(1980/英) 監督:スタンリー・キューブリック
 75位:『キートンの大列車追跡』"The General"(1926/米) 監督:バスター・キートン & クライド・ブラックマン
 75位:『マルホランド・ドライブ』"Mulholland Dr."(2001/米) 監督:デイヴィッド・リンチ
 75位:『時計じかけのオレンジ』"A Clockwork Orange"(1971/米) 監督:スタンリー・キューブリック
 75位:『不安と魂』"Fear Eats the Soul"(1974/西独) 監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
 75位:『ケス』"Kes"(1969/英) 監督:ケン・ローチ
 75位:『ハズバンズ』"Husbands"(1975/米) 監督:ジョン・カサヴェテス
 75位:『ワイルドバンチ』"The Wild Bunch"(1969/米) 監督:サム・ペキンパー
 75位:『ソドムの市』"Salo, or The 120 Days of Sodom"(1975/伊・仏) 監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ
 75位:『JAWS/ジョーズ』"Jaws"(1975/米) 監督:スティーヴン・スピルバーグ
 75位:『忘れられた人々』"Los Olvidados"(1950/メキシコ) 監督:ルイス・ブニュエル
 91位:『気狂いピエロ』"Pierrot le fou"(1965/仏・伊) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
 91位:『アンダルシアの犬』"Un chien andalou"(1928/仏) 監督:ルイス・ブニュエル
 91位:『チャイナタウン』"Chinatown"(1974/米) 監督:ロマン・ポランスキー
 91位:『ママと娼婦』"La Maman et la putain"(1973/仏) 監督:ジャン・ユスターシュ
 91位:『美しき仕事』"Beau Travail"(1998/仏) 監督:クレール・ドゥニ
 91位:『オープニング・ナイト』"Opening Night"(1977/米) 監督:ジョン・カサヴェテス
 91位:『黄金狂時代』"The Gold Rush"(1925/米) 監督:チャーリー・チャップリン
 91位:『新学期・操行ゼロ』"Zero de Conduite"(1933/仏) 監督:ジャン・ヴィゴ
 91位:『ディア・ハンター』"The Deer Hunter"(1977/米) 監督:マイケル・チミノ
 91位:『ラルジャン』"L' argent"(1983/仏・スイス) 監督:ロベール・ブレッソン

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小津の映画に対する姿勢や、小津を師と仰いだ笠智衆の気持ちが伝わって来て良かった。

大船日記4.jpg小津安二郎先生の思い出.jpg小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)

大船日記―小津安二郎先生の思い出』 
 笠智衆(1904-1993/享年88)のことを、生涯を通じて"大根役者"だったという人もいますが、確かにそういう見方も成り立つような気もします。その"大根"を逆手に取ったのが小津安二郎監督だったのかも。"演技派"などという言葉とは縁のない、素朴で味わいのある人間像を笠智衆という役者から引き出し、世間をして彼のことを"偉大なる大根役者"と言わしめたのは、ある意味、小津の戦略が功を奏した結果であったようにも思います。

笠智衆 軽井沢.jpg 本書はその笠智衆が小津安二郎の思い出を"書き下ろし"ならぬ"語り下ろしたもので、笠智衆が亡くなる2年前に刊行され、'07年に文庫化されています。笠智衆自身によるあとがきがありますが、本が出来上がるまで1年近くかかったとありますから、編集者は粘り強く、笠智衆の後半生の住み家のあった大船に通ったことになります。

 笠智衆はそのあとがきで、自分は台詞以外のことを喋るのは不得手で、編集者は苦労したのではないかというようなことを述べていますが、一度、NHKのフィルムアーカイブか何かで笠智衆のインタビューがあったのを観た時は、本書にもある、笠智衆が小津安二郎に重用され始めた頃、松竹の城戸四郎社長に「君は小津くんに可愛がられておかしなことになってるね」と言われたのが、山田洋次監督の「家族」('70年)に出た時は、同じ城戸社長に、「良かったよ」と言われたという話(この時初めて城戸社長から褒められたとのこと)と全く同じを、映画の台詞を話すような笠智衆独特のトーンで話していました。

撮影:蛭田有一氏

 こちらが「この人、もしかして"大根"じゃないかな」と思ったりする前に、自らが、自分は演技が下手で、小津安二郎監督から最もダメを出された俳優であると言っており、そうした話が何度も出てくるので、却って愛着を持ってしまうというか...。因みに、笠智衆にとっての「憧れの一発OK組」は新劇の俳優に多かったらしく、その代表格は杉村春子だったそうです(確かに抜群に上手かったと思う)。男優では佐分利信が一番で、NGが多かったのは、佐野周二、三井弘次、佐田啓二だったけれども、何れも小津先生と親しかったから先生が言いやすかったのだろうと。それに対し、自分はそれほど先生とは親しくなかったので、単にダメだったのだろうと、とことん謙虚。ここまで謙虚だと、"大根"じゃないかと思っても貶せなくなり、その内、実は本当は"上手い"ということにるのかなと思ったりもするから不思議です。

 小津映画の撮影に纏わる話も興味深く、「若き日」('29年)では、赤倉のロケでスキー場に1週間ほど行ったが、出番が殆ど無くて、スキーだけ上手くなって帰ってきたとのこと、スキー初心者だったのが、1週間の撮影が終わって帰る頃にはスキーの腕前も上達し、山の上から駅まで滑って帰ったとのことです。

笠智衆(当時25歳) in 「学生ロマンス 若き日」('29年)
             
大人の見る繪本 生れてはみたけれど 笠智衆.jpg 「生まれてはみたけれど」('32年)にも16ミリを映写する役でちょっとだけ出ていますが、NHKで放送されたものでは、自分の出演場面に「笠智衆」と出て、却って恥ずかしかったというのが可笑しいです(実際の映画では、タイトルロールに出てくる16名の出演者名の中に笠智衆の名は無く、ノンクレジット出演だった)。

「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」('32年)
                      

父ありき%200.png 初めて主役を演じたのは「父ありき」('42年)で、笠智衆の長男・徹氏による文庫あとがきによれば、本書の中にある「私の代表作は『東京物語』です」という言葉は笠智衆の晩年の心境で、実はずーっとこの「父ありき」が好きだったようです(大部屋俳優の時期が長かっただけに、初主演作にはそれだけ思い入れがあったのかも)。

「父ありき」('42年)
                         
晩春 曾宮周吉2.jpg 小津安二郎の演出に対して「先生、それは出来ません」と答えた唯一のケースが、「晩春」('49年)のラストでの〈慟哭シーン〉だったことはよく知られていますが、主人公の笠智衆は、娘・原節子を嫁にやった日の夜、一人自宅でリンゴの皮を剥き、そこで<慟哭する>というのが小津監督の要求で、その時は、そこで<慟哭する>のは"なんぼ考えてもおかしい"と思ってそう言ったようですが、今考えるとやるべきだった、監督の言ったことはどんなことでもやるのが俳優の仕事だと言っているのが興味深いです(批評家に「眠っているみたいだ」と評されて憤りを感じたといったことも関係しているのか)。
「晩春」('49年)

秋刀魚の味 東野.jpg また、その「晩春」では、小料理屋でビールを飲むシーンで、本物のビールを飲んでしまい顔が真っ赤になって撮影が中断したというのも面白いです。それ以降、ビールを飲むシーンでは、笠智衆だけ麦茶を飲んでいるそうです(日本酒を飲むシーンは水を飲んでいたのか。本書によれば、中村伸郎が酒が好きで、そのため小津は本物の酒を用意したそうな。東野英治郎については、演技が上手いとは書いてあるが、本当に酔っぱらっていたとは書いてない。「秋刀魚の味」('62年)の笠智衆、中村伸郎、東野英治郎が一緒に酒を飲むシーンを観直してみたくなった)。

「秋刀魚の味」('62年)
    
 舞台裏の話も面白いですが、そうした話を通して、小津安二郎の映画づくりや俳優に対する姿勢が窺えるとともに、その小津を師と仰いだ笠智衆の気持ちなどが伝わって来て、なかなか良かったです。編集者の力なのか、笠智衆がそもそも語りが上手(ヘタウマ?)なのかよく判りませんが、NHK(?)の過去のインタビュー映像をちらったと観た感じでは、意外と後者のような気もします(笠智衆のインタビューは、本書の中でこの映画に出られたのも小津先生のお蔭と笠智衆が述べている、ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画「東京画(Tokyo-Ga)」('85年)の中でも観ることが出来る) 。

Wenders and Chisyu Ryu from "TOKYO-GA(東京画)"

【2007年文庫化[朝日文庫(『小津安二郎先生の思い出』』)]】

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"比較"映画監督論。双葉十三郎の日本映画「風物病」論が興味深かった。小津作品が見飽きない理由は...。

小津安二郎と映画術.jpg小津安二郎と映画術26.jpg
小津安二郎と映画術』(2001/08 平凡社)

 貴田 庄(きだ しょう、1947- )氏の『小津安二郎のまなざし』('99年/晶文社)、『小津安二郎の食卓』('00年/芳賀書店、'03年/ちくま文庫)に続く3冊目の小津安二郎に関する本であり、著者はその後も小津安二郎に絡めた本を何冊か著していますが、「映画術」とタイトルにあるように、本格的な映画評論(映画監督論、更に言えば"比較"映画監督論)になっているように思います。と言って、肩肘張って読むような硬いものでもなく読み易いです。

 最初に出てくるのが衣笠貞之助の話で、衣笠貞之助が俳優(女形)から映画監督になったことを紹介しており、更に、黒澤明や溝口健二が画家を目指していて映画監督に転じたことを紹介、それに対して小津安二郎や木下恵介は写真から映画に入っていったことを紹介しています。

 以下、章ごとにそれぞれ、溝口健二、エルンスト・ルビッチ、五所平之助、清水宏、成瀬巳喜男、島津保次郎、木下恵介、アラン・レネ、加藤泰、黒澤明といった映画監督を一定の角度から取り上げながら、最終的にはそれに絡めて小津安二郎に触れるという形をとっています。その章の最初から小津安二郎について語られることもあれば、後の方になって、では小津安二郎の場合はどうか、といったような現れ方をすることもありますが、10人強の映画監督との対比で小津安二郎の映画術を探るというのは、なかなか面白い試みであったように思います。

 他の映画監督、評論家の書いたものを参照するだけでなく、小津安二郎の対談や小津映画に出た俳優の証言(例えば笠智衆の『大船日記』など)も数多く参照しており、エピソード的な話も多くあります。また、そうした話を通して、小津安二郎の映画に対する考え方も窺えます。

黒澤明22.jpg エピソード的な話では、「黒澤明」について書いた最終章が面白かったです。戦時中、監督第一作を撮った新人監督は内務省の試験を受ける必要があって、検閲官に映画監督が立ち会って口頭諮問のようなものが行われたようですが、黒澤明の「姿三四郎」の時の立会映画監督3人の内の一人が小津安二郎で(黒澤明の師匠・山本嘉次郎もその1人だったが敢えて立ち会わなかった)、検閲官が棘のある言葉で諮問し、黒澤明のイライラが最高潮に達する中、小津安二郎が、「百点満点として"姿三四郎"は、百二十点だ!黒澤君、おめでとう!」と言ってOKになったとのことです(黒澤明が「赤ひげ」('65年/東宝)のラストで小津安二郎へのリスペクトを込めて笠智衆を登場させた理由が解った気がする。既にその2年前に小津安二郎は亡くなっていたが)。

 その他にも、笠智衆の思い出で、成瀬巳喜男の「浮雲」を小津に誘われて小田原で二人で観た時、映画館を出た後に口数が少なく黙りがちだった小津安二郎が、ポツリ、「今年のベストワン、これで決まりだな」と言ったとか(笠智衆『俳優になろうか―私の履歴書』)、様々な興味深いエピソードが紹介されています。

清水宏 監督.jpg 「映画術」的観点からすると、一番興味深かったのは「清水宏」の章でしょうか。著者によれば、監督一人につき同じ分量の紙数を割く予定が、この章だけ長くなってしまったとのこと。清水宏という監督は時に小津安二郎と似たようなテーマを扱ったり同じような俳優を使ったりしていたりもしますが、著者は清水宏こそが小津安二郎のライバルだったとしています(と言っても2人は盟友関係にもあり、小津安二郎が最後に入院した際には、清水宏は病院近くのホテルに滞在しながら、辛くて見舞いに行けなかったようだ)。

 著者は、清水宏はもっと評価されるべきだとしたうえで、「小津のコンティニュイティ」について解説した前章を受けて(小津安二郎はコンテをきっちり作り、カメラ位置を細かく指示するやり方)、清水宏がいかにそうした撮り方の対極にある映画術を駆使したかを解説、セット撮影で力を発揮する小津安二郎に対して、とりわけ、ロケで力を発揮する清水宏の本質を分かり易く解説しています(小津安二郎の場合、路地や家並みはもとより、ロケで山などの風景を撮ってもセットみたいな感じになる)。

小原庄助さん 2.jpg また、この章で双葉十三郎の日本映画の「風物病」論を取り上げていて、双葉十三郎は小津安二郎の「晩春」や清水宏の「小原庄助さん」をそれなりに優れた作品であるとしながらも、日本映画につきものの風物ショットが多く、映画そのものは内容に乏しいと主張しているとのことです(双葉十三郎がこのように、小津作品と清水作品を1つずつ取り上げて同じように「風物病」に陥っていると批判していることが、この章の導入部になっている)。
「小原庄助さん」(監督:清水宏、主演:大河内傳次郎)

 著者はこの双葉十三郎の見方を否定しておらず、むしろ鋭い指摘だとみている向きがありますが、個人的にも、そう思いました。小津安二郎が「彼岸花」で山を映すショットをカーテンショットとして用いている例を挙げていますが(そう、山さえセットみたいな感じになる)、風物を映せばストーリーは弱くても映画になってしまうというのは、日本映画の特徴かもしれないとしています。

 小津作品で言えば、観客は、嫁になかなか行かない娘とそれを心配する親や世話を焼く同僚といった、そうしたストーリーの展開を観ているのではなく、それはもう小津作品で何度も繰り返される展開であって、むしろストーリーよりも、その背景にある日本的な風景、風土を観ているのだろうなあと思いました。今日において小津作品を観るということは、「平成」から「昭和」の風俗を垣間見るようなものであり、また小津作品は、あたかもそれに応えることを当時から予想していたかのように、当時のごく普通の生活に見られる風俗をきっちり描いており、だから、何度見ても飽きがこないのだろうなあという気がしました。

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