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脳卒中からの脳科学者の回復の記録。まさに奇跡的。その回復要因をもっと考察して欲しかった。

奇跡の脳1.JPG奇跡の脳.jpg  奇跡の脳 文庫.jpg Jill Bolte Taylor Ph.D. in TED.jpg
奇跡の脳』['09年]『奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)』['12年] Jill Bolte Taylor Ph.D. in TED

 著者のジル・ボルト・テイラー(Jill Bolte Taylor Ph.D.)はハーバードの第一線で活躍する脳科学者でしたが、1996年12月10日の朝、目覚めとともに脳卒中に襲われ、歩くことも話すことも、読むことも書くこともできず、記憶や人生の思い出が失われていくという事態に陥ります。

 彼女を襲った病気は、脳動静脈奇形(AVM)による脳出血(脳卒中は血管が詰まる「脳梗塞」と血管が破れて出血する「脳出血」に大別される)でしたが、本書は、そうした"心の沈黙"という形のない奈落の世界に一旦は突き落とされたものの、そこから完全に立ち直ることが出来た彼女が、後から長い時間をかけて自らの陥った状況を思い出し、科学者として分析し、回復の過程をまとめたものです(原題は"My Stroke of Insight A Brain Scientist's Personal Journey")。

 脳卒中に襲われた朝の自身の心理状態などが詳しく書かれていますが、その瞬間、これで脳の機能が失われていく様を内側から研究できると思ったというのがスゴイね。「時間が流れている」という感覚も、「私の身体の境界」という感覚も、脳の中で作り出された概念に過ぎないということを、それを失うことによって悟ってしまうというのも。

 脳卒中などによる機能障害は、最初はリハビリの効果が見られても6ヵ月ぐらいで症状が固着し、そこからはあまり目覚ましい回復は見られないというのが一般的であるのに対し、彼女の場合は年ごとに身体機能と知的活動を行う力を回復し、8年ぐらいかけて身体機能を元に戻すとともに、研究の場に完全復帰しています。

 そこには並々ではない努力はあったと思われるものの、脳の大手術を受けたこと、また障害の重さなどから言うと、やはり"奇跡的回復"と言っていいのでは(「身体の境界」の感覚が戻ったのは7年目だという)。

 彼女の場合、主にダメージを受けたのは左脳であったため、左脳が司っていた言語機能、理性や時間感覚が失われる一方で、右脳の芸術家的機能が活発化していったわけで、本書の後半は、「左脳マインド」に対する「右脳マインド」の話になっていて、プラグマティックであると同時に、ややスピリチュアルな雰囲気も。

 本書は全米で50万部売れ、彼女の「TED」(Technology Entertainment Design)でのプレゼンの様子はユーチューブで何百万回も視聴されたそうですが、それを見ると、この人、相当のプレゼンテーターというか、教祖的な雰囲気もあって、確かにアメリカ人には受けそうだなあ(但し、日本でも、NHK-BSハイビジョンで特番が組まれた。訳者・竹内薫氏の仕掛けもあったとは思うが)。

 彼女が陥った脳機能障害について、図説などを用いて丁寧に解説してあるのが親切で、一方、まさに"奇跡"であるところの回復過程についてはさらっと済ませてしまっていて、「努力」だけでこのような回復を遂げられるものではなく、何らかの特別な要因があったと思われるのですがそれにはさほど触れず、その後は「右脳マインド」の話になってしまっているのが、個人的にはやや不満。そうした"奇跡"が起きたことの「神秘」が、そのまま後半のスピリチュアリズムに受け継がれているといった感じでしょうか。

それでも、そうした「右脳マインド」の話にしても、体験者、しかも脳科学者が語っているだけに、凡百の啓蒙書などに書かれていることなどよりは、ずっと説得力はあったように思います。

【2012年文庫化[新潮文庫(『奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき』)]】

【2298】 ○ 水野 俊哉 『明日使える世界のビジネス書をあらすじで読む』 (2014/04 ティー・オーエンタテインメント)

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番組制作の"メタ・ドキュメント"。取材者と取材される側という枠を超え、師弟関係のようになっていくのが興味深い。

脳梗塞からの脳梗塞からの         多田富雄.jpg
脳梗塞からの"再生"―免疫学者・多田富雄の闘い』NHKスペシャル「脳梗塞からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」より(2005.12.4)

 世界的な免疫学者・多田富雄(1934-2010.4.21)は、'01年に旅先の金沢で脳梗塞に見舞われ、数日間死線を彷徨った後に生還したものの、後遺症によって発語機能が奪われるとともに右半身不随になり、突然に不自由な生活を強いられるようになりますが、その闘病の記録は、'05年にNHKスペシャル「脳梗塞からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」として放映され、自分自身この番組を見て、トーキングエイド(音声機能付パソコン)でしか意思疎通できない多田氏のリハビリ並びに闘病生活の凄まじさに驚かされた記憶があります。

リハビリに励む多田富雄氏.jpg 本書は、そのドキュメンタリー番組を担当した女性ディレクターが("Nスぺ"のテーマって局内公募で決まるんだなあ)、番組並びに多田氏が自ら綴った闘病手記「鈍重な巨人」を補足するかたちで書いた取材記であり、'05年に約半年に渡って行われた番組制作のための取材を軸に構成された"メタ・ドキュメント"となっています。

寡黙なる巨人.jpg 多田氏自身の闘病手記は『寡黙なる巨人』('07年/集英社)として刊行され、'08年度の「小林秀雄賞」を受賞しており、個人的にも読んで感銘を受けましたが、その多田氏を取材する側から書かれた本書は、また違った角度から多田氏の闘病ぶりやその人柄を伝えるものであり、更に、番組制作の背景にこんなこともあったのかなどとこれまで知らなかった出来事がいろいろ書かれていて、そうした点からも関心と感動を持って読み進めることができました。

 当初、取材する側から見て多田氏が「演技」しているように見えたということで、これはドキュメンタリーを撮る側からすると望ましいことではないと思われたものの、取材を進めるうちに、それらの一見カメラサービス的な行動も含め、すべて自分の生きざまをそのまま曝け出そうとする多田氏の思いの表れであったことに著者の考えが行きついたとのことで、そうした転機を経て、著者の多田氏への取材は奥深いものとなっていきます。

 取材の過程での著者の質問等に対する対応も丁寧で、ただ丁寧であるだけでなく、多田氏の方から著者に、より突っ込んだ主観的な疑問をぶつけてくることを求めているような感じで、そこには、単なる取材される側と取材者やインタビュアーという枠を超えて、師弟のような関係が生まれているようにも感じられました(この点でも著者は、取材者は客観的な観察者であるべきという考えを途中から改め、どんどん自分の率直な疑問を多田氏にぶつけていくことになる)。

 脳梗塞の後遺症に加えて前立腺がんをも発症した多田氏は、取材期間中に睾丸の摘出手術を受け、さらにガンの転移が懸念されるなど絶望的な状況に陥るものの、それでも「歩き続けて果てに熄(や)む」との信念のもとリハビリを続けますが、それは、リハビリが多田氏にとって人間の尊厳を回復する営みであったためです。

 そうした強い信念を多田氏が持ち続けることが出来た背後には、医師である式江夫人の支えがあったことが本書から窺え、但し、そこには一般にイメージされがちな悲愴感は無く、ユーモアに満ちた会話が遣り取りされていて、多田氏は病を得る以前は"超"亭主関白であったあったとのことですが、半身不随となってから、対等な暖かい夫婦の関係が新たに形成されたことも窺えました。

 それにしても、半身不随となり、話すことも書くこともままならい状態になってからの方が創作意欲が増したというのはスゴイことで、実際、先に挙げた『寡黙なる巨人』をはじめ何冊もの著書を上梓していて、そればかりでなく、介護問題などに対する社会的発言を積極的に行い、且つ、研究生活においては引き続き後進の指導に当たるという―このエネルギーはどこからくるのか。

 本書は、「知の巨人」と言われた多田氏の"素"の部分をふんだんに見せながらも、そのことによって更に多田富雄という人間の大きさを伝えるものになっているようにも感じました。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄.bmp 本書の原稿にも多田氏は目を通し、「NEK的スタイルにとらわれるな」と著者にアドバイスし、亡くなる前月に訪れた際には「ヤメル トモダチノ キロクデ イインデス」とトーキングエイに打ち込んだということであり、また、亡くなる10日前にも東大でトーキングエイドを使って講演し、この時にはすでに肺に癌性胸水が溜まって息をするのも辛かったはずであるにも関わらず、講演会が終了した後の打ち上げにも顔を出してスタッフを労ったということです。

 こんな人、これからはそう簡単に現れないだろうなあ。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄氏(2008/08/28)【共同通信】

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「●集英社新書」の インデックッスへ

オーソッドックスな認知症の入門書であり、分かり易い。

知っておきたい認知症の基本.jpg 『知っておきたい認知症の基本 (集英社新書 386I)』 親の「ぼけ」に気づいたら 文春新書.jpg 『親の「ぼけ」に気づいたら (文春新書)

 認知症臨床医の斎藤正彦氏の『親の「ぼけ」に気づいたら』(2005年/文春新書)を読んで、認知症患者本人とその介護にあたる家族の生き方の問題まで突っ込んで書かれていたので、入門書でありながらもちょっと感動してしまったのですが、こちらは、1996年以来「物忘れ外来」で多くの患者を診察してきた川畑信也医師が書いたオーソッドックスな認知症の入門書であり、個人的にはこちらの方を先に読みました。

 厚労省が「痴呆性疾患」改め「認知症」という"新語"の使用を決めたのが2004年頃で、本書の刊行が2007年ですから、この頃には「認知症」という言葉がある程度一般に定着してきていたのではないでしょうか。

 但し、著者の言うように、「認知症」と「アルツハイマー病」の違いがまだよく理解されていなかったりもして、本書では、その辺りの解説から入って(要するに、「アルツハイマー病」という病気(原因)によって「認知症」という状態(結果)が引き起こされるという関係)、認知症とはどういった状態を指し、その中核症状や周辺症状はどういったものかを説明しています。

 更に、認知症を引き起こす代表的な病気として、アルツハイマー病と脳血管性認知症についてそれぞれ1章を割いて解説するとともに、治療可能な認知症を見逃さないようにするには、どういった点に注意すればよいかが書かれています。

 また、認知症は、上手な介護と適切な対応によってその進行を遅らせることができるとし、薬物療法や、事例からみた介護の在り方についても書かれています。

当時、認知症について書かれた本は数多く出されたように思いますが、その中でも分かり易い方でした。

 とりわけ、アルツハイマー病の早期兆候として、①物忘れ(記憶障害)、②日時の概念の混乱、③怒りっぽくなる(易怒性)、④自発性の低下、意欲の減退、の4つを挙げているのが分かりよかったです。

一方、脳血管性認知症については、脳血管障害に由来する神経症状に認知症がみられると脳血管性認知症と診断されるが、これは誤りであり、脳血管障害を発症する前に、認知症がすでに存在していた可能性があるとし、更に、アルツハイマー病でみられる認知症状が脳血管障害によって悪化するという傾向があるとしています。

 かつてが「痴呆性疾患」と言えば脳血管障害がメインの原因であり、それが90年代にアルツハイマー病と脳血管障害が拮抗するようになり、著者の「物忘れ外来」での過去10年間の受診者の診断内訳は、アルツハイマー病が52.9%で、脳血管性認知症は5.4%となっています。

 著者は、脳血管性認知症はかなり曖昧であり、実際にそのように診断されているよりも遥かに数は少ないのではないかとしていますが、近年の世間一般の統計は、著者の「物忘れ外来」での診断分布にどんどん近くなっていて、アルツハイマー病が「認知症」の原因としては圧倒的に多くなっているようです。

 アルツハイマー病の患者が急に増えたわけではなく、これまで見過ごされていたことが窺えて興味深かったです。

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入門書として優れ、患者とそれを見守る家族に対する著者の暖かい眼差しも感じられる本。

親の「ぼけ」に気づいたら 文春新書.jpg 『親の「ぼけ」に気づいたら (文春新書)

 親が「痴呆性疾患」に罹ったらどうすればよいかということを、臨床医である著者の経験から幾つかの事例を複合させて構成した一人の患者のモデルケースと、その介護にあたった家族の架空の物語を軸に分かり易く解説して、その間、「ぼけ」とはどのようなものかを解説するとともに、その他の様々な症例とそれに対する家族の対応などもケーススタディとして織り込んでいます(本書刊行の前年に厚労省は「認知症」という"新語"の使用を決めているが、本書ではまだ一般の読者に馴染みがないことから「痴呆」という言葉を用いている)。

 メインとなっているモデルケースは、75歳の会社経営者で、家族は、妻と2人の息子に1人の娘―話は、本人が好きだったゴルフをやらなくなったことから始まり、実はそれはスコアを正確に記録することができなくなったためなのですが、当初は、家族それぞれに主人公の病状や介護の在り方について意見が違ったりもし、また、初期の段階で一番たいへんなのは、本人を医者に診せることだったりするのだなあと。

 このモデルケースの場合、ゆっくり進行するアルツハイマー症で、その初期から終末までの10年間を全14話にわたって追っていますが、間に挟まれているケーススタディ(全17エピソード)には、脳血管性疾患など様々な症例が取り上げられていて、ただ症例として取り上げるだけではなく、メインストーリーと同じく、厳しい現実に直面した家族の苦労と具体的な対処、家族の介護に対する考え方、ひいては家族並びに本人の人生観にまで踏み込んで書かれていて、それらもまた一つ一つが物語となっており、介護入門書としても読み物としても奥深いものとなっています。

 痴呆性疾患の種類や様態について詳しく解説されているほか(「早期の診断」の重要性を感じた)、介護制度の現状や介護施設の選び方、成年後見人制度等の情報も網羅されています。

 患者とそれを見守る家族に対する著者の暖かい眼差しが感じられる本でもあり、最後に、病気が進行して栄養摂取障害となった際に経管栄養(胃瘻など)を行うかどうかという問題について、メインとなっているモデルケースは家族の意向を汲んでそれを行っていますが、著者自身の考えとしてはやるべきではないとしていて、ここまでの著者の語り口からみて説得力がありました。

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学術書を一般向けに噛み砕いた感じ。アルツ予防にはカロリー摂取の制限と、運動、知的活動か。

ぼけの防止2.JPG ぼけの予防 岩波新書.jpg 『ぼけの予防 (岩波新書)

 第1章「ぼけとは何か」と第2章「ぼけの診断」において認知症(老人性痴呆症)について概説し、認知症の中でも90年代以降アルツハイマー病が増えてきていることを指摘、本書のメインとなる第3章「アルツハイマー病の予防」で、その予防法を、本書刊行時における最新の臨床研究の成果を紹介しながら、傾向的に解説しています。

 そのため、認知症全般の予防というよりは、アルツハイマー病の予防に関する研究成果を紹介した入門書と言ってよく、但し、アルツハイマー病との関連上、健康・長寿に関する話なども出てきます。

 「臨床研究からこうした傾向が見られるが、その原因は幾つか考えられ(諸説あり)、一つは○○...」といった書かかれ方をしている部分が多いですが、アプリオリに特定の原因と予防法を押し付けるのではなく、データを基に傾向として示しているところに、かえって信頼感が持てました。

 アルツハイマー病の予防に関しては、食生活、嗜好品のとり方、生活習慣と頭の使い方、薬とサプリメントの効用の4つの点から解説していますが、食生活のおいては、摂取カロリーを制限することが予防に有効であることは、統計的に証明されているようです。

日野原重明.bmp 個別事例としては、1911年生まれの日野原重明氏が紹介されていて(本書刊行時94歳)、NHKのドキュメンタリーで紹介された、当時のある一日の暮らしぶり、仕事ぶりを改めて紹介していますが、朝起きて柔軟体操をした後に、りんごジュース、にんじんスープ、牛乳とコーヒーという液体だけの朝食(りんごジュースにはサラダ油をちょっと落とす)、午前中に講演した後の昼食は立食パーティで牛乳コップ1杯のみ、午後は大学で90分立ちっぱなしで講義し、夕食は茶碗少し目のご飯に味噌汁、サラダと副食二品、1日の摂取カロリーは1300キロカロリー。

 年齢によって理想の摂取カロリーは変わってきますが、摂取カロリーの高い人は低い人の1.5倍の率でアルツハイマーになりやすく(これも原因は分かっていない)、日野原氏自身が言う「腹七分目」というのは、アルツハイマー病予防の一つの鍵なのだろうなあと。

 但し、日野原氏と同じような生活をしても日野原氏のように長生きできるかどうかは、寿命には様々な要素が絡むため分からないとのこと(この人、100歳を超えて今も元気だなあ。やや怪物的かも)。

 食生活ではそのほか、動物性脂肪のとりすぎは悪く、野菜や果物をよくとることは予防にいいとし、「酒」は飲み過ぎは良くないが適量であれば飲まないよりはよく、「運動すること」や「頭を使うこと」はアルツ予防にいいと―。

 このあたりは大方の予想がつきそうな内容でしたが、統計的にそのことを示す一方で、原因が科学的に解明されている部分と未解明の部分があることを示し、未解明の部分については考えられている仮説を逐一紹介したりしているのが「岩波新書」らしいところ(学術研究書を一般向けに噛み砕いた感じ)。

 「頭を使うこと」が予防にいいということについて、大変興味深い海外のケースが紹介されていて、ある修道院の修道女を対象に行った加齢と認知症に関する追跡調査で、調査協力の意思表明後101歳で死亡した修道女の脳を解剖したら、脳萎縮などのアルツハイマー病の症状が見られたものの、この修道女は亡くなる直前まで聡明で知能検査でも高い得点を出していたと。

 彼女に認知症の症状がなく聡明だった理由は、若い時分からから老年期に至るまで知的好奇心と知的活動を維持してためと考えられるようですが、脳を使えば使うほど、神経細胞の一部は数が多くなり、脳内のネットワークが強化され、加齢による神経細胞の脱落をカバーして、認知症になるのを遅らせることに繋がるようです。

 それにしても、脳が実際にルツハイマー病の症状を呈していたのに、生活面でそれが症状として現れることが無かったというのは、実に興味深い事例だと思いました。

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図説等での分かり易い説明。不眠症にもいろいろあるのだなあと。

不眠症の科学.bmp 『不眠症の科学 過労やストレスで寝つけない現代人が効率よく睡眠をとる方法とは? (サイエンス・アイ新書)

 睡眠のメカニズムや不眠症について、広く分かり易く解説されています。「昼寝をすると認知症になりやすい」「寝る子は育つ」といった言説は、必ずしも正しいとは言えないのだなあ。

 部分的にはかなり専門的な箇所もありますが、この新書レーベルの特長を生かして図説を多用し、例えば、総睡眠時間に占めるレム睡眠が比率が年齢と共に低下することなどが、グラフを用いて分かり易く示されています。

 睡眠障害には、大きく分けて、所謂「不眠症」のほかに「睡眠関連呼吸障害」「中枢性過眠症」「概日リズム睡眠障害」「睡眠時随伴症」「睡眠関連運動障害」などがあり、それぞれの中にまた幾つかの類型症状があって、「不眠症」だけでも、適応障害不眠症、精神生理性不眠障害、逆説性不眠症、気分障害・パニック障害、外傷性ストレス障害、不適切な睡眠衛生、薬剤もしくは物質による不眠症、内科的疾患による不眠症―といった具合に、原因別に様々な種類があることを知りました。

不眠症の科学2.bmp ナルコレプシー「中枢性過眠症」の一種で、「睡眠時随伴症」には反復孤発生睡眠麻痺などという難しい症状名もあり、悪夢障害や頭内爆発音症候群なんていうのもある。
 更には「睡眠関連運動障害」の中に"むずむず症候群"なんていうのもあって興味深いですが、医者がこれらをきちんと診断できるのかなあ。
 この辺りは、あまりに症状が多すぎて、やや網羅的になったキライもします(所謂「家庭の医学」的な本を読んでいる感じも)。

 不眠が及ぼす影響として、肥満や糖尿病、高血圧などが挙げれていますが、とりわけうつ病との関連が強調されていて、不眠症からうつ病にはなり易く、不眠症がありながらその治療をしなかった人のうつ病発症率は、不眠症の治療者の40倍という調査結果もあるそうです。

 興味深いのは、日本での不眠による経済的損失を年間3兆円強と試算していることで(交通事故の10倍以上)、さらに、過去に国内外で起きた大事故で、不眠に起因しているもの、不眠との関連が疑われるものを挙げています。

 国内での不眠に起因する事故例として、'02年の東名阪自動車道玉突き事故(児童を含む2家族5人が焼死、6人が重軽傷)を挙げていますが、居眠り運転していた大型トレーラーの運転手は、事故直前の4日間で16時間しか寝ていなかたとのこと。しかし、こうした事故は繰り返されるもので、つい最近も、GW初めの4月29日に藤岡市の関越自動車道で起きた高速ツアーバス事故で乗客7人が死亡、その外の乗客全員にあたる38人が重軽傷を負い、高速バスの衝突事故としては史上最悪の被害をもたらしています(運転手は事故前に、サービスエリアで、ハンドルに突っ伏して寝ていた寝ていたという)。

 そう言えば、昨年4月18日には、栃木県鹿沼市でクレーン車が登校中の小学生に突っ込み、児童6人が死亡するという痛ましい大事故が起きており、運転手は居眠りをしていたと証言しているものの、会社を出てから3分しかたっていないことから、こちらはナルコレプシーによる事故であったことが疑われています。

 うつ病も怖いけれど、運転手の睡眠不足や睡眠障害も怖いなあ(ツアーバスなどの場合、乗客は乗ってしまうと途中で降りるわけにもいかず、一体どうすればいい?)。

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逆説睡眠(REM)睡眠、ナルコレプシー...。分かり易いし、新書本としては充実した内容。

眠る本.JPG『眠る本―いつでもどこでも快眠健康法』['75年/トクマブックス]

 脳生理学者で東大精神医学教室の医局長だった著者が、不眠症など眠りに関する症例を多く取り上げ、眠りの科学を分かり易く解説した本で、個人的には初読はかなり以前ですが、その際に多くの知見を得られた本です。

 4章構成の第1章「あなたはなぜ眠れないか」では、不眠ノイローゼと本格的な不眠症では異なるとしており、また、不眠症にも、寝付きが悪く朝方になって眠るため起床がつらいタイプや、寝付きはよいが夜中に目を覚まして後は眠れないタイプ、寝付きが悪く一睡もできないものなど、様々なタイプがあって、一時的にこうした症状に見舞われることは誰にでもあるとしています。

 第2章「眠りの科学」の中には、断眠実験の話が出てきますが、米国のディスクジョッキーがチャリティー番組で200時間(8日と8時間)の断眠に挑戦したところ、終りの頃には舌がもつれ、妄想性精神病の症状を呈したとのこと、本書刊行時点での断眠の世界記録は、17際の少年による264時間(11日間)だそうです。

 この記録、当時の睡眠学の権威ウィリアム.C・デメントも、有り得ることとしていますが(この頃、デメントの『夜明かしする人,眠る人』やアン・ファラデーの『ドリームパワー』も読んだなあ)、著者は、その間にマイクロ・スリープ(微小な眠り)があったのではないかとの疑念を呈しています(脳波測定器で検証しながらの断眠実験では、4日から5日程度が限度であると)。

 逆説睡眠(REM睡眠)について知ったのも本書で、これは2時間の睡眠サイクルのうちの30分間は、眠っているんだけれど脳が活発に活動しているパラ睡眠状態であるというもの。新生児はその睡眠時間(16時間から18時間)の50%は逆説睡眠で、それが、成長とともにその比率が減り、5歳頃には25%程度になっているとのこと(REM睡眠というのは、寝ている赤ちゃんの瞼の下の眼球の動き(Rapid Eye Movement)から発見されたことに由来する名称)。

 第3章「何が眠りを妨げているのか」では、不眠の原因を様々な角度から解説していますが、特にうつ病による不眠を重点的に取り上げていて、これ、自殺に至るケースも多いそうです。怖いなあ。
 うつ病と不眠症の関係は、最近でも、坪田聡 著『不眠症の科学-過労やストレスで寝つけない現代人が効率よく睡眠をとる方法とは?』('11年/サイエンス・アイ新書)などで取り上げられています。

眠る本965.JPG 睡眠障害の様々な種類をあげていますが、ナルコレプシー(居眠り病)もその一つ(警官が泥棒を追いかけようとした途端ナルコレプシーに襲われ、地べたにうっぷしている挿絵があるけれど、こんなにいきなりナルコに陥るものなのかなあ)。「居眠り先生」こと色川式大(=阿佐田哲也=朝だ、徹夜)のそれが有名でした。また、子供の不眠と老人の不眠とでは原因が異なるともしています。

 第4章「どうすれば眠れるか」では、まず、不眠の理由を検討し、原因を把握して納得すること、そして、何事も欲張り過ぎず、自分の生活のリズムに従い、寝る前に気にかかることは片付けておくことが大事だとしています。

眠る本66.JPG やはり、運動が一番いいみたいで、運動は眠りのリズムを整え、脳の働きをよくするそうです。あとは、食事は腹八分が良く、タバコは、気分転換効果はあるけれど吸い過ぎるとニコチンが脳を覚ますので眠りが浅くなると。寝酒は有効だけれども、睡眠薬だと思うのは禁物...etc.

 安眠のための環境づくりについても、室温・冷暖房や寝まき・枕の選び方等いろいろ書かれていて、最後に睡眠薬の上手な使い方が書かれてますが、これはやはり医者によく相談した方がいいのでしょう。

 睡眠薬への過度の依存は問題があるとし、「睡眠薬中毒になった芥川龍之介」と「上手に使った西條八十」を対比させています。

 分かり易いし、読んでいて面白く、新書本としては充実した内容でした。

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短い余命宣告で奈落に落ちた人が、立ち直るにはどうすればよいかを真摯に考察。

がんを生きる 佐々木常雄.gifがんを生きる (講談社現代新書)』 ['09年]

 がんの拠点病院(がん・感染センター都立駒込病院)の院長が書いた本ですが、制がん治療について書かれたものではなく、「もう治療法がない」と言われ、短い余命を宣告されて奈落に落とされた人が、立ち直るようにするにはどうしたらよいかということを真摯に考察したものです。

 本書によれば、'85年頃までは、医師は患者にがん告知をしなかった時代で、それ以降も'00年頃までは、告知しても予後は告げない時代だったとのこと、それが、今世紀に入り、「真実を医師が話し、患者が知る」時代となり、自らの余命が3ヵ月しかない、或いは1ヵ月しかないということを患者自身が知るようになった―そうした状況において、死の淵にある患者の側に立った緩和ケアはいかにあるべきかというのは、極めて難しいテーマだと思いました。

 著者自らが経験した数多くのがん患者の"看取り"から、19のエピソードを紹介していますが、中には担当医から「余命1週間」(エピソード5)と宣告された人もいて、著者自身、個々の患者への対応の在り方は本当にそれで良かったのだろうかと煩悶している様が窺えます。

 端的に言えば、如何にして突如目前に迫った死の恐怖を乗り越えるかという問題なのですが、著者の扱った終末期の患者のエピソードに勝手に解釈を加え、患者が死を受容し精神の高み達したかのように「美談仕立て」にした輩に、著者は憤りを表す一方で、多くの書物や先人の言葉を引いて、そこから緩和ケアの糸口になるものを見出そうとしています。

 親鸞などの仏教者や哲学者、或いは、比較的最近の、宗教系大学の学長や高名な精神科医の言葉なども紹介していますが、それらを相対比較しながらも、あまりに宗教色の強いものや、俗念を離脱して人格の高みに達しているかのようなものには、自分自身がそうはなれないとして、素直に懐疑の念を示しています。

 結局、著者自身、本書で絶対的な"解決策"というものを明確に打ち出しているわけではなく、著者の挙げたエピソードの中の患者も、殆どが失意や無念さの内に亡くなっているというのが現実かと思いますが、それでも、エピソードの紹介が進むつれて、その中に幾つかに、患者が心安らかになる手掛かりとなるようなものもあったように思います。
 
 例えば、毎年恒例となっている病棟の桜の花見会に、末期の患者をその希望に沿ってストレッチャーに乗せて連れていった時、その患者が見せた喜びの表情(エピソード2)、独身男性患者に、亡くなっていく人の心が何らかのかたちで残される人に伝わることを話す看護師の努力(エピソード13)、日々の新聞のコラム記事の切り抜きに没頭する、その切抜きを後で見直す機会は持たない女性患者(エピソード15)、お世話になった人への挨拶など、死に向かう"けじめ"の手続きをこなす余命3ヵ月の元大学教授(エピソード16)、病を得たのをきっかけに亡くなった友人のことを思い出したことで安寧な心を得たように思われる歌人(エピソード16)、余命1ヵ月と聞かされショックを受けた後、今度は急に仕事への意欲が湧いてきた"五嶋さん"という男性(エピソード19)等々(この"五嶋さん"は、余命1週間と言われ、1週間後に著者に挨拶に来て、その2日後に亡くなったエピソード5の人と同人物)。

 最後の"五嶋さん"のエピソードは、同じく余命1ヵ月の病床で、何も出来ず生きていても意味がないと思っていたら、夫から「君が生きていればそれでいい」と言われ、夫が後で見てくれるようにと"家事ノート"を作り始めた"秋葉さん"の話(エピソード1)にも繋がっているように思えました。

 そうしたことを通して末期の患者らの死の恐怖が緩和され、安寧を得たかどうかについても、著者は慎重な見方はしているものの、ただ不可知論で本書を終わらせるのではなく、奈落から這い上がるヒントとなると思われる項目を、「人は誰でも、心の奥に安心できる心を持っているのだ」「生きていて、まだ役に立つことがあると思える人は、奈落から早く這い上がる可能性が高い」など8つ挙げ、また、終章を「短い命の宣告で心が辛い状況にある方へ―奈落から這い上がる具体的方法」とし、その方法を示しています(①気持ちの整理、とりあえず書いてみる、②泣ける、話せる相手を見つける)。

 人間は死が近づいても心の中に安寧でいられる要素を持っているという著者の信念(生物学的仮説)に共感する一方、宗教を信じていない状況で、「あなたの余命は3ヵ月です」などと言われるようなことは医療の歴史では嘗て無かったわけで、心理面での緩和ケアの在り方が、今後のターミナルケアの大きな課題になるように思いました。

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ストイックな姿勢が貫かれ知的な考察に満ちたものでありながら、「素直な絶望」の記録でもある。

わたし、ガンです ある精神科医の耐病記.gif 『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 (文春新書)』['01年]頼藤 和寛.jpg 頼藤和寛(よりふじ かずひろ)神戸女学院大学・人間科学科教授 (2001年4月8日没/享年53/略歴下記)

 精神科医である著者に直腸がんが見つかったのが'99(平成11)年晩夏で、入院・手術が'00(平成12)年6月、本書は主にその年の夏から秋にかけて書かれ、'01(平成13)年4月、丁度著者が亡くなった月に刊行されています。

 冒頭で、従来の「涙なみだの家族愛」的な闘病記や「私は○○で助かった」的な生還記となることを拒み、現代医学や医療への遠慮をすることもなく、だからと言って、現代医療の問題を告発する「良心的な医師」にもならず、がん患者やその家族を安心させることを目的ともせず、"やぶれかぶれの一患者"として「素直に絶望すること」を試みた記録とあります。

がんと向き合って 上野創.jpg 「闘病」ではなく「耐病」という言葉を用いているのは、実際に闘ったのは治療に伴う副作用に対してであり、がんそのものに対し、「闘う」というイメージは持てなかったためであるとのこと。抗がん剤治療の副作用の苦痛は、上野創 著 『がんと向き合って』('01年/文藝春秋)でも、比較的ポジティブな性格の著者が自殺を考えるまでの欝状態に追い込まれたことが記されていました。

 精神科医とは言え、さすがは医師、中盤部分は、がんという病やその治療に関する医学的な考察が多く織り込まれていて、がんの原因の不確実性、『患者よ、がんと闘うな』('96年/文藝春秋)近藤誠氏に対する共感と一部批判、アガリスクなどの代替医療や精神神経免疫学などに対する考察は、非常に冷静なものであるように思えました。

 "やぶれかぶれ"と言っても、現実と願望を混同せず、常に「認識の鬼」であろうとするその姿勢は、終盤の、いつ生を終えるかもわからない状況になってからの、自らの死生観の変化の検証、考察にも表れていているように思います。

 読者に阿ることなく(同病の読者にさえも不用意に同調・同感しないようにと注意を促している)死について冷徹に考察し、自らの50余年の生を振り返り、人間存在の意味を限られた時間の中で、既存宗教への帰依によることなく探る様は、独自の永劫回帰的想念に到達する一方で、「ちょっとお先に失礼しなければならない」という表現にも見られるように、ある種の諦念に収斂されていったかのようにも思えました。

 ノンフィクション作家の柳田邦男氏が、自分ががんになったら、達観したかのように振舞うのではなく、素直に絶望を吐露するといったことを言っていましたが、本書は、がん患者の記録としては、最もストイックな姿勢が貫かれ知的な考察に満ちた類のものでありながら、それでいて「素直な絶望」の記録でもあると言えます。
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頼藤和寛の人生応援団.jpg頼藤和寛(よりふじ かずひろ)
昭和22(1947)年、大阪市生まれ。昭和47年、大阪大学医学部卒業。麻酔科、外科を経て、精神医学を専攻。昭和50年、堺浅香山病院精神科勤務。昭和54年より阪大病院精神神経科に勤務。昭和61年より大阪府中央児童相談所(現・中央子ども家庭センター)主幹、大阪大学医学部非常勤講師を経て、平成10年より神戸女学院大学人間科学部教授。医学博士。

 産経新聞に平成3年2月より、人生相談「家族診ます(のちに人生応援団に改題)」を連載。
達意の文章とニヒルな人間洞察に支えられた30冊以上の著書を残す。(扶桑社ホームページより)

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「●「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作」の インデックッスへ

同じ苦しみを抱えた患者やその家族への(押付けがましさのない)「励ましの書」として読み得る。

がんと向き合って 上野創.jpg 『がんと向き合って』 ['02年] がんと向き合って 上野創 文庫.jpg 『がんと向き合って (朝日文庫)

上野 創 氏
上野 創.jpg 朝日新聞の若き記者のがん闘病記で、'03(平成15)年・第51回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作。
 著者は朝日新聞横浜支局勤務の'97年、26歳の時に睾丸腫瘍になり、肺にも数え切れないぐらいの転移があったということ、そうした告知を受けた時のショックがストレートに、且つ、記者らしく客観的な視点から綴られています。

 そして、同僚記者である恋人からの、彼ががんであることを知ったうえでのプロポーズと結婚、初めてのがん闘病生活と退院復帰、1年遅れで挙げた結婚式とがんの再発、そして再々発―。

 結局、こうした2度の再発と苛烈な苦痛を伴う抗がん治療を乗り越え、31歳を迎えたところで単行本('02年刊行)の方は終わっていますが、文庫版('07年刊行)で、記者としての社会人生活を続ける中、3度目の再発を怖れながらも自分なりの死生観を育みつつある様子が、飾らないトーンで語られています。

 冒頭から状況はかなり悲観的なものであるにも関わらず、強いなあ、この人と思いました。
 抗がん剤の副作用の苦しみの中で、自殺を考えたり、鬱状態にはなっていますが、そうした壁を乗り越えるたびに人間的に大きくなっていくような感じで、でも、自分がひとかどの人物であるような語り口ではなく、むしろ、周囲への感謝の念が深まっていくことで謙虚さを増しているような印象、その謙虚さは、自然や人間の生死に対する感じ方、考え方にも敷衍されているような印象を受けました。

 やはり、奥さんの「彼にとって死はいつも一人称だ。しかし、私が考える『死』はいつも二人称だ」という言葉からもわかるように、彼女の支えが大きいように思われ、文庫解説の鎌田實医師の「病気との闘いの中で彼女は夫の死を一・五人称ぐらいにした」という表現が、簡にして要を得ているように思います。

 がん闘病記は少なからず世にあるのに、本書が「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞したのは、文章が洗練されているからといった理由ではなく、同じ苦しみを抱えた患者やその家族への「励ましの書」として読み得るからでしょう(感動の"押付けがましさ"のようなものが感じられない点がいい)。

米原 万里(よねはらまり)エッセイスト・日ロ同時通訳.jpg絵門ゆう子.jpg 本書は、'00年秋の朝日新聞神奈川版での連載がベースになっていますが、エッセイストの絵門ゆう子氏(元NHKアナウンサー池田裕子氏)が、進行した乳がんと闘いながら、朝日新聞東京本社版に「がんとゆっくり日記」を連載していた際には、著者はその連載担当であったとのこと、絵門さんは帰らぬ人となりましたが('06年4月3日没/享年49)、以前、米原万里氏の書評エッセイで、免疫学者の多田富雄氏が脳梗塞で倒れたことを気にかけていたところ、米原さん自身が卵巣がんになり、絵門さんに続くように不帰の人となったことを思い出し('06年5月25日没/享年56)、人の運命とはわからないものだなあと(自分も含めて、そうなのだが)。
 
 【2007年文庫化[朝日文庫]】

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ルポライターの書。病室で患者を診ている医師の視点とはまた異なった訴求力。

まだ、タバコですか?.jpg 『まだ、タバコですか? (講談社現代新書)』 ['07年] 禁煙バトルロワイヤル.jpg 『禁煙バトルロワイヤル (集英社新書 463I)』 ['09年]

 太田光と奥仲哲弥医師の『禁煙バトルロワイヤル』('08年/集英社新書)の後に読みましたが、『禁煙バトルロワイヤル』がどこまで本気で喫煙者にタバコを止めさせようとしているのか、よくわからない部分もあったのに対し、本書はストレートにタバコの害悪を説いた本(但し、あくまでも"害悪"について書かれていて、"止め方"を教示しているのではない)。

 著者は医師ではなく映画助監督を経てルポライターになった人ですが、そのためか、タバコの健康上の害悪だけでなく、タバコの歴史や社会的背景、米国など海外の事情、タバコ製造会社とそれをとりまく内外の事情から、ポイ捨てタバコの環境への影響、新幹線の車内販売員の受動喫煙といったことまで、広範にわたって書かれています。

 タバコが止められない原因を、身体的依存と心理的依存にわけているのは興味深かったですが、著者は心理的依存がかなり大きいと見ているようです(その論法でいくと、本書のような"知識"を提供するのが主体の本は、喫煙者の禁煙への直接的動機づけにはなりにくい?)。

 タバコの身体への影響などの医学的な問題は、科学的なデータをもとにかなり突っ込んで書かれていて、相当の資料・データ収集の跡が窺えます。

 タバコを吸うと頭が冴えると俗に言うけれど、ある予備校の浪人生の大学合格率が、喫煙者20%台、浪人中の禁煙成功者30%台、非喫煙者40%台だったという、その調査結果よりも、よくそんなデータがあったなあと感心してしまいました(この「冴える」という感覚と絶対的な「能力水準」との関係のカラクリも示している)。

 病気との関係も、クモ膜下出血、アルツハイマー病(「喫煙はアルツハイマー病を予防する」というのは誤解に基づく俗説であると)、脳の老化から、肺がんなどのがんや気管支の疾患まで、特定の病気の専門医が書いたものよりも、むしろ広範に取り上げています。

 本書には、IARCの調査(2004)で、喫煙者は非喫煙者に比べ、肺がんには15〜30倍、喉頭がんには10倍罹り易いとありますが、『禁煙バトルロワイヤル』に出ていた別の機関の調査では、肺がんには4.5倍、喉頭がんには32.5倍になっていて、喉頭がんの危険性の方が強調されていました。

 但し、本書では、実際に喉頭がんに罹った人を取材していて、こちらの方が訴求力あるように思われ、更には『禁煙バトルロワイヤル』で「死ぬに死ねない」苦しい病気とされていたCOPD(慢性気管支炎や肺気腫などの慢性閉塞性肺疾患の総称)についても、実際にそうした病気を抱えながら、生きて日々の生活を送っている人を複数取材しています。

 喫煙の危険性を世に訴えるために取材に協力した、そうした人々の生活の実際に踏み込んで取材しているため、病室で患者を診ている医師の視点とはまた異なった訴求力を持ったものになっているように思いました。

 米国で、タバコの健康に対する悪影響について、タバコ会社内で研究結果の隠蔽が行われたことが、司法上の問題になった事例が取り上げられていますが、著者は、日本専売公社の元研究員への取材から、日本において政府官庁から、そうした研究に対して同様の圧力があったことを示唆しています。

 著者も指摘するように、JTの筆頭株主は財務省(全株式の50%を保有)であり、こうした構図が変わらない限りは、著者流に言えば、国民を"騙し続ける"体質は変わらないのではないかと。

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医学と哲学(原理主義批判?)の互いに交わらない別々の話か。

禁煙バトルロワイヤル.jpg 『禁煙バトルロワイヤル (集英社新書 463I)』 ['09年]

 「ヘビースモーカーのお笑い芸人」vs.「最強の禁煙医師」の激論とのことで、肺がんの外科治療が専門の奥仲哲弥医師が、愛煙家である爆笑問題の太田光の喫煙をやめさせようとして、タバコの健康面への悪影響を説くものの、太田光の方は独自の"タバコ哲学"のようなものを展開して、一向にやめようとする気配がない―。

 奥仲医師は、やや自信喪失になりながらも、健康面の害悪やそれに伴う疾病の恐ろしさを具体的に解説していますが、一方で、太田光の"タバコ哲学"にも付き合ったりしていて、最後は、一日5本位なら癌のリスクは低くなるし、COPD(慢性閉塞性肺疾患)になる前に天寿を全う出来るといった言い方までしています。

 こうした話を喫煙者に対してするのはどうかなというのもありますが(喫煙者に迎合し過ぎととる人もいるだろう)、そこに至るまでのタバコの健康面での悪影響や、健康診断(CTと喀痰検査)の必要性についての話は、それなりに説得力があったように思いました。
 但し、後者(健康診断の話)は、タバコを吸い続けている人へのアドバイスであり、条件付きで喫煙を容認しているわけであって、結果として、本書を読んでタバコの喫煙本数を減らす人はいても、やめる人はいないのではないかと。 

 太田光の"タバコ哲学"に関しては読む人の賛否は割れるのではないかと思われますが、共感できる部分もある反面、論理の飛躍も見られ、そもそも、哲学や精神的な問題と、医学的な問題は同列では論じられない気がしました。 
 世の中の喫煙問題・嫌煙運動に対しては一見ノンポリ風に見えながらも、「俺がなにか言ったりすることで、傷ついているやつはいっぱいいるだろうし、それを全部考えると、タバコでかけてる迷惑なんか、俺の中では(中略)少ないだろうと思うし、大した罪悪感もない」というのは、"喫煙=悪、禁煙=善"という二元論(=一元論=原理主義)に対する彼なりのアンチテーゼなのかも。

 奥仲医師は、「最強の禁煙医師」と言うより、「現実論的な禁煙医師」という感じで、禁煙医師としては"異端"乃至"亜流"ということになるのかも(爆笑問題と同じタレント事務所に"所属"しているということはともかくとして)。
 エキセントリックとも思える嫌煙運動に対して、奥仲医師の方が太田光以上にストレートに嫌悪感を表しているのが興味深かったです。

 振り返ってみれば、禁煙の説得に対して太田光が折れないために奥仲医師が様々な視点から話をするというのは、医者という職業が患者という顧客あってのサービス業であるという性格を有していることを示すと同時に、もともとが医学と哲学の互いに交わらない別々の話であって、本書の企画からすれば最初からのお約束事であったように思え、そうした流れでの奥仲医師による解説の中で、例えば、喫煙者のがんの罹患率は、肺がんが非喫煙者の4.5倍であるのに対し、喉頭がんは32.5倍にもなるといったことなど、個人的には新たに知ったことも少なからずありました。
忌野清志郎.jpg
 '08年刊行の本ですが、文中に名前のある忌野清志郎も、当時はがんから復活したかのように見えたものの、'09年に亡くなっていて、彼も始まりは喉頭がんだった...(吉田拓郎、柴田恭平は大丈夫か)。

《読書MEMO》
●タバコの害で肺がんより怖いのが、呼吸が苦しくなるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)(36p)
●吸う一人と吸わない人では、喉頭がんの罹患率は32.5倍(60p)
●女性の人権が高い国は、喫煙率も男女平等?
 女性の喫煙率...中国4.2%、韓国4.8%(男65.1%)、日本12.4%(男41.3%)、米国14.9%(男19.1%)、フィンランド18.2%(男26.0%)、ニュージーランド22%(男22%)、英国23%(男25%)ノルウェー24%(男24%)、オランダ26%(男35%)、アイルランド26%(男28%)[OECD Health Date 2007](111‐113p)
●タバコ事業の管轄は厚生労働省ではなく、財務省(今でもJTの筆頭株主)(119‐120p)
●1日5本主義-3食の後と風呂、飲酒後(135p)

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とりあえず1回目の予測は外した感があるが、警戒は必要ということか。

小林 照幸 パンデミック.jpg       apocalypse-outbreak-431.jpg OUTBREAK3.bmp
パンデミック―感染爆発から生き残るために (新潮新書)』 ['09年]/映画「アウトブレイク」

インフルエンザ.jpg パンデミック(感染爆発)の脅威と、それに対し国や医療機関、個人はどう対応すべきかについて書かれた本で、「新型インフルエンザ」を主として扱ってはいますが、デング熱、マラリア、成人はしかなど、その他の感染症についても言及されています。
 但し、その分、「新型インフルエンザ」についての解説がやや浅くなった感じがします(帯には「『新型インフルエンザ』の恐怖」と書かれているのだが)。

 本書の刊行は'09年2月で、'03年12月に国内で発生したH5N1型の「鳥インフルエンザウイルス」をベースに、「新型インルエンザ」について、その恐ろしさ、社会に及ぼす影響が近未来小説風の描写を交えて書かれていて(著者はノンフィクションライター兼作家)、"新たな"「新型インフルエンザ」がいつ発生してもおかしくない、或いはパンデミックはすでに始まっているかも知れないとしています。

 そして、実際に本書刊行の2カ月後に「新型インフルエンザ」がメキシコに発生し、その後日本にも上陸、冬季に限らず夏場でも感染拡大する可能性があること、タミフルが一定の治療効果を持つであろうことなど、本書に書かれている幾つかの「予想」も外れていませんでしたが、そもそも、この2009年型の「新型インフルエンザ」はH1N1亜型に属するもので、感染力は強いが致死率はH5型のものよりずっと低いタイプのものでした。

 この点は、WHOも当初は読み違えていたし、また、国や厚労省もそうした弱毒性のインフルエンザを想定していなかったために、却って余計な混乱を招いたという面があり、本書も「新型インフルエンザがH5N1型で発生するかどうかはわからない」と一応は書かれているものの、新型インフルエンザが発生すると「日本で約64万人が死ぬ!」などと帯にも書かれていたりして、こうした混乱を結果として助長した側面も無きにしも非ずか。

 後半部の「対応」の部分は取材源が限定的で、役所やマスコミの発表文書を引き写したような記述も多いように思えましたが、前半部のインフルエンザの特性や、「アウトブレイク」と「パンデミック」の違いなどの解説は分かり易かったです。

OUTBREAK.jpg 映画「アウトブレイク」('95年/米)でモチーフとなった架空のウィルスは、「エイズ」をモデルにしたのかどうかは知りませんが、映画自体はスリリングな娯楽作品であると共に大変恐ろしかったし、結果として'02年にアフリカで発生した「エボラ出血熱」を予見するような内容になっていて、「予言的中度」はかなり高かったと言えるのでは。

 因みに、前世紀初頭(1918年)にアメリカ発で世界中に広まったスペイン風邪(H1N1型)で1年余りの間に4千万人が死亡し、これは中世(14世紀)ヨーロッパで大流行した黒死病(本書ではぺストとされているが腺ペストではなくエボラのような出血熱ウイルスだったという説もある)の死者3千5百万人をも上回るものだったとのことです。

 地球上の人口が増え、交通機関が発達し、日常的に人々が行き来する現代、人類にとってパンデミックが脅威であることは、著者の指摘の通りだと思います。

Rene Russo (レネ・ルッソ) in「アウトブレイク [DVD]
OUTBREAK.bmp「アウトブレイク.jpg 「アウトブレイク」●原題:OUTBREAK●制作年:1995年●制作国:アメリカ●監督:ウォルフガング・ペーターゼン●製作:ゲイル・カッツ/アーノルド・コペルソン●脚本:ローレンス・ドゥウォレットアウトブレイク01.jpg/ロバート・ロイ・プール●撮影:ミヒャエル・バルハウス●音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード●時間:127分●出演:ダスティン・ホフマン/レネ・ルッソ/モーガン・フリーマン/ケヴィン・スペイシー/キューバ・グッディング・ジュニア/ドナルド・サザーランド/パトリック・デンプシー●日本公開:1995/04●配給:ワーナー・ブラザース映画(評価:★★★★)

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脳梗塞の後遺症によるハンデを負いつつ、単なる闘病記を超えたメッセージを伝える。

寡黙なる巨人.jpg 『寡黙なる巨人』(2007/07 集英社)多田富雄.jpg NHKスペシャル「脳梗塞(こうそく)からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」より(2005.12.4)

 2008(平成20)年度・第7回「小林秀雄賞」受賞作。     

 世界的な免疫学者である著者は、'01年に旅先の金沢で脳梗塞に見舞われ、数日間死線を彷徨った後に生還したものの、後遺症によって発語機能が奪われるとともに右半身不随になり、突然に不自由な生活を強いられるようになりますが、本書はその闘病(リハビリ)の過程において自分の中に目覚めた新たなる人格、生への欲動とでも言うべきものを「寡黙なる巨人」として対象化し、巨人とともに歩む自分を通して、単なる闘病記を超えたメッセージを読者に伝えるものとなっています。

リハビリに励む多田富雄氏.jpg '05年12月にNHKスペシャルとして放映された「脳梗塞(こうそく)からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」を見たときの、キーボードを打つと音声を発する機械で会話する著者の様に強く印象づけられましたが、既にこの時点でガン告知も受けており、まさか著者の書いたものがこうした1冊の単行本になって新たに上梓され、それを読むことができるとは思いませんでした。ワープロは病いに倒れて初めて使用したとのことで、'05年の段階でも、あまりスピードは速くなかったように思います(と言うか、めちゃくちゃ遅かった...)。

 にもかかわらず、病いに倒れてからの方が活発に創作活動をしているということで、本のページすらまともにめくることが出来ないようなハンデキャップなのに、知的創作力は衰えておらず、もともとエッセイストクラブ賞も受賞(『独酌余滴』('99年/朝日新聞社))している文筆家でもありますが、後半のアンソロジーにはそれぞれに深みがあって、以前よりもキレが増したような気さえします(小林秀雄や中原中也についての論考が個人的には興味深かったが、リハビリテーション医療に対する社会的提言や福祉政策への批判なども含まれていて、思考が内に籠もっていない)。

 しかし、それにも増して驚くのは、本の前半を占める100ページ近くも通しで書かれた「闘病記」で、病いに倒れたときの臨死体験に近い経験や、意識が戻ったものの、全身の筋肉が不随意となり、唾液すら自分で飲み込めない地獄のような苦しみ、明けても暮れても自死を考える日々、苦しいリハビリなどを経て初めて1歩だけ歩けた時の歓びなどが、切々と伝わってきます。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄.bmp 確かに、脳梗塞で倒れ不自由な生活を送っている人は多くいるかと思いますが、介助する人に恵まれていたとは言え、これだけのハンデキャップを負いながら、これだけ冷静に力強くその闘病を伝えたケースというのも稀ではないでしょうか。「小林秀雄賞」の受賞会見で著者は、キーボード音声機器で、「本当にうれしい。渾身で書いた。修道僧のように書くことだけが生きがい」と、その喜びを述べています。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄氏(2008/08/28)【共同通信】

 【2010年文庫化[集英社文庫]】

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考察は深いが、"オーバー・ゼネラリゼーション"が目立つ。哲学エッセイ的要素も。

「痴呆老人」は何を見ているか.jpg 『「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書 248)』 ['08年] 大井 玄.jpg 大井 玄 氏

 「痴呆」というものがどういったものであるかを、「周辺症状」と「純粋症状」がごっちゃになっている世間の偏見を正して改めて定義・解説していて(「認知症」という言葉が用語として不完全であるため、「痴呆」という言葉を敢えて用いたというのもよくわかった)、「周辺症状」が取り沙汰される程度に差が生じる背景には「文化差」があるとの指摘からの、欧米における延命治療拒否の背景に「自立性尊重」の倫理意識があるという話への流れは、終末医療の在り方への1つの問題提起となっているように思えました(日本の文化的・倫理的土壌では延命治療をしないことはなかなか難しいだろうけれど)。

 また、「痴呆」状態にある老人を通して、「私」とは何か?「世界」とは何か?という著者自身の考察がなされていて、それはそれで深いものであり、但し、我々は皆多かれ少なかれ「痴呆」であるという見方(この見方そのものはわからないでもないが)から、論の運び方がややオーバー・ゼネラリゼーションが目立ったように思えました。
 ブッシュ大統領の9.11テロ後の「我々の味方でない者は全て敵」的な態度が、パニック状態に陥った認知症の老人と同じであるとか。この本って、社会批評本?だったの、という感じ。

 本書にある、医師として「痴呆」老人と真摯に向き合った体験は重いけれども、そこからの哲学的考察は主観的なものであり、科学との結びつけにおいても、例えば、「痴呆」老人と外部環境の関わりを、ゾウリムシの繊毛による食物獲得反応に擬えて、ゾウリムシも「痴呆」老人も(多かれ少なかれ我々も)主観により「世界を構築している」としていますが、ゾウリムシの「主観」と一緒にされたのでは...。

 結構、Amazon.com.などでも評価の高かった本ではないかと思いますが、個人的には、こうした医療体験の話や医学知識の部分と哲学(非科学?)や社会批評との間を、"オーバー・ゼネラリゼーション"(過剰な普遍化作用)により行き来するのが自分にとって相性が悪く、頷ける部分も多々あったものの、全体的には最後まで読みづらさが抜けませんでした。

 著者は、東大医学部からハーバード大に渡り、その後、東大医学部教授、国立環境研究所所長を務め、その間、臨床医の立場を維持しながら国際保健、地域医療、終末期医療に携わってきたこの分野の大ベテランであり権威でもある人。
 前著『痴呆の哲学』('04年/弘文堂)を平易にし、新たな視点をも加えたものとのことですが、思い出話的な語り口もあって、「東大退官記念」エッセイみたいな感じも。

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"葬送のセレモニー"の意義について考えさせられた。

誕生死.jpg 『誕生死』 ['02年]

誕生死 読売新聞2002.8.23(朝刊).jpg 赤ちゃんを流産・死産・新生児死で亡くした親たちの手記が紹介されている本で、'02年に刊行された際に反響を呼びましたが、特に同じ経験をした人から強い共感が寄せられたそうで、それだけ、同じ体験をし、独り悩んだり葛藤したりしている人が多いと言うことでしょうか。

 出産準備のための本は多くあっても、それは無事に出産することを前提に書かれているものばかりであり、それだけに、経験者のその時の哀しみの大きさは計り知れないものだと思いますが、こうして手記の形で自分の身に起きたことを対象化し、心情を吐露することは、哀しみを浄化する働きもあるのかも。

 少なくともこの本に登場する親たちは、哀しみを乗り越える糸口を見出し、強く生きているように思え、例えば、その後も子どもを産み、兄弟がいたことをわが子にオープンにしているケースが多いことを見ても、それが窺えます。

 この本が出来上がったきっかけは、こうした経験をした母親の1人がインターネットの自らのホームページにその経験を綴ったことからだそうですが、アメリカなどではこうした共通の哀しい体験をした人のサークルやコミュニティが数多くあり、日本の場合は、交通遺児の会は以前からあり、また最近では、犯罪被害者や家族が自殺した人の集まりなどもありますが、この分野はまだまだではないでしょうか。     読売新聞 2002.8.23(朝刊)


stillborn.jpg  死産や新生児死の場合、哀しみを受け入れ、それを乗り越える手立てとして、ささやかながらでも"葬送のセレモニー"を行うということが1つあるのではと、本書を読んで思いました。
 外国では、医師の側から、亡くなった子を兄弟に抱っこさせたり、家族みんなで一緒に写真を撮ったりするよう勧めてくれるそうで、別れの時間をゆっくり過ごせるような配慮がされていると、本書のあとがきにあります。

流産・死産・新生児死を総称して"STILLBORN"(それでもなお生まれてきた)と呼ぶそうですが、この言葉で検索すると、そうした葬送のセレモニーの写真などを掲載したホームページが幾つもあることがわかります。

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「原因」も「基準」もわからない部分が多いが、対策は一応あります、という感じ。

人はなぜ太るのか 肥満を科学する.jpg人はなぜ太るのか―肥満を科学する (岩波新書)』['06年]岡田 正彦.jpg 岡田正彦氏(略歴下記)
 
ダイエット.jpg 本書の内容を自分なりの印象で大きく分けると、肥満の「原因」「基準」「対処」についてそれぞれ述べられていると考えられ、そのうち、本書タイトルにあたる「原因」については、まだわかっていないことが多いということがわかった―という感じです(後天的なものか先天的なものかというのは、ヒトを使った長期的実験が出来ないため、完全に検証することは事実上不可能ということ)。

 それと、最近話題になっている「肥満の基準」についてですが、本書では〈BMI(体重/身長の2乗)〉が有効であり、〈ウエスト周囲長〉も、心筋梗塞の発生率などとの相関は高いとしていますが、最近、自宅でも使える電気抵抗を利用した測定器がブームの〈体脂肪率〉は、皮下脂肪と内臓脂肪を区分せず測定した結果であるなどの問題点があるそうです(個人的には、スポーツクラブでこの「ボディスキャン」体験した。体組成を"部位別"に測定できるのが売りで、筋肉量・骨量・体脂肪・基礎代謝などが5分間程度で測定できて手軽ではあったが、この場合の"部位別"とは、上半身や脚部ということであり、身体の内側・外側ということではないようだ)。

 だから〈BMI〉が基準として完璧かと言うと、スポーツ選手などでは当て嵌まらないケースもあり(BMI批判として体脂肪率が提唱された)、また、メタボリックシンドロームの主たる判定基準となっている〈ウエスト周囲長〉も、数値区分の根拠を明確化できていないため、実際にメタボリックかどうかを判定する際は、中性脂肪比、血圧、血糖値などと併せて総合判定しているとのこと。

 「原因」も「基準」もわからない部分が多いけれども、肥満対策は一応考えねば、という感じですが、予防医学の専門家であるだけに、運動療法や食事療法、医学療法などは、コンパクトに網羅されていて、一方、酒の飲み方と肥満の関係では俗説を正したりもし、また、同じ食事内容でもコレステロールの蓄積度には個人差が大きいことを指摘していて、なかなか興味深かったです。

 ダイエット本が多く出版されていますが、著者によれば、その多くは個人的体験を綴ったものにすぎず、そこで示されるダイエット法には、ナンセンスなものや、時に有害なものあるとのこと、それに対して本書は、「学術論文と同じぐらい新しく、間違いがなく、役に立つ情報を、わかりやすく纏めたつもり」であるとのこと、肥満の原因のわからない部分や、肥満の基準の曖昧な点を明かしているのは、学者としては良心的であるということになるかも。
 本書の内容の信用度自体は高いと思われるので、肥満が気になる人には啓蒙書として手元に置いておくと、少し安心できるかも知れません(安心するだけではいけないのだが)。
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岡田 正彦 (新潟大学医学部教授)
経 歴
1972年 新潟大学医学部卒業
1972年  同  医学部附属病院内科研修医
1974年  同  脳研究所助手
1990年  同  医学部教授
受 賞
・新潟日報文化賞(1981年度)
・臨床病理学研究振興基金「小酒井望賞」(2001年度)
実用化した研究
・悪玉中性脂肪の測定法(2005年):「悪玉中性脂肪(VLDL-TG)」の開発に成功、商品化の準備中。メタボリック・シンドロームを診断するための究極の検査法になると考えている。
・新潟スタディ(2000年):健常者約2,000名の健康状態を追跡調査している。目的は、日本人における動脈硬化症の危険因子を探るため。LDLコレステロール、HbA1c、肥満度、収縮期血圧が重要であることを発見。

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医学が進んでも、難治性がんは残る。進行がんへの向き合い方、さらには人生について考えさせられる本。

がんとどう向き合うか.jpg 『がんとどう向き合うか』(2007/05 岩波新書) 額田 勲.jpg 額田 勲 医師 (経歴下記)

 著者は長年地方医療に携わり、多くのがん患者と接してきた経験豊富な医師で、がん専門医ではないですが、がんという病の本質や特徴をよくとらえている本だと思いました。

 がん細胞というのは"倍々ゲーム"的に増殖していくわけですが、本書によれば、最初のがん細胞が分裂するのに1週間から1年を要し、その後次第に分裂速度が速まるということで(「ダブリング・タイム」)、1グラム程度になるまでかなり時間がかかり、その後は10回ぐらいの分裂で1キロもの巨大腫瘍になる、その間に症状が見つかることが殆どだとのこと。

 細胞のがん化の開始が30代40代だとしても数十年単位の時間をかけてがん細胞は増殖することになり、つまり、がんというのは潜伏期間が数十年ぐらいと長い病気で、早期発見とか予防というのが元来難しく、長生きすればするほどがん発生率は高まるとのことです。

 以前には今世紀中にがんはなくなるといった予測もあり、実際胃がんなどは近年激減していますが、一方で膵臓がんはその性質上依然として難治性の高いがんであり、またC型肝炎から肝臓がんに移行するケースや、転移が見つかったが原発巣が不明のがんの治療の難しさについても触れられています。

 こうした難治性のものも含め、"がんと向き合う"ということの難しさを、中野孝次、吉村昭といった著名人から、著者自らが接した患者まで(ああすればよかったという反省も含め)とりあげ、更に自らのがん発症経験を(医師としてのインサイダー的優位を自覚しながら)赤裸々に語っています。

 医学的に手の打ち様がない患者の場合は、対処療法的な所謂「姑息的な手術」が行われることがあるが、それによって死期までのQOL(Quality of Life)を高めることができる場合もあり、抗がん剤の投与についても、「生存期間×QOL」が評価の基準になりつつあるとのこと。

 著者は、がんについて「治る」「治らない」の二分法で医療を語る時代は過ぎたとし(最近のがん対策基本法に対しては、こうした旧来のコンセプトを引き摺っているとして批判している)、進行がん患者にはいずれ生と死についての「選択と決断」を本人しなければならず、それは人それぞれの人生観で違ったものとなってくることが実例をあげて述べられていて、医療のみならず人生について考えさせられる本です。
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糠田 勲 (ぬかだ・いさお)
1940年、神戸市灘区生まれ。専門は内科。2003年、全国の保健医療分野で草の根的活動をする人を対象にした「若月賞」を受賞。著書に「孤独死―被災地神戸で考える人間の復興」(岩波書店)など。

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認知症についての基礎知識が得られるとともに、著者の人間的な研究姿勢に頭が下がる。

認知症とは何か.jpg 『認知症とは何か (岩波新書)』 〔'05年〕  小澤 勲.jpg 小澤 勲 医師 (略歴下記)

 本書によれば、認知症というのは、記憶障害や思考障害などいくつかの症状の集まりを指す本来は「症候群」と呼ぶべきものであるとのことですが、代表的な疾患として、変性疾患アルツハイマー病など脳の神経細胞が死滅、脱落して、脳が萎縮することによるもの)脳血管性認知症(脳の血管が詰まったり破れたりすることによるもの)があるとのこと。

 中核症状としての記憶障害が現れるのは、身体に染み込んだ記憶(非陳述的記憶)よりも言語で示される記憶(陳述的記憶)においてが先で、その中でも、単語の意味や概念などの「意味記憶」よりも、「いつ、どこで、何をした」というような「エピソード記憶」の障害から始まることが多いとのこと、また、「リボーの原則」というものがあり、代表的な原則の1つが「記憶は最近のものから失われていく」というもので、認知症患者に接した経験のある人には、何れもそれなりに得心する部分が多いのではないでしょうか。

 老人医療施設などで老人が輪になってデイケアを受けている場面がよくありますが、著者によれば、アルツハイマー病と脳血管性認知症では「生き方」が全く異なり、アルツハイマー病患者は共同性を求めるが脳血管性の患者は個別性を求めるので、こうした輪には馴染みにくいとのことです。
 知り合いの老人医療施設に勤める人が、こうした集団的デイケアにまったく参加しようとしない患者さんも多くいるという話をしていたのを思い出しました。

吾妹子哀し.jpg 本書前半の第1部は、こうした認知症に関する客観的・医学的知識を紹介しているのに対し、後半の第2部では、文学作品(青山光二『吾妹子哀し(わぎもこかなし)』)を通して、認知症患者の心のありかを探るとともに、クリスティーンさんという認知症を抱えながらも講演活動で世界中を飛び回っている女性患者を通して、認知症の不自由とは何かを考察しています。

 彼女のケースはかなり稀有なものであるような気がしますが、「高機能認知症」という著者オリジナルの推論的概念は興味深いものがあり、また、著者自身が余命1年というがん宣告を受けている身でありながら、精神科医として、また人間として、認知症患者の世界に深く関わり続けようとする姿勢には頭が下がる思いがしました。
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小澤 勲 (おざわ いさお)
1938年、神奈川県生まれ。京都大学医学部卒業。京都府立洛南病院勤務。同病院副院長、老人保健施設「桃源の郷」施設長、種智院大教授を歴任。著書に「痴呆老人からみた世界」「物語としての痴呆ケア」など。

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在宅終末医療に関わる現場医師の声。「自分の家」に敵う「ホスピス」はない。

自宅で死にたい.jpg 「下町往診ものがたり」.jpg ドキュメンタリー「下町往診ものがたり」('06年/テレビ朝日)出演の川人明医師
自宅で死にたい―老人往診3万回の医師が見つめる命 (祥伝社新書)』〔'05年〕

 足立区の千住・柳原地域で在宅医療(訪問診療)に20年以上関わってきた医師による本で、そう言えば昔の医者はよく「往診」というのをやっていたのに、最近は少ないなあと(その理由も本書に書かれていますが)。

 著者の場合、患者さんの多くはお年寄りで、訪問診療を希望した患者さんの平均余命は大体3年、ただし今日明日にも危ないという患者さんもいるとのことで、残された時間をいかに本人や家族の思い通りに過ごさせてあげるかということが大きな課題となるとのことですが、症状や家族環境が個々異なるので、綿密な対応が必要であることがわかります。

 本書を読むと、下町という地域性もありますが、多くの患者さんが自宅で最後を迎えたいと考えており、それでもガンの末期で最後の方は病院でという人もいて、こまめな意思確認というのも大事だと思いました。
 また、家族が在宅で看取る覚悟を決めていないと、体調が悪くなれば入院して結果的に病院で看取ることとにもなり、本人だけでなく家族にも理解と覚悟が必要なのだと。

 「苦痛を緩和する」ということも大きな課題となり、肺ガンの末期患者の例が出ていますが、終末期に大量のモルヒネを投与すれば、そのまま眠り続けて死に至る、そのことを本人に含み置いて、本人了解のもとに投与する場面には考えさせられます(著者もこれを罪に問われない範囲内での"安楽死"とみているようで、こうしたことは本書の例だけでなく広く行われているのかも)。

 基本的には、「自分の家」に敵う「ホスピス」はないという考えに貫かれていて、本書が指摘する問題点は、多くの地域に訪問診療の医療チームがいないということであり、在宅終末医療に熱意のある医療チームがいれば、より理想に近いターミナルケアが実現できるであろうと。

 多くの医者は在宅を勧めないし、逆に家族側には介護医療施設に一度預けたらもう引き取らない傾向があるという、そうした中に患者の意思と言うのはどれぐらい反映されているのだろうかと考えさせらずにはおれない本でした。

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脳の神秘、リハビリの心得、医療への提言、そして感動。

壊れた脳 生存する知.jpg壊れた脳 生存する知』〔'04年/講談社〕 金曜プレステージ『壊れた脳 生存する知』.jpg フジテレビでドラマ化「壊れた脳 生存する知」('07年1月19日放映)

 「モヤモヤ病」という奇病を学生時代に発症し、3度にわたる脳出血の後遺症として高次脳機能障害を負った女性医師の闘病記。
 高次脳機能障害というのは、病気や事故によって脳に損傷を受けたために、思考、記憶、学習、注意といった人間の脳にしか備わっていない次元の高い機能が失われる症状のことで、この著者の場合だと、今話したことを忘れてしまう、物を立体的に見ることができない、左半身の麻痺、自分の左側の空間に注意を払えない、といった症状が見られています。
但し、知能の低下はなく、日常生活の些細なことを失敗する自分のことは認識できてしまうために、その分辛い障害であると言えます。
 しかし、医師である著者は、そうした認知障害などの心の障害を、自らの"壊れた脳"との対応関係において冷静に分析していて、本書は闘病記であると同時に、脳の神秘を示す貴重な記録にもなっています。

 全編を通して前向きでユーモアに満ちた明るい姿勢が貫かれていて、リハビリに取り組む人には障害へ向き合う姿勢を示唆し、一般読者には元気を与えてくれます。
 一方で、今も老人保健施設で医療に携わる立場から、認知症などに対する社会環境や医療現場、家族やセラピストへの提言も多く含まれています。
 リハビリのためにクルマの運転や速聴速読、百マス計算にまで取り組む著者のバイタリティに感服する一方、脳機能障害は、「ガンバレ」と言われて「ハイ」と頑張れるようなものでもないという難しい面があることも教えられます。

 脳科学に関する本を何冊か読んだ流れで本書を手にし、自らの障害を対象化し科学的に捉えた内容に興味深く読み進みましたが、最後にこの本が出来上がるまでの長い道程を知り、さらに著者が息子に宛てた手紙を読んでジ〜ンときました。

 【2009年文庫化[角川ソフィア文庫]】

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並外れた精神力とジャーナリストとしての強い使命感に感銘。

「死への準備」日記2.jpg 千葉2.jpg  千葉敦子2.jpg 千葉敦子(ちば あつこ 1940-1987)
「死への準備」日記』 朝日新聞社 ['87年]  『「死への準備」日記 (文春文庫)

 本書は、ニューヨーク在住のジャーナリストであった著者が、ガンで亡くなる'87年7月の前の年11月から亡くなる3日前までの間の、著者自身による記録です。

 3度目のガン再発で、著者の病状は刻々と悪化していきますが、その状況を客観的に記し、ただし決して希望を捨てず、片や残り少ない時間をいかに一日一日有意義に使うかということについて、まるで"実用書"を書くかのように淡々と綴る裏に、著者の並外れた精神力が感じられます。
 また読む側も、"今"という時間を大切に生きようという思いになります。

『乳ガンなんかに負けられない』.jpg 抗ガン剤の副作用に苦しみながらも、常に在住するアメリカ国内や世界の動向を注視し、少しでも体調が良ければ仕事をし、友人と会食し、映画や演劇を鑑賞する著者の生き方は、現代の日本の終末医療における患者さんたちの状況と比べても大きく差があるのではないかと思います。

 死の3日前の最後の稿にある、「体調が悪化し原稿が書けなくなりました。申し訳ありません」との言葉に、彼女のジャーナリストとしての強い使命感を感じました。

 【1989年文庫化[朝日文庫]/1991年再文庫化[中公文庫]】

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「対決する文化」と「対決を避ける文化」の違いが現れる終末医療。

よく死ぬことは、よく生きることだ.jpgよく死ぬことは、よく生きることだ』 〔'87年〕 よく死ぬことは、よく生きることだ2.jpg 『よく死ぬことは、よく生きることだ (文春文庫)』 〔'90年〕 

 著者は1981年に乳ガンの手術をし、'83年にニューヨークへ転居、'87年にガンにより亡くなっていますが、その間ジャーナリストとして日米の働く男女の生き方の違いなどを取材し本にする一方で、精力的に自己の闘病の模様を雑誌等に連載し、この本は闘病記としては4冊目ぐらいにあたるのでしょうか、最後に書かれた『「死への準備」日記』('87年/朝日新聞社)の1つ前のもの、と言った方が、書かれた時の状況が把握し易いかも知れません。

 著者が亡くなる'78年7月の前年10月に上智大学に招かれて行った「死への準備」という講演と、3度目のガン再発後の闘病の記録を中心にまとめられ、亡くなる年の4月に出版されていますが、自身の病状や心境についての冷静なルポルタージュとなっています。

 特に前半は、現地のホスピス訪問の記録を中心に纏められていて、まるでO・ヘンリーの小説のような、或いは映画にでもなりそうな感動的なエピソードも盛り込まれていますが、あくまでもジャーナリストとしての視線で書かれているのが良くて、一方で、米国の終末医療全般の状況報告と日本の患者や医療への提言も多く、また、最近言われる「患者力」(何でも"力"をつければいいとは思いませんが)の先駆的な実践の記録としても読めます。

 病状について説明を求めるのはある意味「患者の責任」であり、ホスピスで周囲の人が死んでいくのを見ることは患者にとっての「死への準備」教育となる、という米国の医療のベースにある「対決する文化」と、患者は医師に従順で、医師は告知をためらいがちな「対決を避ける」日本の文化の違いがよくわかり、ジャーナリストとしての姿勢を貫き通した一女性の、稀有なルポルタージュだと思います。

 【1990年文庫化[中公文庫]】

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夢の謎を科学的に解説し、様々な夢解釈法を紹介した楽しい本だった。

夢の世界99の謎AE.jpg
『夢の世界99の謎』 サンポウ・ブックス job37_2.jpg 大原 健士郎 氏 (略歴下記)

Dream.jpg  現代の生理学の常識としては、夢を見ない人はいないと言われていて、赤ちゃんでも夢を見るし、赤ん坊の寝ているときの眼球の動きから、所謂"夢見"の状態であるREM(rapid eye movement)睡眠が見つかったことは有名です。

 本書は、日本の自殺研究の権威・大原健士郎氏の著作ですが、自殺の研究を始める前から夢の研究に強い関心があったとのことです。
 「夢で発明や発見ができるか」「正夢や予知夢はあるか」といった素朴な疑問に、科学的見地に立って回答するとともに、夢の解釈について、フロイトや、それを批判したアドラー、ユング、フロムらの考えをわかりやすく解説しています。

夜明かしする人、眠る人.jpg また、夢の生理学的側面についても、「動物から眠りを奪うとどうなるか」といった疑問に答えるところから始まり、睡眠時無呼吸やナルコレプシーについても解説しています。
 様々な歴史的人物が行った夢の謎解きや、夢とテレパシーの関係についての考察などもあって、読みどころ満載の楽しい本です。

 更には、アメリカ流反フロイト主義の中でも、本書出版当時としては新しい、アン=ファラデー女史の『ドリームパワー』ウィリアム・C・デメント『夜明かしする人、眠る人』などにある研究成果や、フレデリック・パールズ「ゲシュタルト療法」の立場での夢解釈などがわかりやすく紹介されているのも、本書の特長です(アン=ファラデー、W・C・デメントとも、夢に対するプラグマティックな姿勢がうかがえる。デメントの『夜明かしする人、眠る人』には、著者が肺がんになった夢を見たことでタバコをやめた話などが出てくる。読み物としてもたいへん面白い本)。

夜明しする人、眠る人』['75年/みずず書房]
                                                   
夢の不思議がわかる本.jpg このサンポウ・ブックスのシリーズは他にも『幻の古代生物99の謎』など良いものがあり、絶版となった今は、その一部が古書市場で高値になっているとのことです。
 ただし本書については、「知的生きかた文庫」に『夢の不思議がわかる本』('92年)として、ほぼ同じ内容で移植されています。

 『夢の不思議がわかる本』 知的生きかた文庫 ('92年)

《読書MEMO》
●「黄梁一炊(こうりょういっすい)の夢」「邯鄲の夢」...盧生(ろせい)が宿で栄華が思いの儘になるという枕で寝ると皇帝になって50年世を治め、さらに不老長寿の薬を得る夢を見るが、それは黄梁(粟飯)が炊ける間の事だった(34p)
●ゲシュタルト療法(フレデリック・パールズ)...自由連想法(精神分析)は問題の周辺をぐるぐる回るだけで自己の神経症に直面することを避ける自由分裂に過ぎない。(ゲシュタルト療法では)集団の中で自分自身の夢を語るという方法で、自身の表情、声の調子、姿勢、身振り、他人に対する反応に患者の注意を向けさせ、その人の人格の欠陥をさがし、気づかせるとともに治療に応用する(157p)

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大原健士郎 (精神科医)
1930年、高知県伊野町生まれ。東京慈恵医大大学院博士課程修了。六六年、ロサンゼルス自殺予防センター特別招聘(しょうへい)研究員として、一年間留学。七七年、浜松医大教授。神経症の治療法として知られる森田療法のほかアルコール依存、薬物依存なども研究テーマ。「精神医学はまだ科学の名に値しない」が持論。

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