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ケーススタディに実在の人物を持ち出すことの良し悪しはあるが、興味深く読めたのは事実。

回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち.jpg回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)』['13年] 愛着障害  子ども時代を引きずる人々0.jpg愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)』['11年]

 「愛着障害」とは、乳幼児期に長期にわたって虐待やネグレクト(放置)を受けたことにより、保護者との安定した愛着(愛着を深める行動)が絶たれたことで引き起こされる障害です。著者は前著『愛着障害―子ども時代を引きずる人々』('11年/光文社新書)において、乳幼児は生後6カ月から大体3歳くらいまでにある特定の人物(通常は母親)と「愛着関係」を築き、その信頼関係を結んだ相手を「安全基地」として少しずつ自分の世界を広げていくが、それが旨くいかなかった場合、他人を信頼することや他人と上手くやっていくことなど、人間関係において適切な関係を築くことができにくくなるとしていました(但し、それを克服した例として、夏目漱石やヘルマン・ヘッセ、ミヒャエル・エンデなど多くの作家や有名人の例が紹介されている)。

 著者の分類によれば、愛着障害は安定型と不安定型に分類され、更に不安定型は不安型(とらわれ型。子どもでは両価型と呼ぶ)と回避型(愛着軽視型)に分けられるとし、不安型と回避型の両方が重なった、恐れ・回避型(子どもでは混乱型)や、愛着の傷を生々しく引きずる未解決型と呼ばれるタイプもあるとしています(ややこしい!)。本書は、その中でも回避型を、とりわけ、健常レベルの「回避型」が社会適応に支障をきたすレベルとなった「回避性」の愛着障害を扱っていることになります。

 前著『愛着障害』より対象が絞られて、分かりよくなっている印象も受けますが、一方で、例えばパーソナリティ障害のタイプごとに、回避性愛着障害の現れ方が次のように多岐に及んでくるとのことで、これだけでもかなりの人が当て嵌まってしまうのではないかという気がします。
 ①回避性パーソナリティ・タイプ ... 嫌われるという不安が強い
 ②依存性パーソナリティ・タイプ ... 顔色に敏感で、ノーが言えない
 ③強迫性パーソナリティ・タイプ ... 勤勉で、責任感の強すぎる努力家
 ④自己愛性パーソナリティ・タイプ ... 自分しか愛せない唯我独尊の人
 ⑤反社会性パーソナリティ・タイプ ... 冷酷に他人を搾取する

 但し、健常レベルの「回避型」と社会適応に支障をきたすレベルとなった「回避性」の愛着障害の違いは、元々は程度の差の問題であり、また、パーソナリティのタイプが何であれ、愛着スタイルが安定すれば、生きづらさや社会に対する不適応はやわらげられるとのことですので、自分がそれに該当するかもしれないと思い込むのは別に構わないと思いますが、そもことによってあまり深刻になったり悲観したりはしない方が良いかと思います。

エリック・ホッファー.jpg種田山頭火7.jpg 著者の解説のいつもながらの特徴ですが、該当する作家や有名人の事例が出てきて、回避型愛着障害と養育要因の関係について述べた第2章では、エリック・ホッファーや種田山頭火、ヘルマン・ヘッセが、回避型の愛情と性生活について述べた第4章では、同じく山頭火やキルケゴールが、回避型の職業生活と人生について述べた第5章では、同じくエリック・ホッファーや『ハリー・ポッター』シリーズの作者J・K・ローリング、児童分析家エリク・エリクソン、井上靖らが、回避性の克服や愛着の修復について述べた第6章・第7章では、カール・ユング、書道家の武田双雲、『指輪物語』のジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン、養老孟司、マリー・キューリーなどが取り上げられています。

 実際に著者自身が直接診断したわけでもないのに憶測でこんなに取り上げてしまっていいのかという批判もあるかと思いますが、こうした実在の人物を「ケーススタディ」的に取り上げることで「愛着障害」というものが多少とも分かり易く感じられるのは事実かもしれません。それと、取り上げ方が上手であると言うか、それぞれの人に纏わる話をよく抽出してテーマと関連づけるものだと感心してしまいます。ある種"作家的"とでも言うべきか。そこがまた、批判の対象にならないこともないのですが。

 一方、回避性愛着障害の克服方法については、「自分の人生から逃げない」など、やや抽象的だったでしょうか。登場した実在の人物の歩んだ克服の道のりの話の方がよほど説得力があります。とれわけ、エリック・ホッファーと種田山頭火のエピソードは大変興味深く読めました。

《読書MEMO》
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)』より
愛着障害  .jpg●愛着パターンには安定型(60%、正常)、回避型(15-20%、安全基地を持たないのでストレスを感じても愛着行動を起こさない、児童養護施設育ちの子どもに多い、親の世話不足や放任、成長すると反抗や攻撃性の問題を起こしやすい)、両価型(10%、安全基地の機能不全により愛着行動が過剰に引き起こされている、親の関心と無関心の差が大きい場合、神経質で過干渉、厳格すぎる一方、思い道理にならないと突き放す。子どもを無条件に受け止めると言うより、良い子を求める。成長すると不安障害なりやすい。いじめられっ子)、混乱型(10%、回避型と両価型の混合、虐待被害者や精神が不安定な親の子どもに多い、将来境界型人格異常)がある(『愛着障害』37p)
●不安定型(回避型、両価型、混乱型)の場合、特有の方法によって周囲をコントロールしようとする。攻撃や罰、よい子に振る舞う、親を慰めるなどをして親をコントロールしようとする。不安定な愛着状態による心理的な不足感を補うために行われる(『愛着障害』38p)
●大人の愛着パターンには安定型、不安型(子どもの両価型に対応する)、回避型(愛着軽視型)がある。不安型と回避型を合わせて不安定型という(『愛着障害』45p)
●アメリカの診断基準では反応性愛着障害として、抑制性(誰にも愛着しない警戒心の強いタイプ、幼いときに養育放棄や虐待を受けたケースに多い)、脱抑制性(誰に対しても、見境無く愛着行動が見られる。不安定な養育者からの気まぐれな虐待や、養育者の交代によって、愛着不安が強まった状態)の2つがある(『愛着障害』46p)。
●比較的マイルドな愛着問題では、自立の圧力が高まる青春期以降に様々なトラブルとなって現れる。回避型では淡泊な対人関係を望む「草食系男子」や結婚に踏み切れない人の増加である。不安型では境界型人格障害や依存症や過食症にとなる(52p)
●愛着障害の7-8割は養育環境が原因。遺伝は2-3割である(53p)
●愛着障害の人は誰に対しても信頼も尊敬も出来ず、斜に構えた態度を取る一方で、相手の顔色に敏感であると言った矛盾した感情を持っている。それは小さいときに尊敬できない相手でも、それにすがらずに生きていけないからである(67p)
●親の愛着パターンが子どもに影響する。不安型の親からは不安型の子どもが育つ(81p)
●不安定型の愛着パターンを生む重要な要因の一つに、親から否定的な扱いや評価を受けて育つことである。たとえ子どもが人並みよりぬきんでた能力や長所を持っていても、親は否定的に育てることである(97p)
●愛着障害とは特定の人との愛着が形成されない状態であるので、誰にも全く愛着を持たないか、誰に対しても親しくなれることである。誰にでも愛着を持つと言うことは誰にも愛着を持たないことと同じである。実際問題でも、対人関係が移ろいやすい。恋愛感情でも誰に対しても同じ親しさで接すればトラブルの元になる。特定の人との信頼関係や愛情が長く維持されにくい(117p)
●回避型ではいつになっても対人関係が親密にならない。不安型では、距離を取るべき関係においても、すぐに親しくなり、恋愛感情や肉体関係になる。混合型では、最初はよそよそしいが、ちょっとしたことで急速に恋愛関係に陥る(120p)
●愛するパートナーを助けるために、自分の命を危険にさらせるのが、愛着が安定している人で、自分の価値観や信念のためなら死んでも良いと思っているのが愛着の不安定な人である(193p)
●不安定型の人は家族との関係が不安定で、支えられるどころか足を引っ張られることが多い(194p)
●回避型の人は、仕事上の問題よりも、同僚との軋轢が多く、孤立を招きやすい。これは、同僚に対して関心が乏しかったり、協調性に欠けたりするためである(195p)
●不安型の人の関心は対人関係であり、人からの承認や安心を得ることが極めて重要と考えている。回避型の人は対人関係よりも勉強や仕事や趣味に重きを置く。対人関係の煩わしさを避けるために、仕事や勉強に逃げ場を求めている。世間に向けて体裁を整えたり、社会的非難や家族からの要求を回避したりするために利用している。仕事と社交、レジャーとのバランスを取るのが苦手で、仕事に偏りがちである(196p)。
●回避型の人をパートナーに持つことは、いざというとき頼りにならないどころか、回避型の人にとって頼られることは面倒事であり、他人から面倒事を持ち込まれることは怒りを生むのである(225p)

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障害の体系というものを意識すると意外と難しいかも。中級以上向けの「入門書」?

パーソナリティ障害とは何か 講談社現代新書.jpgパーソナリティ障害とは何か (講談社現代新書)

 本書におけるパーソナリティ障害の各タイプの「個々の説明」は比較的分かり易かったのですが、所々突然難しくなる部分もあったりして、特に最初の方のパーソナリティ障害の「体系の説明」が難しかった...。

 そもそも、DSM‐Ⅳ(米国精神医学会の診断基準)に定義される10タイプの人格障害を、本書では以下の通りに組み直したと冒頭にあり、ごく簡単な説明のもとにこれをいきなり示されても、初学者にはどうしてこうした組み換えをしたのかよく分からないのではないかと思いました。

 A群:内面の感情や思考が重みを持ちやすいタイプ
  1.スキゾイド・パーソナリティ障害 (対象に呑み込まれる不安)
   (ⅰ)スキゾイド・パーソナリティ障害
   (ⅱ)スキゾタイパル・パーソナリティ障害
  2.サイクロイド・パーソナリティ障害 (強い一体化願望)
  3.妄想性パーソナリティ障害 (投影という防衛機制)
 B群:主観と客観とが混じりやすい対象関係を持つ
  4.反社会性パーソナリティ障害 (欠落した規範意識)
  5.境界性パーソナリティ障害 (見捨てられ不安)
  6.自己愛性パーソナリティ障害 (尊大な自己の背後)
 C群:外界の価値観を人格の中に組み込んで、存在のありようを外界と対峙させる
  7.回避性パーソナリティ障害 (恥の心理)
  8.強迫性パーソナリティ障害 (感情の切り離し)
  9.演技性パーソナリティ障害 (他の注目を惹こうとする心理)

 まあ、解説を進める上での前提であり、ことわり書であって、冒頭にくるのはやむ得ないし、本文を読んでいくうちに、著者の豊富な臨床経験に基づくカテゴライズであることは何となく掴めてくるのですが、こうなると専門家の数だけタイプ分けの仕方があるということにもなってくるような気がします。

 DSM‐Ⅳの分類にもとより難点があることは、多くの専門家が指摘していることであり、実際、他書ではまた違った「組み換え」や「復活」が見られますが、著者の分類で最も特徴的な点は、クレッチマーによって「循環気質(サイクロイド)」という名のもとに気分障害(躁うつ病)の病前性格として提唱され、現在はDSM診断体系で気分障害(双極性障害)の項に吸収されているサイクロイド・パーソナリティを、対象関係を得ると楽観的になり失うと悲観的になる人格として「サイクロイド・パーソナリティ障害」という呼び名で、人格障害の一類型として「復活」させている点かと思われます。

 著者によれば、サイクロイド・パーソナリティの人は身近に沢山いて、その性格類型を基盤にした気分障害、とりわけ双極性障害(躁うつ病)が注目を浴びるようになるにつれその意義は増し、DSM‐Ⅳにある「依存性パーソナリティ障害」も、その中核的ケースはサイクロイドではないかと考えるようになったとのこと(従って、著者の分類からは「依存性パーソナリティ障害」は除かれている)。

 著者は、パーソナリティ障害はパーソナリティの病気であるという考えのもとに「○○パーソナリティ」と「○○パーソナリティ障害」を区分していて、「○○パーソナリティ」であっても世の中に適合していくことができる、その道筋を本書で、簡潔ではあるものの具体的に示していて、その視点は参考になりました。

 サイクロイド・パーソナリティの捉え方も同じような視点からきていると思われますが、「入門書ほど書いた人の考え方が如実に表れる」ことの典型であるようにも思いました。

 「自己愛性パーソナリティ障害の特徴は、自己愛的な人の周辺で精神科患者が生産されることである」などの記述は腑に落ちるものであり(著者はこれを「自己愛性パーソナリティ障害代理症」と呼んでいる)、基本的には良書だと思いますが、体系というものを意識すると意外と難しいかも。中級以上向けの「入門書」?(最近、講談社現代新書のレベル設定がよく分からない)
 初学者は本書に止まらず、他の専門家が書いたものも読まれることお勧めします。

《読書MEMO》
●(参考)DSM-IV-TRによる分類
クラスターA
風変わりで自閉的で妄想を持ちやすく奇異で閉じこもりがちな性質を持つ。
1 妄想性パーソナリティ障害
2 スキゾイド・パーソナリティ障害
3 統合失調型パーソナリティ障害
クラスターB
感情の混乱が激しく演技的で情緒的なのが特徴的。ストレスに対して脆弱で、他人を巻き込む事が多い。
4 反社会性パーソナリティ障害
5 境界性パーソナリティ障害
6 演技性パーソナリティ障害
7 自己愛性パーソナリティ障害
クラスターC
不安や恐怖心が強い性質を持つ。周りの評価が気になりそれがストレスとなる性向がある。
8 回避性パーソナリティ障害
9 依存性パーソナリティ障害
10 強迫性パーソナリティ障害

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分かりやすい。しかし、境界性パーソナリティ障害と一口に言っても多種多様。

境界性パーソナリティ障害 岡田尊司1.jpg 境界性パーソナリティ障害 岡田尊司 2.jpg          ヘルマン・ヘッセ.jpg    中森明菜.jpg  飯島愛.jpg
境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)』     ヘルマン・ヘッセ/中森明菜/飯島愛(1972-2008/享年36)

 『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか』('04年/PHP新書)という分かり易い入門書がある著者ですが、本書は、パーソナリティ障害の中でも近年多くの人が悩む身近な問題となってきていると言われる「境界性パーソナリティ障害」にフォーカスした入門書で、こちらもたいへん分かり易く書かれています。

 なぜ現代人に増えているのか、心の中で何が起きていているのか、どのように接すればいいのか、どうすれば克服できるのかなど、それぞれについて、必要に応じて事例をあげ、新書にしては丁寧に解説されているように思いました。

 本書によれば、境界性パーソナリティ障害においては、元々はしっかり者で思いやりのある人が、心にもなく人を傷つけたり、急に不安定になったり、自分を損なうような行動に走ったりと不可解な言動を繰り返し、時には場当たり的なセックスや万引き、薬物乱用や自傷行為、自殺にまで至ることもあるとのこと、「わがままな性格」と誤解されることも多いが、幼い頃からの体験の積み重ねに最後の一撃が加わって、心がバランスを失ってしまった状態であるとのことです。

 解説内容は概ねオーソドックスかと思いますが、第5章の「ベースにある性格によってタイプが異なる」という部分が、境界性パーソナリティ障害の多種多様性を示しており、この部分は研究者によって分類方法が若干異なるかもしれません。

 著者は、①強迫性の強いタイプ、②依存性が強いタイプ、③失調症の傾向が強いタイプ、④回避性の強いタイプ、⑤自己愛性が強いタイプ、⑥演技性が強いタイプ、⑦反社会性が強いタイプ、⑧妄想性が強いタイプ、⑨未分化型パーソナリティのタイプ、⑩発達障害がベースにあるタイプ―の10タイプを挙げています(多いなあ)。

 DSM‐Ⅳ(米国精神医学会の診断基準)で定義された10個のパーソナリティ障害の類型の中に、境界性パーソナリティ障害と並列関係で、強迫性パーソナリティ障害、依存性パーソナリティ障害、回避性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害、演技性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害などがあることは周知の通りで、そういうのも含めて全部「境界性パーソナリティ障害」として説明してしまっている印象もありますが、DSM‐Ⅳが精神疾患の原因ではなく症状(エピソード)を基準としているため、このあたりはスペクトラム(連続体)としてみるか、相対的強弱でみるべきなのだろなあ。例えば、前の方で、「境界性パーソナリティ障害を自己愛の視点から理解すると、境界性パーソナリティ障害は、自己愛障害の一つのタイプ、つまり自己愛が委縮したタイプの自己愛障害として理解される」とあります。

 それぞれのタイプの説明は分かり易く、実際の患者例と併せて、外国の作家や俳優、日本の有名人の例が出てきて(それまでにもランボーや太宰治のエピソードが出てくるが)、それが理解の助けになっており、例えば、「強迫性の強いタイプ」でヘルマン・ヘッセ、「失調症の傾向が強いタイプ」でヴァージニア・ウルフ、「反社会性が強いタイプ」でジェームズ・ディーンなどといった具合。ヘッセについては、パーソナリティ障害の人をどう支えるかを解説した章で、彼がそれをどう乗り越えたかが書かれていて、結構しっかりフォローされているなあと。

 一方、「依存性が強いタイプ」で歌手の中森明菜の場合が、「演技性が強いタイプ」で'08年のクリスマス・イブに自宅マンションで孤独死しているところを発見された飯島愛の場合が取り上げられていて、実際に著者が診察したの?と異論も唱えたくなるものの、読んでみると結構これもまた"腑に落ちる"かどうかはともかく、ナルホドこういう見方もあるのかと―このあたりの作家性も含めた柔軟な解説が、著者の著書に固定読者がいる理由かも(最近、ちょっと量産し過ぎのような気もするが)。

 著者によれば、飯島愛は男性に裏切られ自殺寸前まで追い詰められた結果、もっとしたたかに生きようと、今度は逆に自分の魅力で男性を振り返らせ、手玉にとって、自分の尊厳を取り戻そうとしたのではないかと。したたかな生き方の内側には、拭いきれない寂しさや空虚感があって、明るさと影の対比が多くの人の共感を呼ぶのではないかとしています。

山口美江0.jpg 確かに、飯島愛のブログは亡くなって4年も経つのにいまだにコメントが付され続けていますが、う~ん、何となく共感する人が男性にも女性にも結構いるのかも。
 孤独死と言えば、元タレントの山口美江が今年('12年)3月に自宅で孤独死しているのが発見されたニュースを思い出しますが、何年か前に臨床心理士の矢幡洋氏が、彼女のことを「サディスティック・パーソナリティ障害」が疑われるとしていたのが印象に残っています。

 「サディスティック・パーソナリティ障害」は元ハーバード大学精神医学教授でDSM-Ⅲにおける人格障害部門の原案作成者セオドア・ミロンがパーソナリティ障害の1タイプとして入れていたもので、自己愛性パーソナリティ障害の攻撃が外に向かうタイプと変わらないとしてDSM‐Ⅳで削除されたもの。
 ミロンは、「反社会性パーソナリティ障害」に近いものとしていますが、実際、本によっては、「自己愛性」とグループ化しているものもあり、、矢幡洋氏の場合はそれをパーソナリティ障害の主要類型として「復活」させているわけです。

 DSMそのものも様々な変遷を経ており、その中の1タイプである境界性パーソナリティ障害だけで、著者の言うように10タイプあるとなると結構たいへんだなあと(尤も、パーソナリティ障害の中で境界性パーソナリティ障害がいちばん研究が進んでいるとのことだが)。

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一般社会人が身につけておきたい精神医学の知識。"新型うつ病"を"ジャンクうつ"と断罪。

岩波 明 『ビジネスマンの精神科』.JPGビジネスマンの精神科.gif        うつ病.jpg 
ビジネスマンの精神科 (講談社現代新書)』 ['09年] 『うつ病―まだ語られていない真実 (ちくま新書 690)』 ['07年]

 タイトルからすると職場のメンタルヘルスケアに関する本のようにも思われ、「中規模以上の企業」に勤めるビジネスマンを読者層として想定したとあり、実際、全11章の内、「企業と精神医学」と題された最終章は職場のメンタルヘルスケアの問題を扱っていますが、それまでの各章においては、うつ病、躁うつ病、うつ状態、パニック障害、その他の神経症、統合失調症、パーソナリティ障害、発達障害などを解説していて、実質的には精神医学に関する入門書であり、タイトルの意味は、一般社会人として出来れば身に着けておきたい、精神医学に関する概括的な知識、ということではないかと受け止めました(勿論、こうした知識は、職場のメンタルヘルスケアに取り組む際の前提知識として重要であるには違いないが)。

 基本的にはオーソドックスな内容ですが、うつ病の治療において「薬物療法をおとしめ、認知療法など非薬物療法をさかんに推奨する人」を批判し、例えば「認知療法を施行することが望ましい患者は、実は非常に限定される」、「そもそも、認知療法を含む非薬物療法は急性期のうつ病の症状に有効性はほとんどない。かえって症状を悪化させることもある」といった記述もあります(前著『うつ病―まだ語られていない真実』('07年/ちくま新書)では、高田明和氏とかを名指しで批判していたが、今回は名指しは無し。名指ししてくれた方がわかりやすい?)。

 その他に特徴的な点を挙げるとすれば、「適応障害」は一般的な意味からは「病気」とは言えないとしているのは、DSMなどの診断基準で"便宜的"区分として扱われて売ることからも確かに"一般的"であるとしても、「適応障害よりもさらに"軽いうつ状態"を"うつ病"であると主張する人たちがいる。その多くは、マスコミ向けの実態のない議論である」とし、「"新型うつ病"という用語がジャーナリズムでもてはやされた時期があった」と過去形扱いし、「分析すること自体あまり意味があるように思えないが、簡単に述べるならば、"新型うつ病"は、未熟なパーソナリティの人に出現した軽症で短期間の"うつ状態"である。(中略)精神科の治療は必要ないし、投薬も不要である」、「こうした"ジャンクなうつ状態"の人は、自ら病気であると主張し、これを悪用することがある。彼らはうつ病を理由に、会社を休職し、傷病手当金を手にしたりする」(以上、98p-99p)と断罪気味に言っていることでしょうか。

 『うつ病―まだ語られていない真実』には、「気分変調症(ディスサイミア)」の症例として、被害妄想から自宅に放火し、自らの家族4人を死に至らしめた女性患者が報告されていて(これ読むと、かなり重い病気という印象)、うつ病や気分変調症と、適応障害やそれ以外の"軽いうつ状態"を厳格に峻別している傾向が見られ、個人的には著者の書いたものに概ね"信を置く"立場ですが、自分は重症うつ病の"現場"を見てきているという自負が、こうした厳しい姿勢に現われるのかなあとも。

 但し、個人における症状を固定的に捉えているわけではなく、適応障害から「気分変調症」に進展したと診断するのが適切な症例も挙げていて、この辺りの判断は、専門医でも難しいのではないかと思わされました。

 その他にも、「精神分析」を「マルクス主義」に擬えてコキ下ろしていて(何だか心理療法家そのものに不信感があるみたい)、フロイトの理論で医学的に証明されたものは1つもないとし、フーコーやラカンら"フロイトの精神的な弟子"にあたる哲学者にもそれは当て嵌まると(125p)。
 
田宮二郎.jpg 入門書でありながら、所々で著者の"持ち味"が出るのが面白かったですが、
一番興味深かったのは、「躁うつ病」の例で、自殺した田宮二郎(1935-1978/享年43)のことが詳しく書かれていた箇所(72p-77p)で、彼は30代前半の頃から躁うつ病を発症したらしく、テレビ版の「白い巨塔」撮影当初は躁状態で、自らロケ地を探したりもしていたそうですが、終盤に入ってうつ状態になり、リハーサル中に泣き出すこともあったりしたのを、周囲が励ましながら撮影を進めたそうで、彼が自殺したのは、テレビドラマの全収録が終わった日だったとのこと。
 躁状態の時に実現が困難な事業に多額の投資をし、借金に追われて、「俺はマフィアに命を狙われている」とかいう、あり得ない妄想を抱くようになっていたらしい。
 へえーっ、そうだったのかと。

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問題上司、問題部下をパーソナリティ障害という観点から分類。読み物としては面白いが...。

困った上司、はた迷惑な部下.jpg困った上司、はた迷惑な部下 組織にはびこるパーソナリティ障害 (PHP新書)』['07年]

『困った上司、はた迷惑な部下』.jpg 職場にはびこる問題上司、問題部下を、パーソナリティ障害という観点から分類し、それぞれが上司である場合の対処法、部下である場合の扱い方を、それぞれ指南していて、分類は、各章ごとに次のようになっています。
 第1章 もっか増殖中の困った人びと(自己愛性、演技性、依存性)
 第2章 はた迷惑な攻撃系の人びと(反社会性、サディスト、拒絶性)
 第3章 パッとしない弱気な人びと(抑鬱性、自虐性、強迫性)
 第4章 意外な力を発揮する人びと(シゾイド性、回避性、中心性)
 第5章 やっぱり困った人びと(境界性、妄想性、失調型)

 現在の人格障害の国際基準は、DSMⅣの10分類ですが、本書では、DSMを監修したセオドア・ミロンが当初提唱した4カテゴリー(サディスト、自虐性、拒絶性、抑鬱性)を加え、更に「中心性」気質を加えており、これは大体この著者が用いる分類方法です。

 各性格の特徴は簡潔に述べるにとどめ、「俺に任せとけ」と調子のいいことを言い、その場限りに終わる演技性上司に対する対処法や、上司の言うことなら何でも聞いてしまう依存性部下の扱い方など、読み物として、まあまあ面白し、読む側にカタルシス効果もあるかも知れません(著者自身、自らの過去の職場での鬱憤を晴らすような感じで書いてる)。
 ただ、例えば、大物ぶって敬遠される自己愛性上司には、遠巻きにして勝手に歌わせておくか、おべっか言ってとりまきになるか、おだてて神輿に乗ってもらうかなどすればいいといった感じで、対応が何通りも示されている分、結局、どれを選べばいいのか?と思わせる箇所も。

 著者は最初、良心をかなぐり捨て、「読んだ人だけ得をしてください」というスタンスで本書を書いていたところ(サディスト的部下は、派閥争いの戦闘要員として使え、などは、確かにマキャベリズム的ではある)、初稿を見た編集者から「どういうタイプの性格にも長所がある、というメッセージが伝わってくる」と言われたとのこと。

 個人的にはむしろ、書かれているようにうまく事が運ぶかなあという気もしました。実際、うまく事が運ぶならば、「人格障害」と呼ぶほどのものでも無かったのでは...とか思ったりして。
 著者もあとがきでも述べているように、「人格障害未満」の人も含まれていて、先にビジネスパーソンの行動パターンありきで、そこに「人格障害」の類型を"類推"適用したような感じもあります("拡大"適用とも言える)。

 その結果でもあるのでしょうが、やはり15分類というのは多過ぎるような気もし、自分が人格障害に関する本を読んでいた流れで本書を手にしたこともあり、「人格障害」とはどういうものかをもう少しキッチリ知りたければ、同じPHP新書の『パーソナリティ障害-いかに接し、どう克服するか』(岡田尊司著/'04年)などの方が、内容的にはしっかりしているように思います。

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現代人の「心の悩み」の代表的パターンとその治癒過程をケーススタディで知る。

「心の悩み」の精神医学.jpg 『「心の悩み」の精神医学 (PHP新書)』 ['98年]

 著者は、毎日たくさんの患者を診ている精神科医(現在、日本うつ病学会理事長)ですが、著者によれば、精神科医というのは、患者が病気であるかどうかには関心が薄く、患者の「心の悩み」をどう解決するかが最大関心事であるとのこと。そうした考えに基づき、現代人に多く見られる、或いは近年増えている症例パターンとその治療過程を、精神科外来を訪れた8人の患者のケースで紹介しています。

 それぞれの章に著者が付けたタイトルは、
 ・ パニック・イン・中央線特別快速 (パニック障害、ノイローゼ)
 ・ うつ・ウツ・鬱 (うつ病)
 ・ 耐える母 (自律神経失調症、心身症、アダルト・チルドレン)
 ・ 災難の後遺症 (PTSD)
 ・ 過食の盛典 (過食症、摂食障害)
 ・ 偉大な父の息子 (気分変調症、エディプス・コンプレックス)
 ・ 境目にいる人達 (ボーダーライン)
 ・ 濡れ落ち葉を踏みしめて(仮性痴呆症、老年うつ病)
 となっていて(カッコ内は、同じ章でノートやコラム的に解説されているもので、タイトルの指す症状とは必ずしも意味的にはイコールではない)、学術的な精神疾患の分類系統によらず、現代社会に顕著にみられる病理を横断的に取り上げていることがわかります。

 200ページ足らずの新書でやや詰め込み過ぎかなという感じもあるものの、ケーススタディを中心に据え、「心の悩み」に起因する症状の発生から、それを認知し治癒に至るまでを具体的に書いているため、たいへん理解し易いものとなっています。

 90年代に書かれたものであり、「PTSD」の解釈を広くとっていることなどには当時の傾向を感じますが、全体としては、10年前に書かれたものにしては、比較的現在までを見通した"ラインアップ"になっているように思え、著者の眼の確かさを窺わせます。

 但し、それぞれについて典型例が紹介されているだけとも言え、関心がある分野については、分野ごとの入門書なり専門書を併読しないと、ふわっとした感じの理解だけで終わってしまうかも知れない本でもあります。

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若者の精神病理を示す"流行語"を再整理し、総括概念を提唱。過渡期的産物の本?

正常と異常のはざま.gif 『正常と異常のはざま―境界線上の精神病理 (講談社現代新書)』 ['89年]

正常と異常のはざま 境界線上の精神病理.jpg 精神医学者が、「正常と異常の間」を指す「境界線」の視点から、主に病める現代の青春群像を巡って語ったもので、"現代"と言っても本書の刊行は'89年ですが、この頃から既に、極端な精神病状を示す患者は減っていて、逆に、青春期危機、青い鳥症候群、登校拒否や家庭内暴力など、つまり、正常と異常の境界領域に位置する人が、とりわけ若者を中心に多くなってきていたことが窺えます。

 そうした、若者の精神病理を示す言葉として、その他にも青春期痩せ症(摂食障害)、リストカット・シンドローム、アパシー・シンドローム、ピーターパン・シンドロームなどの様々な病態、症候群が、若者特有のものとして注目されていた時期でもあり、著者は、こうした、あたかも流行語のように氾濫する言葉を、1つ1つ症例を挙げて丁寧に解説しています。

 その上で、これら若者特有の病理を総括的に捉える概念として「青春期境界線症候群」というものを提唱し、それは、子供から大人への過渡期に起きる心の病気で、人格形成の歪みを主因として常軌を逸脱するが、軽症から重症まで幅は広く、と言っても、重症でも生涯にわたって病院と縁が切れないといったものではなく、また、これは社会的不安や変化を背景として多発傾向にある「現代病」であるとしています。

 若者の間で蔓延する精神病態に対し、「現代病」という観点から着目した点は先駆的ですが、用語には現時点ではノスタルジーを感じるものもあり、今ならば、「引きこもり」などが入ってくるのかも(「引きこもる」という言葉自体は本書でも使われているが)。

ボーダーライン障害.jpg 精神医学上の「境界例」と「青春期境界線症候群」の各種との対応関係を整理していますが、この辺りからかなり専門的な話になってきて難しい。
 難しく感じるのは、「境界例」(ボーダーライン)というものの位置づけが、元々、'67年にカーンバークが神経症でも精神病でもないある種の人格障害として「境界線パーソナリティ構造」を提唱したまではともかく、「境界性パーソナリティ障害」としてDSM‐Ⅲ('80年)に組み入れられるに至って、問題行動を横断的に捉えた、単なる診断カテゴリーになってしまった(結果として、「境界」という言葉も、「当初は精神病と神経症の中間にあると考えられたから、そう呼ぶのであって、今では歴史的な意味しか持たない」と言う人もいる)からではないかという気がします。

 本書の中で著者は、発達論から見た「境界例」の発症メカニズムを探ろうとしていますが、実際には「境界例」は外見的な診断カテゴリーとして定着して、観察的基準においてのみその後も修正が行われてきたのであり、その意味では、本書は過渡期的な内容の本になってしまっている面もあります。
 「境界例」を社会における「境界の不鮮明化」とのアナロジーで論じている点も、ちょっとキツイかなあという感じがしましたが、治療に「育てなおし」という概念を入れ、健常な生活へと帰還する道しるべを提供している点は、評価されるべきものであるかと思います

《読書MEMO》
●躁うつ病については、近頃では躁・うつの病相が緩やかになり、典型的な躁病はほとんど見られなくなった。その反面、今日の高度に文明化した余裕のないストレスフルな社会状況を反映して、神経症的な不安や葛藤をはらむ「神経症性うつ病」や、心気症状や心身症状を呈する「仮面うつ病」が増えている。すなわち、(躁)うつ病の発病率は高くなっているが、その一方で正常と異常の中間的な軽症の病像へと変化を生じ、その大半がこれまでの「精神病」の範疇には入らなくなっているのである(17‐18p)
●最近の約30年間を顧みると、そこには、人間一人一人の力ではいかんともしがたい社会の大きなうねりがあり、怒濤のごとく押し寄せてきていることが指摘できる。その社会の大きなうねりは、要するに戦後の制度解体、高度な文明化、経済成長などによってもたらされたもので、生きる規範が不確かとなった"境界不鮮明"、強いていえば"境界喪失""の状態といえるだろう(24‐25p)
●最近の目まぐるしく変化する社会では、大人と子供、男性と女性、世代間の境界、社会的な役割、仕事と遊び、そして季節や昼夜など、ありとあらゆる面で"境界の不鮮明化"が起こり、正常と異常の区別がわからなくなっている。そのために、異常現象や心の病気が急激に増えているのである。こういう正常と異常のはざまについては、これまでにもたびたび論じられ、まさに20世紀後半における精神医学の中心テーマとなっていた。そこで、本書では、原点に戻って、現象的にも、病理的にも共通する「境界線」という視点を導入することで、正常と異常のはぎまを総括的に理解し、それぞれにある微妙な鑑別点や、本来の発達をベースとする治療的アプローチ、家族や周囲の者の留意点などについて述ベてみた(241‐242p)

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「入門書」としてお薦めで、「参考書」的にも使える。殆ど、「実用書」のように読んでしまった。

パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか.jpg 『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)』 ['04年]

 米国精神医学会の診断基準「DSM-IV-TR」に沿った形で、10タイプのパーソナリティ障害を、境界性、自己愛性、演技性、反社会性、妄想性、失調型(スキゾタイパル)、シゾイド、回避性、依存性、強迫性の順に解説していますが、それぞれ「特徴と背景」「接し方のコツ」「克服のポイント」にわけて整理しているので、入門書としてもお薦めですが、後々も参考書的に使えるメリットがあります。

 必要に応じて、有名人の例なども挙げているのがわかりやすく、こうした説明方法は、特定人物に対するイメージに引っぱられる恐れもあるのですが、その前に各パーソナリティ障害の説明にそれなりに頁を割いているので、全体的にバランスがとれているように思えました。

Charlie Chaplin.jpg また、同じタイプの説明でも、例えば、「演技性パーソナリティ障害」では、チャップリン、ココ・シャネル、マーロン・ブランドの例を紹介していますが、この内、チャップリンが、他の2人と異なり、若いウーナとの結婚が相互補完的な作用をもたらし、実人生においても安寧を得たことから、人との出会いによって、パーソナリティ障害であっても人生の充実を得られることを示すなど、示唆に富む点も多かったです。

 個人的には、職場で見ている「問題社員」が、本書の「自己愛性パーソナリティ障害」の記述にピッタリ当て嵌まるので、その部分を"貪るように"読んでしまいました。
 こうした性格の人が上司や同僚であった場合の対処法としては、「賞賛する側に回る」ということが1つ示されていて、これが一番ラクなのかも(余計な仕事が増えたみたいな感じにもなるが)。
 その内、上司もかわるかも知れないし(性格ではなく部署が)。
 但し、同僚や年下の場合、ここまでやらなければならないの?という思いはあります(その点では、自分にとって満足のいくものではなかった。その「問題社員」は、職場の管理職ではなく、スタッフだったから)。

 殆ど、実用書を読むように読んでしまいました。

《読書MEMO》
●「自己愛性パーソナリティ障害の人は非難に弱い。あるいは、非難を全く受け付けない。ごく小さな過ちであれ、欠点を指摘されることは、彼にとっては、すべてを否定されるように思えるのだ。(中略)自己愛性パーソナリティ障害の人は、非難されると、耳を貸さずに怒り出す。なかなか自分の非を受け入れようとはしない」
 「自己愛性パーソナリティ障害の人は、人に教えられることが苦手である。彼はあまりにも自分を特別な存在だと思って、自分を教えることができる存在など、そもそも存在しないと思っている。ましてや、他人に、新米扱いされたり、叱られることは、彼の尊大なプライドが許さないのである」
  「過剰な自信とプライドとは裏腹に、現実生活においては子供のように無能」(104‐105p)
● 「自己愛性パーソナリティの人が、上司や同僚である場合、部下や周囲の者は何かと苦労することになる。自己愛性パーソナリティの人は、仕事の中身よりも、それが個人の手柄として、どう評価されるかばかり気にしているので、本当に改善を図っていこうと努力している人とは、ギャップが生じてしまう。自己愛性パーソナリティの人は、自分の手柄にならないことには無関心だし、得点にならない雑用は、できるだけ他人に押し付けて知らん顔している。おいしいところだけ取って、面倒な仕事や特にならない仕事には近寄ろうともしない」
 「ベラベラと調子のいい長口下を振るうが、機嫌が悪いと、些細なことでも、ヒステリニックに怒鳴り声を上げ、耳を疑うような言葉で罵ったり、見当はずれな説教をしたりするのである」
 「自己愛性パーソナリティの人にとっては、自分の都合が何よりも優先されて当然だと思っているので、周りの迷惑などお構いなし...」(119p)
●「自己愛性パーソナリティ障害の人には、二面性があり、日向と日陰の部分で、全く態度が違う。うまくやっていく秘訣の一つは、その人の日向側に身を置くということである。それは、つまり、相手の厭な側面のことは、いったん問題にせず、賞賛する側に回るということである。そうすると、彼は自分の中の、すばらしい部分をわかる人物として、あなたも、その二段階下くらいには、列せられるだろう。こうして、あなたが、すばらしい自分を映し出す、賞賛の鏡のような存在になると、あなたの言葉は、次第に特別な重みをなすようになる。あなたが、たまに彼の意志とは、多少異なる進言を付け加えても、彼は反発せずに耳を貸すだろう。ただ常に当人の偉大さを傷つけないように、言葉と態度を用いる必要がある」(120‐121p)

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"うつ"の底が抜けると躁になる。つまり、躁の方が深刻だということか。

問題は、躁なんです.jpg 『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ (光文社新書)』 ['08年] 「狂い」の構造.jpg 春日武彦・平山夢明 『「狂い」の構造 (扶桑社新書 19)』 ['07年]

 "うつ"よりも頻度が低いために見過ごされ易い"躁"についての本ですが、著者は、うつ病が「心の風邪」であるならば躁病は「心の脱臼」であるとし、"うつ"の対極に躁があるのではなく、"うつ"の底が抜けると躁になるとしていて(つまり、躁の方が深刻だということ)、その3大特徴(「全能感」「衝動性」「自滅指向」)を明らかにするとともに、有吉佐和子、中島らもなどの有名人からハイジャック事件の犯人まで、行動面でどのようにそれが現れるかをわかり易く説いています。

中島らも.jpg有吉佐和子.jpg 有吉佐和子が亡くなる2カ月前に「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」に出演し、ハイテンションで喋りまくって番組ジャックしたのは有名ですが(橋本治氏によると番組側からの提案だったそうだが)、当時、本書にあるような箍(たが)が外れたような空想小説を大真面目に書いていたとは...。中島らもの父親が、プールを作ると言って庭をいきなり掘り始めたことがあったというのも、ぶっ飛んでいる感じで、彼の躁うつは、遺伝的なものだったのでしょうか。

黒川 紀章.jpg 著者によれば、躁の世界は光があっても影のない世界、騒がしく休むことを知らない世界で、最近では老年期にさしかかった途端にこうした状態を呈する人が増えているとのこと、タイプとしてある特定の妄想に囚われるものや、所謂「躁状態」になるものがあり、後者で言えば、(名前は伏せているが)黒川紀章が都知事選に立候補し、着ぐるみを着て選挙活動をした例を挙げていて、その人の経歴にそぐわないような俗悪・キッチュな振る舞いが見られるのも、躁の特徴だと(個人的に気になるのは、有吉佐和子、黒川紀章とも、テレビ出演、都知事選後の参院選立候補の、それぞれ2カ月後に亡くなっていること。躁状態が続くと、生のエネルギー調整が出来なくなるのではないか)。

黒川紀章(1934-2007/享年73)

 不可解な犯罪で(アスペルガー症候群のためとされたものも含め)、躁病という視点で見ると行動の糸口が見えてくるものもあるとしていますが、やや極端な事例に偏り過ぎで(しかも、自分が直接診た患者でも無いわけだし)、一般の"躁"の患者さんから見てどうなのかなあ。罹患した場合、普段隠している欲望が歯止めなく流れ出していく怖さを強調する一方で、そうした事態に対する患者の内面の苦しみには、今一つ踏み込んでいないように思えます。

 (名前は伏せているが)中谷彰宏氏のように「○○鬱病の時代」とか言って素人が二セ医学用語を振り回すのは確かにどうしようもなく困ったものですが(この発言が本書を書くきっかけになったと「週刊文春」の新刊書コーナーで語っている)、著者自身も、時代の気質の中でこの病を捉えようとしている面があり、その分、社会病理学な視点も含んだ書きぶりになっていて、その点が入門書としてはどうかなあという印象もありました。

 著者自身は、「躁に関心があるのは、怖いもの見たさのようなものがある」といったことを、同じ文春の誌面で語っていて、そのことは、作家・平山夢明氏との対談『「狂い」の構造-人はいかにして狂っていくのか?』('07年/扶桑社新書)を読むと、人間の狂気そのものへの著者の関心が窺えます。但し、この対談では、平山氏の異常性格犯罪に対するマニアックな関心の方が、それ以上に全開状態で、著者が平山氏と歩調を合わせて、自らの患者になるかも知れない人間を「ヤツ」呼ばわりしているのが気になった。

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「サディスティック・パーソナリティ障害」についての知識面で得るところがあった。

サディスティックな人格―身のまわりにいるちょっとアブナイ人の心理学.jpg  Theodore Millon.jpg Dr. Theodore Millon
サディスティックな人格―身のまわりにいるちょっとアブナイ人の心理学』 ['04年] 

Disorders of Personality DSM-IV and Beyond.jpg やたらキレて部下に怒鳴り散らす、或いは延々と小一時間ばかりも(それぐらいで済めばまだいい方)説教する"クセ"がある人を職場で見たことがありますが、自信家で実際に仕事は出来て押し出しも強いので、要職を歴任している、しかし、行く先々の部署で部下は次々と辞めていき、そして最後は自分も辞めざるを得なくなったのですが、「役員候補なのにもったいなかった」と見る人もいれば、「もともと病気(癪)持ちなんだ」と見る人もいて、本書を読んで、あれは"クセ"とか"病気"とか言うより、「人格障害」だったのかなあと。

 本書は、臨床心理士である著者が、「サディスティック・パーソナリティ障害」「受動攻撃性パーソナリティ障害」について書いた本で、これらは、著者が日本に紹介している、人格障害理論の世界的権威で元ハーバード大学精神医学教授のセオドア・ミロン(Theodore Millon、米国精神医学会の診断基準DSM-IIIにおける人格障害部門の原案作成者)がパーソナリティ障害の類型とした14のタイプに含まれるものですが、当初、DSMに入っていたものが、DSM-IV以降、削られているとのこと。本書では、ミロンの著書(『パーソナリティ障害-DSM-IVとそれを超えて』) などをベースに、この2つの性格障害について、例を挙げながら解説しています。 "Disorders of Personality: Dsm-IV and Beyond (Wiley-Interscience Publication)"

 個人的には、「サディスティック・パーソナリティ障害」は「自己愛性パーソナリティ障害」の攻撃が外に向かうタイプと変わらず、それが、DSMから削られた理由だと思っていましたが、本書を読んで、やはり違うなと(ミロンは、「反社会性パーソナリティ障害」に近いものとしているが、実際、本によっては、「自己愛性」とグループ化しているものもある)。
山口美江0.jpg 冒頭で著者によって取り上げられているタレント(山口美江(1960-2012/享年51))などは、言われてみれば確かにミロンが、「サディスティック・パーソナリティ障害」のサブタイプの1つに挙げている「キレるサディスト-癇癪持ち」にピッタリ嵌まります(ような気がする)。
 ミロンはその他に、暴君系サディスト、警官役サディスト"など幾つかのサブタイプを挙げていますが、こうして見ると、権威や権力志向に直結し易い分、職場においてはかなりやっかいなタイプだなあと思いました。

 一方、「受動攻撃性」というのは、これもまた難物で、表れ方としては、すね者であったり天邪鬼であったりするのですが、受身でいながら主体性を実感したいというのが根底にあるとのこと、但し、本書を読んでも、「サディスティック・パーソナリティ障害」ほどは明確に性格障害としてのイメージが掴みにくく、むしろ、対人心理学のテーマであるような気も正直しました(ミロン自身が、精神医学ではなく臨床心理学の出身)。

 「予備知識が無くても読めるアカデミックなもの」から、完全に「一般読者向けのもの」へと、執筆途中で方針転換したとのことで、個人的には「サディスティック・パーソナリティ障害」について得るところがあり、海外の専門書を平易に解説してくれているのは有難いが、使い回しの内容もある割には価格(2,100円)が少し高いのでは? この後、同じテーマで新書なども書いているので、そちらと見比べて購入を決めた方がいいです。

 因みに、著者が講師を勤めたの最近の市民講座(ウェブ講座)におけるパーソナリティ障害の講義では、ミロンのパーソナリティ分類から11個を選び、元東大学医学部助教授の安永浩が提案した性格類型である「中心気質」を加え、下記の12個を解説していますが、こうなると、先生ごとに分類の仕方は異なってくるということか...。

 ① 自己愛性 (プライドが高く理想を追うお殿様な人たち)
 ② 依存性 (自信がなく他人に助けてもらうために調子を合わせる)
 ③ 自虐性 (禁欲的でまじめだが苦労ぶりをアピールする一面も)
 ④ 加虐性 (自信家で競争心の強い仕切りたがり屋)
 ⑤ 強迫性 (手抜きをしない完璧主義者だが慎重過ぎ柔軟性に欠ける)
 ⑥ 演技性 (社交的な目立ちたがり屋、ノリはいいが計画性・ポリシー欠如)
 ⑦ 反社会性 (自主独立の改革者にもなりうるが既存のルールを軽視しがち)
 ⑧ 回避性 (繊細だが対人関係に過敏、内面に閉じこもる)
 ⑨ 中心気質 (熱中人間、飾り気がなく素朴で小技に乏しい)
 ⑩ シゾイド性 (物静かで社交嫌い、観念活動を好む)
 ⑪ 拒絶性 (自尊心はあるが周囲に逆らうあまのじゃく)
 ⑫ 抑うつ性 (安全志向だが悲観的でめげやすい)

《読書MEMO》
●章立て
 第1部 サディスティック・パーソナリティ障害
 第1章 サディスティック・パーソナリティとの出会い
 第2章 サディスティック・パーソナリティはどうつくられるのか
 第3章 サディスティック・パーソナリティの基本的特徴
    3.1 まわりの人は落ち着けない
    3.2 威嚇的な対人関係
    3.3 視野の狭い主義主張をふりかざす
    3.4 サディストの自己イメージは「ファイター」
    3.5 他人はみんな「狼」
    3.6 相手を傷つけても罪悪感を免れる心理テクニック
    3.7 攻撃性が強すぎて不安定
    3.8 感情が沈みこむことはなく、常に興奮と苛立ちに満ちている
 第4章 サディスティック・パーソナリティの六タイプ
    4.1 キレるサディスト
    4.2 暴君系サディスト
    4.3 警察役サディスト
    4.4 臆病サディスト
    4.5 自己抑制的なサディスト
    4.6 マゾヒスティックなサディスト
    4.7 ノーマルなサディスト
    4.8 サディスティック・パーソナリティと他のパーソナリティ障害との違い
 第5章 【応用編】長崎女児殺害事件とサディスティック・パーソナリティ
第2部 受動攻撃性パーソナリティ障害
 第6章 受動攻撃性パーソナリティとは何か
 第7章 受動攻撃性パーソナリティはどうつくられるのか
 第8章 受動攻撃性パーソナリティの基本的特徴
    8.1 憤慨を露わにする
    8.2 へそ曲がりな対人行動
    8.3 斜に構えた現実認識
    8.4 「不遇な人生」という自己規定
    8.5 揺らぎと迷いに満ちた心的活動
    8.6 代用的な発散によってしか心理的バランスがとれない
    8.7 休む間もない不安定さ
    8.8 苛立ちやすさ
 第9章 受動攻撃性パーソナリティの四タイプ
    9.1 サボタージュ・タイプ
    9.2 当り散らすタイプ
    9.3 評論家タイプ
    9.4 不安定タイプ
    9.5 ノーマルな受動攻撃性パーソナリティ
 第10章 【応用編】綿矢りさ『蹴りたい背中』と受動攻撃性パーソナリティ

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患者から聞きだした解離の主観的体験から、不思議な病像の特徴と構造を分析。

解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理.jpg 『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書 677)』 ['07年]

 解離性障害と言うと、多重人格者犯罪など、一般人とはかけ離れた、想像もつかないような人格を思い浮かべがちで、5つの中核的な症状(健忘・離人・疎隔・同一性混乱・同一性変容)を聞いても、今一つぴんと来ない―。解離性障害を描いた映画もあったが、あまりに綺麗に作られているような...。

パンズ・ラビリンス.jpg ところが、多くの解離性障害を診てきた専門医である著者は、我々が過去の出来事を想起する際などにも「離れたところから自分を見ている」ように出来事を思い出すことを指摘し、一般人の時空の認知などにも、ふっと似たような状況が現れることを示していて、これはなかなか新鮮な指摘でした。

 映画「パンズ・ラビリンス」('06年/メキシコ他)

 著者は、解離性障害の既成の定義(5つの中核的な症状)に飽き足らず、自らの臨床経験をもとに、患者から聞きだした解離の主観的体験から、その幾つかの特徴に迫り(副題の「うしろに誰かいる」というのも、その特徴の1つである「気配過敏症状」の代表例)、更に、解離の症状を、空間的変容と時間的変容にわけて、それぞれの構造を分析しています。

 本書によれば、解離性障害は、幼児期の虐待などの心的外傷によって引き起こされることが多いようですが、ボーダーライン(境界性人格障害)や統合失調症などと似た症状を呈することが多く、その診断が難しいようです(著者自身、解離の主観的体験が解離に特異的なものであるとは考えていないという)。

宮沢賢治.jpg 中盤の「解離の構造分析」のところは、哲学的考察も含んでやや難解でしたが、後半に、宮沢賢治の作品を「解離」を通して読み解く試みがなされていて、これがたいへん興味深いものであり、また「解離」とは何かを理解する上で助けになるものでした。
 宮沢賢治作品のこうした側面は、以前に河合隼雄氏が指摘していた記憶があり、また、立花隆氏も『臨死体験』('94年)で、体外離脱体験者でなければ書けない部分を指摘していたように思いますが、本書では、かなり突っ込んで、その辺りに触れています(但し、賢治を解離の病態とすることには、著者は慎重な立場をとっている)。

24人のビリー・ミリガン下.jpg でも、やはり、ダニエル・キースの『24人のビリー・ミリガン』ではないが、多重人格症状を示す患者に対し、本書にも事例としてあるように、各人格を交代で呼び出してカウンセリングする様などを思い受かべると、実に不思議な気がし、著者自身、解離性ヒステリーの患者に初めて出会ったとき、「世にはこんなにも不思議な心の世界があるんだ」と心の中で呟き、後に総合病院の精神科で、多彩な解離の病像を繰り広げる患者とまみえて、この世界に引き寄せられたことを、あとがきで告白しています。

《読書MEMO》
●解離の主観的体験(65P)
離隔 世界がスクリーンに映る映像のように見え、著しくなると、視野の中心しか見えなくなり、更に、体外離脱の方向に向かうと、視野が拡大して、その中に自分がいる。
気配過敏症状 家の中で一人でいるとき、誰かがいるという気配を感じる。トイレや風呂で除かれている気がする。後ろに意地悪い人がいる。
対人過敏症 駅や電車の中、デパート、病院の待合室など、人が大勢いるところで、漠然とした緊張や怯えを感じる。
影が見える 目の前を影がさっと過ぎる。視野の端に、影らしきものがさっと動く。
表象幻視 過去の記憶や想像などが、まるで見えるかのように頭に浮かんだり、次々と展開したりする。
体外離脱体験 自分の体から抜け出して隣の部屋へ行ったり、夜の空を飛んだりする。
自分を呼ぶ声が聴こえる 誰もいないのにどこからか自分を呼ぶ声がする。
思考・表象が湧き出る 空想が湧き出る。頭の中にいろいろな映像が出てきて収拾がつかなくなる。

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『人格障害の時代』の前半は「人格障害」の入門書として読みやすい。後半は要注意?

人格障害の時代.jpg          自己愛型社会.jpg        岡田 尊司.jpg 岡田 尊司 氏 (略歴下記) 
人格障害の時代 (平凡社新書)』['04年]『自己愛型社会―ナルシスの時代の終焉 (平凡社新書)』['05年]

 本書の前半部分は、「人格障害」の入門書として読み易いものでした。
 DSM‐Ⅳ(米国精神医学会の診断基準)に定義される10タイプの人格障害について、いきなりそれらを個々述べるのではなく、「自己愛」や「傷つきやさ」、「両極端な思考」など、それらに共通する特徴を最初に纏めています。

 また「妄想・分裂」もその特徴であるとしていて、米国の精神医学者カーンバーグが、こうした「妄想・分裂」を特徴とする人格障害を、神経症レベルと精神病レベルの境界段階にある「境界性人格構造」として理論化したのですが、この考えに従えば、人格障害の多くがこの境界レベルにあると言えると(但し、狭義の"境界性"は、現在は、人格障害の1つのタイプとして位置づけられている)。

ウィトゲンシュタイン2.jpg 引き続き、3群10タイプの人格障害を、妄想性、統合失調型(スキゾタイパル)、統合失調質(シゾイド)、自己愛性、演技性、境界性、反社会性、回避性、依存性、強迫性の順に、それぞれ典型的な臨床例を挙げて解説していますが、症例とは別に、ヴィトゲンシュタイン(シゾイド)、ワーグナー(自己愛性)、マドンナ(演技性)、ゲイリー・ギルモア死刑囚(反社会性)といった有名人に見られる人格障害の傾向を解説に織り込んでいたりして、興味深く読めます(但し、ヴィトゲンシュタインは、近しかった人による評伝を読んだ限りでは、個人的な印象は少し異なるのだが)。
ヴィトゲンシュタイン

MADONNA.gif 特にマドンナの"演技性人格障害"に関しては、「診断概念より、マドンナの方が、ずっと先をいっている」としています(『マドンナの真実』という本をもとにしているのだが)。
 彼女は厳格で保守的な家庭に生まれましたが、幼い頃に母が他界し、その頃から父親に対する執着が強まり父親を独占しようとしていたそうで、それが、彼女が9歳の時に父親が家政婦に来ていた女性と再婚したために、堅物だと思っていた父に裏切られたという思いから、性的放縦や非行に走るようになったとのこと。それでも学校の成績は良かったが(彼女のIQは140超だそうな)、失われた親の愛を性的誘惑によって取り戻したいという願望が彼女をスターの道に導き、スターになってからもあらゆる男性に対する誘惑行為を果てしなく繰り返すが満たされない―ということらしく、このタイプは、映像メディアの世界に多いそうです。
マドンナ

 著者は、「人格障害の角度から社会を眺めることは、現代社会のまったく新しい理解を提供すると思っている」(11p)とのことで、本書の後半は、うつ病や依存症などと人格障害との相関を述べていて、まだこの辺りはいいのですが、非行、引きこもり、児童虐待、幼児性愛などとの関連を述べつつ、これらの増加傾向が社会の変化と無関係ではないことを強調するあまり、恣意的な分析も入った哲学的・主観的な社会論になっているきらいも大いにあります。
 このことは、『人格障害の時代』という本書のタイトルからも充分に予想できたことですが、本書の後半は、自分なりの批評眼をもって読む必要があるかも。

 本書の翌年に刊行された『自己愛型社会-ナルシスの時代の終焉』('05年/平凡社新書)では、古代ローマ、オランダ、アメリカの各社会を自己愛の肥大した「自己愛型」社会として捉えていますが、個人の症候である「自己愛型人格障害」で使われる"自己愛型"という意味を、そのまま国家社会に当て嵌めて論じているのは、ややオーバーゼネラリゼーションであるような気がし、こうしたやや強引な点も、この著者にはあるのではないでしょうか。

 歴史蘊蓄を披瀝している部分は"勉強"になりましたが、歴史コンプッレックスのある人が読むとそのまま書かれていることの全てを真に受けてしまうのではないかと、老婆心ながら思った次第。
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岡田 尊司 (おかだ たかし)
 1960年香川県生まれ。精神科医。医学博士。東京大学哲学科中退、京都大学医学部卒業。同大学院高次脳科学講座神経生物学教室、脳病態生理学講座精神医学教室にて研究に従事。現在、京都医療少年院勤務。著書に『人格障害の時代』(平凡社新書)『パーソナリティ障害』(PHP新書)。心のエクササイズのため、小笠原慧のペンネームで小説を執筆。『DZ』『手のひらの蝶』(ともに角川書店)『サバイバー・ミッション』(文藝春秋)などの作品がある。

《読書MEMO》
●人格障害の共通項(32p)
 1.自分への強い執着(自己愛)/2.傷つきやさ・過剰反応/3.両極端な思考
●人格障害のタイプとケース
妄想性:信じられない病(ケース:夫になったストーカー)
統合失調型(スキゾタイパル):常識を超えた直感人(ケース:不思議な偶然に悩む女性)
統合失調質(シゾイド):無欲で孤独な人生(ケース:聖人君子)
自己愛性:賞賛以外はいらない(ケース:パニック発作に悩むワンマン経営者)
演技性:天性の誘惑者にして嘘つき(ケース:嘘で塗り固めた虚栄人生)
境界性:今その瞬間を生きる人(ケース:愛を貪る少女)
反社会性:冷酷なプレディター(ケース:反逆した教師の息子)
回避性:傷つきを恐れる消極派(ケース:冷たい女の正体)
依存性:他人任せの優柔不断タイプ(ケース:ローン地獄の女性)
強迫性:生真面目すぎる頑張り屋(ケース:女王蜂に見捨てられた働き蜂)

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「人間関係を築けないという障害」の特徴と治療について平易に解説。

自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本.jpg自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本 (健康ライブラリー イラスト版)』〔'07年〕

 イラストを交え平易に解説した一般向けガイドブックで、「健康ライブラリー」の1冊ですが、同じシリーズに「パーソナリティ障害のことがよくわかる本」がありながら、「自己愛性パーソナリティ障害」を別立てでフィーチャーしているところがミソ。
 この障害に絞って書かれた一般書が少ない中、いきなり専門知識ゼロでも読める本が出たのは、それだけ人間関係に悩んでいる人が多いということなのでしょうか(実際、価値観、家族関係などの社会的変化に伴って、患者数は増加傾向にあるという)。

 「自己愛性パーソナリティ障害」は健康な人間関係を築けないという障害であり、本書によれば、根本にあるのは「愛しているのは自分だけ」という思いで、タイプとしては、次の2つの両極端な現れ方をするとのこと。
 〈周囲を気にかけないタイプ〉 極端に自己中心的。他者から賞賛を求めるが、他者への配慮はなく、傲慢・不遜な態度が目立つ。
 〈周囲を過剰に気にするタイプ〉 気にしているのは他者の目に映った自分の姿。内気に見えるが、尊大な自己イメージを持っている。

 その外のパーソナリティ障害に比べ「自己愛性パーソナリティ障害」は中年層に多いらしく、治療は薬事療法によることもあるが、治療の柱となるのは精神療法で、家族ぐるみの対応が重要となり、批判や説教をすることはタブーであるとのこと。

 「境界例」などと言われる「境界性パーソナリティ障害」は、引き離されること、失うことに過剰反応し、他者に依存しがちであるというのが特徴ですが、自己中心的で、対人関係の問題から情緒不安を招くという点では「自己愛性」に似ているため、実際の区別は難しいとも書かれています。

人格障害かもしれない.jpg 「自己愛性」における〈周囲を気にかけないタイプ〉の代表例が、シェイクスピアの『リア王』のリア王で、〈周囲を過剰に気にするタイプ〉の代表例が、太宰治の『人間失格』の主人公・葉蔵だそうです。
 精神科医の磯部潮氏が『人格障害かもしれない』('03年/光文社新書)の中で、太宰自身を、「境界性人格障害+自己愛性人格障害」としていたのを思い出した―。

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自傷行為に対する本人・周囲・専門医の果たすべき役割と留意点が具体的に。

リストカット.jpg 『リストカット―自傷行為をのりこえる (講談社現代新書 1912)』 〔'07年〕

 自傷行為に関する本は、少なくとも日本においては、一部に研究者向けの専門書があるものの一般向きの本は少なく、あるとすれば、社会学的見地から書かれた評論風のものや自傷者本人が書いた情緒的なエッセイが多いのでは。
 本書は、タイトルは「リストカット」ですが、「緩やかな自殺」などを含む自傷行為全般を扱っていて、それはどうして起こるのか、どうやって克服するかが一般向けに解説された、精神科医(とりわけ自傷行為の専門家)による本です。

monroe.jpgダイアナ妃の真実.jpg とは言え、「リストカット」は自傷行為の"代表格"であるには違いなく、本書で事例として登場するダイアナ妃もリストカッターだったわけです(彼女については、最終的には自傷行為を克服した例とされている)。
 この他に、自殺未遂を繰り返したマリリン・モンローのケースなどが取り上げられていて(『卒業式まで死にません』('04年/新潮文庫)の「南条あや」と)、入り口として一般読者の関心を引くに充分ですが、同時に、様々ある自傷行為の原因を大別すると〈社会文化的要因〉と〈生物学的要因〉がある(とりわけ精神疾患やパーソナリティ障害と高い相関関係がある)という本書の趣旨に沿うかのように、ダイアナ妃、M・モンローの2人ともが、両方の要因が複合した典型例であったことがわかります。

 著者自身の臨床例もモデルとして3タイプ紹介されていて、何れも、治療関係の構築、自傷行為に走る心理要因の把握(自傷行為は心理的な苦痛を軽減させるために行われることが多い)から入り、長期にわたる根気強い治療により自傷を克服するまでのプロセスが描かれていますが、著者自身は、自傷行為への取り組みに最も影響力があるのは本人であり、次に大きな力になるのは家族・友人・教師といった周囲の人々であり、本書で示した精神科療法は、そうした自己及び周囲の働きかけを援助するものに過ぎないというスタンスであり、これは、カウンセリング理論にも通じるところがあるなあと思いました。

 こうした本において、自傷行為と精神疾患の関係を解説した箇所などはどうしても専門用語が多くなりがちですが、本書においては、この部分の原因論的解説は簡潔にし、自傷行為の克服について、本人、周囲、専門医のそれぞれの果たすべき役割と留意点を具体的に述べることに重きを置き、とりわけ、本人と周囲の援助者に向けては、最後に呼びかけるようなかたちをとるなど、一般読者への配慮が感じられる良書だと思います。

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解説自体はオーソドックスだが、実在者への当て込みには恣意的。

人格障害かもしれない.jpg  『人格障害かもしれない (光文社新書)』 〔'03年〕

 本書では、米国精神医学会の診断基準DSM-IVに沿って人格障害を10タイプに分け、それぞれの特徴や治療面でのアプローチについて述べています。
 その中でも多い「境界性人格障害」については、見捨てられることへの不安、不安定な対人関係、言動や性格に一貫性がない、衝動性、慢性的な空虚感などの特徴を挙げていますが、そうした不安定な共生依存関係が維持されている間は、他の面ではうまくいっていることが多いという指摘は興味深いものでした。
 それぞれの解説自体はオーソドックスです。

尾崎豊.bmp 人格障害には光と影の部分があるとし、影の部分として宅間守や麻原晃光などの凶悪犯がそれぞれどのタイプの人格障害に当たるかを示していますが、光の部分(創造性発揮につながったケース)として尾崎豊、太宰治、三島由紀夫を挙げています。

 例えば尾崎豊は、境界性人格障害による強度の見捨てられ不安だったと。
yukio mishima2.jpgdazai.bmp ただこの3人の最期を考えると、自分は人格障害かも知れないと思っている人は喜んでいいのかどうか。
 "光の部分"の例としてはどうかという気もするし、こうした実在者への当て込み自体がかなり主観的であると感じました。
 このことは、実際の診断において医師の主観が入ることを示しているとも思いました。

《読書MEMO》
●人格障害の種類... 
・A群...妄想性・分裂病質・分裂病型
・B群...境界性・反社会性・自己愛性・演技性
・C群...回避性・強迫性・依存性
●《境界性人格障害》の特徴=極端で不安定な共生依存関係、そうした不安定な状態にある間、その他の面はうまくいっていることが多い/20代・30代ぐらいの女性に多い母子共生関係
●《境界性人格障害》とは「精神病」と「神経症」の中間?→正常からの逸脱
●《境界性人格障害》のすべてが犯罪を犯すわけではない
●新潟女児監禁事件の《佐藤宣行》...「分裂病型・人格障害」
●池田小学校児童殺傷事件の《宅間 守》...「妄想性・人格障害」
●《麻原彰晃》...「自己愛性・人格障害」
●連続幼女誘拐殺人の宮崎 勤...「多重・人格障害」(今田勇子)
●神戸連続児童殺傷事件の《酒鬼薔薇少年》...「行為障害」、成人ならば「反社会性・人格障害」
●尾崎 豊...境界性人格障害(強度の見捨てられ不安)/●太宰 治...境界性人格障害+自己愛性人格障害/●三島由紀夫...自己愛性人格障害

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映画の分析などに、元アーティストとしての性が感じられる。
みんなの精神科.jpg みんなの精神科.JPG みんなの精神科2.jpg 危険な情事 (扶桑社ミステリー).jpg  レナードの朝 dvd.png
みんなの精神科-心とからだのカウンセリング38』 〔'97年〕『みんなの精神科―心とからだのカウンセリング38 (講談社プラスアルファ文庫)』〔'00年〕 H・B・ギルモア『危険な情事 (扶桑社ミステリー)』(ノベライゼーション) 「レナードの朝 [DVD]

 タイトルからも察せられる通り、趣旨としては、精神科医に対して抱く一般の心理的な垣根を低くし、〈橋渡し機能〉としてもっと活用してもらいたいというものです。

 "一億総精神科受診時代"が来ることで、むしろ自分は正常で他人のことをおかしいとする単純な〈排除〉の論理を排除できるのでは、という考えはわかりますが、全体のトーンとしては文化論、社会論を含むエッセイ風読み物で、本当に書きたかったことが何なのか、今ひとつ見えにくい部分もあります。

 一方、尾崎豊の破綻に至る心理分析や、映画「レインマン」('88年/米)の作り方に対する言及、「危険な情事」('87年/米)に見る隠されたメッセージの解釈には、精神科医としてだけでなく元アーティストとしての性も感じられ、すべてには賛同できないまでも、なかなか面白く読めました。

Fatal Attraction.bmp とりわけ個人的に興味深かったのは、映画「危険な情事」(Fatal Attraction)(邦題が凡庸ではないか? 原題は「死にいたる吸引力」)の主人公のマイケル・ダグラス演じる、軽い気持ちで一夜を共にした女性からのストーカー行為に苦しめられる男性を、彼自身がパラノイア、妄想性人格障害であると見ている点です。 
 普通ならば、主人公を執拗にストーキングするグレン・クローズ演じる女性の方を、典型的な境界性人格障害であると見そうな気がしますけれども、精神科医だからこそ、ちょっと視点を変えた見方ができるのでしょうか。
危険な情事 dvd.jpgFATAL ATTRACTION.jpg 個人的には、グレン・クローズの鬼気迫る演技に感服しながらも、ペットのウサギを鍋で煮たのは映画とは言え後味が悪く、最後の湯舟からガバッと起き上がるところで、これはあり得ないと思い、この映画に対する評価はあまり高くなかったのですが、そっか、主人公の被害妄想だったのか、ナルホド。
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 穿った見方をすれば、こうした独特の作品分析などが、本当に書きたかったことではないかと...。 但し、「レナードの朝」(Awakenings、'90年/米)に関する記述などは、当時の精神医療の在り方がどのようなものであったかを、専門医の立場からきちんと解説しています。

レナードの朝 dvd.jpg この作品は、医師・オリバー・サックス著作の医療ノンフィクションで(この人は「レインマン」制作の時にアドバイスを求めに来たダスティン・ホフマンに対して、自閉症者を演じることの困難を説いている)、英国でハロルド・ピンターが戯曲化していますが、今度は米国でペニー・マーシャル監督が内容を再構成したフィクションという形で映画化したものです。「レナードの朝 PPL-12460 [DVD]

 ブロンクスの慢性神経病患者専門の病院に赴任してきたマルコム・セイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)が、30年間眠り続けた患者レナード(ロバート・デ・ニーロ)に対し、未認可のパーキンソン病の新薬を使うことで彼の意識を呼び戻し、レナードが女性に恋をするまでに回復させるが、やがて...。

レナードの朝 0.jpg 著者はここで、精神病の症状の多様性と、多くの医師が異なった精神病観を持っていることを強調したうえで、セイヤー医師の処方を評価しています。一方、ここからまたやや映画ネタになりますが、この作品でアカデミー賞にノミネートされたのがロバート・デ・ニーロだけだったのに対し、ロビン・ウィリアムズの方が演技が上だったという意見が多くあったことを指摘し、実は2人の関係が作品の中で対になっているとしています。これは、医師中心に描いた「逃亡者」や患者中心に描いた「レインマン」など映画が医師・患者のどちらか一方の視点から描いているのが通常でレナードの朝02.jpgあるのに対して珍しく、更に、医師と患者が相互に補完し合って共に治療法を見つけていくという意味で、医師に患者性があること(セイヤー医師はネズミ相手の実験ばかりして他者とのコミュニケーションが苦手な独身男として描かれている)の重要性を説いています(スゴイ見方!)。

レナードの朝 2.jpg 個人的には、女流監督らしいヒューマンなテーマの中で、やはり、障害者を演じるロバート・デ・ニーロの演技のエキセントリックぶりが突出しているという印象を受けました。この作品で、ロバート・デ・ニーロがセイヤー医師の役のオファーがあったのにも関わらずレナードの役を強く希望し、ロビン・ウィリアムズと役を交換したというのは本書にある通りで、著者はそのことも含め「どちらが患者でどちらが医師であってもおかしくない作品」としているのが興味深いです。おそらく著者はセイヤー医師に十二分に肩入れしてこの作品を観たのではないでしょうか(同業者の役柄に感情移入するのは普通は当然のことだろう)。その上で、ロビン・ウィリアムズの演技は著者の期待に沿ったものだったのかもしれません(デ・ニーロもさることながら、ロビン・ウィリアムズも名優である)。
   
危険な情事 9.jpg 「危険な情事」●原題:FATAL ATTRACTION●制作年:1987年●制作国:アメリカ●監督:エイドリアン・ライン●製作:スタンリー・R・ジャッフェ/シェリー・ランシング●脚本:ジェームズ・ディアデン ほか●撮影:ハワード・アザートン●音楽:モーリス・ジャール ●原作:●時間:119分●出演:マイケル・ダグラス日劇プラザ   .jpg有楽町マリオン 阪急.jpgグレン・クローズ/アン・アーチャー/スチュアート・パンキン/エレン・ハミルトン・ラッツェン/エレン・フォーリイ/フレッド・グウィン/メグ・マンディ●日本公開:1988/02●配給:パラマウント映画 ●最初に観た場所:有楽町・日劇プラザ (88-04-10)(評価:★★★)
日劇プラザ 1984年10月6日「有楽町マリオン」有楽町阪急側9階にオープン、2002年~「日劇3」、2006年10月~「TOHOシネマズ日劇・スクリーン3」

レナードの朝03.jpg 「レナードの朝」●原題:AWAKENINGS●制作年:1990年●制作国:アメリカ●監督:ペニー・マーシャル●製作:ウォルター・F・パークス/ローレンス・ロビン・ウィリアムズ  1.jpgラスカー●脚本:スティーヴン・ザイリアン●撮影:ミロスラフ・オンドリチェク●音楽:ランディ・ニューマン●原作:オリヴァー・サックス●時間:121分●出演:ロバート・デ・ニーロ/ロビン・ウィリアムズ/ジュリー・カブナー/ルース・ネルソン/ジョン・ハード/ペネロープ・アン・ミラー/マックス・フォン・シドー/アリス・ドラモンド/ジュディス・マリナ●日本公開:1991/04●配給:コロムビア・トライスター映画(評価:★★★☆)
Robin Williams

 【2000年文庫化[講談社+α文庫]】

《読書MEMO》
●『レインマン』に出てくる面白いエピソードは20人の自閉症患者と20年付き合ってやっと得られるもの
●『レナードの朝』で当初デ・ニーロがセイヤー博士をやる予定だったが、彼はレナード役(嗜眠性脳炎の患者)を欲し、ロビン・ウィリアムスが博士役になった
●『危険な情事』=道成寺と同じ、パラノイア・妄想(実は男の方が狂っている)だという解釈

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新しい型の「やさしさ」を通して現代人の価値意識の変化を探る。

やさしさの精神病理.jpg 『やさしさの精神病理 (岩波新書)』 〔95年〕 大平 健.jpg 大平 健 氏 (精神科医/略歴下記)

 精神科医である著者の面接室を訪れた患者の症例を通して、彼らがしばしばこだわる "やさしい関係"とは何かを考察しています。

 彼らが言う"やさしさ"とは、例えば、席を譲らない"やさしさ"であったり、親から小遣いをもらってあげる"やさしさ"であったり、好きでなくても結婚してあげる"やさしさ"であったり、ポケベルを持ち合いながらそれを使わない"やさしさ"であったりします。
 旧来の「やさしさ」が他人と気持ちを共有する連帯志向の言わば"ホット"なそれであったのに対し、彼らの"やさしさ"は、相手の気持ちに立ち入らず、傷つけないように見守る"ウォーム"な「やさしさ」であると著者は言います。

 彼らにとって、一見「やさしそう」な人は「なにかうっとーしく」敬遠したくなるような感じがする人であり、彼らはそうした「無神経な人」を避け、彼らなりの"やさしさ"を理解できる人としか付き合わないが、その関係は必ずしも安定的ではなく、些細なことで関係はこじれる。
 その際に相談相手のいない彼らは、"ホット"なイメージのカウンセラーよりも"クール"な印象を持つ精神科医を訪ねることが多いとのことです。

 「時代の気分」と言われるまでに"やさしさ"が横溢する世の中の背後に、「相手にウザイ思いをさせたくない」という新しいタイプの「やさしさ」があるという。精神科の面接室からそれを考察するという意味では確かにこれは一種の"病理学"なのかもしれません。
 どんなに親しい人の前でも本当の自分は出さないという彼らは、やがて自分とは何かも分からなくなり「自分探し」の旅にはまり込んでいく...。

 こうしたスパイラルに対する解決方法を著者が自ら示しているわけではありません(それは正統的なカウンセリング姿勢とも言える)。
 紹介された事例には、フィクションの要素も入っていると思われます。
 また、軽度のものから完全な分裂症までこの1冊に含まれてしまって、それが良かったのかどうかは疑問です。
 それらを考慮しても、現代人の人間関係における価値意識の変化を探るうえでの示唆を含んだ1冊ではあると思いました。
_________________________________________________
大平 健 (おおひら・けん)精神科医・聖路加国際病院精神科部長
1949年鹿児島県生まれ。1973年東京大学医学部卒業。著書に『豊かさの精神病理』『やさしさの精神病理』『純愛時代』(以上岩波新書)、『診察室にきた赤ずきん』(早川書房)。近著に『ニコマコス恋愛コミュニケーション』(岩波書店)があり、複雑なこころの問題を柔らかな語り口で解き明かしている。

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キャラクター小説のように読め、面白くもあり、危うくもある"作品"。

24人のビリー・ミリガン上.jpg 24人のビリー・ミリガン下.jpg 単行本['92年]The Minds of Billy Milligan.jpg "The Minds of Billy Milligan"
24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録〈上〉』『24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録〈下〉
中国語版
24個比利.jpg ベストセラー小説アルジャーノンに花束を』('78年/早川書房)は、面白かったし、しみじみとした気分にもなった本でしたが、本書は同じ著者によって1981年に発表されたノンフィクションで、"多重人格"という言葉を世に広めた本だとされています。本書も『アルジャーノン...』と同様に、世界的ベストセラーになりました。 

 本書では「多重人格性障害」という用語を使っていますが、米国精神医学会はその後、診断基準DSM-IVにおいて「解離性同一性障害」と呼称変更しています。分裂した個々の"人格"は正しい意味での(独立し統合化された)"人格"とは言えないので、"多重人格"という表現は正確さを欠くということでしょう。考えてみれば至極当たり前なことかも。
                      
The Minds of Billy Milligan.jpg でもこの本の著者は、むしろそうした考えとは逆の方向へ行っている気もします。この本自体がキャラクター小説のようにも読めるのです。だから、すごく面白いのですが...。

 話している相手(ビリー)が"今どのキャラなのか"すぐには分からないというのには、かなりスリリングな衝撃を受けました。もちろん1人の青年の脳の中で起きていることだと分かっているのですが、まるで1つの施設のようんなところで共同生活している幼児から青年までの男女が順番に登場してくる舞台劇みたいですし(単行本下巻の表紙絵がそうしたイメージをよく表している)、その中で誰が犯人なのかを追うミステリーのようにも読めます。

 ノンフィクションでありながら、著者の作家性を感じないわけにはいかないし、その分ひきこまれる面白さもあり、危うさもある「作品」だと思います。

"The Minds of Billy Milligan"

 【1999年文庫化[ダニエル・キイス文庫(上・下)]】

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企業などでメンタルヘルスを担当されている方には参考になると思える。

退却神経症.jpg 退却神経症―無気力・無関心・無快楽の克服』 講談社現代新書〔'88年〕 笠原 嘉.gif 笠原 嘉(よみし) 氏(略歴下記)
退却神経症 無気力・無関心・無快楽の克服/笠原嘉1.jpg いるいる、こんな人、これぞまさに著者の言う「退却神経症」ではないかと思い当るフシがありました。
 休みがちなのに、出社したときの仕事ぶりはしっかりしていたりして...。でも結局しばらくするとまた休むようになってしまうのですね(ただし休職届け添付の医師の診断書は「自律神経失調症」とか「うつ病」となっていることが多いのですが)。 

 「退却神経症」とは著者の考えた言葉であり、'70年安保の大学紛争の頃に、学生運動もせずに密かに社会の前線から退却して沈潜する「大学生特有の無気力」現象が見られ、そうした現象が青年期をこえたサラリ-マンの間にも「出勤拒否症」などとして拡がっている事態を意識したのが始まりだということで、これは、最近の社会現象として言われている「ひきこもり」に通じるところがあるかと思えます。 

 著者が関心を持ったのは、例えば「欠勤多発症」の青年は、職場を離れていればまったく元気であったりすることが多いということで、「会社を休むくせに、休日の運動会や小旅行は目立ってハッスルすることがある」といった点などです。 

 こうした人たちは、アブセンティーズム(欠勤症)やアパシー(無気力)状態になる前は、真面目で物事にキッチリした性格だった人が多く、また現在は、自分でもよくわからない漠然とした不安を心の内に抱えていて、それでいて、不眠に陥るでなく(むしろ過眠症だったりする)、他人の助けも求めない(この辺りが、不眠を伴うことが多く、他者に助けを求めることも多い「うつ病」とは異なる)、それでいて突然の失踪や自殺という最悪の結果に至ることがあるということです。 

退却神経症 無気力・無関心・無快楽の克服/笠原嘉2.jpg 著者は、大学生の「スチューデン・アパシー」現象について書かれた海外の論文を見つけたことから、これらが大学紛争の際の一時的現象ではなく、その後も続いている現象であると考え、これを「退却神経症」という新しいタイプのノイローゼと位置づけて、うつ病やパーソナリティ障害との比較をしています。

 学生の「五月病」なども、この「退却神経症」の系譜として捉えると確かにわかりやすいです。 
 さらには、中・高校生の「登校拒否」にも同様のアパシー症候群が見られるとし、こうした症状の治療と予防について、教育制度の問題も含め提案しています。
  
 提言部分についてはそれほど頁を割けないまま終わっている感じがありますが、「ひきこもり」や「登校拒否」の問題に対し、いち早く慧眼を示した本であり、この1冊に偏りすぎるのはどうかと思いますが、企業などでメンタルヘルスを担当されている方には参考になるかと思います。
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笠原 嘉(かさはら・よみし).名古屋大学名誉教授
1928年 神戸市に生れる。
1952年 京都大学医学部卒業。精神医学専攻。
1972年 名古屋大学教授就任
1992年 名古屋大学教授退官
名古屋大学医学部教授、同付属病院長などを経て、現在、藤田保健衛生大学医学部客員教授。社団法人被害者サポートセンターあいち元会長、現顧問。
中井久夫や木村敏と並んで著名な精神科医。スチューデント・アパシー student apathy や退却神経症などを提唱。

《読書MEMO》
●不安ノイローゼ・強迫ノイローゼ・ヒステリー型ノイローゼ+「退却神経症」(=新しいタイプのノイローゼ)
●うつ病の人は寮にいても苦しい、退却神経症の人は、会社を休むくせに、休日の運動会や小旅行は目立ってハッスルする(28p)
●休みがちなのに、出社したときの仕事ぶりはしっかりしている(28p)
●完全主義。プライドが高く、人に容易に心を開かない(48p)

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ノイローゼの入門書としてオーソドックス。

ノイローゼ2861.JPGノイローゼ.jpg 宮城音弥.jpg 宮城音弥(1908‐2005/享年97)
ノイローゼ 新訂版』 講談社現代新書 〔'73年〕

 著者はノイローゼを、「心の病気」のうち、脳に目に見える障害がなく、また人格も侵されていないもので、精神的原因でおこるものとしています。
 本書内のノイローゼと神経病(脳神経の病気)・精神病(人格の病気)・精神病質(性格の病気)との関係図はわかりやすいものでした。

0702003.gif ノイローゼの種類を神経衰弱(疲労蓄積による)・ヒステリー(病気への逃避・性欲抑制など)・精神衰弱(強迫観念・恐怖症・不安神経症など)の3つに区分し(この区分は現在もほぼ変わらないと思いますが)、症例と併せわかりやすく解説しています。 

 著者によれば、ノイローゼの症状はすべての精神病にもあるとのこと、つまり分裂病(統合失調症)やうつ病にも同じ症状があると。
 そうであるならば、実際の診断場面での難しさを感じないわけにはいきません。

 本書そのものは全体を通して平易に書かれていて、かつ精神病との違いやその療法にまで触れた包括的内容なので、メンタルヘルス等に関心のある方の入門書としては良いかと思います。

《読書MEMO》
●ノイローゼ...「心の病気」の内で、脳に目に見える障害がなく、また、人格が侵されていないもので、精神的原因によっておこってきたもの-神経病(脳神経の病気)・精神病(人格の病気)・精神病質(性格の病気)との関係図参照(30p)
●ノイローゼの種類...
・神経衰弱(疲労蓄積による)
・ヒステリー(病気による逃避など・性欲抑圧)
・精神衰弱(強迫観念・恐怖症・不安神経症)
●ノイローゼの症状は全ての精神病にある(129p)...分裂病>躁うつ病>ノイローゼ

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「異常」の構造を通して「正常」の構造を解き明かす。

異常の構造.jpg 『異常の構造 (講談社現代新書 331)』 〔'73年〕 木村 敏.jpg 木村 敏 氏(略歴下記)

異常の構造 木村敏.jpg 本書では、精神分裂病者(統合失調症)の病理や論理構造を通じて「異常」とは何か、それでは「正常」とはいったい何かを考察しています。

 精神異常を「常識」の欠落と捉え、「常識」とは、世間的日常性の公理についての実践的感覚とし、分裂症病者はそれが欠落していると。
 ヴィンスワンガーの患者で精神分裂病者の例として紹介されている話で、 ガンを患って余命いくばくもない娘へのクリスマスプレゼントに、父(分裂病者)は棺おけを贈った、という話は、贈り物というものが贈られた人に役に立つという理屈にはあっているが、贈られた人が喜ぶという意味は欠如していていて、衝撃的であるとともに、「常識の欠落」という症状をわかり易く示していると思いました。

 さらに、「正常人」が自分たちより"自由"な論理構造を持つはずの「異常人」を差別することの「合理性」と、その合理性の枠内にある「正常者の社会」の構造を分析し、なぜ「正常者」がそうした差別構造をつくりあげるのかを、その「合理性」の脆弱性とともに指摘しています。

 分裂病を「治癒」しようとする考えの中に潜む排除と差別の論理を解き明かし、精神病者の責任能力の免除こそは差別であるとするなど、ラディカル(?)な面も感じられます。
 論理的にわかっても、心情的についていくのが...という部分もありましたが、考察のベースになっている精神分裂病を理解するための症例が豊富であるため、「異常」の構造とはどいったものかを知るうえで参考になります。

 こうした「異常」の構造を通して「正常」の構造を解き明かすというかたちでの精神病理学は、'60年代から'70年代にかけて、実存主義哲学の興隆とあわせて盛んで、「病跡学」とかもありましたが、実存主義のブームが去るとともにあまり流行らなくなっているようです。
 精神医学の世界にも、比較的短い年月の間に流行り廃れがあるということでしょうが、分裂病という難しい病をその中心に据えたことにも衰退の原因はあったかも。
 ましてや、実存主義哲学とかが絡んできても、医学部に入る人間が必ずしもそうした哲学的指向をもっているわけではないし...。

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木村 敏(きむら・びん) 京都大学名誉教授、龍谷大学教授
1931年、旧朝鮮生まれ。精神病理学者。1955年、京都大学医学部卒業。1961年、ミュンヘン大学留学。1969年、ハイデルベルグ大学留学。1974年、名古屋市立大学大学医学部教授。その後、京都大学医学部教授、河合文化教育研究所主任研究員を経て、龍谷大学教授。
精神分裂病、躁鬱病、てんかん、境界例に興味関心を持ち、精神病理の観点から独自の哲学を展開する。
著書に『自覚の精神病理』(紀伊国屋書店)、『人と人の間』(弘文堂)、『分裂病の現象学』(弘文堂)、『自己・あいだ・時間』(弘文堂)、『時間と自己』(中公新書)、『生命のかたち/かたちの生命』(青土社)、『偶然性の精神病理』(岩波書店)、『心の病理を考える』(岩波書店)ほか多数。クラシック愛好家としても知られる。
 
《読書MEMO》
●「周囲の人たちがふつうに自然にやっていることの意味がわからない。皆も自分と同じ人間なんだということが実感としてわからない。―なにもかも、すこし違っているみたいな感じ。なんだか、すべてがさかさまになっているみたいな気がする」(58p)
●「面接のたびに患者から再三再四もち出される「どうしたらいいでしょう」という質問は、私たちが通常ほとんど疑問にも思わず、意識することすらないような、日常生活の基本的ないとなみの全般にわたっていた」(59p)
●「なにかが抜けているんです。でも、それが何かということをいえないんです。何が足りないのか、それの名前がわかりません。いえないんだけど、感じるんです。わからない、どういったらいいのか」(78p)
●「ちなみに、私の印象では子供を分裂病者に育て上げてしまう親のうち、小・中学校の教師、それも教頭とか校長とかいった高い地位にまで昇進するような、教師として有能視されている人の数がめだって多いようである」(102p)
●「実際、分裂病者の大半がこのような恋愛体験をきっかけとして決定的な異常をあらわしてくる、といっても過言ではない。恋愛において自分を相手のうちに見、相手を自分のうちに見るという自他の相互滲透の体験が、分裂病者のように十分に自己を確立していない人にとっていかに大きな危機を招きうるものであるかということが、この事実によく示されている」(103p)
●・「常識的日常性の世界の一つの原理は、それぞれのものが一つしかないということ、すなわち個物の個別性である」(109p)
・ 「常識的日常性の世界を構成する第二の原理としては、個物の同一性ということをあげることができる」(111p)
・「常識的日常性の世界の第三の原理は、世界の単一性ということである」(115p)
●「患者は私たち「正常人」の常識的合理性の論理構造を持ちえないのではない。すくなくとも私たちと共通の言語を用いて自己の体験を言いあらわしているかぎりにおいて、患者は合理的論理性の能力を失っているわけではない。むしろ逆に、私たち「正常人」が患者の側の「論理」を理解しえないのであり、分裂病的(反)論理性の能力を所有していないのである。患者がその能力において私たちより劣っているのではなくて、私たちがむしろ劣っているのかもしれない」(140p)
・「「正常人」とは、たった一つの窮屈な公式に拘束された、おそろしく融通のきかぬ不自由な思考習慣を負わされた、奇形的頭脳の持主だとすらいえるかもしれない」(141p)
●「まず、合理性はいかなる論理でもって非合理を排除するのであるか。次に、合理性の枠内にある「正常者」の社会は、いかなる正当性によって非合理の「異常者」の存在をこばみうるのであるか」(145p)
●「「異常者」は、「正常者」によって構成されている合理的常識性の世界の存立を根本から危うくする非合理を具現しているという理由によってのみ、日常性の世界から排除されなくてはならないのである。そしてこの排除を正当化する根拠は、「正常者」が暗黙のうちに前提している生への意志にほかならない」(157p)
●「分裂病者を育てるような家族のすべてに共通して認められる特徴は、私たちの社会生活や対人関係を円滑なものとしている相互信頼、相互理解の不可能ということだといえるだろう」(174p)
●「アメリカの革新的な精神分析家のトマス・サスは、ふつうの病気がテレビ受像機の故障にたとえられるならば精神病は好ましからざるテレビ番組にたとえられ、ふつうの治療が受像機の修理に相当するとすれば精神病の精神療法は番組の検閲と修正に相当するといっている」(179p)
・「分裂病を「病気」とみなし、これを「治療」しようという発想は、私たちが常識的日常性一般の立場に立つことによってのみ可能となるような発想である」(180p)
●「分裂病とはなにかを問うことは、私たちがなぜ生きているのかを問うことに帰着するのだと思う。私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか」(182p)

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