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嬰児殺や心中も虐待死として捉え、虐待死の全容を分析し予防策を提案している。

虐待死x3j.jpg虐待死1.jpg    児童虐待 現場からの提言.gif
虐待死 なぜ起きるのか,どう防ぐか (岩波新書)』['19年]『児童虐待―現場からの提言』['06年/岩波新書]

 2000年に児童虐待防止法が施行され、行政の虐待対応が本格化したものの、それ以降も、虐待で子どもの命が奪われる事件は後を絶たない状況が続いています。長年、児童相談所で虐待問題に取り組んできた著者が、多くの実例を検証し、様々な態様、発生の要因を考察、変容する家族や社会のあり様に着目し、問題の克服へ向けて具体的に提言したものが本書であるとのことで、『児童虐待―現場からの提言』('06年/岩波新書)の"その後"編とも言える本でした。

 執筆のスタンスの特徴としては、一つは、未来ある子どもの死が私たちの心を激しく揺さぶるからこそ、努めて冷静な筆致を保つようにしたこと、一つは、多くの人に読んでもらえるよう平易な表現に努めたこと、そしてもう一つは、各事例について具体的で詳細な内容を知ることは不可欠だが、個人を特定する必要ないとしたこととのことです。このあたりは、新聞・週刊誌系の出版社から刊行される同じテーマを扱った本とはやや異なるかも(岩波新書らしい?)・ただし、最後の「個人を特定しない」ことについては、「社会的に広く認知された事例とそうでもない事例があることから」地名や発生年の記述の具体性にはむらが出たとのことです。

 第1章で、虐待死の実態を検証しつつ、「虐待死の区分仮説」を示していますが、その特徴としては、まず「心中」を虐待死に含めていることにあり、虐待死を「心中以外」と「心中」に分け、さらに「心中以外」の中に、従来の「身体的虐待」と「ネグレクト」のほかに「嬰児殺」という分類項目を設けていることにあります。そして、以下章ごとに、「暴行死」「ネグレクト死」「嬰児殺」「親子心中」の順で解説し、最終章で、虐待死を防ぐためにどうすればよいかを提言してます。

代理ミュンヒハウゼン症候群.jpg 第2章は「暴行死」を扱い、ここでは、「体罰」とい目黒区5歳女児虐待死事件.jpg野田市小4女児虐待事件.jpgうものが、かつては「しつけ」と「虐待」の中間に位置するグレーなものであったのが、2019年の改正児童虐待防止法により、「しつけ」のための「体罰」が禁止されたため、「虐待」とイコールになったことを解説しています。冒頭に事例として、2010年に江戸川区で起きた、小学1年生の男児が継父の暴行を受けて死亡した事件を取り上げていますが、2018年の「目黒区5歳女児虐待死事件」、2019年の「野田市小4女児虐待事件」も取り上げられています。また、ステップファミリーの問題のほか、産後うつや、代理代理ミュンヒハウゼン症候群についても((南部さおり『代理ミュンヒハウゼン症候群』('10年/アスキー新書)などを引いて)解説されています。

「目黒区5歳女児虐待死事件」(2018年)
「野田市小4女児虐待事件」(2019年)

大阪二児置き去り死事件1.jpgルポ 虐待2.jpg 第3章では「ネグレクト」を扱い、ここでは冒頭に2010年発生の「大阪市二児餓死事件」を取り上げ(杉山春『ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件』('13年/ちくま新書)などを引いて)、児童相談所のが「立入調査」に加えて「隣県・捜索」ができるよう制度改正されても、まだまだ残る壁があることを示しています。その一つが、居所不明児童の問題であり、また、ネグレクトの背景には、貧困や居住空間の分離などさまざまな要因があることを事例やデータから示しています。

「大阪市二児餓死事件」(2013年)

慈恵病院こうのとりのゆりかご.jpg 第4章では「嬰児殺」を扱っており、もともと日本には戦国時代から江戸時代、さらには明治時代にかけて風習として"間引き"があったとして嬰児殺の歴史的ルーツを探るとともに、赤ちゃんポストとして知られる慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」が参考にしたドイツの内密出産法を紹介するなどしています。

慈恵病院「こうのとりのゆりかご」

 第5章では「親子心中」を扱っており、「心中」を虐待死に含めていることが本書の特徴の1つであるわけですが、0歳児が多い「心中以外」の虐待死に比べ「心中」による虐待死は被害児の年齢別割合にバラつきがあるなど、その特徴を分析するとともに、かつて親子心中が美化されていた時代があったことを指摘しています。また、「実母」が単独加害者であることが全体の4分の3近くを占めるとともに、「実母」が単独加害者の場合は「母子」心中が98%だが、「実父」が単独加害者の場合は、「父子心中」が52%、「父母子心中」が43%になるとことをデータ化から示しています(要するに、父親が加害者の場合は、 "一家心中"にばることが多いということになる)。

 最終章の第6章で、これら虐待死を防ぐにはどうすればよいkを総括していますが、著者は、これまで紹介してきた法整備や児相におけるマニュアル作りは今後も進めていかなければならないが、それだけでは虐待死は未然に防げるものではなく、学校や児童相談所の関係者自身が、子どもたちが「どこか変」と感じ取る感性を磨くことが大切であるとし、また、具体的な手段としては、ジェノグラム(相互の関係性まで示した簡易な家系図)の活用を提案しています。また、ソーシャルワーカーという仕事の重要性も説いています。

 立場的には児童相談所の側から書かれていますが、虐待死の問題の難しさを見つめながらも、これまでの経験をどう活かすかという前向きな姿勢が見られます。前著『児童虐待―現場からの提言』と併せて読まれることをお勧めします。

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事件そのものの重さ、その背景にあるものの複雑さなどからいろいろと考えさせられる1冊。

ルポ 虐待2.jpg ルポ 虐待s.jpgルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

大阪二児置き去り死事件1.jpg 2010年夏、3歳の女児と1歳9カ月の男児の死体が、大阪市内のマンションで発見された。子どもたちは猛暑の中、服を脱ぎ、重なるようにして死んでいた。母親は、風俗店のマットヘルス嬢で、子どもを放置して男と遊び回り、その様子をSNSで紹介していた―。

 本書は新書にしては珍しく、この「大阪二児置き去り死事件」のみに絞ってその経緯と背景を追った(単行本型?)ルポルタージュです。事件発覚時にはその母親の行動から多くの批判が集まり、懲役30年という重い判決が下されて世間は溜飲を下げたかのように見えた事件ですが、本書では、なぜ2人の幼い子は命を落とさなければならなかったのかを、改めて深く探っています。

 その探求の特徴の1つは、母親の成育歴を、その両親の夫婦関係まで遡って調べ上げている点で、そこから、この母親自身が虐待(ネグレクト)を受けて育ったこと、その結果としての解離性障害と考えられる行動傾向が見られること、更には、加害女性が「女性は良き母親であるべき」という社会的規範に強く縛られていたことなどを導き出しています。

 こうした"解釈"については賛否があるとも思われ、このケースの場合、所謂"虐待の連鎖"に該当すると考えられますが、だからといってその罪が軽減されるものでもなく、また、他の虐待の事例において無暗に"虐待の連鎖"による説明を準用するべきものでもないと思います。更には、解離性障害についても、正常と異常の間に様々なレベルのスペクトラムがあり、また、母親が子どもを放置して男と遊び回っていたといったことが、そうした"障害"よってその罪を免れるものでもないでしょう。

 但し、本書を読むにつれて、この事件の背景には、母親個人の問題だけでなく、児童相談所の介入の失敗など(おそらくこの事例は事前に情報が殆どなく、児童相談所としてもどうしようもなかったのではないかとは思うが)、子ども達の危機的な状況を見抜けなかった行政機関の問題や、(離婚の原因が母親の浮気であったにせよ)殆ど親子を見捨てるような感じですらあった、離婚した父親及びその親族の問題などがあったことを知るこができました。

 とりわけ、裁判で父親側の遺族が母親に極刑を望んだというのは、虐待死事件において珍しいケースではないでしょうか。これまでの多くの虐待死事件では、遺族側も決して重い刑を望んではいないといった状況が大半で、家族間の殺人における卑属殺人は処罰感情の希薄さから刑が軽くなる傾向があったように思われ、一方、こうした加害女性本人と遺族側の対立というのはどちらかというと少数で、このこともこの事件の特徴をよく表しているように思います

 裁判では、検察側は、母親が最後に家を出た際に子ども2人の衰弱を目の当たりにしていたなどの点を挙げ、母親に殺意があったとして、無期懲役を求刑したのに対し、弁護側は「被告も育児放棄を受けた影響があった」として子どもに対する殺意はなく保護責任者遺棄致死罪に留まるとして、その主張には大きな隔たりがありましたが、結局、大阪地裁は、母親は子供に対する「未必の殺意」があったと認定、懲役30年の実刑判決を下し(本書にもある通り、二分した精神鑑定結果の"解離性障害"の方は採り上げなかった)、この判決及び判旨は最高裁まで変わることがありませんでした。

 個人的には、25歳の女性に懲役30年という判決は重いものの、被告はそれ相応の罪を犯したものと考えます。ただ、気になるのは、判決に応報感情が大きく反映されたのではないかという点であり(それは、判決によって事件を終わらせたいという遺族感情でもあるが、本書の狙いの1つは、被告個人に全てを押し付けてしまっていいのかという疑問の投げかけにあるように見える)、国家刑罰権は被害者(遺族)感情のみによって根拠づけられるものではないことは自明であるものの、実際にこの事件では、裁判官がより遺族感情に応えようとしたのではないかという気もします。

 逆の見方をすれば、今までの虐待死事件の判決が、逆の意味で「事件に蓋をしてしまおう」という遺族感情に応えてしまった結果、あまりにも軽いのではないかと―。勿論、量刑を重くすれば児童虐待が無くなるというものでもないでしょうが、全く抑止力にはならないとも言い切れないでしょうし、量刑の公平性の観点から見て、これまでの諸事件の初判決がおかしかったように感じます。

 教育機関や児童相談所の介入の失敗など例も、この事件に限らず、何度も繰り返されています。個人的には、児童虐待に特化したソーシャルワーカー制度を作って、プロを養成した方が良いように思います。米国などでは、ソーシャルワーカーのステイタス(社会的地位)は高く、その分、「介入」に失敗し、虐待やその再発を見抜けなかった場合は資格を失うなど(州によるが)、かなりのオブリゲーションを負っています。

 全体を通して真摯なルポであり、著者の見方の(主張と言うより、ルポを通じての問題提起となっているわけだが)その全てに賛同するというものでもないですが、これだけ調べ上げたというだけでも立派。事件そのものの重さもそうであるし、その背景にあるものの複雑さ、難しさからも、いろいろと考えさせられる1冊でした。

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憤慨し考えさせられた北関東の事件。2冊とも真摯なルポだった。

ルポ 居所不明児童.jpg  居所不明児童1.jpg FFN  ルポ 母子家庭.jpg
石川 結貴 『ルポ 居所不明児童: 消えた子どもたち (ちくま新書)』    小林 美希 『ルポ 母子家庭 (ちくま新書)

祖父母殺害2審.jpg 2014年春に北関東のアパートで祖父母を殺害して金品を奪ったとして強盗殺人などの罪に問われた少年(事件当時17)の控訴審で、東京高裁は今月['15年9月]4日、懲役15年とした地裁判決を支持し、弁護側の控訴を棄却、判決では「母親から少年に強盗殺人の指示があった」と認めたものの、「極めて重大な犯罪で、量刑を見直すには至らない」と指摘し、「刑が重すぎる」という弁護側の主張を退けました。この事件の経緯は本書 石川結貴『ルポ 居所不明児童―消えた子どもたち』('15年4月)に詳しく書かれています。

 少年は11歳から学校に通えず、一家で各所を転々としながらホームレス生活をする「居所不明児童」で、しかも義父から恒常的に虐待を受けており、母親と義父の指示で親戚に金銭を無心させられていて、高裁判決で裁判官も認定したように、母親が少年に(結果として事件と被害者となった)祖父母から「殺してでも借りてこい」と指示したとのことです。母親は老夫婦を殺害した公園で合流した少年に再び夫婦宅に行かせて現金約8万円やキャッシュカードを奪ったとのことです。本書によれば、母親は強盗・窃盗の罪で懲役4年6ヵ月の判決が確定して服役中で、息子の公判に証人として出廷した際には、「強盗殺人は私が指示したわけではないから、○○がどうしてそんなことをしたかわかりません」と他人事のように言ったとのこと。確かに、未成年ながらも2人を殺害した罪は重いですが、著者も判決に疑問を投げかけているように、相対的にみて母親の罪が軽すぎるように思いました。見方によっては、"主犯"は母親で、"実行犯"は息子であるというふうにも取れるのではないでしょうか(母親の罪が軽いのは刑法の落とし穴のように思える)。

 本書によれば、半世紀の間に2万4000人もの小中学生が学校や地域から消えているとのこと、本書では、冒頭の川口の少年のケースを初め、幾つかの「居所不明児童」に纏わる事件をリポートしていますが、往々にして児童虐待やネグレクトなどが「居所不明児童」の背景にあることが窺えます。

 一方で、そうした「居所不明児童」をチェックし、追いかけて、置かれている危機的状況から救い出すための行政の体制というものが、あまりに無策であることも、本書から窺い知ることができます。とりわけ、個人的にこれは問題だなと思ったのは、学校関係者が、児童が突然登校しなくなり、母子とも居所不明になっても、DVに遭ってシェルター(DV被害者の避難所)に入ったのだろうと勝手に推測して深く跡を追わなかったりすることで、近年、DV被害者が住民票を移さないまま居所のみを変えることが認められていて、児童がそれに付随している場合、新・旧居所の教員委員会はその情報を得ているが、元の学校には知らされていないとのことです。知らされていないから判らない、判らないから責任を負えないという学校側の言い分を許してしまうようなシステムに問題があると思われます。

 本書では、シングルマザーが育児放棄をするケースなどもリポートされていますが、これはDVの問題と併せて、同じ〈ちくま新書〉の小林美希『ルポ 母子家庭』('15年5月)で扱っているテーマに連なる問題でもあります。この本に出てくる何人かの女性たちは、生活のバランスが少しでも崩れると、瞬く間に再貧困になってしまい、望まぬ風俗で仕事したり、経済的な安定を求めて望まぬ再婚をしたりすることを繰り返しています。確かに、本書でも調査統計があるように、シングルマザーの場合、仕事に就くにあたって、子供がいるということで賃金が最初から抑えられる傾向にあり(その度合いは世界中で日本がダントツに高い)、社会の偏見や互助精神の欠如といったものを感じないわけにはいきません。しかし、一方で、『ルポ 母子家庭』では、自助努力と公助システムの活用などの組み合わせで、置かれている厳しい環境を乗り越え、健全に生活を成り立たせている母子家庭も紹介されています。高額歴または専門技能を持っていてそれなりの仕事につけて、お金で解決できる問題はお金で解決したとか、個々の条件の違いはあるかもしれませんが、全部を環境のせいにしてしまうのではなく、本人が努力することも大切であるし、母子家庭の育児をフォローし、子供の相対的貧困を減らす社会システムの整備、充実も今後もっと必要になってくるように思われました。

 個人的には、『ルポ 居所不明児童』を読んで、こんな鬼のような母親がいるのか、また、その犯した罪に対する罰がこの程度のものなのかと憤慨し、『ルポ 母子家庭』を読んで、妊娠が分かって姿をくらます男や結婚後は働かなくなる男など、こんな責任感ゼロ男がいるのかとまたも憤慨してしまいましたが、2冊とも真摯なルポであったように思います。

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精神状態ではなく「行為」を指し、その行為は虐待であって犯罪だと。潜在的には数的にかなりある?

代理ミュンヒハウゼン症候群.jpg 代理ミュンヒハウゼン症候群 image.jpg image
代理ミュンヒハウゼン症候群 (アスキー新書)

 アイキャッチ的な帯に対して、内容はかなりかっちりした本。個人的には、本書を読む前までは、海外医療ドラマなどにもよく登場する、大袈裟な演出によって病気を装い、難しい検査や痛みを伴う治療を受けたがる人が「ミュンヒハウゼン症候群」で、リストカットなどの自傷行為が自分の子へ転嫁されるのが「代理ミュンヒハウゼン症候群」であるという漠たる理解で、何となく両者が繋がらなかったのですが、法医学者による本書読んでみて、その意味や特徴についてより理解を深めることができたように思います。

 「代理ミュンヒハウゼン症候群」(MSBP)とは、子どもの世話をする人物(多くは母親)が、自らではなく「子どもを代理として」病気の状態を作り出し、それによって医療機関に留まろうとする虐待のことを指すとのことです(医療機関が彼らにとって避難所・安息の場であることは「ミュンヒハウゼン症候群」と同じ)。

 健康状態を損なわせたわが子を病院に繋ぎ止め、本来は不必要であるはずの苦痛を伴う医療措置を受けさせつつも、献身的に介護する―本書の第一のポイントは、これが虐待であり、犯罪行為であるということ、つまり、「代理ミュンヒハウゼン症候群」とは、「行為」の症候群を指すということです。

 子どもに危害を加えることなく、病院側に「様子がおかしい」と訴えるだけでも、そこで本来は不要な検査や"治療"を受けさせることに繋がれば虐待であるし、実際に子どもに危害を加えて生命の危険に晒す、或いは死なせることになれば、これはもう虐待に加えて殺人未遂または殺人ということになります。

 「代理ミュンヒハウゼン症候群」が一般の虐待と異なるのは、虐待する母親が自らの感情をコントロールし、沈着冷静に自分の行為の意味をよく分かった上で、求める結果を得るために慎重にこうした行為を行うという点で、その結果、子どもが入院した際には、多くの場合、医療スタッフから「すごくいい母親」であると賞賛を得ることで、情緒的満足を得るとのこと、う~ん、これが目的かあ、恐ろしいなあ。

 本書では、「代理ミュンヒハウゼン症候群」の海外の事例が多く紹介されていますが、日本では1995年から2004年までの10年間で21症例とのこと、但し、これは氷山の一角に過ぎないと思われると著者は述べています。

 海外ではそうした事件を巡る裁判もあって、一方で、普通の事故に対して「代理ミュンヒハウゼン症候群」の疑いがかかったりして、いろいろ話題になったり議論されたりしているようですが、日本でももっとあっておかしくないような気がするけれども、看過されてしまっているのではないかなあ(通常の児童虐待についても、報告例が急増したのは2000年以降になってからでしょう)。

 そうした中、日本で起きた、幼い子ども3人を死傷させた母親の不可解な行動を巡る(実は、汲み置いておいた水道水や飲み残しのスポーツ飲料を子どもの点滴回路に混入させていた)「点滴汚染水混入事件」の、2010年5月に裁判員制度のもとで行われた裁判の傍聴の記録と解説・分析がなされています。

 この事件も、その母親から「五女」の様態がおかしいとして持ち込まれた病院の医師が、家族歴を調べて「次女から四女までが亡くなっている」のは変だとして疑いを持ち、病室に監視カメラを設けたことが発覚に繋がり、この母親は自分の子が亡くなる度に、代わりとなる次の子を産んでいたわけで、誰かが気づかないとこうしたことは繰り返されてしまうものなのかも(実際にそうであると考えると恐ろしい)。

 「代理ミュンヒハウゼン症候群」(MSBP)は「行為」を指すため、そうした精神状態にあっても、行為に及ばなければ(踏みとどまれば)それには該当しないとうことになりますが、そうでありながら一方で、精神状態(子どもとの関係性)が定義付けの要件となっているところがややこしいと思いました。

 しかも、事件を起こした当事者は平然とそうした行為を成し、「動機」が本人から語られることはまずないため、「動機不明」のまま、「故殺」かどうか(こうした行為が殺人になるという認識があったかどうか)を客観的に立証しないと、本来は「殺人」であるものが「過失致死」でしか問えなかったりもするようです(遺族関係者が厳罰を望まないという傾向もあるし)。

 MSBP行為をする母親の精神状態に、「演技性人格障害」など、幾つかの人格障害との関連が見られることも多いということですが、このあたりも一般認識をややこしくしている要因か(MSBPは行為を指すわけだから、それ自体は「病気」でも「人格障害」でもない)。
 
 前述の裁判例で裁判員たちが、限られた時間に慎重かつ真剣に同件を審議したことを著者は評価しつつも、裁判員だけでなく裁判官までもが、MSBPが「行為者の精神状態」であり、それによって「行為制御能力が低下していた」という思考パターンから最後まで抜け切れていないことが窺えたのを、著者は残念に思ったようです(これだけMSBPは「行為」であると言っているわけだからね)。

 医師も裁判官も、今後この方面の理解をより深める必要があるように思いましたが、本書刊行時には少し話題になったものの、意外とその後が続いていないようにも感じます(著者の如く、法医学という学際的な素養を持った人がこのような一般向けの本を著すケースは少ないのかも)。

 極めて冷静かつ客観的な視点から書かれつつも、こうした目に見えない虐待によって、苦しみつつ短い生を終えるに至った幼い命に対する思いが感じられる本でもあります。

ニコ生「これはひどい!児童虐待の実態」 ひろゆき×南部さおり

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読者に虐待問題をケーススタディ的に考えさせるものとなっている。

ルポ 児童虐待.jpg 『ルポ 児童虐待 (朝日新書 122)』 ['08年]

 朝日新聞大阪本社編集局の虐待問題取材班による新聞連載を新書に纏めたもので、幼児、児童に対する身体的虐待、精神的虐待、ネグレクト(性的虐待はまた異なる問題を孕んでいるとして、本書では扱っていない)を、虐待事件の事例及び周辺関係者について取材していますが、事件の背景にある家庭環境や児童相談所の現況(人手不足!)だけでなく、虐待児童を預かる「児童養護施設」や虐待児童を育てる里親、そうした子を生徒に持った教師、虐待の連鎖を断ち切ろうとする人たちの支援組織や、この問題に力を入れている医療機関にまで取り上げていて、その取材範囲は広く及んでいます。
 こうした連載を新書に取り纏めると、通常はどうしても"ぶつ切り"感を伴うものになりがちですが、本書では、冒頭1つの虐待事例に50ページもの紙数を割くなどして、読者に虐待問題をケーススタディ的にじっくり考えさせるものとなっているように思えました。

 それにしても、冒頭の事例は深刻。
 読み進むうちに、虐待をした母親が子ども時代に虐待を受けていたことが明らかになり、「ああ、またアダルト・チルドレンか」と、最初はややゲンナリもさせられました。
 個人的には、母親の幼児期の被虐体験に重きを置き過ぎることにはあまり同調しかねるのですが、それは、被虐体験のある人は親にはなれないというような理屈になりかねない気もするからであり、一方で、幼児期の被虐体験を乗り越えて社会に一歩を踏み出した若者などのことも本書後半で紹介されていることなどから見ても、結局、本人次第であって、子どもを死なせたりすれば、一般の過失致死や殺人と同等に扱うべきではないかと...。

 しかし、本書のこの事例の母親の場合、子どもを虐待している時の記憶自体が飛んでしまっているようで、ある種、解離性障害を呈していると言えますが(本書後半にも、虐待を受け、「四重人格」状態となった子どもの例が出てくる)、こうなると、責任能力をどこまで問えるか。
殺さないで 児童虐待という犯罪.jpg 子どもが泣き叫ぶなどのストレス刺激で瞬時に別人格になって子どもに暴行をふるい、その後は何事もなかったかのように穏健な態度に戻る...ちょっと何か取ろうとして手を伸ばしたら、子どもが思わず防御姿勢をとるのを見て、初めて、子どもが自分の暴力を恐れていることに気づくといった例も。
 
 以前に読んだ毎日新聞の児童虐待取材班の『殺さないで-児童虐待という犯罪』('02年)では、児童虐待は犯罪であるという立場で貫かれているルポであり、個人的には取材班のその姿勢に共感しましたが、本書は事実のルポルタージュに徹し、判断や問題点については読者に考えさせるかたちをとっているように思えました。

児童虐待 現場からの提言.gif 児童相談所の抱える問題などは、本の最後の座談会で、弁護士の岩城正光氏や元児童相談所相談員の津崎哲郎氏が、警察や司法の関わりを強化することを訴えていますが、正論だと思います。
 既に川崎二三彦氏が、『児童虐待―現場からの提言』('06年/岩波新書)の中で、司法(家裁)や警察が問題に立ち入りたがらない傾向にあるため、児童相談所が、「福祉警察」的な役割と「カウンセリング・支援」的な役割という、相反する役割を一手に担わなければならなくなっていることを明確に指摘しており、人手不足の問題もさることながら、こっちの方が本質的な問題ではないかと思われます。

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問題の根は深く、児童相談所を責めるだけでは解決にはならないと知った。

児童虐待の相談件数.gif児童虐待 現場からの提言.gif 『児童虐待―現場からの提言 (岩波新書)』 〔'06年〕

 児童虐待事件が報じられる度に批判に晒されるのが児童相談所であり、自分自身も憤りを感じていたのですが、児童相談所に長く勤務し、児童福祉士(ソーシャルワーカー)として現場に携わっている著者による本書を読んで、問題の根は深く、児童相談所を責めるだけでは何ら問題の解決にはならないことを思い知りました。

 そもそも、何が「児童虐待」に該当するのか定義づけが難しく(アンケートでは、家庭での躾の一環としての体罰はやむ得ない場合があるとする親が半数を占めている)、「子どもの安全確保」のためにと言っても、体罰を含む「親の懲戒権」を全部認めないわけにもいかない―。ネグレクトにしても、『はじめてのおるすばん』('72年/岩崎書店)という3歳の子が1人で留守番をする話の絵本がありますが、カナダではこれはネグレクトに該当するので出版できないとか。日本ではそこまで言えないでしょう。

 最も難しい問題は、「子どもの安全確保」のための一時保護などに対し、「児童相談所が福祉警察になりつつある」という批判があることで、子どもを保護しても保護しなくてもそれぞれに批判されるならば、相談員は動きがとれないだろうなあと。'00年に成立した児童虐待防止法は、その後も「岸和田事件」など悲惨な事件が相次いだために、児童相談所の立ち入り権限を強化する方向で改正されていますが、司法(家裁)や警察は、それを認めたり援助したりするだけで、自ら率先しては動かず一歩引いたところにいるという感じ。

 虐待をしている母親自身が被害者であることも多く、児童相談所の仕事は家族カウンセリングの要素を多く含むが、カウンセリングしているところが立ち入り調査や子どもの強制的な一時保護をするとしたら、カウンセリングに必要な信頼関係を築くのは難しいという著者の指摘は尤も。

 本書では、相談員の質・量にわたる不足も指摘していますが、自治体職員として勤務している人は、ローテーション人事で児童相談所や自治体の窓口に居るだけで、まったくの素人みたいな人が多いのも事実。著者は、この問題にあたる人材の育成の必要性を力説していますが、大いに共感させられるとともに、国レベルでの対応の必要(相談所は都道府県の所管)を感じました。

《読書MEMO》
●その後の児童虐待相談件数の推移(平成29年度まで)
平成29年度の児童虐待.jpg

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この分野の一般向け「新書」としては、先駆けに位置する本。

池田 由子 『児童虐待―ゆがんだ親子関係』.jpg児童虐待 ゆがんだ親子関係.jpg
児童虐待―ゆがんだ親子関係 (中公新書)』〔'87年〕

 本書は'87(昭和62)年刊行で、児童虐待について書かれた一般向け「新書」としては、先駆けに位置するものではないでしょうか。

 児童虐待が実際にどれぐらい起きているのかは、家庭内の密室でのことであり、表に出ている数字は氷山の一角であると言われていますが、統計数字そのものは、本書の昭和48年に行われた調査の結果などを見ても、既に相当数の報告があったことがわかります(この調査はわが国初の全国調査で、コインロッカーに赤ん坊を遺棄する事件が当時頻発したために行われたものとのこと)。

  本書では児童虐待の種類を、身体的虐待、性的虐待、ネグレクトに大別して、実際例を挙げて解説するとともに、虐待する親たちの事情や「継子いじめの神話」の実態を、統計数字等から慎重に分析しています(虐待した継母が被害者的立場にあったケースが多いことを示唆している)。

 また、被虐待児がどのような成人になるか、そのゆくえを追うのは難しいとしながらも、近年よく聞く「虐待の連鎖」の問題を既に取り上げています(海外の報告例を見ても、児童虐待との相関が最も高いのは、経済的困窮であり、親から虐待を受けたというのはずっと下位の相関になるが、それぞれの母集団が異なるので、結局比較する意味が薄いと言える)。

 本書を読むと、虐待する家族は様々な問題を含むが、まず、親自身が、"自分の病を知らない病人"であることがわかり、こうした親を救済する組織やネッヨワークの確立が、米国などに比べ日本は立ち遅れているということがわかり、この状況は今日まで続いているように思えました。

《読書MEMO》
●章立て
第1部 被虐待児症候群(児童虐待とは何か;児童虐待の歴史;児童虐待の現状)
第2部 虐げられる子どもたち(身体的虐待;性的虐待;ネグレクト--保護の怠慢・拒否;虐待は再発する)
第3部 親と子と(虐待する親たち;継子いじめの神話;虐待された子ら;被虐待児のゆくえ)
第4部 子どもたちを守るもの(治療と援助;児童虐待の法律;声なきマイノリティ・グループのために)

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児童虐待は犯罪であるという立場で貫かれているルポルタージュ。

殺さないで 児童虐待という犯罪_1.jpg殺さないで 児童虐待という犯罪.jpg
殺さないで―児童虐待という犯罪』(2002/09 中央法規出版)

 「毎日新聞」の連載を単行本化したもので、2001(平成13)年・第44回「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」受賞作。

本書に書かれている虐待例は、何れも幼児の「死」という結果のみならず、その過程において凄惨極まりないものですが、死んでいった子どもたちにとって、この世に生まれてきたということはどういうことだったのか、考えずにはおれません。

 こうした事件の判決がほとんど殺人ではなく傷害致死罪であり、驚くほど刑が軽いことを本書で知りました。
 児童虐待が起こる原因を家族心理学的に分析する動きは以前からありますが、本書にもあるとおり、最近は弁護側が、親がAC(アダルトチルドレン)であったことを主張するケースもままあるそうです。

 相談所が事前把握していた事実を伏せる、警察が民事不介入を盾に動かない、防止に力をいれた入れた地域や自治体では虐待事件が多くなる(つまりその他の地域では事件として扱われない)等々、周辺課題も本書は指摘しています。

 児童虐待防止法は制定されましたが、「児童虐待は犯罪である」という姿勢に立ち返る意味でも、本書を再読する価値はあるかと思います。

《読書MEMO》
●ター君(6歳)を裸のまま雪に埋めて記念撮影した親(埼玉県富士見市)/3人がかりで大輔ちゃん(5歳)暴行を加えワサビを口に押し込み、タバコを押し付けた(栃木県小山市)-母親も居候先の女もアダルトチルドレン→ほとんどが傷害致死罪。弁護側が親がACであったことを主張することもままある
●児童虐待の種類...身体的虐待/性的虐待/ネグレクト/心理的虐待
●大きなニュースにならない理由...虐待事件で死んでも、損害賠償請求をする人がいない。相談所が事前に把握していたというニュースは報じられにくい傾向
●虐待防止に大きな予算をつけた都道府県ほど虐待事件が多い(顕在化)
●厚生省児童家庭局の98年度のテーマは少子化(育児をしない男を父とは呼ばない)だった。ポスター・CMで5億円投下。
●児童虐待防止法(2001年11月施行)で児童相談所の権限が強化されても、予算や人員不足では動けない。また親の更正や再発防止策は手つかずのまま。アメリカでは虐待した親はケアや教育を受けねばならず、再発した場合は担当職員が資格剥奪されることも。日本では児童相談所の職員が責任を取らされることはない

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個々の指摘は重いが、虐待をイデオロギー問題化するのはどうか。

マンガ%20子ども虐待出口あり.jpg 『マンガ 子ども虐待出口あり』 (2001/12 講談社)

 臨床心理士でAC(アダルトチルドレン)研究で知られる著者と、著者にクライエンとして接し、自らACと自覚したイラストレーター「イラ姫」の対談で(マンガではない)、幼児期に虐待を受け社会的不調和に悩む人や、今現在育児に悩む人の立場で書かれています。
 この手の本に従来なかったストレート・トークで、内容も「イラ姫」によるイラストもユーモアいっぱい(?)。
 一方で、1週間で20ケースぐらい死んでいる(表面化せず突然死で処理されている)(29p)との著者の指摘は重く、「虐待」は親が、支配欲を満足させるなど、自分のためにやっている(だから英語でチャイルド・アビューズ(乱用)という)(32p)という話には頷かされます。ただし―。

 ACとは元々米国で、Adult Children of Alcoholics (アル中の親に育てられた大人)という意味だったのが、Adult Children Of Dysfunctional family (「機能不全家族」の下で育った大人)となり、それが日本のメンタルケア現場では、著者の『アダルト・チルドレン完全理解』('96年/三五館)などの著作により、幼少時代から親から正当な愛情を受けられず、身体的・精神的虐待を受け続けて成人し、社会生活に対する違和感や子ども時代の心的ダメージに悩み、苦しみを持つ人々全般とされるようになりました。
 しかしこれは、日本だけの「拡大解釈」です。

 本書では「機能不全家族」という言葉に対して、「まるで機能十全家族があるような錯覚を与える」と批判していますが、これはある意味、著者の「拡大解釈」の補強にもなっています。
 つまり信田理論だと、カウンセリングなどの支援が必要だと本人が自覚すれば、その多くはACになってしまう...。
 そのことを受容することで悩みから脱するという効果を実践現場で痛感し、その代表選手として「イラ姫」が対談相手としている、ということなのかも知れませんが。

 著者の師匠である精神科医の斎藤学(さとる)氏の著作には、『家族依存症-仕事中毒から過食まで』('89年/誠信書房、'99年/新潮文庫)など、現代の家族関係についての多くの示唆に富むものがあります。
 しかし本書では、著者が子どもへの虐待を、「資本家-労働者」「男-女」と並ぶ「親-子」の支配構造の結果と捉えていることでフェニミズム色が濃くなっていて、また、子どもへの虐待を今ことさらイデオロギー問題化する必要がどこにあるのかという気もしました。

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虐待の多様な現実と被虐待児や親などへのケアの重要性を訴える。

凍りついた瞳(め).jpg            親になるほど難しいことはない.jpg
凍りついた瞳(め)―子ども虐待ドキュメンタリー』ソフトカバー版 ['96年]/椎名篤子『親になるほど難しいことはない―「子ども虐待」の真実 (集英社文庫)

 本書はの'94年9月号の雑誌「YOU」に発表され、以降10回にわたって連載されたノンフィクション漫画ですが、描かれている「虐待」問題というテーマは重く、「児童虐待防止法」制定への大きな推進力になったとされるほどの反響を呼びました。

 作者は、本書の元になった椎名篤子氏の『親になるほど難しいことはない』('93年/講談社)という虐待の実態をレポートしたノンフィクションと偶然出合い(たまたま入った喫茶店に置いてあった)、作品イメージが噴出するとともに、この内容を多くの人に伝えねばと、ほとんど"啓示的"に思ったそうです。

 虐待問題に関わった保健婦や医師、ケースワーカーなどの視点から8つのケースが取り上げられ(身体的虐待だけでなくネグレクトや性的虐待も含む)、解決に至らなかったケースもあれば、医師、保健婦、ケースワーカーらの洞察と親や子へのケア、関係機関との連携などにより、母子関係を修復し、子の将来に明るい兆しが見えたものもあります。

 センセーショナリズムに走らず、虐待の背後にあるDVなどの夫婦関係や親自身の養育歴の問題を、家族カウンセリングなどを通してじっくり描き、関係者が、いっそ親子を引き離した方が子のためではと思いながらも、根気よく母親を援助し、母親が愛情を回復することで子供が少しずつ明るくなっていくという話は感動的です。

 親にすべての責任を押し付け、また(女性漫画誌に連載されたということもあるが)親自身がそう思い込むことは問題の解決にならないことをこの漫画は教えてくれ、虐待を受けた子や親などへのケアとその後の支援の必要を訴えています。
 
 しかし一方で、虐待しているという意識さえない"未成熟"な親や、児童相談所の対応の拙さ(本書でも多々出てくる)などのために、子供を救うことができなかったケース(といって親や児相は何か罰を受けるわけではない!)などを考えると、虐待は「犯罪」であるという社会的意識を強化することも大切ではないかと思いました。 

 【1995年愛蔵版・1996年ソフトカバー版{集英社]】

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