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事件そのものの重さ、その背景にあるものの複雑さなどからいろいろと考えさせられる1冊。

ルポ 虐待2.jpg ルポ 虐待s.jpgルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

大阪二児置き去り死事件1.jpg 2010年夏、3歳の女児と1歳9カ月の男児の死体が、大阪市内のマンションで発見された。子どもたちは猛暑の中、服を脱ぎ、重なるようにして死んでいた。母親は、風俗店のマットヘルス嬢で、子どもを放置して男と遊び回り、その様子をSNSで紹介していた―。

 本書は新書にしては珍しく、この「大阪二児置き去り死事件」のみに絞ってその経緯と背景を追った(単行本型?)ルポルタージュです。事件発覚時にはその母親の行動から多くの批判が集まり、懲役30年という重い判決が下されて世間は溜飲を下げたかのように見えた事件ですが、本書では、なぜ2人の幼い子は命を落とさなければならなかったのかを、改めて深く探っています。

 その探求の特徴の1つは、母親の成育歴を、その両親の夫婦関係まで遡って調べ上げている点で、そこから、この母親自身が虐待(ネグレクト)を受けて育ったこと、その結果としての解離性障害と考えられる行動傾向が見られること、更には、加害女性が「女性は良き母親であるべき」という社会的規範に強く縛られていたことなどを導き出しています。

 こうした"解釈"については賛否があるとも思われ、このケースの場合、所謂"虐待の連鎖"に該当すると考えられますが、だからといってその罪が軽減されるものでもなく、また、他の虐待の事例において無暗に"虐待の連鎖"による説明を準用するべきものでもないと思います。更には、解離性障害についても、正常と異常の間に様々なレベルのスペクトラムがあり、また、母親が子どもを放置して男と遊び回っていたといったことが、そうした"障害"よってその罪を免れるものでもないでしょう。

 但し、本書を読むにつれて、この事件の背景には、母親個人の問題だけでなく、児童相談所の介入の失敗など(おそらくこの事例は事前に情報が殆どなく、児童相談所としてもどうしようもなかったのではないかとは思うが)、子ども達の危機的な状況を見抜けなかった行政機関の問題や、(離婚の原因が母親の浮気であったにせよ)殆ど親子を見捨てるような感じですらあった、離婚した父親及びその親族の問題などがあったことを知るこができました。

 とりわけ、裁判で父親側の遺族が母親に極刑を望んだというのは、虐待死事件において珍しいケースではないでしょうか。これまでの多くの虐待死事件では、遺族側も決して重い刑を望んではいないといった状況が大半で、家族間の殺人における卑属殺人は処罰感情の希薄さから刑が軽くなる傾向があったように思われ、一方、こうした加害女性本人と遺族側の対立というのはどちらかというと少数で、このこともこの事件の特徴をよく表しているように思います

 裁判では、検察側は、母親が最後に家を出た際に子ども2人の衰弱を目の当たりにしていたなどの点を挙げ、母親に殺意があったとして、無期懲役を求刑したのに対し、弁護側は「被告も育児放棄を受けた影響があった」として子どもに対する殺意はなく保護責任者遺棄致死罪に留まるとして、その主張には大きな隔たりがありましたが、結局、大阪地裁は、母親は子供に対する「未必の殺意」があったと認定、懲役30年の実刑判決を下し(本書にもある通り、二分した精神鑑定結果の"解離性障害"の方は採り上げなかった)、この判決及び判旨は最高裁まで変わることがありませんでした。

 個人的には、25歳の女性に懲役30年という判決は重いものの、被告はそれ相応の罪を犯したものと考えます。ただ、気になるのは、判決に応報感情が大きく反映されたのではないかという点であり(それは、判決によって事件を終わらせたいという遺族感情でもあるが、本書の狙いの1つは、被告個人に全てを押し付けてしまっていいのかという疑問の投げかけにあるように見える)、国家刑罰権は被害者(遺族)感情のみによって根拠づけられるものではないことは自明であるものの、実際にこの事件では、裁判官がより遺族感情に応えようとしたのではないかという気もします。

 逆の見方をすれば、今までの虐待死事件の判決が、逆の意味で「事件に蓋をしてしまおう」という遺族感情に応えてしまった結果、あまりにも軽いのではないかと―。勿論、量刑を重くすれば児童虐待が無くなるというものでもないでしょうが、全く抑止力にはならないとも言い切れないでしょうし、量刑の公平性の観点から見て、これまでの諸事件の初判決がおかしかったように感じます。

 教育機関や児童相談所の介入の失敗など例も、この事件に限らず、何度も繰り返されています。個人的には、児童虐待に特化したソーシャルワーカー制度を作って、プロを養成した方が良いように思います。米国などでは、ソーシャルワーカーのステイタス(社会的地位)は高く、その分、「介入」に失敗し、虐待やその再発を見抜けなかった場合は資格を失うなど(州によるが)、かなりのオブリゲーションを負っています。

 全体を通して真摯なルポであり、著者の見方の(主張と言うより、ルポを通じての問題提起となっているわけだが)その全てに賛同するというものでもないですが、これだけ調べ上げたというだけでも立派。事件そのものの重さもそうであるし、その背景にあるものの複雑さ、難しさからも、いろいろと考えさせられる1冊でした。

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「手続の一環としての殺人」という怖さ。映画化されたが、原作は原作、映画は映画といった感じ。

凶悪 ある死刑囚の告発.jpg「新潮45」編集部 凶悪 2007.jpg      凶悪 dvd.jpg 映画 凶悪 リリー・フランキー.jpg
凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)』['09年]/『凶悪 ある死刑囚の告発』['07年]/「凶悪 スペシャル・プライス [DVD]」/映画「凶悪」['13年/日活](リリー・フランキー)

 人を殺し、その死を巧みに金に換える"先生"と呼ばれる男がいる―雑誌記者が聞いた驚愕の証言。だが、告発者は元ヤクザで、しかも拘置所に収監中の殺人犯だった。信じていいのか? 記者は逡巡しながらも、現場を徹底的に歩き、関係者を訪ね、そして確信する。告発は本物だ! やがて、元ヤクザと記者の追及は警察を動かし、真の"凶悪"を追い詰めてゆく。白熱の犯罪ドキュメント―。(「BOOK」データベースより)

凶悪 ある死刑囚の告発 2.jpg 死刑判決を受けて上訴中だった元暴力団組員の後藤良次被告人が、本書の著者である雑誌「新潮45」の編集長を介して、自分が関与した複数事件(殺人2件と死体遺棄1件)の上申書を提出したことにより、後藤が「先生」と慕っていた不動産ブローカーが3件の殺人事件の首謀者として告発された、所謂「上申書殺人事件」のドキュメント。雑誌「新潮45」が2005年に報じたことによって世間から大きく注目されるようになり、2007年に単行本化され、2009年に文庫化、文庫では、「先生」が関与した1つの殺人事件が刑事事件化し、この不動産ブローカーに無期懲役の判決が下ったというその後の経緯が書き加えられています(ここで初めて、三上静雄という「先生」の本名が明かされている)。

 数多い犯罪ドキュメントの中でも、取材者が警察に先行して真相に迫っていく内容であり、その点で先ずグイグイ引き込まれます。一方で、この元暴力団組員に「先生」と呼ばれる不動産ブローカーの周辺では7件もの不審な死亡・失踪が起きていることが分かったのに対し、事件化したのは元暴力団組員の告発した3件のみで、しかも、立件されたのはその内の1件のみ―ということに対する無力感も。「先生」にはその1件により無期懲役の判決が下り、告発した暴力団組員はそのことにより死刑囚でありながら懲役20年の判決が下ります。

 死刑囚である元ヤクザの後藤が、自らの死刑判決がますます揺るぎないものになるかもしれないのに隠された犯罪を明るみに出すのは、自分を裏切った「先生」に対する復讐であり、自らの減刑に一縷の望みを懸けるよりも、のうのうと娑婆で生き続けている「先生」への復讐を遂げなければ、死んでも死にきれないという気持ちなのでしょう。著者の接見によれば、三上を死刑に追い込めなかったのは残念だったが、二度と社会に出られない状況に追いやったことで、一定の満足感は得ているようです(後藤本人は現在、死刑確定囚としての再審請求中)。

凶悪 映画 リリー・フランキー.jpg凶悪 映画  ピエール瀧.jpg 2013年に公開された白石和彌監督による映画化作品「凶悪」の方は、後藤(映画内では"須藤")をピエール瀧が、三上(映画内では"木村")をリリー・フランキーが演じましたが、元々俳優が出自ではなかった2人を主役に配したことで逆にドキュメンタリー感が出て、配役で半分は成功が決まったようなものだったかも(と言ってもこの2人だからこそ、のことだが)。ピエール瀧、リリー・フランキーと日本アカデミー優秀助演男優賞を受賞、リリー・フランキーは、本作品の翌週に公開された是枝裕和監督の「そして父になる」('13年/ギャガ)では暖かな家庭の父親役を演じており、その演技の幅が話題になりました。但し、配役が映画を決定づけるとはよく言われますが、いい意味でも悪い意味でも、「原作は原作、映画は映画」といった感じになった気もします。

凶悪 ある死刑囚の告発  eiga.jpg 個人的には、2人の演技は悪くないと思いましたが、記者の家族とか上司の女性など原作では描かれていない人物が出てきて、それなりにサイドストーリーを成しているのが却って邪魔に感じられました。映画では、ピエール瀧(須藤)とリリー・フランキー(木村)が拮抗していますが、この事件の怖さは、文庫版の終わりの方にそれぞれ写真がある、どう見てもヤクザにしか見えない後藤よりも、ごく普通のどこにでもいそうな初老の男性にしか見えない三上の方にあるのでしょう。記者の周辺人物を描く余裕があれば、それよりも、三上(映画内では"木村")の方をじっくり描いて欲しかった気がします。

 映画では"木村"はシリアルキラーであるとともにサイコパス的な残忍さも持っているような描かれ方で、殺人を楽しんでいるような印象さえ受けますが、原作で著者は、三上の最初の殺人は衝動的なものであり、その結果に自分でもパニくって、後藤に後の処理を頼んだところ上手くいったので、それで他人の土地資産を搾取するために後藤を手先に使うようになったというのが実態のようです。

 別に殺人に対する特段の指向(嗜好)があるのではなく、不動産登記の書き換えのような手続作業の一環の中に殺人も含まれているという感じで、自分の家族は大事にしているのに、他人に対してはその命を奪うことに何ら逡巡せず、むしろビジネスの一環であるかのように事を進めているのが、三上の本当に怖いところではないでしょうか。

凶悪 ある死刑囚の告発 リリー。フランキー.jpg 映画では、ラストで記者に対して"木村"が、自分が死刑にならず無期懲役で済んだことについて勝ち誇ったような挑発的態度を取る場面がありましたが、これは先に述べたように、間違いなく多重殺人の計画犯であり首謀者でありながら、その罰が無期懲役で済んでいることに対して観客が感じる理不尽さをひっくり返して代弁しているような映画的な設定乃至は人物造型であり、実際の三上は、控訴していることからも窺えるように、どうすれば娑婆に出られるかを依然として模索し、犯した罪については最後までシラを切り通すタイプではないかという気がします。

凶悪 映画.jpg「凶悪」●制作年:2013年●監督:白石和彌●製作:鳥羽乾二郎/ 十二村幹男/赤城聡/千葉善紀/永田芳弘/齋藤寛朗●脚本:高橋泉/白石和彌●撮影:今井孝博●音楽:安川午朗●原作:新潮45編集部編「凶悪―ある死刑囚の告発」●時間:128分●出演:山田孝之/ピエール瀧/リリー・フランキー/池脇千鶴/白川和子/吉村実子/小林且弥/斉藤悠/米村亮太郎/松岡依都美/ジジ・ぶぅ/村岡希美/外波山文明/廣末哲万/九十九一/原扶貴子●公開:2013/09●配給:日活(評価:★★★☆)

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記者が独自に犯人を特定し、警察の腐敗も明るみに。まるでドラマの世界のよう。

遺言―桶川ストーカー殺人事件.jpg遺言―桶川ストーカー殺人事件の深層』['00年] 桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫).jpg桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)』['04年] 

清水潔 著 『遺言〜桶川ストーカー殺人事件〜』.jpg ひとりの週刊誌記者が、殺人犯を捜し当て、警察の腐敗を暴いた...。埼玉県の桶川駅前で白昼起こった女子大生猪野詩織さん殺害事件。彼女の悲痛な「遺言」は、迷宮入りが囁かれる中、警察とマスコミにより歪められるかに見えた。だがその遺言を信じ、執念の取材を続けた記者が辿り着いた意外な事件の深層、警察の闇とは。「記者の教科書」と絶賛された、事件ノンフィクションの金字塔!日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞受賞作―。(文庫版「BOOK」データベースより)

 1999年、白昼のJR桶川駅前で起きた女子大生殺害事件、所謂"桶川ストーカー殺人事件"において、被害者が周囲に残した"遺言"にこだわり、事件の真相を追い続けた写真週刊誌「フォーカス」記者(当時)のルポルタージュですが、単なるルポではなく、警察よりも早く犯人グループを突き止め、また、逃亡した犯人の行先もこれまた警察より早くより突き止めたという極めて稀なケースです。

 なぜ主要メディアを差し置いて、記者クラブにも属さない写真週刊誌の一記者によってこのようなことが成されたかというと、事件に対する上尾署(埼玉県警)の初動対応のマズさを警察が組織ぐるみで隠蔽し、事件の真相解明よりも組織防衛のために勝手に描いたシナリオの記者発表していたところを、主要メディアは唯々諾々単にそれに沿って報道していたに過ぎなかったからだという背景があったことが本書から窺えます。

 また、警察が事件の真実を捻じ曲げようとした背景には、被害者に告訴取り下げを求め、その事実をも隠蔽しようとしたという事情もあり(この警察の腐敗からくる行為も著者の取材スクープによって明るみになった)、取材の過程ではニセ警官だと思ったら実はホンモノの警官だったという、何とも言えないヒドイ話です。「告訴」調書を「被害届」に改竄しておいて、事件から5ヵ月も経って特別調査チームが調べてみたら、「驚いたことに改竄されていました。今、初めて気がついた」は、そりゃ無いでしょう。

2012年9月26日放映「ザ!世界仰天ニュース」
桶川ストーカー殺人事件発生後の埼玉県警上尾警察署(片桐敏男元刑事二課長・当時48­歳)の記者会見

 全てが劇的ですが、最大のクライマックスは、著者らが1999年末に犯人グループを独自に特定し、記事も出来上がっていたものの、フォーカス誌の校了日にまだ逮捕されておらず、記事を載せれば犯人に逃げられる可能性があるし、載せなければ載せないでこれまた逃げられるかもしれず、また何日か後に警察に逮捕されたとしても今度自分たちがこれを記事に出来るのは年が明けてからということで、ここまで追ってきたものが特ダネでもなんでもなくなってしまうというジレンマに陥ったところでしょうか。輪転機が回り始めてほぼ諦めかけたところへ、実行犯の身柄確保の報が入り、あとは、急遽記事を差し替え、身柄確保が逮捕に繋がることにかける―(仮に逮捕に至らなければ、大誤報ということになるリスクを負って)。取材に協力してくれたスタッフへの「百倍返し」という表現が出てきて、殆どドラマの世界のようです。

 被害者の元交際相手である小松和人が指名手配された翌2000年1月、著者は彼の逃亡先が北海道である可能性が高いことを突き止め、単独で北海道に向かいますが、同月、小松和人の死体が北海道の屈斜路湖で発見され、遺書があったことから自殺と判断されます。この小松というのは、本書を読む限り異常人格ではないかと思われますが、そうであろうとなかろうと死んでしまったら事の真相は分からないわけで、そうした意味でも、スッキリ解決した事件であるとはとても言えません(風俗業を営んでいた彼の背後に組織的な指図者がいたとの説もある)。

 加えて著者は、事件の裁判が、あたかも実行犯に指示をした小松和人の兄・小松武史(東京消防庁の消防士だった)があくまで"主犯"であり、本来の主犯である小松和人の存在が希薄なまま裁判が進められていくことに違和感を覚えていますが(最終的に小松武史は2006年に最高裁で無期懲役が確定)、それは警察の意図でもあるのではないでしょうか。仮に小松和人をこの事件の主犯であると定義づけてしまうと、警察は主犯を逃し、挙句の果てにその主犯を捕える前に自殺されてしまったということになるので、警察としては小松和人を事件の外に追いやって、兄・小松武史が"主犯"であるという方向へ事件を持って行ったのではないでしょうか。

 著者はその後日本テレビに転職し、2007年以降、当時殆どの人が関心を持っていなかった「足利事件」について、無期懲役が確定していた菅家利和さんは冤罪ではないかとの疑いのもと真犯人を追っており、実際あの事件では2009年に菅家さんの再審無罪が確定しており、一方、著者の方は、既に真犯人を特定し、捜査機関に情報を提供している事実を明らかにしています。

 この事件は、フォーカス誌を読んだジャーナリストの鳥越俊太郎氏が日本テレビの「スーパーテレビ情報最前線」によって2001年3月に取り上げられ(2002年には同番組版で椎名桔平、内藤剛志などの出演でドラマ化もされた)、その鳥越俊太郎氏が単行本の帯に「今どき、こんな記者がいたのか」と驚嘆の辞を寄せていますが、確かにスゴイなあと。元々記者ではなくカメラマンですから、記者やカメラマンという職種の違いに関係なく(まあ、両者は連れだって現場に赴くことが多いわけだが)、現場の感触から事件の真相を嗅ぎ分ける、ある種"才覚"のようなものがあるではないかと思いました。
 
【2004年文庫化[新潮文庫(『桶川ストーカー殺人事件―遺言』)]】

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下された判決に過ちがあったのではないか。死刑事件の真相を元裁判官が追っているだけに重い。

司法殺人 元裁判官が問う歪んだ死刑判決.jpg司法殺人 元裁判官が問う歪んだ死刑判決青春の殺人者  dvd.jpg青春の殺人者 デラックス版 [DVD]

 元裁判官である弁護士によって書かれた本書によれば、わが国で冤罪事件が後を絶たないのは、所謂「自白の呪縛」のためばかりではなく、日本の司法の特徴的な面が関わっており、それは、「日本の裁判官は、冤罪危険覚悟で有罪判決を下している」ためであるとのことです。

 日本の職業裁判官は、冤罪の危険領域を知りつつ、それでもなお自分の判断能力を頼りに、薄皮一枚を剥ぐように、或いは薄氷を踏むような思いで有罪・無罪を見極めようとしている、つまり一種の賭けをしているわけであって、そうやって死刑判決さえ出していると―。蓋然性のレベルであっても敢えて「無理に無理を重ねて」死刑判決を下すことがあるから、その内の一部が冤罪になるのは当然と言えば当然と言えると(賭けに全部勝つことはできないのだから)。

 本書では、こうした問題意識を前提に、死刑判決が出されているが冤罪が疑われる案件、有罪らしいが冤罪の主張がなされたことが影響して死刑判決となったと思われる案件、無罪判決が下された後に被告人が同種の猟奇殺人を起こした案件の3つを取り上げて、それぞれの事件及び裁判を、担当した弁護士へのインタビューなども含め検証しています。

 第1章では、'88(昭和63年)に起きた「横浜・鶴見の夫婦強殺事件」が扱われていて、第一発見者に死刑判決が出されたこの事件は、既に最高裁で被告人の死刑が確定し、現在、再審請求中であるとのことです。
著者は、裁判で犯人と第一発見者を区別することがいかに難しいかを説明しつつ、この事件の記録を様々な角度から詳細に検証した結果、被告人を犯人であると断定する確定的な証拠はないのではないか、即ち、証拠上は有罪とすることができないのではないかとし、権力機構の一員としての職業裁判官の思考方法がそこに影を落としているとしています。

司法殺人 元裁判官が問う歪んだ死刑判決2.jpg 第2章では、'74(昭和49年)に起きた「千葉・市原の両親殺し事件」が扱われていて、当件は、中上健次の小説『蛇淫』や、長谷川和彦の第1回監督作「青春の殺人者」('76年/ATG)のモデルになった事件で、ある家の22歳の長男が、女性との付き合いを両親に反対され、両親を登山ナイフでめった突きにして殺害した(とみなされた)事件。被告人は公判で「父は母により殺され、母は第三者により殺された」と冤罪を主張をしましたが、捜査中の自白の中に「秘密の暴露」(被疑者が真犯人でしか知るはずのない事項を自白すること)があったことが重視され、最高裁で死刑が確定し、こちらも再審請求中。

「青春の殺人者」撮影の合間に談笑する水谷豊、原田美枝子、長谷川和彦、中上健次(本書より)

 著者はこの案件が冤罪である可能性は低いとしながらも、ほぼ同時期に起きた「金属バット両親殺害事件」で懲役13年の刑が宣告されていることと比較し、被告が冤罪を主張したことで、家庭内のいざこざに起因する同類の事件でありながら、量刑にこれだけの差が出たのではないか、このような量刑の決め方は、「被告人が無罪を主張したから(国家権力に反抗したから)、それで死刑にしてしまう」というのと同じではないかとし、判決に疑問を投げかけています。

 第3章では、'68(昭和43)年から'74(昭和49)年にかけて断続発生した、女性を暴行殺害し放火する手口の「首都圏連続女性殺人事件」が扱われていて、容疑者として逮捕された中年男性は、東京地裁で死刑の判決を受けたものの、東京高裁では、逮捕後の過酷な取調べが問題視され、自白の任意性が否定されて無罪とされ、検察も上告を断念し、逮捕から17年目にして無罪確定したという案件。被告人は冤罪犠牲者としてマスコミの注目を浴びますが、その5年後に女児殺人未遂で逮捕され、更に被告人の住む団地1階の庭から成人女性の頭部が見つかり、部屋の冷蔵庫から女性の身体の一部が出て、駐車場からは首なし焼死体が発見され、この猟奇事件の犯人として無期懲役が確定しています。
 一事不再理の原則により、「首都圏連続女性殺人事件」を無罪とした東京高裁判決が正しかったかどうかは永遠の闇へと追いやられてしまうのですが、17年間裁判で争ってきた被告人の弁護人自身が、著者のインタビューに答えて、無罪判決は客観的に見れば誤判であったと言わざるを得ないと述懐しています。

 下された判決に過ちがあったのではないか―死刑事件の真相を元裁判官が追っているだけに重く、実際いずれも考えさせられる判決ですが、個人的には、3番目の事件で著者が、「疑わしきは罰せず」は良くも悪しくも「灰色無罪」という考え方に通じるもので、必ずしも真っ白だから無罪というわけではなく、そのあたり「疑わしきは罰せず」と無実とは区別すべきであるとしているのが印象に残りました(この事件の高裁裁判官は、"消極無罪"で対応すべきところを、被告の17年間の拘留を労うなど"積極無罪"と取れる発言をしたとのこと。まあ、裁判官の心証としても"真っ白"だったんだろなあ)。

青春の殺人者 チラシ.jpg 論理の枠組みがしっかりしているだけでなく、文章も上手。2番目の「千葉・市原の両親殺し事件」については、事件の時代背景を描き出すのと併せて、長谷川和彦監督の「青春の殺人者」('76年)について思い入れを込めて描写していますが(著者は1959年生まれとのこと)、一方で、この映画により「青春の殺人者」のイメージの方が事件の裁判よりも先行して定着してしまったとするとともに、事件―原作―映画の3つの違いを整理しています。

 それによると、事件は市川市で起きたわけですが、この事件から着想を得た中上健次は舞台を自らの故郷に置き換え、リアリティとは無関係にひたすら感覚的に自身に引き寄せて、「路地」(被差別部落)の一面を切り取ったような情念の物語にしていると。実際の原の両親殺し事件の犯人は、千葉県屈指の進学校を卒業した若者で、大学受援に失敗して父親の出資でドライブインをやっていましたが、水準以上の知能の都会的青年だったとのことです。

青春の殺人者0.jpg 一方、実際に事件を取材した長谷川和彦監督は、事件と同じく舞台を都市近郊に戻し、その他の部分でも警察発表等に沿って事件の背景や経過をなぞるとともに、主役にTVドラマ「傷だらけの天使」で本格デビューして人気の出た水谷豊(当時22歳で事件の被告とほぼ同年齢)を起用することで、原作の土着的ムードを払拭するなど、より実際の事件に引き付けて映画を撮っているようです(タイトルバックでは「原作:中上健次『蛇淫』より」となっていたと思う)。

青春の殺人者03.jpg 著者によれば、映画と実際の事件で大きく違うところは、主人公が父親に交際を反対された相手女性(原田美枝子(当時17歳)が演じた)が主人公の幼馴染みになっている点と(実際は風俗嬢であり内縁の夫がいた)、事件では本人が裁判で冤罪を主張した点であるとのことで、映画は主人公が「殺人者」であることが前提となっているため、今の時代であれば人権侵害で問題になっているだろうと(一審死刑判決が出たのは事件の10年後で、裁判中は推定無罪の原則の適用となるため)。実際、裁判で被告は、この映画のイメージの世間への影響について言及し、自分は「青春の殺人者」ではないという訴え方をしたようです。

青春の殺人者2.jpg この「青春の殺人者」については、個人的にはやはりどろっとした感じで馴染みにくさがありましたが、今また観ると、長谷川和彦監の演出はいかにも70年代という感じで、むしろノスタルジー効果を醸し、主人公である息子が父親を殺したことを知って、どうやっ青春の殺人者 原田美枝子.jpgて死体を隠そうかオタオタするうちに、それを見かねた主人公に殺されてしまう母親役(映画では近親相姦的に描かれている)の市原悦子の演技が秀逸、そもそも出ている役者がそう多くはないけれど、主役の若い2人を除いて、脇は皆上手い人ばかりだったなあと。水谷豊には「バンパイヤ」など子役時代もあったはずだが、この作品での演技は今一つ(滑舌はいいが、良すぎて演劇っぽい)、撮影時17歳の原田美枝子は、この時点では演技力よりボディか(しかしながら、水谷豊、原田美枝子ともそれぞれキネマ旬報の主演男優賞・主演女優賞を受賞している)。

長谷川和彦.jpg 長谷川和彦監督(当時30歳)は、この監督デビュー作で'76年の「キネマ旬報ベスト・テン」日本映画ベスト・ワンに輝いていますが、そもそもピンク映画のようなものも含めたシナリオ書きだった彼のところへ、自身の監督作を撮らないかと持ちかけたのはATGの方で、最初はそんなお堅い映画は撮れませんと断ったところを、好きに撮っていいからとプロデューサーに口説かれて撮ったのがこの作品だったとか。

 この人も東大中退のインテリなんだけど(アメリカンフットボール部の主将だった)、この作品の後「太陽を盗んだ男」('79年/東宝)を撮っただけで、それから監督作が全く無いという―どうしたんだろなあ。「青春の殺人者」がキネマ旬報ベスト・テン第1位に選ばれた際に、長谷川和彦監督自身は「他にいい作品がなかったからでしょう。1位、2位、3位、4位なしの5番目の1位でしょう。そう思っています」と言っており、この謙虚さは、これからもっとすごい作品をばんばん撮るぞという意欲の裏返しだと思ったのだが...。

青春の殺人者(長谷川和彦).jpg「青春の殺人者」●制作年:1976年●監督:長谷川和彦●製作:今村昌平/大塚和●脚本:田村孟●撮影:鈴木達夫●音楽:ゴダイゴ●原作:中上健次●時間:132分●出演:水谷豊/内田良平/市原悦子/原田美枝子/白川和子/江藤潤/桃井かおり/地井武男/高山千草/三戸部スエ●公開:1976/10●配給:ATG(評価:★★★☆)

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「犯罪神話」の誤謬や犯罪者の実態を解説。ポピュリズムと厳罰化、人はなぜ罪を犯すのかなどを考察。

2円で刑務所、5億で執行猶予.jpg 『2円で刑務所、5億で執行猶予 (光文社新書)』['09年]

 第1編・前半部分「犯罪と犯罪予防」では、治安といった犯罪現象の分析や科学的な犯罪対策について書かれていて、"少年犯罪は凶悪化し、外国人犯罪も増加の一途を辿っている""日本の治安はどんどん悪化している"といった世間に流布されている「犯罪神話」について、データ分析をもとに、それが事実かどうかを検証しています。

 結局のところ、殺人などの凶悪犯罪は戦後からずっと減少傾向にあり、日本の治安は一貫して安全に保たれており、暴力犯罪という視点から見れば日本は世界で最も安全な国であること、少年犯罪も増加していないことを指摘するとともに、現在問題なのは高齢者犯罪の増加であるとするとともに、こうした「神話」の形成には、マスコミの事件報道の(ワイドショー的な)姿勢が大きく影響しているのではないかとしています。

 これまでもこうした「犯罪神話」の誤謬の指摘には触れたことがありますが、依然、こうした「神話」を根拠に「治安が年々悪化するのは、家庭の教育力が低下したこと、地域のコミュニティが希薄化したこと、なにより個人のモラルが低下していることが原因だ」と言って、本書にもあるように、道徳やモラルを重視した教育をすべきだとか、犯罪者の刑罰を厳しくすべきだという主張をする政治家や識者はいるなあと。

 犯罪を少しでも減らすためにはどのような対策が考えられるかを、米国で実施された防犯プログラムなどの効果を検証しながら、犯罪科学的観点から考察しており、著者の専門は犯罪学であると今更のように気が付いた?(本書を手にするまでは法律家かと思っていた)

 一方で、著者は法務省の矯正機関や保護観察所での勤務経験もあり、第2編・後半部分「刑事政策(刑罰)」では、そうした自らの経験を踏まえながら、刑務所に送られる犯罪者の実態を紹介するとともに、人はなぜ罪を犯すのかという犯罪理論につて考察しています。

 興味深かったのは、法律学や法律家が果たすべき役割とその限界について述べた節で、裁判では真実は明らかにならないとしている点で、著者は「法律家は、論理の組み立てでものを考える。そして、論理的な思考が科学的な思考だと勘違いしやすい」「法律家は、法律の専門家、つまり、問題を法的に処理する専門家であって、社会問題を解決する専門家ではない」としている点で、確かにそういうことなのだろうなあと思いました。

 結局、日本の司法官僚は刑事政策の専門家でもなんでもなく、一般市民と同じレベルでマスコミ世論の影響を受けポピュリズムに流されやすい傾向にあるということになるのかも。

橋下徹.png これは前半部分のマスコミ報道の在り方との問題とも関係してくるわけですが、光市母子殺害事件で、テレビ番組に出演して弁護団を非難し、視聴者に弁護士会への懲戒請求を呼びかけた橋下徹氏の言動が視聴者に支持されことが事例として紹介されており(但し本人は懲戒請求しておらず、江川紹子氏は、結局のところ逆提訴されるのを恐れたのではないかというようなことを言っていた)、彼はその後、大阪府知事選に立候補して知事になり、タレント弁護士から政治家へ転身したわけですが、こうした言動がその追い風になった面はあるかも。

 マスコミ報道によって世論が厳罰化する傾向は海外でも見られるそうで、国際比較上は、まだ日本の司法官僚は、官僚組織の一員としての性格が強い分、ポピュリズムには抵抗力があるそうです(著者はポピュリズムそのものを否定しているのではなく、むしろ健全なポピュリズムをどう形成するかが大事であるとしている。橋本氏型のポピュリズは健全と言えるかなあ)。

 著者も述べているように体系だった本ではないので、何となく纏まりを欠く印象も。但し、受刑者はその殆どが社会的弱者であり、刑務所依存症とでも呼ぶべき、刑務所でしか暮らせないような人もいること(刑務所から出所しても更生のための生活支援や就職支援の援助がなければ結局、刑務所に戻らざるを得ないこと)の指摘など、随所に考えさせられる個所はありました。

 犯罪学・刑事政策入門書といった内容に対し、ややずれを感じる本書のタイトルですが(確かに司法制度の在り方にも問題提起しているが、このタイトルでは「量刑相場」について書かれた本かと思ってしまう)、「これは編集者の助言によって広く本書を手にとってもらいたいという願いから付けられたものである。一見すると5億で執行猶予を批判しているような印象を与えるかもしれない。しかし、(中略)妥当な判決であるお肯定的に評価している」と、まえがきに申し添えられています。

《読書MEMO》
●ある意味、刑事司法手続は、98%の人が不起訴や罰金刑で勝ち抜けるゲームであり、受刑者は、その中で2%弱の負け組なのである。ただし、ここで重要なことは、負け組になる理由は、犯罪の重大性や悪質性とは限らないことである。

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「殺人」より「結婚詐欺」にウェイトが置かれた裁判のような印象を受ける傍聴記。

毒婦。 木嶋佳苗.jpg 『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』 (2012/04 朝日新聞出版)

 肉体と結婚をちらつかせて男たちから1億円以上もだまし取り、3人の男を練炭で殺害したとして死刑判決を受けた木嶋佳苗被告の100日に及んだ裁判では、彼女のファッションまでもが話題となり、自身のセックスについて赤裸々に語ったことで、日本中が騒然となった―。

 「週刊朝日」に連載された'12年1月から始まった木嶋佳苗被告の35回に及んだ審理の公判傍聴記で、著者はコラムニストであり、本書のトーンも一般的に堅いイメージのある「傍聴記」とは異なり、「傍聴コラム」といった感じ。

 巷で「劇場型裁判」と言われた、そのどの面が「劇場型」だったかが雰囲気的に分かる内容でしたが、タイトルが「毒婦」となっているように、その「劇場」の「出演者」や「観客」を観察しながらも、著者自らも「観客」と一体化している部分もあり、その辺りの著者のスタンスがよく分かりませんでした。

 著者自身は「女性の目線」を意識して書いたわけではないとしながらも「男性に目線」にならないように注意したとあり、結局、決して美人とはいえない容姿で、何人もの男を手玉に取ることが出来た理由を探ることに終始しているようにも思いました(これでは「女性週刊誌」の視点と変わらない)。

 終りの方には、木嶋佳苗の故郷・北海道別海町や事件関係者などへの取材内容もあって、彼女が小倉千加子氏の本の愛読者であったとか、そこそこ丁寧に取材はされていいますが、末尾には上野千鶴子氏の「援交世代から思想が生まれると思っていた。生んだのは木嶋佳苗だったのね」という言葉が紹介されたりもして、こんな方向性の落とし込みでいいのかなあ。

 木嶋被告とはどんな人物なのかを知ろうという熱意は伝わってきますが、被害者の男性達の姿(もうプライバシーも何もあったものじゃない)から「男性の求める理想の女性像とは何か」みたいな方向に行ったリもして、結局最後はややモヤっとした感じ。

 まあ、彼女がどのような人物なのかを、そう簡単に決めつけることもできないし、決めつけてもあまり意味が無いような気もしますが。

 「稀代の婚活詐欺師」と言っても、結婚詐欺師は男女にわたって世に沢山いるだろうし、やはり何と言っても彼女の特異な点は、その行為の落とし込み所が全て、男性に睡眠薬を飲ませて練炭を用いて殺害するという「殺人」行為であるということに尽きるでしょう。

 彼女の周辺で不審死を遂げている男性は6人(この裁判の対象になっていない3人の事件は民事的にはどうなるのだろうか)。まるで超過密スケジュールで「仕事」をこなしていくように、男性を取り込んでは殺人を繰り返していますが、どこか、その"手際の良さ"に感服してしまっているところが、本書の根柢にあるように思われました。

 こうした裁判においては、「動機」よりも成した「行為」そのものの方を重視すべきではないかな。「事故」ではなく「故殺」であることが客観的に立証されることが最優先であると思うのですが、裁判自体が「動機」の方に関心が行き過ぎて、"心理戦"の様相を呈しているようにも思いました(その"心理戦"において"堂々としている" 木嶋被告に、更に感服してしまっているキライも本書にはある)。

 裁判員制度下では、こうした事件は、「動機」から容疑者の"非人間性"を炙り出す(併せて、同時に被害者の"無念"を露わにする)という、こうした法廷戦略になりがちなのか。一審判決は死刑だったけれども、印象的には検察側の戦略はあまり上手くいっていないように思えました。

 結局「殺人」事件の裁判ではなく、「結婚詐欺」事件の裁判みたいになっている印象を受けるのは、あくまでも著者の傍聴内容からのピックアップの仕方が偏っているからであり、実際の審理は"文脈的"にはもっとマトモで、必ずしも著者がピックアップしているようなことばかりではなかったこのではないかという気もしたのですが、法廷で自身の名器自慢などを堂々と語られると、注目・関心がそちらの方へどっと流れてしまうというのはあるのかも。

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これも力作だが、「犯人の見立て」を独自には行ってはいないため、"隔靴掻痒"感が。

時効捜査 竹内明2.jpg 時効操作2873.JPG        警察庁長官を撃った男.jpg 
竹内 明『時効捜査 警察庁長官狙撃事件の深層』['10年4月]    鹿島圭介『警察庁長官を撃った男』['10年3月]

長官狙撃事件 共同.jpg 鹿島圭介 著 『警察庁長官を撃った男』('10年/新潮社)と同じく、'95年3月発生の警察庁長官狙撃事件の時効に合わせて刊行された本で、著者はTBS報道局社会部として、夕方のニュース番組の編集者やキャスターを務めた経験もある人です。

 取材をTBS報道部がバックアップしているとは思われますが、400ページ超の大作であり、同時にこれもまた力作であって、事件捜査の背後にあった警察内の刑事部と公安部の確執についてはこれまで読んだ類書の流れと同じでしたが、事件そのものの経緯などは『警察庁長官を撃った男』よりもずっと詳しく書かれています。
警察庁長官狙撃事件 1995年3月30日[共同通信社]

 ある時期からオウム信者の小杉(本書では「小島」という仮名になっている)元巡査長が事件の実行犯であると疑われ、その後、小杉元巡査長自身が曖昧な供述の繰り返しのため、焦った当局は、実行犯から支援者に切り替えて'04年に彼を起訴するものの、検察の門前払いを喰って不起訴となりました(警察が証拠とした現場に遺棄された10ウォン硬貨に付着していたDNAというのが、確度の低いミトコンドリアDNAだったいうのは、本書で初めて知った)。

警察庁長官狙撃事件 時効.jpg 本書では、そうした事件捜査の迷走ぶりをドキュメンタリー風に描くとともに、'10年3月に時効を迎えた後、警視庁が時効の翌日に「警察庁長官狙撃事件の捜査結果概要」なるものを警視庁のウエブサイトに掲載し、この事件がオウムに対する組織的なテロであると結論付けていることに対し、あとがきで更に批判を加えています。

 勿論、このことは世間でも批判の対象となり、日弁連が削除を要請、アレフによる民事訴訟の対象ともなっていますが、本書あとがきにある公安幹部の「民事訴訟を起こされても構わない。そうなれば我々としては民事の法廷で真実を明らかにできるじゃないか」という言葉からすると、ある意味、「時効後の捜査」を続ける手立てとして確信犯的にやったのかも。

 本書では、オウムを中心に幅広く長官狙撃犯の可能性を探り、それぞれの裏が取れるところまで取り、犯行の可能性が残る部分はそのまま可能性として提示しているという感じで、非常に客観的に書かれているように思いました。

 『警察庁長官を撃った男』では、事件が老スナイパー・中村泰(ひろし)の犯行であることを印象付けるものとなっていましたが、本書では「中村犯行説」を取り上げてはいるものの、目撃情報との身体的特徴の落差や、4発目の銃弾の行方に対する証言の不確かさから(中村は長官の異変に気付いて飛び出して来た警官の背後の空中へ向けての威嚇射撃だったとしたが、警官はその時まだ現場には来ておらず、弾は空中ではなく植え込みに撃ち込まれていた)警視庁サイドが「中村犯行説」は無いとしたことで、それほど重きを置いて扱ってはおらず、但し、中村の供述が捜査本部内の刑事と公安の溝を更に深めることになったとはしています。

国松長官狙撃事件 犯人逃走経路.jpg 個人的に気になったのは、犯人が逃亡する際に、一般には「自転車で猛スピードで逃げ去った」とされていますが、実はアクロシティ敷地内で途中で一旦自転車を止めて、どちらへ逃げるか逡巡するような行動をとっていることで(このことは複数の目撃者がいたにもか関わらず事件発生のかなり後になって公表された)、これは逃走進路上に一般人がいて、進路の先にいた見張り役の誰かの合図によって一時停止したものと思われますが(横殴りの雨降りだったのに傘もささずに立っていたこの"誰か"が、オウムの幹部に似ていたという話もある)、そうしたことが本書の「小杉供述」にも「中村供述」にも無いことでした。

 オウム関連ではその他に、既に松本サリン事件の実行犯として死刑が確定している端本悟や、本書刊行当時逃亡中だった平田信にも、警視庁内では、長官狙撃の実行犯である疑いが持たれていたことが窺えます。

平田信.jpg 平田信は、昨年('11年)12月31日に丸の内警察署に出頭し逮捕されましたが、本書によれば、公安が'96年に、平田信の所在に繋がる女性信者(齋藤明美)を50人がかりの追尾要員であと一歩のところまで追い詰めながら(隠れ家の仙台のアパートまで辿りついた)、タッチの差で二人を取り逃がしていたとあり、この辺りは、刑事ドラマを見ているみたいだなあ(結局、齋藤明美は平田の逮捕後の今年('12)1月10日に、弁護士に付き添われ大崎署に自首した)。
平田 信・齋藤明美(ANN)

 長官狙撃事件の鍵を握るとも言われる平田信が捕まったのが時効の後では...。一橋文哉 著 『オウム帝国の正体』('02年/新潮文庫)によれば、オウム教団がロシアで行った射撃ツアーでも平田信の成績は良くなく、人を撃てるようなレベルではなかったということですが、一応、国体のライフル射撃の選手だったんでしょう?

 射撃訓練ツアーに参加した信者の証言では、「ちゃんと当たったのはただ二人。一人は自衛隊出身の山形明さんで、もう一人が平田信さんでした」(有田芳生氏の「酔醒漫録」より)とあり、一方、同じツアーに参加していた端本悟の名前はありません。

 公安部の改変後の"シナリオ"によると、小杉元巡査部長が現場でコートを渡した相手が端本悟で、彼が実行犯ということになり、本書によれば、捜査当局は、射撃訓練ツアーの参加者の内、教団幹部の元自衛官(山形明と思われる)から「端本の腕前の印象はないが、それなりに命中していたと思う」という供述を引き出し(無理矢理?)、端本悟は「射撃の腕前あり」と半ば強引に判断したようです。

 但し、これは改変した"シナリオ"を補強するためのものに過ぎず、公安が端本を訴追するには至っていないため、本書もここまで止まり。捜査の展開を具に拾ってはいるものの、「犯人の見立て」というものを著者が独自に行っているわけではなく、事件の"迷宮入り"をそのままなぞっている気もして、この辺りの"隔靴掻痒"感が、本書の弱みと言えば弱みでしょうか。

 本書の後に出た小野義雄 著『公安を敗北させた男 国松長官狙撃事件』('11年/産経新聞出版)は「端本実行犯説」みたいだけど...。

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力作だが、「中村犯行説」に否定的に働く要素が恣意的にオミットされているような気も。

警察庁長官を撃った男.jpg警察庁長官を撃った男 874.JPG  鹿島 圭介 『警察庁長官を撃った男』.jpg 国松長官狙撃事件現場.jpg
警察庁長官を撃った男』['10年]『警察庁長官を撃った男 (新潮文庫)』['12年]

中村泰.jpg '95年年3月30日に荒川区南千住のマンション・アクロシティ敷地内で発生した国松孝次警察庁長官狙撃事件が、事件後15年を経た'10年3月に時効を迎えるのに合わせて刊行された本で、'03年以降、捜査の途中で何度かその名が浮かび上がった老スナイパー・中村泰(ひろし)の犯行であることを印象付けるものとしては力作です。

 警察、とりわけ南千住署において捜査を主導した公安は、この事件をオウム真理教信者らによるものと見込んで、特に、信者である元警視庁巡査長を最初の内は狙撃犯として捜査に当たりましたが、K(小杉)元巡査長の曖昧な供述に翻弄され、神田川に棄てたという拳銃をはじめ何ら物証らしきものも見つからなかったため、事件から9年後の'04年7月に、現場に残されていた10ウォン硬貨に付着していたDNAと小杉元巡査長のそれが一致した(?)として、彼を実行犯ではなく現場にいた支援者だったとし、彼を含むオウム信者4人を逮捕、内2人と共にK元巡査部長を起訴していますが、その後の取り調べでも事件につながる証拠は何も出て来ず、同年9月には不起訴処分となっています。

警察が狙撃された日 そして〈偽り〉の媒介者たちは.jpg 以前に、谷川葉 著 『警察が狙撃された日―そして「偽り」の媒介者たちは』('98年/三一書房)を読みましたが、警察内の刑事部と公安部の確執にスポットを当てているのは本書と同じで、「小杉犯行説」が濃厚視されることをベースに、公安が小杉元巡査部長の供述を無きものにしたという趣旨だったように思いますが、本書においては、公安のメンツを保つためにオウム犯行説にこだわり続け、刑事部「中村捜査班」の取り調べ成果を、米村敏朗・警視総監(当時)が一顧だにしなかったとして、名指しで米村批判をしています。

 その、本書で著者が限りなく真犯人に近いとしている中村泰については、今回初めて詳しく知りましたが、昭和5年生まれで東大中退のちょっと天才肌の凄い人物(名古屋で起きた現金輸送車襲撃事件で現行犯逮捕され服役中)。犯行の経緯を著者に詳細に語る下りは、まさに彼こそ真犯人であると思わせるものがあります。

 小杉元巡査長の"犯行当時"の供述も具体的であることはあるのですが、そこまで具体的に語っておきながら、その後、「自分はやっていないような気がする」などと前言を翻したりしているのを見ると、取り調べに誘導があって、供述書が実質的に警察の"作文"になっている可能性もあるような...(証拠が見つからないと、彼は実行犯ではなく支援役だったという供述書が出てくるところなどは、更に"作文"の疑いを深める)。

 一方の中村泰の供述は、小杉供述に勝るとも劣らぬ具体性があり、例えば、事件当日に國松長官がアクロシティEポートの正面玄関からではなく、たまたまその日に限って通用口から出てきた時の、予想と異なった際の心理状態についても語られています(30メートル先に現れる予定だった"標的"がいきなり10メートルも手前に現れたから、驚くのは当然)。

 個人的には、地下鉄サリン事件の10日後に起きた事件であったことから、ずっとオウム犯行説なのですが、中村泰の犯行動機が、本書にあるように、オウムの犯行と見せかけて、警察を焚きつけてオウムを一気に壊滅に追い込むことであれば、この時期的な符合は不自然ではありません。

 但し、中村泰がもう一つの犯行動機としている警察機構への復讐と第一の犯行動機とは矛盾するものであり、また、現場に北朝鮮の硬貨を遺留してくることは、どちらの動機から見ても全く意味をなさず、更には、中村自身も自らの供述を何度も翻したりボカしたりしているところがあるため、彼の供述にも疑念の余地は大いにあるように思いました(長官狙撃を思い立ったという時点から実行までの期間があまりに短いのも気になる)。

国松長官狙撃事件現場.jpg そう思い始めると、やはり犯行目撃者の多くが証言している"身長170~180センチの男"と中村の160センチという身長の格差"や(本人が産経新聞の記者に、犯行当時シークレットブーツを履いていたと語ったという話はあるが)、犯行当時65歳の誕生日を目前に控えていたという"高い年齢"から、「中村犯行説」も怪しくなってくる...(本書では、「中村犯行説」にネガティブに働く要素が、恣意的にオミットされているような気も)。

 刑事部と公安部の確執は類書にもあるので、もう少し、犯行がどのように行われ、それに対する小杉・中村両者の供述がどれくらい符合しているかを検証して欲しかった気がします。

警察による現場検証の様子.jpg 例えば、狙撃犯が潜んでいたとされるアクロシティFポートの植え込みからでは、"標的"がEポート正面玄関から出てきた場合は、長官狙撃事件6.JPG射程距離が30メートルもあるばかりでなく、狙える角度というのが極めて鋭角的に限定され(右写真女性の立ち位置)、従って一瞬の内に標的に狙いを定め発砲しなければならない―そんな難しい位置取りで待機し、それがたまたま予定よりも10メートル手前から標的が現れたとしても、一巡査長や65歳の老人が、一瞬にして移動中の標的に照準を合わせ、連続して3発もの銃弾を標的に命中させることが果たして出来ただろうか、かなり疑問です(上写真:警察による現場検証の様子 左手前から右先の人物に向けて狙撃がなされたと推定されている)。
長官狙撃事件 読売.jpg 但し、本書にある最初の「小杉供述」によると、Fポートの吹き抜け(通路)に潜んでいると、格子窓(左写真の右上)からEポートの通用口が見え、マンションから男が出てきたので植え込みの所へ移動して撃ったとなったおり、これがFポート東辺吹き抜け通路中程(左写真の「1」の札のある位置)から隅田川寄りの植え込み(左写真の左奥グリーン方向)へ移動して撃ったとなると標的への距離はぐっと縮まります(最初の供述では、その際に現場で小杉元巡査を誘導したのは、早川紀代秀・平田信・井上嘉浩とされている。井上は小杉のすぐ傍にいたことになっていて、では彼はどうやって現場から立ち去ったのかが不思議)。
狙撃現場を調べる捜査員[2012年3月30日 YOMIURI ONLINE(事件不起訴処分となった日に再掲)]

 隅田川寄りの植え込みから撃ったとなると、「中村供述」にある「30メートルが20メートルになった」という話どころか、標的までの距離は10メートル強となり、ある程度の射撃が出来れば標的を撃てそうな気もするのですが、但し、実際に長官がそんな至近距離から撃たれたという話は公表されている限りでは無いようだし、やはり移動したのが手前の植え込みだとすれば、結局、「小杉供述」も「中村供述」とほぼ同じことになってしまう...。長官は背後から撃たれているようだから、手前の植え込みから撃ったのかなあ。そうすると犯人は、上写真手前植え込みから女性の立ち位置辺りにいた標的に対し、3発連続で的を外さなかったわけで、驚異的な射撃の腕前を持った人物ということになるのですが...。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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密度の濃いドキュメントであり、裁判の公判分析という点でも優れた1冊。

検証 秋田「連続」児童殺人事件.jpg検証 秋田「連続」児童殺人事件』['09年/無明舎出版] 畠山鈴香.jpg 畠山鈴香 無期囚

 '06(平成18)年の4月から5月にかけて起きた「秋田連続児童殺人事件」を、地元紙・北奥羽新聞の記者らが、事件発生から、畠山鈴香被告の無期懲役刑が確定するまでを追ったドキュメント(仙台高裁秋田支部の控訴審判決に対し畠山鈴香被告が上告を取り下げたのは、'09(平成21)年5月のこと)。

 本書のベースになっているのは、北奥羽新聞で '07(平成19)年1月から2年ほど続いた連載で、能代市に本拠があるこの新聞社の本社記者は11名しかおらず、地元ネタだけで日々の紙面を埋めているような新聞とのことですが、マスコミ大手が事件発生当初に陥ったセンセーショナリズムを排した、極めてきっちりした取材内容であり、事件後1年を経て地元民への取材及び連載を開始したというのは、"正解"だったかも知れないと思わせるものでした。

 マスコミ被害に苦しめられながらも、事件の衝撃からの回復の兆しが見せ始め、子どもを守るため具体的な対策を取り始めた地元の人々の様子や、今なお癒えぬ事件被害者の遺族の心情など、伝えているものは多いのですが、やはり本書の核となるのは、120回の連載のうち80余回を占めた公判の傍聴記と判決の検証ではないかと思います。

秋田「連続」児童殺人事件.jpg 裁判で最大の争点となったのは、被告の娘・彩香さんの死が殺人であったのか過失であったのかということと、引き続き起こした豪憲君殺害事件の動機であり、とりわけ前者は、彩香さんに対する疎ましさと嫌悪の極限で殺意が生じたと主張する検察側と、彩香さんが欄干の上で抱きついてきたために、スキンシップ障害から思わず払いのけてしまったという弁護側で、真っ向から対立します。

 加えて、被告の精神鑑定をした精神科医による、彩香さんの死は「無理心中未遂」、豪憲君殺人は「強制殉死」といった説などが出てきて、この説は法廷で採用されることはありませんでしたが、人格障害者の起こした事件を裁くことの難しさを考えさせられました。

 結局、同じ医師による、彩香さんの"事故"後に被告は「突発性健忘」に陥ったという見方は、「記憶の抑圧」があったということを裁判所も認めてはいるものの、弁護側の主張する、彩香さんの死は"事故"だったとの見方は否定し、殺人事件であったとの見方を判示していますが、豪憲君殺害に繋がる動機の説明として使えそうな部分だけ抽出したという気がしなくもなく、被告の心の闇を解明することに時間を費やすよりも、被害者遺族の感情を考慮して、結審を急いだような印象を受けました。

 その他にも、必ずしも明快に解明されたとは言えない弁護側と検察側の対立点の1つとして、「自白の任意性」の問題があり、被告のようなタイプの人格障害の場合、相手の言いなりになって事実でもないことを認める傾向が時にあるようですが、ここでも判決は、調書には信頼性があると断定しています。

 一方で、被告は、彩香さんの死を悲しむものの、豪憲君の死については両親の苦しみが理解できないでいる様子であり、そうした被告が、刑の重みをどれほどの反省の念をもって受け止めることができるのかという疑問も残ります。

 記者の筆致は、弁護側、検察側、裁判所、精神科医などのそれぞれの主張の何れかに偏ることなく、それぞれに距離を置きながら対比させてその相違点を明らかにするとともに、内在する矛盾点や疑問点については鋭く疑義を挟むものとなっています。

 彩香さんの死が必ずしも十分に解明されたとは言えないという観点から、本書のタイトルも、「連続」児童殺人事件という具合に"連続"にカギ括弧がついていますが、但しこれは記者らが、彩香さんの死は殺人事件ではなかったという独自の結論に至ったということではありません。

 版元は小さな出版社ですが、密度の濃いドキュメントであり、裁判の公判分析という点でも優れた1冊。
 本書を通して事件をより深く知ることが出来たものの、結局、被告の心の闇は必ずしも十分に解明されていないというのが個人的な実感で、無期囚となった被告自身が語り始めるまでは自分達の取材は終わらないという結語にも、真摯な取材姿勢と併せて、そのことが窺えます。

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特殊な障害を持つ人に対する社会的フォローや更正の在り方について考えさえられた。

死刑でいいです.jpg死刑でいいです- 孤立が生んだ二つの殺人』['09年] 山地悠紀夫.jpg 山地悠紀夫 元死刑囚

 '00年に16歳で自分の母親を殺害し、少年院を出た後、'05年に面識のない27歳と19歳の姉妹を刺殺、取り調べや公判で「死刑でいい」と語って、'09年7月に25歳で死刑が執行された山地悠紀夫の、2つの殺人事件とその人生を追ったルポルタージュで、編著者は共同通信大阪社会部の記者。べースになっているのは、ブロック紙・地方紙に連載された特集記事で、'09年1月に「新聞労連ジャーナリズム大賞」の第3回「疋田桂一郎賞」を受賞していますが、単行本に編纂中に、山地の死刑が執行されたことになります。

 山地は少年院で広汎性発達障害のひとつである「アスペルガー症候群」と診断されていて、著者は、発達障害と犯罪とが直接結びつく訳ではないとしつつも、障害が孤立につながるリスク要因の1つであると考えおり、山地の場合、障害に加えて、悲惨な家庭環境や少年院を出てからの社会的支援の無さなどが重なり、そうした状況が彼を追い詰めたのではないかとしているようです。

 実際の公判では、広汎性発達障害ではなく「人格障害」であるとの精神鑑定が採用され、死刑判決が下ったわけですが、連載時のタイトルが「『反省』がわからない」というものであることからしても、他人に共感するといったことが困難なアスペルガー症候群の特徴が、山地に強く備わっていたことを窺わせるものとなっています。

 こうした見方は、単に著者の独断によるものではなく、事件に関わった或いは同じような事件を扱ったことがある鑑定医や弁護士など専門家を取材しており、また、山地の人生がどのようなものであったかについては、担任教諭、友人、弁護士、少年院の仲間、更には、少年院を出た後にその世界に入ったゴト師にまで及んでいて、一方で、被害者の遺族・関係者にも取材していて、山地の罪や被害者の感情を決してを軽んじるものとはなっていません。

 その上で本書を読んで思うのは、やはり山地の心の闇が解明されないままに彼の刑が執行されたように思われ、その事が残念な気がしました(山地自身にしてみれば、「刑死」という形の「自殺」だったのかも知れないが)。
 元家裁調査官の藤川洋子氏が、発達障害の傾向を踏まえたうえで、「反省なき更正」型矯正教育を提唱しているのが強く印象に残りました。

 藤川氏のみならず、カウンセラーや精神科医、弁護士など専門家に対する、新聞連載を読んだうえでの感想を聞いたインタビューは、かなり突っ込んだものになっていて、そこからは、死刑制度の在り方と併せて本書が提起しているもう1つの課題である、少年院から社会に出た後の社会福祉的フォローの問題が浮き彫りにされています。

 本書では、発達障害に対する偏見を除くために、そうした障害を持つ人達の支援グループの活動が紹介されていますが、山地のことを、理解しがたい特殊な犯罪者として社会的排除の対象とした事件当時のマスコミや世論の論調にも問題はあったのでしょう。
 しかし、2つの殺人事件を犯す前に、山地自身がそれぞれ発していたSOSを、十分に理解し受け止めることができなかった社会の在り方の方が、問題の根深さという意味では最も深刻なのかも知れないと思いました。

 【2013年文庫化[新潮文庫]】

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ノンフィクションをスパイ小説タッチで書く手腕に感心。当時より、今の方が身近な問題に。

カッコウはコンピュータに卵を産む 上.bmp カッコウはコンピュータに卵を産む 下.bmp   WarGames.jpg "Wargames" [1983]
カッコウはコンピュータに卵を産む〈上〉』 『カッコウはコンピュータに卵を産む〈下〉

 天文学研究の傍ら、研究所のシステム管理の責を負うことになった主人公が、システムの使用料金合計が僅かに合わないことの原因の究明に当たるうちに、コンピュータにハッカーが侵入していることが判明、このハッカー、研究所のコンピュータを足場に、国防総省のネットワークを経由して各地軍事施設やCIAのコンピュータに侵入していて、どうやらドイツが発信元らしいことは判ったが、当局はまだ調査に動かない。その間にもハッカーは、米国の軍事施設やドイツ駐留米軍基地に侵入するなど世界を自在に駆け巡ってスパイ活動していて、そこで主人公は、ハッカーの正確な居場所を突き止めるために一計を案じる―と、まるで手に汗握るスパイ小説のような話ですが、本書は実際にあった国際ハッカー事件の記録であり、そのハッカー相手に奮闘した天文学者が'89年に自ら書き下ろしたものです(原題:The Cuckoo's Egg: Tracking a Spy Through the Maze of Computer Espionage)。

ウォー・ゲーム.jpg かつて、80年代前半に、「ウォー・ゲーム」('83年)という映画がありました。

映画 「ウォー・ゲーム

 パソコン少年が偶然繋がった正体不明の相手とネット上で米ソ核戦争ゲームをするのですが、実はその相手は、北米防空司令部が核攻撃を自動化したコンピュータであり、相手は仮想のソ連の攻撃を演出しているのに、少年の攻撃は、実際の作戦命令として実行されようとしていたというもの。
 ハラハラさせられる一方で展開に少しご都合主義な点もあり、映画としての出来はイマイチ、そのバックグラウンドも当時はやや荒唐無稽に思えたのですが、後にその背景モチーフは予見的なものだったとして再評価され、映画全体の評価も併せて上昇するに至りました。
 本書などは、まさに「ウォー・ゲーム」再評価の原動力の1つになったかも(セキュリティ・システムは20年前と今では全然違うだろうが、それでも、国の関係機関が運用するサイトがハッカー攻撃に遭ったりしているではないか)。

 実際にあった"電子スパイ事件"という、読者を惹きつけるソース(元ネタ)ではあるにしても、どうして小説家でもない若者がノンフィクションをこう小説のようなタッチで書けるのか、上下2巻約600ページを飽きさせずに読ませる手腕には関心させられます(翻訳もこなれている。本書は草思社の代表的ベストセラーの1つとなった)。

 ハッカーに狙われるほどのものではないにしても、フィッシングなどのネット被害は珍しいものではなくなっており、自分自身、クレジット・カードを持ち歩いてもいないのに、盗まれたのと同じような状況になっていることをカード会社から知らされた経験があり(要するに勝手に使われている)、金融機関やプロバイダから個人情報が流出することもある昨今、個人の情報リテラシーの問題だけでは片付けられない気がします。
 オークションなどのネット商取引で、色々なサイトを行き来している人は、そのサイトの作成者自身に悪意が無くとも被害に遭うことがあり、ご用心、ご用心というところでしょうか(何だか、本の出来に感心している場合ではなくなってくる)。

「ウォー・ゲーム」.jpgウォー・ゲーム ちらし.bmp「ウォー・ゲーム」●原題:WAR GAMES●制作年:1983年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・バダム●製作総指揮:レオナード・ゴールドバーグ●製作:ハロルド・シュナイダー●脚本:ウォルター・F・パークス/ローレンス・ ラスカー●音楽:アーサー・B・ルービンスタイン ●時間:114分●出演:マシュー・ブロデリック/ダブニー・コールマン/ジョン・ウッド●日本公開:1983/12●配給:MGM/UA●最初に観た場所:テアトル新宿 (84-09-16) (評価:★★★)●併映:「大逆転」(ジョン・ランディス)

"Wargames" [1983]

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多くの人が犠牲となった原因を浮き彫りに。2つの"The Tower"を思い出した。
World trade centers attack Here is a diagram showing where the planes hit and the times of impact and collapse.gif
9.11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言.jpg 『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』 ['05年]

9.11 生死を分けた102分.jpg ニューヨークタイムズの記者が、2001年に起きた世界貿易センター(WTC)の9.11事件後、生存者・遺族へのインタビューや警察・消防の交信記録、電話記録などより、その実態を詳細にドキュメントしたもので、"102分"とは、WTC北タワーに旅客機が突入してからビルが2棟とも崩壊するまでの時間を指していますが、その間の北タワー、南タワーの中の状況を、時間を追って再現しています。

 380ページの中に352人もの人物が登場するので混乱しますが(内、126人は犠牲者となった。つまり、犠牲者の行動は、残りの生存者の目撃談によって記されていることになる)、米国の書評でも、この混乱こそ事件のリアリティを伝えている(?)と評されているとのこと。

 WTCは、大型旅客機が衝突しても倒れないように設計されたとかで、確かに、旅客機が「鉛筆で金網を突き破る」形になったのは設計者の思惑通りだったのですが、その他建築構造や耐火性の面で大きな問題があったとのこと(建材の耐火試験をしてなかった)、それなのに、人々がその安全性を過信していたことが、犠牲者の数を増やした大きな要因であったことがわかります。

航空機の衝突で炎上する世界貿易センタービル.jpg 旅客機衝突50分後にやっと南タワーに救出に入った多くの消防隊員たちは、その時点で、旅客機が衝突した階より下にいた6千人の民間人はもう殆ど避難し終えていたわけで、本書にあるように、上層階に取り残された600人を助けにいくつもりだったのでしょうか(ただし内200人は、旅客機衝突時に即死したと思われる)。ビルはゆうにあと1時間くらいは熱に耐えると考えて、助けるべき民間人が既にいない階で休息をとっている間に、あっという間にビル崩壊に遭ってしまった―というのが彼らの悲劇の経緯のようです。

航空機の衝突で炎上する世界貿易センタービル

崩壊した世界貿易センタービル.jpg 一方、北タワーに入った消防隊員たちには、南タワーが崩壊したことも、警察ヘリからの北タワーが傾いてきたという連絡も伝わらず(元来、警察と消防が没交渉だった)、そのことでより多くが犠牲になった―。

 亡くなった消防隊員を英雄視した筆頭はジュリアーニ市長ですが、本書を読み、個人的には、こうした人災的問題が取り沙汰されるのを回避するため、その問題から一般の目を逸らすためのパーフォーマンス的要素もあったように思えてきました。

崩壊した世界貿易センタービル

 事件後、消防隊員ばかり英雄視されましたが、ビル内の多くの民間人が率先して避難・救出活動にあたり、生存者の多くはそれにより命を落とさずに済んだことがわかります。

 それでも、北タワーの上層階では、避難通路が見つけられなかった千人ぐらいが取り残され犠牲となった―、そもそも、110階建てのビルに6階建てのビルと同じ数しか非常階段が無かったというから、いかにオフィススペースを広くとるために(経済合理性を優先したために)安全を蔑ろにしたかが知れようというものです。


 本書を読んで、2つの"The Tower"を思い出しました。

The Tower SP.gifThe Tower.jpg 1つは、ビル経営シミュレーションゲームの"The Tower"(当初は「タワー」というPCゲーム、現在は「ザ・タワー」というゲームボーイ用ソフト)で、収入を得るために賃貸スペースばかり作っていると、初めは儲かるけれどもだんだん建物のあちこちに不具合が出てくるというものでした(オートモードにして、ちょっと外出して戻ってみると、空き室だらけなっていた...)。 

タワーリング・インフェルノ3.jpgtowering.gif もう1つは、"The Tower"というリチャード・マーティン・スターンが'73年に発表した小説で(邦訳タイトル『そびえたつ地獄』('75年/ハヤカワ・ノヴェルズ))、これを映画化したのが「タワーリング・インフェルノ」('74年/米)ですが、映画ではスティ―ブ・マックィーンが演じた消防隊長が、ポール・ニューマン演じるビル設計者に、いつか高層ビル火災で多くの死者が出ると警告していました。

 この作品はスティーブ・マックイーンとポール・ニューマンの初共演ということで(実際にはポール・ニューマン主演の「傷だらけの栄光」('56年)にスティーブ・マックイーンがノンクレジットでチンピラ役で出ているそうだ)、公開時にマックイーン、ニューマンのどちらがクレジットタイトルの最初に出てくるかが注目されたりもしましたが(結局、二人の名前を同時に出した上で、マックイーンの名を左に、ニューマンの名を右の一段上に据えて対等性を強調)、映画の中で2人が会話するのはこのラストのほかは殆どなく、映画全体としては豪華俳優陣による「グランド・ホテル」形式の作品と言えるものでした。スペクタクル・シーンを(ケチらず)ふんだんに織り込んでいることもあって、70年代中盤期の「パニック映画ブーム」の中では最高傑作とも評されています。双葉十三郎氏も『外国映画ぼくの500本』('03年/中公新書)の中で☆☆☆☆★(85点)という高い評価をしており、70年代作品で双葉十三郎氏がこれ以上乃至これと同等の評点を付けている作品は他に5本しかありません。

 因みに、映画の中での「グラスタワー」ビルは138階建て。そのモデルの1つとなったと思われるこの「世界貿易センター(WTC)」ビルは110階建て二棟で、映画公開の前年('73年)に完成して、当時世界一の高さを誇りましたが(屋根部分の高さ417m(最頂部:528m))、翌年に完成した同じく110階建てのシカゴの「シアーズ・タワー」(現ウィリス・タワー)に抜かれています(シアーズ・タワーは屋根部分の高さ442m(アンテナ含:527m))。

タワーリング・インフェルノ dvd.jpg『タワーリング・インフェルノ』(1974) 2.jpg「タワーリング・インフェルノ」●原題:THE TOWERING INFERNO●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ギラーミン●製作:アーウィン・アレン●脚色:スターリング・シリファント●撮影:フレッド・J・コーネカンプ●音楽:ジョン・ウィリアムズ●原作:リチャード・マーティン・スターン「ザ・タワー」●時間:115分●出演:スティーブ・マックイーン/ポール・ニューマン/ウィリアム・ホールデン/フェイ・ダナウェイ/フレッド・アステア/スーザン・ブレークリー/リチャード・チェンバレン/ジェニファー・ジョーンズ/O・J・シンプソン /ロバート・ヴォーン/ロバート・ワグナー/スーザン・フラネリー/シーラ・アレン/ノーマン・バートン/ジャック・コリンズ●日本公開:1975/06●配給:ワーナー・ブラザース映画)(評価:★★★☆)
タワーリング・インフェルノ [DVD]

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夫のピート・ハミル氏と現場ではぐれた...! 9.11テロとその後の1週間をリポート。

 目撃アメリカ崩壊.jpg目撃 アメリカ崩壊 (文春新書)』['01年]

目撃 アメリカ崩壊2.jpg ニューヨーク・マンハッタン、世界貿易センター(WTC)ビルから数百メートルのところに住むフリージャーナリストである著者が、自らが体験した9.11テロとその後の1週間を、事件直後から継続的に日本に配信したメールなどを交え、1日ごとに振り返ってリポートしたもので、本書自体も事件1ヵ月後に脱稿し、その年11月には新書として早々と出版されたものであっただけに当時としては生々しかったです。

 事件直後、WTC付近で仕事をしていた夫のピート・ハミル氏の安否を気遣い現場に直行、そこでWTC南タワーの崩壊に出くわし、避難する最中に夫とはぐれてしまうなど、その舞い上がりぶりは、著者の、週刊文春の「USA通信」での大統領選レポートなどとはまた違った高揚したトーンで、緊迫感がよく伝わってきます(身近にこんな大事件が起きれば、しかも現場で次々とビルから身を投げる人々を目撃すれば、混乱しない方がどうかしているが)。

 1日1章でまとめられていて、各章の冒頭にロウアーマンハッタンの地図が挿入されているため地理的状況が把握しやすく、著者の住むキャナルストリート以南が立ち入り禁止区域になり、事件後何日かは、出かけると自宅に戻れなくなる可能性があったとのこと。
 こうした規制下での生活、友人の安否情報、食料調達状況などの身辺の話や、事件直後、国民の前から姿をくらましたブッシュ、現場へ早々に出向いたジュリアーニ、ヒラリー・クリントンといったTVニュースを通しての政治家の動きとそれに対する国民の反応など、書かれていることはジャーナリストというよりも地元ニューヨーカーとしての視点に近い感じです(「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長などのキャリアがある著者だが、基本的には、この人、"じっくり型"ジャーナリスト?)。
 クリントン政権以来、テロの危機に鈍感になってしまっていたアメリカ国民の能天気を批判していますが、今後の国際情勢については、アメリカに報復戦争の口実を与えてしまったとして、貧困に喘ぐアフガニスタンの国情悪化を懸念する夫のピート・ハミル氏の憂いなどを通して、著者自身はこれから考え始めるといった段階である観もあります。

 後半は、むしろ、北タワー83階から1時間15分かけて脱出した人の話などの方が印象に残りました。
 北タワーは航空機突入から崩壊まで1時間40分持ちましたが、15分後に航空機が突っ込んだ南タワーの方は、その後50分ぐらい崩壊したので、この人が南タワーにいたら助からなかったかも。

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核心部分が曖昧なため中途半端な印象。被告は、「ひどい」と言うより「異常」なのでは。

秋田連続児童殺害事件.jpg 『秋田連続児童殺害事件―警察はなぜ事件を隠蔽したのか』 (2007/10 草思社)

 '06年に起きた「秋田県連続児童殺人事件」を迫った本で、著者は元警察官のジャーナリスト。これまでにも、'99年の「栃木リンチ殺人事件」、'02年の「神戸大学院生リンチ殺人事件」などを取材し、警察の捜査ミスや事件の隠蔽工作を糾弾していて、その後、栃木の事件では、被害者遺族による国賠訴訟により、最高裁判決('06年)で警察の怠慢と不作為が全面的に認められるに至っています。

 秋田のこの事件では、畠山鈴香被告の特異な言動に注目が集まりましたが、著者は本書において、より問題なのは警察の事件への対応であり、とりわけ、畠山被告の長女・彩香ちゃんの死亡が最初は事故だと見られたことについて、意識的な捜査放置と事実の捏造があったと見ています。
 畠山被告がその過去において、風俗嬢だった、自宅で売春していた、長女を虐待していた等の噂が週刊誌等に載るようになったのも、噂の流出元は警察であり、初動ミスや捏造を隠蔽するための工作であったと―。

 では、なぜ警察はこうした隠蔽工作をしたのか? 畠山被告と警察との間に何か特別な繋がりがあったのではないかと著者は匂わせていますが、それが何であり、そのことを証拠づける証拠は何なのかという具体的記述が本書には無いため、結局は読者の想像に委ねるような形で終わってしまっていて、彩香ちゃん事件発生時に適正な捜査が為されていれば、米山豪憲君殺害事件は発生しなかったという著者の意見には同意できるものの、全体としては週刊誌的とも言える中途半端な印象。

 個人的に関心を抱いたのは「犯罪被害給付制度」について触れられている点で、自らが犯した長女殺害事件を敢えて蒸し返そうとした畠山容疑者の行為が給付金目当てであるとすれば、2件の殺人とも、稚拙ながらも"計画性"を持ったものだったのではと思った次第です。

 ここで思い当たるのは、コリン・ウィルソンが計画殺人を行う者について「彼らに欠けているのは、生命の価値への認識であるが、我々の全てがある程度それを欠いていて、殺人はその普遍的な欠乏の表明である」と述べていることで、長女殺害という罪を犯した後も給付金に固執し続けたとすれば、常人の域を脱した価値観の転倒が感じられます。

 公判で畠山被告は、豪憲君の殺害を認めていていますが、長女への殺意を否認し、弁護人を通じて極刑にして欲しい、たとえ死刑でも控訴しないと言っているとか。

 「ひどい事したのだから極刑は当然」というのが世論の趨勢だと思われますが、罪の償いと言うより、自らの命も含め人命に対する価値を見出せない被告の、"ひどい"と言うよりむしろ"異常な"人格をそこに感じてしまうのは自分だけなのか。

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臨床心理士が検証する「毒物宅配事件」。鬱病患者の心の苦しみに迫る。

Dr.キリコの贈り物.jpg 『Dr.キリコの贈り物』〔'99年〕 草壁の自宅を家宅捜索する捜査官.jpg「草壁」の自宅を家宅捜索する捜査官 [共同通信社]

 '98年12月に杉並区で起きた女性の自殺事件が、宅配便で送られてきた青酸カリを使用したものだったこと、送り主の札幌在住の「草壁竜次」と名乗る27歳の男性も自殺し、2人がインターネットの自殺志願者の集う掲示板で接点があったことなどが判明、当初は"自殺系サイト"で毒物を匿名販売する悪質なネット犯罪とされたが、この「毒物宅配事件」に対し、事件後「青酸カリはお守りだった」と新聞紙上で語った女性が現れ、マスコミの論調も変化する―。

 本書は、この木島彩子という女性の電子メールやネット掲示板への書き込みを中心にノンフィクション小説風に構成されていて、彼女が鬱を病み、自らホームページを開設して心中相手を探したこと、そして、草壁竜次が"自殺系サイト"に毒薬の専門知識を提供し「その量では死ねない」と書いて掲示板から追放されたのを知り、自身のサイトで「ドクター・キリコの診察室」という掲示板を任せた経緯などが書かれています。

 著者はジャーナリストではなく臨床心理士ですが、彩子自身と草壁竜次、更には彩子の心中相手として応募してきた家庭内暴力によるPTSDの女性とのやりとりも含め、3人の鬱病患者が自殺に惹かれるようになる経緯と、死に対するスタンスの違いや変化をリアルに浮き彫りにしています(守秘義務の遵守を小説風に描くという方法論に旨く転嫁させているともとれる)。

 彩子は自殺を敢行しようとするが、草壁はそれを止めることなく彩子に毒薬を贈る(但し、使用せず保管するに留めるという条件付きで)、そして、彩子が結局は自殺に至らなかったことを聞き大喜びする。毒薬が贈られてきた時点では、草壁の真意を測りかねていた彩子だったが―。

 著者は終章の事件分析において、Dr.キリコこと草壁竜次の行為が一種のセラピー的構造を持っていたという位置づけが可能であるとし、但し、そのリスクの大きさから心理療法としては評価できないとしていますが、それは当然の見解でしょう。

 すべての心理療法にはリスクの部分、賭けの要素が伴うことも著者は認めていますが、「お守りとしての青酸カリ」という草壁竜次の考えは、失敗した場合の「自死」という"責任"の取り方も含め、彼固有の観念に基づくもの。

 ただ、彼が毒薬を送ったのは、心療内科などに通院しても鬱が改善されない人に対してだけあり(彼自身がそうだった)、本書は、そうした鬱病患者の心の苦しみに十二分に迫る内容の本であることは間違いないと思います。

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殺人者研究は我々自身を知ることに繋がる...とは言え、あまりに強烈な殺人鬼たち。

殺人百科.jpg殺人百科』(1963/06 彌生書房) コリン・ウィルソンのすべて.jpg 自伝 『コリン・ウィルソンのすべて』(上・下)

『殺人百科』6.JPG 切り裂きジャック、少女を煮て食べる変態男、棺のコレクションを楽しむ女、若妻の乗った飛行機を爆破した男、夫を募集しては斧でバッサリ殺る女、恐怖の人間ゴリラ(?)、死体を売る夫婦...etc. 古今のショッキングな殺人事件のオンパレードで、これを著したのが、25歳で『アウトサイダー』を世に出し実存主義に対する独自の観点で一世を風靡した鬼才であることを知らず、且つ、「殺人の研究」と題された哲学・社会学的論文が本書に無ければ、単なる殺人記録の蒐集マニアが書いたと思われるかも知れません。

 実際、著者はこれを「読み物」として書いたと言ってますが、それは各事件への考察において彼自身の思想を持ち込むことを避け、出来るだけ真実を的確に表していると思われる記録を記述するように努めたということではないでしょうか。

 冒頭の「殺人の研究」においては(この中でも、ジェイムズ・エルロイのセミ・ノンフィクション小説で知られるブラック・ダリア事件など多くの殺人事件が紹介されている)、殺人者を研究することは我々自身を知ることに繋がるとしていますが、本書で紹介されている殺人は、実際の殺人事件の大部分を占める酒場での喧嘩に端を発したような偶発的殺人ではなく、殺人鬼と呼ぶに値する者による「計画殺人」です。

 彼らは単に異常者であり、我々とは別次元の人間なのか? 著者によれば、殺人者に欠けているのは、生命の価値への認識であるが、我々の全てがある程度それを欠いていて、殺人はその普遍的な欠乏の表明であると(著者は死刑廃止論者でもある)。

 訳本では、300もの殺人事件が載っている原著の5分の1ほどしか拾っていませんが、古典的に有名な殺人犯はよく網羅していて(映画「陽の当たるあたる場所」や「殺人狂時代」のモデルになった殺人犯から、果てはアル・カポネやナチのアイヒマンまで出てくるが)、圧巻は、デュッセルドルフの「怪物」と言われたペーター・キュルテンで、平凡そうな日常生活の裏側で為された猟奇的な犯行の数々は、精神鑑定にあたったベルク教授をして「変質者の王」と言わしめ(故に教授は彼の死刑に反対したが)、死刑執行が凍結されていた当時(1931年)のドイツにおいて執行を再開する契機となりました。

ペーター・キュルテンの記録.jpg ペーター・キュルテンは処刑の日の朝の様子は、「彼は、朝食―カツレツ、ポテトチップス、白ブドー酒―をおいしそうに食べ、お代わりを要求した。そしてベルク教授に向かい、最後の望みは、自分の血がしたたり落ちる音を聞くことであると言った。彼はギロチンにかけられたが、首が胴体を離れる時間まで愉快そうに見えた」ということです。漫画家・手塚治虫は、キュルテンの事件を題材にした短編「ペーター・キュルテンの記録」を1973(昭和48)年に発表しています(『時計仕掛けのりんご-The best 5 stories by Osamu Tezuka 』('94年/秋田文庫)所収)。

「漫画サンデー」(実業之日本社)

 【1963年単行本・1993年改訂増補版[彌生書房]】

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児童虐待は犯罪であるという立場で貫かれているルポルタージュ。

殺さないで 児童虐待という犯罪.jpg  『殺さないで―児童虐待という犯罪』 (2002/09 中央法規出版)

 「毎日新聞」の連載を単行本化したもので、2001(平成13)年・第44回「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」受賞作。

本書に書かれている虐待例は、何れも幼児の「死」という結果のみならず、その過程において凄惨極まりないものですが、死んでいった子どもたちにとって、この世に生まれてきたということはどういうことだったのか、考えずにはおれません。

 こうした事件の判決がほとんど殺人ではなく傷害致死罪であり、驚くほど刑が軽いことを本書で知りました。
 児童虐待が起こる原因を家族心理学的に分析する動きは以前からありますが、本書にもあるとおり、最近は弁護側が、親がAC(アダルトチルドレン)であったことを主張するケースもままあるそうです。

 相談所が事前把握していた事実を伏せる、警察が民事不介入を盾に動かない、防止に力をいれた入れた地域や自治体では虐待事件が多くなる(つまりその他の地域では事件として扱われない)等々、周辺課題も本書は指摘しています。

 児童虐待防止法は制定されましたが、「児童虐待は犯罪である」という姿勢に立ち返る意味でも、本書を再読する価値はあるかと思います。

《読書MEMO》
●ター君(6歳)を裸のまま雪に埋めて記念撮影した親(埼玉県富士見市)/3人がかりで大輔ちゃん(5歳)暴行を加えワサビを口に押し込み、タバコを押し付けた(栃木県小山市)-母親も居候先の女もアダルトチルドレン→ほとんどが傷害致死罪。弁護側が親がACであったことを主張することもままある
●児童虐待の種類...身体的虐待/性的虐待/ネグレクト/心理的虐待
●大きなニュースにならない理由...虐待事件で死んでも、損害賠償請求をする人がいない。相談所が事前に把握していたというニュースは報じられにくい傾向
●虐待防止に大きな予算をつけた都道府県ほど虐待事件が多い(顕在化)
●厚生省児童家庭局の98年度のテーマは少子化(育児をしない男を父とは呼ばない)だった。ポスター・CMで5億円投下。
●児童虐待防止法(2001年11月施行)で児童相談所の権限が強化されても、予算や人員不足では動けない。また親の更正や再発防止策は手つかずのまま。アメリカでは虐待した親はケアや教育を受けねばならず、再発した場合は担当職員が資格剥奪されることも。日本では児童相談所の職員が責任を取らされることはない

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「凶悪犯」を厳罰に処すという予め想定された結論に向かう裁判。

自閉症裁判2.jpg  『自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 (2005/03 洋泉社)

 '01年4月に浅草で発生した女子短大生殺人事件は、「レッサーパンダ帽の男」による凶悪な犯行として世間を騒がせましたが、男が高等養護学校の出身者で知的障害があり、自閉症の疑いが強いことは、当初マスコミでは報道されませんでした。

 本書はこの事件の東京地裁判決(無期懲役)に至るまでの3年間の公判を追ったルポルタージュですが、審理過程で、男が「自閉症者」なのか「自閉的傾向」があるに過ぎないのかで、弁護側と検察側の分析医の間で激しい意見の対立があったことや、更には、判決に大きな影響を与えた警察の調書が、取調官の先入観による"作文"的要素が強いものであることなどを、本書を読んで知りました。

 著者は養護学校教員を21年間務めた後に'01年4月にフリージャーナリストになった人で、経歴上、弁護寄りの立場から裁判を見るのは自然なことですが、敢えて被害者側の家族に対しても真摯に取材し、その悲しみの大きさを伝え、男が負わねばならない「罪と罰」の重さを示しています。
 しかし同時に、男が持つ「障害」への理解のないまま進行する裁判の在り方が、同種の犯行の防止に効果があるのだろうかという疑問を呈しています。

 実際に本書を読むと、この裁判は、「凶悪犯」を厳罰に処すという予め想定された結論に向かっているようですが、男がどこまで「罪」を理解しているのかは疑問で(それが「反省の色もない」ということになってしまう)、その場合の「罰」とは何かということを考えさせられます。

 性格破綻者の父親が支配する男の家庭環境は極めて悲惨なものでしたが、男自身に福祉を求める意思能力がなく、硬直した福祉行政の中で孤立し、事件に至ったことは被害者にとっても男にとっても不幸なことだったと思います。
 その中で、それまで男を含め家族を1人家族を支えていた男の妹が、公判中にガン死したというのは、更に悲しさを増す出来事でした。

 事件が起きたゆえに、それまで何ら福祉的支援を受けていなっかた重病の妹が家にいることが明らかになり、民間の「法外」福祉団体のスタッフによっ"救出"され、最後の何ヶ月だけある程度好きなことができたというのが救いですが、それすらも事件があったゆえのことであることを思うと、複雑な気持ちになります。
 
 裁判の結果(判決よりも過程)に対する無力感は禁じ得ませんが、裁判の在り方、福祉行政の在り方に問題を提起し、自閉症についての理解を訴えるとともに、若くして亡くなった2人の女性への鎮魂の書ともなっています。

 【2008年文庫化[朝日文庫]】

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マフィアの示威行為が狙いともとれる本だが、生々しいだけに興味深く読めた。

アメリカを葬った男2.jpg アメリカ.jpg  『JFK』(1991).jpg 『ダラスの熱い日』(1973).jpg
アメリカを葬った男―マフィア激白!ケネディ兄弟、モンロー死の真相』〔'92年〕/『アメリカを葬った男』光文社文庫/映画「JFK [DVD]」(1991)/映画「ダラスの熱い日 [VHS]」(1973).

アメリカを葬った男 原著.jpgSam Giancana.jpg マフィアの大ボスだったサム・ジアンカーナが、自分はマリリン・モンローの死とケネディ兄弟の暗殺に深く関わったと語っていたのを、実の弟チャック・ジアンカーナが事件から30年近い時を経て本にしたもので、読んでビックリの内容で、本国でもかなり話題になりました。
Sam Giancana
"Double Cross: The Story of the Man Who Controlled America"

 「アメリアを葬った男」とは、訳者の落合信彦氏が考えたのかピッタリのタイトルだと思いますが、原題は"Double Cross(裏切り)"で、ケネディ兄弟の暗殺は、移民系の面倒を見てきたマフィアに対するケネディ家の仕打ちや、大統領選の裏工作でマフィアが協力したにも関わらずマフィア一掃作戦を政策展開したケネディ兄弟の "裏切り"行為、に対する報復だったということのようです。

 但し、その他にも、ジョンソンもニクソンも絡んでいたといった政治ネタや、CIAがケネディ排除への関与に際してマフィアと共同歩調をとったとかいう話など、驚かされる一方で、他のケネディ事件の関連書籍でも述べられているような事柄も多く、だからこそもっともらしく思えてしまうのかもしれないけれど、本書の記述の一部に対しては眉唾モノとの評価もあるようです(ただ一般には、「CIA、FBIとマフィアが手先となった政府内部の犯行説」というのは根強いが)。

 確かに「大ボス一代記」のようにもなっているところから、本自体マフィアの示威行為ともとれますが、「マフィアと政府はコインの表裏だと」いう著者の言葉にはやはり凄味があり、モンローを"殺害"した場面は、かなりのリアリティがありました。
 マフィアがジョンとロバートのケネディ兄弟に"女性"を仲介したことは事実らしいし(モンローもその1人と考えられ、さらにケネディ大統領とジアンカーナは同じ愛人を"共有"していたことも後に明らかになっている)、本書によれば、ジョンとロバートは同時期にモンローの部屋に出入りしていた...と。

JFK ポスター.jpgJFK.jpgJFK―ケネディ暗殺犯を追え (ハヤカワ文庫NF).jpg 生々しいけれども、それだけについつい引き込まれてしまい、本書とほぼ同時期に訳出された、オリバー・ストーン監督の映画「JFK」('91年/米)の原作ジム・ギャリソン『JFK-ケネディ暗殺犯を追え』('92年/ハヤカワ文庫)よりもかなり「面白く」読めました。
「JFK」ポスター /「JFK [DVD]」/ジム・ギャリソン『JFK―ケネディ暗殺犯を追え (ハヤカワ文庫NF)
 ジム・ギャリソンは、事件当時ルイジアナの地方検事だった人で、偶然ケネディ暗殺に関係しているらしい男を知り、調査を開始するも、その男が不審死を遂げ、そのため彼の仲間だったクレイ・ショウを裁判にかけるというもので(これが有名な「クレイ・ショウを裁判」)、結局彼はこの裁判に敗れるのですが、その後、彼の追及した方向は間違っていなかったことが明らかになっていて、彼は、ケネディ暗殺事件をCIAなどによるクーデター(ベトナム戦争継続派から見てケネディは邪魔だった)により殺されたのだと結論づけています。
 原作はドキュメントであり、結構地味な感じですが、ジム・ギャリソンを主人公に据えた映画の方は面白かった―。
 オリバー・ストーン監督ってその辺り上手いなあと思いますが、その作り方の上手さに虚構が入り込む余地が大いにあるのもこの人の特徴で、司法解剖の場面で検視医の白衣が血に染まっている...なんてことはなかったと後で医師が言ったりしてるそうな。                                    
Executive Action.jpg"EXECUTIVE ACTION"(「ダラスの熱い日」)/「ダラスの熱い日」予告

ダラスの熱い日 - Executive Action.jpg『ダラスの熱い日』(1973)2.jpgダラスの熱い日パンフレット.jpg むしろ、この映画を観て思ったのは、ずっと以前、ケネディ暗殺後10年足らずの後に作られたデビッド・ミラー監督、バート・ランカスター、ロバート・ライアン主演の「ダラスの熱い日(EXECUTIVE ACTION)」('73年/米)で(脚本は「ジョニーは戦場に行った」のダルトン・トランボが担当)、既にしっかり、CIA陰謀説を打ち出しています。
 CIAのスナイパー達が狙撃訓練をする場面から始まり、それを指揮している元CIA高官をバート・ランカスターが演じているほか、ロバート・ライアンが暗殺計画を中心になって進める軍人を演じており、それに右翼の退役将校やテキサスの石油王などが絡むという展開。因みに、私生活では、バート・ランカスターは反戦主義者として知られ、ロバート・ライアンもハト派のリベラリストでした(だから、こうした作品に出演しているわけだが)。

Men Who Killed Kennedy 1988.jpgThe Men Who Killed Kennedy.jpg 当時は1つのフィクションとして観ていましたが、その後に出てきた諸説に照らすと―例えばEngland's Central Independent Televisionが製作したTVドキュメンタリー「Men Who Killed Kennedy 」('88年/英)や、英国エクスボースト・フィルム製作、ゴドレイ&クレーム監督によるチャンネル4のTV番組作品JFK・暗殺の真相(The Day The DrThe-Day-The-Dream-Died-001.jpgeam Died、'88年/英)などを見ると―オズワルドを犯人に仕立て上げる過程なども含め、かなり真相(と言っても未だに解明されているわけではないのだが)に近いところをいっていたのではないかと思いました(映画「JFK」とも重なる部分も多い)。

 これらと比べると、本書『アメリカを葬った男』は、この事件にマフィアが及ぼした影響をアピールしている感じはやはりします(マフィアにとって何らかのメリットがなければ、こんなに身内のことをベラベラ語らないのでは)。でも、面白かった。 

JFK 1991.jpg「JFK」●原題:JFK●制作年:1991年●制作国:アメリカ●監督:オリバー・ストーン●製作:A・キットマン・ホー/オリバー・ストーン●脚本:オリバー・ストーン/ザカリー・スクラー●撮影:ロバート・リチャードソン●音楽:ジョンドナルド・サザーランド JFK.jpg・ウィリアムズ●原作:ジム・ギャリソンほか●時間:57分●出演:ケビン・コスナー/トミー・リー・ジョーンズ/ジョー・ペシ/ケヴィン・ベーコン/ローリー・メトカーフ/シシー・スペイセク/マイケル・ルーカー/ゲイリー・オールトコン/ドナルド・サザーランド/ジャック・レモン/ウォルター・マッソー/ジョン・キャンディ/ヴィンセント・ドノフリオ/デイル・ダイ/ジム・ギャリソン/(冒頭ナレーション)マーティン・シーン●日本公開:1992/03●配給:ワーナー・ブラザーズ(評価:★★★☆)

ケビン・コスナー(ジム・ギャリソン)/ドナルド・サザーランド(X大佐)

ダラスの熱い日1.jpgダラスの熱い日パンフレット2.jpg「ダラスの熱い日」●原題:EXECUTIVE ACTION●制作年:1973年●制作国:アメリカ●監督:デビッド・ミラー●製作:エドワード・ルイス●脚色:ダルトン・トランボ●撮影:ロバート・ステッドマン●音楽:ランディ・エデルマン ●原案:ドナルド・フリードほか●時間:91分●出演:バート・ランカスター/ロバート・ライアン/ウィル・ギア/ギルバート・グリーン/ジョン・アンダーソン●日本公開:1974/01●配給:ヘラルド映画配給●最初に観た場所:池袋テアトルダイヤ(77-12-24)(評価:★★★☆)●併映:「ジャッカルの日」(フレッド・ジンネマン)/「合衆国最後の日」(ロバート・アルドリッチ)/「鷲は舞いおりた」(ジョン・スタージェス) 「ダラスの熱い日」パンフレット(右)

 「JFK 暗殺の真相」.jpg「JFK 暗殺の真相」●原題:THE DAY THE DREAM DIED●制作年:1988年●制作国:イギリス●監督:ゴドレイ&クレーム●製作:エクスボースト・フィルム●音楽:バスター・フィールド/デビッド・ラザロ●時間:45分●日本公開(ビデオ発売):1992/07●配給(発売元):バップ(評価:★★★☆) 「JFK 暗殺の真相」(日本語吹替版ビデオ[絶版・DVD未発売])

 【1997年文庫化[光文社文庫]】

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長官狙撃犯がなぜ逮捕されないのかを軸に警察組織内の確執を抉る。

警察が狙撃された日 そして〈偽り〉の媒介者たちは.jpg 『警察が狙撃された日―そして「偽り」の媒介者たちは』 ('98年/三一書房) 警察が狙撃された日.jpg 『警察が狙撃された日―国松長官狙撃事件の闇』 講談社+α文庫

警察庁長官狙撃事件.jpg '95年に起きた国松孝次警察庁長官狙撃事件は、オウム信者の現職警官・小杉敏行が書類送検されたものの結果的に証拠不十分で立件できず、今や事件そのものが風化しようとしています。
 本書は、国松長官はなぜ狙撃されたのか、なぜ犯人は逮捕されないのかを検証していますが、その過程で警察庁vs.警視庁、刑事部門vs.公安部門の確執を明らかにし、〈チヨダ〉なる警察内の闇組織の存在をあぶりだしています。
 複雑な警察組織の概要と権力抗争のダイナミズムがわかり面白く読めますが、警察内の権力闘争や組織防衛が、捜査ミスや事実の隠蔽に繋がっていると思うとやり切れない気持ちにもさせられます。
 結局、事件そのものは何も解決されておらず、本書自体も「小杉問題」(つまり小杉はなぜ逮捕されないのかということ)を軸に警察組織のあり方の問題に終始するように思われ、警察小説を読んでいるような感じでした(公安が絡んでいるのでスパイ小説のようでもある)。

警察による現場検証の様子.jpg しかし終盤にきて本書なりの事件に対する見解を示し、そこでは、「小杉犯行説」が濃厚視されることをベースに、現職警察官を実行者に選んだオウムの意図を推察するとともに、その場で捕まる「予定」だった犯人がなぜ逃げることが出来たかという大胆な想像的考察も行っています。

 秀逸なのは、小杉供述の現場状況の説明に事件当時の状況と時間差があるところから、事後の違法捜査的な実地検証によって刷り込まれた面が多々あることを示している点で、小杉をマインドコントロールしたオウムと同じように、警察が小杉を洗脳しようとしたとすれば、皮肉と言うより怖い話です。

警察による現場検証の様子(左手前から右先の人物に向けて狙撃がなされたと推定されている)

 警察幹部からの非公式情報も含めた緻密な取材からなる本書は、おそらく複数の社会部記者の合作であろうと考えられていて、警察側も一時それが誰かを突き止めようと躍起になったらしい。
 それぐらいの内容でありながら、中盤に纏まりを欠き("合作"であるため?)、文章にも原因があると思いますが、タブロイド紙の連載をまとめ読みしているような印象を受けるのが残念です。

 【2002年文庫化[講談社+α文庫(『警察が狙撃された日―国松長官狙撃事件の闇』)]】

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