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自動車の社会的費用の内部化の道を探り、あるべき都市交通の姿を示唆。なかなか色褪せない本。

自動車の社会的費用 (1974年) (岩波新書)_.jpg 自動車の社会的費用 (岩波新書)_.jpg   宇沢弘文.jpg    宇沢弘文のメッセージ.jpg
自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)』宇沢 弘文(1928-2014)『宇沢弘文のメッセージ (集英社新書)

 1974(昭和49)年・第28回「毎日出版文化賞」(人文・社会部門)受賞作。

 昨年['14年]9月に亡くなった宇沢弘文(1928-2-2014/享年86)の一般向け著書で、先に取り上げた宇野弘蔵(1897-1977/享年79)とは一世代ずれますが、この人も宇野弘蔵と同様、生前はノーベル経済学賞の有力候補として度々名前が挙げられていた人です。

 本書は、混雑や事故、環境汚染など自動車がもたらす外部不経済を、社会的費用として内部化する方法を試みたものです。社会的費用とは、受益者負担の原則が貫かれていないために社会全体が被っている損失のことですが、そのコストを明確にし自動車利用者に負担させようというのが外部費用の内部化であり、本書では、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の道を探ることを通して、あるべき都市交通の姿をも示唆しています(そうした意味では社会学的要素も含んでいる)。

 著者は、自動車のもたらす社会的費用は、具体的には交通事故、犯罪、公害、環境破壊などの形で現われるが、何れも健康や安全歩行などという市民の基本的権利を侵害し、しかも人々に「不可逆的な損失」を与えるものが多いとし、一方、このように大きな社会的費用の発生に対して、自動車の便益を享受する人々はごく僅かしかその費用を負担しておらず、逆に言えば、自動車の普及は、自動車利用者がこのような社会的費用を負担しないでも済んだからこそはじめて可能になったとも言えるとしています。

 ここで著者が問題にするのは、「不可逆的な損失」という概念であり、損失が可逆的であるならば、元に戻すのに必要な費用を計算すれば社会的費用を見積もることが出来るが、その損失が不可逆的である場合、一体どれだけの費用が妥当とされるのかということです。交通事故による死傷の被害額を算出する方法にホフマン方式があますが、人間を労働を提供して報酬を得る生産要素とみなして、交通事故によってどれだけその資本としての価値が減少したかを算定するというのは、被害者側の立場に立てば、これほどヒトとして許せない算出方法もないだろうともしています(仮に純粋にこの方式に拠るとすれば、所得を得る能力を現在も将来も持たないと推定される人が交通事故に遭って死亡した場合、その被害額はゼロと評価されることになる)。

 よって著者は、自動車の社会的費用を算出する際に、交通事故に伴う損失をホフマン方式のような方法を用いるのは適切ではないとし、同様のことは,環境破壊についても言えるとしています。具体的には、公共投資などにおいて社会的便益と社会的費用の差を指標とするコスト・ベネフィット分析について、たとえどのように大きな社会的費用を発生したとしても、社会的便益がそれを大きく上回れば望ましい公共投資として採択されることになってしまい、結果として、実質的所得配分はさらにいっそう不平等化するという結果をもたらすとしています。

 なぜ「実質的所得配分はさらにいっそう不平等化する」のかと言うと、低所得者層ほど環境破壊などの影響を深刻に受けるからであり、例えば、公害が発生した場合、高所得者層はその土地から離れることができても低所得者層にそのような選択をする余裕はなく、また、ホフマン方式が示ように低所得者が被る損害は少額にしかなり得ず、更には、人命・健康、自然環境の破壊は不可逆的な現象であって、ここで考えられているような社会的費用の概念をもってしては元々計測することができないものであるとしていています。

 しかしながら、これまで不適切な社会的費用の計算方法がまかり通ってきたのは、社会的費用の計算根拠を新古典派経済理論に求めてきたことに原因があるとしています。新古典派経済理論の問題点は、1つは、生産手段の私有制が基本的な前提条件となっていて、共有される社会的資本に対する思慮が欠落しているという問題と、もう1つは、人間を単に労働を提供する生産要素として捉えるという面が強調され、社会的・文化的・歴史的な存在であるという面が捨象されていることだとし、新古典派経済理論は、都市問題や環境問題など現代社会においてもっとも深刻な社会的・経済的問題を引き起こしている現象を解明するための理論的フレームワークを提供していないとしています。

 では、どうすればよいのか。自動車について著者は、自動車を所有し運転する人々は、他の人々の市民的権利を侵害しないような構造をもつ道路について運転を許されるべきであって、そのような構造に道路を変えるための費用と自動車の公害防止装置のための費用とを負担することが、社会的な公正性と安定性という観点から要請されてくるとしています。つまりは、自動車の通行を市民的権利を侵害しないように行うとすれば、道路の建設・維持にどれだけの追加的な費用を必要とし、自動車の無公害化のためにどれだけの投資をしなければならないかということを計算するべきであり、市民的権利を金銭換算して評価関数に組み込むのではなく、市民的権利を守ることを制約条件とするとの考えに基づいて、自動車の社会的費用を算出する必要があるとのことです。

 そのうえで著者が試算した自動車の社会的費用(投資基準)は1台あたり200万円で、当時の運輸省の試算額7万円と大きく異なっており、これこそまさに著者の言う、社会的費用の発生に対して、自動車の便益を享受する人々はごく僅かしかその費用を負担していないという実態であり、その数字の差は、人の死や環境破壊など不可逆的な市民的権利の侵害を認めるか認めないかの違いであるということになります。

 著者はこうした投資基準は自動車通行のための道路だけでなく、一般に社会的共通資本の建設にも適用することが出来るとし、このような基準に基づき公共投資を広範な用途に、例えば代替的な公共交通機関や道路に配分するとき、社会的な観点から望ましい配分をもたらすものとなり、この基準を適用することで、どのような地域に住む人々も、またどのような所得階層に属する人々も、社会的な合意をえて決定された市民の基本的権利を侵害されることがなく、他人の基本的権利を侵害するような行動は社会的に許されないという原則が貫かれ、すべての経済活動に対してその社会的費用は内部化され、福祉経済社会への転換が可能となり、ヒトにとって住みやすい、安定的な社会を実現することが出来るとしています。

 今でこそ、外部費用の内部化と言う論点は自動車のみならず環境問題などでもよく見られる議論であり、特に東日本大震災以降、「原発」の社会的費用の議論が活発化したように思われ、「大佛次郎論壇賞」を受賞した大島堅一氏の『原発のコスト―エネルギー転換への視点』('11年/岩波新書)などもその1つでしょう(この本によれば、原発の事故リスクコストやバックエンドコストは計り知れないほどの金額となるという)。しかしながら、本書が早くからこうした観点を提起していたのは評価すべきだと思います(しかも、分かり易く)。

2015東京モーターショーX.jpg 但し、自動車の問題に立ち返っても、著者が提起した問題はなんら解消されたわけではなく、実はこれ書いている今日から東京モーターショーが始まるのですが、自動車メーカーの開発課題が、スピードやスタイリングからエコへ、更に自動&安全運転へ向かっているのは当然の流れかも。
 一方で、先だってフォルクスワーゲン(VW)の排出ガス不正問題が発覚したとの報道があったり、また、つい先日は宮崎市で、認知症と思われる高齢者による自動車死亡事故があったばかりなのですが(歩道を暴走した軽乗用車にはねられ2人が死亡、4人が重軽傷。最近、この種の事故が急に多くなった)。

 それらの意味でも本書は、(幸か不幸か)なかなか色褪せることのない本と言えるかもしれません。

 尚、宇沢弘文の"人と思想"については、没後ほぼ1年となる今年['15年]9月、大塚信一・岩波書店元社長による『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)が刊行されています。『自動車の社会的費用』は宇沢弘文の初めての単著であるとともに、大塚氏にとっても最初に編集した宇沢弘文の著作であったとのことで、『自動車の社会的費用』が書かれた際の経緯などが紹介されていて興味深いですが、宇沢の方から初対面の挨拶が終わるや否や大塚氏に「ぼくに『自動車の社会的費用』というタイトルで新書を書かせてくれませんか」と言ってきたとのことです。

宇沢弘文のメッセージ obi.png 『宇沢弘文のメッセージ』では、宇沢が数学から経済学に転じアメリカで活躍するようになった頃から『自動車の社会的費用』を著すまで、更に、近代経済学を再検討して日本という《「豊かな国」の貧しさ》を課題視し、「成田」問題(三里塚闘争)、地球温暖化問題、教育問題へとそのフィールドを移していく過程を通して、彼の社会的共通資本という思想を解説していますが、宇沢の人柄を伝えるエピソードが数多く含まれていて「人」という部分では興味深い一方、著者の専門外ということもあって「思想」という部分ではやや弱いかも。但し、著者はまえがきで、「宇沢の場合、その人柄と学問は一体化したもので、両者は切り離すことはできない」としており、その点は読んでいてなるほどと思わせるものがあり、また、宇沢弘文の偉大さを伝えるものにもなっているように思いました。

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「資本論」入門と言うより「宇野経済学」入門だが、それを理解するにはまたとないテキスト。

資本論の経済.JPG

       
  宇野弘蔵.jpg 宇野弘蔵(1897 - 1977/享年79)

資本論の経済学 (1969年) (岩波新書)』『資本論の経済学 (岩波新書 青版 B-67)

 かつてノーベル経済学賞候補にもその名が上がったというマルクス経済学者の宇野弘蔵(うの こうぞう、1897-1977/享年79)による、"「資本論」入門"―と言うより "「宇野経済学」入門"と呼んだ方が正しいと思われる本です。

 第1章「『資本論』の経済学」、第2章「マルクス経済学に特有な二つの用語「物神性」と「変態」について」、第3章「理論と実践―経済学と社会主義―」の全3章構成で、第1、第2章は著者が「岩波市民講座」で話した内容がベースになっており、3章は新たに書き下ろしたものですが、講義調で書かれていて、宇野弘蔵の著作の中ではとっつき易い入門書ではないかと思います。但し、それでも(難解で知られる?)「宇野経済学」ということもあって、個人的にも内容的に難解な点も少なからずありました。

 宇野経済学では、本書でも述べられていますが、『資本論』を読み解くにあたって、経済学を社会科学として確立することを目指し、社会主義イデオロギーを理論から排除しており、原理論であるところの『資本論』は資本主義経済の法則を解明するだけで、社会主義への移行の必然性を論証するものではないとしたわけです。このことによって宇野弘蔵は多くのマルクス主義者やマルクス主義経済学者から批判されることにもなりましたが、宇野学派と呼ばれる一派を形成することにもなりました。思うに、『資本論』自体が大方、資本主義経済を読み解くためのものとして読まれているようになって久しいことを考えると、こうした宇野弘蔵のスタンスは今日では強く拒絶されることはないのではないでしょうか。

 本書では第1章で、マルクス経済学の要約し、価値法則、人口法則、利潤率均等化の法則の資本主義の三大法則を解説(但し、何れも"宇野流"の見解を交えたものとなっている)、更に『資本論』との対比でレーニンの『帝国主義論』を取り上げ、『資本論』を原理論、『帝国主義論』を段階論として位置づけ、資本主義経済が19世紀の自由主義段階から20世紀の帝国主義段階に移行しても『資本論』は原理論としての有効性を失わないとしています。

 本書の約半分を占める第1章が、何と言っても本書の"読み所"でしょう。あとは、第3章で「理論」と「実践」を科学とイデオロギー(第2節)、経済学と社会主義(第3節)にそれぞれ置き換えて説明しており、この部分も宇野経済学の特質を端的に表す部分として"読み所"ではないでしょうか(第3章の第2節と第3節の終わり部分は密度が濃かった)。多少難解な部分もありますが、「宇野経済学」を理解するうえではまたとない入門書(乃至はテキスト)ではないかと思います。

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気鋭の経済学者による経済時評コラム。『21世紀の資本』での見解を裏付け、補完してくれる。

ピケティ 新・資本論m.jpgピケティ 新・資本論.png  ピケティ クローズアップ現代.png  ピケティ 21世紀の資本 - コピー.jpg
トマ・ピケティの新・資本論』('15年/日経BP社)/NHK「クローズアップ現代」21世紀の資本主義はどこヘ〜トマ・ピケティに問う〜(2015年2月2日放映)/『21世紀の資本』('14年/みすず書房)

 『21世紀の資本』('14年/みすず書房)で、格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何によって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は今後どうなるのか? といったことを 18世紀にまで遡る詳細なデータと明晰な理論によって解き明かしてブームを引き起こしたトマ・ピケティが、あの・サルトルが創刊した左派系日刊紙日刊紙「リベラシオン「に'04年から'14年までに連載した経済時評83本を1冊の本にしたものです(因みに、著者の直近のコラムは「朝日新聞」にも連載されている)。

パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義 第4回

 連載が始まったのは1971年生まれの著者が30代前半の頃になるわけで、著者が早くから気鋭の経済学者として政策に対する批判や提言を行っていたことが窺われ、また、当初から非常に歯切れのいい論調であったことが分かります。フランスの国内政策だけでなく、隣国のドイツやイギリス、その他ギリシャなどEU諸国、更にはアメリカなど他国の経済政策についても(加えて日本についても)、バッサバッサと斬りまくっているという感じで、読んでいて痛快で、いかにも、この人、人気出るだろうなあ、という感じがします。

 著者が織りなすそうした様々な議論や批判の中で、フランスとドイツの経済政策に関しては特に厳しく、当時の仏サルコジ政権と独メンケル政権に対する批判は強烈なものがあります。サルコジに対しては殆ど無能呼ばわりですが、'12年に社会党オランド政権に変わってからも厳しい見方は続いているなあと(一応筆者は、格差是正を説いていることもあって社会党の論客ということにされているようなのだが)。

 700ページの専門書である『21世紀の資本』に比べて、本書はコラム集であるということで、
 ●「資本主義は所詮、世襲財産で成り立っている」
 ●「ゲイツと比較すると、ジョブズの財産は6分の1。ゲイツはウィンドウズの上がりで食べている不労所得者」
 ●「ある水準以上になると、投資リターンにより資産は加速的に増大する。この不平等を食い止めるには、国際的な累進資産税を設けるべきだ」
等々、『21世紀の資本』に比べ身近な話題が取り上げられていて、気軽に読めます(『21世紀の資本』の3分の2の厚さだが、3分の1の時間で読める)。
                                NHK「クローズアップ現代」より
ピケティ21世紀の資本1.jpg 『21世紀の資本』では、この300年で所得格差よりも資産格差の拡大の方が早いスピードで進行しているということ(資本収益率(r)>経済成長率(g))を指摘し(但し、20世紀の戦争や大恐慌によって格差が一時的に緩和された時期があった)、1990年以降に行われたフランスの減税策について、この減税が大資産やランティエ(不労所得で生活する層)の再構築を許すことに繋がるとして強く反対していたわけですが、ここでは、何度もその具体名が出てきて、その代表格(つまりは「世襲資本主義」の象徴的人物)が、ロレアル相続人のリリアンヌ・ベタンクールです。

ピケティ21世紀の資本.jpg スティーブ・ジョブズが亡くなった月['11年10月]のコラムで、幾多のイノベーションを行ったジョブズの資産が80億ドルで、ウィンドウズの上がりで食べている不労所得者ビル・ゲイツ(筆者らしい表現)の資産の6分の1であることから、「競争原理には今なお改善の余地がある」としつつ、ジョブズの資産はゲイツに及ばないどころか、リリアンヌ・ベタンクールと比べても3分の1以下であるが、リリアンヌ・ベタンクールは一度も働いたことがなく、ただ父親から資産を受け継いだだけであるとしています。

 因みに、本書注によると、2013年にフランスの長者番付上位5人のうち、2位にロレアル相続人のリリアンヌ・ベタンクール、4位にエルメス相続人のベルトラン・ビュエッシュ、5位にダッソー・グループ相続人のセルジュ・ダッソーが入っているとのこと。筆者が憤りを込めて資産の再構築、富の再配分を説く背景には、こうしたフランスという国の事情もあるのかもしれないと思いました。『21世紀の資本』での著者の見解を、具体的な経済事象や政策分析によって裏付け、補完してくれる本であるとも言えます。

《読書MEMO》
●『21世紀の資本』より
ピケティ 21世紀の資本es.jpg●まとめよう。トップ十分位は常に二つのちがう世界を包含している。労働所得が明らかに優勢な「9パーセント」と、資本所得がだんだん(時期によって、その速度はかなり迅速で圧倒的だ)重要になる「1パーセント」だ。二つのグループ間は連続的に変化しているし、当然その境界ではかなりの出入りがあるが、それでもこの両者のちがいは明確だし体系的だ。たとえば資本所得は、「9パーセント」の所得の中で、もちろんゼロではないが、通常は主な所得源ではなく、単なる補完にすぎない。(中略)反対に、「1パーセント」では、労働所得のほうがだんだん補完的な役割になる。所得の主役は資本だ。(『21世紀の資本』291p)
●「9パーセント」と「1パーセント」がまったくちがう所得の流れを糧に生きていたことを理解する必要がある。「1パーセント」の所得のほとんどは、資本所得という形で入ってくる。なかでも、このグループの資産である株と債券の利子と配当による所得が大きい。(『21世紀の資本』295p)
●(米国の)格差拡大の大半は「1パーセント」に起因するもので、国民所得に占めるシェアは1970年代の9パーセントから2000~2010年には約20パーセントにまで上昇した――11ポイントの増加だ。(中略)トップ十分位に加わった15ポイントの国民所得のうち、約11ポイント、あるいは4分の3近くが、「1パーセント」の手に渡り、そのうちのおおよそ半分が「0.1パーセント」の懐に入っている。(『21世紀の資本』307~308p)
●日本とヨーロッパの他の国々における国民所得比で2、3ポイントの増大が所得格差の著しい増加を意味することはまちがいない。稼ぎ手のトップ1パーセントは平均よりも目に見えて大きな賃上げを経験している。(中略)フランスと日本では、トップ千分位のシェアは1980年代初めには国民所得のわずか1.5パーセントしかなかったものが2010年代初めには2.5パーセント近くまで増えている――ほぼ2倍近い増大だ。(中略)人口の0.1パーセントが国民所得の2パーセントを占めるということは、このグループの平均的個人が国平均の20倍の高所得を享受していることなのだ。10パーセントのシェアなら、平均所得の100倍の所得の享受を意味する。(中略)重要な事実は、大陸ヨーロッパと日本を含むすべての富裕国で、1990年から2010年にかけて、平均的個人の購買力が沈滞していたのに対し、上位0.1パーセントは購買力の著しい増加を享受したということだ。(『21世紀の資本』330~333p)
●最も裕福な1パーセント――45億人中4,500万人――は、1人当たり平均約300万ユーロを所有している。これは世界の富の平均の50倍、世界の富の総額の50パーセントに相当する。(『21世紀の資本』454p)

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意外と言うよりは、すんなり腑に落ちる(分析上の)結論ではあったが、提案部分は疑問。

日本経済の奇妙な常識.jpg 『日本経済の奇妙な常識 (講談社現代新書)

 全5章構成で、章立ては次の通り。
  第1章 アメリカ国債の謎(コナンドラム)
  第2章 資源価格高騰と日本の賃金デフレ
  第3章 暴落とリスクの金融経済学
  第4章 円高対策という名の通貨戦争
  第5章 財源を考える
 著者自身が述べているように、アメリカ国債の謎を追いかけながら世界経済を見る第1章「アメリカ国債の謎(コナンドラム)」と、円相場の謎を中心に日本経済を見る第4章「円高対策という名の通貨戦争」が本書の中核部分です。

 第1章で言う「アメリカ国債の謎」とは、多くの国の資金がアメリカ国債に流れているという周知の事実である一方で、2011年のアメリカ国債の格下げにかかわらず、金利が下降している事実の謎を指していますが、アメリカの経常赤字と財政赤字という「双子の赤字」の構造変容を示すことで、むしろ、アメリカ国債が世界景気の維持装置の中核部品としてあることを分かり易く説いたものとなっています。

マクドナルドのビックマック.jpg 第4章では、購買力平価から見た円の価値を探っていますが、マクドナルドのビックマックの購買力平価を基準に、各国の通貨価値を探っている点が興味深く、どうしても対ドルレート基準でのみ円の価値を見ようとしがちになる世間に対し、新たな価値基準を示すとともに(これで見ると必ずしも"円高"ではないということになる。但し、これは、"こんな見方も出来る"程度に捉えるべきではないか)、日銀の円安にするための市場介入の失敗及び各国の冷ややかな対応の背景が解説されています。

 それらの指摘も興味深いですが、むしろ、第2章「資源価格高騰と賃金デフレ」において、原油などの資源価格が上昇しても日本の製品がなぜそれほど値上がりしないのかという疑問について、中小企業はコスト高を価格に転嫁できずいるためであるとし、その分立場が弱い労働者に皺寄せがいって賃金デフレを引き起こしており、そうした日本経済が負のスパイラルに突入した転換点が「一九九八年」であることを示していることの方が、自分のような一般読者には興味深かったかも。この頃に、日本の自殺者数は一気に増えているんだなあと。

 第5章「財源を考える」では、増税してもいいことはなく、むしろ小幅な増税ほど危険であり、その前に東日本大震災の復興連動債を発行すべきだという提案をしており、全体を通して、物価が下落しても賃金がそれ以上に下がれば、日本経済は回復しないという、意外と言うよりは、すんなり腑に落ちる(分析上の)結論となっています。

 このことは、新政権がインフレターゲットなどのアベノミックスによって景気浮揚を図っている現在においてもパラレルで当て嵌まると言え、つまり、物価上昇率よりも賃金上昇率の方が低ければ、相対的に見てこれまでとそう状況は変わらないということになるのでは。

 本書刊行から1年半。ここにきての円高で、自動車メーカーなどの輸出産業は一時的に潤い、賞与なども増やしているようですが、小麦などの輸入原材料を扱う食品メーカーやスーパーがそう簡単にコスト高を価格に転嫁できるわけでもなく、そうすると労働分配率を抑えるしかなく、結局、一部の大企業が内部留保を更に膨らませ、多くの労働者は引き続き物価と賃金の上昇率のギャップに苦しみ続けるというのがアベノミックスの行き着く先であるように思えてなりません。

 経済の仕組みを理解する上では参考になりましたが(分析上の結論にはほぼ賛同)、著者は元銀行員であるせいか、一方的に大企業に責任を押し付けている印象もあるし、デリバティブ国債なんて発行して大丈夫なのかなという気も。何だか、金融商品の売り込みみたいになっているよ(提案上の結論には疑問符。著者の新著『日本の景気は賃金が決める』(2013/04 講談社現代新書)も同じような論調なんだろななあ)。

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改めて驚かされるような話は無かったが、行政の原発事故対応批判は予言的。

地下経済―この国を動かしている本当のカネの流れ.jpg地下経済―この国を動かしている本当のカネの流れ (プレイブックス・インテリジェンス)

 地下経済が表経済と独立して存在するものではなく、両者は表裏一体となっていて、むしろ、経済活動とはそもそも裏や地下的なものなのだという、著者らしいスタンスで書かれていました。

 最初の方で、電力会社が原発トラブルを隠蔽する一方で、原発事業推進のために巨大な広告費を使ってイメージアップ宣伝をしていると言っており、こうした指摘は当時から珍しくはありませんでしたが、東電を例に、「企業というのは、背負った公共性の度合いが大きければ大きいだけ、腐った体質になっていく」と言い切っているのは分かり易いなあ。

 その他にも、大手コンビニなどの「フランチャイズ」のネズミ講的実態や、新卒者を500人から600人と大量採用して、その3分の2を研修終了後にクビにしてしまう技術系人材派遣会社(あったなあ)を挙げて企業活動の無法地帯化を指摘し、更には、商工ローンのヤクザでもやらないような苛酷な取り立てなどを挙げつつ、こうした問題は倫理問題ではなく経済問題であって、実態経済とはえげつないものであるとしています。

 著者が最もえげつないとしているのが銀行で、自らの「地挙げ」経験をもとに、バブル期に金融機関は湯水のように金を貸し出し、バブルが崩壊と共に有無を言わさぬ資金回収が始まったことなど挙げ、不動産ビジネスにおいては地上経済と地下経済は表裏一体であり、優良企業と言われる企業であっても、儲けるための行動はヤクザの振る舞いと大きくは違わないとしています。

 著者によれば、日本の経済は、政・官・財の「アイアン・トライアングル」構造に深く依存し、そうした構造は表社会か'ら見るよりも、(ヤクザの組長の息子だった)著者がよく知るところの裏社会の構図を表社会に当て嵌めてみた方が、よりよく分かるということでしょう。

 話は小泉元首相の北朝鮮訪問の背景にあるアメリカの指図があったということから、アメリカ主導のグローバリズムの浸透とその破綻の予兆にまで拡がる一方で、そうした話のベースにも、個人的体験から得た裏社会の構図がベースにあるため、やや恣意的と言うか、若干"呑み屋"談義になっている印象もあり、話が拡散し過ぎたということもありますが、読み終えてみれば、改めて驚かされるような話は無かったなあと。

 ただ一つ―'99年の東海村JOC臨界事故の際に、行政が「半径10キロ圏以内の住民は、安全が確認されるまで家の中にいてください」とし、要するに「外へ出るな」と言ったのは、「ただちに逃げろ」と言えば大混乱になり、パニックが顕在化すると原子力行政が厳しく追及されることになるためであって、でも、著者の後輩の広島で原爆医療をやっている医師から「宮崎さん、逃げたほうがいいよ。風向きによっては東京だってヤバいかも」と言われたとのこと。

 著者自身もホームページで逃げろと訴えたそうですが、今回の福島第一原発事故における政府の対応にもまったく当て嵌ることであり、「あらかじめ最悪の事態のときのシミュレーションが行われていないから、実際に危機に直面したときには、うろたえることしかできない」のが役人というものであるとの指摘は、顧みて思えば的確且つ予言的な批判ではありました(そうしたことも含め、経済学というより社会批評的な本か)。

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確かに分かり易いが、分かり易さゆえにプロパガンダ的役割を担っている?

「未納が増えると年金が破綻する」って誰が言った?.jpg             未納が増えると年金が破綻するって誰が言った.jpg
「未納が増えると年金が破綻する」って誰が言った? ~世界一わかりやすい経済の本~ (扶桑社新書)

 新書で縦書き2段組というコンパクトな体裁ながらも、パンダとかクマのイラストが出てきて図解と併せて解説するパターンは、『経済のニュースが面白いほどわかる本 日本経済編』('99年/中経出版)以降のシリーズのスタイルを踏襲しています。

 扱っているテーマは、「なぜ人は宝くじの行列に並んでしまうのか?」、「なぜアメリカの住宅ローン問題で私たちの給料まで下がるのか?」、そして表題の「未納が増えると年金が破綻するって誰が言った?」の3つで、前フリ(?)として、『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』('08年/小学館)のテーマをもってきているようですが(小学館の本の広告が扶桑社新書のカバーに入っているのはタイアップ広告?)、最も「経済」に近いテーマであるサブプライムローン問題の話よりも、表題の「年金」の方に多くページを割いています。

 著者自身も、一番書きたかったのは「年金」についてだったとしており、これは著者が首相直轄の「社会保障国民会議」のメンバーだったことに関係しているようですが、年金のことを何も知らないで委員になって、1年後には年金について解説した本が書店に並んでいるというのは、さすが著者ならでは。
 読んでみて、年金の仕組みを語るにはあまりに少ないページ数ではあるものの、コンパクトで分かり易かったです(その分かり易さが問題の部分もあるが)。

 「社会保障国民会議」において、「未納が増えると年金が破綻する」と言った日経新聞の論説委員に対し、保険料の徴収率が65%だろうが90%だろうが、年金財政に殆ど影響は無いというデータを示してやり込めたようなことが書かれていますが、この背景には、年金財政は収入より支出が多くなる構造のため、現在の未納者が年金を納めて受給権を得ると、それだけの給付しなければならず、従って年金財政上において未納者は"問題にならない"ということがあり、むしろ、赤字構造の制度そのものがおかしいのでは。

 更に、「税方式」を主張する日経側に対する批判が展開されていますが、本書にあるように、年金財源を消費税化すれば厚生年金の負担が減るので、企業側は負担減となり、結果的に従来の企業負担分も含め、我々庶民の負担が重くなるというのも、ある程度知られているところ。

 著者の論理の展開はオーソドックスなのですが、但し、細かいところは(国によって?)ボカされていて、例えば、未納者(保険料免除者)が本来支払うべき国民年金保険料を厚生年金が実質的に肩代わりしていることなどは省かれているし(保険料免除者というのも、おかしなマニュアル本も出てたりして、その実態が気になるところ)、また、現在の完全未納者が将来において受給権を獲得する確率をどう見積っているのかも不明です(国民年金保険料を納めなくてもまず罰せられることはない現況を鑑みると、厚労省の思惑は、未納者は未納のままでいてくれることを願っているともとれる)。

 また、将来給付について、「物価スライドがあるから大丈夫」的な言い方は、本当に"大丈夫"なのかなあと。
 過去分を再評価により大盤振る舞いしてきたツケで年金財政が厳しくなったわけで、将来において急激な物価上昇があったとしても、それに給付がついていけるか(これも、年金積立金があるから大丈夫との論で切り替えしてくるのだろうが)。

 一般書であるため、ここはあまり細部にまで立ち入って書く場でもないのかも知れず、若い読者に年金について関心を抱いてもらうには、変わり映えのしない定型的な解説書の中にこうした切り口の本があってもいいのかなとは思います(従って、一般書としては"一応は○"という感じ)。

 但し、'04年改正の「マクロ経済スライド」を過剰に高く評価しているなど、いろいろな面で国(厚労省)のプロパガンダ的役割を担ってしまっている印象も受けなくもなく、やっぱりちょっと気になるんだよなあ。

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解説が不親切な部分もあったが、「モノライン」「再証券化」のカラクリ部分だけでも読む価値はあった。

サブプライム後に何が起きているのか.jpg 『サブプライム後に何が起きているのか (宝島社新書 270)』 ['08年] サブプライム問題とは何か.jpg 『サブプライム問題とは何か アメリカ帝国の終焉 (宝島社新書 254)』 ['07年]

 前著『サブプライム問題とは何か』('07年11月/宝島社新書)は、サブプライム問題表面化後、一般向け新書としては比較的早期に刊行されたこともあり、また、大学生や社会人になって間もない人を読者として想定し、複雑なこの問題を「わかり易く解説」したということもあって、好評を博したようです。

 但し、金融のプロが書いたものとしての"シズル感"は伝わってくるけれど、1冊に多く詰め込みすぎて細部においての説明に粗さも見られ、全くの素人相手ではなく、著者のブログを読んでいるような人向けの再整理用といった感じでした(実際、ブログ同様に時系列で書かれていて、そのことが、取り敢えず"シズル感"としての面白さを醸しているのかも)。

 続編となる本書では、サブプライム問題のおさらいをするとともに、前回薄くカバーした問題の中で重要と思われる部分を掘り下げ、また、新たに噴出した問題等をとりあげていますが、やはり、ちょっと難しく感じられる部分もありました(皆さん、全部わかるのかな、これ読んで)。

 ただ、ピンポイントで掘り下げて解説されている箇所に該当する「国富ファンド」とは何かといったことなどについては確かにわかり易く書かれていて("ソブリン"と名のつく投資信託などは国家機関が運用しているわけだ)、資源エネルギーの輸出代金を溜め込んだUAE(原油)やオーストラリア(多分、"鉄鉱石"だと思う)のような国のものと、貿易黒字を溜め込んだ中国やシンガポールのような国のものの2タイプがあり、最終的にはこうした"金余り国"の資本がアメリカの金融機関の危機を救うことになるのかと(アメリカの今の状況が「日本の失われた13年間」に酷似しているという指摘は興味深い)。

 結局アメリカは再生するのか、次なる世界経済の覇者は中国か、はたまた中東かといったことについて、著者の問い掛けは多いものの、近況分析から先の将来的な断定的予測は避けているように思え、基本的にこの人はウォッチャーなのだなあと。

asahi.com より
モノライン.jpg サブプライム破綻の影響が最も大きかったのが、シティなど大手銀行に加えてメリルリンチなどの大手証券だったように、住宅ローンの証券化が背景にあったわけですが、問題が深刻化した原因は、それらに「モノライン保険会社」というもの(更には「格付け機関」)が噛んだ住宅ローンの「再証券化」によるものであった―。
 モノライン保険会社とは、金融保証業務を専門とする会社のうち複数の保険を扱う一般の保険会社をマルチラインと呼ぶのに対し、金融債務のみを対象にする企業のことで、約2兆ドルもの債権を保証していますが、今回は、このモノライン保険会社の格付け引き下げが、サブプライム破綻の引き金になったことがわかります。

 このモノライン保険会社は、もともと地方債の保証が中心だったのが、近年は保証対象を住宅ローン債権のような証券化された商品にまで広げ、最上級格付けトリプルAの信用力をバックに業容を拡大してきたとのことで、財政難の自治体や、業績に問題のある企業などが公社債を発行する場合、資金調達も思うようにいかないので、本来は低格付けされ利率を高くする必要があるのに、格付けがトリプルAのモノライン保険会社がその債権を保証するとトリプルAに格上げされて資金調達が円滑になるということで、そこに「再証券化」という金融工学的なカラクリが仕組まれている(売れ残ったローン証券をかき集めて、相対的にトリプルAの部分を"創出"し続ける)とのことで、まるで破綻が"予告"されているような仕組みではないか、これでは。

 この辺りの、前著であまり触れられていない"カラクリ"部分が本書ではわかり易く解説されており、本全体に素人に対する親切さを欠いている(自分が普段勉強していないだけと言われればそれまでだが)不満はあるものの、この部分だけでも読む価値がありました。

 強引にトリプルA評価の商品を作る「再証券化」という仕組みは、実態と解離した"金融ゲーム"の世界であると同時に、クローズドの世界であり、こうした事態になって初めて実態を知り、ビックリさせられた人も世界中に大勢いたのでは。
 著者自身、証券化商品に関して素人であり、この部分は専門家のアドバイスを得て書いたと後書きにあり、"金融のプロ"でも全てを知りえないほど、この分野は高度化・複雑化しているということでしょうか(金融機関 vs.個人として見れば、こうした金融工学商品の危うさが意図的に"隠蔽化"されてきたとも言える)。

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なぜ、返せなくなるような人たちに貸したのかを、アメリカの社会構造から分析しているのが興味深い。

サブプライム問題の正しい考え方.jpg 『サブプライム問題の正しい考え方 (中公新書 1941)』 ['08年]

 '07年末から'08年にかけて世界経済を混乱に陥れたサブプライムローン問題については、すぐさま何冊かの関連書籍が刊行され、'07年11月には『サブプライム問題とは何か』(春山昇華 著/宝島社新書)といった新書も出ており、'08年4月での本書の刊行は、必ずしも早いものではないかもしれませんが、但し、さすが中公新書というか、経済学者(建設省OB)と実務家(住宅金融支援機構の研究員)という2人のプロが組んで、カッチリした解説を施したものとなっています。

subprime lending.jpg とりわけ、サブプライムローンの破綻原因を、お金を返せない人(必ずしも低所得者のことを指すわけではない)に貸したのがそもそもの誤りだったと断定し、なぜそんなことになったのかを、アメリカの人種問題なども含めた社会構造の分析にまで踏み込んで解説しているのが、本書の特長と言えます。

 サブプライムというのは、「プライム(優良)」に及ばないという意味で、過去に延滞履歴があるような信用度が低い人向けのローンであり、アメリカの通常の住宅ローンの大部分が、金利を長期固定したものであるのに対し、サブプライムは、殆どが最初の数年だけ固定金利で、あとは変動金利で返済額が急増するリスクがあるというもので、それを信販会社の延滞者ブラックリストに載ったことのあるような人に融資するわけですから、安易に選ばれて返済不能に陥る危険を回避するために、予め金利が高めに設定されていたとのこと。                                                        Photo by Mark A. Cizler
 それが、2000年代に入り、ITバブル崩壊や同時多発テロなどで米国内の景気後退懸念が高まり、FRBが金利引き下げ策をとったため、ローン金利も下がって借り易くなってしまい、金融リテラシーの低い黒人やヒスパニックなどの利用がどっと増えたとのことで、証券化され世界中の投資機関の投資対象先になっていたことも、影響がグローバルに及んだ(特に欧州)原因のようです。

 サブプライムローンの主な借り手(返せなくなった人たち)は、住宅価格の高騰とその後のバブル崩壊の影響が大きかったフロリダのヒスパニック層、'05年にハリケーン被害を受けたルイジアナやミシシッピの黒人層、自動車産業の低迷で景気が沈滞しているミシガンやオハイオなど五大湖周辺都市の白人ブルーカラーなどで、ロケーション毎にアメリカの社会問題が反映されているような感じです。

 個人的には、こうした前半部分が興味深く読め、中盤の国際金融問題との関連を論じた部分はかなり専門的(一般の読者はここまで知る必要もないのでは)、後半の日本の住宅金融システムへの示唆なども、この時期に刊行するならばここまで論じておかねばという意欲が感じられるものの、金融リテラシー問題や"サブプライムに似たもの探し"において日米同列で論じるのはやや強引な気もし、証券化の技術問題は、まあこれからといった感じでしょうか。

 今後、日本がすべきこととして、内需拡大、給与水準引き上げ、高所得者の税負担の強化と一般の社会保障負担の抑制などを挙げているのには、ほぼ賛成です。

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読ませ所はあったが、こういう挟み方はちょっと...。

こんなに使える経済学.jpg 『こんなに使える経済学―肥満から出世まで (ちくま新書 701)』 ['08年] 経済学的思考のセンス.jpg 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)』 ['05年]

 大阪大学の大竹教授の研究グループ(社会経済研究所)のメンバー約20名が執筆分担して、「週刊エコノミスト」に連載した経済エッセイを新書に纏めたもので、社会制度の設計はインセンティブを無視しては成り立たず、そのような仕組みを考えるうえで、経済学的思考法は"使える"―との考えのもとに、肥満や喫煙のメカニズムを解いたり、出世や談合、耐震偽装といった問題を経済学の視点から分析したりしています。

 身近な話題が多く、「美男美女への賃金優遇は不合理か」とか「出世を決めるのは能力か学力か」といった話も、統計分析の考え方を主眼に話を進めているので、どうやって統計を取るのか? とりあえず結果は?という方へ関心が行き、すんなりは入れるのではないかと思われます。

大相撲.jpg 個人的には、「談合と大相撲の共通点とは」という章の、千秋楽に7勝7敗の力士が8勝6敗の力士と対戦した場合の勝率は8割に近く、翌場所、同じ力士に当たった際の勝率は4割に半減する、といったデータなどは興味深かったです。

 ただ、基本的には、大竹氏の『経済学的思考のセンス』('05年/中公新書)の前半部分の手法を、執筆分担制にしただけの"二番煎じ"であり、前著はまだ後半部分において、労働経済学の観点から公的年金やワークシェアリング、年功賃金や成果主義、或いは所得格差の問題を考える際に、こうした統計学的な考え方やインセンティブ理論を応用してみせていたのですが、本書は、単なる軽い読み物で終わってしまっている気も...。

 連載の新書化だからしょうがないかな(前著も、連載と他の発表論文の組み合わせだったが)と思いきや、いきなり、「不況時に公共事業を増やすべきか」などというモロなテーマが出てきて、書いているのは、大竹氏の研究所の先輩にあたる小野善康氏(巻末の執筆者一覧で、1961年生まれになっていたが、これは誤りでしょう)であり、しっかり小野流の「構造改革論」を展開しています。

 読ませ所はあったわけですが、こういう挟み方はちょっと...と思うのは、偏狭過ぎるでしょうか。

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良くまとまってはいるが、その分「教科書」の域を出ない。

日本の経済.jpg 『日本の経済―歴史・現状・論点 (中公新書 1896)』 ['07年]

 多分に「教科書」的な本であり、前半部分は経済史で、戦後復興期から高度経済成長期、更に70年代のニクソンショック・第一次オイルショックによる停滞期から80年代バブル期までを、データ等を駆使しながら要領良く纏めていて、中盤から後半にかけて、90年代のバブル期及びそれ以降の問題の検証に入り、国際経済関係を含む日本の経済の現状分析だけでなく、日本企業における組織風土の問題や雇用問題、財政・社会保障問題まで言及されています。

 バブル期の問題分析において、「投機は価格の安い時に買い、高い時に売るのだから価格安定機能がある」というフリードマンの命題に対し、これは、「価格の波が、投機家の行動とは別個に、事前に決まっている」という想定に基づくもので、「値が上がるから買い、買うから値が上がる」という"買い上がり"の投機行動が数年にわたる価格上昇をつくり、逆に下降局面では、「カラ売りして値を下げ、安くなったところで買い戻して差益を得る」という"売り叩き"の投機が値崩れを生むといったように、「価格の波」以外の過程では投機は波を促進・拡大するとして、フリードマン理論の論理的急所を突き、投機が社会に破壊的作用を及ぼす危険を帯びることを指摘している(129p)のが解り易く、では何故その時に政府や日銀は金融引き締めに入れなかったということについては、「資産価格は狂乱状態にある一方で、一般価格はまったく落ち着いていたこと」を第一の理由に挙げています(133p)。
 著者が言うように、バブルにおいては、さほど必要ないところに国・企業・個人のカネが投資され、結局、個人ベースで見た場合、バブルの乗り切り方(回収率)の違いで、所得格差は拡大したのだろうなあと。

 この辺りから、経済史の講義は終わり持論の展開が主となるのかなと思いましたが、その後の不況の二番底('97〜'02年)や小泉内閣による構造改革の分析などは、比較的オーソドックスであるように思え、後に来る日本的企業経営、雇用と職場、社会保障の問題なども、時折思いつきみたいな私論が挟まれることはあるが(事務職の給与を全額、手当にしてはどうかとか)、全体としてテキストとしての体裁を維持しようとしているのか、論点整理に止まっているものが多いような気がしました。

 例えば、少子化問題への対策を個人の問題ではなく政府の問題とするような論調も、年金などの社会保障の税負担化論も既出のものの域を出ておらず、やはりありきたり(因みに、国民年金は、保険料納付率が上がればそれだけ受給権者が増え、より赤字になる構造なのだけどなあ)。
 最後の「金融政策をめぐる論点」(岩田規久男氏 vs. 翁邦雄氏・吉田暁氏)も、これまでと同様よく纏まっていますが、ここに来てやっとこの著者の立場を知り(読み手である自分自身が鈍いのか、紙背への読み込みが足りないせいもあるが)、最初から旗幟鮮明にしてくれた方が有難かったかも(「教科書」だから、それはマズイのか?)。

《読書MEMO》
●貨幣供給の原理についての理解では、内生説(翁邦雄氏・吉田暁氏)が正しい。外生説(岩田規久男氏)は、マネーサプライはベースマネーの何倍かになる(結果的にはそうなる)という「信用乗数論」の初級教科書での説明用であって、それが現実だと思ったら大間違いである(287p)

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絶賛している人も多い本だが、素朴な疑問も。

不況のメカニズム.jpg 『不況のメカニズム―ケインズ「一般理論」から新たな「不況動学」へ (中公新書)』 ['07年]

 経済学における「ケインズ派」と「新古典派」の論争はいつまで続くのやらという感じですが、本書は、サブタイトルにあるように、ケインズの『一般理論』を解体し、新たな「不況動学」を構築するのが目的であり、「新古典派」の唱える「市場原理主義」については、不況下に苦しむ人びとをさらに苦境に追い込むとしてハナから批判していますが、一方、ケインズの『一般理論』にも誤りがあったとしています。

 新古典派によれば、不況は供給側の原因(生産力の低さや価格・賃金調整の不備)で起こるのであり、生産力が低いままで、更に物価や賃金が下がらなければ、商品は売れず雇用は増えない。だから、不況から脱出するには、生産力を上げると同時に、価格と賃金を下げることが必要になってくる―と。

 これに対しケインズ派は、不況は需要側の原因で起こり、需要不足の下では価格や賃金が調整されても売れ残りや非自発的失業は残るため、企業が効率化や人員整理を進めれば、需要は更に減り、不況が深刻化する、そこでケインズ派は「人為的に需要を作って余った労働力に少しでも働く場を確保すること」が不況からの脱出策になる―と。

 著者は新古典派の考えには与せず、一方でケインズを、「需要不足の可能性に注目することによって、不況における政策の考え方に重要な示唆を与えたことにある」と評価しながらも、「結局ケインズは、物価や貨幣賃金が調整されても発生する需要不足を論証することには、必ずしも成功しなかった。さらに消費の限界を設定するために安易に導入した消費関数がケインズ経済学の中心的な位置を占め、無意味な乗数効果が導かれ濫用されて、金額だけを問題にする財政出動の根拠となった」と批判しています。

 著者によれば、ケインズの、「民間が行う消費や投資の決定に任せていては需要不足の解消は不可能であり、政府の介入によって投資を増やすしかない」という不況対策理論は、初めから需要不足を前提とする仮説に基づいている点で論理的欠陥があり、だったら本当に失業手当よりも公共事業の方がいいのか(「災害でも戦争でもいいから」とケインズは言ったらしいが)、投資が次々と連鎖的に新たな所得を生み出すというのは幻想ではないかとしています。

 ケインズ理論の誤謬検証を通じての新たな「不況動学」論として、著者の理論の展開は論理的にはカッチリしていますが(本書を絶賛している人は多いし、著者自身も「不況システム」の分析にかけては絶対的な自信がある模様)、机上論のような感じも...(この部分は専門的でやや難解。正しいのかどうかよく判らず、その意味では、自分には評価不能な面も)。
 公共事業は、失業という人的資本の無駄を減らすだけではなく、実際に有意義な物やサービスを生んだ場合にのみ意味を持つというのが著者の結論であり、「良い公共事業とよくない公共事業」論とでも言えるでしょうか。

 著者は、リフレ派のインフレ・ターゲット論を、「どのようにして人々にインフレ期待を持たせるかという肝心の点については、明確な方法がわからない」と批判していますが、著者の論についても「どのような公共事業が"良い公共事業"と言えるのか明確にわからない」ということが言えるのではないでしょうか。

 基本的には、『景気と経済政策』('98年/岩波新書)の続きみたいな感じで、その間に、小泉純一郎内閣('01‐'06年)の「構造改革」路線があったわけですが、"聖域"があり過ぎて、「構造改革」論の正誤を検証できるところまでいかなかった気がします。
 だから、こうして「ケインズ派」と「新古典派」の論争は続くのだなあ。

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メインタイトルに呼応した"エッセイ"とサブタイトルに呼応した"論文"。

経済学的思考のセンス.jpg 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)』 ['05年] 大竹文雄.jpg 大竹文雄・大阪大学教授 (自身のホームページより)

 著者は、今年['08年6月]、「日本の不平等」研究で、47歳で第96回日本学士院賞を受賞した経済学者。前半部分は気軽に読める経済エッセイで、第1章では「女性はなぜ、背の高い男性を好むのか?」、「美男美女は本当に得か?」「イイ男は結婚しているのか?」といったことを、第2章では「プロ野球における戦力均衡(チームが強ければ強いほど儲かるのか?)」「プロ野球監督の能力(監督効果ランキング)」などの身近なテーマを取り上げ、俗説の真偽を統計学的に検証しています。

 「16歳の時の身長が成人してからの賃金に影響している」とか、「重役に美男美女度が高いほど企業の業績がいい」とか、統計的相関が認められるものもあるようですが、統計に含まれていない要素をも考察し、「相関関係」がイコール「因果関係」となるもではないことを示していて、どちらかと言うと、「経済学的思考」と言うより「統計学的な考え方」を示している感じがしました(こうした考え方を経済学では用いる、という意味では、「経済学的思考」に繋がるのかもしれないが)。

 個人的には、第2章の、大学教授を任期制にすべしとの論(自分自身もこの意見に今まで賛成だった)に対してその弊害を考察している部分が興味深く、任期制にすると新任者を選ぶ側が自分より劣っている者しか採用しなくなる恐れがあると(優秀な後継が入ってくると、自分の任期満了時に契約が更新されなくなると危惧するため。そんなものかも)。
 「オリンピックのメダル獲得予想がなぜ外れたか」などといった話も含め、このあたりは、「インセンティブ理論」に繋がるテーマになっています。

 第3章・第4章では、少し調子が変わって著者の専門である労働経済学の論文的な内容になり、第3章では「公的年金は"ねずみ講なのか"?(世代間扶養に問題があるのか)」「ワークシェアリングが広まらない理由」「成果主義が失敗する理由」などを考察し、年功賃金や成果主義の問題を、第4章では、所得格差の問題など論じています(年功賃金が好まれる理由を統計分析しているのが興味深い)。

 もともと別々に発表したものを新書として合体させたものであるとのことで、第1章・第2章と比べると文章が硬めで、最初はいかにも"くっつけた"という感じがしましたが、読んでいるうちに、エッセイ部分の統計学的な考え方やインセンティブ理論が考察の所々で応用されているのがわかるようになっていて、よく考えられた構成なのかもしれない...。

 但し、年功賃金、成果主義、所得格差、所得再配分、小さな政府、といったことを論じるには、少しページが不足気味で、所得格差の問題は「機会の不平等や階層が固定的な社会を前提として所得の平等化を進めるべきか、機会均等を目指して所得の不平等を気にしない社会を目指すかの意思決定の問題である」という著者の結論には賛同できますが、そこに至る考察が、要約されすぎている感じも(悪く言えば、プロセスの突っ込みが浅い)。

 本全体としては、「経済学的思考のセンス」がメインタイトル、「お金をない人を助けるには」がサブタイトルにきていることと、呼応してはいますが...。

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資本主義における「欲望のフロンティア拡張運動」を説く。「欲望」発生の原理論が面白い。

「欲望」と資本主義1.jpg「欲望」と資本主義2.jpg 『「欲望」と資本主義―終りなき拡張の論理 (講談社現代新書)』 ['93年]

 著者は本書で、社会主義(計画経済)と資本主義の違いについて、新たな技術や製品を開発し、新たなマーケットを開発する精神こそ資本主義のドライビング・フォースであり、これが社会主義(計画経済)には欠けていたとしています。
 では、市場経済=資本主義なのかというと、従来の経済学ではそうであったが、著者はそこで、経済学の前提にある「稀少性」という概念を裏返し、生産とは常に「過剰」なものであり、人間は「過剰」な消費を繰り返してきたのであり、それがかつてはポトラッチに蕩尽(=浪費)されていたものが、資本主義のもとでは、「欲望の拡張」によって処理されるのであると。

 本書の白眉は、資本主義における「欲望の拡張」の、その「欲望」自体は(予め誰もが持っているものではないのに)どうやって生じるのかについての考察であり、欲望の対象となるものには「価値」があり、価値の対象となるものには「効用」があり、効用とは「満足」であるが、満足は「距離」や「障害」を克服したときに得られるものである、つまり、いつでも入手できるものに人は欲望を感じない(ジンメルの欲望論)、そうすると、みんなが欲しがるものは手に入りにくいため「距離」や「障害」が出来、そこで「欲望」が生まれる―、これをフランスの哲学者ルネ・ジラールは、欲望は他人のそれを「模倣」することで発生するという言い方をしているとのこと(一応、ジンメルやジラールを援用しているが、この両者の結びつけは、著者のオリジナルと思われる)。

個人主義の運命.jpg つまりジラールは、他人を模倣することから欲望が発生すると言っているのですが(作田啓一氏の『個人主義の運命-近代小説と社会学』('81年/岩波新書)のジラールによるドストエフスキーの「永遠の夫」の解題にもこのことはあった)、欲望の充足が個人的な満足を超えた社会的効果をもたらすという点では、ジンメルの「距離」の欲望論と同じであり、つまり欲望は本質的に社会性を持ったものであると。(ウ〜ん。半分以上は先達の理論からの援用だが、でもやはり面白い)

 但し、本書の主要な論点は、資本主義における「欲望のフロンティアの拡張運動」についてであり、それが過去に(例えば産業革命前では)どのように行われてきたか、歴史的に確認するとともに、実体の伴わないまま投機的に欲望が拡大し、「技術のフロンティアと欲望のフロンティア」が乖離してしまうことへの危惧を表しています。

 本書は、バブル経済が弾ける半年前に刊行されたものです。

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昨今の経済学者とは一味異なる視座を与えてくれる「豊かさ」3部作。

「豊かさ」とは何か.jpg  「ゆとり」とは何か.jpg 「豊かさ」のあとに.jpg   飯田経夫.gif 飯田 経夫(1932‐2003/享年70)
豊かさとは何か―現代社会の視点 (講談社現代新書 581)』『「ゆとり」とは何か―成熟社会を生きる (講談社現代新書 (655))』『「豊かさ」のあとに―幸せとは何か (講談社現代新書 (723))

「豊かさ」とは何か2886.JPG  理論経済学者・飯田経夫の本で、第1章で、「日本人はもう充分豊かになっている」「自分たちの住まいをウサギ小屋というのはやめよう」といい、これは当時('80年)としては多くから反発もありそうな呼びかけですが、そう述べる論拠を著者なり示していて、この章と、続く第2章で「ヒラの人たちの頑張りと平等社会」が日本を支えているという論は、今読んでもなかなか面白いし、外国人労働者が日本に入ってきたとき、日本の"平等社会"はどう変質するかといった考察などには、興味深いものがありました。

 この人はケインズ主義者であり、第3章以下では、1930年代の資本主義の危機の中で、ケインズが何をもたらし、何を変えたかを論じていますが、アダム・スミス以来の"自由放任"を終わらせたことよりも、ケインズ以前の"厳しすぎる"規律(均衡財政や金本位制)を終わらせたことにポイントを置いており、アダム・スミスに戻る流れに繋がる新古典派も、貨幣数量説のミルトン・フリードマンら反ケインズ派も、著者は認めていないようです。

 ただ、こうした経済政策論もさることながら、経済だけでなく日本社会をその特殊性をベースに考える著者独特の洞察は、輸入経済学を"翻訳"しているばかりの昨今の経済学者とは一味異なり、新たな視座を与えてくれるものでありました。

 著者は、本書を著した後も、日本経済が好況を持続し向かうところ敵無しという状況の中で、本当の意味での豊かさを問う『「ゆとり」とは何か-成熟社会を生きる』('82年)『「豊かさ」のあとに-幸せとは何か』('84年)を著し、これは講談社現代新書における「豊かさ」3部作というべきものになっていますが、当時としては、このようなテーマに執拗に注目している経済学者は少なかったのではないでしょうか(むしろ、社会学のテーマとされていた)。

 その後、更に、『日本経済はどこへ行くのか-危うい豊かさと繁栄の中で』('86年/PHP新書)で、マネーゲームの危うさなどを指摘していますが、バブル絶頂期に書かれた現代新書の第4作『日本経済ここに極まれり』('90年)においては、タイトルに反して当時の日本の好況を安定的な実力ではないと警鐘を鳴らしつつも、この人自身、それがいつか急激に弾けるバブルのようなものであるとまでは考えていなかったようです。

経済学の終わり-「豊かさ」のあとに来るもの.jpg しかし、バブル崩壊後、バブルを煽った多くの経済学者やエコノミストが何ら懺悔の言葉を発することがなかったのに対し、『経済学の終わり-「豊かさ」のあとに来るもの』('97年/PHP新書)で、「バブルに対して警告を発することなく、むしろそれを煽りさえした経済学者・エコノミストたちの罪は重い。私自身も」と反省しています(評価★★★★)。

経済学の終わり―「豊かさ」のあとに来るもの (PHP新書)

 地元である名古屋圏の地域経済の活性化にも関心を示し、新幹線「のぞみ」開通した時に東京-名古屋間の時間的距離が縮まることを喜びながらも、名古屋圏の文化・経済特性をどう維持するかが課題であると言っていたのが、印象に残っています。

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全体としては、それほど「易しい」という感想は持てなかった。

経済学はむずかしくない.gif経済学はむずかしくない (講談社現代新書)』['74年] 経済はなぜ変動するか.jpg経済はなぜ変動するか (講談社現代新書 224)』['70年]

経済はなぜ変動するか975.JPG 本書と同じ講談社現代新書にあった理論経済学者の伊達邦春・早大名誉教授の『経済はなぜ変動するか』('70年)は、経済変動がなぜ生じるかを、ケインズの国民所得決定理論から始めて、ハロッドやドーマーの成長理論などを説いたもので、学部生の副読本に勝るとも劣らないカッチリした内容。

 ヒックスの景気循環モデルに結びつけての新古典派成長理論などにも解説は及んでいて、新書でもムダを省けばここまでカバーできるのかというぐらいの内容ですが、その辺りまでいくと、如何せん、自分の頭がついていかない...。

 この本の前後に、有斐閣新書の古典学派関連の本を読んでいたのですが、そちらは経済思想中心で、それに対し、本書では線形数学による解説がかなりを占めているので、新書スタイルでとっつき易いとは言え、こうした本を読み慣れていない人には、ちょっと難しいのではないかという気がしました(経済学部の学生や出身者にとってはどうなのだろうか)。

経済学はむずかしくない976.JPG都留重人.jpg これに比べると、都留重人(1912‐2006、本書刊行時は一橋大学学長)の『経済学はむずかしくない[第2版]』('74年、初版は'64年)は、一応はタイトル通りの「入門書」と言えるものであるようで、"バロメータ"という概念を中心に据え、目には見えない経済の状態を反映するバロメータにどのようなものがあるかを、平易な事例と言葉で解説しています。 

 そうしながら、ミクロ経済やマクロ経済を解説しているわけですが、ミクロからマクロへと話を進める中で、経済の重要なバロメータとして、物価や賃金、利子率や為替率を解説していて、それらの関係はまあまあ把握し易く、マクロ経済の解説も「家計」の事例から入るなど、初学者への配慮が見られます。

 しかしながら、こちらも、利潤の極大化や成長理論の話になると、すぐに微分数式などが顔を出してきて、ちょっと理解しにくいところもあり、結局、全体としては、タイトルほど「易しい」という印象は受けない...。

 本書で、都留重人は、資本主義が変わってきたからこそ、マクロ経済が生まれるようになったのであり、経済の仕組みは一度それが定着すると永久に変化しないというようなものではないとし、また、我々は、資本主義により発展してきた国にいるため、資本主義の「競技規則」に従わざるを得ないが、その中で「必然を洞察した自由」を持つべきで、そのためには資本主義の仕組みをよく知らねばならず、そのことにより、仕組みそのものをより良いものに変えていくこともできるだろうと言っています。

 ハーバード大学出身ですが、アメリカに渡った頃はマルクス主義者だったらしく、アメリカのそうした学者たちに影響を与え、彼自身も「マルクス主義的ケインズ経済学者」と言われたりした人で、自らは、自身を「リベラルな社会主義者」であると言っていたそうです(今で言えば、構造改革路線に近いということか)。

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平易かつ理路整然とした内容。「インフレ目標政策」入門としても好著。

日本経済を学ぶ.jpg  『日本経済を学ぶ (ちくま新書)』 〔'05年〕

2569619896.jpg 「インフレ・ターゲット論」の代表的論客である著者による日本経済の入門書。

 まず第1・2章でなぜ高度経済成長が実現し、バブル景気や「失われた10年」の本質は何であったのかをわかりやすく説明、さらに第3・4章で日本的経営と企業統治を扱い、第5・6章で産業政策や構造改革を、最終章で日本経済の課題と長期経済停滞から脱却するための経済政策(インフレ目標政策=1〜3%の物価上昇率を目標にし、景気回復およびマクロ経済の安定を図る策)を提言しています。

 全体を通して、著者自身が「大学での講義スタイルを取り入れた」言わば「大学外での公開講義」と言っているとおり、数式などを用いず、小泉構造改革や郵政民営化、年金改革など具体的な問題をとり上げ、平易かつ理路整然とした内容の「入門書」だと思いました。

 本書は同時に、それに賛同するかどうかは別として、「インフレ・ターゲット論」を理解するための本でもあるかと思います(個人的には著者の論には説得力を感じていますが、"高インフレを招く危険な考え"とするエコノミストも一部にあります)。

 見方によっては、全体がその論のために構成されているともとれ、競争原理の意義や景気に及ぼすファンダメンタルズ以外の心理的要因の大きさ、(政府による産業政策や構造改革より)日銀がデフレ予想を払拭する金融政策に転換することの必要を説くことで、「インフレ目標政策」の背景にある基本的考えを示すとともに、「量的緩和政策」との関係などを解説しいている点に、「インフレ・ターゲット論」を正しく理解してほしいという著者の意図が感じられます。

《読書MEMO》
●(04年現在)小泉首相は「構造改革なくして、成長なし」といっていますが、それは本当でしょうか。(213p)/小泉内閣が口で言うほどの構造改革を進めなかったことが、大不況を免れた大きな要因です。(中略)小泉内閣の看板通りに、本格的に不良債権処理や財政構造改革などの構造改革を進めたならば、大不況を招き、物価下落率と失業率が一割を超すような事態になった可能性があります。(230-231p)

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マクロ経済の参考書として読めるが、やや乱暴な論調も。

田中 秀臣 『経済論戦の読み方』.JPG経済論戦の読み方.jpg  『経済論戦の読み方』 講談社現代新書 〔'04年〕

 著者は、インフレターゲット論者として、論文、一般向け書籍、ネットなどで活発な活動を続けている人ですが(この人の個人サイトは映画の話題などもあって面白い)、本書は"経済論戦"の現状を俯瞰的に眺望する前に、マクロ経済理論の解説を行っています。このあたりの解説自体は丁寧で、「IS-LM分析」や「流動性の罠」理論を理解するうえでの適切な参考書としては読めます。

 しかし具体的に持論の解説がないまま「構造改革主義」批判に入り、そこでも経済理論の解説が続くため、論点を"読み解く"うえでは、自分のレベルでは必ずしも読みやすいものではありませんでした。
 特に著者の唱える「漸進的な構造改革」は、構造改革論者にも同じことを唱えている人がいるのでややこしい。

竹中平蔵.jpg 最初に一般論としてのエコノミストの分類をしていますが、「政策プロモーター型」の竹中平蔵氏について、度々の変節を揶揄して「カオナシ」と呼んでいるところは著者らしいユーモア。

 しかし、 "経済論戦"というものが何だか今ひとつ分かりにくくて本書を手にとった自分のような読者が期待する "読み方"の部分については、章間にある"辛口ブックレビュー・コラム"がその端的な形と言えるかと思いますが、これが一番面白いものの、やや乱暴な論調も見られ、明らかに主題から外れた揚げ足取りの部分もあるように思えました。

《読書MEMO》
●辛口ブックレビュー・コラム
◆デフレが人を自由にすると説く奇妙な論理...榊原英資 『デフレ生活革命』('03年/中央公論新社)
◆時代遅れの経済学を前提とした主張...リチャード・クー 『デフレとバランスシート不況の経済学』('03年/徳間書店)
◆日銀をあまりにも過大評価している...リチャード・A・ヴェルナー 『謎解き!平成大不況』('02年/PHP研究所)
◆年金問題に数字を伴う処方箋を提示してほしい...金子勝 『粉飾国家』('04年/講談社現代新書)
◆「万年危機論者」たちの終わらない宴...高橋乗宣 『"カミカゼ"景気』('04年/ビジネス社)、ラビ・バトラ 『世界同時大恐慌』('04年/あ・うん)、副島隆彦 『やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる』('04年/ビジネス社)、本吉正雄 『元日銀マンが教える預金封鎖』('04年/PHP研究所)、藤井厳喜 『新円切替』('04年/光文社ペーパーバックス)、吉川元忠 『経済敗走』('04年/ちくま新書)
◆木村剛の「キャピタル・フライト論」の大きな誤り...木村剛 『戦略経営の発想法』('04年/ダイヤモンド社)、『キャピタル・フライト-円が日本を見棄てる』('01年/実業之日本社)
◆思い込みばかりが浮き彫りになる「御用学者」批判...奥村宏 『判断力』('04年/岩波新書)

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エコノミスト批判の本と割り切って読めば、示唆に富むものだった。

判断力.jpg  『判断力 (岩波新書 新赤版 (887))』 〔'04年〕 奥村宏.jpg 奥村 宏 氏(経済評論家)

 著者は、新聞記者としてスタートし、その後証券会社に転じ、研究員としての長年の勤務を経て大学教授になり、退官後は経済評論家として活躍している人。
 本書で、情報に振り回されて判断を誤るのはなぜかを考察し、また理論のための学問でない「実学」の大切さを説いているのも、こうした経歴によるところが大きいのでしょう。
 経済にまつわる様々な「陰謀説」についての著者の分析は、大いに参考になりました。

 外国に判断を任せる政治家や、責任感欠如で判断しない経営者、外国理論を輸入するだけの経済学者を批判していますが、その矛先は企業の従業員やジャーナリスムにも向けられていて、組織に判断を任せる「会社人間」を生んだ構造の背景にあったのは、「法人資本主義」つまり会社本位の経済成長第一主義であるとし、新聞社も組織の肥大化で同じ罠に陥っており、新聞記者は全て独立してフリーになった方がいい記事が書けるのではとまで言っています。

 最も辛辣な批判はエコノミストに向けてのもので、議論が盛んなインフレターゲット論と財政投資有効論の対立も、政府や日銀の政策をめぐっての議論であり、日本経済の構造分析の上に立った主張ではない「御用学者」たちの間でのやりとりでしかなく、「経済論戦」などもてはやすのはおかしいと、手厳しいです。

 主張には骨があるように思えましたが、テーマである「判断力」ということについて、方法論的には「新聞の切り抜き」みたいなレベルで終っているのが残念でした。
 ただし、エコノミスト批判の本と割り切って読めば、多分に示唆に富む内容のものでした。

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新聞記者の視点で日本経済と小泉路線をわかりやすく解説。

図解でカンタン!日本経済100のキーワード.jpg  『図解でカンタン!日本経済100のキーワード』 講談社+α文庫 〔'04年〕

 100個のキーワードがあってそれぞれにぶら下がりで説明がついているというスタイルではなく、景気のメカニズムや国の財政・金融政策を解説しながら、その流れの中でキーワードが出てくるので、頭に入りやすかったです。
ボツワナ共和国.png
 '02年に日本国債の格付けはA2となったが、これはボツワナ以下とか(どこにある国か知ってますか)。
 発行残高483兆円って、おいおい大丈夫かと言いたくなる(その後500超円超えたけれど)。

 先行き不透明な日本経済の現況において、小泉内閣の歩もうとする路線を分析しています。
 「経済財政諮問会議」というのが、小泉政権になってから大きな主導権を持つようになったことがわかります。
 『大蔵省』('89年/講談社)などの著書もある著者の、小泉首相が元々は「大蔵族」であったという指摘は、竹中プランなどを分析する上でのヒントになるのでは。

 生保の予定利率引下げを認めたのも護送船団型の典型で、金融行政が金融庁に分離されても、こうした"規制と保護"の政策は変わらないことを予感させる(郵政民営化で少なからず銀行に金が流れ込むわけだし)。
 
 後半は民間の産業構造の変化を、産業別の過去推移を追いながら解説しています。
 日産のゴーン氏が愚直にリストラ推進できたのは外国人だったからとし、ダイエーは再生困難とはっきり予言しています。

 著者は東京新聞の論説委員。新聞記者の視点でわかりやすく書かれていて、直近のデータをふんだんに盛り込んでいます。
 それだけに、基本的にはその旬の時に読まないと、時間が経ちすぎて読んでもピンとこなくなる本ではありますが、小泉政権の経済政策を振り返ってみるには使える本です。

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参考書的には面白かったが、肝心の主張部分の具体性に欠ける。

市場主義の終焉.jpg 『市場主義の終焉―日本経済をどうするのか (岩波新書)』 〔'00年〕 佐和 隆光氏.jpg 佐和 隆光 氏

 著者は本書で、市場主義を否定しているのではなく、「市場主義改革はあくまでも『必要な通過点』である」としながらも、市場の暴走による社会的な格差・不平等の拡大を避けるためには、「市場主義にも反市場主義にもくみしない、いってみれば、両者を止揚する革新的な体制」(140p)としての「第三の道」をとるべきだとしています。

 「第三の道」とは社会学者ギデンズが提唱した「旧式の社会民主主義と新自由主義という二つの道を超克する道」(142p)であり、著者によれば「リベラリズム」がそれにあたり、最もそれを体現しているのが英国のブレア首相(労働党)であるということのようです(サッチャリズムの保守主義、市場主義政策が破綻してリベラルなブレア政権が誕生したと...)。

 効率重視の"保守"と公正重視の"リベラル"という対立軸で経済を読み解くのが著者の特徴で、「自由な市場競争を大義名分とする市場主義と、伝統と秩序を『保守』することを大義名分とする保守主義は両立不可能」(41p)という政治経済学的な分析は面白いし、その他にも政治・経済・社会に対する多角的な分析があり、経済の参考書として門外漢の自分にも興味深く読め、本書が「2000年ベスト・オブ・経済書」(週刊ダイヤモンド) に選ばれたのも"むべなるかな"といったところ。

 ただし、肝心の主張部分「第三の道」についてもう少し具体的に説明してもらわないと、一般に言う「福祉国家」とどう違うのかなどがよくわからず、学者的ユートピアの話、議論のための議論のようにも聞こえます。
 確かに「大学改革」については、市場主義、経済的利益のみで学問の価値が測れないことを示しています(それはそれでわかる)が、何だかこの問題だけ特別に具体的で、浮いているような気がしましたけど。

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ビジネスパーソンの"復習"用として身近な感覚でもって読める。

経済学を学ぶ.jpg  『経済学を学ぶ』 ちくま新書 〔94年〕  岩田 規久男.jpg 岩田規久男 氏 (略歴下記)

1544226_dollar150.jpg 平易な言葉で書かれた経済の入門書で、学生時代に経済学を学ぶことなく社会に出た自分のような人間にも読みやすい本でした。
 '94年の出版ですが、新書版という手軽さもあり(「ちくま新書」創刊ラインアップの中の1冊)、実際かなり幅広く読まれているようです。
「金さえ払えば入れる大学」がないのは何故か、といった身近な切り口は、高校生でも充分に引き込まれるのではないでしょうか。

 ミクロ経済学の視点からは、個人だけでなく企業行動についてもとりあげているので、ビジネスパーソンの"復習"用としても身近な感覚でもって読めます。
 それも、「なぜ映画に学割があるのにレストランにはないのか」「JRのフルムーンは高齢者福祉政策か」といったユニークな切り口での解説です。

 後段ではマクロ経済の視点で、国民所得の変動や失業、インフレが発生する原因を解説し、財政金融政策について、「ルールか裁量か」という問題があることを示しています。
 より突っ込んで学びたい人は、同じ著者の『マクロ経済を学ぶ』('96年/ちくま新書)に読み進めば良いかと思います。
 こちらはレベル的には、大学の一般教養か経済学部の学部生になったばかりの人向けぐらいでしょうか。
_________________________________________________
岩田 規久男 (学習院大学経済学部教授)
1942年(昭和17年)10月3日大阪府生まれ。東京大学経済学部卒業、東京大学大学院経済研究科博士課程修了。上智大学専任講師、'76年助教授、'83年教授。'77〜'79年カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。
●主な著書
『日経を読むための経済学の基礎知識』、『土地改革の基本戦略』、『土地と住宅の経済学』、『企業金融の理論』(共著)他多数。

《読書MEMO》
●ルールか裁量かについては、未だ決着はついていないが、次のような立場が比較的多くの支持を得ていると考えられる。すなわち、普通の状態では、市場の自動安定化装置に任せ、景気が大きく後退したり、激しいインフレが起きたりした場合には、裁量的な財政金融政策を実施するというものである。(204p)

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政治経済を軸に平成不況を多角的分析。ただし将来予測は外れている部分が多い。

平成不況の政治経済学―成熟化社会への条件 佐和隆光.png平成不況の政治経済学―成熟化社会への条件』 中公新書 〔'94年〕 佐和隆光.jpg 佐和隆光 氏

 本書は、'93(平成5)年末、つまりバブル崩壊後3年目で、ちょうど細川政権が誕生した頃に書かれたものですが、「政治経済」という視点を軸に平成不況を分析し、以後の経済政策のあり方を提示していています。
 また一方で、著者の多角的な観点のおかげで、経済というものをより幅広い視野で捉える眼を養ううえでの参考書としても読めます。
 ただしこの本を"参考書"として読む場合は、経済学には派閥があり、保守派とリベラル派に分けるならば、著者は「リベラル派」であることを踏まえておくことが必要でしょう。

 著者は平成不況の一因に日本が'90年代に成熟化社会に入ったことを挙げ、この閉塞状況の処方箋を書くには、従来の経済学の枠組みではなく、保守とリベラルという概念で状況を読み解く必要があるとしています。
 そしてリベラルな立場から"保守派"エコノミストの描く"ケインズ主義"的な財政金融政策に警鐘を鳴らし(著者の「保守/リベラル」観には「人間性」的なものがかなり入っているように思える)、生活の質を重視した社会の仕組づくりを提唱しています。

 到達地点の趣旨自体は賛同できますが、市場主義の流れは止まらないだろうし、インフレもその後10年以上生じておらず、むしろ超デフレが続きました。
 それに、著者が描いた政治構造の将来予測、つまり保守主義とリベラリズムの対立構造というものが、まず政党のパワーバランス予測が外れ、さらに政策区分さえかなり曖昧になってしまいました。

 政治と経済政策の関係を〈保守とリベラル〉という観点で読み解く参考書としては良書だと思いますが、経済予測だけでも難しいのに、それに政治が絡むと将来予測はさらに難しくなることを痛感させられる本でもありました。

《読書MEMO》
● 保守主義とは何か
「いまここに、一人の貧者がいたとする。もしもあなたが保守主義者ならば、次のようにいわれるであろう。彼または彼女が貧しくなったのは自助努力が足りなかったからである。もし政府が福祉政策によって彼または彼女を救済したりすれば、彼または彼女にとってはありがたいことかもしれないが、図らずも他の人々の自助努力をも阻害することになり、一国経済の生産性を低下させかねない。したがって過度の福祉政策は慎むべきである、と。」(13-14p)

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グローバル化による「市場個人主義」の台頭に、疑念を提示している。

働くということ グローバル化と労働の新しい意味.jpg 『働くということ - グローバル化と労働の新しい意味』〔'05年〕ロナルド・ドーア.bmp ロナルド・ドーア

 英国人である著者は50年来の日本研究家で(個人的には、江戸後期の寺子屋の教育レベルが当時の英国以上のものであったことを示した『徳川時代の教育』('65年)を鶴見俊輔が高く評価していたのを覚えている)、日本の社会や労働史、最近の労働法制の動向にも詳しく、また、日本企業の年功主義が「年=功」ではなく「年+功」であるとするなど、その本質を看過しているようです。

 自国でもこうした「日本型」志向が強まるのではと予測していたところへ新自由主義的な「サッチャー革命」が起き、官の仕事の民への移行、競争主義原理の導入、賃金制度での業績給の導入などを、官が民に先んじて行うなど予測と異なる事態になり、その結果、所得格差の拡大など様々な社会的変化が起きた―。

 著者から見れば、日本の小泉政権での官の仕事の民営化や市場競争原理の導入、あるいは企業でのリストラや成果主義導入が、20年遅れで英米と同じ"マラソン・コース"を走っているように見えるのはもっともで、それはまさに米国標準のグローバル化の道であり、そうした「改革」が、従来の日本社会の長所であった社会的連帯を衰退させ、格差拡大を招く恐れがあるという著者の言説は、先に自国で起きたことを見て語っているので説得力があります。

 著者は、こうした社会的変化の方向性を「市場個人主義」とし、不平等の拡大を"公正"化するような社会規範の変化とともに、「日本型」など従来の資本主義形態の多様性が失われ米国の文化的覇権が強まる動向や、「勝つためには人一倍働くことが求められる」といった単一価値観の社会の現出が、働く側にとって本当に良いことなのか疑念を抱いています。

 グローバル化が加速するなかで、「働くこと」の意味は今後どう変遷していくかを考察するとともに、日本は、これまでの日本的な良さを捨ててこの流れに追随するのか、またその方向性でしか選択肢はないのかを鋭く突いた警世の書と言えます。

 因みに、著者の日本研究は、第2次大戦終結の10年後、山梨県の南アルプス山麓の集落を訪ね、6週間泊まり込みで集落の家々をくまなく回り、聞き取り調査を行ったことに始まりますが、調査で威力を発揮した日本語を、彼は戦争中に学んでいます。

 開戦後、前線での無線傍受や捕虜の尋問ができる人材が足りないと感じた英国軍が、ロンドン大学に日本語特訓コースを作り、語学が得意な学生を集めた、その中の一人が著者だったわけで、このコースは多くの知日派を輩出することになり、著者もまた、今も自宅のあるイタリアと日本を行き来し、日本語で原稿を書き、日本を励まし続けています。


《読書MEMO》
●仕事の満足感...知的好奇心を満足させるもの、芸術的喜びが見出せるもの、競争・対抗の本能を満足させるもの、リーダーシップや指導力が行使できるもの...加えて、ヘッジファンドの運用者などに典型的に見られる「ギャンブラーの興奮」など(63p)
●渋沢栄一...『論語』注釈を通じて、企業家リスクと投機家リスクの道徳的違いを説く→「小学生に株を教えるのは悪くないアイデア」とする竹中平蔵教授には、企業家リスクと投機家リスクの道義的違いは無意味?(68p)
●日本人にとって大事なのは、日本がその(文化・倫理的伝統、民情、行動特性といった)特徴を維持すべきかどうか、維持できるかどうか(83p)
●経済学がますます新古典派的伝統によって支配されるようになるにつれて、市場志向への傾斜が促され、自由化措置を正当化する力が増してきた(104p)
●同質化の傾向は、グローバルなエリートを養成するアメリカのビジネス・スクールによって強化されている(176p)

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