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「著者による木村の魂の介錯の試みは、著者自身の首を自ら介錯する試みでもある」(夢枕獏)。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 単行本.jpg「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 単行本2.jpg 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 文庫 上.png
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』['11年/新潮社]『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上) (新潮文庫)』『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下) (新潮文庫)』['14年/新潮文庫]

 2012(平成24)年・第43回「大宅壮一ノンフィクション賞」、第11回「新潮ドキュメント賞」受賞作。

 雑誌「ゴング格闘技」の2008年1月号から2011年7月号にかけて連載されたものがオリジナルで、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた史上最強の柔道家・木村政彦の評伝ですが、たいへん面白く、単行本2段組み700ページの大作でありながらも一気に読めてしまいました(あまりに大部であるため、文庫になってから読んだのだが)。刊行時から夢枕獏、平野啓一郎、五木寛之といった人々が絶賛したばかりでなく、恩田陸、櫻井よしこら格闘家にあまり関心があるとも思えない(?)女性からも惜しみない賛辞が寄せられているのも頷けます。

木村政彦 vs 力道山2.jpg 前半部分は柔道家列伝という感じで、その中で木村政彦が図抜けた存在になっていく過程が描かれており、後半は力道山との運命を分ける試合へ導かれていく様が、これも丹念に描かれています。そして、木村政彦の運命を変えた力道山との一戦で彼は、柔道における15年不敗、13年連続全日本選手権の覇者としてリングに上がったものの、力道山の繰り出す空手チョップの前にダウンし、キックされて再び立ち上がることが出来なかったわけです。
木村政彦 vs 力道山(1954年12月22日蔵前国技館)

 この試合は実はプロレスがショーであることの例に漏れず、「引き分け」に持ち込むという互いが事前に取り決めた念書(所謂"ブック")があったにも関わらず、力道山が"ブックやぶり"を犯して勝ってしまったもので、力道山がこの"勝利"を足掛かりに自らのプロレスにおける地位を盤石のものとしていったことは、格闘技ファンの間では知られていることですが、一般には、そうした経緯があったことは、本書が出るまでそれほど知られていなかったかもしれません。

木村政彦 vs 力道山.jpg木村政彦vs力道山.jpg 著者はもともと木村政彦の無念を晴らすためにペンを執ったわけで、その木村政彦に対する思い入れと、ノンフィクションとして出来る限り客観的に真実に迫ろうとする姿勢が、随所で綱引きをするように引っ張り合っているのが興味深かったです。取材に18年かかったというのは伊達ではないでしょう。それだけの時間を費やすだけの木村政彦への強い想いが感じられる一方、主観に捉われず出来るだけ多くの人に取材し、資料に当たり、事の真相を探ろうとするにもそれだけの時間がかかったのだなあと思わされました。

木村政彦 vs エリオ グレイシー.jpg 本書が話題になった時、ブラジルで1951年10月23日行われた木村政彦vs.エリオ・グレイシー戦の動画も観たし、「昭和の巌流島」と言われ、木村政彦の名声の失墜の原因となった、1954年12月22日の木村政彦vs.力道山戦の動画も観ました。但し、それとは別に、かつて10年以上も前にテレビ東京で「君は木村政彦を知っているか」という90分のTV特番があって、その中に生前の木村政彦へのインタヴューが収録されているのを最近知りました(著者のブログによると、著者自身も人から聞いて知ったらしく、「これを観ると、私がいま雑誌上で連載している『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の全体の流れを概観できると思う」と言っている)。

 木村政彦はそのインタビューの中で、あの"因縁の"力道山戦を実に淡々とした感じで振り返っており、自分のキックがたまたま金的蹴りに近いものとなり、それに激昂した力道山が繰り出した空手チョップが偶然自分の頸動脈に入って自分は気を失ってしまったように話していました。予め力道山戦の動画を観ていた自分もそうだな、事故だったのだなあ、木村政彦も随分枯れたというか達観した感じだなあと思ったのですが、本書を読むと、力道山の空手チョップが頸動脈に入ったというのは記者か誰かの誤記を木村が事実と取り違えて自分でそれで自分を納得させてしまったものらしく(実際には力道山のチョップは顔面=テンプルに入っている)、こうしたことからも、木村が力道山戦を自分の心の中で整理するのに大変苦心したことが窺えるように思いました。 「君は木村政彦を知っているか」 (テレビ東京2000年8月27日放映)

 先にも述べたように、本書はもともと木村政彦の無念を晴らすために書かれたもので、本書に対する評価の中には「ペンで仇をとった」といったようなものもあり、確かにそうした側面はあるでしょう。しかし、一方で本書は、プロレスラー力道山は真剣勝負で試合に臨んだが、一方の木村政彦は、事前に力道山に渡した念書どおりのプロレスのつもりでリングに上がり、試合に対し呑気に構え、トレーニングもせず、前夜も大酒を食らっていた―その違いが木村の顔面に決まった力道山の一発に表れ、一方のそれを喰らった木村は立てなかったという捉え方もしています。

 そして最終的に著者は、「あれはただのブックやぶりでしかない。だから勝ち負けを論ずるのは間違っている」としながらも、「だが、木村の魂はさまよい続け、介錯を待っているのだ。ならばその魂に柔道側から介錯するいしかない」とし、「木村政彦は、あの日、負けたのだ。もう一度書く。木村政彦は負けたのだ」としています。こうして見ると、夢枕獏氏が「週刊文春」に書いた、「木村のさまよえる魂を追いつめてゆき、いよいよ著者は木村の介錯を試みるのだが、これはむしろ著者が著者自身の首を自ら介錯するシーンとして読むべきだろう」という評が、実に穿った見方であるように思いました。

 本書を読んでも最後まで分からないのは、力道山にとって木村政彦との試合は彼を潰すチャンスでもあったのは事実だと思いますが、それではブックやぶりはゴングが鳴る前から力道山の「作戦」にあったのか、それとも木村があたかもインタビューで力道山を"擁護"するかのように語ったような「事故」だったのかということで、これは、力道山が自らをプロモートすることに関して非常に優れた才能を持っていた(また並々ではない執着心を持っていた)ことと、彼が非常に激昂しやすい性格であったことを考えると、どちらの可能性もあるように思います。

 本書は最後、木村政彦の妻をはじめ4人の女性に敬意を表して終わっていますが、その中に力道山の妻も含まれており、本書は、木村政彦へのオマージュであるとともに、(ペンの力で敵討ちするはずだった)力道山へのオマージュにもなっているように思いました。

【2014年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

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あくまで写真主体の「写真集」。開会式の場面で何だかじ~んとくる「映画」。

'64 東京オリンピック 朝日新聞社.jpg     映画パンフレット 「東京オリンピック」.jpg 東京オリンピック vhs.jpg  
'64東京オリンピック (1964年)』/映画「東京オリンピック」(パンフレット/VHS①②)

東京オリンピック2.JPG東京オリンピック3.JPG 東京オリンピックの終了後、比較的早期に出された写真集で、当時の定価で2800円ですが、相当部数印刷されたせいか、古書市場で比較的廉価で入手できます。
東京オリンピック5.JPG 東京オリンピック7.JPG カラー写真とモノクロ写真が交互に出てきて、大判で迫力がありますが、キャプションは簡潔にとどめ、あくまで写真主体であるのがいいです。
東京オリンピック8.JPG東京オリンピック9.JPG それにしても懐かしいね。日本人選手も、重量挙げの三宅義信やレスリングの渡辺長武、体操の遠藤幸雄、そして女子バレーボールと多くの選手が活躍したけれども、やはり世界にはすごい選手がいるものだと思い知った大会でした。
東京オリンピック10.JPG東京オリンピック11.JPG 陸上男子100メートルのボブ・ヘイズ、マラソンのビキラ・アベベ、水泳のドン・ショランダー、体操のベラ・チャフラフシカ、柔道のアントン・へ―シング、ややマニアックなところでは、重量挙げのジャボチンスキーや女子砲丸投げのタマラ・プレスなんていう選手が印象に残っています。

東京オリンピック4.JPG 日本選手で印象深いのは、やはりマラソンの円谷幸吉選手(1万メートルでも6位に入賞していたんだなあ)で、この人の写真を見るたびにその「遺書」を思い出してしまいます。

 女子80メートルハードルの依田郁子選手も、スタート前のウォーミングアップでトンボ返りをするなど印象的でしたが、この人も'83年に自殺しています(柔道重量級の金メダリストの猪熊功選手も2001年に自刃により自殺している)。人気度という点では水泳の木原光知子選手などもいました(愛称ミミ。この人も2007年に突然のように亡くなったなあ)。

 巻末の競技別成績一覧を見ると、水泳の男子200メートル背泳の福島滋雄選手とか女子100メートル背泳の田中聡子選手とか、メダルまであと一歩だった選手もいて、田中聡子選手は日本新記録を出しながらも4位、福島滋雄選手は3位の選手と10分の1秒差―その悔しさは測り知れません。

 この大会の公式記録映画である市川昆(1915-2008/享東京オリンピック  市川昆.png年92)監督の「東京オリンピック」('65年/東宝)では、試合前の選手の悲愴感すら漂う緊張ぶりや、脱落したり敗者となった選手の表情(田中聡子選手のように惜しくもメダルに届かなかった選手のレース直後の様子なども含め)にもスポットを当てており、選手の心情を描くことを重視したドラマ性の高いものとなっていました。

千代田映画劇場 東京オリンピック.jpg この作品は当時750万人の一般観客と、学校動員による1,600万人の児童生徒の、合計で2,350万人が観たとのことで(ギネスブック日本版)、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」('01年/東宝)が '01年に観客動員数2,350万人を達成したそうですが、国民の広い層が観たという意味ではいい勝負と言うか、「東京オリンピック」の方が上かもしれません。

「東京オリンピック」('65年/東宝)封切時(千代田映画劇場)「SUISHI'S PHOTO」中塚浩氏撮影

市川 崑 「東京オリンピック」開会式.jpg 聖火リレーや開会式の様子をしっかりと撮っていて、観ていて約半世紀前の記憶が甦ってくるとともに、当時の日本国民の熱狂ぶりを改めて感じとることができます。古関裕而作曲の「東京オリンピックマーチ」ってやはりいい。開会式の選手入場行進などの場面を観ていてじ~んと胸にくるのは自分の年齢のせいでしょうか。映画からは、編集した映像に合わせて後から音楽や選手の靴音などの効果音を入れていることが窺えますが。

東京オリンピック』を撮影中の市川崑監督.bmp 当初、黒澤明が監督をする予定だったものが予算面で折り合わず、新藤兼人、今村昌平など何人かの有名監督が候補に挙がった中で、最後にお鉢が廻ってきたのが、スポーツはプロ野球観戦ぐらいしか興味の無かった市川昆監督でした。

市川 昆 「東京オリンピック」望遠カメラ.jpg でも、経費的な制約条件の中、超望遠カメラを多数使用し、人海戦術で各競技の様子を撮ることに予算を集中投下した市川監督の手法は"当たり"だったのではないでしょうか。興行面だけでなく、質的にも、市川昆監督自身の代表作と言えるものと思います。

市川 崑 「東京オリンピック」バレーボール.jpg 最終的には制作費3.5億円と、やっぱり予算オーバーになったみたいですが、興行収入はそれを大きく上回る12億円超。予算オーバーは、監督自身が当初2時間半程度に纏めるつもりでいたのが、協会側から3時間程度に、という要請があったことも関係しているのでは。

 '04年(平成16)年にオリンピック開催40周年を記念して発売されたDVDでは、市川昆監督自身が再編集したディレクターズカットが劇場公開版と併せ収録されていますが、こちらは劇場公開版より22分短い148分となっています(VHS版は劇場公開版と同じ170分)。

市川 崑 「東京オリンピック」ハードル.jpg 内容的には当時、記録性に乏しいとの批判もあり(オリンピック担当大臣だった河野一郎が「作り直せ」とイチャモンをつけたのは有名)、「記録が芸術か」という議論にまで発展したようですが、ドキュメンタリーというのは必ずフィクションの要素が入るものではないかなあ(この作品については「脚本」に市川崑、和田夏十の他に、白坂依志夫や谷川俊太郎が名を連ねており、映画のエンディングロールには安岡章太郎などの名も見られる)。

 ディレクターズカット版では、そうした批評を受けてか、劇場版で休憩時間を経ての後半の冒頭に出てくる、独立して間もないアフリカのチャドから来た選手のエピソードなどが割愛されているようです。この選手、映画の中では母国の何百とある方言のうちの1つを話す、とされていますが、監督自身が後のインタヴューで、実はフランス語がペラペラの"近代青年"であったことを明かしており、さすがにここは"作り過ぎた"との意識が監督自身にもあったのでしょうか。

 当時、東西に分かれていたドイツは合同チームとして参加し、「ドイツ」が金メダルをとると国歌の代わりにベートーヴェンの第九交響曲「歓喜の歌」が流れた...オリンピックはこの頃が一番「平和の祭典」に近かったんじゃないかなあ。

東京オリンピック 市川昆.bmp東京オリンピックdvd.jpg東京オリンピック1.JPG「東京オリンピック」●制作年:1965 年●監督:市川昆●製作:東京オリンピック映画協会●脚本:市川崑/和田夏十/白坂依志夫/谷川俊太郎●撮影:林田重男/宮川一夫/中村謹司/田中正●音楽:黛敏郎●ナレーター:三國一朗●時間:170分●公開:1965/03●配給:東宝(評価:★★★★)東京オリンピック [DVD]

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タイトルの印象と異なり、「スポーツ紙のスポーツ面」のごくフツーのコラム記事という感じ。

松瀬 学 『こわーい中国スポーツ』.jpgこわ~い中国スポーツ.jpg           姚明.jpg 劉翔.gif 
こわ~い中国スポーツ (ベースボール・マガジン社新書 7)』['08年]/姚明 LONG-NET.com 劉翔 LONG-NET.com

 北京オリンピックの最中に本書を読んでいますが、本書は北京五輪開幕の1年前の記念イベントの取材から始まっていて、当局がいかに国家のイメージアップを図るために張り切っているか(或いは苦慮しているか)が、「人工消雨」「マナー講座」「マスコット」作戦などを通して述べられていて、取材規制などからもピリピリしたものが伝わってきます。

 但し、取材規制に対するボヤキみたいなものはあるものの、話は政治批判の方へは行かずに競技や選手の方へ行き、メダル大国を目指しての中国スポーツ界の奮闘ぶり、とりわけ、バスケットボールの姚明(ヤオミン)、110mハードルの劉翔などスター選手にフォーカスしています。

郭晶晶 LONG-NET.com  Rendb.com
郭晶晶(グオ・チンチン).jpg郭晶晶(グオ・チンチン)2.jpg この2人に次ぐ有名アスリートとして、女子飛び込みの郭晶晶(かく・しょうしょう/グオ・チンチン)を取り上げていますが、この化粧品会社のCMモデルもこなす美人選手のスキャンダラスな話題にはほとんど触れずにさっと流し、むしろ、バレーボールや柔道、卓球など、その他の競技における監督・選手の強化ぶりなどにページを割いていて、まさに、「スポーツ紙のスポーツ面」の極々フツーのコラム記事といった感じです。

 実際、スポニチ(大阪)連載の記事がベースになっているのですが、この際、「芸能面」的要素もあってもよかったのでは。何だか、当局に気を使っているような気さえしてきます(この人、比較的身内が集まる小規模な講演会では、「北京オリンピックの光と影」などという演題で話をしているのだが)。

 元共同通信社の記者で、学生時代は早稲田大学ラグビー部の選手、政治的観点やドーピング問題からスポーツ界を取材した本もありますが(『汚れた金メダル―中国ドーピング疑惑を追う』('96年/文藝春秋))、本書はあくまでも「中国のスポーツ」を純粋に取材したものだったのか―(タイトルと内容のイメージがずれる)。

 このまま、スポーツ記事みたいに読み手のアスリートマインドに訴えるだけで終わるのかなと思いきや、最後の方で、世界のスポーツ用品メーカーやプロ・スポーツ団体が、いかに中国市場に参入し、ビジネスで成功を収めようと奮闘しているかが紹介されていて、そうか、「政治」ではなく「経済」の方にいったのかと。
 確かに、多くの内政問題を抱える中国がオリンピック開催国となった背景には、諸外国の中国という巨大市場への経済的動機付けが大きく働いていると思いますが、本書での解説はかなり表面的なものに止まっている感じでした(日本企業で北京五輪大会全体の公式スポンサーになれたのは「コクヨ」だけだったのか。一体、何をサプライするのだろうか)。

 プロ野球のロッテの親会社が、中国リーグのあるチームのスポンサーを検討していたが、ユニフォームの背中に「楽天」というロゴが入ることになるため断念したという"余談"が面白かったです(「ロッテ」の中国語表記は「楽天」)。

《読書MEMO》
北京五輪2008
 2008年8月17日に行われた女子3m飛板飛込み決勝で、郭晶晶は金メダルを獲得 [写真左/エキサイトニュース]、翌18日に行われた男子110メートルハードル1次予選で、劉翔は足を痛めレースを棄権 [写真右/産経ニュース]。
17日夜に行われた女子3m飛板飛込み決勝で、中国の郭晶晶選手が金メダルを獲得.jpg 110メートル障害1次予選で足を引きずり、レースを棄権する劉翔.jpg


  

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ナショナリズムからスタートし、「スモールタウンの幻像」を携えたベースボール。

ベースボールの夢.jpg 『ベースボールの夢―アメリカ人は何をはじめたのか (岩波新書 新赤版 1089)』 〔'07年〕

 ベースボールは、南北戦争の将軍アブナー・ダブルデーが若い頃、1839年にニューヨーク州中部の村・クーパーズタウンで始めたのが最初とされ、以来当地は「野球殿堂」が建てられるなど"ベースボール発祥の地"とされていますが、この"ベースボールの起源"論については、英国生まれのジャーナリスト、ヘンリー・チャドウィックが、英国でそれ以前から行われていた「ラウンダーズ」がベースボールの起源であると主張していたとのことです。

Al_Spalding_Baseball.jpg ところが、これを否定し、調査委員会まで設置して「クーパーズタウン伝説」を強引に「事実」にしてしまったのが、往年の名投手でスポーツ用品メーカーの創立者としても知られるアルバート・G・スポルディング(Albert Spalding)で、本書前半部では、こうしたベースボールの成り立ちと歴史の"捏造"過程が描かれていて興味深く読めます。
Albert Spalding (1850-1915) 
      

Ty Cobb.jpg ベースボールは、英国のクリケットなどとの差異において、ナショナル・スポーツとしての色合いを強め、実業家スポルディングが、ベースボールを通じて「ミドルクラス・白人・男性」のイメージを「アメリカ人」のあるべき姿と重ね(これが後に排他的人種主義にも繋がる)、ミドルクラスを顧客としたビジネスとして育て上げていく、そうした中、それを体現したような選手・打撃王タイ・カップが現れ、さらに彼がコカ・コーラの広告に登場するなどして、商業主義とも結びついていく―。
Tyrus Raymond "Ty" Cobb (1886-1961)

 本書では、ややスポルディング個人の影響力を過大評価している感じもありますが、後半部は社会学者らしく、アメリカにフロンティアが無くなった南北戦争後、地方に分散する従来のスモールタウンを基盤とした社会から、産業の発展に伴って大都市に人口が集中する社会への転換期を迎える、そうした過程に呼応した形で、ベースボールが「ゲームの源泉としての農村」、「農村から都市へのゲームの発展」という流れにおいて、「スモールタウンの幻像」を携えながら振興していく構図を捉えていてます。

ナチュラル.jpgフィールド・オブ・ドリームス.gif 個人的はこの部分に関しては、そういう見方もあるかもしれないと思い、確かに、映画「フィールド・オブ・ドリームス」('89年/ケビン・コスナー主演)や「ナチュラル」('84年/ロバート・レッドフォード主演)も、著者の言う「農村神話」というか、田舎(スモールタウン)へのノスタルジーみたいなものを背負っていたなあと。

フィールド・オブ・ドリームス.jpg 「フィールド・オブ・ドリームス」は、アイオワ州のとうもろこし畑で働いていた農夫(ケビン・コスナー)が、ある日「それを造れば彼が来る」という"声"を聞き、畑を潰して野球場を造ると、「シューレス・ジョー」ことTHE NATURAL 1984.jpgジョー・ジャクソンなど過去の偉大な野球選手たちの霊が現れ、その後も死者との不思議な交流が続くというもので、「ナチュラル」は、ネブラスカ州の農家の息子で若くして野球の天才と呼ばれた男(ロバート・レッドフォード)が、発砲事件のため球界入りを遅らされるが、35歳にして「ニューヨーク・ナイツ」に入団し、"奇跡のルーキー"として活躍するというもの。

 この2作品は、アメリカ中部の田舎が物語の最初の舞台になっていること、"家族の絆"という古典的なテーマのもとにハッピーエンドで収斂していること、「夢」そのもの(「フィールド・オブ・ドリームス」)または「夢みたいな話」(「ナチュラル」ではレッドフォードが最後の公式戦でチームを優勝に導く大ホームランを放つ)である点などで共通していて、一面では日本人のメンタリティにも通じる部分があるように思え、興味深かったです(但し、とうもろこし畑を潰して自力で野球場を建てるというのは、日本人には思いつかないスゴイ発想かも)。

Derek Jeter.jpg こうした今まで観た映画のことを思い浮かべながらでないと、歴史的イメージがなかなか湧かない部分もありましたが、個人的には、例えば、アフリカ系とアングロサクソン系の混血であるデレク・ジーターが、ここ何年にもわたり"NYヤンキースの顔"的存在であり、アメリカ同時多発テロ事件の後はニューヨークそのものの顔になっていることなどは、ベースボールが人種差別という歴史を乗り越え、近年ナショナル・スポーツとしての色合いが強まっているという意味で、何だか象徴的な現象であるような気がしています。

Derek Jeter(New York Yankees)

フィールド・オブ・ドリームス05.jpg「フィールド・オブ・ドリームス」●原題:FIELD OF DREAMS●制作年:1989年●制作国:アメリカ●監督・脚本:フィル・アルデン・ロビンソン●製作:ローレンス・ゴードンほか●音楽:ジェームズ・ホーナー●原作:W・P・キンセラ 「シューレス・ジョー」●時間:107分●出演:ケヴィン・コスナー/エイミー・マディガン/ギャビー・ホフマン/レイ・リオッタ/ジェームズ・アール・ジョーンズ/バート・ランカスター●日本公開:1990/03●配給:東宝東和 (評価:★★★☆)
   
ナチュラル 03.jpg「ナチュラル」●原題:THE NATURAL●制作年:1984年●制作国:アメリカ●監督:バリー・レヴィンソン●製作:マーク・ジョンソン●脚本:ロジャー・タウンほか●音楽:ジェームズ・ホーナー●原作:バーナード・マラマッド●時間:107分●出演:ロバート・レッドフォード/ロバート・デュヴァル/グレン・クロース/キム・ベイシンガー●日本公開:1984/08●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:自由が丘武蔵野推理(85-01-20) (評価:★★★☆)●併映:「再会の時」(ローレンス・カスダン)

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楽しい珍道中もあり、熱い感動もあるシドニー・オリンピック取材記。

シドニー.gif 『シドニー!』('01年/文芸春秋)シドニー0.jpg シドニー1.jpg 講談社文庫 (上・下)〔'04年〕

 雑誌「ナンバー」に連載した'00年のシドニー・オリンピックの取材記ですが、オリンピックというもの自体に懐疑的で、競技としては最初から〈マラソン〉と〈トライアスロン〉にしか興味が無い著者は、むしろ競技場の外で見聞きしたものに対する記述に余念がありません。

 わざわざシドニーから1,000キロも離れたブリスベンまで見に行ったサッカーにしても、試合そのものより往復の"珍道中"とでも言うエピソードを楽しく書いています。しかし、やはりこれだけの質と量のものを短期間に書き上げる筆力はさすがだと思いました(著者自身も初めてのことだったようですが)。

 オリンピック取材に行って、地元紙のオリンピックに全然関係ない三面記事に言及したり、コアラの生態のことを事細かく書く人もあまりいないと思いますが、オーストラリアという国の歴史や先住民族アボリジニーについて丹念に書いた人もあまりいなかったのではないでしょうか。

シドニー!0609.jpg 高橋尚子が優勝した女子マラソンの描写にはさすがに熱が入っていますが、アボリジニー出身の陸上選手キャシー・フリーマンの女子4百メートル決勝の描写では、それ以上に筆致が冴えわたり、読む者を感動させます。

 結果的には、スポーツ雑誌「ナンバー」のコンセプトに沿ったかたちになりましたが、むしろ著者自身のスポーツマインドから来る感動が熱い言葉となってほとばしったと見るべきでしょうか。この著者にしては珍しいと思いました。

 【2004年文庫化[文春文庫(「コアラ純情篇」・「ワラビー熱血篇」全2巻)]】

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誤審が避けられないなら、選手やコーチはもっと外国語の勉強をしておいた方がいいかも。

世紀の誤審.jpg 『世紀の誤審 オリンピックからW杯まで』 光文社新書 〔'04年〕

篠原信一 ドイエ 01.jpg篠原信一 ドイエ 02.jpg パリ世界陸上('03年)の末続慎吾のスタート直前に与えられた不当な注意や、シドニー五輪('00年)柔道決勝の篠原信一・ドゥイエ戦の判定、日韓共催サッカー・ワールドカップ('02年)の韓国チームに有利に働いた判定、ソルトレイク冬期五輪('02年)フィギアの審判員の不正など、歴代の大きなスポーツ競技会での誤審や疑惑の判定が取りあげられていて、色々あったなあと思い出させてくれます。
laughy.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/chestnuti/56680138.html
「篠原"誤審"に泣いた銀」(サンケイスポーツ)
 
 どうして誤審が起きるのかをひとつひとつ分析していて、柔道のように競技の国際化に伴って審判も国際化し、そのレベルが均質ではなくなってきているという問題もあるのだなあと。サッカー・ワールドカップ然り、おかしな審判は必ず毎大会います。

 柔道は選手に抗議権がない競技らしいですが、それにしても国際大会に出る日本のアスリートは、外国語(主に英語)を早めに習得しておいた方がいいのではないかと思われ、それは監督・コーチにも言えることで、篠原・ドゥイエ戦にしても、抗議文を英語で書ける人がいなかったために、その発送が遅れたというのはやや情けない気もします(五輪終了後、国際柔道連盟はこの試合のビデオを分析し、その結果、篠原もドゥイエも技が完全ではないと国際柔道連盟理事会は判断し、問題の場面では両者にポイントを与えるべきではなかったと結論付け、篠原の内股透かしを無効とした事ではなく、ドゥイエの内股を有効とした事について誤審と認めた。だが、試合場から審判が離れた後は判定は覆らないという国際柔道連盟試合審判規定第19条によりドゥイエの優勝は覆らなかった(wiki))。

 切り口は面白く、誤審が生まれる背景には政治的なもの、人種差別的なものから選手の実力に対する先入観など色々な要素があることがわかりますが、ひとつひとつのケースの取り上げ方がやや浅い気もします。しいて言えば、ミュンヘン五輪('72年)男子バスケットボールの米ソ大逆転は状況分析が行き届いていますが、これはの『残り(ラスト)3秒』(香中亮一著/'93年/日本文化出版)という先行著作を参考にしているためだと思われます。

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日本のジャーナリズムの中では見えなかったイチローの一面が見えた。

イチローUSA語録.jpg 『イチローUSA語録』 集英社新書 〔'01年〕 デイヴィッド・シールズ.jpg デイヴィッド・シールズ(略歴下記)

 イチロー語録は何冊か本になっていますが、シアトル在住の米国人作家の編集による本書は、その中でも早くに出版されたもの。雑誌・新聞等に掲載された英文訳のイチローのコメントを再録していますが、渡米1年目の6月ぐらいまでのものしか載っていません。でも、掛け値なしで面白い!

Ichiro.jpg 編者は―「イチローはグラウンドで超人的な離れ業、人間業とも思えない送球や捕球や盗塁やヒットなどを演じ、あとでそれについて質問されると、彼の答えときたら、驚くほかはない。そのプレーを問題にもしないか、否定するか、異を唱えるか、前提から否定してかかるか、あるいは他人の手柄にしてしまう」と驚き、「日本語から英語に訳される過程で、言葉が詩的な美しさを獲得したのだろうか?」と考察していますが、日本語に還元したものを我々が読むと、もっと自然な印象を受けます(彼のプロ意識の控えめな表現だったり、ちょっとマスコミに対して皮肉を言ってみたとか、或いはただインタビューを早く終らせたいだけだったとか)。それでも面白いのです。

 個人的に一番気に入ったのは、シアトルの地元紙に日本の野球に心残りがあるかと聞かれ、「日本の野球に心残りはありません。野球以外では、飼っている犬に会えないのが寂しいけど、グランドでは何もないです」と答えた後、その飼い犬の名前を聞かれて、「彼の許可を得てからでないと教えられません」と言ったというスポーツ・イラストレイテッドの記事。何だか、味わい深い。スポ・イラも丹念だけれども、編者もよくこういうのを拾ってきたなあと言う感じ。例えば、日本でまとめられた"類書"などは、「精神と目標」「準備と訓練」「不安と逆風」...といった構成になっていて、こうなると上記のようなコメントは入る余地がなくなります。日本のジャーナリズムの中では見えてこなかったイチローの一面が見えました。

 イチローはこの年(2001年)、「菊池寛賞」受賞。「国民栄誉賞」は受賞を辞退していますが、こちらは特に辞退せずだったようです。
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デイヴィッド・シールズ
1956年ロサンゼルス生まれ。ブラウン大学卒(英文学専攻)。作家、エッセイスト。ワシントン大学教授(クリエイティヴ・ライティング・プログラム担当)。著作に「ヒーローズ」「リモート」「デッド・ランゲージズ」など。ニューヨーク・タイムズ・マガジン、ヴォーグなどにも寄稿。1999年刊の「ブラック・プラネット」は全米批評家協会賞最終候補となる。シアトルに妻、娘とともに住む。

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「●岩波新書」の インデックッスへ

プロ野球審判歴40余年の回想。味わい深く、楽しめた1冊。

プロ野球審判の眼3050.JPGプロ野球審判の眼.jpg    島秀之助.jpg 島秀之助(1908-1995)
プロ野球審判の眼』 岩波新書 〔86年〕

 プロ野球審判歴40余年に渡った島秀之助(1908-1995)が78歳で記した回想録で、淡々とした語り口は味わい深く、試合の様々な逸話は読み物としても面白いものです。

 著者は1936(昭和11)年の日本プロ野球発足時に選手としてスタート、その後審判に転じ、1950(昭和25)年から31年間はセリーグ審判部長でした。本書を読むと審判という仕事の大変さがよくわかります。こんな名審判にもメンターとでもいうべき人がいて、その人がまさに "俺がルールブックだ"みたいな人物で面白い。

1942(昭和17)年の名古屋-大洋戦延長28回引き分け.jpg 著者は初の日本シリーズや初の天覧試合の審判もしていますが、日本最多イニング試合の審判をした話がスゴイ。1942(昭和17)年の名古屋-大洋戦で、延長28回引き分けだったそうですが、大リーグでもこれを超える記録はありません。しかもその試合が"トリプル・ヘッダー"の第3試合だったというから、想像を絶する!(試合時間が3時間47分と"短い"のも意外。テンポいい試合だった?)。こうしたトリビアルなデータは、今はウェッブサイトなどでも見ることができますが、当事者の証言として語られているところがいいと思いました。

 本書後半は、「こんなプレーの判定は?」という100問100答になっていて、あたりそこねのゴロを犬がくわえて走り出した場合どうなるのかといった話から、インフィールドフライを故意落球した場合の扱いは?といった話まで書かれていて、こちらも楽しい内容です。インフィールドフライは、「インフィールドフライ」の宣告があった時点で(野手が落球しても)打者はアウトですが、ボールインプレイ(ボールデッドとはならない)、ただし打者アウトのためフォースプレイは成立しないとのこと。

 本書刊行後も、'91年に広島の達川捕手が大洋戦で、走者満塁でインフィールドフライを故意落球し、本塁を踏んで1塁送球して相手チームをダブルプレーに仕留めたつもりで、結果として自チームがサヨナラ負けを喫した「サヨナラインフィールドフライ事件」というのを起こしています(このとき相手チームの3塁走者もルールを理解しておらず、ベンチに戻る際にたまたま無意識に本塁ベースを踏んだのが決勝点になった)。より最近では、'06年8月の巨人-広島戦では、広島の内野手がインフィールドフライを見失って落球したのですが、巨人の打者走者や塁上のランナーは、一瞬どうすればいいのか混乱した(もちろん広島の選手たちも、さらに審判たちも)ということがありました。ルールとしてわかっていても、めったにないことがたまたま起きると、その次にどうすればいいのか一瞬わからなくなるものなのだなあと。

2012年7月12日 神奈川大会1回戦日大藤沢vs武相 、2対2同点9回裏1死満塁の場面で打者は内野フライインフィールドフライ宣告。捕球後に武相野手陣が審判によるタイムのコールが無いことを確認せずマウンド付近へ。それに気付いた日大藤沢3塁走者が隙を突いてサヨナラのホームイン(記録上は本盗)

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