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1,500円という価格はお得感がある講談社学術文庫版。参考書的にも使える。
若冲  講談社学術文庫.png 辻 惟雄.jpg  若冲  河出文庫.jpg 「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」.jpg
若冲 (講談社学術文庫)』['15年]辻 惟雄 氏/『若冲 (河出文庫)』['16年] NHKドラマ「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」中村七之助(伊藤若冲)/永山瑛太(大典顕常)['21年]
I若冲.jpg 伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう、1917-1800)研究の第一人者で、日本美術史への多大な貢献により2016年度「朝日賞」を受賞している辻 惟雄(のぶお)氏による講談社学術文庫版『若冲』は、1974(昭和49)年に美術出版社から発売された『若冲』の文庫版で、原本は若冲の《動植綵絵》全30幅を原色版で最初に載せた大型本でしたが、若冲を知る人がまだ少なかった当時、出版は時期尚早で、発行部数も僅かであったところ、普及版として講談社学術文庫版より刊行され、40年以上を経て再び陽の目を見ることとなったものです。

 原本はカラー図版57図、モノクロ31図を載せた後、Ⅰ伝記と画歴、Ⅱ若冲画小論、Ⅲ印譜解説、Ⅳ若冲流について、の4章から成る本文が続き、それに図版解説、史料、文献、年譜が付いていますが、この文庫版でも、カラー図版、モノクロ図版ともにほとんど原本通りに採録されているとのことなので、原本の迫力には及ばないものの(原本は現在入手困難な稀覯本となっている)、文庫本としては豪華であり、1,500円という価格はお得感があります。

 《動植綵絵》全30幅をはじめ有名作品を網羅した図版数は150点以上となり、しかも文庫本で新たに増補されたものもあったりして、その代表格が、巻頭の口絵《動植綵絵》全30幅の前にある《象と鯨図屏風》で、何とこれがゾウとクジラが互いの大きさを誇示し合っているような画です。これが三つ折りの見開きで6ページ分使っていて、文庫の制約を超えんばかりの迫力です(若冲ってニワトリばかり描いていたわけではないのだ)。
象と鯨図屏風1.jpg 象と鯨図屏風2.jpg

Equncm4UYAAaKzV.jpg おおよそ全350ページのうち、青物問屋の若旦那から転じて画家になった若冲の生涯を画歴と併せて辿った第Ⅰ部までが本書の半分170ページ分を占め、第Ⅳ部まで230ページ、あとの100ページは収録図版の解説となっていますが、個人的な読みどころはやはり第Ⅰ部で、相国寺の僧・大典顕常が若冲の才覚を理解し庇護したことということが強く印象に残りました。

 図録としては、文庫サイズなのでやや迫力を欠きますが、《動植綵絵》全30幅をオールカラーで載せているだけでも貴重と言えます。稀覯本の文庫化だからこそとも言え、最初から文庫だったらこうはならなかったかもしれません。

河出文庫版『若冲』.jpg 河出文庫版『若冲』の方は、伊藤若冲の生誕300年を記念して出版されたもので、若冲について様々な分野の人が書いた文章が17編(16人)収められており、最初の辻惟雄氏のものなど2編は、"若冲専門家"による水先案内のような役割を果たしていまうsが、あとは、哲学者の梅原猛、フランス文学者の澁澤龍彦、作家の安岡章太郎、比較文学者の芳賀徹...etc.その分野は多岐にわたります。

 一人につき、長いもので20ページ弱、短いものだと3ページとコンパクトで、作家の安岡章太郎が若冲について書かれたものはもともと非常に少ないらしいとして代表的な研究者の論考を挙げていますが、本書では、研究者に限定しないものの、よくこれだけ若冲について書かれたものを探し当てたなあという気もします。

安岡 章太郎.jpg その安岡章太郎の文章「物について―日本的美の再発見」も13ページとこれらの中でも長い方ですが、坂崎乙郎の「伊藤若冲」は18ページほどあり、若冲をシュルレアリストと位置付けているのが興味深かったです。結局みんな自分の得意分野に引き付けて論考しているということなのかもしれませんが、それはそれでいいのではないでしょうか。

 安岡章太郎は、《動植綵絵》などは時代を超えて屹立し続ける傑作としながらも、展覧会では「虎図」に目を奪われたとし(これ、講談社学術文庫版の表紙になっている)、また、若冲の膨大な作品の中では晩年の「蝦蟇・鉄拐図」に最も感銘を受けたとしています。

 このように、どの人がどの作品をどう評価しているか、どう気に入っているかというのも本書を読む上で興味深い点になりますが、この河出文庫版は図録が無いので、それが難点。そこで、講談社学術文庫版『若冲』を手元に置いて読むといいかなとも思います。

 「虎図」はともかく、「蝦蟇・鉄拐図」あたりになるとフツーの若冲の画集本には載っていなかったりしますが、講談社学術文庫版『若冲』にはしっかり掲載されています。講談社学術文庫版は、参考書的使い方もできるということかもしれません。

《読書MEMO》
●2021年NHKでドラマ化(全1話「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」)。
ライジング若冲 天才 かく覚醒せり3.jpg【感想】伊藤若冲の実像を、その才能を目覚めさせた僧侶・大典顕常をはじめとする若冲を取り巻く芸術意識の高い京の人々との交流、代表作《動植綵絵》の誕生秘話を交えてドラマ。時代考証担当はNHKの大河ドラマの時代考証でよく大石学氏.jpgその名を目にする大石学氏だが、辻惟雄氏の本と符合する部分が多かった。中村七之助(伊藤若冲)と永山瑛太(大典顕常)のダブル主演で、そのほかに、中川大志(円山応挙)、池大雅(池大雅)、門脇麦(池玉瀾)、 石橋蓮司(売茶翁)。大典顕常が伊藤若冲を支援し続けたのは史実。売茶翁が81歳の時に売茶業を廃業し、愛用ライジング若冲1.jpgの茶道具を「私の死後、世間の俗物の手に渡り辱められたら、お前たちは私を恨むだろう。だから火葬にしてやろう」と焼却したのも事実のようだ。伊藤若冲、円山応挙、池大雅は在京都同時代の画家でライジング若冲2.jpgあるには違いないが、ドラマでは同世代のライバルのように描かれている。実際には、伊藤若冲は1716生まれ、池大雅は1723年生まれ、円山応挙は1733年生まれで、少しずつ年齢が離れている。これに対し、大典顕常は1719年生まれで実年齢で若冲に近い(ドラマでは若い二人の関係がボーイズラブを示唆するような描かれ方になっていた。BWブームに便乗したか)。池大雅の妻・玉蘭も画家だったことを今回初めて知った。

「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」●作・演出:源孝志●出演:中村七之助/永山瑛太/中川大志/大東駿介/門脇麦/渡辺大/市川猿弥/木村祐一/加藤虎ノ介/永島敏行/石橋蓮司●放映:2021/1/2(全1回)●放送局:NHK

中村七之助(伊藤若冲(1716-1800)/84歳没)/永山瑛太(大典顕常(1719-1801/82歳没))
ライジング若冲 若冲・大典.jpg
中川大志(円山応挙(1733-1795/62歳没))/大東駿介(池大雅(1723-1776/52歳没))
ライジング若冲 応挙・大雅.jpg
石橋蓮司(売茶翁[若冲:画](1675-1763/88歳没))/門脇麦(池玉瀾(1727-1784/57歳没))
ライジング若冲 売茶翁・玉蘭.jpg

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美人画、仏画、戯画、幽霊画、挿画にデザインと何でもござれのマルチ・アーティスト。

反骨の画家 河鍋暁斎1.jpg 反骨の画家 河鍋暁斎0.jpg もっと知りたい河鍋暁斎.jpg 河鍋暁斎.jpg
反骨の画家 河鍋暁斎 (とんぼの本)』['10年](21.4 x 15.1 x 1.5 cm)『もっと知りたい河鍋暁斎―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)』['13年](25.7 x 18.2 x 2 cm)河鍋暁斎(1831-1889)

反骨の画家 河鍋暁斎11.jpg反骨の画家 河鍋暁斎22.jpg 「らんぷの本」版『反骨の画家 河鍋暁斎』('10年)は、幕末から明治にかけての激動の時代に活躍し、「画鬼」とも呼ばれた浮世絵師、日本画家の河鍋暁斎(1831-1889)の波乱万丈の人生と多彩な作品を紹介したもので、第1章が河鍋暁斎研究の泰斗で、2008年に京都国立博物館で開催された「絵画の冒険者 暁斎 Kyosai ―近代へ架ける橋―」展の企画者でもある狩野博幸氏のQ&A形式での解説で、第2章が同氏と暁斎の曾孫で記念美術館理事長の河鍋楠美氏の対談になっていて、各章の前後に、河鍋暁斎の作品を紹介したグラフページがあります。

反骨の画家 河鍋暁斎12.jpg 河鍋暁斎は7歳で歌川国芳に学び、10歳で狩野派に入門しており、冒頭のグラフから見てすぐに窺えるように、美人画、仏画、戯画、幽霊画、挿画にデザインと何でもござれのマルチ・アーティストでした。あまりに何でも描けてしまって、"器用貧乏"的に見られるのと、どの分野の作品が代表作と言えるか特定しにくい面があって、実力の割には知名度はそう高くないまま今日まできている感じもします。でも改めて本書でその作品群を鑑賞すると、もっと高く評価されてもいいように思いました(マルチ・アーティストにありがちの、「"能才"ではあるが"天才"ではない」的な評価がずっとされてきたのではないか。)。

 「反骨の画家」とあるのは、40歳の時に風刺画による筆禍事件により獄舎に送られ、笞刑に処せられるなど、結構辛い目に遭っているというのもあるかと思いますが、一方で作品の中には笑いの要素が見られるものも多くあり、また、芸術を指向しつつも、頼まれれば何でも描いたようで(終わりの方にある春画はスゴイね)、その創作のパワーというものは大したものだと思いました。

もっと知りたい河鍋暁斎31.jpg 「アート・ビギナーズ・コレクション」版『もっと知りたい河鍋暁斎―生涯と作品』('13年)は、「らんぷの本」よりやや大判ですが、2012年にこのシリーズの既刊が49巻になった際に版元が50巻目で取り上げほしい画家をネットで募ったところ(それまで江戸時代の絵師・浮世絵画家では伊藤若冲、曾我蕭白、尾形光琳、俵屋宗達、歌川国芳、葛飾北斎が取り上げられていた)多くの要望があったのか、江戸時代の日本の絵師としては、円山応挙とともに新たにフィーチャーされました(本書以降、"「暁斎」関連本"がぱらぱらと刊行されるようになったようにも思える)。

もっと知りたい河鍋暁斎55.jpg こちらも狩野博幸氏によるものであり、河鍋暁斎の人生を追いながらその作品をみていくという形で、序章(1歳~29歳)で生い立ちを紹介した後、その後の人生の軌跡とその時期に描かれた作品を紹介・解説していくというスタイルで、第1章(30歳~40歳)、第2章(41歳~50歳)、第3章(51歳~59歳)という構成になっています。

もっと知りたい河鍋暁斎―03.JPG 「描けと言われば何でも描いた」ことについて、著者の狩野博幸氏は、テオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」とリドリー・スコットの「エイリアン」の両方を監督しているようなもので、また、そのことが、人々に侮蔑の感情を引き起こし、結果として暁斎はデラシネとなっていかざるを得なかったというようなことを述べていますが、ナルホドなあと。ただ、生前に多くの外国人の画家・美術家・実業家・ジャーナリストらと交流を持ち(「アート・ビギナーズ・コレクション」版はP25にそのリスト掲載)、そうした海外の影響も受け、「その奇想はさらに大きくゆらめいた」とのことです。

 狩野氏は、P86の「貧乏神図」のところで、「全作品のなかで唯一点選べと言われたら、苦しみながらもこの絵を挙げるだろう」としていますが(「らんぷの本」版ではP99に掲載)、コレ、かなりマニアックかも。描いたジャンルが幅広く、画風も多彩で、「代表作」が必ずしも特定されていない分、鑑賞する人それぞれが、この作品がスゴイ、この作品が好み、と言い合える画家でもあるように思いました。

「貧乏神図」

もっと知りたい河鍋暁斎es.jpg 自分自身、まだべスト"暁斎"を特定できないでいますが、「らんぷの本」版表紙になっている、「惺々狂斎画帖・化猫」などはいいなあと。明治3年(1870)年以前の作とされ、「狂斎」とは明治3年に投獄されるまでの暁斎の号であり、狩野氏によれば「狂」こそ聖人への早道であるとの陽明学の最過激思想からきているそうな(この名も官憲に狙われる原因となった)。この絵は、表紙のものがほぼ原寸大で、(「アート・ビギナーズ・コレクション」版はP64に掲載)、今世紀になって発見され、2008年の「絵画の冒険者 暁斎」展で初公開されています。

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入門書としてコンパクトに纏まっていて、それでいて内容が濃い"とんぼの本"版。

血と笑いとエロスの絵師 岩佐又兵衛.jpg 血と笑いとエロスの絵師 岩佐又兵衛ド.jpg 岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品.jpg ミラクル絵巻で楽しむ「小栗判官と照手姫」.jpg
血と笑いとエロスの絵師 岩佐又兵衛 (とんぼの本)』['19年]/『岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品』['13年]/『ミラクル絵巻で楽しむ「小栗判官と照手姫」―伝岩佐又兵衛画 (広げてわくわくシリーズ)』['13年]
岩佐又兵衛(1578-1650)自画像
岩佐又兵衛.jpg 『血と笑いとエロスの絵師 岩佐又兵衛 (とんぼの本)』('19年/新潮社)は、江戸初期、凄絶な復讐譚を長大な絵巻に仕立てる一方、当世風俗をよく描き"浮世絵の元祖"と呼ばれた謎多き絵師・岩佐又兵衛(1578-1650)の、彼の四大代表作を中心に解説した入門書です(タイトルにエロスとあるが、同じ辻唯雄氏の『浮世絵をつくった男の謎 岩佐又兵衛』('08年/文春新書)も同じ場面が表紙に使われていて、絵巻の中で一番エグい場面をアイキャッチ的に持ってきた感もある)。

 岩佐又兵衛と言えば屏風絵なども遺していますが、やはり最もよく知られているのは古浄瑠璃絵巻群の四大代表作「山中常盤物語絵巻」(12巻)、「浄瑠璃物語絵巻」(12巻)、「堀江物語絵巻」(12巻)、「小栗判官絵巻」(15巻)で、本書ではまずこの4作品についてそれぞれ、あらすじを紹介するとともに、主要な場面がどのように描かれているかを見せていきます。

 「山中常盤物語絵巻」(12巻)、「浄瑠璃物語絵巻」とも主人公は15歳の牛若丸、後の源義経で、「堀江物語絵巻」の主人公は月若、後の岩瀬太郎家村(塩谷惟純)ですが、ストーリそのものは事実ではなく、説話的な内容です。「小栗判官絵巻」の小栗判官は、説教節などでも知られていますが、同じく説教節で知られる山椒大夫などと同じく架空の人物です(しかしこうしてみると仇討ち・復讐譚が多いなあ。同じ説教節でも「信太妻(葛の葉狐)」などは安倍晴明という実在者がモデルだが、ストーリーは母親がキツネということになっていて、これもほぼ伝説と言っていい)。

 続いて「人生篇」において、美術史家で、東京大学名誉教授、前多摩美術大学学長、前MIHO MUSEUM館長であり、生涯にわたり岩佐又兵衛を研究してきた辻唯雄(のぶお)氏が、岩佐又兵衛の、信長に謀反を企てた武士を父に持ち、京・福井・江戸を渡り歩いた波乱の人生を浮き彫りにし、さらに続く「作品編」において、同じく美術史家で辻唯雄氏の弟子にあたる山下裕二氏との対談形式で、屏風絵なども含めその作品・作風を「笑い」「妖し」「秘密」「その後」の4つのキーワードで分析しています。

 入門書としてコンパクトに纏まっていて、それでいて内容が濃いという印象です。ただし、絵巻物の主要な場面を抽出しているものの全部ではないため、ストーリーが今一つ理解しにくいかもしれません。岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品3.jpg岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品2.jpgそこでお薦めなのが、『岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品』('13年/東京美術)で、大判で「山中常盤物語絵巻」(12巻)、「浄瑠璃物語絵巻」(12巻)、「堀江物語絵巻」(12巻)の全場面をカラーで見ることができます。しかも、場面ごとに解説が付され、大事な場面や絵的に重要な個所は拡大して掲載しているのがいいです。

 要するに上記の3巻は"MOA美術館所蔵"ということになりますが、この本に含まれていない(つまり"MOA美術館所蔵"ではない)「小栗判官絵巻」(15巻)は、総長が約324メートルという大作になりますミラクル絵巻で楽しむ「小栗判官と照手姫」_4177.JPGミラクル絵巻で楽しむ「小栗判官と照手姫」_4178.JPGが、『ミラクル絵巻で楽しむ「小栗判官と照手姫」―伝岩佐又兵衛画 (広げてわくわくシリーズ)』('11年/東京美術)でその概要を知ることができます。本の大きさは前2冊の中間ぐらいですが、キャッチ通り広げてみることができるページが多くあって楽しめます。

 岩佐又兵衛は最近ちょっとブームのようです。解説書では辻惟雄氏の『奇想の系譜』が名著とされていますが、岩佐又兵衛という人がどのような仕事をしたのかその概要と作風を掴もうとするならば、最初に辻氏の"とんぼの本"を読んで、後でここで取り上げた他の2冊を眺めるというのもいいのではないでしょうか。

血と笑いとエロスの絵師 岩佐又兵衛B.jpg

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「青物問屋の若旦那、転じて画家となる」
異能の画家 伊藤若冲.jpg 異能の画家 伊藤若冲 01.jpg 目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」.jpg 伊藤若冲 Portrait_of_Itō_Jakuchū_by_Kubota_Beisen.jpg
異能の画家 伊藤若冲 (とんぼの本)』['08年]/『目をみはる伊藤若冲の『動植綵絵』 (アートセレクション)』['00年](24.4 x 18.4 x 1.4 cm)/伊藤若冲像(1885年に久保田米僊が若冲85年忌法要に際して描いた肖像)

和樂 若冲.jpg 小学館の「和樂」の'13年4月号で伊藤若冲の特集をやっているのを広告で見ましたが、'07年に雑誌「AERA」(朝日新聞社)で若冲の特集をやっていて、'09年には雑誌「ユリイカ」(青土社)も若沖特集を組むなど、美術専門誌ではない雑誌が特集するところにファン層の広さを感じます(因みにテレビでも'11年にNHK-BSプレミアムで、'12年にはBS日テレで特集番組が組まれている)。

異能の画家 伊藤若冲 00.jpg 伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう、1917-1800)は、本書『異能の画家 伊藤若冲』('08年/新潮社)の冒頭に「青物問屋の若旦那、転じて画家となる」とあるように、京都・錦小路の青物問屋の長男として生まれ、要するに商家の若旦那だったわけですが、狩野博幸氏によれば、学問は嫌いで字も下手、芸事もダメで、酒は飲まないし、女性にも興味が無く(生涯独身で通した)、では商売に打ち込んだかと言うとその逆で、当主という立場からどうやって逃れるかが前半生の目標だったのではないかとのこと。

 絵を描き始めたきかっけも何時ごろかも明確ではないけれど、最初は狩野派の町絵師に学び、やがて狩野派を捨て、中国画の名画を模写するなどして独学で腕を磨き、但し、狩野派や中国絵画の考え方で言えば絵のモチーフのランクとしては低いとされる花鳥図を専ら描いたとのこと、40歳で隠居し画家になってから四半世紀の間、ずっと作画に専念し、作品数は千点以上になるそうです。

異能の画家 伊藤若冲 2000.jpg 本書も、「芸術新潮」の'00年11月号の特集「異能の画家 伊藤若冲」からの移植ではありますが、江戸絵画の研究者である狩野博幸氏へのインタビューという形式をとっている部分が大半を占め、その中で伊藤若冲の生涯や作品について語られており、読み易いうえに一貫性があって、入門書としては通常の雑誌などの特集よりはお薦めです。

 ビジュアル系叢書の一冊であるため図版も豊富で、「動物綵絵」などの代表作を紹介するとともに、"枡目描き""筋目描き""石摺ふう"といった独自の絵画テクニックを紹介しています。

 更に後半部分では彼の晩年を辿り、70歳を過ぎて「天明の大火」に遭い、家も画室も灰になるという逆境の中、画1枚を米一斗で売る暮らしを送るようになりますが、洛南の石峯(せきほう)寺門前に移り住み、85歳で没するまでの10年間は、むしろ悠々自適の暮らしというか、矍鑠たる生き様だったようです。

 無学ながらも禅の思想に深く帰依していたため、元来世俗的な欲求と言うものが殆ど無かったようですが、狩野博幸氏が若冲のことを「江戸時代のオタク」と言い切っているのが興味深く、「オタク」もとことん極めれば「禅僧」の境地に至るのかなと、彼の作品を見て思ってしまった次第です(人付き合いが苦手で一時完全な隠遁生活に入ったこともあった一方、隠居後も商売の利権を巡る交渉事で駆け回らざるを得ないようなことはあったらしい)。

目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」01.jpg 若沖の作品を鑑賞するための本はムックも含め数多く刊行されており、先に挙げた「和樂」は'10年にも「若冲の衝撃」という特集をムックで組んでいますが、比較的入手し易いものとしては、同じく小学館の『目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」』('00年)がお薦めです。

 代表作「動植綵絵」に絞ったものですが、これだけでも30幅あり、しかも一幅一幅がリアルな細密画となっていて(鳥の絵が多い。その中でも特に多いのが鶏)、但し、細部のリアルさに対して全体のダイナミックな構図などは計算し尽くされたものとなっており、どこかモダンなイラストレーションをも思わせ、江戸時代の中期にこのような絵師がいたというのが不思議な気がしてきます。

 こちらも解説は狩野博幸氏で、10年間を費やして描かれたという30幅の絵の中に様々な意匠が凝らされていることを改めて認識しました。

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浮世絵の伝統画法を守りながらもモダンなダイナミズム。イラストレーターの先駆?

月岡芳年 幕末・明治を生きた奇才浮世絵師.jpg 月岡芳年 義経 m14.jpg  月岡芳年の世界.jpg
月岡芳年 幕末・明治を生きた奇才浮世絵師 (別冊太陽)』 義経と弁慶(明治14年)『月岡芳年の世界』['10年]
侠客・金神長五郎(慶応2(1866)年)                        (30 x 21.4 x 2.8 cm )
月岡芳年(つきおかよしとし).jpg月岡芳年 侠客・金神長五郎 慶応2(1866).jpg 江戸から明治にかけて活躍し、「最後の浮世絵師」と言われる月岡芳年(つきおか・よしとし、1932-1892)の特集で、武者絵、妖怪画、歴史画、美人画など約230点を収めています。

トミー・リー・ジョーンズ.jpgトミー・リー・ジョーンズ 浮世絵.jpg 先般、映画「メン・イン・ブラック3」('12年/米)のキャンペーンで共演のウィル・スミスと共に来日したトミー・リー・ジョーンズが、民放の朝のテレビ番組のインタビューを受けた後、浮世絵の絵柄のネクタイを贈られていましたが、自分に渡された安藤広重の絵柄のネクタイを気難しそうな顔でしばらく眺めたうえで、ウィル・スミスに渡された葛飾北斎の絵柄のネクタイと自分のものと替えてくれとウィル・スミスに言って交換していました。「メン・イン・ブラック3」のプロモーションワールドツアーで、各国へのツアーの中で唯一日本ツアーにだけ参加したトミー・リー・ジョーンズは、歌舞伎ファンであるとともに浮世絵愛好家でもあり、特に北斎と月岡芳年が好きで、しかも、娘は月岡芳年作品のコレクターで100点をめざして収集中とのこと、浮世絵は光に弱いため、保管庫から1点だけ取り出して部屋に飾り、毎日架け替えているそうです(番組担当者は、彼が浮世絵愛好家であることは調べていたが、作者の好みまでは調べてなかった?)。

月岡芳年 女盗賊・鬼神お松 m19.jpg それはともかく、こうしたムックで見ても、月岡芳年の作品は、迫力といい躍動感といいやはり凄いなあと。歴史・故事や歌舞伎・浄瑠璃、時々の世相・風俗・事件など、様々なところから題材を取っていますが、何でもござれ、妖怪画も多い。

 河鍋暁斎(1831-1889)、落合芳幾(1833-1904)、歌川芳藤(1828-1887)らと同じく、歌川国芳(1798-1861)の弟子であり、この歌川国芳がまた何でもござれのスゴい人だったわけだけど...。

女盗賊・鬼神お松(明治19年)

 なぜか「天才」とは呼ばれず「鬼才」と言われることの多い芳年ですが、その作風の変遷を見ていると、世阿弥の「守・破・離」という教えを想起します。師から学んだ浮世絵の伝統画法を大事に守りながらも、時代の要請に沿って工夫をこらし、後期の作品においては、なにものにも捉われない自由さ、画面からはみだしそうなぐらいのダイナミズムが感じられます。

月岡芳年 スサノウノミコト m26.jpg 30歳の頃に明治維新を迎え、54歳で没していて、明治に入ってからの作品の方が圧倒的に多いわけで、西南戦争や文明開化なども題材になっていますが、テーマ的にはやはり、「水滸伝」といった中国物も含めた武者絵や、役者絵・美人画・風俗画など、江戸時代の浮世絵のオーソドックスなモチーフが多いのかなあ。

素戔雄尊と八岐大蛇(明治26年)

 それでいて、時代の変化に合わせて描き方がどんどん洗練されてきて、遠近感の使い方などは西洋画法と変わらないものあり、これは当時、これまでの浮世絵に無かった斬新さゆえの人気があっただろうなあと思わせます。

 三島由紀夫なども愛好家だったそうだし、横尾忠則氏にも月岡芳年に関する著書がありましたが、最近また巷では「イラストレーターの先駆」などと言われ、広くブームになっているようです(トミー・リー・ジョーンズ父娘は先見の明があった?)。確かに、江戸時代前期・中期の「絵師」に比べ、江戸後期の「浮世絵師」はある種イラストレーター的であり、幕末から明治にかけての「浮世絵師」であった月岡芳年などは特にその印象があります。

 この「別冊太陽」のムックは、昨年('11年)の「河鍋暁斎」に続く"生誕120周年"の記念刊行ですが、昨年ぐらいから、『衝撃の絵師 月岡芳年』('11年/新人物往来社)など芳年に関する本が続けて刊行されていて、今や師匠の歌川国芳やライバルだった河鍋暁斎らを超える人気であり、ブームになって比較的入手し易い価格で芳年の作品に触れることができるようになるのは歓迎すべきことです。

月岡芳年の世界0.jpg月岡芳年の世界21.jpg 本当に一作品一作品じっくり鑑賞したければ、少し値が張るのが難点ですが『月岡芳年の世界』がお薦めです。'92年に東京書籍から刊行されたものが絶版になり、古書市場で刊行時の定価(7千円)を若干上回る価格で出回っていて且つ品薄気味だったのが、これもブームの予兆だったのか、、'10年に復刊ドットコムで全く同じものが刊行されました(でも、定価が1万円になっている。18年ぶりだから仕方ないのか)。やはり、根強いファンがいるんだなあと。原則一頁に一作品。解説も丁寧で、専門家のコラムなどもあります(編者は洋画家の悳俊彦(いさお・としひこ)氏。歌川国芳、月岡芳年などの研究家でもある)。これが手元にあると、トミー・リー・ジョーンズにちょっとは近づける?

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