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楽しく読める『中国の名句・名言』。日本人論としても読める『日本の名句・名言』

中国の名句・名言 日本の名句・名言7.JPG中国の名句・名言 (講談社現代新書).jpg 日本の名句・名言 (講談社現代新書).jpg
中国の名句・名言 (講談社現代新書)』『日本の名句・名言 (講談社現代新書)

中国の名句名言_0413.JPG 中国文学者の村上哲見(1930- )東北大学名誉教授の56歳の頃の著書で、同じ講談社現代新書に姉妹書として同著者の『漢詩の名句・名吟』('90年)があります。また、これも講談社現代新書で、増原良彦氏の『日本の名句・名言』('88年)というのもあります。中国の名句・名言を、テーマに沿って取り上げ、わかりやすく解説しています。

 第1章「春・秋」では、『唐詩選』にある孟浩然の「春眠 暁を覚えず」、宋の詩人・蘇東坡(蘇軾)の「春宵一刻値千金」から始まって、これも『唐詩選』にある劉廷芝の「年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず」、張継の「月落ち鳥啼いて 霧 天に満つ」などが紹介されています。

楊貴妃.jpg西施.jpg 第2章「美人・白楽天二題」では、まずは「明眸皓歯」で、これは、杜甫が「哀江頭」において、玄宗皇帝の寵愛を受けながらも無残な最期を遂げた楊貴妃のことを悼んだもの。「顰に倣う」は「荘子』にあり、こちらは越王(勾践(こうせん)の復讐の道具として使われた悲劇のヒロインである西施(せいし)ですが、紀元前500年くらいの人なんだなあ。

 第3章「項羽と劉邦・勝負」では、やはり項羽の「四面楚歌」が最初にきて、「虞や虞や 若を奈何せん」と、虞美人が登場。「背水の陣」を布いたのは、劉邦の麾下の韓信でした。垓下の包囲を脱出したものの、天命を悟って自刎した項羽でしたが、後に晩唐の詩人・杜牧に「題烏江亭」で「捲土重来」(まきかえし)が出来たかもしれないにと謳われます。「彼を知り己を知らば、百戦殆うからず」は『孫子』、「先んずれば人を制す」は『史記』でした。

中国の名句名言_0412.JPG 第4章「政治・戦争」では、「朝令暮改」「朝三暮四」「五十歩百歩」とお馴染みの故事成語が続きますが、やはり杜甫の「春望」の「国破れて山河在り」が有名。これ、『唐詩選』には入ってないそうですが、日本人に馴染みが深いのは、芭蕉が『おくのほそ道』で引用したのと、あと著者は、日本人の敗戦の時の心象と重なるからだと分析しています。ただし、安禄山が唐を破った(亡ぼした)わけではなく、この詩における「国破れて」は戦乱で首都・長安の一帯が破壊されたことをさすとのことです。

 第5章「人生・白髪・無常」では、杜甫の「人生七十 古来稀なり」から始まって、『唐詩選』の魏徴の詩「述懐」にある「人生意気に感ず」、李白の五言絶句「秋浦歌」の「白髪三千丈」、同じく唐の張九齢の「宿昔 青雲の志 蹉たたり 白髪の年」、陶淵明の「歳月 人を待たず」まどなど続きますが、後の二つは何だか侘しい。

 第6章「酒」で最初にくるのは「酒は百薬の長」で、班固の『漢書』にあるから古くから言われているのだなあと思ったら、漢の帝位を奪った王莽が、財政困難を脱するため酒を専売にした際のスローガンのようなものだったのかあ。「一杯 一杯 復た一杯」は李白でした。

 第7章「修養・『論語』より」では、『周易』の「君子豹変」(悪い意味で使われることが多いが、実は"立派になる"こと)から始まって、『大学』の「小人閑居して不善を為す」、『論語』の「巧言令色鮮なし仁」「過ちを改むるに憚ること勿れ」「過ぎたるはなほ及ばざるがごとし」「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と、この辺り、いかにも論語らしいなあと。

 著者の個人的体験や世評風のコメントも織り交ぜ、エッセイ感覚で楽しく読めます。

日本の名句・名言0416.JPG 増原良彦(1936- )氏の『日本の名句・名言』も、同じような趣旨でまとめられていて、こちらも楽しく読めました。ただ、中国の故事成語のようにピタッと漢字四文字前後で"決まる"ものがほとんどなく、例えば「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とか、「何せうぞ、くすんで、一期は夢よ。ただ狂へ」とか、やや長めのものが多くなっています。

 『古今和歌集』から石川啄木、井伏鱒二まで広く日本の名句・名言を拾っていますが、良寛の「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候」や、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」、一休禅師の「門松は めいどのたびの一里づか 馬かごもなく とまりやもなし」のように、仏教の先人たちの言葉が散見されます。これは、増原氏のペンネームが「ひろさちや」であると言えば、「ああ、あの仏教の「ひろさちや」.jpgヒトか」ということで、多くの人が思い当たるのではないかと思います。

 ただ、本書に関して言えば、宗教臭さは無く、むしろ、ある種、日本人論としても読めるものとなっています。『論語』をはじめ、中国の影響を多分に受けていることが窺えますが、日本と中国で「忠」と「孝」の優先順位が逆転した(中国では「孝」が上、日本では「忠」が上)という論は興味深かったです(これ、中根千枝氏が『タテ社会の人間関係』('67年/講談社現代新書)で述べていることにも通じるかもしれない)。本名の増原良彦名義で同じ講談社現代新書に『説得術』('83年)、『タテマエとホンネ』('84年)という著作があります。

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「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」で中島敦が原典をどうアレンジしたかが分かる。

大人読み『山月記』.jpg 李陵・山月記 (新潮文庫).jpg 山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫).jpg 李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫).jpg Nakajima_Atsushi.jpg 中島 敦
大人読み『山月記』』『李陵・山月記 (新潮文庫)』(表紙版画:原田維夫)[山月記/名人伝/弟子/李陵]/『山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)』[李陵/弟子/名人伝/山月記/文字禍/悟浄出世/悟浄歎異/環礁/牛人/狼疾記/斗南先生]/『李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)』[李陵/弟子/名人伝/山月記/悟浄出世/悟浄歎異]

大人読み『山月記』2.JPG 中島敦の「山月記」と言えば、教科書の定番中の定番ですが、その分、教科書で読んだからということで、もう大人になってからは読まない人が多いのではないでしょうか。また、「李陵」などは、『史記』などをベースにしたものであることは分かっていても、どの部分に作者の《作家性》が反映されているかというころまでは(たとえ関心があったとしても)なかなか自分で調べるまでには至らないのではないかと思います。

 本書では、第1章(増子和男)で「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」の4作品について、それぞれ典拠となった「人虎伝」(『唐人説書』)、「黄帝・湯問」(『列子』)、「子路」(『孔子家譜』)など、「李広蘇建伝」」(『漢書』)などの該当部分を読み下し、作家がテキストとしたこれらの古典に、どのような作者なりの思いを込めたかを探っています。第2章(林 和利)では、狂言師・野村萬斎氏の構成・演出による舞台「敦―山月記・名人伝」を取り上げ、三次元になった中島作品を紹介し、第3章では、「山月記」を漫画化した西村悠里氏に話を聞き、第4章(勝又 浩)で、2009年に生誕100年を迎えた中島敦と作品そのものに立ち返って、中島敦と同年生まれの作家たちを並べ、その創作活動の意味を再考しています。盛り沢山で中身も濃い全4章ですが、やはり第1章の原典との比較が最も興味をそそられました。

 まず「山月記」ですが、典拠である「人虎伝」からの改変(アレンジ)として、李徴を詩作への執念にとりつかれた人として描いていることや(実際は単なる地方出身の元エリート官吏、ただし、科挙試験のあった唐代なので詩作の心得はあった?)、彼が虎に変身した理由を自らの「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」としていることなどを指摘しており、そっかあ、一番の主題部分は(ものすごく"作家"的なテーマなのだが)中島敦のオリジナルだったのだなあと。袁傪との別れに際して、妻子の今後を頼む前に自分の詩を託してしまったというのも、原典では先に妻子の今後を頼み、後から詩を託したのを、作者が敢えて順番を逆にすることで、李徴の陥った妄執の深さを強調したようです。

 次に、「名人伝」ですが、弓の修行に励む者が名人になるまでの過程を描いた話で、内容が非常にシュールというか極端であり、ちょっとユーモラスな味わいのある作品です。修行者は、訓練の末に名人の極致に達し、最後は「弓を射ることなしに射る」という境地に達するわけですが、ここまでは、道家の思想に沿った原典に拠るもの。それが、最後は弓を見ても何の道具か分からなくなってしまうというのは、この部分は中島敦オリジナルの寓話化であるとのことで、だとすれば、和光同塵に代表される老荘思想に沿った作品と言うよりも、老荘思想的な形而上学に対するアイロニーとして読めるように思いました(思えば、普通の感覚からみても、この結末はある種パロディっぽいネ)。

 「弟子」は孔子と弟子たちの遍歴の物語で、その中心にくるのは子路ですが、子路というのは孔子の弟子の中でも年長格で、教科書などでもお馴染みなぐらい登場回数が多いですが、知の人ではなく情の人だったのだなあと。だから、孔子が教えを説く《聞き手》としてはぴったりですが、その教えをどこまで理解したかは別問題で、結局、孔子の予言通り、義侠心から討ち死にします。でも、中島敦の「弟子」は、孔子が自分を慕ってどこまでも付き従う子路に、格別の愛情をかけていたことが伝わってきます。改変部分は、子路が討ち死にしたとき、刺客に冠モノの緒を切られたというのが原典であるのに対し、「弟子」では逆に、落ちていた冠モノを拾い上げて緒を正しく結び直して、君子はこうして死ぬものだと叫んだという風になっている点で、この中島敦版だと、最期に孔子の教えを実践した形になっていることになります。これ、中島敦による子路への思い遣りかな(ただし、後世の翻訳本にそう誤訳されているものがあることが最近分ったらしく、それを底本にした可能性もあるという)。

 「李陵」は、戦さで匈奴の捕虜となり、その後、別の者と間違えられて、匈奴に寝返ったという誤情報が武帝に伝わって武帝の怒りを買って家族を殺され、国に帰れないまま単于の軍事参謀のような立場であり続け、単于の娘を妻とした李陵と、匈奴に捕らえられながらも従わず、黒海(バイカル湖)付近で厳しい生活を送るうちに偶然にも国に帰る機会が訪れた蘓武の、両者の運命を対比的に描く中に、李陵を弁護したばかりに武帝の怒りを買って宮刑に処せられ、残る人生を「史記」の完成にすべた捧げた司馬遷の話を織り込んだもの。大体は原典通りですが、「武帝の怒りを買った」というのは中島敦の創作で、「寝返った」と間違えられたのは事実ですが、そうなれば当時は自動的に縁者に罪が及ぶ連座制が適用されたとのことです。だから、寝返ったという誤情報が伝わった時点で、妻子・兄弟の処刑はもう避けられない状況だったのだなあと(李陵自身も戦さの過程で、辺境の士卒に密かに付き従ってきた妻や娼婦十数人の処刑命令を下している)。

 こうしてみていくと、それぞれの作品に中島敦の"作家性"が窺えて興味深いです。1909年生まれと言えば、太宰治、大岡昇平、松本清張などと同じ年生まれ。あの太宰より6年も早く亡くなっており、長生きしていればどういったバリエーションの作品を残したかと想像すると、早逝が惜しまれます。

《読書MEMO》
●初出(巻末資料より)
「山月記」...1942(昭和17)2月「文学界」
「名人伝」...1942(昭和17)12月「文庫」
「弟子」...1943(昭和18)年2月「中央公論」
「李陵」...1943(昭和18)年7月「文学界」

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「絵のある」岩波文庫という切り口がユニーク。古典文学へのアプローチの一助となるかも。
「絵のある」岩波文庫への招待.jpg 絵のある 岩波文庫への招待 :.jpg  モーパッサンの『脂肪の塊』.jpg
「絵のある」岩波文庫への招待』(表紙版画:山本容子) モーパッサン『脂肪の塊』(水野 亮:訳)挿画
モーパッサン『脂肪のかたまり』(高山 鉄男:訳)挿画
モーパッサン『脂肪の塊』挿画.JPG 「絵のある」、つまり文中に挿し絵や図版を挿入されている岩波文庫―というユニークな切り口で、岩波文庫を約120タイトル、冊数にして約190冊ほど紹介したもの。まえがきによれば、「絵のある」岩波文庫の8、9割には達したのではないかとのことで、岩波文庫は実は「傑作挿し絵」の「ワンダーランド」であると―。

 かつて岩波文庫の古典文学は字が小さくて、同じ作品を読むなら新潮文庫で読んで、後で岩波文庫の方には挿絵があったことを知ったりしたこともあったりしました。絵があるのなら、最初から岩波文庫で読めば良かったと、買い直したりしていました。

 本書は2段組み350ページ強と大部ですが、文学評論というより「本の紹介」であり、文章はエッセイ風で柔らか目です(岩波文庫の堅いイメージを解きほぐそうとしたのか?)。切り口はまちまちで、時々話が脱線したりもしますが、一方で随所に、挿絵を介してみた作品に対する著者の鋭い分析がありました。これだけの作品を先に手元に集めて一気に読むとなると、結構たいへんな作業かも。労作と言っていいのかもしれません。

小出 龍太郎『小出楢重と谷崎潤一郎 小説「蓼喰ふ虫」の真相』['06年/春風社]
小出楢重と谷崎潤一郎_.jpg蓼喰う虫2.jpg 思い出深いところでは、谷崎潤一郎の『蓼食う虫』の小出楢重の挿画などは良かったなあ。人形浄瑠璃を桝席で鑑賞する図(36p)なんて、挿絵が無いと現代人は想像がつかないでしょう。本書にもありますが、小出楢重の挿画は、小さい頃からの楢重の地元である関西を舞台にしたこの作品において、関東大震災後に関西に移り住んでまだ5年しか経っていなかった谷崎の文章とちょっと張り合っている印象があります。小出龍太郎『小出楢重と谷崎潤一郎―小説「蓼喰ふ虫」の真相』['06年/春風社]によれば、小出楢重と谷崎潤一郎は双方に刺激し合って(むしろ谷崎が楢重に励まされる感じで)この作品を作り上げていったようです(谷崎作品では『』の棟方志功の版画もいいが、これは「中公文庫」。本書では時々中公文庫をはじめ岩波文庫以外の挿画入り文庫も出てくる)。

「絵のある」岩波文庫への招待200_.jpg モーパッサンの『脂肪の塊』の挿画も分かりよかったです。「ブール・ド・シュイフ」(脂肪の塊)と呼ばれた主人公がどんな風だったのかイメージ出来ます(122p)。本書の表紙にも中央やや右下に描かれていますが、文庫の挿絵と比べ反転しています(カバー挿画は、赤または白の表紙の本がそれぞれピンポイントになっているように、原版のコピーでは山本容子.jpgなく、山本容子氏のオリジナル版画だそうだ。表紙を見ているだけでも、どの作品の挿画かとイメージが掻き立てられるなどして楽しい)。因みに、モーパッサンは『メゾン テリエ』も挿画入りです。

濹東綺譚(ぼくとうきだん) 永井荷風.jpg また日本に戻って、永井荷風の『濹東綺譚』の木村荘八の挿絵。主人公とお雪が雨宿りしたところで出会う場面(162p)などは、もうこの作品のイメージを完全に形作ってしまったという印象で、タイトルに「現代挿画史に残る不朽の名作」とあるのも納得です。

 読んだことのない作品の方が圧倒的に多いものの、この作品にこんな挿画が使われているのかということを新たに知ることが出来て良かったです。実際、読めるかどうかは分かりませんが、まだ読んだことがない本への関心が高まったのは事実であり、古典文学へのアプローチの一助、その方法の一種となるかもしれないと思いました。

「絵のある」岩波文庫をご紹介.png六本木「アカデミーヒルズ」エントランス・ショーケース展示「絵のない本なんてつまらない!~「絵のある」岩波文庫」(2018年9月)

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「温泉文学論」と言うより、温泉に関係した個々の作品・作家論。さらっと読めて興味深い。

温泉文学論 (新潮新書).jpg 川村 湊.jpg 川村 湊 氏 1作家と温泉ge1.jpg 作家と温泉―お湯から生まれた27の文学 es.jpg
温泉文学論 (新潮新書)』['07年]/『作家と温泉---お湯から生まれた27の文学 (らんぷの本)』['11年]

 幸田露伴が問い、川端康成が追究した「温泉文学」とは何か? 夏目漱石、宮澤賢治、志賀直哉...名作には、なぜか温泉地が欠かせない。立ちのぼる湯煙の中に、情愛と別離、偏執と宿意、土俗と自然、生命と無常がにじむ。本をたずさえ、汽車を乗り継ぎ、名湯に首までつかりながら、文豪たちの創作の源泉をさぐる異色の紀行評論(「BOOK」データベースより)。

 日本の近代文学には温泉のシーンが少なからずあり、またそれ以上に、作者自身が温泉宿に籠って書き上げた作品が多いため、本書のような「温泉文学」論があってもいいかなという気がします。ただし、本書の前書きに、川端康成の「温泉文学はみんな作者が客間に座っている」という言葉が紹介されていて、著者は、川端康成が示唆した「ほんたうの温泉文学」はいまだ書かれていないということだろうとも言っています。

 本書についても、「温泉文学」論と言うより、温泉に関係した作品や作家の、個々の作品・作家論という印象でした。切り口は様々で、こうした自在な切り口の前提として、いずれも「温泉」繋がりであることがあるように思われました(「温泉」繋がりであることがその自在性を許している?)。取り上げている作品と関連する温泉は以下の通りです。

 第1章 尾崎紅葉『金色夜叉』―― 熱海(静岡)
 第2章 川端康成『雪国』―― 越後湯沢(新潟)
 第3章 松本清張『天城越え』―― 湯ヶ島(静岡)、川端康成『伊豆の踊子』--― 湯ヶ野(静岡)
 第4章 宮澤賢治『銀河鉄道の夜』―― 花巻(岩手)
 第5章 夏目漱石『満韓ところどころ』―― 熊岳城・湯崗子(中国)
 第6章 志賀直哉『城の崎にて』―― 城崎(兵庫)
 第7章 藤原審爾『秋津温泉』――奥津(岡山)
 第8章 中里介山『大菩薩峠』―― 龍神(和歌山)、白骨(長野)
 第9章 坂口安吾『黒谷村』―― 松之山(新潟)
 第10章 つげ義春『ゲンセンカン主人』―― 湯宿(群馬)

 尾崎紅葉の『金色夜叉』がアメリカの小説の翻案というか焼き直しであることは初めて知りました。川端康成の『雪国』が「R‐18指定の成人小説」であるとうのはナルホドという印象(だから「伊豆の踊子」と違って教科書に載らないのか)。松本清張の『天城越え』が川端康成の『伊豆の踊子』のパロディーとして(あるいは批判として)書かれたという論は有名です。

 宮澤賢治に関しては、『銀河鉄道の夜』のことより、宮澤賢治が花巻温泉の花壇設計に関わったことにフォーカスしています。夏目漱石は『満韓ところどころ』というややマニアック?な旅行記を取り上げていますが、著者は中国の温泉にも取材に行ったのかあ。志賀直哉の『城の崎にて』は、これぞまさに「温泉文学」と言えるか。藤原審爾の『秋津温泉』も舞台が完全に温泉であり、タイトルにもまさに「温泉」と入っているので、この2作は結構「温泉文学」の中心に近い位置づけになるかもと思ったりもします。

 各章の末尾にコラムがあり、【本】では作品の刊行、文庫情報などが、【湯】では紹介した温泉の効能などの特徴が、【汽車】では、その温泉への交通アクセスが書かれているのが親切です(温泉情報と交通アクセスはあくまで素人の記述であることを断っている)。"現場を踏む"という信条のもと、本書で紹介した温泉のうち、熱海を除いてすべて取材で行ったそうで、また、作品の方は大長編の『大菩薩峠』を除いてすべて読み直したそうです。そうした甲斐あってか、さらっと読める一方で、それなりに興味深い作品論、作家論になっているように思いました。

 本書を手にしたのは、最近、読書会で梶井基次郎の『檸檬』を取り上げた際に、梶井基次郎の「温泉文学」とも言える小品群を読み直したせいであり、ただし本書には梶井基次郎の章は無かったなあと思ったら、『作家と温泉―お湯から生まれた27の文学 (らんぷの本)』('11年/河出書房新社)で取り上げられていました。

作家と温泉 太宰・井伏.JPG こちらは、夏目漱石、志賀直哉、川端康成などの文豪から武田百合子、田中小実昌、つげ義春、横尾忠則ら、作家と温泉の味わい深いエピソードを紹介し、川本三郎氏、坪内祐三氏らがコラムを寄せています。何よりも「らんぷの本」の特性を活かした、お風呂でなごむ文豪たちのまったりした様を撮った写真が満載の構成となっていて、作家と温泉の繋がりの強さをシズル感をもって味わうことができます。

 表紙は井伏鱒二と太宰治ですが(この二人は師弟関係)、中身の井伏鱒二とともに風呂に入る太宰治の素っ裸(当たり前だが)の写真は貴重?(解説によれば、太宰はこの写真に写っている下腹部の盲腸の傷跡を気にしており、撮影した伊馬春部にフィルムの処分を求めたという)。宮澤賢治はやっぱり花巻の花壇設計のことが書いてあります。最終章は『温泉と文学』と同じく「つげ義春」。文学ではなく漫画ですが、温泉を語るうえで外せないといったところなのでしょう。
 
《読書MEMO》
作家と温泉_4183.JPG作家と温泉_4184.JPG作家と温泉_4185.JPG●『作家と温泉―お湯から生まれた27の文学 (らんぷの本)』
目次
・夏目漱石と道後温泉(愛媛県・熊本県)
・志賀直哉と城崎温泉(兵庫県)
・檀一雄と温泉事件簿(静岡県・青森県)
・吉川英治と温川温泉(青森県)
・川端康成と湯ケ島温泉(静岡県)
・折口信夫と浅間温泉(長野県)
・武田百合子と「浅草観音温泉」(東京都)
・宮沢賢治と花巻温泉(岩手県)
・山口瞳と『温泉へ行こう』(日本全国)
・坂口安吾と伊東のヌル湯(静岡県)
・谷崎潤一郎と有馬温泉(兵庫県)
・田中小実昌と寒の地獄(大分県)
・種村季弘と『温泉百話』(日本全国)
・横尾忠則と草津温泉(群馬県)
・与謝野晶子・鉄幹と法師温泉(群馬県・大分県)
・竹久夢二と温泉の女たち(日本全国)
・田宮虎彦と鉛温泉(岩手県)
・梶井基次郎と紀州湯崎温泉(和歌山県)
・川崎長太郎と入れなかった湯(千葉県)
・田山花袋と『温泉めぐり』(日本全国・朝鮮半島・中国)
・太宰治と浅虫、四万温泉(青森県・群馬県)
・井伏鱒二と下部温泉(山梨県)
・小林秀雄と美と温泉(神奈川県・大分県・長野県)
・若山牧水と土肥温泉(静岡県)
・北原白秋と船小屋温泉(福岡県)
・つげ義春と貧しい温泉宿(日本全国)

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選考委員のメンツが違っていれば、受賞したかどうかわからないものも多いと思った。

芥川賞の偏差値 .jpg『芥川賞の偏差値』.jpg
小谷野敦.jpg 小谷野 敦 氏
芥川賞の偏差値』(2017/02 二見書房)

 芥川賞の第1回から本書刊行時の最新回である第156回までの受賞164作を、ランク付けしたものです。著者は、あくまでも主観的判断であることと断っており、「ここで必要なのは「対話的精神」である。自分がよくないと思った作品でも、他人がいいと言ったら、その言に耳を傾ける必要がある」と述べていて、それでいいのではないかと思います。

 これまでこの読書備忘録で取り上げた芥川賞受賞作に対する自分個人の評価と比べてみると、当方の評価(◎及び星5つが最高評価)と、著者のつけた"偏差値"ランクは以下の通りです。(偏差値の平均は50であるはずだが、全164作のうち著者が「偏差値50以上」にしたものは41作と全体の4分の1しかないため、「偏差値50以上」ならば相対的にはかなり高く評価されているとみていいのではないか)

1950年代~1970年代
・1951(昭和26)年上半期・第25回 ○ 安部 公房 「」 ★★★★ 偏差値40
・1952(昭和27)年下半期・第28回 ◎ 松本 清張 「或る『小倉日記』伝」 ★★★★★ 偏差値64
・1954(昭和29)年上半期・第31回 ◎ 吉行 淳之介 「驟雨」 ★★★★☆ 偏差値46
・1955(昭和30)年下半期・第35回 ○ 石原 慎太郎 「太陽の季節」 ★★★☆ 偏差値38
・1966(昭和41)年下半期・第56回 ◎ 丸山 健二 「夏の流れ」 ★★★★☆ 偏差値44
・1975(昭和50)年下半期・第74回 ◎ 中上 健次 「」 ★★★★☆ 偏差値58
・1977(昭和52)年上半期・第77回 ○ 三田 誠広 「僕って何」 ★★★☆ 偏差値42
・1977(昭和52)年下半期・第78回 ○ 宮本 輝 「螢川」★★★★ 偏差値58
1990年代~
・1990(平成2)年下半期・第104回 △ 小川 洋子 「妊娠カレンダー」★★★ 偏差値52
・1991(平成3)年上半期・第105回 ○ 辺見 庸 「自動起床装置」 ★★★☆ 偏差値52
・1995(平成7)年下半期・第114回 ○ 又吉 栄喜 「豚の報い」 ★★★☆ 偏差値44
・1996(平成8)年上半期・第115回 ○ 川上 弘美 「蛇を踏む」 ★★★ 偏差値44
・1996(平成8)年下半期・第116回 × 柳 美里 「家族シネマ」 ★★ 偏差値44
・2000(平成12)年上半期・第123回 △ 町田 康 「きれぎれ」 ★★★ 偏差値52
・2001(平成13)年下半期・第126回 ○ 長嶋 有 「猛スピードで母は」 ★★★☆ 偏差値36
・2002(平成14)年上半期・第127回 △ 吉田 修一 「パーク・ライフ」 ★★★ 偏差値36
・2002(平成14)年下半期・第128回 △ 大道 珠貴 「しょっぱいドライブ」 ★★☆ 偏差値36
・2003(平成15)年上半期・第129回 ○ 吉村 萬壱 「ハリガネムシ」 ★★★☆ 偏差値38
・2003(平成15)年下半期・第130回 ○ 綿矢 りさ 「蹴りたい背中」 ★★★☆ 偏差値44
・2003(平成15)年下半期・第130回 △ 金原 ひとみ 「蛇にピアス」 ★★★ 偏差値38
・2004(平成16)年上半期・第131回 △ モブ・ノリオ 「介護入」 ★★★ 偏差値44
・2005(平成17)年上半期・第133回 △ 中村 文則 「土の中の子供」 ★★★ 偏差値36
・2005(平成17)年下半期・第134回 ○ 絲山 秋子 「沖で待つ」 ★★★☆ 偏差値56
・2006(平成18)年下半期・第136回 ○ 青山 七恵 「ひとり日和」 ★★★☆ 偏差値68
・2007(平成19)年上半期・第137回 △ 諏訪 哲史 「アサッテの人」 ★★★ 偏差値44
・2007(平成19)年下半期・第138回 △ 川上 未映子 「乳と卵」 ★★★ 偏差値44
・2009(平成21)年上半期・第141回 △ 磯崎 憲一郎 「終の住処」 ★★★ 偏差値52
・2012(平成24)年上半期・第147回 ○ 鹿島田 真希 「冥土めぐり」 ★★★☆ 偏差値40
・2015(平成27)年上半期・第153回 ○ 又吉 直樹 「火花」 ★★★★ 偏差値49
・2016(平成28)年上半期・第155回 ◎ 村田 沙耶香 「コンビニ人間」 ★★★★☆ 偏差値72
 
芥川賞の偏差値0810.JPG 自分が◎を付けたものを著者がどう評価しているか関心がありましたが、ちょっと昔のものでは、松本清張 「或る『小倉日記』伝」が自分 ★★★★★ に対して偏差値64、中上健次「岬」が自分 ★★★★☆ に対して偏差値58と、著者も高い評価でした。一方で、吉行淳之介の「驟雨」が自分 ★★★★☆ に対して偏差値46、丸山健二「夏の流れ」が自分 ★★★★☆ に対して偏差値偏差値44と、そう高くない評価となっています。読めば著者なりも理由があって、それはそれでいいのでは。ただ、安部公房や吉行淳之介に対する評価は低いなあと(著者は安部公房より大江健三郎派か。第三の新人は庄野潤三を除き、おしなべてあまり高くは評価していないようだ)。最近のものでは、村田沙耶香 「コンビニ人間」が、自分は ★★★★☆でしたが、これは評価が一致したというか、著者は高い評価をしていて、偏差値72と、李良枝「由煕」、高橋揆一郎「伸予」と並んで全作品でトップとなっていました。

文庫新刊 コンビニ人間2.jpg 「コンビニ人間」については、「つまらない小説に授与するのが芥川賞の伝統なのに、選考委員どうしちゃったんだ」とありますが、面白い、面白くないで言えば、近年の芥川賞受賞作には面白い作品が少ないというのは同感です。受賞した人が本当に才能があるのかよく分からないものも多いし、その後に受賞作以上によく読まれる作品を世に送り出している作家も多くいますが、選考委員がその隠れた才能を見抜いたのかもしれないし、一方で、「受賞したという自覚が作家を育てた」という面もあったのではないかとも思います。

 いつも思うのですが、選考委員のメンツが違っていれば、受賞したかどうかわからないということは多くの受賞作に言えるのではないかと思います(だから受賞するには「運」も要る)。一部ですが、選考委員の中で誰が推して誰が推さなかったかまで書いてあり、改めてそのことを思いました。著者の場合、それだけでなく、選考結果や選考委員個々に対する批評も一部織り込まれていて、それがなかなか面白かったりしました。結局、本書の狙いは、個々の作品批評と言うより、福田和也氏の『作家の値うち』('00年/飛鳥新社)を批判(ライバル視?)しているように作家批評であり(受賞後の作家活動にも言及している)、さらには"文壇"的なものに対する批評でもあるのだろうなあと思いました。

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そこそこ面白く読め、作品を読む際の"参考情報"となる話もあった。

文豪の女遍歴 (幻冬舎新書).jpg 文豪の女遍歴 (幻冬舎新書)帯.jpg

 幕末生まれの夏目漱石、森鷗外、坪内逍遥から1930年代生まれの江藤淳、生島治郎、池田満寿夫4まで、総勢62名の作家、文学者の異性関係を検証したものです。もちろん、著者の私見・偏見も入っているとは思いますが...。

 著者は、「覗き見趣味だと言われようと、文学者の異性関係を知るのは楽しい。彼らが当時の姦通罪に怯え、世間の猛バッシングに耐えながらも不義を重ねたり、人間の痴愚や欲望丸出しで恋愛し、破滅と蘇生を繰り返し、それを作品にまで昇華させるタフさに畏怖すら覚える。小説はモデルなど詮索せず、文章だけを虚心坦懐に読めと言う人もいるけれど、そんなつまらない味わい方はしたくない」という立場のようです。

 これに対して、Amazon.comのレビューなどを見るとやっぱり予想通り、「週刊誌的な下ネタ風の覗き見趣味の本」「正しく調べられているとは信じがたい」などの批判もあって、それでいて他方で、「下世話な欲望、葛藤があってこその、人間、人生、作家だ」「下司でヨロシイ(笑)」などというのもあって、評価が二分していて、真ん中の星3つをつけているレビュアーがいませんでした。

 個人的には、今まで読んだ著者の本の中では面白い方でした。折口信夫や菊池寛が同性愛者だったとか、倉田百三が17歳少女に「聖所」の毛をひとつまみ送れと手紙に書いたとか、野間宏が担当女性編集者と強引に性交に及ぼうとして果たせなかったとか、近いところでは、安部公房が教えていた短大の学生が山口果林だったとか(「砂の女」という作品は結婚のメタファーらしい)、池田満寿夫と佐藤陽子のそれぞれの一緒になる前の夫婦関係とか、まあ、文壇ゴシップと言えばその通りですが、自分が基本的にゴシップ好きなのかも。

 芥川龍之介、永井荷風、太宰治、吉行淳之介など、作品に馴染みのある作家は、その異性経験と作品の関連が解って面白く読めましたが、その面白かった筆頭が谷崎純一郎と川端康成でした。

谷崎潤一郎.jpg 谷崎は妻の妹で14歳の少女と性交渉してしまい、これが『痴人の愛』のナオミのモデルであるとのこと。同様に『蓼喰う虫』も『細雪』も後年の『瘋癲老人日記』もどれも実体験ベースみたいです。『瘋癲老人日記』に書かれた、女の足で自分の頭を踏んでもらうという痴戯は、谷崎が60歳を過ぎて可愛がっていた女性に実際してもらっていたとのことですが、別のところで、それを見たという編集者か誰かの証言として読んだことがあります。

川端康成2.jpg 川端康成も(彼も中学時代は同性愛者だったとのこと)、『伊豆の踊子』が一高時代に伊豆へ旅した際に旅芸人一座に同行した体験がベースになっていることはよく知られていますが、『山の音』や『雪国』なども女性モデルがいたようです。本書に、浅草のカジノ・フォーリーから踊子を引き抜いたとありますが、本書には書かれていないものの、これなどは『浅草紅団』の弓子のモデルでしょう。

 著者が言うように、小説は作者の実体験でありモデルがいると思って読むと面白く読めるという面があるように思います。それにしても、出てくる人、出てくる人の多くが不倫や二股恋愛をしていて、作家って女遍歴が派手と言うか、乱脈とも言える人が多いなあと思いました(何も無かったのは最初の夏目漱石ぐらいか)。本書がそうした作家ばかり取り上げているというのもあるかと思いますが、実体験が作品に反映されているケースも多く、当然のことながら実体験が先でしょうが、小説の素材づくりのために経験を積んでいるのかとさえ思えてしまうほどです(でも、単なる"浮気"とかではなくて"本気"になってしまったものが結構多い)。

 著者があとがきで書いていますが、今は親がいつまでも生きていて、介護が必要になったりすると、頼みの綱は妻であり、昔は姉や妹がいたが今は子供が少なく、浮気は若いころか、親きょうだいが元気でいてこその話になったと―。このあとがきにもAmazon.comのレビューで批判がありましたが(確かにジェンダー差別と捉えられかねない)、昔の方が道徳的制約は強かったと思われる反面、意外と昔の方が、例えば金持ちが妾を囲うようなことも普通にあっただろうし、簡単に浮気できたという面もあったのかもしれないと思ったりもしました。

 大勢取り上げている分、一人一人の掘り下げが浅い感じもするし、事実がそのまま作品になったとしたのでは作品が徒に陳腐化することになるし、いろいろ突っ込みどころは多いかと思います。ただ、作品を読む際の"参考情報"としては知っておいてもいい話もあったかなと。それ以前に、読み物としてそこそこ面白く読めてしまいましたが(ゴシップ好きなので)。

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「絶望(名人)」という切り口からのカフカへのアプローチがユニーク。しっくりきた。

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫).jpg絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)2.jpg フランツ・カフカ 『変身』.JPG  カフカ.jpg Franz Kafka
絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)』『変身 (新潮文庫)

 ユダヤ系チェコ人作家、フランツ・カフカ(1883‐1924)は、20世紀以降の文学作家に最も大きな影響を与えた作家の一人とされています。日本の作家で言えば、安部公房、倉橋由美子から村上春樹まで―といったところでしょうか。また、その代表作『変身』などは、中学生が夏休みの読書感想文の宿題の題材に選ぶような広く知られた作品である一方、専門家や或いは文豪と呼ばれた作家の間でも様々な解釈がある作品です。

 そのカフカの日記やノート、手紙から、彼の本音の言葉を集めたものが本書です。編訳者の頭木弘樹氏もまた、中学生の夏休み、読書感想文を書くための本探しに書店に行き、びっくりするほど薄い本を見つけて、その本というのが『変身』であり、それがカフカとの出会いだったとのことです。頭木氏は二十歳で難病になり、13年間の闘病生活を送ったとのことですが、そのときにカフカを熱心に読むようになった経験から、「絶望しているときには、絶望の言葉が必要」との信念を抱くようになったとのことです。

 ネガティブな自虐や愚痴が満載であることから、タイトルも"絶望名人"となっていますが、頭木氏も言うように、心が消耗して、電池切れのような状態で、今まさに死を考えているような人にとっては、よく言われる「死ぬ気になれば、なんでもできる」といった励ましよりも必要なのは、こうした、その気持ちに寄り添ってくれる言葉なのかも。カフカのこうした言葉を知って、自分の辛い気持ちをよく理解してくれていると思う人は多いような気がします。

 第1章の「将来に絶望した!」から第14章の「不眠に絶望した!」まで絶望の対象ごとに、将来、世の中、自分の体、自分の弱さ、親、学校、仕事、夢...といった具合にテーマ分けされていますが、最後の第15章だけ「病気に絶望...していない!」とそれまでと逆の表現になっているのが興味深いです(「結核はひとつの武器です」と恋人への手紙に書いている)。

 第7章の「仕事に絶望した!」のところで、自身の後の代表作となる『変身』に対して、自らの日記でひどい嫌悪を示しており、理由は、当時、出張旅行に邪魔されて、 「とても読めたものじゃない結末」「ほとんど底の底まで不完全」になってしまったからとのことのようです。カフカは、死の2年前、結核で勤務が不可能になるまで労働者傷害保険協会に勤務しており、仕事が終わってからでないと小説を書けないため、仕事は自らが専念したいと思っている文学の敵だと思っていたようです。

 カフカほどの才能があれば、仕事などさっさと辞めて職業作家になればいいような気もしますが、多くの作品を書きながらも、生前に刊行された7冊の本の内6冊はいずれも短編または短編集で(残りの1冊の『変身』のみが中編)、生前はメジャーな作家ではなかったようです。そうしたこともあって、日記に「ぼくの務めは、ぼくにとって耐えがたいもだ。なぜなら、ぼくが唯一やりたいこと、唯一の使命と思えること、つまり文学の邪魔になるからだ」と書きながらも、なかなか役所を辞める踏ん切りがつかなかったのでしょうか。

 ただ、このことについては、第5章の「親に絶望した!」のところで紹介されている父親への手紙の中で、父親の前に出ると自信が失われるとし、父親は世界を支配しているとまで書いています。そのことを父親に書き送りながら、父親の支配から抜け出せないでいるカフカ―その強烈なファーザー・コンプレックスは彼の様々な作品に反映されていることは知られていますが、彼が役所を辞められないことの一因でもあったように思われます。

 カフカには生涯における主な恋人として、フェリーツェ、ミレナ、ユーリエ、ドーラという4人の女性がいたことが知られていますが、第9章の「結婚に絶望した!」のところに恋人フェリーツェへについての日記の記述があり、「ぼくは彼女なしで生きることはできない」としながら「彼女とともに生きることもできないだろう」としています。結局フェリーツェとは二度婚約して、二度婚約破棄、その後、ユーリエともいったん婚約してこれを破棄といった具合に、結局、結婚生活に憧れながら、それにも踏み切れなかったということになります。

 カフカの生前の未発表作品の草稿の多くは、友人のマックス・ブロートに預けられていましたが、死に際して、草稿やノート類をすべて焼き捨てるようにとの遺言を残したものの、ブロートは自分の信念に従ってこれらを順次世に出し(死の翌年に『審判』(1925年)、続いて『城』(1926年)...と)、今カフカの作品が読めるのはブロートのお陰と言ってもいいくらですが、恋人たちに宛てた手紙も同じく焼き捨てるようにとの遺言していたことを本書で知りました。

 ところが本書には、フェリーツェへにの手紙とミレナへの手紙からの抜粋が相当数にわたって所収されており、カフカの婚約者だったフェリーツェはカフカと同じユダヤ人でしたが、カフカの500通の手紙を持ってスイスに亡命し(その後アメリカに渡った)、恋人のミレナは、チェコ人ながらユダヤ人援護者として捕らえられ、強制収容所で亡くなったものの、その前に手紙を友人の評論家に渡しており、カフカが婚約者や恋人に宛てた手紙を読めるのも、これまた偶然かもしれません(カフカの死を看取った最後の恋人ドーラは、遺言通りカフカの原稿の一部を焼却して後に非難されたとのことだが、頭木氏が言うように、これもまた彼女なりの誠実な行為だったのかもしれない)。

 本書の著者は一応"カフカ"となっていますが、「絶望(名人)」という切り口からカフカの本質を浮かび上がらせ、一般の読者でも読める「人生論」としてまとめ上げた編訳者のアプローチはユニークであり、かつ、個人的にはしっくりきたように思えました。

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色々な見方を教えてくれるが、1人ひとりの記述が浅くて意外と印象に残らない。。

本当に偉いのか図1.png本当に偉いのか―あまのじゃく偉人伝.jpg 小谷野敦.jpg 小谷野 敦 氏
本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝 (新潮新書)

 福沢諭吉、夏目漱石、坂本竜馬からアレクサンドロス大王やコロンブスまで、明治の偉人たちから始まって世界史、日本史に名を残した人まで、口上通り、「裸の王様」たる偉人たち(存命中の人物を含む)を"独断と偏見"でブッタ斬る―といった感じの本ですが、誰もかれも殆ど貶しているせいか、すっきりするどころか却って読んでいて嫌気がさす人もいるのではないかと余計な心配をしたりもしました。

 実際、Amazon.comのレビューの中にも、「独りよがり」「読むに堪えない」などの評があって、評価はイマイチみたいです。確かに、本当は偉くないという中に漱石だけでなく司馬遼太郎なども含まれていて、ほんとうは偉いという中に渡辺淳一や石原慎太郎がいるのはどうかと思ってしまう人は多いと思います(個人的には著者の以前からの夏目漱石批判には一部共感させられる面もあり、また、渡辺淳一は初期作品はいいと思うのだが)。

 中には当を得たりと思った部分もあったし、また、この人物についてこんな見方も出来るのだなあということを色々と教えてくれているという意味では、まずまず面白かったです。取り上げられている"偉人"たちの中には全否定されているに近い人もいますが、ある部分は認めているようなケース(作家であればある作品は認めているケース)もままあって(宮崎駿3.jpgどちらかというとこのタイプの方が多い)、その人物の著作やその他業績等をその人物のものに限って相対評価するうえでは参考になるかもしれません(例えば、「第三章 本当に偉いのか偉人伝 日本編」で取り上げられている宮崎駿について、初期作品の「風の谷のナウシカ」('84年)は"まぎれもない傑作"としているが、「もののけ姫」('97年)は失敗作とし、更にそれら以前の「ルパン三世~カリオストロの城」('79年)などは秀作としている)。

 但し、1冊の新書に大勢詰め込んだため1人ひとりの人物に関する記述が浅くなった印象もあります。すらすら読める割には意外と印象に残らないのは、自分によりどころとなる知識が少ないせいもあるかもしれませんが、著者自身が説明を端折っているせいもあるのでは。知識だけひけらかしているように見られても仕方無い面もあるように思えますが、著者自身はどう見られるかはあまり気にしていないのかもしれません。

 全般的には、取り上げているそれらの"偉人"たちについて「過大評価」されているのではないかという疑問を呈しているわけであって、全てを評価しないと言っているわけではないし、これだけそれぞれの人物に詳しいということは、それなりにその人の本を読んだり調べたりしたわけだから、意外と著者本人もどこかでその人物に関心や愛着を持っていたりもするのではないでしょうか。仮に著者にそう問うても、まあ、天邪鬼の本性からすれば、そんなことはないと言下に否定されるでしょうが。

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第一章 上げ底された明治の偉人
福沢諭吉/夏目漱石/岡倉天心/柳田國男/幸田露伴/徳田秋聲/南方熊楠/大隈重信/西郷隆盛/森鴎外/樋口一葉/永井荷風/正岡子規/ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

第二章 本当に偉いのか偉人伝 世界編
アレクサンドロス大王/クリストーバル・コローン(コロンブス)/ベンジャミン・フランクリン/イマニュエル・カント/ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル/ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ/ナポレオン一世/リヒャルト・ワグナー/ハインリヒ・シュリーマン/レフ・トルストイ/フョードル・ドストエフスキー/ガンディー/魯迅/ヴラディーミル・ナボコフ/ハンナ・アレント/ラングドン・ウォーナー/フォービアン・バワーズ/D・H・ロレンス

第三章 本当に偉いのか偉人伝 日本編
石田三成/井原西鶴/和辻哲郎/野上弥生子/福田恆存/中野好夫/丸山眞男/吉田松陰/中島敦/中野重治/上田秋成/坂本竜馬/伊福部昭/尾崎翠/井上ひさし/丸谷才一/十二代市川團十郎/十八代中村勘三郎/司馬遼太郎/中井久夫/宮崎駿/深沢七郎

第四章 誤解の多い偉人/評価保留の偉人
ヘレン・ケラー/ミヒャエル・エンデ/毛利元就/間宮林蔵/野坂昭如/グスタフ・マーラー/光明皇后/筒井康隆/平賀源内/カール・ポパー/谷崎潤一郎/川端康成/ノーム・チョムスキー/牧野富太郎

第五章 あまり知られていない偉人
荻野久作/兼常清佐/ジャン=バティスト・グルーズ/大久保康雄/石山透

第六章 本当は偉いぞ偉人伝
井伊直弼/伊藤博文/山本有三/渡辺淳一/円地文子/大乃国康(芝田山親方)/エミール・ゾラ/本居宣長/フランシスコ・フランコ/曲亭馬琴/野口英世/坪内逍遙/田山花袋/三木卓/石原慎太郎

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新人の要件は「若者でバカ者でよそ者」、芥川賞のキーワードは「顰蹙」か。

芥川賞の謎を解く.jpg芥川賞の謎を解く2.jpg
 
第79回(昭和53年上半期)の芥川賞選考委員会。左端から大江健三郎、開高健、安岡章太郎、丹羽文雄、瀧井孝作、中村光夫、井上靖、吉行淳之介、遠藤周作、丸谷才一の各選考委員。
芥川賞の謎を解く 全選評完全読破 (文春新書)

又吉直樹 芥川賞受賞.jpg 芥川賞の第1回から今日まで(第152回まで)の全ての選評を読み直して振り返ったもので、文春新書らしい企画的内容ですが、著者は読売新聞の文化記者です。因みに、最近話題になった人気芸人の又吉直樹氏の『火花』による受賞は、本書刊行の1ヵ月後に受賞が決まった「第153回」の芥川賞ということで、本書では扱っていません。

NHK「ニュースウオッチ9」(平成27年7月16日)より

太宰治23.jpg その又吉直樹氏が敬愛するという太宰治が落選して激昂したという有名なエピソードから始まって、選考の流れというか緊迫した雰囲気のようなものが伝わるものとなっています。実際、選考委員はその折々で真剣に選考に取り組んできたのでしょうが、どういった人がその時の選考委員を務めているかによって、結構、選ばれる側に運不運があるという印象を受けました。

 まあ、芥川賞が始まったばかりの頃は、受賞発表に呼ばれたマスコミであっても、それを記事にしなかった新聞社もあり、賞の創設者である菊池寛を憤慨させたりもしたようですが、そのくらいの世間の関心度だったということでしょう。賞をとれなかった太宰も、後に当時の自分を「野暮天」だったと振り返っていて、著者は、もし太宰が芥川賞をとっていたら、「天才幻想に憑りつかれ、明るさとユーモアのある中期以降の太宰はなかったかもしれない」としています。

吉行 淳之介.jpg 「第三の新人」と呼ばれる作家が、安倍公房松本清張 五味康祐.jpgと石原慎太郎、大江健三郎、開高健という戦後のスターに挟まれて芥川賞をなかなかとれず、吉行淳之介などは「今回は安岡・吉行の二作受賞で間違いない」との予想が出回って賞金をアテにして飲み歩いていたら、受賞者は五味康佑・松本清張だったという話などもちょっと面白かったです。

松本清張と五味康祐

 五味康佑は「薄桜記」が'12年にNHKのBS時代劇になるなど今でも人気。一方の松本清張も、芥川賞作家の中で最も多くの人々に読まれた作家とされているようですが(尤も、芥川賞作家であるという印象が薄いかもしれないが)、その松本清張が「ある『小倉日記』伝」で芥川賞をとった時、選考委員の坂口安吾が「この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力」があるとして、推理小説界での清張の活躍を予見しているのは慧眼です。更に坂口安吾は、石川達三と真っ向から対立して、安岡章太郎などを推しています。石川達三は吉行淳之介の「驟雨」にも☓をつけていますが、吉行淳之介はこの作品で4回目の候補にしてようやっと受賞しました。後になって吉行が、選考委員(石川達三)の文学観に物申しているのが興味深いです。

吉村昭.jpg 吉村昭がいったんは宇野鴻一郎とのダブル受賞との連絡を受けながら、それが実は連絡の手違いで、最終的には宇野鴻一郎だけが受賞で、吉村昭は結局4回芥川賞の候補になりながらとれなかったわけですが、これについて、吉村昭が後に「落ちてくれた」と言い、「もし受賞していたら、全然違う作家になっていたと思います」と発言しているのも興味深いです。吉村昭は落ちたことを契機に記録文学に転じた作家で、それ以前の作品は「星への旅」などに見られるように、非常に"純文学色"の濃いものです。

村上春樹 09.jpg 本書では、太宰治、吉村昭の他に村上春樹も「賞をとらなくて良かった」作家ではないかとしており、村上春樹氏自身も、今は、芥川賞作家と肩書に縛られなくて良かったと考えているようです。その村上春樹の「風の歌を聴け」が芥川賞候補になるも選ばれなかった際の選評も書かれていますが、この分析については、本書でも紹介されている市川真人氏の『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』('10年/幻冬舎新書)に詳しいです。

石原慎太郎 芥川賞.png 田中康夫氏が「若者でバカ者でよそ者」を新人の条件として挙げたのを、高橋源一郎氏が「うまいこと言う」と言ったとのことですが、確かに言い得ているかも(2人とも芥川賞はとっていない)。本書の著者の場合は、「顰蹙」という言葉を芥川賞のキーワードとして捉えており(それにしては大人しい作品が受賞することもあるが)、その言葉を最も端的に象徴するのが、選考委員の間で毀誉褒貶が激しかった石原慎太郎氏の「太陽の季節」であり、この人は選考委員になってからも歯に衣を着せぬ辛口発言を結構していて、やっぱり芥川賞を語る上では欠かせない人物なのだろなあ。村上龍氏の「限りなく透明に近いブルー」などもそれに当て嵌まるわけで、また村上龍氏も芥川賞選考委員として個性的な発言をしていますが、石原慎太郎氏の芥川賞受賞を社会的ニュースに高めた功績は、やはり大きいものがあると言えるかも(功績ばかりでなく、川端康成が危惧したような受賞が最終目的化するというで面もあり、"功罪"と言うべきか。別に石原氏が悪いわけでもなんでもないが)。

 又吉直樹氏の『火花』は、「三島由紀夫賞」の選考の方で僅差での落選をしての芥川賞受賞ということで、落選したのが良かったのか。村上春樹の「風の歌を聴け」が、群像新人賞を、選考委員(佐々木基一、佐田稲子、島尾敏雄、丸谷才一、吉行淳之介)の全員一致で推されてとったのに、芥川賞選考に駒を進めたら、その年に丸谷才一、吉行淳之介の2人が新たに選考委員に加わったにも関わらず、強く推したのは丸谷才一だけで落っこちてしまったというのも、何かパターン的な流れのような気もするし、この頃は「該当作なし」が矢鱈多かった(第83回から第96回の間に受賞作が出たのが6回、「該当作なし」が8回)というのも影響としてあるのでしょう。

 村上春樹氏はノーベル文学書をとるとらないに関わらず、「芥川賞」の側が賞を与え損ねた代表格として語り継がれていくのでしょう。又吉直樹氏の芥川賞における位置づけも、氏のこれからの活動を経てみないと判らないですし、結局、賞を与える与えないの判断の時点である種"賭け"の要素があり、それが当たるかどうかはたで観ていて"外野席的"に面白いというのもあるかもしれません。

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軍医、作家ではなく、一家庭人としての鷗外の人間味が滲み出ている書簡集。

『森鷗外 妻への手紙』.JPG 森鷗外 妻への手紙.jpg    森鷗外.jpg 森鷗外(1862-1922/享年60)
森鴎外妻への手紙 (昭13年) (岩波新書〈第17〉)』『妻への手紙 (ちくま文庫)
志げ夫人
志げ夫人.jpg 今年(2012年)は森鷗外(1862-1922/享年60)没後150周年。本書は、鷗外の二度目の妻・しげ(志げ)への書簡集で(最初の妻・登志子とは、別居後に離婚)、編纂者の小堀杏奴(1909-1998)は鷗外の次女です。しかし、長男(登志子との間の子)の名前が於菟(おと)で、長女が茉莉(まり)(作家の森茉莉)、次女が杏奴(あんぬ)で二男が不律(ふりつ)、三男が類(るい)というのはすごいネーミングだなあ。オットー、マリ、アンヌ、フリッツ、ルイと片仮名で書いたほうがよさそうなぐらいです。

 1904(明治37)年から鷗外の没年である1922(大正11)年までの手紙を収めていて、その多くは鷗外が軍医部長として従軍した日露戦争(1904-05)中のもので、とりわけ1905(明治38)年に集中していますが、この年は、(前年末からの)旅順攻略、奉天会戦、日本海海戦、講和へとめまぐるしい戦局の変化があった年。

 しかし、鷗外の手紙の中で戦局の報告は極めて簡潔になされており、後は「新聞を読むように」とかいった具合で、むしろ、妻の健康と日常の暮らしぶり、生まれたばかりの娘・茉莉(1903-1987)の成長の様子を窺う文章で埋め尽くされているといった感じ(茉莉は何が出来るようになったか、病気はしてないか、といった具合に)。
   
森茉莉.jpg "しげ"とは1902(明治35年)、鷗外が41歳、彼女が23歳で結婚しており、結婚して3年、娘・茉莉が生まれて2年ということで(しかも妻との年の差18歳)、手紙文は読みやすい文体で書かれており、中には(娘に対して)でれでれ状態と言ってもいいくらいのトーンのものもあるのは無理もないか(鷗外の堅いイメージとは裏腹に、ごくフツーの親ばかといった感じ)。

 ドイツ留学時代に彼の地に残してきた恋人のことを生涯胸に秘めつつ、家族に対してはこうした手紙を書いていたのだなあというのはありますが、妻や子への鷗外の想いは偽らざるものであったのでしょう。

 鷗外の妻への過剰とも思える気遣いの背景には、小堀杏奴があとがきに該当する「父の手紙」のところでも記しているように、妻と鷗外の母との不仲(所謂"嫁姑の確執"があったことも関係しているのかも。

森茉莉(12歳) 1915(大正4)年
    
森鷗外 妻への手紙 奥.JPG 手紙の多くが、「○月○日のお前さんの手紙を見た」「その後はまだお前さんお手紙は来ない」といった文章で始まっているように、妻の方からも、近況を伝える返信を書き送っていたと思われ、その妻の手紙は公表されていないわけですが、鷗外が自らの手紙でその内容をなぞったりしているので、大方の内容の見当はつきます。

 鷗外は必ずしも戦地で常に多忙を極めていたわけではないようで、妻から手紙は鷗外自身の無聊を慰めてもいたのでしょう。写真の感想なども多く、そうした鷗外の気持ちを察するかのように、妻しげは、家族の写真などもしばしば送っていたことが窺えます。

 鷗外の手紙の現物は杏奴の死後にも多く見つかっており、その殆どは既に杏奴を通して公表され全集にも収められていたとのことで、杏奴による時系列の並べ順の誤り(ミス)などが一部に見られるものの、少なくとも日露戦争時の手紙はそのまま全部収められているとみていいのではないかと思われます。

 軍医、作家といった鎧を脱ぎ棄て、一家庭人としての鷗外の人間味が滲み出ている書簡集でした。

【1996年文庫化[ちくま文庫(森鷗外『妻への手紙』)]】

《読書MEMO》
創刊第1回の20点.png「岩波新書」創刊第1回の20点
『奉天三十年(上・下)』クリスティ/矢内原忠雄 訳
『支那思想と日本』津田左右吉
『天災と国防』寺田寅彦
『万葉秀歌(上・下)』斎藤茂吉
『家計の数学』小倉金之助
『雪』中谷宇吉郎
『世界諸民族経済戦夜話』白柳秀湖
『人生論』武者小路実篤
『ドイツ 戦歿学生の手紙』ヴィットコップ/高橋健二 訳
『神秘な宇宙』ジーンズ/鈴木敬信
『科学史と新ヒューマニズム』サートン・森島恒雄 訳
『ベートーヴェン』長谷川千秋
『森鴎外 妻への手紙』小堀杏奴 編
『荊棘の冠』里見 弴
『瘤』山本有三
『春泥・花冷え』久保田万太郎
『薔薇』横光利一
『抒情歌』川端康成

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日本の文学作家って、大所に情死を含め自殺した人が多いと改めて感じた。

別冊新評 作家の死.jpg 別冊新評 作家の死ド.jpg
別冊新評 作家の死 日本文壇ドキュメント裏面史 ・文壇九〇年の過去帳』(1972/08 新評社)

 明治以降の作家の死を、死去当時の新聞記事や他の作家による弔辞、弔意文などから追った記録集で、こういうのを読んでいると、弔辞を読んだ作家が次は弔辞を読まれる側に廻っていたりして(要するに亡くなっていて)、まあ、人生には限りがあると、改めて「死」というものを意識させられます。

 昔はやはり、作家も一般人同様、肺結核などの病いで亡くなる人が多かったわけですが、そうした中で、自殺に関しては、突然のことだけに周囲の衝撃も大きかったようです(本書の中で一番ショッキングだったのは、拷問死した小林多喜二の、仲間の医師による死体検分記録だったが、これは別格)。

川端康成2.jpg ある人の説では、作家の自殺率が普通人より高いのは日本も海外も同じだそうだけれど(中国などは確かにそうだが、その原因には政治的なものが絡んでいることが多いようだ)、日本の場合、芥川・太宰から三島・川端まで、日本文学の代表格と言うか"大所"とも言える作家が自死していることが大きな特徴ではないかなあ。
 そもそも、この別冊特集は、川端康成のガス自殺(1972/04/16)が刊行の契機になっているようだし。

 芥川龍之介の自殺(1927/07/24)以前に自殺した作家というと、有島武郎の情死(1923/06/09)が思い浮かびますが、明治以降、最初に自殺したのは、詩人であり思想家でもあった北村透谷(1894/05/16)だったとのことで、一度喉を刺して死に切れず未遂に終わった半年後に、首吊り自殺したそうです

 一方、太宰治(1948/06/13)の情死は、当時の新聞記事などを読むと、無理心中に付き合わされた"事故"だったっぽいです。
 でも、その死に影響を受けて、田中英光みたいなオリンピックのボート選手としての出場経験のある作家まで、太宰の墓前で睡眠薬服用して手首を切って自殺する(1949/11/03)という事態になってしまうわけで、一部に連鎖反応的要素もあるかも。川端康成の自殺の一因と言われるのも三島由紀夫の割腹自殺(1970/11/25)だし...。

 三島が自決死したのは45歳の時。太宰の死は38歳で、田中英光の自死は36歳。芥川は35歳で、作家の自殺の"先駆的"存在である北村透谷となると25歳。こうなるともう、作家は早く死ななければならないという感じすらしてくる―。

 サブタイトルに「裏面史」とありますが、大概の人が自殺した人の生き方を見習いたいとは思わないのが普通であって、この辺りに"日本文学の不幸"があるとするのは、あながち悲観的過ぎる見方とも言えないのではないかなあ。

 記録としては貴重だと思うけれど、紙質等は保存版仕様ではなく、通常の月刊誌と同じである点が...(「別冊」だから仕方がないのか)。

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タイトルに呼応した内容である前半部分は面白く読めたが...。

芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか.jpg 『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか―擬態するニッポンの小説 (幻冬舎新書)

 「王様のブランチ」のブック・コーナーなどで分かり易いコメントをしている著者による本で、新書にしては300ページ超とやや厚めですが、すらすら読めてしまう読み易さでした。但し、タイトルの「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか」という問いかけに呼応した内容は前半3分の1ぐらいで、この部分は面白く読めましたが、後は、「ニッポンの小説」全般についての著者独自の批評になっているため、やや「テーマが拡散している」ような印象も。

 村上春樹の『風の歌を聴け』('79年)と『1973年のピンボール』('80年)が、共に芥川賞の候補になりながらも最終的に受賞しなかったのは、それらの作品がアメリカ文学の影響を受け過ぎていたため、選考委員にはそれらの模倣のように受け止められたというのが通説ですが、その前に候補になり受賞もしている村上龍の『限りなく透明に近いブルー』('76年)も、佐世保を舞台にしたアメリカ文化の影響の色濃い作品であり、一体どこが異なるのかと―。

 著者は、加藤典洋の、戦後の日本文壇は「アメリカなしにはやっていけないという思いを、アメリカなしでもやっていけるという身ぶりで隠蔽している」という言葉を引いて、『限りなく透明に近いブルー』には、主人公の放埒な生活の背後に、アメリカに対する屈辱が秘められており、また、例えば、同時期に芥川賞の候補になった田中康夫の『なんとなく、クリスタル』('80年)も、主人公たちの享楽的な生活は、アメリカ的なものへの依存無しには生きられないという点で、その裏返しであると。

 つまり、自分たち自身は本質的には「アメリカ的ではない」という自己規定が前提になっていて、それに対して、村上春樹の作品は、主人公をそのままアメリカ人に置き換えても成り立つように、もはや日本人かアメリカ人かの区別は無くなっており、アメリカを対象化するのではなく、アメリカそのものである、そのことが選考委員の反発を買ったと―。

 つまり、戦後の日本人にとって、アメリカは「強い父」として登場してきたと言え、そのアメリカ=「強い父」の存在の下での屈辱や、その「強い父」の喪失を描くというのが、戦後の日本文学の底流にあり、村上春樹の作品は、その底流から外れていたために、受賞に至らなかったのだとしています。

 以降、そうした近代日本文学の特殊性を、太宰治の『走れメロス』や夏目漱石の『坊っちゃん』にまで遡って中盤から後半にかけて分析していて、そうした意味では必ずしも「テーマが拡散している」とも言えないものの、やはり、後半は、前半の村上春樹論ほどのインパクトは無かったように思いました。

 芥川賞のことは、近作『1Q84』にもモチーフとして出てきますが、自身が候補になった時の話は、『村上朝日堂の逆襲』('86年/朝日新聞社、'89年/新潮文庫)に書いていて、「あれはけっこう面倒なものである。僕は二度候補になって二度ともとらなかったから(とれなかったというんだろうなあ、正確には)とった人のことはよくわからないけれど、候補になっただけでも結構面倒だったぐらいだから、とった人はやはりすごく面倒なのではないだろうかと推察する」とし、受賞連絡待ちの時の周囲の落ち着かない様子に(自らが経営する店に、多くのマスコミ関係者が詰めた)自分まで落ち着かない気持ちに置かれたことなどが、ユーモラスに描かれています。

 前2作の落選後、長編小説(『羊をまぐる冒険』)に行っちゃったから候補にもならなかったけれども(芥川賞の候補になるには紙数制限がある)、中編小説を書き続けていれば、賞を獲ったようにも思います。

 吉行淳之介(1924-1994)なんか、群像新人賞に推して以来、ずっと好意的な評価をしていたみたいだし...(そう言えば、村上春樹もアメリカの大学で日本文学を教えていた時に、吉行作品をテキストに使っていたりしたなあ。相通じるものを感じたのかな)。

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ポピューラーなものからマニアックなものまで多彩。読み解きに引き込まれた。

i偏愛文学館s.jpg 偏愛文学館 文庫.jpg  倉橋 由美子.jpg 倉橋 由美子(1935‐2005/享年69)
偏愛文学館 (講談社文庫)』['08年]
偏愛文学館 』['05年]

 倉橋由美子(1935‐2005/享年69)が39冊の小説を取り上げた「文学案内」で、'96-'97年に雑誌「楽」(マガジンハウス)にて「偏愛文学館」として連載され、その後'04-'05年に文芸誌「群像」(講談社)にて連載再開されたものを1冊にしたものですが、彼女は『星の王子さま』の新訳を亡くなる前月に脱稿し、刊行直前の6月10日に亡くなっていて、本書も奥付では'05年7月7日初版とあり、こちらも著者自身は刊行を見ずに逝ってしまったのでしょうか。

 安部公房と並んでカフカの薫陶を受けた作家として、或いは、大江健三郎と並んで学生時代にデビューした作家として知られ、更には、日本的な私小説を忌避し、今で言う村上春樹に連なるようなメタフィジカルな世界を展開した作家として知られていますが、一筋縄ではいかない作家が自ら"偏愛"と謳っているだけに、自分には縁遠い作家の作品が並んでいるのかなと思いきや、意外とポピュラーな作品が多く、「読書案内」であることを意識したのかなあと。

 夏目漱石は『吾輩は猫である』と並んで愛でるべきは『夢十夜』であるとか、内田百閒の短編では「件(くだん)」が一番の傑作であるとしていたり、『聊斎志異』を愛してやまないとか、うーん、何だか親近感を覚えてしまい、丁寧な読み解きに引き込まれました。

 中盤の外国文学作品の方が、作品の選択自体に"偏愛度"の高さが感じられ、入手不可能に近い本を取り上げるのは気が引けるがとしつつ、マルセル・シュオブ「架空の伝記」を取り上げていて(話の中身は面白そう)、ジョン・オーブリーの「名士小伝」もそうだし、海外の作家で2回登場するのがイーヴリン・ウォーだったりします(日本の作家で2回登場するのは、この人の場合、やはり吉田健一)。

 一方で、そうした外国作品の中にジェフリー・アーチャーの『めざせダウニング街10番地』なんてのがあるのがちょっと意外で(日本の作品の中にも、宮部みゆきの『火車』があり、映画「太陽がいっぱい」と結末が似ているとしている)、読者を意識してと言うより、本人が本当に読むことを満喫しているのが伝わってきます。

 自殺した作家を原則認めないとしながらも、太宰治、三島由紀夫、川端康成は別格みたいで、よく知られている作品でも、作家の読み方はやはり奥が深いなあと思わされる面が随所にありました。
 一方で、カミュの『異邦人』の読み方などには、自分と相容れないものがありました。
 
 別々の雑誌の連載の合本であるためか、1作品について10ページ以上にわたり解説されているものもあれば3ページ足らずで終わっているものもあり、あれ、これで終わり? もっと読みたかった、みたいな印象も所々で。
 (単行本には、どちらの雑誌に掲載されたものか典拠が無いのが、やや不親切。結果的に追悼出版となり、刊行を急いだ?)

 【2008年文庫化[講談社文庫]】

《読書MEMO》
●紹介されている本
夏目漱石『夢十夜』
森鴎外『灰燼・かのように』
岡本綺堂『半七捕物帳』
谷崎潤一郎『鍵・瘋癲老人日記』
内田百閒『冥途・旅順入城式』
上田秋成「雨月物語」「春雨物語」
中島敦『山月記・李陵』
宮部みゆき『火車』
杉浦日向子『百物語』
蒲松齢『聊斎志異』
蘇東坡『蘇東坡詩選』
トーマス・マン『魔の山』
フランツ・カフカ『カフカ短篇集』
ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』『シルトの岸辺』
カミュ『異邦人』
ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』
ジュリアン・グリーン『アドリエンヌ・ムジュラ』
マルセル・シュオブ「架空の伝記」
ジョン・オーブリー「名士小伝」
サマセット・モーム『コスモポリタンズ』
ラヴゼイ『偽のデュー警部』
ジェーン・オースティン『高慢と偏見』
サキ『サキ傑作集』
パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』
イーヴリン・ウォー「ピンフォールドの試練」
ジェフリー・アーチャー『めざせダウニング街10番地』
ロバート・ゴダード『リオノーラの肖像』
イーヴリン・ウォー『ブライツヘッドふたたび』
壺井栄『二十四の瞳』
川端康成『山の音』
太宰治『ヴィヨンの妻』
吉田健一『怪奇な話』
福永武彦『海市』
三島由紀夫『真夏の死』
北杜夫『楡家の人びと』
澁澤龍彦『高丘親王航海記』
吉田健一『金沢』

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 「素直」に「深く」読む。ジュニアに限らず大人が読んでも再発見のある本。

『心と響き合う読書案内』.jpg心と響き合う読書案内.jpg Panasonic Melodious Library.jpg
心と響き合う読書案内 (PHP新書)』['09年]

Panasonic Melodious Libraryド.jpg '07年7月にTOKYO FMでスタートした未来に残したい文学遺産を紹介するラジオ番組『Panasonic Melodious Library』で、「この番組は文学的な喜びの共有の場になってくれるのではないだろうか」と考えパーソナリティを務めた著者が、その内容を本にしたものですが、文章がよく練れていて、最近巷に見られるブログをそのまま本にしたような類の使い回し感、焼き直し感はありません。

 著者については、芥川賞受賞作がイマイチ自分の肌に合わず、他の作品を読まずにいたのが、たまたま『博士の愛した数式』を読み、ああ旨いなあと感服、その後も面白い作品を書き続けていると思っていましたが、本書に関して言えば、とり上げている作品は「著者らしい」というか、「いまさら」みたいな作品も結構あるような気がしました。

 しかし実際読んでみると、優れた書き手は優れた読み手でもあることを実証するような内容で、評価の定まった作品が多いので、何か独自の解釈でも連ねるのかなと思ったら、むしろ素直に自らも感動しながら読み、また楽しんで読んでいるという感じがし、その感動や面白さを読者に易しい言葉で伝えようとしているのがわかります。

 むしろ「解釈」を人に伝えるより、「感動」や「面白さ」を人に伝える方が難しいかも。その点、著者は、作品の要(かなめ)となる部分を限られた紙数の中でピンポイントで抽出し、そこに作品全体を読み解く鍵があることを、著者なりに明かしてみせてくれています(作家だから当然かも知れないが、文章がホントに上手!)。

 作品の読み方が評論家っぽくなく「素直」で、それでいて、味わい方の奥が「深い」とでも言うか、冒頭の金子みすゞの『わたしと小鳥とすずと』(これ、教育テレビの子ども向け番組「日本語で遊ぼう」でよく紹介されているものだが)の読み解きからしてそのような印象を抱き、「心に響く」ではなく、「心と響きあう」読書案内であるというのはわかる気がします。

 こんな人が国語の先生だったら、かなりの生徒が読書好きになるのではないかと思いましたが、ジュニアに限らず大人が読んでも再発見のある本ではないかと。

《読書MEMO》
●第一章 春の読書案内 ... 『わたしと小鳥とすずと』/『ながい旅』(大岡昇平)/『蛇を踏む』/「檸檬」/『ラマン』/『秘密の花園』/「片腕」(川端康成)/『窓ぎわのトットちゃん』/『木を植えた男』(ジャン・ジオノ)/『銀の匙』/『流れる星は生きている』/「羅生門」/「山月記

蛇を踏む.jpg 檸檬.jpg 片腕.jpg 銀の匙.jpg 羅生門・鼻 新潮文庫.jpg 李陵・山月記.jpg

●第二章 夏の読書案内 ... 『変身』/『父の帽子』(森茉莉)/『モモ』/『風の歌を聴け』/『家守綺譚』(梨木香歩)/『こころ』/『銀河鉄道の夜』/「バナナフィッシュにうってつけの日」/『はつ恋』/『阿房列車』/『昆虫記』(ファーブル)/『アンネの日記』/『悲しみよ こんにちは

変身.jpg 銀河鉄道の夜 童話集 他十四編.jpg 悲しみよこんにちは 新潮文庫.jpg

●第三章 秋の読書案内 ... 「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子)/『星の王子さま』/『日の名残り』/『ダーシェンカ』/『うたかたの日々』/「走れメロス」/「おくのほそ道」/『錦繍』/「園遊会」(マンスフィールド)/『朗読者』/『死の棘』/「たけくらべ」/『思い出トランプ

日の名残り (中公文庫) _.jpg 錦繍 bunnko .jpg 朗読者 新潮文庫.jpg にごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpg 思い出トランプ.jpg 

●第四章 冬の読書案内 ... 『グレート・ギャツビー』/『冬の犬』(アリステア・マクラウド)/「賢者の贈りもの」(O・ヘンリ)/『あるクリスマス』(トルーマン・カポーティ)/『万葉集』/『和宮様御留』(有吉佐和子)/「十九歳の地図」/『車輪の下』/『夜と霧』/『枕草子』/『チョコレート工場の秘密』/『富士日記』/『100万回生きたねこ』

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー).jpg 十九歳の地図.jpg チョコレート工場の秘密 yanase.jpg 富士日記 上巻.jpg
以上

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 本を選んだのは新潮社。さらっと読める分物足りなさもありるが、個人的には楽しめた。

I『新潮文庫 20世紀の100冊』.jpg新潮文庫 20世紀の100冊.jpg 新潮文庫 20世紀の100冊 2.jpg
新潮文庫20世紀の100冊 (新潮新書)』 ['09年]

新潮文庫 20世紀の100冊     .jpg 新潮社が2000年に、20世紀を代表する作品を各年1冊ずつ合計100冊選んだキャンペーンで、著者がそれに「解説」をしたものとのことですが、著者の前書きによれば、「100冊の選択におおむね異論はなかった。しかし素直にはうなずきにくいものもないではなかったし、読むにあたって苦労した作品もあった」とのこと。

 1冊1冊の著者による解説は実質10行足らずであるため、さらっと読める分物足りなさを感じる面もありますが、全体としてはよく吟味された文章と言えるのではないかと思われ、十分に(そこそこに?)楽しめました。

 個人的には、三島由紀夫の『春の雪』(1970年)の「人生のすべてをパンクチュアルに生きた人が、最後に破った約束」などは、内容に呼応した見出しのつけ方が旨いなあと。

 但し、前半・中盤・後半に分けるならば、とりわけ、前半部分の20世紀初頭の近代文学作品の解説が、作品の書かれた背景や他の同時代の作家との相関において、その作品の歴史的位置付けを象徴するような要素をピンポイントで拾っていて、文学史の潮流を俯瞰でき、作家の個人史に纏わる薀蓄などもあって、より楽しめました(著者の得意な時代ジャンルということもあるのか)。

 また、著者自身、これら100冊を「鑑賞」しようとはせず、むしろ「歴史」を読み取ろうとしたと述べているように、こうして様々な作風の作家の作品を暦年で並べて時代背景と照らしながら見ていくことには、それなりの意義があるように思えました(時折、海外の作品が入るのも悪くない)。

 でも最後の方(特に最後の10年ぐらい)になると、例えば「1993年は『とかげ』(吉本ばなな)の年、そういうことにしよう」とあるように、ちょっと評し切れないと言うか(選んだのは著者ではなく新潮社、2000年1月から毎月10冊ずつこの100冊を刊行する上での商業的思惑もあった?)、「歴史」に"定位"するスタイルでは論じ切れなくなっている感じもし、著者のこの作業が2000年に行われたことを考えれば、その点は無理もないことかも。

 「100冊」と言うより「100人」とみて読んだ方がすんなり受け容れられる面もあるかと思われますが、亡くなって年月を経た作家は、彼(彼女)の生き方はこうだった、みたいに言い切れるけれど、生きている作家については、そうした言い切りがしくいというのもあるしなあ。

企画タイアップカバー例
新潮文庫 20世紀の100冊 miadregami.jpg 1927年 河童 芥川龍之介.jpg 1931年 夜間飛行 サン=テグジュペリ.jpg 新潮文庫 20世紀の100冊 tennyawannay.jpg 新潮文庫 異邦人.jpg

《読書MEMO》
●取り上げている本
1901年 みだれ髪 与謝野晶子
1902年 クオーレ エドモンド・デ・アミーチス
ヴェ二スに死す 文庫新潮.jpg1903年 トニオ・クレーゲル トーマス・マン
1904年 桜の園 アントン・チェーホフ
1905年 吾輩は猫である 夏目漱石
1906年 車輪の下 ヘルマン・ヘッセ
1907年 婦系図 泉鏡花
1908年 あめりか物語 永井荷風
1909年 ヰタ・セクスアリス 森鴎外
刺青・秘密 (新潮文庫).jpg1910年 刺青 谷崎潤一郎

1911年 お目出たき人 武者小路実篤
1912年 悲しき玩具 石川啄木
1913年 赤光 斎藤茂吉
1914年 道程 高村光太郎
1915年 あらくれ 徳田秋声
1916年 精神分析入門 ジークムント・フロイト
和解.bmp1917年 和解 志賀直哉
1918年 田園の憂鬱 佐藤春夫
『月と六ペンス』(中野 訳).jpg1919年 月と六ペンス サマセット・モーム
1920年 惜みなく愛は奪う 有島武郎

小川未明童話集.jpg1921年 赤いろうそくと人魚 小川未明
1922年 荒地 T・S・エリオット
1923年 山椒魚 井伏鱒二
1924年 注文の多い料理店 宮沢賢治
檸檬.jpg1925年 檸檬 梶井基次郎
日はまた昇る (新潮文庫).bmp1926年 日はまた昇る アーネスト・ヘミングウェイ
河童・或阿呆の一生.jpg1927年 河童 芥川龍之介
『新版 放浪記』.jpg1928年 放浪記 林芙美子
1929年 夜明け前 島崎藤村
1930年 測量船 三好達治

夜間飛行 文庫 新.jpg1931年 夜間飛行 サン=テグジュペリ
八月の光.jpg1932年 八月の光 ウィリアム・フォークナー
1933年 人生劇場 尾崎士郎
1934年 詩集 山羊の歌 中原中也
1935年 雪国 川端康成
風と共に去りぬ パンフⅠ2.JPG1936年 風と共に去りぬ マーガレット・ミッチェル
1937年 若い人 石坂洋次郎
1938年 麦と兵隊 火野葦平
怒りの葡萄 ポスター.jpg1939年 怒りの葡萄 ジョン・スタインベック
1940年 夫婦善哉 決定版 新潮文庫.jpg夫婦善哉 織田作之助

1941年 人生論ノート 三木清
1942年 無常という事 小林秀雄
李陵・山月記.jpg1943年 李陵 中島敦
1944年 津軽 太宰治
1945年 夏の花 原民喜
坂口 安吾 『堕落論』2.jpg1946年 堕落論 坂口安吾
1947年 ビルマの竪琴 竹山道雄
俘虜記.jpg1948年 俘虜記 大岡昇平
1949年 てんやわんや 獅子文六
1950年 チャタレイ夫人の恋人 D・H・ローレンス

異邦人 1984.jpg1951年 異邦人 アルベール・カミュ
二十四の瞳 dvd.jpg1952年 二十四の瞳 壺井栄
1953年 幽霊 北杜夫
1954年 樅ノ木は残った 山本周五郎
太陽の季節 (新潮文庫) (2).jpg1955年 太陽の季節 石原慎太郎
楢山節考 洋2.jpg1956年 楢山節考 深沢七郎
1957年 死者の奢り 大江健三郎
松本 清張 『点と線』 新潮文庫.jpg1958年 点と線 松本清張
1959年 海辺の光景 安岡章太郎
1960年 忍ぶ川 三浦哲郎

1961年 フラニーとゾーイー サリンジャー
砂の女(新潮文庫)2.jpg1962年 砂の女 安部公房
飢餓海峡(下) (新潮文庫).jpg飢餓海峡(上) (新潮文庫).jpg1963年 飢餓海峡 水上勉
1964年 沈黙の春 レイチェル・カーソン
1965年 国盗り物語 司馬遼太郎
沈黙 遠藤周作 新潮文庫.jpg1966年 沈黙 遠藤周作
アメリカひじき・火垂るの墓1.jpg1967年 火垂るの墓 野坂昭如
1968年 輝ける闇 開高健
1969年 孤高の人 新田次郎
奔馬.jpg春の雪.jpg1970年 豊饒の海 三島由紀夫

1971年 未来いそっぷ 星新一
1972年 恍惚の人 有吉佐和子
辻斬り.jpg1973年 剣客商売 池波正太郎
1974年 おれに関する噂 筒井康隆
1975年 火宅の人 檀一雄
1976年 戒厳令の夜 五木寛之
蛍川・泥の河 (新潮文庫) 0.jpg1977年 泥の河 宮本輝
1978年 ガープの世界 ジョン・アーヴィング
1979年 さらば国分寺書店のオババ 椎名誠
1980年 二つの祖国 山崎豊子

1981年 吉里吉里人 井上ひさし
1982年 スタンド・バイ・ミー スティーヴン・キング
破獄  吉村昭.jpg1983年 破獄 吉村昭
1984年 愛のごとく 渡辺淳一
1985年 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹
1986年 深夜特急 沢木耕太郎
1987年 本所しぐれ町物語 藤沢周平
1988年 ひざまずいて足をお舐め 山田詠美
1989年 孔子 井上靖
1990年 黄金を抱いて翔べ 高村薫

1991年 きらきらひかる 江國香織
火車.jpg1992年 火車 宮部みゆき
1993年 とかげ よしもとばなな
1994年 晏子 宮城谷昌光
1995年 黄落 佐江衆一
1996年 複雑系 M・ミッチェル・ワールドロップ
1997年 海峡の光 辻仁成
1998年 宿命 高沢皓司
1999年 ハンニバル トマス・ハリス
朗読者 新潮文庫.jpg2000年 朗読者 ベルンハント・シュリンク

 
 
 
  
       

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文学者の眼から見たサルトル像、小説・戯曲への手引。ボーヴォワールを嫉妬に狂わせたサルトル。
「サルトル」入門 (講談社現代新書)2_.jpgサルトル入門.JPG「「サルトル」入門5.JPG「サルトル」入門 (1966年) (講談社現代新書)』 

 '07年から'08年にかけて松浪信三郎訳の『存在と無』がちくま文庫(全3冊)に収められたかと思ったら、'09年には岩波文庫で『自由への道』の刊行が始まり、こちらは全6冊に及ぶと言うサルトル-まだ読む人がいるのだなあという思いも。
    
白井浩司.jpg 著者の白井浩司(1917-2004)はサルトル研究の第一人者として知られたフランス文学者で、サルトルの『嘔吐』『汚れた手』などの翻訳も手掛けており、本書は、文学者・実存主義者・反戦運動の指導者など多様な活動をしたサルトルの人間像を捉えたものであるとのことですが、とりわけ、その小説や戯曲を分り易く解説しているように思いました。

サルトルとボヴォワール(来日時)
サルトルとボーボワール.jpg 文学者の眼から見たサルトル像、サルトルの小説や戯曲への手引書であると言え(とりわけ『嘔吐』の主人公ロカンタンが感じた〈吐き気〉などについては、詳しく解説されている。片や『存在と無』などの解説が物足りなさを感じるのは、著者がやはり文学者だからか)、その一方で、彼の生い立ちや人となり(これがなかなか興味深い)、ボーヴォワールをはじめ多くの同時代人との交友やカミュなどとの論争についても書かれています。

 彼は20代後半から30代前半にかけての長い修業時代に、まず、セリーヌの『夜の果ての旅』を読み、その文章に衝撃を受けて、その後いろいろな作家の作品を読み漁っていますが、カフカとフォークナーに特に共感したとのこと、また、映画を文学と同等に評価していて、カウボーイや探偵の活躍する娯楽映画も好きだったそうです(サルトルは映画狂だとボーヴォワールは書いている)。

 彼の政治的な活動をも追う一方で、私生活についてもその恋愛観を含め書かれており、サルトルとボーヴォワールの2人の愛は有名ですが、サルトルはボーヴォワールと知り合った20代前半にはボーヴォワールに対してよりも年上の美女カミーユに恋をしており、また、ボーヴォワールと既に深い関係にあった30歳の頃には、3歳年下のボーヴォワールを差し置いて、12歳年下のオルガという少女に夢中になり、ボーヴォワールを嫉妬に狂わせたとのこと、そうこうしながら同時に『嘔吐』の原案も練っていたりして、ホント、精力的だなあと。

 60歳の時に「プレイボーイ」誌のインタヴューに答えて、「男性とよりも、女性と一緒にいる方が好き」で、それは「奴隷でもあり共犯者でもある女性の境遇からくる、女性の感受性、優雅さ、敏感さにひかれるからで」あると答えていますが、彼の恋愛観は一般には受け入れられていないと著者は書いています。

聖ジュネ(文庫)下.jpg聖ジュネ(文庫)上.jpg また、戦後も『聖ジュネ』などの文学評論の大作を発表しているものの、小説を書かなくなったのは、彼が政治に深入りしすぎたためであると書いており、この辺りは著者の見方が入っているように思えます。
 確かに、本書の冒頭には、「20億の飢えた人が地球上にいる現在、文学に専念するのは自分を欺くことだ」という'64年の記者会見での談話が紹介されてはいますが(同じ年、ノーベル文学賞を辞退している)。

 本書の初版が刊行された年にサルトルは初来日していて、各地での講演会は立錐の余地もないほどの盛況だったとのこと(そういう時代だったのだなあ)、一方、ホテルについた彼が最初にやったことは、老いた母親に無事着いたことを打電することだったそうで、彼のこうした行為や壮年になっても続いた女性遍歴は、父親を早くに亡くしたこととと関係があるのではないかと、個人的には思った次第です(彼には父親の記憶が無かった)。

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初読では中だるみ感があったが、映画を観てもう一度読み返してみたら、無駄の無い傑作だった。
グレート・ギャツビー.jpg グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) 和田誠.jpg グレート・ギャツビー 野崎訳.jpgグレート・ギャツビー 新潮文庫2.jpg 翻訳夜話.jpg
愛蔵版グレート・ギャツビー』 『グレート・ギャツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)』(新書)/『グレート・ギャツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)』(新書)(以上、装幀・カバーイラスト:和田 誠)/『グレート・ギャツビー (新潮文庫)』(野崎孝:訳)/村上 春樹・柴田 元幸『翻訳夜話 (文春新書)
First edition cover (1925)
The Great Gatsby.jpg 1920年代初頭、米国中西部出身のニック・キャラウェイは、戦争に従軍したのち故郷へ帰るも孤独感に苛まれ、証券会社でフランシス・スコット・フィッツジェラルド.jpg働くためにニューヨーク郊外ロング・アイランドにある高級住宅地ウェスト・エッグへと引っ越してくるが、隣の大邸宅では日々豪華なパーティが開かれていて、その庭園には華麗な装いの男女が夜毎に集まっており、彼は否応無くその屋敷の主ジェイ・ギャツビーという人物に興味を抱くが、ある日、そのギャツビー氏にパーティに招かれる。ニックがパーティに出てみると、参加者の殆どがギャツビーについて正確なことを知らず、ニックには主催者のギャツビーがパーティの場のどこにいるかさえわからない、しかし、たまたま自分の隣にいた青年が実は―。

The Great Gatsby: The Graphic Novel(2020)
The Great Gatsb The Graphic Novel.jpg 1925年に出版された米国の作家フランシス・スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald、1896‐1940/享年44)の超有名作品ですが(原題:The Great Gatsby)、上記のようなところから、ニックとギャツビーの交遊が始まるという初めの方の展開が単純に面白かったです。

 しかし、この小説、初読の際は中間部分は今一つ波に乗れなかったというか、自分が最初に読んだのは野崎孝(1917‐1995)訳『偉大なるギャツビー』でしたが、今回、翻訳のリズムがいいと評判の村上春樹氏の訳を読んで、それでもやや中だるみ感があったかなあと(金持ち同士の恋の鞘当てみたいな話が続き、その俗っぽさがこの作品の持つ1つの批判的テーマであると言えるのだが...)。ただし、ギャツビーという人物の来歴と、彼の自らの心の空洞を埋めようとするための壮大な計画が明かされていく過程は、やはり面白いなあと―。そしてラスト、畳み掛けるようなカタストロフィ―と、小説としての体裁もきっちりしていることはきっちりしていると思いました。更に、最近リアルタイムでは観られなかったジャック・クレイトン監督、ロバート・レッドフォー華麗なるギャツビー 1974 dvd.jpg華麗なるギャツビー 1974.jpgド主演の映画化作品「華麗なるギャツビー」('74年/米)をテレビで観る機会があって、その上でもう一度、野崎訳及び村上訳を読み返してみると、起きているごたごたの全部が終盤への伏線となっていたことが再認識でき、村上春樹氏が「過不足のない要を得た人物描写、ところどころに現れる深い内省、ヴィジュアルで生々しい動感、良質なセンチメンタリズムと、どれをとっても古典と呼ぶにふさわしい優れた作品となっている」と絶賛しているのが分かる気がしました。
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 ギャツビーにはモデルがいるそうですが、ニックとギャツビーのそれぞれがフィッツジェラルドの分身であり(ついでに言えば、妻に浮気されるトム・ブキャナンも)、そしてフィッツジェラルド自身が美人妻ゼルダ(後に発狂する)と高級住宅地に住まいを借りてパーティ漬けの派手な暮らしをしながら、やがて才能を枯渇させてしまうという、華々しさとその後の凋落ぶりも含めギャツビーと重なるのが興味深いですが、これはむしろ小説の外の話で、ニックの眼から見た"ギャツビー"の描写は、こうした実生活での作者自身との相似に反して極めて冷静な筆致で描かれていると言ってよいでしょう。

『グレート・ギャツビー』 (2006).JPG村上春樹 09.jpg 新訳というのは大体読みやすいものですが、村上訳は、ギャツビーがニックを呼ぶ際の「親友」という言葉を「オールド・スポート」とそのまま訳したりしていて(訳していることにならない?)、日本語でしっくりくる言葉がなければ、無理して訳さないということみたいです(柴田元幸氏との対談『翻訳夜話』('00年/文春新書)でもそうした"ポリシー"が語られていた)。ただし、個人的には、「オールド・スポート」を敢えて「親友」と訳さなかったことは、うまく作用しているように思いました(映画を観るとギャツビーは「オールド・スポート」と言う言葉を様々な局面で使っていて、その意味合いがそれぞれ違っていることが分かる。それらを日本語に訳してしまうと、同じ言葉を使い分けているということが今度は分からなくなる)。

『グレート・ギャツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)』(2006)(装幀・カバーイラスト:和田 誠

グレート・ギャツビー』1.JPG そうした意味では、タイトルを『グレート・ギャツビー』としたこともまた村上氏らしいと思いました。ただし、野崎孝訳も'89年の「新潮文庫」改訂時に『グレート・ギャツビー』に改題していて、故・野崎孝氏に言わせれば、フィッツジェラルドは、親から受け継いだ資産の上に安住している金持ち階級を嫌悪し(作中のブキャナン夫妻がその典型)、自らの才覚と努力によって財を成した金持ち(ギャツビーがこれに該当)には好意と尊敬の念を抱いていたとのこと('74年版「新潮文庫」解説)。だから、"グレート"という言葉には敬意も込められていると見るべきなのでしょう。
   
日はまた昇る.jpg 村上氏はこの作品を"生涯の1冊"に挙げており、同じ"ロスト・ジェネレーション"の作家ヘミングウェイ『日はまた昇る』(この作品とシチュエーションが似ている面がある)より上に置いていますが、個人的には『日はまた昇る』も傑作であると思翻訳夜話2.jpgっており、どちらが上かは決めかねます。 

 因みに、先に挙げた『翻訳夜話』は、柴田氏と村上氏が、東京大学の柴田教室と翻訳学校の生徒、さらに6人の中堅翻訳家という、それぞれ異なる聴衆に向けて行った3回のフォーラム対談の記録で、村上氏は翻訳に際して「大事なのは偏見のある愛情」であると言い、柴田氏は「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と言っています。レイモンド・カーバーとポール・オースターの短編小説を二人がそれぞれ「競訳」したものが掲載されていて、カーバーの方は村上氏の方が訳文が長めになり、オースターの方は柴田氏の方が長めになっているのが、両者のそれぞれの作家に対する思い入れの度合いを反映しているようで興味深かったです。

「グレート・ギャツビー」人物相関.jpg

0華麗なるギャツビー レッドフォード.jpg(●2013年にバズ・ラーマン監督、レオナルド・ディカプリオ主演で再映画化された。1974年のジャック・クレイトン監督のロバート・レッドフォード、ミア・ファロー版は、当初はスティーブ・マックィーン、アリ・マックグロー主演で計画されていて、それがこの二人に落ち着いたのだが、村上春樹氏などは「落ち着きが悪い」としていた(ただし、フランシス・フォード・コッポラの脚本を評価していた)。個人的には、デイジー役のミア・ファローは登場するなり心身症的なイメージで、一方、ロバート・レッドフォードは健全すぎたのでアンバランスに感じた。レオナルド・ディカプリオ版におけるディカプリオの方が主人公のイメージに合っていたが(ディカプリオが家系0華麗なるギャツビー  ディカプリオ .jpg的に4分の3ドイツ系であるというのもあるか)、キャリー・マリガン演じるデイジーが、完全にギャツビーを取り巻く俗人たちの1人として埋没していた。セットや衣装はレッドフォード版の方がお金をかけていた。ディカプリオ版も金はかけていたが、CGできらびやかさを出そうとしたりしていて、それが華やかと言うより騒々しい感じがした。目まぐるしく移り変わる映像は、バズ・ラーマン監督の「ムーラン・ルージュ」('01年)あたりからの手法だろう。ディカプリオだから何とか持っているが、「ムーラン・ルージュ」ではユアン・マクレガーもニコール・キッドマンもセット(CG含む)の中に埋もれていた。)

華麗なるギャツビー r2.jpg 華麗なるギャツビー d2.jpg

華麗なるギャツビー dvd.jpg
   
グレート・ギャツビー (愛蔵版).jpgグレート・ギャツビー 村上春樹翻訳ライブラリー2.jpg【1957年文庫化[角川文庫(大貫三郎訳『華麗なるギャツビー』)]/1974年再文庫化[早川文庫(橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』)]/1974年再文庫化[新潮文庫(野崎孝訳『偉大なるギャツビー』)・1989年改版(野崎孝訳『グレート・ギャツビー』)]/1978年再文庫化[旺文社文庫(橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』)]/1978年再文庫化[集英社文庫(野崎孝訳『偉大なギャツビー』]/2006年新書化[中央公論新社・村上春樹翻訳ライブラリー(『グレート・ギャツビー』]/2009年再文庫化[光文社古典新訳文庫(小川高義訳『グレート・ギャツビー』)】[左]『愛蔵版グレート・ギャツビー』(2006/11 中央公論新社)/[右]『グレート・ギャツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)』(2006/11 中央公論新社)(共に装幀・カバーイラスト:和田 誠


新潮文庫(野崎孝訳)映画タイアップ・カバー(レッドフォード版)
グレート・ギャツビー 新潮文庫im.jpg華麗なるギャツビー 1974  .jpg「華麗なるギャツビー」●原題:THE GREAT GATSBY●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督:ジャック・クレイトン●製作:オデヴィッド・メリック●脚本:フランシス・フォード・コッポラ●撮影:ダグラス・スローカム●音楽:ネルソン・リドル●原作:スコット・フィッツジェラルド●時間:144分●出演:ロバート・レッドフォード/ミア・ファロー/ブルース・ダーン/ サム・ウォーターストン/スコット・ウィルソン/ カレン・ブラック/ロイス・チャイルズ/パッツィ・ケンジット/ハワード・ダ・シルバ/ロバーツ・ブロッサム/キャスリン・リー・スコット●日本公開:1974/08●配給:パラマウント映画(評価:★★★☆)

新潮文庫(野崎孝訳)映画タイアップ・カバー(ディカプリオ版)
グレート・ギャツビー 新潮文庫2.jpg華麗なるギャツビー d1.jpg「華麗なるギャツビー」●原題:THE GREAT GATSBY●制作年:2013年●制作国:アメリカ●監督:バズ・ラーマン●製作:ダグラス・ウィック/バズ・ラーマン/ルーシー・フィッシャー/キャサリン・ナップマン/キャサリン・マーティン●脚本:バズ・ラーマン/クレイグ・ピアース●撮影:サイモン・ダガン●音楽:クレイグ・アームストロング●原作:スコット・フィッツジェラルド●時間華麗なるギャツビー 2013 _1.jpg:143分●出演:レオナルド・ディカプリオ/トビー・マグワイア/キャリー・マリガン/ジョエル・エドガートン/アイラ・フィッシャー/ジェイソン・クラーク/エリザベス・デビッキ/ジャック・トンプソン/アミターブ・バッチャン●日本公開:2013/06●配給:ワーナー・ブラザース(評価:★★★)

「華麗なるギャツビー」d版.jpg
  

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「平安朝後宮生活」のガイドブック。著者の清少納言に対する評価は高いように思えた。

平安朝の生活と文学 (ちくま学芸文庫).jpg平安朝の生活と文学.jpg  池田亀鑑.jpg  池田亀鑑(いけだ きかん、1896‐1956/享年60)
平安朝の生活と文学 (角川文庫 白 132-1)』 ['64年/角川文庫]
平安朝の生活と文学 (ちくま学芸文庫)['12年/ちくま学芸文庫]

 国文学者・池田亀鑑は平安朝文学の大家であったことで知られますが、東大の助教授から教授になるまでに21年かかり、58歳でやっと東大教授になったものの、その翌年亡くなっています。
 その間に立教大学の教授なども務めた時期もありましたが、文献学から入り、古典文学の脚注や現代語訳に携わる時間があまりに長かったためか(『源氏物語』『枕草子』などは個人で完訳している)、または考え方そのものが当初は傍系だったのか、母校の正教授になる時期が遅れた理由はよく判りません。

 本書は、平安朝文学の母体となった後宮生活の実態を、『源氏物語』『枕草子』などの当代作品を素材として概説したもので、「平安朝後宮生活」のガイドブックのようなものです。
 著者の没後に刊行された角川文庫版の定本となっているのは、'52(昭和27)年に河出書房の市民文庫の1冊として出されたもので、当時まだ、こうした後宮生活全般について書かれた本は世に無かったようです。

 平安京の様子、後宮の制度、女性の官位と殿舎、宮廷行事から公家たちの生活ぶりや、女性の一生がどのようなものであったか、服装美・容姿美・教養に対する考え方、生活と娯楽、医療・葬送・信仰まで、幅広く解説されていて、大家がこうした"概説書"を丁寧に書いているという点で、古典文学愛好家の間での評価は高いようです。
                                  
色好みの構造 ― 王朝文化の深層.jpg 最近、中村真一郎『色好みの構造』('85年/岩波新書)を面白く読みましたが、こうした本を読むにしても、平安朝の古典を読むにしても、一応、背景となる後宮生活の実態をある程度知っておいて損はないと思います。
 後宮生活に入る女性の動機が立身出世だったのに対し、清少納言のそれは「教養を高めるため」だったとか、興味深い記述がありましたが、全体としては、比較的地味な"概説書"で、結婚制度や妊娠・出産などについても書かれています。
 但し、「恋愛」とか「性愛」といったことには殆ど触れられておらず、意識的に"概説書"の域に留まることを旨として書かれているようです。

中村真一郎 『色好みの構造―王朝文化の深層 (岩波新書 黄版 319)

池田亀鑑 「枕草子」.jpg それでも専門家的立場からの私見が所々見られ、当時の後宮の女性は、やはり愛する人の正室となり添い遂げるごとが本望だったというのは、中村真一郎の『色好みの構造』の展開とは異なるものです。
 中村真一郎の池田亀鑑に対する評価がどうであるのかは判りませんが、作家によって書かれた『色好みの構造』も面白いけれども、むしろこちらの方が説得力あるようにも思えなくもないです。

 『色好みの構造』の中で、紫式部が、和泉式部は古典的教養にも理論的知識にも欠けるから、本物の歌人とは言えないだろうが「口から自然と歌が生まれてくる」タイプと評していることが紹介されていますが(部分的には"天然の才"を評価していることになる?)、本書では、紫式部は清少納言のことを「生学問」をふりかざす女と見ていたとあります(全面批判?)。
 しかし、紫式部から清少納言に贈られた歌への清少納言の返歌から、彼女が機知と教養を兼備していた女性であったことを、著者は推察しています(この辺り、著者は清少納言を高く評価しているように思える)。

      池田 亀鑑 『枕草子 (1955年) (アテネ文庫―古典解説シリーズ〈第14〉)』 弘文堂

【2012年文庫化[ちくま学芸文庫]】

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「色好み」を自ら体現したのは紫式部よりも清少納言、更にその上をいった和泉式部。

色好みの構造―王朝文化の深層.jpg 色好みの構造 ― 王朝文化の深層.jpg      中村真一郎.jpg 中村真一郎 (1918-1997/享年79)
色好みの構造―王朝文化の深層 (岩波新書 黄版 319)』['85年]

色好みの構造4.JPG タイトルからくるイメージとは異なり、かなりカッチリした内容の王朝文化論―、ではあるけれども、テーマが「色好み」であるだけに面白く読めました。
 
 著者によれば、平安朝における「色好み」という愛の形(性的習慣)は、今日から見ると、ほとんど特異で非常識なものであり、それは平安朝の生んだ愛の理想形であるとのことで、例えば、男が1人の女だけを盲目的に愛するのは、一種の病人でありモノマニアとして見られたとのこと。

 日本人の美意識は平安朝において完成し、以降は解体期であるとの見通しを著者は持っていて、平安朝の美意識を頂点とすれば、近世の「つきづきし」などもそのバリエーションに過ぎず、その美意識と不可分の関係にある「色好み」という"文明理想"は日本の伝統の根に潜み、今日でも我々の観念生活の中に残存しているかも知れないとのこと。

 しかし、「色好み」の頂点とされる『源氏物語』などの平安王朝文学を今日読み説くにあたっては、以降の儒教思想の影響、本居宣長の道徳的自然主義や明治期の日本的自然主義の影響などを経て、常に倫理観的なバイアスがかかったものにならざるを得なかったのではないかと。

 典型例が、光源氏が多数の女性に惹かれたのは「人間的弱さ」からであり、本来は1人の女性に対し貞節を守るべきだが、人間とは欲望に弱いものであり...とか、彼は1人1人の女性に対しては誠実だった...とかいったものですが、近代的感覚によって、光源氏の「色好み」の生活を現代の倫理観に調和させるのは無理があるというのが著者の主張です。

 著者によれば、平安期において「色好み」は隠しておきたい欠陥ではなく、1つの文明的価値であり美徳であったと。
 『源氏物語』の登場人物には実在のモデルが多くいて、それは当時週刊誌のように廻し読みされる「スキャンダル集」だったが、読者男女は、次は自分たちの秘事が暴かれるのではないか、この物語のモデルとなる名誉に浴したいものだ、という期待のもとに、新巻を待ち焦がれていたというのです。

 しかし、『紫式部日記』から察せられる紫式部自身の恋愛観は典型的な「色好み」とは言えず、むしろ、それを体現していたのは『枕草子』の清少納言だったというのが大変面白い指摘で、清少納言は相当な"発展家"だったみたい(作品においても、『枕草子』の「おかし」は『源氏物語』の「あわれ」よりも知的遊戯性の度合いが高いと著者は見る)。

 更にその上をいく「色好み」の女流は、『和泉式部日記』の和泉式部で、紫式部より遥かに気安く男性と付き合い、それを平然と人に見せびらかすとともに、清少納言のように色事の風情を楽しむだけでなく、いちいち相手に深入りし、情熱の燃え上がりを見せるというタイプだったらしいです。

 因みに、「色好み」の要件の第1は和歌の才能で、いかに優れた(凝った)恋歌が詠めるかということのようなので、ただ好色なだけではダメみたい。

  
 【2005年アンコール復刊[岩波新書]】

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ディベート方式の「歌合わせ」で、短歌の愉しみや特性がわかる。

短歌パラダイス.jpg 『短歌パラダイス―歌合二十四番勝負 (岩波新書)』 ['97年]小林 恭二.jpg 小林恭二 氏 (作家)

俳句という遊び―句会の空間.jpg俳句という愉しみ.jpg 楽しい句会記録『俳句という遊び』、『俳句という愉しみ』(共に岩波新書)の著者が、今度は、ベテランから若手まで20人の歌人を集めて短歌会を催した、その際の記録ですが、そのやり方が、室町時代を最後に今では一般には行われていない「歌合」の古式に倣ったものということです。歌合わせ自体がどのように行われ、どのようなバリエーションがあったのか詳細の全てが明らかではないらしいですが、本書でのスタイルは、ちょっと「ディベート」に似ていて面白かったです。

 『俳句という遊び―句会の空間 (岩波新書)』['91年] 『俳句という愉しみ―句会の醍醐味 (岩波新書)』['95年]

 2つのチームに分かれ、テーマ毎に詠まれた短歌の優劣を1対1で競い合うのですが、チーム内を、自ら歌を作って俎上に乗せる「方人(かたうど)」と、歌は出さずに弁護に回る「念人(おもいびと)」に分け、本来のプレーヤーである「方人」は批評には参加できず、一方、弁護人である「念人」は自分では歌を作らず、個人的に敵味方の歌をどう思おうと、とにかく自陣の歌が相手方のものより優れていることをアピールし、そして最後に、「判者」が勝負の判定を下すというもの。やっぱり、これは「ディベート」そのものではないかと。

 『俳句という遊び』の時と異なり、作者名は最初から明かされているのですが、面白いのは、思い余って作った本人が自分の歌を解説したりすると(「方人」は「念人」を兼ねることはできないので、これは本来はルール違反)、これが意外とエクスキューズが多くてつまらなく、弁護人である「念人」の自由な(勝手な?)解釈の方がずっと面白かったりする点であり、短歌という芸術の特性をよく表しているなあと。

 『俳句という遊び』の時と同様、2日がかりですが、2日目は3チームに分けて、チーム内でとりまとめをした上で作品を俎上に提出するなど、趣向を変えて競っています(1日目の方が、より「「ディベート」的ではあったが)。

 良い歌を作っても、それ以上の出来栄えの歌とぶつかれば勝てないわけで、ここでは、あの俵万智氏がその典型、著者も「運が悪い」と言ってます。(彼女は元々"題詠"が苦手なそうだが、この時作った歌「幾千の種子の眠りを覚まされて...」と「妻という安易ねたまし春の日の...」は、『チョコレート革命』('97年/河出書房新社)-これ、大半が不倫の歌だったと思うが-に収録されている。やはり、愛着があるのか)。短歌をそれほど知らない人でも、誰のどのような歌が彼女の歌に勝ったのか、見てみたいと思うのでは。

 一方、題が作者らに沿わないと良い歌が出揃わず、互いの相手方の歌に厳しい批評が飛びますが、それぞれが舌鋒鋭いものの、どこか遊びの中でのコミュニケーションとして、言う側も言われる側もそれを愉しんでいる(実際はピリピリした面もあるかと思うが、そうした緊張こそ愉しみにしている)という点では『俳句という遊び』と同じ「大人の世界」―。でも結局、負ける場合は、自陣の歌を褒める根拠が人によってバラバラになっていることが敗因となていることが多いのが、興味深いです。

 『俳句という遊び』に続いて、これまた"野球中継"風の著者の解説が楽しく、読み始めると一気に読み進んでしまう本ですが、だいぶ解ってきた頃に、「座」や「連衆」という概念に表される日本の芸術観の特性についての解説などがさらっ入っているのもいい。

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「俳句とは、詠む人間と読む人間がいて初めて俳句たりうる」―。確かに、と思わせる。

俳句という遊び―句会の空間.jpg 『俳句という遊び―句会の空間 (岩波新書)』['91年]  俳句という愉しみ.jpg  『俳句という愉しみ―句会の醍醐味 (岩波新書)』['95年]           

飯田龍太の時代.jpg 『俳句という遊び』は、飯田龍太(1920‐2007)ら8人の俳人が会した句会の記録で、句会どころか俳句自体が個人的にはあまり馴染みのない世界であるにも関わらず(メンバーの中でも名前を知っているのは高橋睦郎ぐらい)、著者(作家の小林恭二氏)の軽妙な導きのお陰で、読んでいる間中ずっと楽しめました(自ら"野球中継"に喩えていますが、ホントそんな感じ。或いは、将棋のユーモラスな盤解説みたいな感じも)。

飯田龍太の時代―山廬永訣 (現代詩手帖特集版)』 ['07年]

 俳句は17文字しか使えないだけに、様々な決め事があるのでしょうが、そうした俳句に関する細かい知識が殆どなくとも十分に楽しめ、むしろ、17文字しかないだけに、俳人たちの一語一句に込める思いの深さに感嘆させられます(メンバーの批評や著者の解説を読んで、初めてナルホドと思うのだが)。

 ただ、本人の思い入れとは別に、一旦作者の手を離れると、同じ句でも、「なんだ、これ」と首を傾げる人も入れば、作者以上に(?)鋭い読みをして絶賛したりする人もいたりするのが面白いです。
 「正選」と併せて「逆選」もしているので、句会のメンバーから酷評され、著者も「何ら意味がない」「あえなく撃沈」みたいに書いている句もありますが、そうした中にも嫌味がなく、大人のコミュニケーションだなあという感じ。
 作者は、論評が終わった後に名乗るシステムで、「この句はここが弱い」とか言ってる評者が、実はその作者だったりするのもおかしい。
 俳句とは、こうしたコミュニケーションの文学なのだ―、そういうことを、知らず知らずのうちに理解させてくれる本でもあります。

 それでも、2日がかりで8人の俳人が評点の累計を競っているだけに、終わった後は、皆、疲れた〜という感じ(やはり、そうだろうなあ)。
 なのにこれに懲りず、新書本にすることを前提に、多少メンバーを入れ替えて、何年か後にもう1度句会をやっています(こちらは、『俳句という愉しみ』に収録)。

 1冊目の『俳句という遊び』の方の句会は、飯田龍太を求心力として催されている感じもするのに対し、2冊目の『俳句という愉しみ』は、飯田が抜け、物理学者で元東大総長の有馬朗人らの俳人、或いは歌人などが加わって、よりオープンな感じ。でも、有馬朗人にしてもそうですが、1冊目の飯田龍太にしても、上座に鎮座しているような雰囲気は全然なく、どちらも飄々としたいい感じで、そうしたものが全体の「座」のムードを楽しくしています。

 「俳句とは、詠む人間と読む人間がいて初めて俳句たりうる」(『俳句という愉しみ』(144p))―。確かに、と思わせるものがありました。

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『北回帰線』についての着眼点などがいい。もっと作品数を絞ってもよかった。

アメリカ文学のレッスン.jpgアメリカ文学のレッスン2.gif 『アメリカ文学のレッスン (講談社現代新書)』 ['00年] 北回帰線.jpg ヘンリー・ミラー 『北回帰線』

 アメリカ文学作品の紹介や翻訳で定評のある著者が、「名前」「幽霊の正体」「建てる」といった鍵言葉を設定し、その言葉から思いつく作品をいくつか挙げて解説したもので、「強引に三題噺的結びつけて語った」と前口上にあるように、キーワードからランダムに作品を拾いながら、アメリカ文学の全体像が何となく浮かび上がれば、といった感じの試みでしょうか。

 気楽に読めるけれども、それぞれの分析は鋭く新鮮で、著者自身は、1つ1つの作品について述べていることは研究者の間ではそれほど目新しいことではないと謙遜していますが、著者なりの作品評価も窺えて興味深かったです。

 但し、対象となる「アメリカ文学」と言ってもその幅が広く、メルヴィル、ヘンリー・ジェイムズ、エドガー・ポーなどから現代作家まで幅広く抽出していて、日本文学で言えば、江戸近世文学から村上春樹まで扱っているようなもので、その部分での散漫さは否めないような気もし、「破滅」「組織」「勤労」といった抽象概念をキーワードに多く選んでいるのも、少しキツイ。

 1つのキーワードについて、例えば、「食べる」であれば、ヘンリー・ミラーの『北回帰線』とカーヴァーの『ささやかだけれど、役にたつこと』に殆ど費やしていて、一方で、項によっては、並列的に幾つもの作品を取り上げている箇所もあり、この辺りも、方法論的にこれで良かったのか(著者自身は、型を気にせず楽しみながら書いている感じだが)。

 結局、個人的には、「性の世界」を描いたと思われている『北回帰線』が、ミーラー自身を模した主人公の視点で眺めると、「食べること」に固執した作品と見なすことができるという論が、意外性もあり、また、よく検証されている分、最も印象に残り、同じ項のカーヴァーの作品で、子供を交通事故で亡くした両親にパン屋がパンを食べさせる話を通して、「食べること」が持つ救いを示していることを解説した部分も、紹介の仕方が旨く、印象に残りました。

 大体、各項これぐらいに作品数を絞って、作品ごとにもっとじっくり解説した方が良かったのでは。

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国境の「駆け落ち婚」の村は、今や結婚産業の町。イギリスという国の複雑さ感じさせる面も。
イギリス式結婚狂騒曲.jpg 9イギリス式結婚狂騒曲.jpg プライドと偏見.jpg
イギリス式結婚狂騒曲―駆け落ちは馬車に乗って (中公新書)』 映画「プライドと偏見」('05年/英)

グレトナ・グリーン.jpgGretna Green 鍛冶屋.jpg 本書によれば、18世紀イングランドでは、婚姻が成立する要件として、父母の同意や教会の牧師の前における儀式などが必要とされ、一方、隣地スコットランドでは、当事者の合意のみで成立するとされていたため、イングランドの恋人同士が結婚について親からの同意が得られそうもない場合に、イングランドからスコットランドに入ってすぐの場所にあるグレトナ・グリーン(Gretna Green)村の鍛冶屋で結婚式を挙げ、形だけでも同衾して、婚姻証明書を取得し夫婦になるという駆け落ち婚が行われたとのことで、これをグレトナ・グリーン婚と言うそうです。[写真:グレトナ・グリーンの「鍛冶屋」

Gretna Green3.jpgGretna Green.jpg  「式を挙げてしまえば勝ち」みたいなのも凄いですが、そうはさせまいと親が放った追っ手が迫る―などという状況がスリリングで、オペラや演劇の題材にもなり、19世紀まで結構こうした駆け落ち婚はあったようで、また20世紀に入ってからは、このグレトナ・グリーンは、そうした歴史から結婚産業の町となり(「鍛冶屋」と「ホテル」の本家争いの話が、商魂逞しくて面白い)、今も、多くのカップルがこの地で式を挙げるとのこと。[写真: グレトナ・グリーンのポスター写真

 グレトナ・グリーン婚にまつわる話が、近年映画化されたオースティンの『高慢と偏見』("Pride and Prejudice")などのイギリス文学や、ハーレクイン系のロマンス小説のモチーフとして、当時から今に至るまで度々登場することを著者は紹介していますが、女性が憧れるのが制服の似合う「士官タイプ」の美男子という具合にパターン化しているのが可笑しく、女性の方は金持ちの令嬢だったりし、何頭建てかの馬車を誂えて彼の地へ向かうわけで、日本の駆け落ちとはかなりイメージ差がある?

On the Way to Gretna Green.jpg 但し、『高慢と偏見』で駆け落ち婚を図る五女リディアは、旅費にも事欠く様であり、結局、彼女の駆け落ち婚は未遂に終わるのですが...(この作品の主人公は、映画でキーラ・ナイトレイが演じた次女エリザベスということになるのか。この家の姉妹が皆、将校好きなのが可笑しい)。

 あのダイアナ王妃も、こうしたロマンス小説(オースティンではなくハーレクイン系の方)を耽読したそうで、また、アメリカのロマンス小説にも『グレトナ・グリーンへの道』というのがあるとのこと。

イギリス式結婚狂騒曲.jpg小さな恋のメロディ.jpg  実際に今の時代に、そんな故事に憧れこの地で式を挙げる女性なんて、通俗ロマンス小説にどっぷり浸ったタイプかと思いきや、グレトナ・グリーンの「鍛冶屋」や「ホテル」を訪れるカップルは、自分たちの結婚が「恋愛結婚」であることの証しをその「小さな恋のメロディ」('71年.jpg地に求めているようであり、まだまだイギリスでは、結婚は家と家がするものという古いイメージが残っているということなのでしょうか(映画「小さな恋のメロディ」('71年/英)なども、そうしたものからの自由を求める系譜にあるらしい)。


  また、北アイルランドのベルファストを舞台に、それぞれカトリックとプロテスタントの家の出の恋人同士が駆け落ちする小説『ふたりの世界』('73年)が紹介されていますが、この2人が式を挙げるのがグレトナ・グリーン。イギリスという国の複雑さを感じさせるものがありました。

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「●つ 坪内 祐三」の インデックッスへ

著者と「同時代に同じ空気を吸っていた」先人たちの軌跡を通して、その「考える」スタイルを考察。

考える人.jpg  考える人 坪内祐三.jpg  坪内 祐三.jpg
考える人』['06年]「考える人 (新潮文庫)」['09年] 坪内 祐三(1958-2020(61歳没)

 '02年の季刊誌「考える人」創刊に際して、著者が編集者から「考える人」という連載を頼まれたというのが事の始まりで、以降5年間16回の連載を纏めたのが本書。

小林秀雄.jpg 著者が選んだ「考える人」16人は、小林秀雄、田中小実昌、中野重治、武田百合子、唐木順三、神谷美恵子、長谷川四郎、森有正、深代惇郎、幸田文、植草甚一、吉田健一、色川武大、吉行淳之介、須賀敦子、福田恆存となっていて(作家または文芸評論家ということになる)、著者なりに、これらの先人たちの軌跡を通して、彼らの「考える」スタイルを考察しているといったところでしょうか。

小林 秀雄 (1902-1983)

福田恆存.png 小林秀雄と福田恆存を最初と最後にもってきていることで、人選の性格づけがある程度窺える一方、中身はバラエティに富み、(植草甚一が「歩きながら考える人」であるというのは衆目の一致するところだが)武田百合子のような天性の人は、「見る人」であって「考える人」というイメージから外れるような気もしましたが、読んでみて納得、こうして見ると「考える」ということを既成の枠にとらわれず、むしろ自身の読書経験の流れにおいて、自らの思索と関わりの深かった人を取りあげているようでもあります。
福田 恆存 (1912-1994)

唐木順三.jpg それは、1958年生まれの著者が読書体験に嵌まった時分には在命していて、今は故人となっているというのが、もう1つの人選基準になっていることでも窺えますが(後書きには「同時代に同じ空気を吸っていた人たち」とある)、結構、そのころの受験国語で取りあげられていた人が多いのも興味深く、小林秀雄、唐木順三、深代惇郎(天声人語)などは、著者と同世代の人は何度かその書いたものに遭遇しているはずです(吉行淳之介にエッセイから入っていったなどというのも世代を感じる)。

唐木 順三 (1904-1980)

田中小実昌2.jpg色川武大.jpg 田中小実昌と色川武大の近似と相違など、誰か論じる人はいないかなあと思っていたのですが(著者は編集者時代にまさに生身のその2人とその場にいたわけなのだが)、見事にそれをやっているし、吉行淳之介と芥川龍之介の対比なども面白かったです(この中で三島由紀夫が「考えない人」に分類されているのも、ある意味当たっていると思った)。

田中小実昌 (1925-2000)/色川 武大 (1929-1989)

 季刊でありながら執筆に苦労したようで、締め切りギリギリまで作品を読みふけり、あとは思考の赴くまま筆を運んでいる感じもありますが、
 ―その軌跡そのものがすなわち「考えること」のあり方であり、私の好きな「考える人」たちは皆そのような意味で「考える人」であったはずなのだから
 とし、単行本化にあたって殆ど手直しはしなかったとのこと。こうした姿勢は好ましく思えました(時間が無かっただけかも知れないが)。

 【2009年文庫化[新潮文庫]】

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その書き方をしたときの作家の意識のありようを追うという方法論。

小説の読み書き.jpg 『小説の読み書き (岩波新書)』 ['06年]  考える人.jpg 坪内 祐三 『考える人』['06年]

 作家である著者が、岩波書店の月刊誌「図書」に'04年1月号から'05年12月号まで24回にわたって連載した「書く読書」というエッセイを新書に纏めたもの。

 編集者の方から持ち込まれた企画で、著者自身は、原則、自分が若い頃に好きで読んだ小説を、いま中年の目で読み返して何か書く、という大雑把なスタンスで臨んだらしいですが、とり上げている作品が、「雪国」「暗夜行路」「雁」「つゆのあとさき」「こころ」「銀の匙」...と続くので、何だか岩波文庫のロングセラー作品を追っているような感じも...(実際、「読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫〉」というアンケートを、途中、参照したりしている)。

 そこで、文庫本の後ろにある解説みたいなのが続くのかなと思って読んだら、確かに作品の読み解きではあるけれども、その方法論に一本筋が通っていて、なかなか面白かったです。

 作品の中の特徴的な文体にこだわり、作中の文章一節、短いものでは1行だけ抜き出して、そうした書き方をしたときの作家の意識のありようのようなものを執拗に追っていて、その時、書き手が大家であるということはとりあえず脇に置いといて、著者自身が作家として小説を書く作業に臨むときの意識と照らし合わせながら、どうしてその時代、その時々にそうした文章表現を作家たちが用いたのかを探っています。

 実際、新書の表紙見返しの概説でも、「近代日本文学の大家たちの作品を丹念に読み解きながら、『小説家の書き方』を小説家の視点から考える。読むことが書くことに近づき、小説の魅力が倍増するユニークな文章読本」とあったことに、後から気づいたのですが、確かに、こうした方法論が、別の視点からの小説の楽しみ方を教えてくれることに繋がっているかも。

 前後して、坪内祐三氏の作家・評論家論集『考える人』('06年/新潮社)を読みましたが、坪内氏が1958年生まれ、著者(佐藤正午氏)は'55年生まれと、比較的年齢が近く(とり上げている作家では、吉行淳之介、幸田文がダブっていた)、この2著の共通するところは、考えの赴くままに書いているという点でしょうか。

 とりわけ、この著者は、知ったかぶりせず、読書感想文に近いタッチで書いていて、むしろ、"知らなかったぶり"をしているのではないかと勘ぐりたくなるぐらいですが、実際、知識不足から誤読したものを読者に訂正されていて(本当に知らなかったということか)、それを明かしながらもそのまま新書に載せている、こうした姿勢は共感を持てました。

《読書MEMO》
●目次
川端康成 『雪国』
志賀直哉 『暗夜行路』
雁 新潮文庫.jpg森鴎外 『
永井荷風 『つゆのあとさき』
夏目漱石 『こころ』
銀の匙.jpg中勘助 『銀の匙
樋口一葉 『たけくらべ』
豊饒の海.jpg三島由紀夫 『豊饒の海
青べか物語1.jpg山本周五郎 『青ベか物語
林芙美子 『放浪記』
井伏鱒二 『山椒魚』
人間失格.jpg太宰治 『人間失格
横光利一 『機械』
織田作之助 『夫婦善哉』
羅生門・鼻 新潮文庫.jpg芥川龍之介 『
菊池寛 『形』
痴人の愛.jpg谷崎潤一郎 『痴人の愛
松本清張 『潜在光景』
武者小路実篤 『友情』
田山花袋 『蒲団』
幸田文 『流れる』
結城昌治 『夜の終る時』
開高健 『夏の闇』
吉行淳之介 『技巧的生活』
佐藤正午 『取り扱い注意』
あとがき

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「●岩波新書」の インデックッスへ 「●た 太宰 治」の インデックッスへ

太宰"再入門"の試み。読み易く、作品の魅力、味わい処をよく示している。

太宰 治78.JPG太宰治3.jpg太宰治2.jpg     Dazai_Osamu.jpg 太宰 治(1909‐48/享年38)
太宰治 (岩波新書)』〔'98年初版/復刊版〕

 「再入門への招待」と帯にあったように、社会生活に追われ「今さら文学など」という大人のための、太宰文学に対する"再入門"の試みが本書のコンセプトで、個人的にも、「太宰は卒業するもの」という考えはおかしいのではという思いがあり、本書を読みました。

 前期・中期・後期の太宰作品(長編と主要な中・短篇)をかなりの数ととり上げ平易に解説していて、その分入門書にありがちな突っ込みの浅さを指摘する評を見かけたことがありましたが、個人的には必ずしもそう思わず、それぞれの作品の魅力、味わい処をよく示しているのではないかと(冒頭の『たづねびと』の解説などは秀逸)。

 「作品と作者を混同してはならない」とはよく言われることですが、著者はそれぞれの作品と、それを書いたときの太宰の状況を敢えて照合させようとしているようで、太宰の場合、意図的に作品の中に自分らしき人物を登場させたり、「自分」的なものを忍ばせていたりしているケースが多いので、そうした禁忌に囚われない著者のアプローチ方法で良いのではないかと思った次第です。

 後期の作品は、作者が心理的に追い詰められている重苦しいイメージが付きまといがちですが、実際読んでみるとユーモアに満ちた描写が多く、また、その背後に人間に対する鋭い洞察がある―、また、太宰自身が理想とした人間像のブレ(家庭に対する屈折した憧憬など)が本書で指摘されていますが、中村光夫なども「自負心・自己主張の弱さ」という言い方で同じような指摘をしていたなあ。

 但し、中村光夫は、太宰が「嘘」を書くことで逆説的に自信を獲得したとしながらも、晩年の作品は戦前の作品に及ばないものが大部分であるとしていましたが、著者は、晩年の作品も中期の作品と同等に評価しているようで、こちらの方が納得できました。

 太宰の"道化的"ユーモアを突き詰めていくと、対他存在・対自存在といった実存的なテーマになっていくのだろうけれど、そこまで踏み込んではいないのは(匂わせてはいるが)、やはり入門書であるための敢えてのことなのか。

「●ほ 保坂 和志」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【619】 保坂 和志 『生きる歓び
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「何も起こらない小説」。保坂流「小説のルール」がよく体現された作品。

草の上の朝食.jpg草の上の朝食 (中公文庫)』 〔'00年〕  書きあぐねている人のための小説入門.png 『書きあぐねている人のための小説入門』 〔'03年〕

プレーンソング.jpg 1993(平成5)年・第15回「野間文芸新人賞」受賞作。

 作者のデビュー作『プレーンソング』('90年/講談社)の続編で、前作同様、「ぼく」と4人の仲間(お調子者のアキラ、撮影マニアのゴンタ、会社経営をしていたとかいう島田、野良猫の餌やりが日課のよう子)のアパートでの共同生活の日常が淡々と描かれていて、「ぼく」の競馬仲間で、あまり物を深く考えない石山さん、競馬の中に自らの世界観を注入してしまったような感じの三谷さんなどの登場人物も同じ。
プレーンソング (中公文庫)』 〔'00年〕

 会話を通してのこれらユニークなキャラクターの描き方が丁寧で(「創作ノート」によると3回ぐらい全編にわたって書き直されている)、また面白くもあり、「ぼく」が工藤さんという年上の女性と恋人関係のようなものに至ることのほかには、さほどたいした出来事もなく、ぷっつり話は終わってしまうのですが、そのことにもあまり不満は感じませんでした。

 もともと作者は、ここ10年流行った「何も起こらない小説」の先駆者みたいな人ですが、同著者の『書きあぐねている人のための小説入門』('03年/草思社)によれば、「テーマはかえって小説の運動を妨げる」(60p)、「代わりにルールを作る」(64p)等々が述べられていて、『ブレーンソング』での第1ルールは、「悲しいことは起きない話にする」、第2ルールは、「比喩を使わない」「作品を仕上げる都合だけで、よく知らないものや土地を出さない」(68p)ということだったそうで、「社会にある問題を後追いしない」(不登校・老人介護・環境保護・リストラなど)(74p)、「ネガティブな人間を描かない」(83p)ことが作者の信条だそうですが、本作は前作以上にこの基本ルールが踏襲されている感じがしました。

 「ぼく」が初めて工藤さんを仲間に紹介する場面が良かったです。み〜んないい人って感じで、「ぼく」にとって工藤さんは「外」の人で、4人は「中」の人という感じがしました(だから、恋愛小説にはなっていないのでは)。
 でも、この小説での「いい人」って何だろうで考えると、相手の存在を認めつつも相手に過度の干渉をしないというか、こうした異価許容性のようなものを彼らは持ち得てるように思え、無視はしない(関心を示してくれる)が決して邪魔もしない、そうした人間関係が描かれている点が、今の若い読者に心地良い読後感を与えることにつながっているのでは。
 逆に、ぬるま湯的で性に合わないという人も多くいるだろうけれど、時代設定は'80年代後半でバブル景気に入った頃のはずで、こうしたモラトリアム的というか、ノンシャランな生活をしていても、引きこもりだ、ニートだと世間から言われることがなかったんでしょうね。
 だから、登場人物たちは、聖書やニーチェの話をする、つまり、「世間」ではなく「世界」が思考対象となっているのだと思いました。

 登場人物のうち男性はモデルがいるけれど、女性はほとんど創作らしく、電話友達のゆみ子が「よう子ちゃんは未来なのよ」と言うくだりは、創作が嵩じてやや"作品解説的"な感じがしました。
 こういう"ヒント"から自分なりに作品の背後の世界観を読み取ってもいいけれど、個人的には、ただ味わうだけでもいいかも、と思いました。 

 【1996年文庫化[講談社文庫(『プレーンソング・草の上の朝食』)]/2000年再文庫化[中公文庫]】

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著者の『濹東綺譚』への思い入れが伝わってくる文芸評論的エッセイ。

安岡 章太郎 『私の濹東綺譚』.jpg私の 東綺譚.jpg  ぼく東綺譚.jpg
『私の濹東綺譚』(1999/06 新潮社)/『私の濹東綺譚』新潮文庫〔'03年〕/永井荷風『濹東綺譚』新潮文庫

 安岡章太郎が永井荷風の『濹東綺譚』への想いを込めて書き綴った文芸評論的エッセイで、'97年から'98年にかけて「Web新潮」に連載されたものを単行本化したもの。

「墨東綺譚」の挿画(木村荘八).jpg 横光利一の『旅愁』の毎日新聞での連載がスタートしたのが昭和12年4月13日で、永井荷風の『濹東綺譚』は、その3日後に朝日新聞での連載が始まったのですが(作者自身は前年に脱稿していた)、鳴り物入りで連載スタートしたヨーロッパ紀行小説『旅愁』(挿画は藤田嗣治)が、玉の井の私娼屈を舞台にした『濹東綺譚』(挿画は木村荘八)の連載が始まるや立場が逆転し、読者も評論家も『濹東綺譚』の方を支持したというのが面白かったです(荷風にしても、欧米滞在経験があり、この作品以前に『ふらんす物語』『あめりか物語』を書いているわけですが)。横光は新聞社に『旅愁』の連載中断を申し入れたそうですが、これは事実上の敗北宣言でしょう。

朝日新聞連載の『濹東綺譚』の挿画(木村荘八).

 『濹東綺譚』連載時、安岡章太郎はまだ中学生で、初めてこの作品を読んだのが二十歳の時だったそうですが、安岡の資質から来るこの作品への親近感とは別に、安岡にとってこの作品が浅からぬ因縁のあるものであることがわかりました。

 『濹東綺譚』の〈お雪〉のモデル実在説に真っ向から反駁しているのが作家らしく(モデルがいたから書けたという、小説とはそんな単純なものではないということか)、なぜ玉の井を舞台にした作品は書いたのに吉原を舞台にした作品は書かなかったのか(荷風は吉原の"取材"は精力的にしていた)、『濹東綺譚』の最後にある「作者贅言」の成り立ちやその意味は?といった考察は興味深いものでした。

 挿入されている新聞連載時の木村荘八の挿画や当時の玉の井界隈の写真などが、何か懐かしさのようなものを誘うのもいいです。

 【2003年文庫化[新潮文庫]】

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古今の小説をファッション、フード、ホテル、音楽、車など商品情報をから読み解く。

文学的商品学.jpg 『文学的商品学』 (2004/02 紀伊国屋書店) 文学的商品学2.jpg 文春文庫 ['08年]

 「アパレル泣かせの青春小説」「ファッション音痴の風俗小説」というように文学作品を、ファッション、フード、ホテル、音楽、車などの商品情報をから読み解いてみようという試み。

 紅葉、鴎外、漱石から村上春樹、江國香織、川上弘美まで比較的馴染みの作家の作品が取り上げられていて、どのような商品が描かれているかということより、それをどのように描いているかということに重きが置かれています。
 
 石原慎太郎、大江健三郎、庄司薫など'50年代から'60年代にかけての、もうどんなふうに書かれていたか忘れたような作品も多く顧みられていて、近年の流行作家も含め、風俗などを丹念に描いていそうで実は何も描いてなかったりとか、一見お洒落っぽくて実は通俗だったりとかがわかり、その意外性が面白かったです。 
 こうしてみると、やはり谷崎や三島というのは、細かな描写がしっかりしているなあ(時にクドい感じもするけれど)。

 「野球小説」や「貧乏小説」という括りになると、「商品学」という観点からは外れるような気もしますが、山際淳司の文章への著者の思い入れを感じられたり、「私小説」として描かれる「貧乏小説」と「プロレタリア文学」の違いがわかったりして、この2章が一番面白かったです。 

 著者の『妊娠小説』('94年/筑摩書房)以来10年ぶりの"文芸評論"ということですが、確かにその間著者は、アニメ論や女性史、作家論の方へ傾斜していたかもしれないけれど、それらの中にも"文芸評論"的要素はあったし、今回は作家の表現にこだわったということならば、『文章読本さん江』('02年/筑摩書房)もその類でしょう。

 せっかく「古今」の小説をとりあげて対比しているのに、「単行本」化に5年かかって(文庫化ならまだしも)、「今」の方の作品すら書店から消えかけているのが少しつらかったです。

 【2008年文庫化[文春文庫]】

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「文壇アイドル」の育成に及ぼす文芸評論や出版ジャーナリズムの力も大きいと感じた。

文壇アイドル論.jpg 『文壇アイドル論』 (2002/06 岩波書店) 文壇アイドル論2.jpg 文春文庫 〔'06年〕

 第1章「文学バブルの風景」で村上春樹、俵万智、吉本ばなな、第2章「オンナの時代の選択」で林真理子、上野千鶴子、第3章「知と教養のコンビニ化」で立花隆、村上龍、田中康夫の計8人をとり上げ、彼らが80年代から90年代を中心にいかにしてマスコミの寵児となったか、「アイドルのアイドルたるゆえん」を、読者、ジャーナリズムを含めた視座から探っています。

 村上春樹、俵万智、吉本ばななを共通項で捉え、林真理子と上野千鶴子、立花隆と村上龍はそれぞれ対立項で捉えている感じがしました(林真理子と上野千鶴子は例の「アグネス論争」で対立した)。
 また村上春樹のところでは村上龍との「両村上比較論」についても触れていますが、著者自身はこの比較論がある種のフィクションであるとしていて、本書が「作家論」と言うより《「作家論」論》に近いものであることが最もよく出ている部分です。 
 そして田中康夫について著者はどうかと見ているかというと、それまで取り上げた作家とはちょっと違うようで...。

 「アイドル」たちのデビュー当時の彼らに対する評論がよく整理・分析されています。 
 書き手は読者あってなんぼのものでしょうけれど、「アイドル」の育成に文芸評論の力も大きいと感じました。 
 大御所が気恥ずかしくなるような大仰な"洞察"でヨイショしているのもあれば、思考停止状態のミーハーに過ぎなくなっているものもあります。 
 むしろ彼らはその時、自分で考えているつもりでも意識せず時代のムードに流されていたのかも知れない。 
 一方で著者は、中堅評論家などの、当時それほど注目されなかった冷静な(主に批判的で現在の彼らの作品にも通ずる)指摘も丹念に拾っています。

 まあ、「アイドル」という言葉は本書では揶揄を込めて用いられているのだろうけれど、樋口一葉だって、中間クラスの批評家をすっ飛ばしていきなり森鴎外などの大御所から高い評価を得て文壇デビューしたわけで、大物作家・評論家の評価が「実力派スター」を育てていることも明治以来の変わらぬ事実でないだろうか。
 ただし現況においては、出版ジャーナリズムは、地味な実力派よりは、読者アイドル足りうる書き手を求めているのだろうなあと思った次第。

 【2006年文庫化[文春文庫]】
 
《読書MEMO》
●村上春樹...「ハルキ・クエスト」
●俵万智...「Jポエム」
●吉本ばなな...「コバルト文庫」
●林真理子...「スゴロク=階層移動」
●上野千鶴子...フェニミズムではなくウーマンリブ
●立花隆...テーマは「人間の臨界点」、知のコンビニ化
●村上龍...「人を少しバカにさせる力」
●田中康夫...評価すべき「記録文学」の書き手

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切り口の斬新さと鋭いテキスト読解で飽きずに読めた『妊娠小説』。

『妊娠小説』.JPG妊娠小説.jpg  紅一点論 単行本.jpg   斎藤美奈子.jpg 斎藤 美奈子 氏
妊娠小説』['94年]『紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』['98年]
妊娠小説 (ちくま文庫)』['97年]

 著者の言う「妊娠小説」とは「望まない妊娠を登載した小説」とのことですが、そうして見ると名作と言われるものからベストセラーとなった小説まで、それらの中に「妊娠小説」と言えるものが随分あるものだなあと、着眼点に感心しました(巻末に本書でとり上げた約50冊のリストあり)。  

 第1章でとり上げている"典型例"は、森鴎外『舞姫』、石原慎太郎『太陽の季節』、吉行淳之介『闇の中の祝祭』、三田誠広『赤ん坊の生まれない日』、村上春樹『風の歌を聴け』...。

 女が予期せぬ妊娠をすることで男が悩むという共通のプロットを通して、その描き方のベースにある精神的土壌をあぶり出していますが、受胎告知場面が「妊娠小説」としての"識別表示"であるといった切り口の斬新さと、鋭いテキスト読解で飽きずに読めました。

 個人的には、『舞姫』は前からそういう見方をしていました。鴎外という人が大体(この辺のところに関しては)怪しい...。

 吉行淳之介はその発言を含めコテンパですが、『闇の中の祝祭』はこうして見ると秀逸なラストを呈していて、やはり彼にし書けない傑作ではないかと...。
 
 『風の歌を聴け』は、ある物語の時系列を並べ替えて何枚かカード抜きしたものということか...等々、また別な見方ができて楽しかったです。

ジャッカー電撃隊の紅一点.jpg 著者の書き下ろし第2評論集『紅一点論-アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』('98年/ビレッジセンター出版局)もなかなか面白かったですが、ストレートにフェミニズム批評的で、その分著者独特の"遊び感"のようなものが今ひとつ感じられなかったのが残念(評価★★★)。

 『紅一点論』を読んで、本書の中にあるフェミニズム批評的なものを再認識した読者もいるかもしれませんが、個人的には批評の切り口や適度な"遊び感"を買いたい評論家で、「フェミニズムの人」というふうにレッテル貼りすることはお勧めしたくないです。

 【1997年文庫化[ちくま文庫]】

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個人主義(自尊心)についての読み応えのある「文芸社会学」的考察。

個人主義の運命  .jpg                 ドストエフスキー―二重性から単一性へ.jpg
個人主義の運命―近代小説と社会学』 岩波新書 〔'81年〕 ルネ・ジラール 『ドストエフスキー―二重性から単一性へ (叢書・ウニベルシタス)』 ['83年/法政大学出版局]

 「文芸社会学」の試みとも言える内容で、3章から成り、第1章でルネ・ジラールの文芸批評における、主体(S)が客体(O)に向かう際の「媒介」(M)という三項図式の概念を用いて、主にドストエフスキーの一連の作品を、三角関係を含む三者関係という観点から読み解き、第2章では個人主義思想の変遷を、共同態(家族・農村・ギルド・教会など)の衰退と資本主義、国家(ナショナリズム)等との関係において理性→個性→欲望という流れで捉え、第3章でまた第1章の手法を受けて、夏目漱石の『こころ』、三島由紀夫の『仮面の告白』、武田泰淳の『「愛」のかたち』、太宰治の『人間失格』における三者関係を解読しています。

永遠の夫.jpg 第1章では、ドストエフスキー小説における「媒介者」を、主人公(S)が恋人(O)の愛を得ようとする際のライバル (M)や、世間(O)からの尊敬を得るために模倣すべき「師」(M)に見出していますが、主人公がライバルの勝利を助けようとするマゾヒスティックにも見える行動をしたり、「師」を手本とする余り、神格化することが目的化してしまったりしているのはなぜなのか、その典型的キャラクターが描かれているのが「永遠の夫」であるとして、その際に主人公(トルソーツキイ)の自尊心(この場合、個人主義は「自尊心」という言葉に置き換えていいと思う)はどういった形で担保されているのか、その関係を考察しています。

 第2章で興味深かったのは、ナショナリズムと個人主義の関係について触れている箇所で、国家は中間集団(既成の共同体)の成員としての個人の自律と自由の獲得を外部から支援することで、中間集団の個人に対する影響力を弱めたとする考察で、中間集団が無力化し個人主義の力を借りる必要が無くなった国家は、今度は個人主義と敵対するようになると。著者はナショナリズムと宗教との類似、ナショナリズムと個人主義の双子関係を指摘していますが、個の中で全体化するという点では「会社人間」などもその類ではないかと思われ、本書内でのG・ジンメル「多集団への分属により個人は自由になる」という言葉には納得。ただし、それによって複数集団(会社と家庭、会社と組合など)の諸要求に応えきれず自己分裂する可能性もあるわけで、ある意味「会社人間」でいることは楽なことなのかも知れないと思いました。

 第3章では、漱石の『こころ』の「先生」と「私」の師弟関係の読み解きが、土居健郎の『「甘え」の構造』を引きながらも、それとはまた違った観点での(つまり「先生」とKとの関係を読者に理解させるために書かれたという)解題で、なかなか面白かったです。

ルネ・ジラール 『ドストエフスキー―二重性から単一性へ
(叢書・ウニベルシタス)
』 ['83年/法政大学出版局]帯
ドストエフスキー―二重性から単一性へ - コピー.jpg 第1・第3章と第2章の繋がりが若干スムーズでないものの(「文芸」と「社会学」が切り離されている感じがする)、各章ごとに読み応えのある1冊でした。著者・作田啓一氏が参照しているルネ・ジラールの『ドストエフスキー―二重性から単一性へ』('83年/叢書・ウニベルシタス)と併せて読むとわかりよいと思います。ルネ・ジラールの『ドストエフスキー』は版元からみても学術書ではありますが(しかもこの叢書は翻訳本限定)、この本に限って言えば200ページ足らずで、箇所によっては作田氏よりもわかりやすく書いてあったりします(ルネ・ジラールは「永遠の夫」の主人公トルソーツキイを「マゾヒスト」であると断定している)。

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「食」で読み解く30の名作。推理ものを読んでいるように楽しく味わえた。

名作の食卓.jpg 『角川学芸ブックス 名作の食卓 文学に見る食文化』  〔'05年〕

 グルメ広報誌の連載をまとめたもので、「食」を通して名作を読み解くユニークな文学鑑賞入門の書―というのが出版社のキャッチです。

 作家の嗜好、「食」の移入史、同時代の食習慣等も紹介されていますが、グルメ本ではなく、あくまでも名作鑑賞案内とみてよいのではないでしょうか(著者自身、自分はグルメではないと〈あとがき〉で書いている)。

 『にごりえ』(樋口一葉)、『芋粥』(芥川龍之介)から、『キッチン』(吉本ばなな)、『村上龍料理小説集』まで、日本の近現代文学から30篇を選んでいますが、『鬼平犯科帳』(池波正太郎)のような大衆文学もあれば、「上司小剣」や「上林暁」など、最近あまり読まれなくなったものも取り上げられていて、取り上げること自体が「読書案内」となっているようにも思えます(上司小剣の『鱧(はも)の皮』は、今は「青空文庫」などで読むしかないけれど)。

 「坊ちゃんはなぜ「天麩羅蕎麦」を食べたのか」(夏目漱石『坊ちゃん』)とかは、グッと引き込まれるし、『風の歌を聴け』(村上春樹)は、やはり"「プール1杯分」のビール"という表現に注目でしょうね。

 『夫婦善哉』(織田作之助)のように、食べ物がそのまま小説のタイトルにきている場合は、同時にそれが作品の重要モチーフになっているわけで、三浦哲郎の『とんかつ』などはいい話だけど、読み解き自体はそれほど複雑な方ではないでしょう。
 それに対し、林芙美子の『うなぎ』や向田邦子の『りんごの皮』における著者の、「うなぎ」や「りんごの皮」が何の象徴であるかという読み解きは、興味深い示唆でした。

 『濹東綺譚』(永井荷風)の"水白玉"を恋と人生のはかなさの二重表象とした読み解きなどには、やや強引さも感じられなくはないけれど、そういう味わい方もあるのかなとも思ったりして。
 自分としては、推理ものを読んでいるように楽しく味わえた本でした。

《読書MEMO》
●目次
第1章 穀物・豆の文学レシピ
 こちそうとしてのライスカレー―村井弦斎『食道楽』
 坊っちゃんはなぜ「天麩羅蕎麦」を食べたのか―夏目漱石『坊っちゃん』
 ほか
第2章 魚・肉の文学レシピ
 酸っぱい・夫婦という絆の味―上司小剣『鱧の皮』
 青魚のみそ煮の仕掛け―森鴎外『雁』
 ほか
第3章 果物・野菜の文学レシピ
 「真桑瓜」の重み―正宗白鳥『牛部屋の臭ひ』
 先生の愛のゆくえ―有島武郎『一房の葡萄』
  ほか
第4章 おやつの文学レシピ
 『にごりえ』と"かすていら"―樋口一葉『にごりえ』
 食べられることを拒絶したチョコレート―稲垣足穂『チョコレット』
 ほか
第5章 広義の「食」の文学レシピ
 食べることと生きること―正岡子規『仰臥漫録』
 芸術としての美食―谷崎潤一郎『美食倶楽部』
 ほか

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漱石の作品をメッセージの複数の"宛先"という観点から読み解いていて面白かった。

漱石と三人の読者.jpg  『漱石と三人の読者』 講談社現代新書 〔'04年〕

 著者によれば、漱石はすでに「教科書作家」の1人でしかなく、『こころ』によってかろうじて首の皮一枚残って「国民作家」と見なされているのが現状だそうですが、漱石の小説の中に私たちの「顔」が映っているからこそ、漱石は「国民作家」たりえているのではないかという考えのもとに、漱石の言葉の"宛先"を明らかにしようと試みたのが本書です。

 『吾輩は猫である』を書いた後、大学教授の仕事を振って朝日新聞社専属の新聞小説作家となった漱石は、「顔の見えない読者」、「なんとなく顔の見える読者」、「具体的な何人かの"あの人"」の3種類の読者を想定し、それぞれの読者に対してのメッセージを込めて小説を書いていると著者は言います。

 当時の朝日の知識層を取り込もうとする戦略と合致する読者層は、「都会に住み会社勤めをするホワイトカラー層」で、当時の新聞発行部数から見れば新聞読者というのは「教育ある且尋常なる士人」であったわけですが、漱石の小説を単行本(今の価格で1万円以上した)で買うほどの文人・文学者ではない、そうした新聞読者層(現代のそれよりもハイブローな層)が、漱石にとっては「なんとなく顔の見える読者」にもあたり、また、そうした読者層が、現代の高学歴・ホワイトカラー社会における漱石の読者層に繋がっているのだと。

 一方、漱石にとって具体的に顔が見えている読者とは、『猫』を書いた時に漱石の周辺にいた文人や白樺派の文壇人、本郷東大のエリートたちで、漱石の本を単行本で読む読者であり、顔の見えない読者とは「三四郎」の田舎郷里の世界の人たちのようにおそらく新聞もまず読まない人ということになるようです。

 あくまでも仮説という立場ですが、漱石の主要作品を、こうしたメッセージの複数の"宛先"という観点からわかりやすく読み解いていて、なかなか面白かったです。

test_346.jpg 例えば『三四郎』においても、三四郎の美禰子に対する片思いと、それに対する美禰子の振る舞いの謎という一般的な読み解きに対し、三四郎自身にも見えていない美禰子と野々宮の関係という隠されたテーマが、美禰子と三四郎・野々宮の出会いの場面で読み取れるとしています。

 ただしこれは、東大構内と心字池(三四郎池)の構図がわかっていないと読み取れない(!)という、本郷東大を知る人にしかわからないものとなっているという分析は、個人的には大変スリリングでした(イヤミ臭いともとれるけれど)。
 一応自分も最近再読したときに地図開いて読んでいたけれど、そこまではわかりませんでした。

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小説に対する真摯な姿勢を感じたが、パッチワーク的印象も。

一億三千万人のための小説教室.jpg  『一億三千万人のための小説教室』 岩波新書 〔'02年〕

 評判はいいし、実際に読んでみると面白い、でも読んだ後それほど残らない本というのがたまにあり、本書は自分にとってそうした部類に入るかも知れません。

 内容は、小説作法ではなく、「小説とは何か」というある種の文学論だと思えるし、ユーモアのある筆致の紙背にも、小説というものに対する著者の"生一本"とでも言っていいような真摯な姿勢が窺えました。
 しかし一方で、良い小説を書く前にまず良い読み手でなければならない、という自説に沿って小説の「楽しみ方」を示すことが、同時に「書き方」を示すことに踏み込んでいるような気もして、その辺の混在感がインパクトの弱さに繋がっているのではないだろうかとも。

文章読本さん江.jpg この本もともとは、NHKの各界著名人が母校の小学校で授業をするという番組企画からスタートしているようですが、著者は本稿執筆中に斎藤美奈子氏の『文章読本さん江』('02年2月 筑摩書房刊/小林秀雄賞受賞)を読み、
 「この『文章読本さん江』の誕生によって、我が国におけるすべての「文章読本」はその息の根を止められたのである」
 とこれを絶賛していて、併せて本稿を全面的に書き直す必要を感じたようで、その辺りがこうしたパッチワーク的印象になっている原因かなという気もしました。
 
 「模倣」することの意義については、それなりに納得性がありましたが、今までにもこうした考え方はいろいろな人によって示されていたような気がします。
 事例の採りあげ方などから、ブンガクの現況をより広い視野で読者に知らしめようという著者の意図を感じましたが、随所に見られる過剰なサービス精神が個人的にはやや気になりました。
 頭のいい著者のことですから、こうしたこともすべて計算のうえでやっているのかも知れませんが...。

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埴谷雄高から村上春樹・龍、吉本ばななまで。作品ごとの世界観に触れた文芸評論として読めた。

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「死霊」から「キッチン」へ―日本文学の戦後50年』講談社現代新書 〔'95年〕

 本書は'95年の刊行で、それまで戦後50年の日本文学が何を表現してきたかを、時代区分ごとに、代表的な作家とその作品を1区分大体10人または10作品ぐらいずつ挙げて解説しています。

 埴谷雄高、武田泰淳(「ひかりごけ」)、大岡昇平(「俘虜記」)、三島由紀夫(「金閣寺」)などの「戦後文学者」から始まり、遠藤周作(「沈黙」)ら「第三の新人」などを経て、安部公房(「デンドロカカリア」、「砂の女」ほか)から中上健次(「岬」ほか)までの時代、さらには大庭みな子(「三匹の蟹」ほか)から松浦理英子(「親指Pの修行時代」」)までの女流作家、村上龍(「限りなく透明に近いブルー」、「五分後の世界」)、村上春樹(「羊をめぐる冒険」、「ねじまき鳥のクロニコル」ほか)、吉本ばなな、などの近年の作家までをカバーしています。

 「世界のかたちの与え方」というのが著者の作品解説の視座になっていて、埴谷雄高も安部公房も大江健三郎も、そして村上春樹も、それぞれ別の世界にいるのではなく、同じ世界の上にいながら「世界のかたちの与え方」が時代の流れとともに変ってきているのであり、埴谷、安部、大江らが世界に通じる新しい通路を開いてきたからこそ、現在、村上春樹によって新しい通路を開かれつつある、といった見方が解説基盤になっています。

 大江健三郎に単独で1章を割いていて、大江作品では常に「谷間の村」が基点になっているといった読解や「雨の木(レイン・ツリー)」の発端がどこにあったかという話は、本書を読む上で、大江ファンにはいいアクセントになるのでは(本書では、大江はもう新たな小説を書かないことになっていますが)。

 「雨の木(レイン・ツリー)」が何のメタファーかを論じると同じく、他の作家、例えば、村上春樹の「羊」などについても、メタファーの解題を行うなどしており、戦後から現代にかけての作品を俯瞰するテキストにとどまらず、各作品で描かれていた世界観に触れた文芸評論として読めました。

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横光から大江までの昭和文学史。読書ガイドとしても結構"便利"に使える。

中村 光夫 『日本の現代小説.png日本の現代小説.jpg  『日本の現代小説 (1968年)』 岩波新書

 横光利一で始まり大江健三郎で終わる昭和の文学史で、年代的には関東大震災の翌年('24年)以降から石原慎太郎・開高健・大江のデビューした'58年あたり(それぞれ昭和31-33年にかけて芥川賞受賞)までの小説家とその作品を追っています。

 前著日本の近代小説』('54年/岩波新書)と時代的に繋がり、構成も文体も同じで、前著あとがきで予告されていた続編だと言えますが、どうしたわけか、読者により身近な作家の多い本書の方が絶版になっているようです。

 前半のうち約50ページを「プロレタリア文学」、「転向文学」に費やしており、その後に続く「昭和十年代」、「敗戦前後」の章も含め、プロレタリア文学運動が作家たちに与えた影響の大きさが窺えますが、数多くいたプロレタリア文学作家そのもので今も読まれているのは、作品の芸術性を重視した小林多喜二ぐらいなのがやや皮肉な感じ(多喜二のリアリズムは"ブルジョア作家"志賀直哉を手本にしている)。

 「敗戦前後」の作家で一番社会的影響力があったのは、「転向」者であるとも言える太宰治で、著者は、戦前の太宰の完成度の高い作品に戦後の作品(「斜陽」「人間失格」など)は及ばないとしながらも、その死によってそれらは青春文学の象徴となったとしています。
 さらに、戦後一時期の青年の偶像となった三島由紀夫が見せる演技性に、太宰との類縁関係を見出しています(本書執筆時点で、三島はまだ存命していた)。

 前著同様、巻末に主要文学作品の発刊年譜が付いており、因みにその年譜では、前著は1868年(明治元年)から1927(昭和2)年までを、本書では'24(大正13)年から'67(昭和42)年をカバーしていますが(昭和42年は、後にノーベル文学賞受賞対象作となる『万延元年のフットボール』が発表された年)、本文の作家の概説と併用すれば、作家や作品の文学史的位置づけが簡単に出来、読書ガイドとしても結構"便利"に使える本だと思います(絶版になったのはタイトルに「現代」とあるせいか?)。

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逍遥から龍之介までの文学潮流を俯瞰。構成・文章ともに読みやすい。

日本の近代小説2.JPG日本の近代小説.jpg    中村 光夫.jpg 中村光夫 (1911‐1988/享年77)
日本の近代小説 (1954年)』 岩波新書

 文芸評論家で小説家でもあった中村光夫(1911‐1988)による、明治から大正期にかけての「近代日本文学」入門書。
 刊行は'54年('64年改版)と旧いですが、作家を1人ずつとりあげながら文学潮流を鳥瞰していくかたちで、「です・ます調」で書かれているということもあり、構成・文章ともに読みやすい内容です。

 坪内逍遥から芥川龍之介までをカバーしていますが、前段では登場する作家(明治中期まで)は人数が少ないせいか1人当たりの記述が比較的詳しく、知識人向けの硬いものより仮名垣魯文のような戯作の方が後世に残ったのはなぜか、言文一致運動に及ぼした二葉亭四迷の影響力の大きさがどれだけのものであったか、などといったことから、樋口一葉がなぜ華々しい賞賛を浴びたのかといったことまでがよくわかります。

 中盤は、藤村・花袋などの自然主義運動を中心にその日本的特質が語られており、「夜明け前」や「蒲団」などを読むうえで参考になるし(「蒲団」などは、小説としてあまり面白いとは思わないが、文学史的な流れの中で読めばまた鑑賞方法が違ってくるのかも)、それに反発するかたちで台頭した耽美派・白樺派なども、著者の説によれば同時代思想の二面性として捉えることができて興味深いです。

 後段では、森鴎外、夏目漱石という「巨星」の果たした役割やその意味とともに、多くの気鋭作家を輩出した大正期の文学潮流の特質を解き明かしています。

 著者は私小説や風俗小説を痛烈に批判したことでも知られていますが、本書は特定の傾向を批判するものではなく、それでいて自然主義運動がわが国独特の「私小説」の伝統を決定づけたことを、冷静に分析しているように思えました。

 「わが国の近代小説は、すべてそれぞれの時代の反映に過ぎなかったので、それが完璧な反映であった場合にも、よりよい人生を示唆する力は乏しかったのです」という著者の結語は、現代文学にもあてはまるのではないでしょうか。

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