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デザイナー用の資料集として使えるが、図鑑としても楽しめた。

サイン・シンボル事典2.jpgサイン・シンボル事典.jpgサイン・シンボル事典

 宗教関係、太陽や月、樹木や花や虫や鳥から、人間の手足など人体の部位や楽器、帽子や仮面など衣服・装身具、象形文字や占星術、人の身振りまで、様々なサインやシンボルの意味やそれらに隠されたメッセージを解説した本で、フルカラーの写真とイラストが2,000点以上と数は豊富です。

サイン・シンボル事典3.jpg 神話と宗教、自然、人間象徴体系といった具合に大分類されていて、その中でさらに例えば宗教であれば古代宗教、ユダヤ教、キリスト教といったようにカテゴライズされているため、それぞれの分野の傾向というものが何となく掴めるものとなっています。
 
 読んでいても面白く、個人的にも気に入っているのですが、絵入りとしては点数が多い分、各アイテムの一つ一つの解説はそれほど深くなく、一通り読んでもそんなに頭の中に残らないかも。
 全部頭に入れば、文化人類学上、かなりの博識にはなるのだろうけれど...(繰り返し読んでも面白いということは、前に読んだのを忘れているということか)。

 「事典」とあるように、基本的には資料集的な使い方になるかな。広告デザイナーなどは必携かも。
 自分の使ったモチーフに自分も知らなかったネガティブな意味があったりすると、後でたいへんなことになったりするかも知れないから。

サイン・シンボル事典4.jpg  手元にあるのは初版本ですが、'10年に『サイン・シンボル大図鑑』として同じ版元(三省堂)から改訳刊行されています(そっか、自分は図鑑として楽しんでいたわけだ。一応、文化人類的関心から読んだのが)。

 改訳版も内容は大体同じではないかと思われるのですが、Amazon.comの「よく一緒に購入されている商品」で旧版と改訳版がセットになっているなあ。

 改訳版は『図鑑』と呼ぶに相応しく、ページ数が128ページから352ページに大幅増となっています(内容も変わったのか?)。
 今買うなら、新しい方だろうなあ。

【2010年改訳[『サイン・シンボル大図鑑』]】

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本書『鯨人』を読んでから写真集『海人』を眺めると、また違った、より深い感慨がある。

「鯨人」.bmp     海人 石川梵.jpg 海人2.JPG
鯨人 (集英社新書)』['11年] 『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』['97年](37 x 26.8 x 2 cm)

海人1.JPG 『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』('97年/新潮社)は、インドネシア東部レンバタ島のラマレラ村の人々の、銛一本で鯨を仕留める伝統捕鯨の様子を撮った写真集ですI(定価4,700円だが、絶版のためプレミア価格になっている)。

 大判の上に見開き写真が多く、人間とマッコウクジラの壮絶な闘いは迫力満点、鯨を仕留めた後の村人総出での解体作業や、遠く海を見つめるかつて名人と言われた古老の眼差しなども印象深く、日本写真家協会新人賞、講談社出版文化賞写真賞などを受賞した作品です。

『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』より

海人3.JPG 巻末の《取材データ》に、「取材期間1991 -97、延べ滞在期間11カ月、出漁回数200回超、最初に鯨が捕れるまでの海上待ち時間1190時間(4年間)」とあり、写真家のプロフィールには「ラマレラでの最初の4年間を鯨漁に、次の3年間を鯨の眼を撮ることに費やす。海と鯨とラマファ(鯨人)を愛し、30代のほとんどすべてをラマレラの撮影に捧げた写真家」とありました。

 写真集『海人』から13年半を経て、「集英社新書ノンフィクション」(カラー版の「集英社新書ヴィジュアル版」ではなく、文章中心に編集されている)として刊行された本書『鯨人(くじらびと)』は、同写真家によるラマレラにおける鯨漁撮影のドキュメントであり、鯨漁にまつわる現地の伝承・逸話や村の人々の暮らしぶりなどもよく伝え、民族学的にも価値のあるものになっていると思いました。

 90年代に著者が取材した際には外国人のフォトジャーナリストも取材に来ており、日本のNHKも'92年にNHKスペシャル「人間は何を食べてきたか~海と川の狩人たち~」という全4集のドキュメンタリーの第1集で、「灼熱の海にクジラを追う ~インドネシア・ロンバタ島』を放送('92年1月19日)しています(写真集が出された後では、TBSなども著者をガイドとした取材に行っているようだ)。

 但し、本書にはテレビ番組では味わえない長期取材の効用が滲み出ており、まず、お目当てのマッコウクジラとなかなか巡り会えず、写真集に"最初に鯨が捕れるまでの海上待ち時間1190時間(4年間)"と書かれていた、その時間の長さをより実感できるかと思います。

 更にその間、毎年のように村を訪れ、村の多くの人と出会い、彼らとの交流を通じて様々な昔話などを訊き出していて、これがたいへん興味深かったです。

 マッコウクジラは彼らにとってもそうそう眼の前に現れるものではなく(村人たちは、ヒゲクジラは伝承神話の上で"恩人"とされているため捕獲しない)、マッコウクジラが獲れない間は、ジンベイザメとかシャチとかマンタ(イトマキエイ)を獲ったりしているようですが、これらとて大型の海洋生物であり、銛一本で仕留めるのはたいへんなこと、マンタは比較的よく獲れるようですが食べられる部分が少なく、マッコウクジラ1頭はマンタ何百頭分にも相当するようです。

海人52.JPG 70年代に国連のFAO(国連食糧農業機関)がラマレラの食糧事情を改善しようとノルウェーから捕鯨船を送り込み、その結果、砲台による捕鯨は鯨の捕獲頭数を増やしたものの、鯨肉が供給過剰となったためにFAOは途中で操業をやめ、プロジェクトが終わったら今度はさっぱり鯨が獲れなくなったそうです。

 ここ10年の捕獲数は年間10頭を切るぐらいだそうで、著者もなかなか鯨に巡り合えず、村人たちに「ボンが来ると鯨が現れない」とまで噂されてしまったとのこと。

『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』より

海人53.JPG 彼らの捕鯨は、鯨油のみを目的とした先進国のかつての捕鯨とは異なり、一頭の鯨の骨から皮まで全てを利用する日本古来の捕鯨に近く、IWC(国際捕鯨委員会)が認めている「生存(のための)捕鯨」であることには違いないですが、同時に、鯨が獲れた際には鯨肉を市場での物々交換で売りさばき、干肉にして保存した分も最終的には市場に流通させていることから、「商業捕鯨」の定義にも当て嵌ってしまうとのこと。

 でも、振り返って日本の場合を見れば、「調査捕鯨」の名のもとに「商業捕鯨」が行われているわけで、IWCに異を唱えて「商業捕鯨」を貫こうとしているノルウェーのような毅然とした姿勢をとれないところが、国際社会における発言力の弱さの現れでしょうか。

 ラマレラでは、過去に鯨漁で亡くなった人や事故に遭った人も多くいて、著者は鯨漁を人と鯨の互いの死力を尽くした闘いと見る一方、ラマファ(鯨人)を撮るだけでなく、獲られる側の鯨も撮影しなければとの思いからダイビングライセンスを取得し、とりわけ、断末魔に置かれた鯨の眼を撮ることに執着し、それが、写真集に「次の3年間を鯨の眼を撮ることに費やす」とあった記述となります(この"眼"の撮影に成功した場面もよく描けている)。

 更にエピローグとして、一連の取材を終えた13年後の'10年に村を再訪した際のことも書かれており、村の各戸に電気が通っていたり、漁船にエンジンが付いていたり、反捕鯨団体が鯨の観光資源への転嫁などの宥和策を持ちかけていたりと、いろいろ時代は流れていますが(一方で、報道によれば、今年('12年)1月に、島で10歳の少女がワニに食べられるという事故もあったが)、かつて名人として鳴らしたラマファの古老など、著者が取材した何人かが亡くなっていたのがやはり寂しい。

 写真集『海人』の写真は、「ライフ」をはじめ世界の主要写真集のグラビアを飾りましたが、著者にとっては、ラマレラで鯨人たちと過ごした濃密な7年間こそ人生の宝物であり、それに比べれば、写真家として栄誉を得たことは副産物にすぎないかもしれないといったことを「あとがき」で述べています。

 本書『鯨人』を読んでから写真集『海人』を眺めると、また違った、より深い感慨があります。

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水木流に視覚化、キャラクター化された面も。

妖怪画談.jpg 妖怪画談 続.jpg 『妖怪画談 (岩波新書)』 ['92年] 『続 妖怪画談 (岩波新書)』 ['93年]

 水木しげるの妖怪画集で、この人には先行して『妖怪談義』という柳田國男の著作と同名タイトルの本もあり、更に『水木しげる妖怪画集』('70年)などもありますが、この『妖怪画談』('92年)は新書で比較的入手し易いのが長所。『続・妖怪画談』('93年)では、中国の妖怪なども紹介されていますが、同じ岩波新書の『妖精画談』('96年)で、ケルト地方、北欧、ドイツ、フランス、ロシアほか海外の妖精まで追っかけて調べ、水木流の画にしています。
 『妖怪談義』は'00年にソフトカバーで復刊しているほか、『妖怪画談』も'02年に愛蔵版が刊行されています(内容がそれぞれ同じかどうかは未確認)。
「塗壁」-『続・妖怪画談』より
ぬりかべ.jpg ところで、『続・妖怪画談』には、「塗壁」(ぬりかべ)という妖怪が紹介されていて、これは、水木氏のマンガの比較的主要なキャラクターにもなっていますが(本書のデラックス版とも言える『愛蔵版 妖怪画談』('02年/岩波書店)の表紙にも、鬼太郎ファミリーの後ろにどんと構えている)、その解説に柳田國男の『妖怪談義』を参照しており、柳田國男の『妖怪談義』('77年/講談社学術文庫版)の「妖怪名彙」('38年)にある「ヌリカベ」の解説には、「筑前遠賀郡の海岸でいう。夜路を歩いていると急に行く先が壁になり、どこへも行けぬことがある。それを塗り壁といって恐れられている。棒を以て下を払うと消えるが、上の方をたたいてもどうもならぬといふ。壱岐島でいうヌリボウというのも似たものらしい」とあります。

 水木氏はこれを、目と足を備えた壁のような画に描いていて、水木氏自身、戦時中に,南方で「ぬりかべ」に出会った(色は白ではなく黒だった)と書いていますが、'07年になって、川崎市民ミュージアムの学芸室長の所有する妖怪画が、アメリカのある大学の図書館に寄贈されている妖怪画と一致することが判り、後者に「ぬりかべ」と名があることから、これが「塗壁」を描いたものであるとされ、その姿は、水木氏の画とは全く異なり、中国風の「巨大な狛犬」のようなものに見えるものです(柳田の解説とも符号しないように思える)。  

 どこから食い違ってきたのか自分は専門家ではないのでよくわかりませんが、水木氏は、「柳田國男のあたりのものは愛嬌もあり大いに面白いが、形がないので全部ぼくが作った」と述べていて、水木氏の段階で、個人的な体験や見聞の影響も含めた創作が多分に入っているのは間違いなく、他の妖怪たちも皆、水木氏のマンガに配置されるとちょうど収まるようデフォルメのされかたをしているのは、それほど深く考えなくとも、見た感じでわかることではないでしょうか。

 だからと言って、水木氏がインチキだというのではなく、柳田國男だって画にしなかっただけで、想像逞しく大いに"創作"していた部分はあったに違いないという気がし、"妖怪"というのは、元々がそうした想像力の産物だから、時と共に変遷するものなのだろうなあと。

水木しげるさん死去(11月30日).jpg朝日新聞「号外」2015年11月30日



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オバケと幽霊の違い、3つ言えますか?

妖怪談義.jpg               修道社 妖怪談義.jpg         柳田国男.jpg  柳田 國男
妖怪談義 (1977年)』 講談社学術文庫 『妖怪談義』(1956年12月/修道社) 

 学生時代に、サークルの同級生に、柳田國男の生家近くの網元の息子がいて、そこで『遠野物語』をテーマに読書会合宿をしましたが、大きな梁のある古色蒼然とした家屋で、シズル感満点でした(彼は今、新聞記者になってイラクにいる)。
 本書もその頃に読んだ本で、民俗学者の柳田國男が、明治末期から昭和初期にかけての自らの妖怪に関する論考(民俗学的エッセイ?)を1冊に纏めたもの。オリジナルは1956年の刊行ですが、荒俣宏氏は本書を「妖怪学の基本書」と言っています。

 妖怪とは化け物、つまりオバケのことであり、本書では、何故オバケを研究するのかということをはじめ、幽霊とオバケの違い、オバケは古い神が落ちぶれた姿であるという柳田の考え方などが示されるとともに、川童、小豆洗い、団三郎、狐、ひだる神、ザシキワラシ、山姥、山男、狒々、チンコロ、大人弥五郎、一つ目小僧、天狗などに関する伝聞が紹介されており、また、それらの起源についての彼自身の考察などが記されています。

 柳田によれば、日本人が第一に持っている感情は畏怖感、つまり恐怖の感情であり、それが様々に変化してオバケを生み出したということで、オバケを研究することは、日本の歴史における畏怖や恐怖の原始的な文化の型を捉え明らかにしていくことであり、それにより、日本人の人生観や信仰、宗教の変化を知ることができるのではないかとしています。

 但し、柳田の「妖怪は神の零落した姿である」との考えに対しては、まず初めに神のみが存在し、妖怪は最初いなかったということになり、おかしいのではないかという反駁もあり、個人的には、イスラーム文化における「ジン(一種の妖怪)」に、まさに妖怪型のジンもいれば、善玉のジンもいる(イスラームの土俗信仰は多神教だった)ように、神と妖怪は表裏一体のものとして同時に併存したのではないかと考えます。

 因みに、本書によれば、オバケと幽霊の違いは―、
 第1にオバケは出現する場所が大体定まっているため、そこを避けて通れば一生出くわすことなないけれども、幽霊の方は、「足がないという説があるにもかかわらず、てくてくと向こうからやってきた」こと、
 第2に、化け物は相手を選ばず、「むしろ平々凡々の多数に向かって、交渉を開こうとしていたかに見える」のに対し、幽霊は、これぞと思う者だけに思い知らせようとするものであり、暗い野路を通る時に"幽霊"が出るのではとビクつく人は、人に恨まれる覚えがないならば、オバケと幽霊を混同しているのだと。
 オバケと幽霊の第3の違いは「時刻」であり、幽霊は"丑みつ時"が知られていますが、実際には"丑みつ時"に限らずいろいろな折に出るらしく、一方オバケの方は、大概は宵と暁が多いとのこと。「人に見られて怖がられるためには、少なくとも夜ふけて草木も眠るという暗闇の中へ出かけてみたところで商売にならない」とのことです。

【1977年文庫化[講談社学術文庫]/2013年再文庫化[角川ソフィア文庫]】

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民俗学的アプローチから歴史哲学的考察を展開。ユニークな視点を示している。

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか.gif 『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)』 ['07年]

 著者は世の中の近代化の流れに背を向け、20代から群馬の山奥の小村に入り、その地において、自然や風土と共同体や労働との関係についての過去と現在を見つめ、自から思索をしてきた異色の哲学者で、里山の復活運動などの"身体的"実践も行ってきている人。
 本書は、日本人がキツネに騙されたという話は何時頃まであったのかという、民俗学的な切り口から入り、実際、キツネの騙し方のパターンの分類などは、そうした興味から面白く読めました。

 著者によれば、キツネに騙されたという話を聞かなくなったのは1965年頃だということで、そうなった理由として、
  ① 高度経済成長には経済的価値のみが唯一の価値となり、自然・神・歴史と自分との連携意識が衰えた、
  ② 科学的真理を唯一の真理とする合理主義により、科学的に説明できないことは迷信やまやかしとして排除された、 
  ③ テレビ゙の普及で与えられた情報だけ事実として受け取るようになり、自然の情報を読み取る能力が衰えた、
  ④ ムラの中で生きていくための教育体系(通過儀礼や年中行事など)が崩れ、受験教育一辺倒になった、
  ⑤ 自然や共同体の中の生死という死生観が変化し、個人としての"人間らしさ"を追求するのが当然になった、
 などを挙げていて、かくして日本人は「キツネに騙される能力」を失った―という、騙されなくなったことを精神性の"衰退"とする捉え方をしているわけです。

 本書を読み進むとわかりますが、本書でのこうした民俗学的な話は、歴史とは何かという歴史哲学へのアプローチだったわけで、著者によれば、日本人は、西洋的な歴史観=幻想(歴史は進歩するものであり、過去は現在よりも劣り、量的成長や効率化の追求が人を幸せにする)をそのまま受け入れた結果、国家が定めた制度やシステムが歴史学の最上位にきて、「キツネに騙された」というような「ムラの見えない歴史」は民俗学の対象とはなっても歴史としては扱われていと、そのことを指摘していて、そこでは、人間にとって大切なものは何かと言う価値観の検証も含めた歴史学批判が展開されており(645年に大化の改新があったことを知って何がわかったというのか)、併せて、近代的な価値観の偏重に警鐘を鳴らしているように思えました。
日本人の歴史意識.jpg
 著者は、民俗学の宮本常一、歴史学の網野善彦などの思想に造詣が深いようですが、個人的には、今まで読んだ本の中では、網野善彦の『日本中世の民衆像』('80年/岩波新書)などもさることながら、それ以上に、方法論的な部分で、西洋史学者・阿部謹也『日本人の歴史意識』('04年/岩波新書)を想起させられるものがありました(中世の民衆の「世間」観を考察したこの本の前半部分は、「日本霊異記」から10話ほどが抜粋され、その解説が延々と続く)。

 本書後半部分の思索は、人にとって「生」とは何か、その営みの歴史における意味は?ということにまで及んで深いが、一方で"キツネ"というアプローチが限定的過ぎる気もし、1965年という区切りの設定も随分粗っぽい。それでも、ユニークな視点を示しているものであることには違いなく、コミュニティ活動のヒントになるような要素も含まれている(具体的にではなく、思考のベクトルとしてだが)ように思えました。

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周辺学界にこそ柳田の後継者はいた。「現代風俗研究会」もその1つ?

民俗学の熱き日々―柳田国男とその後継者たち.jpg 『民俗学の熱き日々―柳田国男とその後継者たち (中公新書)』 ['04年] 柳田国男.jpg 柳田國男

 柳田國男(1875‐1962/享年87)は、ほぼ独力で日本の民俗学を開拓し、また思想家としても後世に多大の影響を及ぼしたとされる人ですが、その個人としての業績が燦然と屹立する一方で、山口昌男が「柳田に弟子なし」と指摘したように、その影響力が誰によって引き継がれたのかが不明であるという面もあり、本書では今一度、民俗学や思想面での彼の系譜がどこに見られるのかを、文献や資料をあたって検証しています。

 柳田の幼年期の祠での神秘体験とそれに関する記述の変容などは面白い(自ら脚色している!)ものの、本全体としてはタイトルの割には地味で、読んでいて柳田の学界内での保守的な姿勢を知るにつれ柳田が嫌いになりそうな気もし、山口昌男も指摘したように、彼は、分野を異にする「異邦人」を歓待する一方で傘下の弟子に「危険な遊戯」を禁じた(つまり、彼自身の学究分野や学説を超えることを禁じた)、その結果、独創的な継承者が育たなかったということのようです。

 但し、本書で「周辺の人々」「読者群像」として紹介されている、彼の人物や書物に触れて大きな影響を受けた人の中には、「周辺の人々」として今西錦司(1902‐92)、貝塚茂樹(1904‐87)、梅棹忠夫(1920‐)らがおり、「読者群像」として桑原武夫(1904‐88)、中野重治(1902‐79)、花田清輝(1909‐74)などがいて、そのビッグネームの連なりとジャンルの幅広さに改めて驚かされます。

 柳田の本に刺激されてニホンオオカミの絶滅に関する伝聞を地方に聞いて回った今西錦司の初期の仕事は、殆ど民俗学者のそれであり、今西は後に、『遠野物語』を自在に論考し、独自の生態学理論を打ち出すのですが、その今西から『遠野物語』を借りて読み、今西より遥かに早くそれについて言及したのが、仏文学者の桑原武夫だったとか、こうした柳田を軸に交錯した関係が興味深く、結局、著者の言わんとしているのは、柳田の影響は民俗学と言う分野だけでなく、むしろ周辺学界に大きな影響を与え、強いて言えば、それらの人々が「後継者」だということのようです。

 そう言えば、「現代風俗研究会」というのがあって、初代会長が桑原武夫、第2代会長は仏文学者・社会学者の多田道太郎(1924-2007)で、なぜフランス文学者が「風俗研究」なのかという不思議さもありましたが、何となく解ったような...。
 本書の著者の父親で、哲学者・評論家でマンガ評論でも知られてる鶴見俊輔氏も「現代風俗研究会」の草創期からのメンバーです。

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遺伝主義批判・平等主義の人類学者による幅広い観点からの入門書。「人種」は現代の神話に過ぎない?

文化人類学の世界.gif 『文化人類学の世界―人間の鏡 (講談社現代新書 255)』 ['71年] Clyde Kluckhohn.jpg Clyde Kluckhohn

文化人類学の世界 C.クラックホーン 講談社現代新書.jpg 米国の人類学者クライド・クラックホーン(1905-1960)の『人間のための鏡("Mirror for Man")』(原著は'49年刊行)の訳本(光延明洋訳/サイマル出版会)とほぼ同時期に新書として刊行された、言語学者・外山滋比古氏らによる同本の抄訳で、原著では自然人類学、文化人類学の双方を扱っているところを、入門書として文化人類学に関する部分を主に抽出して訳したとのことですが、自然人類学についての記述も一部含まれていて、人類学とは何をする学問なのかを、人類と文化、人種、言語、習慣などとの関係を説きながら、幅広い観点から解説しています。

 文化人類学というと、何かフィールド・ワークを通して"決定論"的な法則を探ろうとする学問のようなイメージがありますが、人類学者が、例えば「性格」というものを見る場合(人個人としてではなく社会集団として見る)、社会の構成員が社会的存在として持つ欲望や欲求を"取捨選択"して作り上げた結果として、それを見るのだと著者は言っています。
 つまり、「性格」は大部分が学習(教育)の産物であり、学習はまた多くの部分が文化によって決められ、規制されているのだと。

 教育は「文化を道徳として教える」が、それは例えば、文化にとって良い習慣には褒美を与え、悪い著者には苦痛や罰を与えればいいだけのことで、ただし、著者によれば、文化は選択可能であり、人間は教育次第でどんな人間にでもなれると言っており、ここに著者独自の平等思想があります。

 クラックホーンは遺伝主義を批判したことでも知られていますが、ある子供が有能で魅力的な人物にならなかったとしても、悪い事を親や祖先のせいにしてしまえばそれでお仕舞いで、遺伝主義は「悪いのは俺ではなく自然だ」という考えを擁護し、優生学的な偏見の温床になるというのが彼の考えであり、同じ運命を享受しながらも成功した人間は幾らでもおり、人は運命に逆らう力を持っているという彼の考えは、サルトルとレヴィ=ストロースが対立論争した実存主義と構造主義の関係構図とは対照的に、実存主義に近いものを感じました。

 個人的には、自然人類学に関して書かれている部分が面白く感じられ(「人種」に関する箇所)、
 ●ユダヤ人は、これまで住んだことのある国々の人と完全に混血しているので、いかなる肉体的特性によっても人種として他から区別できない
  (日本人と韓国人だって、理屈から言えば同じことが言える面もあるかも)
 ●家系図は無意味であり、祖先が半分ヨーロッパ系の人なら、シャルル大帝を系図に入れてよいことになる
  (2人の父母、4人の祖父母、8人の曾祖父母、16人の高祖父母と、"尊属"は前世代になるほど増えていくため、必然的にそうなる)
 ●知能指数200の人は、黒人にも白人にも同じ割合でいる
  (確か、ゴンドリーザ・ライス国務長官って200以上あるって聞いたことがある。政治的脚色もあるかも知れないが...)
 等々、なるほどと思わされました。
 クラックホーンは本書の中で、「人種」を指して「現代の神話」と言っています。

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フィールドリサーチの視点とともに、"肉体"に対する舐めつくすような視線を感じた。

ヌバ.jpg レニ・リーフェンシュタール.jpg Leni Riefenstahl nuba.jpg Nuba (1981年).jpg
ヌバ―遠い星の人びと』〔'86年/新潮文庫〕/『The Last of the Nuba』(邦訳タイトル『Nuba (1981年)』(30.8 x 23 x 2 cm))

nuba2.jpg '03年に101歳で亡くなった映画監督であり写真家でもあったレニ・リーフェンシュタール(独:Leni Riefenstahl、1902-2003)は、還暦を過ぎてから突如アフリカに赴き、スーダンの山岳地帯に住む、ヌバ族の中で最も文明の影響を受けていない部族を何年にもわたって取材し、'71年にそれを写真集として刊行、それは世界的なベストセラーになりました。 

石岡瑛子.jpg 本書はその写真を収めた新潮文庫の1冊で、ヌバ族の「無文字」文明の生活が、人類学的なフィールドリサーチの視点から文章でも記録されていますが、日本でもこの文庫に先行して、パルコの広告で知られる石岡瑛子(1938-2012/享年73)氏のアートディレクションのもと、写真集『NUBA』('80年/PARCO出版)として刊行されていて、ヌバの男女の肉体美や躍動美を捉えたショットの数々は、大いに話題になりました。

西武美術館『ヌバ』展(1980)
『ヌバ』展1.jpg 『ヌバ』展3.jpg 

リーフェンシュタール ヒトラー.jpg リーフェンシュタールはその後も、71歳でダイビング・ライセンスを取得し、100歳まで潜り続けて水中写真集を出すなど超人的な活動をしましたが、この人には、かつてヒトラーの援助のもと戦意高揚映画を撮り、また、ベルリン五輪の記録映画として撮った「オリンピア(民族の祭典/美の祭典)」('38年)も、芸術的水準は高いながらも、結果的にはナチ思想に国民を傾倒させるメッセージとなったという過去があり、結局、ナチ協力者という烙印は亡くなるまで消えなかったように思われます。

nuba3.jpg 本書の中で紹介されているヌバ族の、一夫多妻の婚姻形態や独特の死生観が色濃く滲む葬儀の模様は興味深いものでしたが、そうした彼らの習俗の中でも、男たちがその強さ競うレスリング大会のことが詳細に記されていて、また関連する写真も多く、未開の部族の人々の、生きることを通して鍛えられた"肉体"に対する彼女の舐めつくすような視線を感じました。

 これらの写真を見ると、彼女は本当にこうした"肉体"の美を撮ることに執着し、また、その部分においてその才能は最も発揮されたように思え、彼女が「オリンピア」を撮った際に自分の政治的立場を自覚していたかについて、それを疑問視する見方があるのも頷ける気がします(ただ純粋に美しい肉体を撮りたかった?)。但し、欧州では、そうした"無自覚"こそが批判の対象となるのも確かです。

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イスラームの社会・生活・文化をフィールドワーク的視点から紹介。

イスラームを知ろう.jpg  『イスラームを知ろう』 岩波ジュニア新書 〔'03年〕

 イスラームという宗教そのものについても解説されていますが、著者が人類学者であるため、むしろイスラームの社会での結婚や生死に関する儀礼、日常生活の義務規定がよく紹介されています。

 イスラーム社会は世界の広い範囲に及ぶのですが、著者がフィールドワーク的に長期滞在したヨルダン、エジプト、ブルネイなどのことが中心に書かれていて(一応、中東、北アフリカ、南アジアという代表的イスラーム圏にそれぞれ該当しますが)、イスラーム世界のすべてを網羅して解説しているわけではありません。
 それでも、今まで知らなかったことが多く興味深く読めました。

 通過儀礼として有名な「割礼」についても詳しく書いてあります。
 またイスラームと言えば一夫多妻制が知られていますが、「第一夫人」「第二一夫人」...と言っているのは研究者で、平等を重んじるムスリムはそういう言い方はしないとか。
 「ラマダーン(断食)月」というと何か不活発なイメージがありますが、この時期に食料消費量が増え、逆に太ってしまう人が多いというのは何となく可笑しい話でした。

Gene.jpg 本書によれば、「アラジンと魔法のランプ」は、元々は中国の話だそうですが、語源である「ジン」(一種の妖怪)というのが、イスラームが宗教的版図を拡げていく過程で土着信仰を融合する際に生まれたものだというのは興味深いです。
 土着信仰のネガティブな部分を"怪物"的なものに封じ込めたという説は面白いと思いました(土着の悪神をリストラして「ジン」という概念に一本化したとも言える)。

 「善いジン」というのもいるらしいけれど、ディズニーアニメ「アラジン」('92年/米)のランプの精「ジーニー」は、キャラ的には明るいけれど(ジーニーの声はロビン・ウィリアムズが担当)、素質的にはやはり妖怪型かな。

アラジン dvd.jpg 因みに「アラジン」は、ディズニーの長編アニメで初めて非白人が主人公となった映画で(「白雪姫」('39年)から数えて何と65年後)、その後ネイティブ・アメリカンや中国人、ハワイ人という有色人種が主役の地位についていますが、最初がイスラームの話だったというのは興味深いです。

「アラジン」●原題:ALADDIN●制作年:1992年●制作国:アメリカ●監督・製作:ジョン・マスカー/ロン・クレメンツ●脚本:ジョン・マスカー/ロン・クレメンツ/テッド・エリオット/テリー・ロッシオ●オリジナル作曲:アラン・メンケン●時間:90分●声の出演:スコット・ウェインガー/リンダ・ラーキン/ロビン・ウィリアムズ/ジョナサン・フリーマン/ギルバート・ゴットフリード/ダグラス・シール●日本公開:1993/08●配給:ブエナビスタインターナショナルジャパン (評価:★★★★)

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