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色々な見方を教えてくれるが、1人ひとりの記述が浅くて意外と印象に残らない。。

本当に偉いのか2.JPG本当に偉いのか―あまのじゃく偉人伝.jpg本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝 (新潮新書)

 福沢諭吉、夏目漱石、坂本竜馬からアレクサンドロス大王やコロンブスまで、明治の偉人たちから始まって世界史、日本史に名を残した人まで、口上通り、「裸の王様」たる偉人たち(存命中の人物を含む)を"独断と偏見"でブッタ斬る―といった感じの本ですが、誰もかれも殆ど貶しているせいか、すっきりするどころか却って読んでいて嫌気がさす人もいるのではないかと余計な心配をしたりもしました。

 実際、Amazon.comのレビューの中にも、「独りよがり」「読むに堪えない」などの評があって、評価はイマイチみたいです。確かに、本当は偉くないという中に漱石だけでなく司馬遼太郎なども含まれていて、ほんとうは偉いという中に渡辺淳一や石原慎太郎がいるのはどうかと思ってしまう人は多いと思います(個人的には著者の以前からの夏目漱石批判には一部共感させられる面もあり、また、渡辺淳一は初期作品はいいと思うのだが)。

 中には当を得たりと思った部分もあったし、また、この人物についてこんな見方も出来るのだなあということを色々と教えてくれているという意味で(著者にとって極めて好意的な解釈かもしれないが)まずまず面白かったです。、取り上げられている"偉人"たちの中には全否定されているに近い人もいますが、ある部分は認めているようなケース(作家であればある作品は認めているケース)もままあって(どちらかというとこのタイプの方が多い)、その人物の著作やその他業績等をその人物のものに限って相対評価するうえでは参考になるかもしれません(例えば、「第三章 本当に偉いのか偉人伝 日本編」で取り上げられている宮崎駿について、初期作品の「風の谷のナウシカ」('84年)は"まぎれもない傑作"としているが、「もののけ姫」('97年)は失敗作とし、更にそれら以前の「ルパン三世~カリオストロの城」('79年)などは秀作としている)。

 但し、1冊の新書に大勢詰め込んだため1人ひとりの人物に関する記述が浅くなった印象もあります。すらすら読める割には意外と印象に残らないのは、自分によりどころとなる知識が少ないせいもあるかもしれませんが、著者自身が説明を端折っているせいもあるのでは。知識だけひけらかしているように見られても仕方無い面もあるように思えますが、著者自身はどう見られるかはあまり気にしていないのかもしれません。

 全般的には、取り上げているそれらの"偉人"たちについて「過大評価」されているのではないかという疑問を呈しているわけであって、全てを評価しないと言っているわけではないし、これだけそれぞれの人物に詳しいということは、それなりにその人の本を読んだり調べたりしたわけだから、意外と著者本人もどこかでその人物に関心や愛着を持っていたりもするのではないでしょうか。仮に著者にそう問うても、まあ、天邪鬼の本性からすれば、そんなことはないと言下に否定されるでしょうが。

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第一章 上げ底された明治の偉人
福沢諭吉/夏目漱石/岡倉天心/柳田國男/幸田露伴/徳田秋聲/南方熊楠/大隈重信/西郷隆盛/森鴎外/樋口一葉/永井荷風/正岡子規/ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

第二章 本当に偉いのか偉人伝 世界編
アレクサンドロス大王/クリストーバル・コローン(コロンブス)/ベンジャミン・フランクリン/イマニュエル・カント/ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル/ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ/ナポレオン一世/リヒャルト・ワグナー/ハインリヒ・シュリーマン/レフ・トルストイ/フョードル・ドストエフスキー/ガンディー/魯迅/ヴラディーミル・ナボコフ/ハンナ・アレント/ラングドン・ウォーナー/フォービアン・バワーズ/D・H・ロレンス

第三章 本当に偉いのか偉人伝 日本編
石田三成/井原西鶴/和辻哲郎/野上弥生子/福田恆存/中野好夫/丸山眞男/吉田松陰/中島敦/中野重治/上田秋成/坂本竜馬/伊福部昭/尾崎翠/井上ひさし/丸谷才一/十二代市川團十郎/十八代中村勘三郎/司馬遼太郎/中井久夫/宮崎駿/深沢七郎

第四章 誤解の多い偉人/評価保留の偉人
ヘレン・ケラー/ミヒャエル・エンデ/毛利元就/間宮林蔵/野坂昭如/グスタフ・マーラー/光明皇后/筒井康隆/平賀源内/カール・ポパー/谷崎潤一郎/川端康成/ノーム・チョムスキー/牧野富太郎

第五章 あまり知られていない偉人
荻野久作/兼常清佐/ジャン=バティスト・グルーズ/大久保康雄/石山透

第六章 本当は偉いぞ偉人伝
井伊直弼/伊藤博文/山本有三/渡辺淳一/円地文子/大乃国康(芝田山親方)/エミール・ゾラ/本居宣長/フランシスコ・フランコ/曲亭馬琴/野口英世/坪内逍遙/田山花袋/三木卓/石原慎太郎

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幸村関連の20の「謎」を解き明かす。読みやすい。内容は意外とオーソドックスか。

真田幸村「英雄伝説のウソと真実」.jpg


   真田丸 犬伏の別れ.jpg
   2016年NHK大河ドラマ「真田丸」第35回「犬伏」大泉洋/堺雅人/草刈正雄
真田幸村「英雄伝説のウソと真実」 (双葉新書)

 これも、先に取り上げた『真田四代と信繁』('05年/平凡社新書)同様、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」による真田幸村ブームに合わせて刊行された本です。著者(歴史家、フリーの著述業)によれば、真田幸村は日本人に最も愛されている戦国武将であるとともに、通説と実像のギャップが大きいもの特徴であるとのことで、そうした幸村の不正確さについて、「彼について記した一級史料が絶対的に不足している」ことを理由にあげています。

 本書は、幸村や幸村に関連する内容―例えば、その父・真田昌幸、更に真田家そのものの事績―を含めて、まず20の謎を抽出し、それぞれの項目の謎を解き明かしつつ、新しい解釈を示すよう努めたものであるとのことです。従って、それぞれの項目(謎其の一~謎其の二十)は個々に完結したストーリーになっているためどこからでも読めますが、本書全体で真田幸村の一代記となるよう、それを時系列で並べ、時間的な流れで追えるようにもなっているとのことです。

 類書は真田家3代乃至4代にわたって解説されているものが結構多いようですが、本書も真田幸村に関する項目以外に、純粋に父・真田昌幸に関する項目が7項目ばかりあり、大河ドラマも9月頃まで信繁(幸村)よりむしろ昌幸中心にやっていましたから、やはり父・昌幸の存在は大きいなあという気がします。

上田城.jpg 「第1次上田合戦」や「第2次上田合戦」、「犬伏の別れ」、「大阪夏の陣」「大阪冬の陣」など重点項目を集中的に解説しているのが本書のメリットで(事前に全体の流れの方は大まかなところ知っておいた方がよいということにもなるが)、ただ、20の謎と言っても、それほど新鮮と言うか、突飛なものは無かったようにも思います。

徳川軍を2度にわたって撃退した上田城

 「犬伏の別れ」などについても詳しくは書かれていますが、他書にもある記述が大半を占めます。研究され尽くしているのでしょうか。大河ドラマなどは、原作無しの三谷幸喜氏の脚本(実質、三谷幸喜氏が原作者)ということもあってか、むしろ結構大胆な解釈を採り入れていたような...(三谷氏は新聞の連載コラムで、時代考証者と相談して、'可能性のあるもの'を採用しているといった趣旨のことを書いていたように思うが、'可能性のある'という言葉が微妙)。

 ただ、本書は読み物としても読み易く、新書で250ページ超ですが、楽しく最後まで読めました。「謎」の深さはともかく、「謎」を解き明かすというスタイルで、一応読者を引っ張っていき、無理やり奇抜なところに落とし込むのではなく、オーソドックスに纏めているという感じでしょうか。「幸村」中・上級者には全く物足りないと思いますが、自分のような初心者には有難い本です。

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真田氏に関して最初に読む本としてお薦めの新書。

真田四代と信繁.jpg  図説 真田一族.jpg  真田丸s.jpg 真田丸 00.jpg
真田四代と信繁 (平凡社新書)』 『図説 真田一族』 2016年NHK大河ドラマ「真田丸」 草刈正雄(真田昌幸)

 2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の時代考証者による著書で、信濃国小県郡真田郷を本拠とし、武田、上杉、北条、織田、徳川など並みいる大大名らに囲まれつつも、幾多の難局を乗り切り、ついには近世大名として家を守りとおした真田氏の歩みを、新説を交えながら系譜や図を織り交ぜて分かりやすく説明しています。

 著者の前著『図説 真田一族』('15年/戎光祥出版)も幸綱・信綱・昌幸・信繁・信之と続く真田四代を追って、分かり易く解説されていて、その際の章立ては次の通りでしたが―
  第一章 「中興の祖」  真田幸綱(幸隆)
  第二章 「不顧死傷馳馬」真田信綱
  第三章 「表裏比興者」 真田昌幸
  第四章 「日本一の兵」 真田信繁(幸村)
  第五章 「天下の飾り」 真田信之
今回は、
  一章  真田幸綱 真田家を再興させた智将
  二章  真田信綱 長篠の戦いに散った悲劇の将
  三章  真田昌幸 柔軟な発想と決断力で生きのびた「表裏比興者」
  四章  真田信繁 戦国史上最高の伝説となった「日本一の兵」
  五章  真田信之 松代一〇万石の礎を固めた藩祖
と、ほぼ同じ構成です。但し、前著はビジュアル主体で、その分、イメージはしやすいけれど、解説の方が限定的(トピックス的)であったのに対し、今回は、新書で300ページ超あり、様々な出来事を時系列的・網羅的にカバーしていて、繋がりの中で読み進めるのがいいです(因みに本書では、幸村の呼称を、俗称であるある「幸村」でがなく、本名の「信繁」で通している)。

真田丸 昌幸.jpg 章のウェイトとしては、一章の幸綱に46ページ、二章の信綱に16ぺージ、三勝の昌幸に122ぺージ、四章の信繁(幸村)に60ページ、五章の信之に22ページという配分になっていて、昌幸に信繁の倍以上の紙数を割いていることになりますが、大河ドラマの方でも、1月から始まって9月25日の放送回で昌幸が没するまで、殆ど、かつてNHKの新大型時代劇「真田太平記」('85.04~'86.03)で真田幸村(信繁)を演じた草刈正雄が演じるところの昌幸が中心に描かれていたことと呼応し合っていうようにも思われます(草刈正雄の好演もあって、9月25日の放送回終了直後は「昌幸ロス」とまで言われた)。

 大河ドラマの時代考証者なので、大河ドラマの方も本書で書かれているのと全く同じ解釈で進行したかのように思われますが、そうした部分もあればそうでない部分もあり、また幾つかの説があった中から(ドラマであるため)そのどれかに特定しているケースなどもあって、大河ドラマを観た人は、それを思い出しながら読んで見るのもいいかと思います。別に大河ドラマを観た、観ないに関わらず、真田氏に関して最初に読む本としてお薦めです。

真田丸大河ドラマ館6.jpg 信州・上田市に旅行に行き、真田の郷なども巡ってきましたが、「信州上田・真田丸大河ドラマ館」が一番混んでいました。上田城跡公園内の上田市民会館を模様替えして1年間の期間限定で「大河ドラマ真田氏本城跡s.jpg館」にしてしまったようだけれど。以前からある「真田氏歴史館」にも大河ドラマで使われた衣装などがあったりして、しっかりNHKとタイアップ。むしろ、真田氏本城跡(城跡も何も残ってないが真田の郷が一望できる)や真田氏館跡・御屋敷公園などの方が、落ち着いた雰囲気で、戦国武将になった気分を(?)味わえたような気もします。

真田丸 title.jpg真田丸  dvd.jpg「真田丸」●演出:木村隆文/吉川邦夫/田中正/小林大児/土井祥平/渡辺哲也●制作:屋敷陽太郎/吉川邦夫●脚本:三谷幸喜●音楽:服部隆之●出演:堺雅人/大泉洋/草刈正雄/長澤まさみ/木村佳乃/平岳大/中原丈雄/藤井隆/迫田孝也/高木渉/高嶋政伸/遠藤憲一/榎木孝明/温水洋一/吉田鋼太郎/草笛光子/高畑淳子/内野聖陽/黒木華/藤本隆宏/斉藤由貴/寺島進/西村雅彦/段田安則/藤岡弘、/近藤正臣/小日向文世/鈴木京香/竹内結子/哀川翔●放映:2016/01~12(全50回)●放送局:NHK

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会津の奥羽戦争敗因分析が中心だが、ドラマよりも歴史小説(企業小説?)みたいで面白かった。

八重と会津落城.jpg    山本八重(綾瀬はるか).jpg 山本覚馬(西島秀俊).jpg
八重と会津落城 (PHP新書)』   NHK大河ドラマ「八重の桜」 山本八重(綾瀬はるか)/山本覚馬(西島秀俊)

NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 八重の桜.jpg 今年('13年)のNHK大河ドラマ「八重の桜」は、東日本大震災で被災した東北地方の復興を支援する意図から、当初予定していた番組企画に代わってドラマ化されることになったとのこと。本書は一応は「八重と会津落城」というタイトルになっていますが、前3分の2は「八重の桜」の主人公・山本八重は殆ど登場せず、会津藩が幕末の動乱の中で奥羽越列藩同盟の一員として薩長政権と対峙し、会津戦争に追い込まれていくまでが時系列で描かれています。

NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 八重の桜 (NHKシリーズ)

 この部分が歴史小説を読むように面白く読め、福島の地元テレビ局の報道制作局長から歴史作家に転じた著者が長年にわたって深耕してきたテーマということもありますが、歴史作家としての語り口がしっくりきました。

 1862(文久2)年に会津藩の第9代藩主である松平容保(かたもり)が京都守護職に就任するところから物語は始まりますが、著者によればこれがそもそもの会津藩の悲劇の始まりだったとのことで、1866(慶応2)年に薩長同盟が結ばれ、第2次長州征討に敗れた幕府の権力が弱体化する中、公武合体論支持だった孝明天皇が急死して、いよいよ追い詰められた徳川慶喜は大政奉還で窮地を乗り切ろうとします。しかし、慶喜が思っていたような解決は見ることなく、王政復古、新政府樹立、鳥羽・伏見の戦いでの旧幕府軍の惨敗、戊辰戦争と、幕府崩壊及び明治維新へ向けて時代は転がるように変遷して行きます。

 松平容保が京都守護職の辞任を申し出て叶わず、容保と会津藩士が京都に残留したことで、「官軍」を名乗った薩長から見て「賊軍」とされてしまったのが会津藩の次なる悲劇でした(本書では「官軍」という言葉を使わず、敢えて「薩長連合軍」としている)。元々幕府寄りであった会津藩ではあるけれど、会津城に籠城して落城するまで戦った会津戦争という結末は、幕府への忠義を貫き通したという面もあるにしても、こうした流れの延長にあったともとれるのではないかと思います。

八重の桜0.jpg 八重が本書で本格的に登場するのは、その会津城での最後の籠城戦からで、時局の流れからも会津藩にとってはそもそも絶望的な戦いでしたが、それでも著者をして「『百人の八重』がいたら、敵軍に大打撃を与え壊滅させることも不可能ではなかった」と言わしめるほどに八重は大活躍をし、また、他の会津の女性達も、城を守って、炊事や食料調達、負傷者の看護、戦闘に至るまで、男以上の働きをしたようです。
「八重の桜」山本八重(綾瀬はるか)

 但し、本書では、会津藩がこうした事態に至るまでのその要因である、奥羽越列藩同盟のリーダー格であるはずの仙台藩のリーダーシップの無さ、そして何よりも会津藩そのものの戦略・戦術の無さを描くことが主たる狙いとなっている印象で、それは、戊辰戦争での戦略ミス、奥州他藩との交渉戦略ミス、そして奥羽戦争での度重なるミスなどの具体的指摘を通して次々と浮き彫りにされています(詰まる所、会津藩のやることはミスの連続で、悉く裏目に出た)。

八重の桜 西郷頼母.jpg その端的な例が「白河の戦」で戦闘経験も戦略も無い西郷頼母(ドラマでは西田敏行が演じている)を総督に据えて未曾有の惨敗を喫したことであり、後に籠城戦で主導的役割を演じる容保側近の梶原平馬(ドラマでは池内博之が演じている)も以前から西郷頼母のことを好いてなかったというのに、誰が推挙してこういう人事になったのか―その辺りはよく分からないらしいけれど(著者は、人材不足から梶原平馬が敢えて逆手を打った可能性もあるとしているが)、参謀が誰も主君を諌めなかったのは確か(ちょうどその頃会津にいた新撰組の土方歳三を起用したら、また違った展開になったかもーというのが、歴史に「もし」は無いにしても、想像を掻き立てる)。
「八重の桜」西郷頼母(西田敏行)

八重の桜 松平容保.jpg しかも、その惨敗を喫した西郷頼母への藩からの咎めは一切なく、松平容保(ドラマでは綾野剛が演じている)はドラマでは藩士ばかりでなく領民たちからも尊敬を集め、「至誠」を貫いた悲劇の人として描かれてる印象ですが、こうした信賞必罰の甘さ、優柔不断さが会津藩に悲劇をもたらしたと言えるかも―養子とは言え、藩主は藩主だろうに。旧弊な重役陣を御しきれない養子の殿様(企業小説で言えば経営者)といったところでしょうか。本書の方がドラマよりも歴史小説っぽい? いや、企業小説っぽいとも言えるかも。
「八重の桜」松平容保(綾野 剛)

 薩長側にも、参謀として仙台藩に圧力をかけた長州藩の世良修蔵のように、交渉の最中に「奥羽皆敵」「前後から挟撃すべし」との密書を易々(やすやす)相手方に奪われてその怒りを買い、更に、怒った相手方にこれもまた易々殺されて今度は新政府の仙台藩への怒りを喚起し、結局、鎮撫するはずが奥羽戦争のトリガーとなってしまったような不出来な人物もいるし、逆に会津藩にも、新国家の青写真を描いた「管見」を新政府に建白し、岩倉具視、西郷隆盛たちから高く評価された山本覚馬(八重の兄)のような出来た人物もいたことも、忘れてはならないように思います。

 本書でも少しだけ登場する長岡藩の河井継之助は、司馬遼太郎の長編小説『峠』の主人公であり、この小説を読むと、長岡藩から見た奥羽列藩同盟並びに奥羽戦争に至る経緯がよく窺えます(河井継之助も山本覚馬同様、進取の気質と先見の明に富む人物だったが、北越戦争による負傷のため41歳で亡くなった。明治半ばまで生きた松平容保や山本覚馬よりも、こちらの方が悲劇的か)。

八重の桜.jpg「八重の桜」●演出:加藤拓/一木正恵●制作統括:内藤愼介●作:山本むつみ●テーマ音楽:坂本龍一●出演:綾瀬はるか/西島秀俊/風吹ジュン/松重豊/長谷川京子/戸田昌宏/山野海/工藤阿須加/綾野剛/稲森いずみ/中村梅之助/中西美帆/西田敏行/宮崎美子/玉山鉄二/山本圭/秋吉久美子/勝地涼/津嘉山正種/斎藤工/芦名星/風間杜夫/中村獅童/六平直政/池内博之/宮下順子/黒木メイサ/剛力彩芽/小泉孝太郎/榎木孝明/生瀬勝久/吉川晃司/反町隆史/林与一/小栗旬/及川光博/須賀貴匡/加藤雅也/伊吹吾郎/村上弘明/長谷川博己/オダギリジョー/奥田瑛二/市川染五郎/神尾佑/村上淳/松方弘樹/谷村美月●放映:2013/01~12(全50回)●放送局:NHK

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写真集が出来上がった経緯に感動。「聞き書き」者の果たした役割も大きい。

『トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録』.jpgトランクの中の日本.jpg  Joe O'Donnell.jpg  J. O'Donnell(1922‐2007)
トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録』 ['95年](26.8 x 23.4 x 2.2 cm)

焼き場に立つ少年.jpgジョー・オダネル.jpg ジョー・オダネル(1922‐2007/享年85)は、ホワイトハウスのカメラマンとして、トルーマンからジョンソンまで4代にわたる大統領の元で写真を撮影し、暗殺されたケネディの棺の前でケネディ・ジュニアが敬礼する写真は世界中に配信されました。そこから遡ること18年、第二次世界大戦での日本敗戦直後の1945年9月、彼は占領軍の海兵隊のカメラマン(米国空爆調査団公式カメラマン)として佐世保に上陸し、約7ヵ月間、長崎や広島を歩き、日本と日本人の惨状をフィルムに収めることになります。

 本書はその写真集であり、ジョー・オダネルのことは、'05年2月にTBSで「原爆の夏 遠い日の少年」として放映され(ATP賞総務大臣賞、日本民間放送連盟賞テレビ報道部門賞、平成16年度文化庁芸術祭テレビ部門優秀賞受賞)、更に没後の'08年8月にNHKスペNHKスペシャル「解かれた封印 ~米軍カメラマン.jpg「解かれた封印〜米軍カメラマ2.jpgシャルで「解かれた封印〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI〜」として放映されていますが(第35回放送文化基金賞(テレビドキュメンタリー番組部門)、ヒューゴ・テレビ賞ドキュメンタリー(歴史・伝記)部門金賞受賞)、彼の撮った写真で最も有名な、幼い弟を荼毘に付す順番を待つ少年をの写真「焼き場に立つ少年」(オリジナルのキャプションは「焼き場にて、長崎」)などは、軍には内密に私用のカメラで撮られたものです。

 ジョー・オダネルは本国に帰国後、それまで敵国として捉えていた日本及び日本人に対する自らのイメージの変容に戸惑い、また爆心地で目の当たりにした光景の悲惨な記憶に耐えかね、これらのネガフィルムや記録メモを自らトランクの中に封印する一方、爆心地を歩き回ったことによる被爆後遺症に悩まされ続けますが、ジェニファー・オルドリッチ(本書の「聞き書き」者)との出会いにより、戦後半世紀近く経てその封印を解き、'90年にアメリカで、92年に日本で写真展を開きます。

ジョー・オダネル1.jpg ジェニファー・オルドリッチの聞き書きを読むと、オダネルは、最初から従軍カメラマンとして赴任したのではなく、海兵隊に配属になってから「撮影」という任務を与えられたようです。
 最初は意気揚々と佐世保に上陸し、焼夷弾で焼け野原となった佐世保市内を見てショックを受けるものの、これで長崎・広島を取材するにあたっての"免疫"が出来たと思い、むしろ日本の文化に関心を示して、市井の日本人と交流しつつ、その生活ぶりなどを撮っていますが、その後で実際に長崎・広島に入り、原爆が投下されて間もない両市街地のあまりの惨状に、佐世保市内を見て身についたと思われた"免疫"は全くの無力だったという思いがしたとのことで、長崎・広島を見た彼の受けた衝撃の大きさがよく伝わってきます。

J. O'Donnell

 結局、戦後数十年、彼は当時の記憶を封印してはいましたが(任務とは別に密かに撮った写真であるということもあるし、それ以上に、こうした写真を公開することがアメリカ国民の一般的感情を逆撫ですることは必至であると容易に予想できたということがあるのではないか)、しかし、彼自身何の記憶も忘れ去ることは出来ずにいて、それを引き出すことによって彼を心理的に解放したのがジェニファー・オルドリッチだったとも言えます。  

 本書が出来上がるに際してジェニファーの果たした役割も大きいと思われ、戦場写真家として有名な人は多くいますが、2人の共同作業であるこの写真集が訴えかけるものの大きさという点では、それらに勝るとも劣るものではなく、また、オダネル自身もその後は平和運動家として活動しながら、日本も訪れてこの写真集に写っている人たちの何人かと再会しています。

Japan 1945  .jpg ジェニファーによる状況再現が胸を打つ「焼き場に立つ少年」の、その被写体となった少年との再会は果たせませんでしたが、少年のその後も気がかりながら、この写真が'95年のスミソニアンでの展示企画から外されて以来(長崎市に寄贈されて長崎原爆資料館に展示されている)、彼の仕事がどれぐらい米国など諸外国で知られているのかが気になります。

 米国での彼の原爆写真集の公式刊行は'08年になってからで、"Japan 1945: A U.s. Marine's Photographs from Ground Zero"というタイトルからも窺えるように、9.11同時多発テロが刊行の契機になっており、表紙には、(衝撃を緩和するためか)"生きている"幼子を背負った少年の写真が使われています。
Japan 1945: A U.s. Marine's Photographs from Ground Zero

《読書MEMO》
●本書「焼き場にて、長崎」のコメント(インタビュー・文:ジェニファー・オルドリッチ)
 (前略) 焼き場に一〇歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じつと前を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
 私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?

●TBS「原爆の夏 遠い日の少年」でのコメント(『写真が語る20世紀 目撃者』('99年/朝日新聞社)より抜粋(インタビュー・文:上田勢子))
 佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。男たちは60センチほどの深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広場で遊んでいる子供たちの姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意思が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか?白いマスクの男たちがおもむろに近づき、背中の赤ん坊をゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは、少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました...。

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暗い気持ちになる写真が多い中、子供たちが遊んでいる写真にふと心が和む。

部落1藤川清.jpg 『写真記録部落』 ['84年] 部落 藤川.jpg 『部落―藤川清写真集 (1960年)
(27.2 x 19.8 x 2.2 cm)

部落_1106.jpg 冬季札幌オリンピックのポスター写真などで知られる写真家・藤川清(1930‐1990/享年59)の'84(昭和59年)に刊行された写真集で、主に昭和30年代頃の全国の部落を取材しています(当時、藤川清は20代半ばだったということになる)。

 藤川清は昭和35年に写真集『部落』('60年/三一書房)を発表、展示会などを開いて、日本写真批評家協会新人賞を受賞していて、この新書版の本は、かつては関西の公立や学校の図書館などで見かけたことがありましたが、今は、少なくとも東京の公立図書館では殆ど見かけず、Amazonマーケットプレイスなどの古書市場であまり出回っていないようです。

 本書は、三一書房の『部落』で使われた写真をベースに、ジャーナリストの東上高志氏が解説文を添えていますが、かつて部落のあった場所の"現在の(80年代前半の)"様子を撮ったカラー写真も一部含まれています。

部落_1104.jpg この写真集を今(2010年)見るということは、約25年前に刊行された写真集の中で、当時の更に25年前(1960年前頃)に撮られた写真を見るということになりますが、写っている部落の様子や人々の暮らしぶりは、更に時代を遡って終戦間もない頃のものを見ているような印象を受け、部落の人々がいかに時代に取り残された生活を余儀なくされていたかが分かります。

 部落の歴史についても書かれていますが、一番大元の江戸時代にどうして部落が作られたのかということについては、一般には士農工商の更に下の身分層を設けて、農民を百姓という身分に安住させるためだったとされているものの、具体的には不明な点が多いらしく、①皮革産業の保護政策のもと支配者がそれを独り占めしようとし、従業者を囲い込んだことによるもの、②城や城下町を建設するために労働者を集め、出来上がってからは、掃除・見回りなどの雑務にあたらせるために住まわせたもの、③交通運輸の必要から、街道や川筋、港近くに作ったもの、④農村内部で農民を分裂させたり、部落を分村させて作り、農業の傍ら雑業などにあたらせたもの、が成立パターンとして考えられるとのことです。

部落_1105.jpg なぜ明治時代に入っても部落が残ったのかと言うと、農民の不満を下に向けるという施策が引き続き政府により踏襲されたからですが、本書では、それに加えて、農民を土地に縛り付けて収奪するというアメリカの社会の差別の様式が日本に取り込まれ、「階層(身分)」ではなく「金(貧乏)」によって差別するという図式に再構成されたのだとしています。

 見ていて暗い気持ちになる写真が多く、息苦しささえ感じられるような写真もありますが、そうした中で、子供たちが遊んでいる時に見せる笑顔などを撮ったものにはふと心が和み、但し、写真の下に「いま彼は32歳」とか書いてあると(そうすると今57歳かあ)、この子がどのような人生を送ったのかと、また考えてしまいます。

 藤川清が作家・水上勉の取材に同行した際に、クルマの後部座席で水上勉が、「おどろいたネー、部落を写真にとって展覧会をひらいたサムライがいるんだよ。すごいネー」と言い、前の助手席に座っているのがその当人であると初めて知って飛び上がったというエピソードが興味深いです(藤川清は、クルマで移動する間ずっと、どうしてそんな大それたことが出来たのかと、水上勉から"取材"され続けたとのこと)。

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物価から昭和ヒトケタの時代の"サラリイマン"など庶民の生活を探った労作。

「月給百円」のサラリーマン.jpg 『「月給百円」のサラリーマン―戦前日本の「平和」な生活 (講談社現代新書)』 ['06年]

 著者は共同通信社の中国総局に勤務する記者であるとのことですが、そういった人が個人で、昭和ヒトケタの時代の日本人の暮らしぶりを、モノの価格を中心にミクロ的な観点から調べ上げたもので、その精緻な調査ぶりには脱帽させられます。最近の講談社現代新書は、本によって密度の濃い薄いの差が激しいように思うのですが、これは濃い方で、庶民生活史としては第一級史料的なものに仕上がっているのではないでしょうか。

 大正から昭和になって不況があり、デフレ後は物価安定期が続いたとのことで、昭和ヒトケタの時代の物価は、目安として大体2千倍すれば今の物価に該当するとのこと。だから、「月給百円」というのは今の20万円で、その頃は今で言う年収240万円ぐらいで、まあまあ何とか生活できたらしい(本書を読み進む上では、この「2千倍」計算を頭の中で何度となく繰り返すことになる)。但し、モノの価格が2千倍なのに対し、ヒトの収入の方は5千倍に上がっているそうで(500万円が平均ということか)、やはり、日本人の暮らしは確実に豊かになったと捉えるべきなのでしょう。

 因みに、当時と今と比べて、"2千倍"比率を超えて相対的に大きく価格上昇しているのは、住宅(地価)と教育費(大学授業料など)であるとのことで、地価はともかく大学授業料は、大学出が超エリートだった当時と比べると(但し、やがて大学を出ても就職できないような状況も生まれるが)、今は大学進学がかなり普通のことになっているだけに、やはり、今の授業料高はおかしいのではと、個人的には思った次第。

 著者による調査は、日常の生活物価だけでなく、一流企業の初任給や軍人の俸給から花街の玉代まで多岐に及んでいて、どの会社も国立大(帝大)卒と私立大卒では同じ大卒でも初任給が違った、などといったことから、身売りしてきた娼妓の前借りが平均千百円(今の2百万円ぐらいか)だった、ということなどまで、様々なことを本書で初めて知りました。

 数字だけでなく、間に挿入されている庶民生活や風俗に関する記述も興味深く(「援助交際」や「サラ金」なども当時からあった)、但し、本書は"サラリイマン"など一般の都市生活者を中心に書かれていて、一方で、資本家と労働者、都市と農村の貧富の差が今以上にずっと大きいものであったことを指摘することも忘れてはいません(そうした点で、今の中国が1930年代の日本によく似ていると指摘しているのが興味深い)。

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5大決戦を戦術面・戦略面で検証。最後は、原子爆弾vs.風船爆弾という悲劇的滑稽さ。

なぜ日本は敗れたのか.jpg          太平洋戦争六大決戦  上  錯誤の戦場  中公文庫.jpg 太平洋戦争六大決戦  下  過信の結末  中公文庫.jpg       秦郁彦.jpg 秦郁彦 氏
なぜ日本は敗れたのか-太平洋戦争六大決戦を検証する(新書y)』 ['01年]/『太平洋戦争六大決戦〈上〉錯誤の戦場 (中公文庫)』『太平洋戦争六大決戦 (下) 過信の結末 (中公文庫)

 『昭和史の謎を追う』など斬新かつ公正な昭和史観で菊池寛賞なども受賞している著者が、『太平洋戦争六大決戦』('76年/読売新聞社・'98年/中公文庫(上・下))、『実録太平洋戦争』('84年/光風社出版)として以前に刊行された著作の、後半第2部"エピソード編"を一部削って新書化したもので、オリジナルは四半世紀も前に書かれたということになります。

 第1部で太平洋戦争における日米戦略を概説し、「ミッドウェー」「ガダルカナル」「インパール」「レイテ」「オキナワ」の決戦をとり上げて、作戦の当否や戦力比較、勝敗の分かれ目となった両軍の判断などを分析していますが、あれっ、副題に「六大決戦」とあるのに5つしかない?(第1部は削っていないはずだが...)

失敗の本質  中公文庫.jpg 因みに、よく組織学の本として引き合いにされる戸部良一・編著『失敗の本質』('84年/ダイヤモンド社・'91年/中公文庫))は、この5つに「ノモンハン」を加えた6つをケーススタディしています。本書は、『失敗の本質』のように企業経営論に意図的に直結させるような組織論展開はしていませんが、各決戦の戦況経緯を詳説すると共に、日本軍の戦術の誤り、或いはそれ以前の戦略上の問題点を、組織論的な観点も含め考察しており、「戦争オタク本」「軍事オタク本」とは一線を画しているように思えます。
失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

回避行動中の空母「飛龍」.jpg 「ミッドウェー海戦」の敗戦は、空母「赤城」が味方機の着艦を待ってから攻撃に移ろうとして逆に敵機の先制攻撃を受けたことが敗因だ(そこに日本人的感情=仲間意識が働いたことが「失敗の本質」である)とよく言われますが(操縦士の人命ではなく、その選抜的能力に着目すれば、感情論の入る余地はないのだが)、その他のミスや読み違いが数多くあり、それら以前にも作戦意図の共有化や偵察機の索敵機能などに根本的問題があったことがわかります(但し、本書の後に書かれた『失敗の本質』も、基本的な敗因考察においては同じ)。

ミッドウェー海戦で回避行動中の空母「飛龍」(本書には「赤城」とあるが誤りであると思われる)[毎日新聞社]

 著者は、「ミッドウェー海戦」には日本側の数々の失策があったが、それらが無くてもせいぜい「相討ち」だったのではないかとしていますが、ともかく日本は完敗し、これにより日清・日露戦争以来の日本の「不敗神話」は崩壊するとともに、その後のソロモン群島での消耗戦などもあって、開戦時は日本側が優位であった日米両海軍の力関係は、逆転するわけです。
 
その後に続く「ガダルカナル」「インパール」などの決戦は悲惨の極みであり、ガダルカナルでは2万人以上、インパールでは、死者数すらわからないが、おそらく同じく2万人以上の戦力を失っているとのこと。著者の、戦術論的に「まだ戦い方があった」「別のやり方があった」というのはよく分かりますが、結局「ミッドウェー海戦」で全てが決していたような気がします。エピソードの最後にある「風船爆弾」の話があり(日本がアメリカ本土を唯一に直接攻撃したもので、9千発強の風船を発し、300発ほどアメリカに到着したが、爆発したのは28発だけ。死者発生は1件6名で、オレゴン州当地に記念碑がある)、「原子爆弾対風船爆弾という、あまりに悲劇的ながらユーモラスな対照のうちに太平洋戦争は終わった」と締め括っているのが印象的でした。

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民俗学的アプローチから歴史哲学的考察を展開。ユニークな視点を示している。

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか.gif 『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)』 ['07年]

 著者は世の中の近代化の流れに背を向け、20代から群馬の山奥の小村に入り、その地において、自然や風土と共同体や労働との関係についての過去と現在を見つめ、自から思索をしてきた異色の哲学者で、里山の復活運動などの"身体的"実践も行ってきている人。
 本書は、日本人がキツネに騙されたという話は何時頃まであったのかという、民俗学的な切り口から入り、実際、キツネの騙し方のパターンの分類などは、そうした興味から面白く読めました。

 著者によれば、キツネに騙されたという話を聞かなくなったのは1965年頃だということで、そうなった理由として、
  ① 高度経済成長には経済的価値のみが唯一の価値となり、自然・神・歴史と自分との連携意識が衰えた、
  ② 科学的真理を唯一の真理とする合理主義により、科学的に説明できないことは迷信やまやかしとして排除された、 
  ③ テレビ゙の普及で与えられた情報だけ事実として受け取るようになり、自然の情報を読み取る能力が衰えた、
  ④ ムラの中で生きていくための教育体系(通過儀礼や年中行事など)が崩れ、受験教育一辺倒になった、
  ⑤ 自然や共同体の中の生死という死生観が変化し、個人としての"人間らしさ"を追求するのが当然になった、
 などを挙げていて、かくして日本人は「キツネに騙される能力」を失った―という、騙されなくなったことを精神性の"衰退"とする捉え方をしているわけです。

 本書を読み進むとわかりますが、本書でのこうした民俗学的な話は、歴史とは何かという歴史哲学へのアプローチだったわけで、著者によれば、日本人は、西洋的な歴史観=幻想(歴史は進歩するものであり、過去は現在よりも劣り、量的成長や効率化の追求が人を幸せにする)をそのまま受け入れた結果、国家が定めた制度やシステムが歴史学の最上位にきて、「キツネに騙された」というような「ムラの見えない歴史」は民俗学の対象とはなっても歴史としては扱われていと、そのことを指摘していて、そこでは、人間にとって大切なものは何かと言う価値観の検証も含めた歴史学批判が展開されており(645年に大化の改新があったことを知って何がわかったというのか)、併せて、近代的な価値観の偏重に警鐘を鳴らしているように思えました。
日本人の歴史意識.jpg
 著者は、民俗学の宮本常一、歴史学の網野善彦などの思想に造詣が深いようですが、個人的には、今まで読んだ本の中では、網野善彦の『日本中世の民衆像』('80年/岩波新書)などもさることながら、それ以上に、方法論的な部分で、西洋史学者・阿部謹也『日本人の歴史意識』('04年/岩波新書)を想起させられるものがありました(中世の民衆の「世間」観を考察したこの本の前半部分は、「日本霊異記」から10話ほどが抜粋され、その解説が延々と続く)。

 本書後半部分の思索は、人にとって「生」とは何か、その営みの歴史における意味は?ということにまで及んで深いが、一方で"キツネ"というアプローチが限定的過ぎる気もし、1965年という区切りの設定も随分粗っぽい。それでも、ユニークな視点を示しているものであることには違いなく、コミュニティ活動のヒントになるような要素も含まれている(具体的にではなく、思考のベクトルとしてだが)ように思えました。

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太平洋戦争降伏を決意したのは、「国民」のためではなく「三種の神器」を守るため !?

昭和天皇.jpg 『昭和天皇 (岩波新書 新赤版 1111)』['08年] 原 武史.jpg 原 武史 氏(政治学者)

 2008(平成20)年・第11回「司馬遼太郎賞」受賞作。

 本書によれば、天皇の地方視察や外国訪問などの政治的活動は一般国民に可視の(お濠の外側の)ものであリ、御用邸を訪れたり園遊会を催したりすることは政治的活動ではないが、これもお濠の外側のものであると。
昭和天皇の新嘗祭.jpg 一方、不可視の(お濠の内側での)活動は、戦前は「統治権の総攬者」として上奏に対し下問するという政治活動があったが、今は象徴天皇なのでそれは無い。そうすると残るのは、お濠の中での非政治的活動で、宮中祭祀とか生物学研究がそれに当たるが、本書では、その、国民の目から見えにくい宮中祭祀に注目し(天皇が勤労感謝の日に新嘗祭を行っているのを今の若い人の中でで知っている人は少ないのではないか)、昭和天皇の宮中祭祀へのこだわりを通して、天皇は何に対して熱心に祈ったのかを考察しています。
昭和天皇による「新嘗祭」

 もともと昭和天皇は宮中祭祀に熱心ではなかったようですが、そのことで信仰に口うるさかった貞明皇太后との間で軋轢を生じ、逆に新嘗祭などの祖宗行事を熱心に行うようになり―最初は皇太后口封じのために行っていたのが、太平洋戦争時には、敗色濃厚になるにつれアマテラスに熱心に戦勝祈願するようになっていた―「万世一系」の自覚のもと晩年まで祭祀の簡素化を拒み続けてきたとのことです。

 「皇祖神」信仰(或いは皇太后に対する責任意識)に比べれば、国民に対する責任意識は希薄だったようで(戦争降伏を決意したのは「三種の神器」を守るため !?)、そのことは、戦後の祈りについても同じで、敗戦を招いたことを「皇祖神」に詫び続け、平和への祈願も国民に向けてよりもまず「皇祖神」に向けてのものであり、戦争責任について記者会見で問われても国民に対する責任意識が無いために俄かに反応できず、ましてや戦争で辛酸を舐めたアジア諸国の人々を思い遣るといった発想はどこにもない―ということでしょうか。

 ショッキングな内容の本ですが、昭和天皇が貞明皇太后に抗えず祭祀を執り行うにあたり、どうやって自分を合理化したのかについて、生物学研究を通して神的なものに惹かれていったと考察しており、こうした考察を含め、先に結論ありきで進めていて、確証の部分が少し弱いようにも感じられました。
 ただ、個人の信仰や責任意識の度合いは不可知ではないかという気はするものの、『昭和天皇独白録』が、昭和天皇自らが作成に関与した戦争責任の「弁明の書」であること(吉田 裕 『昭和天皇の終戦史』('92年/岩波新書))などからも(高松宮は昭和天皇がA級戦犯に全責任を押しつけたことを批難している)、意識は国民より「皇祖神」の方へ向いていたというのは、生身の人間して考えた場合にあり得ることではないかと思った次第です。

《読書MEMO》
 1937年に勃発した日中戦争以降、天皇は毎年続けていた地方視察を中断する。また戦争の激化とともに、御用邸での滞在や生物学研究も中断されるが、宮中祭祀だけは一貫して続けられた。いやむしろ、天皇はますます祭祀に熱心になり、宮中三殿のほかに、靖国神社や伊勢神宮にもしばしば参拝する。特に靖国神社には45年まで毎年欠かさず参拝し、飛躍的に増えつつあった「英霊」に向かって拝礼するようになる。
 天皇の祈りを本物にしたのは、戦争であった。太平洋戦争が勃発した翌年の1942年、天皇は伊勢神宮に参拝し、アマテラスに僭称を祈った。戦況が悪化した45年になっても、天皇は祭祀を続け、勝利にこだわった。6月にようやく終結に向けて動き出すが、天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれてきた「三種の神器」を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次であった。(12p)

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終戦工作の全容をわかり易くまとめつつ、「昭和天皇独白録」が天皇の戦争責任弁明書であることを検証。

昭和天皇の終戦史.jpg昭和天皇の終戦史 (岩波新書)』['92年] 「大元帥」 昭和天皇.jpg「大元帥」昭和天皇(昭和3年11月)

皇居.jpg 1990年に発見された「昭和天皇独白録」は、その率直な語り口を通し戦争時における天皇の苦悩や和平努力が窺え、国民を感動させましたが、歴史家の秦郁彦氏は、これは東京裁判で天皇を無罪にするために「作成」されたものであり、その英文版がどこかに在るはずだと言ったら、本当にその通りだった―。

 本書は、戦後処理、戦争責任を巡る政局において、天皇をとりまく宮中グループが、「国体保持」とういう旗印のもと、どのように終戦工作に走ったのかを追うとともに、15年戦争開戦に遡って、開戦に至る経緯や泥沼化の過程での国の指導者たちの果たした影響を洗い出し、「独白録」が作られた経緯とその内容を検証しています。

近衛文麿.jpg 天皇の側近者である宮中グループは、軍部と積極的に同調し15年戦争を推進したのですが(天皇自身も大元帥として東條英機らに指示を下した)、中には近衛文麿のように、太平洋戦争開戦に反対し、戦争末期には天皇に早期終戦を上奏しつつ、一方で秘密裡に「天皇退位工作」に動いた分派的な人もいたとのことで、但し、自らもインドシナ侵攻などには賛成した経緯がありながら、東條英機ら軍部に全責任を押し付けるという点では本流グループと同じだったのが、自らに戦争責任が及び逮捕されるに至って自殺してしまう―。
近衛文麿.

昭和天皇独白録.jpg その後も内外に天皇の責任を追及する声はあったけれど、戦争末期から「天皇制維持工作」をしていた宮中グループ(この時間稼ぎの間にも原爆が投下されたりしているのだが)の意向は、詰まるところ、占領統治を円滑にするには「天皇制維持」が望ましいとする米国の考えに一致するものであり、あとは連合軍諸国を納得させ、且つ天皇に戦争責任が及ぶのを防ぐにはどうするかということで、宮中グループ、中でも米国とのパイプの強い寺崎英成らが、「天皇の無罪」の証拠を作る―それが「昭和天皇独白録」だったのだなと。
昭和天皇独白録

寺崎英成.jpg 寺崎英成(柳田邦男の『マリコ』では日米の架け橋的人物として描かれている)という人物の光と影、「独白録」にも記されていない満州事変や日中戦争の責任問題(加害者意識ゼロ)、東條英機に全責任を負わせるための本人への説得工作(担当した田中隆吉は天皇から「今回のことは結構であった」と"ジョニ赤"を東條英機に賜った)等々、改めて驚くような内容が書かれています。
寺崎英成

 著者が30代後半の時の著作ですが、膨大な資料調査を背景としつつ、終戦工作の全容をわかり易くまとめていて、更に、「独白録」が昭和天皇の戦争責任弁明書であることを検証しています(当然のことながら、こうした本を頭から否定する人もいるだろう)。
 「独白録」発見の2年後に刊行されたのは、当時、「独白録」の実態解明に向けて学者間に競争原理が働いたこともあったでしょうが、著者の力量を感じました。

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戦国はヨーロッパ流の「食うか食われるか」の時代。マキャベリズムの実践者だった信長と秀吉。

敗者の条件2.jpg敗者の条件 改版 (中公文庫 あ 1-5)』文春文庫['07年改版版]敗者の条件.jpg敗者の条件―戦国時代を考える (中公新書 (62))』['65年] 
 
会田雄次(あいだゆうじ).jpg 西洋史学者・会田雄次(1916‐1997)が書いた日本史の本で、晩年は右派の論客として鳴らした人ですが、学者としても40代で既に専門分野の枠を超えていた?
 でも何故、イタリア・ルネッサンスの専門家が日本の戦国武将のことを書くのか?

会田雄次 (1916‐1997/享年81)

アーロン収容所.jpg そのあたり、まず、『アーロン収容所』('62年/中公新書)にもあった自身の英軍捕虜体験の一端が本書でも紹介されていて、それは、英国人が、死刑判決を受けた日本人戦犯に対し、恩赦が下るという偽の噂を流して生きる望みを抱きかけたところで処刑を行うというもので、肉体だけでなく精神まで破壊しないと復讐をしたという気にはなれないという英国人(ヨーロッパ人)の、日本人には見られない復讐心の強さ、あるいは競争心の強さなどを指摘しています。

 著者の専門であるルネッサンス期のイタリアは、こうしたヨーロッパ人気質が最も顕著に現れた時代であり、小国乱立の中、芸術・文化の繁栄と権謀術数の渦巻く政治が併存していたのですが、ヨーロッパ史全体を俯瞰すればこうした状況の方がむしろ常態であり、それに比べると日本の歴史はぬるま湯のような時代が殆どを占める、その中で戦国時代というのは、ちょっと油断をすれば寝首を掻かれる特異な時代で、この時代に限れば、ヨーロッパ流の「食うか食われるか」という時代だったと。

 こうした観点のもとに、歴史の敗者となった人物が、どこでどういう過ちを犯してそうなったのかを、斎藤道三、武田信玄・勝頼、蒲生氏郷、松永秀久などの辿った道を追いながら検証していますが、彼らに共通するのは、肉親に対する思い入れや自分に対する過信、敵に対する見くびりなどが、ここ一番という時の判断を狂わせ、それが身の破滅に繋がったとしているとのことで、一方で、織田信長や豊臣秀吉など、世が平和であれば異常者とされたり卑賤とされたりするような人物が戦国の世において覇権を握ったのは、従来の日本人(あるいは武将)の価値規範や因習にとらわれず、また、ここぞという時に決断し、躊躇せず実行に移すだけの胆力があったという、その人間的器の違いに尽きるということのようです。

 信長や秀吉のしたことの中には、常軌を逸した非人道的な事柄も少なくありませんが、その行動指針は、著者が指摘するように、マキャベリの君主論に見事に重なっているように思え(例えば「一度叛いた人間には、けして最終的に信を置くな」といった法則)、途中で挿入されているヨーロッパ史上のやり手の君主の話や油断して殺された側の話が、これら日本の武将たちの明暗とダブり、より説得力をもって「敗者」と「勝者」の違いが理解できます。

 戦国モノなので、読んで面白いということが先ずありますが、1つ1つの史料に対してその真偽を吟味している点では歴史家のスタイルを保ちながら、本書で展開されている趣旨の中核部分が、ある種の精神論であるというのも興味深いです。

 【1983年文庫化・2007年改版[中公文庫]】

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個人的推測で書かれている部分が多い。"自由訳「魏志倭人伝」"がいい。

古代日本はどう誕生したか プレイブックス.jpg
古代"日本"はどう誕生したか―封印されてきた古代史の謎』〔'99年〕豊田有恒氏.jpg 豊田有恒 氏

 著者の本は最近あまり読んでいませんが、昔は100%SF作家だった―と思う。それが、古代史研究の方に傾倒し(この頃までは何冊か読んでいた)、その後、韓国問題研究へとスライド、最初は親韓派だったけれど、いつの間にか嫌韓(厭韓)派になっている...(「古代史」物もまだ書いていますが)。

吉野ヶ里遺跡.jpg三内丸山遺跡.jpg もともと学問的進路(慶大医学部中退)や職業選択(手塚治虫作品の脚本作家だった)においても紆余曲折があった人で、いろいろ周辺事情もあったようですが、自分の興味や嗜好に素直だとも言えるのかも。

 80年代終わりから90年代にかけて三内丸山遺跡(縄文文化・青森市/写真左)や吉野ヶ里遺跡(弥生文化・佐賀県神埼郡/写真右)の発掘調査が進み、90年代後半にかけて古代史ブームが起きましたが、著者もそうしたブームを後押しした一人。
 ただし、著者に言わせれば、戦後の古代史研究は、戦前の皇国史観に対する過剰反省から抜け出せておらず、左翼研究者の自虐史観によって歪められているということで、それが本書のサブタイトル"封印されてきた古代史"ということに繋がるようです。

 縄文時代の始まりが5千年ぐらい引き上げられ1万6,500年前とされたことから始まり(これは当時、既に「新たな定説」となっていた)、古代中国における「倭人」の位置づけの高さ、日本語のオリジナリティ、日本神話のイマジネーションの高さ、古墳文化の素晴らしさなど、古代日本文化に対する礼賛が続きます。
 話題は広いけれども、個人的推測で書かれている部分も多く、大学教授ではあるけれども何となく在野の香りがする人。ただし、本書は読み物としては、歴史の〈いろいろな見方〉をわかりやすく示していると思います(〈新事実〉ではなく)。

 本書で一番気に入ったのは、「魏志倭人伝」で邪馬台国について書かれている箇所(漢字2千字足らず)を「ですます調」で現代語訳している部分で(本書で12ページ相当に膨らんでいる)、紀元3世紀の邪馬台国人の姿や風習が鮮やかに浮かび上がってきます。
 "自由訳「魏志倭人伝」"といったところか。やっぱり、作家だなあ。

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軍部の度重なる判断ミスの犠牲になったのはどういった人たちだったかがわかる。

アジア・太平洋戦争.jpg 『アジア・太平洋戦争 (岩波新書 新赤版 1047 シリーズ日本近現代史 6)』 〔'07年〕

 岩波新書の「シリーズ日本近現代史(全10巻)」の1冊ですが、このシリーズは、「家族や軍隊のあり方、植民地の動きにも目配りをしながら、幕末から現在に至る日本の歩みをたどる新しい通史」というのがコンセプトだそうです。
 "通史"と言いながらも年代区分された各巻ごとにそれぞれ筆者が異なり、執筆方針もかなり執筆者側に委ねられているようですが、家族、軍隊、植民地の3つがポイントになっているという点ではほぼ共通しているように思えます。

 本書では、1941年から45年までの5年間、つまり太平洋戦争に絞って解説していますが、著者はこの戦争を、満州事変・日中戦争も含めたうえでの「アジア・太平洋戦争」という捉え方をしています。
 日米戦であると同時に、アジア権益をめぐる日英戦として本戦はスタートしており、実際に41年12月の開戦時も、真珠湾攻撃よりも1時間早く英領マレー半島のコタバル上陸が始まっていているのは、それを象徴するような事実です。

 本書では、なぜ当時の日本は開戦を回避できず、また戦いが長期化して周辺アジア諸国に犠牲を強い、日本とアジアの関係に深い傷跡を残したのかを、さまざまな記録から検証していますが、「御前会議」において昭和天皇が果たした「能動的君主」としての役割など、最近の資料研究も織り込まれていて興味深いものがあります。

 開戦後すぐにこの戦争は対米戦としての様相を強め、なぜ国力が桁違いの大国アメリカと戦争したのかと今でも疑問視されますが、本書を読むと、軍事面だけで見ると、開戦時においては日本の軍事力の方がアメリカより上だったことがわかります。
 ミッドウェー海戦やガダルカナル戦で日本が劣勢に向かう転機になったとされていますが、例えばガダルカナルにおいては艦艇の損失は日米拮抗しており、日本にとって痛手だったのは、地上戦において米軍の十倍以上の2万余の死者を出したことで(その4分の3は病死または餓死)、こうした人的損失が兵員の不足やレベル低下を招いたと―。
 ガダルカナルの敗因は補給路を絶たれるという戦略的ミスですが、日本軍はその後もインパール作戦などで同様の過ちを繰り返すわけです。

 こうした軍部の度重なる判断ミスの犠牲になったのは、まず第1に、戦場に散った兵士たちですが、本書では、戦場における兵士の惨状だけでなく、軍隊内の私刑や特攻隊員の不条理な選ばれ方、軍に苦役させられた中国人や殺害された沖縄県民のことなども書かれています。
 「アジア・太平洋戦争」という事例を通してですが、戦争とはどのようなものなのか、結果としてどのような人々が苦しむのか、戦争というものが孕む矛盾がよくわかる本です。

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「決戦」型戦争しか知らず、中国のソフトパワーの前に破れた日本のハードパワー。

日中戦争.jpg 『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ (講談社現代新書)』 〔'07年〕 小林英夫.jpg 小林英夫・早稲田大学アジア太平洋研究センター教授 (略歴下記)

 1937年7月の盧溝橋事件に端を発した日中戦争における日中の戦略的スタンスの違いを、短期決戦(殲滅戦)で臨んだ日本に対し、消耗戦に持ち込もうと最初から考えていた中国という捉え方で分析しています。

蒋介石.jpg  本書によると、日本軍は開戦後まもなく上海に上陸し、さらに南京に侵攻、国民政府・蒋介石は首都・南京を捨て、重慶にまで後退して戦力補充を図ったために戦局は消耗戦へと移行する―、こうした流れはもともと蒋介石により仕組まれたものであり、過去に消耗戦の経験を持たず「決戦」的な戦争観しか持たない日本(このことは太平洋戦争における真珠湾攻などで繰り返される)に対し、蒋介石は、日本側の長所・短所、自国の長所・短所を的確に把握していて、消耗戦に持ち込めば日本には負けないと考えていたようです。
蒋介石 (1887‐1975)

 日本に留学した経験もある蒋介石は、日本軍が規律を守ることに優れ、研究心旺盛で命令完遂能力が高い一方、視野が狭い、国際情勢に疎い、長期戦に弱い、などの欠点を有することを見抜いており、また、下士官クラスは優秀だが、将校レベルは視野が狭いために稚拙な作戦しか立てられないと見ていましたが、著者がこれを、現代の日本の企業社会にも当て嵌まる(従業員は優秀だが、社長や取締役は必ずしもそうではない)としているのが、興味深い指摘でした。

 著者はさらに、武器勢力などのハードパワーに対し、外交やジャーナリズムに訴えるやり方をソフトパワーと呼んでいて、外国勢力との結びつきの強い上海を戦場化し、さらに南京において大量虐殺を行うなどして、自らの国際的立場を悪くし、一方で、戦局が劣勢になっても本土国民に対し、あたかも優勢に戦っているかのような情報しか流さなかった日本のやり方は、戦局が長期化するにつれ綻びを生じざるを得なかったとしています。

 本書後半50ページは、日本の軍部が検閲・押収した兵士やジャーナリストの手紙・文書記録からの抜粋となっており、これを読むと、戦線に遣られた兵士の絶望的な状況が伝わってきますが、中国で捕虜などに残虐行為を働いた兵士が、そのことで自らも厭世的気分に陥り戦意阻喪しているのが印象的でした。

 1945年8月、日中戦争は日本の敗北で終わりますが、それは、優位性を誇る自らのハードパーワーに頼った日本が、外交・国際ジャーナリズムなどソフトパワーを活かす戦略をとった中国に破れた戦いだったいうのが本書の視点であり、現在の国際経済競争などにおいて、はたしてこの教訓が活かされているだろうかという疑問を、著者は投げかけています。
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小林英夫 (コバヤシ・ヒデオ)
1943(昭和18)年東京生まれ。早稲田大学アジア太平洋研究センター教授。専攻は、日本近現代経済史、アジア経済論。著書に『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』『「日本株式会社」を創った男――宮崎正義の生涯』『満鉄――「知の集団」の誕生と死』『戦後アジアと日本企業』など。

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50年史に10年分足したものが60年史になるのではないのだと認識させられる。

戦後史.jpg  『戦後史 (岩波新書 新赤版 (955))』  〔'05年〕

 戦後60年の日本の歴史が、政治・外交・経済から、思想・社会・文化・風俗に至るまでの幅広い視点でコンパクトに書かれて、「戦後」を俯瞰するのに"手頃な"著作となっています。また、終戦時10歳だったという著者の時代ごとの個人的記憶も盛り込まれていて、著者の年齢だからこそ語れるリアリティがありました。

 戦後50年に「戦後」とは何かがいろいろ論じられたのに、敢えてここで戦後60年史を書くことについて著者は、この10年間の地殻変動のような国際的環境の変化を挙げていますが、それはイタリアの歴史家の「すべての歴史は現代史である」という言葉とも符合します。

 つまり、50年史に10年分足したものが60年史になるのではなく、新たな事態や事実に直面した場合に、今までの歴史認識の再検証を迫られることがままあるということでしょう。それらは本文通史の中で度あるごとに具体例として示されています。

 そして著者は、日本においては「終った戦争」と「終らない戦争」の二重構造があり、戦後民主主義(国際ジャーナリストの松本重治は「負け取った民主主義」と呼んだ)を否定的に捉える論調が強まるなかで、"戦後"をどういうかたちで終らせるか、我々は岐路に立っているとしていて、この指摘は"重い"と思いました。

 個人的には、司馬遼太郎の愛読者でありながら"司馬史観"というものを批判しているという著者に関心があって本書を手にしましたが、本文中に示された多くの参考文献(比較的新しいものが中心)は、著者の旺盛な研究意欲とバランス感覚を表すとともに、それらの巻末索引が読者への親切な手引きともなっています。

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意外性を感じる独自の「黒幕」(=足利義昭)説。興味深くは読めたが...。

謎とき 本能寺の変.jpg謎とき本能寺の変.jpg  『謎とき本能寺の変』 講談社現代新書 〔'03年〕  

 1582(天正10)年に起きた「本能寺の変」は、日本史最大の謎の1つとされていますが、従来の「光秀怨恨説」(明智光秀が個人的怨恨により単独実行したとする説)に対して、「朝廷関与説」(信長の権勢に危機感を持った朝廷が参画したとする説)がよく聞かれます。しかし本書では、本当の黒幕は、京都からの追放後、毛利氏に身を寄せていた足利義昭ではなかったか、というかなり意外なものです。

本能寺の変 時代が一変した戦国最大の事変.jpg 確かに、智将・光秀が何の後ろ盾も将来展望もなくクーデーターに及んだというのは考えにくいのかも知れません。しかし、都を追われ遠く中国地方に居候の身でいた抜け殻のような将軍が、光秀の後ろ盾になるのかどうか疑問を感じます。著者は本書刊行の前年にNHKの「その時歴史が動いた」('02年7月24日放送分)にゲスト出演し、松平アナの前ですでにこの「足利義昭黒幕説」という自説を展開していたのですが、あのときの番組の反響はどうだったのでしょうか。

 ('07年7月刊行の学研の新・歴史群像シリーズ『本能寺の変―時代が一変した戦国最大の事変』でも、この説は「朝廷関与説」などと並んで3大有力説の1つとしてとりあげられている。)

 本書自体は、冒頭で本能寺の変にまつわる従来の諸説を整理し、また政変から毛利氏と対峙し備中高松城を水攻め中だった秀吉の帰還(中国大返し)、山崎(天王山)の合戦までの流れを、信長や秀吉の政治観などを交えながら(大学教授らしく文献に基づいて)検証的に解説していて、それなりに興味深く読めるものではありました。
 
 全行程200kmをたった5日で移動したという秀吉の「中国大返し」の迅速ぶりなどについても、話が出来すぎているみたいで謎が多いようです。筒井康隆の歴史SFモノに、黒田官兵衛が電話で新幹線の座席を買い占めて、秀吉軍が岡山から「ひかり」で移動するというナンセンス小説(「ヤマザキ」)があったのを思い出しました。

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「靖国」に纏わる戦後史を時系列で追いつつ、国家が死者を追悼することの意味を問う。

靖国の戦後史76.JPG  靖国の戦後史.jpg靖国の戦後史 (岩波新書 新赤版 (788))』〔'02年〕

Yasukuni Shrine.jpg '05年に入り、『靖国問題』(高橋哲哉/ちくま新書)、『靖国神社』(赤澤史朗/岩波書店)、『国家戦略からみた靖国問題』(岡崎久彦/PHP新書)、『首相が靖国参拝してどこが悪い!!』(新田均/PHP研究所)、『靖国問題の原点』(三土修平/日本評論社)など「靖国」関連本の刊行が相次ぎ、'06年に入っても『戦争を知らない人のための靖国問題』(上坂冬子/文春新書)などの、この問題の関連本の出版は続きました。
 これら書籍は過去のものも含め、その多くが首相の靖国参拝などについて賛成派と反対派に明確に分かれ、本書もその例外ではありません。

 ただし本書の特徴として、「靖国」に纏わる戦後史を時系列で追っていて、基本的な知識を得るうえで参考になります。そうした歴史を通して、著者は、国家が死者を追悼することの意味を批判的視点から問うているのですが、こうして見ると、「靖国問題」の不思議な歴史的側面も見えてきました。

 戦後、GHQの国家神道廃止方針により靖国神社は一宗教法人となりますが、'52年の安保条約発効前後に、民間宗教法人となって初の首相参拝(吉田茂)や天皇の参拝が行われている。また、'58年の前後数年にほとんどの軍属戦没者が合祀されている(その膨大な情報を神社側はどうやって入手したのかというのも本書が指摘する問題点の1つ)。'78年のA級戦犯合祀は秘密裏に行われましたが、翌年に判明。しかしその時々においては、何れも今日ほど大きな議論にはなっていない。う〜ん。仮に外圧(中国・韓国からの批判)がなければ、「靖国問題」がここまでクローズアップされたかどうか。

 「靖国問題」が注目されるようになったのは、'85年の中曽根首相の10回目の参拝で(所謂「公式参拝」とした問題、この時も中国・韓国からの批判が問題化の契機になった)、以来11年間首相参拝は途絶えましたが、'96年に橋本首相が1度だけ参拝し、問題が再燃。首相参拝は以後、小泉首相までありませんでした。結局のところ、首相参拝を合法であるとする根拠説明が出来ないということでしょうが(靖国神社を特別宗教法人にしようという動きなどもそこから派生しているのだろう)、にも関わらず小泉首相は'01年から6年連続して「靖国参拝」を敢行したわけです。
 う〜ん。「公的とか私的とか私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した」という話では、中国・韓国が納得しないでしょうね。

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「歴史探偵」的趣きの鼎談。歴史の違った見方を教えてくれる。

昭和史の論点.jpg  『昭和史の論点』 文春新書 〔'00年〕 坂本 多加雄.jpg 坂本 多加雄 (1950−2002/享年52)

 雑誌『諸君!』で行われた4人の昭和史の専門家の鼎談をまとめたもの。
 文芸春秋らしい比較的「中立的」な面子ですが、それでも4人の立場はそれぞれに異なります。

 『国家学のすすめ』('01年/ちくま新書)などの著者があり、52歳で亡くなった坂本多加雄は「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーでもあったし、秦郁彦は「南京事件」に関しては中間派(大虐殺はあったとしているが、犠牲者数は学者の中で最も少ない数字を唱えている)、半藤一利は『ノモンハンの夏』('98年/文藝春秋)などの著書がある作家で、保阪正康は『きけわだつみのこえ』に根拠なき改訂や恣意的な削除があったことを指摘したノンフィクション作家です。

 しかし対談は、既存の歴史観や個々のイデオロギーに拘泥されず、むしろ「歴史探偵」的趣きで進行し、張作霖事件、満州事変、二・二六事件、盧溝橋事件...etc.の諸事件に今も纏わる謎を解き明かそうとし、またそれぞれの得意分野での卓見が示されていて面白かったです(自分の予備知識が少なく、面白さを満喫できないのが残念)。
 昭和史と言っても敗戦までですが、最近になってわかったことも随分あるのだなあと。昭和天皇関係の新事実は、今後ももっと出てきそうだし。

 歴史に"イフ(if)"はないと言いますが、この対談は後半に行くに従い"イフ(if)"だらけで、これがまた面白く、歴史にはこういう見方もあるよ、と教えてくれます。
 その"イフ(if)"だらけを一番に過激にやっているのが秦郁彦で、やや放談気味ではありますが、こうした立場を越えた自由な鼎談が成り立つのは、月刊「文芸春秋」の編集長だった半藤一利に依るところが大きいのではないかと思います。

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