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「インカの世界」入門だがやや専門的? 人類学者と写真家のざっくりしたコラボ。

インカの世界を知る.jpgインカの世界を知る (岩波ジュニア新書)

 南米アンデス地方を中心に栄えたインカとはどのような文明を持ち、どのような人々が暮らしていたのか。神秘と謎に包まれたインカの魅力を多数の写真とともに紹介した、いわば「インカの世界」入門といった感じの本で、人類学者でラテンアメリカ研究を専門とする木村秀雄氏による第1部「インカを知る」(約50ページ)と、写真家・高野潤氏による第2部「インカを知るための10の視点」(約140ページ)から成ります。

 これまで高野潤氏のインカに関する著書を何冊か読んできて、写真家でありながら、インカについて殆ど学究者クラスの造詣の深さを感じていましたが、著者が出るごとに、どんどんインカ道の奥深くに分け入っていき、それはそれでいいのですが、読んでいて、今どの辺りにいるのか分からなくなってしまったりして(笑)。また、それらの本は、ある程度インカの歴史などを理解している読者を想定しているフシもあり、今一度、インカのことを"おさらい"しておきたく思っていた時に出た本で、ちょうどいいタイミングと思い、本書を手にした次第です。

 と言っても、高野潤氏の担当パートである第2部の「10の視点」は、やはりややマニアックというか、(内容的には面白いのだが)ジュニア新書にしてはやや専門的な内容にも思え、一応その前に、木村秀雄氏による第1部「インカを知る」で、インカとは何か、インカ国家はどのように拡大し変質したのかといったインカの歴史から、アンデス山脈の地勢・気候・自然、アンデスの文明・農牧畜、アンデスやクスコ地方の牧畜儀礼などが網羅的・概観的に書かれているので、この第1部と第2部の組み合わせで、入門書としての体裁になっているのだろうとは思いますが、「入門」的内容もあれば専門的内容もあり、「入門書」かと言われるとどうか―ややざっくりしたコラボになっているように思います。

 例えば、もう少し歴史にも重点をおいて"おさらい"して欲しかった気もします。木村秀雄氏は人類学者であり、高野潤氏もフィールド・リサーチャーっぽいところがあるので、流れとしては第1部と第2部が繋がっているのですが、インカの歴史に関する記述が第1部・第2部ともあまりに簡潔すぎて、物足りなかったでしょうか。

 とは言え、全体としては楽しく読めました。高野潤氏は、本書においても引き続き、インカ道を奥深く分け入って行っているという印象でしょうか。写真も(モノクロではあるが)豊富で、神殿や聖所、儀礼・神託所、マチュピチュやビルカバンバ山中の都市、数々の奇岩や水路跡、階段畑、カパック・ニャン(インカ道)、墳墓などの多くが写真付きで紹介されています。ジュニア新書だからといって手抜きしないというか、それが、裏を返せば、あまり、ジュニア新書という感じがしないということにもなっているのかもしれません。

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世界遺産となったインカ道。更にスケールが大きくなった著者のインカ探訪。

カラー版インカ帝国.jpg 『カラー版 インカ帝国―大街道を行く (中公新書)』['13年] マチュピチュ 天空の聖殿.jpgカラー版 マチュピチュ―天空の聖殿 (中公新書)』['09年]

 同じく中公新書にある著者の『カラー版 アマゾンの森と川を行く』('08年)、『カラー版 マチュピチュ―天空の聖殿』('09年)に続く第3弾で、この後『カラー版 新大陸が生んだ食物―トウモロコシ・ジャガイモ・トウガラシ』('15年)という近著が中公新書にありますが、とりあえず前著『カラー版 マチュピチュ』が良かったので、本書を手にしました。

 インカ道を歩くという意味では、岩波新書にある『カラー版 インカを歩く』('01年)に近い感じもしますが、それから12年、今回スケールはぐっと大きくなって、北はコロンビア南端、南はチリ、アルゼンチン中部まで、総延長3万キロにも及ぶカパック・ニャンと称される、帝国が張り巡らせた王道をフィーチャーしています(因みに「インカ道」は、本書刊行の翌年['14年]。にユネスコ世界遺産に認定されている)。

 海岸地方の砂漠や鬱蒼とした森林地帯、荒涼たる原野などを街道が貫いている様は壮大で、且つ、古代へのロマンを感じさせます(インカ道が"舗装"されたのは15世紀頃)。また、こんな場所に石畳や石垣でもってよく道を引いたものだという驚きもありました。著者は、実際にそうした街道を自ら歩いて、マチュピチュをはじめとした街道沿いの遺跡や、谷間に刻まれた大昔に作られ現在も使われている段々畑、その他多くの美しい自然の風景などをカメラに収めているわけですが、今もそうした道を歩けるというのもスゴイと思われ、広大なインカが求心力を保った「帝国」と足りえたのは、まさにこの「街道」のお蔭ではなかったのかと思ったりもしました("インカ"という言葉そのものが「帝国」という意味であるようだが)。

 巻頭にインカ道の地図がありますが、難を言えば、あまりにスケールが大きすぎて、文章を読んでいて今どの辺りのことを言っているのかがやや把握しづらかった箇所もあったので、もう少し地図があってもいいように思いました。また、インカの歴史などは、もう少し図や年譜を用いた解説があってもよいように思いましたが、新書という限られた枠の中で、写真の方を優先させたのでしょうか。実際、小さな写真にも美しいものがありました。

 文章も美しく、格調が高いように思われ、この人、写真家と言うより、だんだん学者みたいになっていくなあという印象も持ちましたが、実際に自分でインカ道を歩き、写真を撮っているという意味では、やはり写真家なのだろなあ。

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マヤ文明入門の新旧2冊。マヤ文明に関心がある人にはどちらもお薦め。

マヤ文明 青山和夫 岩波新書.jpg  青山和夫.jpg 青山和夫氏  石田英一郎 マヤ文明―世界史に残る謎.jpg  石田英一郎.jpg 石田英一郎(1903-1968)
マヤ文明―密林に栄えた石器文化 (岩波新書)』['12年] 『マヤ文明―世界史に残る謎 (中公新書 127)』['63年]

 『マヤ文明―密林に栄えた石器文化』は('12年/岩波新書)、2008(平成20)年3月に「古典期マヤ人の日常生活と政治経済組織の研究」で第4回(平成19年度)日本学士院学術奨励賞を受賞した青山和夫・茨城大学教授の著書ですが、近年のマヤ考古学の成果から、その時代に生きていた人々の暮らしがどのようなものであったかを探るとともに、マヤ文字の解読などから、王や貴族の事績や戦争などの王朝史を解き明かしています。

マヤ文明の謎.jpg 個人的には、青木晴夫『マヤ文明の謎』('84年/講談社現代新書)以来のマヤ学の本であったため、知識をリフレッシュするのに役立ちましたが、本書の前半部分では、著者とマヤ文明との出会いから始まって、マヤ文明に対する世間一般の偏見や誤謬を、憤りをもって指摘しており、読み物としても興味深いものでした。

人類大移動 アフリカからイースター島へ.jpg マヤ人はどこから来たかというと、1万2000年以上前の氷河期にアジア大陸から無人のアメリカ大陸に到達したモンゴロイドの狩猟採集民が祖先であるとのこと(この辺りは、印東道子・編『人類大移動―アフリカからイースター島へ』('12年/朝日新書)の中の関雄二「最初のアメリカ人の探求―最初のアメリカ人」に詳しい)、従って、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したのではないと。

 コロンブスがアメリカ大陸をインドだと思い込んだためにこの地を「インディアス」(東洋)と呼び、この地の住民をスペイン語で「インディオ」、英語で「インディアン」と呼ぶようになったわけで、これはヨーロッパ人が誤解して名付けた差別的用語であるとのことです。

 著者によれば、マヤ文明をはじめとするメソアメリカ(メキシコと中央アメリカ北部)と南米のアンデスというアメリカの二大文明は、旧大陸の「四大文明」(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)と共に何も無いところから発した一次文明であり、「四大文明」史観は時代遅れで、「六大文明」とするのが正しいと(マヤとアステカ・インカを一纏めにすることも認めていない)。

吉田洋一『零の発見』.jpg マヤ文明では、文字、暦、算術、天文学が発達し、6世紀の

    古代インドに先立って人類史上最初にゼロを発見
しており、算術は二十進法が基本、また、マヤ暦は様々な周期の暦を組み合わせたもので、長期暦は暦元が前3114年で、2012年12月23日で一巡したことになり、この長期暦の「バクトゥン」という5125年の単位が最も大きいスパンを表すとされていた(吉田洋一『零の発見』('49年/岩波新書)にもそうあった)ために、ここから、映画「2012」('09年/米)のモチーフにもなった「マヤ文明の終末予言」なるものが取り沙汰されたわけですが、実際にはマヤには長期暦よりもそれぞれ20倍、400倍、8000倍、16万倍の長さの周期の4つの暦があることが判っており、16万倍だと6312万年周期になりますが、更にこの上に19もの二十進法の単位(200兆年×兆倍)があり、2京8000千兆年×兆倍の循環暦も見つかったとのことです(ちょっと凄すぎる)。従って、2012年で暦が終わるので世界も終末を迎える―などという話はまったくの捏造映画「2012」.jpgであり、こうした捏造されたマヤ文明観がオカルトブーム、商業主義と相まって横行していることに対して著者は憤りを露わにしています。

映画「2012」('09年/米)

クリスタルスカルの魔宮.jpg 映画「インディー・ジョーンズ」シリーズの「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」('08年/米)などに出てくる"クリスタルスカル"のモチーフとなった"マヤの水晶の髑髏"も19世紀にドイツで作られたものと判っているそうで、東京ディズニーシーのアトラクション「クリスタルスカルの魔宮」も、その名からしてマヤ文明への正確な理解を妨げるものということになるようです。

 因みに、マヤ人というのも別に滅んだわけではなく、今もグアテマラなどに多数生活しているわけで、但し、「マヤ人」を一つの民族として規定すること自体が誤りであるようです。第1章でこうしたマヤ文明への誤った理解にも言及したうえで、第2章以下第6章まで、ホンジュラスでの世界遺産コバン遺跡発掘調査のレポートと考察(マヤ文明の衰退の主因は森林伐採による環境破壊説が有力だが、コバン衰退の原因は戦争だったようだ)、マヤ文明における国家・諸王・貴族たち(インカなどとは異なり、諸王朝が遠距離交換ネットワークを通して様々な文化要素を共有しながら共存した)、農民の暮らし(社会の構成員の9割以上が被支配層で、その大部分が農民だった。トウモロコシは前7000年頃にマヤ人が栽培化し、品種改良を重ねた)、宮廷の日常生活などについての解説がなされています。

 それらの記述に比べると、むしろマヤについて多くの人が関心を持つ文字、算術、暦などに関する記述は第1章に織り込まれていて、相対的には軽く触れられているだけのような印象も受けますが、それは著者が石器研究を専門とする考古学者であることとも関係しているのかもしれないものの、自分が最初に読んだマヤ学の本である石田英一郎の『マヤ文明―世界史に残る謎』('67年/中公新書)に立ち返ると、既に当時の時点で、マヤ文字やマヤの算術、暦学、天文学などについてはかなりのことが判っていたことが窺えます(よって本書は、専ら近年の新たな知見にフォーカスした本であるとも言える)。

『マヤ文明―世界史に残る謎』.jpg 石田英一郎(1903-1968)は考古学者ではなく"桃太郎"研究などで知られる文化人類学者であり、中公新書版のこの本を書くにあたって、「これは専門家のための専門書でもなければ、また専門家によって書かれた通俗書でもない」と断っていますが、1953年と63年の2度に渡ってマヤ地帯を旅した経験をも踏まえ、マヤ文明に関する当時のスタンダード且つ最新の知識を紹介するとともに、それを人類文化史の中に位置付ける構成になっており、文字、算術、暦などに関する解説はもとより、文化人類学者の視点から宗教等に関するかなり専門的な記述も見られます。
それは、最初の"謙遜"っぽい断りが専門家に対する若干の嫌味に思えるくらいであり、但し、当時"マヤ学者"と呼ばれるほどにマヤに特化した専門家は殆ど皆無だったようですが、そうした背景があるにしても、昔の学者は、自らの専門に固執せず、どんどん未開拓の分野へ踏み込んでいったのだなあと(本書は第21回(1967年)毎日出版文化賞[人文・社会部門]受賞)。

 また、第1章は、著者個人のマヤへの想いが迸ったエッセイ風の記述になっており(冒頭の、スペイン船の乗組員で船が難破してマヤの捕虜となり、マヤの酋長に仕えるうちにマヤの習慣に同化した男の話が興味深い)、そうしたことも含め、青山和夫氏の新著に共通するものを感じました。

 新旧両著とも新書の割には図版が豊富で読み易く、マヤ文明に関心がある人にはどちらもお薦めです。

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写真の構成は「岩波版」より上か。よりマチュピチュにフィーチャーした内容。

マチュピチュ 天空の聖殿.jpgカラー版 マチュピチュ―天空の聖殿 (中公新書)』['09年] カラー版 インカ帝国―大街道を行く.jpgカラー版 インカ帝国―大街道を行く (中公新書)』['13年]

マチュピチュ 天空の聖殿 01.jpg 30年間の間に30回以上にわたってマチュピチュに通ったという著者による写文集で、インカの始祖誕生伝説、山岳インカ道、マチュピチュをはじめとする数々の神殿や儀礼石、周辺の山や谷、花、ハイラム・ビンガムの発見以前の歴史などが豊富な写真と文で紹介されています。

インカを歩く.jpg 著者の前著『カラー版 インカを歩く』('01年/岩波新書)では、世界遺産である「天空の都市」マチュピチュや、インカ道のチョケキラウという「パノラマ都市」を紹介するとともに、古い年代の遺跡が眠る北ペルーペルーや、南部のインカ帝国の首都があったクスコ周辺、更にはもっとアンデスを下った地域まで紹介していました。

カラー版 インカを歩く (岩波新書)』['01年]

 本書『カラー版 マチュピチュ―天空の聖殿』は、『カラー版アマゾンの森と川を行く』('08年/中公新書)、そして今年刊行された『カラー版 インカ帝国―大街道を行く』('13年/中公新書)の中公新書3部作の一冊という位置づけ(?)のためか、他書と同様に旅行記の形をとりながらもよりマチュピチュにフィーチャーした内容となっており、マチュピチュに繋がる山岳地のインカ道を歩み、その道程にある遺跡の数々を紹介しながら、マチュピチュの都市そのものへと話が進んでいく形をとっています。

 同じく写文集である柳谷杞一郎氏の『マチュピチュ―写真でわかる謎への旅』('00年/雷鳥社)によれば、マチュピチュの建造目的には、アマゾンの反抗部族に対する備えとしての要塞都市、特別な宗教施設、皇帝に仕える女性たちを住まわせる後宮、避暑のための別荘地的王宮、等々の諸説あるようですが、どの説もそれだけでは説明しきれない部分があるとのことです。

マチュピチュ 天空の聖殿 03.jpg 本書も、同じような見解を取りつつも、マチュピチュがどのような性格を持つ城であったのか、インカは何を求めて建設したのかを改めて考察するとともに、そこで実際にどのような生活があったのかを探っていて、とりわけ個人的には、様々な遺跡にそれぞれ宗教的・祭祀的意味合いがあったことを強く印象づけられました。

 マチュピチュがインカにとってどのような存在であったかをインカの世界観や死生観、自然観などと結びつけて語る著者の語り口は、前著同様に第一級の文章となっており、更に、写真の美しさ、壮大さは岩波版を上回るものであって、著者のフォト・ライブラリーの更なる充実ぶりを窺わせます(そもそも"カラー版"は、「岩波新書」より「中公新書」の方が"一日の長"があるのか。写真の配置や構成がダイナミック)。

 巻頭のクスコからマチュピチュへ至る折り返しカラー地図などからもそうした印象を受けましたが、ただ、折角2種類折り込んだ通常版とレリーフ版の地図が縮小サイズがさほど変わらず、マチュピチュ付近がごちゃごちゃした感じになっているのがやや残念。

マチュピチュの空撮写真(本書より)

 インカの人々の生活や文化、宗教を実地的に深く探る一方で、最後の皇帝アタワルパの悲劇や王族トゥパク・アマルの叛乱といったその滅亡の歴史については、前著との重複を避けるためか、必要な範囲内での解説にとどめているため(ある意味、概略は周知であることを前提とした"上級編"とも言える)、紀行ガイドとして読めば本書だけも十分ですが、歴史的経緯も知りたければ、他書と併せ読むことをお勧めします。

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アンデスに夢を馳せ、山脈の隅々に潜むインカの囁きを聴くには充分な1冊。

インカを歩く.jpgカラー版 インカを歩く (岩波新書)』['01年]高野 潤.jpg高野 潤 氏(写真家/略歴下記)

 アンデスの雄大な自然と伝統を30年にもわたり撮り続けてきた写真家による写文集。

 第1章で、世界遺産である「天空の都市」マチュピチュを紹介しているのは一般的であるとして、その後インカ道を奥深く分け入り、チョケキラウという「パノラマ都市」をフィーチャーしていますが、ここも凄く神秘的で、要するにマチュピチュみたいなのが山奥にまだまだあったということなのかと、インカ文明の懐の深さに驚かされます。

 そして更に幾多の山や谷を抜け、インカ族がスペイン人に最後の抵抗を試みた際に籠もったとされるビルカバンバ地方へ。
 ここは、本当にジャングルの"奥地"という感じで、そこに至るまでに、また幾つかの大神殿があるのですが、これらを見ていると、インカ文明が「石の文明」であったことがよくわかります。

インカを歩く.jpg 続いて、幅広い年代の遺跡が眠る北ペルー(ここの「空中墳墓」もかなり凄い)を紹介し、更に、ペルー南部のインカ帝国の首都があったクスコ周辺や、もっとアンデスを下った地域まで、ポイントを押えながらも、広い地域をカバーしています。

 文章がしっかりしているのもさすがベテランという感じで、文献の引用が多いことを著者は予め断っていますが、非常に信頼できる記述・解説及び歴史考察ぶりとなっています。

 写真の方も、写真家らしい写真というか、トウモロコシが地に溢れる農園や海抜4千メートルにあるアルパカの放牧地、クスコから星空に望む霊山アウサンガテ峰など、そのままカレンダー写真にしたいような美しさです。

 一応、こうした写真のうち主要なものは見開きになっていますが、他にも遺跡などの写真が数多く収められていて、新書1冊にちょっと詰め込みきれなかった感じもあり、もったいないというか、気の毒な感じも。
 でも、著者が読者に願うように、「アンデスに夢を馳せ、山脈の隅々に潜むインカの囁きを聴く」には充分な1冊です。
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高野 潤 (たかの じゅん)
1947年新潟県生まれ。写真家。1973年から毎年ペル―、ボリビア、アルゼンチン、エクアドルなど主に南米太平洋側諸国のアンデスやアマゾン源流地域を歩き続ける。
南米に関する著書や写真集として、「神々のアンデス=世界の聖域18」講談社、「アンデスの貌」(教育社)、「アンデス大地」(山と渓谷社)同書はフランス、スイス、イタリアにて各国語出版される、「インカ」「どこまでも広く」「マドレの森」(以上三冊は情報センター出版局)、「アンデス=風と霧の聖蹟」(集英社)、「アンデス家族」(理論社)、「風のアンデスへ」(学習研究社)、「アンデスの抱擁」、「アマゾン源流生活」(以上二冊は平凡社)、「アンデス 食の旅」(平凡社新書)、「インカを歩く」(岩波新書)、「インカの野生蘭」(新潮社)。

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中南米最古の黄金遺跡の「発掘物語」&博物館建設に向けた小村の「村興し物語」。

アンデスの黄金―クントゥル・ワシの神殿発掘記.jpgアンデスの黄金―クントゥル・ワシの神殿発掘記 (中公新書)』 ['00年] 大貫 良夫.jpg 大貫良夫 氏 (東大教授・文化人類学者)

クントゥル・ワシ.jpg 南米ペルーの北部高地にある前インカ文明の遺跡クントゥル・ワシを、東大古代アンデス文明調査団(代表:大貫良夫氏)が1988年から6回にわたり発掘調査した際の記録で、こうした発掘調査にはフィールドにおける地元の住民の協力が必要不可欠(労働力供給、宿泊・食事等)なのですが、とにかく、この遺跡のある村は貧しく、村人はみな遺跡のことは知っていてもいつの時代のものかも知らず、「約30年前」のものかと思っていたというのにはビックリ。この神殿遺跡の建設はイドロ期(紀元前1100-700)に始まるため、「30年」どころか「3000年」も前のものなのだから。

 発掘開始の翌年には、遺跡から黄金の冠などの多くの金製の副葬品を伴う墓が幾つも見つかり、そうなると今度は村人たちは、村が貧しいだけに、「金が出た」と色めきたつ一方で、出土品は国や大都市が召し上げ、当の村には何一つ残らないのではないかと疑心暗鬼になり(今までの国内での遺跡発掘が常にそうであった)、調査隊への協力を躊躇する―。
 そこで、大貫代表は村人たちの信頼を得るため、この村に「宝物」を展示するための博物館を建設しようと提案し、村人に募金を募りますが、集まったのはたったの4万円。
 そこで、更に大貫氏は、出土した黄金の冠などの「宝物」を日本へ持ち帰り、そこで展覧会をやって博物館建設のための資金にする、「宝物」は必ず地元に戻し、最終的には、これから建設する「クントゥル・ワシ博物館」に置くようにすることを提案します。

クントゥル・ワシ博物館.jpg こうした村民との粘り強い交渉の過程がリアルに描かれており(村人は何事も村の集会で決議する。それにしても度々集まるのには感心)、本書は、中南米最古の黄金文明遺跡の発掘記録であり、前インカ文明についての入門解説書であるとともに、博物館の開設に至るまでの"村興し運動"の記録でもある(こちらの方が内容的なウェイトが高い?)と言えます。
 調査団メンバーだった関雄二氏も、「住民の遺跡保護に対する関心を高まることで、地域社会の成員としてのアイデンティティも高まり、同時に遺跡保護も可能になるという、興味深い結果がもたらされた」と、述べています。
「クントゥル・ワシ博物館」-国立民族学博物館HPより

 NHKのディレクターの1人が大貫氏の大学時代の山岳仲間だった関係もあって、この「発掘&村興し物語」には途中からカメラが入り、「NHKスペシャル・アンデス黄金騒動記」として、'95年1月に放映されています。

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両王国滅亡に焦点を当て生き生きと描写。アマゾン、北米に及んだコンキスタドールの軌跡も追う。

アステカとインカ.jpg 『アステカとインカ黄金帝国の滅亡』 (2002/03 小学館)

図説インカ帝国.jpg フランクリン・ピースとの共著『図説インカ帝国』('88年/定価3,400円)と同じく、小学館刊行の"やや"豪華版 (定価3,000円)の本で、こちらも図説は豊富ですが、共著でないだけ著者らしさが文章が出ていて、歴史上の人物が目の前に蘇ってくるような生き生きとした描写となっています。

 内容的には、アステカ文明とインカ文明がどのようにして滅んだか、コルテス、ピサロが侵攻したそれぞれの文明の末期に重点を置いて書かれていますが、その他にも、コロンブスに始まる大航海時代の幕開けに活躍した人物たちの業績を解説し、また、メキシコ・ペルーだけでなく、南米のチリ・アルゼンチン・アマゾン、北米などに及んだコンキスタドール(征服者)たちの軌跡を追っています。

 16世紀の大航海時代、黄金に魅入られたスペイン人たちがカリブ海の諸島や南米にどのように侵略し原住民社会を破壊したか、また、それに対して彼らがいかに抵抗したか(インカ最後の王トパック・アマルの堂々とした最期には感服)がよく纏められていて、1冊の本としてはすごく良い本だとは思います。

インカ帝国探検記.jpg古代アステカ王国 征服された黄金の国.jpg ただし、中核のテーマについては、同氏の『インカ帝国探検記-その文化と滅亡の歴史』('61年/中央公論社、'01年/中公文庫BIBLIO)、『古代アステカ王国-征服された黄金の国』('63年/中公新書)とかなり記述がダブっているので、カラー写真にこだわらなければ、主テーマについては文庫・新書などでも知識的なカバーはできると思います。

コルテスのアステカ帝国征服.gif マルコ・ポーロの黄金伝説に導かれて西へ西へと行ったら本当に"黄金の国"があったというのが、偶然ながら、彼らの征服欲に拍車をかけることになったのだなあと(本書によると、コロンブスは、エスパニョラ島―今のドミニカ・ハイチをジパング、キューバを中国だと思っていたらしいが)。

 それと、バハマにしてもジャマイカにしてもそうですが、カリブ海諸国に今いるのはアフリカ系住民ばかりで、原住民の子孫はどうしていないのかと思ってしまいますが、カリブ海のゴールドラッシュ時代に原住民が借り出され、そこにスペイン人が持ち込んだ天然痘が蔓延したため免疫を持たない原住民が多く死に、人手不足で周辺諸島から住民が奴隷として輸入され、また天然痘で死んでいく―というパターンで、無人化してしまった島々が多くあったことを知りました。

コルテスのアステカ帝国征服(1519‐1521)

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"超一級"の世界遺産マチュピチュの解決されない「謎」。

マチュピチュ.jpg 『マチュピチュ (写真でわかる謎への旅)』 〔'00年〕 マチュピチュ:.jpg

 写真家による本書は、ペルー・マチュピチュ遺跡のカラー写真が豊富で、旅行案内もありガイドブック的体裁をとっていますが、中核部分は、インカの歴史解説となっています。
 その歴史解説そのものはオーソドックスですが、マチュピチュに関する部分が詳しく書かれていて興味深かったです。

 インカの最後の王となったアタワルパ亡き後もスペイン人に対し抵抗を続けた、マンコ・インカをリーダーとするインカ族の勇士たちですが、彼らが「新インカ」の都としたとされる地〈ビルカバンバ・ビエハ〉は、その後のトゥパク・アマルーの刑死により抵抗が潰えるまで、インカ族の誰もが(スペイン人の激しい拷問にも関わらず)その地がどこにあるか口を割らなかったため、本当にそうした都市があるのか半ば伝説化されていましたが、1911年にマチュピチュを発見した米国人探検家ハイラム・ビンガムは、マチュピチュこそ〈ビルカバンバ・ビエハ〉だと確信したわけです。

 しかし、その後の文献調査などで、マチュピチュは〈ビルカバンバ・ビエハ〉ではなかったことが分かっていて、では、何故こんな「天空の城」みたいな壮大な"空中都市"があるのか、その役割が興味の対象となるわけです。
 "壮大な"と言っても、建造物が山頂から傾斜地にかけてあるため、居住可能人口は500から1,000程度と推定されていて、"都市"と呼ぶにはちょっと中途半端な規模です。

 本書によれば、マチュピチュの建造目的には、アマゾンの反抗部族に対する備えとしての要塞都市、特別な宗教施設、皇帝に仕える女性たちを住まわせる後宮、避暑のための別荘地的王宮...etc.諸説あるようですが、どの説もそれだけでは説明しきれない部分があるように思われ、本当に謎深く、そうした意味でもマチュピチュは"超一級"の世界遺産だなあと。

 マチュピチュの麓で今も暮らすインディオの人々の様や観光用の登山鉄道などの写真もあり、その他の見どころや現地のホテル、お店などのトラベルデータなども掲載されているので、観光ガイドとしても充分に参考になるかと思います。

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絵画資料を豊富に掲載、解説文もわかりよい。

インカ帝国 太陽と黄金の民族.jpgインカ帝国―太陽と黄金の民族(「知の再発見」双書)マヤ文明―失われた都市を求めて.jpg アステカ王国―文明の死と再生.jpgマヤ文明―失われた都市を求めて (「知の再発見」双書)』『アステカ王国―文明の死と再生 (「知の再発見」双書)

 インカ帝国の正確な歴史が残っていないのは、インカの文化が文字をぜんぜん持たなかったからで、にも関わらず、インカについてのかなりの報告が残されているのは、征服当時または直後、スペイン人が精力的に伝承や口碑を書きとめ、また絵画に描いたためです。

 本書はインカの歴史を辿りながら、主にスペイン人が描いた、そうした絵画を多く紹介していて、インカの時代の社会や文化、人々の生活がどのようなものであったかを身近に感じさせてくれます。
 インディオの末裔が描いた歴史画などもあり、それらがヨーロッパ人の西洋画の画風と全く異なるのが面白い、と言うか、ヨーロッパ人の描いたものが、インカの歴史的出来事をテーマにしながらも、ヨーロッパの宮廷画風のトーンになってるのが興味深いです。

 美術品・工芸品、遺跡の写真なども多く含まれていますが、やはり、挿入されている色彩豊かな絵画の数量で、一般書レベルでは他の"インカ本"を凌駕していて、解説文もわかりよい。

 インカの歴史そのものは、どうしても征服時のことに重点が置かれ、この部分は、本書も含め大体どの本も同じような年代記になりがちですが(勇敢な皇帝の最期など、歴史が物語化している点では、日本史における戦国時代の戦記と似ている)、本書ではそれだけにとどまらず、インカ帝国がスペイン人により滅ぼされた後、インカの文化とヨーロッパのそれがどのように融和していったかということにも触れられています。

 創元社の「知の発見」双書の1冊で、美術本にも近い内容でありながらB6版という手頃なサイズで携帯しやすく、このシリーズでは、マヤ文明、アステカ王国をテーマにしたものもそれぞれ刊行されています。

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滅ぼされた帝国の謎に迫る。カラーを含め写真が豊富だが、文章はやや硬い。

図説インカ帝国.jpg 『図説 インカ帝国』 (1988/10 小学館)   インカ帝国.gif

 15世紀にアンデス山中に突如出現した大帝国インカですが、本書によると、インカ文明の起こる以前に、紀元前にチャピオン、7世紀にワリという2つのホライゾン(文化的拡がり)があり、例えば"チャピオン"と"ワリ"の間には、地上絵で有名な"ナスカ文化"などもあり、我々がインカ遺跡と一口に呼んでいるものにも、いろいろと歴史的隔たりや変遷があることがわかります。

 本来インカというのは、標高3,400メ―トルにある要塞都市クスコを首府とするタワンティンスーユ帝国のことですが、帝国が統治した周辺に散在した国家・民族も含めて「インカ」と呼ぶのが一般的であるようです。

 本書は、そうしたインカの先史を含む歴史、社会・政治、経済構造、宗教・芸術などを豊富な図説と併せ解説し、軍事・政治・経済において峻険なアンデスに点在する諸国を支配・統治し、文字や貨幣を持たないながらも計算と統計の技能を持ち、農業や交易を盛んにして多くの巨石建造物を築きながらも、王朝開闢から僅か100年そこそこでスペイン人に滅ぼされた帝国の謎に迫ります。

 インカ帝国による他国の支配とは、土地の支配ではなく人とモノの支配であり、また、無駄な戦乱を避けるための"互恵"的な考え方が、文化としてあったということが印象に残りました(インカの最後の王となったアタワルパも、ピサロたちスペイン人が侵攻して来たときに、彼らが欲しがっている"黄金"を与えることで解決をしようとしているが、同じような発想ではないだろうか)。

 結局、ピサロに捕らえられた後も王位にあったアタワルパも、反乱を企んでいると疑われて処刑され(1533年)、ピサロは傀儡の王を立てますが、その後も民族の抵抗やスペイン人同士の覇権争いもあって混乱期が続き、抵抗の象徴であるアタワルパの甥トゥパク・アマルーが捕らえられ処刑された(1572年)のをもって、本書では、"インカの最後"としています(インカには"王"という意味もある)。

 カラーを含め写真が豊富で見ていて飽きませんが、文章は増田氏らしい生き生きとした描写に乏しく、F・ピースに合わせたのか、日本・ペルーの国際交流事業の一環として研究・出版されたものであるためなのか教科書的な感じがするのと、値段が3,400円というのがちょっと...(「日本図書館協会」の選定図書になっているので、図書館に行けばあるかも)。

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マヤ学の基本書。最大の謎は、なぜ華やかな学芸を誇った文明が滅んだのかということ。

マヤ文明の謎2.jpg                 マヤ文明.gif 
マヤ文明の謎』 講談社現代新書 〔'84年〕   

 本書冒頭にありますが、マヤ・アステカ・インカ文明のうちマヤは、同系の言語を話す「王国」の集団であり、マヤという国家があったわけでもなく、またその起源も紀元前2000年に遡ると考えられているぐらい古いものです(他の2つの文明は13〜15世紀に王朝が始まったとされていて、ただしインカ帝国は、文化史的にはそれ以前の紀元前からあるアンデス古代文明の流れを引いている)。

 さらにマヤ文明は、西暦10世紀には最盛を誇った古典期を終え、ヨーロッパ人到来の500年前にはマヤの都市はほとんど廃墟となっていたという点でも、16世紀にコルテス、ピサロによって一気に滅ぼされた他の2つの文明とは異なります。

カンペチェ州、カラクムールの古代マヤ都市.jpg 本書は、その多岐にわたるマヤ文明の全貌(といっても一部しか解明されていないということになるが)と特質を理解する入門書、基本書といえますが、著者が有名な「ティカル遺跡」(現在のグアテマラの北部にある)を訪問するところから始まり、マヤの生活や社会構造、宗教や数表記、暦法などを解説していく過程には引き込まれるものがあります。

カンペチェ州、カラクムールの古代マヤ都市 (C)Mexico Tourism Board

 何と言っても一番驚かされるのは、260日周期と365日周期の2つの暦を組み合わせで用いる極めて正確な暦法と、芸術的というより、芸術そのものになっている絵文字ではないでしょうか。

 なぜ、望遠鏡も使わずに精密な天体観測が可能だったのか? なぜ大ジャングル内の都市は自在な交通を確保できたのか? こうした謎を本書では1つ1つ解き明かしていますが、「天体観測」については、エジプトのピラミッドを利用したやり方とほぼ同じ、ジャングル内の交通路については、その辺りが湿地帯であることに思いを馳せれば何となく答えは見えてくる―。                                                                  
 ところが、どうしてもわからないのが、なぜ、華やかな学芸を誇った文明が音もなく滅び去ったのかということで、本書にも疫病説、食糧難説など多くの説が挙げられていますが、決定的なことはわかっていないようです。

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生け贄はアステカ的美? アステカ文明のダークな一面をまざまざと。

アステカ文明の謎2.jpg
アステカ文明の謎―いけにえの祭り』  マヤ文明の謎.jpg 青木晴夫 『マヤ文明の謎

アステカ文明の謎 いけにえの祭り.jpg 本書と同じく講談社現代新書で中央アメリカの古代文明を扱ったものとして、青木晴夫氏のマヤ文明の謎』('84年)があり、そちらを読んだ後で本書を読んだのですが、アステカもマヤと同じく高度の天文技術を持った文明でありながら、驚かされるのは、アステカでは18カ月周期の正確な暦に沿って、各月ごとに様々な形で生け贄を捧げているということ。

 マヤ文明の諸国でも生け贄の儀式は行われていましたが、アステカのそれは凄惨で、敵国の捕虜だけでなく、自国の若者・女・子どもが次々と人身御供として捧げられていく様は(両手両足を押さえつけられて、生きたまま心臓を抉りとられるのが最も一般的なパターンですが)、読んでいて気分が悪くなるぐらいです。

 両著に生け贄を捧げる理由が書かれていますが、生け贄を捧げないと、沈んだ太陽が昇ってこなくなると考えていたらしく(天文学が発達していたことと宗教は全くリンクしないのか...)、それにしても、この高山氏の著書の方は"生け贄"に的を絞って人身御供の捧げられ方が詳細に書かれているだけに、アステカという文明に対して非常にダークなイメージを抱かざるを得ませんでした(青木氏の著書にも、マヤ文明が後期において生け贄を捧げる習慣を強めたのは、後発であるアステカ族の影響であるようなことが書かれている)。

Tenochtitlán,.jpg ラテンアメリカ民俗学の第一人者・増田義郎氏の『古代アステカ王国―征服された黄金の国』('63年/中公新書)の中にも、高度に文明化した水上首府(公衆トイレとかもあってスペイン人が驚いたという)の街の中央にピラミッドがあり、その頂きの祭壇は、生け贄になった犠牲者の血に塗られているという、現代の我々から見れば極めてアンバランスな宗教と文明の同居状態が紹介されていました。

 著者(高山氏)は、「このようなことから彼らを簡単に野蛮で残酷な民族だという烙印を押してしまうのは早計すぎ」としていて、古代の宗教的儀式を現代人の倫理感覚で捉えようとしても無理があるということは自分にもよくわかりますが、現代人も戦争をするし、「腹切りが日本的美なら、生け贄はアステカ的美」であって、これは価値観の問題なのだという著者の言い方には、ややついて行けない感じもしました。
 書物としては、真摯な姿勢で書かれた研究・解説書なのですが...。

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征服者ピサロたち一行と黄金の国を求めて旅している気分になる。

インカ帝国探検記―その文化と滅亡の歴史.jpgインカ帝国探検記.jpg                      インカ帝国探検記2.jpg
インカ帝国探検記―ある文化の滅亡の歴史』 中公文庫 ['75年] 『インカ帝国探検記―ある文化の滅亡の歴史 (中公文庫BIBLIO)』 ['01年]
インカ帝国探検記―その文化と滅亡の歴史 (1961年)』 ['61年]

 著者が旧インカ帝国の遺跡を現地調査に訪れたのが1959年、単行本出版が1961年と、かなり前に書かれた本ですが、歴史上の人物の描写などが生き生きとしていて、コンキスタドーレス(征服者)・ピサロたち一行と共に黄金の国を求めて16世紀の中南米の地を旅しているような気分にさせられます。

ピサロのインカ帝国征服.gif ピサロがペルーに上陸した頃のインカ王朝は、第11代皇帝ワイナ・カパックの後を継いで皇帝となった嫡男ワスカールを、先帝の庶子アタワルパがこれを打ち破って帝位を奪ったばかりの時で、アタワルパというのは軍事的才能があった実力者でした。
 ピサロがインカ帝国に入り、カハマルカでアタワルパとまみえて策略により彼を捕らえてからの両者の関係が微妙で、ピサロはアタワルパの"日の御子"とされる皇帝としてインカの民を服従させる権力を統治上利用しようとしたために、結果として互いに協調的だった時期もありましたが(アタワルパが"日の御子"でありながらも非常に"人間臭い"のが面白い)、結局アタワルパは、謀反の嫌疑をかけられピサロに処刑されてしまう―。
 しかし、その後もインカ族の抵抗は続き、首都クスコを手中にしているスペイン側が、逆にインカ軍によってクスコを包囲されるなどして、インカ軍制圧が一筋縄ではいかなかったことがわかります。

ピサロのインカ帝国征服(1531-1533)

 インカ征服の中心人物だったピサロは、同国人の競争相手アルマグロを捕らえて処刑するなど、スペイン人同士の抗争においても優位に立ちますが、結局自分もアルマグロの残党に暗殺されてしまい、アステカを征服したコルテスが晩年を隠居生活したのに比べると、因業に応じた最期だったという印象を抱かざるを得ません(勇敢でいざという時のリーダーシップはあったが、本来的には粗暴で教育水準などもコルテスより低かった?)。

 著者は文化人類学者であるため、本書では、インカの文化や伝統、人々の暮らしぶりなどについても書かれています。
 ただし写真等が少ないので、近年世界遺産としてブームのマチュピチュなども、本書だけではそのスケールをイメージしにくい部分はあります。
 皇帝アタワルパ亡き後もスペイン人に対し抵抗を続けたトゥパック・アマルーが、最後の戦いに臨むためそのマチュピチュを発つにあたって、自分に仕えていた女性たちを全部殺し(男性は既に戦いに出されていて殆ど残っていなかった)その痕跡を消したため、結局この"天空の城"は、1911年に米国人探検家ハイラム・ビンガムによって発見されるまで340年も山奥に眠り続けたというのは、本当に驚くべき話で、マチュピチュから発見された173体のミイラの殆どは若い女性のものだったということです。

 【1961年単行本[中央公論社(『インカ帝国探検記―その文化と滅亡の歴史』)]/1975年文庫化[中公文庫]/2001年再文庫化[中公文庫BIBULIO]】

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冒険小説・戦記小説的な面白さとともに文化・宗教の違いを浮き彫りに。

古代アステカ王国 征服された黄金の国.jpg 『古代アステカ王国―征服された黄金の国 (中公新書 6)』 〔'63年〕 増田義郎.jpg 増田 義郎 氏

 コルテスのアステカ王国征服を描いたもので、'64年刊行という中公新書でも初期の本ですが、たいへん生き生きとした記述で、まだ見ぬ国と国王を夢想するコルテス一行とともに異境を旅していうような気分になり、冒険小説や戦記小説を読むようにぐいぐい引き込まれます。

Tenochtitlan.jpg 栄華を極めたアステカ王国は、スペインの"残虐な征服者"コルテスにより一夜で滅ぼされたかのように思われていますが、コルテスがアステカ王国に入る前も、湖上に浮かぶ水上首府テノチティトラン入城後も、アステカ王モンテスマとの間で様々な交渉や駆け引きがあり、両軍が戦闘体制に入ってからは、コルテスが劣勢になり、命からがら敗走したこともあったことを本書で知りました。

水上都市 Tenochtitlan(テノチティトラン)

 コルテスというのは、若い頃は目立った才能もない単なる女たらしで、上官の許可を得ずに"黄金の国"を目指して出航するなどした人物ですが、メキシコに上陸してからは、本国から自分に向けられた討伐隊を懐柔するなどかなりの戦略戦術家ぶりで、アステカ王に対しても、いきなり戦いを挑むのではなく、心理戦から入っています。
 ただし、黄金が目当てだたとしても、彼自身のアステカ王を敬愛する気持ちや、キリスト教の布教にかける意気込みはホンモノだったようです。

 一方の、アステカ国王モンテスマは、占星術で軍神が復讐に来ると言われている年月日ぴったりにコルテスがやって来たため、戦う前から戦意喪失しているし、アステカ族は、極めて勇敢であるのはともかく、国を守るよりも、太陽神に捧げる生け贄の獲得のために戦っていて、ちょっと戦いに勝つと、国王ともども人身御供の儀式の方に勤しむ―。

 本書は、軍記物的な面白さを最後まで保ちながらも、異文化同士が初めて接触するときに想像もつかないようなことが起こるという面白さを描出しており、更には、回教徒との戦いなどを通じての経験からキリスト教と異教を二元対立で捉えるスペイン人コルテスと、狭い文化圏の中で"異教"という概念を持ちえず、征服者さえをも自らの宗教の体系内で軍神として運命論的に捉えてしまったアステカ王との、決定的な宗教観の違いを浮き彫りにしてみせています。

 著者30代半ばの著作ですが、この辺りの課題抽出を、読み物としての面白さを損なわずにやってみせるところがこの人の凄いところ。
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増田 義郎 (東京大学名誉教授)
1928年、東京生まれ。東京大学文学部卒。専門は文化人類学。
1959年以来、中南米で調査研究を行い、エスノヒストリー、政治人類学、生態人類学などの分野で多くの著書と論文を発表する。また、民族史資料として航海記の重要性に注目し、生田滋氏と協力して「大航海時代叢書」(52巻)の刊行を推進。その他の著書に、「新世界のユートピア」(中公文庫)、「古代アメリカ美術」(学習研究社)、「コロンブス」(岩波新書)、「大航海時代」(講談社)、「図説インカ帝国」(共著・小学館)などがある。

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