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中国民族に根ざす思想と芭蕉にまで至るその系譜。宇宙・生命の起源論にまで及ぶテーマ。

「無」の思想.jpg無の思想 旧カバー.jpg 『無の思想―老荘思想の系譜 (講談社現代新書 207)』 ['69年] 

 中国で初めて「自然」の哲学を立てたのは老子・荘子ですが、本書によれば、「自然」の第一義は、「他者の力を借りないで、それ自身の内にある働きによって、そうなること」であり、この「他者」を人為または意識的な作為として捉えるとき、そこに「無為自然」の思想が現れる、つまり「自然」にとって「他者」は人為であり、人為を対立者として排除することが「無為自然」であるとのことです。

 しかし、「老子・荘子」は、それぞれ一代で出来上がったものではなく、従って、そこに現れる「無為自然」の考え方にも、法や道徳で人を束ねようようとする為政者に対する批判としての自然回帰を説いた"虚無自然"(老子)から、形而上学的認識論としての"無差別自然(万物斉同)"(荘子)、中国民族の運命観に根ざす"運命自然"(荘子)、後の"数理自然"(陰陽五行説)、"本性自然"(性善説・性悪説)に繋がるものなど、同じ「無為自然」でも幾つかの異なる概念パターンが見られるようです。

 更には、これら「無為自然」とは別の、儒教の"則天自然"や列子、淮南子に見られる「有為自然」の考え方も見られるとのこと、更に更に、これも有為自然の1つですが、練習によって得られる"練達自然"(荘子)というものさえ説いていて、これは六朝時代以降の仏教に影響を及ぼしているとのことですが、何れにせよ、「老荘」に見られる諸概念は多岐広範であるとともに、中国人の死生観、宗教観・人生観に深い影響を及ぼしていることがわかります。

 仏教の中でも禅宗は最も老荘思想に近いものと考えられますが、著者は、老荘思想は「無為自然」のウェイトが高く、禅宗は「有為自然」のウェイトが高いのがそれぞれの違いだと言っており、確かに、座禅を組むということは、努力を伴う人為であり、有為自然と言えますが、一方、浄土教の「自然」(じねん)の概念は、親鸞の「自然法爾」までは「無為自然」に近いようです。

 本書後半では、こうした老荘の自然が、江戸時代の荻生徂徠ら儒学古学派や賀茂真淵、本居宣長らに与えた影響を探り、最後に、松尾芭蕉における「荘子」の影響と、彼の後期の「運命自然」観(「有為自然」である俳諧を捨て、「無為自然」の境地に)を考察していて、ここはなかなか興味深かったです。

 それと、冒頭で、「荘子」の脚注者としては現存最古である晋(3世紀)の郭象の荘子の読解に着目していて、郭象が、万物の主宰者の存在を否定するに止まらず、一般の物の生成には原因が存在しないという、独特の主張をしているというのが興味深かったです。
 老荘思想の根本には、「有は無から生まれる」という考えがありますが、郭象は、脚注者でありながら、「無は有を生じることはできない」としていて、老荘が「無」を唱えたのは、「有は有自身から生まれるもので、有を生じせしめるような他者は無い」という意味なのだと踏み込んで解釈しています(形而上学的には、こっちの方が洗練されている)。
 一見「老荘」を我田引水に解釈しているようで、実は「自然」の第一義に適った考え方であり(著者はこれを「無因自然」と呼んでいるが、同じ頃インドに無因論子という外道哲学の一派があり、偶然に同じようなことを言っていたらしい)、本書のメインタイトルに最も近いテーマであるとともに、宇宙や生命の起源論にまで及ぶ壮大なテーマでもあるように思えました。

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わかりやすいが、入門書として良いかどうかは別問題。

「タオ=道」の思想.jpg「タオ=道」の思想2.gif「タオ=道」の思想』講談社現代新書〔'02年〕孔子・老子・釈迦「三聖会談」.jpg 諸橋轍次『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』('82年/講談社学術文庫)

 『「タオ=道」の思想』は、中国文学者による「老子」の入門書で、その思想をわかりやすく紹介し、終章には「老子」の思想の影響を受けた、司馬遷や陶淵明ら中国史上の人物の紹介があります。

 「和光同塵」
 「功遂げ身退くは、天の道なり」
 「無用の用」
 「天網恢恢、疎にして漏らさず」
 などの多くの名句が丁寧に解説されていて、
 「大器は晩成す」
 という句が一般に用いられている意味ではなく、完成するような器は真の大器ではなく、ほとんど完成することがないからこそ大器なのだとする解釈などは、興味深かったです。

 但し、「もし今日、老子がなお生きていたならば、いつもこの地球上のどこかでくり返し戦争を起こし、どこまで行きつくか知れない自然環境の破壊に手を貸している人智の愚かしさに、彼はいきどおっているにちがいない」という記述のように、著者の主観に引きつけて筆が走っている部分が多々見られます。
 「老子」が"老子"という人物1人で成ったものでないことは明らかだし、その"老子"という人物すら、実在したかどうか疑わしいというのが通説であるはずですが...。

 漢字学者・諸橋轍次(1883-1982/享年99)の『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』('82年/講談社学術文庫)などもそうでしたが、文学系の人の「老子」本には、同じような「人格化」傾向が(諸橋氏の場合はわざとだが)見られます。
 『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』は、聖人らの三者鼎談という架空のスタイルを用いることにより、例えば老子の説く「無」と釈迦の説く「空」はどう異なるのかといった比較検討がなされていて、そうした解説にもいきなりではなく落語の枕のようなものを経て入っていくため親しみ易く、入門書としてはそう悪くもないのかも知れませんが、「学術文庫」に入っているというのはどんなものでしょうか(見かけ上"学術"っぽく見える部分も多々あるから紛らわしい)。
 
加島祥造 タオ―老子.jpg 英米文学者・加島祥造氏(1923-2015/享年92)の『タオ―老子』('00年/筑摩書房)における「老子」の名訳(超"意訳"?)ぐらいに突き抜けてしまえばいいのかも知れませんが(「加島本」の"抽象"を自分はまだ理解できるレベルにないのですが)、本書も含め入門書として良いかというと別問題で、入門段階では「中国思想」の専門家の著作も読んでおいた方がいいかも知れません。

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うんちくのオンパレード。読み物として楽しく読める「老荘本」だが、入門書としては...。

飲食男女.jpg 『飲食男女―老荘思想入門』 朝日出版社 〔'02年〕  混沌からの出発.jpg 福永 光司/五木 寛之 『混沌からの出発』 中公文庫 〔'99年〕

河合隼雄2.jpg福永光司.jpg 河合隼雄氏が、中国哲学者で道教思想研究の第一人者・福永光司(1918‐2001)に老荘思想について聞くという形式で、老荘思想のエッセンスや後世の文化、われわれの身近な生活に及ぼした影響などを多岐にわたって紹介した本。

 本書にもある通り、老子の宇宙生成論を要約した有名な言葉である、「道は一を生じ、一はニを生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」 とういうのは、実は陰陽の交わりをも表していて、それがタイトルの「男女」につながっています。
 いろいろな漢字の由来や、道教が日本に伝わって天皇家の神道になったという話など、うんちくのオンパレードで、湯川秀樹の量子論は荘子の「場の理論」であるとの指摘なども興味深く読めました。

 ただ、話題が思想・哲学論と文明・文化論の間を行き来するので(それが本書のユニークさでもあるが)、「入門」と言っても体系的理解のためのものではありません。
 活字も大きく読み下し文にはカナがふってあり読みやすいのですが、内容的には前提知識が無いとわかりにくいかもしれない部分が多い本かも知れません。
 
 福永氏には本書のほかに、作家の五木寛之氏に講義する形式での道教入門書『混沌からの出発-道教に学ぶ人間学』('97年/致知出版社、'99年/中公文庫)があり、こちらは宗教としての道教を中心に書かれています(五木氏は当時、仏教の方は詳しいが、道教については初学者だった)。

 本書にある「馬の文化=北回り=騎馬民族=儒教」、「船の文化=南回り=漁労・水田稲作農耕民族=道教」という考え方はそこでも述べられていて、もともと巫術性の強かった道教が、老荘の思想を採り入れ神道的な道教に変容していくその過程で、日本の文化や天皇制、仏教などに与えた影響を、本書同様に身近な例を挙げるなどして解説しています。
 ただし、本書のような対談形式ではなく、五木氏と交互に書き分けていて、五木氏の部分は人生論的エッセイになっていて、全体としては本書以上にモヤッとした感じがしました。

《読書MEMO》
●「取」という字は耳を取るという意味、戦争で負けた兵の耳を削ぐことを指す
●宝(寶)、売(賣)、買、財に含まれる貝の字は中国南部の文化に由来(16p)
●老子の哲学「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」の三は陰気と陽気と和気、老荘の文化は飲食男女(23-24p)
●山東半島・斉(せい)(3C)の道教が日本に伝わって天皇家の神道に(39p)
●学(學)という字のメ2つはムチで叩くことを意味する(121p)

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講談社+α文庫「マンガ中国の思想シリーズ」。老荘思想に関心を持つための入門書として。

マンガ 老荘の思想単行本 1987 11.jpgマンガ老荘.JPG  マンが老荘2.jpg
マンガ老荘の思想』 講談社+α文庫 〔'94年〕
マンガ 老荘の思想』(1987/11 講談社)

 哲学や思想の解説書をマンガ仕立てにしてしまうと、エッセンス部分が抜け落ちて何だか俗っぽくなってしまうということはママあることですが、「講談社+α文庫」のこの台湾の漫画家による「マンガ中国の思想シリーズ」は、古典の捉え方がしっかりしていて、比較的そうしたマイナス面が少なくて済んでいるかも知れません。このシリーズは世界各国で翻訳されているそうです。

 本書は、老子・荘子にある数多くの説話を親しみやすいマンガで簡潔に再現し、一般の人が老荘思想(に関心を持ってもらうための)入門書としてとっつきやすいものとなっています。
 直感的な「老子」よりも形而上学的(論理的)な「荘子」を先にもってきているのもわかりやすいです。

 「荘子」には、「朝三暮四」「蟷螂の斧」「亡羊の嘆」「井の中の蛙」「蝸牛角上の争い」といった我々に馴染みのある言葉も多いです。

 老子や荘子などの人物が極端にカリカチュアライズされ愛嬌のあるものとなっていますが、描画全体に中国の山水画のようなシズル感があり、これらが老荘思想というものと雰囲気的に何となく"マッチ"しているのです。
 単行本を文庫化したものなので、活字が小さくなり少し読みにくいのが難かなとも。

 【1987年単行本〔講談社〕/1994年文庫化[講談社+α文庫]】

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正確な理解のために。すべての現代人のために。

森 三樹三郎 『老子・荘子』.jpg森 三樹三郎.jpg       森 三樹三郎2.jpg 森 三樹三郎 (1909-1986、略歴下記)
老子・荘子』 講談社学術文庫 〔'88年〕
人類の知的遺産〈5〉老子・荘子 (1978年)

 この本で、荘子のいうところの「万物斉同」 が、運命肯定的で人格神を持たない中国民族の人生観のベースとなっていることを知りました。「無為自然」「和光同塵」といった老子の考え方に共鳴する人も多いのではと思います。「無」としての道、無からの万物の生成論は、思想というよりは形而上学(哲学)の世界、量子物理学を想起させる部分さえあります。

 思想の概要、周辺の時代背景、伝記(老子は存在そのものが不確かだが)を説明したうえで、上記のようなテクニカルタームの解釈に入るのでわかりやすいです。道教イコール老子・荘子の思想ではなく、神仙思想や享楽主義は後に付加されたなど、正確な理解の助けとなるのもこの本の大きな特長です。後世への影響も詳しい。禅宗は老荘的だけど、相違点もあると。文学や書画も、儒教より老荘思想によって育てられたのか。

 老荘の哲学は、理想を超えた大きな何かという感じです(荘子は理想への努力さえ否定しているから)。そうしたものがぼんやりとでも見えれば、人生違ってくるのかな...と。

 「神を失った現代人にとっては、神の無い宗教を待望するしかない。それに応えるものの一つとして、老荘の哲学がある」という著者の結語にうなずかされます。
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森 三樹三郎(もり みきさぶろう、1909-1986)
中国思想史の研究者。京都府生まれ。旧制・大阪府立高津中学校卒、京都大学文学部哲学科卒業。大阪大学を退官後、同大学名誉教授。その後、仏教大学教授。 専攻は中国哲学史。文学博士。

《読書MEMO》
●【老子の集発点=自然主義】 「無為自然」知識の否定(22p)/道徳の否定-仁義忠孝が強調されるのは社会が不道徳な状態にあること、仁義忠孝の強調は新たな災いを招く、捨て去るべし/「和光同塵」(光を和らげて塵に同ず)(26p)
●【老子の人生哲学】 柔弱の徳-赤子に帰れ/女性原理-柔は剛に勝つ/水の哲学/不争の哲学/保身処世の道-功成りて身退くは天の道なり(38p)
●【老子の万物生成論】 無からの万物の生成-「天下の万物は有から生じ、有は無より生ず」「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」一は、陰陽に二分する以前の気(ガス状の粒子)をさす(60p)→量子物理学との類似
●【荘子の思想】(67p-)「万物斉同」=無限者による絶対的無差別の世界、死生を斉しくす、無限者である運命の肯定(ただし運命の主宰者はいない)荘子の言う造物者とは「自然」→儒家や道家を超えて、中国民族の人生観に(90p)
●【荘子の理想への努力の否定】 高尚で世間に同調しない「山谷の士」、仁義を語る学者、大功を語る「朝廷の士」、山林に住む隠遁者、養生する「導引の士」の何れも、意識的努力している。意識しなくても行い高く、身修まり、国治まり、心のどかで、長生きするのが、天地自然の道(聖人の道)(224p)
●【荘子の言葉】 「邯鄲の歩を学ぶ」「井の中の蛙」(229p)/生死は一気の集散であり、同類のものである(244p)

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著者の「荘子」への思い入れを感じる。その分、一面的な捉え方も。

荘子-古代中国の実存主義.jpg荘子―古代中国の実存主義』中公新書 〔'64年〕 荘子(前369~前286).bmp 荘子(前369-前286).

福永 光司.jpg 道教思想研究の第一人者・福永光司(ふくなが・みつじ 1918‐2001)による本書は、初版出版が'64年で、中公新書の中でもロングセラーにあたります。
 荘子の生い立ちや時代背景をもとにその人間観を著者なりに描くとともに、「道」の哲学や「万物斉同」の考えなどをわかりやすく説明しています。

 「荘子」に見られる洞察の数々は、儒家批判から生じたとものだとしても、現代とそこに生きる我々に語りかけるかのようです。「平和」が「戦争」の対立概念としてある限り戦争はなくならない、などといった言葉には、なるほどと頷かされます。

 不変の真理とは不変のものは無いということ、ならば生を善しとし死を善しとしようという「荘子」への著者の思い入れが感じられますが、そのぶん著者も認めているように「荘子」の理解に一面的な部分があるので、荘子哲学に関心がある方は他書も読まれることをお薦めします。

《読書MEMO》
●「平和」が「戦争」の対立概念としてある限り戦争はなくならない〔除無鬼篇〕(102p)
●知恵才覚のある人間は発揮の場がなければ意気消沈し、論争好きな人間は恰好の論題がなければ生きがいを失い、批評家はあら探しの種がなければ退屈する〔斉物論篇〕(110p)
●神を「アリ」「ナシ」と規定したところで、現象世界のレベルの話で意味はない〔則陽篇〕(110p)
●神がこの世を作ったとしても、その神を誰が作ったのか(自ずから生じたということになる)〔斉物論篇〕(133p)
●道は現実世界の中にあり、物とは存在の次元が違う〔知北遊篇〕(136p)
●道は通じて一となし、万物は道において斉(ひと)しい。真実在の世界においては、人間の心知(分別)に生じる差別と対立はその根源において本来一つ、一切存在はあるがままの姿において本来斉しい〔斉物論篇〕(144p)
●この世において不変の真理があるとすれば、それは一切が不変でない-一切が変化するという真理だけ〔則陽篇〕(153p)

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