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第一級資料を丹念に参照した社会文化史。読み物としても楽しめる内容。

心霊写真.jpg 『心霊写真 (宝島社新書)』 ['00年] 心霊写真―不思議をめぐる事件史.jpg 小池 壮彦 『心霊写真 不思議をめぐる事件史 (宝島社文庫)』 ['05年]
心霊写真は語る (写真叢書)
心霊写真は語る.jpg 「心霊写真」について"多角的"に論じた『心霊写真は語る(写真叢書)』(一柳廣孝・編/'04年/青弓社)は、8章から成る分筆で、執筆陣の殆どは大学教員、その人たちの専門は社会学や文化人類学、心理学や精神医学であり、「心霊写真」というのは、今や学問的には、主として社会心理学、文化社会学、社会文化史などの対象となっているのだということがわかります。

 写真は豊富ですが、内容的には論文集のような寄せ集め的印象で、但し、作家の小池壮彦氏が受け持った最終章が全体を締めるとともに、学者ではないせいもありますが、「心霊写真」ブームに対する愛着のようなものが文章に滲み出ていたように思いました。

 その小池氏の肩書きは、本書『心霊写真』では「怪談史研究家」となっており、内容的にも本書は、日本近代史を「心霊写真」に関する話題で振り返ったものとなっています。

 「心霊」という言葉は、"news"を「新聞」とした名訳で知られる中村正直が、"intellect"を「心霊」と訳したことに始まるそうで、当時、「心霊」とは「心理」のことだったとか(今で言う「心霊」は、当時は「神霊」だった)。ところが、あの西周が(彼は"intellect"を「智」と訳している)、"Psychology"を「心理学」と訳し、これが学問分野として成立する過程で、「心霊」の方は、今日の「超心理」に当たる語として使われるようになったとのこと。それ以前は、「心霊写真」は「幽霊写真」と呼ばれていたそうですが、「霊魂不滅説」は認めないが「念写」を認めるといった人もいたりするため、大正時代頃から「心霊写真」と呼ばれるようになったとのこと(だから、霊の存在を必ずしも前提としない)。

 要するに、それ以前の明治時代から「心霊写真(事件)」自体はあったわけで、それが大正時代にはブームとなり、いっそこれをエンタテインメントとして楽しもうという風潮さえあったとのこと。つまり、その頃には、写真師が為す作為的な「心霊写真」のカラクリなどは殆ど解明されていたのに、一方で、巧みな「物語的」尾ひれがついて、日本人の心性と結びつく「慰安哲学」のようなものが、そこにはあったのでしょう、それは昭和になっても続き(戦前のブームは、敢えて取り締まることをしない国策的放任の影響もあったらしい)、写真に写る「幽霊」の正体が、現像ミスやトリックの産物であることは、戦前までには明らかになっていたにも関わらず、戦後も常に"ゾンビ"のようにブームは復活して、'70年代の「心霊ブーム」は、大正時代のそれと変わらないものであったというから(また、新聞が面白おかしくそれらを伝えている)、人間というのは時代を経ても変わらないものだなあと思いました(「心霊テレビ」とか「心霊ビデオ」とか、相手方の"ゾンビ"も生き残りをかけてメディアを選んでいて、なかなかしぶとい)。

 著者は、こうした「まがい物」であればあるほど流布するという「心霊ブーム」を、どことなく楽しんでいるようですが、グルのような人物とそれに帰依する集団が誕生するような状況に対しては、一線を越えたものとして、人一倍の危惧の念を抱いていることがわかります。宮崎勤死刑囚.jpgそれと、'89年に発覚した「宮崎勤事件」の時の雑誌報道にあったような、「彼の写真の背後に殺害された少女の姿が...」といった(どう見てもそんなものは写ってなかった)騒ぎに対しても、怒りを露わにしています。'80年代以降の「心霊写真」ブーム特徴として、それまでのような文学性(物語性)が排除されて、単なる投稿写真ネタになってしまったとのことで、そろそろ、こうしたブームは終わるべき時がきたのではないか、としています(本当に、コレ、"ゾンビ"のように終わらないものなのかも知れないが)。

 実質的には「超心理学」の本と言うより、「文化社会学」の本(記録)ですが、第一級資料を丹念に参照していて、かつ、読み物としても楽しめる内容に仕上がっています。

 【2005年文庫化[宝島社文庫(『心霊写真―不思議をめぐる事件史』)]】

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楽しい講演会を聞いているような印象の本。体系的ではないが、息抜きにはちょうどいい。

だます心 だまされる心.jpg       霊はあるか.jpg       安斎育郎.jpg 安斎 育郎 氏
だます心 だまされる心 (岩波新書)』['05年]『霊はあるか―科学の視点から (ブルーバックス)』['02年]

 「だます」という行動を人間関係や自然界について様々な角度から捉えた本で、著者は工学博士(専門は放射線防護学、因みに、東大在学中からの筋金入りの"反原発"派)であるとともに、「ジャパン・スケプティクス」という、超常現象を批判的・科学的に究明する会の会長で、松田道弘著『超能力のトリック』('85年/講談社現代新書)でも紹介されているユリゲラーのスプーン曲げのトリックなどを公開講座で実演してみせたりもしており、『人はなぜ騙されるのか-非科学を科学する』('96年/朝日新聞社)、『霊はあるか-科学の視点から』('02年/講談社ブルーバックス)などの著作もある人です(特に後者の著作は、日本の仏教宗派の主要なものは教義上は霊は存在しないと考えている点をアンケート調査で明かしていて、「超心理学」とはまた違った観点で興味深い)。

不可能からの脱出.jpg 本書『だます心 だまされる心』では、最初の方で、人間の錯覚などを生かした手品や、それを超能力と称しているもののトリックを、著者自身の実演写真入りで解説し("物質化現象"のトリックを実演したりしている)、また、小説に現れたり、だまし絵に見られたこれまでのトリックを紹介しています。本書にある、コナン・ドイルが"妖精写真"にだまされた話は有名で、コナン・ドイルと一時期親交があった奇術師フーディーニは、インチキ霊媒師のトリックを幾つも暴いたことで知られていますが、ある人への手紙の中でコナン・ドイルのことを非常にだまされやすい人物と評しています(松田道弘著『不可能からの脱出』('85年/王国社))。
不可能からの脱出―超能力を演出したショウマン ハリー・フーディーニ』 ['85年/王国社]

 本書では更にまた、過去の有名な霊媒師や予言者という触れ込みの人の手法を明かしていますが、個人的には、実際にあったという"地震予言者"の話が面白かったです。自分宛のハガキを毎日出すことで、消印のトリックをしていたなんて!(自分に来たハガキならば、後から「2日後に地震があります」とか書いて、地震があった直後に、今度は宛名を消してご近所さんの宛名に書き換え...)。 

 特に、科学者もだまされた(と言うか、誤った方向へのめりこんだ)例として、世界的な物理学者・長岡半太郎が、水銀から金をつくり出す研究に没頭していたという話は興味深く、また、野口英世が為した数々の病原菌の発見は殆ど誤りだったという話は、分子生物学者・福岡伸一氏のベストセラー『生物と無生物のあいだ』('07年/講談社現代新書)の中でも紹介されていました。

賢いハンス.jpg この話の後に、"計算の出来る馬"として世間を騒がせた「賢いハンス」の話がきたかと思うと、旧石器発掘捏造事件(所謂"ゴッド・ハンド事件")の話やナスカの地上絵の話などがきて、英国のミステリー・サークルは2人の老画家がその全てを描いたという話は一応これに繋がりますが、更に、動物の「擬態」の話(科学者らしいが)がきたかと思うと、社会的な問題となった詐欺事件や戦争報道の捏造などがとり上げられていて、読者を飽きさせはしないけれども、体系的ではないという印象。

"計算の出来る馬"「賢いハンス」

 霊視能力などの"超能力"や簡単に出来る"金儲け"を喧宣する人に対する「そんなことできるのなら、どうしてこうしないのか」(例えば、警察に行って未解決事件の捜査協力するとか、他人にわざわざ勧めなくとも、勝手に自分だけが大金持ちになるとか)という問いかけは、単純なことながらも、そうした怪しい(ウマすぎる)話に直面したときに、冷静にその問いかけを自分に出来るかどうかが理性の分かれ目であるという点で核心を突いていると思います。

 ただ、本書全体としては、心理学半分、科学エッセイ半分という感じで、どちらかというと、楽しい講演会を聞いているような印象の本でした。あまり体系的でないということで、個人的評価は星3つとやや辛めですが、息抜きにはちょうどいいかも。

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1つ1つの話は面白いが、全体の纏まりを欠く。かつてのビートニク世代の指向に近い?

山折 哲雄 『神秘体験』1.jpg神秘体験.jpg          山折哲雄.jpg 山折 哲雄 氏 (宗教学者)
神秘体験 (講談社現代新書)』〔'89年〕

 宗教学者で、『神と仏-日本人の宗教観』('83年/講談社現代新書)から『親鸞をよむ』('07年/岩波新書)まで一般向けの著書も山折 哲雄 『神秘体験』2.jpg多い山折哲雄氏が、神秘体験について考察したもので、刊行は'89年。

 なぜ人は幻覚や幻聴に天国や地獄を見るのかということを、自らが高地ラサで体験した神秘体験から語り起こしていて、宗教に付き物の神秘体験が、地理的・気候的環境による心身の変調により起きやすくなるケースがあることを、著者自身が自覚したうえで、古今東西に見られた神秘体験を紹介し、そうした神秘体験が生まれる共通条件を探ろうしているように思えました。

 話は、キューブラー=ロスやシャーリー・マクレーンらの神秘体験に続いて、神秘主義思想、エスクタシーとカタルシス、"聖なるキノコ"などへと広がり、グノーシス思想からウパニシャッド哲学、カルガンチュア物語からハタ・ヨーガ、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」からグレゴリオ聖歌まで、とりあげる話題は豊富です。

 1つ1つの話は面白く、著者が博学であるのはわかりますが、宗教人類学的な視点で論じているにしても、それらの事例の結び付け方がやや強引な気もします。
 エッセイとしてみれば、そのあたりの恣意性も許されるのかも知れませんが、個人的には、そうした神秘話への感応力が自分には不足しているためか今一つで、加えて、論旨をどこへ持っていきたいのかがわからず、読みながら少しイライラしました。

 そうしたら最後に、死と輪廻転生の思想について、三島由紀夫の行為と作品などを引きながら語られていて、これはこれで章としては面白いのですが、結局全体として何が言いたいのかよくわからなかったです。

 こういう本は感覚的に読むべきものだろうなあ。神秘体験を宗教体験の入り口として積極的に指向する人にとっては、抵抗無くスイスイ読めて、さらにそうした指向を強める助けとなる本でもあるような気がしました。

 冒頭に自ら神秘体験を書いているのは、中沢新一氏が『チベットのモーツァルト』('83 年)の中で、チベット仏教の修行中に空中歩行を為し得たことを書いているのと少し似ていますが、この本の持っている雰囲気は、「オウム真理教」に入った人たちが嵌まった神秘主義というよりも、'50年代頃のビートニク世代の指向に近い感じがします(アレン・ギンズバーグの名も本書に出てくるし)。

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とりあえず死に際のことを心配するのはやめようという気持ちになった。

臨死体験 上.jpg臨死体験.jpg 臨死体験 下.jpg  Elisabeth Kübler-Ross.gif 
臨死体験〈上〉 (文春文庫)』['00年]/『臨死体験〈上〉 臨死体験〈下〉』(1994/09 文芸春秋) Elisabeth Kübler-Ross

 体外離脱などの臨死体験は、「現実体験」なのか「脳内現象」に過ぎないのか―。著者の基本的立場は脳内現象説のようですが、自分もこの本を心霊学ではなく超心理学の本として読みました。

 石原裕次郎の体外離脱経験、ユングの青い地球を見たという話など面白く、さらに終末医療の権威エリザベス・キューブラー=ロス(1926‐2004)がその著『死ぬ瞬間』('71年/読売新聞社、'01年/中公文庫)の中で書いているという「私は〈プレアセス星団〉まで行ってきました」という話には結構ぶっ飛びました。〈プレアセス星団〉って昴(すばる)のことです(一方で精神科医としてのキューブラー=ロスはターミナル・ケア第一人者であり、同じ『死の瞬間』の中で展開したの「死の受容のプロセス(否認・隔離→怒り→取引→受容)」理論は有名である)。

 臨死体験の内容の共通性はよく知られていますが、日本と海外の違い、経験者の死生観に与えた影響や、電気感受性の高まりなど生理的変化の報告までとりあげられて、「脳内現象」派の人にも興味深く読めると思います。

  心強かったのは、臨死体験の恍惚感に対する脳内麻薬説。
 死の恐怖には"死ぬ瞬間"に対する恐怖の占める比重がかなりあると思いますが、このエンドルフィンの部分を読んで、創造主の意思が働いているかのような不思議さを感じるとともに、とりあえず死に際のことを心配するのはやめようという気持ちになりました。
 それが、この本から得た最大の成果でした。

 【2000年文庫化[文春文庫(上・下)]】

《読書MEMO》
●体外離脱は脳内現象か現実体験か
●エリザベス・キューブラー=ロス...『死ぬ瞬間』ターミナル・ケア第一人者・精神科医、体外離脱でプレアデス星団へいった????
●レイモンド・ムーディ(医学博士)...『かいまみた死後の世界』'75(文庫上19p)
●ケネス・リング(現実体験説)......『オメガに向かって』 臨死体験者の宗教観の変化→精神的進化論(文庫上263p)
●キルデ(医学博士)...『クオラ・ミヲラ』 自己催眠による体外離脱・自動書記で本を書く・UFOとの出会い、宇宙人に医学検査される
●『バーバラ・ハリスの臨死体験』(立花隆訳)
●体外離脱=石原裕次郎も臨死体験者、ユングは青い地球を見た(文庫上53-57p)
●ユーフォリア...臨死体験中の恍惚感(文庫上129p)
●恍惚感のエンドルフィン説(脳内麻薬物質)...夏目漱石の臨死体験(文庫上131p)
●臨死体験者の電気感受性の高まり(ケネス・リングの報告)(文庫上363p)
●入眠状態での創造性開発:湯川秀樹など(文庫下71p)
●ドッペルゲンガー現象(自己像幻視=もう一人の自分を見る)(文庫下160p)
●前頭葉てんかん等の脳内現象説に対する現実体験説の最後の拠り所→体外離脱しなければ見えないものを見てきた事例←真偽判定

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ユリゲラーは"下手な奇術師"?人がいかに騙されやすいかがわかる。

松田 道弘 『超能力のトリック』.jpg  ユリ・ゲラー.jpgユリ・ゲラーHarryHoudini1899.jpg Houdini Columbo Goes to the Guillotine.jpg
超能力のトリック』講談社現代新書〔'85年〕「新・刑事コロンボ/汚れた超能力」

 本書はタイトルの通り、テレパシーや透視、予知能力、念力など世間で超能力ではないか言われているもののトリックを、マジック研究家の立場から次々と解き明かしていくものです。ですから本書自体は「超心理学」そのものについての本ではありませんが、宮城音弥『超能力の世界』〈'85年/岩波新書〉にも紹介されていた〈マージェリー〉という有名な女性霊媒師のトリックを、フーディーニ(Harry Houdini)という奇術師が暴いていく過程などは結構スリリングでした(図説が詳しく、宮城氏のものよりわかりやすい)。あのユリゲラー(懐かしい?)については、スプーン曲げから透視や念力まで、フーディーニならぬ著者自身がその"稚拙な"トリックを解き明かしています。

 本書で知ったのですが、ユリゲラーはイカサマがばれて母国イスラエルを追放になった後に米国に渡ってマスコミデビューし成功、スタンフォード研究所の調査もパスしたけれども、後であれはおかしいのではという話になり、それで更に日本に活動の場を移したということだったそうな(その後、訳のわからないシングル版レコードを出したりもしたが、ミステリー作家になって成功し、エルビス・プレスリーの旧邸宅を購入している!)。普通レベルの奇術師なら簡単にできるところを、"下手な奇術師"ユリゲラーが下手にやればやるほど人々が信じてしまうという逆説が面白い。  

汚れた超能力3.jpg「汚れた超能力」3.jpg そう言えば、「刑事コロンボ」が新シリーズで11年ぶりに再開した際の第1弾(通算では第46話)が「汚れた超能力」(「超魔術への招待」)というもので「汚れた超能力」.jpg、これに出てくる「超能力」とは、被験者が地図所上で任意に示した場所に行き、そこで見たものを「超能力者」が念視して書写するというものであり、これは、ユリゲラーの名を一躍世界に知らしめたスタンフォード大学での超能力テストをそのまま再現したものだそうです(このシリーズの作品には全て"モデル"がいるという触れ込みだった)。 Columbo: Columbo goes to the Guillotine (1989)

 トリックは判ってしまえばチープで、新シリーズの第1弾としては物足りなく、その割にはコロンボが、謎解きに際してかなり危険を伴う賭けをしているのが気になりましたが、「トリックが単純であればあるほど騙され易い」という本書にあるセオリーには適っていたかも(監督のレオ・ペンは俳優ショーン・ペンの父親)。 

 本書では「超能力」についての正統的説明も一応はされていますが、むしろ「超能力と言われるもの」についての本と言った方が適切で、マジシャンの"企業秘密"が勿体ぶらずおおっぴらに書かれていて、気軽に楽しく読めます。しかし一方で、昔も今も人というものがいかに騙されやすいかを思い知らされ、怖さも感じます。こんな"稚拙"なトリックにひっかかって怪しげな宗教に入る人もいるわけで...。

ガダラの豚.jpg 因みに中島らもの『ガダラの豚』('93年/実業之日本社)という日本推理作家協会賞を受賞した小説には、本書を参照したと思われる部分が多々あり、実際その本の巻末の「参考文献」欄にも本書の名がありましたが〈この小説にはフーディーニのような人物が登場する〉、そうした"ネタ"が詰まった本とも言えます。

超魔術への招待.jpg「新・刑事コロンボ(第46話)/汚れた超能力」 (「刑事コロンボ'90/超魔術への招待」)●原題:COLUMBO: COLUMBO GOES TO THE GUILLOTINE●制作年:1989年●制作国:アメリカ●監督:レオ・ペン●製作:スタンリー・カリス/ジョン・A・マルティネリ/リチャード・アラン・シモンズ/ピーター・V・ウェア●脚本:ウィリアム・リード・ウッドフィールド●撮影:ロバート・シーマン●音楽:ジョン・カカヴァス●時間:93分●出演:ピーター・フォーク/アンソニー・アンドリュース/カレン・オースティン/ジェームズ・グリーン/アラン・ファッジ/ダナ・アンダーセン/ロバート・コンスタンツォ/アンソニー・ザーブ●日本放映:1993/05 (NTV)●最初に観た場所:自宅(VHS)(91-09-04)(評価:★★★)

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心理学の権威が超能力を「科学」した先駆的書物。

神秘の世界979.JPG神秘の世界2.jpg     『超能力の世界』.png 超能力の世界.jpg
神秘の世界―超心理学入門 (1961年)』『超能力の世界』岩波新書〔'85年〕

 宮城音弥(1908-2005/享年97)による本書『超能力の世界』は'85年の出版ですが、'61年に同じ岩波新書から出た『神秘の世界』の24年ぶりの改訂版です(内容は同じであるため復刻版と言っていい)。著者は、臨床心理学者であり精神医学者でもあった人で、心理学の入門書も多く書いていますが、この本は初版当時から「超心理学入門」と謳っていて、一般心理学とは一線を画しています。

 著者が心理学の権威だったからこそこうしたテーマで書けるのであって、仮に普通クラスの学者が当時こうした内容で本を書けば、学界から孤立したのではないでしょうか。但しこの本は、〈スピリチュアリズム〉とも一線を画しているため、霊魂不滅論者の期待に沿うものではありません。

 超能力をESP、遠隔操作、予知に分け、過去の超常現象の報告例の科学的信憑性を検証し、サギ師の事例(無意識的サギを含め)や、死後の生存(憑依や死者との交信事例)にも触れています。

 多くの超常現象の報告も興味深いですが、著者の統計的手法などを用いた科学的・論理的分析は、「科学する」とはどういうことかをそのまま示しています。そして、何らかの特別な能力の存在を認めなければ説明がつかない"有意な"結果の報告も多くなされています。

宮城音弥 霊―死後、あたなはどうなるか.jpg 著者自身にとってもこうした事例は生涯における関心の対象であり続けたようで、'91年には『霊―死後、あたなはどうなるか』(青春出版社)を著しています。

 この中では、岩波新書の冒頭でも取り上げた、顕著なESP能力を発揮したハイパー夫人のケース(有名な心理学者のウィリアム・ジェームズも、実験にを施してその超常的な能力を確信するに至った)を再び詳しく取り上げたり(著者自身も、夫人には何らかの遠感能力があったという立場)、臨死体験を分析したり(丁度この頃、立花隆氏の、後に刊行される『臨死体験』('94年/文藝春秋)のベースとなるレポート記事が雑誌などに発表され始めていた)、予知能力や「前世体験」と言われるののを解説したりしていますが、何れも「霊」の存在は認めがたいが「超能力」の存在は認めざるを得ないといいう立場です。

 著者は、超心理学とスピリチュアリズム(心霊論)を峻別する一方、宗教(乃至は宗教的なもの)を否定しているわけではありません。但し、超心理学の「学問」としての研究が進めば、人間は「霊」についての考え方を改めざるを得なくなるだろうという考えを示しています。

ハイパー夫人.jpgパイパー夫人 (レオノーラ・パイパー)
 Leonora Piper (1857-1950)ニューハンプシャー州生まれ。
 さまざまな霊現象を起こし「万能の霊能者」と呼ばれた。

 SPR(英国心霊現象研究協会)の不正霊媒摘発係として、「SPRの審問官」と呼ばれたリチャード・ホジソン(Richard Hodgson、1855-1905)(ケンブリッジ大学教授)は、ASPR(米国心霊現象研究協会)の活動推進のためにアメリカに派遣され、ボストン在住の霊媒ハイパー夫人に会い、不正霊媒摘発係として調査を始めることになった。

 ハイパー夫人は、千里眼、テレパシー能力、透視能力、霊言など、あらゆる霊現象を起こす万能の霊能者として知られていたが、極端に懐疑的だったホジソンの調査は、厳格を極めた。ハイパー夫人の日常生活の細部に至るまで調査しただけでなく、探偵を雇って尾行させ、降霊会のための情報収集をしていないかどうかを監視させたりまでしたという。そして、秘密漏洩防止のために、降霊会に参加する人の名前はすべてSmithに変えて統一したり、新聞を読むのを禁止したりして、徹底的に不正を行えない状況にして調査を行ったが、ハイパー夫人には、全く不正が見つからなかった。ホジソンは、どうしても自分の手では不正の証拠を掴めないため、ハイパー夫人をイギリスに送って、イギリスの本部でも徹底的に調査を行ったが、それでも不正を見つけることができなかった。
 イギリスでの調査の後、ハイパー夫人はアメリカに戻り、再びホジソンによる調査が始まったが、不正の証拠が見つからないものの、ホジソンは懐疑的な気持ちが消えていなかった。

 しかし、ホジソンの友人のジョージ・ペラムが事故死をして、ペラムの霊が現れるようになってから、彼の態度は変わった。ハイパー夫人の降霊会にペラムの友人を匿名で複数参加させて会話の内容を確認したり、面識のない人も混ぜてみたり、いろいろと試した結果、ホジソンは「人間は死後も霊として存在している」ということを確信するに至ったという。そして晩年には、彼自身にも霊能が発現し、パイパー夫人の指導霊達が、彼の元に降りてくるようになり、霊と会話ができるようになったという。
 ホジソンは生前に、「自分が死んだらパイパー夫人を通してメッセージを送る」と言ったとされ、死後8日目に、パイパー夫人を通じて霊界からメッセージを送ってくるようになったという。

(Richard Hodgson, "A Record of Observation of Certain Phenomena of Trance"(1892)を参照)

宮城 音弥 『』『精神分析入門』『神秘の世界』『心理学入門[第二版]』『人間性の心理学
宮城音弥 岩波.jpg

《読書MEMO》
●超常現象の種類...テレパシー/遠隔認知または透視(ESP)/遠隔操作(サイコキネシス)/予知(2p)
●精神の一部分が人格から分離したときに、心霊現象のような現象が起こるとすれば、霊魂を仮定しなくとも、無意識によってこの現象の解釈は可能(181p)
●超心理学は深層心理学とスピリテュアリズム(心霊論)の間に位置する(210p)

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