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「●化学」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の著書(大村 智)

評伝としてはオーソドックスだが、やはりスゴイ人だったのだなあと。

大村智 2億人を病魔から守った化学者.png大村智 - 2億人を病魔から守った化学者.jpg ノーベル生理学医学賞 大村智氏.jpg 大村智氏 大村智物語.jpg
大村智 - 2億人を病魔から守った化学者』['12年]『大村智物語―ノーベル賞への歩み

 感染すると失明の恐れもある寄生虫関連病の治療薬を開発したことが評価され、今年['15年]ノーベル生理学・医学賞が授与された大村智・北里大特別栄誉教の評伝で、著者は元読売新聞社の科学部記者・論説委員で、東京理科大学知財専門職大学院教授。刊行は'12年で、ノーベル賞受賞後、『大村智物語―ノーベル賞への歩み』('15年/中央公論社)として普及版が刊行されています(ノーベル賞受賞に関することが加わった他は内容的にはほぼ同じだが、児童・生徒でも読み易いような文章表現に全面的に書き改められている)。

山中伸弥 氏.jpg日本の科学者最前線.jpg ノーベル生理学・医学賞の受賞は、日本人では、利根川進氏('87年)、山中伸弥氏('12年)に次いで3人目ですが、山中伸弥氏は、自分がノーベル賞を受賞した後、ある人から「こんなスゴイ人もいます」と本書を薦められ、読んで驚嘆したという話がどこかに書いてありました。但し、'00年1月から3月まで読売新聞の夕刊に連載された、54人の科学者へのインタビュー「証言でつづる知の軌跡」を書籍化した読売新聞科学部・編『日本の科学者最前線―発見と創造の証言』('01年/中公新書ラクレ)をみると、約15年前当時、既にノーベル賞有力候補者にその名を連ねていました。

大村智G.jpg 評伝としてはオーソドックスで、生い立ち、人となり、業績をバランスよく丁寧に伝えていますが、研究者としては異例の経歴の持ち主で、やはりスゴイ人だったのだなあと。山梨県の韮崎高でサッカーや卓球、スキーに没頭して、特にスキーは山梨大学の学生の時に国体出場しており、大学卒業後、東京都立墨田工業高校夜間部教師に着任、理科と体育を教えると共に、卓球部の顧問として都立高校大会で準優勝に導いています。生徒たちが昼間工場で働いた後に登校し、熱心に勉強しているのを見て、「自分も頑張東京理科大学出身大村智2.jpgらなければ」と一念発起、夜は教師を続けながら昼は東京理科大学の大学院に通い、分析化学を学んだとのことです。氏は1963年に同大学理学研究科修士課程を修了しており、小柴昌俊氏が明治大学(私立)の前身の工業専門学校に一時期在籍していていたことを除けば、東京理科大学は初めてノーベル賞受賞者を輩出した「私学」ということになるようです。

 その後、山梨大学に研究員として戻り、東京理科大学に教員のポストが空いたので山梨大学を辞したところ、そのポストが急遽空かなくなって困っていたところへ、北里研究所で研究員の募集があり、大学新卒と同じ条件で採用試験を受けて(科目は英文和訳と化学で、化学は全く分からなかったが採用された)そちらに転身したとのこと。後のことを考えると、北里研究所は、自らの存立の危機を救うことになる人材を採用したことになります。

中村修二 氏.jpg 日本人ノーベル賞受賞者には青色発光ダイオードで物理学賞の中村修二氏のように、特許を巡って会社と争った人もいれば、クロスカップリングの開発で化学賞の根岸英一・鈴木章両氏のように「特許を取得しなければ、我々の成果を誰でも気軽に使えるからと考え」(根岸氏)、特許を取得していない人もいます。特許取得自体は、無名のサラリーマン会社員の身でノーベル化学賞を受賞し話題になった田中耕一氏のように、特許登録が受賞の決め手の1つになったケースもあり、将来において高く評価される可能性があるならば取得しておくのが一般的でしょう(実際には何が評価されるか分からないため何でも登録されてしまっているのではないか)。

 大村智氏の場合は、静岡県のゴルフ場の土壌で見つけた細菌の作り出す物質が寄生虫に効果があることを発見し、メルク社との共同研究の末、その物質から薬剤イベルメクチンを開発、それが重症の場合に失明することもある熱帯病のオンコセルカ症(河川盲目症)やリンパ系フィラリア症(象皮症)の特効薬となり、年間3億人が使用するに至ったわけですが、メルク社との契約の際に特許ロイヤリティを受け取る契約を交わしています。この件については、メルク社からの特許買取り要請に対し、北里研究所の再建の際に経営学を学んでいた大村氏がロイヤリティ契約を主張して譲らなかったとのことです(「下町ロケット」みたいな話だなあ)。

大村智Y.jpg 但し、発明通信社によれば「大村博士らが治療薬の商用利用で得られる特許ロイヤリティの取得を放棄し、無償配布に賛同したために(WHOによる10億人への無償供与が)実現した」とのことで、これはつまり、彼は10億人の人々を救うために「特許権の一部」を放棄したのだと思われます(特許権を完全所有していれば数千億円が転がり込んできてもおかしくない状況か)。それ以外については特許ロイヤリティが北里研究所に支払われる契約のため、「150億円のキャッシュが北里研究所にもたらされ」(『大村智物語』)、研究所経営も立ち直ったということであり、更に、美術愛好家としても知られる大村氏は、2007年には故郷である山梨県韮崎市に私費で韮崎大村美術館を建設、自身が所有していた1500点以上の美術品を寄贈しています。

益川敏英00.jpg 2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏が近著『科学者は戦争で何をしたか』('15年/集英社新書)の中で、毒ガスや原爆を開発した科学者にノーベル化学賞や物理学賞が与えられてきた実態を書いていますが、そうしたものの対極にあるのがこの大村氏の受賞でしょう(80歳での受賞。存命中に貰えて良かった)。昨年['14年]11月に、中村修二氏の特許訴訟を担当した升永(ますなが)英俊弁護士が、《人類絶滅のリスクを防ぐ貢献度を尺度とすると、青色LEDの貢献度は、過去の全ノーベル賞受賞者(487人)の発明・発見の総合計の貢献度と比べて、天文学的に大である。》との主張を、特許法改正を巡る新聞の意見広告で展開したことがありましたが、大村智氏は少なく見積もっても2億人以上の患者を救っているわけで、中村氏陣営はもう少し謙虚であった方がよかったのではないでしょうか。

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淡々と書かれているだけに却って感動的であり、また、面白かった『クラゲに学ぶ』。

下村脩 クラゲに学ぶ.jpg 光る生物の話.jpg 下村脩 2.jpg 下村 脩 氏   科学者は戦争で何をしたか.jpg
クラゲに学ぶ―ノーベル賞への道』『光る生物の話 (朝日選書)』『科学者は戦争で何をしたか (集英社新書)

「一度も借りられたことがない本」特集 朝日新聞デジタル.jpg 今年['15年]はどうしたわけか色々な図書館で貸出回数ゼロの本の展示企画が流行り、藤枝市立駅南図書館(2月)、裾野市立鈴木図書館(2月)などで実施され、更にはICU大学図書館の「誰も借りてくれない本フェア」(6月)といったものもありましたが、つい最近では、江戸川区立松江図書館が1度も貸し出されたことがない本を集めた特設コーナーを設けたことが新聞等で報じられていました(12月)。その中に、2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩氏による本書『クラゲに学ぶ』('10年/長崎文献社)があり、やや意外な印象も受けました(ローカルの版元であまり宣伝を見かけなかったせいか?)。

借りられたことのない本を集めた江戸川区立松江図書館の企画展(朝日新聞デジタル 2015年12月21日)

下村脩 3.jpg 本人が自らの人生の歩みと、緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見によりノーベル賞を受賞するまでの研究の歩みを振り返っている本ですが(タイトルは2008年ノーベル化学賞のポスター"Lessons from the jellyfish's green light"に由来)、淡々と書かれているだけに却って感動的であり、また、面白かったです。特に、学問や人との出会いが、実は偶然に大きく左右されていたというのが興味深かったです。

 終戦直後、受験した高校に全て落ちた下村氏は、原爆で被災した長崎医科大学附属薬学専門部が諫早の家から見える場所に移転してきたこともあって、薬剤師になる気は無かったけれども、ほかの選択肢がなくて長崎薬専へ内申書入学、それが化学実験に興味を持ち始める契機になったとのことです。

 薬専から大学となった長崎大学を卒業後、武田薬品の面接で「あなたは会社にはむきませんよ」と言われ、安永峻五教授の授業の学生実験の助手として大学に残り、山口出身の安永教授と同郷の名古屋大学の有名な分子生物学の先生を紹介してもらえることになり、一緒に名古屋に行くと偶々その先生は出張中で、山口出身の別の先生の研究室に挨拶に行ったら「私のところへいらっしゃい」と言われ、その先生が当時新進の天然物有機化学者の平田義正教授で、当時、分子生物学も有機化学も全くと言っていいほど知らなかった著者が平田研究室の研究生となり、ウミホタルを発光させる有機物を結晶化するというテーマに取り組むことになったとのことです。下村氏は巻末で、尊敬する3人の師の下村 脩   .jpg1人として、プリンストンで共にオワンクラゲの研究に勤しんだ(共に休日に家族ぐるみでオワンクラゲの採下村脩 35.jpg集もした)ジョンソン博士の名を挙げていますが、その前に、安永峻五教授と平田義正教授の名を挙げています。やがてずっと米国で研究を続けることになる著者ですが、日本国籍を保持し続けていたことについて、何ら不便を感じたことがないと言っているのも興味深いです。

 著者の研究分野やその内容については、著者が一般向けに書き下ろした『光る生物の話』('14年/朝日新書)により詳しく書かれていますが、こちらの方にも、近年の発光植物の研究まで含めた著者の研究の歩みや、『クラゲに学ぶ』にもある著者自身の自伝的要素も織り込まれています。元々、自分たちの子どものために自伝を書き始め、ノーベル賞受賞後、それを本にする話が朝日新聞の人から出て朝日新聞出版社で刊行する予定だったのが、故郷長崎県人の強い要望から地元の出版社で刊行することになったのが『クラゲに学ぶ』であるとのことで、既に朝日新聞出版社からも『クラゲの光に魅せられて-ノーベル化学賞の原点』('09年/朝日選書)を出していたものの、下村氏が書いたのは3分の1足らずで、あとは講演会の内容がほとんどそのまま収録されているような内容であったため(おそらく出来るだけ早く刊行したいという版元の意向だったのだろう)、改めて自伝的要素を織り込んだ『光る生物の話』を朝日選書で出すことで、朝日新聞出版社にも義理を果たしているところが著者らしいです。

 『光る生物の話』によれば、生物発光の化学的研究は1970年代がピークで、現在は衰退期にあるとのこと、研究者の数も多くなく、過去100年間の研究成果のうち、著者が共同研究者として関わっているものがかなりあることからもそれが窺えます。オワンクラゲからの緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見は偶然も大きく作用していますが、こうした医学界に実際に役立つ成果でもない限り、本当にマイナーな世界だなあと。

下村脩 ノーベル賞8.jpg 『クラゲに学ぶ』の特徴としては、他の学者等の"ノーベル賞受賞記念本"と比べて受賞時及びそれ以降の過密スケジュールのことが相当詳しく書かれている点で(おそらく下村氏は記録魔?)、断れるものは断ろうとしたようですが、なかなかそうもいかないものあって(これも淡々と書いてはいるが)実にしんどそう。それでも、ノーベル賞を貰って"良かった"と思っているものと思いきや、人生で大きな嬉しさを感じたのは貴重な発見をした時で、ノーベル賞は栄誉をもたらしたが、喜びや幸福はもたらさなかったとしています。本書は受賞の1年版後に書かれたものですが、「今の状態では私はもはや現役の科学者ではない」と嘆いていて、米国の研究所を退任する際に実験器具一式を研究所の許可を得て自宅へ移したという、あくまでも研究一筋の著者らしい本音かもしれません。

asahi.com

益川敏英 氏
益川敏英00.jpg 同じ2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の近著『科学者は戦争で何をしたか』('15年/集英社新書)は、ノーベル賞受賞者が過去の戦争で果たした負の役割を分析したものですが、益川氏は、ノーベル財団から受賞連絡を受けた際に、「発表は10分後です」「受けていただけますか」と言われ、その上から目線の物言いにややカチンときたそうです。下村氏の場合、自分は受けるとすれば既に発表が終わっていた生理学・医学賞で、今年は自身の受賞は無いと思っていたそうで、その下村氏の元へノーベル財団から化学賞受賞の連絡があった際も「20分後に発表する」と言われたとのこと、財団の立場に立てば、本人の受賞の受諾が必要であり、但し、事前にマスコミに流れてはマズイという意味では、このドタバタ劇は仕方がないのかもしれません。

 益川氏の『科学者は戦争で何をしたか』の中にある話ですが、益川氏はノーベル賞受賞の記念講演で戦争について語ったのですが、事前にその原稿にケチがついたことを人伝に聞いたとのこと、益川氏は自分の信念から筋を曲げなかったのですが、そうしたら、下村氏も同じ講演で戦争の話をしたとのことです。長崎に原爆が落ちた際に当時16歳の下村氏は諫早市(爆心から20km)にいて、将来の妻となる明美氏は長崎市近郊(爆心から2.3km)にいたとのことです。益川氏は原爆は戦争を終わらせるためではなく実験目的だったとし、下村氏も戦争を終わらせるためだけならば長崎投下は説明がつかないとしています。

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「●岩波ジュニア新書」の インデックッスへ

「インカの世界」入門だがやや専門的? 人類学者と写真家のざっくりしたコラボ。

インカの世界を知る.jpgインカの世界を知る (岩波ジュニア新書)

 南米アンデス地方を中心に栄えたインカとはどのような文明を持ち、どのような人々が暮らしていたのか。神秘と謎に包まれたインカの魅力を多数の写真とともに紹介した、いわば「インカの世界」入門といった感じの本で、人類学者でラテンアメリカ研究を専門とする木村秀雄氏による第1部「インカを知る」(約50ページ)と、写真家・高野潤氏による第2部「インカを知るための10の視点」(約140ページ)から成ります。

 これまで高野潤氏のインカに関する著書を何冊か読んできて、写真家でありながら、インカについて殆ど学究者クラスの造詣の深さを感じていましたが、著者が出るごとに、どんどんインカ道の奥深くに分け入っていき、それはそれでいいのですが、読んでいて、今どの辺りにいるのか分からなくなってしまったりして(笑)。また、それらの本は、ある程度インカの歴史などを理解している読者を想定しているフシもあり、今一度、インカのことを"おさらい"しておきたく思っていた時に出た本で、ちょうどいいタイミングと思い、本書を手にした次第です。

 と言っても、高野潤氏の担当パートである第2部の「10の視点」は、やはりややマニアックというか、(内容的には面白いのだが)ジュニア新書にしてはやや専門的な内容にも思え、一応その前に、木村秀雄氏による第1部「インカを知る」で、インカとは何か、インカ国家はどのように拡大し変質したのかといったインカの歴史から、アンデス山脈の地勢・気候・自然、アンデスの文明・農牧畜、アンデスやクスコ地方の牧畜儀礼などが網羅的・概観的に書かれているので、この第1部と第2部の組み合わせで、入門書としての体裁になっているのだろうとは思いますが、「入門」的内容もあれば専門的内容もあり、「入門書」かと言われるとどうか―ややざっくりしたコラボになっているように思います。

 例えば、もう少し歴史にも重点をおいて"おさらい"して欲しかった気もします。木村秀雄氏は人類学者であり、高野潤氏もフィールド・リサーチャーっぽいところがあるので、流れとしては第1部と第2部が繋がっているのですが、インカの歴史に関する記述が第1部・第2部ともあまりに簡潔すぎて、物足りなかったでしょうか。

 とは言え、全体としては楽しく読めました。高野潤氏は、本書においても引き続き、インカ道を奥深く分け入って行っているという印象でしょうか。写真も(モノクロではあるが)豊富で、神殿や聖所、儀礼・神託所、マチュピチュやビルカバンバ山中の都市、数々の奇岩や水路跡、階段畑、カパック・ニャン(インカ道)、墳墓などの多くが写真付きで紹介されています。ジュニア新書だからといって手抜きしないというか、それが、裏を返せば、あまり、ジュニア新書という感じがしないということにもなっているのかもしれません。

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「●た 竹内 薫」の インデックッスへ 「●ちくま新書」の インデックッスへ

宇宙論の歴史と今現在をわかり易く説く。宇宙の未来予測が興味深かった。

ざっくりわかる宇宙論.jpg
竹内 薫.jpg 竹内 薫 氏 竹内薫 サイエンスZERO.jpg Eテレ「サイエンスZERO」
ざっくりわかる宇宙論 (ちくま新書)

 宇宙はどう始まったのか? 宇宙は将来どうなるのか? 宇宙に果てはあるのか? といった宇宙の謎を巡って、過去、現在、未来と宇宙論の変遷、並びに、今日明らかになっている宇宙論の全容を分かり易く説いています。

 パート①「クラシックな宇宙論」では、コペルニクス、ケプラー、ニュートンから始まって、アインシュタインと20世紀の宇宙論の集大成であるビッグバンまで宇宙論の歴史を概観し、パート②「モダンな宇宙論」では、20世紀末の科学革命と加速膨張する宇宙について、更に、宇宙の過去と未来へ思いを馳せ、パート③「SFのような宇宙論」では、ブラックホールやブレーンといった、物理学的に予想される「物体(モノ)」について述べています。

 宇宙論は20世紀末から現在にかけてかなり進化しており、それが今どうなっているのかを知るのに手頃な本です。基本的には数式等を使わず、一般人、文系人間でも分かるように書かれている一方、部分的には(著者が重要と考える点は)かなり突っ込んだ説明もなされており、個人的にも、必ずしも初めから終わりまですらすら読めたわけではありませんでした。

 でも、説明が上手いなあと思いました。まえがきで自身のことを、科学書の書き手の多くがそうである「プロ科学者〈兼〉アマチュア作家」とは違って、「アマチュア科学者〈兼〉プロ作家」であると言っており、科学好きの一般読者のために、宇宙論の現状をサイエンス作家の視点からざっくりまとめたとしています。

 東京大学理学部物理学科卒業し、米名門のマギル大学大学院博士課程(高エネルギー物理学理論専攻)を修了していることから、「プロ科学者〈兼〉アマチュア作家」ではないかという気もしていたのですが、最近の共著も含めた著作ラッシュやテレビ出演の多さなどをみると、やはり作家の方が"本業"だったのでしょうか? 確か推理小説も書いているしなあ。但し、小説やエッセイ的な著者よりも、こうした解説書・入門書的な著書の方が力を発揮するような印象があり、本書はその好例のようにも思います(Eテレの「サイエンスZERO」のナビゲーターはハマっているが(2011年に放映された"爆発迫るぺテルギウス"の話題を本書コラムで扱っている)、ワイドショーとかのコメンテーターとかはイマイチという印象とパラレル?)。
サイエンスZERO「爆発が迫る!?赤色超巨星・ベテルギウス」(2011年11月26日 放送)

 「作家」としての自由さからというわけはないでしょうが、仮説段階の理論や考え方も一部取り上げ(著者に言わせれば、「科学は全部『仮説にすぎない』」(『99・9%は仮説』('06年/光文社新書))ということになるのだろうが)、結果的に、宇宙論の"全容"により迫るものとなっているように思いました。

 印象に残ったのは、パート②の後半にある宇宙の終焉と未来予測で、太陽の寿命はあと50億年くらい続くとされ、太陽がエネルギーを使い果たして赤色巨星になると地球は呑みこまれるというのが一般論ですが、その前に太陽は軽くなって、その分地球を引っ張る力が弱まり、地球の軌道が大きくなって実際には呑みこまれないかもしれないとのこと。

 それで安心した―というのは、逆に50億年という時間の長さを認識できていないからかもしれず、6500万年前にユカタン半島に落下し恐竜を絶滅させたと言われるのと同規模の隕石が地球に落下すれば、今度は人類が滅ぶ可能性もあるとのことです。仮に地球が太陽に呑みこまれる頃にまで人類が生き延びていたとして、火星に移住するのはやがて火星も呑みこまれるからあまり意味が無いとし(これ、個人的には一番現実的だと思ったのだが)、と言って、他の星へ移住するとなると、最も近いケンタウルス座アルファ星域に行くにしても光速で4年、マッハ30の宇宙船で光速の3万倍、12万年もかかるため、ワームホールでも見つけない限り難しいのではないかとしており、確かにそうかもしれないなあと思いました(冥王星に移住っていうのはどう?―と考えても、その前に人類は滅んでいる可能性が高いだろうけれど、つい、こういう提案をしたくなる)。

 著者は更に宇宙の未来に思いを馳せ、このまま宇宙の加速膨張が進めば、空間の広がりが光速を超え、1000億年後には真っ暗な宇宙になるだろうと(その宇宙を観る地球ももう無いのだが)。更に、宇宙の年齢137億年を約100億年とし、ゼロが10個つくのでこれを「10宇宙年」とすると、12宇宙年から、宇宙の加速膨張のために、遠くの銀河は超光速で遠ざかるようになって、まばらに近くの銀河や星だけが見えるようになり、14宇宙年から40宇宙年の間に宇宙が「縮退の時代」を迎え、40宇宙年になると陽子が全て崩壊して原子核も無くなり、光子や電子のような素粒子に生まれ変わり、要するにモノと呼べるものは宇宙から全て消えると。そして、40宇宙年から100宇宙年の間、宇宙は「ブラックホールの時代」となり、100宇宙年になるとブラックホールも消えて「暗黒の時代」を迎えるそうです。イメージしにくいけれど、理論上はそうなる公算が高いのだろうか。

 「未来永劫」などとよく言いますが、宇宙論における「未来」というのは、我々が通常イメージする「未来」と100桁ぐらい差があるということなのでしょう。

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昆虫たちの驚くべき「戦略」。読み易さの『昆虫はすごい』、写真の『4億年を生き抜いた昆虫』。

昆虫はすごい1.jpg昆虫はすごい2.jpg  4億年を生き抜いた昆虫.jpg 4億年を生き抜いた昆虫_pop01(縮)-300x212.jpg
昆虫はすごい (光文社新書)』『4億年を生き抜いた昆虫 (ベスト新書)

 『昆虫はすごい』('14年/光文社新書)は、人間がやっている行動や、築いてきた社会・文明によって生じた物事 は、狩猟採集、農業、牧畜、建築、そして戦争から奴隷制、共生まで殆ど昆虫が先にやっていることを、不思議な昆虫の生態を紹介することで如実に示したものです。昆虫たちの、その「戦略」と言ってもいいようなやり方の精緻さ、巧みさにはただただ驚かされるばかりです。

 ゴキブリに毒を注入して半死半生のまま巣穴まで誘導し、そのゴキブリに産卵するエメラルドセナガアナバチの"ゾンビ"化戦略とか(p46)、同性に精子を注入して、その雄が雌と交尾を行う際に自らの精子をも託すというハナカメムシ科の一種の"同性愛"戦略とか(p84)、アブラムシに卵を産みつけ、そのアブラムシを狩りしたアリマキバチの巣の中で孵化してアブラムシを横取りして成長するエメラルドセナガアナバチ7.jpgハチの仲間ツヤセイボウの"トロイの木馬"戦略とか(p93)、その戦略はバラエティに富んでいます。カギバラバチに至っては、植物の葉に大量の卵を産み、その葉をイモムシが食べ、そのイモムシをスズメバチが幼虫に与え、そのスズメバチの幼虫に寄生するというから(p94)、あまりに遠回り過ぎる戦略で、人間界の事象に擬えた名付けのしようがない戦略といったところでしょうか。

ゴキブリ(左)にエメラルドセナガアナバチ(右)が針を刺し麻痺させ、半死半生のゾンビ化させ、巣に連れて行き、ゴキブリの体内に産卵する。子が産まれたららそのゴキブリを食べる。

 こうしてみると、ハチの仲間には奇主を媒介として育つものが結構いるのだなあと。それに対し、アリの仲間には、キノコシロアリやハキリアリのようにキノコを"栽培"をするアリや(p144)、アブラムシを"牧畜"するアリなどもいる一方で(p154)、サムライアリを筆頭に、別種のアリを"奴隷"化してしまうものあり(p173)、メストゲアリ7.jpgいわば、平和を好む"農牧派"と戦闘及び侵略を指向する"野戦派"といったところでしょうか。トビイロケアリのように、別種の働きアリを襲ってその匂いを獲得して女王アリに近づき、今度は女王アリを襲ってその匂いを獲得して女王に成り代わってしまう(p178)(トゲアリもクロオオアリに対して同じ習性を持つ)という、社会的寄生を成す種もあり(但し、いつも成功するとは限らない)、アリはハチから進化したと言われていますが、その分、アリの方が複雑なのか?(因みにシロアリは、ゴキブリに近い生き物)。
クロオオアリの女王アリ(左)に挑みかかるトゲアリの雌(右)。クロオオアリの働きアリに噛み付き、匂いを付けて巣に潜入。女王アリを殺し、自分が女王アリに成り代わる。

 著者の専門はアリやシロアリと共生する昆虫の多様性解明で、本書は専門外の分野であるとのことですが、ただ珍しい昆虫の生態を紹介するだけでなく、それらの特徴が体系化されていて、それぞれの生態系におけるその意味合いにまで考察が及んでいるのがいいです。そのことによって、知識がぶつ切りにならずに済んでおり、誰もがセンス・オブ・ワンダーを感じながら楽しく読み進むことができるようになっているように思います。

4億年を生き抜いた昆虫_pop0.jpg 『4億年を生き抜いた昆虫』('15年/ベスト新書)は、カラー写真が豊富なのが魅力。本文見開き2ページとカラー写真見開き2ページが交互にきて、やはり写真の力は大きいと思いました。

 『昆虫はすごい』と同じく、昆虫とは何か(第1章)ということから説き起こし、第2章で昆虫の驚くべき特殊能力を、第3章で昆虫の生態を種類別に解説していますが、第3章が網羅的であるのに対し、第2章が、奇妙な造形の昆虫や、人間顔負けの社会性を持つ昆虫、"一芸に秀でた"昆虫にフォーカスしており、この第2章が『昆虫はすごい』とほぼ同じ趣旨のアプローチであるとも言えます。その中には、「クロヤマアリを奴隷化するサムライアリ」(p69)とか「ゴキブリをゾンビ化するエメラルドセナガアナバチ」(p92)など、『昆虫はすごい』でもフューチャーされていたものもありますが、意外と重複は少なく、この世界の奥の深さを感じさせます。

 著者は昆虫学、生物多様性・分類、形態・構造が専門ということで、『昆虫はすごい』の著者に近い感じでしょうか。『昆虫はすごい』の著者によれば、昆虫に関する研究も最近は細分化していて、「昆虫を研究している」という人でも、現在では昆虫全般に興味の幅を広げている人は少ないとのこと。いても、自分の専門分野に関係するものに対象を絞っている場合が殆どで、中には「事象に興味があっても虫には興味が無い」と浅学を開き直る学者もいるそうな。そうした中、"虫好き"の精神とでも言うか心意気とでも言うか、センス・オブ・ワンダーをたっぷり味あわせてくれる本が世に出るのは喜ばしいことだと思います。

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原節子"通"を任ずるならば押さえておきたい1冊。本人発言等、事実からその実像に迫る。

原節子 伝説の女優 千葉.jpg原節子―映画女優の昭和.jpg原節子さん死去 - 号外:朝日新聞.jpg
原節子―伝説の女優 (平凡社ライブラリー)』『原節子―映画女優の昭和』   朝日新聞「号外」2015年11月25日

原節子、号泣す.jpg 末延芳晴 著『原節子、号泣す』('14年/集英社新書)をちょうど再読し終えた頃に原節子の訃報に接しましたが、既に95歳だっため何となく予感はありました。本人の遺志により発表を遅らせたとのことで、読んでいた頃にはもう亡くなっていたのかあ。文春文庫ビジュアル版の『大アンケートによる日本映画ベスト150』('89年)に監督・男優・女優の各ベスト10のコーナーがあり、女優は、1位・原節子、2位・吉永小百合、3位・高峰秀子、4位・田中絹代、5位・岩下志麻、6位・京マチ子、7位・山田五十鈴、8位・若尾文子、9位・岸恵子、10位・藤純子となっており、やはりスゴイ女優だったのだなあと。

 本書(同著者の『原節子―映画女優の昭和』('87年/大和書房)に加筆修正してライブラリー化したもの)は、その原節子の女優としてのキャリアを丹念に追ったものであり、原節子"通"を任じるならば是非とも押さえておきたい1冊です。著者があとがきで述べていますが、従来の女優の自伝・評伝の、身近な人間関係に密着して展開する書き方とはやや距離を置き、原節子のその時点時点での発言を重視し、その意味を、役や作品や周囲の証言や、その時代の映画・歴史状況と対応させてみるという手法を取っています。こう書くと難しく感じるかもしれませんが、実際はその逆で、事実を出来るだけ詳しく記し、解釈は読者に預ける、或いは事実から汲み取ってもらうという手法にも思え、著者による作品解釈等引っ掛かったりすることが殆ど無いため、正味400ページありますが、すらすら読めました。

 興味深かったのは、デビュー以来その素材を買われながらも今一つ力が出し切れず、一部からは「大根」と呼ばれていた時期が結構長くあったのだなあということで、時折、その年代ごとの女優のブロマイドの売れ行きベストテンやギャランティによる番付、映画雑誌による人気ランキングが出てきますが、ベストテンには早くから名を連ねるものの、ずっとその中では6位以下の下位グループに位置し、結局、戦前10年ベストテンの下位に低迷し続け、彼女が初めてベスト5に入ったのが、雑誌「近代映画」の1949年正月号で、この時点でも、1位に高峰三枝子(当時30歳)、2位に高峰秀子(同24歳)がいて、原節子(同28歳)は第3位でした。4位が田中絹代(同31歳)で5位が山田五十鈴(同31歳)だから、確かに演技面力の面でも"強者"揃いであるわけですが。

麦秋 原節子.jpg 本書によれば、彼女が人気の頂点に達したのは1951年で、ハリウッドの外国人記者協会が企画し毎日新聞が代行した日本における一般投票で、前年の4位からこの年のトップになっています。但し、1952年の「映画ファン」5月号の人気投票では、作品投票で主演作の「麦秋」('51年)、「めし」('51年)が1位と2位に選ばれたにも関わらず、原節子(当時32歳)は津島恵子(同26歳)に次いで2位に後退しており、今でこそ「伝説の女優」と言われていますが、当時は彼女も、移ろいがちな女優人気のうねりの中にいたのだなあと思いました。

「麦秋」(1951年)

 そうした原節子の魅力を十分に引き出したの小津安二郎監督であると言われていますが、本書の中にあるエピソードでは、「麦秋」のクランクインが迫った際に、原節子はギャラが高いから別の女優にしてくれと松竹から言われた小津安二郎監督が、原節子が出なければ作品は中止すると珍しく興奮した声で言ったといい、それを聞いた原節子が、自分のギャラは半分でもいいから小津の作品に出演したいと言ったという話に、二人の結びつきの強さを感じました。

 また、原節子はこの頃には女優としての意識にも高いものがあり、「日本映画そのものに、ハッキリとした貫くような個性がないんですもの。リアリズムも底が衝けないか、或いは詩がないのよ」(「近代映画」'51年7月号)とも言っており、「麦秋」の完成間近には、「日本映画の欠点?そうね、それはシナリオだと思うわ。小説の映画化ばかり追っかけている現状は悲しいと思うの。演技者にあった強力なオリジナルを書いて、あッと言わしてくれるシナリオ・ライターがあってもいいと思うわね。」(「時事新報」'51年9月14日)とまで言っていますが、確かに「麦秋」はオリジナル脚本でした(その前の「晩春」('49年)は広津和郎「父と娘」が原作)。

 その少し後には「私は演技がナチュラルに没してしまうのが恐いんです。(中略)映画のリアリズっていうものが、私たちが演技するナチュラルな写実ではなくって、出演者の(中略)厳密なね、リアリズムが一分の隙もなくナチュラルに見える結果の演技でなくっちゃ...。」(「丸」'54年1月号)などといった発言もあり、これ、スゴくない?

 興味深かったのは、「日刊スポーツ」や「スポーツニッポン」「報知新聞」といったスポーツ紙のインタビューが本書には多く載っていますが、その中で、結構ざっくばらんに自分のことを語っている点で、自らを「大根」だとか「おばちゃん」だとか言ったり、自分が演じた役柄が自分には今一つしっくりこなかったとあっさり言ってしまうなど相当サバけた印象があり、結婚に関する記者の質問にも自分なりの考えを述べるなど(時に記者を軽くあしらい)、非常に現代的・現実的な思考や感覚の持ち主であったことが窺える点でした。

 小津安二郎が彼女の魅力を引き出したのは確かですが、小津の描いたやや古風な女性像に続いて、そうした彼女の実像に近いモダンな部分を作品にうまく反映させる監督が現れなかったというのも、彼女が引退を決意した理由として考えられるのではないでしょうか。映画評論家の白井佳夫氏が、「原節子を、完全に使いこなし、その比類なき魅力をスクリーンに開花させてくれるような、一群の映画作家たちの魔術が、だんだん消え失せてしまうような新時代の到来が、彼女に引退を決意させたのだ...」と言っていますが、原節子自身は、そうした新時代の女性を演じるに適した素養も持っていたような気もします。

原節子 インタビュー.jpg 勿論、インタビューでの発言や態度がそのまま映画作品の人物造型に反映されるとも限らないし、本書からは、原節子自身が早くから年齢を意識し、引退を考えていたことも窺えるので何とも言えませんが...。本書を読むと、人気がピークになればなるほど、引退を強く意識していたような感じも。そして、'63年の小津監督の死で「引退」は決定的になったように思います。本書によれば、小津の通夜に姿を現した原節子は小津の遺体に号泣し、この時、本名の会田昌江で弔意を表したそうです。'64年には狛江の自宅を引き払い、鎌倉に住む義兄の熊谷久虎監督の夫婦のもとに引っ越しています(この地が彼女の終の住処となる)。

1960年11月、東京都内の自宅で取材に応じる原節子[朝日新聞デジタル 2015年12月8日]

 出来るだけ客観的事実で本書を構成し、あまり自身の見解を織り込み過ぎないように注意を払ってきたかに見える著者ですが、本書末尾で、「映画女優としての原節子は希有な美しさのため、"花"としての存在価値が大きく、そのなかにあって、原の自己主張は覆い隠されてしまった傾向がある」としており、この見方には大いに頷かされました。

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世界のANDOの"中期"作品群。見て楽しめるだけでなく、資料としても貴重か。

GA ARCHITECT TADAO ANDO 12.png GA ARCHITECT TADAO ANDO 16.png  GA ARCHITECT TADAO ANDO 8.png GA ARCHITECT TADAO ANDO.jpg
GAアーキテクト (12) 安藤忠雄 1988-1993―世界の建築家 (GA ARCHITECT Tadao Ando Vol.2)』['93年]『GAアーキテクト (16) 安藤忠雄 1994-2000―世界の建築家 (GA ARCHITECT Tadao Ando Vol.3)』['00年]  『GAアーキテクト (08) 安藤忠雄 1972-1987―世界の建築家 (GA ARCHITECT Tadao Ando Vol.1)』['87年]『GA ARCHITECT 安藤忠雄 2001-2007』['07年]

tadao ando12.JPG安藤忠雄五輪.jpg 2020年五輪の新国立競技場問題で一部世間からバッシングを浴びた安藤忠雄氏ですが、最大のネックは文科省と日本スポーツ振興センター(JSC)にあっ安藤忠雄 五輪.jpgたと思われ(特にJSC)、安藤氏に非難される余地が全く無かったのかと言えば必ずしもそうと言い切れないとは思いますが、彼はデザイン選定の責任者(審査委員長)であって、予算管理の責任者ではないでしょう。文科省、JSCの"罪"の大きさを思うに、相対的にみて、安藤氏に対しては個人的には同情的な考えでいます(顔が見えにくいところが非難を逃れ、顔が見えやすい人がバッシングを受けるのは世の常か)。

tadao ando127.JPG 今回の騒動はともかく、安藤氏が世界的な建tadao ando128.JPG築家であることは論を待たないと思いますが、この人の、プロボクサーから建築家に転じ(しかも殆ど独学で建築学を学んで)、工業高校卒の最終学歴で東大の教授にまでなったというその経歴がこれまたスゴ過ぎます(現在は東大名誉教授)。

tadao ando129.JPG
[上]兵庫県立こどもの館(1987-89年)
[上右]国際花と緑の博覧会「名画の庭」(1990年)
[右]セビリア万博日本館(1992年)

黒川 紀章 - コピー.jpg そうした異色ぶりもあって安藤氏のファンも結構多いと思いますが、その安藤氏も現在['15年12月]74歳、願わくば、晩年ちょっと箍(たが)が外れてしまった黒川紀章(1934-2007/享年73)の二の舞にはならないで欲しいと思います(まあ大丈夫だとは思うが)。

tadao ando16.JPG 本書は80年代から刊行が続いている建築家シリーズ「GAアーキテクト」の一環を成すものですが、このうち、安藤忠雄の作品集は1972年から1987年の作品を収めた第8巻('87年刊行)、1988年から1993年の作品を収めた第12巻('93年刊行)、1994年から2000年の作品を収めた第16巻、('00年刊行)の3巻がありましたが、'07年に2001年から2007年までの42作品を収録ものが刊行されています。
tadao ando162.JPG
 このシリーズで4巻も占めているのは安藤忠雄のみで、この外にも「安藤忠雄ディテール集」が'96年から'07年にかけて4巻刊行されていたりもしますが(とにかく群を抜く頻度の取り上げられ方)、取り敢えず上記4巻で、現時点での安藤忠雄作品集といった感じでしょうか。勿論、安藤氏は現在も活動中ですが、この第12巻と第16巻で1988年から2000年の作品を網羅していることになり、"中期"作品集と言ってもいいように思います。

[右]シカゴの住宅(1992-1997年)
[下]FABRICA(伊ベネトン・アートスクール)(1992-2000年)

tadao ando163.JPG 初期作品にも「住吉の長屋」('76年)など有名なものがありますが、やはり"中期"においてスタイルが確立したように思われ、また、セビリア万国博覧会日本政府館('92年)などは偶々自分が行ったこともあって懐かしく、淡路夢舞台の百段苑('00年)なども家族と旅行に行った思い出があり、これもまた懐かしいです(百段苑はスケールの大きさに圧倒される)。大判の写真に加え、詳細な図面や安藤氏自身のコメントも含む作品解説もあって、見て楽しめるだけでなく、資料としても貴重かと思います。

[下右]淡路夢舞台(1993-2000年)
tadao ando164.JPG 個人的には、安藤氏の作品は、作品によってはそのスケールの大きさから、建築と言うより「土木」っぽいところがあるものもあるように思います。そう言えば、このシリーズ、2020年五輪の新国立競技場デザイン案のコンペで安藤氏が推して一旦はその案の採用が決まっていたイラク出身の建築家ザハ・ハディッド女史の作品集も第5巻にありますが(今回の件で復刻印刷された)、この人の作品も何となく「建築」というより「土木」という感じがするなあ(競技場をあの原案の通り造ろうとしたら、技術的には建築工学より土木工学の技術が必要になるのでは)。


 「世界の最先端デザイン建築○○選」などといったサイトがありますが、そういうの見るにつけ建築の世界ってどんどん進化しているなあと思います。何年か経てば、安藤忠雄の作品であっても「これ、安藤忠雄が設計した」と言われて初めて何となくそのユニークさを感じるくらいになっているかも(ル・コルビュジエの建築などは今日ではそういう感じではないか)。一時、世海底都市0.jpg動くビル ドバイ.jpg界中の建設重機の半分が集まったとムンバイパンドラオーム.jpgムンバイパンドラオーム2.jpg言われたドバイ(世界一高い超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」もここにある)とかはスゴイことになっているし(リーマンショックの前ぐらいまではSFに出てくるような「海底都市」や、回転して変形し、まるで生き物みたい動く(動いて見える?)ビルを造る構想もあり、「動くビル」構想は今も生きているらしい)、インドのムンバイでは、全室プール付マンションの建設計画があるというし...(2009年には既に、マレーシアのクアラルンプールに全室プール付マンションが完成している)。

 建築家って、最先端辺りにいる人たちは、フツーの建造物では飽き足らず、いつも夢みたいにスゴイことを考えているんだろなあ。2020年における世界の建築イノベーションの進み具合ということを考えた場合、安藤氏がザハ・ハディッド氏の案を推した気持ちが理解できるような気がします(ザハ案は東京での開催誘致の際のプレゼンに織り込まれ、実際に東京への誘致と相成った訳だかザハ・ハディド.jpg北京・銀河SOHO  ザハ・ハディド_1.jpgアル・ワクラ・スタジアム.jpgら、ザハ案を選んだ安藤氏は誘致に貢献したとも言えるかと思うのだが...)。

ザハ・ハディド(1950-2016.3.31)/北京・銀河SOHO(設計:ザハ・ハディド)/アル・ワクラ・スタジアム[2022年FIFAワールドカップ(カタール大会)会場スタジアム完成予想図](設計:ザハ・ハディド)

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'読むだけでも楽しめるが、(巧みな語り口に乗せられて)まだ観ていない映画を観たくなる本。

私の映画の部屋_.jpg 私の映画の部屋.jpg  めぐり逢い dvd.jpg 魚が出てきた日 dvd.jpg
私の映画の部屋 (文春文庫)』「めぐり逢い [DVD]」「魚が出てきた日 [DVD]」 
私の映画の部屋―淀川長治Radio名画劇場 (1976年)

 この「私の映画の部屋」シリーズは、70年代にTBSラジオで月曜夜8時から1時間放送されていた「淀川長冶・私の映画の部屋」を活字化したもので、1976(昭和51年)刊行の本書はその第1弾です。著者の場合、1966(昭和41)年から始まったテレビ朝日系「日曜洋画劇場」(当初は「土曜洋画劇場」)の解説者として番組開始から死の前日までの32年間出演し続けたことでよく知られていますが、先行した当ラジオの方は、番組時間枠の内CM等を除く40分が著者の喋りであり、それを活字化した本書では、「日曜洋画劇場」でお馴染みの淀川長治調が、より長く、また、より作品中身に踏み込んだものとして楽しめます。

 本書の後、シリーズ的に、続、続々、新、新々と続きますが、この第1弾の単行本化時点で既に140回分が放送されており、その中から13回分を集めて本にしたとのことで、「チャップリンの世界」から始まって、かなりの選りすぐりという印象を受けます(但し、どの回を活字化するかは版元のTBSブリタニカが決めたとのこと)。

「めぐり逢い」1957G.jpg 個人的には、昔は淀川長冶ってそれほどスゴイとは思っていなかったのですが、今になってやはりスゴイ人だったんだなあと思ったりもします。作品解説もさることながら、作品を要約し、その見所となるポイントを抽出する技は絶妙という感じです。本書で言えば、例えば、レオ・マッケリー監督、ケーリー・グラント、デボラ・カー主演の「めぐり逢い」('57年、原題:An Affair to Remember)のラストシーンのエンパイアステートビルで出会えなかった2人が最後の最後に出会うシーンの解説などは、何だか今目の前に映画のスクリーンがあるような錯覚に陥りました。この映画、最初観た時はハーレクイン・ロマンスみたいと思ったけれど、今思えばよく出来ていたと(著者に指摘されて)思い直したりして...。これ自体が同じレオ・マッケリー監督作でシャルル・ボワイエ、アイリーン・ダン主演の「邂逅(めぐりあい)」('39年、原題:Love Affair)のリメイクで(ラストを見比べてみるとその忠実なリメイクぶりが窺える)、その後も別監督により何度かリメイクされています。トム・ハンクス、メグ・ライアン主演の「めぐり逢えたら」('98年)では、邂逅の場所をエンパイアステートビルがら貿易センタービルに変えていましたが、何とオリジナルにある行き違いはなく2人は出会えてしまいます。これでは著者の名解説ぶりが発揮しようがないのではないかと思ってしまいますが、でも、あの淀川さんならば、いざとなったらそれはそれで淀川調の解説をやるんでしょう。

Le bonheur 「幸福 [DVD]
幸福 DVD_.jpg 章ごとに見ていくと、「女の映画」の章のアニエス・ヴァルダ監督の「幸福(しあわせ)」('65年)、フランソワ・トリュフォー監督の「黒衣の花嫁」('68年)とトニー・リチャードソン監督「マドモアゼル」('66年)が、著者の解説によって大いに興味を惹かれました。「幸福」は、夫の幸福のために自殺する妻という究極愛を描いた作品。「黒衣の花嫁」は、結婚式の場で新郎を殺害された新婦の復讐譚。「マドモアゼル」は周囲からはいい人に見られているが、実は欲求不満の捌け口をとんでもない事に見出している女教師の話。「ルイ・マル」の章の「死刑台のエレベーター」('57年)、「黒衣の花嫁 DVD.jpgマドモアゼル DVD.jpg恋人たち」('58年)もいいけれど、「黒衣の花嫁」「マドモアゼル」共々ジャンヌ・モロー主演作で、ジャンヌ・モローっていい作品、スゴイ映画に出ている女優だと改めて思いました。
黒衣の花嫁 [DVD]」「マドモアゼル [DVD]

昨日・今日・明日.jpg昨日・今日・明日P.jpgひまわり ポスター.bmp イタリア映画では、ビットリオ・デ・シーカの「昨日・今日・明日」('63年)、「ひまわり」('70年)に出ているソフィア・ローレンがやはり華のある女優であるように思います(どちらも相方はマルチェロ・マストロヤンニだが、片や喜劇で片や悲劇)。
「昨日・今日・明日」輸入版ポスター

魚が出てきた日7.jpg魚が出てきた日ps2.jpg あと個人的には、「ギリシア映画」の章のマイケル・カコヤニス製作・脚本・監督の「魚が出てきた日」('68年)が懐しいでしょうか。スペイン沖で核兵器を積載した米軍機が行方不明になったという実際に起きた事件を基にした、核兵器を巡ってのギリシアの平和な島で起きた放射能汚染騒動(但し、島の地元の人たちは何が起きているのか気魚が出てきた日3.jpgづいていない)を扱ったブラックコメディで、ちょっと世に出るのが早すぎたような作品でもあります。
1968年初版映画パンフレット 魚が出てきた日 ミカエル・カコヤニス監督 キャンディス・バーゲン トム・コートネー コリン・ブレークリー
THE DAY THE FISH COME OUT 1967  c.jpg トム・コートネイ、サム・ワナメイカー、キャンディス・バーゲンが出演。キャンディス・バーゲンって映画に出たての頃からインテリっぽい役を地でやっていて、しかも同時に、健康的なセクシーさがありました。

Candice Bergen in 'The Day The Fish Came Out', 1967.

 読むだけでも楽しめますが、(巧みな語り口に乗せられて)まだ観ていない映画を拾って観たくなる、そうした本でした。

「めぐり逢い」1957ps.jpg「めぐり逢い」1957EO.jpg「めぐり逢い」●原題:AN AFFAIR TO REMEMBER●制作年:1957年●制作国:アメリカ●監督:レオ・マッケリー●製作:ジェリー・ウォルド●脚本:レオ・マッケリー/デルマー・デイヴィス/ドナルド・オグデン・ステュワート●撮影:ミルトン・クラスナー●音楽:ヒューゴ・フリードホーファー●原案:レオ・マッケリー/ミルドレッド・クラム●時間:119分●出演:ケーリー・グラント/デボラ・カー/リチャード・デニング/ネヴァ・パターソン/キャスリーン・ネスビット/ロバート・Q・ルイス/チャールズ・ワッツ/フォーチュニオ・ボナノヴァ●日本公開:1957/10●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:高田馬場・ACTミニシアター(85-11-03)(評価:★★★☆)●併映:「ティファニーで朝食を」(ブレイク・エドワーズ)

SLEEPLESS IN SEATTLE.jpgめぐり逢えたら 映画 dvd.jpg「めぐり逢えたら」●原題:SLEEPLESS IN SEATTLE●制作年:1993年●制作国:アメリカ●監督:ノーラ・エフロン●製作:ゲイリー・フォスター●脚本:ノーラ・エフロン/デヴィッド・S・ウォード●撮影:スヴェン・ニクヴィスト●音楽:マーク・シャイマン●原案:ジェフ・アーチ●時間:105分●出演:トム・ハンクス/メグ・ライアン/ビル・プルマン/ロス・マリンジャー/ルクランシェ・デュラン/ルクランシェ・デュラン/ギャビー・ホフマン/ヴィクター・ガーバー/リタ・ウィルソン/ロブ・ライナー●日本公開:1993/12●配給:コロンビア映画(評価:★★☆)
めぐり逢えたら コレクターズ・エディション [DVD]

死刑台のエレベーター01.jpg死刑台のエレベーター.jpg「死刑台のエレベーター」●原題:ASCENSEUR POUR L'ECHAFAUD●制作年:1957年死刑台のエレベーター2.jpg●制作国:フランス●監督:ルイ・マル●製作:ジャン・スイリエール●脚本: ロジェ・ニミエ/ルイ・マル●撮影:アンリ・ドカエ●音楽:マイルス・デイヴィス●原作:ノエル・カレフ●時間:95分●出演:モーリス・ロネ/ジャンヌ・モロー/ジョルジュ・プージュリー/リノ・ヴァンチュラ/ヨリ・ヴェルタン/ジャン=クロード・ブリアリ/シャルル・デネ●日本公開:1958/09●配給:ユニオン●最初に観た場所:新宿アートビレッジ (79-02-10)●2回目:高田馬場・ACTミニシアター(82-10-03)●3回目:六本木・俳優座シネマテン(85-02-10)(評価:★★★★☆)●併映(1回目):「恐怖の報酬」(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)/(2回目):「大人は判ってくれない」(フランソワ・トリュフォー) 
死刑台のエレベーター [DVD]

LES AMANTS 1958 3.jpg恋人たち モロー dvd.jpg「恋人たち」●原題:LES AMANTSD●制作年:1958年●制作国:フランス●監督:ルイ・マル●製作:イレーネ・ルリッシュ●脚本:ルイ・マル/ルイ・ド・ヴィルモラン●撮影:アンリ・ドカエ●音楽:ヨハネス・ブラームス●原作:イヴァン・ドノン「明日はない」●時間:95分●出演:ジャンヌ・モロー/ジャン・マルク・ボリー/アラン・キュニー/ホセ・ルイ・ド・ビラロンガ/ジュディット・マーグル/ガストン・モド/ジュディット・マーレ●日本公開:1959/04●配給:映配●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(14-07-08)(評価:★★★★)
恋人たち【HDマスター】《IVC 25th ベストバリューコレクション》 [Blu-ray]
Himawari(1970)
Himawari(1970).jpg
「ひまわり」.jpg「ひまわり」●原題:I GIRASOLI(SUNFLOWER)●制作年:1970年●制作国:イタリア・フランス・ソ連●監督:ヴィッひまわり01.jpgトリオ・デ・シーカ●製作:カルロ・ポンティ/アーサー・コーン●脚本:チェザーレ・ザsunflower 1970.jpgバッティーニ/アントニオ・グエラ/ゲオルギス・ムディバニ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ヘンリー・マンシーニ●時間:107分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/ソフィア・ローレン/リュドミラ・サベーリエワ/アンナ・カレーナ/ジェルマーノ・ロンゴ/グラウコ・オノラート/カルロ・ポンティ・ジュニア●日本公開:1970/09●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:目黒シネマ(83-05-01)(評価:★★★★)●併映:「ワン・フロム・ザ・ハート」(フランシス・フォード・コッポラ)  
 
魚が出てきた日ps3.jpg魚が出てきた日4.jpg THE DAY THE FISH COME OUT 1967 .jpg魚が出て来た日lp.jpg「魚が出てきた日」●原題:THE DAY THE FISH COME OUT●制作年:1967年●制作国:アキャンディス・バーゲンM23.jpgメリカ●監督・製作・脚本:マイケル・カコヤニス●撮影:ウォルター・ラサリー●音楽:ミキス・テオドラキス●時間:110分●出演:トム・コートネイ/キャンディス・バーゲン/サム・ワナメーキャンディス・バーゲン ボストン・リーガル.jpgカー/コリン・ブレークリー/アイヴァン・オグルヴィ/中野武蔵野ホール.jpgディミトリス・ニコライデス/ニコラス・アレクション●日本公開:1968/06●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:中野武蔵野館(78-02-24)(評価:★★★☆)●併映:「地球に落ちてきた男」(ニコラス・ローグ) 中野武蔵野館 (後に中野武蔵野ホール) 2004(平成16)年5月7日閉館 
キャンディス・バーゲン in 「ボストン・リーガル」 Boston Legal (ABC 2004~2008) ○日本での放映チャネル:FOX CRIME(2007~2011)

【1985年文庫化[文春文庫(『私の映画の部屋』)]】
 

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ヒットメーカーによる自伝的歌謡曲史。楽しく、懐かしく読めた1冊。

愛すべき名歌たち.jpg 阿久悠1.jpg 
愛すべき名歌たち (岩波新書)』阿久 悠 作詞の初ヒット曲「白い蝶のサンバ」(1970、森山加代子)

 『愛すべき名歌たち』('99年/岩波新書)は、作詞家・阿久悠(あく・ゆう)(1937-2007/享年70)が、1997年4月から1999年4月にかけて「朝日新聞」夕刊芸能面に通算100回連載したコラムの新書化で、『書き下ろし歌謡曲』('97年/岩波新書)に続く著者2冊目の岩波新書です。

 サブタイトルに「私的昭和歌曲史」とあるように、高峰三枝子の「湖畔の宿」から始まって美空ひばりの「川の流れのように」まで全100曲を選び、自分史に重ねる形で、それぞれぞれの時代に流行った歌謡曲やそれに纏わる思い出が書き綴られており、半ば自伝とも言える体裁。当然のことながら、後半はヒットメーカーとして知られた著者自身が作詞家として関わった曲が多く取り上げられています(Wikipediaで取り上げている曲の一覧を見ることが出来る)。

 それらの時代区分としては、以下の通りとなっています。
  Ⅰ 〈戦後〉という時代の手ざわり(1940~1954)(幼年時代;高校まで)
  Ⅱ 都会の響きと匂い(1955~1964)(大学時代;広告の世界で)
  Ⅲ 時代の変化を感じながら(1964~1971)(放送作家時代;遅れてきた作詞家)
  Ⅳ 競いあうソングたち(1971~1975)(フリー作家の時代;新感覚をめざして)
  Ⅴ 時代に贈る歌(1976~1989)(歌の黄金時代)

 非常に読み易く、文章をよく練っている印象。個人的には第Ⅰ章の自伝色が強い部分と、やはり第Ⅱ章の最初の広告業界に入った頃の話が特に興味深く読めました。

 著者が就職活動をしたのは1958(昭和33)年で不況の折でしたが、当時はテレビ番組の「月光仮面」が驚異的な視聴率でブームを巻き起こしていて、その仕掛け人である広告会社が就職先の選択肢となり得たとのこと。但し、本書には書かれていませんが、この番組は当初スポンサーが付かず、広告会社(宣弘社)が自らプロダクションを興して制作にあたった番組でした(著者は結局、この会社=宣弘社にコピーライターとして7年間務めることになる)。

森山加代子 .jpg白い蝶のサンバ.jpg 作詞家に転じてからの著者は、最初の作品「朝まで待てない」を出して以来、3年間結果が残せていなかったとのことで、初の本格ヒットがが生まれたのは、本書の第Ⅲ章も終わり近い1970(昭和45)年の「白い蝶のサンバ」であたっとのこと(森山加代子はこの曲でこの年のNHK紅白歌合戦に8年ぶり4度目の出場)。個人的にもちょうど歌番組など観るようになった頃で、懐かしい曲でありました(早口言葉みたな感じの歌として流行ったけれど、著者が言うように、今みるとそんなに早口というわけでもない)。

 本書は、作詞家・阿久悠の「自分史」を軸とした歌謡曲史でしたが、一方、同じく岩波新書の高譲(こう・まもる)『歌謡曲―時代を彩った歌たち』('11年/岩波新書)の方は、客観的な「ディスコグラフィ(Discography)」としての歌謡曲史でした。この中で、目次をの'節'のタイトルに「阿久悠の時代」というのがあり、目次で個人名が出てくるは著者だけでした。こうしたことからも、やはり、歌謡曲史に大きな足跡を残した人物と言えるのでしょう。楽しく、また懐かしく読めた1冊でした。
阿久 悠 Collection

歌謡曲 岩波新書.jpg 『歌謡曲―時代を彩った歌たち』の方は、版元の紹介文によれば―、
 「ディスコグラフィ(Discography)」という言葉があります.日本では「アーティストの作品目録」として理解されることの多い言葉ですが、本来の意味からするとむしろ、その楽曲は、だれが、どのように作り出したのか、どう歌われているのかを客観的に考察する、学術的な分野を指します。著者の高護さんは、知る人ぞ知る、歌謡曲では唯一無二のディスコグラファーです。その該博な知識と確かな分析で、歌謡曲の魅力をあますところなく解説します
 ―とのことです。
歌謡曲――時代を彩った歌たち (岩波新書)

 歌謡曲とは何かということについてはいろいろ議論はあるかと思われますが、この本ではそうした"概論"乃至"総論"的な話はせず、いきなり歌謡曲史に入っており、各1章ずつ割いている60年代、70年代、80年代が本書の中核を成しています。ものすごく網羅的ですが、一方で、一世を風靡した、或いは時代を画した歌手や歌曲には複数ページを割いて解説するど、メリハリが効いています。読んでいくと、グループサウンズ、例えば「タイガース」などは、専らソロ歌手としての沢田研二に絞って取り上げていたりし、ジャニーズ系も「たのきんトリオ」以降グループとしては全然触れられておらず、後の方に出てくる「おニャン子クラブ」などもソロになった新田恵利だけが取り上げられています。この続きが書かれるとしたら、「AKB48」などは入ってこないのかなあ。「ザ・ピーナッツ」(伊藤エミ(1941-2012)、伊藤ユミ(1941-2016))とかは当然取り上げているわけで、和製ポップスは取り上げ、J-ポップは取り上げないというわけでもないでしょうが(J-ポップが登場したのが'88年頃なので、殆ど本書の対象期間とずれていて何とも言えない)。ニューミュージックも取り上げていますが、そもそもどこからどこまでがニューミュージックなのか分かりませんけれど(森進一が歌いレコード大賞曲となった「襟裳岬」は吉田拓郎の曲だった)。あまり考えすぎると楽しめないのかもしれず、本書が歌謡曲とは何かという議論を避けているのは、ある意味賢い選択であったかも。
ザ・ピーナッツ(活動期間:1959-1975)「恋のバカンス」(1975年 さようならピーナッツ)

 歌手に限らず、作詞家、作曲家、編曲家まで取り上げており、確かに阿久悠の存在は大きいけれど、その前にも 岩谷時子(作詞)・いずみたく(作曲)といった強力なコンビがいて「夜明けのうた」('64年/歌:岸洋子)、「太陽のあいつ」('67年/歌:ジャニーズ)、「恋の季節」('68年/歌:ピンキーとキラーズ)等々、数多くのヒットを生んでいるし(2人とも歌謡曲が"本業"でも"専業"でもなかったという点が興味深い)、五木ひろしの芸名の名付親だった「よこはま・たそがれ」('71年)の山口山口洋子.jpg洋子(1937-2014)なども平尾昌晃と最強タッグを組んでいたし(山口洋子は同じ作詞家で直木賞受賞作家でもあるなかにし礼よりも15年前に直木賞を受賞している)、作曲家では「ブルー・ライト・ヨコハマ」('69年/歌:いしだあゆみ)以来、この本の終わり、つまり80年代終わりまでこの世界のトップに君臨し続け、70年代、80年代を席巻した筒美京平なんてスゴイ人もいました(因みに、阿久悠作詞、筒美京平作曲で最初で最大のヒット曲は日本レコード大賞の大賞受賞曲「また逢う日まで」('71年/歌:尾崎紀世彦(1943-2012))。これもまた、懐かしい思いで読めた1冊でした。

《読書MEMO》
●『歌謡曲―時代を彩った歌たち』章立て
序 章
戦前・戦後の歌謡曲
第1章 和製ポップスへの道―1960年代  
1960年代概説
1 新たなシーンの幕開け
2 カヴァーからのはじまり
3 青春という新機軸
4 ビート革命とアレンジ革命
5 新しい演歌の夜明け 
第2章 歌謡曲黄金時代―1970年代  
1970年代概説
1 歌謡曲の王道
2 アイドル・ポップスの誕生
3 豊饒なる演歌の世界
4 阿久悠の時代 
第3章 変貌進化する歌謡曲―1980年代  
1980年代概説
1 シティ・ポップスの確立
2 演歌~AOR歌謡の潮流
3 アイドルの時代 
終 章 90年代の萌芽―ダンス・ビート歌謡

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かつての原発労働者を追ったインタビュー。安全教育や被曝対策は前からいい加減だった。

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原発労働者 講談社現代新書 L.jpg    寺尾 紗穂.jpg
原発労働者 (講談社現代新書)』['15年]    寺尾 紗穂 氏(シンガーソングライター)

闇に消される原発被曝者_.jpg シンガーソングライターでエッセイストでもある著者(自らの修士論文が『評伝川島芳子―男装のエトランゼ』('08年/文春新書)として刊行されていたりもする)が、報道写真家の樋口健二氏による、1980年くらいまでの原発労働者を追って彼らに重い口を開いてもらい書かれたルポ『闇に消される原発被曝者』('81年/三一書房)に触発され、自らも、原発労働に従事していた人たちを訪ねて労働現場の模様を聞き取ったルポです(原発労働の現場を自らが原発労働者として各地の発電所で働いて取材した、堀江邦夫氏の『原発ジプシー』('79年/現代書館)からも示唆を受けている)。

闇に消される原発被曝者』['11年/八月書院(増補新版)]

 原発労働者というと福島原発事故の後処理に携わる人を思い浮かべがちですが、本書での聴き取りの対象は福島事故以前から原発労働に従事していた人が殆どで(つまり'平時'に働いていた人)、福島原発に限らず、柏崎狩羽原発や浜岡原発で働いていた人たちも含まれていますが、全6章から成るうちの第1章から第4章にかけてそれぞれ実名で登場する4人の話が(凄まじい話もあったりして)とりわけ印象に残りました。日常的な定期検査やトラブル処理をこなしてきた人たちの話ですが、当時から安全教育や被曝対策がいかにいい加減であったかということ、そうした危険な状況下での過酷な原発労働の実態が浮き彫りにされています。

 著者のインタビューを受けた人のうちの何人かは、そうした経験を経て原発労働の孕む危険性を社会に知らせる活動に携わるようになったり、また、そうした活動と併せて自らの生き方を見直したりもしているわけで、インタビューを受けた人の生き様も伝わってきました。但し、こうした人たちも最初は仕事が無く生活のために、過酷だが給金のいい原発労働に携わるようになった人もいて、実際、彼らの話から、多くのそうした生活困窮者に近い人が原発労働に"流れ着く"といった実態も窺えました(このことに最初にフォーカスしたのが堀江邦夫氏の『原発ジプシー』だと思うが)。

 従って、原発に基本的には反対し、将来は原発に依存しない社会をつくるべきだとしながらも、現状において雇用を下支えしている面もあることから、すぐに全てを廃止するのは難しいとの見方をする人もいて、複雑な現場の事情を反映しているように思えました。

 一方では、外国人労働者が「一回200とか300ミリ被曝する燃料プール内作業」をやっていて、「一回200万円とか300万円もらえるらしい」といった話もあり、これはインタビューされた人の実体験ではなく、彼らの伝聞情報ではありますが、プール潜水のみならず、原子炉内での労働にも「黒人」が駆り出されているというのは元東電社員の証言にもあるとのことで、この辺りをもう少し掘り下げて欲しかった気もします。

 日本で働く労働者である限り労働基準法や安全衛生法の適用対象となるわけですが、おそらく、そうした「黒人」たちは請負労働であり(しかも、法律で禁じられている多重請負である公算が高い)「労働者」扱いにはなっていないのではないでしょうか。それ以前に、そうした説明を充分受けることもなく、また、彼ら自身が、将来の健康上の不安などよりも目先の給金に惹かれてそうした労働に従事しているのではないかと思われます。原発内部の低技術労働者は釜ヶ崎や山谷から借り出されてくるという話もあり、充分な安全教育・安全対策が講じられないまま、ただ今を生きていくためだけに働いている原発労働者が多くいるとなれば、日本人とて流れとしては同じでしょう。

 こうしたことは『原発ジプシー』でも指摘されていたことであり、今すぐに原発を全面廃止した場合、現在働いている人の仕事は一体どうするのかという問題もさることながら、一方で、原発の危険性がある程度認知された今日においては、格差社会が産み出す生活困窮者との相補関係の上に原発労働が成り立っているとの見方も成り立ち、こんなことを続けていていいのかという思いがしました。基本的には、やはり1つずつ廃炉にしていくべきでしょう。それだけでも相当の労働力の投入が必要なわけで、充分に雇用の場を提供することになるのではないでしょうか。原発で潤ってきた地方自治体などは、その間に、完全廃炉以降の財政的自立策を講じていくべきでしょう。

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小津映画を原節子の号泣を通して読み解く。先行する小津映画論に堂々と拮抗する内容。

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原節子、号泣す (集英社新書)

 文芸評論家による小津映画論で、女優・原節子に注目しながらも、とりわけ小津作品において〈紀子三部作〉と呼ばれる「晩春」('49年)、「麦秋」('51年)、「東京物語」('53年)に注目、何れの作品もヒロインを演じた原節子が全身を震わせて泣き崩れる場面があり、そのことを指して小津が不滅の名を残し得たと言っても過言ではないとしています。

 「泣く」という行為を切り口に、小津映画の主題と思想に迫っていくアプローチは興味深く、ドナルド・リチー、佐藤忠男、高橋治、蓮實重彦、吉田喜重らの先行する小津映画論に拮抗する、堂々たる小津映画論になっていたように思います。WEBマガジンでの連載の新書化ということで、個人的には軽い気持ちで手に取って読み始めましたが、実は最初から充分にそれら先行者を意識して書かれていたわけであり、読み終えてみれば新書としては贅沢なほどに"高密度"な内容になっていたように思えました。

 第1章「ほとんどの小津映画で女優たちは泣いた」では、小津が女優に泣かせている作品は、現存する37本の小津作品のうち、8割を超える30作品に上るとし、小津作品に見られるそうした「泣く」という演技を5つのパターンに分類しています(こうした手法自体、目新しいように思えた)。第2章「小津映画の固有の主題と構造」では、小津映画の主題として、家族の関係性や、その中における父や母、妻や子供などの一方の欠落、和解、娘の結婚、幸福な家族共同体の崩壊と喪失、老いと孤独と死を指摘しています。

 第3章「思想としての小津映画」では、ロー・アングルから映画を撮ることへの拘りに既に小津の思想性があるとし、更に、小津は幸福の思想―即ち幸福なる家族の共同関係性に拘り、同時に、その幸福なる関係性の限界を描いた、つまり、幸福の共同体が崩壊し、大いなる喪失(死)と再生のドラマが描かれるのが小津作品であり、「そのギリギリの臨界点において、原節子は幸福の共同体から去っていくことを決意し、崩壊がまさに始まろうとする直前に、必ず号泣している」と指摘しています。そして、先に挙げたドナルド・リチー、佐藤忠男、高橋治、蓮實重彦、吉田喜重らの名を引きながらも、小津映画の「思想」と「真実」は未だ十分に読み抜かれていないとし、〈紀子三部作〉で原節子が見せた「号泣」の演技を通して明確に現れることとなった小津の思想的本質の「真実」について検証し、全面的に解き明かそうとした試みもまた殆どないとしています。

 第4章「原節子は映画の中でいかに泣いたか」では、小津映画以外で原節子が泣いた山中貞雄監督の「河内山宗俊」('36年)と熊谷久虎監督の「上海陸戦隊」('39年)を取り上げ(この両作品での原節子の役どころは非常に対照的であると)、第5章「原節子をめぐる小津と黒澤明の壮絶な闘い」では、黒澤明が原節子をどのように使い、それを観て小津が原節子をどう使ったかを"闘い"として捉えており、具体的には、小津は、黒澤明の「我が青春に悔いなし」('46年)における原節子の演技の限界を見極め、全く別の方向で彼女の資質を生かすべく「晩春」('49年)での彼女の使い方を構想したとのことです。

 実はここまでは本論の前フリのようなもので、第6章から第9章にかけての、〈紀子三部作〉と呼ばれる「晩春」「麦秋」「東京物語」での原節子が号泣する場面を軸とした丹念な分析こそが本書のヤマであり、また、読んでみて実際面白かったです。そして、最後に第10章で、その後の原節子出演の小津映画について論じています。

『晩春』(1949年).jpg この内、「晩春」については、第6章と第7章の2章分を割いており、まず第6章で、「晩春」における晩春 1949 旅館のシーン.jpg原節子の小津映画初めての号泣場面を分析した後、第7章で、「娘は父親と性的結合を望んでいたか」というテーマを扱い、これまで多くの映画評論家が指摘してきたこの作品に対する読解(高橋治『絢爛たる影絵』、蓮實重彦『監督 小津安二郎』など)に対し、エディプスコンプレックス論や「近親相姦」願望論はあり得ないとして排し、娘が嫁に行かずに父親といたいのは、非在の母親と同化することで、父親と幸福な時間を共有していたためであって、旅館で打ち明けられた「このままお父さんといたいの晩春 壺.png」という娘の言葉は、父親の再婚を承認し、自らは「妻」も座から降りて「娘」として甘えたいという気持ちの表れであり、更には、そこにもう一つの隠された、ねじくれた「復讐」感情があったとしています。結局、本書も蓮實重彦ばりにかなりの深読みになっている印象はないこともないですが、例の「壺」の解釈も含め、一定の説得力はあったように思います(表層から入る方法論的アプローチは蓮實重彦的だが、目の付け所が違うため、異なる結論になっているという印象。床の間の壁は外したのではなく、カメラレンズのテクニックだろう)。

麦秋における原節子の号泣.jpg『麦秋』(1951年) .jpg 第8章では「麦秋」について、これを幸福な家族共同体の崩壊を描いた作品として捉え、その中での原節子の号泣の意味を探っていますが、その号泣によって「麦秋」が「晩春」を超えた作品となっていることを、演技論ではなく作品の意味論、テーマ論的に捉えているのが興味深かったです。個人的には、この部分を読んで'我が意を得たり'とでも言うか、本書でも「晩春」だけ2章を当てているように、いろいろ論じ始めると「晩春」の方が論点は多いけれど、作品としては「麦秋」の方がテーマの幅広さ(大家族の崩壊)プラス無常感のような深みという面で上回っているように思いました。最高傑作とされる「東京物語」に向けて、「晩春」の時から更に"進化"していると言っていいでしょうか。

 これら3章に比べると、第9章で「東京物語」について「失われた自然的時間共同体」とい観点から論じているのはやや既知感のある展開でしたが、「幸福な時間」の終焉を小津映画の共通テーマとみるここまでの論旨に沿っており、また、それを原節子の、今度は抑制された号泣ではあるものの、同じくその「泣くこと」に集約させて(作品テーマの表象として)論じているという点では一貫性があり、本書のタイトルにも沿ったものとなっていたように思いました。
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末延芳晴(すえのぶ よしはる)
1942年東京都生まれ。文芸評論家。東京大学文学部中国文学科卒業。同大学院修士課程中退。1973年欧州を経て渡米。98年まで米国で現代音楽、美術等の批評活動を行い、帰国後文芸評論に領域を広げる。『正岡子規、従軍す』(平凡社)で第24回和辻哲郎文化賞受賞。『永井荷風の見たあめりか』(中央公論社)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)他著作多数。

原節子さん死去 - 号外:朝日新聞.jpg朝日新聞「号外」2015年11月25日


 

 
 
 

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読むと小津映画の世界に引き込まれていく。小津作品の解釈の深化に貢献した1冊か。

監督 小津安二郎 蓮實重彦 増補決定版.jpg 監督 小津安二郎 蓮實重彦.jpg監督小津安二郎 (1983年)』 監督 小津安二郎 ちくま学芸文庫1.jpg監督 小津安二郎 (ちくま学芸文庫)』(1992/06 ちくま学芸文庫

『監督 小津安二郎 〈増補決定版〉』(2003/10 筑摩書房)

 小津生誕百年にあたる2003年に刊行された本で、20年ぶりの〈増補決定版〉です。オリジナルの『監督 小津安二郎』の初版の刊行は1983年で、この時すでに佐藤忠男の『小津安二郎の芸術』('71年/朝日新聞社、'78年/朝日選書[上・下])やドナルド・リチーの『小津安二郎の美学-映画のなかの日本』('78年/フィルムアート社、'93年/現代教養文庫)は刊行されていたわけですが、以降、数ある小津作品論の中でも『監督 小津安二郎』はその中心的地位を占め続けてきたのではないでしょうか。

 著者はオリジナル版を著すにあたって、「あまりにも知られすぎた小津を小津的なものと呼び、それが小津の「作品」とどれほど異なるものであるかを具体的に明らかにしようとしました」とのことで、一方、〈増補決定版〉の方は、「いずれも、過去20年間に小津を何度も見なおし、そのつどあまりにも知られていない映画作家だと改めて実感させてくれたいくつもの細部に触発された言葉からなっており、文体にしかるべき変化が生じてはいるものの、同じ視点を踏襲しています。『監督 小津安二郎』の〈増補決定版〉は、『監督 小津安二郎』と同じ書物であり、同時にまったく異なる書物でもあるのです」としています(「『監督 小津安二郎』〈増補決定版〉はどのようにして書かれたか」より)。

 内容的には、オリジナルが第1章から第7章と序章・終章から成るのに対し、この〈増補決定版〉は「憤ること」「笑うこと」「驚くこと」の3章が書き加えられ、「序章+本文全10章+終章」という構成になっています。この他に、オリジナル刊行当初から、小津作品のカメラマンであった原田雄春への著者によるインタビューなどの付録があり、増補版全体では単行本で350ページ近いものとなっていますが、付録部分を除くと増補された3章を加えても250ぺージほどと、思ったよりコンパクト(?)だったかも(因みに、ちくま学芸文庫版はオリジナルの文庫化であり、加筆部分は含まれていない)。

 個人的に何となく大部な本であるというイメージがあるのは、文体がハイブロウで高踏的な印象を与え、読むのに骨が折れるという先入観があるためかもしれず、実際、これが映画に関する論考でなければ途中で投げ出していただろうと思われるフシもあります。その意味では、映画作品という、実際に語られている対象のイメージがハッキリあるというのは大きいと思います。また、著者は、敢えて、その目に見える表層から入って、次に作品間の共通項を探るなど、あくまでも目に見える映像や記号から小津作品を読み解こうとしているように思います。

 その着眼点と分析には、「ちょっと無理があるのではないか」と思われたりする部分もありますが、読む側はその指摘によって、そんな見方もあるのかと気づかされ(その過程において、先に挙げた先行する小津映画論を部分的に批判したりもしているのだが)、更にどんどん小津映画の世界に引き込まれていく―そうした力を持つ監督論であり作品論であるように思います。

秋刀魚の味 ラーメン屋.jpg 例えば、小津作品では、登場人物たちのかつての恩師だった元教師が、今は東京で料理屋を開業しているとのことで、「秋刀魚の味」('62年)の東野英治郎の中華そば屋然り、「一人息子」('36年)の笠智衆のトンカツ屋然り、「東京の合唱」('31年)の東京の合唱(コーラス)2.jpg斎藤達雄のカレーライス屋(「カロリー件」)然りであると。この指摘自体が面白いと思うのですが、そこから、なぜ「豆腐屋」などになるものはいなくて(小津自身のエッセイに『小津安二郎 僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』('10年/図書センター)というのがあるが)、皆、「トンカツ屋」のような、勤め人に昼食を供するような料理屋になっているのかを考察していたりするのが興味深いです(正直、ここまで理屈付けするか―という印象も)。

 各作品論では、「その夜の妻」('30年)、「淑女と髯」('31年)、「非常線の女」('33年)、「風の中の牝雞」('48年)など、多くの映画評論家が失敗作とみなしていたり、評論することを避けて通ったりするような作品をも絶賛している点が特徴的であり、佐藤忠男も「風の中の牝雞」を絶賛してはいますが、それは「戦後の始まり」という時代との関連で評価しているのであり、それに対し、著者の場合は、小津作品という文脈の中で全てを評価しているという印象で、とりわけ「その夜の妻」「淑女と髯」が巷の評価に比べて相対的に高評価であるだけでなく、小津作品の中におけるその位置づけという意味でも重視しているのが興味深いです(著者が低い評価を下している小津作品は、前期作品・後期作品を含め皆無ではないか)。

晩春 1949 旅館のシーン.jpg晩春 壺.png 各論でいろいろと注目すべき点、実際、後の小津作品の見方に影響を与えた部分はありますが(後期の二世代同居家族を描いた小津映画に殆ど「階段」が出てこないのはなぜか、それは世代間の断絶を表しているのだとか)、やはり、終章「快楽と残酷さ」での「晩春」('49年)における笠智衆、原節子が泊まった旅館にあった「壺」は何を意味するのか、というのが、本書における評論的な1つの'クライマックス'かもしれません。
 アメリカの映画監督ポール・シュレイダーの、この壺は父と別れねばならない娘の心情を象徴する「物のあわれ」を表すとの評も、ドナルド・リチーの、壺を見つめる娘の視線に結婚の決意が隠されているとの分析もバッサリ斬り、非常に回りくどい言い方をしていますが、詰まる所、映画評論家の岩崎昶が、父娘の会話が旅館の寝床の上で交わされていることに注目して最初に提唱した、父に対して性的コンプレックスを抱いていた娘という構図に近い解釈になっているように思いました(この映画の隠されたモチーフとして、「父子相姦」があるというのは、その後多くの海外の評論家が指摘しており、また、それに対する反論も内外であるようだ)。但し、著者は、壺そのものには実は意味が無いとしており、この点が特徴的で―と、引用していくとキリがないのでやめておきますが...。

 作家の梶村啓二氏が『「東京物語」と小津安二郎―なぜ世界はベスト1に選んだのか』('13年/平凡社新書)の中で、「『東京物語』は小津の意図をはるかに超えた場所まで独り歩きし、到達していこうとする」と書いていたのを思い出しました。小津作品全般に渡って、そうしたことに最も貢献したものの1つが本書ではないかと思います。そのことによってより多くの人が小津作品を観るようになり、また、観て、頭を悩ますことになった(?)ということかもしれません。でも、観た者同士でお互いに意見を交わし合うというのは、別にプロの映画評論家レベルでなくとも楽しいことです。

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「東京物語」のみに絞って、実証的に分析。共感する点が少なからずあった。

「東京物語」と小津安二郎―なぜ世界はベスト1に選んだのか.jpg    「東京物語」.jpg「東京物語」
「東京物語」と小津安二郎: なぜ世界はベスト1に選んだのか (平凡社新書)』 

 『野いばら』('11年/日本経済新聞出版社)で第3回「日経小説大賞」を受賞した作家によるもので、2013年は「東京物語」公開後60年、小津安二郎の生誕110年、没後50年という節目の年であったため小津安二郎関連本が多く刊行されましたが、本書もその1つと言えると思います。著者の小説は巷にて評価が割れているようですが(賞を取った小説は大方そうだが)、個人的には未読。但し、本書について言えば、ミーハー的でもなければ高踏的でもなくて読み易く、それでいて結構鋭い分析がされていたように思います。

Sight & Sound誌オールタイム・ベスト2012年版.jpgSight & Sound誌オールタイム・ベスト2012.jpg 「東京物語」のみに絞って述べているのが特徴的で、複数の作品間の連関や作品同士の相似を語る蓮實重彦氏などとは対照的と言えるかも。サブタイトルにある「世界はべスト1に選んだ」とは、"Sight & Sound"誌・映画監督による選出トップ10 (Director's Top 10 Films)(2012年版)の上位100作品のトップに「東京物語」があっさり選ばれてしまったことを指しており、そのことを切り口に、第1章で、外国人映画監督から見て、この作品がどう見えるのかを検証していますが、そこから、この作品が「日本映画」だからということで評価されているわけではないということが浮かび上がってくるのが興味深いです。

「Sight & Sound誌」オールタイム・ベスト2012年版

 そして、第2章以下、「紀子とは誰なのか?」「周吉の旅」「子供について」「生活人」といった具合に、映画内の人物について述べ、中盤以降、「東京について」「着物とスーツ」「戦争のこと」「音と音楽について」「夏について」といった具合に背景や周辺部分に入っていくという感じでしょうか。最後、第11章から第13章にかけて、「整理された画面」「軽さについて」「時間という王」と、作品論としてより深化させていく感じ。しかし、新書という体裁に沿ってか、全体を通して分かり易く書かれており、勝手に理屈をこねくり回している印象も無く、小津安二郎語録などを引きながら実証的に作品分析を進めている印象を受けました。

山村聰、杉村春子.jpg 登場人物・俳優に関しては、第5章「生活人」のところで、杉村春子の演技を「無邪気なまでの呼吸するようなエゴイズム」「はたして杉村春子という女優を欠いて、この人物造形が成功していただろうか」としているのに共感し(小津安二郎が杉村春子の演技を非常に高く評価していたという話をどこかで読んだ記憶がある)、背景に関しては、第10章「夏について」で、夏以外の季節で撮られたならば「東京物語」は全く違った作品になっていただろうという見方にも共感しました。

山村聰、杉村春子

東野英治郎、笠智衆.jpg 第12章「軽さについての」での、小料理屋における周吉(笠智衆)、沼田(東野英治郎)、服部(十朱久雄)の会話シーンのセリフを引用した分析も秀逸でした(セリフが全て、オリジナルの文語の脚本から引用されているが、この文語の"語感"が何故か作品の雰囲気に非常にマッチしているように思われたのは、個人的には新たな発見だった)。

東野英治郎、笠智衆

 第5章の終わりに、「『東京物語』は作者の意図を超えてしまっている。(中略)『東京物語』は小津の意図をはるかに超えた場所まで独り歩きし、到達していこうとする」とありますが、まさにその通りだと思いました。

「東京物語」●制作年:1953年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:斎東京物語 笠・東野.jpg東京物語 0.jpg藤高順●時間:136分●出演:笠智衆/東山千榮子/原節子/香川京子/三宅邦子/杉村春子中村伸郎/山村聰/大坂志郎/十朱久雄/東野英治郎/長岡輝子/高橋豊子/桜むつ子/村瀬禪/安部徹/三谷幸子/毛利充宏/阿南純子/水木涼子/戸川美子/糸川和広●公開:1953/11●配給:松竹●最初に観た場所:三鷹オスカー(82-09-12)(評価:★★★★☆)●併映:「彼岸花」(小津安二郎)/「秋刀魚の味」(小津安二郎)   杉村春子、中村伸郎 / 笠智衆、東野英治郎

《読書MEMO》
"Sight & Sound"誌・映画監督による選出トップ10 (Director's Top 10 Films)(2012年版)の上位100作品
[姉妹版:同誌映画批評家によるオールタイム・ベスト50 (The Top 50 Greatest Films of All Time)(2012年版)
 1位:『東京物語』"Tokyo Story"(1953/日) 監督:小津安二郎
 2位:『2001年宇宙の旅』"2001: A Space Odyssey"(1968/米・英) 監督:スタンリー・キューブリック
 2位:『市民ケーン』"Citizen Kane"(1941/米) 監督:オーソン・ウェルズ
 4位:『8 1/2』"8 1/2"(1963/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
 5位:『タクシー・ドライバー』"Taxi Driver"(1976/米) 監督:マーティン・スコセッシ
 6位:『地獄の黙示録』"Apocalypse Now"(1979/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
 7位:『ゴッドファーザー』"The Godfather"(1972/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
 7位:『めまい』"Vertigo"(1958/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
 9位:『鏡』"Mirror"(1974/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
 10位:『自転車泥棒』"Bicycle Thieves"(1948/伊) 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
 11位:『勝手にしやがれ』"Breathless"(1960/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
 12位:『レイジング・ブル』"Raging Bull"(1980/米) 監督:マーティン・スコセッシ
 13位:『仮面/ペルソナ』"Persona"(1966/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
 13位:『大人は判ってくれない』"The 400 Blows"(1959/仏) 監督:フランソワ・トリュフォー
 13位:『アンドレイ・ルブリョフ』"Andrei Rublev"(1966/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
 16位:『ファニーとアレクサンデル』"Fanny and Alexander"(1984/スウェーデン)監督:イングマール・ベルイマン
 17位:『七人の侍』"Seven Samurai"(1954/日) 監督:黒澤明
 18位:『羅生門』"Rashomon"(1950/日) 監督:黒澤明
 19位:『バリー・リンドン』"Barry Lyndon"(1975/英・米) 監督:スタンリー・キューブリック
 19位:『奇跡』"Ordet"(1955/ベルギー・デンマーク) 監督:カール・ドライヤー
 21位:『バルタザールどこへ行く』"Au hasard Balthazar"(1966/仏・スウェーデン) 監督:ロベール・ブレッソン
 22位:『モダン・タイムス』"Modern Times"(1936/米) 監督:チャーリー・チャップリン
 22位:『アタラント号』"L'Atalante"(1934/仏) 監督:ジャン・ヴィゴ
 22位:『サンライズ』"Sunrise: A Song of Two Humans"(1927/米) 監督:F・W・ムルナウ
 22位:『ゲームの規則』"La Règle du jeu"(1939/仏) 監督:ジャン・ルノワール
 26位:『黒い罠』"Touch Of Evil"(1958/米) 監督:オーソン・ウェルズ
 26位:『狩人の夜』"The Night of the Hunter"(1955/米) 監督:チャールズ・ロートン
 26位:『アルジェの戦い』"The Battle of Algiers"(1966/伊・アルジェリア) 監督:ジッロ・ポンテコルヴォ
 26位:『道』"La Strada"(1954/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
 30位:『ストーカー』"Stalker"(1979/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
 30位:『街の灯』"City Lights"(1931/米) 監督:チャーリー・チャップリン
 30位:『情事』"L'avventura"(1960/伊) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
 30位:『フェリーニのアマルコルド』"Amarcord"(1973/伊・仏) 監督:フェデリコ・フェリーニ
 30位:『奇跡の丘』"The Gospel According to St Matthew"(1964/伊・仏) 監督:ピエロ・パオロ・パゾリーニ
 30位:『ゴッドファーザー PartⅡ』"The Godfather Part II"(1974/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
 30位:『炎628』"Come And See"(1985/ソ連) 監督:エレム・クリモフ
 37位:『クローズ・アップ』"Close-Up"(1990/イラン) 監督:アッバス・キアロスタミ
 37位:『お熱いのがお好き』"Some Like It Hot"(1959/米) 監督:ビリー・ワイルダー
 37位:『甘い生活』"La dolce vita"(1960/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
 37位:『裁かるゝジャンヌ』"The Passion of Joan of Arc"(1927/仏)  監督:カール・ドライヤー
 37位:『プレイタイム』"Play Time"(1967/仏) 監督:ジャック・タチ
 37位:『抵抗(レジスタンス)/死刑囚の手記より』"A Man Escaped"(1956/仏) 監督:ロベール・ブレッソン
 37位:『ビリディアナ』"Viridiana"(1961/西・メキシコ) 監督:ルイス・ブニュエル
 44位:『ウエスタン』"Once Upon a Time in the West"(1968/伊・米) 監督:セルジオ・レオーネ
 44位:『軽蔑』"Le Mépris"(1963/仏・伊・米) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
 44位:『アパートの鍵貸します』"The Apartment"(1960/米) 監督:ビリー・ワイルダー
 44位:『狼の時刻』"Hour of the Wolf"(1968/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
 48位:『カッコーの巣の上で』"One Flew Over the Cuckoo's Nest"(1975/米) 監督:ミロス・フォアマン
 48位:『捜索者』"The Searchers"(1956/米) 監督:ジョン・フォード
 48位:『サイコ』"Psycho"(1960/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
 48位:『カメラを持った男』"Man with a Movie Camera"(1929/ソ連) 監督:ジガ・ヴェルトフ
 48位:『SHOAH』"Shoah"(1985/仏) 監督:クロード・ランズマン
 48位:『アラビアのロレンス』"Lawrence Of Arabia"(1962/英) 監督:デイヴィッド・リーン
 48位:『太陽はひとりぼっち』"L'eclisse"(1962/伊・仏) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
 48位:『スリ』"Pickpocket"(1959/仏) 監督:ロベール・ブレッソン
 48位:『大地のうた』"Pather Panchali"(1955/印) 監督:サタジット・レイ
 48位:『裏窓』"Rear Window"(1954/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
 48位:『グッドフェローズ』"Goodfellas"(1990/米) 監督:マーティン・スコセッシ
 59位:『欲望』"Blow Up"(1966/英) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
 59位:『暗殺の森』"The Conformist"(1970/伊・仏・西独) 監督:ベルナルド・ベルトルッチ
 59位:『アギーレ 神の怒り』"Aguirre, Wrath of God"(1972/西独) 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
 59位:『ガートルード』"Gertrud"(1964/デンマーク) 監督:カール・ドライヤー
 59位:『こわれゆく女』"A Woman Under the Influence"(1974/米) 監督:ジャン・カサヴェテス
 59位:『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』"The Good, the Bad and the Ugly"(1966/伊・米) 監督:セルジオ・レオーネ
 59位:『ブルー・ベルベット』"Blue Velvet"(1986/米) 監督:デイヴィッド・リンチ
 59位:『大いなる幻影』"La Grande Illusion"(1937/仏) 監督:ジャン・ルノワール
 67位:『地獄の逃避行』"Badlands"(1973/米) 監督:テレンス・マリック
 67位:『ブレードランナー』"Blade Runner"(1982/米) 監督:リドリー・スコット
 67位:『サンセット大通り』"Sunset Blvd."(1950/米) 監督:ビリー・ワイルダー
 67位:『雨月物語』"Ugetsu monogatari"(1953/日) 監督:溝口健二
 67位:『雨に唄えば』"Singin'in the Rain"(1951/米) 監督:スタンリー・ドーネン & ジーン・ケリー
 67位:『花様年華』"In the Mood for Love"(2000/香港) 監督:ウォン・カーウァイ
 67位:『イタリア旅行』"Journey to Italy"(1954/伊) 監督:ロベルト・ロッセリーニ
 67位:『女と男のいる舗道』"Vivre sa vie"(1962/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
 75位:『第七の封印』"The Seventh Seal"(1957/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
 75位:『隠された記憶』"Hidden"(2004/仏・オーストリア・伊・独) 監督:ミヒャエル・ハネケ
 75位:『戦艦ポチョムキン』"Battleship Potemkin"(1925/ソ連) 監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン
 75位:『M』"M"(1931/独) 監督:フリッツ・ラング
 75位:『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』"There Will Be Blood"(2007/米) 監督:ポール・トーマス・アンダーソン
 75位:『シャイニング』"The Shining"(1980/英) 監督:スタンリー・キューブリック
 75位:『キートンの大列車追跡』"The General"(1926/米) 監督:バスター・キートン & クライド・ブラックマン
 75位:『マルホランド・ドライブ』"Mulholland Dr."(2001/米) 監督:デイヴィッド・リンチ
 75位:『時計じかけのオレンジ』"A Clockwork Orange"(1971/米) 監督:スタンリー・キューブリック
 75位:『不安と魂』"Fear Eats the Soul"(1974/西独) 監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
 75位:『ケス』"Kes"(1969/英) 監督:ケン・ローチ
 75位:『ハズバンズ』"Husbands"(1975/米) 監督:ジョン・カサヴェテス
 75位:『ワイルドバンチ』"The Wild Bunch"(1969/米) 監督:サム・ペキンパー
 75位:『ソドムの市』"Salo, or The 120 Days of Sodom"(1975/伊・仏) 監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ
 75位:『JAWS/ジョーズ』"Jaws"(1975/米) 監督:スティーヴン・スピルバーグ
 75位:『忘れられた人々』"Los Olvidados"(1950/メキシコ) 監督:ルイス・ブニュエル
 91位:『気狂いピエロ』"Pierrot le fou"(1965/仏・伊) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
 91位:『アンダルシアの犬』"Un chien andalou"(1928/仏) 監督:ルイス・ブニュエル
 91位:『チャイナタウン』"Chinatown"(1974/米) 監督:ロマン・ポランスキー
 91位:『ママと娼婦』"La Maman et la putain"(1973/仏) 監督:ジャン・ユスターシュ
 91位:『美しき仕事』"Beau Travail"(1998/仏) 監督:クレール・ドゥニ
 91位:『オープニング・ナイト』"Opening Night"(1977/米) 監督:ジョン・カサヴェテス
 91位:『黄金狂時代』"The Gold Rush"(1925/米) 監督:チャーリー・チャップリン
 91位:『新学期・操行ゼロ』"Zero de Conduite"(1933/仏) 監督:ジャン・ヴィゴ
 91位:『ディア・ハンター』"The Deer Hunter"(1977/米) 監督:マイケル・チミノ
 91位:『ラルジャン』"L' argent"(1983/仏・スイス) 監督:ロベール・ブレッソン

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錚々たる面子が論じる人と作品。但し、本人の自作へのコメントが一番興味深かった。

世界の映画作家 9 (イングマル・ベルイマン)_.jpg世界の映画作家 9 (イングマル・ベルイマン)』('71年/キネマ旬報社)
世界の映画作家 1・4・5・9.jpg
 キネマ旬報社による「世界の映画作家」シリーズの1冊で、1971年刊行。編集後記によれば、この時点でイングマール・ベルイマン(1918-2007/享年89)の監督作品は32本あり、そのうち日本で公開されていたのは12本だけだったとのことです(因みにベルイマンの生涯監督作品は63本)。巻末に、「鏡の中にある如く」('61年)、「沈黙」('63年)と併せて所謂「神の沈黙」3部作と呼ばれる「冬の光」('63年)の脚本が付されていますが、この「冬の光」が日本で公開されたのは1975年のことで、本書刊行からもややあってのことでした(既に脚本の翻訳はとっくに出来ていたのに)。ベルイマンは当時すでに確固たる名声を博していたかと思いますが(このシリーズが、ゴダールとパゾリーニ、フェリーニとヴィスコンティ、アントニオーニとアラン・レネがそれぞれ抱き合わせで1冊なのに対し、本書はベルイマンのみをフィーチャーしていることからもそれが窺える)、それでもやはり、ベルイマン作品は難しすぎて日本人にはウケないというイメージが、映画関係者の間でも当時はあったのでしょうか。

 今でいうムックのような構成で、まず映画評論家の岡田晋(1924-1991)が「ベルイマンの形而上学」を説き(やはり、やや難しいか)、佐藤忠雄が「原爆の下の平和」というタイトルで寄稿していますが、このやや唐突にも思えるタイトルの小論は、巻末の「冬の光」の脚本を頭に入れてから読んだ方がいいかも。続いて、映画監督の新藤兼人(1912-2012)が、「〈沈黙〉のベルイマン」と題して「沈黙」に見る"愛の不在"をベルイマンの実生活に重ねて考察し(ベルイマンは5回結婚している)、映画評論家の飯島正(1902-1996)が、ベルイマンが映画以前に関わった演劇と文学について解説、更に、「ベルイマン全自作を語る」を挟んで、映画研究家の山本喜久男が海外におけるベルイマン論を紹介、最後に映画評論家で、ベルイマンの「夏の遊び」('50年)から日本語字幕を担当し、近年ではベルイマン監督のテレビ映画「サラバンド」('03年)の字幕監修などもしている三木宮彦が「ベルイマンと演劇」について語るという、キネマ旬報ならではの本格派ラインアップです。

 自分としては、ベルイマンが「危機」('46年)から「情熱」('69年)まで自らが監督した30本の映画についてそれぞれ簡単にコメントした「ベルイマン全自作を語る」が一番興味深く読めたでしょうか(個人的には見ていない作品の方が多いのだが、一応、内容もそれぞれ簡単に紹介されている)。

ベルイマン 夏の遊び.jpgベルイマン第七の封印.jpg 「夏の遊び」('50年)が、ベルイマンが17歳の時に書いた中編小説がベースになっていたとは知りませんでした。「第七の封印」('57年)は頭で作ったが、この映画は心で作った」とも述べています。その「第七の封印」についはやや長めのコメントが付されていますが、子供の頃に教会で見た中世の宗教画にそのモチーフがあったというのが興味深いです。

ベルイマン 野いちご.jpgベルイマン 冬の光.jpg 一方、「野いちご」('57年)については、主演のヴィクトル・シューストレムを讃えるとともに、老いをテーマにしたこの作品の撮影そのものが「時」に対する闘いであったことを明かし、「冬の光」('63年)については、自分の生活における宗教の存在が完全に消滅した時、人生は恐ろしく生きやすいものとなったとして、映画もそういたものをブチ壊すことによって始めたのですべては穏やかで良かったとし、「これは絶対にいい映画であり、どんな批判にも100%応えられるものである」としています。

 自作品に対するコメントと同時に、ベルイマンに対するインタビューや彼自身が平生語った言葉も併録されており、結構赤裸々に語っていて興味深いです。インタビュー部分ではベルイマン作品をこきおろすインタビュアーと喧嘩になってしまっていますが、これはどうやら、インタビューそのものが実はベルイマンが構成した〈フィクション〉であるとのことのようで、結構ベルイマンという人は茶目っ気もあったようです。

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「地球上の珍奇な場所や驚くべき出来事について、科学の視点を交えながら紹介する8つのストーリー」

地球の履歴書.jpg 大河内直彦 .jpg 大河内 直彦 氏(海洋研究開発機構) チェンジング・ブルー.jpg 『チェンジング・ブルー―気候変動の謎に迫る
地球の履歴書 (新潮選書)

 著者は海洋研究開発機構・生物地球化学部門のリーダーであり、この分野では日本を代表する科学者の一人です。気候変動の謎に迫った『チェンジング・ブルー―気候変動の謎に迫る』('08年/岩波書店、'15年/岩波現代文庫)で2009年・第25回「講談社科学出版賞」を受賞しています。

 本書『地球の履歴書は、雑誌「考える人」の季刊誌の方に2013年から2015年にかけて連載したものがベースになっており、裏表紙には、「熱球から始まったこの星はどうやって冷え、いかにして生物が生まれたのか?」とあって、続いて「科学の発達とともに、私たちは少しずつ地球の生い立ちを解明してきた。戦争や探検、数学の進歩や技術革新などのおかげで、未知の自然現象の謎は氷解してきたのだ。海面や海底、地層、地下、南極、塩などを通して、地球46億年の歴史を8つのストーリーで描く」とあります。

 まず、第1章で、地球創世の歴史を説き起こし、更にエラトステネスの地球の大きさの計測の仕方を紹介、その話が、第2章から第4章にかけての、海底深度の測定や海底火山や海嶺に関する話、或いは、プレート移動と海底堆積物の分析、更には火山活動との関係の話に繋がっていくといった具合に、各章のストーリーが緩やかに繋がっているのが読み易くていいです。

 そうした中に科学史の話や、南極点到達の歴史(ノルウェーのアムンゼンとイギリスのスコットの話)など科学史以外の歴史的なエピソードも織り込み(アムンゼンとスコットの話は、ビジネス書であるジム・コリンズ著『ビジョナリー・カンパニー4』('12年/日経BP社)にも出てくるので、読み比べてみると面白い)、その上で、南極大陸の氷床について解説するなど、密度の濃い科学的解説が織り込まれているにも関わらず、繋がりが自然で、エッセイとして楽しみながら読み進むことができました。

ニオス湖.jpg まさに、著者がまえがきで述べているように、「地球上の珍奇な場所や驚くべき出来事について、科学の視点を交えながら紹介する8つのストーリー」であり、興味深い話が盛り沢山でした。話のスケールが大き過ぎたり不思議すぎたりして、ついつい現実感が無くなりそうにもなりますが(1986年、カメルーン・ニオス湖で「湖水爆発」により1700人余りが二酸化炭素中毒または酸欠で死亡したという話は知らなかった。悲劇が再発しないよう、日本の政府開発援助で二酸化炭素を強制排出するポンプが設置され、ガス抜きをしているとのこと)、一方で、随所でより身近な話を旨く織り込んで、現実に引き寄せているといった印象です。
カメルーン・ニオス湖

 例えば、東京の下町と山の手は地質学上どうやって出来たかとか、有馬温泉は泉温が90度を超える非常に高温な温泉で、しかも周囲には火山がないのは希有なことであるとかいった話は、東京のその地質学上の山の手の下町の境界近くに住み、実家がその有馬温泉に近い神戸である自分にとっては、とりわけ興味深く読めました。

 著者はまえがきで、一般書や科学セッセイを書いても、科学者の業績査定には一向にプラスにはならないとし(ボヤキ?)、限られた時間の中でこうしたエッセイを書くことを気が引けるとしながらも、一方で、現代社会を形作ってきた原動力を浮かび上がらせることを気に入っているとし、更に、寺田寅彦の「科学は科学者だけのものではない」との考えに後押しされて、こうしたエッセイを書いたとのことです。

 先にも述べた通り、エッセイと言えども、書かれている内容の知識密度は濃かったように思われ、加えて、内容の幅も広かったように思います(博覧強記と言っていいが、高踏的であったり、知識を振りかざすといったものではない)。それに加えて、飽きさせないで最後まで一気に読ませる文章は、なかなかの筆力ではないかと思います。知識的なことはすべて頭には入らなかったような気もし、時間を置いてまた読み直してもよいかなと思わせる内容の本でした。

《読書MEMO》
●目次
第1章 How Deep is the Ocean?
第2章 謎を解く鍵は海底に落ちていた
第3章 海底が見える時代
第4章 秋吉台、ミケランジェロ、石油
第5章 南極の不思議
第6章 海が陸と出会う場所
第7章 塩の惑星
第8章 地下からの手紙

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ケーススタディに実在の人物を持ち出すことの良し悪しはあるが、興味深く読めたのは事実。

回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち.jpg回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)』['13年] 愛着障害  子ども時代を引きずる人々0.jpg愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)』['11年]

 「愛着障害」とは、乳幼児期に長期にわたって虐待やネグレクト(放置)を受けたことにより、保護者との安定した愛着(愛着を深める行動)が絶たれたことで引き起こされる障害です。著者は前著『愛着障害―子ども時代を引きずる人々』('11年/光文社新書)において、乳幼児は生後6カ月から大体3歳くらいまでにある特定の人物(通常は母親)と「愛着関係」を築き、その信頼関係を結んだ相手を「安全基地」として少しずつ自分の世界を広げていくが、それが旨くいかなかった場合、他人を信頼することや他人と上手くやっていくことなど、人間関係において適切な関係を築くことができにくくなるとしていました(但し、それを克服した例として、夏目漱石やヘルマン・ヘッセ、ミヒャエル・エンデなど多くの作家や有名人の例が紹介されている)。

 著者の分類によれば、愛着障害は安定型と不安定型に分類され、更に不安定型は不安型(とらわれ型。子どもでは両価型と呼ぶ)と回避型(愛着軽視型)に分けられるとし、不安型と回避型の両方が重なった、恐れ・回避型(子どもでは混乱型)や、愛着の傷を生々しく引きずる未解決型と呼ばれるタイプもあるとしています(ややこしい!)。本書は、その中でも回避型を、とりわけ、健常レベルの「回避型」が社会適応に支障をきたすレベルとなった「回避性」の愛着障害を扱っていることになります。

 前著『愛着障害』より対象が絞られて、分かりよくなっている印象も受けますが、一方で、例えばパーソナリティ障害のタイプごとに、回避性愛着障害の現れ方が次のように多岐に及んでくるとのことで、これだけでもかなりの人が当て嵌まってしまうのではないかという気がします。
 ①回避性パーソナリティ・タイプ ... 嫌われるという不安が強い
 ②依存性パーソナリティ・タイプ ... 顔色に敏感で、ノーが言えない
 ③強迫性パーソナリティ・タイプ ... 勤勉で、責任感の強すぎる努力家
 ④自己愛性パーソナリティ・タイプ ... 自分しか愛せない唯我独尊の人
 ⑤反社会性パーソナリティ・タイプ ... 冷酷に他人を搾取する

 但し、健常レベルの「回避型」と社会適応に支障をきたすレベルとなった「回避性」の愛着障害の違いは、元々は程度の差の問題であり、また、パーソナリティのタイプが何であれ、愛着スタイルが安定すれば、生きづらさや社会に対する不適応はやわらげられるとのことですので、自分がそれに該当するかもしれないと思い込むのは別に構わないと思いますが、そもことによってあまり深刻になったり悲観したりはしない方が良いかと思います。

エリック・ホッファー.jpg種田山頭火7.jpg 著者の解説のいつもながらの特徴ですが、該当する作家や有名人の事例が出てきて、回避型愛着障害と養育要因の関係について述べた第2章では、エリック・ホッファーや種田山頭火、ヘルマン・ヘッセが、回避型の愛情と性生活について述べた第4章では、同じく山頭火やキルケゴールが、回避型の職業生活と人生について述べた第5章では、同じくエリック・ホッファーや『ハリー・ポッター』シリーズの作者J・K・ローリング、児童分析家エリク・エリクソン、井上靖らが、回避性の克服や愛着の修復について述べた第6章・第7章では、カール・ユング、書道家の武田双雲、『指輪物語』のジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン、養老孟司、マリー・キューリーなどが取り上げられています。

 実際に著者自身が直接診断したわけでもないのに憶測でこんなに取り上げてしまっていいのかという批判もあるかと思いますが、こうした実在の人物を「ケーススタディ」的に取り上げることで「愛着障害」というものが多少とも分かり易く感じられるのは事実かもしれません。それと、取り上げ方が上手であると言うか、それぞれの人に纏わる話をよく抽出してテーマと関連づけるものだと感心してしまいます。ある種"作家的"とでも言うべきか。そこがまた、批判の対象にならないこともないのですが。

 一方、回避性愛着障害の克服方法については、「自分の人生から逃げない」など、やや抽象的だったでしょうか。登場した実在の人物の歩んだ克服の道のりの話の方がよほど説得力があります。とれわけ、エリック・ホッファーと種田山頭火のエピソードは大変興味深く読めました。

《読書MEMO》
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)』より
愛着障害  .jpg●愛着パターンには安定型(60%、正常)、回避型(15-20%、安全基地を持たないのでストレスを感じても愛着行動を起こさない、児童養護施設育ちの子どもに多い、親の世話不足や放任、成長すると反抗や攻撃性の問題を起こしやすい)、両価型(10%、安全基地の機能不全により愛着行動が過剰に引き起こされている、親の関心と無関心の差が大きい場合、神経質で過干渉、厳格すぎる一方、思い道理にならないと突き放す。子どもを無条件に受け止めると言うより、良い子を求める。成長すると不安障害なりやすい。いじめられっ子)、混乱型(10%、回避型と両価型の混合、虐待被害者や精神が不安定な親の子どもに多い、将来境界型人格異常)がある(『愛着障害』37p)
●不安定型(回避型、両価型、混乱型)の場合、特有の方法によって周囲をコントロールしようとする。攻撃や罰、よい子に振る舞う、親を慰めるなどをして親をコントロールしようとする。不安定な愛着状態による心理的な不足感を補うために行われる(『愛着障害』38p)
●大人の愛着パターンには安定型、不安型(子どもの両価型に対応する)、回避型(愛着軽視型)がある。不安型と回避型を合わせて不安定型という(『愛着障害』45p)
●アメリカの診断基準では反応性愛着障害として、抑制性(誰にも愛着しない警戒心の強いタイプ、幼いときに養育放棄や虐待を受けたケースに多い)、脱抑制性(誰に対しても、見境無く愛着行動が見られる。不安定な養育者からの気まぐれな虐待や、養育者の交代によって、愛着不安が強まった状態)の2つがある(『愛着障害』46p)。
●比較的マイルドな愛着問題では、自立の圧力が高まる青春期以降に様々なトラブルとなって現れる。回避型では淡泊な対人関係を望む「草食系男子」や結婚に踏み切れない人の増加である。不安型では境界型人格障害や依存症や過食症にとなる(52p)
●愛着障害の7-8割は養育環境が原因。遺伝は2-3割である(53p)
●愛着障害の人は誰に対しても信頼も尊敬も出来ず、斜に構えた態度を取る一方で、相手の顔色に敏感であると言った矛盾した感情を持っている。それは小さいときに尊敬できない相手でも、それにすがらずに生きていけないからである(67p)
●親の愛着パターンが子どもに影響する。不安型の親からは不安型の子どもが育つ(81p)
●不安定型の愛着パターンを生む重要な要因の一つに、親から否定的な扱いや評価を受けて育つことである。たとえ子どもが人並みよりぬきんでた能力や長所を持っていても、親は否定的に育てることである(97p)
●愛着障害とは特定の人との愛着が形成されない状態であるので、誰にも全く愛着を持たないか、誰に対しても親しくなれることである。誰にでも愛着を持つと言うことは誰にも愛着を持たないことと同じである。実際問題でも、対人関係が移ろいやすい。恋愛感情でも誰に対しても同じ親しさで接すればトラブルの元になる。特定の人との信頼関係や愛情が長く維持されにくい(117p)
●回避型ではいつになっても対人関係が親密にならない。不安型では、距離を取るべき関係においても、すぐに親しくなり、恋愛感情や肉体関係になる。混合型では、最初はよそよそしいが、ちょっとしたことで急速に恋愛関係に陥る(120p)
●愛するパートナーを助けるために、自分の命を危険にさらせるのが、愛着が安定している人で、自分の価値観や信念のためなら死んでも良いと思っているのが愛着の不安定な人である(193p)
●不安定型の人は家族との関係が不安定で、支えられるどころか足を引っ張られることが多い(194p)
●回避型の人は、仕事上の問題よりも、同僚との軋轢が多く、孤立を招きやすい。これは、同僚に対して関心が乏しかったり、協調性に欠けたりするためである(195p)
●不安型の人の関心は対人関係であり、人からの承認や安心を得ることが極めて重要と考えている。回避型の人は対人関係よりも勉強や仕事や趣味に重きを置く。対人関係の煩わしさを避けるために、仕事や勉強に逃げ場を求めている。世間に向けて体裁を整えたり、社会的非難や家族からの要求を回避したりするために利用している。仕事と社交、レジャーとのバランスを取るのが苦手で、仕事に偏りがちである(196p)。
●回避型の人をパートナーに持つことは、いざというとき頼りにならないどころか、回避型の人にとって頼られることは面倒事であり、他人から面倒事を持ち込まれることは怒りを生むのである(225p)

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自動車の社会的費用の内部化の道を探り、あるべき都市交通の姿を示唆。なかなか色褪せない本。

自動車の社会的費用 (1974年) (岩波新書)_.jpg 自動車の社会的費用 (岩波新書)_.jpg   宇沢弘文.jpg    宇沢弘文のメッセージ.jpg
自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)』宇沢 弘文(1928-2014)『宇沢弘文のメッセージ (集英社新書)

 1974(昭和49)年・第28回「毎日出版文化賞」(人文・社会部門)受賞作。

 昨年['14年]9月に亡くなった宇沢弘文(1928-2-2014/享年86)の一般向け著書で、先に取り上げた宇野弘蔵(1897-1977/享年79)とは一世代ずれますが、この人も宇野弘蔵と同様、生前はノーベル経済学賞の有力候補として度々名前が挙げられていた人です。

 本書は、混雑や事故、環境汚染など自動車がもたらす外部不経済を、社会的費用として内部化する方法を試みたものです。社会的費用とは、受益者負担の原則が貫かれていないために社会全体が被っている損失のことですが、そのコストを明確にし自動車利用者に負担させようというのが外部費用の内部化であり、本書では、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の道を探ることを通して、あるべき都市交通の姿をも示唆しています(そうした意味では社会学的要素も含んでいる)。

 著者は、自動車のもたらす社会的費用は、具体的には交通事故、犯罪、公害、環境破壊などの形で現われるが、何れも健康や安全歩行などという市民の基本的権利を侵害し、しかも人々に「不可逆的な損失」を与えるものが多いとし、一方、このように大きな社会的費用の発生に対して、自動車の便益を享受する人々はごく僅かしかその費用を負担しておらず、逆に言えば、自動車の普及は、自動車利用者がこのような社会的費用を負担しないでも済んだからこそはじめて可能になったとも言えるとしています。

 ここで著者が問題にするのは、「不可逆的な損失」という概念であり、損失が可逆的であるならば、元に戻すのに必要な費用を計算すれば社会的費用を見積もることが出来るが、その損失が不可逆的である場合、一体どれだけの費用が妥当とされるのかということです。交通事故による死傷の被害額を算出する方法にホフマン方式があますが、人間を労働を提供して報酬を得る生産要素とみなして、交通事故によってどれだけその資本としての価値が減少したかを算定するというのは、被害者側の立場に立てば、これほどヒトとして許せない算出方法もないだろうともしています(仮に純粋にこの方式に拠るとすれば、所得を得る能力を現在も将来も持たないと推定される人が交通事故に遭って死亡した場合、その被害額はゼロと評価されることになる)。

 よって著者は、自動車の社会的費用を算出する際に、交通事故に伴う損失をホフマン方式のような方法を用いるのは適切ではないとし、同様のことは,環境破壊についても言えるとしています。具体的には、公共投資などにおいて社会的便益と社会的費用の差を指標とするコスト・ベネフィット分析について、たとえどのように大きな社会的費用を発生したとしても、社会的便益がそれを大きく上回れば望ましい公共投資として採択されることになってしまい、結果として、実質的所得配分はさらにいっそう不平等化するという結果をもたらすとしています。

 なぜ「実質的所得配分はさらにいっそう不平等化する」のかと言うと、低所得者層ほど環境破壊などの影響を深刻に受けるからであり、例えば、公害が発生した場合、高所得者層はその土地から離れることができても低所得者層にそのような選択をする余裕はなく、また、ホフマン方式が示ように低所得者が被る損害は少額にしかなり得ず、更には、人命・健康、自然環境の破壊は不可逆的な現象であって、ここで考えられているような社会的費用の概念をもってしては元々計測することができないものであるとしていています。

 しかしながら、これまで不適切な社会的費用の計算方法がまかり通ってきたのは、社会的費用の計算根拠を新古典派経済理論に求めてきたことに原因があるとしています。新古典派経済理論の問題点は、1つは、生産手段の私有制が基本的な前提条件となっていて、共有される社会的資本に対する思慮が欠落しているという問題と、もう1つは、人間を単に労働を提供する生産要素として捉えるという面が強調され、社会的・文化的・歴史的な存在であるという面が捨象されていることだとし、新古典派経済理論は、都市問題や環境問題など現代社会においてもっとも深刻な社会的・経済的問題を引き起こしている現象を解明するための理論的フレームワークを提供していないとしています。

 では、どうすればよいのか。自動車について著者は、自動車を所有し運転する人々は、他の人々の市民的権利を侵害しないような構造をもつ道路について運転を許されるべきであって、そのような構造に道路を変えるための費用と自動車の公害防止装置のための費用とを負担することが、社会的な公正性と安定性という観点から要請されてくるとしています。つまりは、自動車の通行を市民的権利を侵害しないように行うとすれば、道路の建設・維持にどれだけの追加的な費用を必要とし、自動車の無公害化のためにどれだけの投資をしなければならないかということを計算するべきであり、市民的権利を金銭換算して評価関数に組み込むのではなく、市民的権利を守ることを制約条件とするとの考えに基づいて、自動車の社会的費用を算出する必要があるとのことです。

 そのうえで著者が試算した自動車の社会的費用(投資基準)は1台あたり200万円で、当時の運輸省の試算額7万円と大きく異なっており、これこそまさに著者の言う、社会的費用の発生に対して、自動車の便益を享受する人々はごく僅かしかその費用を負担していないという実態であり、その数字の差は、人の死や環境破壊など不可逆的な市民的権利の侵害を認めるか認めないかの違いであるということになります。

 著者はこうした投資基準は自動車通行のための道路だけでなく、一般に社会的共通資本の建設にも適用することが出来るとし、このような基準に基づき公共投資を広範な用途に、例えば代替的な公共交通機関や道路に配分するとき、社会的な観点から望ましい配分をもたらすものとなり、この基準を適用することで、どのような地域に住む人々も、またどのような所得階層に属する人々も、社会的な合意をえて決定された市民の基本的権利を侵害されることがなく、他人の基本的権利を侵害するような行動は社会的に許されないという原則が貫かれ、すべての経済活動に対してその社会的費用は内部化され、福祉経済社会への転換が可能となり、ヒトにとって住みやすい、安定的な社会を実現することが出来るとしています。

 今でこそ、外部費用の内部化と言う論点は自動車のみならず環境問題などでもよく見られる議論であり、特に東日本大震災以降、「原発」の社会的費用の議論が活発化したように思われ、「大佛次郎論壇賞」を受賞した大島堅一氏の『原発のコスト―エネルギー転換への視点』('11年/岩波新書)などもその1つでしょう(この本によれば、原発の事故リスクコストやバックエンドコストは計り知れないほどの金額となるという)。しかしながら、本書が早くからこうした観点を提起していたのは評価すべきだと思います(しかも、分かり易く)。

2015東京モーターショーX.jpg 但し、自動車の問題に立ち返っても、著者が提起した問題はなんら解消されたわけではなく、実はこれ書いている今日から東京モーターショーが始まるのですが、自動車メーカーの開発課題が、スピードやスタイリングからエコへ、更に自動&安全運転へ向かっているのは当然の流れかも。
 一方で、先だってフォルクスワーゲン(VW)の排出ガス不正問題が発覚したとの報道があったり、また、つい先日は宮崎市で、認知症と思われる高齢者による自動車死亡事故があったばかりなのですが(歩道を暴走した軽乗用車にはねられ2人が死亡、4人が重軽傷。最近、この種の事故が急に多くなった)。

 それらの意味でも本書は、(幸か不幸か)なかなか色褪せることのない本と言えるかもしれません。

 尚、宇沢弘文の"人と思想"については、没後ほぼ1年となる今年['15年]9月、大塚信一・岩波書店元社長による『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)が刊行されています。『自動車の社会的費用』は宇沢弘文の初めての単著であるとともに、大塚氏にとっても最初に編集した宇沢弘文の著作であったとのことで、『自動車の社会的費用』が書かれた際の経緯などが紹介されていて興味深いですが、宇沢の方から初対面の挨拶が終わるや否や大塚氏に「ぼくに『自動車の社会的費用』というタイトルで新書を書かせてくれませんか」と言ってきたとのことです。

宇沢弘文のメッセージ obi.png 『宇沢弘文のメッセージ』では、宇沢が数学から経済学に転じアメリカで活躍するようになった頃から『自動車の社会的費用』を著すまで、更に、近代経済学を再検討して日本という《「豊かな国」の貧しさ》を課題視し、「成田」問題(三里塚闘争)、地球温暖化問題、教育問題へとそのフィールドを移していく過程を通して、彼の社会的共通資本という思想を解説していますが、宇沢の人柄を伝えるエピソードが数多く含まれていて「人」という部分では興味深い一方、著者の専門外ということもあって「思想」という部分ではやや弱いかも。但し、著者はまえがきで、「宇沢の場合、その人柄と学問は一体化したもので、両者は切り離すことはできない」としており、その点は読んでいてなるほどと思わせるものがあり、また、宇沢弘文の偉大さを伝えるものにもなっているように思いました。

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マルクスの愛の生涯、その情熱と幸福、悲惨と絶望を手紙や回想録から浮彫りに。

人間マルクス.JPG  マルクス&ジェニー.jpg KarlMarx_Tomb.jpg  マルクス・エンゲルス小伝.jpg フリードリヒ・エンゲルス.jpg
マルクス&ジェニー/マルクスの墓(ロンドン/ハイゲイト墓地) 『マルクス・エンゲルス小伝 (岩波新書 青版 543)』/フリードリヒ・エンゲルス
人間マルクス その愛の生涯 (岩波新書)

 本書は、カール・マルクス(1818-1883/享年64)の生涯をフランスのジャーナリストが追ったものです。サブタイトルに「その愛の生涯」とあり、また、本書の原題も"La vie amoureuse de Karl Marx"イェニー・マルクス.jpgであるように、カール・マルクスの愛情生活を徹底的に追ったものとなっており、マルクスが4歳年上の妻ジェニー(イェニー)をいかに愛し続けたか、その情熱と幸福、悲惨と絶望を、夫人や娘たちとの手紙や友人・知己の多くの回想録等をもとに炙り出しています。また、そうすることによって、マルクスの人間性そのものを浮き彫りにし、それが彼の膨大な仕事にどのように反映されたか推し量る貴重な資料にもなっています。
ジェニー(イェニー)・マルクス

 マルクスは、ベルリン大学卒業後、ケルンの「ライン新聞」の編集長になって政治・経済問題の論文に健筆を奮いますが、急進的な論調のためプロイセン政府の検閲に遭って新聞は発禁処分になり、それが原因で1849年にパリに追放され、ブリュッセルでの生活を経てロンドンに居住し、後半生をその地で過ごすことになります。このことは、生涯のかなりの部分を亡命者として過ごしたことなるとともに、本書を読むと、常に貧困と隣り合わせだったことが窺えます。ロンドンでの彼の運動と著作は、その後の世界の社会主義運動に大きな影響を与えることになりますが、生きていた間は、その名前すら一般の人には殆ど知られていなかったようです。

Marx+Family_and_Engels.jpg ジェシーとの間に生まれた2男4女のうち、成人を迎えることができたのは長女ジェニー(妻と同じ名)・次女ラウラ・四女エリナの3人だけで、あとは病気などで亡くなっており、家計が苦しく医者に診せる費用さえ十分に捻出し得なかったことも子ども達の早逝の一因として考えられるというのはかなり悲惨です(このほか更に、出生死の子が1人いた)。また、そうした苦境を乗り越えてきたからこそ、それだけ二人の愛は強まったとも言えるかと思います。

マルクスと妻ジェニー、次女ラウラ、四女エリナ、エンゲルス。

 一方で、マルクス家に献身的に仕え、マルクス夫婦と同じ墓地に埋葬されているマルクス家の女中ヘレーネ・デムート(マルクスの家のやり繰りが苦しい時は無償で働いた)が生んだ私生児フレディの父親が、実はマルクスであったということも、本書には既にはっきり記されています(本書の原著刊行は1970年。1989年に発見されたヘレーネ・デムートの友人のエンゲルス家の女中の手紙から、ヘレーネの息子の父親がマルクスであることが確実視されるようになった)。

イェニー・マルクス.png マルクスの妻ジェニー(イェニー)は夫の不義に悩みながらもそれを許したようですが、封印されたこの一家の秘密は、その後家族に多くの抑圧を残します(この辺りは、フランソワーズ・ジルー著『イェニー・マルクス―「悪魔」を愛した女』('95年/新評論)に詳しい)。そして妻ジェニーは1881年の年末に亡くなり、悲しみに暮れるマルクスに、更にその1年後に長女ジェニーが亡くなるという悲劇が襲い、その2か月後にはマルクスも息を引き取ります。月並みな解釈ですが、やはり、マルクスにとって、妻と娘たちが生きるエネルギーの源泉だったということでしょうか(因みに、マルクス逝去の時点で存命していた2人の娘のうち、マルクスと「告白」遊びをしたりした次女ラウラは1911年に夫と共に自殺、四女エリナは1898年に恋人と無理心中して自分だけ亡くなっているが、これについては偽装殺人の疑いがもたれている)。
イェニー・マルクス―「悪魔」を愛した女

 本書によれば、マルクスは、ロンドン時代も夜となく昼となく読み、且つ書いて、膨大な著作を生み出したものの、それらは殆ど金にならず彼は絶望したとのこと、現実にそれは何年も家庭に「貧困」が腰を据えるという形で妻や子度たちの苦しめたため、彼はイギリスの鉄道会社に書記として就職しようとしたとのこと、但し、非常な悪筆のため採用を断られたとのことです(何度も彼の原稿の清書をした妻ジェニーは、マルクスの字をハエの足跡のようと言っている)。これは1862年頃の話ということで、『資本論』の第1巻が世に出るのはその5年後ですから、もし生活のために鉄道会社に勤めていたら(もしマルクスが達筆だったなら)『資本論』の方はどうなっていたでしょうか。

大内兵衛.jpg この他に、マルクスの生涯をその「仕事」よりに辿ったものに、大内兵衛(1888-1980)による『マルクス・エンゲルス小伝』('64年/岩波新書)があり、『ドイツ・イデオロギー』『哲学の貧困』『共産党宣言』『経済学批判』そして『資本論』といった著作がどのような経緯で成立したのかが、マルクスの思想形成の流れやその折々の時代背景と併せて解説されています。多少エッセイ風と言うか、著者は、「これは勉強して書いた本ではない。一老人の茶話である」とはしがきで述べていますが、「茶話」としてこれだけ書いてしまうのはやはり大家の成せる技でしょうか。

 前半3分の2がマルクス伝であるのに対し、後半3分の1はフリードリヒ・エンゲルス(1820-1895/享年74)の小伝となっています。個人的に印象に残ったのはマルクスの死後まもなくエンゲルスが旧友に送った手紙で、その中でエンゲルスは、「僕は一生の間いつも第二ヴァイオリンばかり弾いていた。これならば相手上手といったところまでやれたように思う。が、何といっても、マルクスエンゲルス.jpgという第一ヴァイオリンが上手であったのですっかり有頂天になっていた。これからはこの学説を代表して僕が第一ヴァイオリンを弾かねばならぬのだ。よほど用心をしないと世間の物笑いになるかもしれない」と書いており、並々ならぬ決意と覚悟が窺えます。『共産党宣言』はマルクスとエンゲルスの共作であるし、エンゲルスはマルクスの『資本論』執筆に際しても多くの示唆を与え続けていたとのこと、そのマルクスが亡くなった時点で『資本論』は第1巻しか刊行されておらず、『資本論』の第2巻と第3巻は、マルクスとエンゲルスの共著とも言え、『資本論』が完結を見たのはエンゲルスの功績が大きいようです。
フリードリヒ・エンゲルス(1820-1895/享年74)

マルクスとエンゲルスの銅像.jpg エンゲルスは実業家でもあり、マルクスのロンドン時代に彼はマンチェスターでエルメン・エンエルス商会の番頭として「金儲け」をし(本人の本当の関心は勉学にあったようだが)、その産物の一部をマルクスに捧げることでマルクスとその家族の生活を支える一方、自らも仕事の傍ら勉強に力を入れたとのこと、また、堂々とした体躯と奥深い知識と智慧で「将軍」などと呼ばれたりもしていたようですが(実際、軍事分野における造詣が深く、この分野の著作もあった)、ユーモアと社交性に富み、非常に魅力的な人物像であったようです。大内兵衛は本書で何度か、マルクス=エンゲルスの関係を「管鮑の交わり」と表現しています。
東ドイツ時代に建てられたマルクスとエンゲルスの銅像(ドイツ・ベルリン)

《読書MEMO》
●「告白」(ラウラからマルクスへの問いとマルクスの回答)(『人間マルクス』より)
最も高く評価する特質 ...... 一般には素朴、男性では力、女性では弱さ
性格の特徴 ...... 一貫した目的を追うこと
幸福とは ...... 闘うこと
不幸とは ...... 服従すること
最も赦しがちな欠点 ...... 軽信
最も嫌悪する欠点 ...... 奴隷根性
毛嫌いするもの ...... マーティン・タッパー ( 当時のイギリスの詩人 )
好きな仕事 ...... 古本屋あさり (あるいは本食い虫になること )
好きな詩人 ...... シェイクスピア、アイスキュロス、ゲーテ
好きな散文作家 ...... ディドロ
好きな英雄 ...... スパルタクス、ケプラー
好きなヒロイン ...... グレートヒェン ( ゲーテ『ファウスト』のヒロイン )
好きな花 ...... 月桂樹(laurel ... Laura=ラウラ)
好きな色 ...... 赤
好きな名 ...... ラウラ=ジェニー
好きな料理(Dish) ...... 魚(Fish)
好きな格言 ...... 人間に関することは何一つ私に無縁ではない(テレンティウス(ローマの劇作家)
好きな標語 ...... すべてを疑え

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「資本論」入門と言うより「宇野経済学」入門だが、それを理解するにはまたとないテキスト。

資本論の経済.JPG

       
  宇野弘蔵.jpg 宇野弘蔵(1897 - 1977/享年79)

資本論の経済学 (1969年) (岩波新書)』『資本論の経済学 (岩波新書 青版 B-67)

 かつてノーベル経済学賞候補にもその名が上がったというマルクス経済学者の宇野弘蔵(うの こうぞう、1897-1977/享年79)による、"「資本論」入門"―と言うより "「宇野経済学」入門"と呼んだ方が正しいと思われる本です。

 第1章「『資本論』の経済学」、第2章「マルクス経済学に特有な二つの用語「物神性」と「変態」について」、第3章「理論と実践―経済学と社会主義―」の全3章構成で、第1、第2章は著者が「岩波市民講座」で話した内容がベースになっており、3章は新たに書き下ろしたものですが、講義調で書かれていて、宇野弘蔵の著作の中ではとっつき易い入門書ではないかと思います。但し、それでも(難解で知られる?)「宇野経済学」ということもあって、個人的にも内容的に難解な点も少なからずありました。

 宇野経済学では、本書でも述べられていますが、『資本論』を読み解くにあたって、経済学を社会科学として確立することを目指し、社会主義イデオロギーを理論から排除しており、原理論であるところの『資本論』は資本主義経済の法則を解明するだけで、社会主義への移行の必然性を論証するものではないとしたわけです。このことによって宇野弘蔵は多くのマルクス主義者やマルクス主義経済学者から批判されることにもなりましたが、宇野学派と呼ばれる一派を形成することにもなりました。思うに、『資本論』自体が大方、資本主義経済を読み解くためのものとして読まれているようになって久しいことを考えると、こうした宇野弘蔵のスタンスは今日では強く拒絶されることはないのではないでしょうか。

 本書では第1章で、マルクス経済学の要約し、価値法則、人口法則、利潤率均等化の法則の資本主義の三大法則を解説(但し、何れも"宇野流"の見解を交えたものとなっている)、更に『資本論』との対比でレーニンの『帝国主義論』を取り上げ、『資本論』を原理論、『帝国主義論』を段階論として位置づけ、資本主義経済が19世紀の自由主義段階から20世紀の帝国主義段階に移行しても『資本論』は原理論としての有効性を失わないとしています。

 本書の約半分を占める第1章が、何と言っても本書の"読み所"でしょう。あとは、第3章で「理論」と「実践」を科学とイデオロギー(第2節)、経済学と社会主義(第3節)にそれぞれ置き換えて説明しており、この部分も宇野経済学の特質を端的に表す部分として"読み所"ではないでしょうか(第3章の第2節と第3節の終わり部分は密度が濃かった)。多少難解な部分もありますが、「宇野経済学」を理解するうえではまたとない入門書(乃至はテキスト)ではないかと思います。

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気鋭の経済学者による経済時評コラム。『21世紀の資本』での見解を裏付け、補完してくれる。

ピケティ 新・資本論m.jpgピケティ 新・資本論.png  ピケティ クローズアップ現代.png  ピケティ 21世紀の資本 - コピー.jpg
トマ・ピケティの新・資本論』('15年/日経BP社)/NHK「クローズアップ現代」21世紀の資本主義はどこヘ〜トマ・ピケティに問う〜(2015年2月2日放映)/『21世紀の資本』('14年/みすず書房)

 『21世紀の資本』('14年/みすず書房)で、格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何によって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は今後どうなるのか? といったことを 18世紀にまで遡る詳細なデータと明晰な理論によって解き明かしてブームを引き起こしたトマ・ピケティが、あの・サルトルが創刊した左派系日刊紙日刊紙「リベラシオン「に'04年から'14年までに連載した経済時評83本を1冊の本にしたものです(因みに、著者の直近のコラムは「朝日新聞」にも連載されている)。

パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義 第4回

 連載が始まったのは1971年生まれの著者が30代前半の頃になるわけで、著者が早くから気鋭の経済学者として政策に対する批判や提言を行っていたことが窺われ、また、当初から非常に歯切れのいい論調であったことが分かります。フランスの国内政策だけでなく、隣国のドイツやイギリス、その他ギリシャなどEU諸国、更にはアメリカなど他国の経済政策についても(加えて日本についても)、バッサバッサと斬りまくっているという感じで、読んでいて痛快で、いかにも、この人、人気出るだろうなあ、という感じがします。

 著者が織りなすそうした様々な議論や批判の中で、フランスとドイツの経済政策に関しては特に厳しく、当時の仏サルコジ政権と独メンケル政権に対する批判は強烈なものがあります。サルコジに対しては殆ど無能呼ばわりですが、'12年に社会党オランド政権に変わってからも厳しい見方は続いているなあと(一応筆者は、格差是正を説いていることもあって社会党の論客ということにされているようなのだが)。

 700ページの専門書である『21世紀の資本』に比べて、本書はコラム集であるということで、
 ●「資本主義は所詮、世襲財産で成り立っている」
 ●「ゲイツと比較すると、ジョブズの財産は6分の1。ゲイツはウィンドウズの上がりで食べている不労所得者」
 ●「ある水準以上になると、投資リターンにより資産は加速的に増大する。この不平等を食い止めるには、国際的な累進資産税を設けるべきだ」
等々、『21世紀の資本』に比べ身近な話題が取り上げられていて、気軽に読めます(『21世紀の資本』の3分の2の厚さだが、3分の1の時間で読める)。
                                NHK「クローズアップ現代」より
ピケティ21世紀の資本1.jpg 『21世紀の資本』では、この300年で所得格差よりも資産格差の拡大の方が早いスピードで進行しているということ(資本収益率(r)>経済成長率(g))を指摘し(但し、20世紀の戦争や大恐慌によって格差が一時的に緩和された時期があった)、1990年以降に行われたフランスの減税策について、この減税が大資産やランティエ(不労所得で生活する層)の再構築を許すことに繋がるとして強く反対していたわけですが、ここでは、何度もその具体名が出てきて、その代表格(つまりは「世襲資本主義」の象徴的人物)が、ロレアル相続人のリリアンヌ・ベタンクールです。

ピケティ21世紀の資本.jpg スティーブ・ジョブズが亡くなった月['11年10月]のコラムで、幾多のイノベーションを行ったジョブズの資産が80億ドルで、ウィンドウズの上がりで食べている不労所得者ビル・ゲイツ(筆者らしい表現)の資産の6分の1であることから、「競争原理には今なお改善の余地がある」としつつ、ジョブズの資産はゲイツに及ばないどころか、リリアンヌ・ベタンクールと比べても3分の1以下であるが、リリアンヌ・ベタンクールは一度も働いたことがなく、ただ父親から資産を受け継いだだけであるとしています。

 因みに、本書注によると、2013年にフランスの長者番付上位5人のうち、2位にロレアル相続人のリリアンヌ・ベタンクール、4位にエルメス相続人のベルトラン・ビュエッシュ、5位にダッソー・グループ相続人のセルジュ・ダッソーが入っているとのこと。筆者が憤りを込めて資産の再構築、富の再配分を説く背景には、こうしたフランスという国の事情もあるのかもしれないと思いました。『21世紀の資本』での著者の見解を、具体的な経済事象や政策分析によって裏付け、補完してくれる本であるとも言えます。

《読書MEMO》
●『21世紀の資本』より
ピケティ 21世紀の資本es.jpg●まとめよう。トップ十分位は常に二つのちがう世界を包含している。労働所得が明らかに優勢な「9パーセント」と、資本所得がだんだん(時期によって、その速度はかなり迅速で圧倒的だ)重要になる「1パーセント」だ。二つのグループ間は連続的に変化しているし、当然その境界ではかなりの出入りがあるが、それでもこの両者のちがいは明確だし体系的だ。たとえば資本所得は、「9パーセント」の所得の中で、もちろんゼロではないが、通常は主な所得源ではなく、単なる補完にすぎない。(中略)反対に、「1パーセント」では、労働所得のほうがだんだん補完的な役割になる。所得の主役は資本だ。(『21世紀の資本』291p)
●「9パーセント」と「1パーセント」がまったくちがう所得の流れを糧に生きていたことを理解する必要がある。「1パーセント」の所得のほとんどは、資本所得という形で入ってくる。なかでも、このグループの資産である株と債券の利子と配当による所得が大きい。(『21世紀の資本』295p)
●(米国の)格差拡大の大半は「1パーセント」に起因するもので、国民所得に占めるシェアは1970年代の9パーセントから2000~2010年には約20パーセントにまで上昇した――11ポイントの増加だ。(中略)トップ十分位に加わった15ポイントの国民所得のうち、約11ポイント、あるいは4分の3近くが、「1パーセント」の手に渡り、そのうちのおおよそ半分が「0.1パーセント」の懐に入っている。(『21世紀の資本』307~308p)
●日本とヨーロッパの他の国々における国民所得比で2、3ポイントの増大が所得格差の著しい増加を意味することはまちがいない。稼ぎ手のトップ1パーセントは平均よりも目に見えて大きな賃上げを経験している。(中略)フランスと日本では、トップ千分位のシェアは1980年代初めには国民所得のわずか1.5パーセントしかなかったものが2010年代初めには2.5パーセント近くまで増えている――ほぼ2倍近い増大だ。(中略)人口の0.1パーセントが国民所得の2パーセントを占めるということは、このグループの平均的個人が国平均の20倍の高所得を享受していることなのだ。10パーセントのシェアなら、平均所得の100倍の所得の享受を意味する。(中略)重要な事実は、大陸ヨーロッパと日本を含むすべての富裕国で、1990年から2010年にかけて、平均的個人の購買力が沈滞していたのに対し、上位0.1パーセントは購買力の著しい増加を享受したということだ。(『21世紀の資本』330~333p)
●最も裕福な1パーセント――45億人中4,500万人――は、1人当たり平均約300万ユーロを所有している。これは世界の富の平均の50倍、世界の富の総額の50パーセントに相当する。(『21世紀の資本』454p)

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忽然と消えた天才物理学者の謎を追う。レオナルド・シャーシャの古典的伝記に匹敵する面白さ。

マヨラナ.jpgJoão Magueijo.jpg    マヨラナの失踪.jpg レオナルド・シャーシャ.jpg
マヨラナ―消えた天才物理学者を追う』João Magueijo 『マヨラナの失踪―消えた若き天才物理学者の謎 (1976年)』Leonardo Sciascia

エットーレ・マヨラナ.png エットーレ・マヨラナ(Ettore Majorana、1906-1938?)はシチリア島カターニア出身の物理学者で、数学的な才能に溢れ、エンリコ・フェルミ率いるパニスペルナ研究所でその天賦の才を発揮、1933年に核力の理論として中性子と陽子の交換力(マヨラナ力)を考え、ニュートリノが実際に観測される25年も前にこの粒子の性質について考察していましたが、非社交的な性格で、1938年3月26日の夜、シチリア島のパレルモからナポリ行きの船に乗ったまま姿を消しています。

Ettore Majorana

 このエットーレ・マヨラナについては、今や古典的マヨラナ伝として定番も言える、レオナルド・シャーシャ(Leonardo Sciascia、1921-1989)著、千種堅(1930-2014)訳『マヨラナの失踪―消えた若き天才物理学者の謎』('76年/出帆社)をかなり以前に読んで、マッチ箱の切れ端や小さな紙切れに殴り書きしたような数式が実はノーベル賞級の理論発見でありながら、次の瞬間にはそれらを破り捨てていたという、こんな凄くて変わり者の天才物理学者がいて、しかもある日忽然と船の上から姿を消したということを知って驚いたものですが、その後、日本ではあまりこの人のことは取り上げられなかったのではないでしょうか(本国イタリアでは、しばしば"ミステリ・ドキュメンタリー"風のTV番組などで取り上げられるようだが)。 イタリアRAIのテレビ番組「Voyager」

A Brilliant Darkness_.jpg 本書(原題"A Brilliant Darkness" 2009)は、レオナルド・シャーシャによる伝記以来、久しぶりに邦訳されたマヨラナの伝記で、レオナルド・シャーシャ(シチリア島出身)が当時のイタリアを代表する文豪と呼んでいい作家であったのに対し、著者ジョアオ・マゲイジョ(João Magueijo)はポルトガルの宇宙物理学者で、初期宇宙では光速は現在よりも60桁以上早かったとする「光速変動理論」を唱えている現役バリバリの研究者です(この理論は、佐藤勝彦・東京大学名誉教授が提唱したことで氏がノーベル物理学賞候補と目されるようになった「インフレーション理論」と真っ向から対立する)。

 現役の物理学者による著書ということで、読む前は、専門知識の面では満足できるだろうけれど、レオナルド・シャーシャによる伝記ほど面白く読めるかどうかやや疑心暗鬼でしたが、読んでみたらシャーシャの伝記に匹敵するくらい面白かったという印象でしょうか(もともと天才の物語は面白いし、マヨラナはそうした中でも多くの興味深い謎を秘めている素材であるということはあるのだが)。著者は、まるで本職が伝記作家であるかのように、マヨラナの家系を調べたり、所縁(ゆかり)の生存者を訪ねて取材したりしており(しかも言葉の壁を乗り越えて)、シャーシャによる伝記を更に深耕したものと言えます(それにしても、作家並みの文才!)。

Ragazzi di via Panisperna.jpg 最初にマヨナラの失踪時の経緯を、最後に失踪後の経緯をもってきて、本編の大部分にあたる中間部分では、マヨラナの生い立ちから始まって、マヨナラと彼を巡る人々を取り上げ(必要に応じて様々な物理学理論の紹介もし)、それらが全体として、物理学分野で活躍した人々の立志伝、人物群像になっていますが、その中での様々なエピソードを通して、マヨナラがどれほど図抜けた天才だったか(フェルミなどは彼の頭脳に全くついていけなかった)、また、そうしたノーベル賞級の発見を数々成し得ながらもそれを自ら進んで公表しようとはしなかったその変人ぶりが浮き彫りにされています。

Ragazzi di via Panisperna(「パニスペルナ通りの青年たち」右端がフェルミ。孤独を好んだマヨラナは写っていない)

 但し、単に繊細な、或いは気難しい変人としてマヨラナを描くのではなく、彼がなぜそうした学界の主流に入っていかなかったのかについても著者なりの見方を示唆しており、マヨナラの失踪についても、イタリアのコミックで登場した"宇宙人による誘拐説"などを面白く紹介しながらも、独自の考察をしています。

 また、レオナルド・シャーシャの本と異なる点は、科学史上希代の物理学者と言われているエンリコ・フェルミが、本書ではマヨラナとの対比でかなり俗物っぽく描かれている点で、自らの研究所の一員であるマヨラナの、大発見とも言える成果を世に公表しようともせず、後に他の学者が公表すると、悔しがるでもなく、むしろ自分が公表する手間が省けたと喜ぶ様に、研究所のリーダーで功名心にはやるフェルミの方がイライラさせられたとありますが、競争の激しい研究分野では、フェルミのとった態度の方がむしろ自然だったと言えるかも(明らかにフェルミがマヨラナより劣っていたにしても)。

 レオナルド・シャーシャは、マヨナラ"自殺説"をほぼ堅い説としつつ、マヨラナは自らの天才を怖れていたのではないかとしていますが、本書の著者マゲイジョは、シャーシャの古典的伝記に敬意を払い、また共感を示しつつも(マゲイジョ自身もマヨナラをニュートン、アインシュタインと並ぶ三大天才の一人としている)、物理学が誤った方向に進んでいることに対する彼の懸念などを炙り出し(実際、多くの物理学者が核開発に協力し原子爆弾が誕生するという結果となった)、それが、彼が学界から距離を置き、遂には失踪することに繋がったのではないかとしているようです("自殺説"そのものを否定しているのではなく、自殺したとすれば、予め仕掛けておいたプログラムのようなものが何かのはずみで起動した結果ではないかとしているのは、シチリア島へ渡る船には乗っていたが帰りの船では消えてしまったということと考え合わせると、何となく説得力があるように思える。まあ一方で、最期に故郷を訪ね、それから自殺する「計画」をその通り遂行したととれなくもないが)。

I ragazzi di via Panisperna (1988).png エンリコ・フェルミが率いたエットーレ・マヨラナほかパニスペルナ研究所の若き研究者らは「ラガッツィ・ディ・ヴィア・パニスペルナ(Ragazzi di via Panisperna、パニスペルナ通りの青年たち)」と呼ばれ、ジャンニ・アメリオ監督によってそのままのタイトルで'88年に映画化されていますが、当然のことながら、フェルミではなくマヨナラを中心として描いた作品のようです。但し、アメリオ監督の作品の中でこの作品は、高村倉太郎(監修)『世界映画大事典』('08年/日本図書センター)で紹介されていましたが、残念ながら日本では公開されていないようです。
映画"Ragazzi di via Panisperna"
  (パニスペルナ通りの青年たち)('88年/伊)

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自身の良き師、善きメンターを持ったという経験が、後継を育てる姿勢に繋がっているのでは。

ニュートリノの夢 岩波ジュニア新書.jpgニュートリノの夢 (岩波ジュニア新書)梶田隆章 小柴昌俊1.jpg 梶田隆章氏(左)と小柴昌俊氏(右)(「産経新聞」(平成25年9月27日))
梶田隆章ノーベル賞3.jpg 2015年のノーベル物理学賞に、ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動を発見したとして梶田隆章・東京大学宇宙線研究所長が選ばれ、日本人の物理学賞の受賞は、前年の赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏に続いて11人目(外国籍の日本人含む)となりました。この内、素粒子研究の分野での受賞は、'49年の湯川秀樹、'65年の朝永振一郎、'02年の小柴昌俊氏、'08年の南部陽一郎氏(今年['15年]7月に満94歳で逝去)・小林誠氏・益川敏英氏の3氏同時受賞に次ぐ7人目で、日本人がこの分野に強いことを示していると言えますが、更にこれを「紙と鉛筆でできる」とも言われる「理論」と、大型の観測装置や加速器を使って理論を検証する「実験」の2分野に分けると、「実験」で今回の梶田氏の前にノーベル賞を貰っているのは、梶田氏の師にあたる小柴氏のみとなります。

スーパーカミオカンデの実験.jpg 本書は、その小柴氏の口述をベースに2009年1月から2月にかけて46回に渡って「東京新聞」に連載された「この道」を加筆・修正してまとめたもので、第1章で、小柴氏がノーベル賞を受賞する理由となった、カミオカンデにおける宇宙ニュートリノの検出の経緯が書かれ、第2章から第5章までで小柴氏の生い立ちやこれまでの研究人生の歩みが描かれています。そして、最終第6章で、スーパーカミオカンデの設置や平成基礎科学財団の設立、これからの夢について書かれていますが、この中に、今回の梶田氏のノーベル賞受賞の報道でしばしば取り上げられる、1998年に岐阜・高山市で行われたニュートリノ国際学会で、ニュートリノ振動の存在を実証したスーパーカミオカンデの観測結果を梶田氏が発表した際のことも書かれていて、梶田氏の講演が終わると、聴衆が立ち上がって「ブラボー」と叫んで拍手が沸き起こり、まるでオペラが終わったような騒ぎになったとあります(小柴氏は学会に来ていた南部陽一郎氏(小柴氏より5歳年上)とその晩食事を共にし、南部氏に「よかったねえ」と喜ばれたという)。この時点で小柴氏もまだノーベル賞を貰っていないわけですが、小柴氏が自らの受賞の時に、まだまだスーパーカミオカンデでの研究から日本人ノーベル受賞者が何人か出ると言っていたのは、その確信があっての発言であったことが窺えます。

「東京新聞」2015年10月7日

 その小柴氏のノーベル賞受賞の際に、大マゼラン星雲内で16万年前に起きた超新星爆発(天文学では「1987年2月に起きた」という言い方をするわけだが)で生じたニュートリノを、カミオカンデが出来た僅か4年後に捕まえることが出来たのは「実にラッキーだった」という見方もあったように思いますが、本書を読むと、宇宙ニュートリノの観測をしていたライバルの研究グループが世界に複数あって、チャンスはそれらに均等に訪れ、その中で、少ない予算で小さな装置しか持たなかった小柴氏率いる日本チームが最も早く正確に超新星ニュートリノを観測することに成功し、他グループはその追認に回ったこと、また、こうした少ない予算で外国との競争に勝つための独自の戦略が小柴氏のチームの側にあったこと分かりました。

小柴 昌俊.jpg その小柴氏ですが、本書を読むと、子どもの時から神童だったというわけではなく、何とか旧制第一高等学校に入ったものの一高時代も落ちこぼれで成績が悪くて、「小柴は成績が悪いから(東大へ進学しても)インド哲学科くらいしか入れない」と話す教師の雑談を聞いて一念発起し、寮の同室の同級生の朽津耕三氏(現・東京大学化学科名誉教授)を家庭教師に物理の猛勉強を始め東大物理学科へ入学したとのことです。

朝永振一郎.jpg こうした小柴氏を可愛がったのが朝永振一郎(1906-1979)で、2人ともバンカラぽくってウマが合ったというのもあったようですが(本書にある数々の師弟エピソードがどれも可笑しい)、やはり朝永振一郎という人は小柴氏の持つ"何か"を見抜いていたのだろうなあと思いました。本書は小柴氏自身によるものなので、どこを見込まれたのか分からないという書き方になっていますが、小柴氏自身、良き師、良きメンターを持つことの大切さを身をもって経験し、それが、氏の「後継を育てる」ことを重視する姿勢に繋がっているように思います。小柴氏の後継としてスーパーカミオカンデを率いた小柴・戸塚さんから梶田さん.jpg戸塚洋二 asahi.com.jpg戸塚洋二氏が'08年に満66歳で早逝した際は、これで実験グループの日本人のノーベル章受賞はやや遠のいたかに思えましたが、梶田氏という後継がしっかり育っていたということになります。

     「朝日新聞」(asahi.com)2008年7月11日

「読売新聞」(YOMIURI ONLINE)2015年10月7日

 その梶田氏は、出身大学は埼玉大学で、この人も普通の研究者のように見えて、実は尋常ならざる研究者「魂」の持ち主であるようですが、それを見抜いたのが小柴氏ではないかと思います。梶田氏は、今回の受賞インタビューで、「小柴組は徒弟制だと思う。先生は若手の育て方がうまかった。特別な才能で、それを受け継ぐことはできなのでは」と笑って語ったとのことです(「朝日新聞」2015年10月9日)。

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興味深いヤマメVSサクラマスの"逆転"の生態。但し本書は、擬人化を排した「専門書」的内容。

二つの顔をもつ魚 サクラマス.jpg ヤマメとサクラマス.jpg   やまめとさくらます 絵本.jpg
二つの顔をもつ魚 サクラマスー川に残る`山女魚'か海に降る`鱒'か。その謎にせまる! (ベルソーブックス043)
NHK「ダーウィンが来た!生きもの新伝説~どっちが得?ヤマメVSサクラマス」より 『やまめとさくらます

ヤマメとサクラマス1.jpg 渓流の女王"と呼ばれる「ヤマメ」と全長60センチにもなる「サクラマス」は姿も名前も異なりますが、実は全く同じ種類の魚であり、生まれた川で一生を送るものが「ヤマメ」となり、川から海に出て大きくなって、再び川に戻ってくるものが「サクラマス」になります。釣り人、特にトラウトファンならばそうした知識はあるのではないかと思いますが、そうした知識の有無に関わらず、昨年['14年]10月、NHKの「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」で「どっちが得?ヤマメVSサクラマス」としてその生態が紹介されたのを興味深く観た人は多かったのではないでしょうか。

やまめとさくらます 絵本1.jpg 本書は、そのサクラマスの生態を、より科学的・実証的な調査・研究から明らかにしたものです。これによると、一定の時期までに一定の大きさまでに育ったものがヤマメとなり、逆に降海型のスモルト(サクラマス)になるには、成長が大きすぎないことが条件になるようで、この辺りは大体「ダーウィンが来た!」での解説と同じでしょうか。但し、本書では成長が早かったか遅かったかで川に留まるか海に降りるかが決まるというようになっているのに対し、「ダーウィンが来た!」では、餌の獲得競争に勝った幼魚が川に留まり、劣勢だったものが海に降りるというような説明になっていました(ほぼ同じことか)。

 ここからの"逆転劇"はよく知られているところで、海に降りたものはやがて巨大なサクラマスとなって川を遡上し、雄が雌を獲得する繁殖でも圧倒的優位を得るわけですが、この逆転劇は、おくやまふみや(著)/あさりまゆみ(絵)の『やまめとさくらます』('09年/ポトス出版)という絵本にもなっていて、こちらは、「川にいたヤマメの中でいじめられた"弱虫"が海に下って大きくなって帰って来て、かつて川で自分をいじめたヤマメに再会するのだが仕返しはしない」という教訓的な「オチ」と言うか「流れ」になっているようです。

ヤマメ.jpg 一方で、「ダーウィンが来た!」では、サクラマスの繁殖行為に横から小さな体で割り込んで自分の子孫を残そうとするヤマメの"戦略"が映像で捉えられていたのが興味深かったです。〈適者生存〉の原理から言えば、ヤマメになったものとサクラマスになったものとでは、もともとヤマメになったものの方がより"適者"であったと言えなくもなく、この辺りは上手く出来ているのでしょう。

NHK「ダーウィンが来た!生きもの新伝説~どっちが得?ヤマメVSサクラマス」より

 「ベルソーブックス」は、日本水産学会の事業として刊行されたシリーズで、高校生や大学生、一般向けに分かり易く書かれているとは言え、ベースになっているのは専門的な学術研究の成果であり、本書も、サクラマスの亜種も含め、詳細な研究データが織り込まれており、個人的には、「専門書」に近い内容と言うか、思った以上に敷居が高かった印象も受けました。

 調査データは多岐に及んでいるのに対し、恣意的な解釈は排されており、これを読むと、「ダーウィンが来た!」でのサクラマスの生態の紹介のされ方は、絵本『やまめとさくらます』と本書の中間にあるような、やはり一般の関心を引くよう適度に"擬人化"されていた印象を、改めて受けなくもありません。何れにせよ、ヤマメとサクラマス、たいへん興味深い生態であると言えるかと思います。

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『世界の美しい透明な生き物』の第2弾? こちらの方が若干玄人好みか。

世界で一番美しいイカとタコの図鑑.jpg世界で一番美しいイカとタコの図鑑2.jpg                世界で一番美しいイカとタコの図鑑 ポケット版.jpg
世界で一番美しいイカとタコの図鑑』['14年] 『世界で一番美しいイカとタコの図鑑 愛蔵ポケット版』['15年]
世界で一番美しいイカとタコの図鑑3.jpg 同じ版元により前年に刊行された写真図鑑『世界の美しい透明な生き物』('13年/エクスナレッジ)が結構話題になって、本書は"二匹目のどじょう"を狙ったかにも見えますが、こうした写真集はすぐにでも刊行できるものではなく、丁度1年後の刊行となりました。

世界で一番美しいイカとタコの図ZZZ_.jpg 内容的にも拙速感は無く、前の『世界の美しい透明な生き物』のソフトカバーから今回はハードカバーになり、写真の充実度・美しさのレベルも前回同様に高く、イカ・タコに特化した分、こちらの方が若干は玄人好み(生物図鑑ファン(?)好み)かもしれません。

世界で一番美しいイカとタコの図ZZ_.jpg しかし、これだけ様々なイカ・タコの写真を網羅しながら、生きているダイオウイカの写真って本当に無いのだなあ(海辺に打ち上げられて死体となったものや漁網に掛かって瀕死の状態のものの写真はあるが)。NHKと国立科学博物館が共同プロジェクトで2009年に深海で撮影した映像写真が本書にも掲載されていますが、あれが、人類が普通の生息状態のダイオウイカと遭遇した初めての出来事だったようです(因みに。2004年、ダイオウイカの生きている姿を世界で初めて撮影したのは、本書の監修者である国立科学博物館標本資料センターの窪寺恒己氏)。

世界で一番美しいイカとタコの図Z_.jpg 本書にはダウオウイカのカラー魚拓(実物の1/6サイズ)が織り込みで付いていますが、今年['15年]8月、神戸の須磨海浜水族園の特設展で、ダウオウイカのスルメ(標本)を見ました。元の大きさがどれぐらいだったか分からないけれど、スルメにしてしまうと思いの外に小さくなってしまうようで、あまり迫力が感じられませんでした。

 『世界の美しい透明な生き物』同様、こちらも、今年['15年]7月には入手しやすい"愛蔵ポケット版"が刊行されています。但し、こちらも、サイズが小さくなっただけでなく、ページ数が4割ほど減っており、写真が一部割愛されているようです。

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「透明な生物」という切り口が面白い。写真が美しい。

世界の美しい透明な生き物1i.jpg 『世界の美しい透明な生き物』['13年] 世界の美しい透明な生き物 愛蔵版.jpg世界の美しい透明な生き物 愛蔵ポケット版』['15年]
世界の美しい透明な生き物Z_.jpg 写真によるいろいろな生物図鑑がありますが、「透明な生物」という切り口が面白いと思いました。そして、まず何よりも、使われている写真のどれもが美しいのが本書の魅力です。「透明」ということはイコール「生きている」ということなのだなあと改めて思わされました。

 「生物」と言うからには、動物は昆虫から微生物にまで及び、更には動物だけでなく植物も入ってくるわけで、そうした動植物のいろいろな取り合わせに新鮮味を覚えました。
世界の美しい透明な生き物ZZZ_.jpg
 透明と言えば、まずクラゲなどを想起しますが、クラゲは勿論のこと、それ以外にもタコやイカやナマコ、プランクトン、魚、カエル、更にはチョウなどの昆虫や花草類やキノコなどいった具合に、実に多種多様な「透明な生物」がいるのだなあと思わされました。

 体系的に整理されていないとの批判もあるようですが、子どもや一般の大人が見て楽しんだり、生き物の世界に興味を抱いたりするうえではこのレベルでいいのではないでしょうか。

世界の美しい透明な生き物ZZ_.jpg 口上によれば、「世界で唯一の透明生物図鑑」であるとのことで、書店でもそうした謳い文句で紹介されていた記憶があります。それなりの反響はあったようで、今年['15年]7月には入手しやすい"愛蔵ポケット版"が刊行されています。ただ、サイズが小さくなっただけでなく、ページ数にして3分の1以上減っているようです(写真が一部割愛されたようだ)。解説の活字の大きさの問題などもありますが、出来ればそのままの内容での縮小版にして欲しかった気もします。

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事件そのものの重さ、その背景にあるものの複雑さなどからいろいろと考えさせられる1冊。

ルポ 虐待2.jpg ルポ 虐待s.jpgルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

大阪二児置き去り死事件1.jpg 2010年夏、3歳の女児と1歳9カ月の男児の死体が、大阪市内のマンションで発見された。子どもたちは猛暑の中、服を脱ぎ、重なるようにして死んでいた。母親は、風俗店のマットヘルス嬢で、子どもを放置して男と遊び回り、その様子をSNSで紹介していた―。

 本書は新書にしては珍しく、この「大阪二児置き去り死事件」のみに絞ってその経緯と背景を追った(単行本型?)ルポルタージュです。事件発覚時にはその母親の行動から多くの批判が集まり、懲役30年という重い判決が下されて世間は溜飲を下げたかのように見えた事件ですが、本書では、なぜ2人の幼い子は命を落とさなければならなかったのかを、改めて深く探っています。

 その探求の特徴の1つは、母親の成育歴を、その両親の夫婦関係まで遡って調べ上げている点で、そこから、この母親自身が虐待(ネグレクト)を受けて育ったこと、その結果としての解離性障害と考えられる行動傾向が見られること、更には、加害女性が「女性は良き母親であるべき」という社会的規範に強く縛られていたことなどを導き出しています。

 こうした"解釈"については賛否があるとも思われ、このケースの場合、所謂"虐待の連鎖"に該当すると考えられますが、だからといってその罪が軽減されるものでもなく、また、他の虐待の事例において無暗に"虐待の連鎖"による説明を準用するべきものでもないと思います。更には、解離性障害についても、正常と異常の間に様々なレベルのスペクトラムがあり、また、母親が子どもを放置して男と遊び回っていたといったことが、そうした"障害"よってその罪を免れるものでもないでしょう。

 但し、本書を読むにつれて、この事件の背景には、母親個人の問題だけでなく、児童相談所の介入の失敗など(おそらくこの事例は事前に情報が殆どなく、児童相談所としてもどうしようもなかったのではないかとは思うが)、子ども達の危機的な状況を見抜けなかった行政機関の問題や、(離婚の原因が母親の浮気であったにせよ)殆ど親子を見捨てるような感じですらあった、離婚した父親及びその親族の問題などがあったことを知るこができました。

 とりわけ、裁判で父親側の遺族が母親に極刑を望んだというのは、虐待死事件において珍しいケースではないでしょうか。これまでの多くの虐待死事件では、遺族側も決して重い刑を望んではいないといった状況が大半で、家族間の殺人における卑属殺人は処罰感情の希薄さから刑が軽くなる傾向があったように思われ、一方、こうした加害女性本人と遺族側の対立というのはどちらかというと少数で、このこともこの事件の特徴をよく表しているように思います

 裁判では、検察側は、母親が最後に家を出た際に子ども2人の衰弱を目の当たりにしていたなどの点を挙げ、母親に殺意があったとして、無期懲役を求刑したのに対し、弁護側は「被告も育児放棄を受けた影響があった」として子どもに対する殺意はなく保護責任者遺棄致死罪に留まるとして、その主張には大きな隔たりがありましたが、結局、大阪地裁は、母親は子供に対する「未必の殺意」があったと認定、懲役30年の実刑判決を下し(本書にもある通り、二分した精神鑑定結果の"解離性障害"の方は採り上げなかった)、この判決及び判旨は最高裁まで変わることがありませんでした。

 個人的には、25歳の女性に懲役30年という判決は重いものの、被告はそれ相応の罪を犯したものと考えます。ただ、気になるのは、判決に応報感情が大きく反映されたのではないかという点であり(それは、判決によって事件を終わらせたいという遺族感情でもあるが、本書の狙いの1つは、被告個人に全てを押し付けてしまっていいのかという疑問の投げかけにあるように見える)、国家刑罰権は被害者(遺族)感情のみによって根拠づけられるものではないことは自明であるものの、実際にこの事件では、裁判官がより遺族感情に応えようとしたのではないかという気もします。

 逆の見方をすれば、今までの虐待死事件の判決が、逆の意味で「事件に蓋をしてしまおう」という遺族感情に応えてしまった結果、あまりにも軽いのではないかと―。勿論、量刑を重くすれば児童虐待が無くなるというものでもないでしょうが、全く抑止力にはならないとも言い切れないでしょうし、量刑の公平性の観点から見て、これまでの諸事件の初判決がおかしかったように感じます。

 教育機関や児童相談所の介入の失敗など例も、この事件に限らず、何度も繰り返されています。個人的には、児童虐待に特化したソーシャルワーカー制度を作って、プロを養成した方が良いように思います。米国などでは、ソーシャルワーカーのステイタス(社会的地位)は高く、その分、「介入」に失敗し、虐待やその再発を見抜けなかった場合は資格を失うなど(州によるが)、かなりのオブリゲーションを負っています。

 全体を通して真摯なルポであり、著者の見方の(主張と言うより、ルポを通じての問題提起となっているわけだが)その全てに賛同するというものでもないですが、これだけ調べ上げたというだけでも立派。事件そのものの重さもそうであるし、その背景にあるものの複雑さ、難しさからも、いろいろと考えさせられる1冊でした。

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憤慨し考えさせられた北関東の事件。2冊とも真摯なルポだった。

ルポ 居所不明児童.jpg  居所不明児童1.jpg FFN  ルポ 母子家庭.jpg
石川 結貴 『ルポ 居所不明児童: 消えた子どもたち (ちくま新書)』    小林 美希 『ルポ 母子家庭 (ちくま新書)

祖父母殺害2審.jpg 2014年春に北関東のアパートで祖父母を殺害して金品を奪ったとして強盗殺人などの罪に問われた少年(事件当時17)の控訴審で、東京高裁は今月['15年9月]4日、懲役15年とした地裁判決を支持し、弁護側の控訴を棄却、判決では「母親から少年に強盗殺人の指示があった」と認めたものの、「極めて重大な犯罪で、量刑を見直すには至らない」と指摘し、「刑が重すぎる」という弁護側の主張を退けました。この事件の経緯は本書 石川結貴『ルポ 居所不明児童―消えた子どもたち』('15年4月)に詳しく書かれています。

 少年は11歳から学校に通えず、一家で各所を転々としながらホームレス生活をする「居所不明児童」で、しかも義父から恒常的に虐待を受けており、母親と義父の指示で親戚に金銭を無心させられていて、高裁判決で裁判官も認定したように、母親が少年に(結果として事件と被害者となった)祖父母から「殺してでも借りてこい」と指示したとのことです。母親は老夫婦を殺害した公園で合流した少年に再び夫婦宅に行かせて現金約8万円やキャッシュカードを奪ったとのことです。本書によれば、母親は強盗・窃盗の罪で懲役4年6ヵ月の判決が確定して服役中で、息子の公判に証人として出廷した際には、「強盗殺人は私が指示したわけではないから、○○がどうしてそんなことをしたかわかりません」と他人事のように言ったとのこと。確かに、未成年ながらも2人を殺害した罪は重いですが、著者も判決に疑問を投げかけているように、相対的にみて母親の罪が軽すぎるように思いました。見方によっては、"主犯"は母親で、"実行犯"は息子であるというふうにも取れるのではないでしょうか(母親の罪が軽いのは刑法の落とし穴のように思える)。

 本書によれば、半世紀の間に2万4000人もの小中学生が学校や地域から消えているとのこと、本書では、冒頭の川口の少年のケースを初め、幾つかの「居所不明児童」に纏わる事件をリポートしていますが、往々にして児童虐待やネグレクトなどが「居所不明児童」の背景にあることが窺えます。

 一方で、そうした「居所不明児童」をチェックし、追いかけて、置かれている危機的状況から救い出すための行政の体制というものが、あまりに無策であることも、本書から窺い知ることができます。とりわけ、個人的にこれは問題だなと思ったのは、学校関係者が、児童が突然登校しなくなり、母子とも居所不明になっても、DVに遭ってシェルター(DV被害者の避難所)に入ったのだろうと勝手に推測して深く跡を追わなかったりすることで、近年、DV被害者が住民票を移さないまま居所のみを変えることが認められていて、児童がそれに付随している場合、新・旧居所の教員委員会はその情報を得ているが、元の学校には知らされていないとのことです。知らされていないから判らない、判らないから責任を負えないという学校側の言い分を許してしまうようなシステムに問題があると思われます。

 本書では、シングルマザーが育児放棄をするケースなどもリポートされていますが、これはDVの問題と併せて、同じ〈ちくま新書〉の小林美希『ルポ 母子家庭』('15年5月)で扱っているテーマに連なる問題でもあります。この本に出てくる何人かの女性たちは、生活のバランスが少しでも崩れると、瞬く間に再貧困になってしまい、望まぬ風俗で仕事したり、経済的な安定を求めて望まぬ再婚をしたりすることを繰り返しています。確かに、本書でも調査統計があるように、シングルマザーの場合、仕事に就くにあたって、子供がいるということで賃金が最初から抑えられる傾向にあり(その度合いは世界中で日本がダントツに高い)、社会の偏見や互助精神の欠如といったものを感じないわけにはいきません。しかし、一方で、『ルポ 母子家庭』では、自助努力と公助システムの活用などの組み合わせで、置かれている厳しい環境を乗り越え、健全に生活を成り立たせている母子家庭も紹介されています。高額歴または専門技能を持っていてそれなりの仕事につけて、お金で解決できる問題はお金で解決したとか、個々の条件の違いはあるかもしれませんが、全部を環境のせいにしてしまうのではなく、本人が努力することも大切であるし、母子家庭の育児をフォローし、子供の相対的貧困を減らす社会システムの整備、充実も今後もっと必要になってくるように思われました。

 個人的には、『ルポ 居所不明児童』を読んで、こんな鬼のような母親がいるのか、また、その犯した罪に対する罰がこの程度のものなのかと憤慨し、『ルポ 母子家庭』を読んで、妊娠が分かって姿をくらます男や結婚後は働かなくなる男など、こんな責任感ゼロ男がいるのかとまたも憤慨してしまいましたが、2冊とも真摯なルポであったように思います。

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好きな映画の話になると止まらないという感じの和田誠氏。マニアックぶりに圧倒される。

たかが映画じゃないか 単行本.jpgたかが映画じゃないか 単行本7.jpg  たかが映画じゃないか 文春文庫.jpg
たかが映画じゃないか (1978年)』『たかが映画じゃないか (文春文庫 (385‐1))

 映画評論家の山田宏一氏がホストになって、友人でイラストレーターの和田誠氏に映画について語ってもらうという企画で、タイトルは、アルフレッド・ヒッチコック監督が、将来"傑作"と呼ばれるようになる作品に出ることにこだわるイングリッド・バーグマンに言ったという、「イングリッド、たかが映画じゃないか」という言葉からとっています。

 対談は、和田誠氏の「キネマ旬報」での「お楽しみはこれからだ」の連載が一段落した際に行われたもので、それまでの連載は『お楽しみはこれからだ』('75年/文藝春秋)、『お楽しみはこれからだ PART2』('76年/文藝春秋)として単行本化されましたが、本書も、'78年にほぼ同じ体裁で単行本化されました。一段落していた連載を再開し、最終的には「PART7」までいった「お楽しみはこれからだ」は、和田誠氏の意向により文庫化されていませんが、こちらは文庫化されています('85年/文春文庫)。

 山田宏一氏が1938年生まれ、和田誠氏が1936年生まれと年齢も近いことからか、和田氏も「俺」言葉で話し、終始リラックスし、また終始"熱い"感じでもあります。冒頭、「スター・ウォーズ」('77年)や「未知との遭遇」('77年)の話がありますが、それぞれ日本での公開がこの対談の年('78年)ですから、つい最近観たばっかりという感じで話していて、山田宏一氏も、「未知との遭遇」の博士役が何故フランソワ・トリュフォーなのかとかを熱く語っています。

 この1冊だけで560本もの映画に触れているとのことで、もう少し若い人との対談だと、昔の映画のことは多少控えめに紹介する程度だったりする和田誠氏ですが、本書では、自分の好きな映画の話になるともう止まらないという感じです。「ジョルソン物語」('46年)、「虹を掴む男」('47年)、「天国への階段」('46年)あたりになると、話の中で名シーンを逐一再現してみせ、どこがポイントかという解説までついて、結果としてもの凄くマニアックになっています。「お楽しみはこれからだ」で、細かいセリフをよく覚えているものだと感心させられましたが、当然のことながら、映像的シチュエーションと全部セットになって脳裏に焼きついているのだと改めて思いました。

 画面が切り替わる際にどういった種類のワイプを用いたかまで覚えているのだからスゴイ。マニアックぶりに圧倒されてやや毒気に当てられた印象さえありましたが(自分が観ていない映画の話が結構あったということもある)、そうした中で、メル・ブルックス監督の「ヤング・フランケンシュタイン」('74年)を「粋だった」と評価しているのが個人的には嬉しかったです。そして、ここでも、字幕に表れなかったセリフのパロディの趣旨を解説してみせています。

 ジェーン・フォンダは和田誠氏のお気に入りの女優の一人なのだなあ。「バーバレラ」('62年)のことを、「スター・ウォーズ」をもっときれいで、しかもセクシーなところでやっているとは、凄い高評価! 山田宏一氏も、「いまリバイバルすればいいのにな」と言っていますが、実際にリバイバルされたのは、この対談が行われた15年後の1993年でした。勿論、「バーバレラ」のようなカルト的作品だけではなくて、「ひとりぼっちの青春」('69年)も良かったと和田氏は言っています(山田氏も、ジェーン・フォンダは「あれでカムバックしたわけだ」と言っている)。個人的も好きな作品なので、これもまた嬉しく思いました。

YOUNG FRANKENSTEN.jpgヤング・フランケンシュタイン.gif「ヤング・フランケンシュタイン」●原題:YOUNG FRANKENSTEN●制作年:1975年●制作国:アメリカ●監督:メル・ブルックス●製作:マイケル・グラスコフ●脚本:ジーン・ワイルダー/メル・ブルックス●撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド●音楽:ジョン・モリス●原作:メアリー・シェリイ●時間:108分●出演:ジーン・ワイルダー/ピーター・ボイル/マーティ・フェルドマン/テリー・ガー/ジーン・ハックマン●日本公開:1975/10●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:飯田橋ギンレイホール (78-12-14) (評価:★★★★)●併映:「サイレントムービー」(メル・ブルックス)ヤング・フランケンシュタイン HDリマスター版 [DVD]

バーバレラ [DVD].jpgBARBARELLA.jpg「バーバレラ」●原題:BARBARELLA●制作年:1968年●制作国:イタリア/フランス●監督:ロジェ・ヴァディム●製作:ディノ・デ・ラウレンティス●脚本:ジャン=クロード・フォレ/クロード・ブリュレ/クレメント・ウッド/テリー・サザーン/ロジェ・ヴァディム/ヴィットーリオ・ボニチェッリ/ブライアン・デガス/テューダー・ゲイツ●撮影:クロード・ルノワール●音楽:チャールズ・フォックス●原作:ジャン=クロード・フォレスト 「バーバレラ」●時間:98分●出演:ジェーン・フォンダ/ジョン・フィリップ・ロー/アニタ・パレンバーグ/ミロ・オーシャ●日本公開:1968/10●発売元:パラマウント(評価★★★) 「バーバレラ [DVD]

ひとりぼっちの青春1.png「ひとりぼっちの青春」●原題:THEY SHOOT HOURSES,DON'T THEY?●制作年:1969年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ポラック●音楽:ジョン・グリーン●原作:ホレース・マッコイ 「彼らは廃馬を撃つ」●時ひとりぼっちの青春.jpg間:133分●出演:ジェーン・フォンダ/マイケル・サラザン/スザンナ・ヨーク/ギグ・ヤング●日本公開:1970/12●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:三鷹東映(78-01-17) (評価★★★★☆)●併映:「草原の輝き」(エリア・カザン)/「ジョンとメリー」(ピーター・イェイツ)
ひとりぼっちの青春 [DVD]

【1985年文庫化[文春文庫]】

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小津の映画に対する姿勢や、小津を師と仰いだ笠智衆の気持ちが伝わって来て良かった。

大船日記4.jpg小津安二郎先生の思い出.jpg小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)

大船日記―小津安二郎先生の思い出』 
 笠智衆(1904-1993/享年88)のことを、生涯を通じて"大根役者"だったという人もいますが、確かにそういう見方も成り立つような気もします。その"大根"を逆手に取ったのが小津安二郎監督だったのかも。"演技派"などという言葉とは縁のない、素朴で味わいのある人間像を笠智衆という役者から引き出し、世間をして彼のことを"偉大なる大根役者"と言わしめたのは、ある意味、小津の戦略が功を奏した結果であったようにも思います。

 本書はその笠智衆が小津安二郎の思い出を"書き下ろし"ならぬ"語り下ろしたもので、笠智衆が亡くなる2年前に刊行され、'07年に文庫化されています。笠智衆自身によるあとがきがありますが、本が出来上がるまで1年近くかかったとありますから、編集者は粘り強く、笠智衆の後半生の住み家のあった大船に通ったことになります。

 笠智衆はそのあとがきで、自分は台詞以外のことを喋るのは不得手で、編集者は苦労したのではないかというようなことを述べていますが、一度、NHKのフィルムアーカイブか何かで笠智衆のインタビューがあったのを観た時は、本書にもある、笠智衆が小津安二郎に重用され始めた頃、松竹の城戸四郎社長に「君は小津くんに可愛がられておかしなことになってるね」と言われたのが、山田洋次監督の「家族」('70年)に出た時は、同じ城戸社長に、「良かったよ」と言われたという話(この時初めて城戸社長から褒められたとのこと)と全く同じを、映画の台詞を話すような笠智衆独特のトーンで話していました。

 こちらが「この人、もしかして"大根"じゃないかな」と思ったりする前に、自らが、自分は演技が下手で、小津安二郎監督から最もダメを出された俳優であると言っており、そうした話が何度も出てくるので、却って愛着を持ってしまうというか...。因みに、笠智衆にとっての「憧れの一発OK組」は新劇の俳優に多かったらしく、その代表格は杉村春子だったそうです(確かに抜群に上手かったと思う)。男優では佐分利信が一番で、NGが多かったのは、佐野周二、三井弘次、佐田啓二だったけれども、何れも小津先生と親しかったから先生が言いやすかったのだろうと。それに対し、自分はそれほど先生とは親しくなかったので、単にダメだったのだろうと、とことん謙虚。ここまで謙虚だと、"大根"じゃないかと思っても貶せなくなり、その内、実は本当は"上手い"ということにるのかなと思ったりもするから不思議です。

 小津映画の撮影に纏わる話も興味深く、「若き日」('29年)では、赤倉のロケでスキー場に1週間ほど行ったが、出番が殆ど無くて、スキーだけ上手くなって帰ってきたとのこと、スキー初心者だったのが、1週間の撮影が終わって帰る頃にはスキーの腕前も上達し、山の上から駅まで滑って帰ったとのことです。

笠智衆(当時25歳) in 「学生ロマンス 若き日」('29年)
             
大人の見る繪本 生れてはみたけれど 笠智衆.jpg 「生まれてはみたけれど」('32年)にも16ミリを映写する役でちょっとだけ出ていますが、NHKで放送されたものでは、自分の出演場面に「笠智衆」と出て、却って恥ずかしかったというのが可笑しいです(実際の映画では、タイトルロールに出てくる16名の出演者名の中に笠智衆の名は無く、ノンクレジット出演だった)。

「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」('32年)
                      

父ありき%200.png 初めて主役を演じたのは「父ありき」('42年)で、笠智衆の長男・徹氏による文庫あとがきによれば、本書の中にある「私の代表作は『東京物語』です」という言葉は笠智衆の晩年の心境で、実はずーっとこの「父ありき」が好きだったようです(大部屋俳優の時期が長かっただけに、初主演作にはそれだけ思い入れがあったのかも)。

「父ありき」('42年)
                     
晩春 曾宮周吉2.jpg 小津安二郎の演出に対して「先生、それは出来ません」と答えた唯一のケースが、「晩春」('49年)のラストでの〈慟哭シーン〉だったことはよく知られていますが、主人公の笠智衆は、娘・原節子を嫁にやった日の夜、一人自宅でリンゴの皮を剥き、そこで<慟哭する>というのが小津監督の要求で、その時は、そこで<慟哭する>のは"なんぼ考えてもおかしい"と思ってそう言ったようですが、今考えるとやるべきだった、監督の言ったことはどんなことでもやるのが俳優の仕事だと言っているのが興味深いです(批評家に「眠っているみたいだ」と評されて憤りを感じたといったことも関係しているのか)。
「晩春」('49年)
秋刀魚の味 東野.jpg また。「晩春」では、小料理屋でビールを飲むシーンで、本物のビールを飲んでしまい顔が真っ赤になって撮影が中断したというのも面白いです。それ以降、ビールを飲むシーンでは、笠智衆だけ麦茶を飲んでいるそうです(日本酒を飲むシーンは水を飲んでいたのか。本書によれば、中村伸郎が酒が好きで、そのため小津は本物の酒を用意したそうな。東野英治郎については、演技が上手いとは書いてあるが、本当に酔っぱらっていたとは書いてない)。

「秋刀魚の味」('62年)

 舞台裏の話も面白いですが、そうした話を通して、小津安二郎の映画づくりや俳優に対する姿勢が窺えるとともに、その小津を師と仰いだ笠智衆の気持ちなどが伝わって来て、なかなか良かったです。編集者の力なのか、笠智衆がそもそも語りが上手(ヘタウマ?)なのかよく判りませんが、NHK(?)の過去のインタビュー映像をちらったと観た感じでは、意外と後者のような気もします(笠智衆のインタビューは、本書の中でこの映画に出られたのも小津先生のお蔭と笠智衆が述べている、ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画「東京画(Tokyo-Ga)」('85年)の中でも観ることが出来る) 。

Wenders and Chisyu Ryu from "TOKYO-GA(東京画)"

【2007年文庫化[朝日文庫(『小津安二郎先生の思い出』』)]】

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世界遺産となったインカ道。更にスケールが大きくなった著者のインカ探訪。

カラー版インカ帝国.jpg 『カラー版 インカ帝国―大街道を行く (中公新書)』['13年] マチュピチュ 天空の聖殿.jpgカラー版 マチュピチュ―天空の聖殿 (中公新書)』['09年]

 同じく中公新書にある著者の『カラー版 アマゾンの森と川を行く』('08年)、『カラー版 マチュピチュ―天空の聖殿』('09年)に続く第3弾で、この後『カラー版 新大陸が生んだ食物―トウモロコシ・ジャガイモ・トウガラシ』('15年)という近著が中公新書にありますが、とりあえず前著『カラー版 マチュピチュ』が良かったので、本書を手にしました。

 インカ道を歩くという意味では、岩波新書にある『カラー版 インカを歩く』('01年)に近い感じもしますが、それから12年、今回スケールはぐっと大きくなって、北はコロンビア南端、南はチリ、アルゼンチン中部まで、総延長3万キロにも及ぶカパック・ニャンと称される、帝国が張り巡らせた王道をフィーチャーしています(因みに「インカ道」は、本書刊行の翌年['14年]。にユネスコ世界遺産に認定されている)。

 海岸地方の砂漠や鬱蒼とした森林地帯、荒涼たる原野などを街道が貫いている様は壮大で、且つ、古代へのロマンを感じさせます(インカ道が"舗装"されたのは15世紀頃)。また、こんな場所に石畳や石垣でもってよく道を引いたものだという驚きもありました。著者は、実際にそうした街道を自ら歩いて、マチュピチュをはじめとした街道沿いの遺跡や、谷間に刻まれた大昔に作られ現在も使われている段々畑、その他多くの美しい自然の風景などをカメラに収めているわけですが、今もそうした道を歩けるというのもスゴイと思われ、広大なインカが求心力を保った「帝国」と足りえたのは、まさにこの「街道」のお蔭ではなかったのかと思ったりもしました("インカ"という言葉そのものが「帝国」という意味であるようだが)。

 巻頭にインカ道の地図がありますが、難を言えば、あまりにスケールが大きすぎて、文章を読んでいて今どの辺りのことを言っているのかがやや把握しづらかった箇所もあったので、もう少し地図があってもいいように思いました。また、インカの歴史などは、もう少し図や年譜を用いた解説があってもよいように思いましたが、新書という限られた枠の中で、写真の方を優先させたのでしょうか。実際、小さな写真にも美しいものがありました。

 文章も美しく、格調が高いように思われ、この人、写真家と言うより、だんだん学者みたいになっていくなあという印象も持ちましたが、実際に自分でインカ道を歩き、写真を撮っているという意味では、やはり写真家なのだろなあ。

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南半球の砂漠に1年の一時期だけ姿を現す見渡す限りの花園。写真も文章も楽しめる。

カラー版 世界の四大花園を行く.jpgカラー版 世界の四大花園を行く―砂漠が生み出す奇跡 (中公新書 2182)』['12年]

パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地.jpg 同じく中公新書にある著者の前著『カラー版 パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地』('11年)がすごく良くて、今南米旅行はパタゴニアに行くのが流行りとなっていますが、その火付け役となったのではないかと思われるくらい当地の魅力を伝えていたように思いました。そして、その翌年('12年)に刊行された本書もAmazon.comのレビューなどを見ると高評価であり、今度は秘境に花園を見に行く旅が流行るのかと思ったりもしましたが、まだそこまではいっていないか。
カラー版 パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地 (中公新書)』['11年]

 世界の「四大花園」に該当するものが何処にあるか議論はあるかもしれませんが、著者が巡った(著者が言うところの)「四大花園」とは、南米のペルー、南アフリカのナマクワランド、西オーストラリアのパース周辺、チリの4つの地域にあり、何れも南半球にあって、通常は砂漠地帯であって、それが春など1年のある一時期だけ姿を現し、見渡す限りの花園になるといった特徴があります。

 咲いている花も、何となく日本の高山植物にもありそうなものから、いかにも南半球の固有種らしい特徴的なものまで多種多様で、風景なども併せ、それら250点以上の豊富で美しい写真が200ページほどの新書にてんこ盛りに盛り込まれています。従って、写真だけ観ていても楽しいのですが、この著者が文章の面でも優れた素質を持っていることは、既に前著『パタゴニアを行く』で個人的には確認済みです。写真を撮るだけでなく、その土地の人々との触れ合いなども描かれている点も前著からの引き続きであり、文章も楽しめました。

 著者はまずペルーの季節限定で表れる花園に驚嘆し、その地で「ここよりもすごい花園が南アフリカにあるみただぞ」といった話を聞きつけて南アフリカに向かうと言った感じで、読んでいる方もわくわくさせられます。

カラー版 世界の四大花園を行く2.jpg 4つの花園の中では、甘い香りを振りまくという瑠璃色の花が大地を埋め尽くすペルーの花園も、オーストラリアの1万2000種もの植物が爆発的に花開く花園も、真紅の花が断崖絶壁に咲き誇るチリの花園もそれぞれが魅力的ですが、個人的にはやはり、南アフリカのナマクワランドの600キロにも及ぶ花道が圧巻でしょうか。花々も何か個性的な印象を与えるものが多いように感じました。

 南米パタゴニアの魅力に憑りつかれ南米チリに移住した著者。今度は、南アフリカのナマクワランドの魅力に憑りつかれ、2011年にこの地に移住して写真を撮り続けたとのこと。その後も各地を転々としており、その様子は著者の公式ホームページ「地球の息吹」で知ることが出来ます。大体活動範囲は南半球が多いようですが、南極に行ったりエチオピアに行ったりと、或いは北欧に行ったり東南アジアに入ったりと、う~ん、なかなかアクティブだなあ。

南アフリカ・ナマクワランド
本書表紙となった地点から撮った写真(著者ホームページより)

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世界史上の先人らの生きざまに思いを馳せる本とでも言うべきか。

世界史の叡智.jpg 世界史の叡智2.jpg世界史の叡智 - 勇気、寛容、先見性の51人に学ぶ (中公新書)』『世界史の叡智 悪役・名脇役篇 - 辣腕、無私、洞察力の51人に学ぶ (中公新書)

 著者は東京大学名誉教授で、『ローマ人の愛と性』『馬の世界史』(何れも講談社現代新書)など一般向け著書も多い歴史学者(ローマ史)。本書は、古今東西の歴史上の人物についてその功績や人生、エピソードなどをエッセイ風に紹介したもので、2012年4月から週1回のペースで2年間に渡り「産経新聞」に連載されたものを(連載時のタイトルは「世界史の遺風」)、それぞれ前半と後半の51人ずつが終わった段階で新書化したものです。

 連載の後半部分を纏めた方には「悪役・名脇役」とありますが、前半にも"脇役"級は出てくるし、後半の方にも"主役"級は出てくるので、あまりこのサブタイトルは関係無かったかな。それにしても、著者はローマ史が専門ですが、古今東西、歴史上の人物を幅広く取り上げていることには感心します。西洋に限らず東洋も、更には東洋でも中国や日本に限らず、例えばアジア諸国で言えば、インド、ベトナム、フィリピンなどの歴史上の人物を取り上げています。

 なかなか頭には残らないかもしれませんが、読んでいてそこそこ楽しかったです。各冊の中で、連載で取り上げた順からその人物の歴史上の登場順に並べ変えてあってあって、体系的とまでは言えませんが、歴史の流れの中で読み進むことが出来るようになっています(途中で世界史地図を開きたくなる場面があったかなあ)。

 一方で、エッセイ風ということで、執筆時の政局時評なども枕や結語に織り込まれていて、最初はちょっと邪魔な感じもしましたが、慣れてくると、書かれて時の時局が窺えるのもそう悪くないかなあとも。大した時評でもないのですが(失礼)、これが新聞連載であったことを思い起こさせるうえで多少のシズル感はありました。

 "主役"級の知らざれざるエピソードも悪くないですが、殆ど名前しか聞いたことのないような、或いは存在自体を初めて知る"脇役"的人物のエピソードもなかなか楽しいです。但し、そうした中には歴史的ポジショニングが3ぺージ半程度の文章の中で充分に掴み切れない人物もいて、これは自らの知識の無さによるものでしょうが、さりげなく読者を選んでいるような印象も。

 殆どの人物解説においてその人物の肖像画やポートレートを掲載しているのは親切です。それぞれのまえがきが、51人の名前を織り込んで世界史を俯瞰する文章になっているのは、やや強引なところもありましたが、これが一番苦心したのではないかなと思ってしまいました。

 世界史の試験に絶対出なさそうな人が結構多いし、それだけに、読んで他人に薀蓄を垂れるようなものでもなく、一人、世界史上の先人らの生きざまに思いを馳せる本とでも言うべきでしょうか。

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基本的には黒澤和子氏の著作であり、新書化によってそのことがよりはっきりした。

黒澤明 夢は天才である.jpg 黒澤明―生誕100年総特集.jpg黒澤明の選んだ100本の映画.jpg黒澤明が選んだ100本の映画 (文春新書)』〔'14年〕
黒澤明―生誕100年総特集 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)』〔'10年/KAWADE夢ムック〕
黒沢明「夢は天才である」』〔'99年〕

 黒澤明(1910-98)が自ら選んだ100本の映画作品にコメントしたものを、黒澤明の長女である著者が集めた、本書のオリジナル「黒澤明が選んだ100本の映画」は、黒澤明が亡くなった翌年の'99年の「文藝春秋」4月号に掲載され、同年に単行本化された『夢は天才である』('99年/文藝春秋)に収録され、更に『文藝別冊 黒澤明―生誕100年総特集』('10年/KAWADE夢ムック)にも再録されています。

 今回の新書化にあたっては、黒澤明の映画に対するコメントはそのままにして、著者が父・黒澤明から聞いていたことを新たに添え書きし、各作品のストーリーやデータを加え、スチール写真も併せて掲載しています。「黒澤明が選んだ100本の映画」の部分に特化して新書化しており、読み易いことは読み易いし、 "KAWADE夢ムック"版に比べ入手し易くなった点では有難いけれど、あまりにさらっと読めてしまって、ややもの足りない印象も受けます。

 監督1人につき1作品に限定しており、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男などの日本映画作品も入っていますが、8割方は外国映画です。1910年代の作品から90年代の作品までありますが、一番多いのは50年代(18本)、60年代(16本)、70年代(16本)、80年代(21本)辺りで、一般的に映画ファンにお馴染みの作品が多く、例えば50年代の外国映画であれば、「道」「大地のうた」「大人は判ってくれない」「勝手にしやがれ」など、よく知られている名匠・巨匠の作品をカバーしています。

 ただ、この100本が、黒澤明が選んだ「ベスト100」かと言うと、必ずしもそうではないようで、あくまで著者の黒澤和子氏が選んだものであるようです(タイトルからは黒澤明がベスト100を選んだようにもとれるが)。また、コメントの中に、父が娘に映画について語る際のそうした状況的要素、或いは娘が父の言葉を思い出す際の懐かしさを込めた要素というのも含まれているように思われ、特に後から書き加えられた部分は、黒澤明の没後10数年も経てのものであるため、資料的価値という点でどうかなという気もします。

 黒澤からファンとしてその影響を受けたジョージ・ルーカス(1944年生まれ)や、「」('90年)をプロデュースしたスティーヴン・スピルバーグ(1946年生まれ)、その「夢」に出演したマーティン・スコセッシ(1942年生まれ)のうち、取り上げられているのは黒澤が年下ながら敬愛していたというマーティン・スコセッシの作品のみで、それも「キング・オブ・コメディ」('83年)を取り上げているのが興味深いですが、こうした取捨選択が純粋に黒澤自身によるものなのか、著者である和子氏によるもの(芸術映画指向?)であるのかがよく判らないというのが、やや引っ掛かりました。

 そうした前提条件の不確かさをとりあえず置いておくならば、黒澤が自分と全く作風の異なる監督の映画を結構褒めている点が興味深かったですが、そうした中で、ウディ・アレンについて、「すごいインテリだなという感じがして、㒒の映画は単純だから嫌いだろうと思ていた」ら、「リチャード・ギアがアレンはボクのファンだと教えてくれて、うれしかった」という話は微笑ましく感じました(作風の異なる監督からファンだと言われると尚更のこと強く嬉しさを感じるのか?)。

 基本的には黒澤和子氏の著作であり、新書化によってそのことがよりはっきりしたとも言えるかも。

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深海生物の魅力を多くの人に知ってほしいという著者の熱い思いが伝わってくる本。

深海生物 捕った、育てた、判った!.jpg
石垣 幸二 氏.jpg 石垣幸二氏 沼津 深海水族館.jpg 沼津深海水族館
深海生物 捕った、育てた、判った!: "世界唯一の深海水族館"館長が初めて明かす (小学館101ビジュアル新書)

 版元による本書の紹介文によれば、「著者の石垣幸二さんは、世界にも類のない深海水族館『沼津港深海水族館』の館長であり、一方で、世界中の水族館や研究施設からの依頼で希少な海洋生物を納入している"海の手配師"としても活躍しています。自分で捕獲し、飼育・観察し、水族館での展示の工夫まで考えているのです。本書では、その石垣さんが実際に捕獲し、観察しているからこそ判った深海生物の不思議な生態や、飼育・展示の苦労話などを余すところなく語り尽くします。深海生物のカラー写真もたくさん掲載しました」とのとです。

 3章構成の第1章「知れば知るほどおもしろい深海生物の魅力」は、その深海生物の紹介ですが、著者らが捕ったり生育したりした中で判ったことや苦労したことなども交えて書かれていて、シズル感がありました。それと、版元の紹介文にもある通り、写真が豊富で、取り上げた深海生物のほぼ全てに(よそから借りてきたものも含め)写真があり、これはやはりその生き物を知る上で大きいと思いました。

 深海水族館のある沼津市が面している駿河湾というのは、すぐ近くに水深200メートルの漁場もあれば水深600メートルの深海もあるという、世界でもここしかないという場所なのだなあ。それぞれの深海生物の解説も興味深く、提灯アンコウのオスはメスに噛みついて、最後はメスの体の一部となってしまうとか、海綿の1種でカイロウドウケツというメッシュ状に編まれた駕籠のような生き物は、その中にドウケツエビの幼体が入り込んで最後、雌雄1ペアだけが残って成長して出られなくなり、そのままその中で一生を送るとか...(カイロウドウケツが"偕老同穴"なのではなくてドウケツエビが"偕老同穴"なのだなあ)。

 第2章「『海の手配師』」は忙しい」は、著者が、日本大学国際関係学部卒業後、一般企業で営業マンとして活躍するも、少年時代に親しんだ海への想いを捨てきれず、潜水士として水産会社に転職し、2000年に海洋生物の生体供給会社「ブルーコーナー」を設立、"海の手配師"として世界各国の水族館、博物館、大学に海洋生物を納入し、2004年の横浜中華街「よしもとおもしろ水族館」(現ヨコハマおもしろ水族館)オープンに参画、2011年に「沼津港深海水族館」の館長になるまでを綴っており、これも版元の紹介文を引用させてもらうと、「漁の際に船を出してくれる漁師さんたちとの付き合い方、世界一のサプライヤー(生体供給業者)を目指すきっかけになった人との出会い、採算を度外視してでも誠実に仕事をして信頼を得る、捕ることよりも実は搬送のほうが難しい...深海ビジネスを初めて成功させた男といわれる石垣さんの仕事への真摯な取り組み方は、ビジネス書としても一読の価値があります」とあって、まさにその通りだと思った次第です。読んで爽やかな印象が残る章でした。

 巻末付録的な第3部「読む深海生物図鑑」も、点数を絞り込んで、その生態を詳しく解説しており、全体を通して、深海生物の魅力を多くの人に知ってほしいという著者の熱い思いが伝わってくる本でした。「捕った、育った、判った!」の「!」に誇張は感じられず、お薦めです。

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終わりが無い福島第一原発事故の検証。これを読むと原発はやめた方がいいと思わざるを得ない。

福島第一原発事故 7つの謎0.jpg福島第一原発事故 7つの謎1.jpg福島第一原発事故 7つの謎 (講談社現代新書)』['15年]

福島第一原発事故 7つの謎2.png NHKスペシャルのメルトダウンシリーズとして5つの番組を放送してきた取材班が、取材の過程で新たな証言等を得ることで、それまでわかった気でいた事実関係の確度が怪しくなり、新たな謎として立ちはだかってきたとして、その主だったものを7つ取り上げて、章ごとに検証と考察を行っています。

 まず第1章で、事故当初の3月11日、1号機の非常用冷却装置が、津波直後から動いていなかったことに、なぜ気づかなかったのかに迫り、吉田所長らは、冷却装置が止まっていることに気がつくチャンスを難度も見逃しており、なぜ、チャンスは見過ごされたのかを探っています。

 第2章では、翌12日、メルトダウンした1号機の危機を回避するためのベントが、なぜ長時間できなかったのか、その謎を解き明かし、第3章では、「1号機のベントは成功した」というのが確定した事実であったにも関わらず、吉田所長は生前に「自分は今になっても、ベントができたかどうか自信がない」という言葉を遺しており、吉田所長のこの謎の言葉をきっかけに、1号機のベントを徹底検証した結果、浮かび上がってきた新たな事実を伝えています。

福島原発   .jpg 第4章では、なぜ爆発しなかった2号機で大量の放射性物質の放出があったのか、第5章では、3号機への消防車の注水がなぜメルトダウンを防ぐ役割を果たせなかったのか、消防車が送り込んだ400トンの水はどこに消えたのか、第6章では、2号機のSR弁と呼ばれる緊急時の減圧装置がなぜ動かなかったのかについて、そして最終第7章では、「最後の砦」とされていた格納容器が壊れたのはなぜか、原発内部の最新の調査結果にメスを入れています。

 時間を経て明らかになった意外な事実もあれば、まだ真相がよく判らない部分もあり、言えることは、1号機から3号機までそれぞれにおいて、異なる不測の事態が複数いっぺんに起きたということであり、今回の福島第一原発事故から多くの教訓を学んで今後の不測の事態に対処するというのが電力会社各社のスタンスですが、今回の事故でこれだけ対応しきれなくて、実際今度は別の原発で同様の事故が起きた場合、今回と同じように全く"経験"の無い所員や技術者たちが、知識だけで万全の対処が可能なのか大いに疑問です。

 本書を読むと、福島第一原発事故の検証には終わりが無いような気もします。そもそも、福島第一原発事故における、1号機から3号機までそれぞれにおいて起きた事態の多様性もさることながら、今度どこかで原発が被災した際に、その何れかと同じような事態が生じる可能性もあれば、それらとは全く異なる、新たな不測の事態が生じる可能性も大いに孕んでいるように思われ、電力会社がそれらに完璧に対応し切れるというイメージは湧きにくいなあと。やはり原発はやめた方がいいと思わざるを得ませんでした。

再稼働の川内原発.jpg国内の原発としては1年11か月ぶりに再稼働した鹿児島県の川内原発1号機〔NHKニュースウェブ・2015(平成27)年8月13日〕

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新人の要件は「若者でバカ者でよそ者」、芥川賞のキーワードは「顰蹙」か。

芥川賞の謎を解く.jpg芥川賞の謎を解く2.jpg
 
第79回(昭和53年上半期)の芥川賞選考委員会。左端から大江健三郎、開高健、安岡章太郎、丹羽文雄、瀧井孝作、中村光夫、井上靖、吉行淳之介、遠藤周作、丸谷才一の各選考委員。
芥川賞の謎を解く 全選評完全読破 (文春新書)

又吉直樹 芥川賞受賞.jpg 芥川賞の第1回から今日まで(第152回まで)の全ての選評を読み直して振り返ったもので、文春新書らしい企画的内容ですが、著者は読売新聞の文化記者です。因みに、最近話題になった人気芸人の又吉直樹氏の『火花』による受賞は、本書刊行の1ヵ月後に受賞が決まった「第153回」の芥川賞ということで、本書では扱っていません。

NHK「ニュースウオッチ9」(平成27年7月16日)より

太宰治23.jpg その又吉直樹氏が敬愛するという太宰治が落選して激昂したという有名なエピソードから始まって、選考の流れというか緊迫した雰囲気のようなものが伝わるものとなっています。実際、選考委員はその折々で真剣に選考に取り組んできたのでしょうが、どういった人がその時の選考委員を務めているかによって、結構、選ばれる側に運不運があるという印象を受けました。

 まあ、芥川賞が始まったばかりの頃は、受賞発表に呼ばれたマスコミであっても、それを記事にしなかった新聞社もあり、賞の創設者である菊池寛を憤慨させたりもしたようですが、そのくらいの世間の関心度だったということでしょう。賞をとれなかった太宰も、後に当時の自分を「野暮天」だったと振り返っていて、著者は、もし太宰が芥川賞をとっていたら、「天才幻想に憑りつかれ、明るさとユーモアのある中期以降の太宰はなかったかもしれない」としています。

吉行 淳之介.jpg 「第三の新人」と呼ばれる作家が、安倍公房松本清張 五味康祐.jpgと石原慎太郎、大江健三郎、開高健という戦後のスターに挟まれて芥川賞をなかなかとれず、吉行淳之介などは「今回は安岡・吉行の二作受賞で間違いない」との予想が出回って賞金をアテにして飲み歩いていたら、受賞者は五味康佑・松本清張だったという話などもちょっと面白かったです。

松本清張と五味康祐

 五味康佑は「薄桜記」が'12年にNHKのBS時代劇になるなど今でも人気。一方の松本清張も、芥川賞作家の中で最も多くの人々に読まれた作家とされているようですが(尤も、芥川賞作家であるという印象が薄いかもしれないが)、その松本清張が「ある『小倉日記』伝」で芥川賞をとった時、選考委員の坂口安吾が「この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力」があるとして、推理小説界での清張の活躍を予見しているのは慧眼です。更に坂口安吾は、石川達三と真っ向から対立して、安岡章太郎などを推しています。石川達三は吉行淳之介の「驟雨」にも☓をつけていますが、吉行淳之介はこの作品で4回目の候補にしてようやっと受賞しました。後になって吉行が、選考委員(石川達三)の文学観に物申しているのが興味深いです。

吉村昭.jpg 吉村昭がいったんは宇野鴻一郎とのダブル受賞との連絡を受けながら、それが実は連絡の手違いで、最終的には宇野鴻一郎だけが受賞で、吉村昭は結局4回芥川賞の候補になりながらとれなかったわけですが、これについて、吉村昭が後に「落ちてくれた」と言い、「もし受賞していたら、全然違う作家になっていたと思います」と発言しているのも興味深いです。吉村昭は落ちたことを契機に記録文学に転じた作家で、それ以前の作品は「星への旅」などに見られるように、非常に"純文学色"の濃いものです。

村上春樹 09.jpg 本書では、太宰治、吉村昭の他に村上春樹も「賞をとらなくて良かった」作家ではないかとしており、村上春樹氏自身も、今は、芥川賞作家と肩書に縛られなくて良かったと考えているようです。その村上春樹の「風の歌を聴け」が芥川賞候補になるも選ばれなかった際の選評も書かれていますが、この分析については、本書でも紹介されている市川真人氏の『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』('10年/幻冬舎新書)に詳しいです。

石原慎太郎 芥川賞.png 田中康夫氏が、「若者でバカ者でよそ者」を新人の条件として挙げたのを高橋源一郎氏が「うまいこと言う」と言ったとのことですが、確かに言い得ているかも(2人とも芥川賞はとっていない)。本書の著者の場合は、「顰蹙」という言葉を芥川賞のキーワードとして捉えており(それにしては大人しい作品が受賞することもあるが)、その言葉を最も端的に象徴するのが、選考委員の間で毀誉褒貶が激しかった石原慎太郎氏の「太陽の季節」であり、この人は選考委員になってからも歯に衣を着せぬ辛口発言を結構していて、やっぱり芥川賞を語る上では欠かせない人物なのだろなあ。村上龍氏の「限りなく透明に近いブルー」などもそれに当て嵌まるわけで、また村上龍氏も芥川賞選考委員として個性的な発言をしていますが、石原慎太郎氏の芥川賞受賞を社会的ニュースに高めた功績は、やはり大きいものがあると言えるかも(功績ばかりでなく、川端康成が危惧したような受賞が最終目的化するというで面もあり、"功罪"と言うべきか。別に石原氏が悪いわけでもなんでもないが)。

 又吉直樹氏の『火花』は、「三島由紀夫賞」の選考の方で僅差での落選をしての芥川賞受賞ということで、落選したのが良かったのか。村上春樹の「風の歌を聴け」が、群像新人賞を、選考委員(佐々木基一、佐田稲子、島尾敏雄、丸谷才一、吉行淳之介)の全員一致で推されてとったのに、芥川賞選考に駒を進めたら、その年に丸谷才一、吉行淳之介の2人が新たに選考委員に加わったにも関わらず、強く推したのは丸谷才一だけで落っこちてしまったというのも、何かパターン的な流れのような気もするし、この頃は「該当作なし」が矢鱈多かった(第83回から第96回の間に受賞作が出たのが6回、「該当作なし」が8回)というのも影響としてあるのでしょう。

 村上春樹氏はノーベル文学書をとるとらないに関わらず、「芥川賞」の側が賞を与え損ねた代表格として語り継がれていくのでしょう。又吉直樹氏の芥川賞における位置づけも、氏のこれからの活動を経てみないと判らないですし、結局、賞を与える与えないの判断の時点である種"賭け"の要素があり、それが当たるかどうかはたで観ていて"外野席的"に面白いというのもあるかもしれません。

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「心配性で淋しがり、心やさしい泣き虫」だった黒澤。「家庭ではいいパパだった」的トーンか。

回想 黒澤明.jpg回想 黒澤明 (中公新書)』  黒澤 明 「夢」1.jpg夢 [DVD]

黒澤明2.jpg 黒澤明(1910-1998/享年88)の長女である著者が、『黒澤明の食卓』('01年/小学館文庫)、『パパ、黒澤明』('00年/文藝春秋、'04年/文春文庫)に続いて、父の没後6年目を経て刊行した3冊目の"黒澤本"で、「選択する」「反抗する」「感じる」「食べる」「着る」「倒れる」など24の動詞を枕として父・黒澤明に纏わる思い出がエッセイ風に綴られています。

 本書によれば、外では「黒澤天皇」として恐れられていた父であるけれども、実はそういう呼ばれ方をするのを本人は最も嫌っていて、気難しい面もあるけれど、「人間くさくて一直線、心配性で淋しがり、心やさしい泣き虫」だったとのこと。孫と接するとなると大甘のおじいちゃんで、相好を崩して幸せそうだったとか、実の娘によるものであるということもあって、「家庭ではいいパパだった」的なトーンで貫かれている印象も受けなくもありません。微笑ましくはありますが、まあ、男親ってそんなものかなとも(著者が意図しているかどうかはともかく、読む側としてはそれほど意外性を感じない)。

 でも、宮崎駿監督の「魔女の宅急便」('89年/東映)を夜中に観て、翌日、目を腫らして、「すごく泣いちゃったんだ。身につまされたよ」と、ポツリと言っていたとかいう話などは、娘ならではエピソードかもしれません。晩年、小津安二郎監督の作品をビデオで繰り返し見ていたとのことで、肉体的な労力を減らして、良い作品を撮ろうと勉強していたのではないかとのことです。

 著者自身、「夢」('90年/黒澤プロ)以降、衣装(デザイナー)として黒澤作品や小泉堯史、山田洋次、北野武、是枝和裕などそれ以外の監督の作品の仕事をしていて、黒澤の晩年の作品に限られますが、家庭内だけでなく、撮影の現場や仕事仲間の間での娘の目から見た黒澤監督のことも描かれており、役者やスタッフを怒鳴り散らしてばかりいるようなイメージがあるけれども、実は結構気を使っていたのだなあと(役者の躰に触れてまでの演技指導をすることはなかったという。役者のプライドを尊重していた)。ただ、これも、著者の父に対する世間の「天皇」的イメージを払拭したいとの思いも半ば込められているのかも。

黒澤 明 「夢」2.jpg黒澤 明 「夢」3.jpg 著者が最初にアシスタントとして衣装に関わった「夢」は(衣装の主担当はワダエミ)、黒澤明80歳の時の作品で、「影武者」('80年)、「乱」('85年)とタイプ的にはがらっと変わった作品で比較するのは難しいですが、初めて観た時はそうでもなかったけれど、今観るとそれらよりは面白いように思います。80歳の黒澤明が少年時代からそれまでに自分の見た夢を、見た順に、「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨黒澤 夢 01.jpg士」「鬼哭」「水車のある村」の8つのエピソードとして描いたオムニバス形式で、オムニバス映画というのは個々のエピソードが時間と共に弱い印象となる弱点も孕んでいる一方で(「赤ひげ」('65年)などもオムニバスの類だが)、観直して観るとまた最初に観た時と違った印黒澤 明 「夢」水車2.jpg象が残るエピソードがあったりするのが面白いです(小説で言うアンソロジーのようなものか)。個人的には、前半の少年期の夢が良かったように思われ、後になるほどメッセージ性が見え隠れし、やや後半に教訓めいた話が多かったように思われました。全体として絵画的であるとともに、幾つかのエピソードに非常に土俗的なものを感じましたが、最初の"狐の嫁入り"をモチーフとした「日照り雨」は、これを見た時に丁度『聊齋志異』を読んだところで、「狐に騙される」というのは日本だけの話ではないんだよなあみたいな印象が、観ながらどこかにあったのを記憶しています。

 黒澤明はその後、「八月の狂詩曲」('91年)「まあだだよ」('93年)を撮りますが、85歳の時に転倒してから3年半は寝たきりで、結局そのまま逝ってしまったとのこと(老人に転倒は禁物だなあ)。黒澤作品って、「どですかでん」('70年)以降あまり面白くなくなったと言われますが(そうした評価に対する、自分は自分の年齢に相応しいものを撮っていうのだという黒澤自身の考えも本書に出てくる)、晩年に作風の変化が見られただけに、もう何本か撮って欲しかった気もします。

黒澤 夢 011Z.jpg「夢」●制作年:1990年●監督・脚本:黒澤明●製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ●製作:黒澤久雄/井上芳男●製作会社:黒澤プロ●撮影:斎藤孝雄/上田正治●音楽:池辺晋一郎●時間:119分●出演:寺尾聰/中野聡彦黒澤 明 「夢」水車.jpg/倍賞美津子/伊崎充則/建みさと/鈴木美恵/原田美枝子/油井昌由樹/頭師佳孝/山下哲生/マーティン・スコセッシ/井川比黒澤明 夢 0.jpg佐志/根岸季衣/いかりや長介/笠智衆/常黒澤明 夢 dvd.jpg田富士男/木田三千雄/本間文子/東郷晴子/七尾伶子/外野村晋/東静子/夏木順平/加藤茂雄/門脇三郎/川口節子/音羽久米子/牧よし子/堺左千夫●公開:1990/05●配給:ワーナー・ブラザーズ(評価:★★★☆)

夢 [DVD]

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「手続の一環としての殺人」という怖さ。映画化されたが、原作は原作、映画は映画といった感じ。

凶悪 ある死刑囚の告発.jpg「新潮45」編集部 凶悪 2007.jpg      凶悪 dvd.jpg 映画 凶悪 リリー・フランキー.jpg
凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)』['09年]/『凶悪 ある死刑囚の告発』['07年]/「凶悪 スペシャル・プライス [DVD]」/映画「凶悪」['13年/日活](リリー・フランキー)

 人を殺し、その死を巧みに金に換える"先生"と呼ばれる男がいる―雑誌記者が聞いた驚愕の証言。だが、告発者は元ヤクザで、しかも拘置所に収監中の殺人犯だった。信じていいのか? 記者は逡巡しながらも、現場を徹底的に歩き、関係者を訪ね、そして確信する。告発は本物だ! やがて、元ヤクザと記者の追及は警察を動かし、真の"凶悪"を追い詰めてゆく。白熱の犯罪ドキュメント―。(「BOOK」データベースより)

凶悪 ある死刑囚の告発 2.jpg 死刑判決を受けて上訴中だった元暴力団組員の後藤良次被告人が、本書の著者である雑誌「新潮45」の編集長を介して、自分が関与した複数事件(殺人2件と死体遺棄1件)の上申書を提出したことにより、後藤が「先生」と慕っていた不動産ブローカーが3件の殺人事件の首謀者として告発された、所謂「上申書殺人事件」のドキュメント。雑誌「新潮45」が2005年に報じたことによって世間から大きく注目されるようになり、2007年に単行本化され、2009年に文庫化、文庫では、「先生」が関与した1つの殺人事件が刑事事件化し、この不動産ブローカーに無期懲役の判決が下ったというその後の経緯が書き加えられています(ここで初めて、三上静雄という「先生」の本名が明かされている)。

 数多い犯罪ドキュメントの中でも、取材者が警察に先行して真相に迫っていく内容であり、その点で先ずグイグイ引き込まれます。一方で、この元暴力団組員に「先生」と呼ばれる不動産ブローカーの周辺では7件もの不審な死亡・失踪が起きていることが分かったのに対し、事件化したのは元暴力団組員の告発した3件のみで、しかも、立件されたのはその内の1件のみ―ということに対する無力感も。「先生」にはその1件により無期懲役の判決が下り、告発した暴力団組員はそのことにより死刑囚でありながら懲役20年の判決が下ります。

 死刑囚である元ヤクザの後藤が、自らの死刑判決がますます揺るぎないものになるかもしれないのに隠された犯罪を明るみに出すのは、自分を裏切った「先生」に対する復讐であり、自らの減刑に一縷の望みを懸けるよりも、のうのうと娑婆で生き続けている「先生」への復讐を遂げなければ、死んでも死にきれないという気持ちなのでしょう。著者の接見によれば、三上を死刑に追い込めなかったのは残念だったが、二度と社会に出られない状況に追いやったことで、一定の満足感は得ているようです(後藤本人は現在、死刑確定囚としての再審請求中)。

凶悪 映画 リリー・フランキー.jpg凶悪 映画  ピエール瀧.jpg 2013年に公開された白石和彌監督による映画化作品「凶悪」の方は、後藤(映画内では"須藤")をピエール瀧が、三上(映画内では"木村")をリリー・フランキーが演じましたが、元々俳優が出自ではなかった2人を主役に配したことで逆にドキュメンタリー感が出て、配役で半分は成功が決まったようなものだったかも(と言ってもこの2人だからこそ、のことだが)。ピエール瀧、リリー・フランキーと日本アカデミー優秀助演男優賞を受賞、リリー・フランキーは、本作品の翌週に公開された是枝裕和監督の「そして父になる」('13年/ギャガ)では暖かな家庭の父親役を演じており、その演技の幅が話題になりました。但し、配役が映画を決定づけるとはよく言われますが、いい意味でも悪い意味でも、「原作は原作、映画は映画」といった感じになった気もします。

凶悪 ある死刑囚の告発  eiga.jpg 個人的には、2人の演技は悪くないと思いましたが、記者の家族とか上司の女性など原作では描かれていない人物が出てきて、それなりにサイドストーリーを成しているのが却って邪魔に感じられました。映画では、ピエール瀧(須藤)とリリー・フランキー(木村)が拮抗していますが、この事件の怖さは、文庫版の終わりの方にそれぞれ写真がある、どう見てもヤクザにしか見えない後藤よりも、ごく普通のどこにでもいそうな初老の男性にしか見えない三上の方にあるのでしょう。記者の周辺人物を描く余裕があれば、それよりも、三上(映画内では"木村")の方をじっくり描いて欲しかった気がします。

 映画では"木村"はシリアルキラーであるとともにサイコパス的な残忍さも持っているような描かれ方で、殺人を楽しんでいるような印象さえ受けますが、原作で著者は、三上の最初の殺人は衝動的なものであり、その結果に自分でもパニくって、後藤に後の処理を頼んだところ上手くいったので、それで他人の土地資産を搾取するために後藤を手先に使うようになったというのが実態のようです。

 別に殺人に対する特段の指向(嗜好)があるのではなく、不動産登記の書き換えのような手続作業の一環の中に殺人も含まれているという感じで、自分の家族は大事にしているのに、他人に対してはその命を奪うことに何ら逡巡せず、むしろビジネスの一環であるかのように事を進めているのが、三上の本当に怖いところではないでしょうか。

凶悪 ある死刑囚の告発 リリー。フランキー.jpg 映画では、ラストで記者に対して"木村"が、自分が死刑にならず無期懲役で済んだことについて勝ち誇ったような挑発的態度を取る場面がありましたが、これは先に述べたように、間違いなく多重殺人の計画犯であり首謀者でありながら、その罰が無期懲役で済んでいることに対して観客が感じる理不尽さをひっくり返して代弁しているような映画的な設定乃至は人物造型であり、実際の三上は、控訴していることからも窺えるように、どうすれば娑婆に出られるかを依然として模索し、犯した罪については最後までシラを切り通すタイプではないかという気がします。

凶悪 映画.jpg「凶悪」●制作年:2013年●監督:白石和彌●製作:鳥羽乾二郎/ 十二村幹男/赤城聡/千葉善紀/永田芳弘/齋藤寛朗●脚本:高橋泉/白石和彌●撮影:今井孝博●音楽:安川午朗●原作:新潮45編集部編「凶悪―ある死刑囚の告発」●時間:128分●出演:山田孝之/ピエール瀧/リリー・フランキー/池脇千鶴/白川和子/吉村実子/小林且弥/斉藤悠/米村亮太郎/松岡依都美/ジジ・ぶぅ/村岡希美/外波山文明/廣末哲万/九十九一/原扶貴子●公開:2013/09●配給:日活(評価:★★★☆)

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記者が独自に犯人を特定し、警察の腐敗も明るみに。まるでドラマの世界のよう。

遺言―桶川ストーカー殺人事件.jpg遺言―桶川ストーカー殺人事件の深層』['00年] 桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫).jpg桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)』['04年] 

清水潔 著 『遺言〜桶川ストーカー殺人事件〜』.jpg ひとりの週刊誌記者が、殺人犯を捜し当て、警察の腐敗を暴いた...。埼玉県の桶川駅前で白昼起こった女子大生猪野詩織さん殺害事件。彼女の悲痛な「遺言」は、迷宮入りが囁かれる中、警察とマスコミにより歪められるかに見えた。だがその遺言を信じ、執念の取材を続けた記者が辿り着いた意外な事件の深層、警察の闇とは。「記者の教科書」と絶賛された、事件ノンフィクションの金字塔!日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞受賞作―。(文庫版「BOOK」データベースより)

 1999年、白昼のJR桶川駅前で起きた女子大生殺害事件、所謂"桶川ストーカー殺人事件"において、被害者が周囲に残した"遺言"にこだわり、事件の真相を追い続けた写真週刊誌「フォーカス」記者(当時)のルポルタージュですが、単なるルポではなく、警察よりも早く犯人グループを突き止め、また、逃亡した犯人の行先もこれまた警察より早くより突き止めたという極めて稀なケースです。

 なぜ主要メディアを差し置いて、記者クラブにも属さない写真週刊誌の一記者によってこのようなことが成されたかというと、事件に対する上尾署(埼玉県警)の初動対応のマズさを警察が組織ぐるみで隠蔽し、事件の真相解明よりも組織防衛のために勝手に描いたシナリオの記者発表していたところを、主要メディアは唯々諾々単にそれに沿って報道していたに過ぎなかったからだという背景があったことが本書から窺えます。

 また、警察が事件の真実を捻じ曲げようとした背景には、被害者に告訴取り下げを求め、その事実をも隠蔽しようとしたという事情もあり(この警察の腐敗からくる行為も著者の取材スクープによって明るみになった)、取材の過程ではニセ警官だと思ったら実はホンモノの警官だったという、何とも言えないヒドイ話です。「告訴」調書を「被害届」に改竄しておいて、事件から5ヵ月も経って特別調査チームが調べてみたら、「驚いたことに改竄されていました。今、初めて気がついた」は、そりゃ無いでしょう。

2012年9月26日放映「ザ!世界仰天ニュース」
桶川ストーカー殺人事件発生後の埼玉県警上尾警察署(片桐敏男元刑事二課長・当時48­歳)の記者会見

 全てが劇的ですが、最大のクライマックスは、著者らが1999年末に犯人グループを独自に特定し、記事も出来上がっていたものの、フォーカス誌の校了日にまだ逮捕されておらず、記事を載せれば犯人に逃げられる可能性があるし、載せなければ載せないでこれまた逃げられるかもしれず、また何日か後に警察に逮捕されたとしても今度自分たちがこれを記事に出来るのは年が明けてからということで、ここまで追ってきたものが特ダネでもなんでもなくなってしまうというジレンマに陥ったところでしょうか。輪転機が回り始めてほぼ諦めかけたところへ、実行犯の身柄確保の報が入り、あとは、急遽記事を差し替え、身柄確保が逮捕に繋がることにかける―(仮に逮捕に至らなければ、大誤報ということになるリスクを負って)。取材に協力してくれたスタッフへの「百倍返し」という表現が出てきて、殆どドラマの世界のようです。

 被害者の元交際相手である小松和人が指名手配された翌2000年1月、著者は彼の逃亡先が北海道である可能性が高いことを突き止め、単独で北海道に向かいますが、同月、小松和人の死体が北海道の屈斜路湖で発見され、遺書があったことから自殺と判断されます。この小松というのは、本書を読む限り異常人格ではないかと思われますが、そうであろうとなかろうと死んでしまったら事の真相は分からないわけで、そうした意味でも、スッキリ解決した事件であるとはとても言えません(風俗業を営んでいた彼の背後に組織的な指図者がいたとの説もある)。

 加えて著者は、事件の裁判が、あたかも実行犯に指示をした小松和人の兄・小松武史(東京消防庁の消防士だった)があくまで"主犯"であり、本来の主犯である小松和人の存在が希薄なまま裁判が進められていくことに違和感を覚えていますが(最終的に小松武史は2006年に最高裁で無期懲役が確定)、それは警察の意図でもあるのではないでしょうか。仮に小松和人をこの事件の主犯であると定義づけてしまうと、警察は主犯を逃し、挙句の果てにその主犯を捕える前に自殺されてしまったということになるので、警察としては小松和人を事件の外に追いやって、兄・小松武史が"主犯"であるという方向へ事件を持って行ったのではないでしょうか。

 著者はその後日本テレビに転職し、2007年以降、当時殆どの人が関心を持っていなかった「足利事件」について、無期懲役が確定していた菅家利和さんは冤罪ではないかとの疑いのもと真犯人を追っており、実際あの事件では2009年に菅家さんの再審無罪が確定しており、一方、著者の方は、既に真犯人を特定し、捜査機関に情報を提供している事実を明らかにしています。

 この事件は、フォーカス誌を読んだジャーナリストの鳥越俊太郎氏が日本テレビの「スーパーテレビ情報最前線」によって2001年3月に取り上げられ(2002年には同番組版で椎名桔平、内藤剛志などの出演でドラマ化もされた)、その鳥越俊太郎氏が単行本の帯に「今どき、こんな記者がいたのか」と驚嘆の辞を寄せていますが、確かにスゴイなあと。元々記者ではなくカメラマンですから、記者やカメラマンという職種の違いに関係なく(まあ、両者は連れだって現場に赴くことが多いわけだが)、現場の感触から事件の真相を嗅ぎ分ける、ある種"才覚"のようなものがあるではないかと思いました。
 
【2004年文庫化[新潮文庫(『桶川ストーカー殺人事件―遺言』)]】

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蔵書に埋もれて亡くなった草森紳一。面白かったけれど、最後はやや侘しかった。

本で床は抜けるのか.jpg本で床は抜けるのか』(2015/03 本の雑誌社)

 ノンフィクション作家が表題通り「本で床は抜けるのか」その真相を追ったもので、'12年から'14年にかけてウェッブマガジンに連載されたものの単行本化ですが、なかなか面白かったです。

 やはり抜けることがあるのだなあと。本書に出てくる有名どころでは、井上ひさし(1934-2010)や立花隆氏など。井上ひさしの場合は、自宅の床が本で抜けた時の模様を書いていますが、先妻・西舘好子氏によると、創作も含めてかなり面白おかしく書いてとのこと。でも、床が抜けたのは事実のようです。立花隆氏の場合は、RCコンクリート構造の建物のコンクリート床の上の木の床の部分が抜けたようで、何れも2人がまだ若かった頃の話のようです。

草森紳一2.jpg草森紳一.jpg 一番凄まじいのは草森紳一(1938-2008/享年70)の話で、'08年に逝去した際は、2DKを覆い尽くした約3万冊の本の中で亡くなっているのが見つかったといい、やはり生前に本で床が抜ける経験をしており、その時の模様は自著『随筆 本が崩れる』('05年/文春新書)に書かれているとのことです(この本は、松岡正剛氏も「千夜一夜」の中で取り上げている)。

森紳一氏の仕事場は文字どおり、本で埋まっていた。(「崩れた本の山の中から 草森紳一蔵書蔵書整理プロジェクト」(2008-12-07)より転載)

 因みに、井上ひさしは、先妻との離婚前後から郷里の山形県川西市に本を寄贈しており、その数は当時で13万冊にのぼったといい、草森紳一は、当面の仕事で使う可能性の少ない3万冊は、北海道の実家に建てた白い書庫「任梟盧」に別に持っており、亡くなった後の自宅の3万冊は帯広大谷短期大学に寄贈され、ボランティアによって整理が進められているとのことです。

 松原隆一郎氏のように本を偏りなくなく床に置けば床は抜けないとしていた人も、ついに書庫専用の建物を早稲田通り沿いに建てることになり、その様子もレポートされていますが、こうなると立花隆氏の「猫ビル」と同じで、もう「抜ける 抜けない」という話ではなくなってしまって、司馬遼太郎や松本清張の膨大な個人書庫同様、一般人からはやや遠い話のような気も。

後半部分は、自炊(本の電子化)による省スペース化の話も、著者の体験も含め出てきますが、これも結構手間がかかるようですし、著作権法上グレーな部分もあるようで、あまり広まらないのではないでしょうか。むしろ最初から電子書籍として刊行される本はこれから増えるかもしれないという気がします。

 でも、愛書家って、要するに「捨てられない」人でもあるのだろうなあと。そういう人って、いつの時代でも一定数いるような気もします。本書には「捨てられない」派から「捨てる」派に転じた人の話も出てきますが、病気とかそういった何かが転機になるみたいです。

 本書は、著者自身の本の引っ越しの話から始まり、最後も著者自身の再度の本の引っ越しの話で終わりますが、大鉈(おおなた)を振るった末に何とかすっきり本の整理ができた模様。但し、皮肉なことに、最後はそれに合わせるかのように奥さんと子どもに去られてしまう―というのがあまりに侘しすぎて、星半分マイナス。やはり、リアルな生活も大事にしなければなあ。

本で床は抜けるのか 2015年4月12日朝日新聞日曜日.jpg2015年4月12日(日)付「朝日新聞」読書欄

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