2010年02月03日

【1315】 ○ 瀬川 松子 『中学受験の失敗学―志望校全滅には理由(わけ)がある』 (2008/11 光文社新書) ★★★☆ (△ 瀬川 松子 『亡国の中学受験―公立不信ビジネスの実態』 (2009/11 光文社新書) ★★★)

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“内部告発”っぽいが、『予習という病』のようなアザトイ本の多い中では、まともなスタンス。

中学受験の失敗学.jpg                亡国の中学受験.jpg                予習という病.gif
中学受験の失敗学 (光文社新書)』 ['08年]  『亡国の中学受験 (光文社新書)』['09年]  高木幹夫+日能研 『予習という病 (講談社現代新書)』 ['09年]

 本書『中学受験の失敗学-志望校全敗には理由(わけ)がある』('08年/光文社新書)では、中学受験に取りつかれ、暴走の末に疲れ果ててしまう親たちを「ツカレ親」と名づけ、親たちをそうした方向へ駆り立てている、中学受験の単行本や受験雑誌、更に、受験塾の指導のあり方を批判しています。

 大手塾で受験指導し、その後、家庭教師派遣会社に転職して受験生を抱える家庭に派遣され、多くの「ツカレ親」を見てきた著者の経験に基づく話はリアリティがあり、モンスターペアレントみたなのが、学校に対してだけでなく、塾や家庭教師派遣会社に対してもいるのだなあと。

 塾や家庭教師の志望校設定には営利的判断が含まれていることがあり、くれぐれも、そうした受験産業の“カモ”にされて、無謀な学習計画や無理な目標設定で我が子をダメにしないようにという著者のスタンスは、至極まっとうに思えました。(評価★★★☆)

 この本が最後に「ダメな勉強法」を示していて、著者がまだ受験指導の現場にいた余韻を残しているのに比べると、続編の『亡国の中学受験-公立不信ビジネスの実態』('09年/光文社新書)は、やや評論家的なスタンスになっているものの、基本的には同じ路線という感じで、タイトルの大仰さが洒落だったというのは洒落にならない?(タイトル通り、きちんと「亡国論」を書いて欲しかった)。

 前著では、受験塾と私立中学の裏の関係なども暴いていましたが(既に組織に属していないから“内部告発”とも言い切れないのだが)、本書では、公立中学への不信感を煽り、私立中高一貫校への幻想を抱かせる、私立中学と受験塾の“戦略”に更にフォーカスしていて、中学受験のシーズンになるとNHKのニュースなどで、報道と併せてトレンド分析のコメントをしている森上研究所とかいうのも、日能研の応援団だったのかと(知らなかった)。(評価★★★)

 その点、高木幹夫+日能研『予習という病』('09年/講談社現代新書)は、日能研の社長が書いているわけだから、分かり易いと言えば分かり易い(皮肉を込めて)。
 予習をさせないというのは、日能研もSAPIXも同じですが、それが本当にいいかどうかは、授業の程度と生徒の学力の相関で決まるのではないでしょうか、普通に考えて。
 それを、「福沢諭吉は予習したか?」みたいな話にかこつけているのがアザトイ(「ツカレ親」である妻を持つ夫向け?)。

 実際、塾にお任せしている分、教材の量やテストの数、、夏期講習や冬期講習などの補講は多くなり、それだけの費用がかかるわけで、週末ごとのテストに追われ、ついていけなくなると、結局はどうしても予習(親のアシスト)が必要になり、さもなくば、わからないままに授業を聞いて試験を受けるだけの繰り返しになってしまう…。

 日本社会の中で、未来学力でものを考えられる環境は「私学の中高一貫校」しかないと言い切っていて、そりゃあ、自社の売上げ獲得のためにはそう言うでしょう。
 大手進学塾の多くは似たようなことをやっているわけだけど、こんな露骨な宣伝本を新書で出してしまっていいのかなあ。(評価★)

  



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投稿者 wadamy : 23:30

2009年07月31日

【1210】 △ 岡本 一郎 『グーグルに勝つ広告モデル―マスメディアは必要か』 (2008/05 光文社新書) ★★★

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マスメディア企業への「生き残り戦略」についてのプレゼンのような中身。

グーグルに勝つ広告モデル.jpg 『グーグルに勝つ広告モデル (光文社新書)』 ['08年]

 冒頭のヤフーとグーグルの違いで、ヤフーがアテンションを集めて卸売りしているのに対し、グーグルはインタレストを集めて売っているのだという指摘は明快で、アテンションの総量は増えないのにアテンションを奪い合う競合の数は増えているというゼロサムゲーム状態が今あると分析し、マスメディアが獲得できるアテンションの総量が減少しこそすれ、増加させるのは非常に困難な状態において、広告媒体としてのマスメディアが生き残るにはどうしたらよいかという問い掛けをし、それに答えるかたちの内容になっています(ということは、アテンションの世界の話だから、「ヤフーを超える」ならまだしも「グーグルを超える」というタイトルは少し内容と合わない気がするが)。

 テレビ・ラジオ・新聞・雑誌のマス4媒体とインターネットの広告特性を対比し、インターネットに対してマス4媒体がどのようなポジションを取り得るかを概説すると共に、各4媒体の今後の生き残り策を提言していますが、つまりは、テレビ局や新聞社が広告メディアとして生き残るにはどうしたらよいかという、言わばマスメディア企業へのプレゼンテーションのような中身で、一般向け新書としてどうなのかなあという印象もありました。
 (ミスリード気味のタイトルがアイキャッチとしての“作為”にも思え、ついつい見方がシビアになってしまう。)

 著者は、国内大手広告代理店にてメディアマーケティング、ネット事業立ち上げを担当した後、大手外資系コンサルティングファームに参加し、主にメディア企業、エンターテインメント企業に対しての企業変革、ビジネスモデル改革に関する提言活動に従事した後、独立したという経歴の持ち主だそうですが(実在の人物なの?)、実在の人物かどうかは別として、本の内容はまさにこの経歴に沿ったものでした。

 テレビに求められるオンデマンド性、ターゲットメディアとしてのラジオ、宅配ネットワークをどう生かすかが課題の新聞、ネットとの代替性が低い情報でネットとの差別化を図る雑誌、といった具合に、それぞれの提言は比較的絞り込まれたものになっていて分り易く、話は、プレーヤー(媒体情報を乗せる機器)の問題、マスメディアそのものの要不要論(ここがサブタイトルに呼応)、コンテンツの現状と課題にまで広がり、最後に、メディアやマーケッターに情報テクノラートとして特権を振りかざすだけではこれからはやっていけないよと言っているような感じ。

 言い換えれば、プロダクトアウト(乃至メディアアウト)からマーケットインへと言っているに過ぎないともとれるのですが…(だから、マーケティング会社やコンサルティングファームにご相談くださいということか)。



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和田泰明ブログ

投稿者 wadamy : 23:39

【1208】 ○ 内田 東 『ブランド広告 (2002/09 光文社新書) ★★★☆

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ブランド構築論よりも、コピーライターの視点から見た広告表現論が面白かった。

ブランド広告 光文社新書.jpg 『ブランド広告 (光文社新書)』 ['02年]  Pepsi Michael.jpg Pepsi Michael

 著者は電通出身のコピーライターで、大学でメディア表現について教えている人。本書では、定義上のブランドについてではなく、消費者が呼ぶところのブランドについて、つまり、どうすれば消費者にブランドと呼んでもらえるか(名前を聞いて良いイメージが喚起されるか)、ブランドを築く広告表現とはどのようなものであるかということについてを、広告キャンペーンのあり方を通して解説並びに考察しています。

 途中にアカウント・プランニング(広告に消費者の価値観や心理を積極的に反映させる考え方)やIMC(Integrated Marketing Communications=企業が発信するマーケティング・コミュニケーション活動の戦略的な統合)理論の話が入りますが、実地面においてどの程度浸透しているかは別として、本書刊行時('02年)においては、こうした概念は日本の広告業界に既に定着していたように思うし、終盤にに出てくるクロスメディアという手法も、今や中堅クラス以上の総合広告代理店ならば、そうした課題を専門に扱う事業部や部門を持っており、そうした意味で目新しさはないかも。

 むしろ、それら教科書的な話より、クリエーターの視点から、ブランド構築に繋がる広告表現というものを内外の数多くの具体例を挙げて考察しているのが興味深く、文章も読み易いため、最後まで面白く読めました(著者の言わんとしていることは、継続性、一貫性、繰り返しが大事であるということに帰結するだけの話なのだが)。
                                                    「Will-Girl」 Sony Will (米国)
wii-girl.jpg コカ・コーラの新ヴァージョン「ニュー・コーク」の失敗と、先月('09年6月)亡くなったマイケル・ジャクソン(1958‐2009)を使った「新しい世代が選ぶぺプシ」の広告(マイケルの真似をしてストリートで踊っていた子が誰かにぶつかって、見上げたら本物のマイケルだったというCMは有名)の成功などのケーススタディは定番ですが、バドワイザーやナイキなど海外のブランド広告の解説は興味深いものでした。

 それにしても、この著者、ソニーを随分高く買っているなあ(反対にパナソニックには厳しい評価)。
 結局、ディズニーのようなバリューチェーン・カンパニーを目指したソニーのコンテンツビジネス志向は上手くいかなかったけれど、まあ、確かに今でもブランド価値評価はパナソニックよりは高いし、海外などで見る広告はSonyの方がPanasonicよりも断然垢抜けている…。

Death Row 2002.jpg ベネトンのクリエーターのオリビエロ・トスカーニが刑の執行を待つ死刑囚を広告に起用して消費者や死刑囚の遺族の反発を受け、ベネトンは以前からのエイズ撲滅などのメセナ広告(と言っても、これらも一筋縄ではない表現方法なのだが)に路線を戻したという話については著者の思い入れたっぷりで、思想(この場合、「死刑廃止」)や芸術を志向して商売を忘れてしまったというのは、かつてのサントリー・ローヤルのCM「ランボー」にも通じるところがあるなあと思った次第です。

 桃屋のCMの三木のり平の声は、息子の小林のり一がやっていたのかとか、一応、全ての話が「継続性・一貫性の大切さ」という趣旨とリンクはしているのですが、その辺りあまり教科書っぽくなく、1つ1つの話そのものを面白く読みながら理解できるのが、本書の特長でしょうか。

 TBS (2002.12放映) 「CBSドキュメント~死刑囚広告の波紋」より



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和田泰明ブログ

投稿者 wadamy : 23:00

2009年07月04日

【1203】 △ 樋口 弘和 『新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか―失敗しないための採用・面接・育成』 (2009/01 光文社新書) ★★★ (△ 本田 有明 『若者が3年で辞めない会社の法則 (2008/11 PHP新書) ★★☆)

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所謂「タイトル過剰」気味。中身はオーソドックス乃至は古典的。

新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか.jpg 『新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)』 ['09年] 若者が3年で辞めない会社の法則.jpg 『若者が3年で辞めない会社の法則 (PHP新書)』 ['08年]

 日本ヒューレット・パッカードの人事出身で、採用コンサルタントの樋口弘和氏(1958年生まれ)が書いた『新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか』('09年/光文社新書)は、タイトルに何となくムムッと惹きつけられて買ってしまいましたが、中身的には、サブタイトルの「失敗しないための採用・面接・育成」というのが順当で、要するに、新卒採用が「期待はずれ」のものとならないように予防するには、面接において留意すべき点は何かということ。

 内容は比較的オーソドックスで、強いてユニークなところを挙げれば、本来の「お見合い形式」の面接を改めて「雑談形式」面接で本来の素質を見抜くというのは、時間的余裕があれば採り入れてもいいかなあと思いました(これが「模擬討論」みたいな硬いものになると、却って人材の質の見極めが難しくなるけれども、多くの企業ではその難しい方のやり方でやっている)。

 志望動機とかキャリアビジョンとかを語らせても、仕事というのは将来性志向だけでは空回りするものであり、今まで何をしてきたか、どんな役割だったかを、掘り下げて雑談風に聞くのが良いというのは、著者がヒューレット・パッカードの米国本社でのキャリア採用の現場を見て体験的に学んだことのようですが、この辺りの日米の採用面接のやり方の違いは、興味深いものでした。

 但し、そうした考えに基づく実際の面接の進め方の例も出ていていますが、これはこれで、面接する側に相当のヒューマンスキルが求められるような気も。

 前半部分ではリテンション(人材引止め)についても触れられており、「OJTは放置プレイ」と言い切っていて人材育成の重要性を説いていますが、この辺りは本田有明氏の『若者が3年で辞めない会社の法則』('08年/PHP新書)においても強調されていました。

 本田有明氏は1952年生まれのベテランの人事教育コンサルタント。この人の書いたものは月刊「人事マネジメント」などの人事専門誌でも今まで読んできただけに、リテンション戦略の中心にメンター制度を含めた社内教育制度を据えるというのは、読む前から大体予測がつき、実際、そうした内容の本でした(「辞めない法則」ではなく「辞めさせない制度施策」、人材確保というより人材教育そのものの話)。

 組織風土の問題を語るのに“厚化粧がこうじた挙句の「仮面会社」”とか“仕切っているのは「レンタル社員」”とか “制度はそろっているのに「機能不全」”といった表現がぽんぽん出てくるのも手慣れた感じですが、「トリンプ・インターナショナル・ジャパン」や「未来工業」の事例も使い回し感があり、書かれていることに正面切って異論は無いのですが、樋口氏よりやや年齢が上であるということもあるのか、「仕事の面白さやロマンを堂々と語れる浪花節的上司たれ」みたいな結論になっているのが、ホントにこれで大丈夫かなあと。

 あまりに古典的ではないかと。実際、若手社員の意識は昔とそう変わらないということなのかも知れませんが。
 樋口氏の本より“啓蒙書”度が高いように思われ(微妙な年齢差のせい?)、何れにせよ、両著とも、タイトルから受ける印象ほどの目新しさやパンチ力は感じられませんでした(所謂「タイトル過剰」気味)。

 



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和田泰明ブログ

投稿者 wadamy : 00:02

2009年05月26日

【1191】 ◎ 高間 邦男 『組織を変える「仕掛け」―正解なき時代のリーダーシップとは』 (2008/09 光文社新書) ★★★★★ (? 野田 智義/金井 壽宏 『リーダーシップの旅―見えないものを見る』 (2007/02 光文社新書) ★★★?)

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理念的に纏まっていて、且つ、地に足のついた組織変革の実践論・手法論となっている。

組織を変える「仕掛け」.jpg 『組織を変える「仕掛け」 (光文社新書)』 ['08年]  リーダーシップの旅.jpgリーダーシップの旅 見えないものを見る (光文社新書)』 ['07年]

 『組織を変える「仕掛け」-正解なき時代のリーダーシップとは』は経営コンサルタントの高間邦男氏による組織変革並びにリーダーシップに関する本で、同じくAmazon.comのレビューの評価が高かった『リーダーシップの旅-見えないものを見る』(野田智義・金井壽宏著/'07年)と共に読みましたが、『リーダーシップの旅』は、リーダーシップは先天的なものか後天的なものかという論争には意味がなく、後天的な環境がリーダーを育むものであり、「すごいリーダー幻想」に惑わされてはいけないと説きながらも、例に引いてくるのが歴史上の偉人や有名な経営者など「すごい」人物ばかりで、却って「すごいリーダー幻想」を助長しているような気もしました(横文字がやたら多いにも気になった)。

 斬って捨てるような本ではないし、部分部分では共感するのですが、何となく肌に合わなかったというか、自分はこの本向きの読者では無かったのかも。

 一方、高間氏の『組織を変える「仕掛け」』の方にも横文字は少なからず出てきますが、こっちの方がかっちりと理念的に纏まっていて、且つ、より地に足のついた組織変革の実践論となっているように思えました(最後にリーダーシップ論も出てきますが、メインは組織改革の手法を説いた本だった)。

 従来のトップダウンやボトムアップに替わる手法として〈ホールシステム・アプローチ〉という「経営トップから管理者層、メンバー、協力会社まで、ステークホルダーが全員集まり、状況や背景を共有し、全員が話をし、人の話を聴くことで、全員で自分たちのありたい姿を考え、新しいアイディアや施策を生み出していく」方法を提唱していて、更に、このアプローチの背景になる思想は、従来型の問題解決アプローチ(ギャップアプローチ)では限界があり、人の「強み」や「価値」に焦点を当てていく〈ポジティブアプローチ〉であるべきだとしています。

 前半部分だけだとやや抽象的ですが、後半において、「ポジティブアプローチの6つの原則」として、〈ポジティブアプローチ〉を更に具体的な幾つかの手法に落とし込み、研修場面などを想定しながら話を進めていくので、非常にわかり易いし、最後の「組織変革の9つのステップ」もしっくりくるものでした(但し、あまりに多くのことに触れているので、一読して全てを習得するのは難しいかもしれないが、取り敢えず要点と流れだけ掴めば、それだけでも随分違うのでは)。

 『不機嫌な職場―なぜ社員同士で協力できないのか』('08年/講談社現代新書)を読んだ際にも思ったのですが、結局、これからはリーダーシップ研修というよりメンバーシップ研修が大切になってくるのだろうと思わされた1冊でした。

《読書MEMO》
インクルージョン(⇔イクスクルージョン)-境界を外していく(⇔閉じている)
「女性の活用」といい続けるのは、「女性」というラベルを貼って区別していることになる(49p)
●生物学的な統合的(シンセシス)アプローチ(⇔分析的(アナリシス)アプローチ)
私たちを取り囲むシステムの変化や影響関係を、物語や映画のように全体の流れの中でとらえ、感性や皮膚感覚といったもので、察知していきます。自分たちは何者であるのか、一人ひとりがどうありたいのか、自分たちの組織や、社会がどうなったらいいのかを共有するところから、行動を生み出していく(53p)
●ミツバチの生態系の破壊
 アーモンドの需要増→5キロ四方のアーモンド畑→単一の花の蜜ばかり食べる→免疫力低下(70p)
●アポトーシス
 新規プロジェクトが100ぐらい走っているが、その多くが失敗。非効率に見えるが、どうも社内的にアポトーシスを持っているようで、長い時間軸で見るといい結果に(74p)
●ポジティブアプローチの6つの原則
原則1:信頼感のある対話の場をつくる(108p)
組織のメンバーの関係性を徐々に高めながら、メンバーの思いを引き出し、共有できるコミュニケーションの場をつくる。(「怒ってはいけない」「根に持たない」「自分のことは棚に上げてよい」)
原則2:メンバーの「察知力」を高める(129p)
メンバー自身が自己の認知の癖を知り、また、他者のことを自分のことのように捉える力を磨く。そのために自己に向き合うプログラムを取り入れる(内観/トイレ掃除/身体性を高める/瞑想をする)。
原則3:一人ひとりをリスペクトし、強みを認める(138p)
組織の一人ひとりに一人の人間として関心を寄せ、尊重する(問題解決の責任は問題に気づいた人にある/ミーティングで一人ひとりをリスペクトする/必ず全員が話しするようにする/メンバーの強みを引き出す手法―アプリーシアティブ・インクワイアリー(AI)のハイポイント・インタビュー(フロー体験(生きがいや達成感を抱いた体験)を語る)。
原則4:主体性を引き出す(161p)
メンバーが主体的に学習に取り組んだり、ミーティングに参加したりする工夫をする。(プロセス・ガーディナー/ファシリテーターはごみ拾いが理想)
原則5:自他非分離の場を作る(177p)
組織の一体感を高める活動を。組織変革を促すミーティングの場ではディスカッショよりも、メンバーの思いが表出するストーリーテリングが大切(ストーリーを共有する→個々のメンバーに内在するコンテクストが浮き彫りに→共感が生まれる)
原則6:暗在的リーダーシップでサポートする(192p)
組織メンバーの良い面を引き出し、サポートしていくことに徹することができるリーダーが組織変革には不可欠(顕在的リーダー(カリスマ)ではなく、メンバーを励ましていけるリーダーシップ)
●組織変革の9つのステップ(214p)
ステップ1:全体観を持ち、状況の共有によって視座の向上を図る
ステップ2:みなのありたい姿、夢を共有する
ステップ3:関係性の向上を図る
ステップ4:目的・ゴールを共有する
ステップ5:否定と創造
ステップ6:新しい意味の創造
ステップ7:アクションプランをつくる
ステップ8:行動する
ステップ9:振り返り、成果を実感する
●「メンバーが好きに目標を立てたら、組織目標が達成できないだろう」と危惧するマネージャーも多いが、それは思い込み。AIミーティングで主体的に売上げ目標を立ててもらったら、組織目標をはるかに上回った(215p)
●魂の入ってないプランをサラサラつくらないようにスピードを落とす。メンバーが本当に考え、腹に落ちている言葉であれば、稚拙な表現でもよい(232p)

   



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投稿者 wadamy : 00:35

2009年05月20日

【1183】 △ 城 繁幸 『若者はなぜ3年で辞めるのか?―年功序列が奪う日本の未来』 (2006/09 光文社新書) ★★★

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タイトルずれしている。分析・批判はともかく、著者の“立ち位置”がわかりにくい。

若者はなぜ3年で辞めるのか?.jpg 『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)』 ['06年] 3年で辞めた若者はどこへ行ったのか.jpg 『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)』 ['08年]

 『日本型「成果主義」の可能性』('05年/東洋経済新報社)に続く著者の本でこのタイトルであったために、企業がとるべき人材引き止め策(リテンション戦略)について書かれたものだと思ってしまったのですが、「年功序列」を未だに日本企業の根底にのさばる「昭和的価値観」と規定したところで終わってしまっていて、何かそれに対する改善策が提示されているわけでないため、人材マネジメントに関する本ではなく、労働経済問題を社会学的な見地から指摘した類の本だったのかなと。

 それにしてはデータ的な裏付けがさほど無いままに著者の主観ばかりが先行しているようで、終わりの方では若者に向けて、そうした「昭和的価値観」に捉われている企業から脱出するように呼びかけているような内容であるため、著者の“立ち位置”というか、本書を通して何を言わんとしているのかが今ひとつ分りにくく、少なくともタイトルからは“肩透かし”的印象を抱かざるを得ませんでした。

 著者の言うように、年功序列のレールは90年代前半の時点で大方の企業で崩壊の兆しを見せており、成果主義の導入によってより顕著になったわけで、分析・批判そのものは必ずしも的を射ていないわけではないですが、平成不況下でも年功序列の負の遺産だけが残り、若者達にとっては企業に勤め続けても明るい未来は約束されていないというある種の閉塞状況があるという指摘や(それが本書ではやや端的に語られ過ぎている気がするが)、或いは「“席を譲らない老人”と”席に座れない若者”」といった世代間格差的な捉え方は、玄田有史氏の『仕事の中の曖昧な不安―揺れる若年の現在』('01年/中央公論新社)などとほぼ重なるように思えます(5年前に他の人が指摘済みのこととなると新味は薄い)。

 繰り返しになりますが、本書ではそこからの企業のとるべき施策が語られているわけではなく、働く側の若者に対し「昭和的価値観」からの脱却を呼びかけていて、そのためには自分なりの確固たる価値観を持たねばならないとかいった感じで、ああ、「キャリア塾」みたいなこと、やろうとしているのかな、この人は、と思った次第。
 続編の『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』('08年/ちくま新書)は、そんな感じの内容らしいし…。

    



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投稿者 wadamy : 21:31

2009年05月09日

【1171】 △ 坂口 孝則 『会社の電気はいちいち消すな―コスト削減100の秘策』 (2009/03 光文社新書) ★★★

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“目から鱗が…”というほどもものでもない。

会社の電気はいちいち消すな.jpg会社の電気はいちいち消すな (光文社新書)』 ['09年]

 「コスト削減」をテーマにした本で、肝は、サブタイトルの「コスト激減100の秘策」に呼応する、中盤・第3章の「節約術100連発」でしょうか。よくこれだけ網羅したものだなあと。
 但し、目を通し終えてみれば、それほど斬新なものは無かったような…。
 全くの素人ならともかく、例えば中堅企業の総務部長や庶務部長がこれを読んで、(チェックリストとして使えなくも無いが) “目から鱗が…”的な感想はまず抱かないのではないでしょうか。

 タイトルの「会社の電気はいちいち消すな」というのも、会議室などで「5分以上人がいないときは自然の消灯するセンサーをつける」ようにしなさいというテクニカルなことを言っているに過ぎず(これは「節約術100連発」には含まれていない)、「節約術100連発」の中では、パソコン、プリンターの電源は、「こまめにコンセントから抜くことが大切」と言っています。

 ホテルを舞台にした小説を素材にして、アウトソーシングや作業のカイゼン・効率化では利益はあがらず、決算書知識は役に立たないとして、薄利多売の意義を説いた第1章が最も興味深く読め、企業会計の勉強にもなりますが、事例の前提条件がやや粗っぽいか、或いは前提条件に対する説明が希薄だったりもし、そのことは「節約術100連発」にも言えるかと思います。
 さすがに、リース契約と買い取りではどちらがいいかを考察した3章の後半では、「前提なしでこれに答えることは難しい」と予め断っていますが。

 結局、財務的な観点から見れば、業務の実態等の状況に関わらずこれが絶対に良いと断言できるような施策は無い訳で、本全体としてはオーソドックスと言えばオーソドックスな内容、但し、個々についてそれが自社適合であるかどうかは自分で考えてください―といった感じでしょうか。

 コンサルタントとして現場で場数を踏んでいるのであれば、従業員をそうした節約キャンペーンにコミットさせていく動機付けのための手法などにもっとページを割いてもよかったのではないかと思いますが、著者の専門はどうやら「購買」であるようで、そうした仕事はあまりやっていないのかな。



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和田泰明

投稿者 wadamy : 23:05

【1169】 ◎ 笹山 尚人 『人が壊れてゆく職場―自分を守るために何が必要か』 (2008/07 光文社新書) ★★★★☆

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面白かった。労働側弁護士の本だが、企業側が読んでもユニオン対策の参考書として使える?

人が壊れてゆく職場.jpg人が壊れてゆく職場 (光文社新書)』 ['08年] 笹山 尚人.jpg 笹山 尚人 氏 (弁護士/略歴下記)

 著者は1970年生まれの弁護士で、首都圏青年ユニオンの顧問でもあり、その著者が扱った案件の内から、名ばかり管理職の問題、給与の一方的減額、パワハラ、解雇、派遣社員の雇止めなどのテーマごとの典型的な事案を紹介し、相談者からどのような形で相談を受け、会社側とどのように交渉し、和解なり未払い賃金の回収なりに至ったかを書き記しています。

 要するに労働側弁護士が、ユニオンに寄せられた労働者の訴えを聞いて、ユニオンと協働してどのように企業側の横暴を暴いていったかというデモンストレーションの書ともとれなくもないですが、労働者はもっと労働組合を活用しようというのが本書の主たるメッセージの1つでもあり、こうした流れになるのは当然かも。

 労働者から相談を持ち込まれて、弁護士やユニオンがどのような対策をとるのか、その経緯や戦略がリアルに描かれているためかなり面白く読め、事実だから“リアル”なのは当然ですが、「よし、これはいける」とか「参ったな、これはまずいかも」などといった顧問弁護士として係争の見通しに対する感触が随所に吐露されているため、まるで小説を読んでいるみたいでした(顧問としての立場だから書ける部分もあり、ユニオンの人が書くとこうはならないのでは)。

 そうした点で、企業側が読んでも、ユニオン対策の参考書として使える部分もあるように思えたし(勿論、こうした事態に陥らないようにすることがそれ以前の話としては当然あるが)、労働法の趣旨や労働契約、就業規則の性質、労働審判の仕組み等についても、それぞれ係争の場面と照らしつつ具体的に解説されているので、実感を持って理解できるものとなっています。

 最初の方にある給与の一方的減額や上司が部下を殴り「顎に穴を空けた」(!)といったような事例は、会社側に非があることが自明の、且つ、かなり極端なケースにも思えましたが、係争案件として最も数の多いという「解雇」については、会社側の権利濫用を疎明するのが弁護士にとっても結構難しいケースもあることが窺え、労働者側が勤務期間を通じて完璧に清廉潔白であればともかく、中盤にある解雇の事例などもそうですが、訴える労働者側にも忠実義務に反する行為があったりすると、会社側はそこを突いてくる-そうした中で、いかに依頼人に有利な結果を導くかと言うのは弁護士の腕にかかっているのだなあと(何だかディベートの世界みたいだし、海外の法廷ドラマのようでもある)。

 ジョン・グリシャム原作の映画「依頼人」さながらに、1万円の着手金で派遣元から解雇された依頼人の仕事を受けた話などには著者の熱意を感じますが、これなども「感動物語」というより、和解に至る経緯とその事後譚が興味深かったです。

 一方、著者の言う労働組合活動の復興は、従来型の企業内組合ではなかなか難しいのではないかという気もし、結局はコミュニティ・ユニオンということになるのでしょうが、ユニオンの場合、労働者1人1人は、自らの案件が決着すると組合員であることを辞めるのが殆どのようで、その辺りはユニオンにとっても難しい問題ではないでしょうか(係争の間しか組合費が入らない)。
 結局、その結果ユニオンは、動いたなりの報酬を得なければというかなりタイトな経済原理のもとで活動している面があるように思われるのですが(その事は、労働者側の責に帰すべき部分が大きいと思われる場合には軽々しく介入しないということにも繋がっているのだが)。
 それは弁護士も同じかも。本書にある「着手金1万円」のケースも、解決金から報酬を得ればいいという見通しのもとで動いているわけで、こうした弁護士の本音に近い部分が書かれているという点でも、興味深い本でした。
_________________________________________________
笹山 尚人 (ささやま なおと)
1970年北海道札幌市生まれ。1994年中央大学法学部卒業。2000年弁護士登録。第二東京弁護士会会員。東京法律事務所所属。弁護士登録以来、「ヨドバシカメラ事件」など、青年労働者、非正規雇用労働者の権利問題を中心に事件を担当している。共著に、『仕事の悩み解決しよう!』(新日本出版社)、『フリーターの法律相談室』(平凡社新書)などがある。

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第一章  管理職と残業代 ---- マクドナルド判決に続け
第二章  給与の一方的減額は可能か? ---- 契約法の大原則
第三章  いじめとパワハラ ---- 現代日本社会の病巣
第四章  解雇とは? ---- 実は難しい判断
第五章  日本版「依頼人」 ---- ワーキング・プアの「雇い止め」
第六章  女性一人の訴え ---- 増える企業の「ユーザー感覚」
第七章  労働組合って何? ---- 団結の力を知る
第八章  アルバイトでも、パートでも ---- 一人一人の働く権利
終 章  貧困から抜け出すために ---- 法の定める権利の実現
おわりに



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和田泰明

投稿者 wadamy : 22:41

【1166】 ○ 水月 昭道 『高学歴ワーキングプア―「フリーター生産工場」としての大学院』 (2007/10 光文社新書) ★★★☆

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ノラ猫ならぬ“ノラ博士”量産の背景。研究員や非常勤講師は大変なのだということはよく分かった。

高学歴ワーキングプア.jpg高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)水月昭道.jpg 水月昭道 (みずき・しょうどう)氏

 大学院卒という肩書きを持ちながら就職に苦労している人を過去に何人か見てきましたが、その背景として、大学がとった「大学院重点化」という施策による博士養成数の急激な拡大と、一方で、大学という彼らにとっての就職先そのものにポストがないという現実があることが、本書によりよく分かりました。

 著者によれば、「大学院重点化」と言うのは「文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失わんと執念を燃やす“既得権維持”のための秘策」だったとのこと、それが90年代半ばからの若年労働市場の縮小(つまり就職難)と相俟って、学生を「院」へ釣り上げる分には何の苦も無くそれを成し得たが、ほぼ終身雇用に近い大学教授のポストにそんなに空きが出るわけでもなく、結果としてノラ猫ならぬ“ノラ博士”を大量に生み出しているとのこと。

 文科省の「大学院重点化」施策に多くの大学が追従した背景には少子化問題があり、学生数の減少を大学院生の増大で補っているわけで(平成3年に約10万人だった院生が、平成16年には24万人余りに増えているとのこと)、大学にも経営をしていかなければならないという事情はあるとは言え、結果として博士号取得済みの無職者(教員へのエントリー待ち者)が1万2千人以上、博士号未取得の博士候補者(博論未提出、審査落ちなどの理由で博士号を授与されていない者)はその数倍いるという現状を生じせしめた、その責任は重いと思いました。

 本書ではそうした“ノラ博士”のフリーターと変わらない生活ぶりなどもリポートしていて(研究員や非常勤講師って、コンビニでバイトして生活費を稼ぎながら学会発表のための論文も書かなければならなかったりして大変なのだなあ)、一方で、“誤って”大学院に進学してしまい、現在就職において苦労しているような人達に対しても、専門にこだわらず発想の転換を促すようアドバイスをしていますが、この“やさしさ”は、著者自身が、そうした道を歩んできたことに由来するものなのでしょう。

 その分、既にベテランの教授職として象牙の塔にいる側に対する憤怒の念も感じられ、そのことが諸事の分析にバイアスがかかり気味になるキライを生んでいるようにも感じられます。
 実際、本書に対する評価はまちまちのようですが、個人的には、研究員や非常勤講師と呼ばれている人達が置かれている現状を知る上では大いに参考になりました(今までその方面の知識が殆ど無かったため)。

  



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和田泰明

投稿者 wadamy : 00:11

2008年08月29日

【982】 △ 亀山 郁夫 『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (2007/09 光文社新書) ★★★

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作家がどう書いただろうかと言うより、自分ならこう書くみたいな…。「師匠・江川卓」乗り越えの試み?

「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する.jpg 『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)』 ['07年]

 ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を、全体で2つの小説からなる大きな作品の第1部として構想していたことは作品の序文からもよく知られており、序文で第1部を「13年前」の出来事としていることから、著者は、第2部は、第2部の「13年後」から始まり、その時代設定において書かれる続編を空想するならば、帝政末期という当時の歴史性ないし時代性にこだわらざるを得ないとしています。

 では、それがどのようなものになるかですが、アリョーシャがキリスト教的な社会主義者となって皇帝暗殺の考えにとりつかれるのではないかということは、当時巷でも噂され、また過去に何人もの研究者が唱えたことですが(日本では、著者の師匠である江川卓が示唆した)、著者は一通りその可能性も検証しつつ、アリョーシャが劇的な人格変容を遂げない限りその可能性は小さく、むしろアリョーシャではなく、第1部の「少年たち」の1人コーリャが、皇帝暗殺の実行犯になるのではないかと想像し、更に、そもそも、当時の当局の監視下にあったドストエフスキーの立場からすれば、現に生きている皇帝を暗殺するような小説が書けただろうか、それが難しいならば、どういった結末が考えられるかを考察しています(この辺り、「師匠・江川卓」を乗り越えようとしているようにもとれる)。

 本書自体、推理小説を読むような面白さはあるものの、細部にわたる「想像」は、その前提となる「想像」を土台としたものであり、著者自身、「客観的データに基づいて科学的に空想する」という立場をとったとしながらも、最初の仮説が崩れれば、話は全部違ってきてしまうことを認めています。

 個人的にも、ドストエフスキーが果たしてこんなに政治・社会状況を鏡のようにリフレクトした小説を書くだろうかやや疑問で、ドストエフスキーは(このことを著者も否定してはいないようだが)「社会主義」に共鳴しつつも皇帝支持者であり(理屈上は並存し得ない。ドストエフスキーは「考える」タイプではなく「感覚」の人だったと、中村健之介氏も言っている)、政治的・社会的事件に常に関心があったけれども、事件そのものよりも、そうした事件を引き起こした、或いはそこに巻き込まれた「人間」自体に関心があったのではないかという気がします。

 それでも著者は想像逞しく、どんどん話を進めていき、それはむしろ、ドストエフスキーがどう書いただろうかと言うより、自分ならこう書くみたいな感じになっていて(ドストエフスキーのハイテンションな作家性が著者に幾分のり移った感じも)、こういうオーサーシップが旺盛な翻訳者がいてもいいとは思うのですが(東京外語大の学長になるのも別に悪くない)、本書における展開自体は牽強付会の部分が多く、これはこれでスリリングではあるのですが、果たして「科学的に空想」したと言えるか疑問を感じました。

 ただ、本書でも繰り返されている『カラマーゾフの兄弟』の著者による解題(低次の「物語層」と形而上的な「象徴層」の間に、個人的な体験を露出させた「自伝層」があるという見方など)は、本編を読み解くうえで興味深iいものであるとは思います(但し、この分析も、「聖と俗」の二層構造を指摘した「師匠・江川卓」を、「二層→三層」という形で乗り越えようとしているようにもとれるのだが)。



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投稿者 wadamy : 23:40

2008年07月22日

【956】 △ 竹内 薫 『99・9%は仮説―思いこみで判断しないための考え方』 (2006/02 光文社新書) ★★★

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とりあげている「仮説」のレベルにムラがある。科学エッセイに近い「啓蒙書」?

99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方.png 『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』 ['06年]

 自然科学においては、「法則」という名のものも含め、究極的には全てが仮説であるということはむしろ当たり前であって、「科学は全部『仮説にすぎない』」という本書は、特に新たなことを唱えているわけではなく、科学的理論というものが「仮説である」と認識するところに科学的思考の鍵があるということを言いたかったのではないでしょうか、そうした意味では、本書の趣意は「啓蒙」にあるように思えました。

 但し、著者の「白い仮説、黒い仮説」という表現にもあるように、仮説が実験や観察などにより事実との合致を検証され続けていくと、次第により正しい自然科学法則として認められるようになっていくわけであり、何でもかんでも相対化すればいいというものではなく、その中で、より客観的に確かなものをベースに、それを数学における「命題」や「定理」のように考え、次の理論段階へ進むことが、科学的進化の道筋であるということなのだと思います。

 冒頭の「飛行機がなぜ飛ぶのかまだよく理解されていない」という話は、掴みとしては大変面白いし、「仮説」がすぐに覆ることもあるというのはわかりますが(反証可能だからこそ「仮説」なのである)、「仮説」が覆る可能性がある例として「冥王星は惑星なのか」という問題をもってきていることには、少し違和感がありました(実際、本書にあるIAU国際天文連合の「冥王星が惑星から降格されることはない」という声明は、本書刊行の半年後に、IAU自体がこれを覆して、冥王星を「準惑星」に降格したのであり、時期的にはドンピシャリの話題ではあったが)。

 これって、天文学の話というより、天文学会の中の話であるように思え、それまでにも、仮説が覆った例として「絶対に潰れないと思われた山一證券があという間に潰れた」などといった例を挙げていて、この話と、冥王星の話と、例えば最後にあるアインシュタインの相対性理論も「仮説」に過ぎないという話は、同じ「仮説」でも、その意味合いのレベルが異なるように思えました。

 サブタイトルから、何かビジネスに役立つ思考に繋がる「啓蒙書」かと思って買った人もいるかも知れませんが、どちらかというと、一般の人に科学に関心を持ってもらうための科学エッセイに近い「啓蒙書」という気がしました。

   



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投稿者 wadamy : 00:12 | トラックバック

2008年07月20日

【954】 ○ 劉 文兵 『中国10億人の日本映画熱愛史―高倉健、山口百恵からキムタク、アニメまで』 (2006/08 光文社新書) ★★★☆

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文化大革命以降、意外な日本映画が中国で大反響。その背景を分析。

中国10億人の日本映画熱愛史.jpg 『中国10億人の日本映画熱愛史—高倉健、山口百恵からキムタク、アニメまで』 ['06年]

追捕.jpg君よ憤怒の河を渉れ.jpg 文化大革命以降の中国国内における日本映画の歴史を解説したもので、何よりも、文革直後に中国で公開された数少ない映画が、中国の一般の人々や映画人に与えた影響が絶大なものであったことを本書で知りました。

 その代表というのが、今は日本では殆ど顧みられることのない「君よ憤怒の河を渉れ」('76年製作)で、西村寿行の原作を佐藤純彌が監督したこの作品は、'78年に中国で「追捕」というタイトルで公開されるや大反響を呼び、中国人の約80%以上が観たということで(スゴイ!)、主演の高倉健、中野良子は今でも中国で人気があるそうです。

サンダカン八番娼館 望郷.jpg これに続いたのが、山崎朋子の原作を熊井啓が監督した「サンダカン八番娼館・望郷」('74年製作)で、主演の栗原小巻の中国での人気は今でも高いそうですが、その後も「愛と死」('71年/中村登監督)、「人間の証明」('77年/佐藤純彌監督)、「砂の器」('74年/野村芳太郎監督)などが中国に輸入され、高い人気を博したとのこと(「愛と死」を80年代に日本人が観れば、既にノスタルジーの対象であったものが、当時の中国人にはオシャレに見えた。この点が、今の日本の“韓流ブーム”とは異なるところ)。

 本書では、中国に輸入された日本映画とその影響を、「第5世代」と呼ばれる中国の新映画人の台頭など国産映画の動向と併せて解説し、何故それら日本映画が中国の人々に受け入れられたのかを分析していて、先に挙げたものは、中国に輸入された日本映画の初期のものに過ぎないのですが、とりわけ反響が絶大であっただけに、その「ウケた理由」には自ずと興味が持たれます(こうしてみると、芸術性はあまり関係ないなあ)。
コン・リー.jpg
 中国における高倉健の人気は、ハリウッドスターを含めた海外映画俳優の中で今でもトップという圧倒的なものだそうですが、女優で最大人気は、'84年から中国で放映されたTVドラマ「赤い疑惑」シリーズの山口百恵だそうで、殆どカリスマのような存在。

 大物女優の鞏俐(コン・リー)なども、中国が本当にオリジナルな芸術性を持った作品を作り始めた第五世代の代表的監督・張芸謀(チャン・イーモウ)の初期作品「紅いコーリャン」('87年)に出演した頃は、中国国内で「中国の山口百恵」と言われているという話を聞いた覚えがあります(本書によれば、その後すぐに彼女はそのイメージから脱却したそうだが、スピルバーグがプロデュースした「SAYURI」('05年)に、チャン・ツィイーと共に日本人女性役で出ているというのが興味深い。本来は日本人がやる役だけれど、ハリウッド進出は中国女優の方が既に先行している)。
                                                            鞏俐 (コン・リー)

 著者は映画芸術論を専門とする中国人の学者で('94年以降、日本在住)、本書は初めから日本語で書かれたもの。
 知らないことだらけで興味深く読めたけれど、1行当たりの“漢字含有率”がどうしても高くなってしまうのは、本の内容上、仕方がないことなのか。

     



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投稿者 wadamy : 23:30

2008年04月20日

【885】 △ 春日 武彦 『問題は、躁なんです―正常と異常のあいだ』 (2008/02 光文社新書) ★★★ (× 春日 武彦/平山 夢明 『「狂い」の構造―人はいかにして狂っていくのか?』 (2007/08 扶桑社新書) ★★)

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“うつ”の底が抜けると躁になる。つまり、躁の方が深刻だということか。

問題は、躁なんです.jpg 『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ (光文社新書)』 ['08年] 「狂い」の構造.jpg 春日武彦・平山夢明 『「狂い」の構造 (扶桑社新書 19)』 ['07年]

 “うつ”よりも頻度が低いために見過ごされ易い“躁”についての本ですが、著者は、うつ病が「心の風邪」であるならば躁病は「心の脱臼」であるとし、“うつ”の対極に躁があるのではなく、“うつ”の底が抜けると躁になるとしていて(つまり、躁の方が深刻だということ)、その3大特徴(「全能感」「衝動性」「自滅指向」)を明らかにするとともに、有吉佐和子、中島らもなどの有名人からハイジャック事件の犯人まで、行動面でどのようにそれが現れるかをわかり易く説いています。
中島らも.jpg有吉佐和子.jpg
 有吉佐和子が亡くなる2カ月前に「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」に出演し、ハイテンションで喋りまくって番組ジャックしたのは有名ですが(橋本治氏によると番組側からの提案だったそうだが)、当時、本書にあるような箍(たが)が外れたような空想小説を大真面目に書いていたとは…。
 中島らもの父親が、プールを作ると言って庭をいきなり掘り始めたことがあったというのも、ぶっ飛んでいる感じで、彼の躁うつは、遺伝的なものだったのでしょうか。

黒川 紀章.jpg 著者によれば、躁の世界は光があっても影のない世界、騒がしく休むことを知らない世界で、最近では老年期にさしかかった途端にこうした状態を呈する人が増えているとのこと、タイプとしてある特定の妄想に囚われるものや、所謂「躁状態」になるものがあり、後者で言えば、(名前は伏せているが)黒川紀章が都知事選に立候補し、着ぐるみを着て選挙活動をした例を挙げていて、その人の経歴にそぐわないような俗悪・キッチュな振る舞いが見られるのも、躁の特徴だと(個人的に気になるのは、有吉佐和子、黒川紀章とも、テレビ出演、都知事選後の参院選立候補の、それぞれ2カ月後に亡くなっていること。躁状態が続くと、生のエネルギー調整が出来なくなるのではないか)。

 不可解な犯罪で(アスペルガー症候群のためとされたものも含め)、躁病という視点で見ると行動の糸口が見えてくるものもあるとしていますが、やや極端な事例に偏り過ぎで(しかも、自分が直接診た患者でも無いわけだし)、一般の“躁”の患者さんから見てどうなのかなあ。
 罹患した場合、普段隠している欲望が歯止めなく流れ出していく怖さを強調する一方で、そうした事態に対する患者の内面の苦しみには、今一つ踏み込んでいないように思えます。

 (名前は伏せているが)中谷彰宏氏のように「葬式鬱病の時代」とか言って素人が医学用語を振り回すのは確かにどうしようもなく困ったものですが(この発言が本書を書くきっかけになったと、「週刊文春」の新刊書コーナーで語っている)、著者自身も、時代の気質の中でこの病を捉えようとしている面があり、その分、社会病理学な視点も含んだ書きぶりになっていて、その点が入門書としてはどうかなあという印象もありました。

 著者自身は、「躁に関心があるのは、怖いもの見たさのようなものがある」といったことを、同じ文春の誌面で語っていて、そのことは、作家・平山夢明氏との対談『「狂い」の構造-人はいかにして狂っていくのか?』('07年/扶桑社新書)を読むと、人間の狂気そのものへの著者の関心が窺えます。
 但し、この対談では、平山氏の異常性格犯罪に対するマニアックな関心の方が、それ以上に全開状態で、著者が平山氏と歩調を合わせて、自らの患者になるかも知れない人間を「ヤツ」呼ばわりしているのが気になった。

 



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投稿者 wadamy : 22:31

2007年12月24日

【822】 ○ 田中 宇 『イラク (2003/03 光文社新書) ★★★★

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イラクの政治・宗教・経済・市民生活などを知る上ではわかりやすい入門書。

イラク.jpg 『イラク (光文社新書)』 〔'03年〕 タリバン.jpg 『タリバン (光文社新書 (003))』 〔'01年〕

 イラク戦争開戦('03年)直前のイラクの政治・宗教・経済・市民生活などを知る上では、わかりやすく書かれた本で、ペルシャ帝国来のイラクの歴史についても触れられていて、今読んでも充分参考になります。

 著者の田中宇(たなか さかい)氏は元共同通信者記者でフリーの国際ジャーナリスト、同じ光文社新書では、創刊ラインアップの1冊として『タリバン』を「9.11同時多発テロ」の翌月に上梓していますが(内容的にはタリバン自体よりもアフガン情勢が主)、本書『イラク』の刊行は、イラク戦争におけるアメリカの爆撃開始直前でした(実際、戦争を予想して本書は書かれている)。

 田中氏は、ウェブ上の海外サイトで情報収集し、自らのニュースサイトに記事を書き、更に解説メールの配信を行うことを中心に活動していますが、『仕組まれた9.11』('02年/PHP研究所)など、ネット情報のどの部分を拾ってきたの?といった内容の本もあり、但し、この『タリバン』と『イラク』については現地取材をしていて、とりわけ、インターネットとは逆の“地を這うような”目線で書かれた部分が多い本書『イラク』は、日本人の知らないイラクの人々の一面が描かれていて興味深いものでした。

 小学校の取材では、独裁政権下でスローガンを連呼する小学生が何となくラテン的だったり、クルド人の生徒が拍手で紹介されるようなヤラセっぽい演出があったり、また、バクダッド市内には、日本の秋葉原や六本木とよく似た雰囲気の街があり、そこで働く若手事業家は…といった具合で、この辺りの淡々としたルポルタージュ感覚がいい。

 僅か2週間の滞在で、しかも、当局が用意した“取材ツアー”の枠内での取材が多かったようですが、劣化ウラン弾に汚染された街なども取材して、白血病・癌などの子供が多く入院する病院とその近くにある子供専用墓地が痛ましいです。

 政情分析についても、湾岸戦争後の経済制裁でフセイン政権への求心力が強まり、その後の制裁緩和で求心力が失われたとか、「戦争が近い」という状況がアメリカ側・イラク側両方の政権にとって好都合なものであるといった分析は、あながちハズレではないのでは(あまり強調しすぎると「仕組まれた9.11」のような論調になってしまうのだろうけれど)。

 前段の歴史解説の部分で、中近東の宗教的対峙が、オスマン帝国を解体しようとした西欧列強に起因することはおおよそ知識としてありましたが、「シーア派」の教義は被征服国ペルシャの宗教をコーランに当て嵌めたもので、偶像崇拝的な面があるというのは初めて知り、聖地の廟を訪れる人たちの様は「浅草詣」っぽく、廟の金具を触ったり額をくっつけたりするのは、柱に触ると縁起がいいという「善光寺詣」に似ているのが、個人的には興味深かったです。

  



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投稿者 wadamy : 02:51

2007年11月25日

【784】 × 柏井 壽 『極みの京都 (2007/10 光文社新書) ★★

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「普通の京都」コースは「じゃらん」、「特別の京都」コースは「日経おとなのOFF」?。

極みの京都.jpg 『極みの京都』 (2007/10 光文社新書)

京町屋.jpg 著者は京都在住の開業歯科医で、グルメ・紀行エッセイストでもあるとのことで、紹介文から、行楽地として四季を通じて人気が高い京都の、その人気の秘密を探るか、または、一風変った視点での京都観光の楽しみ方を教えてくれる本だと思ったのですが、読んでみて、観光ガイドを新書にしただけという印象を受けました。

 前段の、「京都検定」の問題の出し方に対する異議や、「ぶぶ漬神話」(京都の知人宅を訪ねた際に「お茶漬でも…」と言われたら、辞去を促す婉曲表現であると一般には言われていること)はウソであるという話ぐらいまでは面白かったけれども、すぐに、寺や店を次々紹介する普通のガイド本になってしまった…。

 京都を“極める”のに、「普通の京都」コースと「特別の京都」コースがあるらしいけれど、「普通の京都」コースは「じゃらん」、「特別の京都」コースは「日経おとなのOFF」などに書かれていることとさほど変らないような…(何れにせよ、「特別の京都」コースの方は、さほど自分には縁がなさそうだなあ)。

 文章にも、旅行ガイドの定型表現が多く見られ、最初からガイドブックと割り切って読めば、京都への旅行を計画している人には足しになる部分もあるかも知れないけれど、これで「新書」になるのなら、この手の本の書き手はごろごろいるのではないだろうか。

     



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投稿者 wadamy : 00:49

2007年11月10日

【774】 △ 菅原 健介 『羞恥心はどこへ消えた? (2005/11 光文社新書) ★★★

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結論には共感したが、インパクトが弱い。『「甘え」の構造』がなぜ参考文献リストに無い?

羞恥心はどこへ消えた.jpg 『羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)』 〔'05年〕 菅原 健介.jpg 菅原 健介 氏 (聖心女子大教授)

ジベタリアン.jpg 駅や車内などで座り込むジベタリアン、人前キス、車内化粧などの横溢―現代の若者は羞恥心を無くしたのか? そうした疑問を取っ掛かりに、「恥」の感情を研究している心理学者が、羞恥心というものを社会心理学、進化心理学の観点で分析・考察した本。

 社会的生き物である人間は、社会や集団から排除されると生活できなくなるが、羞恥心は、人間が社会規範から孤立しないようにするための「警報装置」としての役割を持っているとのこと。
 それは、単なる自己顕示欲や虚栄心といった世俗的なプライドを守る道具ではなく、生きていくために必要なもので、進化心理学の視点で考えると、敏感な羞恥心を持たない人物は、社会から排斥されその形質を後世に伝えられなかっただろうと。

ジベタリアン2.jpg 「恥の文化ニッポン」と言われますが、国・社会によって「恥」の基準は大きく異なり、日本の場合、伝統的には、血縁などを基準にした「ミウチ」、地域社会などを基準にした「セケン」、それ以外の「タニン」の何れに対するかにより羞恥心を感じる度合いが異なり、「セケン」に対して、が最も恥ずかしいと感じると言うことです。
 しかし、「セケン」に該当した地域社会が「タニン」化した現代においては、一歩外に出ればそこは「タニン」の世界で、羞恥心が働かないため、「ジブン」本位が台頭し、駅や車内などで座り込もうと化粧しようと、周囲とは“関係なし状態”に。

 しかし一方では、従来の「セケン」に代わって「せまいセケン」というものが乱立し、若者の行動はそこに準拠することになる、つまり、平然と車内化粧する女子高生も、例えば、仲間がみんなルーズソックスを穿いている間は、自分だけ穿かないでいるのは「恥ずかしい」ことになり、結局、その間は帰属集団と同じ行動をとった、というのが著者の分析です。
「甘え」の構造3.jpg
 さらっと読める本ですが、前半部分の分析が、わかりきったことも多かったのと(ジベタリアンへのアンケート結果なども含め)、ポイントとなる「ミウチ・セケン・タニン」論は、30年以上も前に土居健郎氏などが言っていること(『「甘え」の構造』、どうして参考文献のリストに無い?)と内容が同じことであるのとで、インパクトが弱かったです。

 最後の方の、今まで「セケン」に該当していたものが「タニン」化し、「せまいセケン」が乱立しているという結論には、改めてそれなりに共感はしましたが、これも一般感覚としては大方が認識済みのことともとれるのでは。

  



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投稿者 wadamy : 07:34

2007年08月03日

【724】 ◎ 本田 由紀/内藤 朝雄/後藤 和智 『「ニート」って言うな! (2006/01 光文社新書) ★★★★☆

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巷間に溢れる「ニート」論のいい加減さと危険性を指摘。一読に値する。

「ニート」って言うな!.jpg 『「ニート」って言うな! (光文社新書)』  本田由紀.jpg 本田 由紀 氏 (略歴下記)

 「ニート祭り」と言ってもいいほど盛況を極めた「ニート」論ブームを、教育社会学者の本田由紀氏をはじめとする3人の著者が “バッサリ”斬った本で、タイトルのから受ける印象よりはずっと真面目に、社会現象化した巷の「ニート」論を分析・批判しています。
ニート.gif
 とりわけ本田氏が執筆している第1章が明快で、「ニート」という概念を英国から輸入した玄田有史氏らが、その著書『ニート』('04年/幻冬舎)のサブタイトルにもあるように、フリーターでもなく失業者でもない人たちを「ニート」という言葉で安易に一括りに規定し、近年増加した(求職中ではないが働く意欲はある)「非求職型(就職希望型)」無業者を、ほとんど増えていない(働く予定や必要の無い)「非希望型」無業者と同じに扱ってしまったと。
 それにより、「非求職型」無業者というのは本来、同じく労働経済的要因で増加したフリーターや失業者(求職者)に近いはずなのに、それらと分断されて「働く必要のない人・働く意欲のない人」と同類に扱われ、さらには「ひきこもり」や「犯罪親和層」のイメージが拡大適用されてしまったとしています。
 このことは、結果として、労働経済問題である若年雇用の問題の咎を、失業者自身の「心の問題」や「家族」の問題、「教育」の問題にすりかえることになってしまったと。

 第2章では、社会学者の内藤氏が、「最近の若者は働く意欲を欠いている」「コミュニケーション能力に問題があり他者との関わりを苦手とする」「凶悪犯罪に走りやすい」といった根拠の希薄な「青少年ネガティブ・キャンペーン」と相俟って「ニート」が大衆の憎悪と不安の標的とされていることを指摘し、その背後にある大衆憎悪を醸成する社会心理のメカニズムと、「教育」的指導をしたがる危険な欲望について解説し、さらに第3章では、「俗流若者論批判」を展開している後藤和智氏が、「ニート」を巡るこれまでの言説を検証しています。
ニート.jpg
 玄田氏の『ニート』を読んだときは、共著者・曲沼美恵氏の若者への真摯なインタビューなど共感する部分もありましたが、「ニート」の定義が粗削りのまま議論を展開していて(実は曲沼氏のインタビューを受けている人も「ニート」ではない)、最後は人生論みたいになってしまっているのに疑問を感じましたが、後藤氏のレポートを読むと、この「ニート」ブームに乗っかって牽強付会の言説を展開した学者・ジャーナリストがいかに多くいたかがよくわかり、危惧を覚えます。

 各章の繋がりやバランスがイマイチの部分もありますが、こうした言説が、政府の労働経済施策の無策ぶりに猶予を与え、国策教育など政治的に利用される怖れもあることを指摘しているという点では、多くの人にとって一読に値するものだと思いました。
_________________________________________________
本田 由紀 (ほんだ・ゆき)
1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。教育学博士。94年から日本労働研究機構(現労働政策研究・研修機構)研究員として数々の調査研究プロジェクトに従事。2001年東京大学社会科学研究所助教授を経て、2003年から東京大学大学院情報学環助教授。主な編共著に『女性の就業と親子関係―母親たちの階層戦略』(勁草書房)『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』(岩波書店)など。著書に『若者と仕事―「学校経由」の就職を超えて』(東京大学出版会)など。



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投稿者 wadamy : 22:49

2006年09月02日

【394】 ◎ 磯部 潮 『発達障害かもしれない―見た目は普通の、ちょっと変わった子』 (2005/04 光文社新書) ★★★★☆

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新書という体裁に沿った、軽度発達障害のわかりよい入門・啓蒙書。

発達障害かもしれない.jpg  『発達障害かもしれない 見た目は普通の、ちょっと変わった子 (光文社新書)』 〔'05年〕 

 本書は、主に高機能自閉症、アスペルガー症候群という軽度発達障害を世の中に広く知ってもらうことを目的とした本ですが、概念の説明、症状、LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)との違い、それらのケースの紹介と対応する治療をわかりやすく示しています。

 著者自身はLD、ADHDを“発達障害”の定義に含めるべきではない(もちろん、自閉症、高機能自閉症、アスペルガー症候群を指す“自閉症スペクトラム”には含まない)という近年の研究動向に沿った考え方ですが、LD、ADHDも高機能群に重複することがあるために敢えて本書で取り上げていて、それは、もし高機能群であればそれに沿った療育が不可欠で、そのことがまたLD、ADHDにも良い影響を与えると言う考えに基づくものです。

 外から見えない障害である自閉症スペクトラムは、実際にそうした人に関わらないとわかりにくいものだとエピローグで述べていますが、後半部分の高機能自閉症、アスペルガー症候群、LD、ADHDのそれぞれのケーススタディは、年齢的な経過を追って書かれていて、親からはどう見えたか、どういったことで苦労したかなども添えられていてわかりやすく、また、症状が固定的なものでなく適切な対応や療育によって改善されていくことを示しています。

 “社会性の障害”である自閉症スペクトラムへの対応の仕方を丁寧にアドバイスしていて、一方で、いじめや被害妄想が早期療育の効果を損なうこともあるとも指摘しており、自閉症スペクトラムの人たちの障害が早期に認識され、できるだけ早期に療育され、将来健常者に近いかたちで社会参画できることを期待する著者の気持ちが伝わってくる内容です。
 
 同じ光文社新書の前著『人格障害かもしれない』('03年)では、芸術家などの症例への当て込みにやや恣意的ではないかと思われるものを感じましたが、本書は直近の研究成果と著者の臨床経験をベースにしたバランスのとれた内容で、多くの人に触れる機会の多い「新書」という体裁にも沿った、適切なレベルの入門書であり啓蒙書であると思います。

  



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投稿者 wadamy : 10:25

【386】 △ 磯部 潮 『人格障害かもしれない―どうして普通にできないんだろう』 (2003/04 光文社新書) ★★★

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解説自体はオーソドックスだが、実在者への当て込みには恣意的。

人格障害かもしれない.jpg  『人格障害かもしれない (光文社新書)』 〔'03年〕

 本書では、米国精神医学会の診断基準DSM-IVに沿って人格障害を10タイプに分け、それぞれの特徴や治療面でのアプローチについて述べています。
 その中でも多い「境界性人格障害」については、見捨てられることへの不安、不安定な対人関係、言動や性格に一貫性がない、衝動性、慢性的な空虚感などの特徴を挙げていますが、そうした不安定な共生依存関係が維持されている間は、他の面ではうまくいっていることが多いという指摘は興味深いものでした。
 それぞれの解説自体はオーソドックスです。

尾崎豊.bmp 人格障害には光と影の部分があるとし、影の部分として宅間守や麻原晃光などの凶悪犯がそれぞれどのタイプの人格障害に当たるかを示していますが、光の部分(創造性発揮につながったケース)として尾崎豊、太宰治、三島由紀夫を挙げています。

 例えば尾崎豊は、境界性人格障害による強度の見捨てられ不安だったと。
yukio mishima2.jpgdazai.bmp ただこの3人の最期を考えると、自分は人格障害かも知れないと思っている人は喜んでいいのかどうか。
 “光の部分”の例としてはどうかという気もするし、こうした実在者への当て込み自体がかなり主観的であると感じました。
 このことは、実際の診断において医師の主観が入ることを示しているとも思いました。

《読書MEMO》
●人格障害の種類… 
・A群…妄想性・分裂病質・分裂病型
・B群…境界性・反社会性・自己愛性・演技性
・C群…回避性・強迫性・依存性
●《境界性人格障害》の特徴=極端で不安定な共生依存関係、そうした不安定な状態にある間、その他の面はうまくいっていることが多い/20代・30代ぐらいの女性に多い母子共生関係
●《境界性人格障害》とは「精神病」と「神経症」の中間?→正常からの逸脱
●《境界性人格障害》のすべてが犯罪を犯すわけではない
●新潟女児監禁事件の《佐藤宣行》…「分裂病型・人格障害」
●池田小学校児童殺傷事件の《宅間 守》…「妄想性・人格障害」
●《麻原彰晃》…「自己愛性・人格障害」
●連続幼女誘拐殺人の宮崎 勤…「多重・人格障害」(今田勇子)
●神戸連続児童殺傷事件の《酒鬼薔薇少年》…「行為障害」、成人ならば「反社会性・人格障害」
●尾崎 豊…境界性人格障害(強度の見捨てられ不安)/●太宰 治…境界性人格障害+自己愛性人格障害/●三島由紀夫…自己愛性人格障害



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投稿者 wadamy : 09:59

2006年08月27日

【313】 △ 松田 忠徳 『ホンモノの温泉は、ここにある (2004/10 光文社新書) ★★☆

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安全性、ホンモノ度、経済合理性の調和が難しい温泉問題。生活者問題も軽視できないのでは。

ホンモノの温泉は、ここにある2.jpg 『ホンモノの温泉は、ここにある』 光文社新書 これは、温泉ではない.jpg 『これは、温泉ではない』 ('04年)

白骨野天風呂.jpg 同じ光文社新書の『温泉教授の温泉ゼミナール』('01年)、『これは、温泉ではない』('04年)の続編で、今回は信州の〈白骨温泉〉の「入浴剤混入問題」を受けての緊急出版ということですが、内容的には、「源泉100%かけ流し」にこだわり、日本の多くの温泉で行われている「循環風呂システム」や「塩素投入」を批判した前著までの流れを継いでいます(事件としても、循環風呂のレジオネラ菌で7名の死者を出した〈日向サンパーク事件〉の方を重視している)。

 今まで温泉と思っていたものの実態を知り、「ああ、読まなければ良かった」という気持ちにもさせられますが、著者に言わせればそういう態度が良くないのだろうなあ。
 温泉とは言えないものまで「温泉」になってしまうザル法や、「かけ流し温泉」にまで一律に塩素殺菌を義務付ける条例を批判し、源泉だけでなく浴槽の(中のお湯の)情報の公開を提案しています。

 一読して知識として知っておく価値はあるかもしれませんが、安全性は絶対の優先課題であるとして、次に、経済合理性を100%犠牲にしてまでもホンモノにこだわるとすれば(本書の中では町村ぐるみで「源泉100%かけ流し」宣言をした例も紹介されてはいますが)、多くの温泉旅館は消えていくのではと…。そうした生活者問題が軽視されている印象も受けました。

 著者の専攻はモンゴル学で、『朝青龍はなぜ負けないのか』('05年/新潮社)という著作もありますが、「温泉教授」(自称)といっても要するに文系の人です。
 著者自身も指摘するように、ドイツの有機化学は「ワイン」から発達し(同じく有機化学“先進国”である日本なら、さしずめ「味噌・醤油」からということになるだろうか)、無機化学は「温泉」から発達したと言われるのに対し、日本は〈温泉学〉では“後進国”なのかも知れません。

   



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投稿者 wadamy : 00:24

2006年08月25日

【274】 △ 生島 淳 『世紀の誤審―オリンピックからW杯まで』 (2004/07 光文社新書) ★★☆

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誤審が避けられないなら、選手やコーチはもっと外国語の勉強をしておいた方がいいかも。

世紀の誤審.jpg 『世紀の誤審 オリンピックからW杯まで』 光文社新書 〔'04年〕
篠原“誤審”に泣いた銀.jpg
 パリ世界陸上('03年)の末続慎吾のスタート直前に与えられた不当な注意や、シドニー五輪('00年)柔道決勝の篠原・ドゥイエ戦の判定、日韓共催サッカー・ワールドカップ('02年)の韓国チームに有利に働いた判定、ソルトレイク冬期五輪('02年)フィギアの審判員の不正など、歴代の大きなスポーツ競技会での誤審や疑惑の判定が取りあげられていて、色々あったなあと思い出させてくれます。
                             篠原“誤審”に泣いた銀 ('00年/サンケイスポーツ)

 どうして誤審が起きるのかをひとつひとつ分析していて、柔道のように競技の国際化に伴って審判も国際化し、そのレベルが均質ではなくなってきているという問題もあるのだなあと。サッカー・ワールドカップ然り、おかしな審判は必ず毎大会います。

 柔道は選手に抗議権がない競技らしいですが、それにしても国際大会に出る日本のアスリートは、外国語(主に英語)を早めに習得しておいた方がいいのではないかと思われ、それは監督・コーチにも言えることで、篠原・ドゥイエ戦にしても、抗議文を英語で書ける人がいなかったために、その発送が遅れたというのは情けない。

 切り口は面白く、誤審が生まれる背景には政治的なもの、人種差別的なものから選手の実力に対する先入観など色々な要素があることがわかりますが、ひとつひとつのケースの取り上げ方がやや浅い気もします。
 しいて言えば、ミュンヘン五輪('72年)男子バスケットボールの米ソ大逆転は状況分析が行き届いていますが、これはの『残り(ラスト)3秒』(香中亮一著/'93年/日本文化出版)という先行著作を参考にしているためだと思われます。

  



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投稿者 wadamy : 01:11

2006年08月23日

【248】 ○ 山口 仲美 『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い』 (2002/08 光文社新書) ★★★☆

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オノマトペについての考察。動物に偏り過ぎた感じもするが、読み物としては楽しめた。

犬は「びよ」と鳴いていた.jpg山口仲美(やまぐちなかみ).jpg 『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い』 光文社新書 〔'02年〕

 英語の3倍にも及ぶという日本語の擬音語・擬態語、その研究の魅力にとり憑かれたという著者が、擬音語・擬態語の歴史や謎を解き明かしています。
                                                  山口 仲美 氏(略歴下記)

 三島由紀夫がオノマトペ(擬音語や擬態語)を品が無いとして自分の作品にほとんど使わなかったのは知られていますが(本書によれば森鷗外も好きでなかったらしく、片や草野心平や宮沢賢治は詩や小説の中でうまく使っている)、オノマトペって奈良・平安の時代から使われているものが結構ある一方で、最近でもいつの間にか使われなくなったり(雨戸の「ガタピシ」とか)、新たに使われるようになったもの(レンジの「チン」とか携帯電話の「ピッ」とか)も多いんだなあと。
 三島が使わなかったのは、時代で使われ方が変わるということもあったのではないだろうかと思いました。

 『大鏡』の中で犬の鳴き声が「ひよ」と表記されているのを、著者が、いくらなんでも犬と雛の鳴き声が同じに聞こえるはずはないだろうと疑念を抱き、濁点の省略による表記と発音の違いを類推し、後の時代の文献で「びよ」の表記を見出す過程は面白く(「びよ」は英語のbowにも似てる)、それがどうして「わんわん」になったかを、独自に考察しているのが興味深かったです。

 その他にも、鶏の鳴き声は江戸時代「東天紅」だったとか、猫は「ねー」と鳴いていて、それに愛らさを表す「こ」をつけたのが「猫」であるとか、やや動物に偏り過ぎた感じもしますが、読み物としてはこれはこれで楽しめました。
_________________________________________________
山口仲美(やまぐちなかみ)
1943年生まれ。お茶の水女子大学文教育学部国語国文学科卒。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。文学博士。現在は、埼玉大学教養学部教授。著書に、『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い―』(光文社新書)、『中国の蝉は何と鳴く?―言葉の先生、北京へゆく―』(日経BP社)、『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(講談社)などがある。

       



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投稿者 wadamy : 02:28

2006年08月18日

【176】 ○ 金井 壽宏 『仕事で「一皮むける」―関経連「一皮むけた経験」に学ぶ』 (2002/11 光文社新書) ★★★☆

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報告書レベルを超えた内容。ただし、ちょっと大企業中心?

仕事で「一皮むける」.jpg  『仕事で「一皮むける」』 光文社新書 〔'02年〕 金井壽宏.jpg 金井壽宏 氏

 関西経済連合会のワークショップとして、参加企業のミドルが企業トップ(経営幹部)にインタビューし、自らの〈キャリアの節目〉を振り返りってもらったものをまとめたものを、さらに金井教授が新書用に再構成し、解説をしたものです。
Career and Work Success.jpg
 金井教授の「一皮むける」という表現は、その仕事上の経験を通して、ひと回り大きな人間になり、自分らしいキャリア形成につながった経験のことを指し、ニコルソンのトランジッション論などのキャリア理論がその裏づけ理論としてあるようです。
 直接的には南カリフォルニア大の経営・組織学教授モーガン・マッコールが著書『ハイ・フライヤー』('02年/プレジデント社)の中で述べている“クォンタム・リープ(量子的跳躍)”という概念と同じようですが、“クォンタム・リープ”といった言葉よりは“一皮むける”の方がずっとわかりやすいかと思います(一方で、“ターニング・ポイント”という言葉でもいいのではないかとも思うが、ここでは“キャリア”ということを敢えて意識したうえでの用語選びなのだろう)。
 その言葉のわかりやすさと、金井氏の思い入れが、本書を単なる報告書レベルを超えたまとまりのあるものにしています。

 経営幹部が選んだ自らの“一皮むけた”経験の契機が様々であるにも関わらず、配属や異動であったり、初めて管理職になったときであったり、プロジェクトに参画したときであったりと、ある程度類型化できるのが興味深く、自分に重なる事例に出会ったときはハッとさせられます。
 日経の「私の履歴書」みたいな実名記載ではない分、飾り気が無く、自らのキャリアに対する素直な振り返りになって、誰もが自分にも類似したことが思い当たる〈キャリアの節目〉となった事例を、本書の中に見出せるのではないかと思います。

 ただし、大企業での話ばかりで、多階層組織、事業部制を前提とし、新規事業、海外生活などを経験したといったことがキーになっていたりする話などは、今ひとつピンと来ない読者もいるのではないかと思いました。
 関経連には中小企業はいないの?

  



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投稿者 wadamy : 00:15

2006年08月17日

【168】 △ 岩永 嘉弘 『すべてはネーミング (2002/02 光文社新書) ★★★

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読みやすいが、一般の人が応用するのは難しい面も。

すべてはネーミング.gif  『すべてはネーミング』 光文社新書 〔'02年〕

 “売れる”ネーミングとは何かを、自らの経験をベースに、読みやすい語り口で説いています。
 また、ネーミングの“売り込み”におけるプレゼンテーションの重要性にも触れていて、広告宣伝の世界を垣間見ることができます。
コピーライターの発想2.jpg
 以前に、業界の草分け的存在である土屋耕一氏の『コピーライターの発想』('84年/講談社現代新書)という本を読んで、なかなか面白かったのですが、土屋氏の弟子第一号を自認する著者も、すでにベテランの域に(何だか職人の系譜という感じ)。
 
 「11PM」の企画で「ふんどし」に名前をつける話などは面白いけれど、ちょっと年代を感じます。
 洗濯機の「からまん棒」や新宿「MyCity」、雑誌「saita」などもこの人の仕事。
 六本木ヒルズに新規出店('01年11月)した食品スーパーマーケット(FOO:D magazine)のネーミングの話もあります。
 本書にはありませんが、「新生銀行」「JAL悟空」なども著者が手掛けたもので、トップランナーとしての息の長さを感じます。

 都市型スーパーマーケット「FOO:D magazine」のそのネーミングに至るまでの話は、名付け作業以前のマーケティングの重要性を感じました。
 西友が展開する店ですが、店舗内に「SEIYU」のロゴは一切使われてませんね。この高級スーパーは。
 
 それと、特に感じるのは、近年の仕事に共通する、ロゴなどのビジュアルの重要性でしょうか。
 こうなってくると、専門家と職人のコラボレーションの世界で、興味深くはあるものの、一般の人が応用するのは難しい面もあるかもしれません。
 
 エッセイ風にまとめられていて、体系的な入門書ではないけれど、こうした本をキッカケにコピーライターを目指す人もいるのだろうなあという気はしました。

  



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投稿者 wadamy : 18:49

【167】 ○ 中川 佳子 『「情報を見せる」技術―ビジュアルセンスがすぐに身につく』 (2003/07 光文社新書) ★★★☆

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「情報の整理が出来なければセンスはうまく働かない」には共感。

情報を見せる」技術.jpg  『「情報を見せる」技術』 光文社新書 〔'03年〕  中川佳子.jpg 中川佳子 氏 (略歴下記)

 本書は副題に「ビジュアルセンスがすぐに身につく」とあり、色彩デザインなどのビジュアル、つまり情報伝達の技術的方法論を具体的に論じていて、これは新書本の中では珍しいのではないかと思います。
 
 著者はNHK特集「驚異の小宇宙・人体」でCGを担当するなどのプロですが、本書はPowerPoint などを使った一般的なプレゼンを想定して書いていて、細部はやや専門的ですが、大筋ではそれほど“理解する”のが難しいものではありません。
 テクニックとは活用の機会さえあれば“実際に使える”もので、知っておくに越したことはないと思います。

 個人的には前半部分の、「センスは学べる」ものであるが「情報の整理」が出来なければセンスはうまく働かないという箇所に共感しました。
 「情報」には“収集”と“活用”の2つのレベルがあるということ、つまり、イメージを広げるための情報と、イメージに具体性を与えるための情報があるというのです。
 
 拙いプレゼンの多くに、発表者が自らのイメージを広げるために収集した情報がそのまま盛り込まれていて、それが受け手がイメージをつくる際にむしろ妨げになっていることがあるなあと、自分がやったプレゼンも含め、今更ながら思った次第です。
_________________________________________________
中川佳子
CGクリエーター/株式会社アイ・コム代表/武庫川女子大学助教授
1984年つくば博松下館CG制作。1986年よりNHK特集「人体」プロジェクト参加。1992年よりNHK『音楽ファンタジー夢』のオリジナルCG作品制作。2000年連続テレビ小説『オードリー』(NHK)タイトルCG制作などTV番組、展示映像、ゲーム等、CG制作を手がける。
1985年日経CGグランプリゴールド賞、1994年SIGRAPH VIDEO REVIEW収録。著書に『情報を見せる』『技術-ビジュアルセンスがすぐに身につく-』(2003年、光文社)。

      



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投稿者 wadamy : 18:42

【160】 ○ 中西 雅之 『なぜあの人とは話が通じないのか?―非・論理コミュニケーション』 (2004/06 光文社新書) ★★★★

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コミュニケーション能力を高めるための考え方のヒントを提示している。

なぜあの人とは話が通じないのか.gif  『なぜあの人とは話が通じないのか? 非・論理コミュニケーション』 光文社新書 〔'04年〕

Communication.bmp 「話が通じない人」とコミュニケーションする場合、言葉や論理に頼りすぎない方が良い場合もあり、それが著者の言う「非・論理コミュニケーション」ですが、「なぜ話が通じないのか」という切り口から、コミュニケーション・トラブルの対処法、背後にある力関係、日本的な“面子”の問題、非言語コミュニケーションの役割、「聴く」ことの重要性、異価値に対する柔軟さの必要性などを指摘し、コミュニケーション能力を高める様々なヒントを提示しています。

 コミュニケーション学の本には、米国の理論を引くものが多い。本書で引用されているものも'70年代の米国のものが主流です。
 ただし、理論紹介が目的化してしまっていたり、逆に実用を強調するあまり1つの理論を万能薬のように唱える本が多い中、本書での事例と理論のとり上げ方は納得性の高いもので、日本においてはどうかという考察もしています。

 例えば米国流コミュニケーション学によく出る「エトス(精神的訴求)」という言葉ですが(もともとは哲学家アリストテレスの思想で、「優れたリーダーの3つの条件」はエトス(精神)・パトス(情熱)・ロゴス(意義)であるというのがベースになっているのですが)、それについての説明でも、元来エトスとは「高い精神性」のことだったのが、近年は情報ソースの「信憑性」を指す傾向にあるというように最近動向を押さえながらも、さらに日本では、それに「カリスマ性」といった情緒的要素が入る傾向があると指摘しています。

 全体を通して、答えを示すよりも考え方のヒントを提示するようなスタンスで、お仕着せがましさが無くて自分には合った本でした。

中西 雅之.jpg 中西 雅之 氏
略歴(ホームページより)
1953年東京都生まれ。国際基督教大学卒業後渡米、ヴァージニア大学で修士号、カンザス大学で博士号を取得。カンザス州立大学専任講師、共立女子大学専任講師を経て、現在、津田塾大学学芸学部英文学科コミュニケーションコース教授。専門はコミュニケーション学。コミュニケーションを人間の最も基本的な社会活動と捉え、対人関係、小集団、組織、異文化、メディアなど様々な状況におけるコミュニケーションの諸問題について実証データを基に研究している。



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投稿者 wadamy : 14:53

【152】 × 野口 悠紀雄 『ホームページにオフィスを作る (2001/11 光文社新書) ★★

「●仕事術・整理術」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【153】 齋藤 孝 『会議革命
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「ブログ」隆盛の今日においては“鮮度落ち”の内容か。

ホームページにオフィスを作る.gif  『ホームページにオフィスを作る』 光文社新書 〔'01年〕  2000logo.gif 「野口悠紀雄Online」

 本書の肝は、第2章の冒頭にある「ホームページは自分だけが使うつもりで作るとよい」ということです。
 本書が刊行された時点('01年)では画期的な提唱でしたが、「ブログ」隆盛の今日においては、根底部分ではすでに多くの人が実践しているものとなっています(本書を読んで「ブログ」を始めたという人もいるかと思いますが)。

 もちろん第3章の「ノグラボ」「野口悠紀雄Online」に見る、利用者とのイントラクションなどの有効な活用方法は今読んでも示唆に富むものですが、誰もがすぐにできて、かつ同じ効果が期待できるというものでもありません。
 むしろやや自己宣伝的で、一般読者への落とし込みが充分なされていない分、著者の『「超」整理法』シリーズなどと比べ不親切さを感じました。

 『「超」整理法』シリーズ1~3('93年・'95年・'99年/中公新書)を読んだ流れで本書を手にしましたが、どの本においても著者の先見性を感じるとともに(そのことは認めます)、近著から順番に賞味期限が切れていくのではないかという皮肉な思いがしました。

 本書も、現時点での有効性で評価するのはちょっとキツイかもしれません。
 「ホームページは自分だけが使うつもりで作るとよい」という発想の先駆性に対して星1つプラスしたつもりですが、自分のホームページの宣伝的であることに対して(この手の本は他にも結構あるが)星1つマイナス、といったところでしょうか。



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投稿者 wadamy : 11:23

【145】 △ 齋藤 孝 『座右のゲーテ―壁に突き当たったとき開く本』 (2004/05 光文社新書) ★★★

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斎藤氏自身のメッセージを込めたビジネス啓蒙書とみていいのでは。

座右のゲーテ.jpg 『座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本』 光文社新書 〔'04年〕

 これを機に『ゲーテとの対話』(岩波文庫で3分冊、約1200ページあります)を読む人がいれば、その人にとっては“ゲーテ入門者”ということになるかも知れませんが、本文中に「ビジネスマンこそ、自分の資本は何かということを問われる」などとあるように、基本的には斎藤氏自身のメッセージを込めたビジネス啓蒙書とみていいのでは。
 仕事術、処世術から氏の専門である身体論、教育論、さらに人生論まで幅広いです。

 ゲーテは常に偉大なものに対しては素直だったそうですが、斎藤氏もそうあろうとしているのでしょうか。
 教養主義を過去のものとする風潮に対する氏の考えには共感できる部分もあるのですが、大芸術家や文豪から、スポーツ選手、歌手、漫画家まで、多方面から引いてきた“いい話”が満載で、誰でもこの人のヒーローになっちゃうのかな、という感じもしました。

 個々にはナルホドと思う箇所もありました。「豊かなものとの距離」の章で、憧れの対象と付かず離れずの距離を置くことを説いていることに納得!
 ゲーテはシェイクピアの作品との付き合い方を「年1回」という言い方で、「適当にしておけ」と言っているそうです。
 著者自身の経験からか、藤沢周平の作品の読み易さをから、そこにハマって他のものを読まなくなると、世界が広がらなくなるとも言っています。

 ただし、変に固まってしまうことを戒めると同時に大人になり切れないことの弊害を説くというように、「すべてを語って何も語らず」みたいな感じもして、文章自体が平易でスラスラ読める分、読後の印象がやや薄いものになった気がします。

    



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和田泰明ブログ

投稿者 wadamy : 00:42

2006年08月16日

【138】 △ 金井 壽宏 『組織変革のビジョン (2004/08 光文社新書) ★★★

「●組織論」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1177】 高橋 克徳/河合 太介/永田 稔/渡部 幹 『不機嫌な職場』
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短時間でビジョン、ミッション、バリューなどの概念整理はできるが…。

組織変革のビジョン.jpg  『組織変革のビジョン』 光文社新書 〔'04年〕 金井壽宏.jpg 金井壽宏 氏 (略歴下記)

 大学教授であり、教育研修コンサルタントでもある著者によって書かれた本書は、働く個々人に対し「ビジョン」、「ミッション」、「バリュー」を創ることで、生きていく方向性や指針が見つかるとし、とりわけビジョニング(自分自身のマイビジョンを創ること)が自己改革をもたらすと説いていますが、併せて、企業を活性化するためには「組織ビジョン」と「個人ビジョン」の相乗効果が大切であると言っていて、組織論の書としても読めます。

 「経営理念」の重要性というのがわかっていても、企業によっては額縁に入れて飾ってあるだけで形骸化していたりして、何でも横文字が良いというわけではありませんが、自社の「ビジョン」「ミッション」「バリュー」はそれぞれ何であるかという切り口で改めて問い直してみるということも、創造的組織改革への道筋を探る上で無駄ではないと思います。

 「ビジョン」は長期のもの、「ミッション」は短期のもの、「バリュー」は現状からビジョンへ至る過程での価値観・行動規範であるという概念区分がスッキリしていてわかりやすく、リーダーシップ論などのマネジメント理論も紹介されています。

 短時間で概念整理するには良い本だと思いますが、最終章の組織メンバーがCOEになったつもりで組織変革を考える「バーチャルCEO」 や「忌憚のない議論が大切」といった提案部分が、独自性が弱かったり(ジュニア・ボードという手法は以前からあります)、抽象的だったりするのがやや物足りなかったです(基本的にはやはり個々人に向けた啓蒙書という感じでしょうか)。

《読書MEMO》
●ジョン・P・コッター『リーダーシップ論』でマネジメントよりリーダーシップが大事、コーチングによる組織活性化が必要(56p)
 ★コッターのリーダーシップの定義…①方向設定 ②人的連携 ③動機付けと鼓舞
●ジェームズ・C・コリンズ『ビジョナリーカンパニー』 成功の鍵はビジョン(110p)
●好き嫌いチャートと強み弱みチャート(116p)
●ルイス・ガースナー(ナビスコ会長→IBMのCEO)『巨象も踊る』 顧客志向へ変革(149p)

_________________________________________________
金井壽宏 (神戸大学大学院経営学研究科教授)
1954年生まれ。兵庫県神戸市出身。京都大学教育学部卒業。神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。マサチューセッツ工科大学でPh.D(マネジメント)、神戸大学で博士(経営学)を取得。現在はリーダーシップ、モティベーション、キャリア・ダイナミクスなどのテーマを中心に、個人の創造性を生かす組織・管理のあり方について研究。



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投稿者 wadamy : 23:14

【113】 ○ 千葉 三樹 『ウェルチにNOを突きつけた現場主義の経営学 (2003/02 光文社新書) ★★★☆

「●マネジメント」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【114】 ピーター・F・ドラッカー 『経営の哲学
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アグレッシブな経営文化。潔い不退転の姿勢。キャリアに伴う偶然性。

ウェルチにNOを突きつけた現場主義の経営学.jpg 『ウェルチにNOを突きつけた現場主義の経営学』 光文社新書 〔'03年〕

 ほとんど偶然に近いかたちでGEの日本法人に就職し、異例の出世で米国本社の副社長にまで昇りつめたものの、ジャック・ウェルチと事業部門の撤退を巡って対立し、個人で起業するに至った―という著者の自伝的経営論です。

 メーカーにおける「購買」という仕事の一端が窺えて興味深かったですが、それ以上に、こうした米国企業における個人の職域や専門性に対する考え方が、いかに日本企業と異なるかが著者の経験を通じてよくわかります。
 個人主義・実力主義であることには違いないが、部下を育てなければ次のステージにいけないなど、日本企業も学ぶ点は多いのではと思いました。

 ジャック・ウェルチに表象されるGEのアグレッシブな企業文化は有名ですが、経営陣もそうした経営文化に耐え得る“ウィナーズセンス”の持ち主でなければならず、その中にたまたま日本人である著者がいただけともとれます。
 「ウェルチにNOを突きつけた」と言っても、上司はウェルチであって、「NOを突きつけた」のはウェルチの方だろうと突っ込みたくもなりますが、常に何かあれば全責任を負う覚悟でいる著者の不退転の姿勢には、潔さが感じられ好感が持てます。

 GE退社後に「レーザーターンテーブル」(=針無しレコード再生機、値が張ります)の事業に賭ける話もさることながら、前段のGEに就職するまでの話はキャリアというものに偶然性がつきまとうことを示していて、読み物としても面白いものでした。



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投稿者 wadamy : 16:12

2006年08月04日

投稿者 wadamy : 22:56

投稿者 wadamy : 19:02

投稿者 wadamy : 17:02