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昆虫たちの驚くべき「戦略」。読み易さの『昆虫はすごい』、写真の『4億年を生き抜いた昆虫』。

昆虫はすごい1.jpg昆虫はすごい2.jpg  4億年を生き抜いた昆虫.jpg 4億年を生き抜いた昆虫_pop01(縮)-300x212.jpg
昆虫はすごい (光文社新書)』『4億年を生き抜いた昆虫 (ベスト新書)

 『昆虫はすごい』('14年/光文社新書)は、人間がやっている行動や、築いてきた社会・文明によって生じた物事 は、狩猟採集、農業、牧畜、建築、そして戦争から奴隷制、共生まで殆ど昆虫が先にやっていることを、不思議な昆虫の生態を紹介することで如実に示したものです。昆虫たちの、その「戦略」と言ってもいいようなやり方の精緻さ、巧みさにはただただ驚かされるばかりです。

 ゴキブリに毒を注入して半死半生のまま巣穴まで誘導し、そのゴキブリに産卵するエメラルドセナガアナバチの"ゾンビ"化戦略とか(p46)、同性に精子を注入して、その雄が雌と交尾を行う際に自らの精子をも託すというハナカメムシ科の一種の"同性愛"戦略とか(p84)、アブラムシに卵を産みつけ、そのアブラムシを狩りしたアリマキバチの巣の中で孵化してアブラムシを横取りして成長するエメラルドセナガアナバチ7.jpgハチの仲間ツヤセイボウの"トロイの木馬"戦略とか(p93)、その戦略はバラエティに富んでいます。カギバラバチに至っては、植物の葉に大量の卵を産み、その葉をイモムシが食べ、そのイモムシをスズメバチが幼虫に与え、そのスズメバチの幼虫に寄生するというから(p94)、あまりに遠回り過ぎる戦略で、人間界の事象に擬えた名付けのしようがない戦略といったところでしょうか。

ゴキブリ(左)にエメラルドセナガアナバチ(右)が針を刺し麻痺させ、半死半生のゾンビ化させ、巣に連れて行き、ゴキブリの体内に産卵する。子が産まれたららそのゴキブリを食べる。

 こうしてみると、ハチの仲間には奇主を媒介として育つものが結構いるのだなあと。それに対し、アリの仲間には、キノコシロアリやハキリアリのようにキノコを"栽培"をするアリや(p144)、アブラムシを"牧畜"するアリなどもいる一方で(p154)、サムライアリを筆頭に、別種のアリを"奴隷"化してしまうものあり(p173)、メストゲアリ7.jpgいわば、平和を好む"農牧派"と戦闘及び侵略を指向する"野戦派"といったところでしょうか。トビイロケアリのように、別種の働きアリを襲ってその匂いを獲得して女王アリに近づき、今度は女王アリを襲ってその匂いを獲得して女王に成り代わってしまう(p178)(トゲアリもクロオオアリに対して同じ習性を持つ)という、社会的寄生を成す種もあり(但し、いつも成功するとは限らない)、アリはハチから進化したと言われていますが、その分、アリの方が複雑なのか?(因みにシロアリは、ゴキブリに近い生き物)。
クロオオアリの女王アリ(左)に挑みかかるトゲアリの雌(右)。クロオオアリの働きアリに噛み付き、匂いを付けて巣に潜入。女王アリを殺し、自分が女王アリに成り代わる。

 著者の専門はアリやシロアリと共生する昆虫の多様性解明で、本書は専門外の分野であるとのことですが、ただ珍しい昆虫の生態を紹介するだけでなく、それらの特徴が体系化されていて、それぞれの生態系におけるその意味合いにまで考察が及んでいるのがいいです。そのことによって、知識がぶつ切りにならずに済んでおり、誰もがセンス・オブ・ワンダーを感じながら楽しく読み進むことができるようになっているように思います。

4億年を生き抜いた昆虫_pop0.jpg 『4億年を生き抜いた昆虫』('15年/ベスト新書)は、カラー写真が豊富なのが魅力。本文見開き2ページとカラー写真見開き2ページが交互にきて、やはり写真の力は大きいと思いました。

 『昆虫はすごい』と同じく、昆虫とは何か(第1章)ということから説き起こし、第2章で昆虫の驚くべき特殊能力を、第3章で昆虫の生態を種類別に解説していますが、第3章が網羅的であるのに対し、第2章が、奇妙な造形の昆虫や、人間顔負けの社会性を持つ昆虫、"一芸に秀でた"昆虫にフォーカスしており、この第2章が『昆虫はすごい』とほぼ同じ趣旨のアプローチであるとも言えます。その中には、「クロヤマアリを奴隷化するサムライアリ」(p69)とか「ゴキブリをゾンビ化するエメラルドセナガアナバチ」(p92)など、『昆虫はすごい』でもフューチャーされていたものもありますが、意外と重複は少なく、この世界の奥の深さを感じさせます。

 著者は昆虫学、生物多様性・分類、形態・構造が専門ということで、『昆虫はすごい』の著者に近い感じでしょうか。『昆虫はすごい』の著者によれば、昆虫に関する研究も最近は細分化していて、「昆虫を研究している」という人でも、現在では昆虫全般に興味の幅を広げている人は少ないとのこと。いても、自分の専門分野に関係するものに対象を絞っている場合が殆どで、中には「事象に興味があっても虫には興味が無い」と浅学を開き直る学者もいるそうな。そうした中、"虫好き"の精神とでも言うか心意気とでも言うか、センス・オブ・ワンダーをたっぷり味あわせてくれる本が世に出るのは喜ばしいことだと思います。

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ケーススタディに実在の人物を持ち出すことの良し悪しはあるが、興味深く読めたのは事実。

回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち.jpg回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)』['13年] 愛着障害  子ども時代を引きずる人々0.jpg愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)』['11年]

 「愛着障害」とは、乳幼児期に長期にわたって虐待やネグレクト(放置)を受けたことにより、保護者との安定した愛着(愛着を深める行動)が絶たれたことで引き起こされる障害です。著者は前著『愛着障害―子ども時代を引きずる人々』('11年/光文社新書)において、乳幼児は生後6カ月から大体3歳くらいまでにある特定の人物(通常は母親)と「愛着関係」を築き、その信頼関係を結んだ相手を「安全基地」として少しずつ自分の世界を広げていくが、それが旨くいかなかった場合、他人を信頼することや他人と上手くやっていくことなど、人間関係において適切な関係を築くことができにくくなるとしていました(但し、それを克服した例として、夏目漱石やヘルマン・ヘッセ、ミヒャエル・エンデなど多くの作家や有名人の例が紹介されている)。

 著者の分類によれば、愛着障害は安定型と不安定型に分類され、更に不安定型は不安型(とらわれ型。子どもでは両価型と呼ぶ)と回避型(愛着軽視型)に分けられるとし、不安型と回避型の両方が重なった、恐れ・回避型(子どもでは混乱型)や、愛着の傷を生々しく引きずる未解決型と呼ばれるタイプもあるとしています(ややこしい!)。本書は、その中でも回避型を、とりわけ、健常レベルの「回避型」が社会適応に支障をきたすレベルとなった「回避性」の愛着障害を扱っていることになります。

 前著『愛着障害』より対象が絞られて、分かりよくなっている印象も受けますが、一方で、例えばパーソナリティ障害のタイプごとに、回避性愛着障害の現れ方が次のように多岐に及んでくるとのことで、これだけでもかなりの人が当て嵌まってしまうのではないかという気がします。
 ①回避性パーソナリティ・タイプ ... 嫌われるという不安が強い
 ②依存性パーソナリティ・タイプ ... 顔色に敏感で、ノーが言えない
 ③強迫性パーソナリティ・タイプ ... 勤勉で、責任感の強すぎる努力家
 ④自己愛性パーソナリティ・タイプ ... 自分しか愛せない唯我独尊の人
 ⑤反社会性パーソナリティ・タイプ ... 冷酷に他人を搾取する

 但し、健常レベルの「回避型」と社会適応に支障をきたすレベルとなった「回避性」の愛着障害の違いは、元々は程度の差の問題であり、また、パーソナリティのタイプが何であれ、愛着スタイルが安定すれば、生きづらさや社会に対する不適応はやわらげられるとのことですので、自分がそれに該当するかもしれないと思い込むのは別に構わないと思いますが、そもことによってあまり深刻になったり悲観したりはしない方が良いかと思います。

エリック・ホッファー.jpg種田山頭火7.jpg 著者の解説のいつもながらの特徴ですが、該当する作家や有名人の事例が出てきて、回避型愛着障害と養育要因の関係について述べた第2章では、エリック・ホッファーや種田山頭火、ヘルマン・ヘッセが、回避型の愛情と性生活について述べた第4章では、同じく山頭火やキルケゴールが、回避型の職業生活と人生について述べた第5章では、同じくエリック・ホッファーや『ハリー・ポッター』シリーズの作者J・K・ローリング、児童分析家エリク・エリクソン、井上靖らが、回避性の克服や愛着の修復について述べた第6章・第7章では、カール・ユング、書道家の武田双雲、『指輪物語』のジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン、養老孟司、マリー・キューリーなどが取り上げられています。

 実際に著者自身が直接診断したわけでもないのに憶測でこんなに取り上げてしまっていいのかという批判もあるかと思いますが、こうした実在の人物を「ケーススタディ」的に取り上げることで「愛着障害」というものが多少とも分かり易く感じられるのは事実かもしれません。それと、取り上げ方が上手であると言うか、それぞれの人に纏わる話をよく抽出してテーマと関連づけるものだと感心してしまいます。ある種"作家的"とでも言うべきか。そこがまた、批判の対象にならないこともないのですが。

 一方、回避性愛着障害の克服方法については、「自分の人生から逃げない」など、やや抽象的だったでしょうか。登場した実在の人物の歩んだ克服の道のりの話の方がよほど説得力があります。とれわけ、エリック・ホッファーと種田山頭火のエピソードは大変興味深く読めました。

《読書MEMO》
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)』より
愛着障害  .jpg●愛着パターンには安定型(60%、正常)、回避型(15-20%、安全基地を持たないのでストレスを感じても愛着行動を起こさない、児童養護施設育ちの子どもに多い、親の世話不足や放任、成長すると反抗や攻撃性の問題を起こしやすい)、両価型(10%、安全基地の機能不全により愛着行動が過剰に引き起こされている、親の関心と無関心の差が大きい場合、神経質で過干渉、厳格すぎる一方、思い道理にならないと突き放す。子どもを無条件に受け止めると言うより、良い子を求める。成長すると不安障害なりやすい。いじめられっ子)、混乱型(10%、回避型と両価型の混合、虐待被害者や精神が不安定な親の子どもに多い、将来境界型人格異常)がある(『愛着障害』37p)
●不安定型(回避型、両価型、混乱型)の場合、特有の方法によって周囲をコントロールしようとする。攻撃や罰、よい子に振る舞う、親を慰めるなどをして親をコントロールしようとする。不安定な愛着状態による心理的な不足感を補うために行われる(『愛着障害』38p)
●大人の愛着パターンには安定型、不安型(子どもの両価型に対応する)、回避型(愛着軽視型)がある。不安型と回避型を合わせて不安定型という(『愛着障害』45p)
●アメリカの診断基準では反応性愛着障害として、抑制性(誰にも愛着しない警戒心の強いタイプ、幼いときに養育放棄や虐待を受けたケースに多い)、脱抑制性(誰に対しても、見境無く愛着行動が見られる。不安定な養育者からの気まぐれな虐待や、養育者の交代によって、愛着不安が強まった状態)の2つがある(『愛着障害』46p)。
●比較的マイルドな愛着問題では、自立の圧力が高まる青春期以降に様々なトラブルとなって現れる。回避型では淡泊な対人関係を望む「草食系男子」や結婚に踏み切れない人の増加である。不安型では境界型人格障害や依存症や過食症にとなる(52p)
●愛着障害の7-8割は養育環境が原因。遺伝は2-3割である(53p)
●愛着障害の人は誰に対しても信頼も尊敬も出来ず、斜に構えた態度を取る一方で、相手の顔色に敏感であると言った矛盾した感情を持っている。それは小さいときに尊敬できない相手でも、それにすがらずに生きていけないからである(67p)
●親の愛着パターンが子どもに影響する。不安型の親からは不安型の子どもが育つ(81p)
●不安定型の愛着パターンを生む重要な要因の一つに、親から否定的な扱いや評価を受けて育つことである。たとえ子どもが人並みよりぬきんでた能力や長所を持っていても、親は否定的に育てることである(97p)
●愛着障害とは特定の人との愛着が形成されない状態であるので、誰にも全く愛着を持たないか、誰に対しても親しくなれることである。誰にでも愛着を持つと言うことは誰にも愛着を持たないことと同じである。実際問題でも、対人関係が移ろいやすい。恋愛感情でも誰に対しても同じ親しさで接すればトラブルの元になる。特定の人との信頼関係や愛情が長く維持されにくい(117p)
●回避型ではいつになっても対人関係が親密にならない。不安型では、距離を取るべき関係においても、すぐに親しくなり、恋愛感情や肉体関係になる。混合型では、最初はよそよそしいが、ちょっとしたことで急速に恋愛関係に陥る(120p)
●愛するパートナーを助けるために、自分の命を危険にさらせるのが、愛着が安定している人で、自分の価値観や信念のためなら死んでも良いと思っているのが愛着の不安定な人である(193p)
●不安定型の人は家族との関係が不安定で、支えられるどころか足を引っ張られることが多い(194p)
●回避型の人は、仕事上の問題よりも、同僚との軋轢が多く、孤立を招きやすい。これは、同僚に対して関心が乏しかったり、協調性に欠けたりするためである(195p)
●不安型の人の関心は対人関係であり、人からの承認や安心を得ることが極めて重要と考えている。回避型の人は対人関係よりも勉強や仕事や趣味に重きを置く。対人関係の煩わしさを避けるために、仕事や勉強に逃げ場を求めている。世間に向けて体裁を整えたり、社会的非難や家族からの要求を回避したりするために利用している。仕事と社交、レジャーとのバランスを取るのが苦手で、仕事に偏りがちである(196p)。
●回避型の人をパートナーに持つことは、いざというとき頼りにならないどころか、回避型の人にとって頼られることは面倒事であり、他人から面倒事を持ち込まれることは怒りを生むのである(225p)

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制度をぽんぽん作ることがイコール「クリエイティブ」であるともとられかねない論調?

クリエイティブ人事19.JPGクリエイティブ人事.jpgクリエイティブ人事 個人を伸ばす、チームを活かす (光文社新書)

 本書は、サイバーエージェントの取締役人事本部長の曽山哲人氏が、組織行動研究の第一人者である金井壽宏氏との対談も交え、自社の人事制度を紹介しつつ、人事の在り方や人事制度の本質について語った本です。

 曽山氏は、自社の創業7年後の2005年の人事本部の発足と同時に人事本部長に抜擢され、すでに急成長を遂げベンチャーらしさが失われつつあった社内の雰囲気に危機感を覚え、日常業務を回すだけの「機能人事」からの脱却を図ることを目指したとのことです。そして、半年ごとの新事業提案コンテスト「ジギョつく」、役員と社員がチームを組み「あした(未来)」につながる新規事業を考え提案する「あした会議」、サービスアイディアを「モックアップ(試作品)」に落とし込んで提案するコンテスト「モックプランコンテスト」など、イノベーションと組織活性化を促すさまざまな仕組みを打ち出してきました。

 人事本部のミッションを「コミュニケーション・エンジン」と定義し、自らに月に100人の社員と話すことを課すとともに、懇親会支援制度や部活動支援制度などを導入し、インフォーマル・コミュニケーションの活性化に力を入れている点などは、個人的には興味深く感じましたが、様々な経歴の人材が集まるベンチャー企業などではそれほど珍しくない施策かもしれません。「キャリチャレ」と呼ばれる社内異動公募制度なども含め、本書にあるこうした制度は、同業他社や他業種の企業でも多くが導入しているように思います。

 序章を金井教授と曽山氏が交互に執筆して、終章(第5章)に両者の対談があるのを除き、残りの部分は曽山氏によるこうした社内の人事制度やその考え方の紹介となっていますが、結果的に、制度を紹介する企業ガイダンス的な内容になってしまっている面があるとともに、人事部目線で見ると、ある特殊なケースにおける「成功体験」を聞かされているような印象も受けました。

 「2駅ルール」というオフィスの最寄り駅から2駅以内に住む社員に補助をする仕組みを社員の5割弱が利用しているといったことも、急成長を遂げたベンチャー企業で、規模のわりには社員の平均年齢が若いという特殊性の現れではないかと。中には、やや思いつき的な発想からきたのではと思われるような制度もあり、ある程度の遊び心があってこそのベンチャーと言えなくもありませんが、制度をぽんぽん作ることがイコール「クリエイティブ」であるともとられかねません。

 本書自体、制度はあくまで表層であって、人事における「クリエイティブ」とは本質的にはもっと深いものであるという立場であるかと思いますが、第4章から終盤の対談にかけては、むしろ、人事パーソンに求められる資質といった自己啓発的観点からの論調になって、それはそれで参考になる部分もあったものの、「クリエイティブ」ということに関してはややもやっとしたまま終わってしまったようにも思えました。

 結局これ、自らのブログから引用して本人が書いた部分もあるけれども、大方は本人の語りを編集者が文章にしたのだろうなあ。金井壽宏氏が手を入れているにしても、平板な印象が拭いきれないのは、やはり先ほども述べたように、本人が専ら過去の成功体験を中心に語っているからなのでしょう。

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自らが扱った事例が紹介されているため臨場感があり、労働審判や裁判の実際が伝わってくる。

それ、パワハラです―何がアウトで、何がセーフか55.JPG
 

               笹山 尚人.jpg 笹山 尚人 氏 (弁護士/略歴下記)

それ、パワハラです 何がアウトで、何がセーフか (光文社新書)』 ['12年]

 パワーハラスメントは、「職場において、地位や人間関係で有利にある立場の者が、弱い立場の者に対して、精神的又は身体的な苦痛を与えることによって働く権利を侵害し、職場環境を悪化させる行為」と一般的に定義されています。

 本書によれば、労働局に寄せられる「職場のいじめ・嫌がらせ」と分類される問題の相談件数は、平成23年度には約4万6千件に達し、この数は、解雇に関する相談に次ぐ相談件数であるとのことです。

 著者は、労働者の代理人として労働事件を扱っている弁護士ですが、全10章から成る本書の各章は、著者自身が扱った事例の紹介が中心となっています(著者自身、自分の体験をもとにした「パワーハラスメント事件簿」の色合いが濃いかもしれないとしている)。

 第1章・第2章に紹介されているのは「言葉の暴力」によるパワーハラスメントの事例で、これがパワハラ事例では最も多い、いわば典型例であるとことですが、こうした事例を取り上げながら、労働審判の仕組みやその特性、パワハラ判定の難しさや、何がその根拠となるかなどについても解説しています。

 さらに第3章で長時間労働を巡る問題を取り上げ(著者は、長時間労働は「過大な業務の強要」であり、パワハラであると捉えている)、第4章でパワハラ問題の基本的な視点や考え方について整理しています。

 第5章から第7章にかけてはパワハラのパターン例として、労働契約を結ぶ際の嫌がらせの事例と、再び言葉の暴力の事例を、さらに、従来の仕事をさせず、本人にふさわしくない仕事を強要した事例を取り上げ、これを受けて第8章では、「退職強要」をどう考えるかを考察しています。

 第9章では、パワーハラスメントに取り組む際の視点、方法、具体的なノウハウを、第10章ではそれを補う形で、精神疾患を発症した場合の労働災害の認定に関する近年の実務動向や注意点を述べています。

 以上に概観されるように、「典型例」を示す一方で幅広い事例を扱っていて、またそれらと併せて、基本概念の整理や知っておくべき実務知識にも触れている点がいいです。

 また、著者の前著『人が壊れてゆく職場―自分を守るために何が必要か』(2008年/光文社新書)も労働者から相談を持ち込まれて、弁護士やユニオンがどのような対策をとるのか、その経緯や戦略がリアルに描かれているためかなり面白く読めましたが、本書も、著者自身が扱った事例を取り上げているため、紛争として公然化するまでの経緯(相談者が相談に来てから労働審判などの申し立てをするまでの経緯)や、労働審判や裁判での裁判官の言葉や代理人としての著者の論述が具体的に書かれていて、臨場感をもって読み進むことができました。

 さらに、そうした事例を通して、代理人としてのどのような戦略で紛争解決や係争に臨み、何があっせんや判決の決め手となったかが分かるため、企業側の人間が読んでも参考になる部分は多く、また全体としても、労使の視点でパワハラ予防にどう取り組むべきかが説かれており、人事のヒトが読んでも、前著共々、読んでムダにはならないと思います。

◎ 著者プロフィール
笹山尚人(ささやまなおと)
1970年北海道札幌市生まれ。1994年、中央大学法学部卒業。
2000年、弁護士登録。第二東京弁護士会会員。東京法律事務所所属。
弁護士登録以来、青年労働者や非正規雇用労働者の権利問題、労働事件や労働運動を中心に扱って活動している。
著書に、『人が壊れてゆく職場』(光文社新書)、『労働法はぼくらの味方! 』(岩波ジュニア新書)、
共著に、『仕事の悩み解決しよう! 』(新日本出版社)、『フリーターの法律相談室』(平凡社新書)などがある。

《読書MEMO》
● 目 次
はじめに
第1章 言葉の暴力 ――― パワハラの典型例
第2章 パワハラ判定の難しさ ――― 「証拠」はどこにある?
第3章 長時間労働はパワハラか? ――― 「名ばかり管理職」事件
第4章 そもそも、「パワハラ」「いじめ」とは何か ――― 法の視点で考える
第5章 パワハラのパターンI ――― 労働契約を結ぶ際の嫌がらせ
第6章 パワハラのパターンII ――― 再び、言葉の暴力を考える
第7章 パワハラのパターンIII ――― 仕事の取り上げ、本人にふさわしくない仕事の強要と退職強要
第8章 「退職強要」をどう考えるか ――― 「見極め」が肝心
第9章 では、どうするか ――― 問題を二つに分けて考える
第10章 精神疾患を発症した場合の労災認定 ――― 文字に残すことの重要性
おわりに

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「自分を知る」「絵を描く」「人を巻き込む」-リーダーシップ実践の3ステップ。セミナー本のような印象も。

リーダーは弱みを見せろ2.JPGリーダーは弱みを見せろ.jpgリーダーは弱みを見せろ GE、グーグル 最強のリーダーシップ (光文社新書)』['12年]

 米国のコーネル大学大学院で人材マネジメント・組織行動学の理論を学び、GEとグーグルでリーダーシップを教えた経歴を持つという著者(1972年生まれ)が、この激変する社会で求められるリーダーシップとは何かを書いた本です。

 リーダーシップ実践には「自分を知る」「絵を描く」「人を巻き込む」の3つのステップがあり、この「自己・他者認識力」「ビジョン構築力」「コミュニケーション力」について、リーダーシップには「型」があるとの考え方のもと、これまでリーダーシップについて書かれた名著とされる本からリーダーシップ論を引きながら説いています。

 GE・グーグルといった先進企業での自らの経験に置き換えたり、日本の企業経営者の言動に当て嵌めたりしながら解説を進めているので、あるべきリーダー像というものを比較的身近に感じながら読み進むことができます。

 但し、やはり引いているものは海外のものが多く、これはまあ、リーダーシップ研究の歴史の長さが違いますから、リーダーシップの「型」を紹介していくとこうならざるを得ないのかなあと。

 ドラッカー、ウォレン・ベニスといった大御所から、「EQリーダーシップ」のダニエル・コールマンや「フロー体験」のチクセントミハイ、マーカス・バッキンガムなど比較的新しい論客、更には、マルコム・グラッドウェルや『7つの習慣』のスティ―ヴン・R・コヴィーといった自己啓発本に近いものまで紹介されています。

 基本的には、場当たり的なリーダー論に依拠するよりは、こうした「型」を一通り網羅して、大まかに体系を掴んだうえで、その中から自分に合った考え方を抽出し、管理者やリーダーとしての日々の活動に落とし込んでいく―というのが、やはり一番近道のように、個人的にも思います。

 本書に関しては、リーダーシップ論の体系づけにはさほどこだわっておらず、むしろ後半に行くほど、啓蒙書的なスタイルになっているように思えました。
 リーダーシップ研修の講義をそのまま本にしたような内容とも言えます(理論だけだと、聞く方は寝ちゃうから)。

 そうした意味では、よく纏まっているというか、上手く纏められていますが、紹介されているリーダーシップの「型」というものが、ややMBA型の「強いリーダーシップ論」に偏っているかなあ。ジャック・ウェルチとかもそうだし、GE出身だから当然そうなるのだろうけれども、「状況対応型リーダーシップ」とか「サーバント・リーダーシップ」などは出てこないね。

 タイトルの「リーダーは弱みをみせろ」ということについては、「自己・他者認識力」の部分で、ビル・ジョージの『リーダーへの旅路』を引きつつ、「自分の奥底に蓋をして必死に隠してきた自分の弱さを明らかにし、それらを受け入れることを通じて、自身の発言や行動が確信に満ちてきて、その結果、人がついていきたいと思う本物のリーダーに成長できる」としています(その後にジョンとハリーの「ジョハリの窓」の解説がつづく)。

ザ・ゼナラルマネジャー2.JPG 個人的には、むしろ「リーダーは弱みをみせろ」という言葉から想起したのは、リーダーシップ論の大家ジョン・コッターでした。
 コッターは、その著書『ザ・ゼネラル・マネジャー』から『リーダーシップ論』にかけて、「インフォーマルな人間関係に依存する」ことを優れたマネジャー(リーダー)の特質の一つとして挙げており、噛み砕いて言えば、困った時に「俺、困ってるんだけど」と言って相談できる仲間がいる、つまり、「人に弱みを見せることができる」のが、実は優れたリーダーであるというのが彼の考えではなかったかと思います。

 コッターのリーダーシップ論も、基本的にはオーソドックスな「変革のリーダーシップ論」であり、リーダーに高いエネルギーレベルを求めるものですが、一方で、こうした対人態度に関する言及があるのが特徴。これだけ先人たちの名前が挙がっているのに、タイトルを見てすぐに想起させられたコッターの名前が、本書の中に無かったのが意外でした。

 本書自体はそれほど悪くないと思われ、リーダーシップ研修のス進め方事例として読めば、よく纏まっているように思いました。特に、リーダーシップ研修を内製化しようとする場合においては、コンテンツ作成のヒントは得られるかもしれません。

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「犯罪神話」の誤謬や犯罪者の実態を解説。ポピュリズムと厳罰化、人はなぜ罪を犯すのかなどを考察。

2円で刑務所、5億で執行猶予.jpg 『2円で刑務所、5億で執行猶予 (光文社新書)』['09年]

 第1編・前半部分「犯罪と犯罪予防」では、治安といった犯罪現象の分析や科学的な犯罪対策について書かれていて、"少年犯罪は凶悪化し、外国人犯罪も増加の一途を辿っている""日本の治安はどんどん悪化している"といった世間に流布されている「犯罪神話」について、データ分析をもとに、それが事実かどうかを検証しています。

 結局のところ、殺人などの凶悪犯罪は戦後からずっと減少傾向にあり、日本の治安は一貫して安全に保たれており、暴力犯罪という視点から見れば日本は世界で最も安全な国であること、少年犯罪も増加していないことを指摘するとともに、現在問題なのは高齢者犯罪の増加であるとするとともに、こうした「神話」の形成には、マスコミの事件報道の(ワイドショー的な)姿勢が大きく影響しているのではないかとしています。

 これまでもこうした「犯罪神話」の誤謬の指摘には触れたことがありますが、依然、こうした「神話」を根拠に「治安が年々悪化するのは、家庭の教育力が低下したこと、地域のコミュニティが希薄化したこと、なにより個人のモラルが低下していることが原因だ」と言って、本書にもあるように、道徳やモラルを重視した教育をすべきだとか、犯罪者の刑罰を厳しくすべきだという主張をする政治家や識者はいるなあと。

 犯罪を少しでも減らすためにはどのような対策が考えられるかを、米国で実施された防犯プログラムなどの効果を検証しながら、犯罪科学的観点から考察しており、著者の専門は犯罪学であると今更のように気が付いた?(本書を手にするまでは法律家かと思っていた)

 一方で、著者は法務省の矯正機関や保護観察所での勤務経験もあり、第2編・後半部分「刑事政策(刑罰)」では、そうした自らの経験を踏まえながら、刑務所に送られる犯罪者の実態を紹介するとともに、人はなぜ罪を犯すのかという犯罪理論につて考察しています。

 興味深かったのは、法律学や法律家が果たすべき役割とその限界について述べた節で、裁判では真実は明らかにならないとしている点で、著者は「法律家は、論理の組み立てでものを考える。そして、論理的な思考が科学的な思考だと勘違いしやすい」「法律家は、法律の専門家、つまり、問題を法的に処理する専門家であって、社会問題を解決する専門家ではない」としている点で、確かにそういうことなのだろうなあと思いました。

 結局、日本の司法官僚は刑事政策の専門家でもなんでもなく、一般市民と同じレベルでマスコミ世論の影響を受けポピュリズムに流されやすい傾向にあるということになるのかも。

橋下徹.png これは前半部分のマスコミ報道の在り方との問題とも関係してくるわけですが、光市母子殺害事件で、テレビ番組に出演して弁護団を非難し、視聴者に弁護士会への懲戒請求を呼びかけた橋下徹氏の言動が視聴者に支持されことが事例として紹介されており(但し本人は懲戒請求しておらず、江川紹子氏は、結局のところ逆提訴されるのを恐れたのではないかというようなことを言っていた)、彼はその後、大阪府知事選に立候補して知事になり、タレント弁護士から政治家へ転身したわけですが、こうした言動がその追い風になった面はあるかも。

 マスコミ報道によって世論が厳罰化する傾向は海外でも見られるそうで、国際比較上は、まだ日本の司法官僚は、官僚組織の一員としての性格が強い分、ポピュリズムには抵抗力があるそうです(著者はポピュリズムそのものを否定しているのではなく、むしろ健全なポピュリズムをどう形成するかが大事であるとしている。橋本氏型のポピュリズは健全と言えるかなあ)。

 著者も述べているように体系だった本ではないので、何となく纏まりを欠く印象も。但し、受刑者はその殆どが社会的弱者であり、刑務所依存症とでも呼ぶべき、刑務所でしか暮らせないような人もいること(刑務所から出所しても更生のための生活支援や就職支援の援助がなければ結局、刑務所に戻らざるを得ないこと)の指摘など、随所に考えさせられる個所はありました。

 犯罪学・刑事政策入門書といった内容に対し、ややずれを感じる本書のタイトルですが(確かに司法制度の在り方にも問題提起しているが、このタイトルでは「量刑相場」について書かれた本かと思ってしまう)、「これは編集者の助言によって広く本書を手にとってもらいたいという願いから付けられたものである。一見すると5億で執行猶予を批判しているような印象を与えるかもしれない。しかし、(中略)妥当な判決であるお肯定的に評価している」と、まえがきに申し添えられています。

《読書MEMO》
●ある意味、刑事司法手続は、98%の人が不起訴や罰金刑で勝ち抜けるゲームであり、受刑者は、その中で2%弱の負け組なのである。ただし、ここで重要なことは、負け組になる理由は、犯罪の重大性や悪質性とは限らないことである。

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各作品の初読、再読への契機になれば、ということか。

手塚治虫クロニクル2.jpg 『手塚治虫クロニクル 1968~1989 (光文社新書)手塚治虫クロニクル1.jpg 『手塚治虫クロニクル 1946~1967 (光文社新書)

 手塚治虫のデビューから22年間の間に発表された25作品の抜粋を収めた「1946~1967」年版の"上巻"に続き、その"下巻"に当たる「1968~1989」年版は、後半22年間に発表された23作品を、ほぼ年毎に1話ずつ掲載しています。

ブラック・ジャック.jpg空気の底 野郎と断崖.jpgきりひと讃歌 COM 上巻.jpg 収録作品は、『空気の底/野郎と断崖』('68年・40歳)、『火の鳥 鳳凰編』('69年・40歳)、『きりひと讃歌』('70年・41歳)、『ライオンブックス 百物語』('71年・42歳)、『ブッダ』('72年・43歳)、『ブラック・ジャック/アナフィラキシー』('73年・45歳)、『三つ目がとおる/めおと岩がくっついた』('74年・45歳)、『雨ふり小僧』('75年・46歳)、『ユニコ/ふるさとをたずねて』('76年・48歳)、『メタモルフォーゼ/聖なる広場の物語』('77年・48歳)、『未来人カオス』('78年・49歳)、『ドン・ドラキュラ陽だまりの樹001.jpg/なんちゅうかドラキュラ』('79年・50歳)、『鉄腕アトム/アトム対アトラスの巻』('80年・52歳)、『陽だまりの樹/腑分け』('80年・52歳)、『七色い野郎と断崖.jpgんこ/R・U・R』('81年・53歳)、『プライム・ローズ』('82年・53歳)、『アドルフに告ぐ』('83年・54歳)、『牙人/アマゾンの匂い』('84年・56歳)、『ブッキラによろしく!/夜明けのデート』('85年・56歳)、『ミッドナイト/ブラック・ジャック登場』('86年・57歳)、『グリンゴ』('87年・58歳)、『ネオ・ファウスト』('88年・59歳)、『ルードウィヒ・B』('89年・60歳)となっています。

 読み切りのものは、出来るだけ1話そのままを載せるよう配慮しているようで、冒頭に『空気の底』の「野郎と断崖」がきているのは渋いと言うか、嬉しいと言うか。但し、後半期になると取り上げるべき長編大作が多くなるので、その中でも1話完結のものはまだしも、『火の鳥』や『ネオ・ファウスト』のさわりだけ紹介されても...という感じはあります(中編で途中で話が切れるのも欲求不満になるけれど)。

「野郎と断崖」

 まあ、他の作品との時間的位置付けの確認という意味はあるかも知れませんが、結局、実際には、長編と短編を同時に描いたり、複数の長編を同時期に並行して連載したりしているわけです。『グリンゴ』、『ネオ・ファウスト』、『ルードウィヒ・B』の最後3作が未完ということは、長編を3作同時に連載していたということになり(スゴイね)、『ネオ・ファウスト』が"絶筆"ということになるようです。

 本書はどちらかと言うと("上巻"も含め)、手塚作品に久しぶりに触れてみたいけれど1作ずつ当たるのはちょっと...という人や、書店でふと目について懐かしさに駆られたという人に買われたのではないかな。

 若い人はどうなんだろうか。今、職業漫画とかややマニアックなものが全盛である一方、手塚作品のような大きな世界観を持った作品は少ない気がするけれど、そうした若い人を読者に引きこむ上では、本書の編集スタイル(悪く言えば、編集を半ば放棄したようなスタイル)はやや弱いかなという気もします。ただ個人的には、自分自身もこうして取り上げられた代表作の中にさえまだ読んでない作品は幾つもあり、それらの時間的位置付けを意識しながら(それが意識できるのが本書の良さか)、各作品に当たってみるのも、またいいかも知れないと思った次第です。

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手塚作品の変遷(初期・前半期作品)を概観する上では手頃。

手塚治虫クロニクル1.jpg          0(ゼロ)マン  手塚治虫.jpg キャプテンKen  手塚治虫.jpg   
手塚治虫クロニクル 1946~1967 (光文社新書)』『0マン』('59年)/『キャプテンKen』('60年)

フィルムは生きている2.jpg『鉄腕アトム』 朝日ソノラマ.jpg 手塚治虫の作品を年代別に取り上げ抜粋したもので、この「1946~1967」年版では、デビュー作『マアチャンの日記帳』('46年・17歳)から、以下、『新宝島』('47年・18歳)、『ロスト・ワールド』('48年・20歳)、『メトロポリス』('49年・20歳)、『ジャングル大帝』('50年・22歳)、『来るべき世界』('51年・22歳)、『鉄腕アトム』('52年・23歳)、『リボンの騎士』('53年・24歳)、『ケン1探偵長』('54年・25歳)、『第三帝国の崩壊』('55年・26歳)、『漫画生物学』('56年・27歳)、『ライオンブックス 狂った国境』('57年・28歳)、『フィルムは生きている』('58年・29歳)、『魔神ガロン』('59年・30歳)、『0魔人ガロン サンデーコミック.jpgマン』('59年31歳)、『キャプテンKen』('60年・32歳)、『ふし人間ども集まれ! 手塚 新書マンガシリーズ .jpgハトよ天まで1.jpgぎな少年』('61年・32歳)、『勇者ダン』('62年・33歳)、『ビッグX』('63年・34歳)、『ハトよ天まで』('64年・36歳)、『マグマ大使』('65年・36歳)、『バンパイヤ』('66年・37歳)、『アトム今昔物語』('67年・38歳)、『人間ども集まれ!』('67年・38歳)、『どろろ』('67年・38歳)まで、前半期22年間に発表された25作品の抜粋を収めています。

 タイトル通り、基本的には発表年代順の作品抜粋だけで本が成り立っていて、作品ごとの初出誌・作品の概要、今回どこでいつ発表されたものを抜粋掲載したかという数行のデータと、年ごとの作者に関連する出来事が簡単に纏められている以外は、編集作業と言えるのは、どの作品のどの部分を抜き出すかということしか実質的には行われておらず、末尾に漫画評論家・ブルボン小林(=芥川賞作家・長嶋有)氏の解説があるのみ。従って編者名はなく、作者名として「手塚治虫」となっていて、やや安易な本づくりという感じもするし、実際にネット書評などでも、そうした観点からの批判はあったように思います。但し、個人的には、初期の内容をよく知らなかった作品もかなりあり、最近ではこの辺りの作品も復刻・文庫化されているようですが、そうした作品のそれぞれの雰囲気を僅かながらでも知り、手塚治虫の初期も含めた前半期の仕事を概観する上では手頃な本でした。

四コマ漫画―北斎から「萌え」まで.jpg 手塚治虫も四コマ漫画からスタートしたことは、清水勲 著『四コマ漫画―北斎から「萌え」まで』('09年/岩波新書)で知りましたが、毎日小学生新聞の前身「少國民新聞」に連載された、作者当時17歳の作品のその完成度は、もう今の新聞連載漫画と変わるところのない、玄人レベルのように思いました。

少年サンデー版 キャプテンKen 限定版BOX.jpg 『鉄腕アトム』のイメージからか、作者の前半期の作品は、未来に対する期待において楽天的過ぎるという見方もありますが、『メトロポリス』('49年)、『来るべき世界』('51年)、『第三帝国の崩壊』('55年)など、近未来の恐怖を描いたSFもあるし、戦争を扱った世界観的なストーリーは早くからあったのだなあ(『ライオンブックス 狂った国境』('57年)は傑作)。『キャプテンKen』('60年)の主人公キャプテン・ケンは、その正体は、顔がそっくりの星野家の遠縁の少女(水上ケン)かと思いきや、実は未来からやってきた彼女の息子でした。映画「ターミネーター」('84年/米)のタイムパラドックスを先取りしていたと言えますが、SFでは伝統的によくある展開と言えなくもないかも。

少年サンデー版 キャプテンKen 限定版BOX (復刻名作漫画)

ジャングル大帝 テレビ 1965 2.jpg 『ジャングル大帝』のオリジナルも興味深く('50年初出、昭和25年かあ)、この作品の初出は『鉄腕アトム』よりも前ということになりますが、後に大幅に構成を変えて、作者の代表作となるとともに、'65年に、手塚作品では初のカラーTVアニメとなります。

 一方、60年代に入ってからの作品では、『ふしぎな少年』('61年)、『マグマ大使』('65年)、『バンパイヤ』('66年)辺りは、誌面発表から比較的間をおかずに、実写版のTVドラマになっています(TV版「バンパイヤ」は日本初の実写とアニメの合成ドラマ)。

ふしぎな少年 少年クラブ9月号ふろく.jpgふしぎな少年 太田博之.bmp 「ふしぎな少年」('61年/NHK、生放送ドラマ)で「時間よ~止まれ!」と叫んでいたサブタンを演じた太田博之('47年生まれ)は「小銭寿司チェーン」(「小僧寿しチェーン」ではない)の経営者に転身するも後に経営破綻し、「マグマ大使」('67年/フ江木俊夫  .jpgジテレビ。TBSの「ウルトラマン」の少し前くらいに放送が始まった)でマモル少年を演じた江木俊夫('52年生まれ。3歳でデビューし黒澤明の「天国と地獄」('63年)で権藤の息子役を演じるなどしていた)は、その後ジャニーズ事務所のアイ水谷豊.pngドルグループ・フォーリーブスのメンバーとなり、「バンパイヤ」('68年/フジテレビ)でトッペイ・チッペイ兄弟の兄トッペイを演じた水谷豊('52年生まれ)は、今もTVドラマで活躍中と、子役のその後の人生は様々なようです。

「少年クラブ」1961年9月号付録

ふしぎな少年7.jpgふしぎな少年005.jpg「ふしぎな少年」●演出:辻真先●脚本:石川透●原作:手塚治虫●主題歌:(唄)ジュディ・オング●出演:太田博之/忍節子/椎名勝巳/青柳美枝子/日下武史/小山源喜/愛川欣也/長門勇/岩下志麻●放映:1961/04~09(全130回)●放送局:NHK

マグマ大使.jpgマグマ大使 egi.jpg「マグマ大使」●演出:土屋啓之助/船床定男/中尾守●制作:上島一男●脚本:若林藤吾/高久進/山浦弘靖/梅樹しげる/内山順一郎/石堂淑朗●音楽:山本直純●原作:手塚治虫●出演:岡田真澄/江木俊夫/大平透/魚澄鉄也/三瀬滋子/清水元/八代真矢子/二宮秀樹/イーデス・ハンソン●放映:1966/07~1967/06(全52回)●放送局:フジテレビ

「バンパイヤ」ソノシート(朝日ソノラマ)
バンパイヤ ソノシート.jpgバンパイヤ 水谷豊.png「バンパイヤ」●演出:山田健/菊地靖守●制作:疋島孝雄/西村幹雄●脚本:山浦弘靖/辻真先/藤波敏郎/久谷新/安藤豊弘/雪室俊一/中西隆三/宮下教雄/今村文人/三芳加也/石郷岡豪●音楽:司一郎/林光●原作:手塚治虫●出演:水谷豊/佐藤博/渡辺文雄/戸浦六宏/山本善朗/左トバンパイヤ 水谷豊2.jpg全/上田吉二郎/岩下浩/平松淑美/鳳里砂/嘉手納清美/桐生かおる/市川ふさえ/館敬介/中原茂男/手塚治虫●放映:1968/10~1969/03(全26回)●放送局:フジテレビ

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バカな上司の下についた場合の対処法について書かれたマニュアル本。まさに対処療法的か。

人は上司になるとバカになる.jpg 『人は上司になるとバカになる (光文社新書)』['11年]

 「人はなぜ上司になるとバカになるのか」について書かれた本かと思ったら、バカな上司の下についた場合の対処法について書かれた、ある種マニュアル本でした。

 問題の"バカ上司"を「モチベーションを下げまくる上司」「部下を信用しない上司」「部下を追いつめる上司」「「自分の価値観を押しつける上司」「部下のジャマをする上司」に分類し、更にその中で細かく類型を分け、それぞれの対処法を示しています。

 例えば「守ってくれない上司」についた場合は、自分がミスをして落ち込んでいるようなときに更に追い打ちをかけてくるようであれば、まずは「その通りです」と受け入れ、「そもそも問題は起こるものだ」ということを受け入れておけば、起きたとしても想定の範囲内であり、後は冷静に「どうすれば、この問題を解決できるか?」に集中するのが望ましい―と。

 著者の経験なども織り込まれていて具体的であるのはいいのですが、何れもダメージを受ける部下自身の心理的対処療法という感じがし、この手の本は、大塚健次 著『ダメ上役を持ったら嘆かず読む本―抜け出す方法、退治する方法』('85年/青春出版社プレイブックス)など昔からありますが(最近では、古川裕倫 著『「バカ上司」その傾向と対策』('07年/集英社新書)などもある)、昔のものの方が能動的だったかも。

 多分、編集部が付けたタイトルなのでしょう。まえがきには、それに応じるかのように「一社員が昇進してバカ上司に変貌するプロセスを念頭におき」とありますが、本文では、アプリオリに"バカ上司"が規定されていて、"対処法"が続くばかりで、そうした考察は殆ど無く、ましてや橋本治氏の『上司は思いつきでものを言う』('04年/集英社新書)のように、組織論的にそのことを考察した本ではありませんでした。

 東レ経営研究所佐々木常夫氏が帯に「とにかく読んでほしい。上司に悩む部下に、そして上司にも」と推薦フレーズを書いていますが、若い人に対しては、一時的にダメ上司についたからといって、次のキャリアビジョンも無いままにせっかく入った会社を辞めてしまうようなことのないようにという意味なのでしょう。

 要するに、「人は上司になるとバカになる」と思った上で、それなりの対応をした方がいいということですが、でも、自分の会社の管理職がこんな人ばかりだったら会社そのものに組織構造的な問題があるかも知れず、その場合は勤務先を変えることを考えた方がいいかも。

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キャリア官僚から大学教授への転職奮戦記。教授になること自体が目的化してしまっている印象も。

1勝100敗.JPG1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記.jpg1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側 (光文社新書)』['11年]

 キャリア官僚から大学教授への転職奮戦記で、いやー、ご苦労サマという感じ。自らのキャリアを築くには、それなりの意志と覚悟が必要なのだなあという教訓になりましたが、それにしても大した意志の強さと言うか、そもそもが粘着気質のタイプなのかなあ、この著者は。

 その気質を裏付けるかのように、大学教授の公募試験に落ちまくった様が克明に書かれていて、併せて教授公募の実態や論文実績の積み重ね方もこと細かに書かれているので、同じ道を目指す人には参考になるかと思われます。

 ただ、一般読者の立場からすると、なぜ大学教授になることにそうこだわるのかも、大学教授になって一体何をしたいのかもよく伝わってこず、大学教授になること自体が目的化してしまっている印象も受けました(「ノウハウ本」ということであれば、そんなことは気にしなくてもいいのかも知れないが)。

 近年の大学の実学重視の傾向により、社会人としての実績からすっと大学教授になってしまう人もいますが、この著者 の場合、博士課程に学んで、「査読」論文を何本も書いて公募試験を受けるという"正攻法"です。

 但し、博士課程で学ぶ前提条件となる修士課程については、霞が関時代に米国の大学に国費留学させてもらっていることで要件を満たしているわけだし、目一杯書いたという論文の殆どは、新潟県庁への出向期間中の3年間の間に書かれたもので、この時期は毎日定時に帰宅することが出来たとのこと―こうした、一般サラリーマンにはなかなか享受できない、特殊な"利点"があったことも考慮に入れる必要があるのではないかと思います(その点は、著者自身も充分に認めているが)。

高学歴ワーキングプア.jpg 大学教授の内、こうした大学外の社会人からの転入組は今や3割ぐらいになうそうですが、一方で、同じ光文社新書の水月昭道『高学歴ワーキングプア―「フリーター生産工場」としての大学院』('07年)にもあるように、大学で学部卒業後、ストレートに大学院の修士課程、博士課程を終えても、大学の教員職に就けないでいるポストドグが大勢いるわけで、そうした人達はますますたいへんになってくるのではないかと、そちらの方を懸念してしまいました。

水月昭道『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

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啓発セミナーに近いような引用方法と、タイトルからして表れている"宣伝臭さ"が気になった。

日本で最も人材をi99.JPG「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト.jpg 『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト (光文社新書)』['10年]

 著者は「フリービット」というIT企業の人事担当者で、その会社は「日本で最も人材を育成する会社」を"めざして"いるということであり、本書の内容自体は、その会社のテキストというより、一般的な企業における、これからの時代の人材育成論になっています。

 実質的に「人材の現場への放置」を意味していたOJTの時代は終わって、これからの人材育成の実務は「研修のデザイン」から「経験のデザイン」へ向かうという視点には目新しさが感じられますが、人材育成の目的から説き始め、育成ターゲットの選定、育成のタイミング、育成プログラムの設計思想、人材育成の責任―と進んでいく解説は、流れとしてはオーソドックスであり、MBAのテキストから持ってきたような図表が幾つかあるものの、さほど難しい専門用語も使っておらず、すらすら読めます。

 但し、章立てほどに中身が体系的かというと、必ずしもそうとは思えず、既存の人材育成理論を多くの書籍などから引用的に詰め込んだだけで、その詰め込み方がやや雑な感じがしなくもありませんでした(ブログがベースになっているためか?)。
 また、解説の多くが抽象段階に止まっているため、個々の課題に対する気づきを促す啓発書として、という点ではそう悪くはないのですが、実務への落とし込みという面では弱い気がしました。

 例えば、部下の状態を判断するの用いられるWill-Skill Matrixを、リーダーシップ理論の1つであるSL理論(名称は本書に出てこない)と組み合わせて解説しているのは著者のオリジナルの部分のかも知れませんが、これがなぜ「月単位のタイミング計画」という項で解説されているのかよく分からないし、いきなりミラーニューロンなどといった話が出てくるのも唐突感があります(どちらかというと講演調?)。

 全体としては「学習する組織」に近い考え方に収斂しているのが窺え、考え方自体に異を唱えたくなるような部分は少なかったものの、書かれていることの多くはそうした"考え方"の提示に止まっていて、各企業における具体的な施策については、こうした"考え方"に「賛同していただける企業がございましたら、是非、ご連絡いただければと思います」(P154)ということなのか(あれっ、IT企業じゃなかったの? 株式情報を見たら「法人向け中心に各種ネットサービス提供。ネット接続業者向け接続代行に強み。」と書いてあるけれど、本書の終わりの方に出てくる「教育効果測定」メソッドが、著者の会社の商品になるわけ?)。

 目の前の人がMBAかどうかは、目の奥に「田の字」が見えればMBA、というジョークがありますが(著者はMBAホルダーではないが海外での企業勤務経験あり)、2×2のマトリックスでの説明は確かに分かり易い、しかしマトリックスで人材育成が出来るならば、人材育成なんて簡単にできてしまうことになり、現実の複雑な環境や制約の中で、人材育成の手法としてどういった選択肢を選び採るかということは、そう容易ではないように思います。

 書籍を引用するにあって「有名な」「著名な」という言葉が多用されていて、この傾向は著者のブログでも多く見られ、著者の口癖なのかと思ってしまうほどで、個人的には、コンサルティング誘引のための啓発セミナーを聞いているような印象を助長することに繋がってしまいました。

 企業における人材育成及び人材育成「論」のトレンドを掴むうえでは、そう悪い内容の本ではないと思いますが、こうした啓発セミナーに近いような引用方法と、タイトルからして表れている"宣伝臭さ"が気になって仕方がなかった...。

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何か物申すというより、ケータイを通しての若者のコミュニケーション行動、消費行動分析。

原田 曜平 『近頃の若者はなぜダメなのか』.jpg 『近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 (光文社新書)』 ['10年]

 著者は、大手広告代理店・博報堂に勤務する32歳のマーケティングアナリストで、今の若者に携帯電話がどのような使われ方をしているのかを「7年をかけて、10代半ば〜20代後半の若者、約1000人に実際に会って、じっくりと話を聞いて」分析したとのこと。今の若者には他者に対して過剰に気遣いする傾向が見られ、ケータイを通してかつての「村社会」と似た「新村社会」とでも言うべきものが出来上がっていて、その中で若者達は、その「新村社会」における"空気"を読みながら、浅く広い人間関係を保っているという分析は、なかなか興味深かったです。

 「大人になってからケータイを持ち始めた30代以上」が本書のターゲットということですが、前半部分は、足で稼いだ情報というだけあって、若者へのインタビューなどにシズル感があって面白かったです(「私、今日『何キャラ』でいけばいいですか?」には笑った)。

 次第に「博報堂生活総合研究所」らしい(いかにもパターン化された?)分析が目につくようになり(思いつきで言っているのではなく、データの裏付けがありますよということなのだろうが)、「どちらかというと、クライアント(広告主)向けの10代・20代の若者のコミュニケーション行動、消費行動分析のプレゼンテーションっぽくなっていっているように思えました。

 著者自身は人情味あふれる下町の出身で、若い頃は青山や渋谷といった街の華やかさに憧憬を抱いていたようですが、今の若者は、ファッションなどにおいて洗練されているように見えても、必ずしもそうしたお洒落な街をテリトリーとしているわけではなく、地元に引きこもってそれで充足しているタイプが多いとのこと。

 しかも、そこに、かつて著者自身が経験したような濃密な人と人との交わりがあるわけではなく、何となく、著者自身の「こんなのでいいのかなあ」という嘆息のようなものが伝わってはきますが、"私情"はさておき"分析"を続けるといった感じで、ましてやタイトルにあるように、それでは「ダメ」だと言い切っているわけでもなければ(むしろ、そうした既成の「若者論」自体を批判している)、踏み込んで社会学的な分析を行っているわけもありません(その意味ではタイトルずれしているし、その上に物足りない)。

 だんだんと書籍からの引用、他書との付き合わせが多くなり、そこで参照されている本が、三浦展氏の『下流社会』('05年/光文社新書)だったりしますが、三浦展氏もマーケッター出身であり、社会に対して何か物申すというより、"市場分析"(若者のコミュニケーション行動・消費行動分析)といったトーンがその著書から感じられ、本書の「観察」主体の姿勢は、「携帯電話を使う時、ふと立ち止まるかどうかが世代の分かれ目」と言っていた三浦氏の「観察」姿勢とやや似ているなあと。

 後半部分も若者へのインタビューなどは出てきますが、それらが著者自身の社会論や若者論へ収斂していくというものでもなく、引き続き、更に細分化して(悪く言えば散発的に)現象面を追っているという感じがしてならず、結局、オジさんたちに対する"現代若者気質"講義(乃至プレゼン)は、世の中いろいろな若者がいますよということで終わってしまったような印象を受けました。

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"内部告発"っぽいが、『予習という病』のようなアザトイ本の多い中では、まともなスタンス。

瀬川 松子 『中学受験の失敗学』.JPG中学受験の失敗学.jpg    瀬川 松子 『亡国の中学受験』.jpg     予習という病.gif
中学受験の失敗学 (光文社新書)』['08年]/『亡国の中学受験 (光文社新書)』['09年]/高木幹夫+日能研『予習という病 (講談社現代新書)』['09年]

 本書『中学受験の失敗学-志望校全敗には理由(わけ)がある』('08年/光文社新書)では、中学受験に取りつかれ、暴走の末に疲れ果ててしまう親たちを「ツカレ親」と名づけ、親たちをそうした方向へ駆り立てている、中学受験の単行本や受験雑誌、更に、受験塾の指導のあり方を批判しています。

 大手塾で受験指導し、その後、家庭教師派遣会社に転職して受験生を抱える家庭に派遣され、多くの「ツカレ親」を見てきた著者の経験に基づく話はリアリティがあり、モンスターペアレントみたなのが、学校に対してだけでなく、塾や家庭教師派遣会社に対してもいるのだなあと。

 塾や家庭教師の志望校設定には営利的判断が含まれていることがあり、くれぐれも、そうした受験産業の"カモ"にされて、無謀な学習計画や無理な目標設定で我が子をダメにしないようにという著者のスタンスは、至極まっとうに思えました。(評価★★★☆)

 この本が最後に「ダメな勉強法」を示していて、著者がまだ受験指導の現場にいた余韻を残しているのに比べると、続編の『亡国の中学受験-公立不信ビジネスの実態』('09年/光文社新書)は、やや評論家的なスタンスになっているものの、基本的には同じ路線という感じで、タイトルの大仰さが洒落だったというのは洒落にならない?(タイトル通り、きちんと「亡国論」を書いて欲しかった)。

 前著では、受験塾と私立中学の裏の関係なども暴いていましたが(既に組織に属していないから"内部告発"とも言い切れないのだが)、本書では、公立中学への不信感を煽り、私立中高一貫校への幻想を抱かせる、私立中学と受験塾の"戦略"に更にフォーカスしていて、中学受験のシーズンになるとNHKのニュースなどで、報道と併せてトレンド分析のコメントをしている森上研究所とかいうのも、日能研の応援団だったのかと(知らなかった)。(評価★★★)

 その点、高木幹夫+日能研『予習という病』('09年/講談社現代新書)は、日能研の社長が書いているわけだから、分かり易いと言えば分かり易い(皮肉を込めて)。
 予習をさせないというのは、日能研もSAPIXも同じですが、それが本当にいいかどうかは、授業の程度と生徒の学力の相関で決まるのではないでしょうか、普通に考えて。
 それを、「福沢諭吉は予習したか?」みたいな話にかこつけているのがアザトイ(「ツカレ親」である妻を持つ夫向け?)。

 実際、塾にお任せしている分、教材の量やテストの数、、夏期講習や冬期講習などの補講は多くなり、それだけの費用がかかるわけで、週末ごとのテストに追われ、ついていけなくなると、結局はどうしても予習(親のアシスト)が必要になり、さもなくば、わからないままに授業を聞いて試験を受けるだけの繰り返しになってしまう...。

 日本社会の中で、未来学力でものを考えられる環境は「私学の中高一貫校」しかないと言い切っていて、そりゃあ、自社の売上げ獲得のためにはそう言うでしょう。
 大手進学塾の多くは似たようなことをやっているわけだけど、こんな露骨な宣伝本を新書で出してしまっていいのかなあ。(評価★)

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マスメディア企業への「生き残り戦略」についてのプレゼンのような中身。

グーグルに勝つ広告モデル.jpg 『グーグルに勝つ広告モデル (光文社新書)』 ['08年]

 冒頭のヤフーとグーグルの違いで、ヤフーがアテンションを集めて卸売りしているのに対し、グーグルはインタレストを集めて売っているのだという指摘は明快で、アテンションの総量は増えないのにアテンションを奪い合う競合の数は増えているというゼロサムゲーム状態が今あると分析し、マスメディアが獲得できるアテンションの総量が減少しこそすれ、増加させるのは非常に困難な状態において、広告媒体としてのマスメディアが生き残るにはどうしたらよいかという問い掛けをし、それに答えるかたちの内容になっています(ということは、アテンションの世界の話だから、「ヤフーを超える」ならまだしも「グーグルを超える」というタイトルは少し内容と合わない気がするが)。

 テレビ・ラジオ・新聞・雑誌のマス4媒体とインターネットの広告特性を対比し、インターネットに対してマス4媒体がどのようなポジションを取り得るかを概説すると共に、各4媒体の今後の生き残り策を提言していますが、つまりは、テレビ局や新聞社が広告メディアとして生き残るにはどうしたらよいかという、言わばマスメディア企業へのプレゼンテーションのような中身で、一般向け新書としてどうなのかなあという印象もありました。
 (ミスリード気味のタイトルがアイキャッチとしての“作為”にも思え、ついつい見方がシビアになってしまう。)

 著者は、国内大手広告代理店にてメディアマーケティング、ネット事業立ち上げを担当した後、大手外資系コンサルティングファームに参加し、主にメディア企業、エンターテインメント企業に対しての企業変革、ビジネスモデル改革に関する提言活動に従事した後、独立したという経歴の持ち主だそうですが(実在の人物なの?)、実在の人物かどうかは別として、本の内容はまさにこの経歴に沿ったものでした。

 テレビに求められるオンデマンド性、ターゲットメディアとしてのラジオ、宅配ネットワークをどう生かすかが課題の新聞、ネットとの代替性が低い情報でネットとの差別化を図る雑誌、といった具合に、それぞれの提言は比較的絞り込まれたものになっていて分り易く、話は、プレーヤー(媒体情報を乗せる機器)の問題、マスメディアそのものの要不要論(ここがサブタイトルに呼応)、コンテンツの現状と課題にまで広がり、最後に、メディアやマーケッターに情報テクノラートとして特権を振りかざすだけではこれからはやっていけないよと言っているような感じ。

 言い換えれば、プロダクトアウト(乃至メディアアウト)からマーケットインへと言っているに過ぎないともとれるのですが…(だから、マーケティング会社やコンサルティングファームにご相談くださいということか)。

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ブランド構築論よりも、コピーライターの視点から見た広告表現論が面白かった。

ブランド広告 光文社新書.jpg 『ブランド広告 (光文社新書)』 ['02年]  Pepsi Michael.jpg Pepsi Michael

 著者は電通出身のコピーライターで、大学でメディア表現について教えている人。本書では、定義上のブランドについてではなく、消費者が呼ぶところのブランドについて、つまり、どうすれば消費者にブランドと呼んでもらえるか(名前を聞いて良いイメージが喚起されるか)、ブランドを築く広告表現とはどのようなものであるかということについてを、広告キャンペーンのあり方を通して解説並びに考察しています。

 途中にアカウント・プランニング(広告に消費者の価値観や心理を積極的に反映させる考え方)やIMC(Integrated Marketing Communications=企業が発信するマーケティング・コミュニケーション活動の戦略的な統合)理論の話が入りますが、実地面においてどの程度浸透しているかは別として、本書刊行時('02年)においては、こうした概念は日本の広告業界に既に定着していたように思うし、終盤にに出てくるクロスメディアという手法も、今や中堅クラス以上の総合広告代理店ならば、そうした課題を専門に扱う事業部や部門を持っており、そうした意味で目新しさはないかも。

 むしろ、それら教科書的な話より、クリエーターの視点から、ブランド構築に繋がる広告表現というものを内外の数多くの具体例を挙げて考察しているのが興味深く、文章も読み易いため、最後まで面白く読めました(著者の言わんとしていることは、継続性、一貫性、繰り返しが大事であるということに帰結するだけの話なのだが)。

wii-girl.jpg コカ・コーラの新ヴァージョン「ニュー・コーク」の失敗と、先月('09年6月)亡くなったマイケル・ジャクソン(1958‐2009)を使った「新しい世代が選ぶぺプシ」の広告(マイケルの真似をしてストリートで踊っていた子が誰かにぶつかって、見上げたら本物のマイケルだったというCMは有名)の成功などのケーススタディは定番ですが、バドワイザーやナイキなど海外のブランド広告の解説は興味深いものでした。
「Will-Girl」 Sony Will (米国)

 それにしても、この著者、ソニーを随分高く買っているなあ(反対にパナソニックには厳しい評価)。
 結局、ディズニーのようなバリューチェーン・カンパニーを目指したソニーのコンテンツビジネス志向は上手くいかなかったけれど、まあ、確かに今でもブランド価値評価はパナソニックよりは高いし、海外などで見る広告はSonyの方がPanasonicよりも断然垢抜けている...。

Death Row 2002.jpg ベネトンのクリエーターのオリビエロ・トスカーニが刑の執行を待つ死刑囚を広告に起用して消費者や死刑囚の遺族の反発を受け、ベネトンは以前からのエイズ撲滅などのメセナ広告(と言っても、これらも一筋縄ではない表現方法なのだが)に路線を戻したという話については著者の思い入れたっぷりで、思想(この場合、「死刑廃止」)や芸術を志向して商売を忘れてしまったというのは、かつてのサントリー・ローヤルのCM「ランボー」にも通じるところがあるなあと思った次第です。
TBS (2002.12放映) 「CBSドキュメント〜死刑囚広告の波紋」より
 桃屋のCMの三木のり平の声は、息子の小林のり一がやっていたのかとか、一応、全ての話が「継続性・一貫性の大切さ」という趣旨とリンクはしているのですが、その辺りあまり教科書っぽくなく、1つ1つの話そのものを面白く読みながら理解できるのが、本書の特長でしょうか。

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所謂「タイトル過剰」気味。中身はオーソドックス乃至は古典的。

新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか.jpg新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)』['09年] 若者が3年で辞めない会社の法則.jpg若者が3年で辞めない会社の法則 (PHP新書)』['08年]

 日本ヒューレット・パッカードの人事出身で、採用コンサルタントの樋口弘和氏(1958年生まれ)が書いた『新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか』('09年/光文社新書)は、タイトルに何となくムムッと惹きつけられて買ってしまいましたが、中身的には、サブタイトルの「失敗しないための採用・面接・育成」というのが順当で、要するに、新卒採用が「期待はずれ」のものとならないように予防するには、面接において留意すべき点は何かということ。

 内容は比較的オーソドックスで、強いてユニークなところを挙げれば、本来の「お見合い形式」の面接を改めて「雑談形式」面接で本来の素質を見抜くというのは、時間的余裕があれば採り入れてもいいかなあと思いました(これが「模擬討論」みたいな硬いものになると、却って人材の質の見極めが難しくなるけれども、多くの企業ではその難しい方のやり方でやっている)。

 志望動機とかキャリアビジョンとかを語らせても、仕事というのは将来性志向だけでは空回りするものであり、今まで何をしてきたか、どんな役割だったかを、掘り下げて雑談風に聞くのが良いというのは、著者がヒューレット・パッカードの米国本社でのキャリア採用の現場を見て体験的に学んだことのようですが、この辺りの日米の採用面接のやり方の違いは、興味深いものでした。

 但し、そうした考えに基づく実際の面接の進め方の例も出ていていますが、これはこれで、面接する側に相当のヒューマンスキルが求められるような気も。

 前半部分ではリテンション(人材引止め)についても触れられており、「OJTは放置プレイ」と言い切っていて人材育成の重要性を説いていますが、この辺りは本田有明氏の『若者が3年で辞めない会社の法則』('08年/PHP新書)においても強調されていました。

 本田有明氏は1952年生まれのベテランの人事教育コンサルタント。この人の書いたものは月刊「人事マネジメント」などの人事専門誌でも今まで読んできただけに、リテンション戦略の中心にメンター制度を含めた社内教育制度を据えるというのは、読む前から大体予測がつき、実際、そうした内容の本でした(「辞めない法則」ではなく「辞めさせない制度施策」、人材確保というより人材教育そのものの話)。

 組織風土の問題を語るのに"厚化粧がこうじた挙句の「仮面会社」"とか"仕切っているのは「レンタル社員」"とか "制度はそろっているのに「機能不全」"といった表現がぽんぽん出てくるのも手慣れた感じですが、「トリンプ・インターナショナル・ジャパン」や「未来工業」の事例も使い回し感があり、書かれていることに正面切って異論は無いのですが、樋口氏よりやや年齢が上であるということもあるのか、「仕事の面白さやロマンを堂々と語れる浪花節的上司たれ」みたいな結論になっているのが、ホントにこれで大丈夫かなあと。

 あまりに古典的ではないかと。実際、若手社員の意識は昔とそう変わらないということなのかも知れませんが。
 樋口氏の本より"啓蒙書"度が高いように思われ(微妙な年齢差のせい?)、何れにせよ、両著とも、タイトルから受ける印象ほどの目新しさやパンチ力は感じられませんでした(所謂「タイトル過剰」気味)。

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理念的に纏まっていて、且つ、地に足のついた組織変革の実践論・手法論となっている。

組織を変える「仕掛け」.jpg 『組織を変える「仕掛け」 (光文社新書)』 ['08年]  リーダーシップの旅.jpgリーダーシップの旅 見えないものを見る (光文社新書)』 ['07年]

 『組織を変える「仕掛け」-正解なき時代のリーダーシップとは』は経営コンサルタントの高間邦男氏による組織変革並びにリーダーシップに関する本で、同じくAmazon.comのレビューの評価が高かった『リーダーシップの旅-見えないものを見る』(野田智義・金井壽宏著/'07年)と共に読みましたが、『リーダーシップの旅』は、リーダーシップは先天的なものか後天的なものかという論争には意味がなく、後天的な環境がリーダーを育むものであり、「すごいリーダー幻想」に惑わされてはいけないと説きながらも、例に引いてくるのが歴史上の偉人や有名な経営者など「すごい」人物ばかりで、却って「すごいリーダー幻想」を助長しているような気もしました(横文字がやたら多いにも気になった)。

 斬って捨てるような本ではないし、部分部分では共感するのですが、何となく肌に合わなかったというか、自分はこの本向きの読者では無かったのかも。

 一方、高間氏の『組織を変える「仕掛け」』の方にも横文字は少なからず出てきますが、こっちの方がかっちりと理念的に纏まっていて、且つ、より地に足のついた組織変革の実践論となっているように思えました(最後にリーダーシップ論も出てきますが、メインは組織改革の手法を説いた本だった)。

 従来のトップダウンやボトムアップに替わる手法として〈ホールシステム・アプローチ〉という「経営トップから管理者層、メンバー、協力会社まで、ステークホルダーが全員集まり、状況や背景を共有し、全員が話をし、人の話を聴くことで、全員で自分たちのありたい姿を考え、新しいアイディアや施策を生み出していく」方法を提唱していて、更に、このアプローチの背景になる思想は、従来型の問題解決アプローチ(ギャップアプローチ)では限界があり、人の「強み」や「価値」に焦点を当てていく〈ポジティブアプローチ〉であるべきだとしています。

 前半部分だけだとやや抽象的ですが、後半において、「ポジティブアプローチの6つの原則」として、〈ポジティブアプローチ〉を更に具体的な幾つかの手法に落とし込み、研修場面などを想定しながら話を進めていくので、非常にわかり易いし、最後の「組織変革の9つのステップ」もしっくりくるものでした(但し、あまりに多くのことに触れているので、一読して全てを習得するのは難しいかもしれないが、取り敢えず要点と流れだけ掴めば、それだけでも随分違うのでは)。

 『不機嫌な職場―なぜ社員同士で協力できないのか』('08年/講談社現代新書)を読んだ際にも思ったのですが、結局、これからはリーダーシップ研修というよりメンバーシップ研修が大切になってくるのだろうと思わされた1冊でした。

《読書MEMO》
インクルージョン(⇔イクスクルージョン)-境界を外していく(⇔閉じている)
「女性の活用」といい続けるのは、「女性」というラベルを貼って区別していることになる(49p)
●生物学的な統合的(シンセシス)アプローチ(⇔分析的(アナリシス)アプローチ)
私たちを取り囲むシステムの変化や影響関係を、物語や映画のように全体の流れの中でとらえ、感性や皮膚感覚といったもので、察知していきます。自分たちは何者であるのか、一人ひとりがどうありたいのか、自分たちの組織や、社会がどうなったらいいのかを共有するところから、行動を生み出していく(53p)
●ミツバチの生態系の破壊
 アーモンドの需要増→5キロ四方のアーモンド畑→単一の花の蜜ばかり食べる→免疫力低下(70p)
●アポトーシス
 新規プロジェクトが100ぐらい走っているが、その多くが失敗。非効率に見えるが、どうも社内的にアポトーシスを持っているようで、長い時間軸で見るといい結果に(74p)
●ポジティブアプローチの6つの原則
原則1:信頼感のある対話の場をつくる(108p)
組織のメンバーの関係性を徐々に高めながら、メンバーの思いを引き出し、共有できるコミュニケーションの場をつくる。(「怒ってはいけない」「根に持たない」「自分のことは棚に上げてよい」)
原則2:メンバーの「察知力」を高める(129p)
メンバー自身が自己の認知の癖を知り、また、他者のことを自分のことのように捉える力を磨く。そのために自己に向き合うプログラムを取り入れる(内観/トイレ掃除/身体性を高める/瞑想をする)。
原則3:一人ひとりをリスペクトし、強みを認める(138p)
組織の一人ひとりに一人の人間として関心を寄せ、尊重する(問題解決の責任は問題に気づいた人にある/ミーティングで一人ひとりをリスペクトする/必ず全員が話しするようにする/メンバーの強みを引き出す手法―アプリーシアティブ・インクワイアリー(AI)のハイポイント・インタビュー(フロー体験(生きがいや達成感を抱いた体験)を語る)。
原則4:主体性を引き出す(161p)
メンバーが主体的に学習に取り組んだり、ミーティングに参加したりする工夫をする。(プロセス・ガーディナー/ファシリテーターはごみ拾いが理想)
原則5:自他非分離の場を作る(177p)
組織の一体感を高める活動を。組織変革を促すミーティングの場ではディスカッショよりも、メンバーの思いが表出するストーリーテリングが大切(ストーリーを共有する→個々のメンバーに内在するコンテクストが浮き彫りに→共感が生まれる)
原則6:暗在的リーダーシップでサポートする(192p)
組織メンバーの良い面を引き出し、サポートしていくことに徹することができるリーダーが組織変革には不可欠(顕在的リーダー(カリスマ)ではなく、メンバーを励ましていけるリーダーシップ)
●組織変革の9つのステップ(214p)
ステップ1:全体観を持ち、状況の共有によって視座の向上を図る
ステップ2:みなのありたい姿、夢を共有する
ステップ3:関係性の向上を図る
ステップ4:目的・ゴールを共有する
ステップ5:否定と創造
ステップ6:新しい意味の創造
ステップ7:アクションプランをつくる
ステップ8:行動する
ステップ9:振り返り、成果を実感する
●「メンバーが好きに目標を立てたら、組織目標が達成できないだろう」と危惧するマネージャーも多いが、それは思い込み。AIミーティングで主体的に売上げ目標を立ててもらったら、組織目標をはるかに上回った(215p)
●魂の入ってないプランをサラサラつくらないようにスピードを落とす。メンバーが本当に考え、腹に落ちている言葉であれば、稚拙な表現でもよい(232p)

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タイトルずれしている。分析・批判はともかく、著者の"立ち位置"がわかりにくい。

若者はなぜ3年で辞めるのか?.jpg 
3年で辞めた若者はどこへ行ったのか.jpg 『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)』['08年]
若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)』['06年]

 『日本型「成果主義」の可能性』('05年/東洋経済新報社)に続く著者の本でこのタイトルであったために、企業がとるべき人材引き止め策(リテンション戦略)について書かれたものだと思ってしまったのですが、「年功序列」を未だに日本企業の根底にのさばる「昭和的価値観」と規定したところで終わってしまっていて、何かそれに対する改善策が提示されているわけでないため、人材マネジメントに関する本ではなく、労働経済問題を社会学的な見地から指摘した類の本だったのかなと。

 それにしてはデータ的な裏付けがさほど無いままに著者の主観ばかりが先行しているようで、終わりの方では若者に向けて、そうした「昭和的価値観」に捉われている企業から脱出するように呼びかけているような内容であるため、著者の"立ち位置"というか、本書を通して何を言わんとしているのかが今ひとつ分りにくく、少なくともタイトルからは"肩透かし"的印象を抱かざるを得ませんでした。

 著者の言うように、年功序列のレールは90年代前半の時点で大方の企業で崩壊の兆しを見せており、成果主義の導入によってより顕著になったわけで、分析・批判そのものは必ずしも的を射ていないわけではないですが、平成不況下でも年功序列の負の遺産だけが残り、若者達にとっては企業に勤め続けても明るい未来は約束されていないというある種の閉塞状況があるという指摘や(それが本書ではやや端的に語られ過ぎている気がするが)、或いは「"席を譲らない老人"と"席に座れない若者"」といった世代間格差的な捉え方は、玄田有史氏の『仕事の中の曖昧な不安―揺れる若年の現在』('01年/中央公論新社)などとほぼ重なるように思えます(5年前に他の人が指摘済みのこととなると新味は薄い)。

 繰り返しになりますが、本書ではそこからの企業のとるべき施策が語られているわけではなく、働く側の若者に対し「昭和的価値観」からの脱却を呼びかけていて、そのためには自分なりの確固たる価値観を持たねばならないとかいった感じで、ああ、「キャリア塾」みたいなこと、やろうとしているのかな、この人は、と思った次第。
 続編の『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』('08年/ちくま新書)は、そんな感じの内容らしいし...。

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"目から鱗が..."というほどもものでもない。

会社の電気はいちいち消すな.jpg会社の電気はいちいち消すな (光文社新書)』 ['09年]

 「コスト削減」をテーマにした本で、肝は、サブタイトルの「コスト激減100の秘策」に呼応する、中盤・第3章の「節約術100連発」でしょうか。よくこれだけ網羅したものだなあと。
 但し、目を通し終えてみれば、それほど斬新なものは無かったような...。
 全くの素人ならともかく、例えば中堅企業の総務部長や庶務部長がこれを読んで、(チェックリストとして使えなくも無いが) "目から鱗が..."的な感想はまず抱かないのではないでしょうか。

 タイトルの「会社の電気はいちいち消すな」というのも、会議室などで「5分以上人がいないときは自然の消灯するセンサーをつける」ようにしなさいというテクニカルなことを言っているに過ぎず(これは「節約術100連発」には含まれていない)、「節約術100連発」の中では、パソコン、プリンターの電源は、「こまめにコンセントから抜くことが大切」と言っています。

 ホテルを舞台にした小説を素材にして、アウトソーシングや作業のカイゼン・効率化では利益はあがらず、決算書知識は役に立たないとして、薄利多売の意義を説いた第1章が最も興味深く読め、企業会計の勉強にもなりますが、事例の前提条件がやや粗っぽいか、或いは前提条件に対する説明が希薄だったりもし、そのことは「節約術100連発」にも言えるかと思います。
 さすがに、リース契約と買い取りではどちらがいいかを考察した3章の後半では、「前提なしでこれに答えることは難しい」と予め断っていますが。

 結局、財務的な観点から見れば、業務の実態等の状況に関わらずこれが絶対に良いと断言できるような施策は無い訳で、本全体としてはオーソドックスと言えばオーソドックスな内容、但し、個々についてそれが自社適合であるかどうかは自分で考えてください―といった感じでしょうか。

 コンサルタントとして現場で場数を踏んでいるのであれば、従業員をそうした節約キャンペーンにコミットさせていく動機付けのための手法などにもっとページを割いてもよかったのではないかと思いますが、著者の専門はどうやら「購買」であるようで、そうした仕事はあまりやっていないのかな。

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面白かった。労働側弁護士の本だが、企業側が読んでもユニオン対策の参考書として使える?

人が壊れてゆく職場.jpg人が壊れてゆく職場 (光文社新書)』 ['08年] 笹山 尚人.jpg 笹山 尚人 氏 (弁護士/略歴下記)

 著者は1970年生まれの弁護士で、首都圏青年ユニオンの顧問でもあり、その著者が扱った案件の内から、名ばかり管理職の問題、給与の一方的減額、パワハラ、解雇、派遣社員の雇止めなどのテーマごとの典型的な事案を紹介し、相談者からどのような形で相談を受け、会社側とどのように交渉し、和解なり未払い賃金の回収なりに至ったかを書き記しています。

 要するに労働側弁護士が、ユニオンに寄せられた労働者の訴えを聞いて、ユニオンと協働してどのように企業側の横暴を暴いていったかというデモンストレーションの書ともとれなくもないですが、労働者はもっと労働組合を活用しようというのが本書の主たるメッセージの1つでもあり、こうした流れになるのは当然かも。

 労働者から相談を持ち込まれて、弁護士やユニオンがどのような対策をとるのか、その経緯や戦略がリアルに描かれているためかなり面白く読め、事実だから"リアル"なのは当然ですが、「よし、これはいける」とか「参ったな、これはまずいかも」などといった顧問弁護士として係争の見通しに対する感触が随所に吐露されているため、まるで小説を読んでいるみたいでした(顧問としての立場だから書ける部分もあり、ユニオンの人が書くとこうはならないのでは)。

 そうした点で、企業側が読んでも、ユニオン対策の参考書として使える部分もあるように思えたし(勿論、こうした事態に陥らないようにすることがそれ以前の話としては当然あるが)、労働法の趣旨や労働契約、就業規則の性質、労働審判の仕組み等についても、それぞれ係争の場面と照らしつつ具体的に解説されているので、実感を持って理解できるものとなっています。

 最初の方にある給与の一方的減額や上司が部下を殴り「顎に穴を空けた」(!)といったような事例は、会社側に非があることが自明の、且つ、かなり極端なケースにも思えましたが、係争案件として最も数の多いという「解雇」については、会社側の権利濫用を疎明するのが弁護士にとっても結構難しいケースもあることが窺え、労働者側が勤務期間を通じて完璧に清廉潔白であればともかく、中盤にある解雇の事例などもそうですが、訴える労働者側にも忠実義務に反する行為があったりすると、会社側はそこを突いてくる-そうした中で、いかに依頼人に有利な結果を導くかと言うのは弁護士の腕にかかっているのだなあと(何だかディベートの世界みたいだし、海外の法廷ドラマのようでもある)。

 ジョン・グリシャム原作の映画「依頼人」さながらに、1万円の着手金で派遣元から解雇された依頼人の仕事を受けた話などには著者の熱意を感じますが、これなども「感動物語」というより、和解に至る経緯とその事後譚が興味深かったです。

 一方、著者の言う労働組合活動の復興は、従来型の企業内組合ではなかなか難しいのではないかという気もし、結局はコミュニティ・ユニオンということになるのでしょうが、ユニオンの場合、労働者1人1人は、自らの案件が決着すると組合員であることを辞めるのが殆どのようで、その辺りはユニオンにとっても難しい問題ではないでしょうか(係争の間しか組合費が入らない)。
 結局、その結果ユニオンは、動いたなりの報酬を得なければというかなりタイトな経済原理のもとで活動している面があるように思われるのですが(その事は、労働者側の責に帰すべき部分が大きいと思われる場合には軽々しく介入しないということにも繋がっているのだが)。
 それは弁護士も同じかも。本書にある「着手金1万円」のケースも、解決金から報酬を得ればいいという見通しのもとで動いているわけで、こうした弁護士の本音に近い部分が書かれているという点でも、興味深い本でした。
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笹山 尚人 (ささやま なおと)
1970年北海道札幌市生まれ。1994年中央大学法学部卒業。2000年弁護士登録。第二東京弁護士会会員。東京法律事務所所属。弁護士登録以来、「ヨドバシカメラ事件」など、青年労働者、非正規雇用労働者の権利問題を中心に事件を担当している。共著に、『仕事の悩み解決しよう!』(新日本出版社)、『フリーターの法律相談室』(平凡社新書)などがある。

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第一章  管理職と残業代 ---- マクドナルド判決に続け
第二章  給与の一方的減額は可能か? ---- 契約法の大原則
第三章  いじめとパワハラ ---- 現代日本社会の病巣
第四章  解雇とは? ---- 実は難しい判断
第五章  日本版「依頼人」 ---- ワーキング・プアの「雇い止め」
第六章  女性一人の訴え ---- 増える企業の「ユーザー感覚」
第七章  労働組合って何? ---- 団結の力を知る
第八章  アルバイトでも、パートでも ---- 一人一人の働く権利
終 章  貧困から抜け出すために ---- 法の定める権利の実現
おわりに

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ノラ猫ならぬ"ノラ博士"量産の背景。研究員や非常勤講師は大変なのだということはよく分かった。

高学歴ワーキングプア.jpg高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)水月昭道.jpg 水月昭道 (みずき・しょうどう)氏

 大学院卒という肩書きを持ちながら就職に苦労している人を過去に何人か見てきましたが、その背景として、大学がとった「大学院重点化」という施策による博士養成数の急激な拡大と、一方で、大学という彼らにとっての就職先そのものにポストがないという現実があることが、本書によりよく分かりました。

 著者によれば、「大学院重点化」と言うのは「文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失わんと執念を燃やす"既得権維持"のための秘策」だったとのこと、それが90年代半ばからの若年労働市場の縮小(つまり就職難)と相俟って、学生を「院」へ釣り上げる分には何の苦も無くそれを成し得たが、ほぼ終身雇用に近い大学教授のポストにそんなに空きが出るわけでもなく、結果としてノラ猫ならぬ"ノラ博士"を大量に生み出しているとのこと。

 文科省の「大学院重点化」施策に多くの大学が追従した背景には少子化問題があり、学生数の減少を大学院生の増大で補っているわけで(平成3年に約10万人だった院生が、平成16年には24万人余りに増えているとのこと)、大学にも経営をしていかなければならないという事情はあるとは言え、結果として博士号取得済みの無職者(教員へのエントリー待ち者)が1万2千人以上、博士号未取得の博士候補者(博論未提出、審査落ちなどの理由で博士号を授与されていない者)はその数倍いるという現状を生じせしめた、その責任は重いと思いました。

 本書ではそうした"ノラ博士"のフリーターと変わらない生活ぶりなどもリポートしていて(研究員や非常勤講師って、コンビニでバイトして生活費を稼ぎながら学会発表のための論文も書かなければならなかったりして大変なのだなあ)、一方で、"誤って"大学院に進学してしまい、現在就職において苦労しているような人達に対しても、専門にこだわらず発想の転換を促すようアドバイスをしていますが、この"やさしさ"は、著者自身が、そうした道を歩んできたことに由来するものなのでしょう。

 その分、既にベテランの教授職として象牙の塔にいる側に対する憤怒の念も感じられ、そのことが諸事の分析にバイアスがかかり気味になるキライを生んでいるようにも感じられます。
 実際、本書に対する評価はまちまちのようですが、個人的には、研究員や非常勤講師と呼ばれている人達が置かれている現状を知る上では大いに参考になりました(今までその方面の知識が殆ど無かったため)。

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作家がどう書いただろうかと言うより、自分ならこう書くみたいな...。「師匠・江川卓」乗り越えの試み?

「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する.jpg 『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)』 ['07年]

 ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を、全体で2つの小説からなる大きな作品の第1部として構想していたことは作品の序文からもよく知られており、序文で第1部を「13年前」の出来事としていることから、著者は、第2部は、第2部の「13年後」から始まり、その時代設定において書かれる続編を空想するならば、帝政末期という当時の歴史性ないし時代性にこだわらざるを得ないとしています。

 では、それがどのようなものになるかですが、アリョーシャがキリスト教的な社会主義者となって皇帝暗殺の考えにとりつかれるのではないかということは、当時巷でも噂され、また過去に何人もの研究者が唱えたことですが(日本では、著者の師匠である江川卓が示唆した)、著者は一通りその可能性も検証しつつ、アリョーシャが劇的な人格変容を遂げない限りその可能性は小さく、むしろアリョーシャではなく、第1部の「少年たち」の1人コーリャが、皇帝暗殺の実行犯になるのではないかと想像し、更に、そもそも、当時の当局の監視下にあったドストエフスキーの立場からすれば、現に生きている皇帝を暗殺するような小説が書けただろうか、それが難しいならば、どういった結末が考えられるかを考察しています(この辺り、「師匠・江川卓」を乗り越えようとしているようにもとれる)。

 本書自体、推理小説を読むような面白さはあるものの、細部にわたる「想像」は、その前提となる「想像」を土台としたものであり、著者自身、「客観的データに基づいて科学的に空想する」という立場をとったとしながらも、最初の仮説が崩れれば、話は全部違ってきてしまうことを認めています。

 個人的にも、ドストエフスキーが果たしてこんなに政治・社会状況を鏡のようにリフレクトした小説を書くだろうかやや疑問で、ドストエフスキーは(このことを著者も否定してはいないようだが)「社会主義」に共鳴しつつも皇帝支持者であり(理屈上は並存し得ない。ドストエフスキーは「考える」タイプではなく「感覚」の人だったと、中村健之介氏も言っている)、政治的・社会的事件に常に関心があったけれども、事件そのものよりも、そうした事件を引き起こした、或いはそこに巻き込まれた「人間」自体に関心があったのではないかという気がします。

 それでも著者は想像逞しく、どんどん話を進めていき、それはむしろ、ドストエフスキーがどう書いただろうかと言うより、自分ならこう書くみたいな感じになっていて(ドストエフスキーのハイテンションな作家性が著者に幾分のり移った感じも)、こういうオーサーシップが旺盛な翻訳者がいてもいいとは思うのですが(東京外語大の学長になるのも別に悪くない)、本書における展開自体は牽強付会の部分が多く、これはこれでスリリングではあるのですが、果たして「科学的に空想」したと言えるか疑問を感じました。

 ただ、本書でも繰り返されている『カラマーゾフの兄弟』の著者による解題(低次の「物語層」と形而上的な「象徴層」の間に、個人的な体験を露出させた「自伝層」があるという見方など)は、本編を読み解くうえで興味深iいものであるとは思います(但し、この分析も、「聖と俗」の二層構造を指摘した「師匠・江川卓」を、「二層→三層」という形で乗り越えようとしているようにもとれるのだが)。

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とりあげている「仮説」のレベルにムラがある。科学エッセイに近い「啓蒙書」?

99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方.png 『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』 ['06年]

 自然科学においては、「法則」という名のものも含め、究極的には全てが仮説であるということはむしろ当たり前であって、「科学は全部『仮説にすぎない』」という本書は、特に新たなことを唱えているわけではなく、科学的理論というものが「仮説である」と認識するところに科学的思考の鍵があるということを言いたかったのではないでしょうか、そうした意味では、本書の趣意は「啓蒙」にあるように思えました。

 但し、著者の「白い仮説、黒い仮説」という表現にもあるように、仮説が実験や観察などにより事実との合致を検証され続けていくと、次第により正しい自然科学法則として認められるようになっていくわけであり、何でもかんでも相対化すればいいというものではなく、その中で、より客観的に確かなものをベースに、それを数学における「命題」や「定理」のように考え、次の理論段階へ進むことが、科学的進化の道筋であるということなのだと思います。

 冒頭の「飛行機がなぜ飛ぶのかまだよく理解されていない」という話は、掴みとしては大変面白いし、「仮説」がすぐに覆ることもあるというのはわかりますが(反証可能だからこそ「仮説」なのである)、「仮説」が覆る可能性がある例として「冥王星は惑星なのか」という問題をもってきていることには、少し違和感がありました(実際、本書にあるIAU国際天文連合の「冥王星が惑星から降格されることはない」という声明は、本書刊行の半年後に、IAU自体がこれを覆して、冥王星を「準惑星」に降格したのであり、時期的にはドンピシャリの話題ではあったが)。

 これって、天文学の話というより、天文学会の中の話であるように思え、それまでにも、仮説が覆った例として「絶対に潰れないと思われた山一證券があという間に潰れた」などといった例を挙げていて、この話と、冥王星の話と、例えば最後にあるアインシュタインの相対性理論も「仮説」に過ぎないという話は、同じ「仮説」でも、その意味合いのレベルが異なるように思えました。

 サブタイトルから、何かビジネスに役立つ思考に繋がる「啓蒙書」かと思って買った人もいるかも知れませんが、どちらかというと、一般の人に科学に関心を持ってもらうための科学エッセイに近い「啓蒙書」という気がしました。

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文化大革命以降、意外な日本映画が中国で大反響。その背景を分析。

中国10億人の日本映画熱愛史2.jpg君よ憤怒の河を渉れ 高倉・原田 2.jpg君よ憤怒の河を渉れ [DVD]」('76年)
中国10億人の日本映画熱愛史-高倉健、山口百恵からキムタク、アニメまで』['06年] 

追捕.jpg君よ憤怒の河を渉れ.jpg 文化大革命以降の中国国内における日本映画の歴史を解説したもので、何よりも、文革直後に中国で公開された数少ない映画が、中国の一般の人々や映画人に与えた影響が絶大なものであったことを本書で知りました。

 その代表というのが、今は日本では殆ど顧みられることのない作品「君よ憤怒の河を渉れ」('76年/製作:大映、配給:松竹)で、西村寿行の原作を佐藤純彌が監督したこの作品は、'78年に中国で「追捕」というタイトルで公開されるや大反響を呼び、中国人の約80%以上が観たということで(スゴイ!)、主演の高倉健、中野良子は今でも中国で人気があるそうです。

サンダカン八番娼館 望郷.jpg これに続いたのが、山崎朋子の原作を熊井啓が監督した「サンダカン八番娼館・望郷」('74年製作)で、主演の栗原小巻の中国での人気は今でも高いそうですが、その後も「愛と死」('71年/中村登監督)、「人間の証明」('77年/佐藤純彌監督)、「砂の器」('74年/野村芳太郎監督)などが中国に輸入され、高い人気を博したとのこと(「愛と死」を80年代に日本人が観れば、既にノスタルジーの対象であったものが、当時の中国人にはオシャレに見えた。この点が、今の日本の"韓流ブーム"とは異なるところ)。

 本書では、中国に輸入された日本映画とその影響を、「第5世代」と呼ばれる中国の新映画人の台頭など国産映画の動向と併せて解説し、何故それら日本映画が中国の人々に受け入れられたのかを分析していて、先に挙げたものは、中国に輸入された日本映画の初期のものに過ぎないのですが、とりわけ反響が絶大であっただけに、その「ウケた理由」には自ずと興味が持たれます(こうしてみると、芸術性はあまり関係ないなあ)。

山口百恵 赤い疑惑.jpg 中国における高倉健の人気は、ハリウッドスターを含めた海外映画俳優の中で今でもトップという圧倒的なものだそうですが、女優で最大人気は、'84年から中国で放映されたTVドラマ「赤い疑惑」シリーズの山口百恵だそうで、殆どカリスマのような存在。

コン・リー.jpg 大物女優の鞏俐(コン・リー)なども、中国が本当にオリジナルな芸術性を持った作品を作り始めた第五世代の代表的監督・張芸謀(チャン・イーモウ)の初期作品「紅いコーリャン」('87年)に出演した頃は、中国国内で「中国の山口百恵」と言われているという話を聞いた覚えがあります(本書によれば、その後すぐに彼女はそのイメージから脱却したそうだが、スピルバーグがプロデュースした「SAYURI」('05年)に、チャン・ツィイーと共に日本人女性役で出ているというのが興味深い。本来は日本人がやる役だけれど、ハリウッド進出は中国女優の方が既に先行している)。

 著者は映画芸術論を専門とする中国人の学者で('94年以降、日本在住)、本書は初めから日本語で書かれたもの。知らないことだらけで興味深く読めたけれど、1行当たりの"漢字含有率"がどうしても高くなってしまうのは、本の内容上、仕方がないことなのか。

君よ憤怒の河を渉れ poster.jpg 冒頭で掲げた「君よ憤怒の河を渉れ」は(原作は「ふんぬ」だが映画タイトルには「ふんど」のルビがある。因みに監督の佐藤純彌は東大文学部卒)、高倉健の東映退社後の第一作目(当時45歳)で、高倉健が演じるのは、政界黒幕事件を追ううちに無実の罪を着せられ警察君よ憤怒の河を渉れ 高倉・原田.jpgに追われる立場になる東京地検検事。原田芳雄が演じる彼を追う警視庁の警部との間で、次第に友情のようなものが芽生えてくるのがポイントで、最後は2人で黒幕を追い詰め、銃弾を撃ち込むという任侠映画っぽい結末(検事と警官で悪を裁いてしまうという無茶苦茶ぶりだが、その分カタルシス効果はあったか)。健さんは逃亡過程においては、馬を駆ったりセスナ機を操縦したりと007並みの活躍で、その間、中野良子や倍賞美津子に助けられるという盛り沢山な内容です。
Kimi yo fundo no kawa wo watare (1976)
Kimi yo fundo no kawa wo watare (1976) .jpg君よ憤怒の河を渡れ  .jpg そこそこ面白いのですが、B級と言えばB級で、なぜこの映画が中国で受けたのか不思議というのはあります。中国人の約80%以上が観たというのが大袈裟だとして、たとえそれが30%であったとしても、最も多くの人が観た日本映画ということになるのではないでしょうか。張藝謀(チャン・イーモウ)監督のように、この映画を観て高倉健に恋い焦がれ、その想いがコラボ的に高倉健が主演することになった「単騎、千里を走る。」('05年)に結実したということもあります。やっぱり、中国で文革後に実質初めて公開された日本映画という、そのタイミングが大きかったのでしょう。今観ると、意外と2時間半の長尺を飽きさせずに見せ、また70年代テイスト満載の映画でもあり、その部分を加味して星半個オマケしておきます。
君よ憤怒の河を渉れ 大和田.jpg 君よ憤怒の河を渉れ nakano.jpg
大和田伸也/高倉健/原田芳雄             高倉健/中野良子
君よ憤怒の河を渉れsp.jpg「君よ憤怒の河を渉れ」1.jpg「君よ憤怒の河を渉れ」●制作年:1976年●監督:佐藤純彌●製作:永田雅一●脚本:田坂啓/佐藤純彌●撮影:小林節雄●音楽:青山八郎●原作:西村寿行●時間:151分●出君よ憤怒の河を渉れ 倍賞.jpg演:高倉健/原田芳雄/池部良/大滝秀治/中野良子/倍賞美津子/岡田英次/西村晃/田中邦衛/伊佐山ひろ子/内藤武敏/大和田伸也/下川辰平/夏木章/石山雄大/松山新一/木島進介/久富惟晴/神田隆/吉田義夫/木島一郎/浜田晃/阿藤海(阿藤快)●公開:1976/02●配給:松竹 (評価:★★★☆)
君よ憤怒の河を渉れ サントラ.jpg

《読書MEMO》
君よ憤怒の河を渉れ415.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 

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"うつ"の底が抜けると躁になる。つまり、躁の方が深刻だということか。

問題は、躁なんです.jpg 『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ (光文社新書)』 ['08年] 「狂い」の構造.jpg 春日武彦・平山夢明 『「狂い」の構造 (扶桑社新書 19)』 ['07年]

 "うつ"よりも頻度が低いために見過ごされ易い"躁"についての本ですが、著者は、うつ病が「心の風邪」であるならば躁病は「心の脱臼」であるとし、"うつ"の対極に躁があるのではなく、"うつ"の底が抜けると躁になるとしていて(つまり、躁の方が深刻だということ)、その3大特徴(「全能感」「衝動性」「自滅指向」)を明らかにするとともに、有吉佐和子、中島らもなどの有名人からハイジャック事件の犯人まで、行動面でどのようにそれが現れるかをわかり易く説いています。

中島らも.jpg有吉佐和子.jpg 有吉佐和子が亡くなる2カ月前に「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」に出演し、ハイテンションで喋りまくって番組ジャックしたのは有名ですが(橋本治氏によると番組側からの提案だったそうだが)、当時、本書にあるような箍(たが)が外れたような空想小説を大真面目に書いていたとは...。中島らもの父親が、プールを作ると言って庭をいきなり掘り始めたことがあったというのも、ぶっ飛んでいる感じで、彼の躁うつは、遺伝的なものだったのでしょうか。

黒川 紀章.jpg 著者によれば、躁の世界は光があっても影のない世界、騒がしく休むことを知らない世界で、最近では老年期にさしかかった途端にこうした状態を呈する人が増えているとのこと、タイプとしてある特定の妄想に囚われるものや、所謂「躁状態」になるものがあり、後者で言えば、(名前は伏せているが)黒川紀章が都知事選に立候補し、着ぐるみを着て選挙活動をした例を挙げていて、その人の経歴にそぐわないような俗悪・キッチュな振る舞いが見られるのも、躁の特徴だと(個人的に気になるのは、有吉佐和子、黒川紀章とも、テレビ出演、都知事選後の参院選立候補の、それぞれ2カ月後に亡くなっていること。躁状態が続くと、生のエネルギー調整が出来なくなるのではないか)。

黒川紀章(1934-2007/享年73)

 不可解な犯罪で(アスペルガー症候群のためとされたものも含め)、躁病という視点で見ると行動の糸口が見えてくるものもあるとしていますが、やや極端な事例に偏り過ぎで(しかも、自分が直接診た患者でも無いわけだし)、一般の"躁"の患者さんから見てどうなのかなあ。罹患した場合、普段隠している欲望が歯止めなく流れ出していく怖さを強調する一方で、そうした事態に対する患者の内面の苦しみには、今一つ踏み込んでいないように思えます。

 (名前は伏せているが)中谷彰宏氏のように「○○鬱病の時代」とか言って素人が二セ医学用語を振り回すのは確かにどうしようもなく困ったものですが(この発言が本書を書くきっかけになったと「週刊文春」の新刊書コーナーで語っている)、著者自身も、時代の気質の中でこの病を捉えようとしている面があり、その分、社会病理学な視点も含んだ書きぶりになっていて、その点が入門書としてはどうかなあという印象もありました。

 著者自身は、「躁に関心があるのは、怖いもの見たさのようなものがある」といったことを、同じ文春の誌面で語っていて、そのことは、作家・平山夢明氏との対談『「狂い」の構造-人はいかにして狂っていくのか?』('07年/扶桑社新書)を読むと、人間の狂気そのものへの著者の関心が窺えます。但し、この対談では、平山氏の異常性格犯罪に対するマニアックな関心の方が、それ以上に全開状態で、著者が平山氏と歩調を合わせて、自らの患者になるかも知れない人間を「ヤツ」呼ばわりしているのが気になった。

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イラクの政治・宗教・経済・市民生活などを知る上ではわかりやすい入門書。

イラク.jpg 『イラク (光文社新書)』〔'03年〕 タリバン.jpg 『タリバン (光文社新書 (003))』〔'01年〕

 イラク戦争開戦('03年)直前のイラクの政治・宗教・経済・市民生活などを知る上では、わかりやすく書かれた本で、ペルシャ帝国来のイラクの歴史についても触れられていて、今読んでも充分参考になります。

 著者の田中宇(たなか さかい)氏は元共同通信者記者でフリーの国際ジャーナリスト、同じ光文社新書では、創刊ラインアップの1冊として『タリバン』を「9.11同時多発テロ」の翌月に上梓していますが(内容的にはタリバン自体よりもアフガン情勢が主)、本書『イラク』の刊行は、イラク戦争におけるアメリカの爆撃開始直前でした(実際、戦争を予想して本書は書かれている)。

 田中氏は、ウェブ上の海外サイトで情報収集し、自らのニュースサイトに記事を書き、更に解説メールの配信を行うことを中心に活動していますが、『仕組まれた9.11』('02年/PHP研究所)など、ネット情報のどの部分を拾ってきたの?といった内容の本もあり、但し、この『タリバン』と『イラク』については現地取材をしていて、とりわけ、インターネットとは逆の"地を這うような"目線で書かれた部分が多い本書『イラク』は、日本人の知らないイラクの人々の一面が描かれていて興味深いものでした。

 小学校の取材では、独裁政権下でスローガンを連呼する小学生が何となくラテン的だったり、クルド人の生徒が拍手で紹介されるようなヤラセっぽい演出があったり、また、バクダッド市内には、日本の秋葉原や六本木とよく似た雰囲気の街があり、そこで働く若手事業家は...といった具合で、この辺りの淡々としたルポルタージュ感覚がいい。

 僅か2週間の滞在で、しかも、当局が用意した"取材ツアー"の枠内での取材が多かったようですが、劣化ウラン弾に汚染された街なども取材して、白血病・癌などの子供が多く入院する病院とその近くにある子供専用墓地が痛ましいです。

 政情分析についても、湾岸戦争後の経済制裁でフセイン政権への求心力が強まり、その後の制裁緩和で求心力が失われたとか、「戦争が近い」という状況がアメリカ側・イラク側両方の政権にとって好都合なものであるといった分析は、あながちハズレではないのでは(あまり強調しすぎると「仕組まれた9.11」のような論調になってしまうのだろうけれど)。

 前段の歴史解説の部分で、中近東の宗教的対峙が、オスマン帝国を解体しようとした西欧列強に起因することはおおよそ知識としてありましたが、「シーア派」の教義は被征服国ペルシャの宗教をコーランに当て嵌めたもので、偶像崇拝的な面があるというのは初めて知り、聖地の廟を訪れる人たちの様は「浅草詣」っぽく、廟の金具を触ったり額をくっつけたりするのは、柱に触ると縁起がいいという「善光寺詣」に似ているのが、個人的には興味深かったです。

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「普通の京都」コースは「じゃらん」、「特別の京都」コースは「日経おとなのOFF」?。

極みの京都.jpg 『極みの京都』 (2007/10 光文社新書)

京町屋.jpg 著者は京都在住の開業歯科医で、グルメ・紀行エッセイストでもあるとのことで、紹介文から、行楽地として四季を通じて人気が高い京都の、その人気の秘密を探るか、または、一風変った視点での京都観光の楽しみ方を教えてくれる本だと思ったのですが、読んでみて、観光ガイドを新書にしただけという印象を受けました。

 前段の、「京都検定」の問題の出し方に対する異議や、「ぶぶ漬神話」(京都の知人宅を訪ねた際に「お茶漬でも...」と言われたら、辞去を促す婉曲表現であると一般には言われていること)はウソであるという話ぐらいまでは面白かったけれども、すぐに、寺や店を次々紹介する普通のガイド本になってしまった...。

 京都を"極める"のに、「普通の京都」コースと「特別の京都」コースがあるらしいけれど、「普通の京都」コースは「じゃらん」、「特別の京都」コースは「日経おとなのOFF」などに書かれていることとさほど変らないような...(何れにせよ、「特別の京都」コースの方は、さほど自分には縁がなさそうだなあ)。

 文章にも、旅行ガイドの定型表現が多く見られ、最初からガイドブックと割り切って読めば、京都への旅行を計画している人には足しになる部分もあるかも知れないけれど、これで「新書」になるのなら、この手の本の書き手はごろごろいるのではないだろうか。

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結論には共感したが、インパクトが弱い。『「甘え」の構造』がなぜ参考文献リストに無い?

羞恥心はどこへ消えた.jpg 『羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)』 〔'05年〕 菅原 健介.jpg 菅原 健介 氏 (聖心女子大教授)

ジベタリアン.jpg 駅や車内などで座り込むジベタリアン、人前キス、車内化粧などの横溢―現代の若者は羞恥心を無くしたのか? そうした疑問を取っ掛かりに、「恥」の感情を研究している心理学者が、羞恥心というものを社会心理学、進化心理学の観点で分析・考察した本。

 社会的生き物である人間は、社会や集団から排除されると生活できなくなるが、羞恥心は、人間が社会規範から孤立しないようにするための「警報装置」としての役割を持っているとのこと。それは、単なる自己顕示欲や虚栄心といった世俗的なプライドを守る道具ではなく、生きていくために必要なもので、進化心理学の視点で考えると、敏感な羞恥心を持たない人物は、社会から排斥されその形質を後世に伝えられなかっただろうと。

ジベタリアン2.jpg 「恥の文化ニッポン」と言われますが、国・社会によって「恥」の基準は大きく異なり、日本の場合、伝統的には、血縁などを基準にした「ミウチ」、地域社会などを基準にした「セケン」、それ以外の「タニン」の何れに対するかにより羞恥心を感じる度合いが異なり、「セケン」に対して、が最も恥ずかしいと感じると言うことです。しかし、「セケン」に該当した地域社会が「タニン」化した現代においては、一歩外に出ればそこは「タニン」の世界で、羞恥心が働かないため、「ジブン」本位が台頭し、駅や車内などで座り込もうと化粧しようと、周囲とは"関係なし状態"に。

 しかし一方では、従来の「セケン」に代わって「せまいセケン」というものが乱立し、若者の行動はそこに準拠することになる、つまり、平然と車内化粧する女子高生も、例えば、仲間がみんなルーズソックスを穿いている間は、自分だけ穿かないでいるのは「恥ずかしい」ことになり、結局、その間は帰属集団と同じ行動をとった、というのが著者の分析です。

「甘え」の構造3.jpg さらっと読める本ですが、前半部分の分析が、わかりきったことも多かったのと(ジベタリアンへのアンケート結果なども含め)、ポイントとなる「ミウチ・セケン・タニン」論は、30年以上も前に土居健郎氏などが言っていること(『「甘え」の構造』、どうして参考文献のリストに無い?)と内容が同じことであるのとで、インパクトが弱かったです。

 最後の方の、今まで「セケン」に該当していたものが「タニン」化し、「せまいセケン」が乱立しているという結論には、改めてそれなりに共感はしましたが、これも一般感覚としては大方が認識済みのことともとれるのでは。

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巷間に溢れる「ニート」論のいい加減さと危険性を指摘。一読に値する。

二ートって言うな2998.JPG「ニート」って言うな!.jpg      本田由紀.jpg 本田 由紀 氏 (略歴下記)
「ニート」って言うな! (光文社新書)

 「ニート祭り」と言ってもいいほど盛況を極めた「ニート」論ブームを、教育社会学者の本田由紀氏をはじめとする3人の著者が "バッサリ"斬った本で、タイトルのから受ける印象よりはずっと真面目に、社会現象化した巷の「ニート」論を分析・批判しています。

ニート.gif とりわけ本田氏が執筆している第1章が明快で、「ニート」という概念を英国から輸入した玄田有史氏らが、その著書『ニート』('04年/幻冬舎)のサブタイトルにもあるように、フリーターでもなく失業者でもない人たちを「ニート」という言葉で安易に一括りに規定し、近年増加した(求職中ではないが働く意欲はある)「非求職型(就職希望型)」無業者を、ほとんど増えていない(働く予定や必要の無い)「非希望型」無業者と同じに扱ってしまったと。
 それにより、「非求職型」無業者というのは本来、同じく労働経済的要因で増加したフリーターや失業者(求職者)に近いはずなのに、それらと分断されて「働く必要のない人・働く意欲のない人」と同類に扱われ、さらには「ひきこもり」や「犯罪親和層」のイメージが拡大適用されてしまったとしています。
 このことは、結果として、労働経済問題である若年雇用の問題の咎を、失業者自身の「心の問題」や「家族」の問題、「教育」の問題にすりかえることになってしまったと。

 第2章では、社会学者の内藤氏が、「最近の若者は働く意欲を欠いている」「コミュニケーション能力に問題があり他者との関わりを苦手とする」「凶悪犯罪に走りやすい」といった根拠の希薄な「青少年ネガティブ・キャンペーン」と相俟って「ニート」が大衆の憎悪と不安の標的とされていることを指摘し、その背後にある大衆憎悪を醸成する社会心理のメカニズムと、「教育」的指導をしたがる危険な欲望について解説し、さらに第3章では、「俗流若者論批判」を展開している後藤和智氏が、「ニート」を巡るこれまでの言説を検証しています。

ニート.jpg 玄田氏の『ニート』を読んだときは、共著者・曲沼美恵氏の若者への真摯なインタビューなど共感する部分もありましたが、「ニート」の定義が粗削りのまま議論を展開していて(実は曲沼氏のインタビューを受けている人も「ニート」ではない)、最後は人生論みたいになってしまっているのに疑問を感じましたが、後藤氏のレポートを読むと、この「ニート」ブームに乗っかって牽強付会の言説を展開した学者・ジャーナリストがいかに多くいたかがよくわかり、危惧を覚えます。

 各章の繋がりやバランスがイマイチの部分もありますが、こうした言説が、政府の労働経済施策の無策ぶりに猶予を与え、国策教育など政治的に利用される怖れもあることを指摘しているという点では、多くの人にとって一読に値するものだと思いました。
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本田 由紀 (ほんだ・ゆき)
1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。教育学博士。94年から日本労働研究機構(現労働政策研究・研修機構)研究員として数々の調査研究プロジェクトに従事。2001年東京大学社会科学研究所助教授を経て、2003年から東京大学大学院情報学環助教授。主な編共著に『女性の就業と親子関係―母親たちの階層戦略』(勁草書房)『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』(岩波書店)など。著書に『若者と仕事―「学校経由」の就職を超えて』(東京大学出版会)など。

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新書という体裁に沿った、軽度発達障害のわかりよい入門・啓蒙書。

磯部 潮 『発達障害かもしれない』 (2).JPG発達障害かもしれない.jpg
発達障害かもしれない 見た目は普通の、ちょっと変わった子 (光文社新書)』 〔'05年〕 

 本書は、主に高機能自閉症、アスペルガー症候群という軽度発達障害を世の中に広く知ってもらうことを目的とした本ですが、概念の説明、症状、LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)との違い、それらのケースの紹介と対応する治療をわかりやすく示しています。

 著者自身はLD、ADHDを"発達障害"の定義に含めるべきではない(もちろん、自閉症、高機能自閉症、アスペルガー症候群を指す"自閉症スペクトラム"には含まない)という近年の研究動向に沿った考え方ですが、LD、ADHDも高機能群に重複することがあるために敢えて本書で取り上げていて、それは、もし高機能群であればそれに沿った療育が不可欠で、そのことがまたLD、ADHDにも良い影響を与えると言う考えに基づくものです。

 外から見えない障害である自閉症スペクトラムは、実際にそうした人に関わらないとわかりにくいものだとエピローグで述べていますが、後半部分の高機能自閉症、アスペルガー症候群、LD、ADHDのそれぞれのケーススタディは、年齢的な経過を追って書かれていて、親からはどう見えたか、どういったことで苦労したかなども添えられていてわかりやすく、また、症状が固定的なものでなく適切な対応や療育によって改善されていくことを示しています。

 "社会性の障害"である自閉症スペクトラムへの対応の仕方を丁寧にアドバイスしていて、一方で、いじめや被害妄想が早期療育の効果を損なうこともあるとも指摘しており、自閉症スペクトラムの人たちの障害が早期に認識され、できるだけ早期に療育され、将来健常者に近いかたちで社会参画できることを期待する著者の気持ちが伝わってくる内容です。
 
 同じ光文社新書の前著『人格障害かもしれない』('03年)では、芸術家などの症例への当て込みにやや恣意的ではないかと思われるものを感じましたが、本書は直近の研究成果と著者の臨床経験をベースにしたバランスのとれた内容で、多くの人に触れる機会の多い「新書」という体裁にも沿った、適切なレベルの入門書であり啓蒙書であると思います。

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解説自体はオーソドックスだが、実在者への当て込みには恣意的。

人格障害かもしれない.jpg  『人格障害かもしれない (光文社新書)』 〔'03年〕

 本書では、米国精神医学会の診断基準DSM-IVに沿って人格障害を10タイプに分け、それぞれの特徴や治療面でのアプローチについて述べています。
 その中でも多い「境界性人格障害」については、見捨てられることへの不安、不安定な対人関係、言動や性格に一貫性がない、衝動性、慢性的な空虚感などの特徴を挙げていますが、そうした不安定な共生依存関係が維持されている間は、他の面ではうまくいっていることが多いという指摘は興味深いものでした。
 それぞれの解説自体はオーソドックスです。

尾崎豊.bmp 人格障害には光と影の部分があるとし、影の部分として宅間守や麻原晃光などの凶悪犯がそれぞれどのタイプの人格障害に当たるかを示していますが、光の部分(創造性発揮につながったケース)として尾崎豊、太宰治、三島由紀夫を挙げています。

 例えば尾崎豊は、境界性人格障害による強度の見捨てられ不安だったと。
yukio mishima2.jpgdazai.bmp ただこの3人の最期を考えると、自分は人格障害かも知れないと思っている人は喜んでいいのかどうか。
 "光の部分"の例としてはどうかという気もするし、こうした実在者への当て込み自体がかなり主観的であると感じました。
 このことは、実際の診断において医師の主観が入ることを示しているとも思いました。

《読書MEMO》
●人格障害の種類... 
・A群...妄想性・分裂病質・分裂病型
・B群...境界性・反社会性・自己愛性・演技性
・C群...回避性・強迫性・依存性
●《境界性人格障害》の特徴=極端で不安定な共生依存関係、そうした不安定な状態にある間、その他の面はうまくいっていることが多い/20代・30代ぐらいの女性に多い母子共生関係
●《境界性人格障害》とは「精神病」と「神経症」の中間?→正常からの逸脱
●《境界性人格障害》のすべてが犯罪を犯すわけではない
●新潟女児監禁事件の《佐藤宣行》...「分裂病型・人格障害」
●池田小学校児童殺傷事件の《宅間 守》...「妄想性・人格障害」
●《麻原彰晃》...「自己愛性・人格障害」
●連続幼女誘拐殺人の宮崎 勤...「多重・人格障害」(今田勇子)
●神戸連続児童殺傷事件の《酒鬼薔薇少年》...「行為障害」、成人ならば「反社会性・人格障害」
●尾崎 豊...境界性人格障害(強度の見捨てられ不安)/●太宰 治...境界性人格障害+自己愛性人格障害/●三島由紀夫...自己愛性人格障害

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安全性、ホンモノ度、経済合理性の調和が難しい温泉問題。生活者問題も軽視できないのでは。

ホンモノの温泉は、ここにある2.jpgホンモノの温泉は、ここにある』 光文社新書 これは、温泉ではない.jpgこれは、温泉ではない』('04年)

白骨野天風呂.jpg 同じ光文社新書の『温泉教授の温泉ゼミナール』('01年)、『これは、温泉ではない』('04年)の続編で、今回は信州の〈白骨温泉〉の「入浴剤混入問題」を受けての緊急出版ということですが、内容的には、「源泉100%かけ流し」にこだわり、日本の多くの温泉で行われている「循環風呂システム」や「塩素投入」を批判した前著までの流れを継いでいます(事件としても、循環風呂のレジオネラ菌で7名の死者を出した〈日向サンパーク事件〉の方を重視している)。

 今まで温泉と思っていたものの実態を知り、「ああ、読まなければ良かった」という気持ちにもさせられますが、著者に言わせればそういう態度が良くないのだろうなあ。
 温泉とは言えないものまで「温泉」になってしまうザル法や、「かけ流し温泉」にまで一律に塩素殺菌を義務付ける条例を批判し、源泉だけでなく浴槽の(中のお湯の)情報の公開を提案しています。

 一読して知識として知っておく価値はあるかもしれませんが、安全性は絶対の優先課題であるとして、次に、経済合理性を100%犠牲にしてまでもホンモノにこだわるとすれば(本書の中では町村ぐるみで「源泉100%かけ流し」宣言をした例も紹介されてはいますが)、多くの温泉旅館は消えていくのではと...。そうした生活者問題が軽視されている印象も受けました。

 著者の専攻はモンゴル学で、『朝青龍はなぜ負けないのか』('05年/新潮社)という著作もありますが、「温泉教授」(自称)といっても要するに文系の人です。
 著者自身も指摘するように、ドイツの有機化学は「ワイン」から発達し(同じく有機化学"先進国"である日本なら、さしずめ「味噌・醤油」からということになるだろうか)、無機化学は「温泉」から発達したと言われるのに対し、日本は〈温泉学〉では"後進国"なのかも知れません。

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誤審が避けられないなら、選手やコーチはもっと外国語の勉強をしておいた方がいいかも。

世紀の誤審.jpg 『世紀の誤審 オリンピックからW杯まで』 光文社新書 〔'04年〕

篠原信一 ドイエ 01.jpg篠原信一 ドイエ 02.jpg パリ世界陸上('03年)の末続慎吾のスタート直前に与えられた不当な注意や、シドニー五輪('00年)柔道決勝の篠原信一・ドゥイエ戦の判定、日韓共催サッカー・ワールドカップ('02年)の韓国チームに有利に働いた判定、ソルトレイク冬期五輪('02年)フィギアの審判員の不正など、歴代の大きなスポーツ競技会での誤審や疑惑の判定が取りあげられていて、色々あったなあと思い出させてくれます。
laughy.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/chestnuti/56680138.html
「篠原"誤審"に泣いた銀」(サンケイスポーツ)
 
 どうして誤審が起きるのかをひとつひとつ分析していて、柔道のように競技の国際化に伴って審判も国際化し、そのレベルが均質ではなくなってきているという問題もあるのだなあと。サッカー・ワールドカップ然り、おかしな審判は必ず毎大会います。

 柔道は選手に抗議権がない競技らしいですが、それにしても国際大会に出る日本のアスリートは、外国語(主に英語)を早めに習得しておいた方がいいのではないかと思われ、それは監督・コーチにも言えることで、篠原・ドゥイエ戦にしても、抗議文を英語で書ける人がいなかったために、その発送が遅れたというのはやや情けない気もします(五輪終了後、国際柔道連盟はこの試合のビデオを分析し、その結果、篠原もドゥイエも技が完全ではないと国際柔道連盟理事会は判断し、問題の場面では両者にポイントを与えるべきではなかったと結論付け、篠原の内股透かしを無効とした事ではなく、ドゥイエの内股を有効とした事について誤審と認めた。だが、試合場から審判が離れた後は判定は覆らないという国際柔道連盟試合審判規定第19条によりドゥイエの優勝は覆らなかった(wiki))。

 切り口は面白く、誤審が生まれる背景には政治的なもの、人種差別的なものから選手の実力に対する先入観など色々な要素があることがわかりますが、ひとつひとつのケースの取り上げ方がやや浅い気もします。しいて言えば、ミュンヘン五輪('72年)男子バスケットボールの米ソ大逆転は状況分析が行き届いていますが、これはの『残り(ラスト)3秒』(香中亮一著/'93年/日本文化出版)という先行著作を参考にしているためだと思われます。

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オノマトペについての考察。動物に偏り過ぎた感じもするが、読み物としては楽しめた。

犬は「びよ」と鳴いていた.jpg       山口仲美(やまぐちなかみ).jpg 山口 仲美 氏(略歴下記)
犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い』光文社新書 〔'02年〕

 英語の3倍にも及ぶという日本語の擬音語・擬態語、その研究の魅力にとり憑かれたという著者が、擬音語・擬態語の歴史や謎を解き明かしています。

 三島由紀夫がオノマトペ(擬音語や擬態語)を品が無いとして自分の作品にほとんど使わなかったのは知られていますが(本書によれば森鷗外も好きでなかったらしく、片や草野心平や宮沢賢治は詩や小説の中でうまく使っている)、オノマトペって奈良・平安の時代から使われているものが結構ある一方で、最近でもいつの間にか使われなくなったり(雨戸の「ガタピシ」とか)、新たに使われるようになったもの(レンジの「チン」とか携帯電話の「ピッ」とか)も多いんだなあと。三島が使わなかったのは、時代で使われ方が変わるということもあったのではないだろうかと思いました。

 『大鏡』の中で犬の鳴き声が「ひよ」と表記されているのを、著者が、いくらなんでも犬と雛の鳴き声が同じに聞こえるはずはないだろうと疑念を抱き、濁点の省略による表記と発音の違いを類推し、後の時代の文献で「びよ」の表記を見出す過程は面白く(「びよ」は英語のbowにも似てる)、それがどうして「わんわん」になったかを、独自に考察しているのが興味深かったです。

 その他にも、鶏の鳴き声は江戸時代「東天紅」だったとか、猫は「ねー」と鳴いていて、それに愛らさを表す「こ」をつけたのが「猫」であるとか、やや動物に偏り過ぎた感じもしますが、読み物としてはこれはこれで楽しめました。
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山口仲美(やまぐちなかみ)
1943年生まれ。お茶の水女子大学文教育学部国語国文学科卒。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。文学博士。現在は、埼玉大学教養学部教授。著書に、『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い―』(光文社新書)、『中国の蝉は何と鳴く?―言葉の先生、北京へゆく―』(日経BP社)、『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(講談社)などがある。

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報告書レベルを超えた内容。ただし、ちょっと大企業中心?

仕事で一皮むける0.JPG仕事で「一皮むける」.jpg仕事で「一皮むける」光文社新書金井壽宏.jpg 金井壽宏 氏

 関西経済連合会のワークショップとして、参加企業のミドルが企業トップ(経営幹部)にインタビューし、自らの〈キャリアの節目〉を振り返りってもらったものをまとめたものを、さらに金井教授が新書用に再構成し、解説をしたものです。

Career and Work Success.jpg 金井教授の「一皮むける」という表現は、その仕事上の経験を通して、ひと回り大きな人間になり、自分らしいキャリア形成につながった経験のことを指し、ニコルソンのトランジッション論などのキャリア理論がその裏づけ理論としてあるようです。直接的には南カリフォルニア大の経営・組織学教授モーガン・マッコールが著書『ハイ・フライヤー』('02年/プレジデント社)の中で述べている"クォンタム・リープ(量子的跳躍)"という概念と同じようですが、"クォンタム・リープ"といった言葉よりは"一皮むける"の方がずっとわかりやすいかと思います(一方で、"ターニング・ポイント"という言葉でもいいのではないかとも思うが、ここでは"キャリア"ということを敢えて意識したうえでの用語選びなのだろう)。その言葉のわかりやすさと、金井氏の思い入れが、本書を単なる報告書レベルを超えたまとまりのあるものにしています。

 経営幹部が選んだ自らの"一皮むけた"経験の契機が様々であるにも関わらず、配属や異動であったり、初めて管理職になったときであったり、プロジェクトに参画したときであったりと、ある程度類型化できるのが興味深く、自分に重なる事例に出会ったときはハッとさせられます。日経の「私の履歴書」みたいな実名記載ではない分、飾り気が無く、自らのキャリアに対する素直な振り返りになって、誰もが自分にも類似したことが思い当たる〈キャリアの節目〉となった事例を、本書の中に見出せるのではないかと思います。

 但し、大企業での話ばかりで、多階層組織、事業部制を前提とし、新規事業、海外生活などを経験したといったことがキーになっていたりする話などは、今ひとつピンと来ない読者もいるのではないかと思いました(関西経済連合会には中小企業はいないの?)。

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読みやすいが、一般の人が応用するのは難しい面も。

すべてはネーミング.gif  『すべてはネーミング』 光文社新書 〔'02年〕

 "売れる"ネーミングとは何かを、自らの経験をベースに、読みやすい語り口で説いています。また、ネーミングの"売り込み"におけるプレゼンテーションの重要性にも触れていて、広告宣伝の世界を垣間見ることができます。
コピーライターの発想2.jpg
 以前に、業界の草分け的存在である土屋耕一氏の『コピーライターの発想』('84年/講談社現代新書)という本を読んで、なかなか面白かったのですが、土屋氏の弟子第一号を自認する著者も、すでにベテランの域に(何だか職人の系譜という感じ)。

 「11PM」の企画で「ふんどし」に名前をつける話などは面白いけれど、ちょっと年代を感じます。
 洗濯機の「からまん棒」や新宿「MyCity」、雑誌「saita」などもこの人の仕事。
 六本木ヒルズに新規出店('01年11月)した食品スーパーマーケット(FOO:D magazine)のネーミングの話もあります。
 本書にはありませんが、「新生銀行」「JAL悟空」なども著者が手掛けたもので、トップランナーとしての息の長さを感じます。

 都市型スーパーマーケット「FOO:D magazine」のそのネーミングに至るまでの話は、名付け作業以前のマーケティングの重要性を感じました。
 西友が展開する店ですが、店舗内に「SEIYU」のロゴは一切使われてませんね。この高級スーパーは。

 それと、特に感じるのは、近年の仕事に共通する、ロゴなどのビジュアルの重要性でしょうか。
 こうなってくると、専門家と職人のコラボレーションの世界で、興味深くはあるものの、一般の人が応用するのは難しい面もあるかもしれません。

、体系的な入門書ではないけれど、こうした本をキッカケにコピーライターを目指す人もいるのだろうなあという気はしました。

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「情報の整理が出来なければセンスはうまく働かない」には共感。

情報を見せる」技術.jpg  『「情報を見せる」技術』 光文社新書 〔'03年〕  中川佳子.jpg 中川佳子 氏 (略歴下記)

 本書は副題に「ビジュアルセンスがすぐに身につく」とあり、色彩デザインなどのビジュアル、つまり情報伝達の技術的方法論を具体的に論じていて、これは新書本の中では珍しいのではないかと思います。
 
 著者はNHK特集「驚異の小宇宙・人体」でCGを担当するなどのプロですが、本書はPowerPoint などを使った一般的なプレゼンを想定して書いていて、細部はやや専門的ですが、大筋ではそれほど"理解する"のが難しいものではありません。テクニックとは活用の機会さえあれば"実際に使える"もので、知っておくに越したことはないと思います。

 個人的には前半部分の、「センスは学べる」ものであるが「情報の整理」が出来なければセンスはうまく働かないという箇所に共感しました。「情報」には"収集"と"活用"の2つのレベルがあるということ、つまり、イメージを広げるための情報と、イメージに具体性を与えるための情報があるというのです。
 
 拙いプレゼンの多くに、発表者が自らのイメージを広げるために収集した情報がそのまま盛り込まれていて、それが受け手がイメージをつくる際にむしろ妨げになっていることがあるなあと、自分がやったプレゼンも含め、今更ながら思った次第です。
_________________________________________________
中川佳子
CGクリエーター/株式会社アイ・コム代表/武庫川女子大学助教授
1984年つくば博松下館CG制作。1986年よりNHK特集「人体」プロジェクト参加。1992年よりNHK『音楽ファンタジー夢』のオリジナルCG作品制作。2000年連続テレビ小説『オードリー』(NHK)タイトルCG制作などTV番組、展示映像、ゲーム等、CG制作を手がける。
1985年日経CGグランプリゴールド賞、1994年SIGRAPH VIDEO REVIEW収録。著書に『情報を見せる』『技術-ビジュアルセンスがすぐに身につく-』(2003年、光文社)。

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コミュニケーション能力を高めるための考え方のヒントを提示している。

なぜあの人とは話が通じないのか.gif  『なぜあの人とは話が通じないのか? 非・論理コミュニケーション』 光文社新書 〔'04年〕

Communication.bmp 「話が通じない人」とコミュニケーションする場合、言葉や論理に頼りすぎない方が良い場合もあり、それが著者の言う「非・論理コミュニケーション」ですが、「なぜ話が通じないのか」という切り口から、コミュニケーション・トラブルの対処法、背後にある力関係、日本的な"面子"の問題、非言語コミュニケーションの役割、「聴く」ことの重要性、異価値に対する柔軟さの必要性などを指摘し、コミュニケーション能力を高める様々なヒントを提示しています。

 コミュニケーション学の本には、米国の理論を引くものが多い。本書で引用されているものも'70年代の米国のものが主流です。
 ただし、理論紹介が目的化してしまっていたり、逆に実用を強調するあまり1つの理論を万能薬のように唱える本が多い中、本書での事例と理論のとり上げ方は納得性の高いもので、日本においてはどうかという考察もしています。

 例えば米国流コミュニケーション学によく出る「エトス(精神的訴求)」という言葉ですが(もともとは哲学家アリストテレスの思想で、「優れたリーダーの3つの条件」はエトス(精神)・パトス(情熱)・ロゴス(意義)であるというのがベースになっているのですが)、それについての説明でも、元来エトスとは「高い精神性」のことだったのが、近年は情報ソースの「信憑性」を指す傾向にあるというように最近動向を押さえながらも、さらに日本では、それに「カリスマ性」といった情緒的要素が入る傾向があると指摘しています。

 全体を通して、答えを示すよりも考え方のヒントを提示するようなスタンスで、お仕着せがましさが無くて自分には合った本でした。

中西 雅之.jpg 中西 雅之 氏
略歴(ホームページより)
1953年東京都生まれ。国際基督教大学卒業後渡米、ヴァージニア大学で修士号、カンザス大学で博士号を取得。カンザス州立大学専任講師、共立女子大学専任講師を経て、現在、津田塾大学学芸学部英文学科コミュニケーションコース教授。専門はコミュニケーション学。コミュニケーションを人間の最も基本的な社会活動と捉え、対人関係、小集団、組織、異文化、メディアなど様々な状況におけるコミュニケーションの諸問題について実証データを基に研究している。

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「ブログ」隆盛の今日においては"鮮度落ち"の内容か。

ホームページにオフィスを作る.gifホームページにオフィスを作る』光文社新書 〔'01年〕2000logo.gif「野口悠紀雄Online」

 本書の肝は、第2章の冒頭にある「ホームページは自分だけが使うつもりで作るとよい」ということです。
 本書が刊行された時点('01年)では画期的な提唱でしたが、「ブログ」隆盛の今日においては、根底部分ではすでに多くの人が実践しているものとなっています(本書を読んで「ブログ」を始めたという人もいるかと思いますが)。

 もちろん第3章の「ノグラボ」「野口悠紀雄Online」に見る、利用者とのイントラクションなどの有効な活用方法は今読んでも示唆に富むものですが、誰もがすぐにできて、かつ同じ効果が期待できるというものでもありません。
 むしろやや自己宣伝的で、一般読者への落とし込みが充分なされていない分、著者の『「超」整理法』シリーズなどと比べ不親切さを感じました。

 『「超」整理法』シリーズ1〜3('93年・'95年・'99年/中公新書)を読んだ流れで本書を手にしましたが、どの本においても著者の先見性を感じるとともに(そのことは認めます)、近著から順番に賞味期限が切れていくのではないかという皮肉な思いがしました。

 本書も、現時点での有効性で評価するのはちょっとキツイかもしれません。
 「ホームページは自分だけが使うつもりで作るとよい」という発想の先駆性に対して星1つプラスしたつもりですが、自分のホームページの宣伝的であることに対して(この手の本は他にも結構あるが)星1つマイナス、といったところでしょうか。

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斎藤氏自身のメッセージを込めたビジネス啓蒙書とみていいのでは。

座右のゲーテ.jpg 『座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本』 光文社新書 〔'04年〕

 これを機に『ゲーテとの対話』(岩波文庫で3分冊、約1200ページあります)を読む人がいれば、その人にとっては"ゲーテ入門者"ということになるかも知れませんが、本文中に「ビジネスマンこそ、自分の資本は何かということを問われる」などとあるように、基本的には斎藤氏自身のメッセージを込めたビジネス啓蒙書とみていいのでは。
 仕事術、処世術から氏の専門である身体論、教育論、さらに人生論まで幅広いです。

 ゲーテは常に偉大なものに対しては素直だったそうですが、斎藤氏もそうあろうとしているのでしょうか。
 教養主義を過去のものとする風潮に対する氏の考えには共感できる部分もあるのですが、大芸術家や文豪から、スポーツ選手、歌手、漫画家まで、多方面から引いてきた"いい話"が満載で、誰でもこの人のヒーローになっちゃうのかな、という感じもしました。

 個々にはナルホドと思う箇所もありました。「豊かなものとの距離」の章で、憧れの対象と付かず離れずの距離を置くことを説いていることに納得!
 ゲーテはシェイクピアの作品との付き合い方を「年1回」という言い方で、「適当にしておけ」と言っているそうです。
 著者自身の経験からか、藤沢周平の作品の読み易さをから、そこにハマって他のものを読まなくなると、世界が広がらなくなるとも言っています。

 ただし、変に固まってしまうことを戒めると同時に大人になり切れないことの弊害を説くというように、「すべてを語って何も語らず」みたいな感じもして、文章自体が平易でスラスラ読める分、読後の印象がやや薄いものになった気がします。

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