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淡々と書かれているだけに却って感動的であり、また、面白かった『クラゲに学ぶ』。

下村脩 クラゲに学ぶ.jpg 光る生物の話.jpg 下村脩 2.jpg 下村 脩 氏   科学者は戦争で何をしたか.jpg
クラゲに学ぶ―ノーベル賞への道』『光る生物の話 (朝日選書)』『科学者は戦争で何をしたか (集英社新書)

「一度も借りられたことがない本」特集 朝日新聞デジタル.jpg 今年['15年]はどうしたわけか色々な図書館で貸出回数ゼロの本の展示企画が流行り、藤枝市立駅南図書館(2月)、裾野市立鈴木図書館(2月)などで実施され、更にはICU大学図書館の「誰も借りてくれない本フェア」(6月)といったものもありましたが、つい最近では、江戸川区立松江図書館が1度も貸し出されたことがない本を集めた特設コーナーを設けたことが新聞等で報じられていました(12月)。その中に、2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩氏による本書『クラゲに学ぶ』('10年/長崎文献社)があり、やや意外な印象も受けました(ローカルの版元であまり宣伝を見かけなかったせいか?)。

借りられたことのない本を集めた江戸川区立松江図書館の企画展(朝日新聞デジタル 2015年12月21日)

下村脩 3.jpg 本人が自らの人生の歩みと、緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見によりノーベル賞を受賞するまでの研究の歩みを振り返っている本ですが(タイトルは2008年ノーベル化学賞のポスター"Lessons from the jellyfish's green light"に由来)、淡々と書かれているだけに却って感動的であり、また、面白かったです。特に、学問や人との出会いが、実は偶然に大きく左右されていたというのが興味深かったです。

 終戦直後、受験した高校に全て落ちた下村氏は、原爆で被災した長崎医科大学附属薬学専門部が諫早の家から見える場所に移転してきたこともあって、薬剤師になる気は無かったけれども、ほかの選択肢がなくて長崎薬専へ内申書入学、それが化学実験に興味を持ち始める契機になったとのことです。

 薬専から大学となった長崎大学を卒業後、武田薬品の面接で「あなたは会社にはむきませんよ」と言われ、安永峻五教授の授業の学生実験の助手として大学に残り、山口出身の安永教授と同郷の名古屋大学の有名な分子生物学の先生を紹介してもらえることになり、一緒に名古屋に行くと偶々その先生は出張中で、山口出身の別の先生の研究室に挨拶に行ったら「私のところへいらっしゃい」と言われ、その先生が当時新進の天然物有機化学者の平田義正教授で、当時、分子生物学も有機化学も全くと言っていいほど知らなかった著者が平田研究室の研究生となり、ウミホタルを発光させる有機物を結晶化するというテーマに取り組むことになったとのことです。下村氏は巻末で、尊敬する3人の師の下村 脩   .jpg1人として、プリンストンで共にオワンクラゲの研究に勤しんだ(共に休日に家族ぐるみでオワンクラゲの採下村脩 35.jpg集もした)ジョンソン博士の名を挙げていますが、その前に、安永峻五教授と平田義正教授の名を挙げています。やがてずっと米国で研究を続けることになる著者ですが、日本国籍を保持し続けていたことについて、何ら不便を感じたことがないと言っているのも興味深いです。

 著者の研究分野やその内容については、著者が一般向けに書き下ろした『光る生物の話』('14年/朝日新書)により詳しく書かれていますが、こちらの方にも、近年の発光植物の研究まで含めた著者の研究の歩みや、『クラゲに学ぶ』にもある著者自身の自伝的要素も織り込まれています。元々、自分たちの子どものために自伝を書き始め、ノーベル賞受賞後、それを本にする話が朝日新聞の人から出て朝日新聞出版社で刊行する予定だったのが、故郷長崎県人の強い要望から地元の出版社で刊行することになったのが『クラゲに学ぶ』であるとのことで、既に朝日新聞出版社からも『クラゲの光に魅せられて-ノーベル化学賞の原点』('09年/朝日選書)を出していたものの、下村氏が書いたのは3分の1足らずで、あとは講演会の内容がほとんどそのまま収録されているような内容であったため(おそらく出来るだけ早く刊行したいという版元の意向だったのだろう)、改めて自伝的要素を織り込んだ『光る生物の話』を朝日選書で出すことで、朝日新聞出版社にも義理を果たしているところが著者らしいです。

 『光る生物の話』によれば、生物発光の化学的研究は1970年代がピークで、現在は衰退期にあるとのこと、研究者の数も多くなく、過去100年間の研究成果のうち、著者が共同研究者として関わっているものがかなりあることからもそれが窺えます。オワンクラゲからの緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見は偶然も大きく作用していますが、こうした医学界に実際に役立つ成果でもない限り、本当にマイナーな世界だなあと。

下村脩 ノーベル賞8.jpg 『クラゲに学ぶ』の特徴としては、他の学者等の"ノーベル賞受賞記念本"と比べて受賞時及びそれ以降の過密スケジュールのことが相当詳しく書かれている点で(おそらく下村氏は記録魔?)、断れるものは断ろうとしたようですが、なかなかそうもいかないものあって(これも淡々と書いてはいるが)実にしんどそう。それでも、ノーベル賞を貰って"良かった"と思っているものと思いきや、人生で大きな嬉しさを感じたのは貴重な発見をした時で、ノーベル賞は栄誉をもたらしたが、喜びや幸福はもたらさなかったとしています。本書は受賞の1年版後に書かれたものですが、「今の状態では私はもはや現役の科学者ではない」と嘆いていて、米国の研究所を退任する際に実験器具一式を研究所の許可を得て自宅へ移したという、あくまでも研究一筋の著者らしい本音かもしれません。

asahi.com

益川敏英 氏
益川敏英00.jpg 同じ2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の近著『科学者は戦争で何をしたか』('15年/集英社新書)は、ノーベル賞受賞者が過去の戦争で果たした負の役割を分析したものですが、益川氏は、ノーベル財団から受賞連絡を受けた際に、「発表は10分後です」「受けていただけますか」と言われ、その上から目線の物言いにややカチンときたそうです。下村氏の場合、自分は受けるとすれば既に発表が終わっていた生理学・医学賞で、今年は自身の受賞は無いと思っていたそうで、その下村氏の元へノーベル財団から化学賞受賞の連絡があった際も「20分後に発表する」と言われたとのこと、財団の立場に立てば、本人の受賞の受諾が必要であり、但し、事前にマスコミに流れてはマズイという意味では、このドタバタ劇は仕方がないのかもしれません。

 益川氏の『科学者は戦争で何をしたか』の中にある話ですが、益川氏はノーベル賞受賞の記念講演で戦争について語ったのですが、事前にその原稿にケチがついたことを人伝に聞いたとのこと、益川氏は自分の信念から筋を曲げなかったのですが、そうしたら、下村氏も同じ講演で戦争の話をしたとのことです。長崎に原爆が落ちた際に当時16歳の下村氏は諫早市(爆心から20km)にいて、将来の妻となる明美氏は長崎市近郊(爆心から2.3km)にいたとのことです。益川氏は原爆は戦争を終わらせるためではなく実験目的だったとし、下村氏も戦争を終わらせるためだけならば長崎投下は説明がつかないとしています。

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小津映画を原節子の号泣を通して読み解く。先行する小津映画論に堂々と拮抗する内容。

原節子、号泣す.jpg晩春 デジタル修復版.jpg 麦秋 原節子.jpg 東京物語 原節子11.jpg
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原節子、号泣す (集英社新書)

 文芸評論家による小津映画論で、女優・原節子に注目しながらも、とりわけ小津作品において〈紀子三部作〉と呼ばれる「晩春」('49年)、「麦秋」('51年)、「東京物語」('53年)に注目、何れの作品もヒロインを演じた原節子が全身を震わせて泣き崩れる場面があり、そのことを指して小津が不滅の名を残し得たと言っても過言ではないとしています。

 「泣く」という行為を切り口に、小津映画の主題と思想に迫っていくアプローチは興味深く、ドナルド・リチー、佐藤忠男、高橋治、蓮實重彦、吉田喜重らの先行する小津映画論に拮抗する、堂々たる小津映画論になっていたように思います。WEBマガジンでの連載の新書化ということで、個人的には軽い気持ちで手に取って読み始めましたが、実は最初から充分にそれら先行者を意識して書かれていたわけであり、読み終えてみれば新書としては贅沢なほどに"高密度"な内容になっていたように思えました。

 第1章「ほとんどの小津映画で女優たちは泣いた」では、小津が女優に泣かせている作品は、現存する37本の小津作品のうち、8割を超える30作品に上るとし、小津作品に見られるそうした「泣く」という演技を5つのパターンに分類しています(こうした手法自体、目新しいように思えた)。第2章「小津映画の固有の主題と構造」では、小津映画の主題として、家族の関係性や、その中における父や母、妻や子供などの一方の欠落、和解、娘の結婚、幸福な家族共同体の崩壊と喪失、老いと孤独と死を指摘しています。

 第3章「思想としての小津映画」では、ロー・アングルから映画を撮ることへの拘りに既に小津の思想性があるとし、更に、小津は幸福の思想―即ち幸福なる家族の共同関係性に拘り、同時に、その幸福なる関係性の限界を描いた、つまり、幸福の共同体が崩壊し、大いなる喪失(死)と再生のドラマが描かれるのが小津作品であり、「そのギリギリの臨界点において、原節子は幸福の共同体から去っていくことを決意し、崩壊がまさに始まろうとする直前に、必ず号泣している」と指摘しています。そして、先に挙げたドナルド・リチー、佐藤忠男、高橋治、蓮實重彦、吉田喜重らの名を引きながらも、小津映画の「思想」と「真実」は未だ十分に読み抜かれていないとし、〈紀子三部作〉で原節子が見せた「号泣」の演技を通して明確に現れることとなった小津の思想的本質の「真実」について検証し、全面的に解き明かそうとした試みもまた殆どないとしています。

 第4章「原節子は映画の中でいかに泣いたか」では、小津映画以外で原節子が泣いた山中貞雄監督の「河内山宗俊」('36年)と熊谷久虎監督の「上海陸戦隊」('39年)を取り上げ(この両作品での原節子の役どころは非常に対照的であると)、第5章「原節子をめぐる小津と黒澤明の壮絶な闘い」では、黒澤明が原節子をどのように使い、それを観て小津が原節子をどう使ったかを"闘い"として捉えており、具体的には、小津は、黒澤明の「我が青春に悔いなし」('46年)における原節子の演技の限界を見極め、全く別の方向で彼女の資質を生かすべく「晩春」('49年)での彼女の使い方を構想したとのことです。

 実はここまでは本論の前フリのようなもので、第6章から第9章にかけての、〈紀子三部作〉と呼ばれる「晩春」「麦秋」「東京物語」での原節子が号泣する場面を軸とした丹念な分析こそが本書のヤマであり、また、読んでみて実際面白かったです。そして、最後に第10章で、その後の原節子出演の小津映画について論じています。

『晩春』(1949年).jpg この内、「晩春」については、第6章と第7章の2章分を割いており、まず第6章で、「晩春」における晩春 1949 旅館のシーン.jpg原節子の小津映画初めての号泣場面を分析した後、第7章で、「娘は父親と性的結合を望んでいたか」というテーマを扱い、これまで多くの映画評論家が指摘してきたこの作品に対する読解(高橋治『絢爛たる影絵』、蓮實重彦『監督 小津安二郎』など)に対し、エディプスコンプレックス論や「近親相姦」願望論はあり得ないとして排し、娘が嫁に行かずに父親といたいのは、非在の母親と同化することで、父親と幸福な時間を共有していたためであって、旅館で打ち明けられた「このままお父さんといたいの晩春 壺.png」という娘の言葉は、父親の再婚を承認し、自らは「妻」も座から降りて「娘」として甘えたいという気持ちの表れであり、更には、そこにもう一つの隠された、ねじくれた「復讐」感情があったとしています。結局、本書も蓮實重彦ばりにかなりの深読みになっている印象はないこともないですが、例の「壺」の解釈も含め、一定の説得力はあったように思います(表層から入る方法論的アプローチは蓮實重彦的だが、目の付け所が違うため、異なる結論になっているという印象。床の間の壁は外したのではなく、カメラレンズのテクニックだろう)。

麦秋における原節子の号泣.jpg『麦秋』(1951年) .jpg 第8章では「麦秋」について、これを幸福な家族共同体の崩壊を描いた作品として捉え、その中での原節子の号泣の意味を探っていますが、その号泣によって「麦秋」が「晩春」を超えた作品となっていることを、演技論ではなく作品の意味論、テーマ論的に捉えているのが興味深かったです。個人的には、この部分を読んで'我が意を得たり'とでも言うか、本書でも「晩春」だけ2章を当てているように、いろいろ論じ始めると「晩春」の方が論点は多いけれど、作品としては「麦秋」の方がテーマの幅広さ(大家族の崩壊)プラス無常感のような深みという面で上回っているように思いました。最高傑作とされる「東京物語」に向けて、「晩春」の時から更に"進化"していると言っていいでしょうか。

 これら3章に比べると、第9章で「東京物語」について「失われた自然的時間共同体」とい観点から論じているのはやや既知感のある展開でしたが、「幸福な時間」の終焉を小津映画の共通テーマとみるここまでの論旨に沿っており、また、それを原節子の、今度は抑制された号泣ではあるものの、同じくその「泣くこと」に集約させて(作品テーマの表象として)論じているという点では一貫性があり、本書のタイトルにも沿ったものとなっていたように思いました。
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末延芳晴(すえのぶ よしはる)
1942年東京都生まれ。文芸評論家。東京大学文学部中国文学科卒業。同大学院修士課程中退。1973年欧州を経て渡米。98年まで米国で現代音楽、美術等の批評活動を行い、帰国後文芸評論に領域を広げる。『正岡子規、従軍す』(平凡社)で第24回和辻哲郎文化賞受賞。『永井荷風の見たあめりか』(中央公論社)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)他著作多数。

原節子さん死去 - 号外:朝日新聞.jpg朝日新聞「号外」2015年11月25日


 

 
 
 

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自動車の社会的費用の内部化の道を探り、あるべき都市交通の姿を示唆。なかなか色褪せない本。

自動車の社会的費用 (1974年) (岩波新書)_.jpg 自動車の社会的費用 (岩波新書)_.jpg   宇沢弘文.jpg    宇沢弘文のメッセージ.jpg
自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)』宇沢 弘文(1928-2014)『宇沢弘文のメッセージ (集英社新書)

 1974(昭和49)年・第28回「毎日出版文化賞」(人文・社会部門)受賞作。

 昨年['14年]9月に亡くなった宇沢弘文(1928-2-2014/享年86)の一般向け著書で、先に取り上げた宇野弘蔵(1897-1977/享年79)とは一世代ずれますが、この人も宇野弘蔵と同様、生前はノーベル経済学賞の有力候補として度々名前が挙げられていた人です。

 本書は、混雑や事故、環境汚染など自動車がもたらす外部不経済を、社会的費用として内部化する方法を試みたものです。社会的費用とは、受益者負担の原則が貫かれていないために社会全体が被っている損失のことですが、そのコストを明確にし自動車利用者に負担させようというのが外部費用の内部化であり、本書では、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の道を探ることを通して、あるべき都市交通の姿をも示唆しています(そうした意味では社会学的要素も含んでいる)。

 著者は、自動車のもたらす社会的費用は、具体的には交通事故、犯罪、公害、環境破壊などの形で現われるが、何れも健康や安全歩行などという市民の基本的権利を侵害し、しかも人々に「不可逆的な損失」を与えるものが多いとし、一方、このように大きな社会的費用の発生に対して、自動車の便益を享受する人々はごく僅かしかその費用を負担しておらず、逆に言えば、自動車の普及は、自動車利用者がこのような社会的費用を負担しないでも済んだからこそはじめて可能になったとも言えるとしています。

 ここで著者が問題にするのは、「不可逆的な損失」という概念であり、損失が可逆的であるならば、元に戻すのに必要な費用を計算すれば社会的費用を見積もることが出来るが、その損失が不可逆的である場合、一体どれだけの費用が妥当とされるのかということです。交通事故による死傷の被害額を算出する方法にホフマン方式があますが、人間を労働を提供して報酬を得る生産要素とみなして、交通事故によってどれだけその資本としての価値が減少したかを算定するというのは、被害者側の立場に立てば、これほどヒトとして許せない算出方法もないだろうともしています(仮に純粋にこの方式に拠るとすれば、所得を得る能力を現在も将来も持たないと推定される人が交通事故に遭って死亡した場合、その被害額はゼロと評価されることになる)。

 よって著者は、自動車の社会的費用を算出する際に、交通事故に伴う損失をホフマン方式のような方法を用いるのは適切ではないとし、同様のことは,環境破壊についても言えるとしています。具体的には、公共投資などにおいて社会的便益と社会的費用の差を指標とするコスト・ベネフィット分析について、たとえどのように大きな社会的費用を発生したとしても、社会的便益がそれを大きく上回れば望ましい公共投資として採択されることになってしまい、結果として、実質的所得配分はさらにいっそう不平等化するという結果をもたらすとしています。

 なぜ「実質的所得配分はさらにいっそう不平等化する」のかと言うと、低所得者層ほど環境破壊などの影響を深刻に受けるからであり、例えば、公害が発生した場合、高所得者層はその土地から離れることができても低所得者層にそのような選択をする余裕はなく、また、ホフマン方式が示ように低所得者が被る損害は少額にしかなり得ず、更には、人命・健康、自然環境の破壊は不可逆的な現象であって、ここで考えられているような社会的費用の概念をもってしては元々計測することができないものであるとしていています。

 しかしながら、これまで不適切な社会的費用の計算方法がまかり通ってきたのは、社会的費用の計算根拠を新古典派経済理論に求めてきたことに原因があるとしています。新古典派経済理論の問題点は、1つは、生産手段の私有制が基本的な前提条件となっていて、共有される社会的資本に対する思慮が欠落しているという問題と、もう1つは、人間を単に労働を提供する生産要素として捉えるという面が強調され、社会的・文化的・歴史的な存在であるという面が捨象されていることだとし、新古典派経済理論は、都市問題や環境問題など現代社会においてもっとも深刻な社会的・経済的問題を引き起こしている現象を解明するための理論的フレームワークを提供していないとしています。

 では、どうすればよいのか。自動車について著者は、自動車を所有し運転する人々は、他の人々の市民的権利を侵害しないような構造をもつ道路について運転を許されるべきであって、そのような構造に道路を変えるための費用と自動車の公害防止装置のための費用とを負担することが、社会的な公正性と安定性という観点から要請されてくるとしています。つまりは、自動車の通行を市民的権利を侵害しないように行うとすれば、道路の建設・維持にどれだけの追加的な費用を必要とし、自動車の無公害化のためにどれだけの投資をしなければならないかということを計算するべきであり、市民的権利を金銭換算して評価関数に組み込むのではなく、市民的権利を守ることを制約条件とするとの考えに基づいて、自動車の社会的費用を算出する必要があるとのことです。

 そのうえで著者が試算した自動車の社会的費用(投資基準)は1台あたり200万円で、当時の運輸省の試算額7万円と大きく異なっており、これこそまさに著者の言う、社会的費用の発生に対して、自動車の便益を享受する人々はごく僅かしかその費用を負担していないという実態であり、その数字の差は、人の死や環境破壊など不可逆的な市民的権利の侵害を認めるか認めないかの違いであるということになります。

 著者はこうした投資基準は自動車通行のための道路だけでなく、一般に社会的共通資本の建設にも適用することが出来るとし、このような基準に基づき公共投資を広範な用途に、例えば代替的な公共交通機関や道路に配分するとき、社会的な観点から望ましい配分をもたらすものとなり、この基準を適用することで、どのような地域に住む人々も、またどのような所得階層に属する人々も、社会的な合意をえて決定された市民の基本的権利を侵害されることがなく、他人の基本的権利を侵害するような行動は社会的に許されないという原則が貫かれ、すべての経済活動に対してその社会的費用は内部化され、福祉経済社会への転換が可能となり、ヒトにとって住みやすい、安定的な社会を実現することが出来るとしています。

 今でこそ、外部費用の内部化と言う論点は自動車のみならず環境問題などでもよく見られる議論であり、特に東日本大震災以降、「原発」の社会的費用の議論が活発化したように思われ、「大佛次郎論壇賞」を受賞した大島堅一氏の『原発のコスト―エネルギー転換への視点』('11年/岩波新書)などもその1つでしょう(この本によれば、原発の事故リスクコストやバックエンドコストは計り知れないほどの金額となるという)。しかしながら、本書が早くからこうした観点を提起していたのは評価すべきだと思います(しかも、分かり易く)。

2015東京モーターショーX.jpg 但し、自動車の問題に立ち返っても、著者が提起した問題はなんら解消されたわけではなく、実はこれ書いている今日から東京モーターショーが始まるのですが、自動車メーカーの開発課題が、スピードやスタイリングからエコへ、更に自動&安全運転へ向かっているのは当然の流れかも。
 一方で、先だってフォルクスワーゲン(VW)の排出ガス不正問題が発覚したとの報道があったり、また、つい先日は宮崎市で、認知症と思われる高齢者による自動車死亡事故があったばかりなのですが(歩道を暴走した軽乗用車にはねられ2人が死亡、4人が重軽傷。最近、この種の事故が急に多くなった)。

 それらの意味でも本書は、(幸か不幸か)なかなか色褪せることのない本と言えるかもしれません。

 尚、宇沢弘文の"人と思想"については、没後ほぼ1年となる今年['15年]9月、大塚信一・岩波書店元社長による『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)が刊行されています。『自動車の社会的費用』は宇沢弘文の初めての単著であるとともに、大塚氏にとっても最初に編集した宇沢弘文の著作であったとのことで、『自動車の社会的費用』が書かれた際の経緯などが紹介されていて興味深いですが、宇沢の方から初対面の挨拶が終わるや否や大塚氏に「ぼくに『自動車の社会的費用』というタイトルで新書を書かせてくれませんか」と言ってきたとのことです。

宇沢弘文のメッセージ obi.png 『宇沢弘文のメッセージ』では、宇沢が数学から経済学に転じアメリカで活躍するようになった頃から『自動車の社会的費用』を著すまで、更に、近代経済学を再検討して日本という《「豊かな国」の貧しさ》を課題視し、「成田」問題(三里塚闘争)、地球温暖化問題、教育問題へとそのフィールドを移していく過程を通して、彼の社会的共通資本という思想を解説していますが、宇沢の人柄を伝えるエピソードが数多く含まれていて「人」という部分では興味深い一方、著者の専門外ということもあって「思想」という部分ではやや弱いかも。但し、著者はまえがきで、「宇沢の場合、その人柄と学問は一体化したもので、両者は切り離すことはできない」としており、その点は読んでいてなるほどと思わせるものがあり、また、宇沢弘文の偉大さを伝えるものにもなっているように思いました。

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クルド人問題の入門書として定番的位置付け。映画「路」は重かった。

クルド人 もうひとつの中東問題.jpg        路(みち)04.JPG  ギュネイ.jpg 
クルド人 もうひとつの中東問題 (集英社新書)』 「映画パンフレット 「路(みち)」 監督 ユルマズ・ギュネイ 出演 タルック・アカン/シェリフ・セゼル/ハリル・エルギュン/メラル・オルホンソイ/ネジュメッティン・チュバンオウル/セムラ・ウチャル/ヒクメット・チェリク」 ユルマズ・ギュネイ(Yilmaz Güney 1937-1984/享年47)

川上洋一.bmp 朝日新聞社の中東アフリカ総局長などを務めたベテラン記者の川上洋一氏(本書執筆時は既に新聞社を退職し大学教授)がクルド人問題について書いたもので、'02年の刊行ですが、その後最近まであまりこうしたクルド人にフォーカスした本がそう多く出されていなかったため、クルド人問題の入門書としては定番的位置付けになっているのではないでしょうか。

kurd-map.gif 本書によれば、「祖国なき最大の民」と言われるクルド人の居住地域(クルディスタン)は主にトルコ、イラン、イラクにまたがり、面積はフランス一国にも匹敵、人口は2500万人とも推定され、パレスチナ人約800万を大きく凌ぐとのことです。

地図出典:www.fuzita.org

 クルドの歴史を古代シュメールにまで遡り紹介していますが、クルド人の自治・独立活動が活発化したのは19世紀末以降であって、その後、第一次世界大戦によってオスマン・トルコ帝国が崩壊してから今日まで、国際政治のパワー・ゲームに翻弄されてきた経緯を特に詳しく書いており、この辺りは、根っからの大学教授(といってもどれぐらい研究者がいるのか)よりも、著者のような記者経験者の書くものの方が、より時事的な視点に沿った書き方になって、読む側としては良いのかも。

 オスマン・トルコ時代も「トルコ化」政策などの下で圧迫されていたわけですが、20世紀に入ってからの、トルコ、イラン、イラク三国による翻弄のされ方が哀しい―クルディスタンが紛争多発地域にまたがっているとうのが、ある意味、不幸の源なのでしょうが、それに大国の利権が絡んで、もうグジャグジャという感じ。

 但し、著者の視点は冷静で、幾多の自治・独立活動がの挫折をタ丹念に追うと共に、クルド人自身が、彼らの解放闘争の史上では部族主義になりがちで民族の統一が実現しない、外国依存に陥りやすい、というマイナス要因を持っているとしています。

 今後の見通しも示していますが、こうなると悲観的なものにならざるを得ない―トルコ、イラン、イラクの三国の何れにとってもクルド人国家の独立は脅威であって容認されざるものであり、強いて言えば、クルド寄りの政党、クルド人市長などがいるトルコに若干の光明が見えるといったところでしょうか(国会議員にも入り込んでいるが、これまで出自を明かしていないケースが殆ど。しかし、近年になって自らをクルド人と認める人が増えているようである)。

路(みち)05.JPG 本書を読んで思い出されるのは、クルド人であるユルマズ・ギュネイ(1937-1984)監督の映画「路<みち>」('82年/トルコ・スイス)でした(この人、元は二枚目俳優。反体制作家でもあり、獄中から代理監督を立てて映画を作っていた)。

 映画は、1980年秋、マルマラ海の小島の刑務所から5日間の仮出所を許された5人のクルド人の囚人を追っていますが、その内の一人は、故郷への帰途にある街で、軍による外出禁止令が出てしまっていて足止めを喰い、もう一人は仮出所許可証が見つからずに軍に拘留され、何れもなかなか故郷に辿りつけない。何とか故郷に辿りついた一人は、そこでクルド・ゲリラと憲兵隊との銃撃戦があり、兄が亡くなったこと知って、刑務所には戻らず自らゲリラとなって戦う道を選ぶ―。

 こうした政治的状況と併せて、クルド人の男女観や社会的因習などもが描かれており、フィアンセと再会した一人は、デートを親族から監視されることに嫌気がさして売春宿に駆け込みながら、フィアンセに対しては専制的に服従を要求し、また別の男は、妻の兄を死なせたのは自分に責任があると告白したばかりに村に居れなくなって、最後は妻の弟に射殺されてしまう―。

路(みち)06.JPG 最初の男がやっと故郷に戻ってみると、妻は彼が入獄中に売春した咎で実家に戻され鎖に繋がれていて、しかも、掟により家名を汚した妻を自ら殺さなければならず、彼は妻を背負って山中へ逃げるが、鎖で繋がれていた間パンと水しか与えられていなかった妻は、雪の中で衰弱死する―。

 兄を亡くしゲリラになることを決意した3番目の男には好きな娘がいたが、兄が死に独身の弟がいる場合は、弟は兄嫁と結婚しなければならないというクルドの因習を拒否できない―。

路(みち)07.JPG クルド人の圧政に対する不屈の精神と家族愛、男女愛を描く一方で、クルド人自らが、旧弊な因習により自らを縛っている面もあること如実に示した作品で、本国(クルド社会)内でも評価が割れたのではないかなあ。いや、そもそも、ギュネイ監督の作品は国内上映が禁止されているか(国際的にはカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞)。

 この作品も獄中から指揮して作ったもの。5人の顔が何となく似ているので(クルド人も皆トルコ髭を生やしている)、初めて観た時は途中で誰が誰だったか分からなくなったりもしたけれど、いろいろ考えさせられる重い映画には違いなく、監督の死が惜しまれます(撮影後、仮出所の際に脱走しフランスで映画を仕上げたが、その2年後に癌で死去)。

路 YOL 1982l5.jpgYol(1982).jpg「路<みち>」●原題:YOL●制作年:1982年●制作国:トルコ/スイス●監督・脚本:ユルマズ・ギュネイ●製作:エディ・ヒュプシュミット/K・L・プルディ●演出:シェリフ・ギョレン●撮影:エルドーアン・エンギン●音楽:セバスチャン・アルゴン/ケンダイ●時間:115分●出演:タルク・アカン/シェリフ・セゼル/ハリル・エルギュン/メラル・オルホンソイ/ネジュメッティン・チュバンオウル/セムラ・ウチャル/ヒクメット・チェリク●日本公開:1985/02●配給/フランス映画社●最初に観た場所:有楽町スバル座(85-10-27) (評価★★★★)
Yol(1982)

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彩色絵葉書で見る「大東京」の変遷。膨大な「生田コレクション」の一端。

ロスト・モダン・トウキョウ.bmp  『ロスト・モダン・トウキョウ (集英社新書<ヴィジュアル版>)』['12年]

 関東大震災後の復興から東京オリンピック開催までを絵葉書(主に彩色絵葉書)で追ったもの―と言っても、単に時系列で並べるのではなく、序章「復興」の後は、「銀座」「日本橋」「丸の内、日比谷」「上野」「浅草」「新宿、渋谷」といった地域ごとに括った章と、「夜景」「祝祭」「鉄道と市電」「遊覧バス」「東京タワー」「羽田」といった交通機関などテーマごとに括った章が交互にくる構成になっています。

ロスト・モダン・トウキョウ 101.bmp こうした構成により、大都市・東京のモダン化の過程における「主役」の変遷も見てとれますが、重要文化財建造物として外観上は保存されているもの(「日本橋」「和光ビル」「市政会館」など)は別として、今はすっかり変わって昔の面影さえも無くなってしまったものもあれば、何となく今もその雰囲気を残しているものもあったりして興味深いです。

 例えば、日本で最初の地下鉄は、1927(昭和2)年に上野・浅草間で開通した同じものですが、同じ地下鉄の出入口でも、上野は今のどこにあたるか分からなかったけれども、浅草は、ああ、あそこか、という感じで、(今も意匠が似ている)次に古い銀座線の終点となる渋谷駅は、当初からデパートのあるターミナルビルの中に吸い込まれていくような作りだったわけだなあと。

ロスト・モダン・トウキョウ 105.bmp 東武線の駅と松屋浅草店が一緒になった東武浅草駅などは、私鉄の高架線の発達に伴って作られた高架駅のハシリであり(右写真:隅田川を渡る東武鉄道)、「市電」も銀座通りのど真ん中を走るなどして(下写真)、公共交通機関の主役として非常に発達していたわけですが、これも銀座通りに限らず、都内のあちこちの幹線道路の中央分離帯などに、今もその名残りが見られます(特に鉄道ファンというわけではないのだが、本書の鉄道関係は結構興味深かった)。

ロスト・モダン・トウキョウ 108.bmp 著者は、産経新聞の記者だった1999(平成11)年、古いパリの様子を調べる手段として絵葉書の重要性を知り、芸術写真とは違って、街の普通の姿を示す絵葉書の魅力に取りつかれ、今や十数万枚を蔵するコレクターとして知られています(十年そこそこの期間で集めた割には膨大な数!)。

 「生田コレクション」を知る人からすれば、本書に紹介されている絵葉書はそのほんの一部にすぎず、そのコレクションから抜粋すれば、こうした本は何冊でも刊行できてしまうということになるようです(スゴイね)。

 それにしても、関東大震災(1923年)から東京オリンピック(1964年)まで41年、東京オリンピックから現在(2012年)までの間に、もうそれ以上の年月が流れているのだなあ。

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面白かった。20年代に藤田自らが手掛けた(一旦失われた)挿絵本が多く含まれている。

藤田嗣治 本のしごと1.jpg 『藤田嗣治 本のしごと (集英社新書<ヴィジュアル版>)』['11年]

  画家・藤田嗣治(1886-1968/享年81)の生涯での「本の仕事」を追った本で、書籍や雑誌を対象とした表紙絵や挿絵の仕事から90冊を紹介していて、やや地味なテーマにも思えましたが、読んでみたら面白く、一気に読み進めることとなりました。

「本のしごと」というやや漠たるタイトルになっているのは、それこそ「自著」を自ら装丁したものから、表紙絵や挿絵を寄せただけのもの、或いは、どこまで画家自身が関わったのか推測する外ないようなものまであるからのようです。

藤田嗣治の「本の仕事」を紹介することが、そのままフランスと日本で活動した彼の生き方を追うかたちにもなっていますが、因みに藤田嗣治は、1913年に渡仏し1933年に日本に帰国、1949年にまた日本を離れ、その後亡くなるまで18年間パリ・モンパルナスに定住、日本国籍を捨ててフランス国籍になっています。

 藤田嗣治が最初に渡仏した頃は、何百人という日本人の芸術家の卵がパリに行っていたようですが、その中で断トツに華々しい成功を収めたのが彼でしょう。第一次世界大戦の勃発で多くの在留邦人が母国に引き上げる中、フランスに留まり続け、1919年に32歳で開いた個展で脚光を浴び、「本の仕事」もそこからスタート、本書によれば50冊を超える挿絵本をフランスで手掛けていますが、20年代のパリでの仕事が全体の3分の2を占めるとのことです(装丁第1作が「インドの詩聖」タゴールの英語著書をアンドレ・ジッドが仏訳した本だというからスゴイ)。

特に初期の「本のしごと」は、当時フランスで流行ったジャポニズムに呼応するような異文化紹介的な雰囲気のものが多く、それが帰国してからは「フランスでの日本表象」だった彼が「日本でのフランス表象」となるわけですが、日本の婦人雑誌などの表紙イラストも結構描いているんだなあ。これがお洒落で、戦後の復興期の中で活力とモダンなセンスを得つつあった都会派女性に受けたのは分かる気がします。

藤田嗣治 本のしごと 菊地寛.bmp藤田嗣治 本のしごと 回想のパリ.bmp そうした日本での「本の仕事」も多く紹介されていますが、年代とともにどんどん洗練度を増して時代をリードする一方で、時にクラッシカルな雰囲気に回帰したりして自由自在という感じで、ほんと、スゴイね(日本での「本の仕事」は神奈川近代文学館に多く集まっているとのこと)。

 彼は画家であり版画家であったわけですが、「本のしごと」は彼にとって、自らのアートを一般の人に"携帯"してもらうという、絵画などとはまた違った大切な意味を持つものであったようです。

菊池寛『日本競馬読本』(1936)/柳澤健『回想の巴里』(1947)

 本書に紹介されている図版は200点以上で、これだけ豊富にあると、文章部分がそれぞれの図版のキャプションになっているような読み方もできますが、フジタのアトリエまでも寄贈した君代夫人(1911-2009/享年98)が、最後まで自らの手元に置いていた本が多数あり、彼女が亡くなる3年前にそれらをまとめて美術館に寄贈したことで、新たに明らかになった彼の「本のしごと」が、本書の中核になっているとのこと、その意味では実に貴重な新資料であり、また「新書」のテーマとして相応しいようにも思います。

藤田嗣治  ユキ.bmp 寄贈された本は彼がパリに永住した時期に現地や旅先で入手した本など500冊ほどですが、20年代を中心にパリで藤田自らが手掛けた挿絵本がかなり揃っていたとのこと、但し、それらの多くは、彼自身が世界恐慌の際に一旦手放したものを50年代に買い直したものが多く、彼が失われた青春を取り戻すかのように集めた若き日の労作を、君代夫人がずっと最後まで手元に置いていた気持ちは何となく分かる気がします。

ユキ・デスノス『ユキの回想』(フランス人妻・ユキの回想録/藤田の挿画(1925)を使用した特装版)

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オーソッドックスな認知症の入門書であり、分かり易い。

知っておきたい認知症の基本.jpg 『知っておきたい認知症の基本 (集英社新書 386I)』 親の「ぼけ」に気づいたら 文春新書.jpg 『親の「ぼけ」に気づいたら (文春新書)

 認知症臨床医の斎藤正彦氏の『親の「ぼけ」に気づいたら』(2005年/文春新書)を読んで、認知症患者本人とその介護にあたる家族の生き方の問題まで突っ込んで書かれていたので、入門書でありながらもちょっと感動してしまったのですが、こちらは、1996年以来「物忘れ外来」で多くの患者を診察してきた川畑信也医師が書いたオーソッドックスな認知症の入門書であり、個人的にはこちらの方を先に読みました。

 厚労省が「痴呆性疾患」改め「認知症」という"新語"の使用を決めたのが2004年頃で、本書の刊行が2007年ですから、この頃には「認知症」という言葉がある程度一般に定着してきていたのではないでしょうか。

 但し、著者の言うように、「認知症」と「アルツハイマー病」の違いがまだよく理解されていなかったりもして、本書では、その辺りの解説から入って(要するに、「アルツハイマー病」という病気(原因)によって「認知症」という状態(結果)が引き起こされるという関係)、認知症とはどういった状態を指し、その中核症状や周辺症状はどういったものかを説明しています。

 更に、認知症を引き起こす代表的な病気として、アルツハイマー病と脳血管性認知症についてそれぞれ1章を割いて解説するとともに、治療可能な認知症を見逃さないようにするには、どういった点に注意すればよいかが書かれています。

 また、認知症は、上手な介護と適切な対応によってその進行を遅らせることができるとし、薬物療法や、事例からみた介護の在り方についても書かれています。

当時、認知症について書かれた本は数多く出されたように思いますが、その中でも分かり易い方でした。

 とりわけ、アルツハイマー病の早期兆候として、①物忘れ(記憶障害)、②日時の概念の混乱、③怒りっぽくなる(易怒性)、④自発性の低下、意欲の減退、の4つを挙げているのが分かりよかったです。

一方、脳血管性認知症については、脳血管障害に由来する神経症状に認知症がみられると脳血管性認知症と診断されるが、これは誤りであり、脳血管障害を発症する前に、認知症がすでに存在していた可能性があるとし、更に、アルツハイマー病でみられる認知症状が脳血管障害によって悪化するという傾向があるとしています。

 かつてが「痴呆性疾患」と言えば脳血管障害がメインの原因であり、それが90年代にアルツハイマー病と脳血管障害が拮抗するようになり、著者の「物忘れ外来」での過去10年間の受診者の診断内訳は、アルツハイマー病が52.9%で、脳血管性認知症は5.4%となっています。

 著者は、脳血管性認知症はかなり曖昧であり、実際にそのように診断されているよりも遥かに数は少ないのではないかとしていますが、近年の世間一般の統計は、著者の「物忘れ外来」での診断分布にどんどん近くなっていて、アルツハイマー病が「認知症」の原因としては圧倒的に多くなっているようです。

 アルツハイマー病の患者が急に増えたわけではなく、これまで見過ごされていたことが窺えて興味深かったです。

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本書『鯨人』を読んでから写真集『海人』を眺めると、また違った、より深い感慨がある。

「鯨人」.bmp     海人 石川梵.jpg 海人2.JPG
鯨人 (集英社新書)』['11年] 『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』['97年](37 x 26.8 x 2 cm)

海人1.JPG 『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』('97年/新潮社)は、インドネシア東部レンバタ島のラマレラ村の人々の、銛一本で鯨を仕留める伝統捕鯨の様子を撮った写真集ですI(定価4,700円だが、絶版のためプレミア価格になっている)。

 大判の上に見開き写真が多く、人間とマッコウクジラの壮絶な闘いは迫力満点、鯨を仕留めた後の村人総出での解体作業や、遠く海を見つめるかつて名人と言われた古老の眼差しなども印象深く、日本写真家協会新人賞、講談社出版文化賞写真賞などを受賞した作品です。

『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』より

海人3.JPG 巻末の《取材データ》に、「取材期間1991 -97、延べ滞在期間11カ月、出漁回数200回超、最初に鯨が捕れるまでの海上待ち時間1190時間(4年間)」とあり、写真家のプロフィールには「ラマレラでの最初の4年間を鯨漁に、次の3年間を鯨の眼を撮ることに費やす。海と鯨とラマファ(鯨人)を愛し、30代のほとんどすべてをラマレラの撮影に捧げた写真家」とありました。

 写真集『海人』から13年半を経て、「集英社新書ノンフィクション」(カラー版の「集英社新書ヴィジュアル版」ではなく、文章中心に編集されている)として刊行された本書『鯨人(くじらびと)』は、同写真家によるラマレラにおける鯨漁撮影のドキュメントであり、鯨漁にまつわる現地の伝承・逸話や村の人々の暮らしぶりなどもよく伝え、民族学的にも価値のあるものになっていると思いました。

 90年代に著者が取材した際には外国人のフォトジャーナリストも取材に来ており、日本のNHKも'92年にNHKスペシャル「人間は何を食べてきたか~海と川の狩人たち~」という全4集のドキュメンタリーの第1集で、「灼熱の海にクジラを追う ~インドネシア・ロンバタ島』を放送('92年1月19日)しています(写真集が出された後では、TBSなども著者をガイドとした取材に行っているようだ)。

 但し、本書にはテレビ番組では味わえない長期取材の効用が滲み出ており、まず、お目当てのマッコウクジラとなかなか巡り会えず、写真集に"最初に鯨が捕れるまでの海上待ち時間1190時間(4年間)"と書かれていた、その時間の長さをより実感できるかと思います。

 更にその間、毎年のように村を訪れ、村の多くの人と出会い、彼らとの交流を通じて様々な昔話などを訊き出していて、これがたいへん興味深かったです。

 マッコウクジラは彼らにとってもそうそう眼の前に現れるものではなく(村人たちは、ヒゲクジラは伝承神話の上で"恩人"とされているため捕獲しない)、マッコウクジラが獲れない間は、ジンベイザメとかシャチとかマンタ(イトマキエイ)を獲ったりしているようですが、これらとて大型の海洋生物であり、銛一本で仕留めるのはたいへんなこと、マンタは比較的よく獲れるようですが食べられる部分が少なく、マッコウクジラ1頭はマンタ何百頭分にも相当するようです。

海人52.JPG 70年代に国連のFAO(国連食糧農業機関)がラマレラの食糧事情を改善しようとノルウェーから捕鯨船を送り込み、その結果、砲台による捕鯨は鯨の捕獲頭数を増やしたものの、鯨肉が供給過剰となったためにFAOは途中で操業をやめ、プロジェクトが終わったら今度はさっぱり鯨が獲れなくなったそうです。

 ここ10年の捕獲数は年間10頭を切るぐらいだそうで、著者もなかなか鯨に巡り合えず、村人たちに「ボンが来ると鯨が現れない」とまで噂されてしまったとのこと。

『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』より

海人53.JPG 彼らの捕鯨は、鯨油のみを目的とした先進国のかつての捕鯨とは異なり、一頭の鯨の骨から皮まで全てを利用する日本古来の捕鯨に近く、IWC(国際捕鯨委員会)が認めている「生存(のための)捕鯨」であることには違いないですが、同時に、鯨が獲れた際には鯨肉を市場での物々交換で売りさばき、干肉にして保存した分も最終的には市場に流通させていることから、「商業捕鯨」の定義にも当て嵌ってしまうとのこと。

 でも、振り返って日本の場合を見れば、「調査捕鯨」の名のもとに「商業捕鯨」が行われているわけで、IWCに異を唱えて「商業捕鯨」を貫こうとしているノルウェーのような毅然とした姿勢をとれないところが、国際社会における発言力の弱さの現れでしょうか。

 ラマレラでは、過去に鯨漁で亡くなった人や事故に遭った人も多くいて、著者は鯨漁を人と鯨の互いの死力を尽くした闘いと見る一方、ラマファ(鯨人)を撮るだけでなく、獲られる側の鯨も撮影しなければとの思いからダイビングライセンスを取得し、とりわけ、断末魔に置かれた鯨の眼を撮ることに執着し、それが、写真集に「次の3年間を鯨の眼を撮ることに費やす」とあった記述となります(この"眼"の撮影に成功した場面もよく描けている)。

 更にエピローグとして、一連の取材を終えた13年後の'10年に村を再訪した際のことも書かれており、村の各戸に電気が通っていたり、漁船にエンジンが付いていたり、反捕鯨団体が鯨の観光資源への転嫁などの宥和策を持ちかけていたりと、いろいろ時代は流れていますが(一方で、報道によれば、今年('12年)1月に、島で10歳の少女がワニに食べられるという事故もあったが)、かつて名人として鳴らしたラマファの古老など、著者が取材した何人かが亡くなっていたのがやはり寂しい。

 写真集『海人』の写真は、「ライフ」をはじめ世界の主要写真集のグラビアを飾りましたが、著者にとっては、ラマレラで鯨人たちと過ごした濃密な7年間こそ人生の宝物であり、それに比べれば、写真家として栄誉を得たことは副産物にすぎないかもしれないといったことを「あとがき」で述べています。

 本書『鯨人』を読んでから写真集『海人』を眺めると、また違った、より深い感慨があります。

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どの地域においても地域活性化に繋がるどころかコミュニティの亀裂を深める疫病神だった原発。

原発列島を行く.jpg    鎌田 慧.jpg 鎌田 慧 氏      原発事故はなぜくりかえすのか.jpg 
原発列島を行く (集英社新書)』['01年]    高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)』['00年] 

 原子化学者の高木仁三郎(1938-2000/享年62)は、ガン宣告を受けた翌年に遺書のつもりで『市民科学者として生きる』('99年/岩波新書)を書きましたが、その本の刊行された'99年9月に茨城県東海村で起きたJOCの臨界事故を受けて、'00年夏に『原発事故はなぜくりかえすのか』('00年12月/岩波新書)を口述筆記で著し、それが遺作となりました。

 高木氏の本が科学者による反原発の書であるならば、「週刊金曜日」に'99年2月5日号から'01年9月7日号までに連 載された鎌田慧氏の『原発列島を行く』は、ルポライターによる反原発の書であり、この連載の間にJOCの臨界事故があったことになります。

 JOCの臨界事故を機に、その頃の反原発の気運は、少なくとも、東日本大震災による福島第一発電所の事故の直前よりも高かったのかも知れません(片や岩波新書、片や集英社新書で、定番と言えば定番。全メディア的展開では無かったのかも知れないが)。一方、推進派はこの頃、ほとぼりが冷めるのを暫く待っていたのか―。

 早くから原発を取材してきた鎌田氏ですが、本書では、主に過疎地と言える地域にある全国の原発を隈なく巡り(核燃料サイクル基地(青森・六ヶ所村)・処分研究所(岐阜・東濃地区)含む)、その地域に原発が誘致された経緯や、金に糸目をつけない国のやり方、交付金漬けにされてしまった地方財政、押し潰された民意、失われた自然、地域住民の不安や怒り、落胆などをルポしています。

 先ず気づかされるのは、70年代から80年代にかけて、原発誘致により多額の交付金を受け、"町興し"と言って人口規模に不釣り合いな豪奢な箱モノ施設を作ったりしたこれらの地方自治体が、鎌田氏が取材した時点で、町が栄えるどころか、一向に過疎化の問題から抜け出せていないことです。

 更に、原発の誘致に際して、町や村が賛成派と反対派に分かれ、地域コミュニティに大きな亀裂を生じさせているということが、判で押したようにどの自治体にも起きていて、振り返って見れば、原発はどの地域にとっても疫病神だったということになるのではないでしょうか。

 取材の時点で、全国で運転中の原発は50基。その他に建設中4基、計画中3基で、そうすると2010年までには57基になっていたはずの計算ですが、東日本大震災前で、営業運転中は54基(本書の最後に出てくる浜岡原発4基の内、浜岡第一、第二が'09年に運転終了するなどしている)。更に、建設中は2基、着工準備中は12基という状況で、全部出来あがると68基になりますが(北村行孝、三島勇『日本の原子力施設全データ 完全改訂版』('12年/講談社ブルーバックス))、計画が中止されるものが出そうな様子です。

 鎌田氏が取材した当時でも震災前でも、稼働中の原発が全部止まったら電力供給は破綻するとの見方が当然のようにありましたが、福島第一原発の事故を受けて各原発とも定期点検やストレスチェックに入っているため、2011年3月末現在で、54基中、稼働しているのは、北海道電力の泊原発3号炉の1基だけです(これも5月に定期点検のため止まる)。
 少なくとも、夏場の電力消費のピークを除いては、原子力なしで充分やっていけるということの証ではないかとも思ったりします。

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"原子力村、原子力マフィア"と言われる面々を、実名を挙げて"再整理・再告発"。

原発の闇を暴く.jpg原発の闇を暴く (集英社新書)』(2011/07) 原発の闇を暴く2.jpg

広瀬隆 明石昇二郎.jpg  東日本大震災による福島第一原発事故は、「想定外の天災」などではなく「人災」であるとして、30年以上前、チェルノブイリ事故直後に『危険な話』(′87年/八月書館、'89年/新潮文庫)を刊行した作家・広瀬隆氏(67歳)と、10年前に浜岡原発事故のシミュレーションを連載し、『原発崩壊』(′07年/金曜日)を刊行したルポライター・明石昇二郎(49歳)の2人が、「あってはいけないことを起こしてしまった」構造とその責任の所在を、"実名"を挙げて徹底的に曝した対談です。
広瀬隆・明石昇二郎 両氏(本書刊行と同時に東電を刑事告発した際の記者会見('11年7月15日)

 まず 第1章「今ここにある危機」で、メディアに出ない本当に怖い部分の話や子供たちの被曝の問題を取り上げ、「半減期」という言葉などに見られる、報道の欺瞞を指摘しています。

 そして、第2章「原発崩壊の責任者たち」では、原子力マフィアによる政官産学のシンジケート構造を暴いていく中で、根拠の無い安全・安心神話を振り撤き、リスクと利権を天秤にかけて後者を選択した「原子力関係者」たちを列挙していますが、100ページ以上に及ぶこの章が、やはり本書の"肝"でしょうか。

 放射能事故による汚染は「お百姓の泥と同じ」との暴言を吐いた人物、「不安院」と揶揄される保安院の構造的問題、「被曝しても大丈夫」を連呼した学者たち、耐震基準をねじ曲げた"活断層カッター"―何れも「実名」を挙げてその責任を追及しています。

 冒頭には、事故当初、専門家・解説者としてNHKなどのテレビに出続けた原子力推進派の「御用学者」の名が挙がっており、その筆頭格が、関村直人・東大大学院工業系研究科教授と、岡本孝司・東大大学院教授(東大工学部原子力工学科卒)とされています(今は、ウェッブで「原発業界御用学者リスト」なるものを閲覧出来るが、出来れば彼らがテレビに出る前に知っておきたかったところ)。

 こうした人達は4月終り頃にはもう殆どテレビには出なくなってはいましたが、やはり、事故直後の一般の人々が最も原発事故に関心を寄せ、真剣に不安を抱いている時期に、能天気な楽観説を唱え続けた罪は重いように思えます。

 第3章「私たちが考えるべきこと」では、原発がなくても停電はせず、独立系発電事業者だけでも電気は足りるということ、電力自由化で確実に電気料金は安くなり、必要なのは電力であって、原子力ではないということを訴えています。

 広瀬氏は、『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』('05年/朝日新書)に続く事故後の著書で、内容的には両者の発言とも、これまでの2人の著作と重なる部分も多々あり、やはり、原子力村、原子力マフィアと言われる面々を、実名を挙げて"再整理""再告発"している点が、本書の最大の特長かと思われます(この方面に関しては、集英社は大手では岩波書店と並んでアグレッシブか)。

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医学と哲学(原理主義批判?)の互いに交わらない別々の話か。

禁煙バトルロワイヤル.jpg 『禁煙バトルロワイヤル (集英社新書 463I)』 ['09年]

 「ヘビースモーカーのお笑い芸人」vs.「最強の禁煙医師」の激論とのことで、肺がんの外科治療が専門の奥仲哲弥医師が、愛煙家である爆笑問題の太田光の喫煙をやめさせようとして、タバコの健康面への悪影響を説くものの、太田光の方は独自の"タバコ哲学"のようなものを展開して、一向にやめようとする気配がない―。

 奥仲医師は、やや自信喪失になりながらも、健康面の害悪やそれに伴う疾病の恐ろしさを具体的に解説していますが、一方で、太田光の"タバコ哲学"にも付き合ったりしていて、最後は、一日5本位なら癌のリスクは低くなるし、COPD(慢性閉塞性肺疾患)になる前に天寿を全う出来るといった言い方までしています。

 こうした話を喫煙者に対してするのはどうかなというのもありますが(喫煙者に迎合し過ぎととる人もいるだろう)、そこに至るまでのタバコの健康面での悪影響や、健康診断(CTと喀痰検査)の必要性についての話は、それなりに説得力があったように思いました。
 但し、後者(健康診断の話)は、タバコを吸い続けている人へのアドバイスであり、条件付きで喫煙を容認しているわけであって、結果として、本書を読んでタバコの喫煙本数を減らす人はいても、やめる人はいないのではないかと。 

 太田光の"タバコ哲学"に関しては読む人の賛否は割れるのではないかと思われますが、共感できる部分もある反面、論理の飛躍も見られ、そもそも、哲学や精神的な問題と、医学的な問題は同列では論じられない気がしました。 
 世の中の喫煙問題・嫌煙運動に対しては一見ノンポリ風に見えながらも、「俺がなにか言ったりすることで、傷ついているやつはいっぱいいるだろうし、それを全部考えると、タバコでかけてる迷惑なんか、俺の中では(中略)少ないだろうと思うし、大した罪悪感もない」というのは、"喫煙=悪、禁煙=善"という二元論(=一元論=原理主義)に対する彼なりのアンチテーゼなのかも。

 奥仲医師は、「最強の禁煙医師」と言うより、「現実論的な禁煙医師」という感じで、禁煙医師としては"異端"乃至"亜流"ということになるのかも(爆笑問題と同じタレント事務所に"所属"しているということはともかくとして)。
 エキセントリックとも思える嫌煙運動に対して、奥仲医師の方が太田光以上にストレートに嫌悪感を表しているのが興味深かったです。

 振り返ってみれば、禁煙の説得に対して太田光が折れないために奥仲医師が様々な視点から話をするというのは、医者という職業が患者という顧客あってのサービス業であるという性格を有していることを示すと同時に、もともとが医学と哲学の互いに交わらない別々の話であって、本書の企画からすれば最初からのお約束事であったように思え、そうした流れでの奥仲医師による解説の中で、例えば、喫煙者のがんの罹患率は、肺がんが非喫煙者の4.5倍であるのに対し、喉頭がんは32.5倍にもなるといったことなど、個人的には新たに知ったことも少なからずありました。
忌野清志郎.jpg
 '08年刊行の本ですが、文中に名前のある忌野清志郎も、当時はがんから復活したかのように見えたものの、'09年に亡くなっていて、彼も始まりは喉頭がんだった...(吉田拓郎、柴田恭平は大丈夫か)。

《読書MEMO》
●タバコの害で肺がんより怖いのが、呼吸が苦しくなるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)(36p)
●吸う一人と吸わない人では、喉頭がんの罹患率は32.5倍(60p)
●女性の人権が高い国は、喫煙率も男女平等?
 女性の喫煙率...中国4.2%、韓国4.8%(男65.1%)、日本12.4%(男41.3%)、米国14.9%(男19.1%)、フィンランド18.2%(男26.0%)、ニュージーランド22%(男22%)、英国23%(男25%)ノルウェー24%(男24%)、オランダ26%(男35%)、アイルランド26%(男28%)[OECD Health Date 2007](111‐113p)
●タバコ事業の管轄は厚生労働省ではなく、財務省(今でもJTの筆頭株主)(119‐120p)
●1日5本主義-3食の後と風呂、飲酒後(135p)

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四国のミニミニ藩の武士と領民の暮らしぶりを、代々の家老の公務日記から拾う。

伊予小松藩会所日記.jpg 『伊予小松藩会所日記 (集英社新書)』 ['01年] 『小松藩会所日記』.jpg 「小松藩会所日記」 (小松町文化財指定).

 現在の愛媛県西条市にあった伊予小松藩というたった1万石の小藩で、代々の家老が公用の政務を綴った「会所日記」という史料が今も小松町に残っていて、本書は、その享保元年(1716)から慶応2年(1866年)までの150年間にわたる記録から、「武士の暮らし」ぶりを表すものと「領民の暮らし」ぶりを表すものに大きく分けて、現代に通じる事件や出来事を抽出したもの。

 ここで言う「会所」とは、家老が執務を行う建物のことで、家老の執務部屋と併せて大目付(警察長官と裁判長官を兼ねたような役目)の部屋が続いていて、この日記の内容も、今で言えば、地方役場の仕事と、地方警察の仕事を記録したようなものとなっています。

 小松藩は領民人口1万余、藩の家臣(藩士)の数は、江戸中期で70人、足軽や小者(下男)が100人程度で、幕末でも足軽や小者まで含めて200人前後だったとのことで、そうした小さな藩での武士の政務や暮らしぶりは、手続き重視という点では現代の地方役場の役人に似ていて、"宮仕え"ということを広く解釈すれば、あたかも中小企業に勤めるサラリーマンのようでもあります。

 凶作による財政難の折には、藩士の俸給が一挙に30%に切り下げられたこともあった("30%のカット"ではなく)などと記されていて、現代の中小企業だったらリストラ解雇しか考えられないのではないかと思いましたが、この頃から、"公務員"については、"クビにする"という概念はなかったのかも。
 
 生活苦のため無断で内職をする藩士も出てきますが、今で言う"公務員の兼業"みたいなもので、これは当時も禁止事項であり、見つければ藩としても処罰した。
 ところが、ついには藩自体も、中央幕府の許可なく藩札(銭預り札)を発行したりしています(黙って決めてしまっているところが、今の役所の諸々の内部慣習と少し似ている?)。
 それにしても、随分際どいやり口での自治意識の発露ではあるなあと思いましたが、全国的に飢饉が発生した際には、小松藩は、領民に一合ずつ米を配ったりして、結果として、他藩に比べ餓死者の発生率が低かったということは、善政だったということでしょうか。

 財政難の小藩であっても参勤交代の大名行列はやらねばならず、あの加賀藩の大名行列は総勢4,000人の大行列だったとのことですが(自分は「加賀百万石祭り」の提灯行列に参加したことがあるが、今の「百万石祭り」はかつての大名行列の一部を再現しているに過ぎないということか)、この小松藩のものは総勢で100人ほどで、しかも7割が荷物運搬係、「下ぁにい!」と掛け声をかける槍を持った奴がいるわけでもなく、まるで「気勢のあがらぬ運送業者の隊列と似ていた」とのこと。江戸に着いた途端に出奔(逃亡)した小者がいたという話と併せ、何だか侘しいなあ。

 後半部の「領民の暮らし」編の方は、駆け落ちから始まって、不倫と情死、不思議な出来事や領民同士の喧嘩、違法賭博などが続き、「三面記事」的事件簿という感じで、それらがヴィヴィッドに描かれている分、前半部とは違った楽しみ方が出来ました。
 著者は、将棋史、賭博史の研究家で時代小説作家とかではないのですが、こういうのが時代小説のネタ本になるのだろうなあ。

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正しく使えているようで使えていない敬語表現。やはり難しいなあと。

バカ丁寧化する日本語.jpg 『バカ丁寧化する日本語 (光文社新書)』 ['09年] かなり気がかりな日本語.gif 『かなり気がかりな日本語 (集英社新書)』 ['04年]
 
 著者の前著『かなり気がかりな日本語』('04年/集英社新書)を読んで、自分の話し方や文章の書き方を振り返って冷や汗の出る思いをしたのですが、今度は本書を読んで、自分は敬語の使い方がある程度出来ているつもりでいたのが、実はよく分かっていないまま使っていた表現が結構あったなあと。

 「バカ丁寧化」しているという視点がユニークですが、例えば、「おかげさまで〜させていただきました」といった「させていただく」という表現は、本来は自分に恩恵を与えてくれた誰かを特定して、その人を持ち上げることで自分を謙譲している表現であり、これを、神仏・世間・周囲の一般の人々に対し広く感謝の念を表す「おかげさまで」と同じように使うのは、胡散臭いと言うか耳障りであると。

 確かに、「おかげさまで退院させていただきました」と知人や友人には言わず(退院を許可したのは知人や友人ではなく医師だから)、そのくせ、放送番組の元アナウンサーなどが「おかげさまで番組を担当させていただきました」と言っているのは、一般の手本となるべき職業にあった人の表現としてはいかがなものかと(アナウンサーをその番組に起用したのはプロデューサーだから)。 でも、番組を続けることが出来たのは、番組を広く支えてくれた一般視聴者のおかげであるとも言えなくもないような気がするのですが、著者は、このアナウンサーは自分の表現が適切であるかどうかを考えた方がいいとと手厳しいです。

 敬語の本来の用法として若干問題があっても、言葉の適材適所への配慮がなされていればよしとし、実際に用法的におかしくても慣例的に相手への敬意を表す表現として根付いているものの例も挙げていますが、誤用法である上に、慇懃無礼になってしまったり、心のこもらない表現になったりしているのはダメであるとのことで、その辺りの線引きについては、かなり厳格な方ではないでしょうか。 世間での実態と理論的裏付けの両面から検証していて、「奥さん」とか「ご主人」という表現は、「実情にそぐわないが使われ続けている日本語」という括りに入れています。

 後半部分では、「二方面への敬語」というものについて論じられていて、「そのことは秋田先生が校長先生に申し上げてくださいました」といったのがこれに該当するのですが(校長を最も立て、秋田も一応立てている)、それが「そのことは秋田先生が校長先生に言ってくださいました」となると、秋田への軽めの尊敬語になるが校長は全く立ててないことになり、更に「そのことは秋田先生が校長先生におしゃってくださいました」となると、秋田への尊敬語になるが校長は全く立ててないことになると。どれが誤りであるというのではなく皆誤りではないのですが、その場の状況に応じてどれが適切な表現であるかは違ってくると。

 確かに、そうなのだなあと。でも、「二方面への敬語」って、考え始めるとますます難しくなるような気がし、しかしながら、考えないで使っていて果たして自分はきちんと使っているかというと言われると自信が無くなり、やはり、こうしたことも時々意識した方がいいのだろうなあと。敬語ってやっぱり難しい。

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行った場所(コスタリカ)が良かった? 写真が美しく、書き下ろしの文章も悪くない。

茂木 健一郎 『熱帯の夢』.jpg 熱帯の夢.jpg 『熱帯の夢 (集英社新書ヴィジュアル版)』 ['09年] 

コスタリカ共和国.bmp 脳科学者である著者が、'08年夏、著者自身が碩学と尊敬する動物行動学者の日高敏隆氏らと共に、中米・コスタリカを11日間にわたって巡った旅の記録。

 著者は子供の頃に昆虫採集に没頭し、熱帯への憧憬を抱いていたとのことですが、コスタリカには蝶だけでも1千種を超える種類が棲息していて、その他にも様々生物の多様性が見られるとのことで、本書の旅も、熱帯の昆虫などを著者自身の目で見ることが主目的の旅と言えるかと思います。

 中野義樹氏の写真が素晴しく、珍しい生態で知られるハキリアリや、羽の美しいことで知られるモルフォチョウといった昆虫だけでなく、ハチドリやオオハシ、世界一美しいと言われるケツァールなどの鳥類も豊富に棲息し、何だか宝石箱をひっくり返したような国だなあ、コスタリカというのは。イグアナとかメガネカイマン(ワニ)、ナマケモノまでいる。

 中米諸国の中においては、例外的に治安がいいというのがこの国の良い点で(1948年に世界で初めて憲法で軍隊を廃止した)、その分、野生生物の保護に国の施策が回るのだろうなあ。勿論、観光が国の重要な産業となっているということもあるでしょうが。

茂木健一郎/日高敏隆.jpg そうした土地を、コスタリカ政府から自然調査の許可を名目上は取り付けた動物学者らと10人前後で巡っているわけで、"探検"と言うより"自然観察ツアー"に近い趣きではありますが、部外者がこういう所へいきなり行くとすれば、こうしたグループに帯同するしかないのかも。

 著者にしても、この本を書くこととのバーターの"お抱え旅行"とも取れなくもないですが、最近の著者の新書に見られる語り下ろしの「やっつけ仕事」ではなく、本書は書き下ろし(一部は集英社の文芸誌「すばる」に掲載)。

 この人、ちゃんと"書き下ろし"たものは、"語り下ろし"の本とは随分トーンが異なるような(いい意味で)感じで、"語り下ろし"はテレビで喋っているまんま、という感じですが、本書を読むと、エッセイストとして一定の力量はあるのではないかと(コスタリカという"素材"や美しい写真の助けも大きいが)。

 クオリア論はイマイチだけど(これも日高氏と同様に著者が尊敬する人であり、また、同じく昆虫好きの養老孟司氏から、クオリア論は「宗教の一種」って言われていた)、多才な人であることには違いないと思います。
 もじゃもじゃ頭で捕虫網を持って熱帯に佇む様は、「ロココの天使」(と体型のことを指して友人に言われたらしい)みたいでもありますが。
 
 

著者と日高敏隆 氏 (撮影:中野義樹/本書より)  
  
                                

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わかり易い。「スノーボールアース仮説」の検証過程をスリリングに解説。

凍った地球―スノーボールアースと生命進化の物語.jpg  田近 英一.jpg  田近 英一 氏 (経歴下記)  全球凍結-大型生物誕生の謎.jpg 全地球凍結.jpg
凍った地球―スノーボールアースと生命進化の物語 (新潮選書)』['09年]「NHKスペシャル地球大進化 46億年・人類への旅 第2集 全球凍結 大型生物誕生の謎 [DVD]」  川上 紳一 『全地球凍結 (集英社新書)』 ['03年]

 かつて地球の表面は完全に氷で覆われていたという「スノーボールアース仮説」(全球凍結仮説)は、'04年にNHKスペシャルとして放映された「地球大進化-46億年・人類への旅」の「全球凍結-大型生物誕生の謎」で広く知られるところとなったのではないでしょうか。本書は、この「スノーボールアース仮説」の成立とそれがもたらした地球史観を解り易く紹介した本です。

 スノーボールアース仮説は、'92年にカリフォルニア工科大学のジョー・カーシュビンク教授がアイデアとして専門誌に発表し、その後は封印されていたのが、'98年にハーバード大学のポール・ホフマン教授が、ナミビアでの地質調査の結果をもとにこれを支持する論文を科学雑誌「サイエンス」に投稿したわけですが、本書は、その発表を見逃していた著者のもとに、ホフマン教授から当の「サイエンス」誌が送られてきたところから始まります。

 そして、当初は"奇説"とも看做されていたこの仮説が、様々な反論を退けて、次第に有力な学説であると認知されるようになるまでを、本書は丹念に追っていますが、著者自身も、'99年のカーシュビンク、ホフマン両教授が企画した米国地質学会の特別セッションに参加するなどして、そうした論争の只中におり、そのため本書はシズル感のある内容であると共に、考えられる様々な反論に、緻密な論理構成で論駁を加えていく様はスリリングでもありました。

 とりわけ、全球凍結が起こる原因となる、温室効果を生む大気中の二酸化炭素の量が変化する要因について詳しく解説されていて、火山活動や大陸の風化作用、海底堆積物の形成など、大気や海洋と固体地球との相互作用が、大気中の二酸化炭素の循環的な消費プロセスを形成していることが解ります。

 生物の光合成作用もこの「炭素循環」に関与していて、光合成により大気中の二酸化炭素が取り込まれ有機化合物が形成され、その結果、植物プランクトンなどの死骸の一部は二酸化炭素を含んだ海底堆積物となり、それが海洋プレートと共に大陸の下に沈み込み、沈み込み帯の火山活動によって再びマグマと共に大気中に放出される―この「炭素循環」が、大気中の二酸化炭素量、ひいては大気温を調節し、生命にとってハビタブルな環境を生み出しているわけですが、普段"地震の原因"ぐらいにしか思われていないプレートテクトニクスが、我々の誕生に重要な役割を果たしているというのは、興味深い話ではないでしょうか。

 全球凍結は、こうした温室効果バランスがずれる「気候のジャンプ」により起こり(全球凍結を1つの安定状態と看做すこともできるのだが)、判っているもので6億年前と22億年前に起きたとのことですが、「全球」凍結のもとで生命が生き延びてきたこと自体が、「全球」凍結説への反駁材料にもなっていて、本書では、この仮説にまた幾つかのパターンがあって(赤道部分は凍結していなかったとか)、その中での論争があること、その中で有力なものはどれかを考察しています。
 著者の考えでは、現在の地球が全球凍結しても、地中海やメキシコ湾の一部は凍らないかもしれないとし、全球凍結状態においても、こうした生命の生存に寄与する「ホットスポット」があった可能性はあると。

 終盤部分では、全球凍結が無ければ、地球上の生物はバクテリアのままだったかも知れないと、全球凍結が生物進化に多大の影響を及ぼしていることを解説すると共に、太陽系外の惑星にもスノーボールプラネット乃至オーシャンプラネットが存在する可能性を示唆しており、そうなると地球外生命の存在の可能性も考えられなくもなく、今後の研究の展開が楽しみでもあります。

全地球凍結.jpg 本書を読んだのを契機に関連する本を探してみたら、本書にも登場する川上紳一氏の『全地球凍結』('03年/集英社新書)が6年前に刊行されていたのを知り、NHKスペシャル放映の前に、もうこのような一般書が出されていたのかと―。

 本書でも田近氏の本と同様、全球凍結を巡る論争の経緯をしっかり追っていますが、川上氏は'97年に南アフリカのナンビアで、ポール・ホフマン教授らと共に、全球凍結仮説を裏付ける氷河堆積物の地質調査のあたった人でもあり、それだけに地質学的観点から記述が詳しく、その分、新書の割には少し難度が高いかも知れず、また、やや地味であるため、目立たなかったのかなあ。

 '03年刊行のこの本の段階で既に、全球凍結状態においても、「ホットスポット」があった可能性なども示唆されていて、内容的には田近氏と比べても古い感じはしないのですが、読み易さという点でいうと、やはり田近氏のものの方が読み易いと言えるかと思います。

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田近 英一
1963年4月 東京都出身
1982年3月 東京都立西高等学校卒業
1987年3月 東京大学理学部地球物理学科卒業
1989年3月 東京大学大学院理学系研究科地球物理学専攻修士課程修了
1992年3月 東京大学大学院理学系研究科地球物理学専攻博士課程修了
1992年4月 東京大学気候システム研究センターPD(日本学術振興会特別研究員)
1993年4月 東京大学大学院理学系研究科地質学専攻助手
2002年7月 東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻助教授
2007年4月 東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻准教授
2008年8月 文部科学省研究振興局学術調査官(併任)

受賞歴
2003年 山崎賞奨学会 第29回山崎賞
2007年 日本気象学会 堀内賞

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独自の教育メソッドについて詳しいが、異文化論、地誌・風物生活誌としても楽しめた。

フィンランド 豊かさのメソッド2.jpg フィンランド 豊かさのメソッド1.jpg 『フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書)』 堀内 都喜子.jpg 堀内 都喜子 氏(略歴下記)

フィンランド.gif 著者はフィンランドの大学の大学院(コミュニケーション学科)を卒業。在学中に本書を書き、帰国後に出版したとのこと。

 そのフィンランドという国は、国土面積は日本から九州を除いたぐらいで、全人口は北海道より少ないそうで、人口密度は日本の10分の1程度とのこと。ちょっとヒトが少なすぎるのではないかとも思ったりするけれど、国土の70%は森林で10%は湖だから、人口が集まっているところには集まっているのでしょうか(日本だって国土の80%が山地だが)。

 福祉国家として知られる国ですが、OECDによる子どもの学力調査でトップ、世界経済フォーラムによるの国際競争力ランキングで3年連続1位とのことで、後者の経済の方の1位は、ノキアなどのグローバル企業を有するものの、企業に勤める人は殆ど残業もしないため、著者自身も不思議に思っていて、失業率もやや高く、著者がこの国に住んでいた時は、それほど景気がいいと感じたことはなかったそうです(分析的には、国がIT産業に力を注ぎ、社会の情報ネットワーク化を推進したことで、90年代前半の不況から甦ったとしている)。

 一方、学力調査の方での"トップ"については、フィンランドの教育メソッドが、著者の留学時の体験も含め、保育園から大学教育まで紹介されていて、初等教育における「できない子は作らない」ための工夫や、制服も校則も無いという自由な中学・高校、質の高い教師とカリキュラム、授業料の無料、国民の生涯教育への高い意欲などが挙げられています。

 やはり、「落ちこぼれを作らない」という理念が、教育の全期間を通して貫かれているのが素晴らしいことだと思われ、女性の雇用機会が広くあり、育児をしながらも充分フルタイムで働けるというということ併せて、日本との大きな違いのように思えましたが、日本で常に問題視されながら解決の糸口が見出せないでいる問題が、この国ではクリアーされているだけに興味深かったです。

 税金が高い(使途がガラス張りで、その大方が国民の福祉や教育に還元されているため、国民の不満は小さい)、国土の広さに比べ人口が少ないなど、根本的背景が日本と異なるということはありますが、この国の文化、生活様式や、人々のものの考え方の特質に触れた後半部分には、著者自身が初めてこの国に来て、びっくりしたり感心したり違和感を覚えたりしたことが率直に書かれていて興味深く、制度や立地条件の違いよりも、まず国民性が違うのだなあと思わされました(両者の相互作用もあるだろうが)。

 同じヨーロッパでもラテン系民族のそれとも随分異なるようで、公の場では口数が少ないなど、部分的には日本人と似ているところもあり、それでいて、発言するときはハッキリものを言うなど(言わないと伝わらない。「トイレはありますか」と訊くと「あります」という返事しか返ってこないという話には笑った)、やっぱり違うところは違うと言う―フィンランド語は独自系の言語ですが、国民性も「独自系」だなあと思いました。

 フィンランド流子育て(赤ちゃんを外で昼寝させる習慣はテレビでも紹介されていた)や、国民の間で人気のあるスポーツ、本場のサウナの入り方なども紹介されていて、異文化論、地誌・風物生活誌としても読める楽しい本でした。
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堀内 都喜子2.jpg堀内 都喜子(ほりうち ときこ)
1974年長野県生まれ。大学卒業後、日本語教師等を経て、フィンランド・ユヴァスキュラ大学大学院に留学。異文化コミュニケーションを学び、修士号を取得。フィンランド系企業に勤務しつつ、フリーライターとしても活動中。

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ワンマンの害悪より、「株式会社」とは何たるかを知る上で大いに勉強になった。

死に至る会社の病.jpg       『ウォール街』(1987) 2.jpg 映画「ウォール街」(1987)
法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由 (講談社現代新書 1939)』 ['07年]

 タイトル及びサブタイトルから「ワンマン経営」が企業統治の上でいかに害悪をもたらすかを書いた本だと思ったのですが、趣意はその通りであるにしても、配分上はかなりのページ数を割いて、「株式会社」制度の今とその起源及び歴史を解説していて、加えて、アダム・スミス、マルクス、ウエーバーの「株式会社」観にまで言及されており、「株式会社」とは何たるかを知る上で大いに勉強になりました(あとがきに「ワンマン経営者」を横糸、「株式会社の過去、現在、未来」を縦糸にして、株式会社のどこに欠陥があり、その欠陥を克服できるのかを考察した本であると書いてあった)。

 米国や英国などの"企業統治先進国"が、現在のそうした統治体制に至るまでの経緯を、近現代に起こった企業不祥事や経済事件との関係において示しており、これはこれで各国の企業統治のあり方を、シズル感をもって理解することができ、また、読んでいても飽きさせないものだったと思います(著者は日本経済新聞社の記者だった人で、今は系列のシンクタンクに所属)。

 もちろん米国だって、全ての制度が旨く機能したわけではなく、本書にある通り、会長とCEOの兼務を認めていることにより権力が一個人に集中し、「独立取締役会」が形骸化してエンロン、ワールドコム事件のようなことが起きているわけだし(英国は会長とCEOの兼務が認められていない)、更にはアンダーセンといった監査法人もグルだったりした―そうした事件を契機に「独立取締役会」の成員条件や機能を強化し、SOX法などが定められ、企業に対する情報開示要請や内部監査機能は日本よりずっと厳格なものにはなっていることがわかります(こうして見ると日本の内部監査は遅れているというか迷走している)。

『ウォール街』(1987).jpg 本書で多く紹介されている敵対的企業買収の事例なども、企業の情報開示の弱い部分、株主の目の行き届かない部分を突いており、それでも、オリバー・ストーン監督の映画「ウォール街」('87年/米)のゲッコー氏のモデルとなった米国の投資家アイバン・ボウスキー(本書160ページに登場、「ジョニ黒」を作っている会社の買収争奪戦で、英国ギネス社の株価を釣り上げるためにギネス社と結託して暗躍した)のような人物は、この先も出てくるのだろうなあ(インサイダー取引で逮捕されたこの人について書かれたジェームズ・B・ステュアートの『ウォール街・悪の巣窟』はピューリッツァー賞を獲得している)。 

ザ・ホワイトハウス.jpgウォール街 パンフ.jpg 因みに、映画「ウォール街」の方は、ゲッコー氏を演じたマイケル・ダグラスにアカデミー主演男優賞をもたらしましたが、ストーリー的にもややご都合主義的かなとも思える部分はあったもののまあまあ面白く、個人的にはむしろ、マーティン&チャーリー・シーンの親子共演が印象的でした。

 チャーリー・シーンがゲッコーに憧れる駆け出しの証券マンを演じ、その父親役のマーティン・シーンは、今や買収されそうな飛行機工場に働く組会活動に熱心な労働者という役どころで、「地獄の黙示録」('79年/米)から8年、随分老けたなあという感じがしましたが(当時、彼は出演作に恵まれていなかった)、後にテレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」('99年-'06年)の合衆国大統領役で復活し、エミー賞主演男優賞を獲得しています(「ザ・ホワイトハウス」は、シーズン1の第1話が一番面白い)。

「ウォール街」●原題:WALLSTREET●制作年:1987年●制作国:アメリカ●監督:オリバー・ストーン●製作:エドワード・R・プレスマン●脚本:スタンリー・ワイザー/オリバー・ストーン●撮影:ロバート・リチャードソン●音楽:スチュワート・コープランド●時間:128分●出演:マイケル・ダグラス/チャーリー・シーン/ダリル・ハンナ/マーチン・シーン/ハル・ホルブルック/テレンス・スタンプ/ショーン・ヤング/ジェームズ・スペイダー●日本公開 二子東急.jpg:1988/04●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:二子東急(88-09-18)(評価:★★★☆)●併映:「ブロードキャスト・ニュース」(ジェイムズ・L・ブルックス)

ザ・ホワイトハウス1.jpgThe West Wing (NBC)ホワイトハウス.jpg「ザ・ホワイトハウス」The West Wing (NBC 1999/09~2006)○日本での放映チャネル:NHK-BS2(2002~2006 シーズン1~4)/スーパー!ドラマTV(2008~2009 シーズン5~7)

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死の家の記録、罪と罰、白痴、悪霊、カラマーゾフの兄弟の5作品の人物造型や創作技法を"講義"。

小説家が読むドストエフスキー.jpg 『小説家が読むドストエフスキー (集英社新書)』 ['06年] 加賀乙彦(かが おとひこ).jpg 加賀乙彦 氏(略歴下記)

 カトリック作家の加賀乙彦氏が、朝日カルチャーセンターで、ドストエフスキーの諸作品について、その作品構造や伏線の張り方、人物の造型法やストーリーとプロットの関係などを、小説家の立場から、創作の技法や文体の特徴に力点を置いて講義したものを、テープ起こしして新書に纏めたもの。
 『死の家の記録』、『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』の5作品の文庫版をテキストとしていますが、内容も平易で、語り言葉のまま活字化しており、読んでいて、カルチャーセンターに通っているような気分になります。

ドストエフスキイ 加賀乙彦.jpg 『ドストエフスキイ』('73年/中公新書)では、精神科医という立場からドストエフスキーの癲癇という病に注目しながらも、実質的には、多くの特異な性格の登場人物の分類や分析、それらの創造のヒントはどこにあったのか、といったことに力点が置かれていたような気がしましたが、それは、本書についても感じられ、講義の前半分(『死の家の記録』『罪と罰』)では、特にそう感じました。

 大作『白痴』『悪霊』については、登場人物の関係の持たせ方などにも着目し、『カラマーゾフの兄弟』の講義で、やや宗教的な問題に突っ込んで話している感じ。
 但し、全般的には、一般向けの"文学講義"ということもあってか、ツルゲーネフやトルストイといった作家たちの作品との比較、日本の作家や文学作品に影響を与えている部分などにも話が及んでおり、更には、ドストエフスキーの人生そのものや、その作家としての生活ぶりも紹介していて、そうした幅広さの分、作品自体の分析はやや通り一遍になったきらいも。

 そうした意味では、いかにもカルチャーセンターでの講義という感じもしなくはないですが、作品自体を丁寧に再構築してくれていて、内容を思い出すのにちょうど良く、ドストエフスキー作品に対するバフチンの分析(「ポリフォーニー」や「カーニバル的」といったこと)やベルジャーエフの言説(「キリスト教的な愛」+「ロシア的な愛」といったこと)をわかり易く要約してくれたりしていているのも有り難い点。
 難解とされる『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の部分の解説なども極めて平易で、入門書としては悪くなく、むしろお薦め、但し、原作を読まないことにはどうしょうもないけれど(受講生は、講義の前に読んで"予習"して講義に臨むということになっていたのではないかと思われるが)。
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加賀 乙彦
1929年、東京生まれ。本名・小木貞孝。東京大学医学部医学科卒業。東京拘置所医務技官を務めた後、精神医学および犯罪学研究のためフランス留学。帰国後、東京医科歯科大学助教授、上智大学教授を歴任。日本芸術院会員。『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)の他、『フランドルの冬』『宣告』『湿原』『永遠の都』『雲の都(第一部 広場、第二部 時計台)』など著書多数。

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「重くはない」ことが、必ずしも「軽い」ということにはならない。刑罰の背景にある社会特質。

日本の刑罰は重いか軽いか.jpg 『日本の刑罰は重いか軽いか (集英社新書 438B)』 ['08年]

法廷.png 中国・米国・日本の刑罰制度を比較しており、冒頭、刑罰とは何か、なぜこの3国の制度を比較するのかなど、やや理屈っぽく感じられましたが、タイトルに呼応する、第3章の「日本の刑罰は重いのか」、第4章の「日本の刑罰は軽いのか」にきて、ぐっと興味を引かれました。

 経済犯罪について、米国の会社経営者の場合は終身刑の宣告もあり得て、中国だと死刑もあるのに対し、執行猶予付きで済むのが日本の経営陣(インサイダー取引きなども同様)、薬物犯罪だと、アヘン戦争の苦い経験を持つ中国は非常に厳しく、売買を仲介しただけで死刑になることもあり、米国も終身刑を辞さないが、日本は普通の刑罰で済んでしまう―こうして見ると、「日本の刑罰は軽い」ということになりそうですが、確かに「重くはない」が、「軽い」ということには必ずしもならないようです。

 と言うのは、軽犯罪については、中国法では「小さなこと」を相手にしないとのことで、刑法の中で犯罪として定められているのはあくまで「大きなこと」だけ。これに対し、小さなことも漏らさず網羅するのが日本法で、条例レベルだと、迷惑防止条例などがその例。一方、米国は、小さなことに関心を払ったり払わなかったり、時期や地域、事柄によってムラがあるそうです(米国が発祥のストーカー規制法やセクハラ規制法も、州によって設けていない州もある)。

 米国は、死刑適用だけでなく法執行全般に偶然さが伴う、所謂「撒餌式」の法執行で(「FOXクライムチャンネル」で婦人警官が売春婦に変装して男性を検挙しているのを放映していたけれど、ああした"囮捜査"などは「撒餌式」の典型。本書によれば、人件費のかかる割には効果が得られてないらしい)、一方、中国は「キャンペーン式」、一定の期間や地域において特定の犯罪に厳罰が適用されるということで、まるで、「交通安全強化月間」みたいだなあと(但し、たまたまその時期に引っかかると、死刑になったりするから怖い)。これに対し、日本は犯罪の適用が広範な、言わば「魚網式」の法執行であり、そういう意味では、日本の刑罰は決して「軽い」とは言えないと著者は言っています。

 結局、刑罰の背景にはそれぞれの社会特質があり、「権力社会」中国、「法律社会」米国、「文化社会」日本、という著者の分析は、スンナリ腑に落ちる結論でした。

 中国の人民陪審員として、死刑判決を言い渡された被告の様や、銃弾で脳の飛び散った処刑後の姿に立会い(中国は世界の死刑執行の8割を占めると言われる)、裁判官志望から法学研究者に進路を転じたという著者の述懐には、死刑制度について考えさえられる点もありました。

《読書MEMO》
●米国の刑事事件は90%が司法取引で処理され、公式な裁判にはならない。残り10%のうち、約5%は裁判官による裁判で審理され、陪審による裁判になる刑事事件はせいぜい約5%程度(86p)
●中国の死刑罪名の約半分は、経済や金銭のための死刑罪名(97p)
●今の日本では、国民の8割近くが死刑の存置に賛成しているが、これほど高い死刑支持率を保っているのは、日本の死刑執行は(中略)極めて密室的やり方で行われ、ごく少数の関係者以外には誰も死刑執行の場面や状況を見ることも知ることもできないからであろう。もし死刑囚に対する絞首の生々しい場面や過程を一般国民が見聞きできるようになったら、日本での死刑支持率はかなり下がるのではないか(220p)

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要領を得た解説と相俟って、細部の細やかさや奥行きの深さが実感しやすい。

フェルメールの秘密.jpg フェルメール 全点踏破の旅.jpg 朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版)』['06年]
(28 x 23.2 x 1.2 cm) 『フェルメールの秘密 (イメージの森のなかへ)』['08年]

 近年、17世紀の画家ヨハネス・フェルメール(1632‐1675/享年43)がブームで、今年('08年)8月には7点の作品が上野の東京都美術館にやってくるということ(何しろ、生涯で30数点しか描いていない)。

恋するフェルメール.jpg 美術ノンフィクション作家の朽木ゆり子氏の『フェルメール 全点踏破の旅』('06年/集英社新書ヴィジュアル版)なども人気度アップに寄与したのでしょうが、「旅」と謳う通り美術紀行として堪能できるほか、作品1つ1つの意匠や来歴がコンパクトに纏められているので、入門書としても手頃。レイアウト的に見易いし、"ヴィジュアル版"の名に反さない綺麗な写真が収められていますが、ここまでくると"画集"的な要素を求めてしまい、そうした意味では、絵が小さいのが難(新書版だから小さいのは当たり前なのだが)。

有吉 玉青『恋するフェルメール―36作品への旅』['07年]『恋するフェルメール 37作品への旅 (講談社文庫)』['10年]

 その他に、故・有吉佐和子の娘である有吉玉青氏の『恋するフェルメール』('07年/白水社)というのもあり、彼女もやはり17年かけて"全点踏破"したとか。熱心なファンがいるのだなあと感心させられます。

名画を見る眼.jpg 高階秀爾氏によると、彼の作品が脚光を浴びるようになったのは死後2世紀ぐらい経てからで、それまで長きにわたり埋もれていたようですが、氏の『名画を見る眼』('69年/岩波新書)に紹介されているルネッサンス期から印象派初期までの代表的な画家15人の中にも、このフェルメールは入っています。

フェルメール「画家のアトリエ」.jpg 利倉隆氏の『フェルメールの秘密』('08年/二玄社)は、"イメージの森のなかへ"というシリーズの1冊ですが、「ルソー」「レオナルド」「ゴッホ」と並んで刊行されたもので、同じオランダの先輩画家レンブラント(1606‐1669)を差し置いたことになります。
 "イメージの森"と表象される本の構成が面白く、代表作「絵画芸術の寓意(画家のアトリエ)」の解説の仕方がその典型ですが、絵の部分部分(一葉一木)を見せていき、最後に全体(森)を見せていて、驚異的なまでに描き込まれた細部と全体との見事な調和が、インパクトを以って感じられるようになっています(フェルメールは、作品ごとに大きさが随分異なるのも特徴だが、小さいものは"細密画"の観もある)。

 解説はオーソドックスですが、簡潔ながらも要領を得ていて、収録点数は全作品ではないですが、雰囲気的には鑑賞が主眼の「美術書」に近いのではないでしょうか(小中学校の授業みたいな語り口であり、本の構成自体も含め「教材的」とも言えるかも)。
 構図やそこに込められた寓意については、岩波新書の高階氏の本や朽木氏の『フェルメール全点踏破の旅』でも知ることが出来、『全点踏破の旅』でも独特の色使いはわかりますが、この細部の細やかさや奥行きの深さは、本書のような大型本だと、より実感しやすいと思います。

 高階氏は、「フェルメールの作品は、すべてが落着いた静寂さのなかに沈んでおり、一見派手ではないが、決して忘れることのできない力を持っている。彼の本領である光の表現にしても、同時代のレンブラントのようなドラマティックな激しさはなく、また、同じ室内の描写と言っても、ベラスケスのような才気もみられないが、そこには飽くまでも自己の世界を守り抜く優れた芸術家のがあるようである」(『名画を見る眼』)と言っていますが、本書は、その"小宇宙"に触れることができる1冊であるかと思います。

 価格(1,995円)の割には掲載点数の少ないのがやや難かも知れませんが、リブロポートから出ている本格的な画集などになると、もっと値段が張ることになります(2万円)。
 但し、ブームのお陰で、本書のような比較的入手し易い価格の作品集兼解説書のような本が多く出ています。

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路地・家屋に情緒があり、橋の袂・鉄橋下からの目線がペン画のタッチと相俟って新鮮。

両さんと歩く下町.jpg 『両さんと歩く下町―『こち亀』の扉絵で綴る東京情景 (集英社新書)』 秋本 治.jpg 秋本 治 氏

 1976(昭和51)年から週刊少年ジャンプ(集英社)に連載され、単行本で150巻を超える「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(通称"こち亀")の作者・秋本治氏が、東京の下町を背景とした"こち亀"の扉絵(連載の各回の冒頭にくる絵)を集め、下町の情景とその変遷を、まさに歩きながら語ったようなガイドブックで、併せて、作品の中でどのように用いられたかが語られているので、下町の情景を楽しみたい人にも、"こち亀"ファンにも楽しめるものとなっています。

 秋本氏は、亀有の生まれで昭和30年代から東京の下町を見続けてきた人、亀有・千住・浅草・神田・上野・谷中、隅田川に架かる橋の数々などを訪ね歩き、撮った写真から描き起こしたペン画にマンガの主人公たちを配したものを扉絵にしていますが、もともとはマンガの本編の背景だったものが、通常の背景のコマでは大きさなどに制限があるため、扉絵で使ったところ、読者の反響が大きく、いつの間にか扉絵だけで下町情景シリーズのようになったとのこと。

両さんと歩く下町2.jpg 新書見開きの左ページが全部それらの扉絵になっていますが、絵1枚1枚に作者の極私的な思い入れが感じられます。
 下町と言えば狭い路地や商店街、古い家屋に情緒があり、そうした風景を描いたものも多く含まれていますが、橋の袂(たもと)や鉄橋の下などからの目線で描いた絵も多く、ペン画のタッチと相俟って新鮮な印象を受けました(マンガとして読んでいる時は、扉絵や背景画をじっくり味わうということはあまりなかったからなあ)。

 本書は2004年の刊行で、実際に下町に住んで感じるのは、どんどん街が変わっていくということ(本書の中でも定点観察的に同じ場所から見た昔と最近の風景を描いたものがあるあが)、亀有にも'06年には都内最大級のショッピングセンター「アリオ亀有」がオープンしています。
 外から見れば、昔の雰囲気を失わない街であってほしいと思っても、そこで住んでいる人にしてみれば、自分たちの生活が便利になることの方が優先課題かも。
 但し、アサヒビール本社ビルでも大川端リバーシティ21でも、出来てしまえば何となく時間と共に下町の風景に馴染んでくるのが不思議です(隅田川や中川が変わらずにあるというのが1つのポイントだと思う)。

 巻末に著者と山田洋次監督との下町をめぐる対談があり、「寅さんシリーズ」の秘話などを知ることが出来るのも、楽しめるオマケでした。

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懐胡散臭さければ胡散臭いほど"ヴンダーカンマー的"だというキッチュな味わい。

愉悦の蒐集ヴンダーカンマーの謎.jpg愉悦の蒐集ヴンダーカンマーの謎.jpg愉悦の蒐集ヴンダーカンマーの謎 (集英社新書ヴィジュアル版)』〔'07年〕

wunder1.jpg ヴンダーカンマーとは、直訳すれば"不思議の部屋"という意味で、16世紀から18世紀にヨーロッパで盛んに作られ造られ、美術品、貴重品の他に、一角獣の角、人相の浮かび上がった石など珍奇で怪しげな品々が膨大に陳列されていた、博物館の元祖とも言うべきもの。

 本書によれば、もともとはルネサンス期の王侯が城の片隅に珍品を集めた小部屋を造り、客人を招き入れて驚かせたり自慢したりするのが目的だったらしいけれども、バロック期になると王侯や富裕市民は珍品収集に熱をあげ、森羅万象を再現すべく、自然物、人工物、自然と人工の複合物などを "ノアの箱舟"的発想で何でもかんでも蒐集したらしいです。

wunder2.jpg 珍獣の剥製から人の死体を加工しオブジェ化したもの、異国の民芸品から最先端の美術・工芸品まであり、まさに「怪奇博物館」といった感じ。
 昔どこかの寺で見た河童のミイラ(猿と何かの組み合わせだった)とか、かつて温泉街によくあった秘宝館の展示物に通じるような胡散臭さもあり、胡散臭さければ胡散臭いほど"ヴンダーカンマー的"であるというのが、キッチュな味わいがあり面白いです。

 写真が豊富で、綺麗に撮られていますが、実際にそこを訪れれば、もっと迫力が感じられるだろうなあという気がするし、ましてや博物館・民芸館などの施設が無かった当時の人々にとっては、かなり刺激的な"愉悦"だったのではないでしょうか。

 科学的実証主義が浸透すれば消えていく運命にあったヴンダーカンマーであり、雑多なコレクションの多くは美術館にも博物館にも行きそこねたのではないかと思われますが、そうした物を掘り起こそうとしている博物学者もいるわけで、「ニッポン・ブンダーカマー 荒俣宏の驚異宝物館」展の開催('03年)に見られるように、日本にも前からこういうの好きな人、結構いたのかも。

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生き物の謎に対する多面的アプローチをわかりやすく示す良書。

生き物をめぐる4つの「なぜ」.gif生き物をめぐる4つの「なぜ」 (集英社新書)』〔'02年〕hasegawa.jpg 長谷川真理子氏(略歴下記)

 章題に「雄と雌」、「鳥のさえずり」、「鳥の渡り」、「光る動物」、「親による子の世話」などとあり、その謎を解き明かしていくのが本書の目的であるかと思って読み始めましたが、それらの答えが本書で完全に示されているわけではありません。
 「詳細はよくわかっていません」という記述が随所にあります。

 序章にありますが、表題の4つの「なぜ」というのは、ティンバーゲンという動物学者が、『本能の研究』('51年)の序論において,「動物はなぜそのように行動するのか?」という問いに対して、それが、
 1.どのような仕組みであり(至近要因)、
 2.どんな機能をもっていて(究極要因)、
 3.生物の成長に従いどのように獲得され(発達要因)、
 4.どんな進化を経てきたのか(系統進化要因)
 の4つの視点からアプローチすべきであると説いたのを受けています。

 しかし、学校教育における「生物」は、生物の不思議な特徴を、仕組み・目的・発達・進化の4つの要因から読み解くこうした多面的アプローチがなされていない(至近要因=仕組みしか教えていない)ために単なる暗記科目になり、多くの人は高校生の間に「生物」嫌いになってしまうというのが著者の指摘です。

 "多面的アプローチ"というと何か難しそうに聞こえますが、本書では実際にその考察手法により、生き物の様々な面白い面、不思議な面が見えてくることを、事例で示すことで、読者の関心を引きながら実証しています。
 全体を通して一般向けにわかりやすく書かれており、良書だと思います。
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長谷川 真理子 (早稲田大学政治経済学部 教授)
1976年 東京大学理学部生物学科卒業
1983年 東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得退学、理学博士
東京大学理学部助手、専修大学法学部助教授、教授、イェール大学人類学部客員準教授を経て現在、早稲田大学政治経済学部教授。
専門は行動生態学、進化生物学。日本動物学会会長、日本進化学会評議員。著書に、「科学の目 科学のこころ」(岩波新書)、「進化とはなんだろうか」(岩波ジュニア新書)、「生き物をめぐる4つのなぜ」(集英社新書)、「進化と人間行動」(長谷川寿一と共著、東京大学出版会)など

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日本のジャーナリズムの中では見えなかったイチローの一面が見えた。

イチローUSA語録.jpg 『イチローUSA語録』 集英社新書 〔'01年〕 デイヴィッド・シールズ.jpg デイヴィッド・シールズ(略歴下記)

 イチロー語録は何冊か本になっていますが、シアトル在住の米国人作家の編集による本書は、その中でも早くに出版されたもの。雑誌・新聞等に掲載された英文訳のイチローのコメントを再録していますが、渡米1年目の6月ぐらいまでのものしか載っていません。でも、掛け値なしで面白い!

Ichiro.jpg 編者は―「イチローはグラウンドで超人的な離れ業、人間業とも思えない送球や捕球や盗塁やヒットなどを演じ、あとでそれについて質問されると、彼の答えときたら、驚くほかはない。そのプレーを問題にもしないか、否定するか、異を唱えるか、前提から否定してかかるか、あるいは他人の手柄にしてしまう」と驚き、「日本語から英語に訳される過程で、言葉が詩的な美しさを獲得したのだろうか?」と考察していますが、日本語に還元したものを我々が読むと、もっと自然な印象を受けます(彼のプロ意識の控えめな表現だったり、ちょっとマスコミに対して皮肉を言ってみたとか、或いはただインタビューを早く終らせたいだけだったとか)。それでも面白いのです。

 個人的に一番気に入ったのは、シアトルの地元紙に日本の野球に心残りがあるかと聞かれ、「日本の野球に心残りはありません。野球以外では、飼っている犬に会えないのが寂しいけど、グランドでは何もないです」と答えた後、その飼い犬の名前を聞かれて、「彼の許可を得てからでないと教えられません」と言ったというスポーツ・イラストレイテッドの記事。何だか、味わい深い。スポ・イラも丹念だけれども、編者もよくこういうのを拾ってきたなあと言う感じ。例えば、日本でまとめられた"類書"などは、「精神と目標」「準備と訓練」「不安と逆風」...といった構成になっていて、こうなると上記のようなコメントは入る余地がなくなります。日本のジャーナリズムの中では見えてこなかったイチローの一面が見えました。

 イチローはこの年(2001年)、「菊池寛賞」受賞。「国民栄誉賞」は受賞を辞退していますが、こちらは特に辞退せずだったようです。
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デイヴィッド・シールズ
1956年ロサンゼルス生まれ。ブラウン大学卒(英文学専攻)。作家、エッセイスト。ワシントン大学教授(クリエイティヴ・ライティング・プログラム担当)。著作に「ヒーローズ」「リモート」「デッド・ランゲージズ」など。ニューヨーク・タイムズ・マガジン、ヴォーグなどにも寄稿。1999年刊の「ブラック・プラネット」は全米批評家協会賞最終候補となる。シアトルに妻、娘とともに住む。

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現代若者気質も窺え、自分を顧みて冷や汗が出る部分も。

かなり気がかりな日本語.gif  『かなり気がかりな日本語 (集英社新書)』〔'04年〕 野口 恵子(のぐち けいこ).jpg 野口 恵子 氏 (略歴下記)

 日本語と外国語を、外国人と日本人に教えているという著者が、大学生の言葉や流行り言葉、あるいは街角などで耳にする言葉の用法について、その誤りの部分を指摘していますが、単に誤用を指摘するだけでなく、どういう心理からそうした誤用表現を使ってしまうのか、さらにはそれが言語コミュニケーションとしてきちんと成立しているかなどの観点が入っています。ですから、もちろん"正誤"という見方もありますが、"快不快"という捉え方、つまり相手に不快感を与えないということを大事にしていて、その点は類書に比べユニークかも知れません。
 
 一方で、相手を不快にさせまいとして過剰な尊敬表現などを使うあまり、誤用を誘ってしまう言い回しがあったりして、いやあ日本語は難しいなあと思いました。突き詰めると日本語の問題と言うよりコミュニケーション力の問題であって、そうした自分と立場の異なる人とコミュニケーションする訓練がなされないまま、あるいはそれを避けて大人になってしまうのが現代の若者なのかと考えさせられもしました。また、コンビニの「いらしゃいませ」といった定型表現など、コミュニケーションを期待していない表現についての考察も面白かったです。

 「ある意味」「基本的に」「逆に」などの言葉が、本来の意味的役割を失って、婉曲表現や間投詞的に使われているというのは、確かに、という感じで、あまり多用されると聞き苦しいものですが、本人は気づかないことが多いですネ(自分自身も、筆記文などにおいては何となく多用しがちな人間の1人かも知れませんが)。それと本書からは、直裁的言い回しを避ける最近の若者気質のようなものも見えてきて、その点でもなかなか面白かったのですが、時にキッパリと、時にやんわりとした論調の底に、日本語の乱れに対する著者の危惧感が窺えます。 
 
 自分の普段の話し方を振り返って冷や汗が出る部分が多々ありましたが、巻末に「日本語力をつけるためのセルフ・トレーニング」方法があるので、これを実践した方がいいのかな。
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野口 恵子(のぐち けいこ)
1952年生まれ。日本語・フランス語教師。青山学院大学文学部フランス文学科卒業後、パリ第八大学に留学。放送大学「人間の探究」専攻卒、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得退学。フランス語通訳ガイドをへて、90年より大学非常勤講師。文教大学、東京富士大学、東京農工大学で教鞭をとる。

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「わからない」を前提にした自分の方法を探るべきだと。回りくどかった。

「わからない」という方法.jpg 『「わからない」という方法』 集英社新書 〔'01年〕

 著者によれば、20世紀は知識を得ることで何でも答えが出ると思われた「わかる」が当然の時代だったのに対し、21世紀は「わからない」を前提とした時代であり、正解を手に入れさえすれば問題はたちどころに解決すると信じられた時代は終わったのであって、そのような「信仰」は幻想に過ぎないということが明らかになった今、「わからない」を前提にした自分なりの方法を探るべきであると。

 自分の直感を信じ、それに従って突き進むのが著者の言う「わからない」という方法ですが、それには、「俺、なんにもわかんないもんねー」と正面から強行突破する「天を行く方法」と、「わかんない、わかんない」とぼやきながら愚直に失敗を繰り返し、持久力だけで問題を解決する「地を這う方法」があり、著者は実際の自分の仕事がどのような方法でなされたかを例をあげて説明しています。

 『桃尻語訳 枕草子』などの仕事は後者の例で、「わからない」を方法化していく過程が説明されていますが、この人、基本的には「地を這う方法」なのではないか、と思いつつも、全体を通しての著者独特の"回りくどさ"もあり、自分がどれだけ「わからない」という方法に近づけたかやや心もとない感じです。
 「自分の無能を認めて許せよ」という啓蒙的メッセージだけは強く受け止めたつもりですが...。

 '05年に『乱世を生きる-市場原理は嘘かもしれない』(集英社新書)が出た時に、『「わからない」という方法』、『上司は思いつきでものを言う』に続く"橋本治流ビジネス書の待望の第3弾!"とあり、ああこれらはやっぱりビジネス書だったんだなあと...。

 前半部分「企画書社会のウソと本当」の部分で、「企画書の根本は意外性と確実性」だと喝破しており、「確実性」とはもっともらしさであるということを、「管理職のピラミッド」の中にいる「上司」の思考行動パターンへの対処策として述べていて、この辺りは『上司は思いつきでものを言う』への前振りになっているなあと思いました。

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「組織心理学」から「組織論」、「文化社会学」的な話へと展開。

上司は思いつきでものを言う.jpg  『上司は思いつきでものを言う』 集英社新書 〔'04年〕 橋本 治.jpg 橋本 治 氏 (略歴下記)

 このタイトルに、誰もが自分の会社のことだと思うのではないでしょうか。著者独特のやや回りくどい言い回しも、本書に関しては「そうだ、そうだ」というカタルシスの方が勝り、それほど気になりませんでした。

 「埴輪の製造販売」会社での会議の例え話で、「埋葬品でなく美術品としての埴輪を」という部下の提案に対し、上司の「いっそ、ウチもコンビニをやろう」というトンチンカン発言に会社の決定が靡いていく様は、企業の中にある「ありふれた不条理」をうまく描いていると思いました。

 著者によれば、結局、上司とは現場という"故郷"を離れ、管理職という"都会"に住む先輩で、田舎の青年団の後輩(部下)が持ってきた村おこしプラン(企画)に対し、故郷をバカにしている先輩はアラ探しをし、故郷を愛し過ぎている先輩は、自分も青年団の一員になったような錯覚に陥り、いずれの場合も「思いつきでものを言う」のであると。

 「組織心理学」の話かと思い読み進むと、日本の会社の下から上への流れがない組織的特徴を指摘する「組織論」そのものの話になり、さらに中国から伝わった儒教が日本的変容を遂げて、官僚や企業組織の中にどのように反映されたかという、「文化社会学」的な話になってきます。
 
 確かに本書については、前書きにサラリーマン社会の欠点を書こうとしたとあるように、そのあたりが著者の最も言いたかったことなのかも知れませんが、こうした歴史文化論的分析に対しては、賛否が割れるとかも知れません。

 一方、こうした困った上司への対処法としては、その場で「ええーっ」と呆れればいいと。
 個人的には、このやり方自体にさほど現実味を感じず(実践している人はいるかも知れないが)、これらも含めて、そういう下からの声が無さ過ぎるのだという著者の批判の一形態としてこれを捉えた次第です。
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橋本 治(はしもと おさむ)
1948年、東京生まれ。作家。東京大学文学部国文科卒。77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作受賞。以後、小説、評論、戯曲、古典現代語訳、エッセイ、芝居の演出等で幅広い創作活動を続ける。主な著作に『江戸にフランス革命を!』『窯変源氏物語』『ひらがな日本美術史』等。『宗教なんかこわくない!』で第9回新潮学芸賞、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で第1回小林秀雄賞を受賞している。

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