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「詩による人生論の試み」。生死・男女を巡る思惟、時間に対する省察―面白かった。

無為について.JPG無為について (講談社学術文庫)』['88年]上田三四二.jpg 上田三四二(1923-1989/享年65)

 兵庫県小野市出身、京都帝国大医学部卒で、結核の専門医として先ずその名を世間に知られ、歌人であり作家であり文芸評論家でもあった上田三四二(うえだ みよじ)の著作で(この人の没日は平成元年1月8日で平成の第1日目だった)、同じ講談社現代新書に『短歌一生』『徒然草を読む』などの著作も収められていますが、本書は人世論風エッセイ集です。

 「老年について」「壮年の位置について」「無為について」など25篇から成り、著者が言うように「美文」を意識して書かれていますが、「美文」そのものが目的では無く、学術文庫の帯には「詩による人生論の試み」とあります。

 主に生(性)と死を巡る"随想"乃至"思惟"と言えばいいのか、随所に詩人の物の考え方が浮き彫りにされていて、一方で、理系的な明晰且つ論理的思考も織り込まれているように思いました。

 しかも、一見達観しているように見えて、内実はかなり「性」「男と女」に関することで占められており、赤裸々な記述もあったりしますが、これは、オリジナルが、著者が39歳の時に刊行されたもの(1963年・白玉書房刊)であることによるのかもしれません。
 "赤裸々"と言っても、論理的美文調ですから、例えば以下のような記述になるのですが...(何だかいっぱい引用したくなってしまいそう)。

「衣服について」―ストッキングだけの脚を一方に置き、他方に爪先もあらわさぬ法官の寛衣をもってくると、奇怪さは後者において一段と著しい。性には退廃はあっても欺瞞はない。(中略)衣服は二つの典型を持つ。所与たる自然としての身体を、一層美化し明確にし認識をもたらすための衣服と、この自然形態たる首から下を、無視し隠蔽し忘却せしめるための衣服と。前者はほとんど女性に属し、後者は多くは男性のものである。(63p)

「ナルシスムについて」―女のなかに自己を確認し、鏡の中の自己を忘却することは男たるものの本意である。すべての男はこういう女への献身の中にその生涯を顕現するのだが、ただナルシストだけはちがう。(75-76p)

「愛と死について」―花嫁の美しい装いは、愛が全裸であることの羞恥が生んだ面はゆい智慧である。また棺をかざる錦繍は、死の絶対の孤独を隠蔽する甲斐なくおろかな祈願である。(83p)

「女性について」―(海水浴場で)一体女性は男性にくらべて、こういう解放的な雰囲気の中で一層自由に、快活に、そうして陶酔にいたるのはどうしてだろう。(中略)水の中の女性はほとんどニンフである。彼女等はクピオドの箭を望んで、その眼ざしはすでに酔っている。(95p)

「旅について」―道ゆく人がほしいままに口をつけ、泉はつねに新しい。そんな娼婦に私はいつか逢うときはないだろうか。(114p)

「記憶について」―子供の頬があんなに輝き、言葉がまるで光のようなのは、彼に人類の記憶というものがなからだ。彼は記憶を持たない、ただ遺伝質をもっている。(中略)過去は私の背後に電線のように続いているのではない。電柱のように並んでいる。電柱と電柱の間の記憶を私は持たない。その空間は私にとって死の空間であり、このおびただしい記憶の欠落の野のなかに、私の過去の傷ついた記憶―電柱だけが黒々と並んでいる。(153-154p)

「都市について」―ウェイトレスが私の前にコーヒーを置く。その腕は露わで、足は素足である。胸は、薄い制服の下で春の泉のように盛り上がっている。都市はいま春である。いや、常に春なのであろう。(中略)この巨大な有機体は快楽を目指す。そして札束は、快楽追求のための酸素であり、免罪符である。(169p)

「演劇とスポーツについて」―朝毎の新聞に、スポーツ欄だけがすがすがしい。なまの現実をはこぶ新聞の、ここだけが生活を遮断して、無用の営みのなかに爽やかな創意をくりひろげている。しかし活字は蒼ざめた模写である。だから人は実況放送に耳をかたむけ、テレビを通して競技場に侵入し、更にはスタンドの固い席に現身をはこんで、目のあたりに懸命な選手たちに声援を送るのである。(176p)

 最初の方の「壮年の位置について」の中に「老年の観念性は思い出という経験の実体によって重い。(中略)思い出は、冬のさなか、不意に薄衣を手にしたときの驚きに似ている。そして思い出の重さは、彼がかつての夏の日、なし得た行為の量如何にかかっている。壮年だけが、彼にとっての存在であったからだ」(23p)とあり、そうかもしれないなあと思いましたが、30代で書いているんだなあ、こんなことを。

 本書のタイトルとなっている「無為について」の中には、「無為のなかで、私はついぞ退屈した記憶がない」(32p)とあり、「私は書物によって倦怠から自由になり、無為をゆたかな閑暇にまで高めようとしている。これもまた妄執の一つであろう」(33p)としています。

 大病をしながらも晩年まで活発な評論活動を行った人ですが、本書はその大病をする前に書かれたものでありながら、すでに、生命や生きている時間というものに対する深い省察が見られ、また、読んでいてなかなか面白かったです。
 またいつか読み返すと、その時はその時で、また違った箇所を引用したくなるかもしれません。

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入門書の体裁をとりながらも、北森神学の特徴が随所に。聖書の物語の映像化は難しい?

聖書の読み方 講談社現代新書.gif 『聖書の読み方 (講談社現代新書 266)』 ['71年] 聖書の読み方 講談社学術文庫.jpg 『聖書の読み方 (講談社学術文庫)』 ['06年]

kitamori.jpg聖書の読み方 .jpg 北森嘉蔵(きたもり・かぞう、1916‐1998/享年82)は、文芸評論家であり牧師でもある佐古純一郎・二松学舎大学名誉教授の言葉を借りれば、キリスト教が日本の社会で市民権をもつために決定的な貫献をなした人物とのことで、若かりし時から天才ぶりを発揮し、30歳そこそこで発表した『神の痛みの神学』('46年発表)は教会内外に波紋を投げかけ、この人の神学は「北森神学」とも呼ばれていますが、本書は、50代半ば頃に書かれた一般向けの聖書入門書、但し、「北森神学」の入門書になっている面もあるようです。

 著者が本書で提唱している初学者向けの聖書の読み方は、「新幹線から各駅停車へ」というもので、初めて聖書を読むとわからないところばかりで、感動して立ち止まるような箇所はなかなか無いだろうけれども、そういう箇所に出会うまではノン・ストップでひたすら読んでいって構わないと。そのうち、そうした感動出来る箇所に出会うだろうから、そうした時にだけじっくり読めばよく、「あらゆる箇所で感動して停止せねばならぬ」ことはない、但し、これを繰り返すと、次第に感動出来る箇所が増え「各駅停車」の読み方になってくるといことで、そのベースにある考え方は、感動は自発的なものであって、義務ではないということです。

奇跡.jpg 日本人が聖書を読んでよく引っ掛かるのが「奇跡」に関することですが、著者は、「奇跡」と「異象(異常な現象)」とは別であり、現象として信仰の有無に関係なく、誰にも認識できるものは(現象化されたもの)は「奇跡」ではなく「異常な現象」であり、「奇跡」とは認識の対象ではなく、現象の背後にあるものに対する信仰の対象であるとしていて、こうした見方を通して、処女降臨やキリストの復活をどう読むかが、分かり易く解説されています。

 この箇所を読んで思い出すのが、カール・テオドア・ドライヤー「奇跡」('54年/デンマーク)という映画で(原題"Ordet"の意味は「言葉」)、1930年頃のデンマークという比較的現代劇に近い状況設定において、それまでの家族間の愛憎を写実的に描いた流れの中で、実際に復活の奇跡が起きるというラストは、大いに感動させられる一方で、どこか別の部分で、奇跡を真面目に映像化するのは難しいなあと思ったりもしました。

奇跡 岩波ホール.jpgドライヤー奇跡.jpg '08年にBS2でも放映されましたが、同じような印象を再度受け、映画そのものは静謐なリアリズムを湛えた、恐ろしいほどの美しさのモノクロ映画で、まさに自分の好みでしたが、最後に奇跡を映像で目の当たりに見せられると、すごい冒険をやってのけたという感じはするものの、所詮、映画ではないかという思いがどこかでちらつく面もありました(これを北森嘉蔵流に言えば、事象を見ているからだということになるのか)。

 「奇跡」●原題:ORDET●制作年:1955年●制作国:デンマーク●監督・脚本:カール・テオドア・ドライヤー●製作:エーリク・ニールセン●撮影:ヘニング・ベンツセン●音楽:ポール・シーアベック●原作:カイ・ムンク ●時間:126分●出演:プレベン・レアドーフ・リュエ/ヘンリック・マルベア/ビアギッテ・フェザースピール/カイ・クリスチアンセン/エーミール・ハス・クリステンセン●日本公開:1979/02●配給:フランス映画社●最初に観た場所:岩波ホール (79-02-27) (評価:★★★★)

 本書の本編(2章「聖書そのものへ」)では、旧約・新約の主だった"立ち止まり所"を13箇所ほど紹介していますが、その選び方に著者の特徴がよく表れていてます。
 
 例えば、創世記17章17-19節で、アブラハムが神との契約により100歳近くなって妻サラとの間に子イサクを授かる前、サラは奴隷女のハガルを夫に遣わしてイシマエルを生ませるも、ハガルがサラを敬わなくなったためにハガル親子を放逐したという話は、まるで正妻と側室の三角関係のような話ですが、アブラハムもサラも神の恩寵を最初は信じていなかった(神の言葉を虚無と感じた)ことを大きなポイントとしながらも、ハガル親子に対する見方が、旧約と新約(パウロ)で異なる点に着眼しているのが興味深く(旧約では恩寵を得ているが、新約では悪役的)、新約の律法的性格を指摘するとともに、その必然性を解説しています。

 少なくとも旧約においてハガル親子はアラビア十二族の先祖となる恩寵に浴しているわけですが、続く土師記16章のサムソンとデリラの物語の解説においても、サムソンを「無明」の者の象徴とし、そうしたスキャンダラスで、本来は聖書に登場する資格のないような者まで登場させ、且つ、その者に最終的には救いを与えたとする点に、聖書という物語の特徴を見出すと共に、ここでも旧約と新約の関係性において、サムソンをイエス・キリストの"透かし模様"と見ているのが興味深いです。

Samson-and-Delilah.jpgサムソンとデリラ.jpg この物語は、セシル・B・デミル監督により「サムソンとデリラ」('49年/米)という映画作品になっていて、ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」('46年/米)でドク・ホリデイを演じたヴィクター・マチュア(1913-1999)が主演しました。往々にして怪力男は純粋というか単純というか、デリサムソンとデリラ-s.jpgラのような悪女にコロっと騙されるというパターナルな話であり(アブラハム、サラ、ハガルの三角関係同様に?)、全体にややダルい感じがしなくも無いけれど、ヴィクター・マチュアの"コナン時代"のアーノルド・シュワルツネッガーのようなマッチョぶりは様になっていました。最後の方で、髪を切られて怪力を失ったサムソンが囚われの身となり神に嘆願するシーンはストレートに胸をうち、ラストの神から力を得て大寺院を崩壊させるスペクタルシーンは圧巻、それまで結構だらだら観ていたのに、最後ばかりは思わず力が入り、また、泣けました(カタルシスだけで終わってはマズイいんだろうけれど・・・。と言って、勝手にストーリーを変えたりすることも出来ないだろうし、聖書の物語の映像化は案外と難しい?)

安藤美姫.jpg これ、オペラにもなっていて、カミーユ・サン=サーンスが作曲したテーマ曲はフィギアスケートの安藤美姫選手が以前SP(ショート・プログラム)で使っていましたが、その時の衣装もこの物語をイメージしたものなのかなあ。

「サムソンサムソン&デリラ      30dvd.jpgサムソとデリラ 20dvd.jpgとデリラ」●原題:SAMSON AND DELILAH●制作年:1949年●制作国:アメリカ●監督・製作:セシル・B・デミル●脚本:ジェシー・L・ラスキー・ジュニア/フレドリック・M・フランク●撮影:ジョージ・バーンズ●音楽:ヴィクター・ヤング●原作:ハロルド・ラム●時間:128分●出演:ヴィクター・マチュア/ヘディ・ラマー/ジョージ・サンダース/アンジェラ・ランズベリー/ヘンリー・ウィルコクスン●日本公開:1952/02●配給:パラマウント日本支社(評価:★★★☆) 

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詳しく書かれていて、且つ分かり易い。解説書でありながら、ロマンを掻き立てられる。

人類の進化史 埴原和郎.jpg   人類の進化.jpg  東京大学名誉教授 埴原 和郎(はにはら かずろう).jpg 埴原和郎(はにはら かずろう)
人類の進化史―20世紀の総括 (講談社学術文庫)』['04年] 『人類と進化 試練と淘汰の道のり―未来へつなぐ500万年の歴史』 ['00年]

 本書の著者である人類学者の埴原和郎(1927-2004/享年77)東大名誉教授が1991年に提唱した日本人の起源についての「二重構造論」(東南アジア系の縄文人が居住していた日本列島に、東北アジア系の弥生人が流入して混血して現在に至っているという説)は、発表当初は多くの批判を浴びましたが、「日本人の重層性」という考えは、今は主流の学説になっています。

 本書は、その埴原博士が人類の進化史全般について解説したもので、『人類と進化 試練と淘汰の道のり―未来へつなぐ500万年の歴史』('00年/講談社)を底本とし、学術文庫に収めるにあたって、'00年以降'04年までの人類学の新たな成果が書き加えられています(結果的に学術文庫の方が単行本よりややページ数が多くなっている(321p→334p))。

 「章立て」を見てもわかりますが、テーマごとに年代を区切り、500万年前に二本足で直立歩行する猿人が出現し、それが現代型ヒト(サピエンス)に進化していくまでが丹念に解説されていて、詳しく書かれているだけでなく、文章もたいへん読み易いものであり、もともと形質人類学者なので、形質(骨)に関する記述は特に丁寧ですが、それだけでなく、遺伝(分子生物)学・地球環境学など広範な学問領域の研究成果が織り込まれています。

「新人アフリカ単一起源説」に基づいて描いた新人(現代型サピエンス)の拡散
「新人アフリカ単一起源説」.jpg 個人的には、やはり、人類の「出アフリカ」の解説部分が特にロマンを掻き立てられましたが、猿人から原人にかけての進化がアフリカで起こり、エレクトス原人のグループが初めてアフリカを出たのが100万年以上前だったと考えられるとのことで、現代人はアフリカからヨーロッパ、アジアに渡った原人の子孫であるという「多地域進化説」が当初は優勢だった―ところが、そこへ、「イブ説」という「全ての現代人(サピエンス)は、およそ20万年前にアフリカで生きていたあるグループの女性の子孫だ」という遺伝子学からの学説が出てきて、様々な修正を加えられながらも現在では「単系統進化説」が優位学説であるとのこと。

 また、本書では、ネアンデルタール人についての記述が特に詳しく、ネアンデルタール人は、30万年前に原ネアンデルタール人が出現し(祖先はハイデルベルゲンシス原人ではないかと考えられているが、この原人の"故郷"がどこかについてはアフリカ説、ヨーロッパ説など諸説ある)、寒冷気候に適応しながらヨーロッパと西アジアの全域に分布していったにも関わらず3万年前までには全て絶滅してしまったとのことですが、その間に、後に「出アフリカ」を果たしたホモ・サピエンスとの間に、"交流"はあったが"混血"は無かったとのことです。

 文庫化にあたって書き加えられた4年間の人類学の研究・発見成果だけでも様々なものがありますが、とりわけ、最古の人類化石サヘラントロプス・チャデンシスの発見により人類の起源が一気に200万年も以前に遡ったことは画期的であり、他書なども併せ読むとよりよく分かりますが、猿人・原人の細分化が近年特に進んでいるように思えます。

 また、底本の段階で既に触れられてますが、「多地域進化説」が必ずしも全否定できないものとなってきていることが窺えるのが興味深く、一方で、アフリカで起きたサピエンスが、コイサンとニグロイドといった分化だけでなく、アフリカ内部においてもかなりの多様性を持ったものであったと推察されること(黒人しかいなかったわけではない)も、近年の研究成果として注目していいのではないかと思います。
 日本人の起源についての著者の「二重構造論」についても、それまで述べてきた人類全体の進化史の流れの中で分かり易く解説されていて、解説書でありながらも読みどころ満載という感じです。

埴原和郎2.png 学術文庫刊行と時同じくして著者は肺がんで亡くなっていますが、生前からダンディな合理主義者で知られ、遺言により供花・香典を固辞し会葬を執り行わなかったこと、その死がマスコミにより報じられたのは、近親者による密葬が終わった後でした。

《読書MEMO》
●章立て
第1章 サルからヒトへの関門(‐500万年前ごろ)
第2章 生き残りをかけた猿人たちの選択(500万‐100万年前ごろ)
第3章 文化に目覚めたヒトの予備軍(250万‐23万年前ごろ)
第4章 直立したヒト、アフリカを出る(170万‐20万年前ごろ)
第5章 少しずつ見えてきた現代人への道すじ(60万‐23万年前ごろ)
第6章 氷期に適応したネアンデルタール人(20万‐3万年前ごろ)
第7章 多様化していく現代型のヒト(20万‐2万年前ごろ)
第8章 集団移動と混血をくり返しながら(3万‐1万年前ごろ)
第9章 ついに太平洋を越えて(4万年前ごろ‐)
第10章 進化に学ぶヒトの未来

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著者の「殉死」についての考察の原点とも言える本。もっと早く文庫化して欲しかった。

殉死の構造 学術文庫.jpg 『殉死の構造 (講談社学術文庫)』 殉死の構造 (叢書 死の文化).jpg殉死の構造 (叢書 死の文化)』['93年]

 '08年に講談社学術文庫に収められたものですが、元本は'93年に弘文堂から「叢書・死の文化」の1冊として書き下ろされ、その後の著者の「殉死」について考察した本の原点とも言えるものであり、15年を経ての文庫化ということになります。

 森鷗外の『阿部一族』は、明治天皇に殉死した乃木希典の事件が契機となって書かれたそうですが、乃木が殉死したのは、明治天皇への忠義のためとか、西南戦争で西郷軍に軍旗を奪われ、明治天皇の慰留により命を助けられたことを苦にしたためというものではなく、日露戦争の旅順攻防戦で多くの犠牲者を出した責任感からだと考えられるとしていて(司馬遼太郎は『坂の上の雲』で、日本戦争史において、乃木ほど多くの兵士を無駄死にさせた無能将軍はないとしている)、個人的にはそうあって欲しいと思いますが、ならば何故そう言わなかったのかなあ。乃木流に考えても、「陛下の軍人」を何万も死なせたわけだし。

武士と世間 なぜ死に急ぐのか.jpg その『阿部一族』に出てくる殉死騒動は、鷗外が参照した史料そのものに脚色があり、実は阿部弥一右衛門はしっかり他の者と一緒に殉死していたというのは、武士と世間-なぜ死に急ぐのか』('03年/中公新書)にもありました。
 また、所謂「忠臣蔵」での赤穂浪士たちの死を覚悟した討ち入りが、主君への忠誠によるものというより、自らの武士の一分、つまり面子のためのものであったということも、『武士と世間』ほか、幾つかの新書本で触れています。

 江戸初期に小姓に殉死が多く見られたのは、心中する男女間の心性と同じものが、時に男色関係にあった主君と小姓の間にあったためだそうです。
 しかし、それほど寵愛もされなかった下級武士にも殉死者が少なくなかったのは、「殉死」のルーツは、戦国時代から江戸初期に引き継がれた「かぶき者」という荒々しい武断的な風潮にあり、戦国時代が終わって戦いの場を失った武士たちが、その「武士のアイデンティ」の発露として、主君が亡くなった際に追い腹を切るということが流行のようになったためであるとのこと。

 また「世間」も、このような戦国的武士像を武士に求めていたため、死ぬべき時にしなないと「武士の一分」が立たないということになり、元禄期の殉死になると、自分自身の意地と共に、こうした世間の評判に対する顧慮が、その大きな動機要因になっていたと考えられるとしています。

 「学術文庫」ですが読み易いです。但し、前述の通り、後で書かれたこの著者の本を何冊か読んでしまったので、自分にとっては"繰り返し"になってしまい、新味が薄かったのも正直な感想です(その分、星1つ減。もっと早く文庫化して欲しかった)。

 文中に、神坂次郎氏の元禄御畳奉行の日記』('84年/中公新書)氏家幹人氏の江戸藩邸物語』('88年/中公新書)を参照している部分がありますが、著者自身も『参勤交代』(98年/講談社現代新書)を皮切りに、一般読者向けの新書本を著わすようになり、夕刊紙の連載などもしています。

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中国で無断出版されたほどの名著? 読み易く、トピックスは豊富。父親譲りの文学の香り。

吉川 忠夫 『秦の始皇帝』.jpg 『秦の始皇帝 (講談社学術文庫)』 ['02年] 秦の始皇帝.jpg 『秦の始皇帝―焚書坑儒を好しとして (中国の英傑)』 ['86年]

 '02年に講談社学術文庫に収められたものですが、元本は'86年に集英社から「中国の英傑シリーズ」の1冊として刊行されたもので、1937年生まれの著者の40歳代最後の仕事であるとのこと(16年を経ての文庫化ということになる)。

 著者の父親は、『新唐詩選』('52年/岩波新書)などで知られる中国文学者・吉川幸次郎(1904‐1980)で、この人の『漢の武帝』('49年/岩波新書)は読み易く、また武帝という人の性格や生き様が小説のように描かれていて面白かったですが、こちらも学術文庫にしては読み易い方ではないでしょうか。
 勿論これも小説ではないのですが、史書・史料に対して明確に肯定も否定もすることなく、そのまま引いている部分が多いため、小説のように読めてしまいます(明らかに伝説的な部分は、「〜だったという」「〜したという」という表現になっている)。

 書かれたのが丁度、中国の著名な文学者・歴史家だった郭沫若(この人、文化大革命の時に"自己批判"させられた知識人の1人)が、始皇帝の実父は呂不韋であるという『史記』の記述及び通説(言わば、私生児論)に対して否定論を発表した頃で、著者は、本書第1章の「奇貨居くべし」に「始皇帝は呂不韋の子か」という副題をつけ、その郭沫若の論を紹介していますが、著者自身が、始皇帝の父親が呂不韋であることを「半月前には深く信じて疑わなかった」ためもあってか、ここでも、郭沫若の論を明確に支持することはしていません。

 始皇帝・私生児論を否定するということは、秦王朝の正当性を否定すると言うより、始皇帝の英雄性を否定することに繋がるのでしょうか。
 何れにせよ、文化大革命の時に持ち上げられた始皇帝に対するネガティブ評価ということになりますが、郭沫若の立ち位置が、寡聞にしてよくわかりません。

 白黒はっきりしない著者の姿勢に苛立ちを覚える読者もいるかも知れませんが、読者に始皇帝の「内面世界」に触れて欲しいとの思いから本書を書いたとのことで、個人的には、"親父さん"同様、自分との相性は悪くありませんでした。
 淡々と書いてあるけれども、何となく文学の香りがすると言うのか、大体、元の史書・史料の記述が文学的(小説的)なんだよなあ。

 多くの出来事を拾っていて、内容の密度は濃く、必要に応じて春秋戦国の故事、更には堯舜伝説にまで遡りますが、これは、諸国の王の顧問となった学士や参謀が、王を説得する際に故事を引くからであって、丁寧な解説であると共に、中国の思想の古(いにしえ)からの変遷を探ることが出来、更には、秦帝国に関する中世から近現代の文献研究なども織り込まれています。

 一方で、著者は70年代の訪中に続き、'82年と'84年にも兵馬俑博物館や始皇帝の陵墓を訪れるなどしていますが、考古学的な話は、始皇帝陵に関する部分にほぼ限られており、やはりこの人は、文学・思想系の歴史学者なのだなあと("親父さん"寄り?)。

 学術文庫版の冒頭に面白いエピソードがあり、それは、'89年に元本の中国語訳が、著者に無断で中国で刊行されたというもの。
 中国語版のサブタイトルは「英雄か、それとも暴君か」(本書はこれには結論を出していない)で、集英社版の元本に編集者によって付けられていたサブタイトル「焚書坑儒を好しとして」(これは無茶苦茶)に比べるとまだ良いと著者はしていますが、中国人の訳者は元本の内容に賛辞を贈っているものの、著者名が「忠夫」でなくて「中夫」になっていたということです。

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オバケと幽霊の違い、3つ言えますか?

妖怪談義.jpg               修道社 妖怪談義.jpg         柳田国男.jpg  柳田 國男
妖怪談義 (1977年)』 講談社学術文庫 『妖怪談義』(1956年12月/修道社) 

 学生時代に、サークルの同級生に、柳田國男の生家近くの網元の息子がいて、そこで『遠野物語』をテーマに読書会合宿をしましたが、大きな梁のある古色蒼然とした家屋で、シズル感満点でした(彼は今、新聞記者になってイラクにいる)。
 本書もその頃に読んだ本で、民俗学者の柳田國男が、明治末期から昭和初期にかけての自らの妖怪に関する論考(民俗学的エッセイ?)を1冊に纏めたもの。オリジナルは1956年の刊行ですが、荒俣宏氏は本書を「妖怪学の基本書」と言っています。

 妖怪とは化け物、つまりオバケのことであり、本書では、何故オバケを研究するのかということをはじめ、幽霊とオバケの違い、オバケは古い神が落ちぶれた姿であるという柳田の考え方などが示されるとともに、川童、小豆洗い、団三郎、狐、ひだる神、ザシキワラシ、山姥、山男、狒々、チンコロ、大人弥五郎、一つ目小僧、天狗などに関する伝聞が紹介されており、また、それらの起源についての彼自身の考察などが記されています。

 柳田によれば、日本人が第一に持っている感情は畏怖感、つまり恐怖の感情であり、それが様々に変化してオバケを生み出したということで、オバケを研究することは、日本の歴史における畏怖や恐怖の原始的な文化の型を捉え明らかにしていくことであり、それにより、日本人の人生観や信仰、宗教の変化を知ることができるのではないかとしています。

 但し、柳田の「妖怪は神の零落した姿である」との考えに対しては、まず初めに神のみが存在し、妖怪は最初いなかったということになり、おかしいのではないかという反駁もあり、個人的には、イスラーム文化における「ジン(一種の妖怪)」に、まさに妖怪型のジンもいれば、善玉のジンもいる(イスラームの土俗信仰は多神教だった)ように、神と妖怪は表裏一体のものとして同時に併存したのではないかと考えます。

 因みに、本書によれば、オバケと幽霊の違いは―、
 第1にオバケは出現する場所が大体定まっているため、そこを避けて通れば一生出くわすことなないけれども、幽霊の方は、「足がないという説があるにもかかわらず、てくてくと向こうからやってきた」こと、
 第2に、化け物は相手を選ばず、「むしろ平々凡々の多数に向かって、交渉を開こうとしていたかに見える」のに対し、幽霊は、これぞと思う者だけに思い知らせようとするものであり、暗い野路を通る時に"幽霊"が出るのではとビクつく人は、人に恨まれる覚えがないならば、オバケと幽霊を混同しているのだと。
 オバケと幽霊の第3の違いは「時刻」であり、幽霊は"丑みつ時"が知られていますが、実際には"丑みつ時"に限らずいろいろな折に出るらしく、一方オバケの方は、大概は宵と暁が多いとのこと。「人に見られて怖がられるためには、少なくとも夜ふけて草木も眠るという暗闇の中へ出かけてみたところで商売にならない」とのことです。

【1977年文庫化[講談社学術文庫]/2013年再文庫化[角川ソフィア文庫]】

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日本人に対する「縮み」志向という捉え方は、その役割を終えていない(四方田犬彦)。

「縮み」志向の日本人 (1982年).jpg 「縮み」志向の日本人.bmp    「縮み」志向の日本人2.jpg 「縮み」志向の日本人3.jpg  李御寧(イー・オリョン).bmp 李御寧 氏
学生社['82年]/学生社['84年改版版]/講談社文庫 ['84年]/講談社学術文庫 ['07年]

 日韓両国の文化に造詣の深い李御寧(イー・オリョン)氏による、韓国文化との比較を念頭においた日本文化論。

 日本文化の根底にはものごとを縮小する原理が横たわっていることを、一寸法師の説話、万葉集、扇、神棚、石庭、俳句などの文化・伝統面だけでなく、電卓、LSI技術など、日本が得手とする技術開発までも引き徹底検証してみせていて、盆栽、生け花、床の間からパチンコ、ウォークマンまで、こう次々と指摘されると、日本人が「小さいもの」への志向・嗜好・思考傾向を持っていることを認めざるを得ず、何だか初めて自分たちの民族的心性を知らされたような思いで、むしろ痛快でした。

 著者が日本の縮小志向の代表例として挙げている者に俳句がありますが、 韓国にも短詩型文学はあるものの、17文字で完結する俳句に比べ3倍ほどの長さがあり、やはり俳句は世界で最も短い文芸型なのだ―、こうしたことからも、日本には"極端な"「縮み」志向があると著者は言い、その「縮み」志向を更に、入籠型(込める)、扇型(折り畳む)、姉さま人形型(削り取る)、折詰弁当型(詰める)、能面型(構える)、紋章型(凝らせる)の6つの類型に分けて解説しています。
 例えば「削り取る」は、漢字から部首だけを取り出してひらがなを作ったことなどもそれに該当し、「構える」は能における動作の簡略化がもたらす演劇的効果などに、「凝らせる」は、昔で言えば家紋や屋号、今で言えば名刺にそれが現れていると―。なるほど、なるほど、という感じ。

 著者は更に、雪月花を愛でる慣習などを引きながら、日本人は自然と全面的に対峙するのではなくて、その美の一部を切り取って引き寄せることが重視してきたのであり、日本の「縮みの歴史」は「ハサミの歴史」でもあったのではないかと述べています。

「かわいい」論.jpg この本を久しぶりに読んだのは、四方田犬彦氏が『「かわいい」論』('05年/ちくま新書)の中で本書をとり上げ、彼自身は文化資本主義的な考え方に与するものではなく(本書の李氏の論調は、日本人は単一民族であり一枚岩であることが前提となっている)、また、盆栽が日本よりもヴェトナム・中国の方が盛んであるように、「小さいもの」への憧憬は日本独自のものとは言えないとしながらも、韓国人と日本人のものの考え方の違いを理解するうえで、本書が大いに参考になったとしていることで思い出したためであり、四方田氏は、日韓の文化交流で両国の文化の違いが曖昧になったかのように見える現代でも、日本人に対する「縮み」志向という捉え方は、その役割を終えていないとしています。
 但し、四方田氏が自著で日本人の「小さいもの」志向の1つとして取り上げている「プリクラ」などは、韓国に上陸するや、より多様な発展を遂げたという現象も片やあるわけで、四方田氏は李御寧先生の顰め面が浮かぶと述べていました。

 【1984年文庫化[講談社文庫]/2007年再文庫化[講談社学術文庫]】

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江戸前期の「忘れられた国際人」雨森芳洲の業績と思想、生き方に迫る。

雨森芳洲 元禄享保の国際人.jpg雨森芳洲―元禄享保の国際人 (中公新書)』〔'89年〕 雨森芳洲.jpg 『雨森芳洲―元禄享保の国際人 (講談社学術文庫)』 〔'05年〕

 1990(平成2)年度「サントリー学芸賞」(社会・風俗部門)受賞作。
 雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう、1668‐1755)は、対馬藩で対朝鮮外交に当たった儒者ですが、「忘れられた国際人」と呼ばれるに相応しいこの人物の業績と思想を、本書では丹念に掘り起こしています。

izuharamap.gif 芳洲には、①朝鮮語の語学者、②外交担当者、③民族対等の観点に立つ思想家、の3つの顔があり、また漢籍を能くし漢詩をこなす文人でもあります。
 もともと新井白石と同じ木下順庵門下として朱子学を学び、26歳で対馬藩に就職しますが、白石が5代将軍徳川綱吉のもと幕府中枢で活躍したのに対し、芳洲は88歳で没するまで62年間、対馬島の厳原(いずはら、現厳原町)が生活の本拠でした。
 同門の白石が政権の座についたことで、自身も幕府に引き立てられる望みを抱いていましたが、白石の失墜でそれも叶わぬ望みとなり、朝鮮外交で20年以上も活躍しましたが、54歳で現役を退いています。

 在任中に朝鮮の外交特使である朝鮮通信使の待遇問題などで白石と対立しますが、そこで論じられる両者の国体論などはなかなか面白い。
 考えてみれば、当時の日本というのは天皇と将軍がいて外国から見ればややこしかったわけですが、議論としては白石よりも芳洲の方が筋が通っている、それも、相手をやり込めるための議論ではなく、相手国・朝鮮の立場を尊重し、かつ日本の国体を、時勢によらず正しく捉えることで、国としての威信を損なわないようにしている、言わば辣腕家ではあるが、細心の配慮ができる人です(論争後も白石との友情は続いた)。

 朝鮮通信使が相対する日本側の儒者や政治家の教養や芸術的資質を重視し、詩作の競争などを通じて相手のレベルを測っていたというのが興味深いですが、芳洲に対する朝鮮通信使の評価は高く、また、人格面でも大概の通信史たちが惹かれたようです。
 それ以前に、まず、芳洲の中国語と韓国語の語学力に圧倒されたということで、確かに語学においてその才能を最も発揮した芳洲ですが、80歳を過ぎても自己研磨を怠らない努力家であったことを忘れてはならないでしょう。

 地方勤務で終わった窓際族のような感じも多少ありますが、早くに引退しその後長生きしたことで、自らの思索を深め、それを書物に残すことも出来、それによって我々も今こうして、江戸時代前半に「誠心」を外交の旨とするインターナショナルな思想家がいたということ(韓国側にも彼を讃える文献は多く残っていて、'90年に訪日した韓国・慮泰愚大統領は、挨拶の中で芳洲の「誠信外交」を称賛した)のみならず、その人生観まで知ることができるわけで、1つの生き方としても共感を覚えました。

朝鮮通信使と江戸時代の三都.gif 尚、江戸時代の朝鮮通信使の歴史や政治的意義については、仲尾宏氏の『朝鮮通信使-江戸日本の誠信外交』('07年/岩波新書)で知ることが出来、毎回数百名の通信使が来日し、その際には必ず大坂・京都を経て江戸へ向かったとのことですが、それを各都市ではどのように迎えたか、通信使の眼にこの3都市がどのように映ったかなどについては、同著者の『朝鮮通信使と江戸時代の三都』('93年/明石書店)が参考になりました。

 【2005文庫化[講談社学術文庫]】

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読み手に知的興奮を与えるとともに、自分で考えることを迫る本。

進化とはなにか.jpg  『進化とはなにか (講談社学術文庫 1)』  今西錦司.jpg 今西錦司 (1902‐1992/享年90)

 〈突然変異・自然淘汰〉を中心とする「ダーウィン進化論」を今西は否定しているのですが、首が長くなる過程のキリンの化石が見つからないではないか、という具合に言われると、なるほど、今西先生の言う通りだと思いました。
 自然淘汰説が正しいならば、自然淘汰の過程で、中くらいの首の長さのキリンがいた時代もあったはずだから...。
 そこで今西は、「種」レベルで、あるときに一斉に進化する(首が長くなる)要素がそこに内在したのではないかと考えるわけです。

 「講談社学術文庫」の創刊第1冊であり、最初読んだときには今西進化論の「種」レベルの進化の考え方の方が、正統派進化論の「個」レベルの進化よりしっくりきました。
 しかし、現在の進化学では今西進化論はマイナーです。今西が英語の論文を書かなかったこともあり、欧米では最初から存在すら認められていない?

 確かに、今西の言う「種」の主体性は、その根拠が希薄ではないかと言えば希薄です。
 第三大臼歯の生えない人に自然淘汰の上で何か「利点」はあるかという彼の問いは、〈自然淘汰〉説の否定論としても使えますが、何か「ハンディ」はあるかというふうに考えれば肯定論にもなります。

 しかし、今でも自分には〈共存原理〉の方が〈自然淘汰〉説より感覚的にはしっくりきてしまう。
 〈自然淘汰〉という言葉をもっと柔軟に捉えるべきか...。そうすると、今西論と変わらなくなる気もするし...。

 あまり思想論争みたいになるのは好みではありませんが、ダーウィン進化論はある意味で誰でも参加できる科学テーマであり、本書は読み手に知的興奮を与えるとともに、自分で考えることを迫る本でもあると思います。

《読書MEMO》
●ダーウィン進化論(突然変と異自然淘汰)を否定(首が長くなる過程のキリンの化石が見つからない)、正統派進化論は個体レベル、今西進化論は「種」レベル
●第三大臼歯の生えない人に、自然淘汰のうえで何か利点はあるか(142p)
●ラマルクの獲得形質遺伝説-今西は「主体性」を評価

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身近な切り口で、楽しみながら「日本人の意識構造」がわかる。

身辺の日本文化.jpg 『身辺の日本文化』 講談社学術文庫 〔'88年〕  多田 道太郎.jpg 多田 道太郎 氏

 NHKのフイルムアーカイブで著者が喋っているのを偶然見て、飄々とした話しぶりに惹かれ本書を手にしましたが、これが思いのほか面白い!

 食事のあと割り箸は折るのはなぜかとか、日本家屋に独特の縁側や敷居、台所の入り口にかかる暖簾にどんな意味合いがあるのか、鳥居が赤いのは昔からか、そうした身近な切り口で日本文化の特質や日本人の意識構造を見事に解き明かしていきます。

 箸はフォークより高級であるという著者の論は、なかなか興味深くてそれなりに納得させられるけれど、著者のユーモアも少し入っているかも。「青春」や「コメカミ」の語源もこの本で知り、普段考えてもみなかったことばかり。雑学としても面白いけれど、かなり奥が深いなあと。でも、語り口は上方落語みたいですごくリズムがいいのです。

 著者の多田道太郎は仏文学者でコンサイス仏和辞典などの編纂した人ですが、社会学者、詩人、俳人、現代風俗研究会の会長でもあった人です。こんな人はもう世に出ないでしょう。とっつきやすく、読んで損しない本(何か得するわけでもないですが)、楽しい本です。

 【1981年単行本〔講談社〕】

《読書MEMO》
●箸は高級、フォークは野蛮(手の形に近い)(16p)
●割り箸はなぜ折るのか...箸と茶碗は自分個人に帰属する(18p)
●パリの家庭で主人がパンを切ってもてなしてくれる(日本人はわざわざ主が、と喜ぶ)が、パンを切るのは家長の証だから(22p)
●「玄」という字は水平線に浮かぶ船の帆(ちらちら見えるもの(30p)
●「がんばる」は「我意を張ること」、お互いに頑張ろう→集団的個人主義(西洋人には理解しづらい)(61p)
●縁側と軒端は「つながり」を、「のれん」と「敷居」は「けじめ」をあらわす(65p)
●朝行って、自分の椅子に誰かが座っていると気持ち悪い→その場合の椅子は、身体、身体の周囲1〜2m、に次ぐ第三の境界(74p)
●鴨長明『発心集』寺を譲るから女を世話してくれといって出奔した坊さんが、実は隠居所で修行していた(150p)
●鳥居が赤いのは中国の影響、もともとお社のみだった(お屋代も仮の姿。本体はもっと神聖なもの)(162p)
●酒は女性がつくり(米噛み→コメカミ)管理していた(178p)
●中国の4原色と四季...青春・朱夏・白秋・玄冬(36p)

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乃木大将に身近に接した米国人従軍記者が抱いた畏敬と神秘の感情。

乃木大将と日本人.jpg乃木大将と日本人』講談社学術文庫〔'80年〕Nogi, Maresuke.jpg Nogi, Maresuke (1849-1912)

 日露戦争の際、米国からの従軍記者として乃木大将に身近に接したスタンレー・ウォシュバン(Washburn, Stanley, 1878-1950)による本書は、彼の"人となり"を描くことを主眼としていますが(原題は"Nogi: A Great Man Against A Background Of War"(1913))、乃木という人物を通してみた日本人論にもなっています。

 著者が描くところの乃木将軍は、武士道精神と詩情を、さらには無私赤心の愛国心と部下や周囲(著者ら従軍記者、敵軍の敗将など)への思いやりを持ちあわせた精神性の高い人物で、従軍時に27歳の若さだった著者は、彼を"わが父"と仰ぐほどその魅力に圧倒されたらしいことが、その賞賛づくしの文章からわかります。
 同時に、こうした武士道的美学や理想主義が1人物に具現化され、それが組織を統制し士気を高揚させ、死をも恐れぬ苛烈な軍人集団を形成し、旅順陥落という戦果をもたらしたことに、乃木および日本人に対する畏敬と神秘の感情を抱いているようにも思えます。
 武士道精神というものが今あるかというと否定的にならざるを得ませんが、一方、「この人の下でなら...」というのが日本人にとってかなり強い動機付けになるという精神的風土はまだあるのでは。

坂の上の雲1.jpg 本書を読んで想起されるのが、司馬遼太郎『坂の上の雲』での乃木の徹底した"無能"ぶりの描き方で、乃木ファンのような人たちの中には、司馬遼太郎の方が偏向しているのであり、本書こそ真の乃木の姿を描いているとする人も多いかと思いますが、本書はあくまでも乃木の人物像が中心に描かれていて、司馬遼太郎が『坂の上の雲』(「二〇三高地」の章)でも本書"Nogi"について指摘しているように、その戦略的才能について著者は主題上、意識的に避けているようにも思えます。

 さらに司馬遼太郎は、本書で乃木が、本国参謀本部の立案を実行する道具に過ぎなかったとしているのに対し、相当の裁量権が彼にあったことを指摘しており、個人的にもこの指摘に与したいと考えます。
 確かにオーラを発するような一角の人物ではあったかも知れないけれど、ロシア軍があきれるほどの"死の突撃"の反復を行った乃木を"名将"とするのには抵抗を感じます。
 
 ただし一方で、日露戦争をトータルに眺めると、乃木のおかげで欧米諸国に日本贔屓の心証を与えることが出来、そのため公債が集まり戦争を有利に導いたとする見方も、最近はあるようです(関川夏央『「坂の上の雲」と日本人』('06年/文藝春秋))。 
 それは(乃木自身が意図したことではないが)彼の立ち振る舞いや捕虜に対する紳士的態度が、本書の著者のように外国人記者の間に乃木信者が出るぐらいの人気を呼び、国際世論が日本に傾いたとするものです。ナルホドね。

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ユダヤ・キリスト教圏との歴史観の違いから来る人生観の違いを指摘。

日本人の人生観.jpg 『日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)』 〔'78年〕

 同じ著者の『比較文化論の試み』('76年/講談社学術文庫)を読んで、日本で常識とされているものをまず疑ってみるその切り口に改めて感心させられ、もっと論じられても良い人なのかもと思い、一般はともかく学者とかには敬遠されているのかなとも思いつつ、本書に読み進みました(著者は'81年、第29回「菊池寛賞」受賞)。

 こちらの方は、日本人の変わり身の早さや画一指向を、その歴史観と人生観の関わりから考察したもので、講演がベースの語り口でありながら、内容的にはややわかりにくい面もありました。

 要するに、旧約聖書から始まるユダヤ・キリスト教文化圏の歴史観には、終末を想定した始まりがあり、人生とはその全体の歴史の中のあるパートを生きることであり、トータルの歴史の最後にある、まさにその「最後の審判」の際に、改めてその個々の人生の意味が問われるものであるとの前提があるとのこと。
 つまり、個人の人生が人間全体の歴史とベタで重なっているという感じでしょうか。

 それに対し、日本人の歴史観は始まりも終わりも無いただの流れであり、個々の人生は意識としてはそうした流れの「外」にあり、「世渡り」とか"今"に対応することが重要な要素となっていると...。 
 
 鴨長明の「方丈記」冒頭にある「行く川の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず」というフレーズは、結構日本人の心情に共感を呼ぶものですが、著者は、このとき長明は川の流れの中ではなくて川岸にいて川の流れを傍観しているとし、それが歴史の流れの「外」にいることを象徴していると述べています。
 
 前著『比較文化論の試み』よりやや難解で、それは自らの知識の無さによるものですが、加えて、今まであまり考えてみなかったことを言われている気がするというのも、要因としてあるかも知れません。
 今後、歴史関係の本などを読む際には、こうした視点を応用的に意識して読むと、また違った面が見えてくるかもと思いました。

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読み直してみて、鋭い指摘をしていたのではないかと...。

比較文化論の試み.jpg比較文化論の試み』講談社学術文庫 〔'76年〕 山本七平.jpg 山本 七平(1921-1991/享年69)

日本人とユダヤ人.jpg 往年のベストセラー『日本人とユダヤ人』('70年/山本書店)の著者〈イザヤ・ベンダサン〉が〈山本七平〉であったことは周知であり、'04年に「角川oneテーマ21」で出た新書版の方では著者名が「山本七平」になっていますが、やはり最初はダマされた気がした読者も多かったようです。

 加えて生前は彼のユダヤ学や聖書学が誤謬だらけだという指摘があったり、左派系文化人との論争で押され気味だったりして、亡くなる前も'91年に亡くなった後も、意外と数多いこの人の著作を積極的に読むことはありませんでした。

 しかし、最近本書を再読し、「文化的生存の道は、自らの文化を他文化と相対化することにより再把握することから始まる」ということを中心とした99ページしかない講演集ですが、なかなかの指摘だなあと感心した次第です。

豚の報い.jpg 「聖地」に臨在感を感じる民族もいれば、日本人のようにあまり感じない民族もいる。一方、「神棚」や「骨」には日本人は独自の臨在感を感じる―。
 ここまでの指摘が個人的にははすごくわかる気がし、特に以前に読んだ作家・又吉栄喜氏の芥川賞受賞小説『豚の報い』('96年/文芸春秋)の中に、そのことを想起させる場面があったように思いました。

 この小説の主人公は、海で死んだ父の骨を拾うことに執着していて、海で死んだ人間は、島のしきたりで12年間埋葬することが出来ず野ざらしにされているのを、12年目の年に彼は父の遺骨を風葬地に見つけ、そこにウタキ(御嶽)を作り、"神となった"父の「骨」としばしそこに佇むのですが、「御嶽」も「神棚」も神の家でしょうし、主人公の心情もわかる気がしました。

 でも著者は、どうしてそう感じるか、その理由を考えないのが日本人であるとし、これが他の民族のことが理解できない理由でもあるとしており、その指摘には「ハッとさせられる」ものがあると思いました。

 何か、この人、日本人を「ハッとさせる」名人みたいな感じもするのですが、まさに著者の真骨頂は、日本で常識とされているものをまず疑ってみるその切り口にあるわけで、そのために引用するユダヤ学などに多少の粗さがあっても、新たな視点を示して個々の硬直化しがちな思考を解きほぐす効用はあるかと。

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意外とエキセントリックな印象を受ける河口慧海。大ボラ吹きではないかと言われたのもわかる。

チベット旅行記 1.jpg チベット旅行記 2.jpg チベット旅行記 3.jpg  チベット旅行記 上.jpg  チベット旅行記 syou.jpg
講談社学術文庫(全5巻) 〔'78年〕(表紙絵:平山郁夫)『チベット旅行記 1 (1) (講談社学術文庫 263)』『チベット旅行記 2 (2)』『チベット旅行記 3 (3) (講談社学術文庫 265)』『チベット旅行記 4 (4) (講談社学術文庫 266)』『 チベット旅行記 5 (5)』  講談社学術文庫(上・下巻) 〔2015年〕『チベット旅行記(上) (講談社学術文庫)』『チベット旅行記(下) (講談社学術文庫)』 抄本 『チベット旅行記 抄 (中公文庫BIBLIO)』['04年]

河口慧海.jpg インド仏典の原初の形をとどめるチベット語訳「大蔵経」を求めて、100年前に鎖国状態のチベットに渡った河口慧海(1866-1945)のことを知ったのは、中学校の「国語」の教科書だったと記憶しています。雪のヒマラヤを這っている"不屈の求道者"慧海の挿絵が印象的でした。

 事実、「近代日本の三蔵法師」」と言われた人ですから、「高貴なインテリ僧」を思い描いていましたが、この旅行記(探検記)を読んでかなりイメージが変わりました。
 語り口がユニーク、エキセントリックというか、誇大妄想癖があるかと思えば、すっとぼけている面もあるというか、彼が帰国後に一時、大ボラ吹きではないかと言われたのもわかります。

チベット旅行記 旺文社文庫.jpg かなり粘着質なのか、出発のときにどんな餞別を貰ったかということから(だからなかなか出発しない)、チベットの人はどうやって用を足すのかということまで(ほとんど文化人類学者の視点)細かく書かれています。
 結果として、当時の日本やチベットことがよくわかる記録となっています。
 そのくせ、時々記述がジャンプしたりして、彼がどういうルートでインドから徒歩でヒマラヤ越えしたのかなどはよくわかりません。
 これは、彼のチベット旅行が"密入国"であったことも関係しているのかもしれません。

 旺文社文庫に1巻で収められていましたがその後絶版になり、旺文社文庫版と同年に刊行された講談社学術文庫では5分冊になっています(講談社学術文庫は時々こうした細かい分冊方式をとるけれどどうして? 但し、本書に限って言えば、表紙は平山郁夫(1930-2009)画伯が絵を描いている学術文庫の方が良いが(その後、2015年に上下2刊の改訂版が講談社学術文庫にて刊行))。

チベット旅行記 (1978年) (旺文社文庫)

チベット旅行記 高原の泥沼中に陥る.gif   チベット旅行記 モンラム祭場内の光景及び問答.gif
高原の泥沼中に陥る      モンラム祭場内の光景及び問答 (ともに電子書籍版(グーテンベルグ21)より)

 仏教・仏典に関する記述など専門家以外にはやや退屈な部分もありますが、'04年に中公文庫BIBLIOでエッセンスを1冊にまとめた抄本が出ていますので、そちらの方が手軽には読めるかも知れません。さらにサワリだけならば、電子書籍版(グーテンベルグ21)で閲読できます。

【1978年文庫化[旺文社文庫 (全1巻)]/1978年再文庫化[講談社学術文庫 (全5巻)]/1980年単行本・2004年改訂〔白水社 (上・下)〕/2004年抄本〔中央公論新社 (全1巻)〕/2015年再文庫化[講談社学術文庫 (上・下)]】

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わかりやすいが、入門書として良いかどうかは別問題。

「タオ=道」の思想.jpg「タオ=道」の思想2.gif「タオ=道」の思想』講談社現代新書〔'02年〕孔子・老子・釈迦「三聖会談」.jpg 諸橋轍次『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』('82年/講談社学術文庫)

 『「タオ=道」の思想』は、中国文学者による「老子」の入門書で、その思想をわかりやすく紹介し、終章には「老子」の思想の影響を受けた、司馬遷や陶淵明ら中国史上の人物の紹介があります。

 「和光同塵」
 「功遂げ身退くは、天の道なり」
 「無用の用」
 「天網恢恢、疎にして漏らさず」
 などの多くの名句が丁寧に解説されていて、
 「大器は晩成す」
 という句が一般に用いられている意味ではなく、完成するような器は真の大器ではなく、ほとんど完成することがないからこそ大器なのだとする解釈などは、興味深かったです。

 但し、「もし今日、老子がなお生きていたならば、いつもこの地球上のどこかでくり返し戦争を起こし、どこまで行きつくか知れない自然環境の破壊に手を貸している人智の愚かしさに、彼はいきどおっているにちがいない」という記述のように、著者の主観に引きつけて筆が走っている部分が多々見られます。
 「老子」が"老子"という人物1人で成ったものでないことは明らかだし、その"老子"という人物すら、実在したかどうか疑わしいというのが通説であるはずですが...。

 漢字学者・諸橋轍次(1883-1982/享年99)の『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』('82年/講談社学術文庫)などもそうでしたが、文学系の人の「老子」本には、同じような「人格化」傾向が(諸橋氏の場合はわざとだが)見られます。
 『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』は、聖人らの三者鼎談という架空のスタイルを用いることにより、例えば老子の説く「無」と釈迦の説く「空」はどう異なるのかといった比較検討がなされていて、そうした解説にもいきなりではなく落語の枕のようなものを経て入っていくため親しみ易く、入門書としてはそう悪くもないのかも知れませんが、「学術文庫」に入っているというのはどんなものでしょうか(見かけ上"学術"っぽく見える部分も多々あるから紛らわしい)。
 
加島祥造 タオ―老子.jpg 英米文学者・加島祥造氏(1923-2015/享年92)の『タオ―老子』('00年/筑摩書房)における「老子」の名訳(超"意訳"?)ぐらいに突き抜けてしまえばいいのかも知れませんが(「加島本」の"抽象"を自分はまだ理解できるレベルにないのですが)、本書も含め入門書として良いかというと別問題で、入門段階では「中国思想」の専門家の著作も読んでおいた方がいいかも知れません。

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正確な理解のために。すべての現代人のために。

森 三樹三郎 『老子・荘子』.jpg森 三樹三郎.jpg       森 三樹三郎2.jpg 森 三樹三郎 (1909-1986、略歴下記)
老子・荘子』 講談社学術文庫 〔'88年〕
人類の知的遺産〈5〉老子・荘子 (1978年)

 この本で、荘子のいうところの「万物斉同」 が、運命肯定的で人格神を持たない中国民族の人生観のベースとなっていることを知りました。「無為自然」「和光同塵」といった老子の考え方に共鳴する人も多いのではと思います。「無」としての道、無からの万物の生成論は、思想というよりは形而上学(哲学)の世界、量子物理学を想起させる部分さえあります。

 思想の概要、周辺の時代背景、伝記(老子は存在そのものが不確かだが)を説明したうえで、上記のようなテクニカルタームの解釈に入るのでわかりやすいです。道教イコール老子・荘子の思想ではなく、神仙思想や享楽主義は後に付加されたなど、正確な理解の助けとなるのもこの本の大きな特長です。後世への影響も詳しい。禅宗は老荘的だけど、相違点もあると。文学や書画も、儒教より老荘思想によって育てられたのか。

 老荘の哲学は、理想を超えた大きな何かという感じです(荘子は理想への努力さえ否定しているから)。そうしたものがぼんやりとでも見えれば、人生違ってくるのかな...と。

 「神を失った現代人にとっては、神の無い宗教を待望するしかない。それに応えるものの一つとして、老荘の哲学がある」という著者の結語にうなずかされます。
_________________________________________________
森 三樹三郎(もり みきさぶろう、1909-1986)
中国思想史の研究者。京都府生まれ。旧制・大阪府立高津中学校卒、京都大学文学部哲学科卒業。大阪大学を退官後、同大学名誉教授。その後、仏教大学教授。 専攻は中国哲学史。文学博士。

《読書MEMO》
●【老子の集発点=自然主義】 「無為自然」知識の否定(22p)/道徳の否定-仁義忠孝が強調されるのは社会が不道徳な状態にあること、仁義忠孝の強調は新たな災いを招く、捨て去るべし/「和光同塵」(光を和らげて塵に同ず)(26p)
●【老子の人生哲学】 柔弱の徳-赤子に帰れ/女性原理-柔は剛に勝つ/水の哲学/不争の哲学/保身処世の道-功成りて身退くは天の道なり(38p)
●【老子の万物生成論】 無からの万物の生成-「天下の万物は有から生じ、有は無より生ず」「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」一は、陰陽に二分する以前の気(ガス状の粒子)をさす(60p)→量子物理学との類似
●【荘子の思想】(67p-)「万物斉同」=無限者による絶対的無差別の世界、死生を斉しくす、無限者である運命の肯定(ただし運命の主宰者はいない)荘子の言う造物者とは「自然」→儒家や道家を超えて、中国民族の人生観に(90p)
●【荘子の理想への努力の否定】 高尚で世間に同調しない「山谷の士」、仁義を語る学者、大功を語る「朝廷の士」、山林に住む隠遁者、養生する「導引の士」の何れも、意識的努力している。意識しなくても行い高く、身修まり、国治まり、心のどかで、長生きするのが、天地自然の道(聖人の道)(224p)
●【荘子の言葉】 「邯鄲の歩を学ぶ」「井の中の蛙」(229p)/生死は一気の集散であり、同類のものである(244p)

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