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コンプライアンスの取り組みが逆に組織の非倫理的な行動を助長してしまうことがある‼

倫理の死角2.jpg   Max H. Bazerman.jpg Max H. Bazerman
倫理の死角ーなぜ人と企業は判断を誤るのか

 本書は、企業不祥事を防ぐにはどうしたらよいか、人や組織はなぜ無責任で、非倫理的な行動を起こすのか―この問題を考えるに際して、「人間」の行動に焦点を当てた「行動倫理学」という行動心理学・行動経済学的アプローチにより、いわばミクロの視点から人や組織の行動メカニズムを読み解きながら、意思決定プロセスに潜むさまざまな落とし穴を浮き彫りにした本です。個人的には2014年に読み、今回が約10年ぶりの再読及び選評になります・。

 第1章では、たいがいの人はおおむね倫理的に行動しているが、ときには自分が非倫理的行動をとっていると自覚している場合もあり、いちばん危険なのは、自分も気づかずに非倫理的な行動をとるケースであるとしています。

 第2章では、人は概して、自分の倫理上の判断がバイアスの影響を受けていても気づかずに非倫理的決定を下しがちで、そうした人間の認知能力の限界(「倫理の死角」)を前提に物事を考えるのが「行動倫理学」であるとしています。

 第3章では、無意識のうちに非倫理的行動を取ってしまう心理的プロセスについて述べており、そこには、内集団びいき、日常的偏見、自己中心主義のバイアス、未来の過剰な割引の4つがその要因としてあるとして分析しています。

 第4章では、聡明な人たちがどうして意思決定の際に問題の倫理的側面を見落としてしまうのかについて、意思決定の「事前」の予測の誤り(自分の倫理的行動能力を過大評価し、倫理問題を度外視した判断(直感的行動)をしがち)、意思決定の「最中」の「したい」の自己と「すべき」の自己のせめぎ合い、意思決定の「事後」の回想のバイアス(自分の判断を正当化したり、倫理性の判断基準をすり替えたりして、自己イメージを守りがち)の3点から分析しています。

 第5章では、どうして多くの人が他人の非倫理的行動を見落としたり、阻止できなかったりするのかについて、動機づけられた見落とし(非倫理的行動を黙認する方が自分の得になるという)、間接性による見落とし、段階的エスカレートの罠、結果偏重のバイアスの4点から分析しています。

 以下の三章では、そうしたバイアスが組織と社会に及ぼす影響と、問題のある行動パターンを改めるための道筋について論じています。

 第6章では、なぜ倫理的な組織を築けないのかを考察し、報酬システムのゆがみ、制裁システムの思わぬ副作用、善行の「免罪符効果」、目に見えない組織文化の影響の4点から分析しています。

 第7章では、なぜ改革が実現しないのか、どのような組織がどうやって非倫理的行動を増幅させているのかを、たばこ産業、(経営破綻したエンロンの)会計事務所、エネルギー産業を例に見ていっています。

 第8章では、読者が自分の「倫理の死角」をなくし、人生でぶつかる倫理上のジレンマを明確に認識できるように、個人、組織、社会の各レベルでのアドバイスを記して、本書を締めくくっています。

 興味深いのは、コンプライアンスの取り組みを進めても、逆にそのことがバイアスとなって、組織の暗黙の文化が非倫理的な行動を助長してしまうことがあることを指摘している点で、制度化の圧力が強まると、人は制度や目標に合わせることばかり考え、内面からの動機や自らの言葉で倫理問題について考えなくなる傾向にあるという指摘は、非常にブラインド・スポットを突いているように思いました。

 制度化を進めるだけでは非倫理的行動を防ぐという期待通り効果を生むとは限らず、一つの意思決定が組織内・外にどういった倫理的影響を与えるか、一人一人が考えることが大事であり、企業側も、形式的な取り組みではなく、自社が抱える問題を明確にし、自らの言葉で説明し、それに応える制度を作っていかない限り、経営基盤の強化にも繋がらないということなのでしょう。

 今回読み直して(翻訳者も同じですが)改めて考えさせられる面があり、評価を★★★★から★★★★☆に変更しました。

【2772】 ○ 日本経済新聞社 (編) 『企業変革の名著を読む』 (2016/12 日経文庫)

《読書MEMO》
企業変革の名著を読む.jpg● 『企業変革の名著を読む』('16年/日経文庫)で取り上げている本
1 ジョン・P・コッター『企業変革力』
2 ロバート・バーゲルマン『インテルの戦略』
3 ピーター・センゲほか『出現する未来』
4 サリム・イスマイルほか『シンギュラリティ大学が教える飛躍する方法』
5 松下幸之助述『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』
6 ジョセフ・L・バダラッコ『静かなリーダーシップ』
7 C・K・プラハラード『ネクスト・マーケット』
8 シーナ・アイエンガー『選択の科学』
9 ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラック・スワン』
10 マックス・ベイザーマンほか『倫理の死角』
11 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』
12 アレックス・ファーガソン『アレックス・ファーガソン自伝』


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CSRとは「企業の社会対応力」。「ソーシャル・ブランディング」の概念・方法論と豊富な成功事例。

未来に選ばれる会社.jpg未来に選ばれる会社:CSRから始まるソーシャル・ブランディング』(2015/09 学芸出版社)

 企業のCSR(企業の社会的責任)活動に特化したビジネス情報誌「オルタナ」の編集長らによる本です。オルタナ編集部はCSRに特化した取材を8年間続けており、本書はその集大成であるとのことです。

 本書のタイトルである「未来に選ばれる会社」の「未来」とは、「未来の顧客」であり、「未来の社会」であり、「未来の従業員たち」であるとのことです。企業が永続的になるためにはただ営利を追求すれば良いのではなく、「顧客だけでなく社会全体から支持される」ことにより、「未来の顧客」に選ばれるための「強み」を作り上げるための作業が必要であるとし、本書ではそれを「ソーシャル・ブランディング」と呼び、CSRを起点としたその方法論を、国内外20社以上の成功例から実践的に解説しています。

 第1章では、今改めて企業に必要なCSRとは何かを問うています。CSRを訳すと「企業の社会的責任」となりますが、その言葉を、「偉そう」「押し付けがましい」「偽善的」ととらえる経営者は少なくなく、CSRを社会的責任ととらえてしまうと、「納税と雇用で十分」「発信するのはおこがましい」と考えてしまいがちであるとのことです。そもそも責任(responsibility)は、「response」(反応する)と「ability」(能力)から成る言葉で、その原義は「対応力」であるため、本書では、CSRを「企業の社会対応力」と定めています。そして、CSRによって企業価値を高める過程は、①ES(Employee Satisfaction=従業員満足度)、②CS(Customer Satisfaction=顧客満足度)、③SS(Social Satisfaction=社会満足度)、④CSRで株価を上げる、の4つがあるとしています。

 また、最近よく使われる「CSV(Creating Shared Value=共通価値の創造)」という言葉を、「攻めのCSR」という表現にしてもよいとし、「CSR/CSV」の定義として、次の3つを挙げています。
 ①「社会的課題の解決」と「経営的成果」の両方を目的としていること。
 ②企業内で完結する活動ではなく、自治体やNPOなど外部他者との「協働」であること。
 ③未来の顧客やファンを増やし、企業価値やブランド価値を高めるものであること。

 第2章では、ソーシャル・ブランディングの構造を解説しています。ここでは、ソーシャル・ブランディングの活動領域には、「E」(エコロジカル=環境)、「S」(ソーシャル=社会)、「G」(ガバナンス=組織統治)の3つがあるとし、企業のコア・バリューのうち、どの企業でも持っている社会的な部分の比重を高めること、「E」「S」「G」のそれぞれで、企業が「社会的課題の解決」につながる活動を選び、展開していくことが重要であるとし、「製品イノベーション型」(企業が社会的課題を解決するため、これまで市場になかった製品を開発・市場投入する)など、ソーシャル・ブランディングの7つの類型を示しています。

 更に、ソーシャル・ブランディングの8つのステップと27のポイントを示し、ソーシャル・ミッション(企業の社会的使命)をミッション・ステートメントとして明文化することを推奨し、社会的課題を自社製品で解決する「ソーシャル・プロダクツ」という視点とその事例や、ソーシャル・ブランディングの広報面での不可欠な要素(①ネーミング、②言える化、③デザイン化、④差異化、⑤見える化)を紹介しています。この事例編が本書の後半を占めます。

 第3章から第5章にかけては、ソーシャル・ブランディングの実践例が紹介されており、第3章は大企業編(「真のグローバル企業」には攻めのCSRが不可欠―味の素、トップの決断で始まったCSV―キリンほか)、第4章は中堅企業編(子どもの成長を支援し、会社を次世代へつなぐ―ギンザのサヱグサ、CSR/CSVで新マーケットを開拓―山陽製紙ほか)、第5章は海外企業編(競争への危機感がCSRの原動力―英国総論、CSV元祖の最大目標は資源の調達―ネスレほか)となっています。

 当然のことながら、それぞれの企業のコア・バリューは異なり、それを「社会的課題の解決」に活かす際の活動領域(ESG)もソーシャル・ブランディングの類型もこれまた様々であることから、ソーシャル・ブランディングの実践内容は実に多彩であるという印象を受けました。例えば、中堅企業編で、白井グループの「社員をサーフィンと田植えに行かせよう」などといったものもあり、興味深く読めましたが、最終的には、自社のソーシャル・ブランディングの在り方は、自社で頭を絞って考えることになるのではないでしょうか。

 CSRを「企業の社会対応力」ととらえている点は注目すべきであり、こうしたことは人事も無関係ではないはずです。「ソーシャル・ブランディング」という概念にはまだ馴染みのない人事パーソンもいるかと思われますが、本書は「概念・方法論」と「成功事例」の両面からアプローチされているため読み易く、また、大いに参考になるものと思われます。

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取り上げた事例が多すぎて「不祥事カタログ」みたいになってしまった印象も。

IMG_3267.JPG不祥事は、誰が起こすのか.jpg        倫理の死角2.jpg
不祥事は、誰が起こすのか (日経プレミアシリーズ)』 マックス・ベイザーマン『倫理の死角ーなぜ人と企業は判断を誤るのか

 元日銀マンであり、日銀在職中には自ら考査の現場を担当したという著者が、データ漏洩、偽装表示、横領、反社会的勢力など、絶え間なく発覚する近年のさまざまな企業不祥事の数々を俎上に載せ、どこからそれは起こるのか、原因の解明に挑んだ本です。

 不祥事を起こした企業が事後に発表した第三者委員会の報告書を読み解くなどして、報道としてなされたもの以上に正確で詳細な情報を把握したうえで論考を進める姿勢には信頼が持てるとともに、内容的にも興味深いものでした。

 但し、ちょっと詰め込み過ぎだったかな。ここ何年かでこんなにも多くの多種多様の不祥事があったのかとあきれるくらい多くの不祥事の事例を取り上げていて、人命を損なう事故乃至その恐れのある事故(食品汚染・運輸事故・産業設備事故・医療過誤・設計瑕疵等)及びその隠蔽に由来する刑事犯罪から、金融に係るもの(粉飾決算・不正融資・インサイダー取引等)、官民・民民間に係るもの(談合・汚職・横領・贈収賄・カルテル・下請いじめ等)まで、確かにきちっと分類されているし、分析の方法論も理解できるものの、あまりに事例の拾い方が網羅的であり過ぎたために、結果的に「不祥事カタログ」みたいになってしまい、必ずしも読み易くない上に、1つ1つの案件の分析がやや浅くなってしまったようにも思えたのが残念です(多くを取り上げ過ぎることで、逆に著者の持ち味が見えてこない)。

 本書においても取り上げられているマックス・ベイザーマンの『倫理の死角』('13年/エヌティティ出版)にもありましたが、結論的には、不祥事を起こしやすい企業には共通の「文化」があり、そこでは正論より「大人の事情」が優先され、或いはまた、ミス発生に過剰なプレッシャーをかけたり、しがらみ構造が存在したりするということなのでしょう。M&Aを繰り返した結果、経営の統制が弱くなって現場任せが放置されていたりすることもミス等に繋がると、ガバナンスの盲点なども指摘しています。

デザートに異物混入.jpg 最近マクドナルドで相次いだ異物混入問題は、食べ物に異物なんてあり得ないという前提で商品を口にする消費者と、完全な混入ゼロは困難とする食品業界との認識のズレを浮き彫りにしましたが、本書でもビッグデータから不正を見つけ出す手法など最新のテクノロジーを紹介する一方で、現実には不正・不祥事の「ゼロ」はありえず、必ず起きるという前提の下でいかに頻度を減らすかが予防のポイントだと述べているのが興味深い点でした

マクドナルド、「デザートに異物混入、子どもけが」を受け会見 2015/01/07 19:00 【共同通信】 

《読書MEMO》
『不祥事は、誰が起こすのか』5.JPG●「不祥事防止のための10ケ条」
  第1条:人は弱い。必ずミスをする
  第2条:予兆を逃すな 
  第3条:システムにバグはつきもの  
  第4条:権威勾配の傾きに気をつけろ 
  第5条:挙証責任を転嫁するな 
  第6条:ルールは守れ 
  第7条:正論を大事にしろ 
  第8条:副作用には気をつけろ 
  第9条:組織文化を自覚しろ  
  第10条:大事な事(本分)を忘れるな

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コンプライアンス取り組み推進が、逆に非倫理的な行動を助長してしまうことがあると指摘。

Blind Spots.jpg倫理の死角2.jpg   Max H. Bazerman.jpg Max H. Bazerman
倫理の死角ーなぜ人と企業は判断を誤るのか
"Blind Spots: Why We Fail to Do What's Right and What to Do About It"

大手銀行G3社で反社会的勢力との取引.jpg大手金融機関の暴力団関係者への融資.jpg 過去に企業不祥事が何度も繰り返され、その社会的反響の大きさから、こんなことは二度と繰り返すまいとその発生防止策がその都度討議されてきたにも関わらず、近年においても、大手金融機関の暴力団関係者への融資問題や、大手百貨店・有名ホテルの食材偽装・不当表示問題大手百貨店・有名ホテルの食材偽装・不当表示問題.jpgが報道されるなどして、相変わらず企業不祥事は後を絶ちません。

[上]2013.10.25 funshoku.blogspot.com「みずほ銀行やくざ融資 役員辞任」/2013.11.14 日テレNEWS24「大手銀行G3社で反社会勢力との取引判明」

[左]2013.12.15 SankeiBiz「客を選ぶ「ゆがんだおもてなし」食材偽装・高級ホテルの"裏の顔"」

IMG_3256.JPG 企業不祥事を防ぐにはどうしたらよいか、CSRが叫ばれるようになっても、人や組織はなぜ無責任で、非倫理的な行動を起こすのか――この問題を考えるに際して、「企業」の行動に焦点を当てるマクロな視点から語った本は多くありますが、ハーバード・ビジネススクールの教授(経営管理)とノートルダム大学教授(ビジネス倫理)の共著である本書(2011、原題:Blind Spots: Why We Fail to Do What's Right and What to Do About It)は、「人間」の行動に焦点を当てた「行動倫理学」という行動心理学・行動経済学的アプローチにより、いわばミクロの視点から人や組織の行動メカニズムを読み解きながら、意思決定プロセスに潜むさまざまな落とし穴を浮き彫りにしています。

 人はどうして意図せずして非倫理的に行動してしまうのか、また人はどうして、自分の倫理観どおりに常に行動せず、他人の非倫理的行動にも目をつぶってしまうのかを、著者らは、人間の意思決定プロセスをいくつかのケースを通して実証的に分析し、会社の方針を徹底しようとすることや、目標達成に対するプレッシャー、自分に対する過小評価や過大評価、身内びいき、考える時間が短いことなどが、倫理的判断を疎かにするとしています。

 人はそうした状況においてなぜ倫理的に振る舞えないのかというと、行動する前の段階では、自分の倫理的行動能力を過大評価し、倫理問題を度外視した判断(直感的行動)をしがちであり、また、行動した後の段階(回想)では、自分の判断を正当化したり、倫理性の判断基準をすり替えたりして、自己イメージを守りがちであるためだと指摘しています。

 他人の非倫理的な行動に気づかなかったりするのも、非倫理的行動を黙認する方が自分の得になるという「動機づけられた見落とし」がそこにはあるからだとし、個々の非倫理的行動が組織内で増幅するケースなどを挙げ、さらに話を広く社会のレベルまで広げ、なぜ賢明な社会改革ができないのか、ということも説いています。そして最後に、健全な企業組織や社会を構築する方法を提示しています。

 興味深かったのは、コンプライアンスの取り組みを進めても、逆にそのことがバイアスとなって、組織の暗黙の文化が非倫理的な行動を助長してしまうことがあることを指摘している点で、制度化の圧力が強まると、人は制度や目標に合わせることばかり考え、内面からの動機や自らの言葉で倫理問題について考えなくなる傾向にあるという指摘は、非常にブラインド・スポットを突いているように思いました。

 制度化を進めるだけでは非倫理的行動を防ぐという期待通り効果を生むとは限らず、一つの意思決定が組織内・外にどういった倫理的影響を与えるか、一人一人が考えることが大事であり、企業側も、形式的な取り組みではなく、自社が抱える問題を明確にし、自らの言葉で説明し、それに応える制度を作っていかない限り、経営基盤の強化にも繋がらないということなのでしょう。

 著者の一人マックス・H・ベイザーマン(Max H. Bazerman)は、『マネジャーのための交渉の認知心理学―戦略的思考の処方箋』(マーガレット・A・ニール との共著、'97年/白桃書房)、『行動意思決定論―バイアスの罠』(ドン・A・ムーア との共著、'11年/白桃書房)などの著書があり、ハーバード・ビジネススクールの"名物教授"であるとのこと。ビジネス書と言うより、全体として教養書としても読める面が多いかも。とりわけ本書の序盤部分は、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学』('10年/早川書房)と重なる部分もあり、あの本が面白く読めた人には面白く読めるかもしれません。

【2772】 ○ 日本経済新聞社 (編) 『企業変革の名著を読む』 (2016/12 日経文庫)

《読書MEMO》
企業変革の名著を読む.jpg● 『企業変革の名著を読む』('16年/日経文庫)で取り上げている本
1 ジョン・P・コッター『企業変革力』
2 ロバート・バーゲルマン『インテルの戦略』
3 ピーター・センゲほか『出現する未来』
4 サリム・イスマイルほか『シンギュラリティ大学が教える飛躍する方法』
5 松下幸之助述『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』
6 ジョセフ・L・バダラッコ『静かなリーダーシップ』
7 C・K・プラハラード『ネクスト・マーケット』
8 シーナ・アイエンガー『選択の科学』
9 ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラック・スワン』
10 マックス・ベイザーマンほか『倫理の死角』
11 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』
12 アレックス・ファーガソン『アレックス・ファーガソン自伝』

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本を読んでいるというよりセミナーを聴いている感じ。内部統制の概念説明が中途半端で、対応策は具体性を欠く。

不祥事でバッシングされる会社にはワケがある5.JPG不祥事でバッシングされる会社にはワケがある.jpg 『不祥事でバッシングされる会社にはワケがある (新書y)

 企業不祥事と言うのは絶えないもので、昨年('11年)で言えば、東日本大震災の後の原発の安全性論議を巡る九州電力のやらせメール問題、オリンパスのバブル崩壊時に生じた巨額損失の隠ぺい問題、大王製紙の前会長による子会社からの巨額借入事件あたりが話題の中心だったでしょうか。読売巨人軍の元球団代表兼GM・清武英利と渡辺恒雄球団会長らの泥仕合なども企業不祥事に入るのでしょうか。

 個人的には、読売の内輪もめなどはどうでもいいのですが、九州電力のやらせメール問題はヒド過ぎると思われ、過去に何度もやらせシンポジウムが行われていて(他の電力会社も同じようなことをやっていた)、それに経済産業省、原子力安全・保安院、更には地方自治体の長(知事)まで絡んでいたというから、企業不祥事の域を超えているかも...(反原発派の科学者・小出裕章氏が、シンポジウムが原発推進派のやらせであることを感じながらも、その中で孤軍奮闘していたのが印象的)。
 

 本書の著者は、元日本たばこ産業(現JT)の広報法マンで、今は危機管理コンサルタントをしている人。本書ではまず、企業が犯すミスには、①人為的なミス、②社内組織・社内システム的ミス、③機械的・プログラム的ミス、④倫理的なミス、の4つのミスがあり、最後の倫理的なミスは、必ず不祥事に発展するとしています。

 第1章で、ミスを無くすための組織作りとして、内部監査の重要性を訴えていますが、概念的な説明は簡単に済ませ、第2章では、不祥事で躓いた企業の事例を挙げていて、雪印乳業の食中毒事件('00年)、不二家の消費期限切れの牛乳を使ったシュークリームの製造・出荷事件('07年)、伊藤ハムの自社製品へのシアン化合物混入事件('08年)、三笠フーズの事故米の不正転売事件('08年)、大相撲の八百長疑惑・力士暴行事件、更に大麻吸引で力士が逮捕された事件('08年)について、その発覚の経緯と当事者の対応を、批判的に検証しています。
 一方で、不祥事に対し適切な対応をとったことで、不祥事をバネとした企業として、数は少ないものの、ジャパネットたかた等の例も挙げ、不祥事でダメ評価を受けた会社との違いとして、初期対応の在り方などを挙げています。

 第3章では、広報マンの経験から、危機管理の対応策が述べられていますが、「企業のコミュニケーション力が問われている」とか、間違っていないものの、やや啓発セミナーを聴いている感じで具体性に欠ける気も。

 それを補うかのように、第4章「いざというときの実践シミュレーション」で、ケーススタディとして、「役員の殺害と社員の情報漏洩がリンクしていた」ケースをもってきていますが、かなり特殊なケースであるし、取材記者への対応テクニックなど、企業の立場から、と言うより、広報マンの立場に終始している感じがしました。
 個人的には、内部監査についてもう少し突っ込んで説明してもらいたかったところですが、全体に、本を読んでいるというよりセミナーを聴いている感じ(コンセプチュアルな話はさらっと流して、後は事例や啓発譚とケーススタディでいくところなども)。

 しかも、一広報マンという立場から抜け切れておらず、些細なことは(広報マンが、自分が後で後ろ指を指されないようにするには必要な知識なのかも知れないが)、企業全体にとっての肝心なところは、具体性に欠けるという印象を拭い去れませんでした。


 振り返ってみれば、オリンパスの損失隠し問題にしても、大王製紙の巨額借入事件にしても、一広報マンの立場では殆どどうにもならない気もしますが、一方で、電力会社のやらせシンポジウムなどは、多くの電力会社社員が"やらせ質問"に立っているわけで、こうなると、ミスや隠蔽工作と言うより、ハナから国民に対する詐欺行為であり、国も企業も「個人」もひっくるめて巨大な犯罪組織と化している観があるなあ。

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企業理念・経営理念やビジョン・ミッション・バリューなどと微妙にニュアンスが異なるのが興味深い。

できる会社の社是・社訓6.JPGできる会社の社是・社訓.jpg 『できる会社の社是・社訓 (新潮新書)

 電通の「鬼十則」や日本電産、日清など有名企業の社是・社訓の成り立ちや、そこに込められた創業者や中興の祖の思いなどが、コンパクトに分かり易く紹介されていますが、各見出しには、社是・社訓に限らず、創業者の言葉などを引いているものもあり、併せて、創業者がどのようにして事業を起こし、どのようにしてそれを育て、現在の会社の礎を築いたかが書かれていて、ミニ社史を読んでいる感じも...(多分に各社の社史を参考にしているということもあるだろう)。

大丸.jpg先義後利.jpg 大丸の「先義後理」など享保年間(18世紀初頭)に遡るものから。楽天の「スピード!! スピード!! スピード!!」など近年のものまであり(因みに、ライブドアには社訓が無かったそうな)、また、シャープ、松下電器(現パナソニック)、ホンダなどになると、創業者の立志伝の紹介みたいになってきますが、それらはそれで、自分が知らなかったことなどもあって面白く読めました。

 著者は、就職を切り口にした教育問題などの特集記事を担当する経済週刊誌記者だそうで、社是・社訓が実際にその企業に今どのような形で定着し、活かされているかといった組織・人事的な視点は殆どありませんが、さすがに大きな不祥事のあった会社については、その時の経営者が社訓に悖る行動をとったことを解説しています。

 大丸の「先義後理」などの古い社訓は、広い意味でのCSR、コンプライアンスに沿っているように思われ、一方、資生堂のエシックス(倫理)カードにある「その言動は、家族に知れても構いませんか?」などは、90年代の企業不祥事の多発を受けてのものなのだろうなあ。

 サントリーが、山口瞳、開高健らが執筆陣に加わった社史『サントリーの70年』で、創業者・鳥井信治郎「やってみなはれ」「みとくんなはれ」を前面に押し出していたのに、100年史では「人と自然と響きあう」が企業理念となっていて、つまらなくなったようなことを著者は書いていますが、確かに。

 こうしてみると、創業者個人の強烈な思いが込められた「社是・社訓」は、「企業理念」「経営理念」や「ビジョン」「ミッション」「バリュー」などと呼ばれるものと重なる部分は多いものの(IBMの"THINK"とかアップルの"Think different"なども「行動規範」であり「バリュー」の一種とみていいのではないか)、「社是・社訓」と「企業理念」「経営理念」と言われるものとは、或いは日本と海外との間では、それぞれ微妙にニュアンスが異なる部分もあり、もしかしたらその部分に日本的経営の特性があるのかも―と思ったりもしました。

IBM1.jpg Think differentド.jpg

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会社組織の日本的特質に関する考察は鋭いが、タイトルがちょっと...。
法律より怖い「会社の掟」.jpg 法律より怖い「会社の掟」,200_.jpg
法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由 (講談社現代新書 1939)』 ['08年]

 本書は全3章の構成で、第1章で、企業不祥事が無くならないのは何故かということについて、日本人の法意識や自我の問題、日本人によって構成される組織の原理と行動について分析し、日本人は伝統的な徳目など「見えない規範」によって行動するが、そこにはキリスト教の聖書やイスラム教のコーランのような絶対的契約文書が存在しないため、その時々で禁忌される行動が変わってしまうという深刻な問題を孕んでおり、共同体的な組織は共同体の存続、対面を保つための「会社の掟」が不文律として浸透しがちで、組織の構成員は無意識的にそれに従ってしまう傾向があるのが、不祥事が無くならない理由であるとしています。
 この部分は明快な文化論、日本人論にもなっているようにも思えました。

 第2章では、企業不祥事を、「不正利得獲得」傾向が強い不祥事と、「共同体維持」傾向が強い不祥事に大別し、多くの事例を挙げてそれらを細分化し(この部分が本書のユニークポイントであり白眉かも)、第3章では、近江商人の「三方よし」という理念とその根底にある経済活動の社会性や共生・協働、勤勉・努力を尊ぶ考え方に着目して、それが今で言うCSR(企業の社会的責任)に近似することを指摘し、そこから、企業不祥事が無くすにはどうすれば良いかを考察しています。
 個人的には、やはり、「共同体維持」傾向が強い不祥事に日本人組織の特質を感じました(「不正利得獲得」傾向が強い不祥事と言うのは、エンロン事件とか海外でも多くあったのでは)。

 全体に鋭い考察と含蓄に富む指摘の詰まった内容ですが、読みながらずっと心に引っ掛かったのは、「会社の掟」をネガティブな意味合いで捉えていることで、それはそれで論旨の流れの上ではいいのですが、そうであるならば「法律より怖い『会社の掟』」という表題は、ミスリードを生じさせやすいのではないかと(日本企業の"現状"であって、"あるべき状態"へ向けてのベクトルが無いタイトル)。

 テキサス・インスツルメント社の「エシックス(倫理)・カード」が紹介されていますが、IBMのBCG(ビジネス・コンダクト・ガイドライン)などは、これの比ではないスゴさでしょう(ウェブで公開されているので、多くの人に見て欲しい)。
 こうした独自に倫理基準を持っている外資系企業では、抜群に高い業績を上げ、いずれは役員になること間違いなしと言われていた人が、いつの間にか急にいなくなっていたりする―その殆どは、こうした「社内の倫理基準」に反する行為がどこかであったためであり、刑事訴追されるわけでもなければ懲戒発令されるわけでもない、でも、もうその人はその会社にはいない―これこそ、「法律より怖い『会社の掟』」であり、また、そうあるべきだろうと思った次第です。

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ワンマンの害悪より、「株式会社」とは何たるかを知る上で大いに勉強になった。

死に至る会社の病.jpg       『ウォール街』(1987) 2.jpg 映画「ウォール街」(1987)
法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由 (講談社現代新書 1939)』 ['07年]

 タイトル及びサブタイトルから「ワンマン経営」が企業統治の上でいかに害悪をもたらすかを書いた本だと思ったのですが、趣意はその通りであるにしても、配分上はかなりのページ数を割いて、「株式会社」制度の今とその起源及び歴史を解説していて、加えて、アダム・スミス、マルクス、ウエーバーの「株式会社」観にまで言及されており、「株式会社」とは何たるかを知る上で大いに勉強になりました(あとがきに「ワンマン経営者」を横糸、「株式会社の過去、現在、未来」を縦糸にして、株式会社のどこに欠陥があり、その欠陥を克服できるのかを考察した本であると書いてあった)。

 米国や英国などの"企業統治先進国"が、現在のそうした統治体制に至るまでの経緯を、近現代に起こった企業不祥事や経済事件との関係において示しており、これはこれで各国の企業統治のあり方を、シズル感をもって理解することができ、また、読んでいても飽きさせないものだったと思います(著者は日本経済新聞社の記者だった人で、今は系列のシンクタンクに所属)。

 もちろん米国だって、全ての制度が旨く機能したわけではなく、本書にある通り、会長とCEOの兼務を認めていることにより権力が一個人に集中し、「独立取締役会」が形骸化してエンロン、ワールドコム事件のようなことが起きているわけだし(英国は会長とCEOの兼務が認められていない)、更にはアンダーセンといった監査法人もグルだったりした―そうした事件を契機に「独立取締役会」の成員条件や機能を強化し、SOX法などが定められ、企業に対する情報開示要請や内部監査機能は日本よりずっと厳格なものにはなっていることがわかります(こうして見ると日本の内部監査は遅れているというか迷走している)。

『ウォール街』(1987).jpg 本書で多く紹介されている敵対的企業買収の事例なども、企業の情報開示の弱い部分、株主の目の行き届かない部分を突いており、それでも、オリバー・ストーン監督の映画「ウォール街」('87年/米)のゲッコー氏のモデルとなった米国の投資家アイバン・ボウスキー(本書160ページに登場、「ジョニ黒」を作っている会社の買収争奪戦で、英国ギネス社の株価を釣り上げるためにギネス社と結託して暗躍した)のような人物は、この先も出てくるのだろうなあ(インサイダー取引で逮捕されたこの人について書かれたジェームズ・B・ステュアートの『ウォール街・悪の巣窟』はピューリッツァー賞を獲得している)。 

1987 Best Actor Oscar Winner Michael Douglas for Wall Street.jpgウォール街 パンフ.jpg 因みに、映画「ウォール街」の方は、ゲッコー氏を演じたマイケル・ダグラスにアカデミー主演男優賞をもたらしましたが、ストーリー的にもややご都合主義的かなとも思える部分はあったもののまあまあ面白く、個人的には、マーティン&チャーリー・シーンの親子共演が印象的でした。

1987 Best Actor Oscar Winner Michael Douglas for "Wall Street"

 チャーリー・シーンがゲッコーに憧れる駆け出しの証券マンを演じ、その父親役のマーティン・シーンは、今や買収されそうな飛行機工場に働く組会活動に熱心な労働者という役どころで(この映画は80年代日本がバブル景気で浮かれていた頃アメリカはどうだったかを知ることが出来る映画でもある)、マーティン・シーンは「地獄の黙示録」('79年/米)かザ・ホワイトハウス.jpgら8年、随分老けたなあという感じがしました。当時マーティン・シーンは出演作に恵まれておらず、それが何となく役柄と重なってしまうWALLSTREET 1987  MARTIN SHEEN, CHARLIE SHEEN.jpgのですが、後にテレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」('99年-'06年)の合衆国大統領役で復活し、エミー賞主演男優賞を獲得しています(「ザ・ホワイトハウス」は、シーズン1の第1話が一番面白い)。
WALLSTREET 1987 MARTIN SHEEN, CHARLIE SHEEN

「ウォール街」●原題:WALLSTREET●制作年:1987年●制作国:アメリカ●監督:オリバー・ストーン●製作:エドワード・R・プレスマン●脚本:スタンリー・ワイザー/オリバー・ストーン●撮影:ロバート・リチャードソン●音楽:スチュワート・コープランド●時間:128分●出演:マイケル・ダグラス/チャーリー・シーン/ダリル・ハンナ/マーチン・シーン/ハル・ホルブルック/テレンス・スタンプ/ショーン・ヤング/ジェームズ・スペイダー●日本公開 二子東急.jpg:1988/04●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:二子東急(88-09-18)(評価:★★★☆)●併映:「ブロードキャスト・ニュース」(ジェイムズ・L・ブルックス)

ザ・ホワイトハウス1.jpgThe West Wing (NBC)ホワイトハウス.jpg「ザ・ホワイトハウス」The West Wing (NBC 1999/09~2006)○日本での放映チャネル:NHK-BS2(2002~2006 シーズン1~4)/スーパー!ドラマTV(2008~2009 シーズン5~7)

《読書MEMO》
映画に学ぶ経営管理論2.jpg●松山 一紀『映画に学ぶ経営管理論<第2版>』['17年/中央経済社]
目次
第1章 「ノーマ・レイ」と「スーパーの女」に学ぶ経営管理の原則
第2章 「モダン・タイムス」と「陽はまた昇る」に学ぶモチベーション論
第3章 「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」に学ぶリーダーシップ論
第4章 「生きる」に学ぶ経営組織論
第5章 「メッセンジャー」に学ぶ経営戦略論
第6章 「集団左遷」に学ぶフォロワーシップ論
第7章 「ウォール街」と「金融腐蝕列島"呪縛"」に学ぶ企業統治・倫理論

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網羅的なマニュアル、精神論主体の啓蒙書の域に止まり、読後に残らない。

あなたの会社の評判を守る法.gifあなたの会社の評判を守る法 (講談社現代新書)』 ['07年]

 「コーポレート・レピュテーション」という概念を紹介していますが、レピュテーション(reputation)とは「評判」であり、「コーポレート・レピュテーション」とは、「企業人の判断・行動、発言に対して、消費者や投資家、取引先、ジャーナリズム、地域社会といった全てのステークホルダーが下す正または負の評価のこと」であると、本書では定義しています。

 冒頭に、「ブランド価値というのは、基本的にはその企業が提供する商品もしくはサービスに対する評価である」といった、いかにもマーケッターっぽい「ブランド・エクイティー戦略」の話などが出てきて、経歴を読まずとも、著者の出自が推し測れてしまいました(企業のマーティング部門から品質管理・市場対応部門に転属、その後、独立してコンサルタントに)。

 自らの体験に近いところで書かれているようで、「製品不良問題に対する市場対応」問題に話は集中していています(レピュテーションの対象とするものは、これに止まらないと思うが)。
 確かにこれだけでも、石油ファンヒーター、湯沸かし器から食品・菓子類まで、近年の製品事故の事例は枚挙に暇が無いわけで、そうした例を挙げながら、事故対応の問題点を指摘し、あるべき対応策を整理しています。
 但し、素材に新しさはあるけれども、内容的にはマニュアルを圧縮しただけの感じもして、特にハッとさせられるようなものなく、消費者関連法など法律面についても、限定的な紹介しかされていないように思えました。

 「会社の評判」は決して「金で買えるもの」ではないという趣旨は尤もですが、「全てがトップ次第」であると言いつつ、不祥事が起こった際、それに対して真摯に取り組んでいるかいないかは相手に伝わるものであり、「社員ひとり一人がステークホルダーに向き合え」とも言っており、結局、基本は網羅的なマニュアル書で、論説部分は精神論主体の啓蒙書の域に止まっています(読んで目から鱗が落ちたという人がいれば、そちらの方が問題)。

 レスリー・ゲインズ=ロス『「社長の評判」で会社を伸ばす』('06年/日本経済新聞社)ではないですが、受身的なマニュアル本や精神論主体の啓蒙書よりも、何か「決め打ち」的な戦略が示されているものの方が、読んだ後に残るものがあるように思いました。

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「企業にどうして社会的責任が求められるのか」という考察が興味深い。

「誠実さ(インテグリティ)」を貫く経営.jpg 誠実さを貫く経営,200_.jpg
「誠実さ(インテグリティ)」を貫く経営』 (2006/03 日本経済新聞社)

 著者は大学教授であり、CSR、内部統制の専門家で、本書は'05年中に刊行する予定だったのが、放送局、原子力発電所、金融機関などで不祥事が続き、さらに列車脱線事故が起きるなどして委員会参加などに忙殺されたために刊行が遅れたとのことで、学者らしいかっちりした内容ながら、遅れた分だけ直近の企業不祥事が事例として多く盛り込まれていて、問題を身近に感じつつ読めました。

 また、ある種"理想論"的なタイトルでありながらも、著者が複数の大手企業の社内倫理委員会のメンバーを務め、その中で企業には誠実さが求められることを説き、それを前提に内部統制を実践してきているため、論旨が地に足のついたものとなっています。

 CSRというものの歴史的起源から始まって、社内の公益通報制度を不満の捌け口として濫用する従業員に対するその非合理性の論証などもあり、さらにCSR先行企業の取り組み事例まで、カバーしているテーマの階層レベルは広い。

 個人的に興味深かったのは、「企業にどうして社会的責任が求められるのか」という考察で、著者によれば、企業とは「法人」つまり法的に擬人化した存在であり、企業のもともとのオーナーたちは「自然人」に求められる法的・社会的責任を「法人」に転嫁したわけで、一方、最近では、企業は株主のものであるというということが改めて言われるようになっていますが、有限責任を前提とする株主が企業の所有者であるならば、自分たちは出資した以上の責任は負わないということになり、そこに「責任の空白」が生まれる―。

 したがって、「法人」たる企業がやはり責任を負うことになり、この帰結は同時に、「株主利益の最大化」が唯一の企業の社会的責任だというフリードマンの理論の"穴"にもなっていて、株主(所有者)が無限責任を負うならばともかく「有限」責任のままでいるならば、「法人」(現実には経営者や従業員)が社会的責任の担い手とならなければならず、従って、経営者や従業員は利益を上げてくれればそれでいいと株主が言うのは身勝手な論理であると...(企業が社会的責任を果たすことが「株主利益の最大化」に繋がるという論法も当然成り立つが、現実には、CSRへの取り組みが"短期的に"利益を生むことは殆ど無い)。

 企業を支える経営者や従業員がそれぞれにおいて誠実であるしかないということで、CSRへの取り組みは、長期的には必ず市場から評価を得ると著者は述べています。

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コンプライアンス=「法令遵守」と考えるのではなく、「社会的要請への適応」と考えるべしと。

「法令遵守」が日本を滅ぼす.jpg「法令遵守」が日本を滅ぼす』新潮新書〔'07年〕gohara.bmp 郷原 信郎 氏 (経歴下記)

 著者は東京地検特捜部の元検事で、以前からある建設談合事件から直近の耐震強度偽装事件、不正車検事件、パロマ事件まで多くの事件を取り上げ、そうした事件やその後の企業等の対応の背後にある「コンプライアンスとは単に法を守ること」という考え方の危うさを本書で示しています。
 
 建設談合についての過去における一定の機能的役割を認めているのが興味深く、単純な「談合害悪論」がそうした機能をも崩壊させようとしているとし、ライブドア事件や村上ファンド事件については、ライブドアの経営手法を現行法に照らした場合の違法性の低さや村上世彰氏の行為意をインサイダー取引と看做すことの強引さを指摘しているのが、元検事という経歴からして少し意外な感じもしましたが、「違法」という1点の事実により「劇場型報道」を行うマスコミを批判し、事件捜査のあり方が「劇場型」になってしまうことを危惧しています。

 また、独占禁止法と知的財産法など、ぶつかりあう関係にある法律も多くなり、かつて日本の司法―裁判官、検察官、弁護士などは、農村社会における巫女のような役割を果たしていたのが(喩えが面白い)、世の中が複雑になり、密着しあう様々の法律の隙間の部分での事件が多くなると、個別の法律を1つの点で捉えるのではなく、複数の法律を面で捉える必要が生じているのに、そうした捉え方が出来る人材が不足しているとのこと。

 ライブドア事件や村上ファンド事件などの検察の捜査は、司法の経済活動への介入ともとれ、1つ間違えると「法令遵守」が市場をダメにすることにもなりかねず、そうした意味での"経済特捜"の役割と責任の大きさを説いています。

 結論的には、「コンプライアンス=法令遵守」と考えるのではなく、「コンプライアンス=社会的要請への適応」と考えるべきであるということで、最後にそうした要請に応えるべく「フルッセト・コンプライアンス」という概念を具体的要素を挙げて提唱していますが、そこでは組織を壊死させるのではなく機能させることを主眼としているように思えます。
コンプライアンスの考え方.jpg
 新書版でさらっと読める割には内容の奥は深く、ただしややわかりにくい部分もあり、早稲田大学の浜辺陽一郎教授の著書『コンプライアンスの考え方―信頼される企業経営のために』('05年/中公新書)のように、冒頭で本来のコンプライアンスを「法令遵守」と訳すのは誤りであると指摘してしまった方がわかりやすかったかも。
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郷原 信郎 (ごうはら のぶお)
1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒業後、東京地検検事に任官。1990年4月に日米構造協議を受けて独禁法運用強化が図られていた公正取引委員会事務局に出向し、 1993年3月までの審査部付検事などとして勤務。その後、東京地検検事、広島地検特別刑事部長を経て、1999年4月から法務省法務総合研究所研究官。 2005年4月、 桐蔭横浜大学法科大学院に専任教官として派遣されるとともに、同大学コンプライアンス研究センター長に就任。主著に 『独占禁止法の日本的構造-制裁・措置の座標軸的分析 』

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内部告発と公益通報の違い。新法の条文内容を検証、問題点も指摘。

内部告発と公益通報.jpg  内部告発と公益通報,200_.jpg
内部告発と公益通報―会社のためか、社会のためか』 中公新書 〔'06年〕

 本書では、一般に言う〈内部告発〉と'06年4月施行の「公益通報者保護法」で言う〈公益通報〉は、どこが同じでどこが違うのかが、どのような場合が"保護"の対象になるのかなどが解説されています。

time.bmp 実際に起きた内部告発事件(エンロン・ワールドコム、牛肉偽装、警察公金不正流用、原発トラブル隠し、自動車クレーム隠しなど)の経緯が要領よく纏められていて、そうした事件を参照しながら、内部告発があった場合の企業側のとるべき対応手順などにも触れられています。

 また、今後はより微妙なケースも起きると考えられ、告発のための内部資料の持ち出しなどにおいて、「目的は手段を正当化するか」という難問が浮上することを示唆し、実際に企業側が報復手段としての懲戒処分を行い、懲戒の有効無効を争う裁判で、地裁と高裁でまったく逆の判決が出たケースなどが紹介されていて、この問題はなかなか難しいなあと思いました。
 さらにこれらを踏まえ、内部告発を行おうとする人への助言もなされています。

070114.jpg 「公益通報者保護法」は、通報先に優先順位(内部→行政機関→マスコミ等)が定められていて、保護対象も労働者に限られている(派遣労働者や取引先労働者も保護対象に含むが、取引先事業主などは含まない)ことなどから、内部告発を抑制するのではとの批判も多い法律ですが、著者は "公益"という前向きのネーミングを評価し、冷静に条文内容を検証してその意図を汲むとともに、曖昧部分などの問題点も指摘しています。

 著者は元労働基準監督官ですが、最後に、「日本の法律は守れるのか」という根本問題を、高速道路の制限速度やサービス残業を摘発する役所の残業の青天井ぶり(逆に残業しなくても残業代が"パー配分"されていたりもする)を例に提起し、もともとの法律が守れるかどうかの検証を欠いたコンプライアンスは成り立たないとしています。
 
 このことに関連して、現代社会には"義憤"需要のようなものがあり(また、それに応えるマスコミなどの義憤産業もある)、カタルシスのための義憤では内部告発も公益通報も単に義憤劇で終わってしまうと警告していて、大いに考えさせられました。

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企業のグローバル化とCSRの関係を指摘するなどした良書。

企業倫理をどう問うか.jpg 『企業倫理をどう問うか―グローバル化時代のCSR』 (2006/01 NHKブックス)

 本書は、「企業の社会的責任」とは何か、「CSR」とは何か、そしてそれが「企業倫理」とどう関係しているかを読者に理解してもらい、読者が「行動」を起こすことを期待して書かれた本であるとのことで、「企業倫理」という言葉そのものの(字義的)考察は本書内では敢えてしていない、と冒頭で断ってあります。

 しかし、新聞記事に見る「企業倫理」「企業の社会的責任」という言葉の使用頻度の過去推移分析がしてあり、それがなかなか興味深く、リクルート事件で「企業の社会的責任」という言葉の使われたのを最後に('88年)、その後の'90年代の企業不祥事では「企業倫理」という言葉が使われていて、それが'04年頃からそれに代わるように、また「企業の社会的責任」がよく使われているとのこと.。
 '90年代終わり頃から使われ始めた「コンプライアンス」という語に「企業倫理」が吸収されていったフシもあるとのことですが、その理由やそうした変遷を経ての言葉の意味合いの変化なども分析もされています。
 一方「CSR」の方も曖昧性を残す言葉ですが、発祥元の欧州ではボトムラインがきっちり定められているようです。

 サブタイトルには「グローバル化」という言葉もありますが、特にグローバル企業の労働搾取や環境破壊問題が広く指摘されていて、国際企業が独裁政権と商取引の上で手を組んで、結果として環境破壊や人権侵害に間接的に関与する形になっていたり、あるいは、有名スポーツブランドのサッカーボールが、発展途上国の児童労働によって生産されていたりする―こうしたことをチェックする動きが海外のNGOなどにはあり、倫理基準(「CSR」)に抵触する製造・流通過程を経た商品は安くても買わない、そうしたことが最初に述べた「行動」するということに繋がるということです。

 著者の真摯な問題意識に貫かれている良書ですが、海外の多国籍企業の問題に限らず、国内企業の「偽装請負」なども、まさに労働搾取との批判を避けて通れない問題ではないかと思いました。

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コンプライアンス=「法令遵守」という訳語は不完全であると指摘。

コンプライアンスの考え方.jpg 『コンプライアンスの考え方―信頼される企業経営のために』 中公新書 〔'05年〕

 コンプライアンス=「法令遵守」、つまり「法令違反を犯さないこと」がコンプライアンスだと理解されがちですが、欧米で「コンプライアンス」と言えば、「法令遵守」だけでなく「企業倫理」も対象とするのが一般的であるとのこと。
 では「経営倫理」「企業倫理」とは何なのか、また「コーポレート・ガバナンス」「CSR」「リスク・マネジメント」といったものとはどういう関係にあるのかを解説し、さらに「コンプライアンス」への取り組み方や、どこから始めてどこまでやるべきかなどが書かれています。

 ただし全体としては、実務書と言うよりは、用語の定義的な話がかなりの比重を占め、これら外来語の背景にある法文化などにも触れていますが、何となく一般化した外来語が溢れる中、コンプライアンスの定義的位置づけを隣接概念と併せてを理解することも必要かと思われ、そうした意味では充実した解説がされている本です。

 「コンプライアンスは大事なこと」と理解しつつも、形式主義に陥ったり、意識教育がなされていないことで起きる事故や悲劇を例に挙げながら、コンプライアンス・プログラム(長期的な視野に立って会社の健全な活動を促すための総合的なプログラム)への主体的な取り組みを訴えています。

 自社に「コンプライアンス委員会」があるとすれば、まずメンバーがどのあたりまで「企業倫理」や「主体的取り組み」というものを意識しているか、「法令遵守」に汲々とし受身的になっていないか、本来のコンプライアンスの在り方との距離を測るうえでも、参考になるかと思います。

《読書MEMO》
●コンプライアンス=「法令遵守」という訳語は不完全、ややもすると誤ったとニュアンスを伝えてしまう危険性も(4p)
●「遵守」は最終的に個人→コンプライアンスの中心にあるのは「組織的な対応手法」(5p)
●コンプライアンスは法令だけでなく企業倫理(ビジネス・エシックス)も対象とする(7p)
●監査役がコンプライアンスの中心的な役割を担うと考えると、コンプライアンス・プログラムがカバーする領域が限定され、無理が生じる(監査役に業務執行権はなく、基本的には「適法性監査」をしていれば十分)(79p)
●コーポレート・ガバナンスの2つの狙い...1.コンプライアンス 2.経営パフォーマンス・業績向上(コーポレート・ガバナンスの一環としてコンプライアンスがある)(88p)
●CSR(corporate social responsibility)「企業の社会的責任」
・コンプライアンスもCSRも同じような価値観と狙いを持っている
・CSRはどちらかと言えば、ポジティブな目標を高く掲げ、「法的責任」よりも「社会的責任」に焦点をあてている(99p)。
● CSRは欧州でブーム、米国ではコンプライアンスが先行
● 法律の規制内容は何も変わっていないのに、その取締りが強化されるようになったものも少なくない(例えば、コンプライアンスの中で軽視されがちであった労働法の分野―サービス残業に対する塹壕手当の不払い解消に向けた厚生労働省の取り組み強化)(212p)

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