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「パワハラ」という和製英語では、職場に起きるハラスメント全体には対応できないと主張。

職場のハラスメント 中公新書.jpg 『職場のハラスメント なぜ起こり、どう対処すべきか (中公新書)』['18年]

 職場のいじめを、企業の構造的な問題として捉え、「ハラスメント」という包括的な概念に基づき問い直すことを喚起し、実効的な規則と救済の制度を確立することを提唱してきた著者による本です。

 第1章では、職場におけるハラスメントがかつて「いじめ」や「嫌がらせ」と表現されていた中で、ハラスメントという主張が登場した経過を振り返るとともに、セクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントなどのさまざまなハラスメント概念が氾濫している現状を分析しています。

 また、実効的なハラスメント対策を実施するうえでの問題点の1つとして、パワー・ハラスメントという概念が日本独自のものであることを挙げています。パワー・ハラスメントという言葉は、2001年に人事コンサルタントによって提唱された概念で和製英語であり、その言葉が世間に普及したため、厚生労働省も2012年にパワハラ概念による規制政策を提言したとのことです。

 しかしながら、厚生労働省が定義するパワハラ概念は、その認定において「職場内の優位性を背景に」と「業務の適正な範囲を超えて」の2つの要件を課しているため(しかも、セクシャル・ハラスメントはパワハラとは異なる定義がされているため)、パワハラという用語がさまざまなハラスメント行為の一部を表しても、職場に起きるハラスメント全体には対応できず、職場のハラスメントの解決にとってこのパワハラという用語は不適切であるとしています。

 著者によれば、そもそも「ハラスメントにならない指導や叱り方」という発想は、使用者と労働者との関係について、労働契約関係は合意に基づく対等・平等であるという原則を無視しているとのことです。また、パワハラの考え方が、部下に対する上司の「権力」を前提としていることも、使用者と従業員との間の自由な意思に基づく契約関係、すなわち対等・平等な関係を無視することであるとしています。

 第2章では、職場のハラスメントの実態をさまざまな調査結果から探り、ハラスメントが起きる構造を探るとともに、メンタルヘルス不調や長時間労働などに起因する隠れたハラスメント問題も取り上げています。

 第3章では、通常の業務を通じて行われる業務型ハラスメントをはじめ、労務管理型、個人攻撃型などのハラスメントの類型と、またその中にどういったタイプのハラスメントがあるのかを、170件以上もの裁判例を通じて紹介しています。

 第4章では、ハラスメント規制の先進国のEU諸国がどのように規制を行っているかを紹介し、被害者を救済するにはどうすればよいか、使用者や管理者の責務、労働者の責務、外部組織の役割、規制立法の役割を述べています。

 また、巻末には、被害者と企業のための「ハラスメント対策の10か条」集が付されていて、この中には、「企業におけるハラスメント防止のための事前措置10か条」「企業内でのハラスメント事後対応の10か条(使用者と人事管理部門の役割)」「企業内の相談担当者のための10か条」「ハラスメント調査のための10か条」など、企業内の担当者がチェックリストとして参照できるものが含まれています。

 本書の最大の特徴はやはり、「パワハラ」という言葉の問題点を指摘し、「ハラスメント」という包括的な概念を用いることを提案している点にあるでしょう。それ以外は、啓発書としてはオーソドックスであり、またハラスメントの事例も豊富で、類型整理などもよくまとまっていますが、「ハラスメント対策の10か条」も含め"マニュアル的"というよりは"啓発書"的であり、全体としても"教養系"の色合いがやや濃いように思いました(「中公新書」らしいと言えばそうなるが)。

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〈頑張りたくても頑張れない時代〉を生き抜くヒントを示した〈実証的〉啓発書。
誰が「働き方改革」を邪魔するのか.jpg
誰が「働き方改革」を邪魔するのか8.JPG

誰が「働き方改革」を邪魔するのか (光文社新書)』['17年]

 本書によれば、少子高齢化で労働力が減少する中、働き方改革による労働力の多様化戦略として打ち出されたのがダイバーシティであるが、それはなかなか浸透してはいないとのことです。著者は、この問題の解決において必要なのは、「頑張りたくても頑張れない人」の活用であるとしています。本書では、なぜ「頑張れない人」が生み出されるのか、その背景にも迫りながら打開策を探り、働く人のこれから生き方を模索しています。

 第1章では、改善どころか悪化の一途をたどる非正規雇用の実態などから、"景気好転"の実感がないまま"取り残された層"は増え続けていると指摘しています。一方で、"一度頑張れなくなったけれども苦境を乗り越えてきた人たち"を取り上げ、そのことを通して、「何が頑張りたい人を頑張れなくしているのか」を考察し、そこには、未だはびこる男性至上主義社会や、人の心に宿る妬み嫉みの問題などがあることを指摘しています。

 第2章では、ダイバーシティ推進を邪魔するものとして、日本社会が長い年月をかけて培ってきた「社会人の一般常識」と、右にならうやり方をなすために用意された"罰則"や"恐怖"の縛りから生じる「心に潜む制動力」を取り上げています。企業の変わらない体質と、働く側の心に潜む"恐れ"が、ダイバーシティ推進の見えない壁となっているとのことです。

 第3章では、そうした「ダイバーシティ推進後発組」を尻目に、独自の施策をいち早く打ち出している「ダイバーシティ推進先行企業」もあるが、そうした先駆"社"といえども、推進の道は容易ではないとし、そうした企業が、どのような取り組みを行っているのかを紹介しています。

 第4章では、従業員の立場から、いかに新しい時代に即した意識を獲得していくかについて述べています。会社が用意した人生のレールの上だけを走るというのがダイバーシティ以前の会社人間の生き方だったのが、ダイバーシティの潮流が日本社会に入り込んだことで、企業は従業員を"庇護する対象"から"自立体"として対峙しようとしている―つまり、「自律的社会人」というのが時代の潮流であるが、「自分は自分」であるとして、その自分をどう育てるかがこれからの個々の課題となってくるとのことです。ここで著者が、「エゴイスト」という言葉をキーワードとして用いているのが興味深いです。「社会がよくなれば、私もよくなる」のであり、「私が欲する正義」をエゴイスティックに突き詰めることは、その扉を開けることであるとしています。

 第5章では、ダイバーシティを俯瞰的にとらえる試みを通して、ダイバーシティによって日本が向かう新しい社会の姿を考察しています。そして、個人が働き方を決め、責任を負う社会になっていくうえで、他者との違いが否定されない「心理的安全性」が、個性的な働き方を生産性向上につなげる補助要因になるとしています。また、「心理的安全性」は、個々人の心掛けだけでは実現せず、企業の理解と体制づくりが必要であるとしています。

 最後の第5章で、「自分の生き方をふだんから積み上げておく」「隣の芝生が青いかどうかは問題ではない」「自律的に生きる」と述べられてるように、〈頑張りたくても頑張れない時代〉を生き抜くにはどうすればよいか、社会分析や先進事例を織り込みながら、働く人に向けてそのヒントを示した〈実証的〉啓発書とでも言うべき内容となっています。一方で、経営に携わる人の覚悟ひとつで、悪循環を繰り返すか、そこから抜け出す一手を打つかの違いになるともしており、経営者や人事パーソンにとっても、啓発的要素はある本かと思います。

 但し、第2章で、ダイバーシティ推進を邪魔するものとして、「社会人の一般常識」と「心に潜む制動力」を取り上げていて、意識の問題は確かに大きいとは思いますが、この辺りからややもやっとした展開になったのは否めないようにも思いました(第4章での「エゴイスト」という言葉をキーワードとした議論の展開などは興味深かった)。

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"現代若手社員像"分析は体系的に整理されている。施策提言部分も、啓発的ではあるが...。

なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?7.JPGなぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?.jpg
なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか? 職場での成長を放棄する若者たち (PHPビジネス新書 376)』['17年]

 本書の構成は、第1章から第3章までがタイトルに沿った若手社員の現状およびその背景の分析、並びにその要因となる課題の抽出であり、第4章がマネジャーによる課題解決の方向性と施策、第5章が若手自身による課題解決の方向性と施策となっています。

 第1章では、現代の若手社員は職場においてどのような状況なのか現状分析し、その行動特性や思考特性として、まじめで優秀、自己実現志向、社会志向を持ち、自分の時間を大切にし、フラットなヨコのネットワークを駆使する自己充実型の若手社員―こんなに意識と意欲の高い、前向きさを持っている人たちが、一方では、報告や相談ができず、個性や欲求がなく、打たれ弱く、リスク回避志向が高く、待ちの姿勢であるとも指摘されるとしています。

 第2章では、現代の若手社員がそのような行動特性や思考特性を持つようになった背景を、彼らが生きてきた社会状況、教育現場の環境などの変化に着目して分析し、その節目は1991年と2004年にあって、今の若手社員は、詰め込み教育によって高度なインプット能力を携えた"91年前"世代とも、キャリアアップ志向を携えた"04年前"世代とも異なる存在であり、今の会社での仕事を生き生きとしている、という状況ではないとしています。

 第3章では、若手の成長を阻み、彼らが会社で生き生きと仕事できないでいる要因として、業務の高度化や細分化などがもたらした仕事上の「タスク完結性」「自律性」「フィードバック」の低さが、彼らに仕事に対する違和感を抱かせ、モチベーションを下げていて、若手社員はいま「成長の危機」にあるとしています。

 第4章では、従来のOJTなどによる経験学習モデルが、さまざまな環境の変化によって機能しなくなり、そうした「環境適応性」の揺らぎが経験学習を阻んでいるとしたうえで、こうした状況に対してのマネジャーの処方箋として、環境適応性を引き出す「問いかけ」が効果的であるとしています。具合的には、彼・彼女はどのようにしてこの会社と出会い、どのような好感を持ち、どのようなことができると思い入社したのか、その時の彼・彼女の経験、気づき、思いを聞き出す「キャリアインタビュー」を行うことなどを提唱しています。

 第5章では、若手社員自身がどのような行動をとることで状況を打開できるか、周囲にどのような働きかけをすればよいかを説いています。まず、「天職探し」という考えを捨て、とにかく行動すること、「外に出る」「仲間を得る」「視野を拡大する」「目の前の仕事に対して事を起こす」という4つのポイントに沿って、社外での学習機会を活用したり、ボランティア活動によって当事者意識を育んだりすることなどを推奨しています。

 全体として、第1章から第3章までは、著者の前著『若手社員が育たない。―「ゆとり世代」以降の人材育成論』 ('15年/ちくま新書)からさらに体系的に整理された"現代若手社員像"の分析となっているように思いました。第4章のマネジャーにとっての処方箋の部分も、それまでの分析を受けていて啓発的ではあるものの、例えばキャリアインタビューなどは、前提となる相互の信頼関係や、聞く側に相応の技量があることが条件となるようにも思いました(自身がある人は、部下に対してキャリアインタビューしてもいいと思うが、人事サイドで、「マネジャーの皆さん、部下にキャリアインタビューをしてください」ということにはならないだろう)。むしろ第5章の若手社員に対する提言部分の方が、若手に限らず、かなり幅広い層に受け入れられる啓発であるように思いました。

《読書MEMO》
●目次
第1章 前向き、なのに頑張らない―若手社員の矛盾に満ちた実態
第2章 「新能力」「新学力」がもたらした大転換
第3章 「えもいわれぬ違和感」の正体
第4章 マネジャーへの処方箋―環境適応性を引き出す「問いかけ」の力
第5章 若手社員への処方箋―「天職探し」を捨てよ、外に出よう

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「ワンオペ育児」から「チーム育児」へ移行と、その仕事上のメリットを説く。

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育児は仕事の役に立つ 「ワンオペ育児」から「チーム育児」へ (光文社新書)』['17年]

 二人の識者の対話形式で成る本書は、書名がそのまま主張になっていて、①「育児をする経験」は、ビジネスパーソンの業務能力発達につながること、その際の育児は、②夫婦のうちのどちらかがひとりで抱えこむ「ワンオペ育児」ではなく、夫婦を中心とする「チーム」として育児を行う「チーム育児」であることを主張しています。本書での「育児をする経験」とは、「共働き世帯における夫婦で取り組む育児」をさしています。

 第1章「『専業主婦』は少数派になる?」では、「共働き家庭」が増加していることの社会的背景を探るとともに、共働き家庭における役割分担の負担が男女で均等になっていないこと、そこには日本の労働慣行や長時間労働の問題が横たわっていることを確認しています。

 第2章「『ワンオペ育児』から『チーム育児』へ」では、共働きしながら育児をする人が増加する中で、母親がひとりで抱え込む「ワンオペ育児」から、父親と母親、さらには祖父母、親戚、保育園などさまざまなサポートを得て行う「チーム育児」に移行することが必要であるとしています。

 第3章「チーム育児でリーダーシップを身につける」では、その「チーム育児」は、実は育児以外にも大きなメリットを持つことを紹介しています。チーム育児を通して、30代を中心とする子育て期の社員にとって、仕事の現場で求められるリーダーシップ行動が高まるという研究成果を示し、なぜリーダーシップ行動が高まるのか、チーム育児がリーダーシップ以外の仕事上の能力向上に与える効果についても考察しています。

 第4章「ママが管理職になると『いいこと』もある」では、第3章に引き続き、チーム育児のメリットとして、チーム育児を行うことをきっかけに、人はマネジメントに魅力を感じはじめるという研究知見を紹介しています。さらに、チーム育児は、親の人間的な成長をもたらすことも紹介しています。

 第5章「なぜママは「助けてほしい」と言えないのか」では、チーム育児が進まない原因のひとつとして、育児を妻かがひとりで抱えこむ「ワンオペ化」があるが、そこには企業の長時間労働の問題のほかに、妻自身が「育児を他に任せてはいけない」「他人に援助やサポートを求めてはならない」と思い込んでいるという心理的要因もあるとし、他人に助けを求めることを肯定的に捉える「ヘルプシーキング」という発想について対話しています。

 第6章「日本の働き方は、共働き世帯が変えていく」では、チーム育児を円滑に進めていくための「3ステップモデル」というものを紹介、最後に、共働き育児は今後どうなっていくのか、将来、人々の働き方や企業、社会、個人はどう変わっていくべきかを論じています。

 大括りすると、第1、第2章でチーム育児が必要となる社会的背景、第3、第4章でチーム育児の仕事への効果と親としての成長へのつながり、第5、第6章で「ヘルプシーキング」という発想と「3ステップモデル」について語られていることになりますが、人事パーソンへの啓発という意味では、第3、第4章が読みどころではないかと思います(同じく提案部分である第6章は、ややもやっとした印象か)。

 全編が対話形式であり、調査データや研究知見を織り込みながらも、それに呼応する対話者自身の経験談もふんだんに出てくるため、読みやすく、また内容がイメージしやすいものとなっているので(夫婦とも正社員で、子どもが2人以上いるケースを対象モデルとした対話になっている)、手にしてみるのもいいのではないかと思います。

 ひとつ意地悪な見方をすれば、「チーム育児」を通してリーダーシップや仕事上の能力向上ができる人は、もともとそうした素養がある人ではないかという気もしなくはありません。女性たちの間で、「育児経験が仕事に活きる」という幻想であり"今できないこと"は産んでもできないとの論もあり、男性についても同じこと("今できないこと"は産まれてもできない)が言えなくもない? 但し、全てを個人の資質論に還元してしまうと、世の中は何も変わらないというのもあるだろうなあ。要するに、どちらから論じるかの違いだけかもしれません。

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同一労働同一賃金の意義は、それが新しい働き方ポートフォリオの実現に不可欠な公正な報酬決定基準につながること。

同一労働同一賃金の衝撃s.jpg同一労働同一賃金の衝撃.JPG
同一労働同一賃金の衝撃 「働き方改革」のカギを握る新ルール』(2017/02 日本経済新聞出版社)

 政府が「働き方改革」における目玉政策として掲げ、わが国の職場に導入しようとしているのが「同一労働同一賃金」というルールですが、本書は、そもそも政府が同一労働同一賃金を導入する狙いはどこにあるのか、そして、わが国でそれが根づいてこなかったのはなぜか、といった様々な疑問を明らかにすべく、歴史的経緯や欧州諸国の実態を踏まえ、同一労働同一賃金について多角的観点から解説しています。

 第1章「ハードルは何か」では、わが国で同一労働同一賃金を導入するにあたっての様々なハードルについて考察し、わが国で同一賃金同一労働が成立してこなかったのは、人基準の雇用システムと、その結果としてのメンバーとしての正社員と有期契約の非正規労働者という、システムの二元性に原因があると分析しています。

 第2章「欧州の実態」では、同一労働同一賃金の本家家元である欧州諸国の実態を概観し、その根底には人権保障にかかわる均等待遇原則があるが、それは必ずしも所得格差を是正するのに十分な効果を持つものではなく、実際に欧州での所得格差は拡大傾向にあり、同一労働同一賃金の所得格差の是正に対する効果を過大評価すべきではないとしています。

 第3章「公平さを実現するには」では、わが国の処遇格差の実態をデータで確認し、必ずしも所得格差が拡大しているわけではないとしたうえで、客観的な格差と不公平感を区別することの必要性を指摘し、働く人のキャリア形成という視点から、人材形成や手続きの公正性といった、多角的な公平性への取り組みが必要になるとしています。

 第4章「企業は活性化するか」では、同一労働同一賃金が、経済活性化と両立できるものか考察し、正社員の硬直性こそが、正規・非正規間の格差問題の背景にあり、その意味で、正社員の在り方の見直しこそ、同一労働同一賃金などの格差是正政策と経済活性化との両立の鍵となるとしています。

 第5章「『日本型』実現の可能性」では、こらめでの考察を踏まえ、日本の特性を生かした「日本型・同一労働同一賃金」を実現するためには、企業や政府がどのような認識を持ったうえで、具体的にどのような取り組みをしていく必要があるかを考察しています。

 この第5章と、エピローグ「社会改革の方向性」が具体的な提言部分になっており、とりわけ第5章では、同一労働同一賃金の実現のためのポイントを整理したうえで、30歳代までの時期は、全ての労働者にメンバーシップ型雇用で働く経験を与え、40歳代以降については様々な選択肢を用意する「ハイブリッド型人事制度」というもの提唱し、そこから、ライフステージに応じた、多様性のある新しい働き方ポートフォリオのイメージを描いています。

 同一労働同一賃金の意義は、それがこうしたポートフォリオを実現するにあたって不可欠な公正な報酬決定基準につながるとし、本来の同一労働同一賃金の意義を実現するためには、トータルな働き方改革に同時に取り組まなければならないというのが本書のスタンスです。

 実務家にとってのやはり読みどころは第5章でしょうか。同一労働同一賃金の実現に必要な職務評価制度の整備や、予想される弊害への対応、個別企業が検討すべきポイントなどの諸課題が整理されれているとともに、先進企業例も紹介されています。もう少し第5章を膨らませて欲しかった気もしますが、同一労働同一賃金を実現することと働き方改革を推進することの関係が理解できるという意味では(同一労働同一賃金の実現には、働き方改革に同時に取り組む必要があるというこ必要があるというのは政府(諮問会議)も言っていることだが、それが"腑に落ちる"説明になっているという意味で)、啓発的な本であると思いました。

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関係者に改めて取材した「丸子警報器事件」の事例にシズル感があり、本書一番の読み所。

女性活躍「不可能」社会ニッポン5.jpg女性活躍「不可能」社会ニッポン.jpg
女性活躍「不可能」社会ニッポン 原点は「丸子警報器主婦パート事件」にあった!』['16年]

 労働ジャーナリストによる著書で、著者は、雑誌「労旬」に「たたかう主婦パート」(2013年)、「たたかう主婦パートたち」(2015年)を連載するなどしており、「非正規問題」の"震源地"は主婦パートにあるとしてきた人。本書においても、冒頭、主婦パートを知らずして「非正規問題」は語れないとして、そのメカニズムや実態を分析並びに紹介しています(第1章~第3章)。そして、本書の大部分を占める第4章と第5章がそれぞれ「たたかう主婦パートのリアル」と題された著者自らが新たに取材した事例編になっています。

 第4章では、名古屋銀行パート団交で銀行側と闘い、女性ユニオン名古屋の執行委員長を経て'09年に衆議院銀議員選挙に立候補した坂喜代子氏の、名古屋銀行に入社して退職するまで、職業病の労災認定、パート労働法を活用した女性ユニオンを軸にした団体交渉、裁判準備と断念、選挙に立候補という波乱万丈の生きざまが、リアルに描かれています。

 第5章では、主婦パートの労働条件の改善を求めパートタイマー自らが会社側と裁判で争い、原告側が勝訴した裁判例として有名な丸子警報器事件の原告団について、当時の関係者に新たに取材し、なぜ、労働組合が主婦パートを組織化することが重要と考えたか、賃金差別裁判をどうやって戦い抜けたのか、その生の声を伝えています。

 結果的に、問題提起した後は、「事例」が大きな比重を占める作りとなっていますが、その事例に足で回って取材したシズル感があり、事例を通して現在に通じる非正規の問題(パート問題)の真相を浮かび上がらせるという著者の試みはある程度成功しているように思えます。とりわけ、これまで個人的には判例集などでしか知ることのなかった(本書サブタイトルにもある)丸子警報器事件について、当時の当事者が置かれていた実情などが著者の取材によって明らかになったり(既存の従業員労組と会社側との間で結ばれていた労働協約が「争議行為は行わない」「争議行為を行った者はに対して会社は懲戒解雇その他懲戒処分位に処することができる」といった会社側の要求が一方的に盛り込まれたものだったとか)、その当事者(当時に労働者)の口から語られるのには、得るものが多くあったように思います。

 新たに知ったことしては、1990年にパートタイマーを組織化した丸子警報器の労働組合ができ、1999年に高裁で、解雇裁判、賃金差別裁判とも労働者側が勝利したたわけですが、そのずっと前の70年代から会社との間で伏線となる労使の遣り取り(労働条件を巡る争い)はあったということと、女性パートが自発的に集まって組合を作った面もあるのはあるが、その契機となる1人の男性社員がいて、その人がリーダーとして皆を引っ張っていったということです。

 まるで、山崎豊子の『沈まぬ太陽』に出てくる「国民航空」の労働組合委員「恩地元」(モデルは小倉寛太郎)みたいな話でした。会社による組合潰しなどの話もよく似ていて、かなりドラマチックですが、本当にそうしたことがあったのだなあと改めて驚かされ、本書一番の読み所でした(丸子警報器事件の'実際'を知っておくというだけの目的で本書を読んでも、それなりに得るものはある)。

丸子警報器.jpg丸子警報器 map.jpg 丸子警報器事件という会社自体は長野県上田市に今もあり(真田家の支城・丸子城があった地)、裁判当時は従業員200名ほどでしたが今は(2014年取材時)は90名ほど。但し、裁判時に原告団だった28名のパートタイマーの中には今も勤めている人がいるそうです。正社員には定年があるが、パートタイマーには定年が無くなっているとのことで、これは裁判時に裁判官が実地検証したらしいですが、パートタイマーの不良製品を峻別する技能は、その経験値から正社員のそれを遥かに超えているとのこと、別に、裁判に勝ったからといって'逆差別'状態になっているわけではなく、スキルがエンプロイアビリティとして評価されているということなどだと思いました。

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「マタハラ問題」の総括。啓発的要素を含むとともに、テキストとしても読める。

マタハラ問題.jpgマタハラ問題 image.jpg image
マタハラ問題 (ちくま新書)』['16年]

世界の勇気ある女性賞.jpg 働く女性が妊娠・出産・育児を理由に退職を迫られたり、嫌がらせを受けたりする「マタニティハラスメント(マタハラ)」が、いま大きな問題となっており、労働局へのマタハラに関する相談は急増しているとのことです。本書は、「NPO法人マタハラNet」の代表者による「マタハラ問題」の総括であり、著者は2015年に、アメリカ国務省が主催する「世界の勇気ある女性賞」を日本人で初めて受賞しています。

 第1章では、著者自身が職場で受けたマタハラ体験について綴られていますが、複数の上司からの執拗な退職強要や嫌がらせに遭い、二度の流産を経てついに会社と闘おうと決意するに至るまでの経緯は、ドキュメントとして読み応えがありました。

 第2章では、マタハラを大きく個人型と組織型に分け、個人型としての「昭和の価値観押しつけ型」「いじめ型」、組織型としての「パワハラ型」「追い出し型」の4類型を示すとともに、それぞれのケースに該当する12の実例を紹介しています。

 第3章では、マタハラNetが行った日本で初めてマタハラ被害実態調査「マタハラ白書」から何がわかるかを分析しています。これを見ると、マタハラは社員規模にかかわらず発生し、相談すればするほど連鎖する傾向があることがわかります。また、先進諸国とのデータ比較を通して、マタハラは単なる女性問題ではなく、日本の少子化と経済難を直撃する経済問題であるとしています。

 第4章では、働く側が、マタハラをなくすために何ができるかについて述べています。第5章では、企業が、経済問題であるマタハラを経営問題として捉え、経営戦略として"主婦人材"を活用したり"子連れ出勤"を実践したり、選択可能な多様なワークスタイルを用意したり、職場の風通しをよくするための工夫をしたりしているケースを5社紹介しています。

 一般に、セクハラ、パワハラ、マタハラで三大ハラスメントとしてまとめられますが、本書では、マタハラがセクハラ、パワハラと一線を画すのは、それが経済問題、経営問題と呼べる点であると強調しているのが特徴でしょうか。

 マタハラは、三大ハラスメントのほかに、パタハラ(パタニティハラスメント(育児男性に対するハラスメント))、ケアハラ(ケアハラスメント(介護従事者に対するハラスメント)といったファミリーハラスメントの一角も成すことでハラスメントの中心に位置し、企業はマタハラ問題を絶対に無視できないとしています。

 第1章にある著者自身のマタハラ体験で、人事部も含め4人の上司や管理者が4人ともマタハラ行動をとってしまうというのは、人の資質の問題もさることながら、組織体質、職場風土の問題でしょう。マタハラをしている側に、してはならないことをしているという、そうした意識そのものが希薄であるように思われ、管理者や従業員の意識教育の大切さも感じました。

 そうしたリスクマネジメント的観点も含め、多分に啓発的要素を含んだ本であるとともに、「マタハラ問題」のテキストとしても読める本です。

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働く「女子」が「活躍」できない現況は、雇用システム(日本型雇用の歴史)に原因がある。

働く女子の運命4.JPG働く女子の運命 (文春新書).jpg
働く女子の運命 ((文春新書))』['15年]

 社会進出における男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数2015」では、日本は145か国中101位という低い数字であるとのこと。女性の「活用」は叫ばれて久しいのに、欧米社会に比べ日本の女性はなぜ「活躍」できないのか? 著者はその要因を、雇用システムの違いにあるとしています。

 つまり、欧米社会は、企業の労働を職務(ジョブ)として切り出し、その職務を遂行する技能(スキル)に対して賃金を払う「ジョブ型社会」であるのに対し、日本社会は、企業は職務の束ではなく社員(メンバー)の束であり、数十年にわたって企業に忠誠心を持って働き続けられるかという「能力」と、どんな長時間労働でもどんな遠方への転勤でも喜んで受け入れられるかという「態度」が査定される「メンバーシップ型社会」であるため、結婚や育児の「リスク」がある女性は、重要な業務から外され続けてきたとしています。

 本書では、こうした日本型雇用システムの形成、確立、変容の過程を歴史的にたどっています。会社にとって女子という身分はどのような位置づけであったのか(第1章)、日本独自の「生活給」思想や「知的熟練」論、「同一価値労働」論はどのように形成されたのか(第2章)、日本型の'男女平等'はどこにねじれがあったのか(第3章)、均等世代から育休世代へと移りゆく中でどのようなことが起きたのか(第4章)、それらをその時代の当事者の証言や資料をもとに丁寧に検証し、日本の女性が「活躍」できない理由が日本型雇用の歴史にあることを炙り出しています。

 上野千鶴子氏が帯で'絶賛'しているのは、この'炙り出し'の絶妙さに対してではないでしょうか。法制度の成立過程などは、硬い話になりがちなところを、一般読者に向けて分かり易く噛み砕いて書かれており、個人的には、労働基準法の男女同一賃金や均等法の成立までの道程とその後の影響、海外では、ポジティブ・アクションの起こりなどが興味深く読めました。

 そして著者は、過去20年間の規制緩和路線は、中核に位置する正社員に対する雇用保障の引き替えの職務・労働時間・勤務場所が無限定の労働義務には全く手をつけず、もっぱら周辺部の非正規労働者を拡大する方向で展開されてきたため、さらに今は、総合職女性はグローバル化の掛け声でますますハードワークを求められて仕事と家庭の両立に疲弊し、非正規女性は低処遇不安定雇用のまま、その仕事内容はかつての正社員並みの水準を求められるようになっているとしています。

 日本型雇用を補助線にして女性労働を論じた本であり、前著『若者と労働』(中公新書ラクレ)、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)に続く三部作の完結編とみれば、今回は女性労働を起点にして日本型雇用を論じたとも言えます。あとがきで著者が予め断っているように、女性の非正規労働者についてあまり触れられていないとの声もあるようですが、タイトルに「女性」ではなく「女子」という言葉を用いていることからも、単に男性労働者の対語としての「女性」労働者ということではなく、「中核に位置する正社員」に含まれていない「女子」という意味で、歴史的にも今日的にもそこに入り込めない(或いははじき出されてしまう)「女子」の問題に照準を当てた本と言えるのではないでしょうか。

 最後に、働く女性にとってのマタニティという女性独自の難題をどういう解決方向に導いていけばよいのかということについて、海老原嗣生氏の、「中高年」社員の活用等に関して自らが提案している、日本型(メンバーシップ型)雇用に欧米型(ジョブ型)雇用を"接ぎ木"するハイブリッド型雇用(「入り口は日本型メンバーシップ型のままで、35歳くらいからジョブ型に着地させるという雇用モデル」)を、海老原氏自身がこの働く女性の問題に当て嵌め、「30代後半から40代前半で子供を生んでいいではないか」「結婚は35歳まで、出産は40歳までとひとまず常識をアップデートしてほしい」としていることに対し、著者は、高齢出産に「解」を求めているともとれるとして慎重な姿勢をみせています(ネットで本書の評を見ると海老原氏の考えに賛同する向きも見られた)。どう考えるかは人それぞれですが、個人的には、この考えにもっとはっきりダメ出ししても良かったのではないかと思いました。

 かつて女性の初産年齢が早かった時代は、その後、第2子、第3子を生んで育てるゆとりがありました。海老原氏の考えには、例えば、子供を生むならば2人欲しい、でも今から2人生んで育てるのはたいへんだから、子供はあきらめよう(或いは1人にしておこう)という考え方をする人が実際に結構いることは、殆ど反映されていないように思えました(第1子が生めるかどうかしか念頭に置いていない。統計を読み取るプロのはずではなかったのか)。

 海老原氏の考えに賛同する人でも、キャリアを築いてから35歳以上の高齢出産をするのか、子育てではなくキャリアを優先させるのかは女性個々の選択であり、社会が介入すべき事柄ではないとしていたりもします。女性の社会進出を推進するには、働きながら(しかも一定のポジショニングを維持しながら)子育てができる環境を整えることが第一優先で、今の医学では高齢になってからでも生むことができると説くのは本末転倒。本書への直接の評からは逸れますが(この本自体はお薦め)海老原氏、ちょっとおかしな方向に行っている気がしました。

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労働社会の現況問題を俯瞰し、今後の方向性を考えるうえではよく纏まっている。

雇用身分社会 岩波新書89.png雇用身分社会 岩波新書_1.jpg雇用身分社会 岩波新書.jpg
雇用身分社会 (岩波新書)

 著者によれば、「過労死」という言葉が急速に広まったのは1980年代末であるが、2005年頃からは「格差社会」という言葉も使われるようになったとのことです。日本ではここ30年ほど、経済界も政府も「雇用形態の多様化」を進めてきたが、90年代に入ると、女性ばかりでなく男性のパート社員化も進み、その過程でアルバイト、派遣、契約社員も大幅に増え、労働者の大多数が正社員・正職員であった時代は終わったとのことです。そして、あたかも企業内の雇用の階層構造を社会全体に押し広げたかのように、働く人々が総合職正社員、一般職正社員、限定正社員、嘱託社員、パート・アルバイト、派遣労働者のいずれかの身分に引き裂かれた「雇用身分社会」が出現したとしています。

 本書では、こうした現代日本の労働社会の深部の変化から生じた「雇用身分社会」を取り上げ、どういう経済的、政治的、歴史的事情が多様な雇用身分に引き裂かれた社会をもたらしたのかを明らかにするとともに、どうすればまともな働き方が再建できるのかを考察しています。

 第1章「戦前の雇用身分制度」では、明治末期から昭和初期の紡績工場や製糸工場における女工の雇用関係や長時間労働を概観し、今日の「ブラック企業」の原型が、多くの過労死・過労自殺を生んだ戦前の暗黒工場にあることを指摘しています。言い換えれば、今日の日本では、戦前の酷い働かせ方が気づかないうちに息を吹き返してきているということです。

 第2章「派遣で戦前の働き方が復活」では、戦後における労働者供給事業の復活を、1980年代半ば以降の雇用の規制緩和と重ねて振り返り、労働者派遣制度の解禁と自由化によって、戦前の女工身分のようなまともな雇用とはいえない雇用身分が復活したとしています。つまり、雇用関係が間接的である点で、今日の派遣労働はかつての女工たちに近い存在であるということです。

 第3章「パートは差別された雇用の代名詞」では、1960年代前後まで遡って、パートタイム労働者は、性別・雇用形態に差別された雇用身分として誕生したとし、今日ではそのパートの間で過重労働と貧困が広がっているとしています。パートタイム労働者は、雇用調整の容易な低賃金労働者であるにもかかわらず、基幹労働力の有力な部隊として以前にもましてハードワークを強いられるようになっているとともに、パートでしか働けないシングルマザーの貧困化が深刻な問題になっているとしています。

 第4章「正社員の誕生と消滅」では、長時間労働と不可分の正社員という身分が一般的になったのは1980年前後であるとし、やがて過労死が社会問題化し、さらに、社員の多様化による一般職・限定正社員の低賃金化、総合職正社員のいっそうの長時間労働化、そして今日「正社員の消滅」が語られるようになるまでの過程を追っています。

 第5章「雇用身分社会と格差・貧困」では、格差社会は雇用身分社会から生まれたという観点から、ワーキングプアの増加を問題にし、労働者階級の階層分解が低所得層の拡大と貧困化を招いており、特に若年層に低賃金労働者が占める割合が著しく高まってきたこと、それと対比して株主資本主義の隆盛で潤う大企業の経営者と株主にも焦点を当て、近年の株主資本主義の台頭は、企業はコスト削減による利潤の増大を求め、その結果リストラや賃金の切り下げや、労働時間の延長などを促す傾向がある一方で、企業の内部留保は増大し、株主配当や役員報酬は増えていることなどを指摘しています。

 第6章「政府は貧困の改善を怠った」では、雇用形態の多様化は雇用の非正規化と身分化を通して所得分布を階層化したことを確認し、官製ワーキングプアの創出や生活保護の切り下げなどにみる政府の責任を追及しています。政府の雇用・労働分野の規制緩和政策の立案にあたっては、経済界の利益が優先されたとし、その結果、近年の日本の相対的貧困率は高まる一方だとしています。

 終章「まともな働き方の実現に向けて」では、雇用身分社会から抜け出す鍵として、(1)労働者派遣制度の見直し、(2)非正規労働者率の引き下げ、(3)規制緩和との決別、(4)最低賃金の引き上げ、(5)八時間労働制の確立、(6)性別賃金格差の解消を掲げています。

 著者は30年ほど日本の労働社会の変化を追いかけてきた専門家です。こうした問題については、結論の導き方(意図的に意見を差し控えているような箇所もあった)や提言の部分については読者それぞれに意見はあろうかと思われますが、日本の労働社会の現況問題を俯瞰し、今後のあるべき方向性を考えるうえでは総体的によく纏まっているテキストとして読めるように思いました。それにしても何となく気が重くなる...。

 「雇用身分社会」の「身分」という言葉は、労働基準法では「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」(第3条)と定められていますが、判例法理では、「身分」とは「生来のもの、自らの力では変えられないものを指すとされているため、非正規社員が正社員と賃金が異なるのは、「身分」による差別にはならないとなっています。なぜならば、自分の力で正社員になれる可能性があるからです。

 本書では、法的な意味ではなく「社会における人々の地位や職業の序列」という意味でこの「身分」という言葉を用いていますが、先の判例法理のイメージからすると、いよいよ、個人の力ではどうしようもなくなってきているのかなあと思った次第です。

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就活エリートの迷走』から更に踏み込んだ分析と、より広角的な提案ではあったが...。

若手社員が育たない。.jpg       豊田 義博 『就活エリートの迷走』.jpg 『就活エリートの迷走 (ちくま新書)['10年]』
若手社員が育たない。: 「ゆとり世代」以降の人材育成論 (ちくま新書)』['15年]

 著者は、本書の5年前に著した『就活エリートの迷走』('10年/ちくま新書)で、明確にやりたいことがあって高いコミュニケーション能力があり、エントリーシートや面接対策も完璧、いくつもの企業から内定を取るなど就職活動を真面目に行い、意中の企業に入社しながら社会人としてのスタートに失敗、戦力外の烙印を押される人たちがなぜ生まれたのかを分析し、採用手法と採用市場を変革する必要性を説いていました。

 今回、全6章で構成されている本書の第1章で、今どきの若手社員の特徴について分析していますが、"困った若手社員"と指摘される人材像として、10年以上前から存在が指摘されている、挨拶が出来ない、指示待ち、すぐ辞める、自分には無理と仕事を拒否するといった「後ろ向き型」、『就活エリートの迷走』に登場する、志望職種や自身が描くキャリアビジョン、成長シナリオにこだわりすぎて迷走する「キャリア迷走型」に加えて、「キャリア迷走型」の迷走のあり方が変わり、次のモードにシフトした「自己充実型」を3つ目のパターンとして挙げています。

 「自己充実型」とは、上昇志向が弱く、リスクを回避し、保守的で、自己の人生を充実したものにするため自分の時間を大切にするタイプですが、この"第3の困った若手社員"は「何をしたらいいかも薄々わかっていながら、そしてそれをする能力もありながら、取り組まない」という失敗するリスクを回避しているだけなのだとし(著者はこれを「成長する自由からの逃走」と呼ぶ)、これは30代後半から上の世代にはなかなか理解出来ない感覚だろうとしています。

 続く第2章では、仕事の特性が変化したこと、そして仕事環境の変質といった状況が若手を育ちにくくしていることについての考察し、これまで日本企業は高度成長期に形成された、新卒を一括採用して新人研修や職場で実務を経験させ、知識や技能を身につけさせるOJTなどを通じて若手を育成してきた。それを本書では「個社完結型『採用・育成』システム」と呼んでいるが、このシステムの寿命は尽きかかっており、今の時代に即した「社会協働型『育成・活用』システム」への移行が急務だとしています。

 第3章では、社会に適応し、成長しようとする若手が紹介されています。会社の採用担当者の多くは「入社後の適応・活躍は、大学時代の経験と密接な関係がある」と確信しているそうだが、そうした若手は大学生活で以下の「5つの経験」をしているとのことです。
●社会人、教員など、自分と「異なる価値観」を有する人たちと、深く交流していた。
●自身が主体者として「PDS(Plan-Do-See 計画・実行・検証)サイクル」を繰り返し回していた。学園祭などのハレの舞台での経験ではなく、日常生活において小さな創意工夫を重ね、そこからの気づきから、やり方や考え方を変えてきた。
●自身にとって負荷がかかること、やりたいわけではないことを、自身の「試練・修行」の場として継続して行っていた。
●自身の思い通りにならず、「挫折」したり「敗北」感を味わったり、他者からの手厳しい「洗礼」を受けていた。
●前記を通じて、自身の「志向・適性の発見」をしていた。他者から指摘されるケースも多い。

 第4章では、大学時代にこうした機会に恵まれなかった人はどうすればいいのかを考察し、それには自分に合った「人が育つ職場」に身を置くことや、OJTの機会を活かすなどの手段があるが、若手の希薄な危機意識やリスク回避などもありなかなか難しく、そんな中、自身のキャリアに不安意識のある若手が参加しているのが、社外で様々な人が集まって行う「勉強会」であるとして、今どきの勉強会の在り様を紹介しつつ、若手人材育成のための代替手段・機能のひとつとして「勉強会」というのは有望なのではないかと推察しています。

 第5章では、目指すべき姿は、「個社完結型『採用・育成』システム」から離脱した「社会協働型『育成・活用』システム」であるとの考え方から(第2章)、大学での教育の重要性について述べています。若者"再生"のカギは「大学での学び」にあるとし、社会に出る前の大学時代における学習経験にあり、社会人になった後にも、自社内にとどまらずに異質な価値観と出会う「越境学習」の機会が必要であるとしています。

 第6章では、同じような考え方からの、企業に向けた提案となっています。これらの効果を高める上で企業には、大卒者全員を基幹人材として採用する考えを一度リセットして「専門コース」「幹部コース」といった具合に「キャリア・コースを複線化」すること(欧米ではこうした区分がスタンダードである)と、多忙を極める管理職の職務を整理、再編することが求められる(マネジャーが、部下の面倒を見ながら自分も業績を上げないといけない"プレイングマネージャー化"している現状を改める)と主張しています。

 全体として『就活エリートの迷走』の続編との印象もありますが、そこから更に進んだ"現代若者像"の分析となっていて興味深く読めたし、また、前著以上に提案部分に力を入れているように思われ、第4章の「勉強会」への参加は、当事者である若者に対して、第5章は大学へ向けて、第6章は企業へ向けてと、提案の対象も(課題に沿って)広角的になっている印象を受けました。

 但し、版元の紹介にも"渾身のリポート"とありましたが、やはり分析や情報提供が提案に勝っているかなという印象も受けました。提案部分では、第4章の「勉強会」の部分はリアルに現況をリポートしており、第5章の「大学教育」の部分も同様に大学で実際に行われている先進的な取り組みを紹介しているのに対し、第6章の「企業」に対する提案はややもやっとした感じでしょうか。企業に対する期待が、今一つ琴線に触れてこない...(実務者ではないから仕方がないのか)。

 例として挙げられている「ユニクロ」にしても、「コース型人事」はこれまで表立って謳っていなかっただけで(誰もが自分が将来幹部になれる可能性があるものと思って入社していた時期があった)、実際の人材登用はこれまでも欧米型でやってきているでしょう。ショップの店員がいきなり本社の経営戦略や企画・マーケティング部門へ異動になるなどということはあり得ず、そうした基幹部署の要員は、コンサルティングファームやシンクタンクなどから"引っこ抜き"採用してきたでしょう。

 企業において、コア人材のためのキャリア・コースを設けるというのは何年か前から言われていることで、その割には導入が進んでいないような気がしますが、著者の言うように、企業のキャリア・コースの分化は傾向としては進んでいくことが考えられます。その意味で、著者の言うことを全否定するつもりは毛頭ないですが、「ユニクロ」は、事例として挙げるには不適切だったように思いました。

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法改正によって派遣法が「常用代替防止」という概念から解き放たれたという考えは賛同できる。

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派遣新時代 ~派遣が変わる、派遣が変える~ (幻冬舎ルネッサンス新書)』['15年]

 2014年に2度国会で廃案となり、2015年の国会でも議論が紛糾した労働者派遣法の改正案は、衆議院で可決(強行採決)されたものの、その約2ヵ月を経た現在も参議院厚生労働委員会での審議は終わらず、当初9月1日としていた施行日を9月30日に修正したいと与党側が提案するに至っています。こうした背景には、野党側の反対だけでなく、改正案では、専門26業務の区分が廃止され、すべての派遣労働者の受け入れ期間が個人単位で最長3年までになることから、雇用を不安定にするという不安が世論的にも根強くあることが窺えます。

 一方、派遣会社の経営者による本書は、今回の改正を歓迎する立場で書かれています。第1章「ようやくわかりやすくなる派遣の働き方」では、派遣で働くときは1か所で原則3年までになるといった改正案のポイントを解説するとともに、はじめて派遣社員の継続雇用に目配りがいった改正案であり、派遣先への直接雇用を後押しするものであるとしています。

 第2章「なぜ派遣労働は誤解されてきたのか」では、派遣という言葉にはネガティブなイメージが色濃く刻まれているが、「派遣社員=カワイソウ」という方向でばかり物事を見ていると現実を見誤ることになり、積極的に派遣という働き方を望む労働者の声も無視してはならないとしています。但し、「消極型派遣労働者」が置かれている厳しい状況は楽観できるものではなく、彼らを漂流させたままにしてきた派遣業界にも責任はあるだろうが、ディーセント・ワークの提供など、日本の派遣も変化しなければならない段階にきているとしています。

 第3章「派遣社員と正社員ではここが違う」では、派遣の仕組みを説明するとともに、派遣会社は何のためにあるのかを改めて考察し、派遣労働者が「非正規」というカゴから飛び出したくても飛び出せないのは、その問題を放置したまま"増改築"を繰り返して複雑化した法律にも問題があったとしています。

 第4章「派遣と偽装請負の危ない関係」では、派遣が問題となる背景には、違法派遣や偽装請負が横行してきた実態があるとして、派遣と請負の違いを解説しています。

 第5章「派遣のルーツを探る」では、「派遣」というものが英文タイピストの不足から生まれ、政令26業務のネガティブリスト化によって複雑化し、一方、業務請負は、製造派遣禁止の代替として成長したとしています。

 第6章「長妻プランと民主党政権下での混乱」では、2009年に誕生した民主党政権化で、それまでの労働者供給事業の規制緩和路線が一転して規制強化に向かい、その象徴が「専門26業務」のうちの「事務用機器操作の業務」と「ファイリングの業務」を実態を顧みずに狙い撃ちした"長妻プラン"であり、これにより多くの派遣社員が職を失ったとしています。本章では、「離職後1年以内の派遣受け入れ禁止」なども、実態にそぐわないものとして見直すべきだとしています。

 第7章「『正社員のため』から『派遣労働者のため』へ」では、2015年改正の派遣法は、はじめてできた派遣労働者を守るための法律であり、「業務内容」によって決められていた派遣期間が「人」を基準とするようになるというのが大きな変更点であるとともに、従来の特定労働者派遣・一般労働者派遣の区別が撤廃され、すべてが許可制になることがポイントであるとしています。更に、「常用代替防止」というあたかも派遣法のコンセプトのように用いられてきたる考え方は、もはやその意義を喪失しているとしています。

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事例が豊富で「働き方改革」を(問題点を含め)具体的にイメージするうえで示唆的。

御社の働き方改革、ここが間違ってます7.JPG御社の働き方改革、ここが間違ってます.jpg
御社の働き方改革、ここが間違ってます! 残業削減で伸びるすごい会社 (PHP新書)

 政府の働き方改革実現会議で有識者議員を務めた著者は、「見せかけの働き方改革では社員は疲弊し、生産性は落ち、人が辞めていく」とし、真の働き方改革とは言わば「会社の魅力化プロジェクト」であって、それは経営改革であり、「昭和の活躍モデル」からの脱却なのだとしています。

 第1章「働き方改革はどうすれば成功するのか」では、今「働き方改革」が叫ばれている背景を探るとともに、いち早く働き方改革に着手した企業の成功の要因を分析し、働き方改革とは実は企業が生き残るための競争戦略であり、イノベーションの源泉なのだとしています。

 第2章「先端事例に『働き方改革』実際を学ぶ」では、働き方改革先進企業では、改革を経てどのような変化が起きたのか、大和証券における子育て社員の活躍、アクセンチュアにおける職場の雰囲気改善と業績アップ、サイボウズにおける「働き方を選べる」制度による離職率の低下、リクルートによるテレワーク導入による仕事の質の向上、カルビーにおけるダイバシティ経営戦略による低迷商品の売上V字回復などの事例を紹介しています。

 第3章「現場から働き方をこう変える!」では、テレワークやITを使ったスケジュール・タスク共有、イクボス宣言など、現場で実践できる働き方改革の試みを紹介しています。アンケート調査の結果、効果があった効率性の高い施策の第1位が「PC強制シャットダウン」で効果率は100%、一方、ほとんど効果がなかった施策の第1位が「社内パンフレット、イントラ、掲示物による長時間労働是正の啓発」で効果率5%だったなど、大事なのは「強制」で、「啓蒙」だけでは効果がないことを具体的に示しているのが示唆的です。

 第4章「なぜ『実力主義』の職場はこれから破綻するのか」では、第1部で、霞が関の官僚たちが働き方改革に立ちあがったことを紹介し、第2部で、大手マスコミは働き方を変えられるかを、テレビ局と新聞社に勤務する4人の女性記者たちの覆面座談会形式で論じています。とりわけ後者の座談会から、マスコミの現状は旧態依然としたものであることが窺えましたが(TVのワイドショーで働くママの企画を出すと「おばあちゃんたちは働く女の人が嫌いだから」とはねられ、こうして「子育ては女性がするもの」と言う固定観念が番組を通じて広まっていくというのにはナルホドなあと)、こうした霞が関やマスコミのこれまでの「(長時間労働できる人のみの)実力主義」はこれからなぜ破綻するのかを探っています。

 第5章「『女性に優しい働き方』は失敗する運命にある」では、働き方改革で、子育て中の「制約社員」が活躍できる環境を整えても、やはり女性社員が辞めていくのはなぜか、なぜ管理職になりたがらないのかについて、「資生堂ショック」「マミートラック」問題についての考察と併せて分析し、女性リーダー育成のためのユニークな試みを紹介しています。

 第6章「社会課題としての長時間労働」では、長時間労働の是正で少子化に歯止めがかかると考えられることを統計的に示し、さらには、父親の育児参加で国の競争力も上がるとしています。また、地方企業や中小企業も、働き方改革で驚くほど人材が集まるとしています。働き方改革が少子化改善や地方創生にも効果を発揮することが分かってきたということ、つまり、働き方改革は社会も変えるというのが著者の考えです。

 最終の第7章「実録・残業上限の衝撃 『働き方改革実現会議』で目にした上限規制までの道のり」では、著者が参画してきた「働き方改革実現会議」の実態をレポートしています。

 安倍首相の私的諮問機関である「働き方改革実現会議」のメンバーであるジャーナリストによる著書ということになると、先進事例に傾きがちで綺麗ごとばかりの内容ではないか(?)との危惧も無きにしも非ずでしたが、働き方改革が進まない風土についても、目をそらすことなく取り上げています。働き方改革を、第1次均等法(女性のみ)、両立支援(女性のみ)に次ぐ、女性活躍推進の第3ステージ(男女)として捉えている点が、特徴的であるとともに、たいへん示唆的であるように思いました。「働き方改革」というものについて、キャッチ先行で具体的なイメージが今一つ湧かないというビジネスパーソンも少なからずいるかもしれませんが、本書は施策や制度について多くの事例が挙げられているため、そうした漠たる状態から一歩抜け出すにはいい本だと思います。

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読んでいて気が滅入るルポだが、知っておくべき日本の労働現場の一面。

中高年ブラック派遣.jpg中高年ブラック派遣 講談社現代新書.jpg 中沢 彰吾.jpg 中沢 彰吾 氏 [Yahoo ニュース これではまるで「人間キャッチボール」!安倍官邸が推し進める規制緩和の弊害と人材派遣業界の闇

中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇 (講談社現代新書)

 ノンフィクションライターによる日雇い派遣業の実態の体験的ルポルタージュですが、甘い言葉(労働条件・待遇)を示して中高年を勧誘し、それが仕事場に行ってみれば年長者であることに配慮するどころか、ヒトをヒトとしてではなく単なる労働力として扱い、反抗すれば恫喝し、気に入らなければ切り捨てていくという、まさに著者が言うところの「奴隷労働」市場のような状況が業界内において蔓延していることが窺える内容でした。

ブラック企業1.jpg 「大佛次郎論壇賞」を受賞した今野晴貴氏の『ブラック企業―日本を食いつぶす妖怪』('12年/文春新書)で、「ブラック企業」の特徴として、正社員を大量に採用して労働基準法ぎりぎりのラインで酷使、消耗、スポイルしてはまた新たな採用を繰り返していることが指摘され、「非正規」ではなく「正社員」が、また、「基準法違反」ではなく「基準法ぎりぎり」というのが新たな着眼点としてクローズアップされましたが、一方で非正規雇用労働者を酷使、消耗する"ブラック企業"も現に多くあるわけであり、同著者の『ブラック企業2―「虐待型管理」の真相』('12年/文春新書)では「ブラックバイト」という言葉が使われています。

 そして、非正規雇用のもう1つの柱である派遣労働者について取り上げたのが本書です。といっても、日雇い派遣の実態が社会問題化され始めたころから、こうした実態を問題視する声はあったように思われますが、本書の場合、その中でも「中高年」にフォーカスしている点が1つの大きな特徴だと思います。

 著者は東京大学卒業後、毎日放送(MBS)に入社し、アナウンサーや記者として勤務した後、身内の介護のために退職し、著述業に転じた人。58歳にして体験した派遣労働の現場では、自分の息子のような年齢の若者に、「ほんとにおまえは馬鹿だな」「いい年して、どうして人並みのことができないんだ!」「いったいここへ何しに来てんだ」「もう来るなよ。てめえみたいなじじい、いらねえから」などと口汚く罵詈雑言を浴びせられたこともあたっということです。

 ここまで言われたら、企業名を出してもいいのではないかという気もしますが、暴露ジャーナリズムとは一線を画すつもりなのか、業界内の特定の1社2社に限ったことではないことを示唆するためか、新聞記事になったような超有名どころのブラック企業はともかく、自らが潜入した"ブラック派遣"会社の名前は明かしていません(再潜入するつもり?)。

 派遣法の改正案が国会で審議される折でもあり、改正のドラフトとしては、労働政策審議会(職業安定分科会労働力需給制度部会)が昨年('14年)に報告(建議)した、専門26業務の撤廃、新しい期間制限(個人単位と事業所単位)、派遣先の事業所単位の期間制限(3年、組合等の意見聴取で延長可)などが骨子としてあり、その中にも幾つかのパターン案があって最終的にどうかなるか、そもそも法案そのものが可決されかどうかも分かりませんが['15年5月末現在]、何れにせよ、政府は経済界の意向を受け、規制緩和の方向へ舵を切ろうとしているのは違いありません。

 今回の改正に関しては、賛否両論ありますが、民主党政権下で、非正規労働者の雇用を安定させようと制定された「無期転換ルール」が平成25年春に施行され、一方が申入れをしただけで本来は合意の上になりたつべきである「契約」が成立してしまうということの方が、個人的には、労働契約の本筋からしてむしろどうだったかなという思いがあります。それさえも早期の契約打ち切りを招いて雇用が不安定になる危険性を孕んでいるとの指摘がありましたが、今回も同様の指摘があり、規制強化路線の揺り戻しであるかのように派遣法を改正するというのは、非正規労働者の問題を政府は本気になって取り組もうとはしていないのではないかという「労側」の声もあります。個人的には、今回の改正案は、派遣労働者の保護よりも派遣先の常用労働者の保護を重視する「常用代替防止」思想からやっと抜け出すと共に、「専門26業務」というとっくに使えなくなっているフレームからも脱却出来るという意味で、法改正の趣旨そのものには肯定的に捉えています。あとは、人材派遣業の業界内の各企業の質のバラツキの問題と、派遣労働者を使う企業側の質のバラツキの問題かなあと。

塩崎恭久厚生労働大臣.jpg 塩崎恭久厚生労働大臣が全国の労働局長にブラック企業の公表を指示したというニュースが最近ありましたが(2015年5月18日)、一方で、働く側も派遣などの「多様な働き方」を望んでいるとしており、そうなると、本書にあるブッラク派遣の実態は企業名の公表で対処出来るような業界内での極めて局所的・例外的実態ということなのでしょうか。個人的にはそうは思えず、人材派遣業界のある一定数の企業は、こうした再就職難の中高年を更にスポイルし消耗するという構造の上に成り立っているように思えます。たとえそのことを糾弾されても、そうした企業は、自分たちが再就職難の中高年の受け皿になっているのだとかいった理屈を捏ねるんだろなあ。

 読んでいて気が滅入るルポですが、知っておくべき日本の労働現場の一面でしょう。

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「問題社員」レベルを遥かに超絶した「モンスター社員」の事例が"強烈"。

あなたの隣のモンスター社員.jpgあなたの隣のモンスター社員 (文春新書)

 社会保険労務士による本ですが、全6章構成の第1章「本当にあったモンスター社員事件簿」に出てくる、"ファイルNO.1 見事な演技力で同僚をセクハラ加害者に仕立て上げた清楚な女性社員"をはじめとする5つの事例がどれも"強烈"で、著者の言う「モンスター社員」というのが、一般的に「問題社員」と呼ばれるもののレベルを遥かに超絶した、企業や職場にとって極めてやっかいな存在であることを再認識させられます。この5つの事例だけで本書の前半部分を割いていますが、それだけの意義はあるように思いました。

 著者によると、モンスター社員の特徴は、「社会人としてのモラルが低く、ルールも無視、注意を受けると逆切れする」「対人関係や精神状態が不安定で、常に周囲とトラブルを引き起こす」「平気で嘘をつき、良心や倫理観が欠如している」「自己愛が異常に強く、虚言や自慢話で周囲を振り回す」というようなもので、このような特異な存在を類型化できるのかという気もしますが、第2章「タイプ別モンスター社員の特徴とその対処法」で、「A.親、配偶者がモンスター化している社員」「B.演技力で周囲を掻き回す社員」「タイプC.モラル低下型社員」「タイプD.職場環境を悪化させるハラスメント社員」「タイプE.常に注目を浴びたい自己愛型モンスター社員」に分類し、それぞれについての対処法を述べています。

 第3章「職場のモンスターの仮面の下」で、ほとんどのモンスターは第一印象がいいが、実は仮面の下に、歪んだ自己愛や自身の無さ、コンプレックス、嫉妬、不満・怒り、傷つきやすさ、依存心などがその心理としてあり、それが会社を批判したり、部下や同僚をいじめたり、自分の事を自慢したりする行動にどう結びついていくのかを解説しています。

 第4章「モンスターの見分け方」で、こうしたモンスター社員であってもクビにするのはそう簡単ではないため、それではどうしたら採用の際に見抜けるかをアドバイスし、第5章「モンスター社員への対処方法」では、それでも実際に入ってしまったからモンスターだと分かった際の対処法を示していますが、この辺りはまあオーソドックスな解説と言えるでしょうか。

 やはり、第1章の事例編が"強烈"であり、こんな人格障害そのもののような相手に対して普通の対処法で解決できるのかなあという気もしました。実際、事例の中にも、対処策を講じきれないうちに、時間が何となく解決してしまったような例もあったかと思います(注:著者が事の発端から最後まで関与していた事例ばかりとは限らない)。

 一方で、その中には、パワハラをした社員を辞めさせるのに金銭的解決を持ちかけ、「金を払って」辞めてもらった例もあり、従来の発想だと、経営者は「どうしてそんなヤツに金を払わなければならないんだ」「周りに示しがつかない」的な発想になりがちですが、モンスター社員のことで経営者や管理者が費やす時間と労力の無駄を考えると、こうした対象方法も場合によってはありかなと思いました(後の方の事例で、一度金を払ったがためにその後も金を請求されるという事例も出てくるように、1回でケリをつけることが肝要か)。

 こうしたモンスター社員は、経営者や管理者が頭を悩ますだけでなく、どの職場に行っても周囲の人たちが大いに疲弊させられ、そのことの損失もこれまた大きいように思います。病気ならば治る可能性はありますが、人格障害的なものはそう簡単には変わらないため、やはり早期に対応し、周囲が迷惑を受ける期間を出来るだけ圧縮することが望ましいかと思います。

 第6章「モンスターを生まない会社へ」にあるように、会社に共有ビジョンが無かったり、コンプライアンス意識が欠けていることによって、普通の社員がモンスター化していくことも確かにあるでしょうが、むしろ、元々潜在的に"モンスター資質"を持った人が、そうした環境の中でその"資質"部分を触発され、自己アピールの場として職場に固執したり、自分の居場所として会社に居ついてしまうといったこともあったりするのではないでしょうか。

 その分、退職を勧奨したり、異動を命じたりすることは難しかったりしますが(本書は、社会保険労務士による本であるため、必要に応じて法的な留意点についても触れられている)、但し、放置しておくと職場のモラールに影響し、最悪の場合は「割れ窓の論理」で同じような話があちこちで起きてくる可能性もあるように思います。そうした意味では、「モンスター社員」問題は、個人の人格の問題に近い要素と、組織の問題との複合問題でもあるように思いました。

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「1」ほどインパクトはないが、より深く問題に斬り込み、重層的に考察を進めている「2」。

ブラック企業2 文春新書.jpg                   ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか.jpg
ブラック企業2 「虐待型管理」の真相 (文春新書)』  渡辺 輝人 著『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか? ナベテル弁護士が教える残業代のカラクリ

 「大佛次郎論壇賞」を受賞した『ブラック企業―日本を食いつぶす妖怪』('12年/文春新書)の第2弾で、前著のサブタイトルも凄かったけれど(著者が考えたのか、はたまた編集者が考えたのか)、今回もなかなかという感じ。でも、「虐待型管理」というのは、確かに本書に書かれている「ブラック企業」の実態を表していると言えるかも。

 前著では、「ブラック企業」の第一の問題は、若くて有益な人材を使い潰していることであり、その特徴は、正社員を大量に採用して労働基準法ぎりぎりのラインで酷使、消耗、スポイルしてはまた新たな採用を繰り返していることであり、そうした新卒の「使い捨て」の過程が社会への費用転嫁として行われていることに問題あるとしていました。

 このように、単なる告発ジャーナリズムとは一線を画す姿勢を取り(但しサブタイトルはややその気を感じさせなくもないが)、従来の「ブラック企業」という言葉の、非正規社員が労働基準法違反の処遇条件で酷使されているというイメージに対し、正社員採用された労働者が、労基法に明確に違反するのではなく、「ぎりぎりで合法」乃至「違法と合法の間」のグレーゾーンで働かされているのがその実態であると指摘したのは画期的だったかもしれません(一方で、非正規も酷使されている実態があり、本書「2」では「ブラックバイト」という言葉が出てきてややこしいが)。

 今回は、こうした「ブラック企業」問題が依然解決されておらず、過労死や過労自殺が後を絶たない実態を踏まえ、どうして解っていてもそうした会社に入ってしまうのか(第1章)、どうして死ぬまで辞められないのか(第2章)といった働く側の心理面に実際にあった事例から迫り、それに呼応したブラック企業側の絡め取り搾りつくす手法を解析(第3章)、ブラック企業は国家戦略をも侵略しつつあるとし(第4章)、ではなぜそれらを取り締まれないのかを考察(第5章)しています。更に、規制緩和でブラック企業が無くなるといった「雇用改革論」を"奇想天外"であると非難し(第6章)、ブラック企業対策として親・教師・支援者がなすべきことを提案(第7章)しています。

 「ブラック企業」の定義にパラダイム転換をもたらした前著ほどのインパクトがあるかどうかはともかく、より深く問題に斬り込み、重層的に考察を進めていることは窺えるのではないでしょうか。前著に匹敵する力作である(単なる告発ジャーナリズムとは一線を画す姿勢は維持されている)と思う一方で、丁寧に紹介されている数々の過労自殺や過労死の事例には胸が蓋ぎます(社員をうつにして辞めさせる手法などについても、前著より詳しく紹介されている。コレ、かつて高度経済成長期に流行った感受性訓練(ST)の変形悪用だなあ)。

ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか? 帯.jpg 本書の著者である今野氏が帯に推薦文を書いている本に、『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか?』('14年/旬報社)がありましたが(著者は日本労働弁護団等で活躍する弁護士とのこと)、固定残業制のカラクリなどは『ブラック企業』で既に紹介済みで、事例企業が「大庄(日本海庄や)」から「ワタミ」に替わっただけか。但し、その仕組みの説明の仕方が分かりにくく(今野氏の推薦文には「残業代のプロフェッショナル」とあるのだが)、普通の人が読んでも時間外割増と深夜割増の違いなんて分からないのではないかと思ったりもしました(老婆心ながら、『ブラック企業』で言っている「大庄」の例と本書で言っている「ワタミ」の例を大まかに図示してみた)。

大庄(日本海庄や)の初任給の構成.jpg ワタミの初任給の構成.jpg

 「ワタミ」の例で著者は、深夜割増相当分を全部使い切る試算をしているため(「深夜手当」3万円を時給相当額の2割5分で除している)、通常割増分(月45時間分)より深夜割増分(月128時間)の方が当該時間数が圧倒的に多くなっていますが、こうしたことは深夜勤務主体でないと起こり得ず、その前提がどこにも書かれていないのは不親切かも(一応、著者の説明に沿って図を作ったが、深夜手当を0.25でなく1.25で割って計算する方が、"相対的に見て"ノーマルなのだろう)。ワタミの酷さを「天狗」と比較しているけれど、「天狗」の実態をきちんと調べた形跡も無し。相対的にマシならばそれでいいとするならば、80時間の残業に満たないと固定残業代が一切払われなかった「大庄(日本海庄や)」に比べれば、「ワタミ」はまだマシということにもなってしまうのではないでしょうか。

 更には、残業を巡る未払い賃金の相談は、社会保険労務士ではダメで弁護士にしなさいと書いていますが、弁護士だって色々でしょう。社労士を一括りにして相談すべき相手ではないとしているのもどうかと思うし、自らが開発に関わったという残業代自動計算ソフト(「給与第一」)の話なども含め、未払い賃金(未払い残業代)請求という「自らのビジネス」への誘引を促すという目的が前面に出てしまった本であり、その割には、先にも述べたように、解説は親切ではないように思いました(「ナベテル弁護士」の事務所に相談に来てもらえれば、じっくり説明するということか)。

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エグゼンプションという切り口で「日本型雇用」を変える「構造」を提案している。

いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる.jpg                         雇用の常識 決着版.jpg
いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる (PHP新書)』['14年]『雇用の常識 決着版: 「本当に見えるウソ」 (ちくま文庫)』['12年]

 2009年に刊行された『雇用の常識「本当に見えるウソ」』(プレジデント社、'12年/ちくま文庫)が注目され、その後も『「若アベノミクスで「雇用」はどうなる.jpg者はかわいそう」論のウソ』('10年/扶桑社新書)、『就職、絶望期』('11年/扶桑社新書)、『女子のキャリア―"男社会"のしくみ、教えます』('12年/ちくまプリマー新書)、『日本で働くのは本当に損なのか』('13年/PHPビジネス新書)などを多くの著書を発表している著者(元リクルート ワークス研究所勤務)による本です(先に取り上げた(エントリー№2284)経済学者の安藤至大氏と「ニコ生」に出ていたこともあった)。この他にもいくつもの著書があってそれらの内容が重複しているきらいが無きしもあらずですが、 本書は単独でそれなりに読みでがありました。

「ニコ生×BLOGOS」"アベノミクスで「雇用」はどうなる"(2013年)海老原嗣生氏&安藤至大氏(経済学者)

 ホワイトカラーエグゼンプションを巡る議論が再び活発化している昨今ですが、残業代の不支給と、その対象となる年収について議論が費やされてきたという経緯は、これまでとあまり変わっていないようです。これについて、本書では、今回のエグゼンプション論議は、「定期昇給・昇級・残業代の廃止」という経営都合の日本型の変更のみが念頭に置かれているとしています。

 そして、そこには、もう一つの日本型の問題――残業代を払い続け、定期昇給を維持する分、長時間労働や単身赴任で疲弊し、働く人のキャリアや家庭生活の面にもマイナス寄与しているという問題――をも取り除くという視点が欠如しているといいます。つまり、エグゼンプションを契機として、給与・生活・キャリアの三位一体の改革をすべきであるとしています。

 著者は、エグゼンプションの本質に迫ると、多くの企業に根ざす「日本型雇用」の綻(ほころ)びが見えてくるといいます。例えば、日本企業はこれまで全員を幹部候補として採用し、年功昇給によって処遇してきたため、企業の熟年非役職者が高収入となって、そのため転職が困難になっているとしています。そこで、エグゼンプション導入を機に、「同一職務=同一給与=同一査定」「職務の自律性・固定制」「習熟に応じた時短」といった「欧米型」雇用の本質も、同時に実現すべきであるとしています。

 但しし、すべての階層を一時(いちどき)に「欧米型」に移行させるのではなく、「欧米型雇用」と「日本型雇用」の強み・弱みをそれぞれ吟味し、日本人と欧米人の「仕事観」の違いや、欧米企業における人事異動のベースとなっている「ポスト雇用」という考え方を分かりやすく説明したうえで、まず、習熟を積んだキャリア中盤期以降を「欧米型」のポスト雇用に切り替えていくことを提案しています。

 エグゼンプションは、その「日本型」と「欧米型」の"接ぎ木"のつなぎ目として機能するものであり、キャリア中盤期以降は、時間管理ではなく成果見合いの職務給制となる一方、エグゼンプション導入の際には、労働時間のインターバル規制や異動・配転の事前同意制、休日の半日取得などの措置がとられるべきであるとしています。ここには、エグゼンプションにまつわる「制約」によって、「全員が階段を昇る」日本型の人事管理を終わらせるということも、狙いとして込められているようです。

 エグゼンプションという切り口で「日本型雇用」を変える(終わらせる)ことを提案していて、しかも、従来よくあった「日本型全否定」ではなく「途中まで日本型肯定」のハイブリッド型になっているのが興味深く、また現実味を感じさせるところですが、入り口が日本型のままであることによって生じる諸問題についての解決策も提示されています。

 個人的には、論旨が「中高年問題」にターゲティングされていることを強く感じましたが、つまるところ、「日本型雇用」の最大の問題はそこにあるということになるのでしょうか。エグゼンプションというテーマからすると、業態などによっても読者によって受け止め方の違いはあるかもしれません。但し、「ジョブ型社員」「限定社員」といった最近話題の人事テーマに関して、従来の議論から踏み込んで具体的な「構造」を提案しているという点で、これからの議論や制度設計の一定の足掛かり乃至は思考の補助線となるものと思われます。

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入門書として分かり易く、また全体にバランスよく纏まっている。将来予測は興味深かった。

これだけは知っておきたい働き方の教科書.jpg
  あんどう・むねとも.jpg 安藤至大(あんどう・むねとも)氏[from ダイヤモンド・オンライン
これだけは知っておきたい働き方の教科書 (ちくま新書)

 NHK(Eテレ)の経済学番組「オイコノミア」やBSジャパン「日経みんなの経済教室」などにも出演している新進気鋭(だと思うが)の経済学者・安藤至大氏による「働き方」の入門解説書。1976年生まれの安藤氏は、法政大学から東京大学の大学院に進み、現在は日本大学の准教授ですが、最近はネットなどで見かけることも多く、売出し中という感じでしょうか。

 第1章で、「なぜ働くのか?」「なぜ人と協力して働くのか?」「なぜ雇われて働くのか?」といった基本的な疑問に答え、第2章で、「働き方の現状とルールはどうなっているのか?」「正社員とは何か?」「長時間労働はなぜ生じるのか?」「ブラック企業とは何か?」といった日本の「働き方の現在」を巡る問題を取り上げ、第3章で「働き方の未来」についての予見を示し、最終第4章で今自分たちにできることは何かを説いています。

 経済学者として経済学の視点から「労働」及びそれに纏わる今日的課題を分かり易く説明するとともに、労働法関係の解説も織り交ぜて解説しており(この点においては濱口桂一郎氏の著作を想起させられる)、これから社会人となる人や既に働いている若手の労働者の人が知っておいて無駄にはならないことが書かれているように思いました。

 まさに「教科書」として分かり易く書かれていて、Amazon.comのレビューに、「教科書のように当たり前なことの表面だけが書かれていて退屈だった」というものがありましたが、それはちょっと著者に気の毒な評価ではないかと。元々入門解説書として書いているわけであって、評者の視点の方がズレているのではないでしょうか。個人的には悪くなかった言うか、むしろ、たいへん説明上手で良かったように思います。

 例えば「正規雇用」の3条件とは「無期雇用」「直接雇用」「フルタイム雇用」であり、それら3条件を満たさないものが「非正規雇用」であるといったことは基本事項ですが、本書自体が入門解説的な教科書という位置づけであるならばこれでいいのでは。労働時間における資源制約とトレードオフや、年功賃金と長期雇用の関係などの説明も明快です。

 第2章「働き方の現在を知る」では、こうした基本的知識を踏まえ、日本的雇用とは何かを考察しています。ここでは、「終身雇用」は、高度成長期の人手不足のもとでのみ合理的だったと思われがちだが、業績変動のリスクを会社側が一手に引き受けることにより、平均的にはより低い賃金の支払いで労働者を雇うことができ、その企業に特有な知識や技能を労働者に身につけさせるという点においても有効であったとしています。また、法制度の知識も踏まえつつ、解雇はどこまでできるか、ブラック企業とは何かといったテーマに踏み込んでいます(著者は、解雇規制は緩和する前に知らしめることの方が重要としている)。

 更に第3章「働き方の未来を知る」では、著者の考えに沿って、まさに「働き方の未来」が予測されており、この部分は結構"大胆予測"という感じで、興味深く読めました。

 そこでは、少子高齢社会の到来によって近い将来、労働力不足が深刻化し、高齢者は働けるうちは働き続けるのが当たり前になると予測しています。更に、妻や夫が専業主婦(夫)をしているというのはとても贅沢なことになるとも。一方で、労働力不足への対処として外国人労働者や移民の受け入れが議論されるようにはなるが、諸外国の経験も踏まえて議論はなかなか進まないだろうともしています。

 また、機械によって人間の仕事が失われる可能性が今より高くはなるが、仕事の減少よりも人口の減少の方が相対的にスピードが速く、やはり、労働力を維持する対策が必要になるとしています。

 雇用形態は多様化し、安藤至大 (あんどうむねとも) (@munetomoando).jpg限定正社員は一般化して、非正規雇用も働き方の1つの選択肢として考えられ、また、社会保障については、企業ではなく国の責任で行われる方向へ進み、職能給や年功給は減少して職務給で雇われる限定正社員が増えるなどの変化が起きる一方で、新卒一括採用は、採用時の選別が比較的容易で教育コストなども抑えられることから、今後もなくならないだろうとしています。

 入門書の体裁をとりながらも、第3章には著者の考え方が織り込まれているように感じられましたが、若い人に向けて、今だけではなく、これからについて書いているというのはたいへん良いことだと思います。個別には異論を差し挟む余地が全く無い訳では無いですが、全体としてはバランスよく纏まっており、巻末に労働法や労働経済に関するブックガイドが付されているのも親切です(「機械によって人間の仕事が失われる」という事態を考察したエリク・ブリニョルフソン、 アンドリュー・マカフィー著『機械との競争』('13年/日経BP社)って最近結構あちこちで取り上げられているなあ)。
安藤至大 (あんどうむねとも) (@munetomoando)

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第1章 働き方の仕組みを知る
1 私たちはなぜ働くのか?
生活のために働く
稼得能力を向上させるために働く
仕事を通じた自己実現のために働く
2 なぜ人と協力して働くのか?
自給自足には限界がある
分業と交換の重要性
比較優位の原理
比較優位の原理と使い方
「すべての人に出番がある」ということ
3 なぜ雇われて働くのか?
なぜ雇われて働くのか
他人のために働くということ
法律における雇用契約
雇われて働くことのメリットとデメリット
4 なぜ長期的関係を築くのか?
市場で取引相手を探す
長期的関係を築く
5 一日にどのくらいの長さ働くのか?
「収入-費用」を最大化
資源制約とトレードオフ
限界収入と限界費用が一致する点
6 給料はどう決まるのか?
競争的で短期雇用の場合
長期雇用ならば年功賃金の場合もある
取り替えがきかない存在の場合
給料を上げるためには
コラム:労働は商品ではない?

第2章 働き方の現在を知る
1 働き方の現状とルールはどうなっているか?
正規雇用と非正規雇用
正規雇用の三条件
7種類ある非正規雇用
非正規雇用の増加
2 正社員とはなにか?
正規雇用ならば幸せなのか
正社員を雇う理由
正規雇用はどのくらい減ったのか
3 長時間労働はなぜ生じるのか?
長時間労働の規制
長時間労働と健康被害の実態
なぜ長時間労働が行われるのか
一部の労働者に仕事が片寄る理由
4 日本型雇用とはなにか?
定年までの長期雇用
年功的な賃金体系
企業別の労働組合
職能給と職務給
中小企業には広がらなかった日本型雇用
5 解雇はどこまでできるのか?
雇用関係の終了と解雇
できる解雇とできない解雇
日本の解雇規制は厳しいのか
仕事ができる人、できない人
6 ブラック企業とはなにか?
ブラック企業はどこが問題なのか
なぜブラック企業はなくならないのか
どうすればブラック企業を減らせるのか
コラム:日本型雇用についての誤解

第3章 働き方の未来を知る
1 少子高齢社会が到来する
生産年齢人口の減少
働くことができる人を増やす
生産性を向上させる
2 働き方が変わる
機械により失われる仕事
人口の減少と仕事の減少
「雇用の安定」と失業なき労働移動
3 雇用形態は多様化する
無限定正社員と限定正社員
働き方のステップアップとステップダウン
非正規雇用という働き方
社会保障の負担
4 変わらない要素も重要
日本型雇用と年功賃金
新卒一括採用
コラム:予見可能性を高めるために

第4章 いま私たちにできることを知る
1 「労働者の正義」と「会社の正義」がある
「専門家」の言うことを鵜呑みにしない
目的と手段を分けて考える
会社を悪者あつかいしない
2 正しい情報を持つ
雇用契約を理解する
労働法の知識を得る
誰に相談すればよいのかを知る
3 変化の方向性を知る
働き方は変わる
失われる仕事について考える
「機械との競争」をしない
4 変化に備える
いま自分にできることは何か
これからどんな仕事をするか
普通に働くということ

おわりに

ブックガイド:「働くこと」についてさらに知るために

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長期的な雇用関係(オールドディール)を捨てニューディールに移行した米国企業が直面した課題を精緻に分析。

雇用の未来 キャペリ.jpg雇用の未来 P・キャペリ.JPG雇用の未来Peter Cappelli.jpg Peter Cappelli

The New Deal at Work.jpg 終身雇用(長期的な雇用)は日本企業独自のものであって、米国企業にはそうした雇用慣行は無かったかのように思われているフシもにありますが、実は米国でも1970年代くらいまでは終身雇用をベースにした企業が殆どだったと言われています。それが、1980年代に米国は深刻な不況に陥り、企業は人員削減の必要に迫られ、従業員が企業に貢献できる限りは雇用するが、そうでなくなれば雇用は保証しないという新たな雇用スタイルに移行したとされています。
"The New Deal at Work: Managing the Market-Driven Workforce"

 1999年にピーター・キャペリ(Peter Cappelli)が著した本書(原題:"The New Deal at Work")は、米国企業が雇用においてそうした旧来型の長期的な雇用関係(オールドディール)をどのような経緯と理由で捨て、雇用者と労働者が雇用契約の内容を状況に応じて書き改めるオープン型の新たな関係(ニューディール)に移行したか、また、その結果としてどのような問題が生じ、それをどう乗り越えようとしているか(したか)が書かれています。

 第1章「雇用のニューディール」では、職場における「ニューディール」の概略を紹介し、企業は社員との暗黙の了解をいかに書き改めたのかを概説するとともに、それによって進行した社員の離職や無断欠勤の増加などの行動変化により経営者が抱えるようになった問題の領域―コア社員の維持、コミットメント、スキル開発―について解説しています。

雇用の未来  キャペリ.jpg 第2章「置き去りにされてきた雇用契約」では、米国における雇用慣行の歴史を遡ることで、「伝統的」だと考えられている長期的な雇用関係は、実はある経済状態に応じて比較的最近に出現し70年代末期から80年代初頭にかけて一層活発化したものであること、そしてそれがその後10年もしないうちに終焉を迎えることになったことを示しています(「オールドディール」以前には「ニューディール」に近い状態があったというのが興味深い)。

 第3章「何が雇用のリストラクチャリングを引き起こしたのか」では、長期的な雇用関係を徐々に崩壊させたその原因の多くは経済全体に関わるものであるが、最も重要な圧力は経営のイノベーションに関わるものであったとし、それゆえに、リストラクチャリングは継続的な変化を意味し、そのことは同時に、雇用主と労働者が相互にコミットメントし合う長期的な雇用関係の終焉を意味するとしています(つまり、長期的な雇用関係にはもう戻れないというのが著者の考えとみてよい)。

 第4章「変化の大きさ」では、こうした圧力が実際にはどの程度のものであったのか、雇用関係や社員自身にどのような影響を与えたかを、職場における変化の具体的な事例を取り上げながら解説しています。この中では特に、企業が新入社員に対する人材育成投資を手控えるようになったことに注目しています(今後は、企業が教育訓練に投じてもよいと考える額は、外部市場からの採用がどの程度困難かよって決まるだろうとしている)。

 第5章「市場原理に基づく雇用関係―外部労働市場はどう機能するか」では、以前からニューディール的な雇用関係が成立している業界や職種に着目し(航空パイロット、高等教育機関、シリコンバレーなど)、雇用・人事面の問題を克服するために必要となった調整手段について概説しています(例えばシリコンバレーの外部人材開発の事例では、様々な社員の評価を共有する情報ネットワークなど、外部インフラが自然発生的に出来あがったことに着眼している)。

 第6章「ニューディールが突きつけた課題にどう対処するか」では、コア社員の維持、コミットメント、スキル開発の問題を企業がどのような調整をもって克服しようとしたかを取り上げています。そして、ニューディールの下では、社員の組織に対するコミットメントは、今後ますます外部要因によって左右されるようになるとしています(社員のモラール維持に努めコミットメントの向上を意図した施策を講じても、労働市場が逼迫し、人材の引き抜きが盛んになれば、社員のコミットメントは低下せざるを得ないということ)。

 第7章「雇用の未来」では、社員に対して以前よりも多くの決断やリスクを迫る新しい雇用関係が個人や社会全体に与える影響など、マクロ的観点から考察しています。ニューディールがもたらす社会的影響については、就業に向けた万全の準備を学生たちに求める圧力が強まることなどを挙げています。
 ニューディールがもたらす結果について多くの人は不平等の拡大の問題を懸念するが、「市場性」の高い社員は、就職や昇進の見通しが明るくなる―、雇用の変動性と人材の内部育成に対する企業能力の低下が相俟って、個人が自分で自分のスキルを磨くことが求められる―こうした変化を「よい」とするかどうかは「よい」をどう定義するかによって答えが違ってくるわけであり、良し悪しの枠組みで議論するには限界があるとしています(良し悪しは別として企業や個人が対応しなければならない問題だということか)。
 著者は、ニューディールもいずれは過去のものとなるかもしれず、長期的な見方をすることをニューディールに関する最後の忠告として本書を結んでいます。

 バブル崩壊後、「失われた10年」と言われた平成不況に入った日本企業は、まさに本書にある米国のニューディールを追いかけたと言えるでしょう。リストラの嵐が吹き荒れ、成果主義賃金が叫ばれる中で、終わってみれば今もって「働かないオジさんの給料はなぜ高いか」などと言われているくらいですから、それは必ずしもオールドディールを全面的にひっくり返すほどではなかったかもしれませんが、一方で、人材の流動化や雇用形態の多様化、全労働者に占める非正規社員の比率の増大などは、当初の予想を超えて大幅に進行したと言えるかと思います。

 80年代、日本より10年先行してニューディールに移行した米国企業でも、90年代に入って雇用保障や内部人材の教育・育成の重要性が見直され、実際そうした「人材を活かす企業」こそがいち早く構造不況を脱したといったフェッファー(Jeffrey Pfeffer)などの研究報告もあります(『人材を生かす企業―経営者はなぜ社員を大事にしないのか?』(1998年/トッパン)。このいち早く構造不況を脱した企業の中にアメリカ・トヨタなども入っている)。そして、日本企業でも、2000年代に入って人材の重視が再び言われるようになり、2010年代に入ってそれがモチベーションアップなどのための様々な施策として具現化されてきているよう思います。

 日本と米国の雇用環境の決定的な違いは、人材の外部市場(人材情報の外部インフラ)の形成という面で日本が決定的に遅れているということでしょう。この差はすぐに埋まるものではなく、そうした所与の条件が違う中で、全てにおいて米国型を追っかけるのは無理があるし、その必要もないですが、多少の揺り戻しがあっても、当面は本書にあるニューディール自体がグローバルな流れであることは、見据えておく必要があるように思われます。その意味で本書は、これからの雇用のあり方、経営者と社員の関係のあり方を探る上で参考になる点が多いかと思います(一応断っておくと、書かれていることは「未来」ではなく、書かれた当時の「現在」なのだが)。

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この問題に対する著者の真摯な姿勢が感じられる。「労側」の弁護士が書いた本との捉え方は意味をなさない。

過労自殺 第二版.jpg過労自殺 第二版 (岩波新書)』  過労自殺 .jpg過労自殺 (岩波新書)』 

 同著者の1998年刊行の『過労自殺』の16年ぶりの全面改訂版であり、第1章では事例をすべて書き換え、著者が直接裁判などを担当して調査を行った資料を中心に、過労自殺の実態を具体的に示しています。
 それらの事例と、続く第2章の統計から、20代や30代の若者や女性たちの間にも、仕事による過労・ストレスが原因と思われる自殺が拡大していることがわかり、そのことはたいへん危惧すべきことであるように思いました。また、旧版『過労自殺』にもそうした事例はありましたが、パワハラが絡んでいるものが少なからずあるということと、こうした事件がよく名前の知られた大企業またはその系列会社で起きているということも非常に気になりました。

 第2章では、新しい統計・研究を組み込んで、過労自殺の特徴・原因・背景・歴史を考察しています。旧版『過労自殺』によれば、1995~1997年度の過労自殺の労災申請は、それぞれ10件、11件、22件で、それに対し労災認定件数は各0件、1件、2件しかなかったとありました(有名な「電通事件」裁判も、労災申請を認めなかった労基署の判断が退けられたという形をとっている)。
 それが、本書によれば、2007~2012年度の間では毎年度63~93件の自殺労災認定があったとのこと。しかし、これは厚労省労働基準局統計による数字であって、警察庁・内閣府統計では、2007~2012年の間「勤務問題」が原因・動機の自殺が毎年2,500件前後あったとなっており、著者が過労自殺の被災者は実質的には年間2,000人以上になるとしているのは、必ずしも大袈裟とは言えないように思いました。

 第3章では、そうした実態も踏まえ、過労自殺と労災補償の関係を整理し、具体的にQ&A式で説明しています。基本的には労働者や被災者とその家族向けに書かれていますが、企業の人事労務担当者が基礎知識として知っておくべきことも含まれています。

 第4章では、今年成立した過労死等防止対策推進法(略称・過労死防止法)などの情勢の進展を踏まえ、過労自殺をなくすにはどうすればよいかについて、職場に時間的なゆとりを持たせることや、精神的なゆとりを持たせることなど、いくつかの観点から提言を行っています。個人的には、「義理を欠くことの大切さ」を説いているのが興味深かったです(版元のウェブサイトの自著の紹介でも、著者は、女優の小雪さんが語りかける「風邪?のど痛い?明日休めないんでしょ?」というCMを見て、風邪気味でのどが痛くとも、熱っぽい状態であっても、仕事を休まずに出勤することを前提にしていることに違和感を感じたとしている)。

 過労自殺はあってはならないというこの問題に対する著者の真摯な姿勢が感じられるとともに、この問題は企業と働く側の双方で(それと社会とで)解決していかなければならない問題であるとの思いを改めて抱きました(本書では、元トリンプ・インターナショナル・ジャパン社長の吉越浩一郎氏の『「残業ゼロ」の仕事力』(2007年/日本能率協会マネジメントセンター)や株式会社ワークライフバランス社長の小室淑恵氏の『6時に帰る チーム術』(2008年/日本能率協会マネジメントセンター)などの著書からの肯定的な引用もある)。
 ともすると、「労(働者)側」の弁護士が書いた本だと捉えられがちですが、著者は実際には企業のコンプライアンス委員会などにも関与しており、過労自殺を予防するといった観点からは、「労(働者)側」「使(用者)側」という見方はあまり意味を成さないのかもしれません。
 人事労務担当者としては押さえておきたい1冊です。

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日本的雇用の在り方に影響力を持ち得る視座を提起。第5編の提案部分の更なる深耕に期待。

日本の雇用と中高年.jpg日本の雇用と中高年 (ちくま新書)』 若者と労働.png若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)

 同著者の『新しい労働社会』(岩波新書)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫)、『若者と労働』(中公新書ラクレ)に続く新書第4弾であり、日本の雇用社会は仕事に人を割り振る「ジョブ型」ではなく、人に仕事を割り振る「メンバーシップ型」であって、それが時代の変化とともに歪みを生じさせているとの現状認識が出発点となっている点はこれまでと同様です。その意味ではこれまでの著書の「続編」との印象もありますが、著者の場合、意識して一作ごとに分析の切り口やフォーカスする論点の比重のかけ方を変えているようです。

 前著『若者と労働』では日本の若者労働問題を取り上げ、国際比較と歴史的分析をもとにその本質的構造を解き明かしてみせたのに対し、今回は、日本の雇用問題の中心である中高年問題、つまり、日本の中高年労働者がその人件費の高さゆえに企業から排出されやすく、排出されると再就職しにくいという問題を取り上げ、戦後日本の雇用システムと雇用政策の流れを概観しています。

 第1章から第4章において、日本の中高年問題の文脈を雇用システムの歴史的変遷に探り、続いて、日本型雇用において労働法や判例法理がどのように確立しどのような高齢者政策がとられてきたのか、また、年齢差別禁止政策という観点からはどのような歴史的変遷を辿ってきたのかを解説するとともに、「管理職」問題、中高年を狙い撃ちした成果主義や最近また議論が再燃しているホワイトカラー・エグゼンプションなど近年のトピカルな問題にまで言及しています。

 著者は、中高年や若者を巡る雇用問題を「中高年vs.若者」という対立軸で捉えてどちらが損か得かで論じることは不毛であり、雇用問題は雇用システム改革の問題として捉えることが肝要だとしており、ここまでに書かれている歴史的変遷も、それ自体「人事の教養」として知っておいて無駄ではないかと思いますが、ここでは、日本型雇用システムの歴史を探ることでその本質や特徴を浮き彫りにするという意図のもとに、これだけの紙数を割いているようです。

 そして、最終章である第5章において、前著『若者と労働』で若者雇用問題への処方箋として提示した「ジョブ型正社員」というコンセプトが、本書のテーマである中高年の救済策にもなるとしています。「ジョブ型正社員」の是非を巡る労使間の議論が、解雇規制緩和への期待や懸念が背景となってしまっている現状の議論の水準を超えて、労使双方にとって有意義な雇用システム改革という新展望の上に展開されているという点では、本書にも紹介されている1995年の日経連の『新時代の「日本的経営」』にも匹敵する、日本的雇用の在り方に影響力を持ち得る視座を提起しているように思われました。

 一方で、「ジョブ」の概念が明確でないのが日本の雇用社会の特質であるとしてきた著者のこれまでの論調の中で、「ジョブ型正社員」というものを今後どう構築していくかという課題は、その実現においてクリアにしなければならない多くの問題を孕んでいるようにも思えました。例えば、経団連の「人事賃金センター」は、かつて日経連時代には「職務分析センター」と呼ばれていたが、そうした名称が用いられなくなったこと自体が、「ジョブ」を規定しそれを日本的雇用の中で活用していくことの"挫折"とその困難を物語っているのではないかと。著者ももちろん、その困難さはよく解ったうえで、問題提起しているわけですが...。

 問題解決の一つの視点として、戦後の日本型雇用システムが企業内で労働者とその家族の生活をまかなうことを追求した結果、公的社会保障制度としてまかなわれるべきものが「メンバーシップ型」正社員の処遇制度の中に織り込まれ、それが中高年の年功賃金につながった―つまり、労働も福祉も一緒くたにして企業が負うことになったことを挙げており、これはなかなか穿った見方であるように思いました。個人的には、企業の福祉からの撤退を訴えた橘木俊詔氏の『企業福祉の終焉―格差の時代にどう対応すべきか』(2005/04 中公新書)を想起しました。橘木氏は、報酬比例の保険料徴収及び給付方式となっている厚生年金保険など国の制度も含め、企業福祉に社会的格差の拡大原因を認めています。

 しかし、終身雇用をベースにした長期決済型の年功制を維持している間も、生産性に見合わない高給取りの中高年が真っ先にリストラ対象となった折も、そうした本質の部分について議論されることが無かった(能力主義であるとか現状において生産性に比べて賃金が割高であるとかいう理屈の上に韜晦されてしまった)のは、「メンバーシップ型」という概念が概念として対象化されず、それでいて企業が、何よりも人事部を中心にその(メンバーシップ型という考え方の)中にどっぷり浸り切っていたためであり、こうして「メンバーシップ型」として概念化し対象化すること自体、意義のあることのように思います。

 では、今後の施策面を考えるとどうでしょうか。企業における中高年の人事施策において、専門職制度の導入というのが一時流行り、今でも多くの企業がその制度を維持しています。これが建前としては、今言っているところの「ジョブ型」でありながら、実態としては単なる「非ライン(管理職)」の処遇の仕方であったことは間違いないかと思われます。こうした実態がある中での「ジョブ型正社員」の新たな位置づけというのはどのようになっていくのか、これは、企業によっては「専門職」が(かつてサラリーマン漫画に描かれたような「窓際族」はすでに実態として多くの企業ではほぼ"絶滅"しているとみるにしても)、一般職の延長での仕事しかしていない「エキスパート」が主なのか、その中に相当数の「スペシャリスト」「プロフェッショナル」と呼ぶべき、企業にとって付加価値貢献度の高い、企業経営を存続させていくべきで必要欠くべからざる人材が含まれているのかによっても違ってくるように思われます。

 日本の若者雇用問題の解決策として、入り口のところで、「ジョブ型正社員」をスタンダードとしてみてはという提案は、それがどれぐらいのスピードで定着していくかは分かりませんが、かつて牧野昇(1921-2007)が『新・雇用革命』(1999/11 経済界)で指摘した、日本のサラリーマンが「社長レースからだれも降りない理由」は「負けても失うものが意外に少ないから」との指摘―つまり、「ゼネラリストとして成功しないより、スペシャリストとして成功した方が、それは幸福だろう。しかし、ゼネラリストとして成功しないことと、スペシャリストとして成功しないことの間には、大きな格差がある。だからスペシャリストを志向することはリスクなのである。少なくとも今まではそうであった」という、その「今まで」の在り方を見直すことにつながっていくでしょう。それに先立つこと12年前に津田眞澂(1926-2005)は『人事革命』(1987/05 ごま書房)において、「専門職能を持たない従来型のゼネラリストは不要になる」と予言しています。

 「ジョブ型正社員」を若者雇用に適用するにしても、従来の新卒採用面接の考え方のパラダイム変換が求められたりはするでしょうが(実際殆どの企業がそうしたパラダイム変換を経ることなく今日に至っているのではないか)、それでも処方箋としては中高年問題の解決において「ジョブ型正社員」の考え方を採り入れるよりはシンプルなように思われ、逆に言えば、それだけ、中高年の方は問題が複雑ではないかという気がします。

 その意味では、本書第5章を深耕した著者の次著を期待したいと思いますが、こうした期待は本来著者一人に委ねるものではなく、実務者も含めた様々な人々の議論の活性化を期待すべきものなのでしょう。そうした議論に加わる切っ掛けとして、企業内の人事パーソンを初め実務に携わる人が本書を手にするのもいいのではないでしょうか。

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「一見、労働者の保護のためになりそうな政策が逆効果となるおそれがある」。

雇用改革の真実3.jpg大内 伸哉 『雇用改革の真実』2.jpg大内 伸哉 『雇用改革の真実』.jpg雇用改革の真実 (日経プレミアシリーズ)

 労働法の研究者による本書は、解雇、限定正社員、有期雇用、派遣、賃金、労働時間、ワークライフバランス、高齢者という8つのトピックを取り上げ、政府がどのように雇用政策を進めようとしているのか、それについてどう評価すべきなのか、また、それらが働く人の今後の働き方にどのように影響するのかを読み解いていくことを目的として書かれています。

雇用社会の25の疑問.jpg 本書の特徴として、政府の様々な雇用施策がかえって労働者の利益を損ねたり企業の自発的努力を阻害したりし、また、労使自治を揺るがすことにもなりかねないという懸念を表明している点が挙げられます。こうした考え方は、同著者の『雇用社会の25の疑問―労働法再入門』(2007年/ 弘文堂)においてもすでに示されていましたが、前著が入門書の形をとりつつ、こうした問題に対する多角的な視点を提示したものであったのに対し、今回は、近年の法改正の動きや雇用施策を巡る論議を踏まえ、トピカルなテーマについてのさらに踏み込んだ論考となっています。

 例えば、労働契約法における無期転換制度について、一般には、本来は無期雇用で働くべき労働者が使用者による有期雇用制限によって不利益を受けていた状況が、この制度により改善が図られると評価されていますが、著者は、この制度は企業に対して無期転換が起こらないように短期に雇用を打ち切るという行動を誘発する危険があるとして批判的に「再評価」しています。個人的には、この章はたいへん説得力があるように思えました(第3章「有期雇用を規制しても正社員は増えない」)。

 このほかに、それぞれのテーマに絡めて、「解雇しやすくなれば働くチャンスが広がる」「政府が賃上げをさせても労働者は豊かにならない」といった刺激的な章タイトルが並びますが、各章を読んでみれば、概ねナルホドと思える論考になっているように思えました。「ホワイトカラー・エグゼンプションは悪法ではない」という章もあれば(実は自分自身も、相当以前からホワイトカラー・エグゼンプションは悪法ではないと思っているのだが)、「育児休業の充実は女性にとって朗報か」という章などもあり、一方的に政府の雇用施策を非難したりまたは受け容れたりするのではなく、テーマごとに著者の考えを示しています。従って読者も、著者の問題提起を受け、自分なりに「再評価」を試みる読み方になるかと思います。

濱口桂一郎 日本の雇用終了.jpg『日本の雇用終了―労働局あっせん事例から』(2012年)などを読むと、中小企業における労働紛争の解決策として、実態的にはすでに行われているようにも思いました。ただし、著者は、法制度として解雇の金銭的解決が認められた場合の効果という視点から論じており、政府の雇用流動化施策やセーフティネットの拡充ということを付帯条件として挙げています。ただし、この付帯条件の部分が現実にはなかなか難しいのではないかという思いもしなくはありませんでした。

 「一見、労働者の保護のためになりそうな政策が逆効果となるおそれがある」という視点を提示している点では、著者の本を初めて読む読者には章タイトルに相応の"刺激的"な内容であり、実務者にとってただただ法改正を追いかけるのではなく、いったん自身でその意義と問題点を考えてみる契機となる本かと思います。その意味で人事パーソンを初め労働法の実務に携わる人にとっては「教養」とし押さえておきたい本です。

 以前、別のところで本書の書評を書いて、『雇用社会の25の疑問』をはじめ著者の本を何冊か読みつけている読者からすれば、「新機軸」と言うよりは「続編」といったという印象も受けるとしたところ、著者のブログの中で、著者が同じであるという意味では続編であるけれども、「『雇用改革の真実』はもっぱら政策論で、著者としては『雇用社会の25の疑問』とはかなり異なるテイストの本だと思っている」とのコメントがあり、言われてみれば確かにその通りであると思いました(タイトルの示す通りでもある)。

 この「日経プレミアシリーズ」は、「プレミア」を「プライマリー」ととれば丁度それに当て嵌まるラインアップという感じがじなくもありません。本書はそうした中では、読み易いばかりでなく鋭く本質をついており、重いテーマを突き付けてきます。著者の本を読んだことがある人にも、まだ読んだことが無い人にもお薦めです。

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従業員を辞めさせない「新ブラック企業」の実態について、企業だけでなく、働く側の心理、社会的・経済的背景にまで言及。

辞めたくても、辞められない!.jpg辞めたくても、辞められない! (廣済堂新書)』(2014/02 廣済堂新書)

 一般的に「ブラック企業=従業員を辞めさせる(辞めさせたい)」という構図があると思われますが、本書では、それとは真逆の、最近増えてきていると思われる「従業員を辞めさせない」企業(「新ブラック企業」とでも呼べばいいか)の実態を取り上げています。

 「従業員を辞めさせない」企業の実例を紹介し、その遣り口をタイプ別に分類した上で、本書では「従業員を辞めさせない」企業の特徴として、その背景に、独裁的経営者の下での「低賃金・重労働・人手不足」という3つの要素があるとしており、本質的には「辞めさせない企業」は「使い捨て企業」と表裏一体であると看破しています。

 更にそうした背景とは別に(或いはあたかもそれに呼応するように)、働く若者の側に、会社の「言いなり」になる心理構造がみられ、「素直で誠実」「自罰的傾向(自分が悪いと考える傾向)」「社会性の希薄」「働くルールの基礎知識の欠如」などがみられるとのことです。

 「従業員を辞めさせない」企業というのも詰まる所ブラック企業であり、本書では最後にブラック経営者から身を守るにはどうすればよいかを指南していますが、個人的にはそんな会社はとっとと辞めればいいのにと思ってしまうものの、実際には、従業員を巧妙に辞めさせない会社、辞められないという心理に陥ってしまう労働者、今のところ法的措置は考えていない政府、といった構造的な問題があり、そう簡単に解決が図れることでもないようです。著者は、働く者は身を守るために「武装」する必要があると言っています。

 労働問題・労働経済分野において多くの著書、ルポルタージュがある著者による本であり、本書は新書で200ページ弱のさらっと読める内容ですが、その限られた紙数の中で、単にこうした「従業員を辞めさせない企業」=「新ブラック企業」の実態を暴くだけに止まらず、その背景にあるものを、ブラック経営者の思惑だけでなく、労働者個人の心理から社会的・経済的背景にまで言及・分析している点はさすがかと思います。

 一方で、さらっと読める分、そうした企業があることをある程度実態として知っている人にとっては、こうしたことへの「言及」は状況の再確認になるものの、「分析」そのものは特段ユニークと思われるものは無かったかも(オーソドックスな「新ブラック企業」入門という感じ)。
 とは言え、景気回復基調に浮かれるアベノミックスの裏で、労働者は疲弊し、職場自体も病んでいる―そうした実態を改めて知らしめる1冊ではありました。

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基本的には教養書だが、その範疇にとどまらず今後の賃金のあり方を考えるうえでの示唆を含む。

日本の賃金を歴史から考える.jpg日本の賃金を歴史から考える』['13年/旬報社] 金子良事.jpg 金子良事 氏 

 著者によれば、高齢化社会における介護の問題など、労働者の生活問題の範囲が広がる中で、賃金は必ずしも生活問題の筆頭にあがらなくなってきたが、だからといって賃金の重要性が減じたわけではないとのこと。本書は、今、賃金の重要性を再認識するためにはどうすればよいのか、その答えを歴史のなかに求める一つの試みであるとのことです。

 確かに、人事労務の専門誌の特集テーマを見ても、ここ10年で賃金制度を取り上げている回数はかなり減っているし、企業担当者の間でも、賃金制度の策定に携わった経験のない人事パーソンが増えているのは事実ではないでしょうか。本書は、そうした人々をはじめ、働く人、労働組合関係者、賃金コンサルタント、近い将来賃金を生活の糧として働く学生など、なんらかのかたちで賃金に関心のある人を広く対象として書いたとのことです。

 したがって、初学者にも通読できるようにするため敢えて学術論文のスタイルはとらず、図表も全編を通してたった1つあるだけで、それ以外は統計表もなく、すべて地の文となっており、そのかわり、賃金そのものの多様な考え方をできるだけ多く紹介し、さらに、その背景にある社会の歴史の説明に多くを割いています。

 著者の意図は、日本の賃金の歴史研究を通して現状の実践的問題に対する意識を高め、賃金についての議論を再び活性化させることにあるようですが、単純に歴史的関心から読み始めても面白く読める本ではないでしょうか。身元保証人制度のルーツは、江戸時代の期間奉公にあり、当時、奉公人の衣食住を保証する一方で、貨幣的な報酬は保証人に支払われていた―とか(「被用者の従属制と生活の保障」)。

 報酬には、感謝報恩と受取権利という2つの考え方があり、これを現代に置き換えれば、前者が「給与」、後者が「賃金」となり、それぞれ、英語の「salary」「wage」に対応するというのも興味深いです(「報酬の考え方としての感謝報恩と受取権利」)。「賞与金(ボーナス)」の系譜、「社員」という呼称の始まり、「人事部」の登場、科学的管理法の登場などの解説も興味深く読めました。

 さらに、「日本的賃金」というものがどのように形成されていったのか、基本給を中心とした賃金体系の形成というミクロの視点から解き明かすとともに、賃金政策と賃金決定機構、社会生活における賃金のあり方といったマクロの視点まで幅広く論考されているため、社会政策、社会福祉などに関心をもつ読者にも応えるものとなっています。

 一般書であるとはしながらも研究者も読者対象としているようであり、"手加減"はされていないとの印象を受ける一方で、一般の読者には難解な箇所があれば読み飛ばしてもいいとしています。

 基本的には教養書であり、自分自身も、現状およびこれからの賃金問題を考えるといった大上段に構えるのではなく、単純に歴史的関心から読み始めたのですが、そもそも、こうした本があまり刊行されていないだけに貴重であるように思われました(本書を読むと解るが、テーマによっては歴史的資料が充分でない面があり、体系立てて歴史的変遷を探るのは結構大変そう)。

 但し、その上で、単に教養書の範疇にとどまらず、これからの賃金のあり方を考えるうえで、多くの示唆を含んだ労作であるように思いました(hamacanこと労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏がオビの推薦文を。ブログでも絶賛していたなあ)。
 
《読書MEMO》 
●主な目次
 第1章 二つの賃金
 第2章 工場労働者によって形成される雇用社会
 第3章 第一次世界大戦と賃金制度を決める主要プレイヤーの登場
 第4章 日本的賃金の誕生
 第5章 基本給を中心とした賃金体系
 第6章 雇用類型と組織
 第7章 賃金政策と賃金決定機構
 第8章 社会生活のなかの賃金
●出版社からのコメント
 推薦 濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構 労使関係部門統括研究員)
  このタイトルは過小広告!
  賃金だけでなく日本の雇用の全体像を歴史を軸に描き出した名著

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統計データから「正社員」の現在を分析。悲観的ではあるが、一定の説得力を持った現実的所見。

「正社員」の研究.jpg「正社員」の研究』 小倉 一哉.jpg 小倉 一哉 早稲田大学商学学術院准教授(略歴下記)

 長引いた不況とその後の景気回復の遅れによって、全雇用者数に占める非正規社員の割合は3分の1を超える現在ですが、それでも、依然として残り約3分の2の雇用労働者は「正社員」であるわけです。労働研究の分野では、トレンドとして「非正社員」に関する研究は目立つものの、「正社員」の研究は多くはなかった―そこで、企業における「正社員」の位置づけと役割は今どうなっているかを考察したのが本書です。

 バブル崩壊後の「失われた20年」で「正社員」の姿は変わったと言われていますが、研究書としての性格が強い本書では、「正社員」についての様々な研究蓄積や多くの統計データから、「正社員」及びそれを取り巻く環境の変化を分析し、事実確認並びに考察と検討を行っています。

 第1章では、「正社員」とは何かを考察していますが、そもそも「正社員」の厳密な定義は存在せず、統計調査においても省庁間や時期の違いによって微妙なニュアンスの差があるようです。また、新聞記事などに「正社員」という言葉が徐々に登場し始めたのは1980年代で、それがほぼ毎日のように紙面に登場するようになったのは2000年代になってからとのことだそうです。しかし、それまでにも当然のことながら、現在の「正社員」に該当する労働者はいたわけであり(単に「社員」「職員」などと呼ばれていた)、本書では、多くの会社に存在する「正社員」のイメージと大きく異ならない範囲で、これらを研究対象として取り上げることを予め断っています。

 以降の章で、「正社員」の雇用の安定、転職と定着、人事評価、賃金と福利厚生、労働時間などの側面を取り上げていますが、そうした分析を通して、例えば雇用や賃金については、2000年代以降、「正社員」の平均勤続年数は短くなり、賃金は低下し、一部の「正社員」に関しては、賃金カーブもフラットになってきていることなどが明らかにされています。正社員が雇用不安を感じる要因は、現在の家計を維持しなければならない正社員が、会社の経営状況などに危機感を持っている場合が多いとのことです。

 大方は、本書が読者対象として想定している「労働市場の動向に関心を持っているすべての人」が感じているだろうと思われることを裏付けるものとなっていますが、雇用不安や転職志向、あるいは会社を辞めない理由など、働く人の心理面にまで踏み込んだ調査についても取り上げ、詳細に分析されている点は丁寧であるように思いました。

 こうした分析が本書の"本体部分"ですが、最終章において、データ等から得られた事実発見をもとに、これからの正社員について考察がなされています。

 それによれば、まず、「正社員」はいなくなるのかいうことについてですが、企業の中核的な人材は、定着してきている成果主義的な人事評価によって、ますます厳しい状態に置かれているように感じるとしながらも、今さら牧歌的な職能資格制度に戻る気配はなく、これからも改良型の成果主義が、人事評価、処遇の中心に据えられるだろうとし、また、(長期的には「正社員」と「非正社員」の間にある壁が取り払われる日がくるかもしれないが)冷静に考えれば企業の中核を支える屋台骨的な「正社員」が消滅するはずはなく、但し、何十年も後には、ごく少数の「正社員」とその他大勢の「その他社員」などという括りになっているかもしれないとしています。

 また、「正社員」の特徴の一つである長時間労働については、恒常的な残業と引き替えに「正社員」の雇用が守られているうちは、「正社員」の労働時間が長期的にみて短くなることはないだろうとしています。日本の正社員はまじめであり、「どこが100点かわからないのに、100点を目指して働いている」人が多いと感じるとも。まじめな「正社員」が多くいることは、それだけ労働時間が短くなる可能性は低くなるということであるとしています。

 著者は、「正社員」が守られ過ぎているという主張に対し、確かに「非正社員」と比較すれば、「正社員」は多くの点で恵まれているが、だからと言って、「正社員」という「身分」を撤廃せよとの主張に対しては、これまでの「正社員」が享受していた職業能力の向上機会が減ることに繋がるのではないかと疑念を呈しています。

 また著者は、本書で検討した「正社員」の現状は、「正社員」にまつわる不安をさらに強めることになってしまったとも述べています。本書から導かれた結論が、「やはり正社員の相対的価値が高まっている」「正社員は今後も枠が狭められるだろう」「成果主義、仕事のきつさ、長時間労働という正社員の厳しい特徴も緩和される気配がない」という(執筆前から予想がついた)悲観的な結論で筆を置かねばならないのが残念であるとしていますが、これだけの研究蓄積や多くの統計データを分析してきた上での所感であるだけに、一定の説得力を持った、現実的な"所見"となっているように思われました。
_____________________________________________________
小倉 一哉(おぐら・かずや)/早稲田大学商学学術院准教授
 1965年東京生まれ
 明治大学商学部卒業
 早稲田大学大学院商学研究科博士課程修了。博士(商学)
 1993年より2011年まで労働政策研究・研修機構に勤務
 専門分野は労働経済・労使関係
著書(単著)
  『エンドレス・ワーカーズ 働きすぎ日本人の実像』日本経済新聞出版社、2007年、
 『会社が教えてくれない働き方の授業』中経出版、2010年 など。

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一般向けとしては纏まっているが、人事部目線だと常識の範囲内? タイトルがちょっと...。

非情の常時リストラ.jpg非情の常時リストラ~1.JPG非情の常時リストラ (文春新書 916)

 ソニー2000人、パナソニック3500人、シャープ3000人、NEC2400人―2012年度にリストラを行った大手電機メーカーとその人員削減人数だそうで、ソニーはグループ企業も含めると1万人に及ぶそうです。

 長年にわたり日本企業の人事部を取材してきたジャーナリストで、人事専門誌等ではお馴染みの著者が、日本の雇用・解雇の現況をレポートしたもので、第1章の「『常時リストラ』時代に突入」では、今や企業は競争に打ち勝つためには何時でもリストラを行う心づもりが準備がされていることを示しています。

 実際に企業はどのようにしてリストラを行うのか、最近の情勢を、解雇マニュアルの実態やリストラ計画の発案から発表までの根回し、対象となる社員の選別方法など、事例を交えて伝えており、一般のビジネスパーソンには生々しく感じられるかもしれません。

 但し、企業内で人事に携わっている人から見れば、「希望退職」と併せて退職勧奨を行うのは常套法であり、「希望退職」を募る前にすでに辞めさせたい標的人材は絞られているとか、担当者には、労務トラブルに発展しないようにしつつ面談者をどう退職に導くかが入念に書かれたマニュアルが配られているとかいうのも、まあ、「希望退職」を実施する際の常識と言えば常識かも。

 むしろ、そうしたことがマニュアル化・常態化されているというのが本書の主題なのでしょう。最近では、景気や会社の経営状況に関係なく、新聞の話題にも上らないような小規模のリストラを「常時」少しずつやっているケースなども増えているそうですが、外資系企業などはこの手ものが以前から多いように思います(ある日、何の前触れもなく、個別に耳打ちされるとか...)。

 「追い出し部屋」や「座敷牢」なども今に始まったことではないけれど、確かに解雇規制が厳しいとされる日本企業(外資系企業の日本法人を含む)において発展してきた手法ではあるかも。でも、中小・零細企業では、そんなの面倒とばかり、能力不足や態度不良を理由に簡単に解雇してしまっているけどね。

 第2章「学歴はどこまで有効か」では、「新卒一括採用方式」に崩壊が見られる一方で、学歴不問を掲げながらも実は学歴重視はまだ根強い傾向としてあることなどを、第3章「富裕社員と貧困社員」では、同じ企業に勤める人の給与格差が大きくなってきていることなどを、第4章「選別される社員」では、ポスト不足に伴い"無役社員"が増えてきていることなどを、第5章「解雇規制緩和への流れ」では、安倍政権の下での"産業競争力会議"や"規制改革会議"の動向を踏まえつつ、解雇規制緩和が進むとすれば、それはどのような形で行われ、働く側にとってはどのような影響があるかを見通しています。

 労働市場の現況を踏まえつつ、企業の現場に密着したレポートになっており、そうしたものを概観するにはいいですが、1冊の新書にこれだけ盛り込むと、1つ1つが浅くなって、週刊誌記事を纏め読みしているような印象も(手軽と言えば手軽なのだが)。

溝上 憲文 『非情の常時リストラ』.jpg タイトルの「非情の常時リストラ」に直接呼応しているのは第1章のみでしょうか。これ、編集者がつけたタイトルなんだろなあ。内容を読めば、必ずしも"煽り気味"のタイトルではないということになるのかもしれないけれど、"非情の"はねえ(天知茂の「非情のライセンス」からきているとの説もあるが、あの番組を熱心に見ていた世代というのは、もう定年再雇用期に入っているか、その雇用契約も終わってリタイアしている世代がメインではないか)。

 本書の内容を包括するようなタイトルはなかなかつけるのが難しく、また、それでは本が売れないことからこうした1点に絞ったタイトルになったと思われますが、その分、本書全体の内容との間ではズレがあるようにも思いました(先に読んだ岩崎日出俊氏の『65歳定年制の罠』(ベスト新書)も、読んでみたら"定年起業"がメインテーマだった。最近、こういうことが多い)。

 本書は、労働ジャーナリストらが選ぶ「2013年度日本労働ペンクラブ賞」を受賞しました。

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自分が会社からやらされていることが、実はパワハラであるとの認識が無い人こそが読むべき本。

解雇最前線.png 
 
    
           東京管理職ユニオン 鈴木剛.jpg 東京管理職ユニオン 鈴木剛・書記長 
解雇最前線 PIP襲来』(2012/11 旬報社)

 東京管理職ユニオンの書記長による本で、企業が従業員を退職に追い込むために用いるようになった、解雇・リストラの新手法 PIP(業績改善計画=パフォーマンス・インプルーブメント・プラン)について書かれています。

 PIPは、従来の整理解雇、退職勧奨を伴う普通解雇とは異なり、業務命令として、または「あなたのためだから」と思いやりのあるふりをして、達成不可能なノルマや無意味な課題を与え、自主的な退職に追い込んでいくやり方で、従来型の退職勧奨はせず、「業績改善計画」の未達成を理由に、本人に退職届を書かせる方向へ持っていく、或いは、精神的・肉体的に追い詰め、休職→退職へと持っていくやり方です。

 以前からこうしたことは一部企業で行われていたのではないかと思いますが、アメリカ企業にも「PIP」という同様のプログラムを用いている例が少なからずあり、最近とみに目立つようになった日本国内でのこうしたケースに「PIP」という言葉を当て嵌め、「業績改善計画」と "直訳"したような印象でしょうか。

 実際、外資系企業などでは、"米国生まれ"の「PIP」のプログラムを入れているところもあるかと思いますが、今日本企業で行われているこうしたやり方のすべてが「PIP」に準拠しているとは思われず、サブタイトルの"襲来"という言葉にはやや違和感を覚えました。

 但し、こうした手法の中身自体は日米でそう変わるものではなく、本書ではそのパターンとして、「過大な課題を課す手口」「過小な課題を課す手口」「キャリアコンサルタント会社を使う手口」があることを紹介しています。このやり方はパワハラの一種であると言え、これによってうつ病などの精神疾患に陥る労働者が増えており、更に、復職しようとしても会社側からの拒否に遭うケースも多いとのことです。

 最後に、PIPは今の日本の縮図であり、雇用問題と私生活上の問題が「複雑骨折」状態で絡み合っていて、この問題を解決するには、法律家・医師との連携や労働組合の活用を通して、社会包括的な対応が求められるとしています。

 PIPのような労働現場で行われていることを、労働問題として認識している人は少なからずいると思いますが、問題の一つは、労働者側の当事者として、「業績改善計画」の名のもとに、自分が会社からやらされていることが、実はパワハラであり、法違反の可能性が高いものである(少なくとも適法と言えるものではない)ということ自体が今一つ分かっていない人がいることだろうなあ(そうした人に限って、目標が達成できないのは自分の頑張りが足りないからだと本気で悩んだりする)。

 そうした人こそが最も読むべき本ではないかと思いますが、その割には、分かり易くしたつもりのタイトルが、意外と分かりにくいものであるかも。

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ブラック企業の実態と併せ、その社会的損害を指摘。なくすための政策提示もされている。

ブラック企業―日本を食いつぶす妖怪.jpg        POSSEの今野晴貴.jpg POSSE代表・今野 晴貴 氏
ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』['12年] 

個別労働相談件数.jpg 違法な労働条件で若者を働かせては「使い捨て」にする、いわゆる「ブラック企業」の実態を、一橋大学に学部生として在学中からNPO法人POSSE代表として若者の労働相談に関わってきた、労働政策、労働社会学専攻の大学院生が著した本です。

 著者は、「ブラック企業」という問題を考える際には、若者が個人として被害に遭う側面と、社会問題としての側面があるとし、本書では、個人から社会へと視野を広げることで、告発ジャーナリズムとは一線を画しているようです。

 とはいえ、前半のブラック企業の実態について書かれた部分にある、大量採用した正社員をきわめて劣悪な条件で働かせ、うつ病から離職へ追いこみ、平然と使い捨てにする企業のやり方には、改めてヒドイなあと思わされました(行政窓口への個別労働紛争相談件数で「パワハラ」が「解雇」を上回ったのも、2012年1月に厚生労働省が「パワハラ」の具体例を挙げて、「過大な要求」や「過小な要求」もそれに該当するとしたことに加えて、実際に世間ではこうしたやり口がかなり広く行われていることを示唆しているのではないか)。

ブラック企業1.jpg 過労死・過労自殺が発生したため裁判となったケースなどは、企業の実名を揚げて紹介しており(「ウェザーニューズ」、「ワタミ」、「大庄」(庄や・日本海庄や・やるき茶屋などを経営)、「shop99」)が実名で挙げられている)、中には初任給に80時間分の残業代が含まれていて(正社員として入社した若者たちは、そのことを入社後に知らされたわけだが)、それを除いた基本給部分を時給換算するとぴったり最低賃金になるといった例もあり、こういうのは「名ばかり正社員」といってもいいのではないかと。

 こうしたブラック企業から身を守るためにはどうしたらよいかを若者に向けて説いたうえで、本書の後半部分では、「社会問題」としてのブラック企業問題を考えるとともに、どのように問題を解決するべきかという提案もしています。

 そこでは、ブラック企業の第一の問題は、若くて有益な人材を使い潰していることであり、第二の社会問題は、新卒の「使い捨て」の過程が社会への費用転嫁として行われていることにあるとしており、ナルホド、労働社会学者を目指す人らしい視点だと思いました。

 うつ病に罹患した際の医療費のコスト、若年過労死のコスト、転職のコスト、労使の信頼関係を破壊したことのコスト、少子化のコスト、サービス劣化のコスト――こうしたものを外部に転嫁することのうえにブラック企業の成長が成り立っていると考えると、著者の「国滅びてブラック企業あり」という言葉もジョークでは済まなくなってくるように思いました。

 著者は、こうしたブラック企業は、終身雇用と年功賃金と引き換えに、企業が強い命令権を有するという「日本型雇用」の特徴を悪用し、命令の強さはそのままで、雇用保障などの「メンバーシップ」はない状態で、正社員を使い捨てては大量採用することを繰り返しているのだと。そして、労働市場の現況から見るに、すべての日本企業は「ブラック企業」になり得るとしています。

 実際、日本型雇用が必ずしも完全に成立していない中小企業に限らず、今日では大手新興企業が日本型雇用を放棄している状況であり、これまで日本型雇用を守ってきた従来型大手企業もそれに引きずられていると。

 こうした事態に対する対策として、著者は、国が進めている「キャリア教育」はブラック企業に入ってしまった人に諦めを生むことに繋がっており、むしろ、ブラック企業から身を守るための「ワークルール」(労働法規や労使の権利義務)を教えるべきであるとしています。

 また「トライアル雇用の拡充」も、ブラック企業によくみられる試用期間中の解雇をより促す危険性もあり、本当に必要な政策は、労働時間規制や使用者側の業務命令の規制を確立していくことであるとしています。

 こうした施策を通して、「普通の人が生きていけるモデル」を構築すべきであり、それは賃金を上げるということには限られず、むしろ賃金だけに依存すべきではないと。教育・医療・住居に関する適切な現物給付の福祉施策があれば、低賃金でもナショナルミニマムは確保可能であり、つまり目指すは、「低福祉+低賃金+高命令」というアンバランス状態から脱し、「高福祉+中賃金+低命令」であると。

 こうしたことの実現のために、若者たち自身にも「戦略的思考」を身につけ、たとえブラック企業の被害にあっても自分個人の問題で終わらせず、会社と争う必要があれば仲間をみつけ、ともに闘うことで、社会の問題へと波及させていくべきであるとしています。

 最後のまとめとして、ブラック企業をなくす社会的戦略として、労働組合やNPOの活用と労働法教育の確立・普及を挙げています。

 学生、社会のそれぞれに向けてバランスよく書かれているうえに、企業側の人にも読んでいただき、襟を正すところは正していただくとともに、「ブラック企業」問題が他人事ではないことの認識を持っていただく一助としてほしい本。

 最近、企業の新卒採用面接に立ち会って、シューカツ(就職活動)中の学生で、ほぼ全滅の中、かろうじて内定を得ている企業の名が同じだったりするのが気になりますが(概ね、いわゆる「ブラック企業」っぽい)、彼らも、自らの内定状況に満足していないからこそ、こうして、内定後も採用面接に足を運んでいるのでしょう。

 2013(平成25)年度・第13回「大佛次郎論壇賞」受賞作。

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真摯でバランスのとれたレポート及び考察だが、目新しさはない。

感情労働シンドローム.jpg 『感情労働シンドローム (PHP新書)

 これまで労働は大きく、肉体労働と頭脳労働に分けられてきましたが、本書でいう「感情労働」とは、仕事をするなかで心の負担にポイントを置いた労働のことであり、この概念は1970年代にアメリカで生まれ、社会学者による客室乗務員の調査研究で知られるようになったとのことですA.R. ホックシールド (『管理される心―感情が商品になるとき 』('00年/世界思想社))。本書は、その感情労働に注目したレポートです。

 かつては、嫌悪や怒りなどマイナスの感情をコントロールし、笑顔のサービス提供を強いられる労働の典型モデルが客室乗務員や看護・介護職などであったのが、近年は、営業職や教師、さらには普通の若手社員、中高年社員らにも感情コントロールの負荷がのしかかっていると本書は報告しています。

 例えば営業職は、自らは必ずしも推奨したくない商品を売り込む矛盾や訪問先で拒絶される苦しさにあえぎ、それでも、ポジティブで爽やかな振る舞いをしなければならず、あるいは、「これは相手のメリットになる」と本心とは違っても念じなければいけない―その結果、そうした営業の仕事の先に何があるのかとの疑問を持つ若者が多くなっているとのことです。

 さらに顧客を相手にしない職場内においても、若者は若者で、今いる職場や仕事と自らのキャリア観との間のギャップや、現実の上司と理想像との間のギャップを感じてやる気を失い、また、そうした部下を持つ上司は、部下に尊敬されることなく、むしろ360度評価などによって"下からの逆攻撃"を受けてしまう―こうした相互の軋轢から、それぞれに違和感・不安感・緊張感が高まっていて、職場における感情問題は臨界寸前の状態にあると。

 本書では、こうした職場と感情労働の問題を、「新型うつ」「パワハラと逆パワハラ」「成果主義」の三本の柱を軸に考察するとともに、若者における感情労働の問題、ミドルエイジにおける感情労働の問題のそれぞれについても分析を行っています。

 各層へのインタビュー取材がベースになっており、真摯でバランスのとれたレポート及び考察になっていて、ある人にはショッキングなレポートに思えるかもしれませんが、現に職場内にいる人間にとっては、特に目新しいことが書かれているわけでもないようにも思いました。

 こうした状況をただ「仕方がない」と受けとめてしまうのではなく、分析的に捉える視点は必要であるし、経済産業省の打ち出した「社会人基礎力」の内容に疑問を呈している点などにも共感しましたが、著者自身の目から見た、こうした問題に対する処方箋が示されていない点が物足りませんでした(著者自身、解決策を示すのが本書の目的ではないと、あとがきで断ってはいるが)。

 アメリカの社会学者ライト・ミルズは、『ホワイトカラー― 中流階級の生活探究』原著刊行1951年、1957年/創元社、971年/東京創元社)の中で、ホワイトカラーの疲弊度が増す原因を、「賃金労働者とホワイトカラーの際立った違いの一つは、賃金労働者は彼の労働とエネルギーとスキルを売るが、ホワイトカラーは、多数の消費者、顧客、管理者に対して、自己の労働を売るだけでなく自己のパーソナリティを売る」ためであると書いています。

 ホワイトカラーの感情労働による自己疎外は、1950年代初頭に書かれたこのミルズの一文が、すでに核心を突いているのではないかと。

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なるほどと思わされる点も多かった一方、どちらの見方もできるのではないか、という箇所も。

雇用の常識 決着版.jpg                     雇用の常識「本当に見えるウソ」.jpg
雇用の常識 決着版: 「本当に見えるウソ」 (ちくま文庫)』['12年] 『雇用の常識「本当に見えるウソ」』['09年]

 2009年に刊行された『雇用の常識「本当に見えるウソ」』(プレジデント社)の文庫化で、こうした労働問題・労働経済に関する本が文庫化されるということは、それだけ世間での反響が大きかったということではないでしょうか。

 文庫化にあたっては、データを直近のものに刷新するとともに、著者自身のその後の著書『「若者はかわいそう」論のウソ』(2010年/扶桑社新書)、『就職、絶望期』(2011年/扶桑社新書)などを反映させるかたちで、「就職氷河期は、企業に転嫁された」「女性の社会進出は、着実に進んでいる?」「定年延長が若者雇用を圧迫する、か?」など6章が加筆されており、新著に近い内容ともいえます。

 前著もそうでしたが、冒頭から、「終身雇用の崩壊」「転職の一般化」「若者の就職意識の変化」「成果主義の浸透」などといった一般に流布されている言説に対し、現実を反映したデータを駆使して、その「ウソ」を暴いてみせる様は、読んでみて「目からウロコ」の思いをする人も多いのではないでしょうか。前著から割愛されている章もありますが、それらは加筆された章にほぼ取り込まれており、著者の見方には一貫性があるように思いました。

 その見方の根柢にあるものとして、世間で識者と言われる人が語る主義主張には、例えば「小泉改革はよくなかった」とか「若者がかわいそう」といった自分の言いたいことが最初にあり、データの検証がないままそうしたことが喧宣され、「常識」としてまかり通ってしまっていることに対する憤りが感じられました(単に憤るだけでなく、その背景として、雇用問題が過剰に政治イデオロギーがしていて、純粋に労働経済の問題として扱うべきところが、論者のバイアスがかかってしまっている、と冷静に分析している)。

雇用の常識4.JPG 個人的にも、世間で言われていることと日々実際に感じていることのギャップ感に符合し、なるほどと思わされる箇所は多かったのですが、「常識」に対して「反証」することが目的化して、データの捉え方が著者自身やや我田引水ではないか、実際にはどちらの見方もできるのではないか、という箇所もありました。

 そのことは。著者自身が書いていることの中にも見られ、例えば終身雇用と転職率の問題についても、非正規雇用の増加の問題についても、どこに焦点を当てるか、どの対象を分母とするかによって数的結果が異なってくるわけで、ある部分、こうした見方もあるというスタンスで読んだ方がいいような箇所もあるように思われました(でも、それだとインパクトが弱くなるから、「反証」というかたちを敢えて取っているんだろうなあ)。

 著者自身が「常識」として世間に流布されているとしているものにも、若干の疑問があり、例えば、国民年金の未納率の「分母」に、厚生年金や共済年金など被用者年金の加入者、或いは専業主婦など第3号被保険者を含めて想定している人ってどれぐらいいるかな。それを含めた数字を基にして「国民年金未納者が四割」というのは「ウソ」だと言われても...。

 いろいろなことを気づかせてくれる本。但し、このように突っ込み所は少なからずある本ではなかったかと思われました。

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自らが扱った事例が紹介されているため臨場感があり、労働審判や裁判の実際が伝わってくる。

それ、パワハラです―何がアウトで、何がセーフか55.JPG
 

               笹山 尚人.jpg 笹山 尚人 氏 (弁護士/略歴下記)

それ、パワハラです 何がアウトで、何がセーフか (光文社新書)』 ['12年]

 パワーハラスメントは、「職場において、地位や人間関係で有利にある立場の者が、弱い立場の者に対して、精神的又は身体的な苦痛を与えることによって働く権利を侵害し、職場環境を悪化させる行為」と一般的に定義されています。

 本書によれば、労働局に寄せられる「職場のいじめ・嫌がらせ」と分類される問題の相談件数は、平成23年度には約4万6千件に達し、この数は、解雇に関する相談に次ぐ相談件数であるとのことです。

 著者は、労働者の代理人として労働事件を扱っている弁護士ですが、全10章から成る本書の各章は、著者自身が扱った事例の紹介が中心となっています(著者自身、自分の体験をもとにした「パワーハラスメント事件簿」の色合いが濃いかもしれないとしている)。

 第1章・第2章に紹介されているのは「言葉の暴力」によるパワーハラスメントの事例で、これがパワハラ事例では最も多い、いわば典型例であるとことですが、こうした事例を取り上げながら、労働審判の仕組みやその特性、パワハラ判定の難しさや、何がその根拠となるかなどについても解説しています。

 さらに第3章で長時間労働を巡る問題を取り上げ(著者は、長時間労働は「過大な業務の強要」であり、パワハラであると捉えている)、第4章でパワハラ問題の基本的な視点や考え方について整理しています。

 第5章から第7章にかけてはパワハラのパターン例として、労働契約を結ぶ際の嫌がらせの事例と、再び言葉の暴力の事例を、さらに、従来の仕事をさせず、本人にふさわしくない仕事を強要した事例を取り上げ、これを受けて第8章では、「退職強要」をどう考えるかを考察しています。

 第9章では、パワーハラスメントに取り組む際の視点、方法、具体的なノウハウを、第10章ではそれを補う形で、精神疾患を発症した場合の労働災害の認定に関する近年の実務動向や注意点を述べています。

 以上に概観されるように、「典型例」を示す一方で幅広い事例を扱っていて、またそれらと併せて、基本概念の整理や知っておくべき実務知識にも触れている点がいいです。

 また、著者の前著『人が壊れてゆく職場―自分を守るために何が必要か』(2008年/光文社新書)も労働者から相談を持ち込まれて、弁護士やユニオンがどのような対策をとるのか、その経緯や戦略がリアルに描かれているためかなり面白く読めましたが、本書も、著者自身が扱った事例を取り上げているため、紛争として公然化するまでの経緯(相談者が相談に来てから労働審判などの申し立てをするまでの経緯)や、労働審判や裁判での裁判官の言葉や代理人としての著者の論述が具体的に書かれていて、臨場感をもって読み進むことができました。

 さらに、そうした事例を通して、代理人としてのどのような戦略で紛争解決や係争に臨み、何があっせんや判決の決め手となったかが分かるため、企業側の人間が読んでも参考になる部分は多く、また全体としても、労使の視点でパワハラ予防にどう取り組むべきかが説かれており、人事のヒトが読んでも、前著共々、読んでムダにはならないと思います。

◎ 著者プロフィール
笹山尚人(ささやまなおと)
1970年北海道札幌市生まれ。1994年、中央大学法学部卒業。
2000年、弁護士登録。第二東京弁護士会会員。東京法律事務所所属。
弁護士登録以来、青年労働者や非正規雇用労働者の権利問題、労働事件や労働運動を中心に扱って活動している。
著書に、『人が壊れてゆく職場』(光文社新書)、『労働法はぼくらの味方! 』(岩波ジュニア新書)、
共著に、『仕事の悩み解決しよう! 』(新日本出版社)、『フリーターの法律相談室』(平凡社新書)などがある。

《読書MEMO》
● 目 次
はじめに
第1章 言葉の暴力 ――― パワハラの典型例
第2章 パワハラ判定の難しさ ――― 「証拠」はどこにある?
第3章 長時間労働はパワハラか? ――― 「名ばかり管理職」事件
第4章 そもそも、「パワハラ」「いじめ」とは何か ――― 法の視点で考える
第5章 パワハラのパターンI ――― 労働契約を結ぶ際の嫌がらせ
第6章 パワハラのパターンII ――― 再び、言葉の暴力を考える
第7章 パワハラのパターンIII ――― 仕事の取り上げ、本人にふさわしくない仕事の強要と退職強要
第8章 「退職強要」をどう考えるか ――― 「見極め」が肝心
第9章 では、どうするか ――― 問題を二つに分けて考える
第10章 精神疾患を発症した場合の労災認定 ――― 文字に残すことの重要性
おわりに

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厳しい現況を概観するうえではよく纏まっている。企業側にも反省が求められるか。

森岡 孝二 『就職とは何か―〈まともな働き方〉の条件』.JPG就職とは何か 森岡孝二.jpg               森岡孝二氏.jpg 森岡孝二氏
就職とは何か―〈まともな働き方〉の条件 (岩波新書)』 

 学生の就職を巡る本は、ハウツー本が多く(所謂「就活本」)、なぜこうした厳しい就職環境になったのか、就職後にどのような状況が学生を待ち受けているかについて書かれた本は少なく、本書は、その空白を埋める試みであるとのこと。

 著者は『働きすぎ時代』('05年/岩波新書)、『貧困化するホワイトカラー』('09年/ちくま新書)などの著書がある労働経済学者であり、本書は主にこれから就職しようとする学生に向けて書かれたものですが、採用する側からみても、いろいろ考えさせられる面があったように思います。

 第1章「就職氷河期から新氷河期へ」では、大学生の就活スケジュールと内定までのおよその流れを説明するとともに、近年の内定率の悪化と長期的な採用減の実態を示し、大学のキャリア支援や就活ビジネスの動向を含む最近の就職事情を概観しています。
 労働経済学者らしく、本書全体を通して図表を多用し、統計データで議論の裏付けをしていますが、「失業率」と「就職 内定率」の算出方法、並びに、それぞれの実情との乖離などは、採用関係者にとっては既知のことであっても、それ以外の人にとっては、初めて知る事実かもしれません。

 第2章「就活ビジネスとルールなき新卒採用」では、就活ビジネスやインターンシップに言及するとともに、日本独特の定期採用制度の特徴を考察し、就職協定の発足から廃止に至る変遷を追いつつ、就活の早期化・長期化が学生・大学・企業にもたらす弊害と、その見直しの論議を行っています。
 人事部所属であっても採用業務を行ったことのない人や、採用の現場を離れて久しい人には、かつて自分が学生時代に就職活動したり、採用担当をしていたりした際の採用スケジュールと、現在の学生たちのそれが大きく異なっていることを確認するうえで、参考になるかと思います。
 「就職協定」に代わる日本経団連の「倫理憲章」で、3年生の12月から広報活動開始となっていても、これは自粛規定に過ぎず、多くの会員企業が大学3年10月からエントリーシートを受付け、12月から1月にかけて面接選考、3月から4月に「内々定」を出すというスケジュールであるため、4年生の4月までに内定を貰えなければ、5月には殆どの企業が内定通知を終了してしまっているというのが、現在の状況です。(これについては、今月('13年4月)、安倍晋三首相が経済3団体に対し、就職活動の解禁時期の後ろ倒しを要請し、2016年卒の大学生から就職活動の解禁時期が現在より3カ月遅い3年生の3月、面接などの企業の選考活動開始が4カ月遅い4年生の8月に、それぞれ変わる見通しとなった。これはこれで、中小企業にとっては大手の選考が一段落してから本格選考が始まるため、不利な立場に立たされるという問題点もあるとの指摘もある。
 
 第3章「雇われて働くということ」では、学生達を待ち受ける働き方にスポットをあて、学生が企業選択する際の一つの目安となる初任給の"記載"の問題、若者の労働組合意識の低下の問題、派遣労働の問題などを取り上げています。
 「正社員」という雇用身分が、70年代後半のパート社員の増加とともに定着し、同時期に労働組合の企業主義・協調主義路線が定まったという分析は興味深く、ユニオンショップ制が労働組合の組織率低下を緩慢に抑えた一方で(′09年の日本における組織率は18%台なのに対し、米国では組織率は12%台)、若者の労働組合への意識の低下の原因にもなっているとの考察にも頷かされるものがありました。

 第4章「時間に縛られて働くということ」では、正社員の働きすぎに焦点を絞り、最近言われる「社会的基礎力」に疑問を投げかけ、若者に広がる過労死・過労自殺の実態を示して、企業が新入社員にどんな働き方を求めているかを述べています。
 経済産業省が言うところの「社会的基礎力」というのが、残業推奨型の内容になっているというのにはやや驚き(これ、本省の若手キャリア官僚の働き方だなあと)。残業手当を組み込んだ「初任給」の事例は、"ブラック企業"に限られたケースとの印象を与えるかもしれませんが、個人的には、多くの企業でこうしたことが行われているとの印象があります。

 第5章「就職に求められる力と働き方」では、大学のキャリア教育から小中学校におけるキャリア教育に立ち帰り、それがひたすら「適応力」を育てることに狙いがあることを批判的に検証したうえで、採用に際して企業が学生に求める能力を検討しています。

 終章「<まともな働き方>を実現するために」では、<まともな働き方>の条件を賃金、労働時間、雇用、社会保障を柱に整理し、なぜ<まともな働き方>ができないのかを考察し、働き方改善策を提案しています。
 過労死(過労自殺)の件数の公式統計はないそうですが、過労死問題に取り組んできた川人博弁護士によると、犠牲者は年間1万人を超えるとのこと(過労からうつになり自殺に至ったケースも含めると、あながち大袈裟とは言えないのではないか)、三六協定の"ザル法"的性格を指摘しているのは妥当ですが、状況改善に向けての提案部分が、やや抽象的でインパクトが弱いのが、本書の難点かと(但し、全体としては、大学生の就職の厳しい現況と内包する問題を概観するうえで、よく纏まっている本)。

 ただ、人事担当者が、自分達の学生時代は、専門の勉強はそれなりにやった一方で、バイトして金貯めて海外旅行に行ったりもし、また仲間には留学して勉学と遊びの両方を海外で経験したヤツも多かったのに、今の若いのはガラパゴス化していてそうした海外経験が少ないなどボヤいていても、著者の言うように、そもそも3年生の半ばから就職戦線に赴かなければならないならば、専門の勉学を深めることも出来ないし、海外留学(従来は3年時に行くことが多かった)の機会も大いに失われるというもの。
 企業側も、若手のグローバル人材が不足していると言うばかりでなく、こうした事情を認識し、考えてみる(反省する)必要があるのではないかなあ。

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雇用システムの「現実的・漸進的改革の方向」を示す。読めば読むほど味が出てくる"スルメ"みたいな本。

新しい労働社会3047.JPG新しい労働社会 雇用システムの再構築へ.jpg        濱口桂一郎.jpg 濱口桂一郎 氏(労働政策研究・研修機構)
新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)』['09年]

 「派遣切り」「名ばかり管理職」「ワーキングプア」「製造業への派遣」といった現在生じている労働問題をめぐる議論は、それぞれ案件ごとの規制緩和論と規制強化論の対立図式になりがちですが、本書は、そうした問題を個別的・表層的捉えるのではなく、国際比較と歴史的経緯という大きな構図の中で捉えようとしています。

 序章において、わが国おける雇用契約は、諸外国と異なり「職務(ジョブ)」ではなく「メンバーシップ」に基づくものであり、そのことが日本型雇用システムの特徴である長期雇用、年功賃金、企業内組合の形成要因となっていることを明快に説いています。

 個人的には「メンバーシップ」という表現及びこの部分の論旨がものすごく分かりよかったのですが(序章だけでも読んでおく価値あり!)、こうしたことを踏まえ、労働問題の各論へと進みます。

 第1章では働きすぎの正社員のワークライフバランス問題をとり上げ、「名ばかり管理職」「ホワイトカラーエグゼンプション」をめぐる議論においては、健康確保措置の問題が報酬問題にすり替えられたと指摘していますが、これは個人的にも同感。マクドナルド事件は、名ばかり管理職問題ではなく過重残業問題だったというのは、何人かの著名な弁護士(主に使用者側)などもそう指摘していたように思います。

 第2章では非正規労働者の問題をとり上げ、「偽装請負」「労働者派遣法」などに関する議論について歴史的経緯を踏まえて再整理していますが、「日雇い派遣」問題の本質は「偽装有期雇用」にあり、この「偽装有期雇用」こそが問題であるとの指摘には、目を見開かせられる思いをしました。

 第3章ではワーキングプア問題をとり上げ、メンバーシップ型正社員だけに手厚い生活給制度が適用されてきたという経緯の中、過去にもアルバイト等の非メンバーシップ労働者はいたものの、親の生活給賃金が子の生計を補填するといった構図で"日本的フレクシキュリティ(柔軟性+安定性)"が保たれていて、それが近年、非正規雇用労働者の増加により、そのフレクシキュリティが揺らいできたというのが、ワーキングプア問題の本質であるとしています。

 日本の法定の最低賃金の水準の低さは、最低賃金がアルバイトとパートという家計補助労働の対価を対象にしていることに起因としているとの指摘は卓見であり、こうした背景との繋がりがワーキングプア問題の基礎にあるということは、問題の案件をそれだけに絞って見てしまっていては見えてこないんだろうなあと。

 ここまでにも幾つかの提言はありますが、どちらかと言えば改革に繋げる前段階(下ごしらえ)の議論であり、それに対し第4章は、本書タイトルにより呼応した内容であり、非正規労働者も含めた労働組合再編など、集団的合意形成の新たな枠組みを提言するとともに、労働政策の決定に一部のステークスホルダーしか関与していないことなどを批判しています(そうなんだ。政労使三者構成というのが本来は、原則のはずなんだよなあ)。

 現行の労働法制の成立過程を追い、その矛盾や実態との乖離を指摘している点は参考になり、また、雇用システムというものが、法的、政治的、経済的、経営的、社会的などの様々な側面が一体となった社会システムであることを踏まえた上での論考は、「現実的・漸進的改革の方向」(著者)を示したものと言えるかと思います。

 労働法を学ぶ人にはブログなどでもお馴染みの論客ですが(大学のオープン講座で労働政策研究・研修機構のR・H先生の労働法の講義を聴いたときに、著者のブログを勧められた。個人的にも以前から読んでいたけれど)、この人、EUの労働法にも詳しかったりするけれど、労働経済学者なんだよね。労働法学と社会政策学の両方の分野を論じることができるのが著者の強みであり、かなりの希少価値ではないかと。

 新書という体裁上、コンパクトに纏まっていますが、読めば読むほど味が出てくる"スルメ"みたいな本です。
 評価で星半個減は、自分自身の理解が及ばなかった部分が若干あったためで、4章が、もやっとした感じ。自分の中に「労組=旧態然」というネガティブイメージがあるのもその一因かもしれません。

 折をみて再読したいと思いますが、ブログを読むよりは、ちょっと気合いを入れてかかる必要があるかも。そう思いつついたら、もう、本書の続編と言えるかどうかわからないけれど、『日本の雇用と労働法』('11年/日経文庫)というのが刊行されており、そちらも読み始めてしまった...。

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就活の現況を概観するにはいい。大学の新たな取り組みをもっと掘り下げて取材して欲しかった。

就活地獄の真相.jpg 『就活地獄の真相 (ベスト新書)

就職内定率の推移.gif 本書によれば、就職氷河期レベルと言われた2010年春の就職状況は、文部科学省の「学校基本調査」(2010年8月公表)によると、前年より5万3000人減の32万9000人と厳しいものだったが、2011年春は、より厳しい見通しにあるとあります(因みに就職率で言うと、本書には無いが、2011年春の最終数値は61.6%で、前年最終の数字との比較で0.8ポイント上昇したものの、ほぼ横ばいだったとみていいか)。

 また、厚生労働省の「就職内定状況調査」(年4回、10月、12月、2月、4月に調査)では、2011年春の内定状況は、2010年10月1日時点で57.6%と「氷河期」を下回る過去最悪となっているとあります(因みに、2011年4月の最終内定率は91.0%で、こちらは最終数値も過去最低だった)。

 大学ジャーナリストである著者は、その原因を、単にリーマン・ショック後の不況による求人減少のせいだとして片づけることはできないとし、そこには、「就活」をめぐっての大学側、国側、採用する企業側のさまざまなウソ・ゆがめられた真実があり、それらがいびつな就活構造を作り出し、学生を疲弊させるだけでなく、結局は採用企業にも大学にとっても不利益をもたらすという悪循環を生みだしているとしています。

 例えば、文部科学省・厚生労働省の「大学卒業(予定)者の就職内定率調査(前記:厚生労働省の「就職内定状況調査」と同じ)」(2010年5月公表)によれば、「10年4月1日時点での就職率(内定率)は91.8%」となっているとマスコミも伝えましたが、マスコミを通して発表される政府の就職内定率調査や、大学が公表している就職率は、現役学生だけを対象としたものであり、しかも、内定率というのはあくまで就職希望者に占める就職決定者の割合であって、厳しい就活に耐えられず途中で就職を諦めた学生などは分母に含まれていないそうです(2011年の「過去最低の数字」が、前述の通り「91.0%」だったというのは、確かに実感とずれているが、要因はここにある)。
 
 また、大学によっては、自大学が出資して派遣会社を設立し、就職が決まらない学生をとりあえずそこへ押し込むことによって、就職内定率の低下を表面上防ぐようなこと(水増し工作?)が行われているとのことです(個人的に知るところでは、早稲田大学なども「キャンパス」という名の100%出資の人材派遣会社を、随分以前から持っている。会社設立当初は、学内事務等の要員を、校風を知る自大学の出身者で賄おうというというのが狙いだったと思われるが)。
 
 こうした統計の"ウソ"を明らかにする一方で、企業側についても、学生に対して求める能力の評価基準が曖昧であることを、これもまた統計をもって明らかにし、その結果として、大学・学生・企業の間に相互不信が渦巻いているとしています(この「就職率」と「就職内定率」の30ポイントもの数字の開きは何とかならないものか。例えば、東京工業大学などは、大学院進学者が多いので「就職率」は落ちるが「就職内定率」は高い。そもそも、「就職内定状況」の調査対象は、国立大学を中心とする62校で、私立では、明治・青山・立教・法政などは除かれている)。
 
 また、「厳選採用」を求められながらも、理想の人材と現実の学生とのギャップに戸惑い、また、ネット・エントリーなどで母集団が拡大し、膨大な費用と労力を消費せざるを得ない、企業の採用現場の厳しい現状についても言及しています。
 結果として、大手企業などの場合、予め学校を有名校に絞る「ターゲット採用」などが行われているとのことです。

 更に、就職活動の早期化が「学生から学びの時間を奪っている」という実態が大学教育にもたらす悪影響についても述べていますが、早期化の根底には、「大学での勉強は仕事にはあまり役立たない」「日本の大学教育は米国などのように、自分の頭で考える力が身につく教育ではなく、単なる知識の習得に重点が置かれている」との考えがあるようだとしています。

 しかし一方で、著者によれば、最近では大学教育も変わりつつあり、「問題発見力、問題解決力を鍛える教育」に力を入れたり、文科省が学生が自分に合った仕事を見つけて卒業後に自立できる「就業力」の育成に取り組む大学・短大への支援を2010年から始めたのを受けて、独自の授業プログラムを実施している大学も増えているとのことです。

 そうした大学の新たな取り組みについても紹介していますが、東海大学の就職指導は「総戦力」であるという考えに基づく同窓会や保護者なども一体化した親身のサポート体制での対応、明治大学の学長主導による「就職情報懇談会」、「就職率100%」という秋田の国際教養大学(AIU)の「すべての授業を英語で行う」などの国際人を養成するという教育方針、立教大学経営学部の「BLP(ビジネス・リーダーシップ・プログラム)」による人材育成など、どれも興味深いものでした。

 企業側にも、新卒採用の早期化を見直したり、本格的なインターンシップを通して、時間をかけて能力適性を見極めるなど、新たな動きが出てきているようですが、今後もこうした取り組みが拡がっていくよう思います。

 著者は日経記者出身のベテランのジャーナリストであり、本書は「就活」の現状を把握するにはいい本ですが、現状分析がやや長過ぎて、大学の「就業力」を育成するプログラムの紹介に至るまでに紙数が尽きた感もあります。

 その分、全体を通して提案的な部分の比重が小さくなり、「大学が変われば、企業も動き、就活も変わる」というのが著者の考えなのですが、肝心の大学の取り組み状況の紹介がそれこそ新聞記事程度(コラム記事未満)のものであり、実際に現場を取材したシズル感のようなものが感じられず、詰まるところ「大学」ジャーナリストとしての著者の本領は活かされてないように思われたのが残念です。

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就活ゲームの中で形成される"即席アイデンティ"が、ミスマッチの原因との分析は興味深かったが...。

就活エリートの迷走2.JPG豊田 義博 『就活エリートの迷走』.jpg 『就活エリートの迷走 (ちくま新書)

 本書を読むまで「就活エリート」とは何を指すのか分からなかったのですが、本書における「就活エリート」とは、エントリーシートを綿密に作り込み、面接対策をぬかりなく講じて、まるで受験勉強に勤しむような努力をして、超優良企業へと入社していく若者のことを指していました。著者によれば、こうした「就活エリート」が、会社に入社してから、多くの職場で戦力外の烙印を押されているという状況が今あるとのことです。

 なぜ彼らは、肝心の社会生活のスタートで躓いてしまうのか、著者は、その原因が「就活」という画一化、パッケージ化したゲームにあるとし、このゲームの抜本的なルールを改変し、或いはゲームであることを中止しない限り、同様の犠牲者は生まれ続けると警告しています。

 著者はリクルートワークス研究所の主任研究員であり、就職活動がいかにして「就活」というゲームになったのかを、データをもとに俯瞰的に分析している箇所は、採用担当者が読んで、頷かされる部分も多いのではないでしょうか。
 そうした分析を通して、「自己分析」の流行や「エントリーシート」の普及が、就職活動の画一化、パッケージ化を促した背景要因としてあるとしています。

 就活エリートたちは、「やりたいものは何ですか?」というエントリーシートの問いが求めるままに、「自己分析・やりたいこと探し」に熱中し、就職活動という短い期間に自身のアイデンティティを確立してしまうが、そのアイデンティティは本物ではなく"即席"のアイデンティにすぎず、その際に抱いた「スター願望」や、「ゴール志向」とでもいうべき偏狭なキャリア意識が、逆に、彼らが入社後に迷走する原因となっているとの分析は、興味深いものでした。

 もう1つの原因として、「面接」重視の傾向を挙げていて、企業側が「面接」を極端に重視するあまり、その場で「自分」を作り上げてしまう就活エリートとの間で、同様の「ゲーム」が繰り返され、「面接」は形骸化し、その意義を失いつつあると。

 更には、採用コミュニケーションの在り方についても問題提起しており、新入社員の中には、企業側の巧みなPRにより、入社した会社に「恋」をしてしまっているような人が多くいるが、その分、入社後の理想と現実のギャップは大きくなり、そのことも、就活エリートたちが入社後に迷走する原因になっていると。

 前段の就職活動の変遷はデータに裏付けられており、中盤の就活の在り方と若者のメンタリティについて論じた部分も興味深く読めましたが、就活エリートたちの入社後の迷走についての実態は、城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか』('06年/光文社新書)から引用するなどに止まっていて、あまり突っ込んだ解説がなされていないのがやや不満でした。

 また、最終章では、こうした状況を打破するための「就活改革」のシナリオが示されていますが、「採用活動時期の分散化」「採用経路を多様化」「選考プロセスの多面化」といった提案の趣旨には概ね賛同できるものの(「採用活動時期の分散化」は、個人的には疑問符がつくが)、前段の分析部分に比べるとやはり具体性に乏しいように思われ、「分析に優れ、提案に弱い」というのは、研究所系の本に共通して見られる傾向なのかも。

 むしろ、読んでいてずっと気になったのは、リクルートグループこそ、こうした就職活動の画一化、パッケージ化を促した就職関連企業の筆頭ではなかったかと思われることで、適性試験「SPI」や就職情報サイト「リクナビ」でどれだけ利益を上げたのかは知りませんが、例えば「インターネット就活」の促進というのも、著者は学生に広く機会を与えるものとしているようですが、結果として就職活動の画一化に「寄与」してしまっているのではないかと。

 そうした想いは、本書を読む採用担当者の多くが抱くであろうことは想像に難くないところですが、本書では、学生ばかりが悪いのではなく、企業側もこれからの採用活動の在り方を見直さなければならないというスタンスをとりながら、自らが行ってきたことに関しては、「あとがき」で、「私にも就活エリートの迷走を生みだした責任の一端はあると思っている」との個人的感想一言で片付けられてしまっているのは、こりゃあんまりだという気がしなくもありませんでした。

就活エリートの迷走 豊田義博 × ひろゆき

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労働経済学者による社会哲学の本。自己啓発本にみたいな印象も。

希望のつくり方.jpg 『希望のつくり方 (岩波新書)

 労働経済学者で、『仕事の中の曖昧な不安』('01年/中央公論新社)などの著書のある著者の本ですが、『ニート―フリーターでもなく失業者でもなく』('04年/幻冬舎、曲沼美恵氏と共著)で「ニート」論へ行き、今度は「希望学」とのこと。
 但し、いきなりということではなく、東京大学社会科学研究所で'05年度に「希望学プロジェクト」というものを立ち上げており、既に『希望学』(全4巻/東大出版会)という学術書も上梓されているとのことです。

 冒頭で、希望の有無は、年齢、収入、教育機会、健康が影響するといった統計分析をしていますが、この人の統計分析は、前著『ニート』において、フリーターでも失業者でもない人を「ニート」と呼ぶことで、求職中ではないが働く意欲はある「非求職型(就職希望型)」無業者(本質的にはフリーターや失業者(求職者)に近いはず)を、(働く予定や必要の無い)「非希望型」無業者と同じに扱ってしまい、それらに「ひきこもり」や「犯罪親和層」のイメージが拡大適用される原因を作ってしまったと、同門後輩の本田由紀氏から手厳しく非難された経緯があり、個人的には、やや不信感も。

 但し、本書では、そうした数値で割り切れない部分に多くの考察を割いており、希望を成立させるキーワードとして、Wish(気持ち)、Something(大切な何か)、Come True(実現)、Action(行動)の4つを見出し、「希望とは、行動によって何かを実現しようとする気持ち」(Hope is a Wish for Something to Come True by Action)だと定義づけています。

 更に、これに「他者との関係性」も加え、社会全体で希望を共有する方策を探ろうとしていて、個人の内面で完結すると思われがちな希望を、「社会」や「関係」によって影響を受けるものとして扱っているのが、著者の言う「希望学」の特色でしょう。

 学際的な試みではあるかと思われ、「希望の多くは失望に終わる」が、それでも「希望の修正を重ねることで、やりがいに出会える」という論旨は、労働経済学やキャリア学の本と言うより「社会哲学」の本と言う感じでしょうか。

 実際、主に、キャリアの入り口に立つ人や、10代・20代の若い層に向けた本であるようで、語りかけるような平易な言葉で書かれていて(但し、内容的には難解な箇所もある)、本書文中にもある、'10年4月にNHK教育テレビで「ハーバード白熱教室」として放送されたマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』('10年/早川書房)を意識した感もあります(あっちは「政治哲学」の話であり、ベストセラーになった翻訳本そのものは、そう易しい内容ではないように思ったが)。

 「希望は、後生大事に自分の中に抱え込んでいては生きてこない」「全開にはせずとも、ほんの少しだけでも、外へ開いておくべきだ」といった論調からは、啓蒙本、自己啓発本に近い印象も受け、『希望学』全3巻に目を通さずに論評するのはどうかというのもありますが、結局「希望学」というのが何なのか、もやっとした感じで、個人的にはよくわからなかったというのが正直な感想です。

 どちらかと言うと、中高生に向けて講演し、彼を元気づけるような、そんなトーンが感じられる本で、この人、労働経済学よりこっちの方面の方が向いているのではないかと思います。

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人事部の代弁者的? 特に目新しさは無く、やや物足りない。

文系・大卒30歳以上がクビになる.JPG文系大卒30歳以上がクビになる.jpg 『「文系・大卒・30歳以上」がクビになる―大失業時代を生き抜く発想法 (新潮新書)』['09年]

 大手コンサルテリング会社勤務のコンサルタントによる本で、刊行時はよく売れた本だった記憶がありますが、当時社会問題化していた「派遣切り」の次に来るのは、かつてのエリート社員たち、つまり「文系・大卒・30歳以上」のホワイトカラーの大リストラであるとしています。

 なぜそうしたホワイトカラーがリストラ対象になるかというと、「ホワイトカラーの人数が多いから」であり、また、給料が高いため「リストラの効果が期待できるから」であるとしています。

 そのうえで(散々煽った上で?)、若手ビジネスパーソンに向けて、「大リストラ時代」に備え、常日頃から自分のやりたいこと、できることを意識しておくよう説いています。

 マクロ的な労働市場の動向や企業が抱えている余剰人員の問題については、概ね書かれている通りだと思われますが、ホワトカラー正社員リストラが進行するであろうという話はすでに報道、書籍等の多くが指摘しており、また実際にそのようなリストラ計画を巷に見聞するため、特に目新しさは感じられません。
 リストラに対する個々の対応策も、既に言い古されている(やや漠然とした)キャリア論に止まっているような。

 むしろ、本書が読まれた(支持された?)理由は、ホワイトカラーは、「本当は必要のない仕事」を自ら作り続けてきて水ぶくれし、企業組織内で「がん細胞」のようになってしまっているのであって、まず自らが「がん細胞」であることを自覚し、「万能細胞」に生まれ変われるよう努めなさいという、その言い方のわかりやすさゆえではないでしょうか。

 但し、"生産性の低い"ホワイトカラーを組織内にはびこらせてしまった企業側の責任については、触れられていないのが気になりました(人事部の代弁者?)。

 本書の中にある「人事部長M氏が見た」リストラの事例は、若手ビジネスパーソンには、「ああ、会社はこうやってリストラをするのだ」とリアルに感じられるのかもしれませんが、人事部的な視点から見ると、"事例"ではあっても、"モデル"と言えるものではないように思います。

 もし、本当に企業が雇用調整を行うのであれば、中期の経営計画に基づき、なぜ雇用調整を実施しなければならないのかをより明確に定義し、再構築後のビジョンと併せて社員に示す必要があるように思います。リ・ストラクチャリングなのですから。

 希望退職を3ヶ月間実施し、その結果目標の1割しか応募がなく、そこで追加募集を4ヶ月間実施し、更にその後でようやく退職勧奨をを行っているのも、随分と悠長な印象を受けます。
 企業にとどめておく人材と退職を勧奨する人材をあらかじめ区分し、希望退職の募集と併せてすぐさま後者に対し退職勧奨を行うのが、一般にとられている方法でしょう。
 本書のようなやり方では、半年以上にわたって希望退職を募ることになり、社員全般の士気に及ぼす影響もさることながら、場合によっては、応募者が、失業保険で優遇される「特定受給資格者」の資格要件を満たさないとされる恐れもあります。

 一般向けの本なのでこんなものかな、と思いますが、人事的な観点から見ると、煽り気味のタイトルの割には、かなり物足りないように思います。
 この本自体が、人事部の代弁者的視点で書かれているともとれなくはなく、人事に対して何か新しい視点や情報を提供するところまでは要求されていないとも言えますが。

 巻末に参考文献として、本書刊行年('09年)にこれまで刊行された労働問題に関する本が8冊挙げられていますが、「ホワイトカラー」の歴史と現況についてよりきちんと把握しようとするならば、『貧困化するホワイトカラー』(森岡孝二著・ちくま新書)がお奨めです。

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雇用不安の打開策を冷静な視座から提言。入門書としても読みやすい。

日本の雇用 ほんとうは何が問題なのか.jpg 『日本の雇用--ほんとうは何が問題なのか (講談社現代新書)』['09年]

 執筆時点('09年上期)での雇用問題を分析し、その背後にある雇用不安を意識しながら打開策を考察した本ですが、著者はリクルートワークス研究所の所長であり、さすがに現状分析はシャープです。

日本の雇用 図.png 20年前に比べ今は、正社員が減って非正規社員は増えているが常用雇用率は減っていない、つまり常用雇用に占める「常用・非正規社員」の割合が増えているのであり(正規・非正規2元論から「正社員」「常用・非正規社員」「臨時・非正規社員」の3層化への雇用構造の変化)、また、企業がそれら「常用・非正規社員」を解雇することは、生産性維持のうえでも法規制のうえでも難しくなってきているとしています。

資料出所: 雇用のあり方に関する研究会(座長=佐藤博樹)(2009)『正規・非正規2元論を超えて:雇用問題の残された課題』リクルートワークス研究所

 続いて、「雇用創出」「ワークシェアリング」といった雇用対策が日本の労働市場においてどこまで可能なのかその限界を指摘し、「新卒氷河期」という言葉の"ウソを暴く"一方(この部分については、個人的にはやや異論はある―やっぱり氷河期じゃないの?)、今の雇用不安の中、企業にできることは何か、マネジャーには何が求められるか、働く個人は自らのキャリアとどう向き合うべきかをそれぞれ説いています(著者はここ数年、キャリア形成に関する本を何冊か著している)。

 また、国の雇用対策の三本柱(雇用保険、職業訓練、雇用調整助成金)について、その内容と限界を解説し、著者なりの提案をしていますが、この部分は純粋にそれらについての入門書としても読めます。

 そして最後に、格差問題の根底にある「正社員」の処遇問題を指摘し、ミドル層とシニア層の働き方や処遇の見直しを提案する一方、派遣社員については、登録型から常用型へ切り替えることで、派遣を一つの働き方として位置づける方向性を示唆しています。

 著者には、マネジメントの立場から雇用問題を扱った編著『正社員時代の終焉』('06年/日経BP社)がありますが、現状分析に紙数を割きすぎ、非正社員のキャリア志向の類型やそのマネジメントの要点にも触れていたものの、非正社員の活用に悩む経営者の期待にこたえきれておらず、全体として物足りなさを感じました。

 本書も分析が鋭いわりには提案の部分はやや漠としている感が否めなくありませんが、前著に比べれば"提言度"が高く、また、その対象も企業ばかりでなく、国や社会、働く個々の人々に向けてのものとなっています。

 主張は(新卒採用支援、人材派遣等がリクルートの業務ドメインであることを念頭に置いても)ほぼ筋の通ったものと思われ、声高になりがちな、あるいは難しくなりがちな雇用問題を扱った本の中では、冷静な視点を保持し、かつ入門書としても読みやすいものに仕上がっています。そのことが、本書の一番の特長かもしれません。

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データの裏づけが十分にあり、一般にも読みやすいホワイトカラーの現状分析。

貧困化するホワイトカラー.jpg 『貧困化するホワイトカラー (ちくま新書)』 ['09年]   森岡孝二.jpg 森岡 孝二 氏

窒息するオフィス.jpg 労働経済学者による本で、第1章で、ホワイトカラーとは何かその原像をアメリカに探る一方、アメリカにおけるホワイトカラーの置かれている情況を、データを交え分析していますが、著者はジル・A・フレイザー『窒息するオフィス―仕事に強迫されるアメリカ人』('03年/岩波書店)の訳者でもあり、米国労働事情に対する造詣の深さを感じました。

 第2章、第3章では、日本のホワイトカラーの現状を、データを交えながら分析し、ホワイトカラーのこれまで以上に"搾られる"ようになっている現状と(ああ、アメリカと同じことになっているなあ)、過労死・過労自殺事件の判例から、その働かされ過ぎの実態を考察しています。

 第4章では、上場企業を中心に日本のサラリーマン社会における女性差別について考察、賃金差別撤廃などの裁判上のこれまでの女性たちの闘いを追い、第5章では、「ホワイトカラー・エグゼンプション」について、経済界と政府がいう「自由で自立的な働き方」とした説明の"嘘"を指摘しています。

働きすぎの時代.jpg 前著『働きすぎの時代』('05年/岩波新書)もそうでしたが、この著者の書くものはデータの裏づけが十分にあり、参考文献や資料の読み込みもしっかりして、それでいて、学術書然とせず、一般にも読みやすいものになっている点に感心させられます(ルポルタージュ的視点が織り込まれていることもあるが)。

 個人的には、ホワイトカラーというものの増加傾向が既に止まっていること、管理職の過労死・過労自殺発生率が高いこと、ホワイトカラーの方がブルーカラーより労働時間が長くなっていること、労働時間の性別二極化が進んでいること等々多くのこと知り、収穫がありました。

 「ホワイトカラー・エグゼンプション」については、すでに残業がつかない労働者が2割いて、その中には「名ばかり管理職」として実態適用されている人が相当数おり、裁判になれば企業が負ける―その危険を回避するために、経済界と政府が持ち出したものであると。

 偽装請負などについても同様のことをいつも思うのですが、裁判になれば企業側が負けているのに、法律自体は見直さずにきた(急に規制のみを強めた)立法府(及び行政)にも問題があるのではないかと思った次第です。
 本書では、トヨタ関連企業での過労死を労災認定しなかった豊田労基の例が紹介されていますが(後に行政訴訟で労基側が敗訴)、大企業の中には裏口であの手この手の労基署対策をやっているところもあるのは確か。

 労働側の学者が書いた本ということで、企業側の人にはあまり読まれないかも知れませんが、産業構造・労働実態の変化を俯瞰する上でも参考になり、「賃金労働者とホワイトカラーの際立った違いの一つは、賃金労働者は彼の労働とエネルギーとスキルを売るが、ホワイトカラーは、多数の消費者、顧客、管理者に対して、自己の労働を売るだけでなく自己のパーソナリティを売る」(C・W・ミルズ、1957)といった引用にも、だからホワイトカラーの疲弊度は増すのだなあと納得させられたりしました。

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オムニバス効果が見えず、寄せ集め感だけが印象に残った。

雇用崩壊.jpg 『雇用崩壊 (アスキー新書)』 ['09年]

 '09年4月刊行。未曾有の経済危機で、企業による「派遣切り」が横行し、「正社員リストラ」の兆しも見えるなど、日本の雇用のあり方が問われている中、「第一線の論客たち」7名にこの問題についての提言を求め、解決策を模索した本―と言っても、まあ、それぞれの立場の人がその立場での話を(勝手に?)書いているなあという感じで、あまり目新しさはなく、全体としての寄せ集め感だけが印象に残りました。
 日比谷公園の「年越し派遣村」('09年1月/共同通信)
日比谷公演に並ぶ「年越し派遣村」の失業者たち.jpg 冒頭の民主党国会議員への"SUPECIAL INTERVIEW"は国会答弁みたいだし、次に来る『若者はなぜ3年で辞めるのか?―年功序列が奪う日本の未来次に来る』(光文社新書)の著者・城繁幸氏のものは、これはインタビューに答えたもので、自著の内容のリフレインに過ぎず、その次の(労働側にとっては悪評高い)元「経済財政諮問会議」メンバーの八代尚宏氏の話も論筋があちこち飛んで(これもインタビュー?)、結局、「規制緩和」が雇用悪化の"犯人"ではないという弁解に聞こえなくもありません。

 一方、それに続くユニオンやマスコミの人の話は、事態の深刻さを訴えるばかりで(ちょうど年末年始にかけ「年越し派遣村」が話題になった頃に取材申し込みしたようで、そのことを使用者側も含め多くの人が取り上げている)その先がどうすればいいのかが見えにくく、最後のリクルートの元「とらばーゆ」編集長のものは自助努力論?(城繁幸氏のものもそうだが)

 雇用流動化への認識と、同一労働同一賃金であるべきという方向性については、多くの論者の見方がほぼ一致しているのに、なかなか議論が交わらないという感じを受けるのは、労と使、ミクロとマクロという面で、それぞれが向いている方向がばらばらであるためでしょうか。
 八代氏の話の次に、ユニオンの連合会の事務局長の話が来るので、この2つを読み比べると、そのことが鮮明になります。

雇用はなぜ壊れたのか.jpg 労働法学者の大内伸哉氏が『雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理』 (ちくま新書)の中で、「会社の論理」と「労働者の論理」の調整が難しい時代に今あることを指摘していましたが、お互いに実のところどうしたらいいのか解らないというのが本音であるような気もしないでもなく、八代氏の言うことにしても(個人的にはこの人の論を全否定はしないが)、「差別のない、多様な働き方ができる社会へ」とだけ言われてもねえ、みたいな印象は抱かざるを得ませんでした。

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「味方のように微笑む美女が、じつは悪魔であったということもある」ことを考えさせられた。

大内 伸哉 『雇用はなぜ壊れたのか』.gif      大内 伸哉.jpg 大内 伸哉 氏(略歴下記)
雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理 (ちくま新書)

 雇用問題の中には、会社が利益を追求する「会社の論理」と、労働者が自らの権利を守る「労働者の論理」の2つの論理があり、経済の激変で両者の調整が一段と難しくなった今、どうすれば両者の論理を比較衡量し、調整が図れるかということを、セクハラ、長時間労働、内定取消、期間工の解雇、正社員リストラなど、雇用社会の根本に関わる11のテーマを取り上げ、それぞれについて対立軸を行き来しながら考察した本です。

 従って、表題の「雇用はなぜ壊れたのか?」というその原因を明らかにする内容ではなく、そのためミスリード気味のタイトルではないかということで、書評ブログなどでも評価が割れているようですが、個人的には、本書から、多くのことを考えさせられる契機を得られました(ブログなどでは、結論が明確でない、或いは立場が「会社の論理」に偏っているといった批判もあったようだが、そう簡単に結論が出せるような問題でもないし、考察の進め方は至極まっとうなものだと思う)。

 法学者らしくない柔らかめの文体で、但し、内容は労働法と雇用社会の関係を考察して深く、例えば、解雇規制を強めることや最低賃金を引き上げることは、それが労働者の権利を守ること繋がると言い切れるのか、といったことを解り易く問題提起しています。

 自分個人がかつて経験したこととして、ハローワークに営業職の求人を出したものの同業種経験者の採用はならず、異業種の若手営業経験者を採用内定した際に、内定後に、「示された給与額が求人票の額より下回っているのは違法だ」と言ってこられたことがありましたが、ハローワークに出した労働条件と実際の労働条件が異なることは必ずしも違法ではないと考え、本人に提示額の根拠説明をし、額の変更は行わなかったということがありました。
 もし、法規制が強化されて、こうしたことが即違法となるならば、企業は低い給与額の(給与額に幅のある)求人を出して対処するかも知れませんが、むしろこうしたケースでは、本命筋の採用は出来なかったということで諦める可能性が高く、仮に当時からそうだったとすれば、この営業職(今もその会社で正社員として元気に働いている)の入社は無かったでしょう。

 先述のように「会社の論理」に立っているとの批判もありますが、「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」という労基法3条の「社会的身分」とはどこまでをいうのか、パートタイマーや非正社員の給与が正社員より低い場合は「均等待遇」原則に反しないかという問題について、「社会的身分」とは、自らの意志では離れることのできない「生来の身分」をいい(通達)、パートタイマーや非正社員といった雇用形態の違いは該当しないと解されていることに対し、これは詰まるところ「自己責任論」であり、疑問の余地があるとしています。

 本書では、「会社の論理」「労働者の論理」に加えてもう1つ「生活者の論理」というものを取り上げていて、著者によれば、日本人は少しでも豊かな生活をしたいという「生活者の論理」が「労働者の論理」に優先するという選択をしているとのことで(イタリア人などは逆)、但し「生活者の論理」が一方的に「労働者の論理」に優先するのではなく、その両者の均衡が日本的経営の強みだった(長時間労働もするが雇用は確保されている)とのこと。

 (著者自身は格差社会を是認しているわけでもないし、正社員と大きな賃金格差のある非正社員がいることは社会正義に反するとしている。その上で、)例えば、正社員と非正社員との均衡をとるということは、格差問題(貧困問題)の一時的な処方箋とはなり得るかもしれないが(実際、最低賃金法やパート労働法の改正はその流れに沿って行われてきた)、この「生活者の論理」と「労働者の論理」の間のバランスを壊すことになりかねないとしています。
 この辺りは、実際に本書を手にして読み込み、それぞれの読者が自ら考えていただきたいところですが、「味方のように微笑む美女が、じつは悪魔であったということもあるのである」(219p)と。
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大内 伸哉 (オオウチ シンヤ)
1963年生まれ。法学博士。専攻は労働法。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。現在、神戸大学大学院法学研究科教授。主な著書に『労働条件変更法理の再構成』『労働者代表法制に関する研究』(以上、有斐閣)、『雇用社会の25の疑問』『労働法学習帳』(以上、弘文堂)、『労働法実務講義』『就業規則からみた労働法』(以上、日本法令)、『どこまでやったらクビになるか』(新潮新書)など。

《読書MEMO》
●「ちくま 458号」 (筑摩書房)の一部を転載((神戸大学のサイトより)
「拙著『雇用はなぜ壊れたのか?-会社の論理vs.労働者の論理』は、実は、雇用が壊れた原因を明らかにしようとした本ではない。 むしろ、本書で描きかったのは、雇用が壊れる過程における、会社の論理と労働者の論理の関わり合いについてである。 これらの論理の関わり合いを明らかにすることを通して、筋の通った正しい政策はどのようなものかを模索していきたかったのである。 それは、必ずしも会社にも労働者にも「甘い」ものばかりではない。正義の女神は、剣をもっている。母のように「甘える」ことは危険なのである。」

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