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フランス行き同行記&インタビュー。原画掲載7作はほぼ最強のラインアップ。

つげ義春ー名作原画とフランス紀行.jpgつげ義春ー名作原画とフランス紀行2.jpg
つげ義春 名作原画とフランス紀行 (とんぼの本)』['22年]

 つげ義春は、2017年に本書の第1弾に当たる『つげ義春―夢と旅の世界(とんぼの本)』('14年/新潮社)と一連の作品で第46回「日本漫画家協会賞」の「大賞」を受賞し、2020年には第47回「アンつげ義春ー名作原画とフランス紀行4.jpgグレーム国際漫画祭」で「特別栄誉賞」を受賞しています。いま、世界がようやく「つげ義春」を発見しつつあるといったところでしょうか(本人はとっくに描くのをやめているのだが)。

 本書は、82歳になるこれまで海外に旅行したことがない作家本人が、直前までアングレーム国際漫画祭での授賞式に参加するかどうかわからなかったものの、アングレーム側から航空チケットの予約済み連絡があり、関係者さえ直前に蒸発するのではと半信半疑ながらも(日本漫画家協会賞の授賞式の時に蒸発した"実績"がある)何とか現地入りした、その全旅程に密着取材した同行記を主とする「つげ義春、フランスを行く」(「芸術新潮」2020年4月号の同題特集を増補・再編集し、仏誌「ZOOM JAPAN」のインタビューを加えたもの)が前30ぺージで、残り160ページが、1965年から70年にかけて「月刊漫画ガロ」に掲載された作品より7作を選び、原画をフルカラースキャンした「原画で読む七つの名作」になります。

つげ義春ー名作原画とフランス紀行1.jpg 「つげ義春、フランスを行く」の部分は、渡仏の前年に「ZOOM JAPAN」に掲載されたインタビューが興味深く、今まで作家が語ってこなかったようなことがここでは随分と語られているように思いました。水木しげるの助手をしていたことは知られていますが、「ゲゲゲの鬼太郎」において「鬼太郎以外、キャラクターをほとんど描いていました」との発言にはびっくり(背景専門ではなかったのか)。自身の作品のほとんどは想像であるのに、実際の経験を描いていると勘違いする読者もいて、「無能の人」を描いた時に、水木しげるからも「多摩川の石を売っているんだって?」と言われたとか。

 フランス紀行の本体に部分は、そのインタビューでも同席・サポートした浅川満寛氏による同行記になっていますが(ほかに息子のつげ正助氏も同行)、精力的にいろいろいろな所を観て回るというほどでもなく、むしろ年齢的なものかやや疲れ気味な印象も。それでも授賞式では壇上で笑顔で手を振っています。帰国後の浅川氏によるインタビューで、授賞式に出て、壇上に上がって何百人もの観客に手を振るなんて、「自分で意外でした(笑)」「ずうずうしくなったのかな」と。座右の銘が「いて、いない」「目立ちたくない」ということで通ってきたからなあ、この人。

つげ義春ー名作原画とフランス紀行3.jpg 「原画で読む七つの名作」は、「ガロ」'66年2月号掲載の「沼」、'68年6月号掲載の「ほんやら洞のべんさん」、'68年1月号掲載の「長八の宿」、'68年8月号掲載の「もっきり屋の少女」、'67年6月号掲載の「李さん一家」、'70年2、3月号分載の「やなぎや主人」、'67年9月号掲載の「海辺の叙景」の代表作7作品を所収。同じく代表作である「赤い花」('67年10月号)、「ねじ式」('68年6月号)、「ゲンセンカン主人」('68年2月号)の原画は、『つげ義春 夢と旅の世界(とんぼの本)』('14年/新潮社)に掲載済みのため、本書にはありませんが、それでも第1弾同様、密度の濃い(ほぼ最強と言っていい)ラインアップだと思います。定期的にその作品を読み直したくなる稀有な作家ですが、それでも原画で読むとことでまた味わいが深まった気がします(この「原画で読む七つの名作」に関して言えば評価は◎)。

つげ義春ー名作原画とフランス紀行6.jpg 本書はサブタイトルに「名作原画」とあるため、原画が掲載されていると知れますが、第1弾の『つげ義春 夢と旅の世界 (とんぼの本)』は、なぜ表紙の「ねじ式」の絵が薄茶けているのか分からないのではないでしょうか。第2弾が刊行されたというのは、「芸術新潮」の特集の使い回し感があるものの、たまたまそうしたフランス行きという契機があったということで、それはそれで良かったと思います。


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名作「ねじ式」「赤い花」「ゲンセンカン主人」の原画と4時間のロング・インタヴューが良い。

つげ義春 夢と旅の世界.jpgつげ義春 夢と旅の世界01.jpg つげ義春 夢と旅の世界3.jpg
つげ義春: 夢と旅の世界 (とんぼの本)』['14年]

つげ義春 夢と旅の世界。.jpg つげ義春の作品で「月刊刊漫画ガロ」の1968年臨時増刊号に掲載され、従来のマンガの常識を打ち破ったとセンセーションを引き起こした「ねじ式」を始め、1968年12月の「夢日記」をベースとした「外のふくらみ」、「ガロ」の1967年10月号に掲載された名作「赤い花」、同じく1967年7月号に掲載された「ゲンセンカン主人」の4作を原画で掲載。さらに山下裕二氏による作者へのインタビューや山下裕二氏自身へのインタビュー、作者自身による作品解説の付いた略年譜や、作者自身が全国各地の鄙びた温泉地で撮った、失われた侘しい日本が滲み出る写真など、密度濃く盛りだくさんです。

 本書は、2017年度・第46回「日本漫画家協会賞」の「大賞」を受賞していますが、個人的にも、「ねじ式」「赤い花」「ゲンセンカン主人」がつげ義春 夢と旅の世界02.jpg原画で掲載されているというだけで◎評価になってしまうなあ(笑)。表紙とタイトルだけ見ると、名作が原画で掲載されているということが分からないのがやや惜しいです(本が汚れていると思った図書館員がいる)。作者のアングレーム国際漫画祭での授賞式参加のための初の海外旅行を機に、2022年に刊行された第2弾は、『つげ義春 名作原画とフランス紀行(とんぼの本)』というタイトルになっています(編者も同じことを思ったか)。

 記事部分では、明治学院大学教授の美術史家で、「日本の美術史上いちばん好きな作家は誰ですか」と聞かれると躊躇なく「つげ義春」と答えるという山下裕二氏による作家本人への4時間のロング・インタヴューが充実しています。このインタヴューの時点で、作家は25年以上もの休筆状態にあり、作家からの貴重な発信と言えます。

つげ義春 夢と旅の世界s.jpg その中で、リアリズムとシュルレアリスムの一致点についてかなり形而上学的な議論を展開しているのが興味を引きます(個人手にはヘンリー・ミラーのシュヘンリー・ミラー.jpgルㇾアリスム論を想起させられた。ミラーはリアリズムもシュルレアリスムも着地点は同じだとしている)。一方で、好きな映画・音楽談義や身近な生活上の話もあり、いちばん好きな映画を聞映画 居酒屋.jpgかれてルネ・クレマンの「居酒屋」を挙げ、それに対し山下氏が「原作はゾラだからまさにリアリズムだ」と言うと、次にビットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」を挙げ、「こっちはネオリアリズモ」と突っ込まれているのが可笑しかったです。

ルネ・クレマン「居酒屋」

 山下氏が長らく隠棲状態にある作家から、深い話、興味深いをいろいろ引き出している、このインタビューを読むと、「日本漫画家協会賞」の「大賞」受賞も頷けます。「この本は買っても買わなくても後悔するでしょう」(つげ義春)というキャッチが面白いですが、つげ義春の作品のうち名作とされるものは、何回も読み返せる魅力があるので、買って後悔はしないかと思います(笑)。

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「境界知能」という概念を本書で初めて知った。厳密な定義は難しい?

ケーキが切れない非行少年たち0.jpgケーキの切れない非行少年たち 0.jpgケーキが切れない非行少年たち.jpg
ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書) 』['19年]/『どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 (新潮新書) 』['21年]/『歪んだ幸せを求める人たち:ケーキの切れない非行少年たち3 (新潮新書 1050)』['24年]
境界知能の子どもたち―「IQ70以上85未満」の生きづらさ』('23年/SB新書)帯
境界知能の子どもたちお.jpg 児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づいたといいます。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたと。しかし、それは普通の学校でも同じで、十数%そうした子どもたちがいて、それらは「境界知能」の領域にいるとされるそうです。そうした少年たちが描いた、課題に沿った図の写し取り図や、ケーキの図の分け方の図が衝撃的で、この本は結構話題になりました(2020年「新書大賞」第2位)。

 著者は、こうした非行少年に共通する特徴を"非行少年の特徴5点セット」+1"としてまとめており、それらは、①認知機能の弱さ、②感情統制の弱さ、③融通の利かなさ、④不適切な自己評価、⑤対人スキルの乏しさ、+1として、身体的不器用さ、であるとのことです。

 こうした子どもの特質は気づかれないことが多く、また、大人になると忘れられてしまうことが多いため、なおさら健常人と区別がつきにくいとのことです。著者は、こうした子らは褒めるだけの教育では問題の解決にならないとして、認知機能に着目した新しい治療教育とその具体例を紹介しています。

 発達障害や人格障害とは違った難しさがあるのだなあと思った次第ですが、潜在的にかなり高い比率で多くのそうした子どもがいるにも関わらず、今まであまり「境界知能」というものが巷で話題になっていなかったのが不思議で、本書が話題になったのも、その辺りの反動かと思います。

 '21年刊行の第2弾『どうしても頑張れない人たち』では、認知機能の弱さから、"頑張ってもできない"子どもたちがいることを指摘し、そうした子どもらはサボっているわけではなく、頑張り方がわからず、苦しんでいるのだとして、そうした子どもらをどう支援していくべきかを説いています。

 '24 年刊行の第3弾『歪んだ幸せを求める人たち』では、誰でも幸せになりたいと思う中で"歪んだ幸せを求める人たち"がいて、その例を5つの歪み(怒りの歪み・嫉妬の歪み・自己愛の歪み・所有欲の歪み・判断の歪み)に沿って紹介し、そうした歪んだ幸せを求める背景を、心理的観点から考察しています。


 第3弾に来て、ちょっと話が拡がりすぎた気もしなくもなかったです。「おばあちゃんを悲しませたくないので殺そうと思いました」というのは、認知障害と言えば確かにそうだが、統合失調症ではないかなあ。火事場で愛犬を助けるために、甥っ子に火の中に飛び込めと言ったという叔母の例も、付帯条件が多すぎて、例としてはあまり良くないように思います。他にも、認知の歪みというだけで説明するのはどうかという事例がいくつかあったように思われました。

 もともと第1弾から、境界知能と学習障害や軽度知的障害を一緒くたに論じる傾向も見られたましたが、そうした傾向が第3弾に来てからばーっと拡がった印象も。児童福祉・障害福祉の実務者の中にも、本書の説明は実際にそぐわないと感じる人がいるようで、トラウマ反応、愛着形成や情動調整の未熟さ、性格など考慮すべき視点があり、認知の歪みだけでは説明することはできないとの意見もあるようです。

境界知能の子どもたち.jpg この間に著者は『境界知能の子どもたち―「IQ70以上85未満」の生きづらさ』('23年/SB新書)を出しており、ここでは「境界知能」をサブタイトルにあるように 「IQ70以上85未満」という定義を全面に出しており、一方で、「「普通」の子に見えるのに、「普通」ができない―これは、境界知能の子だけではなく、軽度知的障害の子にも当てはまる場合がある」としており、「境界知能」の延長線上に「軽度知的障害」があって、両者の違いは知能指数の数値の相違にすぎないともとれるようになっているようです。まだ読んでいないので、機会があればそちらに読み進みたいと思います。

 「境界知能」という概念を本書(第1弾)で初めて知りました。支援もたいへんかと思いますが、その在り方を丁寧に解説していて、何よりも、そうした子どもたちが大勢いることを指摘したことが大きいと思います。「こんな子、いるいる」という感じで一方で腑に落ちた読者も多かったのではないかと思われますが、第3弾にちょっとケチをつけさせてもらったように、その厳密な定義となると、結構難しい面もあるように思いました。
 
  

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「光免疫療法」という「第5の療法」ががん治療に革命をもたらす!

光免疫療法.jpg
光免疫療法 光文社新書.jpg   がんの消滅.jpg
がんを瞬時に破壊する光免疫療法 身体にやさしい新治療が医療を変える (光文社新書)』['21年]『がんの消滅:天才医師が挑む光免疫療法 (新潮新書) 』['23年]
がん「だけ」死滅、光免疫療法 開発の道程と治療のいま」(朝日新聞)
光免疫療法図1.jpg 「光免疫療法」という人体に無害な近赤外線を照射してがん細胞を消滅させる、がんの新しい治療法が注目を集めています。2020年9月には、光免疫療法で使われる新薬「アキャルックス点滴静注」が世界に先駆けて日本で正式に薬事承認され、事業が本格化しています。本書は、この療法の開発者である、アメリカ国立衛生研究所(NIH)の主任研究員である日本人開発者が、光免疫療法とはどのような治療法なのか。身体への負担や副作用はあるのか。転移・再発の可能性はあるのかなどを述べたものです。

 第1章で光免疫療法とは何かを解説していますが、抗体にIR700という薬剤を搭載して、静脈注射で体内に注入、ガン細胞まで送り届け、そこで近赤外光(テレビのリモコンで使っているのと同じ見えない光)を当てると、IR700が反応して水溶性から不溶性になり、取りついているがん細胞の抗原を物理的に引っこ抜き、がん細胞を傷つけるが、さらにその穴から水分ががん細胞内に浸透し、すると内圧が高まって今度はがん細胞が破裂、がん細胞内部のこれまでは免疫を免れていた抗原が免疫系に認識されるようになり、治療箇所以外のがん細胞も免疫療法的に追跡してやっつけるというもの。

 獲得免疫であるから効果は永続し、がん再発や転移を防止する効果も期待されるそうです。しかも使われている薬が安く、何よりも究極のピンポイント療法であり、この方法であれば、放射線治療のように周囲の細胞をも破壊する恐れもないとのこと。米鵜国元大統領のバラク・オバマが一般教書演説で「米国の偉大な研究成果」と世界に誇ったことでも知られるます(開発者は日本人だが、所属が米国国立衛生研究所などでこうした紹介のされ方をする)。

 『コンビニ外国人』('18年/新潮新書)などの著書もあるノンフィクションライターの芹澤健介氏の『がんの消滅:天才医師が挑む光免疫療法』('23年/新潮新書)も、この辺りのメカニズムをわかりやすく解説していてて良かったです。「3割」の人にしか効かないと言われる「がん免疫療法」に対して理論上、「9割のがんに効く」とされるそうで、これが既存のがん療法(手術、放射線、化学、免疫療法)に対して「第5の療法」と言われ、がん治療に革命をもたらすとされる所以です。

 当該療法の誕生秘話や小林久隆氏の経歴、人となりについては、芹澤氏の新潮新書版の方が詳しく書かれていたかもしれません。その天才を強調し、「ノーベル賞級」と称えすぎているきらいはありますが、実際そうなのでしょう。本庶佑氏の「がん免疫療法」との違いも分かりやすく書かれています。というか、まったくアプローチの異なる療法なのですが、どうしてこうした紛らわしいネーミングになったのだろう。

光免疫療法の仕組み(先進医療.net)
光免疫療法の仕組み図1.jpg

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PD-1をPD-1抗体で壊す「がん免疫療法」を解説。生命科学論(幸福論)にも言及。

がん免疫療法とは何か .jpg 幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書).jpg幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書)』 ['21年]
がん免疫療法とは何か (岩波新書)』['19年]

 PD-1抗体による免疫療法は,がん治療の考え方を根本から変えた。偶然の発見を画期的治療法の開発へと導いた著者の研究の歩みを辿りながら、生命現象の不思議、未知の世界に挑むサイエンスの醍醐味、そして「いのち」の思想から日本の医療の未来まで幅広く論じる―(版元口上)。

 2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した著者による2019年4月刊の本書は、著者が以前に執筆した『いのちとは何か―幸福・ゲノム・病』('09年/岩波書店)と、『PD-1抗体でがんは治る-新薬ニボルマブの誕生』('16年/岩波書店、電子書籍のみの刊行)をベースとしており、全5章から成る内、『いのちとは何か』の一部を第3章「いのちとは何か」として収録、『PD-1抗体でがんは治る』の全編を、第2章「PD―1抗体でがんは治る」に収録し、全編を加筆修正したとのことです(第1章、第4章、第5章は書き下ろし)。岩波新書は、ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の本を受賞後早くに出す傾向にあり、本書もその流れと言えるでしょう。

 第1章で、そもそも免疫とは何かを解説し、本書のキモは、続く第2章でのPD―1抗体によるがん治療=がん免疫療法の解説と、第3章の著者自身の生命科学論(幸福論)になるかと思います。この構成は、個人的には先に読んだ『幸福感に関する生物学的随想』('20年/祥伝社新書)と順番は異なるものの内容的には似ており、第2章のがん免疫療法の解説は、祥伝社新書の方がより平易に書かれているので、読む順番として逆になってちょうど良かったかも。

がん免疫療法「第4の道」手術・投薬・放射線に続き
[日本経済新聞社2018年10月2日]
がん免疫療法とは何か 4.jpgがん免疫療法とは何か ぅ.jpg その第2章ですが、がん免疫療法は大きく2つの種類に分かれ、1つは、がん細胞を攻撃し、免疫応答を亢進する免疫細胞を活かした治療で、アクセルを踏むような治療法と言え、もう1つは、免疫応答を抑える分子の働きを妨げることによる治療で、いわばブレーキを外すような治療法であり、PD-1抗体よる免疫療法は後者で、がん細胞を攻撃するキラー・リンパ球(T細胞)の活動を抑え込むブレーキ=PD-1(著者らが1992年に発見した。免疫過剰を防ぐ機能がある。ただし、その心証を得たのは1996年)をPD-1抗体で壊すことで、キラー・リンパ球のがん細胞に対する本来の攻撃を活性化させるというものであるとのことです(24p)。免疫のアクセルを踏むことばかりに集中するのではなく、がん細胞の免疫へのブレーキを外してやるという発想の転換がまさに〈発見〉的成果に繋がったと言え、これにより、今までうまくいかなかった治療が目覚ましく進展したと。そうした成果に至るまでに並々ならぬ「努力」と、また、PD-1は偶然の発見だったという「幸運」もあったのことです(因みに、免疫薬(オプジーボ)が承認取得し、初めて発売されたのは2014年。本書ではその名は出てこない)。

 第3章は、著者自身の生命科学論(幸福論)になっていて、本書のタイトルからこうした内容は予測していなかった読者もいるかもしれませんが、個人的には『幸福感に関する生物学的随想』を先に読んでいたので、ああ、やっぱり(笑)と思いました。著者は、欲望の充足だけでは真の幸福感は得られず、不安を除去することが幸福感を得るためには必要で、人類が不安を除去するためにした最大の発明が宗教であるとしています。つまり、幸福感には「欲望充足型」の幸福感と「不安除去型」の幸福感があることから、幸福感が永続的に得られる道は、おそらく安らぎと、時折の快感刺激の混在であるとしています(85p)。

 この章では、章題の通り、生命論も述べており、生・老・病・死とはなぜあるのか、がんとは何か(細胞と個体の関係とは)、心とは何か、といったことを深く論じ、生命科学の未来を展望しています。著者が最も強調したかった生命の思想は、「生命は遺伝子を基礎とした独自の枠組みの中で、限られた遺伝子を用いながら驚くべき多様性を発揮できるということ、またその遺伝子そのものがダイナミックに変化し、環境との相互作用のなかで今日の生物種が生み出されてきたという進化の原理である」とのこと、「メンデルの法則とダーウィンの法則を遺伝子レベルでしっかり理解することが「生命の思想」の理解への一番の近道である」(158p)とも。

 第4章では、STAP細胞事件とそれを巡る報道を取り上げ、日本の科学マスメディアの閉鎖的な性格や国際性の欠如、・科学的な判断の欠如を批判し、優良な科学ジャーナリストの育成の必要性を説いているのが印象に残りました(180p)。全体としてはやはり、『幸福感に関する生物学的随想』よりはちょっと難しかったでしょうか。でも、(順序が逆だが)おさらいになりました。

《読書MEMO》
目次
はじめに
第1章 免疫の不思議
 生命システムの一般則/多細胞生物体の特徴/免疫のしくみ/獲得免疫の原理/特異性と制御/免疫の全体統御
第2章 PD―1抗体でがんは治る
 1 革新的がん免疫療法の誕生
 2 免疫学の発展とがん免疫療法のたどった道
 3 PD―1抗体治療の研究・開発の歴史
 4 PD―1抗体治療の今後の課題
 5 基礎研究の重要性――アカデミアと企業の関係を考える
第3章 いのちとは何か
 1 幸福感の生物学
 2 ゲノム帝国主義
 3 有限のゲノムの壁を超えるしくみⅠ――流動性
 4 有限のゲノムの壁を超えるしくみⅡ――時空間の階層性
 5 ゲノムに刻まれる免疫系の〈記憶〉
 6 内なる無限――増え続ける生物種
 7 生・老・病・死
 8 がん,細胞と個体の悩ましき相克
 9 心の理解への長い道
 10 生命科学の未来
第4章 社会のなかの生命医科学研究
 1 現代の生命科学の置かれた位置/生命科学と医療のあいだ/医療・生命科学の社会実装/医学研究への投資/生命医科学研究における競争/国民の生命医科学への理解を深める
第5章 日本の医療の未来を考える
 世紀医療フォーラム/国民皆保険制度の維持に向けて/医療をめぐる環境変化と課題/医師不足は本当か/終末期医療と死生観/治療から予防へ
参考文献
ノーベル生理学医学賞受賞晩餐会スピーチ
おわりに
世紀医療フォーラムについて(阪田英也)

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