2025年2月 Archives

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キャラクター別・作品別データベースとして読める。「オールスター忠臣蔵」映画が廃れた理由は...カネ。
忠臣蔵入門.jpg忠臣蔵入門 春日太一 l.jpg

臣蔵入門 映像で読み解く物語の魅力 (角川新書)』['21年]

 浄瑠璃や歌舞伎にはじまり、1910年の映画化以降、何度も何度も作られ続ける「忠臣蔵」。実は時代によってその描かれ方は変化しており、忠臣蔵の歴史を読み解けば、日本映像の歴史と、作品に投影された世相が見えてくると、映画史研究家である著者は言います(こちらも、前に取り上げた山本博文『東大教授の「忠臣蔵」講義』(角川新書)と同じく12月刊行(笑))。

 第1章で、「忠臣蔵」の概要です。6つの見せ場(①松の廊下、②大評定、祇園一刀茶屋、④大石東下り、⑤南部坂雪の別れ、⑥討ち入り)や三大キャラクター(①大石内蔵助、②吉良上野介、③浅野内匠頭)について、映像作品において感動的なドラマとして描く際のポイントなども含め解説、さらに、「忠臣蔵」が愛された理由を、①役者の番付、②関係性萌え、③風刺性、④群像劇として、の4つの点から述べています。

大河ドラマ「赤穂浪士」('64年/NHK)
赤穂浪士」(NHK大河ドラマ図1.jpg 第2章では、「忠臣蔵」が世につれどのように変遷してきたかを、①江戸時代=庶民たちの反逆、②国家のために利用される「忠君」、③「義士」から「浪士」へ~『赤穂浪士』(大佛次郎)、④GHQの禁令と戦後の「忠臣蔵」~「赤穂城」「続・赤穂城」('52年/東映)、⑤東映の「赤穂浪士」('56年/東映)、⑥大河ドラマ「赤穂浪士」('64年/NHK)、⑦悪役を主役に!~「元禄太平記」('64年/NHK)('75年/NHK)、⑧悩める大石~「峠の群像」('82年/NHK)、⑨ドロドロの人間模様~「元禄繚乱」('99年/NHK)、⑩TBSの三作~「女たちの忠臣蔵」「忠臣蔵・女たち・愛」('87年/TBS、橋田壽賀子脚本)、「忠臣蔵」('90年/TBS、池端俊作脚本)、⑪「決算!忠臣蔵」('19年/松竹)という流れで追っています。

 第3章は「忠臣蔵」のキャラキター名鑑で、どのようなキャラクターをどいった役者たちが演じてきたかが紹介されれいます。A.四十七士の中からは、堀部安兵衛(剣豪)、不破数右衛門(豪傑)、赤垣源蔵(飲んだくれ)、岡野金右衛門(誠実な二枚目)など9名、B.脱落者として、大野九郎兵衛ら4名、C.脇役として、立花右近、脇坂淡路守ら6名、吉良方として、千坂兵部ら4名、女性たちとして、大石りくら4名が取り上げられています。
忠臣蔵 天の巻・地の巻」('38年/日活)
忠臣蔵 天の巻・地の巻p.jpg 第4章は、「オールスター忠臣蔵」の系譜を辿っています。A.戦前編で「忠臣蔵 天の巻・地の巻」('38年/日活)や「元禄忠臣蔵 前編・後編」('41年・'42年/松竹)など3作を、B.「東映三部作」として、「赤穂浪士 天の巻・地の巻」('56年/東映)、「赤穂浪士」('61年/東映)などを3作を、C.松竹、大映、東宝の動向として、「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」('54年/松竹)、「忠臣蔵」('58年/大映)、「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」('62年/東宝)など4作を紹介、さらに、D.その後の2本として、70年代に作られた「赤穂城断絶」('78年/東映)、90年代に作られた「四十七人の刺客」('94年/東宝)を紹介、章の最後、E.として、「赤穂浪士」('64年/NHK)から始まるテレビの動向を追い、「大忠臣蔵」('71年/NET(現・テレビ朝日))など9作を取り上げています。

元禄忠臣蔵 前編・後編」('41年・'42年/松竹)/「忠臣蔵」('58年/大映)/「赤穂浪士」('61年/東映)
忠臣蔵3作.jpg
大忠臣蔵」('71年/NET(現・テレビ朝日))
大忠臣蔵三船.jpg

 第5章では「外伝の魅力」として、A.「外伝名作五選」として「薄桜記」('59年/大映)などテレビドラマを含め5作を挙げ、さらに、B.「後日談」として、「最後の忠臣蔵」('04年/NHK、'10年/ワーナーブラザーズ)など3作を紹介しています(このあたりは、取り上げていくとキリがないのではないか。自分が観た範囲内でも、「韋駄天数右衛門」('33年/宝塚)や「赤垣源蔵」('38年/日活)のような一人の義士をフューチャーしたものや、「珍説忠臣蔵」('53年/新東宝)のようなパロディなども昔からあったし)。

 「物語の見所、監督、俳優、名作ほか、これ一冊で『忠臣蔵』のすべてがわかる」というキャッチですが、確かに、という感じ。第3章がキャラクター別にどういう役者がその役を演じたか、第4章が作品別にどういう役者が出ていたか、という、両方で言わばクロスデータベースになっていて、それがコンパクトに纏まっているのがいいです(今まで意外とこの手の本は無かったのでは)。

「元禄繚乱  99.jpg 映像における「忠臣蔵」の"盛衰記"ともとれますが、「オールスター忠臣蔵」映画って、先に挙げた高倉健主演の「四十七人の刺客」('94年/東宝))が最後なのだなあ(第4章)。ドラマも、大河ドラマでは五代目中村勘九郎主演の「元禄繚乱」('99年/NHK)が今のところ最後で(第2章)、ドラマ全体では田村正和主演の「忠臣蔵 その男 大石内蔵助」('10年/テレビ朝日)が、「オールスター忠臣蔵」ドラマとしては、今のところ最後だそうです(第4章)。

 かつては「勧進帳」と並ぶ"国民的ネタバレ映画"であり、また確実に観客動員数(&視聴率)を見込めるキラーコンテンツであった「忠臣蔵」ですが、そんな「忠臣蔵」がなぜ廃れてしまったのかというと、「忠臣蔵」を作るというのはかなりの大プロジェクトであり、今作られなくなった大きな理由はまさにそこに在って、作る力(カネ)がない、つまり、「忠臣蔵」が廃れたのではなく、「忠臣蔵」を撮れる力が映画会社が無くなったということだとのことで、納得しました! (観たいと思っている人は多くいるのでは)。巻末に作品名、俳優名などの索引が付いているのは親切です。

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事実は事実として知っておき、物語は物語として愉しめば良いのではないか。

東大教授の「忠臣蔵」講義.jpg東大教授の「忠臣蔵」講義3.jpg「忠臣蔵」の決算書 新書3.JPG「忠臣蔵」の決算書 (新潮新書)』['12年]
東大教授の「忠臣蔵」講義 (角川新書) 』['17年]

 「忠臣蔵」について、時代劇や小説に埋もれた真実を、故・山本博文(1957-2020/63歳没)東京大学史料編纂所教授が、ライブ講義形式で解説したもの。著者の『忠臣蔵のことが面白いほどわかる本―確かな史料に基づいた、最も事実に近い本当の忠臣蔵!』('03年/中経出版)を全面改稿したもので、2017年12月の刊行は「忠臣蔵」シーズンに合わせたものと思われます。

 根拠となる史料を丁寧に引きながら、事件の発端から切腹までの流れを、その背景や当時の常識、史料に残された証言、浪士たちが遺した手紙、間取り図や地図なども多数紹介しながら紐解いていきます。

 刃傷松の廊下から吉良邸討ち入り、切腹にいたるまでの事件の経緯は、各章の冒頭で、囲み記事的に簡潔に纏められていて、それに関するいろいろな問題点・疑問点は、質問者が山本教授に問うQ&A方式であるため、新書で300ページとやや厚めではありますが、たいへん読み易くなっています。

忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言.jpg 史料によって伝えることが大きく違うのが赤穂事件であり、その結果どうなるかと言うと、我々が知る「忠臣蔵」の様々なエピソードのかなりの部分は事実と違っていたりするわけで、例えば、浅野内匠頭の有名な辞世の句は検死役の多門伝八郎の創作らしいとか。この多門伝八郎の件は、先に取り上げた 中島康夫『忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言』('02年/青春出版社PLAYBOOKS INTELLIGENCE)の1人目としても取り上げられていました。内匠頭の家臣・片岡源五右衛門を多門伝八郎の取り成しで主君の切腹前に目通しを許可させたそうですが、『忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言』で中島康夫氏は、典拠が『多門伝八郎覚書』であり、多門伝八郎自身のことをよく書いているのではないかとの批判もあるとしていましたが、本書でも、そうした批判があることが、研究者名を挙げて紹介されています。
 
南部坂雪の別れ .jpg また、「南部坂雪の別れ」で、搖泉院はその日南部坂の屋敷には居なかったとか(ただし、上京した際に挨拶には行っている)。大石内蔵助が屋敷内に冠者がいるのを察して、義士たちの血判状を携えるも、搖泉院には真意を明かさず、逆に西国への士官を仄めかして怒りを買って屋敷を去り、後で内蔵助の携えたものが血判状であったことが判明して、搖泉院が内蔵助を追いやったことを悔いるというお決まりのシーンが創作であることは想像に難くないですが、そもそも居なかったとは...。

「南部坂雪の別れ」

 あれこれ真相を知ってしまうと芝居がつまらなくなるというのは確かにあるかもしれないし、Amazonのレビューなどを見ると、「(作者らはいかに)読者を楽しませるか、想像力をフル回転させ物語を創っている。彼らの努力あっての忠臣蔵である。学者には他人を楽しませる努力も、想像力も無い」との批評もありましたが、事実は事実として知っておき(概ねそうであったろうということも含め)、物語は物語として、目くじら立てずに愉しめば良いのではないでしょうか(トータル的に見て著者の最も言いたいことは、それはこれまでの著者の本でも述べられているが、赤穂浪士は忠義のために討ち入りしたのではないということのようだ)。

 当時の時間の数え方、元禄の知行(1500石は年収いくらか)、貨幣や容積の単位といった知識が随所に盛り込まれていて、吉良上野介がどこからどこへ引っ越したのかとか、吉良邸の偵察要員だった神崎与五郎の店と吉良邸の位置関係が現在の地図で何処になるのか、といったことが確認できていいです。

 何よりも興味深いのは、討ち入りに向けた諸費用の内訳が円グラフで示されていることで(江戸―上方間の旅費、浅野内匠頭仏事費、江戸借宅の家賃が3大支出)、この部分にフォーカスしたものが著者の前著『「忠臣蔵」の決算書 (新潮新書)』('12年/新潮新書)であり、されにそれが後に、中村義洋監督、堤真一、岡村隆史W主演の映画「決算!忠臣蔵」('19年/松竹)の原作となっています(『「忠臣蔵」の決算書』の方が財政に特化している分、ちょっと面白かったかな。最後に、詳細な索引が最後に付いているのは親切)。

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「忠臣蔵」の裏エピソード、乃至はサイドストーリー集。面白かった。

忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言.jpg忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言2.jpg  大忠臣蔵三船.jpg
忠臣蔵討ち入りを支えた八人の証言 (PLAY BOOKS INTELLIGENCE 42) 』['02年] 「大忠臣蔵」('71年/NET[現テレビ朝日])三船敏郎

 映画・芝居等でお馴染みの元禄討入事件で深く関り、事実を記録し、事後の処理をした8人の「義」人たちの史料に基づく記録です。「忠臣蔵」の裏エピソード、乃至はサイドストーリーといったところでしょうか。ああ、色んな人たちが義士に思い入れをし、支えたのだなあと改めて感じ入りました。史料準拠ですが読みやすく、読み物としても面白かったです。

 取り上げているのは、1人目が、武士の情けを地で行く検察官・多門伝八郎、2人目が、浪士を援助した未亡人・瑤泉院、3人目が、義商綿屋善右衛門、4人目が.口上書の監修をした学者・細井広沢、5人目が、吉良邸の情報を提供した国学者・荷田春満、6人目が、討ち入り従軍記を記した佐藤條右衛門、7人目が、義に配慮した大目付・仙石伯耆守(せんこくほうきのかみ)、そして8人目が、細川家預りとなった赤穂義士達にきめ細かな世話を行い切腹当日までの証言を記録し晩年まで亡くなった義士の為に動いた堀内伝右衛門です。

 1人目の検察官・多門伝八郎は、殿中刃傷の後、吉良はどうなるのか聞きすが浅野内匠頭に、老人なので長くは持たないと言って思いやったとのこと。更に切腹に際し、正検死役の庄田下総守が大名の切腹の場に相応しくない庭先でやらせようとしたのに対して、多門ともう一人の副検死役・大久保権左衛門がその処置に抗議し、また、最期に一目と望む内匠頭の家臣・片岡源五右衛門を自分の取り成しで主君に目通しを許可させたそうです。う~ん。この人がいなかったら、映画やドラマの忠臣蔵のあの片岡源五右衛門の最期の接見シーンもなかったのかあ(個人的には「赤穂浪士」(松田定次監督、'61年/東映)の山形勲の片岡源五右衛門が、忠臣蔵八人の証言1.jpg山形勲は悪役が多いだけに却って印象的。この時の多門伝八郎役は悪役が多い進藤英太郎で、これも意外な配役)。ただし、典拠が『多門伝八郎覚書』であり、多門伝八郎自身のことをよく書いているのではないかとの批判もあるようです。そのため創作性が強い思われてきたようですが、著者は複数の史料から、多門伝八郎は実際に「義の人」であったとみているようです(著者自身の"思い入れ"は影響していないのかな)。

「赤穂浪士」('61年/東映)山形勲(片岡源五右衛門)

 2人目の未亡人・瑤泉院は、映画などでも義士たちを支援していたのが描かれたものがありました。ただし、大石内蔵助が南部坂でそのための密談しているのは知りませんでした(ちゃんと決算報告もしている!)。映画などにおける「南部坂雪の別れ」忠臣蔵八人の証言3.jpgのように、内蔵助が邸内に冠者が居るのを察して、瑤泉院の前で「さる西国の大名に召抱えられることになりました」と討ち入りする気など毛頭無いような素振りを見せ、瑤泉院を嘆かせ、戸田局を怒らせ(実はこれ、西国=浄土という暗喩だったのだが)、後で義士たちの血判状が見つかって、瑤泉院が内蔵助を邪険に追い返したことを悔いるシーンが有名ですが(個人的には「忠臣蔵」(渡辺邦男監督、'58年/大映)の山本富士子の瑤泉院が印象的)、そういったドラマは無かったようです(笑)。

「忠臣蔵」('58年/大映)山本富士子(瑤泉院)

 3人目の義士たちの潜伏生活を支えた義商・綿屋善右衛門好時は、『仮名手本忠臣蔵』では名を変えて「天川屋義平は男でござる」のセリフで知られ、映画では「天野屋利兵衛は男でござる」などのセリフで有名(ものによっては天野屋利兵衛が家族ともども拷問に遭うものもあるが、個人的には忠臣蔵のコメディ版「珍説忠臣蔵」(斎藤寅次郎監督、'53年/新東宝)の花菱アチャコの「天野屋利兵衛は男でござる」ならぬ「何言うてまんねん。(天野屋)亜茶兵衛は男でござる」という口ぶりが、忠臣蔵八人の証言2.jpg陰惨さが無くて良かった)。義商のモデルは、歌舞伎の天川屋義平はまったく架空の人物で、映画の天野屋利兵衛は実在の人物がいたものの、大石内蔵助らとの交流は無かったとのこと。その上で、綿屋善右衛門という実際に赤穂浪士を支援した人物がいたことを、史料から導き出しています(Wikipediaでは「義商天野屋利兵衛」のモデルとして、綿屋善右衛門説と天川屋利兵衛説の両方を挙げている)。

「珍説忠臣蔵」('53年/新東宝)花菱アチャコ(天野屋亜茶兵衛)・古川緑波(大石内蔵助)

『赤穂義士討入り従軍記―佐藤條右衛門覚書』(中島康夫ほか/㈶中央義士会(初版平成14年・第2版平成25年発行)/「大忠臣蔵」('71年/NET)田中春男(佐藤條右衛門)
赤穂義士討入り従軍記.jpg佐藤条右衛門を田中春男.jpg そのほかには、討ち入りに同行し、討ち入りを終えたばかりの義士たちに聴き取りをした佐藤條右衛門とか(本書にもあるように、平成になって見つかった目撃談「佐藤條右衛門一敞覚書」は、当夜の四十七士のことやその親類縁者のことがいろいろ書かれており、奇跡の大発見と言われて発見当時ニュースにもなった。さらに、本書刊行年である平成14年の1月に全文が初めて活字化され、より一層その資料的価値が着目されるようになった。ただし、佐藤條右衛門の存在は以前から知られており、三船敏郎が大石内蔵助を演じた民放初の大河ドラマ「大忠臣蔵」('71年/NET[現テレビ朝日])では、既にその佐藤條右衛門を田中春男が演じており、渡哲也が演じるその従兄にあたる堀部安兵衛と別れの盃を交わしている)赤穂義士講談 堀内伝右衛門物語.jpg17名の義士が預かりとなった肥後細川家で、甲斐甲斐しく義士たちの世話をしながら、彼らの証言を自身の日記に書いた堀内伝右衛門とか(「堀内伝右衛門物語」として赤穂義士講談の1つになっていて、若林鶴雲の講談は感涙ものである。堀内伝右衛門は後年出家し、堀内伝右衛門 志村喬.jpg故郷山鹿の日輪寺に赤穂義士遺髪塔を建立。生涯、義士の供養を行ったという。民放大河ドラマ「大忠臣蔵」では志村喬が堀内伝右衛門を演じた)とか。

「大忠臣蔵」('71年/NET)志村喬(堀内伝右衛門)

 このように、まるでインタビュアー&取材記者、或いはノンフィクション作家のような役割を果たした人物がいたというのが興味深いです。そうした人たちのお陰で、赤穂義士のことが広く世に語り継がれ、また多くの物語にもなったのですが、当時としては、「後世に残す」というのもさることながら、人々の「知りたい」という欲求・要請が強くあり、それに応えてのそうした行為だったという面もあったかと思います。

大忠臣蔵」[Prime Video]三船敏郎(大石内蔵助)・佐久間良子(瑤泉院)・尾上菊五郎(浅野内匠頭)・市川中車(吉良上野介)
大忠臣蔵pv2.jpg大忠臣蔵pv.jpg「大忠臣蔵」●監督:土居通芳/村山三男/西山正輝/古川卓己/柴英三郎●脚本:高岩肇/土居通芳/宮川一郎/池田一朗/柴英三郎●プロデューサー:勝田康三(NET)/西川善男●音楽:冨田勲●撮影:浅斎藤孝雄/佐藤正●出演:三船敏郎/尾上菊之助/河原崎建三/長澄修/司葉子/中原剛/斉藤里花/佐久間良子/辰巳柳太郎/竜崎勝/伊藤雄之助/島田景一郎/渡哲也/有島一郎/赤座美代子/堀越節子/浜村大忠臣蔵p1.jpg純/矢吹寿子/新克利/伊藤榮子/中丸忠雄/河野秋武/石田太郎/田村正和/加藤嘉/露原千草/平林利香/平林美香/御木本伸介/江原真二郎/原知佐子/香川良介/伴淳三郎/夏川静枝/中村伸郎/柴田侊彦/三上真一郎/フランキー堺/長谷川明男/音羽久米子/和崎俊哉/砂塚秀夫/左右田一平/金井由美/横森久/島かおり/河原崎長一郎/中村賀津雄/鮎川いずみ/早川保/牧紀子/寺田農/島田順司/宗方勝巳/工藤堅太郎/野々村潔/蜷川幸雄/若林豪/田中浩/小林昭二/石坂浩二/山本陽子/菅井一郎/浦辺粂子/村井国夫/田村高廣/堀雄二/珠めぐみ/清水将夫/北竜二/玉川伊佐男/高橋悦史(平幹二郎の代役)/中山仁/河津清三郎/大出俊/美川陽一郎/丹羽又三郎/井川比佐志/岩本多代/福田豊土/田島義文/勝部演之/地井武男/田村亮/真屋順子/小林千登勢/園千雅子/中野良子/北川美佳/中村光輝/西尾恵美子/桜町弘子/中村玉緒/林成年/山崎亮一/徳大寺伸/柴田美保大忠臣蔵p2.jpg子/東郷晴子/木村博人/宮浩之/田口計/浅野進治郎/小栗一也/本郷淳/永井秀明/矢野宣/信欣三/徳永礼子/川野耕司/近藤準/湊俊一/川口節子/鈴木治夫/伊藤清美/市川中車(急逝に伴い吉良上野介役を実弟の小太夫に交代)/市川小太夫/丹波哲郎/中村米吉/芦田伸介/天知茂/長谷川峯子/天田俊明/池田秀一/神田隆/大友柳太朗/梓英子/橘公子/村上冬樹/戸上城太郎/睦五朗/今井健二/奥野匡/富田仲次郎/北城寿太郎/久富惟晴/青木義朗/小笠原弘/大里健太郎/原田力/仲村絋一/北村晃一/藤森達雄/高橋昌也/神山繁/高杉早苗/中村錦之助/市村竹之丞/仲谷昇/佐藤慶/北上弥太郎/細川俊夫/明石潮/岡部正/中吉卓郎/土屋嘉男/稲葉義男/中村竹弥/山大忠臣蔵00.jpg本耕一/佐々木孝丸/清水一郎/山崎直樹/宇佐美淳也/見明凡太郎/上月晃/高松英郎/堀田真三/相原巨典/原鉄/加藤武/加賀邦男/夏川大二郎/露口茂/上野山功一/滝川潤/天本英世/大木正司/二本柳敏恵/石橋雅史/内田勝正/永山一夫/山本清/山形勲/津島恵子/千波丈太郎/川合伸旺/長島隆一/宮口二郎/田中志幸/中村梅之助/北原義郎/伊達三郎/田川恒夫/広田竜治/武内亨/松尾文人/幸田宗丸/西田昭市/宮口精二/伊沢一郎/近藤準/湊俊一/北沢彪/真弓田一夫/永井玄哉/加地健太郎/小山源喜/織本順吉/滝田裕介/高木二朗/木村博人/沢村昌之助/多田幸雄/森山周一郎/松枝錦治/笠原弘孝/柿木香二/金内喜久夫/池田忠夫/木村元/弘松三郎/牧田正嗣/柄沢英二/小林亘/吉頂寺晃/緒方燐作/立川雄三/大木史朗/松本幸四郎/勝新太郎/中村翫右衛門/曾我廼家五郎八/池内淳子/花柳小菊/志村喬/曾我廼家明蝶/桂小金治/京塚昌子/堺正章/島田正吾/小杉勇/東千代之介/原保美/岡田英次/十朱幸代/小山明子/十朱久雄/平田昭彦/三島雅夫/尾上菊蔵/安部徹/田崎潤/夏川大二郎/柳谷寛/坂上二郎(コント55号)/萩本欽一(コント55号)/関敬六/玉川スミ/堺左千夫/小川安三/田武謙三/高桐真/内田朝雄/佐伯徹/清水元/宮川洋一/磯野洋子/江原達怡/人見きよし/大泉滉/小松方正/:花沢徳衛/二木てるみ/香川秀人/清水美佐子/村田芙実子/黒木進/永田靖/西尾恵美子/小林勝彦/三角八朗/住吉正博/桂小かん/田中春男/杉山渥典/小瀬格/溝井哲夫/河村弘二/中原成男/石井宏明/ケーシー高峰/宮城けんじ(Wけんじ)/東けんじ(Wけんじ)/島田洋介/今喜多代/正司玲児(正司敏江・玲児)/正司敏江(正司敏江・玲児)/雷門助六/鮎川浩/池田忠夫/青沼三郎/土方弘/利根はる恵/菅沼赫/穂積隆信/天草四郎/浜田寅彦/水原麻紀/渡辺明/左奈田恒夫/上田忠好/里木左甫良/矢野目がん/中村是好/石浜祐次郎/桜川ぴん助/伊東ひでみ/西山真砂/奈美悦子/八代万智子/赤木春恵/三井弘次/木田三千雄/向井淳一郎/丘寵児/小松紀子/三島新太郎/藤本三重子/瀬良明/立岡晃/山本郷一/大前亘/飯沼慧/岡本隆/藤江リカ/田中浩/永井譲滋/松山照久/中井啓輔/森本景武/霧島八千代/沼田曜一/工藤明子/牧伸二/岡田可愛/稲吉靖/沢田雅美/藤里まゆみ/小畑通子/村上不二夫/吉永倫子/福山象三/北九州男/南川直/田村保/森脇邦浩/山波宏/中村公三郎/和田幾子/桂淳平/瀬川新蔵/鈴木慎/刈谷潤/深町稜子/市川祥之助/河合憲/江藤潤/高瀬美樹/中村上治/間島純/池田生二/小高まさる/日恵野晃/佐田豊/藤木卓/稲川善一/鈴木志郎/本庄和子/辻伊万里/高松政雄/藤田漸/東洋健児●放映:1971/04~12(全52回)●放送局:NETテレビ[現テレビ朝日]

大忠臣蔵12.jpg大忠臣蔵 003.jpg大忠臣蔵 田村.jpg[1段目]中村錦之助(脇坂淡路守)/渡哲也(堀部安兵衛)/江原真二郎(片岡源五右衛門)/伊藤雄之助(大野九郎兵衛)/加藤嘉(矢頭長助)/フランキー堺(赤埴源蔵)/[2段目]勝新太郎(俵星玄蕃)/中村伸郎(吉田忠左衛門)/平田昭彦(堀内源太左衛門)/芦田伸介(小林平八郎)/天知茂(清水一學)/蜷川幸雄(間十次郎)/[3段目]佐藤慶(松平駿河守)/山形勲(滝立仙)/丹波哲郎(千坂兵部)/ 田村高廣(高田郡兵衛)
大忠臣蔵」p.jpg

大忠臣d.jpg 「大忠臣蔵」DVD 全13巻

《読書MEMO》
●目次
第1章 内匠頭を見届けた正義漢―多門伝八郎重共
第2章 浪士を援助した決意の未亡人―瑤泉院
第3章 潜伏生活を支えた義商―綿屋善右衛門好時
第4章 旧主に背いて味方した学者―細井広沢知慎
第5章 吉良邸の情報提供役―荷田春満
第6章 討ち入りの全記録者―佐藤条右衛門一敞
第7章 義士を逃がした大目付―仙石伯耆守久尚
第8章 義士の日記を書いた男―堀内伝右衛門勝重

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レトロ感、懐かしさを覚える。資料としても第一級。遊園地は家族との記憶と結びつく。

図説 なつかしの遊園地・動物園1.jpg図説 なつかしの遊園地・動物園.jpg  ロスト・モダン・トウキョウ.jpg   
図説 なつかしの遊園地・動物園 (ふくろうの本)』['22年]『ロスト・モダン・トウキョウ』('12年/集英社新書)

 昭和戦前から1970年代までの遊園地・動物園に関する絵葉書、パンフレット、入園切符、地図など紹介し、「あの頃の憧れ」を探ったものです。著者は絵葉書のコレクター・研究家として知られており、膨大な量の絵葉書のコレクションの一部は、先に取り上げた『ロスト・モダン・トウキョウ』('12年/集英社新書)などでも見ることができます。

 本書は、第1章が「東京の三大遊園地」、第2章が「東日本の遊園地・動物園」、第3章が「西日本の遊園地・動物園」、第4章が「東京の遊園地・動物園」、そして第5章で「47都道府県の遊園地・動物園事情」となっています(一応、47都道府県を網羅しているのがいい)。
図説 なつかしの遊園地・動物園2としまえん.jpg 第1章の「東京の三大遊園地」で取り上げられているは、豊島園、浅草花やしき、後楽園遊園地(現:東京ドームシティアトラクションズ)の3つですが、この内、「豊島園」(10p)(後に「としまえん」)は、本書にもあるように、「東京ディズニーランド」という強敵が現れ、レジャーが多様化して多くの遊園地が閉園する中で、昭和・平成の時代を生き残り、2020(令和2)に閉園しています。開園170年図説 なつかしの遊園地・動物園ハリーポッター.jpg超えの浅草花やしき(1853(嘉永6)年開園)ほどではないですが、ここも1926(大正15)年開園と90年以上の歴史があったのだなあと。本書刊行後、2023年に跡地にハリー・ポッターの屋内型テーマ施設「ワーナーブラザース スタジオツアー東京―メイキング・オブ・ハリー・ポッター」がオープンしましたが、このことは、遊園地からテーマパークへという時代の流れを象徴しているように思います。

図説 なつかしの遊園地・動物園金沢ヘルス.jpg 個人的に懐かしかったのは、「金沢ヘルスセンター」(47p)でしょうか。小学校低学年の時に金沢に住んでいて、卯辰山にあったヘルスセンターは動物園が併設されていたということもあり、子どもの自分にとって、家族とそこへ行くのがこの無い楽しみでした。本書によれば、1958(昭和33)年オープンで、「金沢サニーランド」に名称変更した後、1993(平成5)年に閉園、動物園部分は「県立いしかわ動物園」として独立、その後、1999(平成11)年に能美(のみ)郡辰口町(現・能美市)に移転したとのこと手取遊園.jpgです(「いしかわ動物園」HP)。

 そう言えば、第5章の「47都道府県の遊園地・動物園事情」で紹介されている、白山市に北陸鉄道が作った遊園地「手取遊園」(122p)も懐かしいです(観覧車に乗ったなあ)。1955(昭和30)年オープンで、1970(昭和45)年まで営業していたとあります(現在、能美市にある「手取フィッシュランド」とは別のもの)。本書では紹介だけで、写真が無いのが残念でした(右写真はネットで見つけたパンフレットの表紙写真。「アースウェイブ」という回転ジャングルジムのジャンボ版のような形の遊戯施設が見える)。
 
 巻頭の年表「日本における遊園地・動物園 主なできごと(1972年まで)」(6p)にも出てくる、「奈良ドリームランド」(82p)(ここも図説 なつかしの遊園地・動物園横浜ドリームランド.jpg科学雑誌の表紙になるなどして、子どもの頃に憧れた)が1961(昭和36)年開業、2006年閉園、「横浜ドリームランド」(38p)が1964(昭和39)年開業、2002年閉園。ディズニーランドの日本版を目指していたが(今なら"常識"だが)その名を名乗ることが出来ず「ドリームランド」になったとのことですが、1983(昭和58)年の本家本元の「東京ディズニーランド」の開園以降、こうした遊園地は徐々に閉園に追い込まれていったことが窺えます。

二子玉川園.jpg 「二子玉川園」(100p)の閉園は1985(昭和60)年だったのかあ(右写真:1985年3月31日二子玉川園最終営業日[フォートラベル])。1909(明治42)年に瀬田4丁目に前身の「玉川遊園地」が開園した歴史ある遊園地だったのだなあ。1982年に当時同じく瀬田4丁目の環八沿いにできたスポーツクラブ「ザ・スポーツコネクション」の会員になったため、閉園まで100回以上「二子玉川園」駅で降りましたが、閉園後も駅名は二子玉川園駅のままだったので、あまり閉園したという意識がありませんでした(「二子玉川園」駅は2000年に「二子玉二子東急 1990.jpg川」駅に改称)。「二子東急」という古い映画館が傍にあって、ここで「ブレードランナー」('82年/米)などを観ました(こちらは 1991(平成3)年1月まで営業)。東急ストアがあって、さらに後からできた東急ハンズがあり、休みの日などは賑わっていたように記憶しています(今あの辺りは東急グループの複合施設「二子玉川ライズ」になっている)。

 他にも、自分が生まれる前になくなってしまった施設も多く紹介されていますが(「粟津遊園」(48p)などは金沢人にとっては"伝説"だった)、こうした施設がいつ開園し、いつ閉園したかということが、本文中だけでなく、巻末にある「日本の遊園地・動物園リスト」にも記されていて、たいへん親切であり、資料としても第一級です。図版的には、データベース的な最終5章以外に、第3章で一部カラーでないページがあるのが惜しいですが(この中に「宝塚ファンミーランド」(78p)や前述の「奈良ドリームランド」が含まれていたりする)、個人的評価は◎です。

 遊園地や動物園の歴史は明治に遡るわけですが(厳密に言えば「浅草花やしき」(14p)のようにそれ以前)、戦後の高度成長期から万博(1970(昭和45)年)あたりまで隆盛を極め、それ以降は大型テーマパークが徐々に台頭してきて、閉園に追いやられていき、人々の記憶にのみ残るものとなっていったのではないでしょうか。だから、「花やしき」がその典型ですが、現存する遊園地を見てもレトロ感というか、懐かしさを感じるのでしょう。

東京人 1997年1月号.jpg図説 なつかしの遊園地・動物園あらかわ遊園.jpg田中小実昌2.jpg 「あらかわ遊園」(112p)などもそう。本書で引用紹介されている、田中小実昌が「頭上のレールを、ペダルこいではしるスクーターみたいなものがおもしろかった」と雑誌「東京人」の特集「都電のゆく町」(1997年)に書いた「スカイサイクル」に、自分も子どもと乗ったのを思い出しました。

 著者があとがきでも触れているように、遊園地は家族との記憶と結びつくものであり、それは「親との記憶」と「子との記憶」の両方があると改めて思いました(もちろん親子だけではなく「恋人との記憶」や「友との記憶」もあって然り)。

《読書MEMO》
●目次
第1章 東京の三大遊園地(豊島園;浅草花やしき;後楽園遊園地―東京ドームシティアトラクションズ)
第2章 東日本の遊園地・動物園(札幌市円山動物園・中島公園子供の国;オタモイ遊園地;桐生が丘公園・分福ヘルスセンター ほか)
第3章 西日本の遊園地・動物園(京都市動物園;愛宕山遊園地;京都パラダイス・市岡パラダイス ほか)
第4章 東京の遊園地・動物園(恩賜上野動物園;玉川遊園地・二子玉川園;多摩川園 ほか)
第5章 47都道府県の遊園地・動物園事情

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長く続く雑誌の創刊時の姿を知る上で貴重か。

東京人 1986年創刊号1.jpg
季刊 東京人 no.1 1986年創刊号』写真:篠山紀信「皇居初参賀」
東京人 1986年創刊号g1.jpg 雑誌「東京人」の1986年創刊号で、創刊当初は1、4、7、10月発行の季刊で、その後1987年9月号以降月刊になっています。創刊時、発行は財団法人東京都文化振興会、発売は教育出版株式会社(現在は都市出版が発行)。創刊時の発行人は貫洞哲夫、編集人は粕谷一希。

東京人 1986年創刊号g2.jpg 創刊号の巻頭は、篠山紀信(1940-2024/83歳没)によるグラビア「千の貌(かお)をもつ巨人」で、皇居初参賀、明治神宮・初詣、原宿駅前、浅草寺の羽子板市、新宿西口、上野アメヤ横丁、秋葉原電気街...と昔も今も東京を代表する街角を切り抜いています。また、巻末には建築評論家の松葉一清(1953-2020/67歳没)の文、写真家・村井修(1928-2016/88歳没)の写真によるグラビア「水晶楽園―超高層ビルの吹き抜け空間」があります。

東京人 1986年創刊号目次.jpg 写真はこの巻頭と巻末だけで、あとはイラストなどが多少はあるものの、基本的に全部文章であり、今のイラストや写真の間に文章が挟まっているような雑誌の作りとはかなり異なっていて、中身的には文芸誌っぽい印象さえあります。

 創刊号の特集は東京の象徴「隅田川」で、隅田川に纏わる小木新造のエッセイや磯田光一の文学史的考察の次に来る、吉本隆明と小林信彦に対談「大川いまむかし」が目を引きます。また、特集以外では、山本健吉が「緑と神輿と」という随想を寄せているほか、「はじめての東京」というお題のもと、野坂昭如、五木東京人 1986年創刊号イラスト.jpg寛之、白石かずこ、西部邁、金井美恵子、武田百合子が短文を寄せているほか、川本三郎、佐野真一といった錚々たる人たちが文章を寄せています(俳優の中尾彬(2024年5月16日没)が「上野たこ久なじみ酒」という文章をイラスト付きで寄せていたりもする)。

 巻頭座談会が、「住みにくいから面白い東京」というテーマで、芦原義信、高階秀爾(2024年10月17日没)、芳賀徹の鼎談。後の方には、村上春樹によるポール・セルーの短編小説の翻訳(その年の季刊10月号(創刊第4号)まで続いた)や、吉村昭にとる短編小説があって、米老舗誌「ザ・ニューヨーカー」に向こうを張って「東京人」という雑誌ができないものかとの構想のもと創刊されたという(編集後記)だけのことはあります(道理で文芸誌っぽい中身)。

千住大橋、素盞雄神社.jpg 個人的には、民俗学者の宮田登(1936-200/63歳)の「隅田川のフォークロア」という、千住大橋周辺、素盞雄神社などを巡る考察が興味深かったです。

 長く続く雑誌の創刊時の姿を知る上で貴重と言えるかもしれません。
 

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