2025年1月 Archives

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老い方、死に方を宗教者、科学者、地域エコノミスト、エッセイストと語る。

養老 孟司 『老い方、死に方』.jpg老い方、死に方2.jpg 南直哉氏.jpg
老い方、死に方 (PHP新書) 』['23年]南直哉氏(福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代)

 養老孟司氏が、禅僧の南直哉氏、生物学者の小林武彦氏、地域エコノミストの藻谷浩介氏、エッセイストの阿川佐和子氏の4氏と、老い方、死に方を語り合った対談集。

超越と実存.jpg 第1章の禅僧の南直哉氏は、脱サラして僧侶になり、永平寺で19年修業した後、恐山に行った人で、南氏との対談は、氏の『超越と実存―「無常」をめぐる仏教史』('18年/新潮社)が「小林英雄賞」を受賞した際の選評を養老氏が書いたことが縁のようです。この対談でも、キリスト教と禅の比較や、「諸行無常」をどう考えるかといった宗教的な話になり、「解剖」は僧侶の修行のようなものという話になっていきます。そして最後に南氏は、死を受容する方法、生き方として、「自我を自分の外に向かって広げていく」こともよいとしています。「褒められたい」とか思わないで、ただ単に他人と関わるようにするのがコツで、褒められたいとか「損得」にとらわれると、自分と他人を峻別して自己に固執するようになるとしています(褒められたいと思わないことが、死を受容する方法に繋がるという発想が示唆的で興味深い)。

小林武彦の著書.jpg 第2章の生物学者の小林武彦氏は、『生物はなぜ死ぬのか』('21年/講談社現代新書)がベストセラーになったゲノムの再生(若返り)機構を研究する学者で、当対談でも、生物には「老いて死ぬシステムがある」がDNAが壊れなければ、寿命は延びるとしています。老化のメカニズムについては、『なぜヒトだけが老いるのか』('23年/講談社現代新書)でも述べられている通りで、あの本は後半「シニア必要論」となって、やや社会学的色合いになったと個人的には感じたのですが、この対談でも同様の論を展開しています。

藻谷浩介 本2.jpg 第3章の地域エコノミストの藻谷浩介氏は、『里山資本主義ー日本経済は「安心の原理」で動く』('13年/角川新書)などの著書があり、養老氏との共著もある人ですが、日本総研の主席研究員で、平成大合併以前の約3200市町村のすべて、海外119カ国を私費で訪問したというスゴイ人です。この対談では、里山資本主義というものを唱え、「ヒト」「モノ(人工物)」「情報」の循環再生を説いています。少子化問題、環境問題、エネルギー問題と話は拡がっていきます。やや話が拡がり過ぎの印象もありますが、そう言えば養老氏は別の本で、都会で死ぬより田舎で死ぬ方が「土に返る」という感覚があっていいと言っていたなあ。

看る力.jpg 第4章のエッセイスト・作家の阿川佐和子氏は、佐和子氏が父・阿川弘之を看取り、母の介護をした時期があって、その経験を綴ったエッセイ本を出していることから対談の運びとなったと思われます。延命処置をせずに亡くなった父親の死について語る佐和子氏に対し、養老氏は、死んだ本人にしたら自分が死んだかわからないわけだから、「死ぬかもしれない」なんて恐れることはなく、「そのうち目が覚める」と思って死んでいけばいいと説いています。認知症や介護についても話題になっています。

 宗教者と根本的な思想の問題について、科学者と生物学的に見た老化について、地域エコノミストと社会的な老いと死について、エッセイスト・作家と肉親の死や介護について語り合っていることになり、養老氏は、「全体として目配りが非常にいいのは、編集者の西村健さんのおかげである」と感謝しています。しかしながら、確かによく言えば全方位的ですが、悪く言えば、ややテーマが拡散した印象もあったように思います(第1章の禅僧の南直哉氏の話がいちばんテーマに近かったように思う)。

 養老氏は、多くの自著で、「死は常に二人称」として存在するとし、なぜならば、一人称の死は自分の死なので見ることができず、三人称の死は自分に無関係なためとしていますが、阿川佐和子氏との対談の中で、愛猫の死を〈二人称の死〉としているのが、〈二人称の死〉とはどのようなものかを理解する上で分かりやすかったです。

養老 プレジデント.jpg養老 日本が心配.jpg また、養老氏は小林武彦氏との対談の中で「大地震が歴史を変える」としています。そう言えば、「プレジデント」2024年8/16号の「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という特集で、養老氏は「私が101歳まで生きたい理由」として、それまでに南海トラフ地震が起きる可能性が高いため、日本がどうなるか見たいからだと述べていました。

「週刊文春」2025年3月13日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」ゲスト・南 直哉
南直哉 週刊文春.jpg

《読書MEMO》
●「自己を開くことを繰り返していけば、自ずと死を迎えるための練習にもなるのではないかなという気がするんですね」(南直哉) 
●「DNAの修復能力は『寿命の壁』を突破する一つのカギだと考えています」(小林武彦) 
●「都会の高齢者ほど、老後の生活に必要なのは『お金』だけだと思い込んでいます。『自然資本』や『人的資本』に目が行かないのですね」(藻谷浩介) 
●「(母の)認知症がだいぶ進んでからは、母が頭のなかで思い描く世界に一緒に乗ることにしました。そのほうが介護する側も、される側もおもしろいし、イライラしないし」(阿川佐和子)
●「自分のことなんか、人に理解されなくて当たり前と思ってりゃいい」(養老孟司)


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自分はちょっとまだそこまで行けていないなあという感じか。

死を受け入れること 養老・小堀.jpg 死を受け入れること2.jpg
死を受け入れること ー生と死をめぐる対話ー』['20年]

 「3000体の死体を観察してきた解剖学者と400人以上を看取ってきた訪問診療医。死と向き合ってきた二人が、いま、遺したい「死」の講義」と帯にあります。

 小堀鴎一郎医師は森鴎外の孫で、母は『森鷗外 妻への手紙』('38年/岩波新書)を編纂した小堀杏奴(アンヌ)。かつては東大病院の外科医として活躍しましたが、定年後、患者の看取りまで担う在宅医となり、今は「人生の最期をわが家で」という願いを叶えるために在宅医療に奔走されている方です。NHKスペシャルなどでその活動が紹介されたのが印象的で(個人的に強く印象に残ったのはケアを受けて亡くなった人の方だったが)、今回、養老孟司氏との「生と死をめぐる対話」であるとのことで手にしました。

 第1章の「「死ぬ」とはどういうことですか?」において、死のガイドラインは必要か、在宅死は理想の死か、終末期の医療の難しさといった問題を扱っていて、この第1章がテーマ的には最も密度が濃かったように思います。

 養老氏は、他の本でも述べていますが、「死は常に二人称」として存在すると。つまり、一人称の死は自分の死であり、見ることができず、三人称の死は、自分と関係ない人の死で、死体を「もの」として扱うことができるため、死が自分に影響を与えるのは二人称の死だけという考え方です。養老氏は「気がついたら死んでいた」というのが理想だとしています。

 第2章が「解剖学者と外科医はどんな仕事ですか?」、第3章が 「東大医学部」ってどんなところでしたか?」というテーマで、両氏のこれまでやってきた仕事の話や、東大医学部に入るまでと入ってからの話になり、両氏のキャリアとその人となりがどう形成されたかを知るには良かったですが、「死を受け入れること」というテーマからは少し外れた印象も。

 第4章「これからの日本はどうなりますか?」で、自殺、終末期医療を巡る問題に触れ、小堀氏は「命を終えるための医療」という考えを提唱しており、これは、テレビで見た氏の看取り活動と重なりました。また「老い」とはどういうことか、長生きの秘訣、健康診断は必要か(小堀氏は75歳以降は検診をやめたと)といったことに触れています。

 養老氏によれば、余命宣告については、それがどんどん短くなっていて、それは、1年と言って6カ月で死んだらヤブ医者だと思われるからだそうです。

 最後に82歳になった小堀氏は「死を怖れず、死にあこがれず」との考えを述べています。「それぞれに人生があって、それぞれに望む死に方があって、それが面白い」とも。また、養老氏は、「どこで死ぬか」と予め考えることで、自分は変われるとしています(別の本で、田舎で死ぬのが「土に返る」という感覚があっていいと言っていた)。

 生死の境を何度も見てきた両氏だからこそ達観できているという面もあるかと思います。自分はちょっとまだそこまで行けていないなあという感じでしょうか。第2章、第3章で(両氏のことが色々わかっていいのだが)ややタイトルテーマから外れた印象もあり、評価としては△にしました。

《読書MEMO》
●目次
はじめに 養老孟司
第一章 「死ぬ」とはどういうことですか?
・在宅死が当たり前ではなくなった
・死んだら人間ではなくなるのか?
・自分の「死」について考えますか?
・インタビュー 養老孟司
第二章 解剖学者と外科医はどんな仕事ですか?
・解剖学者、外科医としてやってきたこと
・臨床医にならなかった理由
・インタビュー 小堀鷗一郎
第三章 「東大医学部」ってどんなところでしたか?
・二人が同じ「東大医学部」を目指した理由とは?
・教授選......出世競争は大変でしたか?
第四章 これからの日本はどうなりますか?
・自殺、終末期医療......死をめぐるさまざまな問題
・「老い」とはどういうことですか?
・医者の仕事って何だろう?
おわりに 小堀鷗一郎

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「老い本」(おいぼん)の変遷を通してこれからの「老い」を考えるヒントを提供。

老いを読む 老いを書く.jpg酒井 順子 週刊文春.jpg「週刊文春」2021年4月29日号
老いを読む 老いを書く (講談社現代新書 2759) 』['24年]

 「老い本」(おいぼん)とは、人々の老後への不安と欲望に応えるべく書かれた本のことだそうで、本書では、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、トピック別に老い本を選んで、日本の老いの精神史を読み解いていきます。著者のべストセラー本に『負け犬の遠吠え』(2003年/講談社)があり、あの本は社会学的エッセイという感じでしたが、著者は今は「週刊文春」の交代制の書評ページ「私の読書日記」を担当するなどしており、本書も社会学的エッセイのスタイルをとりながらも、「本」を分析の素材にしたことで、読書案内にもなっています。

『恍惚の人』.jpg 第1章「老いの名作は老いない」では、『楢山節考』『恍惚の人』『いじわるばあさん』、そして、古典である『竹取物語』『枕草子』『徒然草』『方丈記』などを取り上げています。『楢山節考』が提示した高齢者の問題は、今現実味を帯びてきていると著者は言います(『恍惚の人』には、「老人ホームに親を送り込むっていうのは気の毒ですねえ」という台詞があるんだあ。当時は「老人ホーム=姥捨て山」の発想だったのか)。『恍惚の人』は「耄碌」が「痴呆症」という病として認識される契機になった本であるとのこと(そして今「認知症は病気ではない」という揺り戻しが来ている)。『方丈記』を読むと、「何歳になってもギンギンで!」という風潮が、自然の摂理に反したものに思えてくると。

日野原重明 本.jpg 第2章「老いをどう生きるか」では、「百歳老人」が加速的に増えたことで、百歳人は神的な存在ではなくなったとしています(代表例がずっと現役医師だった日野原重明。105歳までに出した多くの「老い本」の表紙が白衣もしくはジャケット姿)。「定年クライシス」問題にも触れ、源氏鶏太の『停年退職』(1962年)(昔は「停年」と書いた)から重松清の『定年ゴジラ』(1998年)、内館牧子の 『終わった人』(2015年)を取り上げ、その変遷を見ています。60代は「老人界のフレッシュマン」だとし、また「乙女老女」は未来志向だとしています(黒柳徹子は老い本を書かない。彼女に続いて出てくるには、角野栄子、田辺聖子、そしてラスボス・森茉莉)。

佐藤愛子 本.jpg 第3章「老いのライフスタイル」では、30年間「老い本」を書き続け百歳になった佐藤愛子、シニアファッションのカリスマ・草笛光子、昭和のお洒落なオイスター・幸田文と白洲正子、家事得意の明治女・沢村貞子などを取り上げていますが、やりり女性は男性より強いという感じです。また、田舎に移住することの良し悪しも考察しています。

 第4章「老いの重大問題」では、老後不安のもとになる問題として、老後資金の問題(金は足りるのか)、配偶者(特に妻)に先立たれた場合の問題(江藤淳『妻と私』(1999年)、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(2008年)など)、「死」との向き合い方(永六輔『大往生』(1994年)、石原慎太郎・曽野綾子対談『死という最後の未来』(2020年))など取り上げ、さらに「死」との向き合い方について、さらに「老人と性」の問題に触れています(谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』(1962年)、川端康成『眠れる美女』、松井久子『疼く人』など)。

死という最後の未来.jpg 多くの本が取り上げられていますが、だからと言って一つ一つがそう浅いわけではなく、例えば石原慎太郎・曽野綾子対談『死という最後の未来』における石原慎太郎の、余命宣告を受けても男性機能の保持を誇示するという、死に直面した狼狽とその反動からくる"男らしさ"のアピールを看破している点などは鋭いと思いました。

石原 慎太郎/曽野 綾子 『死という最後の未来』(2020/06 幻冬舎/'22年 幻冬舎文庫)


『老いの読書』.jpg 読書案内にもなっていると書きましたが、例えば前田速雄『老いの読書』('22年/新潮選書)のような「死ぬ前に読むべき本」を紹介しているものとは異なる趣旨の本であることは言うまでもなく、「老い本」の変遷を通してこれからの「老い」を考えるヒントを提供している本であったように思います(この本自体が「生き方」本であるわけでもなく、あとは自分で考えろということか)。

老年の読書(新潮選書)』['22年]

 
 
 
《読書MEMO》
●目次
はじめに 「老い本」大国ニッポン
第一章 老いの名作は老いない
 一 迷惑をかけたくない──『楢山節考』
 二 いつか、自分も──『恍惚の人』
 三 マンガが見つめる孤独──『いじわるばあさん』
 四 古典の老いと理想──『竹取物語』 『枕草子』 『徒然草』 『方丈記』
第二章 老いをどう生きるか
 一 百歳の人間宣言
 二 定年クライシス
 三 六十代──老人界のフレッシュマン
 四 「乙女老女」は未来志向
 コラム 老い本ブームの先陣を切った二冊の「新しさ」
第三章 老いのライフスタイル
 一 一人暮らし
 二 おしゃれの伝承
 三 おばあさんと料理
 四 田舎への移住
 コラム 高齢者の「迷惑恐怖」を煽る終活本
第四章 老いの重大問題
 一 金は足りるのか
 二 配偶者に先立たれる
 三 「死」との向き合い方
 四 老人と性
おわりに 老い本は不安と希望のしるし──ぴんころ地蔵と姨捨山を訪ねて
老い本年表

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医学者によって書かれた初の医学的生死論。オーソドックス且つユニーク(?)。「ピンピン ごろり」と死ぬこと。
死ぬということ 黒木.jpg死ぬということ-医学的に、実務的に、文学的に .jpg  黒木 登志夫.jpg 黒木登志夫・東京大学名誉教授(略歴下記)
死ぬということ-医学的に、実務的に、文学的に (中公新書 2819)』['24年]

 本書は、哲学、宗教の立場からの本が占めている生死というテーマに医学者(臨床医ではない)が挑んだ、医学者によって書かれた初めての医学的生死論であるとのこと(医者によって書かれた生死論という意味では他にもあると思うが)。内容は分かりやすく、短歌、文学、映画とユーモアを交える一方、健康法など実用的な情報にも触れています。

 第1章「人はみな、老いて死んでいく」では、生まれるのは偶然、死ぬのは必然であることを説いています。生まれる確率は、23の染色体の組み合わせから、70兆分の1と計算しています。また、人はみな老いて死んでいくが、どんな病気で死ぬのか、もし老化しなかったらどうなるか、老化のメカニズムとはどのようなものかを解説しています。

 第2章「世界最長寿国、日本」では、長寿国の日本ではあるが、同時に日本人は低出生率による"絶滅危惧種"であり、対策として婚外子を認めるべきだと。また、江戸時代の寿命統計から、女性の厄年には意味があるとしています。

 第3章 「ピンピンと長生きする」では、毎年1回は健康診断を受けよと。さらに、タバコはやめ、酒は飲み過ぎないこと、メタボに注意すること、運動をすることを医学的見地から推奨しています。

 第4章「半数以上の人が罹るがん」では、がんの症例を紹介し、がんのリスクを説明する一方、告知の義務化でがんの受け止め方が大きく変わったとし、がんについての最小限の知識をまとめています。さらに、がんの診断と治療、高齢者のがん治療について述べています。

 第5章「突然死が恐ろしい循環器疾患」では、その症例を紹介し、循環器病(不整脈・虚血性心疾患・脳卒中)の基礎知識を解説、循環器疾患は突然死が多く、環器疾患のリスク要因として(1)高血圧と(2)高脂血症(動脈硬化)があるとしています。

 第6章「合併症が怖い糖尿病」では、その症例を紹介し、実は世界の人口の10%が糖尿病なのだと。糖尿病が本当に恐ろしいのは合併症なのだとしています。

 第7章「受け入れざるを得ない認知症」では、認知症の症例を紹介し、認知症は神経細胞の変性による病気であるとして、アルツハイマー病など代表的な5つの認知症を示し、症状を解説しています。そして、われわれは認知症を受け入れざるを得ないのだと(和田秀樹『ぼけの壁』に対して"優しい"と肯定的、『80歳の壁』に対してて"優しすぎる"と否定的)。

 第8章「老衰死、自然な死」では、老衰死は増えているが、なぜ老衰死が増えたのか(介護保険が背景にあると)、なぜ老衰死は世界で全く認められていないのか(WHOなども診断基準がないとして認めていない)を考察しています。

 第9章「在宅死、孤独死、安楽死」では、様々な死に方について述べています。「在宅死」に関しては、死に場所として病院・自宅・老人ホームのうち、最近は病院死が減って、自宅・老人ホームでの死が増えているようです(ただし、在宅看取りには覚悟が必要と)。また、高齢者施設(サ高住やグループホームを含む)の種類を解説しています。

 「孤独死」については、始末が大変なことがあると(上野千鶴子『在宅ひとり死のススメ』は困った本だと。

 「安楽死」については、「延命治療拒否(消極的安楽死)」は死に直接介入しないため「安楽死」の概念から外し、「自殺幇助」も「安楽死」から外し、「安楽死」(積極的安楽死)を「延命治療拒否」と「自殺幇助」の中間にあるものと位置づけ、さらにそれを「間接的臨死介助」と「直接的介助」に分けています。オランダの死因の4.2%は安楽死だそうです。

 第10章「最期の日々」では、終末期を迎えたとき人はどうなるのか、延命治療はどこまですべきか(胃ろうをやてちるのは日本だけらしい)、痛みや苦しみはどう抑えるのか、延命治療について自分の意思(リビング・ウィル)を明確に示すことの重要性などを説いています。

 第11章「遺された人、残された物」では、遺された人の悲しみや死の不条理性に触れ、グリーフから立ち直るための方法を説いています。死んでも人は心のなかで生き続けるとのこと、ということは、私が死ぬと、私の中で生きてきた人も死ぬと。また、遺品(デジタル遺産)の問題にも触れています。

 第12章「理想的な死に方」では、死の考えは大きく変わったこと(死が日常化した)、ムリして生きることに意義を求めないこと(健康に長生きし、人に迷惑をかけず一生を終えるのが理想)、理想的な死に方とは「ピンピン」と生きて「コロリ」とは死なず「ごろり」と死ぬことで、そのために病気をよく理解すること、リビング・ウィルを決めておくことなどを挙げています。

 終章「人はなぜ死ぬのか―寿命死と病死」で、なぜ寿命が尽きて死ぬのか、なぜ病気で死ぬのかを解説しています。

 新書ながら12章にわたり、かなり幅広いテーマを網羅して、それぞれの密度も濃いと思いました。一方で、敢えて宗教や哲学には触れず、「死後の世界」も「死の瞬間」もテーマから外しています。数多くの短歌、文学、映画を交えて読みやすく、医学的に見れば内容はオーソドックスですが、生死論としてはユニークであり(全体としては「オーソドックス且つユニーク(?)」ということになるか)、「医学者によって書かれた初めての医学的生死論」を標榜するのも納得できる気がしました。時々読み返したい本。お薦めです。

黒木登志夫・東京大学名誉教授
1936年生まれの「末期高齢者」(88歳)、東京生まれ、開成高校卒。1960年東北大学医学部卒業。3カ国(日米仏)の5つの研究所でがんの基礎研究をおこなう(東北大学、東京大学、ウィスコンシン大学、WHO国際がん研究機関、昭和大学)。しかし、患者さんを治したことのない「経験なき医師団」。日本癌学会会長、岐阜大学学長を経て、現在日本学術振興会学術システム研究センター顧問。著書に『健康・老化・寿命』、『知的文章とプレゼンテーション』『研究不正』『新型コロナの科学』『変異ウィルスとの闘い』(いずれも中公新書)など。

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第1章 人はみな、老いて死んでいく
1 生まれるのは偶然、死ぬのは必然
2 人はみな老いて死ぬ
3 もしも老化しなかったら、もし死ななかったら
4 老化と寿命のメカニズム
第2章 世界最長寿国、日本
1 長寿国日本
2 日本人は絶滅危惧種
3 江戸時代の寿命とライフサイクル
第3章 ピンピンと長生きする
1 健康を維持する
(1)毎年1回は健康診断を受ける
(2)タバコをやめる
(3)酒は飲み過ぎない
(4)メタボリック・シンドロームにご用心
(5)運動をする
2 サプリメントをとるべきか
第4章 半数以上の人が罹るがん
1 症例
2 がんのリスク
3 がんの受け止め方は大きく変わった
[コラム4-1] セカンド・オピニオン
4 がんを知る
5 がんの診断と治療
6 高齢者のがん
第5章 突然死が恐ろしい循環器疾患
1 症例
2 循環器病を知る
(1)不整脈:期外収縮、心房細動、心室細動
(2)虚血性心疾患:狭心症と心筋梗塞
(3)脳卒中
3 循環器疾患は突然死が多い
4 循環器疾患のリスク要因
(1)高血圧
(2)高脂血症(動脈硬化)
第6章 合併症が怖い糖尿病
1 症例
2 世界の10%が糖尿病
3 糖尿病を知る
(1)インスリン製造細胞が死んでしまった1型糖尿病
(2)2型糖尿病
[コラム6-1] インスリンの発見
4 糖尿病が恐ろしいのは合併症
5 糖尿病の経過
[コラム6-2] 糖尿病という名前が嫌いな糖尿病専門家
第7章 受け入れざるを得ない認知症
1 症例
2 認知症を知る
[コラム7-1] アルツハイマーの生家
3 認知症の中核症状と周辺症状
[コラム7-2] 記憶力テスト
4 認知症の予防と治療
(1)認知症の予防
(2)認知症の治療
5 認知症の進行
6 われわれは認知症を受け入れざるを得ない
第8章 老衰死、自然な死
1 症例
2 老衰死を知る
3 なぜ老衰死が増えたのか
4 なぜ老衰死は世界で全く認められていないのか
[コラム8-1] 誤嚥性肺炎はなぜ高齢者に多いのか
[コラム8-2] 骨折
第9章 在宅死、孤独死、安楽死
1 在宅の死
2 高齢者施設
3 孤独死
[コラム9-1] 孤独死数をめぐる混乱
4 安楽死 
(1)B.間接的死介入(延命装置の取り外しによる安楽死)
(2)C.直接的死介入(薬物などによる安楽死)
(3)警察の介入
(4)オランダの死因の4・2%は安楽死
(5)自殺幇助
第10章 最期の日々
1 終末期を迎えたとき
2 延命治療
3 痛みと苦しみを抑える
4 延命治療について自分の意思(リビング・ウィル)を明確に示す
[コラム10-1] マーラー交響曲9番
第11章 遺された人、残された物
1遺された人
2 不条理な死
3 グリーフから立ち直るため
4 死んでも心のなかで生き続ける
5 残された物
第12章 理想的な死に方
1 死の考えは大きく変わった
2 生きることに意義を求めない
3 理想的な死に方
終章 人はなぜ死ぬのか―寿命死と病死
1 なぜ寿命が尽きて死ぬのか
2 なぜ病気で死ぬのか
おわりに

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「老い」の生き方。前向きであり、そうあるための方法論も書かれている。

老いる意味 森村誠一2.jpg森村誠一.jpg
老いる意味-うつ、勇気、夢 (中公新書ラクレ 718) 』['21年] 森村 誠一(1933-2023/90歳没)

 2023(令和5)年7月に肺炎のため満90歳で亡くなった著者が88歳の時に著した「老い」に関するエッセイ。老人性うつ病を克服した著者が、老いの生き方はどうあるべきかを綴っています。

 第1章「私の老人性うつ病との闘い」では、老人性うつ病というものがどういったものか分かりました。うつ状態を脱するための4カ条として①楽しいものを探す、②のんびりする、③おいしいものを食べて、ゆっくり寝る、④趣味をみつける、だそうで、著者は①人と会う、②喫茶店やレストランに行く、③
電車に乗って、美しい場所、珍しい場所へ行く、④人を招くことをやったと。

また、著者は認知症も患ったようで、書けなくなった作家は「化石」として、脳からこぼれた言葉を拾っていくため、様々な言葉や単語を紙に書き続けるなどの努力をしたこと、その間、主治医への心理的依存度が非常に高かったことなどを明かしていますが、やがて努力の成果が現れ、詩作などを通していつもの状態に戻っていくことが出来、「道」が続いている限り歩みは止めず頑張ろうという気になったと。

 第2章「老人は、余生に寄り添う」では、人の余生は長くなったが、余生と切り離せないのが老いであり、眉毛が伸びてきてショックを受けたと。ただ、未来に目を向ければ今の自分が「いちばん若い」わけで、最先端を追い続けている限り、自分も不変なのだと。人生は「仕込みの時代」「現役時代」「老後」の「三つの期」に分けられ、老後は「人生の決算期」であると。余生まで倹約を続ける必要はなく、「いい意味でのあきらめ」も必要であると。また、「条件付きの健康」で良しとせよと説いています。「楽隠居」なんて実は楽ではなく、生きている意味を見出すよう努めるべきだと。また、田舎の老人は「生涯現役」でいやすく、都会の老人は「自由を謳歌しやすい」とし、「老人たちよ、大志を抱け」としています。

 第3章「老人は、死に寄り添う」では、ネコからさえ死のあり方を教えられてきたとし、また、妻に先立たれる可能性もあるが、男は妻に依存していることが多いので女房なしでは「男はつらいよ」と。一方で、離婚を切り出される可能性もあると(内館牧子の『終わった人』だね)。

 長生きすれば肉親の死にも立ち会うことになるし、別れも辛いが自分自身も生き辛くなると。「お荷物老人」にならないこと、バリアフリーに甘えていると尊敬されないとも。また、今の世は孤独死が増えており、孤独死、孤立死を防ぐには、寂しさに耐える覚悟が必要だと。ともかく、家庭でも社会でも、「お荷物」にならないことだとしています。「仕事の定年」と「人生の定年」は異なり、仕事はやめても、生きていく緊張感は必要、「生きがい」と「居心地の良さ」は別物であるとしています。また、心や脳を衰えさせないためにはどうすればよいかを述べ、「老人社会」に現役時代を持ち込めば居場所がなくなる、70代が曲がり角で、80年代に入れば身辺整理、歳を重ねれば仲間は去っていくものだと。

 第4章「老人は、健康に寄り添う」では、著者は散歩を日課にしているが、散歩コースに医院を入れるのも良いと。スケジュールが無くなると人間は無気力になるもので、自分の行動パターンを決め、「バイオリズム」を掴んだ上で、1日の予定はアバウトなところから始めるのがよいと。老いるに従い「現状維持」を考え、楽しみながらボケを阻止せよと。

 短くても「人間的な眠り」を大切にすること、糖尿病予防のため風呂にはゆっくりつかること、癌や新型コロナウィルスとの向き合い方などを説き、諦めずに病気と向き合う姿勢が大切だと説いています。

 第5章「老人は、明日に向かって夢を見る」では、老いを加速させるかどうかは自分次第だとして、「人」「文化」「場所」との出会いを大切にしたいものだと。茶者は「写真俳句」にハマって、これは楽しいと。また、配偶者とは「つかず離れず」で、時にデートもいいと。男はスタイルにこだわり、いくつになっても「武装」していたいと。また、異性との交流、シニアラブもあっていいと。さらに。シニア世代になってこそ「自由な読書」が楽しめるとしています。

 老齢だからといって退屈している場合ではなく、また、誰かの役に立つことは、心の筋肉をほぐすとも。「気配り」「心配り」「目配り」を忘れるなと。

 作家という職業のせいもありますが、いつまでも仕事をし続けることが目標になっている印象を受けました。そのため、すべてにおいて前向きであり(実際、読んでいて励まされる)、また、前向きであるための方法論も書かれていて、そのことが本書がベストセラーとなった要因の1つでしょう。平易な文章で書かれていて読み易く、また節ごとの小見出しが的確に内容を表しているというのもあるかもしれません。

 帯に「私は百歳まで現役を続けるつもりだ」とあります。残念ながら90歳で亡くなってしまいましたが、晩年もやる気に満ちていたとが窺え、それは著者にとっても良かったのではないでしょうか。うつ病と闘い克服したという自信と自負も大きく作用したのではないかと思いました。

《読書MEMO》
●目次
第1章 私の老人性うつ病との闘い
第2章 老人は、余生に寄り添う
第3章 老人は、死に寄り添う
第4章 老人は、健康に寄り添う
第5章 老人は、明日に向かって夢を見る

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実際問題として認知症の施設介護にどう取り組むかを指南。前著に続いてお薦め。

マンガ認知症【施設介護編】.jpgマンガ認知症2.jpg
マンガ認知症【施設介護編】』['24年]『マンガ 認知症 (ちくま新書) 』['20年]

マンガ認知症【施設介護編】pop.jpg 大好きな祖母が認知症になってしまい、母と二人で介護に取り組むマンガ家、ニコ。在宅介護が限界を迎えて施設に入居してもらったものの、祖母の認知症の症状がみるみる悪化していった。二人はしょっちゅう呼び出され、かかる費用は月40万円―。

 ベストセラーとなった『マンガ認知症』('20年/ちくま新書)の続編で、今回はより実際的な問題として、認知症の施設介護にどう取り組むかを、認知症の心理学と介護の仕組みの両面から取り上げています(各章の冒頭に体験的マンガがあって、その後に解説がくるスタイルは前著と同じ)。

 今回は、「介護事業を立ち上げ現場を見続けて30年」という「暮らしネットえん」の小島美里代表理事も執筆チームに加わっています(マンガでは若々しいが、経歴的にはベテラン。そう言えば、佐藤眞一先生もマンガでは若々しいが、いつの間にか大学の教授から名誉教授になっている。敢えて若く描いて"権威主義"的な色合いを出さないようにする配慮か)。

 施設介護の最初に来る大事な選択は、「どの老人ホームのどれを選ぶか」ということであり、老人ホームの種類には7種類あり、「民間型にすまい」としての①有料老人ホーム(介護付き・住宅型)、②(サービス付き)高齢者向け住宅、③グループホーム、そして「公共型のすまい」としての④ケアハウス(一般型・介護型)、さらに「公共型の施設」としての⑤特別養護老人ホーム、⑥介護老人保健施設、⑦介護医療院、があるとしています。

特養.jpg それぞれの入居金や月額費用、入居条件、さらには認知症の度合いなども示されていますが、認知症の人には「グループホーム」と「特別養護老人ホーム(「特養」)」が向いているとしています。ただし、「特養」は要介護3以上が入居要件であり、したがって、特に大きい病気がなく要介護1・2レベルであれば、「グループホーム」が第1の選択肢になるとにことです。

サ高住.jpg 最近注目されている「(サービス付き)高齢者向け住宅(サ高住)」は、ここで言う「サービス」というのは介護ではなく「安否確認と相談」のことなので、小島美里氏らは「サービスなし高齢者住宅」と呼んでいるとか(各部屋にトイレや水回りがあるのは魅力的だが、認知症に限らず、年を重ねて体の具合が悪くなって要介護度が高くなると、住み続けることが難しくなる場合もある。さらに、費用の支払いが維持できなくなる怖れがあるとういう問題も)。

グループホーム.jpg 小島氏が代表理事を務める「えん」は「グループホーム」ですが、最近はグループホームでも「終身」(看取り)が可のところも増えている一方で、グループホームに向かない人もいて、認知症以外の病気が重い人は看護師が常駐する介護医院のような施設の方がいいとしています。また、グループホームは住民票がその地に無いと入居できず、満床のこともあるとのことです。

介護付き有料老人ホーム.jpg そのため、第二の選択肢として「介護付き有料老人ホーム」が考えられると。介護付き有料にするメリットは、この金額の中に介護費用もセットになっていることで、「サ高住」に比べて費用は高く見えますが、サ高住のようにそれ以外の費用が天井知らずになることは避けられるとしています(結局「サ高住」って、サービスは部分はほとんど別途持ち出しになるので、何もしなければ普通に何もサービスを受けず暮らしているのとあまり変わらないことになる。「サ高住」の費用の問題は最近よく指摘されることが多い(「サ高住はなぜ失敗するのか?」))。

 本書は、そんな「サ高住」がなぜ高いのかといったことを始め、制度の問題点をも指摘しており、詰まるところ、介護保険制度をはじめとする国の介護福祉政策への批判の本にもなっていますが、そうした姿勢を衒わなくとも、現場の声を拾い上げていくと自ずとそうなるでしょう。思えば、こうした問題提起的な要素は前著『マンガ認知症』にもあり、この辺りも一般の入門書とは異なる点であると思います(小島氏は、利用者負担割合と補足給付の見直しによって、介護サービスが使えない人が増加していることに警鐘を鳴らしている)。

 前著『マンガ認知症』に続き、佐藤眞一先生による心理学的な側面からの認知症の解説もされています。例えば、施設入所して無気力になって寝てばかりという人の場合には、「学習性無力感」の可能性も考えなければならないといった指摘もなされていて、この辺りは丁寧です。

 前著『マンガ認知症』の復習的な解説も随所でされている一方で、番外編として、「レピー小体型認知症」の解説もその分野の専門家(樋口直美氏)によってされいます(マンガ部分は樋口氏が自身の母親がこの病に見舞われた際の体験談になっている)。「高齢者では発症していなくても3人に1人はレビー小体が認められる」というのは驚きでした。

 認知症について介護と医療の両面から分かりやすく学べるという点で、前著に続いてお薦めです。

《読書MEMO》
●老人ホーム・介護施設の種類ごとの特徴を比較する(「みんなの介護」)
老人ホーム種類.jpg

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分かりやすく読める工夫がされていて、認知症患者の心理面の解説が充実してる。

マンガ 認知症3.jpgマンガ認知症2.jpg マンガ認知症.jpg
マンガ 認知症 (ちくま新書) 』['20年]『マンガ認知症【施設介護編】』['24年]

マンガ 認知症4.jpg 大好きな祖母(婆ル)が認知症になってしまい、母(母ル)と二人で介護に取り組むマンガ家ニコ。人が変わってしまったかのような祖母との生活に疲れ果てたニコたちの前に、認知症の心理学の専門家サトー先生が現れて―。

 ベストセラーになった本ということで、やや遅ればせながら購読しましたが、各章ごとにあるマンガが漫画家自身の体験をベースにしていることもあって、物語を読むように読めて分かりやすく、ベストセラーとなる要素が詰まった本のように思いました。

 一般の「マンガ〇〇」といった類の入門書と異なるには、「マンガ」と謳いながら、基本的には「文章」による入門書であること。これだけならそう珍しくはないですが、「マンガ」部分が実体験ベースなので、シズル感とでも言うか切迫感・切実感があることです(ただし、このことも必ずしも珍しいことではないかも知れないが)。

 加えて他の本と比べて良かったのは、「マンガ」部分がケースの紹介だけで終わるのではなく、「マンガ」の中でも理解のためのポイントを整理していて(サトー先生が頻繁に登場する)、さらにその後の「文章」で詳説されるため、「文章」が解説と復習を兼ねていて、理解を深めやすい点です。分かりやすく読める工夫がされていると言えるかと思います。

 あとは、ケーススタディとしてのマンガを各章の冒頭に置いていることに沿って、章題も「「お金を盗られた」「強盗にあった」と言うのはなぜ?」「何度注意してもお米を大量に炊いてしまうのはなぜ?」というように具体的な現象面から入って、その対処法を述べていることで、これについては賛否もあるかもしれませんが、学術的・体系的な解説もちゃんと出てくるので、これはこれでいいのではないかと思いました。

 親が急に認知機能が低下して介護しなければならなくなった人などには、学術的・体系的な解説から入る入門書よりも(本書でも勿論なぜそうなるかといった原因は解説されているが、分からないこともまだ多いようだ)、本書のようなスタイルの本の方が実際には役に立つかもしれません(認知症の症状は多様であり、すべてがこのマンガのケースのようになるとは限らないということは前提にしつつだが)。

 特に、サトー先生こと佐藤眞一教授が認知症心理学の専門家であることもあって、認知症患者の心理面(認知症の人の心の中)についての解説が充実しており、さらに介護をする人の気持ちの負担軽減にまで配慮しているのがいいです。

 マンガのストーリーも、ニコさんや母ルさんが「なんでやねん!」を解決するために奮闘し、婆ルさんと3人で心の安らぎに少しずつ近づいていく物語になっているのが、読む側に希望を持たせてくれていいです。知識面での理解だけでなく、介護で疲れて落ち込んだら、また本書を読んで元気を取り戻すという使い方もあるかなと思いました。続編とも言える『』('24年/ちくま新書)と併せてお薦めです。

《読書MEMO》
●目次
序章 認知症ってなんですか?
認知症を心理学的に研究するということ/認知症とはなにか/予備軍も含めれば日本に一〇〇〇万人/認知・認知機能とはなにか/原因疾患と認知機能障害の関係/老化による物忘れと認知症の違い/ 「おかしいな」と思ったら
第1章 「お金を盗られた」「強盗にあった」と言うのはなぜ?
中核症状と周辺症状/物盗られ妄想の原因/自己防衛としての物盗られ妄想/身近な人を疑う理由/認知症と薬/薬をやめてみる
第2章 同じことを何度も聞いてくるのはなぜ?
さまざまな記憶の種類/短期記憶と長期記憶―陳述記憶のプロセス/エピソード記憶障害の原因/符号化、貯蔵、検索―記憶のモデル/未来の予定がわからないことの不安/何度でも同じことを聞く理由/なんのための介護か
第3章 何度注意してもお米を大量に炊いてしまうのはなぜ?
陳述記憶と非陳述記憶/手続き的記憶が残る理由/繰り返される行動には、その人のアイデンティティが現われる/同じものを大量に買ってしまうときは
第4章 突然怒りだすのはどうして?
前頭葉障害で、行動のコントロールが難しく/注意機能が低下し、気が散りやすくなる/前頭側頭型認知症の場合/夕暮れ症候群/偶然見つけたヒント/会話が重要/ときには放っておくことも有効
第5章 高齢者の車の事故はなぜ起きるの?
シニアカーがぶつかってきた/有効視野の低下/自分が今まで何をしていたのかわからない/注意機能の衰え/選択的注意機能と有効視野/一度に二つ以上のことができなくなる/認知症に限らず失敗しやすい「注意の切り替え」/家族の同乗がかえってよくないこともある/運転が苦手になるのは、認知症の人に限らない
第6章 介護者につきまとうのはどうして? ?
遂行(実行)機能障害/目標・計画・実行のどこができないのか/できない自分に傷ついている/押し売りに引っかかってしまうのは?/見当識障害という問題/過去と現在と未来をつなげる/実行機能と遂行機能
第7章 家にいるのに「帰りたい」と言うのはなぜ?
見当識とはなにか/記憶の低下との関係/幼児期の記憶のあり方と似ている/婆ルさんはどこに帰りたいのか
第8章 これってもしかして「徘徊」ですか?
目的もなくうろついているわけではない/ 「徘徊」はなぜ起きるのか/頭の中の地図がつくれなくなる/建物と自分の位置関係がわからなくなる/鏡の不思議/徘徊が出てきたら、どうしたらいいのか/徘徊がおさまるのはいいことか
第9章 排泄を失敗してしまうのはなぜ?
排泄の失敗が増える理由/失敗を認めることは、プライドが許さない/弄便で自宅介護が限界に/なぜ食べられないものを口に入れてしまうのか/本人のプライドを傷つけないために
第10章 介護に疲れ果てました。どうしたらいいですか?
人間関係はギブ&テイク/ 「思いどおりにならない」はコントロールのはじまり/「なぜこんなことをするのか」?と考える/心がすれ違うことで、ケアがコントロールに陥る/社会的認知機能の低下と「心の理論」/まずは話を聞くことから/介護を生きがいにしない
番外編 なんでお尻を触るんですかコラー‼
衝動を抑制できない/性欲以外が原因のことも/優しさが逆効果になることも/高齢者の性欲を認める/家族で認知症について話し合える関係に

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俗流心理学を脳科学に置き換えたエセ脳科学。「脳科学」における「竹内久美子」。

脳の闇(新潮新書)5.jpg脳の闇(新潮新書)2.jpg そんなバカな 竹内久美子.jpg
脳の闇 (新潮新書) 』['23年]竹内 久美子『そんなバカな: 遺伝子と神について』['91年]

 自身の人生と脳科学の知見を通して、現代社会の病理と私たち人間の脳に備わる深い闇を鮮やかに解き明かす。5年にわたる思索のエッセンスを一冊に凝縮した、衝撃の人間論!(版元口上)

 「しばしば、ファンですという方からメッセージをいただく」という文章から始まるように、この著者の固定ファンは多いようです。個人的にはずっと著者の本は手にしていなかったのですが、テレビでのコメンテーターとしてのその発言に違和感を感じ、どんなこと書いている人なのかと思い、読んでみました。

 読んでいて、「(こうした作用は)前頭葉の前頭前野が行っていることが実験によって明らかになっている」といったような記述ばかりで、踏み込んだ科学的説明がほどんど無いまま、あとは「人はそういうふうにできているのだ」と決めつけているような表現ばかりだったように思いました。学術的根拠を詳しく解明せずに結論を言い切っているところが、読者にとってある意味"楽"であり、一部の読者には受けるのかもしれませんが、俗流心理学を脳科学に置き換えているだけの「エセ脳科学」のように感じられ、これって純粋には科学とは言えないのではと思いました(読み物としても脳科学系というより心理学系か)。

男が学ぶ「女脳」の医学.jpg 何でもセロトニンとか脳内物質で説明してしまうところは、文芸評論家の斎藤美奈子氏が"ア本"(アキレタ本)認定した米山公啓氏の『男が学ぶ「女脳」の医学』('03年/ちくま新書)を想起させられました。そんなバカな 竹内.jpgさらには、脳科学とはジャンルは異なり進化学ですが、個人的評価が星1つであるため当時この読書ブログでは単独では取り上げなかった『そんなバカな!―遺伝子と神について』('91年/ちくま新書)の竹内久美子氏をも思い出しました(竹内久美子氏は後に「睾丸のサイズによって日本人が日本型リベラルになるかどうかが左右される」「睾丸の小さい男は子の世話をよくし、イクメン度が高い」という「睾丸決定論」を唱えた御仁)。

進化論という考えかた.jpg 『そんなバカな!』は「講談社出版文化賞」(講談社科学出版賞)を受賞しましたが(「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」の第1位にも選ばれている)、進化生物学者の佐倉統氏は『進化論という考えかた』('02年/講談社現代新書)の中で、竹内久美子氏を"俗流"進化生物学と批判しました(佐倉統氏は神経科学者の澤口俊之氏も同様に批判している)。竹内久美子氏に似たものを、本書の著者にも感じます。著者の「不倫遺伝子論」は、もともとそういうことをする遺伝子を持った人がいるという説で、竹内久美子氏の「同性愛遺伝子論」とよく似ているように思います(まさに「竹内久美子」の脳科学版。誰か小保方晴子さんになぞらえていた人もいた(「小保方感ある脳科学者・中野信子さん」))。

 精神科医の岩波明氏は『精神医療の現実』('23年/角川新書)の中で、「脳科学という言葉が世の中に浸透するようになったのは、1990年代ころのことだと思われる(中略)。現在では、「脳科学者」を名乗っている人が、テレビ番組のコメンテーターなどに登場することはまれなことではなくなっている。それでは脳科学とは何かというと、そもそも日本の医学部に「脳科学科」という名称の部門は存在していない」としています。大学において、脳に関する研究をしているのは、基礎医学の部門に加えて、神経内科、脳外科、精神科が相当しているが、いずれの部門も、世の中に浸透している「脳科学」のイメージとはピッタリ一致していないとのこと。この読書ブログでは「脳科学」というカテゴリーを設けていますが、岩波氏の論でいけば、要するに「脳科学者」を標榜する人はやや似非(エセ)臭い要素があるかもしれないということでしょうか(となると、先ほど用いた「エセ脳科学」という言葉も微妙になってくるが)。ネットで「脳科学者」で検索すると、著者の名が真っ先にで出てきて、それに続くのが茂木健一郎氏と澤口俊之氏でした。

中野 信子k.jpg 岩波明氏は、"脳科学者"の茂木健一郎氏も批判の対象としていますが、茂木健一郎氏はその論がやや浮いていたりすることがあって、だんだん茂木氏がどんな人か皆分かってきた(笑)印象があります。これに対し、この著者は、本書『脳の闇』を出した2023年には単著7冊、共著3冊を出していて(ほぼ〈作家〉業。〈研究〉などしている"暇"は無いのでは)、おそらくこの辺りがピークであろうとは思いますが、まだ現時点ではコアなファンが多くいると思われます。読み物として読むのならばどうぞお好きにという感じですが、まさか科学的に正しいと信じて読まれているのではないだろうなあと、少し気になります。

『そんなバカな!―遺伝子と神について』...【1994年文庫化[文春文庫]】

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「あるある」オンパレード。どんな認知バイアスがあるかを知っておくことは大事なのかも。

バイアス大図鑑.jpgバイアス大図鑑2.jpg
大図鑑シリーズ バイアス大図鑑 (Newton大図鑑シリーズ) 』['24年]

Newton大図鑑シリーズ2.jpgNewton大図鑑シリーズ.jpg 科学雑誌「ニュートン」の2020年から刊行が続いている本格図鑑シリーズ「Newton大図鑑シリーズ」の第33弾(2024年までに33巻刊行)。心理学系は、『心理学大図鑑』に続いて2巻目ですが、図鑑に心理学系の本があること自体が「ニュートン」らしいかも。

 「認知バイアス」という言葉が注目を集めている昨今ですが(ジャンル的には心理学だが、プロスペクト理論とか行動経済学などの分野との関係も深い)、認知バイアスを場面に応じて大きく6つに分類し、実験や調査などのエビデンスとともに、イラストと図で分かりやすく解説しています。

 どれも「あるある」という感じで、まさに「あるある」のオンパレードです。その理由として書かれていることにも大体は以前から見当がついていたように思えましたが、それぞれにちゃんと名前がついているのだということが興味深かったです。

 Part1「知覚にまつわるバイアス」では、広告などを何度も見ると好きになっていく「単純接触効果」、A型は几帳面だと根拠なく信じてしまう「確証バイアス」、占いが当たっていると感じる「バーナム効果」、日頃の習慣や知識が固定観念となって新たな発想を妨げる「機能的固着」、ドキドキしただけでもっともらしい原因があると取り違えて好きになる「誤帰属」、効き目のない偽薬で症状が改善する「プラセボ効果」(これはよく知られている)、幸せや悲しみは実際よりも長く続くと思う「インパクト・バイアス」、すべては計画通りに進むと思い込む「計画錯誤」、無意識に辻褄を合わせようとする「認知的不協和」(フェスティンガーが提唱したこれも有名)etc.。

 Part2「記憶にまつわるバイアス」では、思い出を後から作る「偽記憶」、記憶が言葉一つで変わってしまう「事後情報効果」、昔の出来事を最近のことのように感じる「圧縮効果」、10代から20代の出来事ばかり思い出す「レミニセンス・バンプ」、今よりも昔の方がよく見える「バラ色の回顧」、完了された内容よりも中断された内容を覚えている「ツァイガルニック効果」、「後出し」で記憶を都合よく修正する「後知恵バイアス」、過去から未来までずっと人は変わらないと思い込む「一貫性バイアス」、よい印象より悪い印象の方が残りやすい「ネガティビティ・バイアス」etc.。

 Part3「判断・意思決定にまつわるバイアス」では、数値を示されると尤もらしいと思ってしまう「アンカリング」、質問の仕方で答えが変わる「フレーミング効果」、損が気になって挑戦できない「現状維持バイアス」(この辺りはプロスペクト理論か)、過去の投資が勿体なく無駄な投資を続ける「サンクコスト効果」(コンコルドの写真が出ている)、明日得られる利益よりも今日得られる利益を大切にする「現在志向バイアス」、どうせ失敗するなら何もしない方を選ぶ「不作為バイアス」、レアものや限定品が魅力的に感じる「希少性バイアス」、選択肢が多いとかえって選べない「択肢過多効果」、手間をかけたものに価値を感じる「イケア効果」(家具などを購入者自らが組み立てる)etc.。

 Part4「対人関係にまつわるバイアス」では、見た目良ければすべて良しとなる「ハロー効果」(代表的な考課者錯誤として有名)、期待をかけられると成果が出る「ピグマリオン効果」、実力不足だと自分の実力より過大評価する「ダニング・クルーガー効果」、自分と意見が合わないと相手が間違っていると考える「ナイーブ・リアリズム」、他の人も自分と同じように考えているだろうと思い込む「フォールス・コンセンサス」、自分が思っているほど他人は自分に興味がないことに気づかない「スポットライト効果」、否定されるとよけいに自分が正しいと思う「バックファイア効果」etc.。

バイアス大図鑑3.jpg Art5「集団にまつわるバイアス」では、勝ち馬に乗って自分も勝者になりたい「バンドワゴン効果、出身地が同じということだけで贔屓してしまう「内集団バイアス」(出身地に限らずこれはある)、人がたくさんいると行動しなくなる「傍観者効果」etc.。

 Part6「数にまつわるバイアス」では、アイスが売れると水難事故が増えるといった「疑似相関」、連続で黒が出たら次は赤が出る確率が高くなると思う「ギャンブラー錯誤」(ドストエフスキーなら黒に賭け続ける(『賭博者』))etc.。

 見て分かるように、認知バイアスは様々な場面で見られますが,自分ではなかなか気づかないもので、それゆえに「バイアス」として在るのだろうし、だからといって「自分はいつも正しい」と開き直るのではなく(これこそが最大のバイアスかも)、本書が言うように、どんな認知バイアスがあるかを知っておくことで、いざというとき、バイアスにうまく対処することができるのでしょう。

《読書MEMO》
●目次
Part1 知覚にまつわるバイアス
錯視/見落としの錯覚/単純接触効果/真実性の錯覚/確証バイアス/バーナム効果/機能的固着/誤帰属/プラセボ効果(偽薬効果)/妥当性の錯覚/インパクト・バイアス/計画錯誤/COLUMN 認知的不協和
Part2 記憶にまつわるバイアス
虚記憶(偽りの記憶)/事後情報効果/ラベリング効果/圧縮効果/レミニセンス・バンプ/バラ色の回顧/ツァイガルニック効果/皮肉なリバウンド効果/後知恵バイアス/一貫性バイアス/ピーク・エンドの法則/ネガティビティ・バイアス/気分一致効果/COLUMN 有名性効果
Part3 判断・意思決定にまつわるバイアス
代表性ヒューリスティック/利用可能性ヒューリスティック/アンカリング/フレーミング効果/正常性バイアス/現状維持バイアス/サンクコスト効果/デフォルト効果/現在志向バイアス/不作為バイアス/ゼロサム・バイアス/COLUMN 利用可能性カスケード/おとり効果/希少性バイアス/選択肢過多効果/メンタル・アカウンティング/保有効果/イケア効果/単位バイアス/曖昧さ回避/身元のわかる犠牲者効果/モラル・ライセンシング/COLUMN リスク補償
Part4 対人関係にまつわるバイアス
ハロー効果/ステレオタイプ/ピグマリオン効果/平均以上効果/ダニング・クルーガー効果/自己奉仕バイアス(セルフ・サービング・バイアス)/楽観性バイアス/ナイーブ・リアリズム/フォールス・コンセンサス/知識の呪縛/貢献度の過大視/スポットライト効果/透明性の錯覚/公正世界仮説・被害者非難/システム正当化/敵意的メディア認知/バックファイア効果/COLUMN 第三者効果
Part5 集団にまつわるバイアス
同調バイアス/集団への同調/少数派への同調/バンドワゴン効果/集団極性化/権威バイアス/外集団同質性バイアス/内集団バイアス(内集団びいき)/究極的な帰属の誤り/錯誤相関/COLUMN 傍観者効果
Part6 数にまつわるバイアス
ナンセンスな数式効果/平均値の誤謬/生存者バイアス/相関分析の落とし穴/シンプソンのパラドックス/擬似相関/回帰の誤謬/ギャンブラー錯誤/モンティ・ホール問題/確率の誤謬/COLUMN 確実性効果

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「幸福」を学問的に捉えているのがユニークで、説得力もあった。

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幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書 2238) 』['13年]

 本書は、脳・ロボット学者である著者が、個人の幸福追求、幸せにつながるビジネスのために「幸福」の仕組みを解き明かし、「幸せはコントロール幸せのメカニズム1.jpgできる」ことを示した、誰でも分かる学術書、学問としての体系的幸福学の本であるとのことです。

 第1章では、前提知識として、幸福の定義、測り方、世界的な研究動向、および幸福に影響することがら、主に心理学の分野で行われてきた幸福研究の成果とその限界」について述べてます。

 第2章では、著者らのグループが行った幸福学の研究成果に的を絞って、幸福の因子分析をした結果、次の幸せの4つの因子が得られたとしています。

 ・「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
 ・「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)
 ・「なんとかなる!」因子(前向きと楽観の因子)
 ・「あなたらしく!」因子(独立とマイペースの因子)

 著者はこれらを「幸せの四葉のクローバー」としています。

 「やってみよう!」因子は、コンピテンス、社会の要請、個人的成長、自己実現に関係した因子。自分の得意なことを伸ばす楽しみ。オタク・天才・達人を目指せ!としています。

 「ありがとう!」因子は、人を喜ばせる、愛情、感謝、親切などの要素から成りたち、たくさんの友人より多様な友人を持てと。さらに、人を幸せにすると自分も幸せになるとしています。

 「なんとかなる!」因子は、楽観性、気持ちの切り替え、積極的な他者関係、自己受容に関連した因子。「そこそこで満足する人」が幸せであるとしています。

 「あなたらしく!」因子は、社会的比較のなさ、制約の知覚のなさ、自己概念の明確傾向、最大効果の研究に関係し、人の目なんて気にせず、マイペースな自分を、と。また、「満喫」する態度を持つと幸せになれるとしています。

 第3章は応用編で、第2章で得た4つの因子から見て、世の中はどうなっていくのか、どうすべきかを考察しています。

 この本はある読書会の課題本として読んだもので、個人的には、これまであまり「(幸福を学問として捉える)幸福学」というものを意識してきませんでしたが、第1章の冒頭で、「幸福」「幸せ」(両者は同意だとしている)と「happiness」「well-being」の違いなどを解説しているのは興味深かったです(「happy」と「幸福」は、時間的スパンにおいて違うのだとしている)。

 「幸せって何だろう」的な本は、それをテーマにしたエッセイなどのも含めると結構出ていますが、「幸福」を学問的に解明しようとしてる本である点がユニークであったし(前からこの分野は存在していたと思うが、自分にとっては目新しかっった)、科学的・統計的手法を駆使しているため説得力もあったように思います。

 ジャンル的には心理学に近いと思うけれど、学問的な心理学の範疇ではないので、逆に、脳・ロボット学者である著者のように学際的な観点を持つ人が参入してくるのでしょう。海外などは、心理学者が経営学にどんどん参入したりしているけれど、そういうのも日本ではあまりないなあ、と思った次第です。

《同著者の本》
幸せのメカニズム2.jpg
・前野 隆司『実践 ポジティブ心理学―幸せのサイエンス』(2017/08 PHP新書)
・前野 隆司『幸せな職場の経営学―「働きたくてたまらないチーム」の作り方』(2019/05 小学館)
・前野 隆司/前野 マドカ『ウェルビーイング』(2022/03 日経文庫)
・前野 隆司/太田 雄介『実践!ウェルビーイング診断』(2023/05 ビジネス社)
・前野 隆司『幸せに働くための30の習慣―社員の幸せを追求すれば、会社の業績は伸びる』(2023/12 ぱる出版

《読書MEMO》
●幸福と相関が高いもの...健康、信仰、結婚(58p)
●ダニエル・カーネマンの「フォーカス・イリュージョン」(63p)
「人は所得など特定の価値を得ることが必ずしも幸福に直結しないにもかかわらず、それらを過大評価してしまう傾向がある」
●ネッシィ「地位財と非地位財のバランスを取れ!」(70--74p)
●自由時間の長さは幸福に結びつかない(78p)
●「プロスぺクト理論」(87p)
●幸せは間接的にやってくる(91p)

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「蔦重」と作家・画家らとの人間模様を描く学術文庫。「吉原」の解説が詳しい別冊太陽。
蔦屋重三郎0.jpg
新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者 (講談社学術文庫 2840) 』['24年]『蔦屋重三郎: 江戸芸術の演出者』['88年]『蔦屋重三郎: 江戸芸術の演出者 (講談社学術文庫 1563)』['02年]/『蔦屋重三郎: 時代を変えた江戸の本屋 (319) (別冊太陽) 』['24年]/NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」横浜流星

蔦屋重三郎1.jpg 講談社学術文庫版の新版で、今年['25年]のNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公・蔦屋重三郎(1750-1797/47歳没)について、日本美術史と出版文化の研究者が解説したものです。'88年に日本経済新聞社から刊行され「サントリー学芸賞(芸術・文学部門)」を受賞(著者は当時、東京都美術館学芸員)、'02年に講談社学術文庫として刊行され、今回のドラマ化を機に、巻末に池田芙美氏(サントリー美術館学芸員)の解説を加えて「新版」として刊行されました。

蔦屋重三郎 新版.jpg 当時の社会を背景に(江戸時代という平和なイメージがあるが、浅間山の噴火と大飢饉、田沼意次と松平定信の抗争など色々あった)、蔦屋重三郎と作家、画家、版元仲間らの様々の人間模様を描き、天明・寛政期に戯作文芸や浮世絵の黄金期を創出した奇才の波瀾の生涯を文化史的・社会史的に捉えた本であり、「単なる出版「業者」ではない「江戸芸術の演出者」としての蔦重の歴史的役割を明らかにしてみせた」(高階秀爾「サントリー学芸賞」選評)との評価を受け、今もって蔦屋重三郎を知るための「必読の定番書」とされている本です。

江戸新吉原耕書堂.jpg 最初、新吉原大門(しんよしわらおおもん)前で書店「耕書堂(こうしょどう)」を創業しますが、"吉原外交"を駆使するなどして作家のパトロンとなり、事業拡大に合わせて当時有名版元が軒を連ねていた日本橋通油町(とおりあぶらちょう(現・日本橋大伝馬町))に進出、"黄表紙出版で興隆するも、政治風刺の筆禍事件で身上半減の処分を受けたりもしています。

江戸新吉原耕書堂(蔦屋重三郎が新吉原の大門前に開業した「耕書堂」を模した施設)台東区千束・2025年4月6日撮影

 作家や絵師の才能を見抜く眼力と、独創的企画力を併せ持ち、まず獲得した作家が山東京伝で(山東京伝に関しては、当初は重三郎はその文才よりも浮世絵師としての才能の方を買っていたと本書にある)、さらには滝沢馬琴も育てます。次に喜多川歌麿を獲得して美人画を制覇し、東洲斎写楽を獲得して役者絵制覇の野望を果たします。まさに、江戸時代のメディア王と言っていいでしょう。斬新なアイデアと並々ならぬバイタリティ、打たれ強さを備えた人物の成功物語でもあり、楽しく読めます。

蔦屋重三郎 別冊太陽1.jpg蔦屋重三郎 別冊太陽0.jpg それにしても、最初のベストセラーは、〈吉原ガイド〉だったわけだなあ。別冊太陽版の方は、なぜか当時の吉原についての解説にかなり重点が置かれて、詳しく解説されています(「遊女の一日」とか)。だだ、講談社学術文庫版では細かすぎる吉原細見などが大きな図版で見ることができるのは有難いです。

蔦屋重三郎の仕事.jpg 監修は、近世書籍文学史が専門で、講談社学術文庫版にもしばしばその著書からの引用のある中央大学の鈴木俊幸教授(大河ドラマ「べらぼう」の版元考証もしており、一般読者に分かりやすく各書き下ろした『蔦屋重三郎』('24年/平凡社新書)という入門書もある)、また、蔦屋重三郎の人的ネットワークについては、『別冊太陽 蔦屋重三郎の仕事』('95年)掲載の法政大学の田中優子教授(現総長)の原稿「蔦屋重三郎のネットワーク」が再掲載されています。それとは別に、蔦屋重三郎に関係する主要人物10名ほどの解説があり、巻末には歌麿、写楽の解説と大判の浮世絵作品もあって、これはこれで、吉原や蔦屋重三郎が関係した人物・作品について知ることができるものとなっています。
別冊 太陽 蔦屋重三郎の仕事』['95年]

 講談社学術文庫版を「蔦屋重三郎と作家、画家、版元仲間らの様々の人間模様を描いた」としましたが、蔦屋重三郎が人気作家・浮世絵師らを獲得していった経緯には不明の部分も多いようです。大河ドラマでは主演男優がインタビューで「あまり知られていない人物だから自由に演じられる」と言っていましたが、脚本家からすれば、「自由に書ける」というのはあるかも(脚本は「おんな城主 直虎」('17年)の森下佳子氏だが、「直虎」もかなり"自由"だった)。

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蔦屋重三郎 べらぼう.jpg「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」●脚本:森下佳子●演出:大原拓/深川貴志/小谷高義/新田真三/大嶋慧介●時代考証:山村竜也●版元考証:鈴木俊幸●音楽:ジョン・グべらぼう図1.jpgラム●出演:横浜流星/高橋克実/飯島直子/中村蒼/六平直政/水沢林太郎/渡邉斗翔/小芝風花/正名僕蔵/水野美紀/小野花梨/久保田紗友/珠城りょう/安達祐実/山路和弘/伊藤淳史/山村紅葉/かたせ梨乃/愛希れいか/中島瑠菜/東野絢香/里見浩太朗/片岡愛之助/三浦りょう太/徳井優/風間俊介/西村まさ彦/芹澤興人/安田顕/井之脇海/木村了/市原隼人/尾美としのり/前野朋哉/橋本淳/鉄拳/冨永愛/真島秀和/奥智哉/高梨臨/生田斗真/寺田心/花總まり/映美くらら/渡辺謙/宮沢氷魚/中村隼人/原田泰造/吉沢悠/石坂浩二/相島一之/矢本悠馬/綾瀬はるか●放映:2024/01~2024/12(全50回)●放送局:NHK

(●NHK「首都圏情報ネタドリ!」(2025.1.10)「蔦屋重三郎とTSUTAYA(ツタヤ)の関係は? 大河ドラマ時代考証担当・鈴木俊幸さんが語る主人公の魅力」)
「彼の広告戦略は現代とも通じるところがあります。例えば吉原細見の一つにしても、その序文を当時の著名人・平賀源内に依頼するなど、箔(はく)をつけて売り出していきました。ただ宣伝するだけでなく、ブランディングがうまかった。そうした彼の出版物には、"粋"でおしゃれなかっこよさ、江戸っ子が好む演出がなされており、流行の発信地としての吉原のイメージを確立、人々が憧れをいだき、買い求めるように仕向けていきました」
「ドラマでもこれから描かれていくかもしれませんが、出版人として蔦屋重三郎は必ずしも順風満帆というわけではありませんでした。政治状況の変化や大衆のニーズの移り変わりなどで多くのピンチにも見舞われます。そうした状況の中でも、大衆が次に求めるものは何かと思案を続け、本の内容や売り方などを工夫し、手を変え出版業を続けていきました。現在の状況にとらわれず、常に先を見続ける力があったからこそ、前向きに新たな手を打ち、数々の功績に繋がっていきます」
「吉原は江戸時代において特殊な場所で、多種多様な人材が集まる数少ない街でした。当時の武家社会では、武家は武家、商人は商人といった形で、全く違う生活スタイルや価値観の中で生きており、交わることも多くなかったと思います。吉原は異なる人種が集まる場所であり、当時の一流の文化人やクリエーターなども多く通う文化サロンといった面もありました。そこで蔦重の個性やセンスが磨かれつつ、かつ自身の後ろ盾となる人脈を広げていったのではないかと思います」
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江戸新吉原耕書堂(蔦屋重三郎が新吉原の大門前に開業した「耕書堂」を模した施設)台東区千束・2025年4月6日撮影
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観光協会専務理事・不破利郎さん(台東区千束・ホテル「座みかさ」にて)2025年4月6日撮影
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不破利郎さん(ホテル「座みかさ」オーナー)
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「●進化学」の インデックッスへ 「●イラスト集」の インデックッスへ

「世界一美しい楽しい古生物図鑑」。子どもから大人まで楽しめる。

古生物大図鑑.jpg古生物大図鑑1.jpg
Newton大図鑑シリーズ 古生物大図鑑』['21年]「Newton大図鑑シリーズ」33
Newton大図鑑シリーズ2.jpgNewton大図鑑シリーズ.jpg 科学雑誌「ニュートン」の2020年から刊行が続いている本格図鑑シリーズ「Newton大図鑑シリーズ」の第17弾(2024年までに33巻刊行)。このシリーズは版元の口上によれば、「子供から大人まで誰でも楽しめる!」「美しいビジュアルでワクワクが止まらない!」「やさしい文章で。どんどんわかる!」とのことで、本書の謳い文句は「世界一美しい楽しい古生物図鑑」となっていますが、これらの言葉が必ずしも大袈裟ではないように思います。

 本書では地球の歴史から始まって、魅力あふれる古生物たちを紹介していますが、それらのイラスト描写が精緻であり、背景の植物の葉まできっちり描かれていたりします。大人もそうですが、子どもなどは大いにイマジネーションを掻き立てられるのではないでしょうか(Amazonのレビューに5歳の息子のために買ったとかいうのがあったが、4,5歳くらいから楽しめるのではないか)。

 解説も分かり良い言葉で書かれており、内容的にはかなり専門的なことまでも書かれているので、これは大人にとっても有難いことではないかと思います。

 冒頭に「ビジュアル年表」があり、そこでの年代区分は、「原生代」(エディアカラ紀)、「古生代(節足動物と魚類の時代)」(カンブリア紀・オルドビス紀・シルル紀・デボン紀・石炭紀・ペルム紀)、「中生代(恐竜たちの時代)」(三畳紀・ジュラ紀・白亜紀)「新生代(哺乳類の時代)」(古第三紀・新第三紀・第四紀)となっていて、ページ№ が振ってあります。その後に目次がありますが、この「ビジュアル年表」の方をもう1つの"目次"として参照するといいと思います。

EVOLUTION 生命の進化史.jpg生物の進化大図鑑.jpg 「古生物図鑑」「進化学図鑑」のこれまでの個人的ベストは、ダグラス・パーマー『EVOLUTION 生命の進化史』('10年/ソフトバンククリエイティブ)、マイケル・J・ベントン他『生物の進化 大図鑑』('10年/河出書房新社)あたりなのですが、「古生物図鑑」や「恐竜図鑑」に共通する弱点は、どんどん新発見があって内容が古くなっていくことであり、本書も今世紀に入ってからの発見が多く含まれている一方で、まだ分からないがいずれ明らかになるであろうことも多いことが示唆されています。ただし、それでも暫くは、本書もまた最良の古生物図鑑の1つであり続けるのではないでしょうか。

恐竜大図鑑 ニュートン.jpg このシリーズはほとんどが日本人の学者による監修となっています。本書の監修者は国立科学博物館・地学研究部の生命進化史研究グループ長の甲能直樹氏です。「NHKスペシャル 恐竜超世界」で知られる小林快次氏の監修による、このシリーズの『恐竜大図鑑』('21年)も機会があれば手にしてみたいと思います。

Newton大図鑑シリーズ 恐竜大図鑑』['21年]

古生物大図鑑2.jpg

《読書MEMO》
●目次
Part1 地球の誕生(先カンブリア時代)
地球/海/生命の誕生/シアノバクテリア/全球凍結・大酸化イベント/オゾン層/地磁気/超大陸/エディアカラ生物群
Part2 古生代(カンブリア紀〜シルル紀)
カンブリア爆発/バージェス頁岩/バージェス頁岩動物群/ケンブリッジプロジェクト/アノマロカリス/奇妙奇天烈動物群/澄江動物群/ミロクンミンギア/微小硬骨格化石群/三葉虫/イアペタス海/棘皮動物/植物の上陸/ウミサソリ/ヘレフォードシャー微化石群
COLUMN 眼の誕生説/カイメン
Part3 古生代(デボン紀〜ペルム紀)
魚類の台頭/無顎類・棘魚類・板皮類/ダンクルオステウス/軟骨魚類/脊椎動物の上陸/オウムガイ・アンモナイト/植物大繁栄/爬虫類・昆虫/メゾンクリーク生物群/単弓類/P/T境界絶滅事件
Part4 恐竜たちの時代(中生代)
中生代の幕開け/主竜類/竜脚形類/獣脚類/装盾類/ティラノサウルス/鳥脚類/周飾頭類/魚竜類/クビナガリュウ類/モササウルス類/カメ類/ニッポニテス/翼竜類/白亜紀と温暖化/K/Pg境界絶滅事件
COLUMN カモノハシ
Part5 哺乳類の時代(新生代)
多様化した哺乳類/古第三紀の動物/インドリコテリウム/クジラ類/鰭脚類/新第三紀の動物/フォルスラコス/南アメリカ大陸/デスモスチルス/メガロドン/第四紀の動物/マンモス/人類の登場
COLUMN エベレスト/イヌとネコの祖先

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「●相対性理論・量子論」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の本(南部陽一郎)

複数のノーベル賞理論のベースとなった理論を生んだ天才にも挫折の時があった。

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早すぎた男 南部陽一郎物語 時代は彼に追いついたか (ブルーバックス 2183) 』['21年]/『クォーク: 素粒子物理の最前線 (ブルーバックス 480) 』['81年]『クォーク 第2版 (ブルーバックス)』['98年]

 「素粒子物理学および原子核物理学における自発的対称性の破れの機構の発見」により2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎(1921-2015/94歳没)の、生誕100年の節目に初めての本格的伝記。科学ライターによるもので、併せて素粒子物理学および原子核物理学の発展の歴史を辿るものにもなっています。

 本書には、「理論物理学の巨人」南部理論の前では、2012年に発見され「質量の起源」として喝采を浴びたヒッグス粒子も、巨象にひれ伏す小さなアリでしかない―とあります。ただし、彼の途方もなく大きな才能は、常人には理解しがたく、そのため、彼の生涯最高傑作「自発的対称性の破れ」にノーベル物理学賞が授けられたのは発表後50年近くがたってからだったともことです。

 幼い頃から神童と目され、エリートコースを歩み続けた天才のその道のりが平坦であったかというとそうではなく、「成功と失敗が交錯」したのが南部陽一郎の生涯であったと。素粒子物理を志していたのに、物性物理の講座しかない東大にうっかり入学してしまったが、そのことも含め「南部マジック」と呼ばれる数々の新理論を生み出すベースになったとか、

 最大の苦境に陥ったのは、プリンストン高等研究所に留学した2年間。ここはかつて湯川秀樹も朝永振一郎も在籍した場所で、南部が留学した当時の所長はあのオッペンハイマーで、オッペンハイマーの客人の立場でアインシュタインがいました(クリストファー・ノーラン監督映画「オッペンハイマー」.jpgの映画「オッペンハイマー」('23年/米)でもプリンストン高等研究所の庭での二人の"接触が"が描かれていた)。南部はアインシュタインの"追っかけ"のような志向があり、オッペンハイマーに無断でアインシュタインに会いに行ったりして(散策するアインシュタインを車から隠し撮りしたりしている)、当時研究所員からも畏怖されていたオッペンハイマーの機嫌を損ねるといったことがあったようです。

「オッペンハイマー」('23年/米)

 そのプリンストン高等研究所での2年間、南部は成果が出せず、研究所が超競争社会であったことも相俟って絶望状態に陥ったことで神経衰弱となり、さすがにオッペンハイマーも心配し、シアトルに行くことなどを勧めましたが、結局、(日本では教授職にあったのに)「ポスドク」扱いでシカゴ大学に移ることになります。シカゴ大学で出会った物性物理の新理論が気に入らず、そこで生まれたのが「自発的対称性の破れ」の理論で、そこから先にも述べた「南部マジック」と呼ばれる数々の新理論を打ち出すことになります。

2008年10月8日付「朝日新聞」
ノーベル物理学賞 日本人3氏 .jpg 1991年に70歳で定年、シカゴ大学の名誉教授となりますが、驚くのは、1999年と2004年に、それぞれ南部が生み出した「自発的対称性の破れ」の理論および「量子色力学」の理論をベースとした研究でノーベル物理学賞が授与されているとのことで、南部の2008年の授賞は遅すぎたかもしれません(これも南部がその理論に影響を与えた益川敏英、小林誠との共南部陽一郎2.jpg同授賞)。生きている間に受賞できたのは良かったですが、奥さんの健康上の理由と自身の体力の問題で授賞式に出られなかったのは残念でした(シカゴ大学にて授与され、記念講演も行った。そう言えば、本書にも出てくる南部の恩師で'65年に物理学賞を受賞した朝永振一郎は、酒で酩酊し風呂場で転んで骨折したため(朝永自身、エッセイに書いている)在日本スウェーデン大使館で賞状とメダルを受け取ったということがあった)。
贈られたメダルを見せる南部陽一郎(2008年12月11日付「朝日新聞デジタル」米シカゴ、シカゴ大提供)本書p274

 90歳になっても、宇宙を記述する理論として流体力学に関心を寄せ、その研究に情熱を傾けていたとのこと、1970年に、海外の学会に出かけて帰ってきた際の出張理由を当局に報告する負担から解放されるために米国籍を取得していましたが(ノーベル賞受賞当時、既に米国籍であったことは多くの人の記憶にあるのでは。新聞に「ノーベル賞日本人3氏」とあったが、南部については国籍上は米国人ということになる)、晩年は妻の地元である大阪府豊中市の自宅で暮らしていたとのことです。

クォーク―素粒子物理の最前線.jpg 本書は、冒頭にも述べたように、南部陽一郎の生涯の「物語」と並行して、素粒子物理学および原子核物理学の発展の歴史を様々な理論を解説しながら辿るものになっていますが、南部洋一郎自身が素粒子について一般向けに書いたものとしては、同じくブルーバックスに『クォーク―素粒子物理の最前線』('81年)があり、素粒子物理学が過去50年間にどう発展し、現在何がわかっているか、物理学者がどんな考え方を辿ってその理論に到達したのかを、相対性理論との関係などを説明しながら、具体的かつ系統的に解説しています。その17年後には、同じくブルーバックで本書の第2版にあたる『クォーク―素粒子物理はどこまで進んできたか』('98年)も刊行されています。

クォーク: 素粒子物理の最前線 (ブルーバックス 480) 』['81年]

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「●日本の主な写真家」の インデックッスへ

生涯を通して出生地を拠点にしながら、海外にまで知られるようになった写真家。

吹き抜ける風01.jpg吹き抜ける風02.jpg 植田正治のつくりかた00.jpg 植田正治と妻.jpg
吹き抜ける風: 植田正治写真集』['05年]/『植田正治のつくりかた』['13年]植田正治と妻 (1949年撮影)
吹き抜ける風03.jpg植田 正治(しょうじ).jpg 植田正治(うえだ しょうじ、1913-2000/87歳没)は、出生地である鳥取県境港市を拠点に70年近く活動した写真家で、数ある作品の中でも、鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」はよ植田正治写真集:吹き抜ける風図2.jpgく知られています。人物をオブジェのように配する構図や、逆に物を擬人化するなどの特徴を持ち、土門拳や名取洋之助の時代以降の主観や演出を重視した日本の写真傾向と合致したとのこと(Wikipediaより)。この人の写真を見ていると70年代頃に「アサヒカメラ」(2008年廃刊)などに掲載されていた写真を想起させられます。
 
吹き抜ける風04.jpg 一方、その後に大きく興隆する広告写真、ファッション写真とも親近性があったこともあり、広く注目されるようになります。個人的にも、作品の中にはバブル期のサントリーの広告を思い出させるものがあったように思います(最近では上田義彦氏のサント吹き抜ける風f.jpgリー・ウーロン茶の広告を想起させる)。また、1994年には福山雅治のシングル「HELLO」のCDジャケットを手がけています。その間も次第に評価は高まり、その評価はヨーロッパやアメリカにも及びました。海外の写真家で言うと、アンリ・カルティエ=ブレッソンなどと似ている点もあるように思います(絵画まで範囲を拡げれば、キリコの画風が最も近いかも)。
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植田正治のつくりかた0.jpg植田正治のつくりかた01.jpg 故郷の鳥取県伯耆町に植田正治写真美術館がありますが、何回か東京でも写真展が開かれたことがあり、東京ステーションギャラリーが1993 年に生前最大規模となる回顧展「植田正治の写真」を開催し、さらに没後の2005年12月から2006年2月にかけて東京都写真美術館が開館10周年記念として写真展を開催しています。そして再び東京ステーションギャラリーにて、2013年10月から2014年1月にかけて「生誕100年!植田正治のつくりかた」と銘打った写真展が開催し、公式カタログとして『植田正治のつくりかた』('13年9月/青幻舎)が刊行されています。

植田正治のつくりかた02.jpg "公式カタログ"と言っても実質的には大型書籍と言えるもので、『吹き抜ける風:植田正治写真集』が163ページであるのに対し、こちらは224ページとそれを上回るページ数になっています(何れもソフトカバー)。『吹き抜ける風』が刊行された時点で植田正治はすでに亡くなっているため、網羅している写真のうち代表的な作品は重なりますが、『植田正治のつくりかた』の方が「砂丘シリーズ」以外の多様な写真を載せているように思われます(他界する直前に撮られた写真をフィルムから現像したものもある)。

 『植田正治のつくりかた』の解説文で興味深かったのが、しばしば砂丘の写真として説明される「少女四態」も、「パパとママとコドモたち」を中心植田正治のつくりかた03.jpgとする一連の「綴り方・私の家族」シリーズも、ともに植田の自宅からほど近い弓ヶ浜海岸で撮影されたということで、それを評論家が砂丘と勘違いしてしまったのですが、その勘違いの元となったのは、植田自身がそれらを収めた写真集を「砂丘」のタイトルで一括りにしたことにあるということです。
 
 ある意味、自分で自分をプロデュースする方法であったのかもしれないし、金子隆一氏(東京都写真美術館学芸員)の解説文にあるように、写真家の内部では砂と空があればすべて「砂丘」ということだったのかもしれません。でも、生涯を通して出生地を拠点にしながら、海外にまでその名を知られるようになったという意味では、稀有な写真家であるには違いないでしょう。

佐野史郎が語る植田正治.jpg 因みに、俳優の佐野史郎が植田正治のファンであり、「もう、作品がいい悪いだけじゃないんですよね。植田さんの才能、技術だけじゃなく、お人柄までも含めて、全てが写真に出ている感じがします」と語っています。佐野史郎は妖怪、ゴジラ、ドラキュラなどのマニアックなファンとしても有名ですが(ゴジラ映画に登場する博士役に憧れて俳優を志した)、かつて画家を目指して美術大学を受験したりした人で、ダリ、マグリットなどのシュールレアリスムの画家が大好きで、漫画家のつげ義春にも造詣が深く、写真家への関心も同じ視覚芸術としての流れでしょうか。

佐野史郎が語る、終生モダニズムを貫いた写真家・植田正治の魅力

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個人的に懐かしい金沢の昔の風景。土塀と用水に挟まれた道を歩いて学校に通った。

金沢1953.jpg
金沢 (岩波写真文庫 復刻ワイド版 (68)―シリーズ 都会の記録 1952〜1957)』『岩波写真文庫[復刻ワイド版]シリーズ都会の記録 1952~1957[6冊セット]』['88年]/『金沢(岩波写真文庫93)』(1953/05 岩波書店)
能登1954.jpg  金沢・能登.jpg
『能登 (岩波写真文庫 復刻ワイド版 (64)―シリーズ 日本人の暮らしの記録 1952〜1958) 』『岩波写真文庫 復刻ワイド版(6冊セット)日本人の暮らしの記録 2 山村・漁村』['88年]/『能登(岩波写真文庫133)』(1954/12 岩波書店)

 岩波写真文庫は、岩波書店が1950年代に出版していたテーマ別写真集叢書(すべてモノクロ写真)で、1950(昭和25)年6月から1958(昭和33)年)12月20日まで286巻が出版されています(1冊100円)。従来この種の出版は成功が困難とされていましたが、このシリーズは経済的にも成功し、1953(昭和28)年には菊池寛賞を受賞しています。1987(昭和62)年から1990(平成2)年にかけて、総計114巻が復刻ワイド版(判型をB6判からA5判に改めた)として出版され、本書はそのうちの1冊になります。

金沢1.jpg 「金沢」は、自分が2歳から小学校2年までと、小学校6年から高校1年まで金沢に住んでいたため、昭和30年代、40年代の金沢を知る身であり、懐かしく写真を見ました。目次が、地理的位置、樺沢の歴史、加賀気質、工芸と伝統、明日への問題、となっているように、シリーズの企画意図が視覚教育の要望に応えようとしたものだったらしく、観光より生活(社会)に視点が置かれていて、暮らしに近い写真が多く収められています。

金沢2.jpg 兼六園や金沢城、尾山神社なども懐かしいことは懐かしいですが、小学校、中学校に通う際にそれに沿って歩いた長い「土塀」の写真がことさら懐かしいです(小学校は今は無き「長土塀小学校」で、「長土塀」という町名は今もある。ただし、土塀は「長町」にもよく見られ、上の左右の写真はいずれも長町にある武家屋敷と土塀)。

 また、尾山神社の手前にあった中学校(今は無き「高岡町中学校」で、移転して「高岡中学校」となった)に通う際に通った長町の「用水」も懐かしいです(用水は長土塀にも見られた。結局、土塀と用水に挟まれた道を歩いて自分は小学校や中学に通ったわけだ)。昭和40年代だから、もうその頃には用水で洗濯をしている人はいなかったかもしれませが。

 東廓の写真もありますが、廓などはさすがに行ってないので記憶が薄いですけれど、小学校の遠足が卯辰山だったから、その前ぐらいは通っているかもしれません。昼間はお稽古時間だったのかあ。三味線の音が流れるのは五木寛之の紀行文なのでありそうですが、直接的にはそこまでの記憶は無いなあ。

能登1.jpg 金沢と言えば次は能登。能登半島沖地震からちょうど1年ですが、復興の遅れが心配です(阪神淡路大震災における神戸の復興の目覚ましいスピードなどと比べるとあまりに遅い)。

 個人的には、父親の趣味が釣りで、その父に連れられて能登島などに行くことがあったので懐かしいです(さすがに祭りの日にはぶつかっていないが)。能登金剛も行きまし『ゼロの焦点』(1961).jpgた。ヤセの断崖は、映画「ゼロの焦点」('61年)のラストで主人公(久我美子)と犯人(高千穂ひづる)が対峙し、犯人が罪を告白するシーンとして登場しているのが有名です(アレ、福井県の東尋坊と勘違いしていた人がいたなあ)。あの映画には、和倉温泉の「おもてなし日本一」で知られる「加賀屋」も出てきました(松本清張はこの旅館で作品を書いたという)。

能登加賀屋新館.gif 因みに加賀屋は、震災以降現在も休業が続いていますが、1週間ほど前['24年12月25日]、'26年冬に営業を再開するとの発表がありました。被災した現在の4棟(全233室)は再建せず、敷地内の別の場所に、新しく5階建ての新館を建てるとしています。デザインは建築家の隈研吾氏で、部屋数は50室、部屋は全室オーシャンビューで、温泉の露天風呂や半露天風呂つきを計画していているとのこと。行ってみたいけれど、庶民には簡単に泊まれる宿泊料金帯ではないかもしれません(外国人観光客で埋まりそう)。金沢の懐かしい場所の写真の話から、加賀屋の新館の話になってしまいました。

《読書MEMO》
●【石川さゆり】「能登半島」復興への願いを込めて【紅白】|NHK(2024.12.31)
出場者の中で最多出場回数記録保持者(47回)であるし、トリでも良かったように思った。この人、演技面でも活躍しているなあ。

石川さゆり 紅白.jpg

麒麟がくる(2020年) - 牧.jpg石川さゆり PERFECT DAYS.jpg
PERFECT DAYS」(2023年、監督・ヴィム・ヴェンダース) - 居酒屋のママ





NHK大河ドラマ「麒麟がくる」(2020年) - 牧(明智光秀の母)

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